• 検索結果がありません。

香港におけるフロート制の経験 : 1974年~1983年

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "香港におけるフロート制の経験 : 1974年~1983年"

Copied!
24
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)香港におけるフロート制の経験 1974年-1983年-. -. 林. 扮. 育. ら83年にかけての香港におけるフロート制の はじめに. 1974年11月,米ドルが激しい投機に襲われ, それを受けて,香港政庁は米ドルとの固定平価 維持を断念し,ドル・ペッグを離脱し,史上初. 経験を考察する必要がある, 香港は貿易自由港であることから,香港ドル の対外価値の安定性は重要な意味をもっている. めて正式にフロート制を採用した.表1にみる. ことが,従来香港政庁によって認識されてきた. 香港ドルの対外価値は,歴史をみると,ほとん. ように,この時期を除けば,香港の為替制度に. ど何らかの形で,正貨やハード・カレンシーと. おいては,固定相場制が採用されていたことに. 固定関係を保って,その通貨と連動していた.. 特徴がある.. しかし,フロート制の採用は,いうまでもな. 香港の為替制度は,主要貿易相手国の為替. く,香港ドルの為替価値を市場原理に基づき決. 制度に追随する傾向があり,とくに中国とイ. 定されることを意味するのである.市場の非合. ギリスの影響を深く受けてきた.これは,香港. 理的な要素による為替レートの過度の変動が発. が中国領土の一部分である一方で,植民地とし. 生し,実体経済に影響を及ぼす場合には,為替. て150年間ほどイギリスの管轄に置かれた,と. 安定政策を講じることが当局に求められるよう. いう歴史的な事情があるわけである.これは 香港の経済・社会発展の基調を決定付け,さ. になる.しかし,周知のように,香港には正式. らに香港の現代為替制度における一つの大きな. て金融・通貨政策の実施ができるだろうか.で. 転換点とも結びついているのである.それは. きるとしたら,どのような執行機関で,どの. 1983年10月に,香港の中国への返還問題に伴. ように中央銀行なりの機能を果たしたか.そし. い,政治的不安で引き起こされた香港ドル危機 をきっかけに,カレンシーボード制(Currency. て,その実態や効率性は通常の中央銀行制度を. BoardArrangement)を再導入したという出 来事である.このカレンシーボード制への復帰. フロート制の離脱と関係するのか.. は当時の危機を対応するために取られた緊急避. この9年間のフロート時期を振り返って,金融. 難措置であると一般にいわれているが,むしろ. 制度面では中銀システムとの比較,為替制度. 70年代中盤から80年代前半にかけてのフロー. 面では固定相場制,あるいはカレンシーボー. ト制への反省の上にたって成立したものであ. ド制との比較を意識しながら,分析を進めて行. る,といった見方もある1).一体10年近く採. く.まず第1章では,香港の通貨制度の歴史を. 用されていたフロート制を離脱する原因が何で. レビューし,フロート制移行の経緯を考察す. あったのか.これを究明するためには74年か. る.第2章では,中央銀行の特徴的な業務であ. な中央銀行も通貨管理機構もないので,果たし. とった国に比べればどのように違うか.それは 本稿では,これらの疑問をもとに,香港の.

(2) 80. 横浜国際社会科学研究. (428). 表1 期間. 第11巻第3号(2006年9月). 香港の為替制度の歴史. 為替制度. 内容. 1863-1935. 銀本位制. 銀貨が法定通貨. 1935-1972. 英ポンド本位制. 1972-1974. 対米ドル固定相場制. 1974-1983. フロート制. 1983-現在. カレンシーボード制. 1英ポンド-16香港ドル(1935年12月-1967年11月) 1英ポンド-14.55香港ドル(1967年11月-1972年6月) 1米ドル--5.65香港ドル(1972年6月-1973年2月) 1米ドル-5.085香港ドル(1973年2月-1974年11月) 特定の日付での為替レート 1米ドル-4.965香港ドル(1974年11月25日)〔開始時〕 1米ドル-9.6香港ドル(1983年9月24日)〔最安値時〕 1米ドル-7.8香港ドル(1983年10月15日-現在). 出所:香港金融管理局『香港金融貨幣簡介』. 2000.. ll. 6頁.. る発券業務を市中銀行に任せるといった香港の. 位の確立など,国際通貨情勢の急激な変化のな. ユニークな発券システムを分析し,その特徴を 明らかにする.また,香港金融システムの金利. かで,自治権を持たない香港が受けた衝撃とそ の対応を物語っている.. 水準を決定する為替銀行協会を対象に,その仕 組みと金利の推移について述べる.最後に為替 基金の役割とその為替市場介入機能に触れる.. 1.1銀本位制 19世紀において,中国清朝政府の管轄の下. 第3章では,フロート制のもとでの香港経済の. で,香港には中国の銀元をはじめ,メキシコ・. 実態,またフロート制下における香港政庁の政. ダラー,スペイン・ダラー,インド・ルピーな. 策運営の現実と限界を検討する.最後に,. 1983. どさまざまの通貨が流通していた.. 1842年に. 年にカレンシーボード制に再復帰した経緯と原. 香港がイギリスに割譲されたが,それらの通貨. 因について分析してみたい.. を香港の通貨として認められていた2).しかし, イギリス政府は香港においてこれらを英ポンド. 第1章. 香港の通貨制度とフロート制の導入. に代位させるため,. 1844年11月28日にポン. 香港は元来中国本土の一部であるので,英国. ド・スターリングを香港の法貨(1egaltender). に植民地化される以前では当然ながら中国の通 貨制度が採用されていた.しかし, 1842年に. とし,ポンド紙幣と硬貨が香港においても通用. 香港島が英国に割譲された以降,香港が独自の. できると定めた.さらに香港ドルとポンドの平 価を決定し,香港植民地の本位貨幣を銀より金. 通貨制度を敷くことになった.すなわち,. に変更しようと試みた.しかし,香港では当時. 1863. 年から1935年かけての銀本位制,. 1935年から. の清朝と同様に銀選好が根付いていたため,氏. 1972年にかけてのポンド本位制,. 1972年から. 間における取引や貿易決済,そして納税などに. 1974年にかけての対米ドル固定相場制, 年から1983年にかけてのフロート制,そして. 1974. 1983年から今日まではカレンシーボード制を 経験してきた.この一連の通貨制度の変遷は, 香港領土の割譲あるいは租借,そして返還と. 使われたのが銀貨であることには変化がなかっ 7=3).一方,香港政庁は政府勘定をポンドで計 算し,財政予算や政府部門の支出などはポンド で行なわれていたため,市場における金銀の対 価が大きく変動すると,香港政庁が大きい換算 リスクを与えられることになる.このようなリ. いった政治的な運命に大きく関わっており,ま た第二次大戦後は,宗主国であるイギリスの英. スクを回避するために,. ポンドの衰退,米国ドルの基軸通貨としての地. が香港の唯一の法貨であり,記帳単位としても. 1863年に政庁は銀元.

(3) (429). 香港におけるフロート制の経験(林). ポンドから銀元に変更すると発表した4).こう. け取った英ポンド)をイギリスの大蔵省証券な. して香港は名実ともに銀本位制を採用すること. どに投資を行なう.こうして,流通している香. となった5).この変更にはもう一つ考えられる. 港ドル銀行券残高に対して,英ポンド建て外貨. 理由としては,香港がイギリスの対中貿易の重. 準備によって100%カバーする仕組みが作られ. 要な中継地であるため,香港通貨と中国通貨と. ることになった.中央銀行の発行する通貨とは. の間における価値安定関係が不可欠であると香 港政庁が認識していたとみられる.. 異なり,全額ポンド準備であるため,実質鈎に. しかしt. 当時中国は国内紛争による戦争費用. 81. はポンドが姿を変えたものといってよかった. この時期のカレンシーボード制は,. を調達するため,紙幣を増刷し,中国通貨の対. 83年に 再び導入されたカレンシーボード制(準備通貨. 銀価格は45%減価し,銀本位制の維持が次第. は米ドル)の基本となっている.. に困難になっていった6).一方, リカ政府の銀買上政策(Silver. 1934年にアメ Purchase. Act). ところで,ポンド本位制の時期において,香 港の公的ポンド残高としての為替基金の資産 は,増加の傾向を辿ってきた.ストレンジの推. の影響をうけ,銀が香港と中国本土から米国に 大量に流出した7).その結果, 1935年11月に. 定によると,. 中国は銀本位制から離脱することを余儀なく. 上のポンド残高を保有していた国は5カ国であ. された.これを受けて,同年11月9日,香港. り,香港はその一つであり,スターリング地域. 政庁は貨幣条例(Currency. の公的ポンド残高に占める割合は10%強に達. Ordinance,のちに. 1960年代の中葉に2億ポンド以. Ordinanceに改称)を成立さ. していた11).この状況から,第二次大戦後ドル. せ,民間が保有するすべての銀貨を国有化し,. 不足に悩んでいたイギリスの国際収支の改善,. そして徴収した銀資産を準備資産として管理す. ひいてはポンドの安定に対し,香港の貢献度は. る為替基金(Exchange. Fund.EFと略称)を 設立した.また,銀行券の発行残高をポンド資. 極めて大きかったと評価されている12).一方,. 産でカバーすることを規定したカレンシーボー. の固定関係を保つことによって,為替変動リス. ド制に移行し,事実上,銀本位制を放棄したの. クの低下,ひいては国際貿易活動,投資活動を 促進することなどのメリットは少なくなく,第. Exchange. Fund. である.以降,香港通貨と中国通貨との直接的 関係が切り離され,香港ドルの対外価値は英ポ ンドと連動することになった8).. 香港にとっては,基軸通貨としての英ポンドと. 二次大戦前までは,香港の通貨制度は大きな問 題に遭遇していなければ,英ポンドが比較的に 安定していたおかげで,香港ドルも同様に健全. 1.2. ポンド本位制としてのカレンシーボード制. な通貨であった.しかし,このような安定状. 一般にカレンシーボード制とは,公定平価を 定めて自国通貨をある特定の主要通貨に釘付け. 態はいつまでも続くわけではない.英国が第二. し,自国通貨の発行量をその国の外貨準備高の. 収支不均衡から,ポンド不安が繰り返される中. 範囲に抑えると同時に,自国通貨と外貨(準備. で,香港ドルも変動を余儀なくされた.特筆に 催するのは, 1949年と1967年のポンド切下げ. 通貨)の交換性を完全に保証する為替相場制度. 次大戦後を通じて,自国経済の後退,また国際. である.. 1949年9月18日,ポンドが対ドルで. である9).香港の場合は,発券銀行が銀行券を 新規発行する際, 1ポンド-16香港ドルの固. 30.5%切下げられた際,香港ドルは英ポンドに. 定交換レートで英ポンドと交換に為替基金から. 対する平価を維持するため,対ドルで大幅に減. 負債証明書を購入し,受け取った負債証明書を. 価した結果となった.英ポンドに対する平価維. 保証として銀行券を発券すると定められたので. 持の目的は,為替基金のポンド建て資産の保全. ある10).為替基金は発券準備(発券銀行から受. にあるが,重要なのは,ヤオ(Y,C.Jao)氏が.

(4) 82. (430). 横浜国際社会科学研究 表2. 第11巻第3号(2006年9月). 対米・英・中・日本の輸出入の割合 単位:%. 午. イギリス. アメリカ. 中国. 日本. 輸入. 輸出. 輸入. 輸出. 輸入. 輸出. 輸入. 1970. 42.0. 13.2. 12.0. 8.6. 0.2. 16.1. 4.0. 23.8. 1971. 41.5. 12.5. 14.2. 7.9. 0.1. 16.4. 3.5. 24.3. 1972. 10.2. ll.9. 14.4. 6.6. 0.1. 17.7. 3.1. 23.2. 1973. 35.0. 12.8. 14.5. 5.9. 0.3. 19.4. 5.5. 20.2. 1974. 32.4. 13.5. 12.1. 5.7. 0.4. 17.6. 4.6. 20.9. 1975. 32_1. ll.8. 12.2.. 5.1. 0.1. 20.3. 4.2. 20.9. 1976. 34.4. 12.3. 10ユ. 4.2. 0.1. 17.9. 4.3. 21.6. 38.7. 12.5. 8.7. 4.5. 0.1. 16.6. 4.0. 23.7. 37.2. ll.9. 9.5■. 4.7. 0.2. 16.7. 4.6. 22.8. 輸出. 、1977 1978 1979. 33.6. 12.1. 10.7. 5.1. 1.1. 17.6. 4.8. 22.5. 1980. 33.1. ll.8. 10.0. 4.9. 2.4. 19.7. 3.4. 23.0. 1981. 36.3. 10.4. 9.6. 4.5. 3.6. 21.3. 3.7. 23.2. 1982. 37.6. 10.8. 8.7. 4:8. 4.6. 23.0. 3.8. 22.1. 1983. 42.0. 10.9. 8.2. 4,2. 6.0. 24.4. 3.7. 23.0. 注:それぞれ香港の輸出総額・輸入総額に占める割合を指す. 出所:. 『香港統計月報』各号より作成.. 指摘したように,当時香港の工業地盤がまだ固. および民間保有するポンド資金に減価の影響を. まっていなかったので,香港ドルが英ポンドに. もたらすことはいうまでもない.こうした損失. 追随して切下げる必要があったことである13),. は,. しかし,. 1967年のポンドの対ドル14.3%再. 1968年9月に英国との「ポンド価値保証 協定」15)の締結を通じて,ようやく回避するこ. 度切下げに対し,香港ドルは同調して切下げが. とができると思われるが,後にみるように70. 行われたが,その後香港政庁が対ポンドで10%. 年代の香港における米ドル固定相場制の維持が. 切り上げ,結果的に対米ドルで5.7%の切下げ. ポンドに依存するといった性格を決定付けられ. となり,対米ドルの切下げを小幅にとどめた.. る16).. こうした対策には,香港は輸入依存度が非常に 高いため,英ポンドと同率の切下げが主要輸入. 1.3. ポンド介在の米ドル固定相場制とフロー. 国である中国,日本,アメリカの通貨に対して 大幅の減価となり,それは輸入物価の上昇をも. ト制への移行 周知のように,. 1970年代の最初の数年間に,. たらすので,インフレを抑制しようという香港. 世界の国際通貨体制は大きな変貌をとげた.. 政庁の思惑があるとみられる.だが,為替基金. 1971年のニクソンの新経済政策による金ドル 交換性停止をうけ,主要国通貨はフロート制に. の資産がほとんどポンド建てであり,また発券 Exchange 三行及び公認為替銀行(Authorized. 移行した.その後スミソニアン協定の締結によ り,一時的に固定為替レート制への復帰が実現. Bank)14)も為替ポジションの調整やポンド決済 資金を確保するため,恒常に総資産に占める割. したが,翌年6月のポンド危機とポンドの変動. 合の高いポンド資産を保有していたので,対ポ. 相場制への移行をはじめ,スミソニアン体制は. ンドの切り上げは香港ドルで換算した公的準備. 揺らぎ,. 1973年2月から3月にかけて崩壊し,.

(5) 香港におけるフロート制の経験(林) 表3. (431). 83. 香港為替レート指数 (1971年12月18日-. 100). 1972. 1973. 1974. 1975. 1976. 1977. 1978. 1979. 1980. 1981. 1982. 1983. 1月. 99.5. 97.9. 105.5. 109.0. 107.6. 115.4. 107.7. 95.0. 93.9. 87.6. 85.8. 79.0. 2月. 99.4. 100.7. 104.2. 107.7. 108.3. 115.0. 105.2. 95.1. 94.1. 88.5. 86.3. 78.7. 3月. 99.5. 100.9. 102.1. 104.9. 109,4. 114.5. 103.8. 94.2. 94.1. 88.8. 88.7. 78.3. 4月. 99.5. 101.0. 101.4. 104.6. 110.1. 114.0. 104.6. 91.4. 95.1. 89.2. 87.7. 76.2. 5月. 99.6. 100.1. 102.4. 103.7. 111.5. 113.1. 104.6. 92.3. 93.3. 90.1. 89.5. 73.9. 6月. 94.2. 99.9. 103.1. 103.9. 109.8. 112.3. 101.6. 91.0. 90.8. 89.6. 89.7. 73.8. 7月. 97,2. 98.9. 104.0. 105.1. 109.6. 112.2. 98.6. 88.4. 91.6. 88.3. 89.1. 73.7. 8月. 98.6. 99.2. 104.4. 105.7. 109.7. 112.8. 96.7. 88.7. 90.6. 85,1. 88.2. 71.3. 9月. 98.5. 99.3. 105.1. 106.7. 110.0. lil.8. 95.3. 90.0. 89.3. 81.5. 869. 65.3. 10月. 98.8. 100.0. 105.1. 106.7. 111.4. 108.6. 90.7.. 92.0. 89.1. 84.2. 79.8. 67.8. 11月. 98.4. 103.1. 107.4. 107.4. 113.7. 108.6. 95.1. 93.1. 89.5. 85.3. 80.5. 68.2. 12月. 98.1. 103.7. 105.9. 107.4. 114.4. 106.6. 93.2. 92.9.. 8声.2. 85.9. 80.1. 68.3. 出所:鏡錬磨『走向末束的香港金融』三聯書店,. 1993. 36頁.. 主要国通貨は全面的に管理フロート制に移行し. 用いて,初めて為替市場介入を行なった18).こ. た.. こには二つの重要な点が示されている.一つは. イギリスの変動相場制への移行をうけ,香. 72年から採用した米ドル固定相場制は,ポン. 港は他の地域諸国と同様にポンド・リンク離脱. ド本位制と異なり,香港ドル平価を維持するに. の道を選び,ドル・リンクに変更した17).この ような決定は,米ドルが世界の主要準備通貨で. は,明らかに通貨当局による市場への介入が必 要となってくるという変化である.もう一つは,. あることがその理由の一つであるが,もう一. 香港ドルの平価固定対象となったのが米ドルで. つの理由はアメリカが香港にとって主要貿易相 手国であるという事実にあるとみられる.香港. あったものの,為替相場での介入通貨はドルだ. は50年代と60年代を通じ,中継貿易基地から. う事実である.これは以上にみたように歴史的. 輸出加工基地へ変身し,貿易構造も次第に中継. な経緯から為替基金の準備通貨の大宗がポンド. 貿易から地場製品輸出貿易に垂心を移していっ. であり,さらに当時このポンドが英国との価値. た.貿易統計をみると,こうした地場製品輸出. 保証協定により米ドル建て価値を保証されるこ. のうち, 1972年の時点までは4割以上がアメ リカに向けられていたことがわかる(表2を参. ととなっていたためである.. 照).. に移行してから,香港ドル指数は穏やかに推移 しており,変動幅平均(月ベース)で0.01%に. さて,香港は1972年7月6日に対米ドル固 定相場制を採用する際,. 1米ドル-. 5.65香港ド. ル(実質的に対ポンド5.2%切り上げ)を中心. けでなく,実際にはポンドが使われていたとい. 表3・がうかがえるように,米ドル固定相場制. すぎず,このような小康状態は1973年2月の 米ドルの切下げまで続いた. 米ドルの切下げをうけ,香港政府は香港ドル. レートとして,上下各2.25%の変動幅を設け た.香港金融管理局によると,この新しい為替. が金平価を不変とし,中心レートを1米ドル-. 制度が実施されてから-ケ月も経たずに,香. 5.085香港ドルに変更した.表3にみるように,. 港ドルは投機に見舞われた.香港政庁は為替基. 1973年10月以降,香港ドル指数は100を越え. 金の資産である2,000万ドルと480万ポンドを. て対米ドル強含みで推移しており,香港地場製.

(6) 84. 横浜国際社会科学研究. (432). 表4. 第11巻第3号(2006年9月). 香港のインフレーション(1972-1983) 単位:%. 午. 消費者物価指数. GDPデフレ一夕物価指数. 1972. 8.8. 6.2. 1973. 14.2. 18.2. 1974. ll.5. 14.3. 1975. 4.0. 1.1. 1976. 9.1. 3.9. 1977. 3.2. 5.5. 1978. 7.6. 5.8. 1979. 18.1. ll.9. 1980. 15.5. 15.1. 1981. 10.0. 14.9. 1982. 9.6. 10.6. 1983. 4.6. 9.8. 出所:. 『香港統計月報』各号より作成.. 品の輸出に大きな影響を与えないように,当局. は大幅な下落を示していた.. はしばしば市場介入に乗り出した.しかし,香. こうしたドル不安の国際的背景は,主要国. 港ドル売り介入を続けた結果,香港域内で過剰. がフロート制に移行する当時の背景に似ている. 流動性が発生し,インフレが高進する一方で. が,香港の場合にはもう一つ見逃してはいけな. あった.インフレ圧力を媛和するため,香港の 銀行協会の申し合わせによる預金金利は数回に. い国内事情がある.それは英国政府によってド ル価値保証が1974年末で廃止されるというこ. わたって引き上げられ,. とである.価値保証協定の失効は香港政庁がポ. 1974年年央に最高水. 準を維持していた(香港の金利については後節. ンド資産を為替リスクから防衛せざるをえなく. に譲る).それにもかかわらず,香港における 消費者物価指数は73年18.2, 74年14.3といっ. なることを意味するので,ポンド買いによる介 入に対する姿勢が消極的となった.香港政庁は. た高水準に達していた(表4を参照).. 直接の米ドル買い介入を行なったものの,投機. もちろん,こうしたインフレの進行は,. 73. を抑えることができず,. 11月25日,市場レー. 年に勃発したオイル・ショック,そしてその後. トが介入点の下限を割り込み,政庁はこれ以上. の長引く世界的なインフレーションと無関係で はない.すなわち介入による過剰流動性と輸入. の米ドル買い介入はしない方針を明らかにし た.こうして, 72年のポンドのフロート制移. 価格の高騰が73,. 行に追随せず,およそ二年間の短い間,対米ド. 74年における二桁の高イン. フレ率に結びついたのである.. ル固定相場制を守ってきた香港は,ついにフ. 一方,海外金利の低下に伴い香港の金利が割 高となって,大量の米ドル投機資金が為替管理. ロート制-の切り換えに踏み切ったのである. こうした政策転換は,変動相場制の時代である. のない香港市場に流れ込んでいた19).とくに米. といわれる70年代に,時代の流れに乗り遅れ. ドル金利は,. 74年半ばごろから米国景気の先 行き懸念に伴い,各国通貨に対する米ドル相場. ないよう,あるいは,他の主要国と同様に変動 相場制の採用によるメリットをも期待していた.

(7) 香港におけるフロート制の経験(林). 図1. (433). 85. 金融操作の経路. ためなのか,興味深い点である.政庁の公式の. と1香港ドル紙幣が政庁によって発行されるの. 声明によれば,むしろ,フロート制は固定相場 制が維持できなくなった結果生まれたものとし. に対し,それ以外の銀行券が商業銀行である香 港上海銀行,チャータード銀行およびマーカン. て,やむをえない選択だったようである.いず. タイル銀行三行に担われている.この構図は. れにせよ,この措置の背景について,米ドル安 傾向を主因に,内外金利差よる投機資金が流入. フロート制に移行した後でも変わりがない.級 行券の発行は「授権発行」 (Authorized lssue). し,香港域内での過剰流動性によるものであり,. と「限外発行」. 香港の実体経済とはなんら関係がないと考えら. 「授権発行」は発券銀行別にその限度が定めら. れる.. れているのに対して,. (Excesslssue)に分けられる. 「限外発行」には文字通. り限度がないため,実体経済の発展につれて増 第2章. 中央銀行不在の香港金融制度. ほとんどの国々では金融政策は中央銀行なり 金融当局の役割として明確化されており,公定. 大する通貨需要はこの「限外発行」によってま かなわれている20).. すでに述べたように,市中銀行である発券銀. 歩合操作,預金準備率操作,公開市場操作とい. 行の無定見な発券を制限するため,発券銀行は. う基本的な政策手段により,完全雇用,物価の. 通貨発行の際,発行額相当のスターリング資産. 安定,国際均衡,適切な経済成長などの目的を. を為替基金に預託し,引き換えに無利子の負債. 追求するものとされている.香港には正式な中. 証明書をうけとることになる.この取り決めに. 央銀行も通貨管理機構も存在しないため,上記. より,為替基金はこの負債証明書の発行を通じ. の三つの政策手段を利用できない.一見すると 金融政策などないようにも思えるが,それは正. てマネタリー・ベースをコントロールすること. しくない.香港でもいくつかの公的機関と私的 機関が独特の方法で金融政策を行なっている(図. により債務証書を発行することになっており,. ができる.ただし,為替基金は発券銀行の求め その役割は受身であるので,香港政庁がマネ. 1).それらの機関は,銀行券を発行する市中銀 行,金利協議を決定する為替銀行協会,そして. る仕組みが存在しないことに注意しなければな. 為替レート安定機能を果たす為替基金などであ. らない.実際には,マネタリー・ベースの大き. る.これらの機関は財務長官の監督下にある.. さを調節しているのは国際収支となる.なぜな. タリー・ベースの大きさを直接コントロールす. らば, 1935年から1972年にかけてのポンド本. 2.1発券システムとマネー・サプライ 第1章で述べたように,香港通貨は,硬貨. 位制はカレンシーボード制の変形でもあったた め,カレンシーボード制の金本位制に近い自動.

(8) 86. (434). 横浜国際社会科学研究. 第11巻第3号(2006年9月). 調節機能を有しているからである.要するに,. いし,逆に外貨を売る必要が生じる23).したがっ. この発券制度によって,香港ドル通貨の量と価 値は発券銀行の窓意的な行為によって,不合理. て,この時期における通貨制度は,ドル為替本 位制であると言えるかどうか多くの経済学者が. な状態に走らせることを防ぐことができる.. 疑問をもっているようである.. しかし,ポンド本位制が廃棄された後,香港. さて,以下では,ヤオ(Y.C.Jao)氏の研究. ドルの発券の仕組みも修正された21).すなわち, 1972年7月6日から発券銀行が発券する際,. によって,この修正された後の発券システムを 修正される前の発券システムを比較しながら,. 負債証明書と交換に必要とされる外貨はポンド. それぞれがマネーサプライにもたらす影響の変. から香港ドルに変更されたのである.具体的に. 化を分析してみよう24). 事例1修正前,発券する際,外貨準備が必. は,為替基金は発券銀行に香港ドル預金口座を 設ける.発券する際,発券銀行はこの口座に香. 要な場合(図2). 港ドル(従来は英ポンド)を振り込み,そのか. ①. 輸出業者が輸出によって獲得した1000香 港ドルに相当する外貨をHKSBに預金する.. わりに負債証明書を受け取り,これを裏付けと して銀行券を発行する.為替基金は発券銀行か. ②. 輸出業者が預金を現金にして引き出す行動. ら受け取った香港ドルを用いて,外貨建て資産. を予想し,. に投資する.なぜペッグ対象通貨は米ドルなの. し,そのかわりに負債証明書を受け取る.そ. に,香港ドルに指定するのかについては,香港 政庁が正式のコメントを出してないが,一般的. して1000香港ドルの銀行券を発券する. ⑨. に以下の三つの理由が考えられる.第一に,当 時ドルは基軸通貨の一つであるが,健全な通貨. ④. 輸出業者が1000香港ドルの預金の中から 400香港ドルを引き出す. 資産側に貸出に使える現金は600香港ドル となる.. とはいえないので,米ドル固定相場制移行につ いては,あくまでも一時的な措置であるとの見 方が支配的であった.第二に,当時「ドル安」. HKSBは外貨を為替基金に預託. (釘 当時の銀行法によって,資産流動率が250/.. の時代であり,ドル買い支えるためには,為替. 2400 HKSBは信用貸出を行い, (600÷25%)香港ドルの預金総額を創出でき. 基金は豊富な香港ドル資金をもっていなければ. る.新たに増加した預金額は1800. ならない.第三に,当時香港ドルは強い通貨の. 600)香港ドルである25).マネー・サプライ. 一つと祝されるので,為替基金が資産運用する にあたって,利益の立場からみると,その原資. は2800. となるのは米ドル資金より香港ドル資金のほう. であるため,. 事例2. (2400-. (400+600+1800)香港ドルとなる. 修正後,発券する際,外貨準備が不要. が好ましいだろう.いずれにせよ,発券の仕組. であり,為替基金が直ちに香港ドルを外貨に換 える場合(図3). みが変わったが,香港ドルの価値は相変わらず. ①. 外貨資産100%に裏付けられているため,香港. (参 為替基金の口座に1000香港ドルを振り込 んで,そのかわりに負債証明書をうけとる.. の通貨制度は依然に為替本位制であると香港政 庁は強調した22).しかし,香港ドルを為替市場 で売却して外貨建て資産を購入する際,市場の 状況に照らしながら行動しなければならないた. は事例1と同様である.. そして1000香港ドルの銀行券を発券する (釘 為替基金は1000香港ドルをHKSBに支払. め,為替基金は発券銀行から受け取る香港ドル. い,外貨に転換する. ④ は事例1の④と同様である.. を外貨にかえるまでかなりの期間保有するかも. ⑤. は事例1の④と同様である.. しれない.特に香港ドルが比較的弱い時には,. ⑥. 結果は事例1と同様である.. 為替基金は香港ドルを外貨に換えないことが多. 事例3. 修正後,発券する際,外貨準備が不要.

(9) 香港におけるフロート制の経験(林). A. (435). HKSB. ①外貨1000+. L. (力HKS預金*1000+ ②HKS紙幣1000+. ②外貨1000負債証明書1000+ 現金1000+ ⑨現金400-. (釘HKS預金*400-. ④現金600+. ④HKS預金*600+. ⑤貸出1800+. (彰HKS預金1800+. A. EF. (彰外貨 注:. 87. L. 檀)負債証明書. 1 000 +. 1000+. *は,輸出業者勘定.. 図2. 修正前の発券システム. A. HKSB. L. (車外貨1000+ ②外貨負債証明書1 000+. (カHKS預金*1000+ ②HKS房金**1000+. 現金1000+ (勤外貨1000(彰現金400-. HKS紙幣1000+ (彰HKS預金**1000(彰HKS預金*400-. ⑤現金600+. @HKS預金*600+. (む貸出1800+. (彰HKS預金1800+. A. EF. (むHKS預金 (彰HKS預金 外貨. 1000+. L. (む負債証明書. 1 000+. 1000一 1000+. 荏:. *は,輸出業者勘定. 荏:**は, EF勘定.. 図3. 修正後の発券システムⅠ. で,為替基金が香港ドルを外貨に換えずに,そ. 行い,. のまま保有する場合(図4) ①, ②は事例2と同様である.. を創出できる.新たに増加した預金額は4800. ③は事例1の(彰と同様である.. ライは5800. ④HKSBの資産側には600香港ドルの現金. り,事例1,事例2の場合の2倍となる,. 以外, 1000香港ドルに相当する外貨もある. 1986年の銀行法改正前は,外貨も「流動資産」 として定義されているため, HKSBは貸出を. 6400. (1600÷0.25)香港ドルの預金総額. (6400-1600)香港ドルである.マネー・サプ (400+600+4800)香港ドルとな. ヤオ(Y.C.Jao)氏は,事例1の場合を 「事前外貨制約」. (Ex. ante. foreign. exchange. constraint)と,事例2の場合を「事後外貨制約」.

(10) 横浜国際社会科学研究. (436). 88. A. 第11巻第3号(2006年9月). L. HKSB. ①HKS預金*1000+ ②HKS預金**1000+. ①外貨1000+. ②負債証明書1000+ 現金1000+ (彰現金400-. HKS銀行券-1000+ ⑨HKS預金*400-. ④現金600+. ④HKS清金*600+. 外貨100()+ (釘貸出4800+. HKS預金**1000+ (彰HKS預金4800+. A. EF. (彰HKS預金. 1000+. L 1 000+. (彰負債証明書. 注:. *は,輸出業者勘定. 注:**は, EF勘定.. 図4. (Ex. 修正後の発券システムⅠ. constraint)と呼ん 「事後制約」 でいる.しかし,以上にみたように,. ものと考えられる.. という効果が果たさないことも考えられる.と. 2. 2. post. foreign. exchange. くに77年から83年までの間,香港ドルは軟化. 為替銀行協会と金利決定. 通常の中央銀行制度下においては,中央銀行. しつつある状況の中で,このようなことは十分. が貸出金利である公定歩合を変更する政策によ. にありうると考えられる.これこそ,. り,貸出量を調節し,マネー・サプライに影響. 72年に. 修正された後の発券システムの最大の不備であ. を与え,インフレの抑制や経済成長の維持など. るといえよう.. の政策目標を達成させる.香港の場合,中央銀 行,またそれに近い機構が存在しないため,公. しかも,この発券システムにおいて,もう一 つ見落してはならないのは,発券銀行が発券す る際,外貨が必要という拘束から解放されたた. 定歩合操作はできないが,為替銀行協会によっ. め,発券銀行の発行準備が拡大することである.. に貸出やマネー・サプライに影響を与える仕組. これは中央銀行システムにおける中央銀行の発. みとなっている.. 行準備と同様となる.また,発券銀行が商業銀. て,協定金利を通じて市中金利を調節し,間接. 協定金利は,銀行が顧客から受け入れる預金. 行である性格のため,追加的な貸出により生じ. に対して支払うことができる最高限度である.. る利益が,それにより生じるコストよりも大き. この規制は,. いと判断すれば,いつでも香港のマネー・サプ ライは増加してしまうということである.要す. ことを目的とした金利協定として開始された. 金利協定によれば, ①当座勘定には付利しない.. るに,通貨量膨張に対して自動的な歯止め装置. ②普通預金には同一の金利をつける.. は取り外され,発券銀行による信用貸出を通じ. 金には基準金利が設定される.ただし,定期預. てマネー・サプライの大幅な拡大を許容する結. 金の1年以上のもの,政府預金,銀行間預金は. 果となった26).後に見るように,フロート制採. 対象外である27).そして,協定に基づいて加盟. 用期間において,マネー・サプライの伸び率が. 銀行が五つの範ちゅうに区分された.香港上海. 成長率より遥かに超えた現象がこの制度による. 銀行をはじめとする有力な外銀を第1グループ. 1964年に過度の競争を抑制する. ⑨定期預.

(11) 香港におけるフロート制の経験(林). (437). とし,それ以外の銀行は預金量に従って第2-. 金利,プライム・レート,そしてHIBORのな. 5グループに分けられている.第1グループの. かで,プライム・レートと預金金利は規制され. 銀行に適用される金利を基準金利(Base. Rate). ているので,市場の供給と需要に非常に敏感で. とし,第2グループ以下の銀行に適用される. あるHIBORは預金金利とプライム・レートの. 金利は基準金利に0.25%ずつ上乗せし,第1グ. 主導指標と考えることができよう.. ループと第5グループの間では1.0%の金利格 差がつくように定められた.金利協定発足の当. 2. 3. 初の狙いは,上述のように過度競争を防ぎ,級. 89. 為替基金の役割と為替市場介入. 行システムの安定化を図ることにあったが,後. 74年にフロート制に移行した後,政庁が香 港ドル平価を維持する義務がなくなった.しか. にみるように,国際金融市場の動向が香港へ及. し,香港には為替管理がないので,資金が自由. ぼす悪影響を排除するために,協定金利が調整. に移動できるため,香港ドルの直物相場は容易. されることが多かった.とくに,フロート制の. に変動することになる.したがって,フロート. 時期において,インフレが高進するなかで,政. 制へ移行した後も,香港政庁が他の国の通貨当. 庁が国内信用拡大を抑制するための政策手段の. 局と同様に,自国通貨の交換レートをより妥当. 一つとなった.. と考える水準まで引き戻すように為替市場に介. 金利協定は,為替銀行協会(Exchange Banks. 入を行なうことがしばしばある28).日本の場合. Association)と同協会非加盟銀行代表 との協議によって運営される.毎週の金曜日に. 理で行うという形を取っているが,中央銀行が. 預金金利を見直すことが義務付けられている.. 設立されていない香港では,どのように為替市. 為替銀行協会は,. 1981年に法定団体化される 前は,任意団体であった.香港政庁となんらの. 場介入を行うのか,どのように介入資金をまか. 法的関係をもっていなかった.協会の会長ポス. か.以下で詳しくみていこう.. トは常にHKSBとチャータード銀行の総裁が 交替で務める.チャータード銀行がHKSBに. は,介入は財務省の資金を用い,日本銀行が代. なうのか.またその介入効果はどうであったの すでに第1章で述べたように,為替基金は. 比べて相対的に経営基盤が弱いことから,実際. 1935年に香港政庁によって設立された銀行券 発行準備の保有かつ運用機関である.同基金の. 的にはHKSBフうミ加盟銀行の中心になっている.. 設立の法的依拠は「為替基金条例」である.. この現実から香港政庁が金利を武器として金融. 替基金条例」のなかでもっとも重要な規定を二. 政策を行なおうとするときには,. 二行,とくにHKSBの協力を得なければなら. つあげてみれば,一つに,同条例の第三節によ れば,同基金設立の第一の理由は, 「香港の通. ないことになる.. 貨の交換価値を安定化する目的に資する」こと. HKSBの発券. 預金金利は制限されているが,貸出金利を自 由に設定することが許されている.実際には, 香港上海銀行とチャータード銀行のプライム・ レートが基準となり,これに他の銀行が追随す る形をとっていた.関連する指標にインター バンク・レートであるHIBOR lnter-Bank. of. Rate)がある.. にある.二つに,同条例の第四節にも示されて いるように,同基金は任意の発券銀行に対して 負債証明書を発行することができる29).この二 つの規定は,為替基金が通常の基金と異なる性 格と役割を決定付けるものといえよう.. (HongKong. まず,上述したように,発券銀行が授権以外. HIBORは香港イ. の銀行券を新規発行する際,同額に相当する外 貨,あるいは香港ドルを預託金として為替基金. ンターバンク市場における貸出可能資金の自由 な価格(出し手金利)であり,香港の金融シス テムのなかで非常に重要なレートである.預金. 「為. に払い込むことを義務付けられている.一方, 為替基金は発券銀行からうけとる外貨や香港ド.

(12) 90. 第11巻第3号(2006年9月). 横浜国際社会科学研究. (438). 表5. 為替基金貸借対照表(1972-1983) 単位: 100万香港ドル. 12月31日時点. 1972. 1973. 9,288. 資産合計. 香港ドル建て 資産 内. 米ドル建て 資産 ポンド建て 資産. 釈. 1974. 2,737. 1975. 2,747. 296. (3.2%) 238. (2.6%) 8,587. 189. (6.9%) 406. (14.8%) 2,025. (92.5%) (74.0%) 167. (1.8%). 負債証明書 内. 資産合計-負債合計 資産合計/負債合計■ 荏:. 8,380. 117. 163. (5.9%) 508. (4.3%). 42. 708. (21.7%). 17,211. 29,195. 37,868. 1982. 1983. 47,317. 55,538. (loo.Oo/.)(100.00/o) (100.0%) (土oo.o%)(100.0%) (100.0%) 3,849. 2,951. 3,667. 6,256. 5,749. 9,851. (10.8%). (17.1%). (12.6%). (16,5%). (12.1%). (17.7%). 1ユ95. 2,413. 2,875. 3,864. 6,251. 13β81. 18,975. 27,517. 29,510. (36.9%). (34.3%). (27.4%). (36.3%). (47.9%). (50ユ%). 1,390. 1,076. (53.90/.)(37.5%) 596. 14ユ13. 1980. (1.1%). (18.50/o) (32.2%) 1,480. 988. '1979. (16.5%). 1,080. 2,344. (29.1%). (35.8%). (ll.8%). (27.3%). 1,012. 1,062. 1,399. (12.1%). (7.5%). (8.1%). 3,505. 5,338. 6β10. (41.8%). 2,516. 2,522. 2;499. (6.6%). (5.3%). (4.5%). ll,529. 13,678. 3,054. (10.5%). (.58.2%) (53.1%). 8,493. 10ユ21. (37.8%). (38.4%). (29.1%). (26.7%). (24.4%). (24.6%). 1乙263. 14,246. 24,627. 29,947. 31,759. 30,734. 7,826. 9,291. 10,971. 12,511. 13,841. 5,521. 14,033. 17,087. 17,761. 14ユ98. 901. 1,012. 1,049. 1,161. 3,358. 3,481. 3,978. 6,972. 7,720. 3,059. 3,356. 3,481. 3,978. 4,664. 5,666. 6,896 4,573. 0. 0. 0. 0. 1,900. 1,496. 0. 0. 0. 0. 386. 539. 708. 750. 5,675. 2. 0. 0. 22. 19. 86. 149. 402. 877. 438. 1,534. 1,850. 2,965. 4,568. 7,921. 15,558. 24,804. 115%. 121%. 119%. 126%. 149%. 181%. 硬貨 その他. 6,541. 1.978. 8,734. 財政余剰金. 訳. 3,707. 1977. (100.0%) (100.0%),(100.0%) (100.0%) (100,0%) (100.0%). その他 負債合計. 1976. 1981. 654 106%. -621 82%. -734. -271. -431. 79%. 93%. 94%. 660 109%. ( )内の比率は,資産合計に占める各資産の割合. 1997. 出所:香港金融管理局『香港的貸幣興銀行髄系:回顧輿前膿』,. 67頁より作成.. ルを利用して,自らの選択による有利子資産に. 年4月1日から政府の財政余剰金を為替基金名. 投資する.そこから生まれる利息と原資を合わ. 義の口座に移転させることになった30).為替基. せて香港ドル銀行券のパッキングとなる.こう. 金が政府の口座を管理することとなった.さら. して,発券銀行の発券は為替基金の負債証明書. に為替基金の運用資産は,財政余剰とともに,. の購入を条件としているため,発券行動は為 替基金に制約されている一方,為替基金に発券. 香港の対外準備を形成している.. 銀行が払い込んだ資産により,発券銀行が発行. れる原資となる点は既述したが,その規模は既. した銀行券の価値を裏付けているという関係が. にみた表5の通りである.為替基金は発券銀行. 明らかである.発行準備の保有機関としての存 在が,同基金の第一の役割といえよう.この理. に対して,いっさいの金利を支払わないので, 適切な資産運用を行なって,巨額の運用益をあ. 由から,香港政庁が市場介入を行なう際,当然. げることができることに加えて,香港政庁の保. ながら同基金が保有する資産は介入資金として. 守的な予算編成の採用により,巨額の財政余剰. 利用されるわけである.これは同基金のもう一. が生じたため,フロート制の時期において,為. つ大きな役割である.この役割はポンド本位制 を離脱してから,顕著になってきた.とくにフ. 替基金の資産総額が膨らみ,. ロート制時期において,香港の通貨の交換価値 を安定させようとし,為替基金はintervention. に増加した.ただし,この額は時価評価である. reservefundとしての性格を強めた.また,為 替基金の市場介入能力を補強するために,. いることに注意しなければならない.ところ 1976. この対外準備は為替基金が市場介入に利用さ. 1974年末の27.47. 億香港ドルから1983年末の555.38億香港ドル. ので,為替レートの変動にも大いに影響されて で,香港はIMFに加入していないため,その.

(13) 香港におけるフロート制の経験(林). (439). 対外準備にはIMF加盟国の通貨当局が保有す. 合には,発券銀行が為替基金に口座を開設して. るIMFポジションやSDRが含まれていない. したがって,香港ドル買い介入に必要な外貨を. いないのに対して,逆に為替市場介入を行なう 際,為替基金が発券銀行に開設している口座を. 調達する際t. IMFフう、らの資金借入れやSDRの 売却という手段を利用できない.また外貨建て. 通して実施されるのである.発券銀行はあくま. の政庁債の発行などもなかった.本稿の研究対 象となっているフロート制の時期においては,. 値を支持するために政庁が外貨売り・香港ドル. 555.38億香港ドル(1983年時点での対米ドル. われた香港ドルは,民間の口座から発券銀行に. レートで換算すれば71.39億ドルに相当)の最 大介入能力にとどまった.. ある為替基金の口座に振り込まれ,銀行システ. 為替基金は,為替基金諮問委員会(Exchange Fund. Advising. Committee)によって管理さ. れている.当該委員会の議長は財務長官が当 たり,その他メンバーは財務長官によって任命 され,そのなかでHKSBおよびチャータード. 銀行二行の代表の3名と金融事務司によって構 成される.したがって,為替基金はそれが設立 された時点から公的機関として政庁の管理の下. でも市中銀行の一員であるので,香港ドルの価 買い介入を行なったとしても,政庁によって買. ム全体の通貨供給量の減少が伴わず,政庁の介 入効果は一過性にとどまる.このため,大規模 な香港ドル売り圧力に対しては,政庁の限られ た介入では効果が薄かっただろう. 第三章. フロート制下の香港経済と政庁の金融 政策. 3.1フロート制下の香港経済 1970年代に入ると,香港経済をめぐる国際. に置かれるとともに,民間銀行(発券銀行)が. 環境は一段と厳しくなった.世界的に保護貿易. 運営上関与していたことが特徴である.ところ で,為替基金の口座は発券銀行である香港上海. の機運が高まるなかで,香港の主要輸出先であ るアメ1)カ,ヨーロッパ諸国においては,香港. 銀行とチャータード銀行に集中しているため,. 製品に対する規制が強化された31).一方,韓乳. 財務長官の指示による為替市場介入が行われる. 台湾などNIEs諸国も次第に輸出志向型工業化. 際,その操作に伴う決済は,ほとんどが発券銀. 政策に転換し,低賃金を武器に競争力を高め,. 行に開設した口座を通して行なわれていたので. 輸出を拡大し,香港経済は新たに競争に直面し. ある.. た.にもかかわらず,フロート制の時期におけ. ここで香港政庁の介入と,通常中央銀行制度 をとった国の当局の介入と比較してみよう.一. る香港経済は76年を頂点として年平均9.0%と. 般的な中央銀行制度のもとでは∴中央銀行が. いう戟後もっとも高い成長率を記録した.ただ し,その変動も激しく,世界景気に大きく影響. 自国通貨買い介入を行なった場合,介入による. されているのが特徴である.例えば,オイル・. 市場への直接的インパクトに加え,中央銀行に. ショックの影響のため,. よって買われた自国通貨は最終的に中央銀行に. 91. 74,. 75年の成長率が 落ち込んでいたが,その後76年に17.5%に転. 用創造のプロセスを経て通貨供給量は減少し. 82, 83年に国 換し, 81年まで高成長を続け, 際経済環境を反映して,成長速度は再び低下傾. た.その結果,金利の上昇を通じて間接的に自. 向を示し始めた.外的経済ショックを受けやす. 国通貨が誘導されるという効果が働く.さら に長期的には,通貨供給量の減少・金利の上昇. いのは香港経済の特徴といえよう. 香港経済を需要項目別に振り返ってみれば,. を通じて景気も沈静化して輸入の減少につなが. 輸出の-賞した高い伸び率が注目される.ま. り,国際収支の改善を通じて自国通貨も強くな. た主要な輸出市場としては,. るメカニズムも期待できる.しかし,香港の場. アメリカをはじめ,西ドイツ,イギリスなどい. ある民間銀行預け金口座から引き落とされ,伝. 60年代後半以降,.

(14) 92. (440). 横浜国際社会科学研究 表6. 第11巻第3号(2006年9月). 香港の貿易収支と貿易外収支(1974-1983) 単位:億HKドル. 年. 貿易収支. 貿易外収支. 計. -41.06. 48.17. 7.ll. 1975. -36.99. 46ユ9. 9.20. 1976. -19.63. 63.5年. 43,92. 1977. -39.13. 60.59. 21.46. 1978. -93.55. 70.12. -23.43. 1979. -104.05. 79.38. -24.67. 1980. -135.52. 72.91. -62.61. 1981. -170.83. 79.84. -90.99. 1982. -163.84. 92.92. -70.92. 1983. -158.75. 118.41. -40.34. ・1974. 出所:. 『香港統計月報』各号より作成.. くつの主要工業国に集中する傾向にあった.. 70. け,同月に月中平均高値115.5を記録したが,. 年代末,日本も四位の輸出先となった.香港の. その後軟化傾向をみせた(表4を参照).一方,. 総輸出額を占めるアメリカ向けの輸出の割合. すでに述べたように,フロート制の時期におい. は,. 83年42%といった高い比率であり,香港. て,香港の通貨供給量は従来の外貨準備の制約. の輸出はアメリカ市場に大きく依存しているこ とがあきらかである(表2を参照).一方,あ. を免れて,景気の拡大につれて急速に伸びた.. まり国内資源を持たない香港にとって,輸入の. 表7に示されているように,. 75-78年には,ベー. 高いシェアが定着している.輸出と輸入の合計. ス・マネーが年平均20%に近い比率で発券銀 行と政庁によって供給されたことを背景に,マ. としての対外貿易は,香港において昔から一. ネー・サプライも大幅に増加した.そのなかで,. 貫して入超である.とくに70年代後半に入る. 注目すべきなのは,この時期には金利の低水準. と,そのギャップが拡大し,. と嬢慢な調整により,. 77年39.13億香港. ドル, 78年93.56億香港ドル,. 香港ドル,. 79年104.05億. 1980年135.52億香港ドル,. 1981年. Mlと定義される当座預 金の増大が目立っていたことである.この通貨. 170.83億香港ドルと,上昇の一途をたどってき. の過剰供給が香港の四大産業の一つである不動 産業に流れ込み,不動産市況を押し上げ,また. た(表6を参照).. 上場企業の大半が不動産および不動産関連企業. こうした趨勢は,原油価格高騰,世界的なイ ンフレーションによるものであるが,基本的に は76年の好況に続き,経済が過熱し,消費財 を中心とする輸入が旺盛であったためである32). ただし,経常収支からみれば,. 77年までは,. であった株式市場も大幅に上昇することとなっ た.しかし,消費者物価指数でみると,インフ レ率は75年1.10/o, 76年3.90/o, 77年5.50/., 年5.8%で上昇が比較的に穏やであった.この 時期においては,マネー・サプライは,まさに. 貿易外収支が貿易の赤字を補い,経常収支の黒. 物価の上昇というより,株価や地価の高騰など,. 字を保っていたが,. いわゆる「資産インフレーション」に結びつい. 78年以降の期間をみると,. 経常収支がつねに赤字であった.これを反映し! 香港ドル指数は,. 77年3月までは,上昇を続. 78. たのである33).. しかし,表4にみるように,. 79年に入ると,.

(15) 香港におけるフロート制の経験(林) 表7. (441). 93. 香港の経済成長率とベースマネーおよび貨幣供給量(197411983) 単位:億香港ドル;%. 午. 実質GDP. ベースマネー. 紙幣. 硬貨. 合計. 貨幣供給量 増加率. 増加率. M1. M2. 増加率. 増加率,. M3. 1974. 2.2. 35.74. 2.93. 38.67. 4.20. 92.87. ll.0. 342.07. 16.6. N,A. 1975. 0.2. 40.68. 3.59. 44.27. 14.5. 114.12. 22.9. 399.95. 16.9. N.A. 1976. 17.1. 47.56. 4.21. 51.77. 16.9. 140_50. 23.1. 484.13. 21.0. N.A. 1977. 12.5. 57.59. 5.96. 63.55. 22.8. 180.81. 29.6. 584.50. 20.7. N.A. 1978. 9.5. 69.86. 7.89. 77.75. 22.3. 201.10. ll.2. 664.72. 13.7. 769.19. 1979. ll.7. 79,20. 8.64. 87.84. 13.0. 208.51. 3.7. 752.71. 13.2. 997.17. 29.64. 1980. 10.9. 93.74. 10.90. 104.64. 19.1. 241.24. 15.7. 968.62. 28.7. 1,395.78. 39.97. 1981. 9.4. 110.66. 12.41. 123.07. 17.6. 250.59. 3.9. 1,190.60. 22.9. 1,795.39. 28.63. 1982. 3.0. 126.46. 12.82. 139.2.8. 13.17. 274.85. 9.1. 2,066.88. 77.0. 2,515.47. 40.ll. 1983. 6.5. 139.30. 14.13. 153.43. 10.16. 308.96. 12.4. 2,576.85. 24.7. 3ユ11.46. 23.69. 注: M. 1. -流通法定通貨一銀行等が保有の法定通貨+銀行通知預金.. M2. -M. M3. -M2. 1 +銀行定期預金+銀行貯蓄預金+銀行が発行したCD.. +預金取入会社に対する預金+預金取入会社が発行したCD. 以上データは年末の数字. 出所:. 『香港統計月報』各号より作成.. 消費者物価指数は急速に上昇し,フロート制の 時期の後半において,香港は二桁の高インフレ. 3. 2. 香港ドルの動向と政庁の金融政策の展開. 前節で述べたように,香港ドルはフロート制. 率を続けた,もちろん,こうしたインフレ高進. に移行して以来77年3月までは,上昇を続け,. の一因は70年代の世界的インフレーションに あることは否定できない.投資者と消費者がイ. インフレ率も比較的に低い水準にとどまり,経 常収支も黒字基調であった.そのため,. ンフレの持続を予想して,不動産投機を誘い,. 前半までは,政庁の操作は,. 78年. 地価も株価も高騰をもたらした.過剰ともいえ. 75年初めと77年 初めのケースにみるように,急激な香港ドル高. る投機の結果として不動産の価格は約5年間で. を防ぐための為替市場介入に限られており,そ. おおむね3倍以上に上昇した34).これがさらに. れ以外はレッセ・フエールの看板を堅持してい. 消費を刺激し,インフレが進行する一方であっ. た.これは,香港経済は高度に開放的なもので. たわけである.要するに,. あるから,独立的裁量的な金融政策の余地は乏. 78年まで良好なパ. しいという見解が政庁に根付いていたためであ. フォーマンスをみせた香港経済は,内外要素の 作用によって, 79年からバブル気味といって もよいほど過熱傾向に転じた.そのフアンダメ. る35).この論理を堅持していたため,上述した. ンタルズを反映し,香港ドルが不安定かつ軟化. いたことは明らかである.. 傾向にある.それは貿易依存度が高い香港に. ように,当時政庁はインフレの脅威を軽視して しかし,. 77年後半から経常収支が赤字に転. とって好ましくない状態であろう.では香港経. じて,マネー・サプライと銀行信用の増加率が. 済の発展に最大の責任を果たすべきと祝される. 加速し,香港ドルが軟化しつつ,. 香港政庁としは,どのように対応してきたのか.. は香港ドル指数はフロート制移行してから初め. 78年7月に. て100を下まわった.金融引締めの必要性が政.

(16) 94. (442). 横浜国際社会科学研究 表8. 第11巻第3号(2006年9月). 香港の金利指標(1971-1983) 年率;%. 貯蓄頭金. 午. 七日預金. 1.75-5. 三ケ月預金. プライム.レ-_I. 一年預金. 1.75-10.25. 3-10.25. 4.75-12. 5.25-9.25. 5.25-9.25. 7.5-ll.5. 9.5-14.5. 5.0-ll.0.. 5.0-ll.0. 6.0-13. 8-14.5. 10.0-17. 1981. 10.13.5. 10-13.5. 12.5-16. 12.0-16. 16.0-20. 1982. 4.75-9. 4.75-9. 7.5-ll.5. 8.0-ll. 10.515. 1983. 5.5-10. 5.5-10. 8.5-12. 9.0-13.5. 1971-78 1979. 5.5-9.25. 1980、. 出所:. 2-9.5. 10.5-16. 『香港統計月報』各号より作成.. 庁に示しされていた.しかし,マネタリーベー. が豊富であれば,金利の引き上げによって,刺. スに対して政庁が直接コントロールできないた め,間接の手段をとらざるをえなかった.すな. 益を減らすことは,銀行としては合理的な行動. わち,上述した銀行協会に対して協定金利の引 き上げを説得したのである. ここではまず,. 78年まで金利の動きをみて. ではないだろう.したがって,金融界の反応は 鈍かった.銀行信用,貸金,消費者物価,為替レー トは, 78年末から79年初めにかけて悪化する. みよう,経済情勢の停滞と米ドル介入の若干. 一方であった.これは「倫理的な説得」の性格 から,法的な制約力をもたないため,あまり功. の影響で, 74年8月以降および75年中はコー. を奏しなかったともいえるが,香港には貨幣需. ル・レートが低水準で推移したため,預金金利 水準は低めに設定された.その結果,全銀行の. 要の利子弾力性が小さいことから,大幅な金利. 預金総額の伸び率は著しく鈍化した.この傾向. えられる37).とはいえ!表8にみたように,. は,. 75年の後半に海外金利が上昇に転じたと き修正された.その結果,全銀行の預金総額は. 年以降,預貸金金利とも引き上がる傾向にあっ. 増加し,銀行の流動性ポジションを潤沢した.. 不動産,建設ブームに伴う景気過熱傾向や香港. しかし,. 引上げでない限り,効果が現われにくいとも考. た.それは,内外金利差を調整するため,また,. 76年8月および77年1月に預金金利. ドル相場の下落に対処するため,金利の引き上. はさらに引き下げられ,貯蓄預金は1.75%,定 期預金は1.75%-4%となり,預金金利協定発. げが必要,との政庁側の意向を銀行協会が受け. 足以来の低水準となった.一方,プライム・レー トの動きをみると, 75年1月には9%であった が, 3月には7.5%,. 8月には6,0%-と下落し!. 入れた結果ともみられている. こうした協定金利の調整は,政策手段が限ら れた香港政庁にとっては,その効果がもっとも 期待できる金融調整であるため,従来重視され. 翌77年4月には4.75%と,低水準をたどって. てきた.後にみるように,. きf=36).こうした低金利の継続によって,銀行. より,この手段は法制化され,より一層大きな. と預金受入会社の信用創造機能を通じて,大量. 役割を果たすことが望まれていた.. の低利資金が市場に流れ込み,貸出が急増する. ところで,. 81年の金融改革に. 76年からの経済過熱を抑えるた. 78年後 一方であった.こうした背景の中で, 半からは,政庁は金融界に「倫理的な説得」を. め,政庁としても78,. 始め,融資自粛を要請した.また,為替銀行協. らに,インフレ鎮静のため,政庁はより直接的. 会の預金金利協定を通じて,預金金利と貸出金 利を上方修正させ,国内信用を削減し香港ドル. な手段に踏み切った.その手段は,政庁の剰 余金と流動性準備率に関するものであった.す. 安の由止を図った.しかし,流動性ポジション. でに述べたように,. 79年度の公共支出の増. 加を抑制し,大幅な黒字予算が組まれた.さ. 1976年には政庁は財政黒. 79.

(17) 香港におけるフロート制の経験(林) 表9. (443). 95. 預金・貸出市場における割合 単位:%. 預金. 貸出. 預金. 年 DTC. 銀行. DTC. 銀行. 1978年10-12月. 14.84. 85.16. 17.68. 82.32. 1979年1-3月. 18.92. 81.08. 16.93. 83.07. 1979年4-6月. 22.75. 77.25. 16.89. 83.ll. 1979年7-9月. 25.51. 74.49. 17.46. 82.54. 1979年10-12月. 26.49. 73.51. 17.90. 82ユ0. 1980年1-3月. 30.87. 69.13. 19.40. 80.60. 出. 所:何折基「香港金融制度改革評議」. 原出所:. 貸出. 年 銀行. DTC. 銀行. DTC. 1980年4-6月. 27.50. 72,50. 23.84. 7616. 1980年7-9月. 27.34. 72.66. 23.43. 75.57. 1980年10-12月. 32.56. 67.44. 23.59. 76.41. 1981年4-6月. 33.49. 66.51. 23.45. 76.55. 1981年1-4月. 37.88. 62.12. 25.03. 74.97. 『経済一週』, 1981.9.14. 59頁.. 『香港統計月報』. 字によって累積した資金および硬貨発行準備を. 極的不介入主義」へと行政スタンスを転換した. 為替基金に移転することになった.. その総額は53億香港ドルにも達した.こうし. ことがうかがえた.さらに, 80年代に入ると, 金融統計条例の制定,銀行協会の法制化,銀行. た財政余剰金は国内銀行に預けられるが,それ. 条例および預金受入会社条例の改正等一連の金. が信用創造の基になるかもしれないと認識し,. 融制度改革措置が政庁によって打ち出された.. 78年末で. 1979年5月に銀行法が改正され,銀行は,為 替基金の短期預金口座に対しては,非銀行顧客. 1980年12月17日,香港銀行協会法が可決 成立した.この結果,これまで銀行の任意団. の預金に課される25%ではなく,他行からの 預金と同様に100%の流動性準備を義務付けら. 体であった為替銀行協会が改組され,法定団体. れた38).これはいわゆる政府預金の不胎化政策. ての免許銀行は銀行協会の加入を義務付けられ. であった.この措置は,政庁としで慎重に信用 創造に介入しようとしたことには議論の余地が. た.また,預金金利のガイドライン設定など重 要議決事項については財務長官との事前協議を. ないが,不確実なのはその効果であった.とい. 要することになった.こうして香港銀行協会を. うのは,流動性準備はそもそも預金者保護およ. 通ずる加盟銀行の金利協議に法的地位を与える. び信用秩序の維持を目的に設けられるものであ. ことによって,政庁が銀行協会の権限強化を利. り,信用創造を抑制するためではないからであ. 用し,金融市場に対して積極的なイニシアティ. る.それを別にしても,当時の銀行法によれば,. ブをとりはじめており,政庁の関与が強まった.. 外貨建て流動資産も洗動性準備に充当できたの. としての「香港銀行協会」が新設された.すべ. 翌年5月,銀行条例および預金受入会社条. で,国内銀行が外貨を借りて外貨建て流動資産. 例が改正され,免許銀行,免許預金取入会社. を購入して,支払準備率の基準を達成すること. (Licensed. が可能であったために,ベース・マネーの創造. 登録預金取入会社(Registered. を必ずしも制限することにはならなかった.. といわゆる三層の金融制度に再編成された39).. 要するに, 80年代以前に政庁が選んだ政策 ①弾力的金利操作, ④倫理的説得, ⑨政. Deposit-taking. Company: DTC:. LDTC. RDTC). この措置の背景には70年代の預金受入会社の. は,. 急速な発展がある.. 庁預金の不時化であったといえよう.とくに,. のブーム以来,銀行と類似の業務活動を行なう. ①と(彰の政策が繰り返され,これまでレッセ. ファイナンス・カンパニーと呼ばれる金融機関 は,設立手続きが簡単で規制がほとんどないの. フェールを旨としてきた政庁は,市場秩序の乱 れを是正するため介入を強め,いわゆる「積. 72-73年の不動産と株式. で,その数は70年代初期におよそ2000社まで. ).

(18) 96. (444). 横浜国際社会科学研究 表10. 第11巻第3号(2006年9月) 三層の金融制度. 免許銀行. 事項 最低資本金. LDTC. 1億HⅠ(令 ■なし. 一口あたり最小預金額 預金期間に対する規制. なし. 金利規制. 協議金利. RDTC. 1億HKS. 1000HKS. HK$50万. HK$5万 3ケ月以上. ・なし. なし. なし. 表11金融機関の債務の構成 単位:100万香港ドル;( 1980. 銀行間債務 銀行の対預金受入会社債務. 1981. (33.2%). 預金受入会社間債務. 10,109. (ll.6%). 14,941. 預金受入会社の対銀行債務. 21,288. (24.4%). 21,120. 出所:. )内は割合 1983. 26,785:(30.7%);42,550 45,698:(36.8%) 62,481:(36.6%) 鈍833:.(37.4%) 28,975. 金融機関間絵債務. 1982. (34.2%). 35,231. (12.00/o■). 16,284. (17.0%). 56,494. u. 87ユ57-(100.0%) ∩. 124,309.(100.0%). (20.7%). (9.60/o). (33.1%). 46,904. 13,173 81,751 u. 170,490:(100.0%)226,661.(100.0%). 『香港統計月報』より作成.. 達した.とくに銀行ライセンスの新規発給が停. 展により,預金受入会社の資産規模が大きく. 止されていた間は,外国銀行が香港で営業する. なり,香港政庁としても,銀行と同様にそれら. ための形態として魅力ある方法であったので,. の預金受入会社をコントロールしやすい状況に. 急速に増加し,. 置くためになされたものであるといわれる.こ. ず,顧客により高い預金金利を提供できるため,. こで言及すべきは,この措置の実施によって銀 行と預金受入会社の間に生じた債務変化である. 預金と貸出市場における預金受入会社の割合の. (表11を参照).. 1980年にはおよそ300社に増 加した40).さらに,上述した協定金利に縛られ. 伸び率が銀行を脅かすほど若しかった.. 80年. 80年から81年にかけて銀行の預金受入会社. 代には,預金市場における預金受入会社のシェ. に対する負債が預金受入会社の銀行に対する. アはおよそ30%に達した(表9を参照). さて,上に述べたように,預金受入会社はそ. 負債を上回ったが,. の設立について政庁の免許を要する「LDTC」. なった.この変化は,上記の三層金融制度の創. と従来通り登録だけでよい「RDTC」とに区別. 設により,預金受入会社の預金吸収がより困難. され,その業務分野も表10の通り規制される. となり,資金調達のためにより銀行に依存せざ. ことになった.つまり,期限3ケ月以下の50. るをえなかった状況を物語っている.. 万香港ドルまでの預金は免許銀行しか取り扱え ないのである.こうした措置は,金融秩序の維. 82年には預金受入会社は 銀行にネットで21兆2630億香港ドルの負債と. さて, 80年以降の香港ドルの動きをみてみ れば,. 持や金融制度の健全化により香港金融市場の発. 79年7月の88.4%を経験した後,やや 回復かつ安定な気配をみせた.しかし,. 展を企図したものであるが,預金受入会社の預. の輸出の増勢鈍化から景気拡大のテンポがス. 金業務を制限して,銀行がマーケット・シェア を取り戻すことを可能し,また銀行協会を通じ. ローダウンし,経常収支赤字が拡大したため, 後半から香港ドルはまた軟化に転じた.香港ド. て政庁が金利をより強くコントロールする狙い もあったとみられる.また,預金取入会社を二. ルの持ち直しの対処として,また米国等海外金 利も上昇を続けていることに鑑み,銀行協会の. つに区分したのは,香港の経済金融の急速な発. 預金金利は9月以降6回にわたって引き上げら. 80年.

(19) 香港におけるフロート制の経験(林) 12月. れ,この結果貸出プライム・レートは, には17%と過去最高水準を更新した.さらに,. (445). 97. 同時に出現するとき,通貨供給量を直接コント. 翌年の10月には同レートは20%と最高水準を. ロールできない政庁としては,多様な金融調整 手段の獲得に努めてきた.それはほとんど事後. 再更新した.にもかかわらず,活発な不動産・. 的かつ受動的の形態であり,またそもそも有力. 建設投資を背景に,金融機関の融資額が伸びつ. な政策手段をもたないため,限られた効果をも. つあり,マネー・サプライのM2は80年28.7 o/o, 81年22.90/oという勢いで増大した.一方, 製造業では,欧州を中心とした輸出受注の伸び. 80年代の初頭には つにとどまった.実際に, 通貨管理問題や香港金融制度の欠陥について,. 悩みと相まって,高金利の持続が生産コストの. れた.そのうち,中央銀行の設立問題も取り上. 上昇を招来していることから,生産が大幅に減. げられたが,それに対し,政庁は一貫して消. 退した.ここにきて政庁は,景気面にも配慮し. 極的な態度であった.こうして,金融システム. かナればならないと認識し,従来もっぱら金利 を引上げる政策を考え直し,新たな金融調節手. に潜んでいる様々な問題を抱えながら,その都 度になんとか乗り越えようとする香港には,. 段の採用に踏み切った.それは,. 年9月の香港ドル危機がやってきた.. 81年11月,. 多くの改善案が香港の経済学者によって提出さ. 83. 政庁が為替基金を通じてインターバンク市場に おいて,短期資金の借入れを行なうインターバ ンク市場介入操作であった. 香港では中央銀行が不在であるので,. 香港ドル危機とカレンシーボード制の再. 3.3. 導入 「最後. 香港経済は1982年に極端な停滞を余儀なく された.前述したように,. 81年秋以降香港経. の貸し手」を持っておらず,銀行と預金受入会 社が流動性を調整するためにはインターバンク. 済の発展の基盤である製造業部門の生産に伸び. 市場における取引に大きく依存している.政庁. 悩み傾向がみられた.これは欧米諸国の景気停. がそこに着目し,金融システム全体の流動性に. 滞を映じて地場輸出が減退したことを背景とし. 影響を与えようと狙い,インターバンク市場へ. ている42).しかし,鍵庁の公共事業拡大によっ. 介入に乗り出した.具体的には,両発券銀行に. て非製造業部門では拡大基調が続いていたた. 保有している為替基金の勘定を使い,市中銀行. め,. から短期資金を借り入れる41).香港ドル流動性. 81年のGDP成長率が9.4%を達成し,景 気後退が回避されていた.だが, 82年後半から,.. の縮小によるインターバンク・レートの上昇は 銀行の信用拡大を抑制する.一方,銀行が外貨. 中国やASEAN諸国の輸入抑制策等から輸出. を香港ドルに転じる行動を刺激するため,香港. 金利の高止まりは,インターバンク市場の流動. ドル相場を下支えることになる.ここまでみて. 性の縮小をもたらし,一般企業の資金調達を困. きたように,香港ドルの下落を阻止するため,. 難し,企業業績の悪化を通じて経済全体にまで. 以前は為替基金を通じる為替市場介入に限られ. 打撃を与えることとなった.. ていたが,このインターバンク市場介入は政庁. こうした状況のなかで,. は伸び悩み傾向が一段と強まった.一方,国内. の金融調整手段として新たな展開であるといえ. 1981年9月下旬に 香港の租借権(1997年に新界地区が租借期限. よう.. 切れ)をめぐる中英交渉が始まった・.しかし,. このように,香港政庁は,フロート制の時期. 両国の立場の相違が明確化し,合意に至らな. において,為替レートの過度変動を抑制するた. かったので,同地域の将来に対する不安感が高. めに通常の為替市場介入操作のほか,通貨安走. まった.信認の喪失はまず不動産市場の崩壊を. のための金融政策を政庁によって講じてきた. とくにインフレ加速と香港ドル安という難問が. 招いた.株式市場に上場している会社の40% 以上が不動産関連であったことから,この災難.

(20) 98. 横浜国際社会科学研究. (446). 第11巻第3号(2006年9月). はすぐに金融界に波及した.株価指数は82年. みせた.日本政府部内では円安対策として対外. 6月から一年後の83年6月にかけて37%も下. 投資に対して課される金利平衡税が構想される. 落した.同時に,不動産業界に大量に貸し出し. まで至った44).これと非常に対照的なものは,. ていた銀行や預金受入会社は,ローンを償却せ ざるをなくなり,大きな損失を被った.そこで. 同じく自国通貨防衛策に迫られていた香港では 82年2月から外貨建て預金に対する利子課税. 他の金融機関は,損失を出した銀行や預金受入. 15%が撤廃されたことである45).この措置は,. 会社に対する信用枠を引き締めはじめたことか. シンガポール市場等にくらべ,資金調達面の不. ら,金融機関のなかには流動性問題を悪化させ. 利があることを背景に,こうした弱点を除去し,. たケースもあった.政治的な不安を抱え,金融. シンガポール市場との競合面でより強い競争力. システムに対する信頼を失った大衆は急速預金. をつけ,国際金融センターとしての発展を向上. を引き出し,外国通貨へ転換した.この結果預. させるといった意識に基づいたものであるが,. 金取り付けに見舞われる銀行もあり,何社かの. この撤廃により,外貨建て預金への大幅シフト をもたらし,外貨の流出ともない,香港ドル. 預金受入会社は倒産した.以前外国為替取引で 活躍していた多くの金融機関は市場から撤退を 余儀なくされた43).この時期の経済混乱におい. の一層の下落を引き起こしたことは否定でき ない46).表12に示されているように,外貨預. て,顕著な現象として指摘できるのは,香港ド. 金利子課税免除の「効果」が即座に現われてお り,金融機関の対顧客預金残高において,外貨. ルの暴落であった.. 政治的な不安定性は膨大な資本の流出を招. 対香港ドル比は82年以降急激な上昇をみせた.. き,外国為替市場の変動は激しくなり,香港ド. 特に通貨危機のピークの83年9月には,半分. ルは強い切下げ圧力にさらされた.香港ドルの 対米ドル相場は82年6月の1米ドル-5.71香. 以上のシェアに達しており,香港ドル預金残高. 港ドルから83年6月には同7.57香港ドル-と. な政策錯誤であり,香港ドル危機の間接的要因. 下落し,一年間で32.7%も減価し,趨勢的にも. となったと香港の経済学者により指摘された47).. 下落傾向にあった.もちろん,こうした急激な. ところで,香港ドルの不安定が社会各方面に. 下落の背景には,. 「返還ショック」を大げさに. を上回ることになった.この措置は政庁の重大. 深刻な影響を与えていると当時各主要新聞では. 演出する投機筋の思惑があったことが否定でき. 報道されている.まず,製造企業が将来の計. ない.しかし,この情況が,当時の米国の高金. 画を立てる際,見通しが不透明のため慎重な姿. 刺,ドル高という国際環境,そして82年の外. 勢をとり,結果的には投資が減少している.一. 貨預金利子課税の撤廃という国内事情とも無関. 方,香港ドル安によって原料の輸入価格が高く. 係であったとはいえない.. なり,製品の輸出価格を10%引き上げてもコ. 1980年秋から,米ドルが世界的に強調とな. ストアップに追いつかないという48).為替リス. り, 1982年秋までドル高基調が続いた.香港. クを回避するために米ドルや日本円などの外貨. においては同時期に高金利誘導策がとられ,名. のみで決済を行う輸出業者も増えている.さら. 目金利が比較的に高い水準に維持されて.いた. に,生産財だけでなく,生活用品までも輸入に. が,インフレが高進しているなかで,実質金. 依存している香港では,物価の高騰が市民の生. 利差が拡大する一方であった.これも香港ドル. 活を苦しませている.香港ドルの安定を求める. から米ドルへの投資選好を高める材料となった. 声が社会において高まっている.. とみられる.もちろん,この傾向が香港ドルに 限ったことではなく,. 82年に入ると,日本円. を含む主要通貨が米ドルに対して大幅な減価を. しかし,中英交渉は実質的な進展をみせてお らず,政治的な不安は依然として色濃く,香港 ドル相場は中英交渉の第四回会議を控えた9月.

参照

関連したドキュメント

c 契約受電設備を減少される場合等で,1年を通じての最大需要電

一方で、平成 24 年(2014)年 11

人の生涯を助ける。だからすべてこれを「貨物」という。また貨幣というのは、三種類の銭があ

基準の電力は,原則として次のいずれかを基準として決定するも

c 契約受電設備を減少される場合等で,1年を通じての最大需要電

これらの船舶は、 2017 年の第 4 四半期と 2018 年の第 1 四半期までに引渡さ れる予定である。船価は 1 隻当たり 5,050 万ドルと推定される。船価を考慮す ると、

c 契約受電設備を減少される場合等で,1年を通じての最大需要電

IPCC シナリオ A1B における 2030 年の海上貨物量を推計し、 2005 年以前の実績値 と 2030