東北大学埋蔵文化財調査年報12
著者
東北大学埋蔵文化財調査研究センター
雑誌名
東北大学埋蔵文化財調査年報
巻
12
発行年
1999-03-29
URL
http://hdl.handle.net/10097/45613
ISSN 1341-6952
東北大学埋蔵 文化財調査年報
12
青葉 山遺跡
E地
点第
3次
調査 ほか
東北大学埋蔵文化財調査研究センター
1999
「剰
L-2T岡
調星
野 報
12」正議
27 31∼ 32 31∼32 4 84 84 / 84 94 99 図61 5 15 15 図内説明 図内説明 5 80 35 39 24 5 20 40 鞠 表11のNo.4 表11のNo.17 9 9 18 17 29 2 郊 勧 明 発行年月 日 「芽山下層式』併行199蛾
東側 酬 】ヒ側道跡による削平 大学共同溝による攪乱 石器85紫
くびれに挟まれた部分 左方向 放射筋 嚇 ef/F 嚇 「鵜ヶ島台剤 名称 Chrollologycal 大石平II
長七谷地III
縄文土器閉51点 石器1956点 嚇 2151 des■de indttte Views 3月31日 「茅山下層式』併行198戦
ゴヒ側 南側 】ヒ側道路による削平 大学暖房管 による攪乱 石器1477点 くびれ部分 枷 放射肋 放射肋 講 放射肋 「 鵜 ヶ島台式』 の名称 Chronological 大石平 Ⅱ 長■妥討也Ⅲ 縄文土器狙52点 石器1998点 放射肋 2152 decide indicate v■ews 3月29日東北大 学埋蔵文化財調査年報
12
東北大学埋蔵文化財 調査研 究 セ ンター
1999
1.青
葉山遺跡E地 点第3次調査1号・2号竪穴住居跡全景 (東か ら)3.青
葉山遺跡E地 点第3次調査出土縄文時代早期の貝殻条痕文土器 (2)5.青
葉 山遺跡 E地 点第3次調査 出土剥片石器 (2)序
東北大学 の青葉 山キ ャンパ ス は、火 山灰層が厚 く堆積 した中期更新世 の高位河岸段丘 に
あ る。 この青葉 山段丘 には、 旧石器 時代 か ら古代 までの様 々 な時代 の人々の生活 の跡が よ
く地下 に保存 されてお り、 これ まで に多数 の先史時代 の遺跡 が発見 されてい る。 ことに、
昭和59年 には、 附属 図書館北青葉 山分館新設 に ともな う発掘調査が行 われ、10万年 をこす
貴重 な前期 旧石器 や
2万
年前後 の後期 旧石器 多数が発見 され、 旧石器時代 の文化 の移 り変
わ りを知 るうえでの重要 な手 がか りとなってい る。
平成
6年
度 には、 この青葉 山キ ャンパ スで理学部 自然史標本館 の建設 に ともな う事前調
査が大規模 に実施 されたが、この調査 で もきわめて重要 な成果が え られてい る。本年報 は、
主 に この青葉 山遺跡
E地
点 の調査成果 を掲載 した。 この
E地
点 で は、東北地方で はきわ め
て珍 しい約
7500年
前 の縄文 時代早期 の集落跡 が明 らか にされ た。
2棟
の竪穴住居跡や沢 山
の早期縄文上器、石器 が検 出 され、集落 の構造、住居 の構造 な ど当時の生活 を知 る貴重 な
手がか りが え られた。 こ とに、豊富 な早期後半の縄文土器 は東 日本 にお ける重要 な基準資
料 となった。
本年報 に掲載 した貴 重 な基準資料 をぶ くめ、東北大学 の埋蔵文化財調査委員会、調査室、
セ ンターが これ まで に刊行 した10冊 の年報 に掲載 された土器 、石器、陶磁器、漆器、木器、
金属製 品な どの重要 な埋蔵文化財 は6000点 を こす。 これ らの資料 は、市町村の博物館 のか
か える埋蔵文化財 に匹敵す る量 と質であ り、その膨大 な資料 の保存 と活用、展示、公開が、
東北大学埋蔵文化財調査研究 セ ンター に とって重要な責務 とな りはじめている。
遺跡で発見 され る遺構 について も重要な資料が次々 とえられてお り、 このような地下 に
埋没 している文化財 を今後 どのように保存、活用 してい くのかがやは り大 きな課題である。
東北大学では、近年、施設整備が著 しく進んでいる。整備 を進 めてい くなかで調査 された
貴重 な遺構、遺跡 について、 その保存 と復元 をとりこんだ施設整備、環境整備の方向 と方
法 について検討、工夫す ることで、国民共有の財産である地下の埋蔵文化財 と最先端の研
究・ 教育 の場 との共生 をはか ることが可能であ り、必要 と思われる。
本年度の調査 の実施、報告書 を作成するにあた り、施設部 をはじめ、理学部な ど関係の
部局 には多大な支援 と協力 を頂 いた。関係各位 に心か ら謝意 を表する次第である。
埋蔵文化財調査研究 セ ンター
セ ンター長
須藤
隆
例
言
1.本
年報 は、東北大学構内において、東北大学埋蔵文化財調査研究センターが1994年度 に行 った遺跡調査、な らびに研究成果 をまとめた ものである。2.報
告 される遺跡 と略号、調査期間、調査担当者 は以下の通 りである。 仙台城二の丸跡第15次調査地点(NM15)1995年
3月 1日 ∼ 3月24日 藤沢敦 。関根達人 。菊池佳子 青葉山遺跡E地
点第3次
調査(AOE3)1994年
3月17日∼10月24日 藤沢敦 。関根達人・ 菊池佳子3.調
査・ 整理作業 は、東北大学埋蔵文化財調査研究センターが行 った。4.本
年報の編集 は、須藤隆の指導の もとに、藤沢敦・ 関根達人・ 奈良 (旧姓菊池)佳
子が担当 した。5.本
文 は、藤沢敦・ 関根達人・ 奈良佳子が分担執筆 した他、青葉山遺跡E地
点の出土石器 については玉橋 さや か(東北大学考古学研究室研究生)、 同出土石器 の使用痕分析 については須藤隆 と池谷考史 (東北大学考古学研 究室大学院生)力 ゞ執筆 した。本文執筆分担 は、以下の とお りである。 第I章 :藤沢敦 第H章
、第Ⅲ章1、 3、 4、 5(D・ 鬱X6(り
、7:関
根達人 第Ⅲ章2、 5(4):奈良佳子 第Ⅲ章50X6修
):玉橋 さやか 第Ш章6(3):須藤隆、池谷考史 また、英文要 旨については関根達人・ 玉橋 さやかが作成 し、阿子島香氏 に校訂 していただいた。6.発
掘調査お よび整理・報告書作成 にあたっては、以下の方々や関係機関か ら御指導・ 御協力 を賜 った。記 し て感謝申 し上 げる。 松本秀明 (東北大学大学院理学研究科)。相原淳― (仙台市博物館)。 中村大 (国学院大学者古学研究室) 仙台市教育委員会・ 東北大学文学部考古学研究室7.出
土遺物・ 調査記録 は、東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンターで保管・ 管理 してい る。凡
例
1.方
位 は、真北 に統一 してある。2.図
1と 図2は、 それぞれ国土地理院作成の、2万 5千
分の1地
形図「仙台西北部」と「仙台西南部」、1万
分 の1地
形図「青葉 山」 を使用 した。3.川
内地区の仙台城二の丸跡、お よび北方の武家屋敷地 区にあたる地域 の地形測量図は、仙台市教育委員会の 作成 による「仙台城跡地形図」(縮尺500分 の1)を
使用 した。4.遺
物の実測図お よび写真 の縮尺 はそれぞれ に示 した。5.引
用・ 参考文献 は、巻末 にまとめた。 また本文中で、東北大学埋蔵文化財調査年報 を引用す る場合 は、年報 1とい う形で略記 した。 発掘調査参加者 青井恭子 青山博樹 声野徳松 戸野 ヒデ子 阿部友衛 石井忍 石井岳彦 石井みゆき 石堂祐子 一野瀬 昌寿 伊藤大介 今泉八重子 上野美子 内海薫 歌川喜恵子 梅沢洋史 梅沢みえ 大内孝子 大内松夫 大久保聡彦 太田すゑ子 太田はるよ 大谷基 大友泰子 大野太輔 大本麻美 荻原研― 奥田美津子 小関満知子 小野 さよ子 小 山久美子 織茂麻木子 金谷弦 神 田善弘 菅野春枝 菊地和江 岸本 さち 熊谷宏靖 倉持恭子 栗山智行 河野正和 後藤俊一 駒場秀剛 古山友子 斉藤健 斉藤美穂 佐伯晴子 佐伯史子 佐々木陽子 佐々木好夫 佐藤厚子 佐藤 ケイコ 佐藤純生 佐藤 としゑ 佐藤 とみ子 佐藤剛 佐藤鉄生 佐藤良正 澤田純明 塩谷慎介 篠原良子 庄司明美 進藤直子 菅原大助 鈴木貴美子 鈴木俊二 鈴木敬広 鈴木 由美 鈴木 ヨシノ 須田雅丈 勢藤力 高橋和子 竹内美江子 田中スエ 田中政幸 丹野健一 千葉 あけみ 千葉直樹 土屋み どり 戸石健太郎 東海林俊彰 独古史恵 中嶋祐介 西垣仁史 西川尚子 西崎正彦 西原淳 能智公久 長谷川チエ子 針生せつ子 樋 口優子 兵藤多佳子 平田隆義 廣 田英一郎 福 田清彦 藤 田直行 増子竜寛 皆川万葉 武藤信子 森淳 森嶋康江 谷津 ミツ子 山尾敏子 山川純一 山口拓 山舘富士男 山本亮 横 山東市 吉田幸司 陸翔恭 劉宏兵 若竹美香 和田潤子 渡辺英恵 整理作業参加者 青井恭子 今泉八重子 内海薫 大塚玲子 後藤真希子 古山友子 庄司明美 白石浩子 玉橋 さやか 千葉直美 独古史恵 平井真理東北大学埋蔵 文化財調査研究セ ンター運営委員会
Q994年
度
) 委 員 長セ ンター長
(文
学部 教授) 川内地区協議会(教
育学部 教授) 青棄山地区協議会 (薬学部 教授) 星陵地区協議会(医
学部 教授) 片平地区協議会(金
属材料研究所 教授) 文 学 部教 授 文 学 部 教 授 文 学 部
助教授 文 学 部
助教授 理 学 部 教 授 工 学 部
助教授 施 設 部 長 幹
事
施 設 部 企画課長
東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンター運営委員会専 門委員会
Q994年
度
) 委 員 長セ ンター長 (文学部 教授) 文 学 部
教 授 文 学 部 教 授 文 学 部
助教授 文 学 部
助教授 理 学 部 教 授 工 学 部
助教授 調査研究員 (文学部 助手) 調査研究員 (文学部 助手) 調査研究員 (文学部 助手) 施 設 部 企画課長 隆 雄 進 賃 爾 夫 彦 雄 香 史 一 和 治 力 謙 信 徳 隆 聰 康 久 勝
鞠
櫛
齢
騨
紳
醸
店
抑
喘
禦
嘲
勅
櫛
隆 夫 彦 雄 香 史 一 敦 人 子 治 信 徳 隆 聰 康 達 佳 勝鶴
醸
︻
鞠
﹄
騨
嘲
醐
帥
卿
櫛
東北大学埋蔵 文化財調査研究セ ンター設置規程
(平成6年
5月17日 規第56号) (設置) 第一条 東北大学 (以下「本学」とい う。)に、東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンター(以下「セ ンター」とい う。) を置 く。 (目的) 第二条 セ ンターは、本学の施設整備が円滑 に行われ るために、構 内の埋蔵文化財 に関す る調査及び研究 を行 い、 併せて資料の保管及びその活用 を図 ることを目的 とす る。 (職員) 第二条 セ ンターに、センター長、調査研究員及びその他の職員 を置 く。2
センター長 は、本学の専任の教授 をもって充て、総長が命ず る。3
セ ンター長 は、セ ンターの業務 を掌理す る。4
センター長 の任期 は、二年 とし、再任 を妨 げない。5
調査研究員 は、本学の専任の教官 をもって宛て、総長が命ず る。6
調査研究員 は、セ ンターの業務 に従事す る。 (運営委員会) 第四条 セ ンターに、セ ンターの組織、人事、予算 その他運営 に関す る重要事項 を審議す るため、東北大学埋蔵 文化財調査研究セ ンター運営委員会 (以下「委員会」 という。)を
置 く。 (組織) 第五条 委員会 は、委員長及び次の各号 に掲 げる委員 をもって組織す る。 一 東北大学施設整備委員会各地区協議会 の協議員 各一名 二 発掘調査 に関連 のある専門分野の教授又 は助教授 若干名 三 発掘調査地 に関連のある部局の教授又 は助教授で、その都度委員長が指名す るもの 四 施設部長 (委員長) 第六条 委員長 は、センター長 をもって充てる。2
委員長 は、必要があると認 めるときは、委員会 の同意 を得て、委員以外 の者 を委員会 に出席 させ、議案 に ついて、必要な説明 をさせ、又 は意見 を述べ させ ることがで きる。 (専門委員会) 第七条 委員会 に、埋蔵文化財 の発掘調査 に関す る専門の事項 を調査審議 させ るため、専門委員会 を置 く。2
専門委員会 は、委員長及び次の各号 に掲 げる専門委員 をもって組織す る。 一 調査研究員 二 発掘調査 に関連 のある専門分野の教授又 は助教授 若千名 三 施設部企画課長 四 発掘調査地 に関連 のある部局 の事務部 の長3
委員長 は、セ ンター長 をもって充てる。 (委嘱) 第八条 第五条第一号か ら第二号 までに掲 げる委員並びに前条第二項第二号及び第四号 に掲 げる専門委員 は、総 長が委嘱す る。(幹事) 第九条 委員会 に幹事 を置 き、施設部企画課長 をもって充てる。 (事務) 第十条 センターの事務 は、当分 の間、事務局施設部 において処理す る。 (雑則) 第十一条 この規程 に定 めるもののほか、センターの組織及び運営 に関 し必要な事項 は、セ ンター長が定める。 附
則 (略)
東北大学埋蔵文化財調査研究センター運営委員会
Q99眸
3月現在
) 委 員 長センター長
(文
学部 教授) 川内地 区協議会(文
学部 教授) 青葉山地 区協議会 (薬学部 教授) 星陵地 区協議会(医
学部 教授) 片平地区協議会(素
材工学研究所 教授) 文 学 部教 授 文 学 部 教 授 文 学 部 教 授 理 学 部 教 授 工 学 部 教 授 東北アジア研究セ ンター 教 授 施
設
部
長 事
施 設 部 企画課長 委 員 長
センター長 (文学部 教授) 文 学 部
教 授 文 学 部 教 授 文 学 部 教 授 理 学 部 教 授 工 学 部 教 授 東北アジア研究セ ンター 教 授 調査研究員 (文学部 助手) 調査研究員 (文学部 助手) 調査研究員 (文学部 助手) 理 学 部 事務長 施 設 部 企画課長
東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンター運営委員会専門委員会
Q99眸
3月現在
) 須 藤隆 安 田 二 郎 大 内 和 雄 大 井 龍 司 島 田 昌 彦 今 泉 隆 雄 大 藤
修 阿子島
香 蟹 澤 聰 史 飯 淵 康 一 入間田 宣 夫 渡 邊 正 雄 渡 邊 二 郎 須 藤
隆 今 泉 隆 雄 大 藤
修 阿子島
香 蟹 澤 聰 史 飯 淵 康 一 入間田 宣 夫 藤 沢
敦 関 根 達 人 奈 良 佳 子 渡 邊 正 雄 渡 邊 二 郎
次
巻頭 カラー図版 序 例言・ 凡例 東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンター設置規程 東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンター運営委員会委員 東北大学埋蔵文化財調査研究センター運営委員会専門委員会 目次 図目次 表 目次 図版 目次 第I章1994年
度調査の概要………11.は
じめに………12.埋
蔵文化財調査研究セ ンターの設置……… ………・……… ……・…・………… ………・13.埋
蔵文化財調査の概要………Ⅲ………・………Ⅲ…・…Ⅲ…………・……・5(1)川
内地 区の調査………5 121 青葉山地 区の調査………6(9
富沢地 区の調査………12 は)川
渡地 区の調査・………・………Ⅲ…Ⅲ…… ………・………Ⅲ134.そ
の他のセ ンターの活動…………・………・……… ………・………・……Ⅲ…・・13 第H章
仙台城二の丸跡第15地点(NM15)の
調査………161.調
査地点の位置 と調査経緯………Ⅲ………Ⅲ…………・………Ⅲ162.調
査結果……… … ………・………・…………・………・…………Ⅲ…Ⅲ………中………016(1)東
区………16 121 西区………163.ま
とめ………18 第Ⅲ章 青葉 山遺跡E地
点第3次
調査(AOE3)…
………Ⅲ………Ⅲ191.青
葉山遺跡 の立地 と周辺の遺跡…………Ⅲ…Ⅲ……… ……・………Ⅲ……… ………。19(1)遺
跡 の立地 と歴史的環境 ………19(2)仙
台湾周辺 における縄文時代早期 の遺跡………202.調
査経緯 ……… ………・―・―・………・………・………・・25(1)調
査地点の位置………25(2)調
査方法 と経過………253.基
本層序………274.検
出遺構………… ………・―・…Ⅲ………・…………Ⅲ………Ⅲ………・30(1)遺
構 の分布 …………Ⅲ…・…Ⅲ………・………・30 鬱)住
居跡………30●
)土
坑………35(4)ピ
ッ ト………―………。38 低)竪
穴住居跡 の検討……Ⅲ…Ⅲ……… … ………・…………・………・………… …… … ……… ……。385.出
土遺物………・……… ……… ………・・40(1)遺
物 の出土状況……・―・…・……… ……… ………Ⅲ……… … … … ………・40(2)縄
文土器……… …… ………Ⅲ…………・―…………Ⅲ……… …………Ⅲ……44 ① 整理・分析 の方法………Ⅲ………・・44②
早期後葉の上器・…Ⅲ
……… ……… ……… ………・………・…・……… …… ………・
44③
早期中葉の上器……… ……・………Ⅲ
……… … … … ………
48④
晩期の上器………
52(0
石器………
66①
遺物包含層
2層。2層下部出上の石器群…… ……… … ………… ……… ………・・
66②
第 1号竪穴住居跡出上の石器群・……… ………… ……… ……… … ……… ………
68③
第 2号 竪穴住居跡出上の石器群……… ………Ⅲ
………・………… … … ………・
・
68④
ピット等出上の石器………
69に
)そ
の他の遺物……… … ………Ⅲ
……… … … ………
826.考
察………
83(1)青 葉山遺跡
E地
点第 3次調査出土土器からみた縄文時代早期貝殻条痕文土器の編年………
83①
研究の流れと問題の所在……… ……… ………Ⅲ
……… ………
83②
青葉山遺跡
E地
点第 3次調査出土土器の編年的位置づけ………
84③
「青葉山
E式
」の提唱―東北地方出土早期貝殻条痕文土器の地域性 と編年一………
86④
むすび………
95(2)青 葉山遺跡
E地
点第 3次 調査出土資料からみた縄文時代早期後葉の石器群について………
96①
石器組成………
96②
石鏃………Ⅲ
……… ……… ……・―い―・……。
………… …… …………・……
97③
擦切石斧…………Ⅲ
…Ⅲ
……… …… ………Ⅲ
…。
………… …………Ⅲ
……・
97④
石材選択 ………・…。
………… ………Ⅲ
……… …………Ⅲ
……
102⑤
劉片生産 と石器製作 ………。
103⑥
石器出土状況 ………Ⅲ
…… … …… ………Ⅲ
……… ………
104⑦ 河ヽ
結 ………・…。
………Ⅲ
………・…………Ⅲ
…・―・……・………Ⅲ
…………・
・
1040)石
器使用痕分析 ………。
1067.ま
とめ ・………"……… ………・110 引用・ 参考文献 英文 要 旨 写 真 図版図
目
次
図1
東北大学 と周辺の遺跡………2
図25
青棄山遺跡E地
点第3次
調査出土土器 図2
仙台城 と二の丸の位置………・…Ⅲ…。3
口縁部断面形態の層位別 出現頻度………4' 図3
仙台城二の丸跡 。武家屋敷跡調査地点………7
図26
青葉 山遺跡E地
点第3次
調査出土土器 図4
青葉 山地区調査地点………9
口縁部装飾類型の層位別出現頻度…Ⅲ…… …・4, 図5
仙台城二の丸北方武家屋敷地 区図
27
青葉山遺跡E地
点第3次
調査出土土器 第4地
点調査 区の位置………11
回縁部文様類型 の層位別出現頻度………・49 図6
富沢地区調査地点…………・………Ⅲ…・12
図28
青葉 山遺跡E地
点第3次
調査出土土器 図7
川渡地区調査地点 と周辺の遺跡………14
体部屈曲部文様類型 の層位別出現頻度………49 図8
仙台城二の丸跡第15地点調査 区の位置………17
図29
青葉 山遺跡E地
点第3次
調査 図9
仙台城二の丸跡第15地点調査状況………18
出土土器 の内面調整………。………49 図10
仙台湾周辺の縄文時代早期遺跡分布図………21
図30
青棄山遺跡E地
点第3次
調査 図11
青葉山遺跡E地
点第3次
調査地点出土土器 の外面調整………49 調査 区の位置・………・・
26
図31
青葉 山遺跡E地
点第3次
調査 図12
青葉山遺跡E地
点第3次
調査断面図(1)
出土土器 の胎土………49 調査 区北壁………28
図32
青葉山遺跡E地
点第3次
調査 図13
青葉 山遺跡E地
点第3次
調査断面図(2)
出土土器 の器厚の層位的変化………。…………490P列
間南北ベル ト東壁 ………29
図33
青棄山遺跡E地
点第3次
調査出土土器の 図14
青葉山遺跡E地
点第3次
調査遺構配置図……31
口縁部装飾 と端面形状 との関係・…… ………・50 図15
青葉山遺跡E地
点第3次
調査図
34
青棄 山遺跡E地
点第3次
調査出土土器の1号
竪穴住居跡………・……・・33
口縁部文様 と端面形状 との関係………51 図16
青葉山遺跡E地
点第3次
調査図
35
青葉 山遺跡E地
点第3次
調査2号
竪穴住居跡………34
出土土器 の施文手法………52 図17
青棄山遺跡E地
点第3次
調査図
36
青棄山遺跡E地
点第3次
調査 1、 4、6号
土坑………36
出土土器(1)・……・………。53 図18
青葉山遺跡E地
点第3次
調査図
37
青棄山遺跡E地
点第3次
調査 10、 15、 25、 30号土坑………37
出土土器(2)…………Ⅲ………・……… …………・54 図19
青葉山遺跡E地
点第3次
調査図
38
青棄 山遺跡E地
点第3次
調査 グ リッド別遺物密度図(1)。………・………・41
出土土器(3)・………Ⅲ…・55 図20
青葉 山遺跡E地
点第3次
調査図
39
青葉 山遺跡E地
点第3次
調査 グ リッド別遺物密度図(2)・………42
出土土器(4)・・………・56 図21
青葉 山遺跡E地
点第3次
調査図
40
青葉 山遺跡E地
点第3次
調査 グ リッド別遺物密度図(3)・・………・43
出土土器(5)・・………57 図22
青葉山遺跡E地
点第3次
調査図
41
青葉 山遺跡E地
点第3次
調査 出土土器の回縁部断面形態………Ⅲ……45
出土土器(0。……・………・58 図23
青棄 山遺跡E地
点第3次
調査図
42
青葉 山遺跡E地
点第3次
調査 出土土器の回縁部装飾類型………・………45
出土土器(D……… ……。……・・59 図24
青葉 山遺跡E地
点第3次
調査図
43
青棄山遺跡E地
点第3次
調査 出土土器の文様類型………47
出土土器(8)・・………60図
44
青葉 山遺跡E地
点第3次
調査 出土土器(働… … ………。61 図45
青棄 山遺跡E地
点第3次
調査 出土石器(1)……… …・………… …………Ⅲ……・70 図46
青葉 山遺 跡E地
点第3次
調 査 出土石器(2)………… … … ……… … ……71 図47
青葉 山遺跡E地
点第3次
調査 出土石器(3)……… ………。………Ⅲ……・72 図48
青葉 山遺跡E地
点第3次
調査 出土 石器(4)…… …… ………73 図49
青葉 山遺跡E地
点第3次
調査 出土石器(5)………・―・……・74 図50
青葉 山遺跡E地
点第3次
調 査 出土石 器(0… ………75 図51
青葉 山遺跡E地
点第3次
調 査 出土 石器(7)。… …・………・76 図52
青葉 山遺跡E地
点第3次
調査 出土石 器181…… ……… ………77 図53
青葉 山遺跡E地
点第3次
調 査 出土 石器(9)・… ………Ⅲ………・78 図54
青葉 山遺跡E地
点第3次
調査 出土石器10… …… ……… ………79 図55
仙 台湾 周辺 にお け る早期後葉 の 縄 文土器(1)「
槻 木1式」 ……… ………・87 図56
仙 台湾 周辺 にお ける早期後葉 の 縄 文土 器(2)仮
称 「上 ノ原 山段 階」 …………・87 図57
仙 台湾 周辺 にお ける早期後葉 の 縄文 土器(3)「
青葉 山E式
」 ………・88 図58
仙 台湾 周辺 にお ける早期後棄 の 縄 文上器(4)仮
称 「川添東段 階」………・89 図59
阿武隈川中・ 上流域 における早期後葉の 縄文土器(1)「
野島式」併行・………91 図60
阿武隈川中 。上流域 における早期後葉 の縄文 土器(2)「
鵜ケ島台式」新段階併行…………92 図61
阿武隈川中 。上流域 における 早期後葉の縄文土器131 「中ノ沢A段
階」 (「 茅山下層式」併行)…
93 図62
周辺遺跡出土石器組成 (縄文時代早期)… Ⅲ…96 図63
周辺遺跡出土石器組成 (縄文時代前期)…Ⅲ…96 図64
周辺遺跡出土石鏃長幅分布………97 図65
青葉山遺跡E地
点 第3次
調査出土石鏃長幅分布………97 図66
富沢遺跡第15次調査出土石鏃長幅分布………97 図67
擦切石斧出土遺跡分布図………98 図68
擦切石斧の石材組成 ………■01 図69
擦切石斧の類型組成 ………・101 図70
擦切石斧の幅厚分布 ………■01 図71
擦切石斧の長幅分布 ………・102 図72
磨製石斧の長幅分布 (秋田県内)。
…………102 図73
磨製石斧の長幅分布 (福島県内)…
………・102 図74
青葉山遺跡E地
点 優]75 優]76 優]77 優]78 第3次
調査出土石器の石材組成 ・…………・・103 周辺遺跡出土剣片石器の石材組成 …………・103 器種毎の石器出土状況 ………■04 青葉 山遺跡E地
点第3次調査 出土石器の使用痕(1)………・108 青葉山遺跡E地
点第3次調査 出土石器の使用痕(2)………。109表
目
次
表1 1994年
度調査概要表………1
表7
青葉山遺跡E地
点第3次
調査 表2
仙台湾周辺の縄文時代早期出土土器観察表(4)・・………・65 遺跡地名表(1)………Ⅲ………Ⅲ…………。
23
表8
青葉山遺跡E地
点第3次
調査 表3
仙台湾周辺の縄文時代早期出土石器観察表
()…
………・・80 遺跡地名表(2)………・24
表9
青葉山遺跡E地
点第3次
調査 表4
青葉山遺跡E地
点第3次
調査出土石器観察表(2)・…………・………・81 出土土器観察表(1)………
62
表10
縄文時代早期後葉 表5
青葉山遺跡E地
点第3次
調査貝殻条痕文土器の編年表………94 出土土器観察表(2)・……・………・
63
表11
擦切石斧出土遺跡地名表………99 表6
青葉山遺跡E地
点第3次
調査 出土土器観察表(働Ⅲ………・・64図
版
目 次
図版1
青葉山遺跡E地
点第3次
調査区全景 ・―・・119
図版14
青棄山遺跡E地
点第3次
調査 図版2
青葉山遺跡E地
点第3次
調査断面 ………・120
出土土器(D… ………・132 図版3
青葉 山遺 跡E地
点第3次
調査 図版15
青葉山遺跡E地
点第3次
調査 検 出遺構(1)・―・………・121
出土土器(働 ・………・・133 図版4
青棄 山遺跡E地
点第3次
調査 図版16
青葉山遺跡E地
点第3次
調査 検出遺構(2)………・122
出土土器細部 ・………・・134 図版5
青葉 山遺 跡E地
点第3次
調査 図版17
青葉山遺跡E地
点第3次
調査 検出遺構(9…
… … … …… … …… …………123
出土石器(り ……… … …… …135 図版6
青棄山遺跡E地
点第3次
調査 図版18
青葉 山遺 跡E地
点第3次
調 査 検出遺構(4)………・124
出土石器(2)………・136 図版7
青葉山遺跡E地
点第3次
調査 図版19
青棄山遺跡E地
点第3次
調査 検 出遺構(D。 遺物 出土状況 ………・125
出土 石器(3)………… ………・137 図版8
青葉山遺跡E地
点第3次
調査 図版20
青葉山遺跡E地
点第3次
調査 出土土器(1)………・126
出土石器(4)……… ……… ………・138 図版9
青棄 山遺跡E地
点第3次
調査 図版21
青葉山遺跡E地
点第3次
調査 出土土器(2)………。127
出土石器(動 ………。139 図版10
青棄山遺跡E地
点第3次
調査 図版22
青葉山遺跡E地
点第3次
調査出土土器
0…
………Ⅲ
128
出土石器
(0・………・
・
140 図版11
青棄 山遺 跡E地
点第3次
調査 図版23
青葉山遺跡E地
点第3次
調査出土土器は
)…………■
29
出土石器
(D・………・
・
141 図版12
青棄山遺跡E地
点第3次
調査 図版24
青葉山遺跡E地
点第3次
調査 出土 土器(5)………・130
出土 石器(81…… ……… …… ………。142 図版13
青葉山遺跡E地
点第3次
調査 図版25
青葉 山遺 跡E地
点第3次
調査第
I章
1994年
度調査 の概要
1.は
じめ に 東北大学 には、明治40年 (1907年)の
創設以来、1頃次拡充 。発展 を遂 げ、10学部 の他、多 くの研究所・ 研究施 設 を有す る。 そのため、仙台市内の川内・ 青葉山・ 片平・ 星陵・ 雨宮の各 キャンパスに加 えて、他 に多 くの研究 施設があ り、その敷地 は10県にわた る広大 な もの となっている。 これ らの各地区構 内には、多 くの埋蔵文化財が あ り、特 に川内地 区は、近世 の仙台城二の丸跡 と武家屋敷跡 にあた り、青葉 山地 区には旧石器時代か ら古代 の遺 跡が存在す る (図1)。 東北大学構内の埋蔵文化財 については、1970年代 に川内地 区・ 富沢地区で仙台市教育委員会や東北大学者古学 研究室 による調査が実施 された ことがあるが、いずれ も緊急 に対処せ ざるを得 な くなった形での調査で、その範 囲 も限定 された ものにな らざるを得なかった。その後、遺跡の存在が確認 されていた川内地区や青棄山地区で、 大規模 な調査 の必要性が出て きた ことか ら、大学構 内の埋蔵文化財の調査・ 保護 を組織的に行 う目的で、1983年 度 に東北大学埋蔵文化財調査委員会が組織 され、 その実務機関 として埋蔵文化財調査班 (1988年か ら調査室)が
置かれた。1994年度か らは、埋蔵文化財調査委員会 を改組す る形で、学内共同利用施設 としての埋蔵文化財調査 研究センターが設置 され、調査委員会の事業 を引 き継 いでいる。 1983年度以降、調査委員会が実施 した調査 は、本調査19件、試掘調査23件、立会調査33件を数 え、のべ調査面 積 は10,333m2に及んでいる。 これ らの調査成果 については、F東北大学埋蔵文化財調査年報』1∼
11において報告 してきた。 また、 これ らの調査で検出された遺構や、出土遺物 に関す る研究成果、関連す る資料の研究成果 な ど も、調査年報 に掲載 して きた ところである。 1994年度 において も、青葉 山遺跡E地
点な どの調査が行われ、新たな資料 を提供することとなった。本報告書 は、 これ らの調査研究の成果 について まとめた ものである。2.埋
蔵 文 化 財 調 査 研 究 セ ン タ ー の 設 置 上述の ように、1994年度 は、それ までの埋蔵文化財調査委員会 を改組 して、埋蔵文化財調査研究セ ンターが設 置 された最初の年度である。そのため、セ ンター設置 に至 る経緯 と、セ ンターの組織 と運営方法 について、 ここ で簡単 に触れてお きたい。 1983年の埋蔵文化財調査委員会の設置以来、東北大学構 内の埋蔵文化財調査 は、調査委員会 とその実務機関の 埋蔵文化財調査室が行 って きた。 しか し1993年度以降 は、急激 に事業量が増加 し、それ までの体制では対処する ことが困難 になって きた。 また、調査 にあた る調査員 は、2名の助手 (1993年度 7月 よ り3名
に増員)が
その任 にあたって きた。 この調査員の定員 については、委員会発足時の1983年度か ら1名が3年
間の流用定員で充 て ら れた以外、任期1年
間の借用定員 を毎年更新す るとい う、極 めて不安定 な身分で運用 されていた。 さらに1993年 表1 1994年度調査概要表Tab l Excavations on the campus in the fiscal year 1994
種類 の種類 調 査 地 (略号) 原 因 調 査 期 間 面 積 時 期 本 調 査 仙台城二 の丸跡第15地点 (NM15) 川内南地 区屋外環境整備 3/1∼3/24 701m2 近 世 仙台城二 の丸北方武家屋敷跡第4地点
(BK4)
課外活動施設新営 8/1∼12/21 983.5m2 近 世 青葉 山遺跡E地点第3次調査(AOE3)
理学部 自然史標本館新営 3/17‐ヤ10/24 1,862m2 縄文早期 試 掘 調 査 大型計算機 セ ンター地点 (付帯施設部分) 大型計算機 セ ンター新営 4/18-4/27 16nギ 立 会 調 査 富沢地 区野球場 (94-1) 基幹整備 6/13∼ 7/12 青葉 山地 区 (94-2) 情報 ネ ッ トワー ク整備 7/■∼7/30 川渡農場 (94-3) 外灯取設liyagi Pref
0
Sendai Castle
(Tohoku un .)
Ruin of Sendai Castle Ka都′auchi steles
AObayama Site Loc B AObayama Site Loc E Aobayama Site Loc C AObayama Site Loc A AObayama Site Loc D
Ashinokuchi Site 1 2 3 4 5 6 7 8 1 8 11 18 24 29 35 41 48 仙台城跡
2:川
内古碑群3:青
葉山遺跡B地点4:青
棄山遺跡E地点5:青
葉山遺跡C地点 青葉山遺跡A地点7:青
葉山遺跡D地点8:戸
ノロ遺跡9:片
平仙台大神宮の板碑10:郷
六大 日如来の碑 葛岡城跡12:郷
六城跡13:郷
六建武碑14:沼
田遺跡15:郷
六御殿跡16:郷
六遺跡17:松
ケ岡遺跡 向山高裏遺跡19:萩
ケ丘遺跡20:茂
ケ崎城跡21:ニ
ツ沢横久墓群22:萩
ケ丘B遺跡23:八
木山緑町遺跡 ニツ沢遺跡25:青
山二丁 目遺跡26:青
山二丁 目B遺跡27:杉
土手(鹿除土手)28:砂
押屋敷遺跡 砂押古墳30:富
沢遺跡31:泉
崎浦遺跡32:金
洗沢古墳33:土
手内窯跡34:土
手内遺跡 土手内横穴墓群36:三
神峯遺跡37:金
山窯跡38:三
神峯古墳群39:富
沢窯跡40:裏
町東遺跡 裏町古墳42:原
東遺跡43:原
遺跡44:八
幡遺跡45:後
田遺跡46:町
遺跡47:神
漉山遺跡 御堂平遺跡49:上
野山遺跡50:北
前遺跡51:佐
保山東遺跡 図1
東北大学 と周辺 の遺跡\
ヾ
ぐシ
ど
均
塊
稲
図2
仙 台城 と二の丸の位 置度 には、それ まで定員 を借用 していた部局 より、翌年度か ら定員 を出せない旨の申し出がなされ、借用定員での 運用 は限界 に達 していた。学内の施設整備事業 は、 それ以降 も多数計画 されてお り、かか る状況の もと、借用定 員2名での運営 は、制度的にも実際の仕事量か ら見て も不可能であるとの認識が共有 され るに至 った。その結果、 1993年度 は暫定的に借用定員で調査員 (助手
)を
1名増員 して、当面の事業 にあたることで対処 し、翌1994年度 より、学内共同利用施設の埋蔵文化財調査研究セ ンターヘ と改組す ることとなった。1993年 12月 13日に開催 され た埋蔵文化財調査委員会 において、「(仮称)埋
蔵文化財調査研究セ ンター設置要求書」が審議・ 承認 され、正式 にセンター設置 を要求す る運び となった。 これを受 けて、セ ンターの調査研究員の定員 は、新たに全学流用定員 を確保す ることとな り、前年度末の1994年 3月 に開催 された流用査定委員会 において、助手3名
の流用が承認 さ れた。 さらに、1994年 5月17日開催 の評議会 において、埋蔵文化財調査研究センターの設置が認 め られ、同 日付 けでセ ンターが発足 した。 センターの組織 は、併任 のセ ンター長1名、調査研究員 (助手)3名
、事務補佐員1名か らなる。セ ンター職 員の職務分担 は以下の通 りである。 セ ンター長 :○ 組織全体 の業務 の統括、掌理 調査研究員 :○ 施設整備及 び営繕工事 に関わ る埋蔵文化財調査の調査計画の立案及び調査の実施 ○構 内の遺跡及びそれに関連す る研究 ○埋蔵文化財 の調査技術、分析方法、保存処理方法の研究 。開発 ○遺物 の調査記録及び保管 ○出土遺物 の公開、活用 事務補佐員 :○ 県、市教育委員会等の関係機関、施設部及び学内の関係す る部局 との事務連絡 ○調査 に伴 う各種事務処理 ○刊行物等の発送及び管理事務 ○交換、寄贈文献等関係資料の管理 それ以前の調査室の段階には、 日常運営経費 も恒常的な経費が認 め られてお らず、その年度 ごとに要求 して確 保 した整理作業経費 を充てているような状態であった。センター設置 に伴 い、 日常運営経費 は、全学での共通経 費か ら支弁 され るようにな り、 よ り安定 した組織運用が可能 となった。施設 は、従来の埋蔵文化財調査室の施設 をそのまま利用することになったが、セ ンター長室兼事務室用の部屋 を新たに確保 して、設置 した。 セ ンターの運営 にあたっては、新た に埋蔵文化財調査研究センター運営委員会が設置 され、センターの組織・ 人事・予算、その他 の運営 に関す る重要事項 を審議・ 決定することとなった。運営委員会の委員長 はセンター長 が務 め、運営委員 は、次の委員か ら構成 され る。 ○施設整備委員会各地 区協議会 の協議員 ○発掘調査 に関連 ある専門分野の教授又 は助教授 ○発掘調査地 に関連 のある部局の教授又 は助教授 ○施設部長 また、運営委員会 の もとに、専門委員会が置かれ、調査 に関す る専門的事項 な ど、具体的な問題 について審議 することとなった。専門委員会の委員長 はセ ンター長が務 め、専門委員会 は次の委員か ら構成 される。 ○調査研究員 ○発掘調査 に関連 ある専門分野の教授又 は助教授 ○施設部企画課長 ○発掘調査地 に関連 のある部局の事務部の長 運営委員会 は、各年度の事業計画・ 予算の審議 と、前年度の事業報告 と決算の承認の必要上、年度当初 に開催され る他、特 に必要がある場合 に開催 され る。専門委員会 は、運営委員会での決定 に沿 って年間事業 を進 めてい く過程で、発掘調査の開始時 と終了時、調査途 中の節 目な どその他必要な場合 に、運営委員会 よ り頻繁 に開催 さ れ ることとなった。
3.埋
蔵 文化財調査 の概要
1994年度は、川内地区・青葉山地区・富沢地区・川渡地区において、本調査 3件 、試掘調査 1件、立会調査
3 件の、合計7件
の調査 を実施 した (表1)。(1)川
内地区の調査 川内地区では、本調査2件
を実施 した(図3)。 仙台城二の丸跡 に相 当す る川内南地区での調査が1件
、二の丸 北方の武家屋敷跡 に相当す る川内北地区での調査が1件
である。 仙台城二の丸跡第15地点 は、川内南地 区の道路 に外灯な どを設置す ることに伴 う調査である。対象面積 は小 さ かったが、調査地点が後世の盛上が薄い と予想 され る場所であったため、本調査 との位置づ けで調査 を行 った。 当初の予想 に反 して、調査地点 は、明治以降 に削平 を受 けてお り、江戸時代 の遺構 は検 出されなかった。 これに ついては、本年報 の第 Ⅱ章 において報告す る。 仙台城二の丸北方武家屋敷跡第4地
点 は、課外活動施設新築 に伴 う調査である (図5)。 川内地区を南北 に区切 る道路 の北側 にあた る川内北地区は、そのほ とん どが、仙台城二の丸の北方に置かれて いた武家屋敷地 区に相当す る。東北大学埋蔵文化財調査委員会が川内地区の調査 を開始 した当時 は、仙台城跡の 周知の遺跡の範囲は、 ほぼ川内南地 区に限 られ、北地 区は周知 の遺跡の範囲には入 っていなかった。調査委員会 では、北地 区について も、仙台城跡の隣接地 として、い くつかの試掘調査 を実施 してきた。 その結果、場所 によ っては江戸時代 の遺構面が保存 されてお り、なおかつ仙台城二の丸跡 と同 じ遺構面が武家屋敷地 区 まで続 いてい ることが確認 されてきた。 この ような成果 をもとに、宮城県教育委員会・仙台市教育委員会 とも協議 し、二の丸 のす ぐ外側であ り、一体的にとらえる必要があることか ら、仙台城跡の遺跡範囲 を拡大す る形で、川内北地区 ま で周知 の遺跡の範囲 とす る措置が とられている。但 し、北地 区のなかで も東端 のグラン ドの部分 は、 それ より西 側 とは段丘崖 を境 に地形が途切れてお り、 また この区域での立会調査で、江戸時代の遺構が残存 しているのが確 認 された例が まだ無 いため、遺跡が残 っているか どうか確実でない ことか ら、周知の遺跡 の範囲 には含 まれてい ない。今後 も、立会調査 を続 けるとともに、必要な場合 には、隣接地 として試掘調査 を行 ってい く必要がある。 今回の建設予定建物 は、 口字形の平面形 の建物 の計画であった。調査 にあたっては、建物範囲 と予掘 り部分 を 対象区域 として、中庭部分 は調査 を行 っていない。恒久建造物 に囲 まれて しまうこと、調査 区が中庭で分断 され、 遺構 の理解 に支障 をきたす ことが予想 され ることか ら、 この中庭部分 も調査範囲に含 めることも検討 したが、以 下のような理 由で、中庭部分の調査 は見送 ることとした。建設 され る建物 の西側一階部分が吹 き抜 けで、小型の 重機や草輌が中庭 に入 ることが可能 な構造であ り、中庭部分の調査が今後必要 となって も、建設以後 も調査が可 能 な構造であること。給排水 。電気・ ガスな どの付帯施設 は、全て建物 の外側へ出 し、中庭側 には造 らない構造 が採用 された こと。調査地点の遺構が、極 めて複雑であることが予想 され、将来再検証で きる余地 を残 しておい た方が良い と判断 した こと。 また、建物 の計画策定時の埋蔵文化財調査研究セ ンター と施設部 との協議の際 に、 センター側か ら、破壊 され る範囲 をで きるだけ少な くす るよう設計変更 を求 めた。 これに対 して施設部側では、 当初 の3階
建 ての計画 を4階
建 て とし、接地面積 を少な くす るとい う設計変更で応 じていただいた。 この変更 に よって、廊下・ エレベーターな どの共用部分 の配置の関係上、 口字形 の計画 となった とい う経過 も考慮 して、中 庭部分の調査 は行わない こととした。 今回の調査地点では、1985年度 に試掘調査 を実施 している。 この試掘調査では11ケ所 に トレンチを設 けているが、ほ とん どの調査 区は重機で掘削 して、調査区の壁面で層序 を検討 しているだけであった。 その結果、層序 と 出土遺物 との関係が十分明 らかでな く、各層序の形成年代が明確 にはなっていなかった。そのため、現在の表土 と、明 らかに近代以降 と考 えられ る盛土 を1層として、 この1層のみを重機で除去 し、2層上面か ら手掘 りで精 査 を行 うこととした。 先 に行 っていた青葉 山遺跡
E地
点第3次
調査が終了 していなかったが、並行 して調査 を行 うことにな り、 8月 1日 か ら調査 を開始 した。12ケ月以上の調査期間が想定 されたため、冬期 の中断 をはさんで2ケ年 に渡 って調査 を行 うこととした。そのため1994年度 は、遺跡全体 の様相 を把握 して、全体 の見通 しを立てることに主眼を置い た。2層上面の遺構か ら精査 を開始 したが、 この面か らは大規模 な礎石建物跡な どが検 出され、いずれ も明治以 降の陸軍第二師団に関わるものであった。3層上面か らは、少数のピッ トが検 出されただけで、2層 と3層は、 明治時代 に行われた一連の整地層 と考 えられた。4層上面では、畑跡 と考 えられる畝状遺構が一面 に広がってい るのが確認 された。調査地点 は、江戸時代 には一貫 して武家屋敷が置かれていた場所であるため、 この4層上面 の遺構 は、武家屋敷廃絶後の明治時代初頭頃の年代が考 えられ る。年内の調査 は、 この4層上面の精査の途 中で 終了 した。冬期の中断に備 えて、調査 区全面 にシー トを貼 り、要所 は土嚢 によって埋 めることで遺構面の保護 を 図った。 この冬期 の中断をはさんで、翌年度事業の前倒 しとして 3月 1日 か ら調査 を再開 し、そのまま継続 して 翌1995年度の 8月 末 まで調査 を行 っている。 そのため、 この武家屋敷跡第4地
点の報告 は、1994年度 と1995年度 の調査 をまとめて、次の年報13において報告す ることとす る。(2)青
葉山地区の調査 青葉 山地区では、本調査1件
、試掘調査1件
、立会調査1件
を実施 した (図4)。 本調査 を実施 したのは、理学部 自然史標本館新営 に伴 う、青葉 山遺跡E地
点の第3次
調査である。前年度の1993 年度 に調査 を実施 した、共同溝新営 に伴 う青葉山遺跡E地
点第2次
調査 のす ぐ北側 にあた る区域の調査である。 第2次
調査では、縄文時代早期後棄の貝殻条痕文土器な どが出上 していた。今回の第3次
調査では、同 じ縄文時 代早期後葉の住居跡2軒
や、土坑・ ピッ トな どの遺構が検 出され、 この時期 の上器・石器が多数出土 した。 この 青葉山遺跡E地
点第3次
調査 については、本報告書の第Ⅲ章 において報告す る。 試掘調査 を実施 したのは、大型計算機セ ンター新営に関連す る付帯施設部分の調査である。 これは、前年度の 1993年に実施する予定の調査であったが、前年度の調査予定が途 中で大幅な変更 を余儀 な くされ、一部が1994年 度 に延期 されていた ものである。工学部応用物理学科棟か ら新設建物 につなげて建設 される、共同溝部分の調査 区である。共同清 のルー トにあわせて、共同清東区 と西区の2ケ所の調査 区を設定 したが、その内の東区の調査 が1994年度 に実施 した区域である。既設埋設管な どがあ り、調査 を実施で きる範囲が限 られていたので、調査が 行いやすい場所 を選んで調査 区を設定 した。火山灰層の上部 は、削平 を受 けていた部分 もあるが、全体 に保存 は 良好であった。層序 は建物本体部分 と同様であった。建物本体部分の調査 において、愛島軽石層 より下ではグラ イ化 した粘土層が検 出され、水成堆積 の可台診隆が高い ことか ら、愛島軽石層上面 まで調査 を行い、それ以下の調 査 は行 っていない。遺構・ 遺物 は検 出されなかった。調査 区の位置 と基本層序の図については、年報11において 示 しておいたので、 ここでは省略す る。 立会調査 を実施 したのは、情報ネ ッ トワーク整備 に伴 う調査である。東北大学では、1988年度 に全学 を光 ファ イバーで結び、コンピューター資源の効率的な利用 を可能 にし、学内及び海外 との情報交換 を促進するLAN「
東 北大学総合情報ネ ッ トワークシステム(TAINS)」を構築 している。 このTAINSの
利用量が急速 に増大 したため、 さらに最新の情報技術 を導入 し、質的にも量的にも性能 を高 めた「Super TAINS」 を構築す ることとなった。今 回の工事 は、そのためにより容量の大 きい光 ファイバーを設置す るものである。光 ファイバーは、共同溝が造 ら れている部分では、共同溝 内に設置 されるため、新たな掘削 は伴わなかった。共同溝が設置 されていない、各施獄
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\ 図3
仙台城二 の丸跡・ 武家屋敷跡調査地点Fig 3 Location of excavations until 1994 atゼ Vゲηο%珍α2 (Nふ江i.e Secondary Citadel)
and M″夕紹ゲresidence(BK)
却
ゝ
‖ 発掘調査地点 田 カツテイング 鰯 立会調査地点
7
一
●● 0 100rn ― 図4
青葉 山地 区調査地点Fig.4 Location of excavations at Aobayama campus
llllllllllllll試掘調査 区 (1985年)
轟麗翻本調査区
〔
図
5
仙 台城二のLEIヒ方武家屋敷地 区第4地点調査 区の位置Fig.5 Location Of BK4(BK ie.Location 4 of sα 物%拓αゲresidence)
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0 100■ n 図6
富沢地区調査地点Fig.6 Location of excavations at′ rottli2awa campus
設 につ なが る末端 の部分 を中心 に、土 中 に直接 ケーブル を埋設 す る区域 が、新 た に掘 削 され ることとなった。対 象 区域 は青葉 山地 区の理学部・ 工学部構 内の各所 に広が る。 ケー ブル埋設 とい う工事 のた め、掘削 され る範 囲 も 狭 く、深 さ も浅 か った ことか ら、立会調査 で対処す る こととした。遺構・ 遺物 は発見 され なか った。 (31 宮沢地 区の調査 富沢地 区で は、立会調査
1件
を実施 した。 富沢地 区 は、仙台市南部 の名取川沿 いの沖積平野 に接 す る三神峯丘 陵の北側 に位置 してい る。 この富沢地 区 に は、理学部 附属原子核理学研 究施設、職 員宿舎 、野球場 な どが置 かれ てい る。1976年 に、富沢地 区の北西端 の地 域 で野球場 が建築 され る こ とにな り、 ブル ドーザー による雑木 の伐採 中 に土器片が発見 されたた め、東北大学考 古学研 究室 に よって、急速試掘調査が行 われた。 その結果、平安 時代 の竪穴遺 構 な どが検 出 され、平安時代 の上 師器 が多量 出土 した ほか、縄文土器・ 弥生土器 な ども出上 した。 この試掘調査結果 を受 けて、野球場 が現在 の位 置 に移 されて造 られた とい う経緯 が あ る。 また、富沢地 区で は、原子核 理学研究施設 の大規模 な施設拡充計 画が イ \ヽ
ヽ
ヽヽあるため、1985年度・1989年度 。1991年度 の3ケ年 にわたって、埋蔵文化財調査委員会が試掘調査 を実施 してい る (図6、 年報3・ 9)。 この3ケ年の調査の結果、縄文時代・ 古墳時代・平安時代の遺構 。遺物が検 出されてい る。 また、 さらに下層か ら約33,000年前の泥炭層が検 出され、樹木や種子 な どが良好 に遺存 していた。人工遺物 は検 出されていないが、原位置 を保 った根株 も残 ってお り、当時の自然環境 を復元す る上で、重要なデータ とな っている。 これ らの調査結果 を受 けて、富沢地区全体が芦 ノロ遺跡 として、周知 の遺跡の範囲内に含 まれ るよう になっている。 今回の調査 は、野球場 の基幹整備 に伴 な う調査である。具体的な工事 内容 は、野球場 のグラン ドの下 に一帯 に、 排水施設 を埋設 し基盤 を改良す ることと、観覧席の整備 な どである。 富沢地区は、本来 は南側 の三神峯丘陵の裾か ら北側の金洗沢 に向かって、緩やかに傾斜 して下 ってい く地形で あったのが、近現代 の造成工事 によって、平坦面が造 られていった もの と推定 され る。野球場 の南端 と原子核理 学研究施設 との間は段差 となって、野球場が一段低 くなってお り、野球場 の南側 はかな り削平 されていることが 想定 された。一方、野球場 の北端 は、その北側 に走 る道路 よ リー段高 くなってお り、 こち ら側 は逆 にかな りの厚 さの盛上がなされていると推定 され る。比較的広い範囲を掘削す る観覧席の整備部分 は、 この北側の端 に近い場 所で、掘削が盛上の範囲内におさまると予想 された ことか ら、立会調査で対処す ることにした。 グラン ドの排水 管設置部分 は、掘削範囲の幅がせ まいため、 こち らも立会調査で対処す ることとした。観覧席部分 は、盛上の範 囲で終わってお り、遺構 。遺物 は検 出されていない。,「水管部分では、北側 は想定通 り大 き く削平 されてお り、 地山の水成堆積層が確認 された。中程の部分で、盛土以前の旧表上が確認 された部分 もあるが、わずかの範囲で あ り、遺構・ 遺物 も発見 されなかった。
(4)川
渡地区の調査 川渡地 区では、立会調査1件
を実施 した。 宮城県北西部 に所在す る玉造郡鳴子町の川渡地 区一帯 には、農学部 の附属農場がある。今回の調査 は、農場の 入 口か ら管理棟 な どが置かれている区域へ至 る、農場 内の道路沿いの外灯 を、建 て替 えるのに伴 う調査である。 農場入 日か ら入 ってす ぐの所 には、職員宿舎 な どが置かれてお り、その付近一帯 には、東北大学農場2・3号
畑 遺跡 (縄文)・町西遺跡 (弥生)・町A遺
跡 (縄文・古代)・修験院善教坊跡 (近世)な
どの遺跡が知 られている (図 7)。 この うち町西遺跡では、1989年度 に農場宿泊施設建設 に伴 って調査が行われてお り、ピッ トが検 出され、弥 生時代後期 の土器が出上 している(年報7)。 今回の工事 は、外灯 を兼ね る電柱 を、道路沿いに立ててい くもので、 掘削範囲 もご く狭かった ことか ら、立会調査 とした。遺構・ 遺物 は発見 されなかった。 4。 その 他 の セ ン タ ー の 活 動 青棄山遺跡E地
点第3次
調査では、検 出例 の少ない縄文早期の住居跡が発見 され るな ど、多 くの成果が得 られ たため、調査途 中の 6月11日に現地説明会 を開催 し、100名を越 える参加者があった。説明 にあたっては、サルボ ウとアカガイの貝殻 と粘上 を準備 し、貝殻条痕文の施文実演 も行 った。 また、説明会 に先立 って、報道機関への 発表 を行 っている。 この青葉山遺跡E地
点第3次
調査 については、東北史学会 と宮城県遺跡調査成果発表会 において、調査成果の 発表 を行 った。 日時・ 題 目 。発表者な どは下記 の通 りである。 東北史学会10月
2日 於 :東 北大学 発表題 目「青葉 山遺跡E地
点 における縄文早期集落」 発表者 :関 根達人 宮城県遺跡調査発表会12月
10日 於 :東北歴史資料館 発表題 目「仙台市青葉 山遺跡E地
点」 発表者 :関 根達人一
池
【
、南
1:赤
這遺跡(縄文)2:久
田遺跡(縄文)3:大
室院跡(近世)4:上
川原遺跡(縄文)5:丸
森遺跡(縄文)6:東
北大学農場2・ 3号 畑遺跡(縄文)7:町
西遺跡(弥生)8:町
A遺跡(縄文 。古代)9:町
B遺跡(縄文)盤
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:/JAF_鋤 (中世) 図7
川渡地 区調査地点 と周辺 の遺跡Fig 7 Archaeological sites and l」niversity Farm
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学内への広報活動 としては、『東北大学広報』163号の「部局だ よ り」 において、埋蔵文化財調査研究センター の発足 についてお知 らせ した。 センター業務 に関わ る資料調査 としては、以下の
2件
の資料調査 を行 い、それぞれ担当す る調査研究員が出張 した。 1月28・ 29日 第8回
江戸遺跡研究会「災害 と江戸時代」 藤沢敦 。関根達人・ 菊池佳子 3月20日 岩手県埋蔵文化財センター (江川鉄山出土資料 な ど)
関根達人・ 菊池佳子 当セ ンターでは、 これ までの調査で出上 した木製品や金属製品など、保存処理が必要な資料 を多数保管 してい る。 ほ とん どは、仙台城二の丸跡出上の近世の遺物である。木製品については、1992年度 にポ リエテレング リコ ール含浸用の恒温水情 を導入 し、保存処理 を開始 しているが、金属製品の処理については、未着手のままで、殖 案 となっていた。大型の遺物の含浸が行 えるような専用の真空含浸装置の導入は、予算的に無理 なことと、処理 が必要な金属製品のほ とん どが、小型の製品であるため、既存製品を利用 した含浸装置 を導入す ることとした。 具体的には、真空デシケーターを利用 し、 それに必要な容量の小型真空ポンプをつなげて、真空含浸が行 えるよ うにした ものである。第 Ⅲ章
仙 台城 二の九跡第
15地
点
(N M15)の
調査
1.調
査 地 点 の 位 置 と調 査 経 緯 仙台市青葉 区川内に所在す る東北大学構内の川内南地 区において、屋外 の環境整備事業の一環 として、旧大手 門か ら文科系4学
部厚生会館 に向かって東西 にのびる道路 に外灯の付設 と、道路北側の歩道の改修が計画 された。 文科系4学
部厚生会館付近 は、絵図 との対比か ら、仙台城二の丸殿舎の中心部 に近 く、詰 ノ門を入 って南側 の 書院、客 ノ間、虎 ノ間付近 に相当す ると考 えられている。同 じく絵図 との対比か ら、今回外灯が付設 され ること になった道路 を横切 る形 で、詰 ノ門を起点 に南へのびる二の丸の外郭施設が検 出される可能性が考 えられた。 厚生会館東側のロータ リー付近では、平成3年
度 に二の丸跡第10地点(NM10)を
調査 し、地表下50cmに満た ない浅い部分で、二の丸殿舎が灰儘 に帰 した明治15年の火災 に伴 う焼土層や、焼土層 に覆われた幕末か ら明治時 代初頭の石敷遺構 な どが検 出されている(年報9)。 また、外灯が付設 され る道路 の北側 に隣接する、川内記念講 堂前の広場では、平成4年
度 に二の丸跡第13地点の調査が行われ、現地表下約20cmと い う極 めて浅い場所か ら、 「七十間御兵具蔵」 に関連す ると考 えられる二の丸期の石組溝が検 出されている (年報10)。 このように、本調査地点 は、西側 は二の丸殿舎の中心部分 に近い上、場所 によっては現地表の直下 に江戸時代 の遺構が埋没 している可含♂隆が予想 されたため、工事 に並行 して本調査 を行 える体待」を整 えた。 外灯付設工事 は、道路 の中央部 の7基
の外灯 を伴 うグ リー ンベル ト新設区 (東区)と
、そのための電源 を確保 す るため、厚生施設南側か らロータ リーの南端 を通 って外灯へ と繋が る管路 (西区)と に分かれる(図8)。 外灯 の基礎部分 については、記述 の便宜上、最 も東に位置す るものを外灯1と し、以下最 も西側の外灯 7ま で仮番号 を付 した。西区では、厚生施設建物の南東部 とロータ リーの南西隅の2ケ所 にハ ン ドホールが新設 された(以下、 前者 を西側ハ ン ドホール、後者 を東側ハ ン ドホール と仮称す る)。 東区では、7基
の外灯の基礎部分 と、それ らを結ぶ地中線路掘削部が調査対象 となった。歩道の改修 について は、掘削が既設のアスファル ト舗装の除去 に とどまるため、調査の対象外 とした。 また、グ リーンベル トお よび その中の植栽 について も、現在の道路面か ら下の掘削を伴わないため、同 じく調査の対象外 とした。外灯の基礎 の掘削範囲は、1辺
が約lmの
方形で、深 さは約lmで
ぁる。地中線路の埋設で は幅約0.5m、 深 さ約0.5mが
掘 削された。現況が道路であ り、重機でアスファル トや砕石 を取 り除 く必要があることか ら、調査 は全て工事時の 立 ち会 い とし、手掘 りによる調査 は行 っていない。 西区では、2基
のハ ン ドホール埋設部分 と、それ らを結ぶ地中線路掘削部が調査対象 となった。東側ハ ン ドホ ールは、掘削面積約2∬
、深 さ約1.5m、 西側ハ ン ドホールは、同 じ く約3∬
、深 さ約lmで
ぁる。東 区同様、工 事時の立 ち会い とし、手掘 りによる調査 は行 っていない。2.調
査 結 果(1)東
区 東側 に位置す る外灯1∼ 3で
は、アスファル トを剣 ぐと、握 り拳大の円礫 を非常 に多 く含む盛上が厚 さ約60cm あ り、その直下が遺物 を含 まない責 白色粘上の地山 となる。 外灯4か
ら西では、円礫 を多 く含む盛土 と地山 との間に、炭化物 を多 く含む暗褐色のシル トが約20∼ 30cmの厚 さで認 められた。 この層 にはレンガや瓦が含 まれているが、外灯6において、 この層の下か らコンク リー トの基 礎が認 められたため、2層
自体、近代以降の所産であることが確実 となった。東 区では江戸時代の遺構 。遺物 は 発見 されていない。12)西
区 東側 ハ ン ドホールや、東 区 との間 を結ぶ ロータ リー道路横 断部分 で は、 コンク リー トブロ ック等 を含 む表上 が中 ︱I Ц ぶ ヽ ヽ ヘ