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〈論説〉蒲生俊文と安全運動

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Academic year: 2021

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(1)蒲生俊 文 と安 全運動. 蒲生俊文 と安全運動. 堀. 目. 口. 良. 次. は じめ に 1忘. れ られ た蒲 生 俊 文. 2東. 京 電 気 に お け る安 全 運 動 の誕 生. 3社. 会 運 動 と して の安 全 運 動. 4蒲. 生 俊 文 と官 製 安 全 運 動. お わ りに. は じめ に. こ の小 論 は、近 代 日本 にお け る労 働 災 害 防止 運 動 と して の安 全 運 動 と、 その 指 導 的立 場 にあ った 蒲生 俊 文(1883∼1966年)の 全 運 動 の 出発 点 と な っ た1914(大 1925(大 正14)年. 正3)年. 関 わ りに つ い て、 安. か ら官 製 の 安 全 運 動 が始 ま る. まで の 時期 を主 た る対 象 に検 討 す る こ とを 目 的 とす る も. の で あ る。 具 体 的 に は、 な ぜ蒲 生 は1914年 に安 全 運 動 に取 り組 み始 あ た の か 、 そ して、 な ぜ蒲 生 は1925年 に官 製 の安 全 運 動 に身 を委 ね る よ うに な っ た か、 を 中心 に考 察 す る。 蒲 生 俊 文 は、 全 日本 産 業 安 全 連 合 会 が 編 集 ・発 行 した 『安 全 運 動 の あ ゆ み」(1963年 刊 行)で. 「わ が 国 の安 全 運 動 の先 覚 者 」(1)として、 ま た中 央 労. 働 災 害 防 止 協 会 が編 集 ・発 行 した 『安 全 衛 生 運 動 史 職 場 へ の七 〇 年. 労 働 保 護 か ら快 適. 』(1984年 刊 行)で は 「や が て 芽 生 え るわ が 国 の 安 全 運 一127(452)一.

(2) 近畿大学法学. 第49巻 第2・3号. 動 に、重要 な役 割 を 果 た す こ とに な(る)」 ② 「先駆 者 」(31として夙 に紹 介 さ れ て き たが 、 それ は何 よ り も戦 後 に発足 した安 全 運 動 推 進 団体 が 自 らの歴 史 的 位 置 付 けを 行 な う作 業 の中 で 、 そ の通 史 の一 部 分 と して記 述 され て き た に留 ま る もので あ っ た。 もっ と も、 そ うで あ る と いえ 、 こ う した 従 来 の扱 い が全 面 的 に不 当 だ と 筆 者 は考 え る もので は な い(4)。な ぜ な ら、 これ らの 文 献 にお い て 、 蒲生 に と っ て の安 全 運 動 と は、 一 体 、 何 で あ った の か と い う視 点 か らの分 析 は、 刊 行 の 趣 旨 か らい って 、 無 視 せ ざ る を得 な い事 情 を有 して い た か らで あ る。 た だ、 こ の こ とか ら、 蒲 生 が 安 全 運 動 の 先駆 者 とか 先覚 者 とか評 価 さ れ な が ら も、 ど の人 名 事 典 の項 目 に も掲 載 され な い ま ま現 在 に至 って い る こと は、 非 常 に惜 しま れ る点 で あ る。 こ う した理 由か ら、 社 史 的 な歴 史 的 記 述 の中 に埋 没 した ま まの 蒲生 の 姿 を、 い ま一 度 、 掘 り起 こ し、 新 た に蒲 生 自身 の 側 に立 って 安 全運 動 を 眺 あ て み る意 義 が あ る の で は な いか と思 う。 それ は、 単 に、 安 全運 動 団 体 史 の い わ ば欠 落 を埋 め合 わせ る こと に お いて 意 義 が あ るだ けで な く、 む しろ蒲 生 とい う人 物 を通 して 当時 の歴 史 的 記 述 をす る こ と に よ って 、 これ まで 隠 れ て い た何 らか の重 要 な歴 史 的 事 実 を浮 き彫 りにす る こ と にお いて 、 よ り 大 きな意 義 が あ る と考 え る か らに他 な らな い。 も っ と も、 筆 者 は この小 論 に お いて 、 い き な り大 き な結 論 を 引 き出 す に 足 る だ け の十 分 な準 備 や分 析 の蓄 積 が で きて い るわ けで はな い。 差 し当 た り、 この 小 論 で は、 こ れ ま で 未 解 明 で あ り、 研 究 対 象 と して も未 発 掘 で あ った蒲 生 と安 全 運 動 の関 わ りに限 定 して 、 幾 つ か の 歴 史 的 事 実 を 解 明 す る こ とに した い。. 一128(451)一.

(3) 、W馬 一. 蒲生俊文 と安全運動. 1忘. れられた蒲生俊文. 蒲生 は、 い ま少 し紹 介 した よ うに、 労 働 災 害 防 止 運 動 と して の安 全 運 動 の 先駆 者 で あ り先 覚 者 で あ って、 この評 価 は、 彼 の安 全 運 動 と の関 係 にお い て最 も肝 要 な点 で あ る。 とい うの も、 現 在 、 知 られ て い る限 りで 、 日本 に お け る安 全 運 動 に最 初 に取 り組 み 出 した人 物 は足 尾 銅 山 の所 長 を 務 め て い た小 田川 全 之(1862∼1933年)で. あ るが 、 しか し彼 は この安 全 運 動 〔5)を. 銅 山 の外 部 に普 及 した り、 この運 動 に社 会 運 動 と して 取 り組 ん だ わ けで は な い。 これ に対 し、 蒲 生 が始 あ た安 全 運 動 は、 最 初 は東 京 電 気 株 式 会社 内 に お い て実 践 さ れ、 次 い で 日本 で 最 初 に設 立 され た安 全 運 動 推 進 団 体 で あ る安 全 第e会. を基 盤 と して社 会 運 動 と して 展 開 して い った の で あ る。. そ れ ゆ え、 重 要 な点 は、 確 か に安 全 運 動 の 時 代 的 先 行 性 は小 田川 に認 め な け れ ば な らな いが 、 今 日 まで 連 綿 と続 いて きた 社 会運 動 と して の安 全 運 動. 蒲 生 自身 、 これ を 「社 会 的 安 全 運 動 」 と呼 ん で い る{6)の. 出発点. は、 蒲 生 に求 め ざ る を得 な い こ とで あ る。 っ ま り、 蒲生 の存 在 が 、 日本 社 会 に お け る安 全 運 動 の開 始 と普 及 に大 き く影響 した の で あ り、 蒲生 が い な け れ ば、 安 全 運 動 が た とえ 日本 社 会 に広 が って い った と して も、 ず っ と遅 れて 始 ま っ た に違 い な い し、 そ の展 開 の 有様 も異 な って い た で あ ろ う。 こ の よ う に、 日本 の 安 全運 動 の歴 史 を振 り返 る時、 蒲 生 は決 して無 視 で き な い足 跡 を残 して い る に もか か わ らず、 今 日で は、 ほ とん ど忘 れ去 られ た人 物 とな って い る。 と こ ろが、 彼 に比 べ て、 同 じ く安 全 運 動 の先 覚 者 と して 知 られ る内 田嘉 吉(1866∼1933年)や. 三 村 起 一(1887∼1972年)の. 場. 合 に は、 必 ず し も安 全 運 動 との 関 連 で 言 及 され て い る わ けで は な い に せ よ、 両 者 と も人 名 事 典 に取 り上 げ られ て い るか{7)、な い しは伝 記 的記 事 を 残 して お り(8)、 幾 分 、 よ く知 られ た存 在 で あ り続 けて い る。 一129(450)一.

(4) '. 近 畿 大学 法学. 第49巻 第2・3号. 蒲 生 と他 の二 者 との この知 名 度 にお け る不 均 衡 の原 因 は、 少 な く と も3 点 指摘 で き る よ う に思 わ れ る。 1点 目 は、他 の 安 全 運 動 の先 覚 者. 内 田嘉 吉 や 三 村 起 一. のよう. に、 蒲生 は官 僚 や財 界 人 と して活 躍 しな か った こ とで あ る。 実 際 、 内 田 は 長 く籍 を 置 い て い た逓 信 省 を踏 み台 に逓 信 次 官 や台 湾 総 督 な ど と して官 界 に名 を残 し、 ま た三 村 も住 友 財 閥 を足 掛 か りに、 そ の後 、 財 界 で の地 位 を 築 き上 げ て い った。 これ に対 し、 蒲 生 は、 いず れ東 京 芝 浦 電 気 株 式 会 社 と して、 さ らに は株 式 会 社 東 芝 と して発 展 す る東 京 電 気 株 式 会 社 に留 ま り続 けて い れ ば、 全 く別 の人 生 を辿 る こ とに な ったか も しれ な いが 、 彼 は十 数 年 で東 京 電 気 を去 り、 そ の後 、20年 程 は官 界 に近 い組 織 に身 を 置 い たが 、 官 僚 出身 で は な か った せ い もあ って、 組 織 の頂 点 に立 つ よ うな 目立 った 地 位 とは無 縁 で あ った。 しか し、 そ れ で も、 敗 戦 直 後 の公 職 追 放 対 象 者 の 一 人 に数 え られ、 そ のせ いか 、 戦 後 は、 産 業 界 や 官 界 か らは一 定 の 距 離 を 置 い て私 的 な とで も呼 べ る 日本 安 全 研 究 所 を設 立 して 地 味 な活 動 を 晩 年 まで 続 け た。 これ に は、 以 下 で 述 べ る蒲 生 自身 の性 格 も深 く関 与 して い る。 2点 目 は、 蒲 生 は安 全 運 動 の 中で 、 つ ね に現 場 に近 い と こ ろで の 実 務 的 役 割 、 あ る い は職 人 的 な役 割 に徹 した こ とで あ る。 実 際 、 彼 の 安 全 運 動 に 対 す る関 心 の多 くは、極 め て 具 体 的 か っ技 術 的 関心 に 向 け られ た。例 え ば、 ど の よ うに工 夫 す れ ば事 故 は防 げ るか 、 な ど にっ いて 執 拗 な まで に調 査 ・ 研 究 した跡 が 窺 え る{9〕 。 それ ゆ え、 蒲 生 は安 全 運 動 にお いて 、 安 全 第 一 協 会 で は内 田 を補 佐 す る 事 務 局 の よ うな役 割 を 演 じっ っ 、 具 体 的 ・実 際 的 な 事 故 防止 策 に腐心 し、 続 く官 製 安 全 運 動 で も法 制 面 や 組 織 面 よ りも技 術 面 にお い て 強 い 関心 を示 して い る点 で 、 彼 が 法 科 出 身 で あ る に もか か わ らず 、 む しろ工 学 関係 者 で あ るか の よ うな印 象 を 与 え て い る。 これ に対 し、 内 田 は安 全 運 動 に お い て 安 全 第 一 協 会 な どの 会 長 を 引 き受 け、 ま さに黎 明期 の安 全 運 動 の広 告 塔 的 一130(449)一. 覧、 果.

(5) 蒲生俊文 と安全運動 存 在 で あ った し、 また三 村 は、 と くに戦 後 、 安 全 運 動 を推 進 す る諸 団 体 を 統 合 して で きた 中 央労 働 災 害 防止 協 会(中 災 防)の 初 代 会 長 を務 あ るな ど、 戦 後 の 安 全運 動 で 大 きな役 割 を演 じ、 両 者 と もに、 官 界 と財 界 の違 い は あ る もの の 、法 科 出身 者 が辿 る典 型 的 な 出世 コ ー ス を歩 み 、また そ れ ゆ え に、 さ まざ まな組 織 の長 と して活 躍 した の で あ る。 も っ と も、蒲 生 と三 村 は、 戦 後 間 もな く一 と1952(昭 和27)年. に一. そ れ ぞ れ1950(昭. 和25)年. 長 年 に わ た り産 業 安 全 運 動 に尽 く し、 わが 国 の. 安 全 の 向上 発 展 に大 い に寄 与 した者 に対 して与 え られ る労 働 大 臣 功 労 賞 を 受 け て お り、 戦 後 に お い て も蒲 生 の安 全 運 動 へ の貢 献 が 評 価 され て い る こ とは事 実 で あ る。 さ らに、1957(昭. 和32)年. に は、 第 一 回 藍 綬 褒 章 を 揃 っ. て受 け て い る が、 こ の藍 綬 褒 章 は、 公 衆 の利 益 に寄 与 した 者 、 また は公 共 の事 務 に尽 く した者 に授 与 され る褒 賞 で 、2人. と も、戦 前 に安 全運 動 を民. 間 人 と して立 ち上 げ、 と もに安 全 運 動 の 発 展 に努 力 して きた こ とが評 価 さ れ た ので あ るq① 。っ ま り、戦 後 しば ら くの 間 、蒲生 は公 的 な場 で も決 して忘 れ られ て は い なか った の で あ る。 と こ ろが 、 両 者 と も に安 全運 動 へ の貢 献 が評 価 され な が ら も、 三 村 は 日 本 経 済 新 聞紙 上 の 「私 の履 歴 書 」 に掲 載㈲ され 、名 士 扱 い され る一 方 で、 蒲 生 は 「私 の 履歴 書 」 に も載 らず、 どの人 名 事 典 に も登 載 さ れ な い扱 い を 受 けて い る。 また、 も う一 人 の安 全 運 動 の先 駆 者 で あ る内 田 は、 蒲 生 と協 力 して安 全運 動 を社 会 に普 及 しよ う と安 全 第 一 協 会 を立 ち上 げ た人 物 で あ るが 、 内 田 は逓 信 省 や 台湾 総 督 府 を舞 台 に活 躍 した高 級 官 僚(逓 信 次 官 や 台 湾総 督)で. あ った た め、 人 名 事 典 に彼 の名 前 を見 出す こ とは、 さ して困. 難 で はな い(1?。 この両 者 の違 い は、 蒲 生 の父 親 譲 りの性 格 とと もに、 彼 の技 術 的 関 心 へ の 強 さ に求 あ られ る。 そ れ ゆ え彼 は、 組 織 を統 括 し部 下 に指 示 を与 え る役 割 よ り も、 む しろ現 場 で の地 味 で は あ るが 技 術 的 な事 故 防 止 の た め の作 業 一131(44$)一.

(6) 近畿大学法学. 第49巻 第2・3号. に徹 す る役 割 を選 ん だ とい え るだ ろ う。 3点 目 は、彼 の持 って生 ま れ た地 味 な性 格 で あ る。 彼 は終 始 、 黒 子 の よ うな役 割 を安 全 運 動 で演 じ続 け た。 戦 前 は脇 役 と して 、 戦 後 は 日本 安 全 研 究 所 を設 立 して安 全 運 動 を継 続 しっ っ も、 それ は組 織 で はな く、 個 人 と し て 行 な って い た もの で、 中災 防 の よ うな 公 的 で 大 きな 組 織 で は決 して な か った。 蒲生 の 晩年 は孤 独 だ った、 あ るい は世 間 か ら疎 ま れ て い た〔1帥 とも い わ れ る が、 彼 に は組 織 の中 で さ ま ざ ま な駆 け引 きを して 人 間 集 団 を纏 あ 上 げ て い く政 治 力 が 不 足 して い たα ゜ と同 時 に、彼 は、 そ う した 役割 に魅 力 を感 じて い なか っ た ので あ ろ う。 恐 ら く、 こ う した彼 の 地 味 な 性 格 は、 父親 譲 りの もの で あ ろ う。 実 際、 彼 の実 父 で あ る蒲 生 俊 孝 は、 不 遇 の 裁判 官 と して 出世 とは無 縁 な地 方 の裁 判 所 勤 務 で 生 涯 を 終 え た が 、 そ の性 格 は実 直 とい うよ り、 む しろ愚 直 と も い うべ き もの で あ ったq励 。 この愚 直 さ は、 子 の 蒲生 俊 文 に も堅 固 に受 け継 が れ て い る。 しか し、 この 愚 直 さ、 あ る い は この生 真 面 目 さが 彼 に受 け継 が れ て い な けれ ば、 何 らか の深 い信 仰 に よ って支 え られ な い限 り、 地 道 で 忍耐 強 い 努 力 を要 す る安 全 運 動 の啓 蒙 ・普 及 活 動 は決 して 実 を結 ば なか っ た に違 い な い。 と ころ で、 蒲 生 は1883(明 年9月9日. 治16)年4月9日. に生 まれ 、1966(昭. 和41). に83歳 で 没 して い るas。彼 の詳 しい生 い立 ち に っ い て は現 在 、. 解 明 中 で あ る が、 こ こで は差 し当 た り、 旧 制 高 校 以 降 の戦 前 期 の学 歴 お よ び職 歴 を、 現 時 点 で わ か る範 囲 で 以 下 に示 して お きた い㈲。. 1900(明. 治33)年7月. 仙台の第二 高等学校一部英法科入学. 1903(明. 治36)年7月. 同卒 業. 同 1907(明. 年9月 治40)年7月. 東 京帝 国大学法科大学政治学科入学 同卒業 ののち、大蔵省 などに勤務 一132(447)一.

(7) 蒲生俊 文 と安全運動 1911(明. 治44)年12月. 東 京 電 気 株 式 会 社 に入 社. 1913(大. 正2)年2月. 同 社 工 業 部 庶務 課 長. 1914(大. 正3)年10月. 購 買 課 長兼 庶務 課 長. 1919(大. 正8)年4月. 秘 書 課 人事 係 長 と して、 直接 社 長 の監 督 下 に 一 切 の 人事 ・労 働 問題 の調 査 研 究 福 利 増 進 事 業 の 施 設 に従 事. 1921(大. 正10)年9月. 重 役 直 属従 業 者 福 利 係 長 と して、 一 切 の福 利 事 業 、職 工 に関 す る一 切 の事 務 、 労 働 問題 お よ び これ に関連 す る一 切 の 問題 に従 事. 1923(大. 正12)年7月. 総 務 部 福利 課 長 と して、 引 き続 き同職 務 に従 事. 同. 年10月. 関 東 大震 災 後 、 同社 を辞 め、 帝 都 復 興 院 嘱 託 と して 翌年2月. 1924(大. 正13)年3月. まで勤 務. 内 務 省 社 会局 嘱託 と して 同第 一 部 監 督 課 に勤 務. 1925(大. 正14)年11月. 社 会 局 第一 部 の下 に財 団法 人 産 業 福 利 協 会 が 発 足 す る と と も に常 務 理 事 に就 任. 1936(昭. 和11)年4月. 産 業 福 利協 会 が財 団法 人 協 調 会 に吸 収 され た こ と に と もな い、 協 調 会 に移 籍 し産 業 福 利 副 部 長 に就任. 1937(昭 同 1938(昭. 和12)年3月 年4月 和13)年7月. 産 業 福利 部 長 に就 任 協調 会常 務 理 事 に就 任 協 調 会 内 に設 置 され た産 業 報 国 連 盟 の理 事 に 就任. 1941(昭 同. 和16)年3月 年4月. 産 業 福 利 部 廃 止 に と もな い、 常 務 理 事 を辞 職 大 日本 産 業 報 国 会 労 務 局 安 全 部 長 に就 任 、 次 い で 中央 本 部 理 事 に就 任 一133(446)一.

(8) 近畿大学法学. 第49巻 第2・3号. 蒲 生 は安 全運 動 を東 京電 気 で1914(大 正3)年 正5)年. に始 め 、そ の後 、1916(大. に逓 信 官 僚 の 内 田 が 唱 え た 「安 全 第 一 主 義 」 に呼 応 して 、 翌1917. (大正6)年. に内 田 を 会 長 、蒲 生 を 理 事 と して 安 全 第e会. を設 立 し、社 会. に向 けて安 全 思 想 の啓 蒙 ・普 及 に取 り組 み 出 した。 ま た、 住 友 伸 銅 所 の管 理 職 に あ っ た三 村 も、 蒲 生 が 東 京 電 気 で 始 あ た安 全 運 動 を 見 学 して 共 鳴 し、 住友 で の社 内安 全 運 動 を始 め て い る。 そ して、1919(大. 正8)年. の日. 本 で最 初 の 「安 全 週 間」 開催 に際 して、 蒲 生 が 考 案 した 白地 に緑 十 字 の 図 案 が 「安 全 旗 」 と して認 め られ、 安 全 運 動 の シ ンボ ル マ ー ク と して 広 く知 られ るよ うに な った0⑳ 。 現 在 で は、 蒲 生 は、 ほ とん ど忘 れ去 られ た人 物 と な って しま った が 、 し か し、 安 全 旗 が今 も至 る所 で翻 って い る姿 は、 蒲 生 の 精 神 が あ らゆ る所 で 息 づ い て い る証 左 で あ る とい って もよ い。 っ ま り、 蒲 生 俊 文 の 名 前 を 知 ら な くと も、 安 全 旗. 工 事 現 場 な ど に掲 げ られ て い る 白地 に緑 十 字 の旗. を知 らな い者 は、 まず い な い。 したが って 、 この 意 味 にお い て 、 蒲生 は、 名 前 こそ忘 れ られ て しま ったが 、 そ の 精 神 は今 な お生 き続 けて い る と もい え る。 と もす れ ば、 これ こ そ、 控 え 目な 性 格 で あ った 蒲生 の本 望 だ っ た に違 い な い。. 2東. 京電気にお ける安全運動の誕生. 現 在 まで 続 く労 働 災 害 防 止 運 動 と して の安 全運 動 は、上 で述 べ た よ うに 1914(大. 正3)年. に蒲 生 俊 文 が 東 京 電 気 で安 全運 動 を 開始 した こ とに始 ま. る。 繰 り返 しにな るが 、1912(大 正1)年. 、足 尾 銅 山(古 河 鉱 業 足 尾 鉱 業 所). で 「安 全 専 一 」 を ス ロー ガ ンに安全 運 動 が 開始 さ れ て い る が、 そ の運 動 は 社 内 運 動 に留 ま り、 社 会運 動 へ 発展 す るに 至 らな か った。 した が って、 本 一134(445)一.

(9) 蒲生俊 文 と安 全運動 格 的な. 単 発 的 か っ 内 部 的 な運 動 で は な く、継 続 的 か っ社 会 的 な運 動 と. して の一 一安 全 運 動 の 出発 点 は、 や は り蒲 生 が1914(大. 正3)年. に始 あ た. 社 内運 動 に あ る。 さ らに、 こ の社 内 安 全 運 動 は、1916(大. 正5)年. に は内 田 が新 聞紙 上 で. 「 安 全 第一 主 義 」を 唱 え た(19)ことで 、蒲 生 が 共 鳴 し、安 全運 動 が 東京 電 気 の 工 場 の外 部 に広 が る契 機 を持 っ た。 そ して 、 この 広 が り は、単 に範 囲 を拡 大 す る とい う量 的 な 点 だ け に と ど ま らず 、 質 的 な 点 に お い て も拡 大 して い った。 す な わ ち、 労 働 災 害 のみ で はな く、 社 会 に生 起 す る さ まざ まな事 故 や災 害 な ど を含 む安 全 運 動 へ と展 開 して い くこ と とな った の で あ る。 そ して、 こ の運 動 の拠 点 と して 、1917(大. 正6)年. に内 田 や蒲 生 らが設 立 し. ま た、住 友 伸銅 所 で も、す で に1916(大 正5)年. に安 全 運 動 が三 村 に よ っ. た安 全 第 一 協 会 が あ っ た。. て始 め られ⑳、 これ に よ って 関 東 と関 西 の2っ の 工 場 にお い て安 全 運 動 が 根 を下 ろ し、 そ の後 、 他 の多 くの 工 場 や 企 業 へ波 及 して い く先 駆 け とな っ た。 と こ ろ で、「安 全 」と い う言 葉 は、日本 で は以 前 か ら使 われ て い たが 、「安 全 第 一 」 と い う言 葉 の誕 生 は、 内 田 が ア メ リカ合衆 国視 察 か ら帰 国 した 直 後 の1916(大. 正5)年8月4日. の こ とで あ る。 内 田 は当 時、 ア メ リカ合 衆. 国 で盛 ん に行 なわ れ て い た安 全 運 動 、 っ ま り"SafetyFirst"運. 動 と出会. い、 帰 国 後 、 日本 に紹 介 した ので あ る。 実 は、 足 尾 銅 山 の 小 田 川 も 内 田 と 同 じ く ア メ リ カ 合 衆 国 の"Safety First"運 動 を見 て 日本 に導 入 した ことが 知 られ て お り、安 全 運 動 開始 の 時 期 だ けで な く、 ア メ リカ合衆 国 で の安 全 運 動 の ス ロー ガ ンで あ る"Safety First"を 日本 に紹 介 した時 期 に お いて も、一 歩 先 ん じて い た の は事 実 で あ る。 しか し、 小 田川 が それ を 訳 した 「安 全 専一 」 とい う ス ロー ガ ン は、 そ の後 、 公 に は広 ま らず 、 それ か ら数 年後 に内 田 が新 聞紙 上 で唱 え た 「安 全 一135(444)一.

(10) 欄. 近畿大学法学. 第49巻 第2・3号. 第 一 」 とい う言 葉 の ほ うが 普 及 す る結 果 とな った 。 これ は、一 っ に は、小 田川 の安 全 運 動 が 社 内 運 動 に留 ま って いた た め で もあ り、 二 つ に は、 内 田 の よ うに新 聞 と い うマ ス メ デ ィアを 利 用 した 宣 伝 活 動 や安 全 第 一協 会 が取 り組 ん だ啓 蒙 ・普 及 活 動 を展 開 しなか った た め で もあ る。 そ れ ゆ え、 内 田が 訳 した ス ロ ー ガ ンで あ る 「安 全 第 一 」 の ほ うが社 会 に 普 及 して い く結 果 とな った。 しか も、 そ の普 及 は極 あ て 迅 速 で あ った こ と が わ か る。 例 え ば、 『工 場 法論 』(有 斐 閣)を 著 した農 商 務 官 僚 の 岡 実(1873∼1939 年)が 、 そ の改 訂 増 補 版(第3版)⑳ と して1917年8月19日. の序 文. この序 文 は 「自序(第 二)」. 付 けで 書 か れ て い る. で 、 す で に 「安 全 第 一 」 と. い う言 葉 を次 の よ うに使 って い る。. 此 ノ問 〔1913年の初 版 以 来 一. 堀 口注 〕 我 国 ノ工 業 ハ 駿 々 トシ テ其 ノ. 歩 ヲ進 メ、 工 場 及 職 工 ハ 日二月 二其 ノ数 ヲ増 加 シ タ リ ト錐 。 多 数 ノ工 業 主 ハ 依 然 「生 産 第 一 」 ヲ旨 トシ労 働 時 間 ヲ適 度 二制 限 シ、 又 ハ 工 場 ノ設 備 ヲ完 全 ニ シテ 「安 全 第 一 」 ノ主 義 ヲ実 行 スル ハ 即 チ 根 底 二 於 テ 其 ノ工 場 ノ生 産 能 率 ヲ多 大 ナ ラ シ ム ル所 以 ナル コ トニ 着 目 シ タル 者甚 タ少 ク、 従 テ既 二公 布 セ ラ レ タル工 場 法 ノ明 文 二準 拠 シ タル 新 施設 ト シテハ 何 等 見 ル ニ足 ル ヘ キ モ ノ ナ カ リシ ナ リ⑳。. ま た、 当 時 の新 聞紙 面 に は、 「安 全 第 一 御 注 意 遊 ばせ. 安 全 な る食 料 品 は. 悪疫流行の際. 召 し上 り物 に. 銀 座 の菊 屋 へ 」 とい う、「安 全 第 一 」 と. い う言 葉 に あ や か って、 あ る食 料 品 店 が 新 聞 広 告 を 出 す 例1916(大 5)年9月11日. 付 け 『東 京 朝 日新 聞 』. 正. も見 られ た ㈱。. も っ と も、「安 全 第 一 」 とい うス ロ ー ガ ンが 日本 社 会 に本 格 的 に普 及 し始 め るの は、1919(大. 正8)年. に始 ま る 「安 全 週 間 」 の開 催 以 後 で あ る と思 一136(443)一.

(11) 蒲生俊文 と安全運 動 わ れ る が、 しか しなが ら、 コ ピー ラ イ タ ーの 才 能 を 示 す 内 田 の 提 唱 で 、 言 葉 と して の 「安 全 第 一 」 は1916(大. 正5)年. 以 降 、 日本社 会 に急速 に広 が. り始 あ た ので あ る。 さ て、 社 会 運 動 と して の安 全運 動 が 、 こ う して展 開 して い った わ けで あ るが 、 そ の出 発 点 と な っ た東 京電 気 にお け る社 内安 全 運 動 は、 一 体 、 どの よ うな経 緯 で 開 始 され たの で あ ろ うか。 蒲 生 は ア メ リカ合衆 国 で 先 行 して いた安 全 運 動 を後 に な って知 る こ とに な るが 、 当 初 、小 田 川 や 内 田 の よ う に ア メ リカ合 衆 国 に お け る安 全 運 動 の 流 行 を 体 験 と して 知 って いた わ けで はな い⑳。 に もか か わ らず 、 な ぜ蒲 生 は単 独 で 、 しか も突 然 、1914(大. 正3)年. に社 内 で安 全 運 動 に取 り組 み始. め た の か 、 また始 め る こ とが で きた の で あ ろ うか。 これ に つ い て、 蒲 生 自 身 に求 あ られ る内面 的 な諸 要 因 と彼 を取 り巻 く外 面 的 な諸 要 因 の2つ に分 けて 、 そ れ ぞ れ検 討 して み よ う。 まず 、 内面 的 な諸 要 因 の一 っ と して指 摘 で きる の は、1914(大. 正3)年. に起 きた あ る社 内事 故 が き っか け とな って、 蒲 生 は安 全 運 動 へ 取 り組 み だ した こ とで あ る。 蒲 生 自身 が語 る と ころ に よ れ ば、 こ うで あ る。. 偶 々感 電 即 死 事 故 が発 生 した。 け た \ま しい電 話 の通 知 に急 いで 現 場 に行 つ た余 は兎 も角 も遺 族 に人 を走 らせ たの で あ っ た 。 口か ら泡 を 吹 き乍 ら死 ん で 行 っ た。 高 圧 電 流 が 左 手 か ら心 臓 を 貫 き流 れ た の で あ っ た。 未 亡 人 が 駆 け付 け て 其 死 骸 に取 縄 つ て泣 くよ り外 に語 は無 か っ た。 余 は 只 \胸 を 打 た れ て 自然 に涙 の に じみ 出 る の を 禁 じ得 な か っ た。 余 の安 全 運 動 は此 の涙 か ら出 た も の と言 ふ こ とが 出 来 る。 『さ う だ!安. 全 運 動 を 猛 然 と起 して 彼 等 を助 けよ う』 斯 う言 ふ心 持 ち で あ. っ た ㈱。. 一137(442)一.

(12) 近畿大学法学. 第49巻 第2・3号. この事 故 が蒲 生 に与 え た大 き な心 理 的 衝 撃 は、 単 に それ が 職 工 の 事 故 死 に 由来 して い る だ け で な く、 そ の事 故 の知 らせ を 聞 いて駆 け付 けて 来 た職 工 の妻 に対 す る憐 閥 の情 に一 段 と強 く由来 して い る。 そ して 、 蒲生 の 流 し た この涙 が、1914(大. 正3)年. に始 ま る社 内 安 全運 動 へ 繋 が って い く重 要. な 出発 点 と な っ た㈱。 しか しなが ら、 こ の蒲 生 の回 顧 が 嘘 で はな い にせ よ、 突 然 、 あ る従 業 員 の事 故 死 で もって 安 全 運 動 へ と突 き進 む に は、少 し唐 突 な感 じが しな い で もな い。 なぜ な ら、 労 働 災 害 が 多 発 して いた 当 時、 この種 の死 亡 事 故 は珍 し くなか っ たか らで あ る。 ただ 、 蒲 生 に と って は、 入社 以来 、初 め て の衝 撃 的 な体 験 だ った可 能 性 は十 分 に考 え られ る。 実 際、 蒲生 は1907(明 治40)年. に東 京 帝 国 大 学 法 科. 大学 を 卒 業 し、大 蔵 省 に入 るが、「役 所 務 めが 膚 に合 わ ず 」⑳、間 もな く辞 職 し、1911(明. 治44)年. に、 日露 戦 後 の好 景 気 で業 績 拡 大 し、 従 業 員 を大 幅. に増 員 しっ っ あ った東 京電 気 に入 社 す る。感 電 事 故 が 起 き た1914(大 正3) 年 は、 入 社3年. 目の こ とで あ った。 この感 電 死 亡 事 故 は、 蒲 生 が この3年. 聞 で 初 あ て 体験 す る労 働 災 害 で あ った と考 え られ る余 地 は甚 だ少 な い が、 ただ 、 こ う した悲 惨 な死 亡 事 故 は蒲 生 に と って恐 ら く初 め て の経 験 だ った の で あ ろ う。 事 故 当 時 、 蒲生 は庶 務 課 長 とい う役 職 に就 い て い たが 、 職 務 は主 と して 労 務 管理 で あ った⑳。つ ま り、彼 は、工 場 で働 く職 工 や工 場 の現 場 を良 く知 る管 理 職 の地 位 に い て、 労 働 災 害 の 問題 を避 け る通 る こ とはで き なか った の で あ る。蒲 生 は、上 述 した職 工 の感 電 死 亡 事 故 に触 れ て 、別 の と ころ で、 次 の よ うに記 して い る。. 一 日電 気 を取 扱 ふ 職 工 が感 電 して倒 れ た と云 ふ 報 告 に接 して 現 状 へ 馳 せ付 けた の で あ りま した が、 最 早 や呼 吸 は止 まつ て 即 死 の状 態 を 見 た 一13$(441)一.

(13) 蒲生俊文 と安全運動 私 は、悲 哀 の感 が胸 に充 ち て涙 を以 て蔽 は れ た眼 は之 を見 る こと が 出 来 な か っ た の で す、 私 が安 全 運 動 の為 め に努 力 せ ん とす る心 は愈 々深 く成 た の で あ りま した、 又 足 尾 銅 山 に於 て は其 当時 所 長 小 田川 工 学 博 士 が主 唱 して安 全 運 動 が行 は れ て居 りま した、 私 は其 当時 か ら雑 誌 等 に 日本 に社 会 的安 全 運 動 が起 らな け れ ば な らぬ、 社 会 の先 覚 者 は此 の 安 全 運 動 に対 して心 血 を注 が な け れ ば な らぬ 、 而 して 何 等 か の形 式 で 公 の機 関 が作 られ な け れ ば な らぬ こ と を主 張 して 居 つ たの で あ り ま し た⑳. こ の よ う に、 彼 の回 想 に よれ ば、 感電 事故 の 直 前 に足 尾 銅 山 で始 ま って い た安 全 運 動 の こ とを 、 当 時 、 す で に知 って い て、 彼 自身 、 東 京 電 気 の工 場 に お い て も安 全 運 動 を 始 め る必 要 性 を 強 く感 じて い た こ と が 見 て取 れ る。 も っ と も、単 に足 尾 銅 山 に お け る先 駆 的 な安 全 運 動 の取 り組 み にっ い て 知 って い た と して も、 誰 もが、 そ の必 要 性 を感 じる わ けで は なか ろ う。 そ こに は、 蒲 生 自身 が持 って い た豊 か で鋭 い感 受 性 の存 在 も無 視 で き な い。 しか し、 そ れ と と もに重 要 な点 は、 彼 の若 い時 の あ る体 験 が 安 全 運 動 へ 突 き動 か した と思 わ れ る点 で あ る。 実 際 、 彼 は若 い時 に医 師 か ら余 命 い くば く もな い と宣 告 さ れ、 そ の た あ彼 は必 死 の 思 いで 健 康 法 の 本 を 貧 り読 ん で 出来 る限 りの健 康 法 を 自 ら必 死 の思 いで 実 践 した こ とが 功 を 奏 して か 、 死 なず に生 き長 らえ た と い う体 験 を 持 って い る。 これ にっ いて 、 蒲 生 の こ と を詳 し く知 る ア メ リカ合 衆 国 の知 人 は、 次 の よ う に書 き記 して い る。. 氏 〔 蒲生俊文. 堀 口注 〕 は若 き時 病 に罹 り医 師 は残 余 一 二 年 の生 命. を 告 げた 。 そ こで 健 康 に関 す る書 物 を読 み あ さ り、 其 の学 ん だ と ころ を 健 康 改 善 に 応 用 した。 之 等 早 期 の経 験 が蒲 生 氏 に、 人 間 の生 命 を防 一139(440)一.

(14) 近畿大学法学. 第49巻 第2・3号. 護 す る こ と に対 して 敏 感 な尊 敬 心 を 与 え た 。40年 前 の 「安 全 狂 」 は今 や 日本 に於 け る尊 敬 す べ き 「安 全 の 父 」 で あ る億 ω 。. したが って 、 この 諦 め ず に努 力 して 報 わ れ た とい う個 人 的 な 体験 が 、安 全 運 動 に彼 を 駆 り立 て た 側 面 が あ るだ ろ う。 他 方 、 彼 が 始 め た安 全 運 動 は、 彼 の 内 面 的 な 諸要 因 だ けで は決 して成 立 しなか った こ と も事 実 で あ る。 そ れ に は、 彼 の安 全運 動 を 直接 、 間接 に 支 援 す る人 的 お よ び社 会 的 環 境 が 整 って い る こ とが 不可 欠 だ か らで あ る。 次 に、 い ま考 察 した 内 面 的 な 諸 要 因 に加 え て 、 外面 的 な諸 要 因 に つ い て も検 討 して み よ う。 外 面 的 な 諸 要 因 の 一 っ と して 指摘 で き るの は、 職 場 で の周 囲 の理 解 と協 力 で あ る。 っ ま り、 彼 の上 司 や重 役 た ち の理 解 や承 認 、 あ る い は職 場 の 同 僚 や 工 場 で 作 業 に従事 す る労働 者 の協 力 で あ る。 と りわ け、 彼 の安 全 運 動 を 支 援 した重 要 な 人 物 に、 上 司 で あ った 新 荘 吉 生(1873∼1921年)が. い. た⑳。 新 荘 は 東 京 帝 国 大 学 理 科 大 学 卒 業 後 、半 年 程 、 旧 制 浦 和 中 学 に 勤 め、 1899(明. 治32)年. に、 東 京 電 気 の前 身 で あ る 白熱 社 の創 業 者 の一 人 で あ る. 藤 岡市 助(1857∼1916年)社. 長 の招 きで、 技 師 長 兼 電 球 製 造 部 長 と して入. 社 す る。 そ の後 、 東 京 電 気 は、1905(明 GE社(ゼ. 治38)年. ネ ラ ル ・エ レク トリ ック社)か. に渡 米 中 の新 荘 の尽 力 で. ら融 資 と技 術 提 携 を受 け、 ま た. 日露 戦 後 の好 景 気 も手 伝 って業 績 が伸 張 し、 新 荘 も1915(大 正4)年 締 役 、1919(大 正8)年6月. に取. に社 長 に就 任 す る㈱。新 荘 は、 この 間 、蒲 生 の. 社 内安 全 運 動 へ の取 り組 み を支 援 し続 け た だ けで な く、 と もす れ ば、 ア メ リカ合 衆 国 に お け る安 全 運 動 の様 子 にっ い て も何 らか の情 報 を提 供 して い た可 能 性 も考 え られ る8鋤 。 も う一 っ の外 面 的 な要 因 と して考 え られ る の は、 東 京 電 気 の 当 時 の社 内 一140(439)一.

(15) 蒲生 俊文 と安 全運動 状 況 で あ る。『東 芝 百 年 史 』 に よれ ば、東 京 電 気 の 「明 治 の 末 か ら大 正 の 初 あ に か け て の営 業 成 績 は、 ま さ に 画 期 的 な 飛 躍 を 遂 げ た」㈹ の で あ るが 、 それ と と もに従 業 員 数 も激 増 し(下 図 「東 京電 気 従 業 員数 の 変 化(1904∼ 1924年)」㈲ を 参 照)、 こ の 時 期 に は10年 間 で10倍 前 後 の伸 び を 示 して い る㈹。 蒲 生 は、 ま さ に、 この飛 躍 の 時期 に入 社 して い る。. 東 京 電 気 従 業 員 数 の 変 化(1904∼1924年) X111. /\ 鑓従業員. 3000. \. //\ \\. /\. 従 蕃. 貝 数2000. ,. / ノ. /. !. !\ /\ /\ /\ /\. 工. 員. \ 、. /. ノ ! ノ ! ノ '. 父 口 1 /. 1000. ' ノ ノ ノ. 1 ノ ノ !. /'識. ノ. 0. ノ'. '. ''. ノ. 1 ノノ. 員. ノ. 15置11. 19041909191419191924. この急 伸 の理 由 に は、『東 芝 百 年 史 』に よ れ ば、(1)日露 戦 後景 気 と第一 次 大 戦 に よ る国 内需 要 お よ び海 外 需 要 の伸 び、(2)一般 家 庭 で の 石 油 ラ ン プ に 代 わ る電 灯 の普 及 、(3)GE社. と の提 携1905(明. 治38年)年. によ る. 技 術 導 入 、な どが指 摘 され て い る が㎝、 この急 成 長 を受 け て、当 時 、三 田 に 一141(438)一.

(16) 近畿大学法学. 第49巻 第2・3号. 本 社 と工 場 が あ るの み で あ った 東 京 電 気 は、 この飛 躍 期 に、1908(明 治41) 年 に川 崎 工 場(神 奈 川 県 川 崎 市 、 現 ・堀 川 町 工 場 、 ま た1913(大 以 来 、本 社)が 、 また1911(明 現 ・東 芝 中 央 病 院)が 44)年. 治44)年. 正2)年. に大 井 工 場(東 京 都 品 川 区 大 井 町 、. 新 設 され 劔、 蒲 生 が 東 京電 気 に就 職 した1911(明. 治. は、 ま さ に増 産 体 制 に突 き進 ん で い た 時 で あ った。. したが って 、 こ う した 増 産 体 制 に と って必 要 な作 業 能 率 の 向上 が経 営 方 針 と して 必 然 的 に求 め られ 、 また 作 業能 率 の 向上 の た あ に安 全 運 動 が有 用 視 され る状 況 も生 まれ る余 地 が あ った。 また 、 この 時 期 の労 働 災 害件 数 は1919(大 正8)年 り. そ の 後 、1925(大. 正14)年. ま で下 降 す る. ま で上 昇 し続 け て お 、東京電気 において も. 増 産 体 制 の 下 で増 え続 け る新 人 工員 の労 災 事 故 の多 発 化 は、 会 社 の経 営 上 の 大 きな 問 題 と して認 識 され 出 した に違 い な か ろ う。 仮 に工 員 の被 災 率 が 一 定 だ とす る と、 東 京電 気 で は、 単 純 に考 え れ ば、 工 員 の増 加 に比 例 して 被 災 件 数 も増加 した と推 測 で き るの で、 蒲 生 が就 職 した最 初 の3年 間 だ け で も工 員 数 が約4倍. に増 え て い る こ とか ら計 算 す れ ば、 労 災 件 数 も約4倍. に増 加 した とい え よ う。 この顕 著 な職 場 環 境 の変 化 が、 蒲 生 が 安 全 運 動 を 始 あ た も う一 っ の外 面 的 な要 因 で あ る。 3番 目 の 外 面 的 な 要 因 と して 考 え られ る の は、 労 働 争 議 の 多 発 化 で あ り、労 務 管理 を主 な職 務 と して い た蒲 生 に と って も、 さ らに は労 働 争 議 が 生産 能 率 を低 下 さ せ る こ とを懸 念 して い た経 営 責 任 者 に と って も、 と もに 心 配 事 で あ った。 つ ま り、 これ を回 避 す る もの と して 社 内 安 全 運 動 が 機 能 した こ とで あ る。 しか し、 外 面 的 な諸 要 因 の 中 で最 も重 視 しな けれ ば な らな い の は、 何 よ り も1916(大 正5)年 場 法 は1911(明. 治44)年. の施 行 が差 し迫 って い た工 場 法 の 存 在 で あ ろ う。 工 に制 定 され 、 そ の施 行 が1916(大. 正5)年. に予 定. さ れ て い た。 した が って、 当時 、 工 員 の安 全 に対 す る経 営 者 側 の 配 慮 の 必 一142(437)一.

(17) 蒲生俊 文 と安全運動 要 性 が 意 識 され 出 した こ とを 見 逃 す わ けに はい か な い。 管 理 職 に就 い て い た蒲 生 も、 経 営 陣 に こそ 加 わ って い な か った が 、職 工 の労 務 管 理 に携 わ っ て いた 関 係 か ら、 職 工 の安 全 に対 して十 分 な配 慮 す べ きだ とす る認 識 を抱 いて いた こ と は想 像 に難 くな い。 例 え ば、 蒲 生 の蔵 書 に数 多 く見 出 さ れ る 工 場 法 関 係 の 書 物 の 存 在G39)は、 そ の事 実 の 一 端 を 示 唆 す る も の とい え よ う。. 3社. 会運動 と しての安全運動. 安 全 運 動 が 社 内 の運 動 か ら社 会 運 動 へ 転 換 を 遂 げ るの は、 す で に触 れ た 安 全 第 一 協 会 の設 立(1917年)に. お いて で あ るが 、 そ の 中 心 に いた の が 蒲. 生 で あ る。 も っ と も当 協 会 の会 長 は逓 信 次 官 の内 田 が 特 に存 在 した わ けで は な い. 背 後 関 係 に逓 信 省. で あ った が 、 実 際上 の重 要 な 役割 を担 っ. て い た の は理 事 の 蒲 生 で あ る。 こ の協 会 は、 そ の 目的 と して 、 「大危 険 を 未発 に 防遇 す るの良 法 と して 『安 全 第 一 』主 義 を社 会 に鼓 吹 し、鉄 道 、船 舶 、鉱 山 、工 場 等 は固 よ り、道 路 、 住 宅 に之 を普 及 せ しめ て 、衛 生 に火 災 に死 傷 に、 不 幸 な る災 厄 を防 御 せ ん とす る もの な り」(40)と 宣 言 して、 機 関 誌 『安 全 第一 』 を発 行canす る な ど、 蒲生 が 実 践 して きた社 内安 全 運 動 を 内 田 が提 唱 す る 「安 全 第 一 主 義 」 とい う理 念 の下 に 押 し広 げ、 社 会 全 体 に根 付 かせ る社 会 運 動 の推 進 母 体 と して設 立 され た の で あ る。 安 全 第 一 協 会 が推 進 す る安 全 運 動 は、 の ち に第1回 安 全 週 間 開 催(1919 年)を. 契 機 に 発 足 した 中 央 災 害 防 止 協 会 の 活 動 と合 体 して 、 日本 安 全 協. 会 幽 とい う新 しい組 織 に 引継 が れ る こ とに な る が、 それ は活 動 面 で も組 織 面 で も安 全 第 一 協 会 と大 して変 わ らな い もので 、 依 然 、 内 田 と蒲生 の協 力 体 制 の下 に続 け られ て い た暁 一143(436)一.

(18) ㌧竃㎜. 近畿大学法学. 第49巻 第2・3号. この民 間 主 導 の安 全 運 動 の時 期 に お け る最 も重 要 な成 果 は、「安 全 」と い う価 値 を社 会 に認 知 させ た点 に あ る。 例 え ば、 蒲 生 が 社 内 安 全 運 動 を 始 あ た ころ は、 工 場 労 働 者 な ど周 囲 の者 が 蒲 生 を 「安 全 狂 」 と呼 ん で 協 力 的 な 姿 勢 を示 そ う とは しな か った の で あ るが 、1919(大. 正8)年. に開 催 され た. 最 初 の 「安 全 週 間 」は多 くの 市 民 が 参加 す る社 会 的行 事 と して成 功 を納 め、 1920年 代 に な る と、 政 府 も 「安 全 」 を政 策 と して取 り込 み始 あ る に至 る。 そ の具 体 例 は、1925(大. 正14)年. に 内務 省 社 会 局 の外 郭 団 体 と して産 業. 福 利 協 会 を設 立 した こ とや、 ま た1928(昭. 和3)年. に内 務 省 社 会 局 主 導 の. も とに 「全 国 安 全 週 間」 を 開催 す るに至 った こ とで あ る。 そ して、 多 分 に 一 般 社 会 に お い て よ り も政 府 や官 僚 た ち の頭 の 中 に こ そ、 「安 全 」 に対 す る認 識 が一 層 迅 速 に浸 透 して い った。 例 え ば、 内務 官 僚 の河 原 田稼 吉(1886∼1955年)は が新 設 され た1922(大. 正11)年. に社 会 局 第 一 部(の. 内 務 省 社 会 局(外 局) ち労 働 部)の 事 務 官 と. して工 場 法 の 改正 作 業 な どの社 会 政 策 に携 わ って い た が、 蒲 生 が 「翌 十 三 年 〔1924(大 正13)年. 堀 口注 〕 安 全 運 動 に挺 身 す る こ とを決 意 して、. 内務 省 社 会 局 の嘱 託 とな った」の も、「河 原 田稼 吉 が蒲 生 の安 全 にっ い て の 豊 富 な知 識 とた くみ な話 術 を労 働 行 政 に活 用 す るた あ、 勧 誘 した の だ った 」(941と さ れ て お り、 ここ に は 内務 官 僚 の 「安 全 」に対 す る理 解 の一 端 が 窺 え る㈲。 こ う して1925(大 会. 正14)年. に内務 省 社 会 局 の も とに財 団 法 人 産 業 福 利 協. 事 務 局 は内務 省 社 会 局 第 一 部 に置 か れ た一. が設 立 さ れ るが 、 この. 協 会 の 目的 は、「工 業 災 害 ノ防 止 、労 働 衛 生 ノ改 善 及 被 庸 者 ノ福 利 ノ増 進 ヲ 図 リ且 ツ労働 法規 ノ円 満 ナ ル施 行 ヲ助 クル」(4pこと に あ った。 つ ま り、 安 全 第q会. にお け る安 全運 動 が 「大 危 険 を未 発 に 防遇 す る」 こ とに よ って. 「不 幸 な る災 厄 を防 御 せ ん とす る」こ と に 目的 が 置 か れ て い て 、一 般 社 会 に 対 す る安 全 意 識 の 啓 発 や 高 揚 に主 眼 が 置 か れ て い た の に対 し、 産 業 福 利 協 一144(435)一.

(19) 蒲生俊文 と安全運動 会 にお け る安 全運 動 は 「工 業 災 害 ノ防止 」 な どに よ って労 働 者 の福 利 増 進 と と も に 「労 働 法規 ノ円 満 ナ ル施 行 ヲ助 クル」 こ とが 目 的 に掲 げ られ、 エ 場 法 お よ び そ の 関係 法令 実 施 の た め の労 働 行 政 を推 進 さ せ る こ とに力 点 が 置 か れ て い た。 こ う した工 場 法 を背 景 と して産 業 福 利 協 会 が誕 生 した経 緯 を 、産 業 福 利 協 会 の創 設 に 関 わ り、 そ の理 事 長 も務 あ た河 原 田稼 吉 は次 の よ うに語 って い る。. 大 正 五 年 、 工 場 法 の施 行 せ られ ま した時 分 か ら、 時 勢 の変 遷 影 響 が あ りま して、 労 働 問 題 と い う ものが 漸 次 に事 業 主 の 注 意 す る と こ ろ と な りま して、 全 国 各 地 に工 場 懇 話 会 、 工 場 衛 生 会 と い う よ うな 工 場主 の 団 体 が ポ ッ ポ ッ設 立 せ られ 、 大 正 十 四 年 に は全 国 に ほぼ普 及 し、 数府 県 を除 いて は こ の種 の団 体 の設 立 を 見 ざ る県 な き にい た った の で あ り ます 。 こ の種 工 業 主 の 団 体 は、 そ の 名称 お よ び 目的 は必 ず し も一 定 して お り ませ ん が 、概 言 す れ ば 、工 場 法 の 円満 な る施 行 を助 け、 工 場 に お け る災 害 の 予 防 、衛 生 の 改善 、 福 利 施 設 の助 長 、 能 率 の増 進 、 勤 続 の奨 励 等 を 目的 と す る もの で あ り ま して、 本 来 地 方 的 な もの で あ り ま す が、 相 互 提 携 連 絡 の機 関 と して、 全 国 的 連 合 会 を作 らん とす る の議 が 提 出 せ られ、 各 方 面 の賛 同 を得 て、 大 正 十 四 年 末 、 社 会 局 内 に産 業 福 利 協 会 の設 立 を見 る に い た った ので あ ります1971。. したが って 、 そ の組 織 も内 務 省 社 会 局 の 官 僚 に よ って 構 成 され 、 会 長 に 社 会 局 長 官 の 長 岡 隆 一 郎(1884∼1963年)㈹. 、 理 事 長 に社 会 局 第 一 部 長(の. ち労 働 部 長)の 河 原 田 稼 吉 な どが お り、 そ の 下 に常 務 理 事 と して社 会局 嘱 託 の蒲 生 俊 文 が い た の で あ る。 と こ ろで 、 安 全運 動 の主 体 が民 間主 導 か ら政 府 主 導 へ移 って い く と と も 一145(434)一.

(20) 近畿大学法学. 第49巻 第2・3号. に、 蒲 生 も安 全 第 一 協 会 な ど の民 間 の安 全 運 動 推 進 団 体 か ら官 製 な い しは 半 官 半 民 の 団体 へ 籍 を移 す こと に な るが 、 蒲 生 が 産 業 福 利 協 会 に関 わ る契 機 とな った の は、 先 に触 れ た よ うに、 内務 官 僚 の河 原 田 が 蒲 生 を 呼 び寄 せ た こ とに あ る。 しか し、 そ れ と 同時 に、 蒲 生 自身 に内 在 す る動 機 も存 在 し た。そ こ に は、民 間 人 の立 場 一一 ボ ラ ンテ ィア 的 な立 場 一 一か らで は な く、 官 の立 場 か ら安 全 運 動 に遙 進 す る こ とへ の魅 力 を 蒲 生 が 感 じて いた 点 も見 逃 す こ とが で き な い。 それ は、 以 下 に述 べ る よ う に、 出世 や社 会 的地 位 の 獲 得 の た あ で は な く、 安 全 運 動 に専 念 し、 社 会 の 「安 全 」 の た め に一 層 効 果 的 に活 動 で き る と蒲 生 が 考 え た結 果 の 選 択 で あ った と思 わ れ る。 まず 、 内在 的 な動 機 の う ち、 直 接 的 な もの と して 、1923(大. 正12)年. に. 起 き た関 東 大 震 災 の影 響 を指 摘 で き る。 蒲 生 は、 そ の 日、偶 然 に も病 気 で 会 社 を休 ん で いて 家 に い た た め、 幸 い に も死傷 せ ず に済 ん だ の で あ るが、 彼 の 多 くの 同 僚 は 会 社 で 亡 くな って しま っ た。 そ の た め、 こ の 辛 い体 験 そ れ に加 え て 、倒 壊 し稼 動 不 能 とな っ た東 京 電 気 の 工 場 の 状 況 が、彼 に東 京電 気 を 辞 あ させ る重 要 な 引 き金 とな った。これ にっ いて 彼 は、 次 の よ うに語 って い る。. 私 は大 正 十 二 年 東 京 地 方 の 大 震 災 に当 り同僚 全 部 の圧 死 に遭 い、 私 は 只 一 人 病 を以 て 自宅 に臥 床 して 居 た の で 助 か つ た こ と が深 く心 に 刻 み、 遂 に一 身 を安 全 運 動 に投 入 した(99)。. こ の辞 職 に は、 彼 が 率 い る社 内 で の安 全 運 動 を支 援 して きた上 司 の新 荘 吉 生(の. ち社 長)の 病 死1921(大. 正10)年. も少 な か らず 影 響 して. い るだ ろ う。 もう1っ の 内 在 的 な 動機 は、 間接 的 な もの で あ るが、 蒲 生 の 内面 に及 ぼ した影 響 は計 り知 れ な い。 そ れ は、 蒲 生 が東 京 電 気 の社 員 と して の本 業 の 一146(433)一.

(21) 蒲生俊文 と安全運動 傍 ら、「片手 間 の安 全 運 動 」 ン テ ィァ 的 な安 全 運 動 一. す な わ ち 、安 全 第 一 協 会 な ど にお け る ボ ラ に 取 り組 ん で い た 時 、 あ る ア メ リカ 人 女 性 か. ら、「片手 間」で はな く全 力 で 取 り組 む べ きだ とい わ れ た こ とに あ る。 これ につ い て、 蒲 生 は次 の よ うに述 べ て い る。. 最 初 私 が此 安 全 運 動 を開 始 して よ り後 片 手 間 の 仕 事 と して や つ て 来 た こ とは前 に 申 しま した、 然 る に私 が 本 来 の 使 命 に従 つ て 、 金 儲 も致 さ ず 、 凡 て の仕 事 を捨 て て 世 の嘲 笑 を も顧 み ず して 専 心 安 全 運 動 に没 頭 す る に至 つ た に付 き ま して は私 は特 に貴 国 〔ア メ リカ 合衆 国. 堀口. 注 〕 に謝 さね ば な らぬ 事 実 が あ ります 、 其 は嘗 て私 が東 京電 気 会 社 の 福 利 部 の主 脳 と して 働 いて 居 っ た 時 で あ りま す が、 ニ ユ ー ヨー クの方 で ミセ ス、 ウ ッ ドと言 ふYWCAの. 人 が 日本 女 工 の 状 況 視 察 に来 ら. れ ま して 川 崎 と申 す 処 にあ る私 の 工場 を参 観 に来 られ た こ とが あ りま した 、 私 は親 し く御 案 内 を しま した が 同氏 が其 後 神 戸 に行 か れ た 時 に 私 も神 戸 に用 事 が 有 つ て参 りま して再 会 しま した、 其 時 に 同氏 は私 に 日本 に取 つ て 最必 要 な 仕事 を御 気 付 きに な り乍 ら何 故 万 事 を批 っ て之 に没 頭 しな い の で す か と質 問 され ま した、 私 は 自分 の勇 気 の無 い こと を 恥 ぢ ま した 、其 の矢 先 に一 九 二 三 年 の大 震 火 災 に際 して其 瞬 聞 まで も親 しか っ た 同胞 が 幽 明界 を異 に す る に至 っ た あ の驚 くべ き事 実 が 私 を して生 命 の全 部 を社 会 奉 仕 に献 げ しめ る の念 を強 か ら しめ る に至 っ た の で あ りま して、 私 が天 の使 命 を 自覚 し没 頭 す る に至 た に付 いて は 貴 国 に感 謝 し殊 に ミセ ス、 ウ ッ ドに感 謝 しな けれ ば な りませ ん ㎝。. 蒲 生 は キ リス ト教 に対 す る理 解 は あ っ た もの の、 キ リス ト教 を 信 仰 の 対 象 と して い た わ け で は な い。 しか し、 彼 自身 、 自 己の 利益 や 保 身 の こ とを 優 先 させ る こ とを潔 し と しな い性 格 で 、 「不 正 を許 さ ぬ 性 格 か ら世 故 に と 一147(432)一.

(22) 魑、 瓶棚. 近畿大学法学. 第49巻第2・3号. り入 ろ う と しな か った」彼 の父 ・蒲 生 俊 孝 の気 質 を受 け継 ぎ、「地 方 の裁 判 官 で一 生 を終 え た」 父 同様6D、 蒲生 俊 文 もそ の頑 固 な ま で に誠 実 な気 質 で も って安 全運 動 に生 涯 を捧 げ た とい え る。 そ こに は一 種 の厳 粛 な宗 教 的 雰 囲気 す ら感 じられ るの で あ る。. 4蒲. 生俊文 と官製安全運動. 前 述 した よ うに、 日本 に お け る労 働 災 害 防 止 運 動 と して の安 全 運 動 の 出 発 点 は、現 在 ま で続 く安 全 運 動 の系 譜 を遡 れ ば1914(大 着 くが、そ れ は個 別 の工 場 で の社 内 安 全 運 動 一 と呼 ぶ もの6Dに. 正3)年. 蒲 生 が 「個別 的安 全 運 動 」. 留 ま って い た。 しか し、1917(大 正6)年. 動 と して の安 全 運 動 一. まで 仙 り. に は、社 会 運. 蒲 生 が 「社 会 的 安 全運 動 」 と呼 ぶ もの㈹一. が始. ま りを告 げ る。 と こ ろ で、 この 社 会 的 安 全 運 動 が 展 開 す る1917年 以 降 の 時 期 安全運動 推進 団体 の変遷働 安全第e会1917年. ∼21年. (省略) 1. 1中央労鰍. 害防止協会11964年 一粧 一148(431)一. ただ. ■■.

(23) 蒲生俊文 と安全運動 し、戦 前 期. は2っ の時 期 に 区分 で きる。 つ ま り、 民 間 主 導 に よ る安 全. 運 動 の 時期(1917∼1925年)と ∼1945年)で. 政 府 主 導 に よ る官 製 安 全 運 動 の時 期(1925. あ る。. 上 図 で は、 二 重 線 で囲 ん だ団 体 が 政 府 主 導 に よ る官 製 安 全 運 動 を 推 進 し た 中心 的 な団 体 で、 官 製 団 体 も し くは半 官 半 民 団 体 で あ る。 実 際、 産 業 福 利 協 会 は内 務 省 社 会 局 の外 郭 団 体 で あ り、 蒲 生 自身 が 次 の よ うに語 って い る よ うに、 内 務 省 社 会 局 と密 接 な関 連 も保 ちつ つ 活 動 した 「別 働 隊 」 で あ った 。. 其 後 日本 政 府 の社 会 局 が 産 業 災 害 予 防 の 為 め に特 に尽 力 す る こ と にな りま して私 は同 局 の仕 事 に参 加 す る こ と にな りま した 。 … … 私 共 は法 規 〔 工場法等. 堀 口注 〕 の強 制 と は別 に所 謂 安 全 運 動 の 必 要 を 痛 感. し其 使 命 の重 大 な る こと を宣 揚 せ ん とす る もの で あ り ます 、 従 て 我 々 は社 会 局 の別 働 隊 と して 産 業 福 利 協 会 を 組 織 して 私 は其常 務 理事 を 致 して居 ります 。 産 業 福 利 協 会 組 織 以 来 日本 に 於 け る産 業災 害 予 防 の社 会 運 動 の主 要 機 関 とな り著 しき進 歩 を 来 した の で あ り ます 、 … …㈲。. ま た、 協 調 会 も、 床 次 竹 二 郎 内 務 大 臣 が主 唱 し、 財 界 の重 鎮 で あ った渋 沢 栄 一 らが協 力 して 設 立 した官 製 組 織 で あ りas、これ まで 内務 省 社 会 局 の 下 で 活 動 して きた 産 業 福 利 協 会 は協 調 会 に 吸収 さ れ る こ とに な り、 名 称 を 産 業 福 利 部 と改 め る こ と とな った。 そ して、 この 「産 業 福 利 部 は 内務 省 社 会 局 監 督 課 長 北 岡 寿逸 氏 を 部 長 に 嘱託 し、 元 産 業 福 利 協 会 常 務 理 事 蒲 生 俊 文 氏 を 副 部 長 と して 」、 「財 団 法 人産 業 福 利 協 会 よ り継 承 した る事 業 と本 会 〔 協調会一. 堀 口注 〕の在 来 の事 業 の一 部 とを併 合 し、工 場 災 害 の防 止 、労. 働 衛 生 、 産 業福 利 施 設 、労 働 管 理 等 に 関 し其 の改 善 進 歩 を図 り、 当業 者 の 諮 問 に応 じ以 て産 業 平 和 、産 業 協 力 の助 長 促 進 を期 す る」 目的 を も って、 一149(430)一.

(24) 近畿大学法学. 第49巻 第2・3号. 1936(昭 和11)年4月1日. に そ の事 務 を開 始 した㎝。. そ の後 、 蒲 生 は1937(昭. 和12)年3月31日. 部 長 に就 任 す る と と もに同 年4月30日 協 調 会 の主 唱 一. に北 岡 寿 逸 に代 って 産 業 福 利. に常 務 理 事 とな るが 、 翌 年7月. と くに河 原 田稼 吉 が 熱 心 に唱 え た. には. に よ り産 業 報 国連. 盟(本 部 は協 調 会 内 に置 か れ た)が 発 足 し、 産 業 報 国 運 動 が 進 展 す るに 従 い、1939(昭. 和14)年. に は 「産 業 報 国 運 動 の 指 導 権 は政府 の手 に完 全 に握. られ」て しま った こ とか ら、「協 調 会 に産 業 報 国 連 盟 を 緯 っ て解 散 論 と存 続 論 との意 見 の対 立 を生 ず る に至 り、 協 調 会 の 創 立 以 来 の 危機 を 孕 む に 至 っ た」 ので あ る鮒。 そ して 、1940(昭 和15)年11月. 、 「半 官 半 民 的 な 産 業報 国連 盟 を解 散 して. 政 府 の一 員 た る厚 生 大 臣 を 指 導 者 とす る大 日本 産 業報 国会 中央 本部 の成 立 を見 る に至 っ た」 こ とを受 け、「昭和 十 六 年 三 月 三 十 一 日 に は本 会 〔 協調会 一. 堀 口注 〕産 業福 利 部 の廃 止 の結 果 蒲 生 俊 文 氏 が常 務 理 事 を辞 任 し」伍9) 、. 蒲 生 が 大 日本 産 業 報 国 会 労 務 局 安 全 部 長 に就 くこ とに よ り、 協 調 会 産 業 福 利 部 の業 務 は実 質 的 に大 日本 産 業 報 国 会 へ 移 行 した。 こ う して 、 大 日本 産 業 報 国 会 は協 調 会以 上 に官 製 色 が 強 ま り、 政 府 関係 者 が 多 数 、 組 織 の 役 員 と して 加 わ るな か で 、協 調 会 の労 資協 調 路 線 を さ ら に進 あ、 労 資 一 体 と い う理 念 の も とで 「政 府 ト協 力 シテ産 業 報 国 運 動 ヲ全 国 的 二」 展 開 して い く官 製 団 体 と して の性 格 を一 層 強 あ て い った㈹。 した が って 、 戦 前 にお い て は、1917(大. 正6)年. か ら1925(大 正14)年. まで は民 間 主 導 の 安 全運 動 が 、1925(大 正14)年 か ら敗 戦 の1945(昭 和20) 年 まで は政 府 主 導 の安 全運 動 が展 開 され た わ け で あ る が、 こ こで興 味 深 い 点 は、 蒲 生 自身 、社 会 的安 全運 動 が始 ま った1917年 以 降 の民 間 主 導 の安 全 運 動 の 第 一 線 に立 って 活躍 す るだ け で な く、1925年 以 降 の政 府 主 導 の安 全 運 動 にお い て も実 質 的 に 陣頭 指 揮 を と って い た点 で あ り、 この意 味 に お い て 、 蒲 生 の 戦 前 の経 歴 を語 る こ とは、 そ の ま ま戦 前 の安 全 運 動 の歴 史 にっ 一150(429)一.

(25) 蒲生俊 文 と安 全運動 い て語 る こ と に な る ので あ る。. お わ り に. こ れ まで 述 べ て き た結 論 を 要 約 す れ ば 、次 の通 りで あ る。 まず 、 蒲 生 俊 文 が1914(大. 正3)年. に東 京 電 気 株 式 会 社 に お け る社 内安. 全 運 動 に取 り組 み 始 め た 理 由 と して 指摘 で き る こ と は、 次 の7点 で あ る。 (1)1914(大. 正3)年. の 東 京電 気 にお け る職 工 の感 電 死 亡 事 故 の発 生. (2)先 行 す る 日本 にお け る安 全 運 動(足 尾 銅 山)の 存 在 の認 識 (3)蒲 生 の 感受 性 豊 か な性 格 と若 い 時 の体 験 に基 づ く克 己心 の存 在 (4)東 京電 気 にお け る上 司 ・新 荘 吉 生 らの理 解 や支 援 (5)東 京電 気 の増 産 体 制 の下 で の新 人 工 員 の急 増 とそ れ に と もな う労 働 災 害件 数 の増 加 (6)労 働 争 議 の多 発 化 (7)施 行 目前 に迫 った工 場 法 の存 在 次 に、 蒲 生 俊 文 が1925(大. 正14)年. に官 製 安 全 運 動 に身 を投 じる重 要 な. き っか け とな った事 柄 と して指 摘 で きる こと は、 次 の3点 で あ る。 (1)内 務 官 僚 の河 原 田稼 吉 が 蒲 生 を内 務 省 社 会 局 に呼 び寄 せ 、 そ の 外 郭 団体 で あ る産 業 福 利 協 会 に お け る安 全 運 動 を 担 当 させ た こ と (2)関 東 大 震 災 で九 死 に一 生 を得 た蒲 生 の体 験 (3)ミ. セ ス ・ウ ッ ドとの 出会 いが 蒲 生 を 、 社 会 奉 仕 と して の 安 全 運 動 に. 全 力 で取 り組 む よ う啓 発 した こ と 最 後 に、 以 上 の結 論 と は別 に、 蒲 生 俊 文 と安 全運 動 との結 び っ きに っ い て、 世 代 論 的 あ る い は時 代 背 景 的 な 観 点 か ら一言 だ け述 べ て お きた い。 1883(明 治16)年. に生 れ た 蒲 生 は、 そ の 前 後 に 出生 した人 物 との興 味深. い世 代 的 共 通 点 が 見 出 され る。 もち ろん 、 この世 代 か ら は、 北 一 輝(1883 一151(428)一.

(26) 近 畿 大学 法学. 第49巻 第2・3号. 年 生 まれ)か ら大 杉栄(1885年 生 ま れ)ま で、あ るい はま た志 賀 直哉(1883 年 生 まれ)か. ら東 条 英 機(1884年. 生 まれ)ま で 多 様 な 人 材 が 輩 出 され て お. り、 包 括 的 に規 定 す る に は、 い さ さか 無 理 は あ るが 、 そ れ を 承 知 の 上 で 、 蒲 生 に比 較 的近 か った人 物 を幾 人 か 挙 げて み れ ば、 あ る一 っ の 共通 項 そ れ は同時 に、 時 代 的 な共 通 項 で もあ るが一. が 浮 か び上 が って くる。. 例 え ば 、友 愛 会 を 結 成 し労 働 組 合 運 動 を 主 導 した鈴 木 文 治 ㈹(1885年 生 ま れ)、青 年 団運 動 に取 り組 む と と もに、蓮 沼 門 三 が 設立 した修 養 団 に も参 加 した 内務 官 僚 の 田沢 義 鋪 働(1885年 生 ま れ)、 「私 達 の社 会 」 と い う社 会 連 帯 思 想 を 鼓 吹 し駄 「社 会 局 生 み の親 」㈹ で 社 会 局 長 も務 め た 田 子 一 民 (1881年 生 まれ)、 蒲 生 俊 文 を 社 会 局 に誘 い、 また 産 業報 国運 動 を推 進 した 内務 官 僚 の河 原 田稼 吉 ㈲(1886年 生 ま れ)ら が い る(667。 この世 代 の特 色 を敢 え て一 言 で いえ ば、 「連 帯 」 や 「団 結 」 に あ る と い って よ い。 蒲 生 もまた 、 この世 代 の特 色 を 確 実 に身 に付 けて いた 。 したが って 、 この 連 帯 や 団 結 を 重 視 す る世 代 の一 人 と して蒲 生 が安 全 運 動 に取 り組 ん だ こ と は、 この 意 味 で 自然 な成 り行 きで あ った。 蒲 生 は、 自 分 が 取 り組 ん だ 安 全 運 動 を 「社 会 的 安 全 運 動 」 と表 現 して い た が、そ れ は、 「社 会 」を名 に冠 した当 時 の流 行 語 あ る い は当 時 、使 わ れ 出 した名 称 一. 例. え ば 、 社 会 主 義 、 社 会 連帯 主 義 、社 会政 策 、 社 会 事 業 、 社 会 課(内 務 省 地 方 局)、 社 会 局(内 務 省)等. 々一. に見 られ る よ う に、 「社 会 」 を強 く意 識. した社 会 改 良 運 動 の一 っ で あ った とい え よ う。. 注 (1)全 ②. 日本 産 業安 全連 合 会編 集 ・発 行 『 安 全 運 動 の あ ゆみ 』1963年 、11ペ ー ジ。. 中 央 労働 災 害 防止 協 会 編 集 ・発 行 『安 全 衛 生 運 動 史 一 場 へ の 七 〇年 一. 労 働 保 護 か ら快 適 職. 』 ユ984年、35ペ ー ジ。. (3)同 書 、34ペ ー ジ。 (4)例 え ば、 前 掲 『 安全衛生運動史一. 労 働 保 護 か ら快 適 職 場 へ の 七 〇 年 一. 一152(427)一. 』.

(27) 蒲生俊文 と安全運動 で は、 蒲 生 にっ いて 限 られ た紙 面 と労 力 の中 で 熱 心 に資 料 が 集 め られ 、 蒲 生 の 安 全 運 動 へ の 取 り組 み に っ い て、 ほ ぼ妥 当 な 記 述 とあ る程 度 、 正 当 な評 価 が な され て い る とい って よ い と思 うが 、 蒲生 そ の人 を考 察 の対 象 と しよ うとす る場 合 に は不 満 が 残 らざ るを得 な い。 ただ し、 この点 を同 書 に求 め る の は過 大 な要 求 で あ り、 この小 論 が少 しで もそ の埋 め合 わせ をで き れ ば と考 えて い る。 (5)小 田 川 は1912(明 治45)年 、「安 全 専 一 」運 動 と名 付 け て銅 山 に お け る安 全 運 動 を 展 開 した。 この点 に っ き、 差 し当 た り、 同書 、35∼36ペ ー ジ、 参 照 。 ㈲. 蒲生 自身 、 次 の よ う に説 明 して い る(蒲 生 俊 文 「日本 に於 け る我 が 安 全 運 動 と其 哲 学 」、 芦 野太 蔵 編 集 ・発行 『 安 全の闘将 ペ ー ジ)。. 蒲生 俊 文 先 生 』1930年 、11∼12. 日本 に 於 け る近 代 的 意 義 に於 け る安 全 運 動 の 発 生 は之 を個 別 的 安 全 運 動 と社 会 的安 全 運 動 とに分 っ て之 を述 べ て見 度 い と思 ひ ます 、 薙 に近 代 的 意 義 に於 け る安 全運 動 と申 した の は世 界 一 般 に認 め られ た る近 代 的 の方 法 と 形 式 と を通 じて発 現 さ れ た 処 の安 全 運 動 と言 ふ 意 味 と御 承 知 置 を 願 ひ ま す、(第 一)に 個 別 的 安 全 運 動 と 申 した の は社 会 的 一 般 的 連 絡 提 携 な し に 個 々 の各 工場 鉱 山 等 が 単 に其 勢 力 範 囲 内 に於 て 実 行 した処 の安 全 運 動 の一 形 式 を言 ふ の で あ りま す、 之 は 已 に一 九 一 四 年 に我 日本 の工 場 内 に実 行 さ れ て居 りま す、 其 当時 私 は 日本 の東 京 電 気 株 式 会 社 の福 利 部 の 主 脳 と して 働 い て居 つ た の で あ ります が、 仮 令 其 率 は他 の工 場 に比 して 少 い もの で あ っ た と して も之 を皆 無 な ら しむ べ き努 力 が 必 要 で あ る と考 へ て 工 場 内 に安 全 運 動 を開 始 した ので あ ります 、 一 日電 気 を 取 扱 ふ 職 工 が 感 電 して 倒 れ た と云 ふ 報 告 に接 して現 状 へ 馳 せ 付 け た ので あ り ま した が 、 最 早 や 呼 吸 は止 ま っ て即 死 の状 態 を見 た私 は、 悲 哀 の感 が 胸 に充 ちて 涙 を 以 て 蔽 はれ た 眼 は之 を見 る こ とが 出来 なか っ た ので す 、 私 が 安 全 運 動 の 為 め に努 力 せ ん と す る心 は愈 々深 く成 た ので あ り ま した 、 又 足 尾 銅 山 に於 て は其 当 時 所 長 小 田川 工 学 博 士 が 主 唱 して 安 全 運 動 が 行 はれ て 居 り ま した 、 私 は其 当 時 か ら 雑 誌 等 に 日本 に社 会 的 安 全 運 動 が 起 らな けれ ば な らぬ 、 社 会 の 先覚 者 は此 の安 全 運 動 に対 して 心 血 を 注 が な けれ ば な らぬ 、 而 して 何 等 か の形 式 で 公 の機 関 が 作 られ な けれ ばな らぬ こ とを 主 張 して 居 っ た の で あ りま した、 私 が 称 して 社 会 的 安 全 運 動 とす る もの は前 台 湾 総 督 内 田 嘉 吉氏 が、 一 九 一 六 年 合 衆 国 よ り帰 りてSafetyFirstの. 宣 伝 を 開 始 した の と協 力 して翌 年 安. 全 第 一 協 会 が 組 織 され た の に始 ま り ます 。 (7)例 え ば、『コ ンサ イ ス 日本 人 名 事 典 』改 訂 新 版 、三 省堂 、1993年 、183ペ ー ジ。 (8)日 本 経 済 新 聞 社 編 集 ・発 行 『私 の履 歴 書. 経 済 人6』1980年. 、 に所 収 さ れ て. い る三 村 起 一 執 筆 の 「私 の 履 歴 書 」。 (9)一 例 を 挙 げれ ば 、蒲 生 俊 文 著 『 安 全 運 動 三 十 年 』(奨 工 新 聞社 、1942年)の 3章 以 下 で 、「第 三 章 「第 六 章. 安 全 と能 率」 「 第 四章. 安 全 方 策 」「第 七 章. 安 全教 育 」 「附. 一153(426)一. 安全調査」「 第五章. 第. 災害統計」. 工 場 危 害 予 防及 衛 生 規 則 」 に お.

(28) 1ヤ、 煽 閏噛. 近畿大学法学. 第49巻 第2・3号. いて 、 極 めて 具 体 的 な安 全 対 策 の 実 施 要 領 につ いて 詳 細 して い る。 しか も、 こ の 本 は、 そ の書 名 が示 す よ う に、 安 全運 動 の歴 史 を振 り返 って書 か れ た もの で あ る に もか か わ らず 、 それ に該 当 す る内 容 は、 わず か に第1章. の 「 我国安全運. 動 の 沿 革 」 に留 ま り、 しか もそ れ に割 か れ た ペ ー ジ数 は わ ず か に76ペ ー ジ で、 本 書 全 体 の2割 に も満 た な い。 (1① 前 掲 『安 全運 動 の あ ゆ み』、150∼152ペ ー ジ。 (11)掲 載年 は1962(昭. 和37)年. で 、 当時 の肩 書 き は石 油 資 源 開 発 社 長(三 村 起 一. 「私 の 履歴 書 」、 前掲 『 私 の履 歴 書 働. 経 済 人6』 、 所 収)。. た だ し、 内 田 嘉 吉 の 履 歴 にっ いて は、 人 名 事 典 よ り も、 故 内 田嘉 吉 氏 記 念 事 業実 行 委 員編 集 ・発 行 『内 田 嘉 吉 文 庫 稀 襯書 集 覧 』1937年 、 所 収 の略 伝 お よ び 年譜 が最 も詳細 な もの で あ ろ う。. ㈱. 「(蒲生 俊 文 の)晩 年 は、必 ず し も社 会 的 に恵 ま れ ず、 む しろ うとん じ られ た」 とい わ れ る(「蒲 生 俊 文 、人 と生 涯 」、『週 刊. 保 険 六 法 』 昭 和52年6月17日. 、5. ペ ー ジ)。 (1の 蒲 生 は政 治学 科 出 身(東 京 帝 国大 学 法 科 大 学)で は あ るが 、 同期 卒 業 生 で は、 む しろ法 律 学 科 出身 の鳩 山一 郎 が政 治 家 と して活 躍 して い る点 が 興 味 深 い。 (15)前 掲 「蒲生 俊 文 、人 と生 涯 」(前 掲 『週 刊. 保 険 六 法 』所 収)に よ れ ば、「父 俊. 孝 は地 方 の裁 判 官 で一 生 を終 え た が、 不 正 を許 さ ぬ性 格 か ら世 故 に と り入 ろ う と しな か った とい わ れ る」。 (16)蒲 生 俊 文 の死 後1年. 目に建 て られ た 墓 石 に 彼 の 長 男 で あ る蒲 生 俊 仁 が 刻 ん だ. 「 墓 誌 」 に は、 「父 ハ 明 治 十 六 年 四 月 九 日野 州 宇 都 宮 二生 ル 。 … … 昭 和 四 十 一 年 九 月九 日遂 二魂 碗 天 二帰 ス鳴 呼 。 享 年 八 十 三 歳 。」 と あ る。 ㈲. 蒲 生 俊 文 の履 歴 書 な ど を手 掛 か りに整 理 した。. (18)詳 細 は、 拙論 「近 代 日本 にお け る安 全 運 動一 畿 大 学 教 養 部 紀 要 』 第32巻 第1・2号 ⑲. 内 田嘉 吉 「 安 全 第一 主 義、 人 道 の 為 鼓 吹 」、 『東 京 朝 日新 聞 』1916年8月4日 (『朝 日新 聞 〈 復 刻 版>50大. ⑳. そ の誕 生 ・背景 ・思 想 」、 『近. 、2000年12月 、 を 参 照 。. 正 五 年 八 月 』 日本 図 書 セ ンタ ー、1990年 、 所 収)。. 三 村 起 一 は住 友 伸 銅 所 で安 全 運 動 を 「大正 五 年 に始 あ た」 と い う こ とで あ る が、「当時 日本 に は ま だ組 織 的 な安 全 運 動 は なか った 。参 考 書 もな い。た また ま 入 手 した米 国 の安 全 パ ンフ レ ッ トを も とに して工 場 安 全 運 動 を や や組 織 立 て て 現 場 に実 施 し、 こ の道 に挺 身 して い た東 京 電 気 の 蒲 生 俊 文 君 と東 西 呼 応 して 安 全 運 動 を起 こ した。い わ ば 日本 の産 業 安 全 運 動 の草 分 け時 代 で あ る。」 と彼 自身 語 っ て い る(三 村 起 一 「私 の履 歴書 」、前 掲 『 私 の履 歴 書. 経 済 人6』 、316ペ ー. ジ)。 こ の文 中 に あ る 「東 京 電 気 の 蒲 生 俊 文 君 と東 西 呼 応 して 」 とい う事 柄 にっ いて は、「大 正 六 年 、安 全 管 理 の進 ん で い る事 業 場 を 視 察 、研 究 す るた め 上 京 し た住 友 伸 銅 所 の 三 村 起 一 は、一 高(旧 制)以 来 の恩 師 で あ り、静子 夫人 との媒 酌 人 で も あ る新 渡 戸 稲 造 か ら も見 学 を す す め られ て 東 京電 気 を訪 れ た 。 当時 、 東 京 帝 国 大 学 で 植 民 地 政 策 を 講 義 して いた 新 渡 戸 は、 寄生 虫 の研 究 を通 じて 東 京. 一 ユ54(425)一.

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