• 検索結果がありません。

「例外状態」の政治的構成とその経路依存性--「政治改革」および「政治主導」の帰結

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "「例外状態」の政治的構成とその経路依存性--「政治改革」および「政治主導」の帰結"

Copied!
24
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)Mem. Faculty. B. O. S. T. Kinki University No. 34 : 47 〜 70 (2014). 47. 「例外状態」の政治的構成とその経路依存性 ―「政治改革」および「政治主導」の帰結― 新田和宏 1 キーワード:「政治改革」 、 「政治主導」、 「例外状態」 、政治的構成、経路依存性 1. はじめに わが国の「政治改革」は、一方において政権交代による民主党政権の誕生と「政治主導」の失敗、他方 においてその民主党から政権を奪い返した自民党第 2 次安倍政権の「政治的リーダーシップ」による集団 的自衛権行使容認、という政治状況を招来した。冷戦が終結した 1989 年は、日本の「政治改革」がスター トした年でもあった。爾来、約四半世紀にわたり、新しい政治の世界において取り組んできた「政治改革」 は、 「例外状態」を帰結するに至った。 「異常事態」を予期させながら、 「普通状態」を「例外状態化」しつ つある政治過程は、今後、 「新権威主義レジーム」を生成する可能性を胚胎しているのか。本稿はこうした 現代日本政治を省察する。 2. 問題の所在 日本の政治の世界に「新しい右翼」という妖怪が徘徊している。A 級戦犯の指定から解除された後、社 会党右派に接近しながら「国家社会主義者」を自称した経歴をも持ち、 「昭和の妖怪」と称された、岸信介 首相の母方の孫にあたる安倍晋三を首班とする第 2 次安倍政権の登場は、民主党から自民党へ再び政権が 交代した日本政治に、 「新しい右翼」という妖怪を解き放すことに寄与した。2013 年 9 月 26 日、安倍は、 ニューヨークにある保守系のシンクタンク「ハドソン研究所」において、 「私を右翼の軍国主義者とお呼び になりたいのであれば、どうぞ、そうお呼び頂きたい」と大見得を切った。安倍が嚮導する「戦後レジー ム」からの脱却を目指す圧力の高まりにしたがい、これまで封印されてきた「パンドラの箱」が開き、そ の禁断の箱の中に長らく閉じ込められてきた軍国主義の亡霊がまたぞろ蠢動しはじめたというよりも、む しろ「新しい右翼」というべき妖怪が我が世の春を謳歌しつつある。 「新しい右翼」という妖怪は随所に現 れている。ネット空間において、死語同然となっていた、 「非国民」や「国賊」 、 「売国奴」 、および「反日」 といった攻撃的・排他的な右翼的言辞が飛び交い、また新大久保や鶴橋では在特会(在日特権を許さない 市民の会)によるあからさまな人種差別のヘイト・スピーチが喧しい。 『文春』や『新潮』および『SAPIO』 などの週刊誌の新聞・車額広告には、右翼団体の街宣ビラと見間違えるほどの激越な嫌韓・嫌中の言辞が 毎週のごとく掲載されている。2014 年 3 月 8 日、J リーグの開幕戦が行われた浦和レッズの本拠地「さい たまスタジアム」のコンコースに、日章旗や旭日旗と併せて、FIFA(国際サッカー連盟)が厳しく禁止し ている民族・人種差別に該当するところの、 「Japanese Only」と書かれた横断幕が公然と掲げられた。 2014 年 2 月 9 日、東京都知事選の最中、元航空幕僚長の田母神俊雄候補を支援する作家で NHK 経営委 員の百田尚樹が、公衆の面前で、脱原発を主張する小泉純一郎元首相が応援する細川護煕候補を含め、他 の候補者を「人間のくず」呼ばわりをした。2 月 12 日、衆議院予算委員会において、百田の発言に対しコ 原稿受付 2014 年 6 月 13 日 1. 近畿大学生物理工学部 教養・基礎教育部門 〒649-6493 和歌山県紀の川市西三谷 930.

(2) 48. Memoirs of The Faculty of B. O. S. T. of Kinki University No. 34 (2014). メントを求められた安倍首相は、そのようなコメントを求めること自体に辟易するような態度を示しなが ら、 「傷付くような話ではない」と一蹴した。構造改革という名の新自由主義改革を推し進めた小泉純一郎 首相の後継者(ポスト小泉)に指名された安倍晋三が組閣した第 1 次安倍政権の時、 「美しい国」に自己陶 酔を示す一方で、 「KY」すなわち「空気が読めない」パーソナリティとして安倍は論難されたが、一転し て、いまや右から吹き込む支配的な「空気」を受けながら、アベノミクスを主唱する安倍政権は順風満帆 の航海に成功しているといえよう。自らが「再チャレンジ」をはたした安倍にとって、第 1 次安倍政権時 における投げ捨て的な辞任という失態は、最早、忘却されるべき過去の汚点でしかないのかも知れない。 「白熱教室」で著名なハーバード大学のマイケル・サンデル教授の薫陶を受けた千葉大学の小林正弥教 授は、第 2 次安倍政権を、 「戦後の親米的保守政治の復活というよりも、むしろ戦前の国粋主義的右翼政治 の再生」と捉え、かつまた丸山眞男が提示した「下からのファシズム」と「上からのファシズム」という 議論を援用しながら、第 2 次安倍政権により「上からの右翼的体制変革」の可能性が高まったと指摘して いる(小林 2014) 。 本稿は、第 2 次安倍政権の性格を、戦争放棄、武力行使禁止および恒久平和を規定した憲法 9 条から、 牽強付会にも、集団的自衛権の行使容認を導出するというような、平和憲法秩序を超越する「例外状態」 を構成しながら、併せて国家権力の強化、および自由・人権および民主主義の縮減を計り、さらに「新権 威主義レジーム」を志向する政権と捉えて議論を展開する。この議論は、第 2 次安倍政権を理解する上で も、また冷戦終結後の日本政治、とりわけ「政治改革」を理解するためにも、そしてポスト第 2 次安倍政 権というべき今後の日本政治を展望するにあたっても、極めて重要な議論であると考える。冷戦終結後、 四半世紀の間、日本の政治学は、新しい政治の世界を、権力政治(パワー・ポリティクス)の視点から捉 えるのではなく、全員参加型・協調型のガバナンスによる政治的実践として、非権力的に捉える社会工学 的・政策学的な分析傾向が拡張した。そのため、旧来の政治学の伝統的なテーマである国家権力、就中、 物理的強制力に担保された国家権力の「暴力性」、国家権力の濫用とその掣肘、そして国家権力と戦争との 関係性が死角に入ってしまった。しかしながら、 「国家を縛る」立憲主義を軽んじる第 2 次安倍政権は、久 しく忘れかけていた国家権力とその強化について、真正面から省察しなければならない喫緊の政治学的課 題を提起したともいえよう。 そこで、本稿は、まず、冷戦終結後約四半世紀にわたり取り組まれてきた「政治改革」の一つの帰結と して、第 2 次安倍政権が登場した点を、政治史的アプローチを通じて押さえる。次に、第 2 次安倍政権が、 「例外状態」を政治的に構成しながら、歴代の自民党政権がついぞ成し遂げられなかった集団的自衛権の 行使容認に踏み切る中で、国家権力を強化する在り方について議論を展開する。しかし、その「例外状態」 は脆弱ではないが必ずしも盤石とはいえない中で、第 2 次安倍政権の「例外状態」を補強している要因に ついて議論する。最後は、今後の政治の世界に、 「例外状態」が「負の政治的遺産」を埋め込み、拘束力の 強い経路依存性の影響を残しつつ、 「新権威主義レジーム」が生成する可能性を展望する次第である。 3. 政治改革の帰結としての第 2 次安倍政権 2012 年 9 月、自民党第 20 代総裁選に勝利した安倍晋三は、続く 2012 年 12 月の衆院選において自民党 の圧勝を導き、民主党から政権を奪取することに成功した。再び首相の座に返り咲いた安倍は、第 1 次安 倍政権の時(2006 年 9 月~2007 年 9 月)と同様に、平和憲法を改正し自主憲法を制定する政治的野望を露 わにした。安倍は、平和憲法改正/自主憲法制定という野望を実現することで「歴史に名を残したい」と いうわけであるから、安倍の権力欲は尋常なものではない。その安倍の権力欲の源泉を辿れば、それは右 翼的情念に行き当たる。敗戦により無条件降伏を強いられた日本国は、戦勝国から屈辱的な平和憲法を押.

(3) 49. し付けられたが故にその平和憲法を改正して、日本国は日本の歴史と伝統および文化に適い、かつまた軍 事力を行使しえる、自主憲法を制定すべきという情念が自民党右派の中でも安倍は人一倍強い。2012 年の 衆院選に引き続き 2013 年 7 月の参院選に勝利した第 2 次安倍政権は、衆議院の解散がない限り、2016 年 夏の参院選まで、およそ 3 年間にわたり国政選挙のない期間を過ごすことになるわけであるから、当分の 間は選挙対策に腐心する必要もなく安泰でいられる。5 年 5 ヶ月に及んだ小泉純一郎政権以降、およそ 1 年ごとに 6 人の首相(安倍晋三・福田康夫・麻生太郎・鳩山由紀夫・菅直人・野田佳彦)が入れ替わり、 いずれも不安定な短命政権に終わったのに較べ、第 2 次安倍政権(以下第 2 次安倍政権を単に安倍政権と 表記する場合もある)は、久々の長期安定政権が確約されている。いま、内閣総理大臣という政権のトッ プに君臨することが長期間保障されている安倍は、これまでの「政治改革」によって確立された「政治主 導」に立脚しながら、安倍本人が多言するところの「政治の強力なリーダーシップで国を守る」ことで、 日中・日韓関係が一段と悪化する東アジア情勢を背景に、自らの政治的野望を実現しえる絶好の機会を手 にしたのである。正に、安倍は権力の絶頂にあるといえる。 中国の軍事的プレゼンスが高まる中、とりわけ尖閣諸島の領有権をめぐり日中間で軍事衝突が起こりか ねない事態に備え、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認を主張する安倍首相は、2014 年 2 月 12 日、衆議院予算委員会において、「 (憲法解釈)の最高責任者は私だ。私たちは、選挙で国民の審判を受け る」と答弁したが、それに先立つ 2 月 5 日の同委員会で、 「集団的自衛権行使は可能という判断は、政府が 新しい解釈を明らかにすることが可能であり、憲法改正は必要がない」と言い切った。 選挙を通じて国民の審判を受け、主権者から信託を受けた以上、内閣総理大臣安倍晋三こそが憲法解釈 における最高責任者であって、それ故に、憲法改正に及ばなくとも、政府による解釈改憲によって、集団 的自衛権の行使が可能なのであるという見解を示したのである。しかしながら、憲法 9 条から、同盟国の 戦争に援軍を送り自衛隊が武力を行使することを容認する集団的自衛権を導出することは、牽強付会なる 明らかな詭弁である。したがって、憲法 9 条に対する歴代政府および内閣法制局の憲法解釈を乗り越え、 平和憲法の憲法秩序を超越し、集団的自衛権の行使容認を「合憲化」する詭弁は、最早、憲法解釈の次元 ではなく、第 2 次安倍政権における政治的意思の次元の問題なのである。このようなことを実現可能とす るのは、今日の政治状況を「例外状態」として演出する、安倍晋三の政治的リーダーシップにあるといえ る。 ところで、安倍の発言に接すると、かつてカール・シュミットが『政治神学』において、 「主権者とは、 例外状態(Ausnahmezustand)に関して決定を下す者をいう」(シュミット 1922=1971:11)という有名な 一文を思い起こす。また、シュミットは、 「この主権者は、現に極度の急迫状態であるかいなかを決定する と同時に、これを除去するために何をなすべきかをも決定するのである」とも指摘する(シュミット 1922=1971:13) 。ここでシュミットが言うところの「主権者」を、「主権の存する国民」 (日本国憲法第 1 条)ではなく、その国民から信託を受けた内閣総理大臣安倍晋三と置き換えてみることは妥当である(1)。 加えて、シュミットは『独裁』で次のように指摘する。 主権独裁は、既成秩序全体を、その行動によって除去すべき状態とみなす。主権独裁は、現行憲法に もとづく、つまりは憲法上の、ひとつの法によって現行憲法を停止するのではなく、憲法が真の憲法と しての姿でありうるような状態を作りだそうと努めるのである。したがって主権独裁は、現行憲法にで はなく、招来されるべき憲法にもとづくのである(シュミット 1921=1991:157) 。 この『独裁』に記述された、シュミットの主権独裁による憲法制定の一文は、驚くほど、安倍晋三の手.

(4) 50. Memoirs of The Faculty of B. O. S. T. of Kinki University No. 34 (2014). 法に当てはまる。安倍の解釈改憲による集団的自衛権の行使容認は、決して現行憲法である日本国憲法を 停止しようとするものでないが、 「真の憲法としての姿でありうるような状態を作りだそうと努める」もの なのである。それ故に、シュミットに言わせれば、安倍の言動は、先に指摘した、詭弁を以てして憲法 9 条から集団的自衛権行使容認を導出しているというよりも、 「招来されるべき憲法」すなわち自民党の「日 「憲法制定権力は政治的意思である」と考えるシュミ 本国憲法改正草案」に基づいている、と(2)。また、 ットにおいて、 「あらゆる真の憲法闘争は、憲法制定権力の意思そのものによってのみ決着をつけることが できる」わけであるが(シュミット 1928=1974:98-100) 、日本国憲法を改正する前段階、したがってまた 集団的自衛権の行使を是認する「日本国憲法改正草案」を基に新憲法を制定する前段階の「憲法闘争」に おいて、憲法 9 条から集団的自衛権行使容認を導出し、これに決着を付けようとする安倍の政治的意思は 断固たるものがある。 尚、ジョルジュ・アガンベンは例外状態について、それが「法秩序の外にあり、しかしまた法秩序に属 している。これこそは例外状態の位相幾何学的な構造である」と指摘するが(アガンベン 2003=2007:70) 、 アガンベンによれば、 「例外状態」においては、自己撞着的な詭弁を弄ぶことが法的に正当化されるのであ る。また、アガンベンは例外状態を、 「法律の価値をもたない諸決定が法律の『力』を獲得するような『法 律の状態』にほかならない」とも指摘する(アガンベン 2003=2007:78) 。要するに、法解釈や法の適用に 錯誤があるにもかかわらず、それが罷り通り、辻褄の合わない「法の支配」が敷かれる状態が「例外状態」 なのである。 衆議院予算委員会という公式の場において、安倍首相をして、集団的自衛権の行使容認を政府による解 釈改憲によって可能であるとまで言わしめたこのことこそ、実は、冷戦終結後およそ四半世紀にわたり取 り組まれてきた「政治改革」の一つの帰結なのである。 「政治改革」が進展するプロセスから、生成変化す るかたちで提起されたのが「政治主導」の確立であったが、結果として、 「政治改革」の目指した「政治主 導」の確立は、安倍をして「政治の強力なリーダーシップ」の発揮を可能ならしめ、かつまた「例外状態」 を創出しつつあるわけであるからして、第 2 次安倍政権として結実したと言っても決して過言ではない。 それでは、改めて、 「政治改革」とは一体何だったのか、この論点について、政治史的アプローチから迫っ てみたい。 ロッキード事件にも比肩しえる大型の贈収賄事件であったリクルート事件が契機となり、1989 年、自民 党は『政治改革大綱』を発表し、 「政治改革」を提起した。爾来、冷戦集結後約四半世紀の間、日本国内に おける最大の政治的アジェンダとして、一貫して政治日程の俎上の中心にあったのは、 「政治改革」であっ た。また、その後、「政治改革」の進展から生成変化した「政治主導」の確立であった。 端的に言って、 「政治改革」が企図するところは、新しい政治の世界における諸課題に対応するため、と りわけ、流転するグローバル化に対応するため、旧い政治を改めた上で、 「政治主導」が行えるように統治 機構の改革を推し進めることにあった。 「政治改革」という時代の流れに相即するかたちで、政治学者の佐々 木毅東京大学総長を中心に組織された「21 世紀臨調(新しい日本をつくる国民会議) 」が、 「政治改革」を 嚮導する諸提言を矢継ぎ早に発表し、それらの提言は影響力のある政治的言説となった(佐々木・21 世紀 臨調 2013) 。附言すれば、政治的言説が現実の政治を動かす言説政治が展開したのである。 「政治改革」は、そのターゲットを旧い政治の自民党政治に定め、また改革の終着点を首相および内閣 が政治的リーダーシップを発揮しえる「政治主導」の制度的かつ実質的な確立に求めた。そのために、選 挙制度と内閣制度という 2 つの制度改革を基軸にして「政治改革」が推し進められた。 戦後の自民党政治は、首相の政治的リーダーシップの発揮を自制するように、内閣制度を運用してきた 経緯がある(山口二郎 2007:220-221)。かつての無謀な侵略戦争を遂行し、国内の自由や民主主義を弾圧.

(5) 51. した国家権力の濫用を掣肘するために、武力行使を無力化する憲法 9 条とともに、国家権力の中枢を担う 首相および内閣の政治的リーダーシップを、実質上、骨抜きにするという政治的配慮であった。ここから、 戦後日本独特の政治スタイル、すなわち自民党政治が発達した。首相の権限は自制され、内閣は「官僚内 閣制」と揶揄されるように、当該省庁の官僚の意思を代弁・代表する機能の遂行が中心となった。たとえ、 首相が「クリーンな政治」を目指し政治的リーダーシップを発揮しようとするものならば、自民党内の「派 閥力学」が作用し、 「三木降ろし」に見られたように、政局の混迷へ発展することさえあった。実質的な政 策決定は、自民党政務調査会各部会のインフォーマルな「与党審査」という場で行われ、各部会を仕切る 族議員の大物議員が隠然たる力を保有していた。顧みれば、この「与党審査」という仕組みは、大変巧妙 であり、一方において大臣を名誉職として、当該選挙区民を満足させるとともに、他方においてバック・ ベンチャーの平議員たちに活躍の場を保障した。族議員は、官僚に対し、 「与党審査」において検討する政 策案(法案)の(再)提出を求め、族議員の下へ「お伺い」に膝行させた。また、官僚に対する「政治家 主導」を演出するために、いわゆる「野党カード」を使いながら、「国対政治」 (国会対策政治)の一環と して野党の意見を汲み取るよう政策案の再提出を官僚に求め、官僚主導をセーブした。官僚としても自ら が発案した政策案が廃案とならないように、これに従った。一方、官僚は「省庁代表制」たる政策マーケ ティング機能をもち、関連する業界や利害関係者の意見を吸い上げることにより、これを最大公約数的に 代表しているという自負を持っていた。こうして自民党政治は、インフォーマルに確立した政策決定レジ ームである、「政府-与党二元体制」の下に、「与党審査」という政策決定の場を拠点に、自民党(族)議 員、野党、および官僚、並びに官僚を通じた業界・利害関係者が関係しながら、多様な利益を実現する、 多元主義的利益誘導政治を展開したのであった。したがって、自民党政治が多元主義的利益誘導政治を機 能させるためには、基本的に、首相や内閣の政治的リーダーシップを必要としなかったのである。 しかしながら、 「政治改革」は、こうした旧い自民党政治との対決は避けて通ることはできなかった。そ もそも、 「政治改革」は、1989 年、自民党が政治改革の決意表明を打ち出した『政治改革大綱』の発表に よってスタートしたのである。その『大綱』は、政治改革の起点を、衆議院の選挙制度改革に据え、これ までの中選挙区制を、小選挙区制に改めることが提案された。かつての中選挙区制の下だと、自民党が政 権を維持するためには、一つの選挙区に、自民党から複数の候補者を擁立する必要があった。いざ選挙戦 となると、自民党候補者は、野党候補と対抗するのはもちろんのこと、自民党の他派閥の候補とも対抗し なければならなかった。 「同士討ち」ともなる中選挙区での選挙戦が、自民党内における派閥間の確執・抗 争にも連動していた。 中選挙区制を改め、小選挙区比例代表並立制が制度化されたのは、1994 年の非自民細川護煕連立政権の 時であった。この新しい小選挙区比例代表並立制の下で始めて衆院選が行われたのは 1996 年であったが、 爾来、幾度か衆院選を経験すると、小選挙区制度が自民党という政党を変えた。全国 300 の小選挙区にそ れぞれ自民党から立候補できるのは公認候補の 1 名のみである。この結果、 「同士討ち」はなくなり、選挙 戦をめぐる派閥抗争が払拭され、自民党の定番であった派閥対立は沈静化する方向を辿った。それだけで はない。各選挙区の公認候補を 1 名に絞られることから、自民党執行部、とりわけ党首の権限が強まった。 2005 年の「郵政民営化選挙」の時、小泉純一郎総裁は、郵政民営化に反対する現職の自民党議員を公認し ないどころか、無所属で立候補するならば、当該選挙区に「刺客候補」まで送り込んだ。また、政党助成 金制度の導入も執行部の権限を強めることとなり、当然、公認を外れれば、選挙資金に事欠くこととなっ た。執行部に反対する「突き上げ」は弱まり、 「反主流派」は影を潜めた。また、 「選挙の顔」として、 「国 民的人気」の高い党首が重要となり、党首の存在感が増した。こうして、自民党内に、一種の選挙至上主 義が定着した。第 2 次安倍政権へ至ると、自民党内の派閥間の確執に悩まされる状態ではなく、その意味.

(6) 52. Memoirs of The Faculty of B. O. S. T. of Kinki University No. 34 (2014). では党首を中心にした中央集権型の政党へ脱皮しつつあり、自民党総裁が党内リーダーシップを発揮しえ る素地は固まったといえるであろう。 多少前後するが、1990 年代後半、橋本龍太郎政権は、いわゆる「橋本行革」を推し進め、内閣制度を改 革し、首相のリーダーシップの確立と内閣の総合調整の機能の強化、すなわち「政治主導」の確立に着手 した。改正された内閣法 41 条は、閣議を主催する「内閣総理大臣は、内閣の重要事項に関する基本的な方 針その他の案件を発議することができるとした」 。尚、第 2 次安倍政権安倍が、集団的自衛権の行使容認を 閣議決定により発議するとしているのは、この内閣法 41 条に基づく。さらに、首相のスタッフ機構の強化 として、内閣官房における内閣官房副長官の増員、内閣総理大臣補佐官の定数増、内閣官房副長官補、内 閣広報官、内閣総理大臣秘書官の定数の弾力化をはかり、また総理府に代えて内閣府を設置し、そこには やがて「小泉構造改革の司令塔」に位置づけられることとなる経済財政諮問会議がこの内閣府の中に設け られたのである。 2000 年代になると、自民党と互角に対抗しえるほど民主党が少数政党から大政党へ成長し、自民党-民 主党からなる二大政党制が定着すると、自民・民主両党は政策面で競争する「マニフェスト選挙」を制す ることで政権を獲得する時代に入った。「政権選択選挙」と称された 2009 年の衆院選は、小選挙区制が功 を奏し、まるでオセロゲームを見るような地滑り的勝利を民主党にもたらし、本格的な政権交代が実現さ れた。それは、政権交代可能な政治状況を創出しようとした「政治改革」の成果の現れの一つであった。 民主党政権は、自民党時代の「与党審査」を終わらせ、また「政府-与党二元体制」を解体するとともに、 「官僚主導」に対抗して「官僚主導」の拠り所と看做した事務次官会議を廃し、また「国家戦略局」の創 設を構想するなどして「政治主導」を強化しようと試みたが、周知の通り、統治能力に問題を露呈し、失 敗に終わった。 しかし、失敗した民主党政権ではあったが、 「政治主導」を導く「国会内閣制」という考え方が第 2 次安 倍政権に引き継がれた。内閣が官僚の意思を代表しながら各省庁の省益を実現する「官僚内閣制」という ... ... 概念は、 「官僚主導」を批判的に言い表している。これに対し、 「官僚主導」を退け、肯定的な「政治主導」 の統治レジームを定礎するのが「国会内閣制」という考え方である。 「国会内閣制」における内閣は、国会 から指名を受けた内閣総理大臣とその内閣総理大臣が組閣した閣僚から構成される。この点は議院内閣制 と変わらない。それを敢えて「国会内閣制」と呼ぶには理由がある。内閣が、官僚機構のエージェントで はなく、あくまでも国会によって定礎されている点を明記するためである。また、三権分立という場合、 一般には、国会、内閣および裁判所という国家の各機関が、横並びかつ同等と思われているが、決してそ うではなく、憲法 41 条に規定されているように、国会は「国権の最高機関」という位置づけであり、した がって国会は内閣と裁判所に対して、上位に位置する国家機関なのである。なぜならば、国会は、主権を 有する国民が、選挙を通じて信託(trust)した主権者の代表である国会議員から構成されているからであ る。そうすると、 「国会内閣制」は、<主権者→選挙→国会→内閣総理大臣/内閣、および官僚に対する統 制>という代表制民主主義の流れにおいて、主権の信託の連鎖で構成されていることがわかる。そして、 何よりも重要なのは、かかる「国会内閣制」における内閣は、 「政治改革」の積み重ねによって、国会から 「政治主導」(「内閣主導」もしくは「官邸主導」)を信託された government:政府/政権としての役割を 担う、という点である。さらに、 「政治主導」の第一人者である内閣総理大臣(首相)は、もちろん内閣の 長であるが、同時に国会で多数を握る政権与党の党首でもある(但し、社会党党首の村山冨一を首班とす る自社さ連立政権のように、少数与党の党首が首相に指名される場合もある)。かくして、立法機関および 行政機関という両国家機関の頂点に位置する内閣総理大臣に担保された「政治主導」 (政治的リーダーシッ プ)の権力は強大である。.

(7) 53. 但し、こうした「国会内閣制」という考え方が、主権の信託の連鎖によって「政治主導」を論定すると ころに大変注意を要する。と言うのも、主権者が選挙を通じて信託するという政治的行為を、過大評価し ながら、結局のところ選挙に勝てば全てが信託される、という選挙至上主義に陥る危険性を内在している からである。つまり、選挙そのものが権力の濫用に正当性を与えかねないのである。 「政治改革」の議論を 顧みると、 「政治改革」は、首相および内閣における「政治主導」に内在する権力の濫用を掣肘する仕組み について、次回の選挙による審判を想定するだけであった。しかしながら、その次回の選挙ですら、本来 は、政権与党におけるマニフェストの達成度を「業績評価」する、いわば「業績評価選挙」として想定さ れていた。反対に、選挙が現政権における権力の濫用を追認/承認しかねない点を、楽天的にも、想定外 としていた節がある。 この点に関連して、選挙それ自体が、視野狭窄的に、政策商品を選ぶかのような「マニフェスト選挙」 と思われていた。しかし、様々なクルマのカタログを閲覧・比較しながら、消費者が購入するクルマとい う商品を選ぶのとわけが違う。政策公約集であるマニフェストという社会契約は、商品の売買契約とは本 質的に異なる。選挙を通じて、主権者と政権与党との間にはマニフェストという名の社会契約が締結され たと思念されるが、実際、政府はマニフェストを粛々と履行すれば、それでよいというわけではない。民 主党政権の実績を振り返れば理解できるように、公約したマニフェストの中で、実現できた政策もあれば (高校授業料無償化等)、中途半端な政策実施(同様に子ども手当支給等) 、実現できなかった政策(高速 道路無料化等) 、およびマニフェストに記載されていない政策の実行があった(消費増税等)。このように、 本来、マニフェストはアバウトである。そもそも、次回の選挙を現政権の「業績評価選挙」と看做す思考 方法こそ、マニフェストはアバウトであると認識していたことの証左である。 マニフェストがアバウトであるとともに、実は、信託もアバウトなのである。主権者の政治的意思が信 託された代表者を通じて実現されるという代表制民主主義の図式には、擬制という側面が内在している点 を厳粛に受け止めなくてはならない。但し、この図式は、擬制であると同時に、規範でもあり、理念でも あり、かつまた全くの擬制ではなく、実際、主権者の審判を仰いで大凡その通りに政策が実現される現実 でもある。 そして、意識しなければならないのは、信託には、政府に一定の裁量(フリーハンド)を委任(delegation) する点が含まれていることである。委任には権力の濫用がまといつくものであり、だからこそ権力の濫用 を掣肘するガバナンスおよび政治的機会の確立が必要とされる所以である。にもかかわらず、「政治主導」 の確立に前のめりになり過ぎ、 「政治主導」における権力の濫用が死角に入り、その結果、権力を掣肘する のは、首相や内閣が権力行使を自制する以外、基本的に、次回の選挙のみの設計であった。要するに、プ リミティブにも、ジョン・ロック的な「革命権」を忠実に信奉していたのである。こうして、第 2 次安倍 政権の権力の濫用を掣肘しえるのは、基本的に、次回の選挙ということになる。故に、閉ざされた政治的 機会構造において、「デモはテロ」 (石破茂自民党幹事長)と認識される。 かくして、四半世紀に及んだ「政治改革」 、就中、選挙制度と内閣制度という 2 つの制度改革が、第 2 次安倍政権における安倍首相の「政治主導」 (政治的リーダーシップ)を担保している。そして、この{政 治主導}は、次節でみるように、権力の濫用を以てして、 「例外状態」の創出を可能にした(3)。 4. 「例外状態」の基本構成 安倍晋三首相が、平和憲法を改正して、自主憲法を制定する政治的野望を、第 1 次安倍政権の時も第 2 次安倍政権の時も、同様に、根強く抱いていることに何等変わりはない。それでは、何故に、その野望が、 第 1 次安倍政権の時は頓挫し、現在の第 2 次安倍政権の時は実現に向けて踏みだしつつあるのか。結論を.

(8) 54. Memoirs of The Faculty of B. O. S. T. of Kinki University No. 34 (2014). 先に言えば、今日の第 2 次安倍政権において、平和憲法改正/自主憲法制定という野望が実現しえる状況 にあるのは、安倍が「例外状態」の創出に成功したからである。したがってまた、第 1 次安倍政権では「例 外状態」の創出に失敗するどころか、それ以前の段階として、政治状況が「普通状態」に留まったが故に、 安倍の野望は頓挫したからである。 政治状況は、通常、 「普通状態(normal situation)」 (もしくは「平時」 )と「異常状態(abnormality situation)」 (あるいはまた「戦時」)とに分けられる。この両者は対極的な位置関係にある。「普通状態」は、イメー ジしにくいが、自由や人権および民主主義が保障され、かつまた国家権力が抑制されている日常的な政治 状態である。これに対し、 「異常状態」は、戦争や内乱、革命や反革命およびクーデタなど、それこそ普通 の状態ではない異常な政治状態である。革命と反革命はもちろんのこと、戦争や内乱の終結後やクーデタ の推移によって、現体制の崩壊に連動する場合がある。そして、問題は、両極に位置する「普通状態」と 「異常状態」の中間を、どのように捉えるかである。本稿では、それを「例外状態(exception situation)」 と捉える。 「例外状態」を、 「異常状態」と同一視すると、わざわざ「例外状態」と言う必要はない。本稿では、 「例 外状態」と「戦争状態」とを同一視しないが、その理由は、「例外状態」を、「普通状態」と「戦争状態」 との間に位置させることにより、国際的・国内的な政治的対立や混迷が深まり、政治的緊張や危機が極度 に高まって、戦争や内乱、革命や反革命およびクーデタなどへ至る、一触即発の事態になりかねない「異 常状態」の発生を予期させながら、 「普通状態」を「例外状態化」する政治過程を捉える視座を獲得できる からである。その「例外状態」に内在する問題性は、 「異常状態」の招来を予期させ、意図的に危機意識を 煽り、かかる「異常状態」への対応と称して、立憲主義による国家権力の縛りを超越すること、したがっ てまた国家権力の濫用を掣肘する規定を解除することによって、当該政権が国家権力の強化に努め、かつ また恣意的な権力を行使することに由来する。中でも、 「異常状態」に備えるために、戦力の増強や武力行 使の法整備を行い、併せて、これとの関連で国家秩序を維持するために、自由と人権および民主主義を著 しく制約する権力の問題性が露呈する。 第 2 次安倍政権は、正しく、 「普通状態」を「例外状態化」する政治過程を歩みつつある。近い将来にお いて、中国との武力衝突や北朝鮮のミサイル攻撃という「異常状態」の発生を喧伝しながら、平和憲法の 厳しい縛りを超越して、集団的自衛権の行使容認に踏み切り、国家権力の強化/自由・人権・民主主義の 弱体化を企図しつつあるといえる。安倍としては、かかる「異常状態」に備えるために、平和憲法を改正 した上で武力行使の合法化へ進みたいところではあるが、しかし、平和憲法を支持する「粘着性」が強く、 したがって当面は憲法改正を見送り、牽強付会な憲法解釈によって集団的自衛権の行使を容認させる意向 である。しかしながら、憲法 9 条に立脚し、集団的自衛権行使容認を導出することは、如何なる憲法解釈 によっても不可能である(4)。それを可能とするのは、先に触れたように、「解釈の変更」と称した上で、 安倍の政治的決断によって、平和憲法秩序を超越する以外方法は見当たらない。国家権力の濫用を抑制す る立憲主義を超越すること、また集団的自衛権の行使を禁止している平和憲法秩序を超越すること、それ は立憲主義国家から逸脱した、あからさまの「例外状態」の創出なのである。このことの政治的意味は余 りにも大きく、日本国憲法制定後 60 有余年にわたり培ってきたわが国の平和国家としてのブランドを破棄 し、戦争のできる「戦争国家」へレジーム・チェンジする方向へ舵を切ったことに等しい。これが安倍の いう「戦後レジームからの脱却」、すなわち「美しい国」の核心にほかならない。 それにしても、 「例外状態」は如何にして構成されるのか。それは、 (最高)政治指導者の政治的リーダ ーシップに基づく意図的な関与を通じ、次の 5 つの基本要件が結合されることによって政治的に構成され.

(9) 55. る、と考えられる。第 1 は、 「異常事態」へ至りかねない、明白・現在・危険という客観的事実が現前とし ていること。第 2 に、そうした客観的事実に対応するために、憲法秩序を超越してまでも、国家権力の強 化、とりわけ戦力の増強や武力行使の法整備を行うことが正当化されること。第 3 に、国家秩序の維持の ために( 「国を守るために」) 、自由と人権および民主主義が著しく制約されるはやむを得ないことであると 正当化されること。第 4 に、議会構成において、第 1 の点を認識し第 2・第 3 の点を容認する「例外状態 化」の賛成派が(圧倒的)多数を占めること。第 5 に、民意が(圧倒的・熱狂的に/ポピュリズム的に) 「例外状態化」を支持することである。尚、本稿は「政治現象は社会的に構成されるという基本発想を強 調する」構成主義的政治理論に基本的に依拠しながら(小野 2009:6)、 「例外状態」について省察する次 第である。 第 1 の基本要件である、 「異常事態」へ至りかねない、明白・現在・危険(clear, present and danger)とい う客観的事実が現前としていることが、第 2 の基本要件である、それへの対応として、国家権力の強化、 とりわけ戦力の増強や武力行使の法整備を行うことが正当化されるまでに連動するには、極めてショッキ ングな「外生的ショック」の発生が契機となる。もちろん、 「外生的ショック」が発生すれば、それで直ち に「例外状態」へ移行するわけではない。 「外生的ショック」を意図的に利用しつつ、第 1 の基本要件を、 第 2 の基本要件、さらには第 3 の基本要件と結合して「例外状態」を構成するにあたっては、政治指導者 の強い政治的リーダーシップが求められる。その政治的リーダーシップに賛成する議会多数派(第 4 要件)、 および支持する多数の民意(第 5 要件)が、 「結合」するかたちで後押しする。 2010 年、尖閣諸島の領海内で中国漁船がしばしば日本の領海侵犯を繰り返す中、ついに中国漁船が海上 保安庁の監視船に体当たりするという事件が発生した。この尖閣諸島中国漁船衝突事件こそ「外生的ショ ック」の発生である。尖閣諸島周辺海域の領有権をめぐる日中間の主張が噛み合わず、その後も、中国船 籍が尖閣諸島周辺の領海を頻繁に侵犯する中、2012 年、日本政府は尖閣諸島の国有化に踏み切ったが、こ れが火に油を注ぐことになり、日中関係は悪化の一途を辿った。また、中国船籍や中国海軍がフィリピン やベトナムの領海を侵犯する事態が多発しており、今後、東シナ海および南シナ海における中国海軍の海 洋進出の拡大という軍事的プレゼンスの高まりが懸念されている。 こうした状況に対して、衆参両院で多数を占め、かつまた民主党との二大政党制を終焉させ、再び一党 優位政党(dominant party)として君臨する与党自民党に立脚する、第 2 次安倍政権は、離島の奪回を想定 した自衛隊と米軍との共同演習を実施し中国側を抑止するとともに、周知の通り、国家安全保障会議(日 本版 NSC)の新設(2013 年 11 月) 、国家特定秘密法の制定(同年 12 月) 、さらに武器輸出三原則の見直し、 非核三原則の緩和、および解釈改憲による集団的自衛権の容認へと進んでいる。このうち、国家特定秘密 法は、憲法 20 条が保障する、表現の自由、および取材・報道の自由、並びに知る権利を著しく制約する法 律である。やむをえず憲法 20 条の表現の自由を制約する場合、憲法学の通説として、その制約対象が「漠 然性のゆえに無効」・「過度の広汎性のゆえに無効」という憲法理論が確定されているが、それを完全に無 視したのが国家特定秘密法である。そもそも、 「秘密は秘密」と揶揄されるように、どの情報が国家秘密と してシークレットにされている「特定秘密」情報なのか秘密である。 「特定機密」と指定されれば、それに 関する取材・報道する自由は厳しく制約されるばかりか(厳罰に処せられる)、市民の知る権利が侵害され る。国家特定秘密法は、その法の運用次第では、戦前の治安維持法に匹敵する悪法と化ける可能性が潜在 しているので、メディアやジャーナリスト、作家、学者・研究者からも強い抗議が行われた。 尚、2013 年 12 月は、国家特定秘密法制定に続き、安倍首相が靖国神社に参拝したため、中国や韓国と の関係が一層険悪なものとなり、また EU 諸国やロシアからも批判が相次ぎ、さらにはアメリカからも「失.

(10) 56. Memoirs of The Faculty of B. O. S. T. of Kinki University No. 34 (2014). 望」したと譴責された時期であった。ここで、NHK が毎月行っている「政治意識月例調査」の内閣支持率 を確認すると、2013 年 11 月は 60%であったが、12 月は 50%と 10 ポイントも下落したのに対し、2014 年 1 月には反転し 54%を示した。その後の安倍内閣に対する内閣支持率は 51~56%の間を推移し、依然とし て内閣支持率は高い水準をキープしている。例外状態の第 5 基本要件は維持されている。 第 1 次安倍政権と現在の第 2 次安倍政権とを、比較政治学的分析を挟んでみたい。まず、事実確認であ るが、「外生的ショック」となった尖閣諸島中国漁船衝突事件が起きたのは、そもそも、2010 年 9 月、民 主党の菅直人政権の時であった。しかし、菅は、逮捕した中国乗組員を釈放し日中間の問題がこれ以上こ じれないようにと事件を終息させた。この措置に菅は「弱腰」と批難されたものの、少なくとも、菅は政 治的リーダーシップを以て「例外状態化」を志向しなかったのである。ところが、やがて第 2 次安倍政権 に「利」するかのように、この事件を嚆矢に、その後も、中国船籍の領海侵犯、東シナ海や南シナ海にお ける中国海軍の海洋進出のほか、2013 年 1 月 19 日、東シナ海において、中国海軍フリゲート艦「温州」 が、海上自衛隊護衛艦「おおなみ」搭載の哨戒ヘリコプターSH-60 に対して射撃管制用レーダーを照射、 続いて 30 日、同じ東シナ海において、中国海軍フリゲート艦「連雲港」が、海上自衛隊護衛艦「ゆうだち」 に対しても射撃管制用レーダーを照射する事件が発生、さらに 2014 年 1 月 30 日、東シナ海上空に防空識 別圏を設定、2014 年 2 月に新型のステルス戦闘機 J-20(「殲))が開発されるなど、中国の軍事的脅威が増 し、加えて北朝鮮の軍事的挑発やミサイル発射が繰り返されるという東アジアの国際情勢は、なお引き続 き、明白・現在・危険という客観的事実が現前としている。 こうした中国の軍事的プレゼンスの高まり、および北朝鮮の軍事的挑発を前提に、安倍首相は、事ある ごとに、 「わが国を取り巻く安全保障環境は一層厳しさをましている」という発言を繰り返すと同時に、そ れへの対応として、集団的自衛権の行使容認をはじめ、安全保障に関する官邸機能の強化、日米軍事同盟 の強化、および集団安全保障への参加、紛争地域に対する関与強化など、武力行使をも含む「積極的平和 主義(Proactive Contributor to Peace)」を推し進めるとしている。ここで注意をしなければならないのは、 そもそも、第 2 次安倍政権において焦眉の急とされた集団的自衛権の行使容認は、アメリカとの軍事同盟 をより強固なものにしつつ、事実上の「仮想敵国」とである中国と北朝鮮の軍事行動を抑止することが目 的であったはずであるにもかかわらず、安倍の議論は、 「積極的平和主義」を掲げることにより、集団的自 衛権行使容認にとどまらず、武力行使の正当化を求めながら拡大し、かつ混乱・錯綜している。 若干整理してみよう。安倍の「積極的平和主義」は、どうやら、集団的自衛権( right to collective self-defense). の行使を担保しながら日米軍事同盟の抑止力を強化するという安倍本人の持論から、大きく超えているこ とに気付かざるをえない。まず、安倍が自分で思っているほど、集団的自衛権は抑止力の強化にはならな いどころか、むしろ中国や北朝鮮との緊張を高めるかたちで逆効果となり、却って有事に備えなくてはな らない危険性が増大する可能性がある。少なくとも、同盟国アメリカが中国や北朝鮮から武力攻撃を受け た場合、アメリカとの同盟関係にある日本が、中国・北朝鮮から攻撃を受けていなくとも、アメリカに加 勢するかたちで中国・北朝鮮を攻撃する、というシナリオが集団的自衛権行使容認を前提にした日米軍事 同盟の新たな位相であることを、深く覚悟する必要がある。 また、アメリカからのプロポーザルを受け入れざるをえず、日本が集団的自衛権を大義名分にアメリカ の戦争に参戦し、アメリカに敵対する国に対して、武力攻撃を行う可能性もある。尚、戦後、国連安保理 決議に基づいた集団安全保障が米ソの拒否権行使によって機能しないとみるや、米ソ両国は同盟関係にあ る国々に集団的自衛権を以て参戦を促し、米ソの覇権を確保するため、それこそ「寄って集って」の集団 で、民族解放や民主化運動を抑圧してきた苦い過去の経験がある(5)。そもそも、集団的自衛権という発 想は、米ソ冷戦時代の遺物なのである。.

(11) 57. さらに、安倍の「積極的平和主義」は、ⅰ)国連安保理決議に基づいた集団安全保障(collective security) への参加、ⅱ)アフリカや中東地域において、民族・部族および宗派対立を統制できず統治能力を喪失し、 「国家の抜け殻」と化した破綻国家(collapsed state)の状態の中で生じている内戦やテロといった「新し い戦争(new war)」を終息するための軍事介入、もしくは「人道的介入(humanitarian intervention)」、ⅲ) さらには平和構築(peace-building)のために、国連の PKO(Peace Keeping Operations:平和維持活動) 、就 中、治安維持を任務とする PKF(Peace Keeping Force:平和維持軍)を担う、というように、いずれも武 力行使による関与を強化するという議論にまで拡大する含みを有している(6)。 それでは、このように、安倍において「積極的平和主義」を掲げながら集団的自衛権を拡大する議論の 狙いは、奈辺にあるのか。それは、集団的自衛権の行使容認を正当化するためには、中国や北朝鮮に対す る抑止力の向上だけでは説得力が足りないと認識しているからであろう。しかし、議論が拡大するのと反 対に、集団的自衛権に基づく先制攻撃の議論を遮蔽していることに注意しなければならない。例えば、北 朝鮮が沖縄の米軍基地を標的にミサイル攻撃を仕掛ける危険が急迫し、これを事前に察知した日本が、集 団的自衛権に基づき新たに装備したところの地対地ミサイルを用いて先制攻撃を掛けて、北朝鮮のミサイ ル基地を破壊し、危険を未然に防ぐ。個別的自衛権ならば、他国に対する武力行使と認定される地対地ミ サイルの装備自体が難しかったが、集団的自衛権ならばその装備は可能である。かつまた、同盟国の米軍 基地を防衛するために行った先制攻撃は個別的自衛権の発動ではなく、アメリカを巻き込んだ集団的自衛 権の行使である。ましてや、米軍基地のある沖縄は日本の領土内であり、沖縄を敵国の脅威から守るため に、先制攻撃を仕掛けることは、集団的自衛権と個別的自衛権の発動とが重なる、云々。 日本の集団的自衛権が担保されたことによって日米軍事同盟は強化され、そのことが中国・北朝鮮に対 する抑止力を強化し、戦争に発展する可能性が低下するというナラティブを安倍は描いているが、これは 国民向けのメッセージであり、戦略面で見ると、極めて甘い考え方である。抑止力の強化とは何か。それ は、敵対する相手国に、攻撃を思いとどまらせる軍事的圧力である。したがって、相手の先制攻撃を断念 させるための大量報復をちらつかせるのと同様に、相手への先制攻撃をもちらつかせながら、相手の軍事 行動を断念させる、不断の軍事的圧力をかけなくては、抑止力の効果は薄い。要するに、抑止戦略は、ぎ りぎりのところで軍事衝突には至らないところでくい止めるが故に、戦争と表裏一体の関係にある。 そうすると、集団的自衛権が冷戦時代の産物であったのと同様に、今日、集団的自衛権の新たな主張は、 敵対国との熱戦には至らない冷戦状態を前提にして成り立つものであり、集団的自衛権は冷戦を欲してい ると言わざるを得ない危険なる旧態依然の思い付きである。 尚、安倍が言う「積極的平和主義」は、日本国憲法前文に表されている平和憲法の精神と真逆の方向で ある。平和憲法は、ノルウェーの平和研究者ヨハン・ガルトゥングの「積極的平和(positive peace)」とい う考え方にフィットする。ガルトゥングは、単に戦争ない状態を「消極的平和(negative peace)」と呼び、 戦争の根本的な原因となる貧困や飢餓、搾取および人権蹂躙といった「構造的暴力(structural violence)」 を除去しながら平和を築いていくことを「積極的平和」と呼んだ(ガルトゥング 1991:45,高柳 2000: 103-113)。このように安倍の「積極的平和主義」とガルトゥングの「積極的平和」は、日本語の表記は同 様であるが、その意図するところは全く異なる。思うに、言説政治は、政治的言説空間というアリーナに おいて演じられている、言説による政治的なたたかいそのものである。安倍の「積極的平和主義」は、ガ ルトゥングの「積極的平和」を度外視しながら、安全保障に関する言説政治でアドバンテージを取るもの と判断できる。 さて、第 1 次安倍政権の時は、 「外生的ショック」は生じなかった。そればかりか、安倍が「痛恨の極み」 と述懐しているように、靖国神社参拝を見送った。 「お友達内閣」と称された第 1 次安倍内閣の閣僚から不.

(12) 58. Memoirs of The Faculty of B. O. S. T. of Kinki University No. 34 (2014). 祥事が連続し、内閣支持率は低下傾向にあった。自民党が多数を占める国会ではあったが、民主党や社民 党からの追求は厳しく、2007 年の参院選で自民党は惨敗に終わった。安倍において、「例外状態」の創出 どころではなかった。そこで、 「例外状態」の基本要件と、それに理念型的な「普通状態」を対比させ、第 1 次安倍政権、民主党政権、および第 2 次安倍政権の状態を、象徴的なトピックを表記しながら、比較す ると図表 4-1 のように整理できる。 「例外状態」の基本要件. 「普通状態」. 第 1 次安倍政権時代. 民主党政権時代. 第 2 次安倍政権. ①.明白現在危険という客観的事実. 危険回避. 存在しない. 外生的ショック. 頻発. ②.戦力増強・武力行使の用意. 自衛. 「美しい国」. 自衛. 集団的自衛権. ③.自由・人権・民主主義の弱体化. 権力抑止. 教育基本法改正. 「新しい公共」. 国家特定秘密法. ④.議会の賛意. 反対. 二大政党制. 衆参ネジレ. 一党優位状況. ⑤.民意の支持. 不支持. 支持率低下. 期待外れ. 高支持率継続. 図表 4-1. 「例外状態」の基本要件とその比較政治 それでは、第 2 次安倍政権は、政治的リーダーシップを発揮しながら、5 つの基本要件を結合して、 「例 外状態」の構成に成功しえたであろうか。周知の通り、連立与党の公明党は集団的自衛権に慎重であり、 第 2 次安倍政権に対する内閣支持率は相対的に高いものの、その支持が決して圧倒的・熱狂的なものとは いえない。また、国民の間で平和憲法に対する護憲意識は高く、憲法 9 条を支持する割合は高い。それ故 に、安倍は、当面、平和憲法改正/自主憲法制定をトーンダウンし、解釈改憲による限定的な集団的自衛 権の容認および行使を企図する方向にある。それでも、中国との軍事衝突や北朝鮮軍の軍事的暴発に関し て、想定しえる幾つかの具体的な事例を示しているが、これを「抽象性・非論理性」として完膚なきまで の批判を展開しているが、第 1 次安倍政権の時、安全保障・危機管理担当の官房副長官補を努めた経験の ある防衛省 OB の柳澤協二である(柳澤 2014)。にもかかわらず、安倍が「普通状態」を「例外状態化」 する政治過程を歩み続けることができるのか。それには、 「例外状態」を構成する 5 つの要件が十全に満た されていない場合、これを補強する政治的構成が可能だからである。 5. 「例外状態」を補強する政治的構成 前節でみたように、第 2 次安倍政権は基本要件を充足できず、 「例外状態」の構成には不十分であるが、 しかしまた不十分ではあっても、 「例外状態」を構成する基本要件以外に、 「例外状態」の構成を補強する、 いわば補強要件を結合しながら、「例外状態化」を推し進めていると考えられる。第 2 次安倍政権の場合、 「例外状態」の構成にあたり補強要件となっているのは、次の 5 つである。自民党の右傾化、民主党政権 の失敗からの学習と統治能力の再建、野党民主党の瓦解と「維新の会」による露払いという野党の勢力分 布、社会運動から発せられる民意の軽視、および「新しい右翼」による政治的言説空間における助勢であ る。 ところで、ポール・ピアソンは、政治と時間との関係を論じる『ポリティクス・イン・タイム』の中で、 タイミングと結合(conjunction:政治の別個の要素や次元が時間の経過のなかで連結すること)の重要性 を議論しているが(ピアソン 2004=2010:69-70) 、第 2 次安倍政権が「例外状態」を構成しえたのは、基 本諸要件と補強諸要件を結合しえたことによるが、それに加えタイミングのよさが関係していることは間 違いないであろう。尚、この諸要件の結合とタイミングという時間の関係を重要視する視点は、何故に、.

(13) 59. その時、そのような政治現象が存立しえるのか、あるいはまた、反対にあの時点には何故に起きなかった のか、ということについての説明に関係する点で、構成主義的政治理論の彫琢にも寄与するといえる。 第 1 の補強要件である自民党の右傾化からみてみよう。2012 年 9 月、TBS のサンデー・モーニングに出 演した、自民党第 15 代総裁河野洋平は、同党第 20 代総裁選挙に立候補した顔ぶれを見た上で、 「自民党は ずいぶん幅の狭い政党になった。保守の中の右翼ばかりだ」と率直な感想を吐露した。その顔ぶれとは、 安倍晋三と石破茂、石原伸晃、林芳正および町村信孝であり、5 名全員が揃って集団的自衛権を主張して いた。それこそ「右から左まで」様々な利害を包括しながら戦後の日本政治を担ってきた自民党という包 括政党(catch-all-party)の総裁選において、立候補した面々が右派に偏ったことは、たとえ政界から引退 したとはいえ、リベラル派の古参格にあたる河野にとって、大変奇異に映った次第である。反対に言えば、 総裁選に登場するオール・キャストが右派に独占されたこと自体、自民党内におけるリベラル派の凋落を 意味したのであった。但し、自民党の党内力学を踏まえつつ敢えて附言するならば、リベラル派の凋落以 上に進行しつつある事態は、リベラル派の右派への雷同もしくは「転向」であろう。 自民党の右傾化を決定的にしたのは、2007 年の参院選敗北に続き、2009 年の衆院選において大敗を喫し て政権を民主党へ明け渡し、自民党が下野したことである。民主党に大敗を喫し、とうとう、長期低落傾 向にあった自民党は正念場に追い込まれた感があった。しかも、政権の座から引きずり下ろされるやいな や、民主党幹事長の小沢一郎から、執拗な揺さぶりを受けた。自民党という政党は、後援会に支えられた 個々の議員が集合し、また各派閥が合従連衡する政党であったが、常に政権を担う一党優位政党であるこ とによって、政党組織を維持できた。そのため、党内に深刻な対立があっても、離党者を最小限にとどめ、 分裂を回避しながら、 「右から左まで」多方面に広がる様々な意見や多様な利害を、政権を担うことによっ て実現してきた。しかし、政権を失い野党に転落したならば、支持者の意見や利害を実現しえる立場にな く、支持者としても自民党を支持する積極的な理由がなくなった。 こうして窮地に追い込まれた自民党は、党首を麻生から谷垣禎一に代え、党勢の立て直しに着手したが、 まず二大政党制のポジショニングとして、 「生活が第一」を掲げる、相対的に中道左派的な民主党政権との 区別化を計らなければならなかった。その結果、都市部に多い新自由主義や中道右派的な「生活保守主義」 に立脚するというよりも、それ以上に、地方の「草の根保守主義」(伝統的保守主義)、しかも右傾化した 「草の根保守主義」に立脚するかたちでの再結束を計った(7)。 永住外国人地方参政権や夫婦別姓に消極的な考えを示し、自民党総裁として小泉純一郎以来 3 年 2 ヶ月 ぶりに靖国神社に参拝した谷垣総裁の下で進められた、象徴的な出来事が、これまで自民党が発表した憲 法案に較べ、相当に伝統色と表現するよりも右翼色が色濃い「日本国憲法改正草案」の作成であった。こ の「日本国憲法改正草案」は、平和憲法を改正し、集団的自衛権の規定はもちろん、国防軍の創設、天皇 の元首化、国家緊急権を明記し、公共の利益の下に人権を制約する内容である。周知の通り、谷垣は、池 田勇人-大平正芳の系譜につらなるリベラルな宏池会の出自であり、派閥(谷垣派)の領袖も努めた。尚、 宏池会は、 「保守本流」を自認し、近年では、加藤紘一や古賀誠などリベラルな人材を輩出しきた派閥(現 岸田派)である。自民党内におけるリベラル派の凋落は、自民・公明両党の与党協議会の座長を努め、砂 川事件最高裁判決における統治行為論が集団的自衛権を是認しているという、些か牽強付会な見解を示し、 集団的自衛権の行使容認を進める高村正彦副総裁にも見られる。高村は、平和憲法を遵守してきた三木武 夫および河本敏夫の後継派閥(高村派/現大島派)の領袖の地位にあった経歴をもつ政治家である。 第 2 の補強要件は、民主党政権の失敗からの学習と統治能力の再建である。2009 年の衆院選で圧勝した 民主党は、初めて政権を担うというハンディキャプの上に、鳩山由紀夫首相が母親から多額の金銭を贈与 されていたにもかかわらず申告漏れが発覚したこと、また検察が執拗なほど小沢一郎幹事長の西松建設政.

(14) 60. Memoirs of The Faculty of B. O. S. T. of Kinki University No. 34 (2014). 治献金問題を追求したことで、自民党同様、民主党にもダーティな「政治とカネの問題」が存在している ことを印象付けてしまった。2010 年の尖閣諸島中国漁船衝突事件、2011 年の 3.11 および福島第 1 原発事 故など、いずれの政党が政権を担うとも、難しい対応を迫られる課題に直面し、民主党の政権運営は困難 を極めた。3 年 3 ヶ月の間、3 人の首相が代わるとともに、この間、18 の閣僚ポストに対し、バック・ベ ンチャーからの不満を解消する党内事情も加わり、延べ人数で 198 名もの閣僚を起用したことで、 「政治主 導」の確立どころか、閣僚ポストを私物化している様相を呈した。さらに、政権末期に至ると、離党者(86 名)や除名者(58 名)が続出した。こうして、民主党の党内ガバナンスは自壊しており、とても政党とし ての体をなしておらず、ましてや政権を担当する資格すらないと判断した有権者は、民主党への期待が失 望へと変わった。 第 2 次安倍政権は、失敗に終わった民主党政権を、それこそ反面教師にしながら学習し、民主党とは真 逆の方向で、政権運営に長けた老舗政党として統治能力の再建を行えばよかった。 「コンクリートから人へ」 の方向は反転して「人からコンクリート」へ「日本を取り戻す」ことに加え、「官僚主導から政治主導へ」 先走ることはやめると同時に無用な官僚叩きはやめ、民主党に敵視された官僚を味方につけた。また、民 主党が頻繁に閣僚を入れ替えることで政権担当に不安感を広めたのに対し、閣僚人事を安定させ、かつま た第1次安倍政権の失態からも学習し、閣僚の「身体検査」を徹底して、 「政治とカネの問題」やスキャン ダルの発生を抑えた。 第 3 の補強要因は、 野党民主党の瓦解と維新の会による露払いという野党の勢力分布である。 2000 年代、 民主党の成長とともに、二大政党制が定着しかけたが、2010 年代に入ると、その民主党の党勢は少数政党 へ転落した。衆議院の議員数比でみると、民主党は自民党のわずか 1/5 の勢力でしかない。55 年体制にお ける自民党-社会党間の「1 ヶ 1/2 政党制」が二大政党制として看做されなかったことを踏まえれば、今 日、党勢関係において 5 倍の開きが生じた、自民党-民主党間を二大政党制と表現することはとても難し い。本来、二大政党制は、拮抗する 2 つの大政党による政権交代可能な政治状況を前提にした政党政治を 意味するのである。「政治の世界は一寸先が闇」とよくいわれるけれども、遅くとも 2016 年冬に予定され ている衆院選で、自民党から民主党へ政権再々交代が起こる可能性は極めて低いと思わざるをえないどこ ろか、その前に、野党の再編成によって、民主党そのものが解党する可能性すら否定できない。かくして、 当面は、第 2 次安倍政権に対抗しえる大政党は存在しない。 しかも、第 2 次安倍政権にとって、維新の会が露払い的な役割を演じてくれている。自民党にとって、 自党が右傾化し過ぎると、包括政党もしくは国民政党から右翼政党へ転換したという悪印象を与えかねな い(8)。ましてや、党首は党内きっての右派の安倍晋三である。ところが、石原慎太郎と橋下徹の 2 人が 共同代表をつとめる日本維新の会は、安倍晋三の政治的ポジションよりも、さらに右の極右に位置する。 欧州の「新しい右翼(new right)」の比較研究で注目されているキャス・ムッディの「ポピュリスト急進的 右翼政党(populist radical right party)」という類型に(Mudde 2007)、日本維新の会はほぼ適合する。石原 のように「平和国家」から「戦争国家」への転換を主張してやまない、極端なナショナリズムの主張と、 橋下が公務員や既得権益者に対する痛烈な攻撃によって民衆の支持を動員するポピュリズム的手法が合体 した政党が日本維新の会という政党であるが、2012 年の衆院選では議席数からすると民主党に肉薄する第 三党として一挙に台頭した。維新の会の台頭は、民意の一つの現れであり、安倍が自民党をためらいなく 右旋回させる、文字通り、露払い役を演じてくれた。これに加え、維新の会との連立の組み替え、もしく は維新の会を自民党内へ吸収するというカードを見せることによって連立政権を組むリベラルな公明党を 牽制する機能を果たしている。 第 4 は、社会運動から発せられる民意を軽視する政治的リーダーシップの発揮である。脱原発運動、沖.

(15) 61. 縄普天間基地撤廃運動、および国家特定秘密法制定反対運動、並びに護憲運動に対して、徹底して軽視す る姿勢を示している。反対に、基本政策を反転させ原発再稼働・原発輸出に踏み切り、普天間基地は同じ 沖縄県内に位置するキャンプ・シュワブの辺野古(沖)へ県内移転させることを改めて決定し、また国家 特定秘密法の制定に対する反対運動が盛り上がる中、法案を強行採決した。護憲運動に対しては基本的に 最初から安倍の眼中にはない。このように、第 2 次安倍政権の「政治主導」は、社会運動の民意に向き合 うことはない。 翻って、民主主義は何も議会制民主主義もしくは代表制民主主義に限定されるわけではなく、したがっ てまた政府-市民間の政治的機会構造が選挙に限定されているわけではなく、業界団体や地方からの「陳 情」以外にも、NGO・NPO からの政策提言や市民の参加民主主義や熟議民主主義を具体的かつ制度的に保 障する回路、および社会運動から発せられる民意の尊重・吸収という回路が開らかれている政治状態が高 度な民主主義体制といえる。そうした体制を、かつてロバート・ダールが示したポリアーキー(polyarchy) という概念で捉えることもできる(ダール 1971=1981.)。これに関連して参考になるのはニック・クロス リーの指摘であるが、彼は社会運動と政治的機会構造との関連について、これまでの研究の知見を次のよ うに整理している。 政治的機会という概念は、次の 2 つの異なる仕方で用いられてきた。第 1 は運動の発生、とくに運動 発生のタイミングに関わる。そこでは、政治体制が開かれつつあり、その結果、変革のための新たな機 会が現れつつあるときに、運動が発生すると論じられる。第 2 は、異なるタイプや抗議や運動が、異な るタイプの社会において発生してくる仕方に関わる。そこでは、異なる政治組織が異なる機会構造を与 えるため、異なるタイプの抗議や運動が発生してくると論じられる(クロスリー2002=2009:2006) 。 ここでクロスリーの第 1 の整理に着目したい。確かに、福島第一原発事故を直接的契機にして、民主党 菅直人政権が中部電力浜岡原発の停止を要請したことにより、 「政治体制が開かれつつある」タイミングで 脱原発運動は発生した。しかし、クロスリーの整理を逆読みするかのように、第 2 次安倍政権は、社会運 動の目標が実現しないように、 「政治体制」すなわち政治的機会を閉じた。国家特定秘密法制定反対運動に 対し、2013 年 11 月 29 日、石破茂幹事長は自身にブログに「デモはテロ」であると応酬した。こうして、 第 2 次安倍政権は、社会運動にマイナス・イメージを植え付けながら、選挙を通じ信託=委任された最高 主権者の政治的リーダーシップを以て、社会運動などに動ずることのない毅然たる姿勢を見せた。 第 5 は、 「新しい右翼」の政治的言説空間における助勢である。 「21 世紀臨調」が政治言説空間に「政治 改革」や「政治主導」を提起し、言説政治をリードしたのと同様に、全く言説のレベルは異なるが、 「新し い右翼」の言説が第 2 次安倍政権を助勢している。もちろん、安倍が「新しい右翼」を動員しているわけ ではない。しかし、 「新しい右翼」が言説空間に発する排外的ナショナリズムの言説が安倍政権を助勢して いることは間違いない。 先ほどムッディの議論にも若干触れたが、ここで改めて「新しい右翼」を取り上げよう。それは、冷戦 後の政治の世界の中に台頭してきた、新たな排外主義的なナショナリズム運動を指す。欧州の場合、 「新し い右翼」が攻撃のターゲットに据えているのは外国人労働者として入国したニュカマーの移民である。こ れに対し、日本の「新しい右翼」は、日本の植民地支配に関係するルーツをもち日本を生活の拠点とする 東アジア諸国の人びと、とりわけオールドカマーの在日韓国・朝鮮人や中国人が攻撃のターゲットになっ ている。但し、最近では、領土問題を契機に中国や韓国そのものを攻撃する姿勢を鮮明にしている。こう した「新しい右翼」の活動には、ネット右翼や在特会の活動に限らず、神社本庁も資金を供与している日.

参照

関連したドキュメント

「権力は腐敗する傾向がある。絶対権力は必ず腐敗する。」という言葉は,絶対権力,独裁権力に対

第四。政治上の民本主義。自己が自己を統治することは、すべての人の権利である

Right Copyright © 日本国際政治学会 The Japan Association of International

政治エリートの戦略的判断とそれを促す女性票の 存在,国際圧力,政治文化・規範との親和性がほ ぼ通説となっている (Krook

Amount of Remuneration, etc. The Company does not pay to Directors who concurrently serve as Executive Officer the remuneration paid to Directors. Therefore, “Number of Persons”

 模擬授業では, 「防災と市民」をテーマにして,防災カードゲームを使用し

結果は表 2

第3節 チューリッヒの政治、経済、文化的背景 第4節 ウルリッヒ・ツウィングリ 第5節 ツウィングリの政治性 第6節