小説の中のエレガント・バリエーション : 英語の
文体研究
著者
神崎 高明
雑誌名
商学論究
巻
57
号
2
ページ
39-53
発行年
2009-09-10
URL
http://hdl.handle.net/10236/4108
はじめに
英語では同一人物を指し示す場合、通常、代名詞で受ける。ところが、 時々、代名詞の代わりに他の語彙を使用することがある。この手法は、書き ことばの中に見られる手法であり、とりわけ新聞、雑誌や小説の中などにも 多く見受けられる。これは一般にエレガント・バリエーション (elegant variation) といわれ、語法書や文法書などでは、むやみに使用することを慎 むべきであるという指摘がされている。本稿では、まず、エレガント・バリ エーションについて語法、文法の専門家がどのような意見をもっているかを 見る。そして、その後、エレガント・バリエーションが実際の小説の中でど のような意図をもって使用されているのかを、具体的な例を見ながら分析し ていく。同一名詞句の繰り返し
一般に、英語では同一名詞句を繰り返すことを避ける傾向がある1)。たと えば、Blakemore (1992) の挙げる次のような例文を見てみよう。(1) a.Tom is here. He has brought you a present.
神
崎
高
明
小説の中のエレガント・バリエーション
英語の文体研究
− 39 − 1) 特定の文脈が与えられれば、固有名詞などの同一名詞句を繰り返すことは可能である。 詳しくは,神崎 (1994:29) を参照。b.Tom is here. ?? Tom has brought you a present. c.Tom is here. ?? Your brother has brought you a present.
(Blakemore 1992 : 67)
(1a)では、Tom は後続する He と同一指示的である。一方、(1b)では、1 文目の文頭の Tom は2文目の文頭の Tom と同一指示の解釈は通常できな い。また、(1c)でも Tom と Your brother は同一指示の解釈は通常できない。
Halliday & Hasan (1976 : 281) は同様のことを、次のような例を挙げるこ とによって述べている。
(2) John took Mary to the dance. ?? John was left all alone.
ここでも、1文目の John は2文目の John と同一指示的解釈は難しい。た だし、同一指示の可能性があることは、Halliday & Hasan 自身も認めている。 しかしながら、このように同一名詞句が繰り返された場合には、それらが同 一指示かどうかについて、聞き手はこのままでは判断しがたいので、話し手 は、何か別の判断材料を聞き手に提供することが必要である。したがって、 同一指示的解釈であることを明確にしたいならば、2文目において、John ではなく he を使用すべきであると Halliday & Hasan は主張している。
以上のことから言えることは、英語では曖昧性のない限り、代名詞で代用 が可能な場合は代名詞を使用し、同一名詞句の繰り返しを避けるのが普通で あるということである。この考え方をまとめると次のようになる。 (3) 英語の先行詞に対応する代名詞の選択 先行詞が前文にある場合、次の文では、指示の曖昧性がない限りに おいて、原則として先行詞である同一名詞句を繰り返さず、代名詞 を使う。
この考え方は、Grice (1975 : 45) の協調の原理 (Cooperative Principle) の中 の量の格率 (Maxim of Quantity) にも合致している。 (4) Grice の量の格率 a.(目下の会話目的のために)必要とされる情報をできるだけ多 く提供せよ。 b.必要とされる以上の情報を提供するな。 この中でも、特に(4b)が英語の代名詞の照応と関係している。英語では、 名詞を代名詞で受けるということは、必要とされる情報のみを提供するとい うことでもある。したがって、代名詞で照応することは(4)の原則とも合致 する。ところが、(1b)、 (2)のように同一名詞句を繰り返すことは、必要 以上の情報を聞き手に与えることになるので、Grice の協調の原理の中の量 の格率に違反する。(1c)の場合、He ではなく Your brother となっており、 必要以上の情報が含まれていることは明らかであり、したがって、量の格率 に明らかに違反しているので、容認性が低い文になっているのである。この ように、(1b)、 (2)のような同一名詞句の繰り返しや、(1c)のように、Your brother などの別の表現を使用することは、一般に(4b)の原則に反すると考 えてよい。
エレガント・バリエーション
前章では、英語は同一名詞句を繰り返すことを避ける傾向があることを見 た。同一名詞句を繰り返すことを避けるべきであるという原則は、英語の多 くの語法と文体に関する研究書や辞書の中でも指摘されている (Greenbaum & Whitcut 1988, Partridge 1994)。したがって、たとえば、(1b)のように、 同一名詞句の Tom が繰り返されている文は、Tom を特に強調するような文 脈を除いては使用されない。Fowler (1926 : 131) は、英語の書き方の手引き などに見られる「一文の中、あるいは20行以内で、同じ語を決して使用してはいけない」という若い書き手に対する忠告が致命的な影響を与えている (The fatal influence is the advice given to young writers never to use the same word twice in a sentence−or within 20 lines or other limit.) と言っている。 確かに、同じ表現を多用するのは、文体的に幼稚な印象を与えることは否め ない。
(5) Unfortunately Lord Dudley has never fully recovered from the malady which necessitated an operation in Dublin some four years since, dur-ing Lord Dudley’s Lord-Lieutenancy. (Fowler 1926 : 131)
このような繰り返しを避けるため、代名詞を使用することが普通であるが、 代名詞の代わりに、別の表現を使用することも英語にはしばしば見られる現 象である。これは、同じ表現を繰り返すことに対するある種の過剰反応とも 言ってよいものである。具体的には、すでに見た(1c)の例もそれに当たる。 Fowler (1926, 1931) が挙げているのは次のような例である。
(6) Mr. Wolff, the well-known mining engineer, yesterday paid a visit to the scene of the disaster. The expert gave it as his opinion that no blame attached. . . (Fowler 1931 : 185) (7) There are 466 cases ; they consit of 366 matrimonial suits, 56 Admiralty actions, & 44 Probate cases. (Fowler 1926 : 132)
Fowler (1926) は、同一語句や代名詞を使用せず、言い換えあるいは類義語 を使用する修辞法をエレガント・バリエーション (elegant variation : 優美な 変奏)と呼ぶ。そして Fowler は、二流の物書きほど、文章を明快に書くこ とより、エレガント・バリエーションのような技巧を使って書こうとするこ とに熱心である、と痛烈な批判を行っているわけである。表現に変化をもた せるこのような技法をエレガント・バリエーションと名付けたのは、Fowler
本人であり、皮肉を込めて「エレガント」と呼んでいるのである。
さて、(6)の場合、The expert は不適切であり、代名詞の He に書き換 えるべきだと Fowler は主張する。(7)については、 Fowler は suits と acions を削除すべきであると言っている。あるいは、エレガント・バリエーション を付けるより、cases を毎回繰り返したほうがよいとまで言っている。これ らの例の他にも、Fowler は多くのエレガント・バリエーションの実例を挙 げているが、エレガント・バリエーションに関して概して否定的である。で は、どのような場合に、代名詞ではなくエレガント・バリエーションを使用 するのかというと、それは代名詞の使用により、文意が曖昧 (ambiguity) に なったり、単調 (monotony) になったりすることを避ける場合に限るべきで あるというのが、Fowler の意見である (Fowler 1931 : 185)。 ここで、エレガント・バリエーションについて、Fowler 以外の英語研究 者の意見を見てみよう。Greenbaum & Whitcut (1988) によれば、エレガン ト・バリエーションは同じ語彙を使用するのを避けるため、表現に変化を持 たせる技巧であるが、時に、別のものを指す場合があり誤解を生むことがあ る。また、彼らはこの技巧は大げさで (pompous)、滑稽 (facetious) である とも言っている。
(8) The man who had attempted to assassinate the pope was forgiven by the pontiff during a visit to the prison by the Holy Father.
(Greenbaum & Whitcut 1988 : 237)
この文は次の(9)のように書き換えるか、あるいは、(10)のように能動態に するともっとよくなる、と Greenbaum & Whitcut は言う。
(9) The man who had attempted to assassinate the pope was forgiven by him during his visit to the prison.
to assassinate him, and forgave him.
Partridge (1994) は、エレガント・バリエーションはどうしても必要な時 には使用すればよいが、そのような時は実際にはないと言い切る。そして、 次のようなエレガント・バリエーションの文を挙げている。
(11) The person did not know what to do. This individual asked someone what he should do. Indeed, the man asked several bystanders what they advised. (Partridge 1994 : 340)
Partridge によれば、この文はばかげた (absurd) 文である。確かに、This in-dividual も the man も he で受けることに何の問題もない。
以上見てきたように、エレガント・バリエーションの用法は、甚だ文法学 者には評判が良くない。
小説の中のエレガント・バリエーション
前章で見たように、エレガント・バリエーションの多用は厳に慎むべきで あることが分かったわけであるが、現実の英語の中には、エレガント・バリ エーションが散見されることも紛れのない事実である。本章では、英語の長 い歴史の中で、いかにエレガント・バリエーションが使用されて現在に至っ ているかを、主に、英米の小説を題材にしながら実証的に観察し、エレガン ト・バリエーションの本質を追究する。 エレガント・バリエーションの歴史は長い。単調さを回避するため、ある 事を、別の言い方で表現することは、古典修辞学 (classical rhetoric) では、 expolitio とか exergasia(同一思想反復)などと呼ばれ、単調さを回避する ため、あるいは表現を強調するための常套手段であった (Wales 2001 : 402)。fen-path, where the mountain-stream falls down under the darkness of the nesses, a flood, down under the earth.
上記の例は古英語の Beowulf からの引用であるが、a secret land(秘密の土 地)の言い換えとして、wolf-cliffs(オオカミの出る崖)、windy nesses(風 のきつい岬)、a dangerous fen-path(危険な沼地の小道)などが使用されて いる。また、the mountain-stream(渓流)の後に a flood(流れ)が、down under the darkness of the nesses(岬の暗闇に落ちる)の後に down under the earth(地下に落ちる)が同義語として加えられている。
このようなエレガント・バリエーションの技巧は、英語の中英語の代表的 な作品である Sir Thomas Malory の Le Morte d’Arthur の中にも散見される。
(13) By then came into the field King Ban as fierce as a lion, with bands of green and thereupon gold. Ha ! ha ! said King Lot, we must be discom-fited, for yonder I see the most valiant knight of the world, and the man of the most renown, for such two brethren as is King Ban and King Bors are not living, wherefore we must needs void or die. (p. 28)
上記の(13)の文章では、King Ban は次の文で the most valiant knight of the world(世界で最も勇敢な騎士)、the man of the most renown(最も有名な 男)と言い換えられている。
(14) I love Guenever the king’s daughter, Leodegrance of the land of Cameliard, the which holdeth in his house the Table Round that ye told he had of my father Uther. And this damosel is the most valiant and fairest lady that I know living, or yet that ever I could find. (p. 71)
Cameliard(カメリアードの地、レオデグランスの王の娘)と this damosel (この乙女)で言い換えられている。
(15) Then King Arthur took Sir Tristram by the hand and went to the Table Round. . . . Welcome, said Arthur, for one of the best knights, and the gentlest of the world, and the man of most worship ; for of all manner of hunting thou bearest the prize, and of all measures of blowing thou art the beginning, and of all terms of hunting and hawking ye are the beginner, of all instruments of music ye are the best ; therefore, gentle knight, said Arthur, ye are welcome to this court. (p. 379)
(15)の文章では、Sir Tristram は夥しい程の言い換えがなされており、彼が アーサー王の円卓の騎士として諸手を挙げて迎えられたことが分かる。すな わち、Sir Tristram に対して one of the best knights(最も素晴らしい騎士の 一人)、the gentlest of the world(世界で最も育ちがよい人)、the man of most worship(最も崇拝される人)、for of all manner of hunting thou bearest the prize(どんな狩りでも賞を得る人)、of all measures of blowing thou art the beginning(どんな打撃でも一番の人)、of all terms of hunting and hawking ye are the beginner(どんなキツネ狩りや鷹狩りでも一番の人)、of all instru-ments of music ye are the best(どんな楽器もお手のもの)、gentle knight (高貴な騎士)など、彼を誉め讃える言葉が畳み掛けられている。まさにエ レガント・バリエーションのオンパレードと言ってよいだろう。
近代英語のエレガント・バリエーション
次に近代英語でのエレガント・バリエーションを見てみよう。Leech & Short (1981) は Henry James (18431916)、Joseph Conrad (18571924)、D. H. Lawrence (18851930) という3人の作家の作品の中のエレガント・バリ エーションを調査している。かれらが取り上げたのは、ジェイムズの “The
Pupil” (1891年出版)、コンラッドの “The Secret Sharer” (1910年出版)、ロ レンスの “Odour of Chrysanthemums”(1911年出版) である。これらの引用 部分は、いずれも長さがほぼ同じで、短編の冒頭部分の500語程度に限って いる点で共通している。これらの引用部分の中で、エレガント・バリエーシ ョンを一番使用しているのはジェイムズで11件、その次がコンラッドで4件、 一番少ないのはロレンスの3件である。この結果から言えることは、19世紀 末から20世紀初頭の作家たちはエレガント・バリエーションをしばしば使用 しているということである。特に、ジェイムズにその傾向が強いことが分か る。
Leech & Short が取り上げたのは、 短編小説の冒頭の500語程度の比較的短 い文章であったので、本稿では、ジェイムズの別の中編小説 “Daisy Miller” の全体を調査対象として取り上げることにする2)。この小説の中のエレガン
ト・バリエーションを論じる前に、簡単に登場人物と粗筋を紹介しよう。こ の物語の語り手であるウィンターボーン (Frederick Winterbourne) はヨーロ ッパに滞在中のアメリカ人青年であり、スイスの小さな町ヴェヴェーで若く て自由奔放なアメリカ女性のデイジー・ミラー (Daisy Miller、本名は Annie P. Miller) と出会う。デイジーにはランドルフ (Randolph) という弟がおり、 母親のミラー夫人 (Mrs. Miller) とともにヨーロッパを旅行している。ロー マに行ったデイジーは、そこでイタリア人のジョヴァネリ (Mr. Giovanelli) と仲良くなる。ウィンターボーンにはコステロ夫人 (Mrs. Costello) という 伯母がいる。この伯母はヨーロッパに滞在しており、デイジーを軽蔑し冷た い態度をとる。ウィンターボーンの知人のアメリカ人のウォーカー夫人 (Mrs. Walker) も自由奔放なデイジーに良い気持ちはもっていない。ある夜、 デイジーはジョヴァネリとコロシウムを訪れる。夜のコロシウムは蚊が一杯 で危険な場所である。ウィンターボーンはデージに急いで帰宅するように忠 2) 小説の中のエレガント・バリエーションについての先行研究としては、大沼 (1963) と豊田 (1981) がある。いずれも優れた論考であるが、特に、豊田 (1981) は Daisy Miller を取り上げ、その中に現れたエレガント・バリエーションを網羅的ではないが 鋭く分析しており参考になる。
告するが、時既に遅く、数日後デイジーはマラリアのためこの世から去る。 この物語の中で、語り手のウィンターボーンは the young man, the young American, her companion というような言い換えがなされており、エレガン ト・バリエーションの数はそれ程多くない。一方、主人公のデイジーについ ては多くのエレガント・バリエーションがある。例えば、the young girl, the young lady, the young American lady, this unknown young lady, the poor girl, the extremely pretty young foreign lady, a delicate young girl, the signorina, his own lovely fellow-country woman, Master Randolph’s sister, the little American flirt, Winterbourne’s companion, his pretty companion など、ざっと見ただけで13 の言い換えがあった。ウィンターボーンの恋敵といってよいジョヴァネリに 対しては、this gentleman, the gentleman with the nosegay in his bosom, a beautiful Italian, the little Italian, the fortunate Italian, that handsome Italian, the subtle Roman, the brilliant little Roman, this brilliant personage, the handsome native, her countryman, that little barber’s block, her companion, Daisy’s com-panion, her cicerone, her attendant など、 ざっと16のエレガント・バリエー ションがあった。その他の登場人物を見てみると、コステロ夫人は this lady、 ミラー夫人は Daisy’s mamma, her mother, Randolph’s mamma, the elder lady, Dr. Davis’s patient、ウォーカー夫人は the lady from Geneva, this lady, his companion, his hostess などと呼ばれている。
これらの各登場人物の中で使用さているエレガント・バリエーションの数 が際立って多いのはデイジーとジョヴァネリである。このことからも、この 物語の中で2人が重要な人物であることが理解できる。著者のジェイムズは、 デイジーとジョヴァネリを様々な言い換えによって、その二人の性格や他者 との関係性を明らかにしていく訳であり、その意味でエレガント・バリエー ションは小説構成の重要な道具立てとして使われていると言える。ウィンタ ーボーンにとって、デイジーは若い女性である (the young girl, the young lady, the young American lady)。加えて、まだよく分からない女性 (this un-known young lady) であり、美しい女性 (the extremely pretty young foreign
lady, his own lovely fellow-country woman) であり、可哀想な (the poor girl)、 繊細な少女 (a delicate young girl) である。また、はすっぱなアメリカ女性 (the little American flirt)で、ランドルフの姉 (Master Randolph’s sister) で あり、シロン城への遠足の同行者 (Winterbourne’s companion, his pretty com-panion) でもある。ミラー夫人はデイジーとランドルフの母親 (Daisy’s mamma, her mother, Randolph’s mamma) であり、年老いた夫人 (the elder lady) である。彼女は米国での掛かり付けの医者であるデイビス先生の患者 (Dr. Davis’s patient) でもある。ウォーカー夫人はジュネーブからやってき た夫人 (the lady from Geneva, this lady) であり、パーティーのホスト (his hostess) でもある。
この作品の中で、エレガント・バリエーションが使われている具体的な例 文を挙げてみよう。
(16) Like her daughter, Mrs. Miller was dressed with extreme elegance ; she had enormous diamonds in her ears. So far as Winterbourne could observe, she gave him no greeting−she certainly was not looking at him. Daisy was near her, pulling her shawl straight. “What are you doing, poking round here ?” this young lady inquired, . . . “I shouldn’t think you’d want that shawl !” Daisy exclaimed. “Well, I do !” her mother answered, with a little laugh. . . “I was telling Mr. Winter-bourne,” the young girl went on ; and to the young man’s ear her tone might have indicated that she had been uttering his name all her life. (pp. 147148)
上記の文章では、ウィンターボーンは若い男 (the young man)、デイジーは 若い婦人・若い少女 (the young lady, the young girl) として言い換えられて おり、ウィンターボーンとデイジーが若者であるということがこの箇所では 強調されている。一方、ミラー夫人は彼女の母親 (her mother) として言い
換えられており、デイジーの母親としての役割が重視されていることがわか る。
(17) This announcement, instead of embarrassing Mrs. Miller, seemed to relieve her. “I suffered from the liver,” she said. . . Winterbourne had a good deal of pathological gossip with Dr. Davis’s patient, during which Daisy chattered unremittingly to her own companion. The young man asked Mrs. Miller how she was pleased with Rome. (pp. 159160)
この文章でも、ウィンターボーンは若い男 (the young man) と呼ばれてい るが、ミラー夫人はデイビス先生の患者 (Dr. Davis’s patient) と呼ばれてい る。これは、先行文脈の中で、ミラー夫人の米国での掛かり付けの医者の Davis 先生が、どれだけ優れた医者であるかを、滔々と述べるミラー夫人に ウィンターボーンが付けたあだ名のようなものである。
(18) “That was very cruel,” he said to Mrs. Walker. “She never enters my drawing-room again !” replied his hostess. Since Winterbourne was not to meet her in Mrs. Walker’s drawing-room, he went as often as possi-ble to Mrs. Miller’s hotel. The ladies were rarely at home ; but when he found them the devoted Giovanelli was always present. Very often the brilliant little Roman was in the drawing-room with Daisy alone, . . . (p. 177)
(18)の文章では、ウォーカー夫人はパーティのホステス役をしているので、 ウィンターボーンのホステス (his hostess) と呼ばれている。ジョヴァネリ は聡明で小柄なローマ人 (the brilliant little Roman) と呼ばれており、ウィ ンターボーンのジョヴァネリに対する印象がこの呼び方で理解できる。
の他者との関係性や性格描写のために欠かせない道具立ての一つということ ができる。
次に、現代作家の Dan Brown の The Da Vinci Code からエレガント・バ リエーションを見てみよう。
(19) Renowned curator Jacquesstaggered through the vaulted arch-way of the museum’s Grand Gallery. He lunged for the nearest painting he could see, a Caravaggio. Grabbing the gilded frame, the seventy-six-year-old man heaved the masterpiece toward himself until it tore from the wall and collapsed backward in a heap beneath the canvas. . . The curator lay a moment, gasping for breath, taking stock. . . A voice spoke, chillingly close. “Do not move.” On his hands and knees, the curator froze, turning his head slowly. Only fifteen feet away, outside the sealed gate, the mountainous silhouette of his at-tacker stared through the iron bars. He was broad and tall, with ghost-pale skin and thinning white hair. His irises were pink with dark red pupils. The albino drew a pistol from his coat and aimed the barrel through the bars, directly at the curator. (p. 3)
ここでも、エレガント・バリエーションが頻繁に使用されている。上記の文 章では、まず高名な館長であるジャック・ソニエール (Renowned curator Jacques ) が登場する。ソニエールはその後、彼 (He) で受けられた 後、76歳の男性 (the seventy-six-year-old man) と言い換えられ、館長 (the curator) とも呼ばれている。一方、ジャック・ソニエールを襲った男 (the attacker) は色素欠乏症 (the albino) と呼ばれており、襲撃者の冷徹な性格 がエレガント・バリエーションの使用によって裏打ちされる。このように、 現代小説においても、小説の重要な技巧としてエレガント・バリエーション は多用されているのである。
おわりに
本稿では、エレガント・バリエーションの実際を、英語の小説を題材にし て探ってみた。一般にエレガント・バリエーションは、語法・文法や文体の 専門家には、余り評判が良くない。エレガント・バリエーションはできれば 避けたい技巧と言われ続けてきた。しかしながら、多くの小説家にとって、 エレガント・バリエーションは小説を書く上での必要な手法であることをい くつかの実例を挙げながら示した。なお、今回は、小説をデータとして分析 を試みたが、エレガント・バリエーションは他のレジスター(新聞や雑誌等) でもしばしば使用される。この点については、別の機会に論じたい。 (筆者は関西学院大学経済学部教授) *大日向幻さんと私は、1974年(昭和49年)に大学院の授業ではじめて出会った。当時 私が関学英文科の修士課程の2年生で、大日向さんは1年生であった。その年の秋学期に テキサス大学オースティン校の Roy E. Teele 教授が英文科の客員教授として着任された。 大日向さんと私はともに Teele 教授の授業を受講した。その学期のテキストが Sir Thomas Malory の Le Morte d’Arthur であった。Teele 教授の名講義を聴きながら、Every-man’s Library 発行の全2巻、800頁からなるこの大著を、大日向さん他、数名の院生と楽 しく読んだ。本稿の例文の中に、Le Morte d’Arthur から幾つかの用例を引用したのは、あ りし日の畏友、大日向さんを偲んでのことである。参考文献 (使用テキスト)
Dan Brown (2003), The Da Vinci Code. New York : Doubleday.
Henry James (1969), The Turn of the Screw and Daisy Miller. New York : Dell. Sir Thomas Malory (1972), Le Morte d’Arthur. Vol. 1. London : Dent. (引用文献)
Blakemore, D. (1992), Understanding Utterances. Oxford : Blackwell.
Fowler, H. W. (1926), A Dictionary of Modern English Usage. Oxford: Oxford University Press. Fowler, H. W. and F. G. Fowler (1931), The King’s English. Oxford : Oxford University Press. Greenbaum, S. and J. Whitcut (1988), Longman Guide to English Usage. London: Longman. Grice, H. P. (1975), “Logic and Conversation,” in Cole, P. and Morgan J. L. eds., Syntax and
Halliday, M. A. K. and R. Hasan (1976), Cohesion in English. London : Longman. Leech G. and M. Short (1981), Style in Fiction. London : Longman.
Wales, K. (2001), A Dictionary of Stylistics, 2nd ed. Harlow, England : Pearson.
Partridge, E. (1994), Usage and Abusage : A Guide to Good English. Whitcut, J. ed., London : Hamilton.
大沼雅彦 (1963) “Elegant Variation : A Stylistical Survey,”『神戸外大論叢 第13巻, 第5 号, 6581頁.
神崎高明 (1994)『日英語の代名詞の研究』研究社. 豊田昌倫 (1981)『英語のスタイル』研究社.