Title
池間島における特別な利用植物としてのアダン
Author(s)
盛口, 満; 三輪, 大介; 三輪, 智子; 木下, 靖子
Citation
沖縄大学人文学部こども文化学科紀要(4): 91-108
Issue Date
2017-10
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/22011
Rights
沖縄大学人文学部こども文化学科
【調査報告】
池間島における特別な利用植物としてのアダン
Extremely useful plant, that is pandanus (Pandanus odoratissimus) at Ikema Is. 盛口満1・三輪大介2・三輪智子2・木下靖子2 (1: 沖縄大学 2:NPO 法人いけま福祉支援センター) 1. はじめに 琉球列島の里山は、1960 年代以降、人々の暮らしの変化とともに、大きく様変わりをしてい る(盛口 2011)。そうした中で、年配者への植物利用の聞き書きから、往時の里山の様子を 記録、比較できないかという試みを続けている。琉球列島の島々の里山といった場合、高島と 低島では人々の生業も異なれば、島の自然環境も異なるため、様々な様相を呈していたことが 予想されうる。典型的な低島で面積も小さい池間島の植物利用を調べることで、低島と高島の 里山の様相の違いが明らかになるのではと考え、池間島の植物利用についての聞き取りを行う こととした。なお、聞き取り調査を行ったのは、2017 年 4 月 19 日・20 日の二日間である。 2・聞き取り調査の結果 2-1・山口修さん (昭和31 生まれ)・山口ゆかりさん (昭和 33 年生まれ) 三輪:島のお年寄りたちから、タムヌ(薪)の話を聞いてみたいと思っているのですが。 修:僕らはカツオ船で伊良部島にいって、焙乾用のモクマオウやマツの薪をそこで買って池間 に戻ったけど。 三輪:家庭用の薪は、その焙乾用の薪の皮を拾って使ったという話は聞いたことがあります。 修:皮は火種に使ったわけさ。 ゆかり:モクマオウは燃やしたときに、煙が少ないわけ。私はツカサをしていたけど、ウタキ にこもるときに、なるべくそういう煙が少ないものを燃やすようにしていました。 三輪:ゆかりさんは、海にいって獲物を捕るのも好きですよね。 ゆかり:この前もッシガン(カノコオウギガニ)という小さくて、殻の硬いカニをとって、ゲ ンノウでたたいてつぶしてから、ッシガンドウフにして。殻が硬いから、ゲンノウじゃないと つぶれないから。あのカニは日が当たるときに巣の中から離れるんだって。日が出るときにお 散歩に行くわけ。それを見つけたら、ンープラ(芋ほりに使う棒状の道具)で叩いて、脳震盪 をおこさせて……。 修:手で取ろうとしたら、すばしっこくて間に合わないわけよ。 ゆかり:早いんだよね。だから、ンープラで、ボーンと叩く。そうすると、動きがにぶるから ね。この前はあんまりたくさん捕れなかったらから、ッシガンドウフではなくって、そのまま ゆがいてスープにしたけれど、これがおいしいわけ。甲羅をはずして、中の肉を全部食べまし た。甲羅の裏に、赤い脂が入っていてね。 修:うちはじいちゃんも父ちゃんも漁師だったけど、ゆかりと一緒になるまで、ッシガンを食 べるというのは知らなかった。うちは、子どものころから、海で捕るといったら、サザエより は魚だったから、ッシガンとかは食べなかったよ。 ゆかり:ヤシガニは、家の庭から家に上ってきたりするけれど、ヤシガニは食べません。
盛口:池間ではヤシガニを食べないという事ですか? 修:島では食べるけどね。僕は、小さいとき、ヤシガニを食べたことがあるけれど、あれは、 食べる時に細長い腸を出して食べる。それを、腸ごと食べたら、苦い思いして。きれいにとっ たら、いい味がするけど、ヤシガニは苦いという思い出があるから食べようと思わない。あと、 昔はお墓のまわりにヤシガニがいっぱいいて、あれは人の肉を食べたといっていたから、それ もある。 三輪:アマン(オカヤドカリ)も一緒ですか? 修:そう。でも、海の中に棲んでいる、大きな赤いヤドカリは肉が白くて、食べたらおいいし いよ。 靖子:ゆかりさんと一緒に海に行ったら、どんどん先の方へ歩いて行って、やっと追いついた なと思ったらしゃがんでいて、何をしているのかなと思ったら、採ったナマコの内臓抜いてて。 ゆかり:あたしの目的はッシガンとナマコだから。サザエとか興味ない。 三輪:ナマコはどうやって食べるのですか? ゆかり:ナマコは茶色いやつ(クリイロナマコ?)。ゆがいてから、炒めて食べます。あとはサ ラダ。 修:ナマコは採ったら、さばいて中を出す。そうしないと重いから。そうそう、前にも話をし たことがあるけれど、ナマコを潮だまりでさばいていたら、その中の魚がふらふらと酔ったよ うになったことがあった。 盛口:ナマコの中にはサポニンという成分を含む種類があって、魚毒になるものがあります。 修:アカイラウツ(和名:バラフエダイ)はあたったり、あたらなかったりするね。 三輪:修さんは、網の重りにスビィ(タカラガイ類)を使っていた頃は知っていますか? 修:小っちゃいころはスビィの重りだったよ。あれは、スビィを採ってきて、殻にタガネをあ てて打つと、殻の上のほうだけ取れるんだよ。その頃は、網の浮きも今みたいにプラスチック じゃなくて、スギ板だったよ。こうしたものは、60 年代までは使っていたからね。ただ、スビ の重りは、よくひっかかって、はずすのが大変。 三輪:サバ(サメ類)の油を塗ったロープで、サバナーというのもありましたね。 修:マグロを釣るときのロープは、サメの油をしみこませたものを使った。サメの油をしみこ ませたからサバナーと呼んだのか、サメを釣るときに使えるぐらい丈夫だからサバナーと呼ん だのかはわからないけど。子どものころ、サバナーを触ったら、ぬるぬるしていた思い出があ る。 盛口:今日、出していただいた御馳走の中にもサメの刺身とフライがありますが、どんな種類 のサメを食べるのですか? 修:鼻先とヒレの先が白っぽいやつ。あと、メジロザメも食べられる。ただし、大きなサメは アンモニア臭が強くなるから、1 メートル前後の大きさのが、食べるのにはいいみたい。イッ チャウ(和名:イタチザメ)はどうしてもアンモニア臭いけど。鼻先が白いのは、ッスハナウ ツと呼んでいて、大きさは1 メートルぐらい。これは、一本釣りをしていると、針にかかって あがってくる。ナカーと呼ぶサメは、1 メートル 50 センチぐらい。これもおいしく食べられる。 三輪:ナカーはアカジン(ハタの仲間)を食べちゃったりするやつですか? 修:そう。メジロは大きくなったら2 メートルぐらいになる。大きくなったサメは手でもんで、 アクを出さないとおいしくない。僕が子供のころはどんなサメでももんでからしか食べなかっ たけど。 三輪:アダンに、石アダンと水アダンという違いがあるという話を聞いたことがあるのですが、
ご存じですか?(注・1) 修:知っている。石アダンはツガキ(ばらばらにした果実のこと)がつまっている。水アダン はツガキの間がひらいていて、ひとつひとつ、もぎやすい。 三輪:石アダンは幹も硬くて建材に使ったという話も聞きましたが。 修:幹も硬いと思うよ。 三輪:ツガキをはずしていくと、実の中に柔らかいバスと呼ばれる芯があって、これがおいし いんですよね。 修:バスは煮つけて食べるけど、子供の頃はそのままも食べた。ツガキをもぐと、根元のとこ ろに甘いところがあるから、それをしゃぶって捨てて、中にバスがあるから、実の柄をつかん で今度はバスを食べて。要領のいい人は、実の先のほうだけツガキをもがずに残しておくと、 その先と柄のところを両方もって、トウモロコシを食べるみたいに、バスを食べれるわけ。 三輪:その当時の子共は、歯が丈夫だったんですね。 修:アダンはまだ柔らかいよ。キビの幹の皮を歯ではがして食べていたから。よく、キビ畑の 中に潜り込んで、食べていたよ。駅伝大会で、何人か見当たらないと思ったら、畑の中に潜り 込んでキビをかじっていたりとかね。 三輪:ツガキの中に、白い仁のようなところがありますが、これは食べましたか? 修:そこまでめんどくさいことはしなかった。ヤラブ(テリハボク)の実は食べたよ。 ゆかり:甘いよ。 修:バンツギー(シマグワ)はおいしい。バンツギーの中には、実が大きなヤマトバンツギー というのがあって、うちの裏にもあったよ。 盛口:昔、宮古では養蚕をしていましたか? 修:やっていたよ。 盛口:養蚕をしていたときに、沖縄に自生しているシマグワではなくて、本土のクワを持って きたという事があるのかもしれませんね。 三輪:ックツギー(フクギ)の実は食べましたか? 修:あれは毒はないの? 盛口:ニオイは臭いですが、毒はありません。 修:フクギの実は食べたことがない。あと食べていたのは、ハンキマランータ(野イチゴ類)、 それとヤマブドウ(エビヅル)、それとグミ。ヤマブドウは、最近、実をなかなかつけないね。 フットランータ(イヌビワ)も食べたし、バンシルーもあった。ただ、もともと島にあったバ ンシルーは小さいよ。アコウギンータ(アコウの実)も食べたよ(注・2)。 ゆかり:昔は家の門のところにバンツギーが植わっていて、これをカギジョウバンツギと呼ん でいました。シンボルみたいなものかな。ナナムイ(オハルズウタキのある森の一帯を指す) の中にもカギジョウバンツギーがあって、お供えをするときは、御供え物を、このバンツギー の葉の上にのせました。 三輪:ナナムイの中で使う植物は、御供え物を載せるバンツギーの葉、それと座布団はクバ(ビ ロウ)、それと杖はオオムラサキシキブ。ほかにもありますか? ゆかり:頭に載せる冠は、ユークイのときは、ハマカッジャ(グンバイヒルガオ)で、スマフ サラのときは、葉っぱがササみたいなつる(トウヅルモドキ)。これは、ちゃんと採る場所があ ります。ユークイのときに使う杖はナナムイの中で採って、皮をみんなはいでおいて、一晩お いておいて、まわるぞというときになって手に取って、終わったらまたそこに返しておきます (注・3)。
三輪:ネズミを船に乗せて、海に送るというのもありますね。 ゆかり;ムスヌヌン。私もやったよ。船の形を作って、そこにネズミとか虫をのせて海に流し てね。この船は、浜から流すんじゃなくて、船に乗せて、遠くまで持って行ってから流します。 戻ってきたら、船の船長さんの体を海水に浸したハマカッジャでたたいて清めます。 修:これの反対のもある。島の人が、島外で亡くなったとき、魂を島に戻すということがある。 スマヌースゥ(島に乗せる)というもの。やっぱり木で、小さな船を作って、これを浜から沖 に引っ張って行って、そこで魂に乗りなさいといってから、浜まで引いてくるわけ。 ゆかり:このとき、生きたブタをヤマトバマで殺して捧げます。 修:ヤマトバマでやるんだけど、ヤマトバマという名前からして、関係しているんだろうね。 ゆかり:島の中で人が亡くなったときも豚一頭つぶすさ。 修:保健所の指導があるから、今はなかなか豚をつぶせないけどね。 盛口:スマフサラのときも、豚の骨とかを吊るしたりしますね。 ゆかり:豚を一頭つぶして、あの場所には肩甲骨、この場所には腕の骨とか吊るしてね。豚は つぶして、ゆがいてからお膳に並べます。スマフサラの時に使う縄は、ギシツ(和名:ススキ) の葉を反対向きになって作ります。今はキビを縛るロープでやっているけれど。 修:昔と同じようにはできないことがあって、簡素化しちゃうものがある。忠実にやろうと思 っても、例えば豚は勝手につぶせなくなっているわけだし、難しいね。 盛口:ゆかりさんは、ツカサをされていたんですね。 ゆかり:ツカサをやっていたのは3 年間。この間は海にいっちゃいけないし、海も見ちゃいけ ないと言われていてね。昔は島からも出ちゃいけなかった。 修:ツカサの旦那は殺生をしてはいけないということになっていた。 三輪:昔は粟や麦も作っていましたね。 ゆかり:粟も麦も作っていて、これで神酒を造っていました。アワの神酒はアーンツ。これを 復活させました。昔は芋でも神酒を造っていてね。それと昔は口かみでお酒を造ったんだけど、 私は麹菌をもらって作りました。バナナの葉っぱをちょっとあぶってから甕の蓋にして。これ をギシツで縛って。このとき、塩も一緒に縛ります。一年の無病息災を願うフッビューイウサ ギの時には、こうして作った粟の神酒を使います。 三輪:昔ながらの粟も、また島で作りたいですね。 2-2・伊良波ハチさん (大正13 年生まれ) 三輪:昔のタムヌの話を教えてください。 ハチ:小学生のころ、アダン葉は貴重な薪だったから。(注・4)手袋の無い時代よ。手をアダ ンの棘でさされてもがんばってよ。薪採りが、一番苦労したよ 盛口:薪採りは女性の仕事だったのですね。 ハチ:女の仕事。大変でした。 盛口:毎日採りにいっていたのですか? ハチ:今日採ってきたお芋をニンマイナベ(二枚鍋)で炊くでしょう。これ炊いたら採ってき た薪、みんな燃えてしまって、翌日にも採りにいかないと。大変だったよ。手袋の無い時代だ ったから、まるでサルの手のようになってね。 盛口:ツガキも薪にしましたか? ハチ:ツガキは袋に入れてとっておいたさ。米屋で使うような袋にね。これに保存しておいて、
冬の寒いときにだして、火鉢に砂を入れて、乾燥したツガキをおいて、これを燃やして温まっ た。(注・5)時代が時代だったから。私は大正13 年生まれだから、誕生日がきたら、94 歳だ よ。 三輪:捕ってきた魚を燻製とかにもしましたか? ハチ:海をやっている男が捕ってきたものを乾燥させるためにアマダがあった。冬になったら、 アマダの上において乾燥させて。 三輪:アダン葉は、灯台のほうまで採りにいったのですか? ハチ:灯台へ行く道路があるね。その近くに私の畑があったよ。そこでパインを作ったことも ある。池間では私だけがパインを作った。それがキビを作らんとダメというので、キビに切り 替えて。薪はアダンニー(島の北端の海岸部に広がるアダンの林)まで採りにいったよ。(注・ 6)奥にいったほうが枯れた葉っぱがあるからと入って、道迷いしたこともあったさ。ススキ も切って薪にしたよ。9 月ごろ、花を咲かすでしょう。そうしたら切って、道のそばで乾かし てね。 三輪:粟や麦も作りましたか? ハチ:作ったよ。麦は味噌を作るときの麹に適していたから、必ず作っていたよ。 三輪:麦を食べることもありましたか? ハチ:お米に混ぜてね。(注・7)あとは砂糖を入れてぜんざいにしたり。麦は皮を剥くのが大 きい仕事さ。束をそろえて、海からサンゴ石を採ってきて、ごしごしとこすって粒をはずして、 これを木臼に入れて皮をとって乾燥させて。これを箱にいれて麹をつくって。麹を入れないと 味噌ができないよ。 三輪:味噌を作るときのマメはなんでしたか? ハチ:ダイズ。豆腐を作るときのマメだよ。 三輪:昔のダイズは小さいものでしたか? ハチ:小さいマメも作っていたけど、あれはめんどくさいさ。それにつぶすとき、あんまりつ ぶされないよ。私は豆腐も一時作っていたよ。石うすでまわしてつぶして、潮水で固めて豆腐 にして、それを売っていたことがあるよ。粟も作っていたけど、それがみんなキビに替わって ね。 三輪:アダンは薪以外に、何に使いましたか? ハチ:私は生活改善グループの会長もしていました。昔はえらいよ。役所から部落の清掃をさ せると調べに来てね。私はアダン葉をとってきて、台所にきれいにそろえて置いておいたらす ごいねーと言われて。 三輪:アダナス(アダンの気根)も使いますね。 ハチ:平良の運動場で、池間、狩俣と6 か所が集まって運動会をしたことがあって、アダナス から綱をなう競争があってね。これはきれいになったらダメ。大波になった人が早いから優勝 したよ。アダナスを使うときは、今年生まれを使うよ。2 年、3 年目のものは使わない。これ を採ってきて、裂いて干して、これで草鞋もアンディラも作る。 三輪:カツオ漁のロープのアダナスで作りましたね? ハチ:そうそう。浜にロープをなう道具があるわけさ。すごい苦労をしているはずよ。太いの を作らないといけないから。キビの収穫時期にはススキを採って干して縄をなって、これを準 備しておくわけさ。上手につくらないと、キビをたばねるときに外れてしまうからね。 三輪:アダナスで草履も作りましたね。 ハチ:フダミ(アダナスで作った草履)ね。昔のおばあたちは、潮干狩りのときは、前もって
フダミを作っておいてね。潮干狩りにいくでしょう。そうすると小さな魚ガマが穴の中で眠っ ているふりをしてね。手袋ない時代だから手で捕って。ハラフニャ(アイゴ)に刺されて肩ま で腫れたことがあるよ。捕った魚はアンディラに入れて持って帰って。 三輪:アダンに石アダンと水アダンという違いがあると聞いたことがあるのですが。 ハチ:アダンはいろいろ味が違う。甘いのもあれば、おいしくないのもある。薪をよく採りに いっていた姉さんたちはおいいしいのがどこにあるかわかっていたよ。知らない人はわからな いよ。 三輪:よく食べましたか? ハチ:よく食べた。 三輪:ツガキをはずすと、中にはバスがありますね。 ハチ:バスには甘いのもあるし、いろいろと味が違うみたい。筋っぽいのもあるよ。おいしい のは、薪採りの時に採って、家まで持って帰ってね。ユリの花の時期は、花も薪と一緒におみ やげといって持って帰って。 盛口:お産のあと、体を温めるのに薪を燃やしませんでしたか? ハチ:アダンのツガキを乾燥させたものとか。あと、臨月になるというと、ガジュマルの木を 乾燥させておいて、これを燃やして。腰を温めるのが一番の薬と言っていたから。子どもを産 むのが寒い時でも暖かいときでもそう。木を 30 センチぐらいに切っておいて、これをお産用 の古い鍋にいれて燃やして。木があんまり長いと鍋の外に出てしまうから。(注・8) 三輪:クバの木は使いましたか? ハチ:クバの葉は水汲みの釣瓶をつくっていた。クバは隣の家にあるよ。あと、クバの葉で扇 を作ったり、いろいろと使われていたよ。 盛口:ソテツは食べましたか? ハチ:昔は食べた。私たちの時代には使ったことがないけど。もののない時代のことよ。干ば つのあったときとか。 三輪:サバニのッザク(櫂)をつくる木はなんでしょう? ハチ:ッザクギー(マルバチシャノキ)。ただ、今は木がないさ。 三輪:ヤラブは何かに使いますか? ハチ:使われないよ。 三輪:薪にもしませんか? ハチ:昔は使っていたと思うが。自分の畑にはなかったし。 三輪:畑の垣にはどんな木を使いましたか?ユナギー(和名:オオハマボウ)でしたか? ハチ:ユナギーはあんまり使わない。ブッソウゲが上等。これは生えやすい木。それと葉がか たまる木だから、風から畑を守ってくれる。私の北の方向の畑は大きいから、すみっこにブッ ソウゲをずっと植えていたよ。 三輪:畑の肥料に木の葉を使いましたか? ハチ:入り江にムー(藻)が生えているさ。これを浜からあげておって、汁をおとして、畑に 持って行って肥料にした。ムーをよく使ったね。わしの畑は入り江に近いから。上等だった。 これを使うと、芋に味がでるよ。塩水から引き出しているムーだから。これは海岸にはないも の。入り江はムーだらけだったが。当時はネムの木(ギンネム)もないでしょう。見晴がよく てね。今はみんなネムの木に覆われて、どこがどこだがわからん。 三輪:アダンニーでアダン葉を採るとき、何かルールのようなものはありましたか? ハチ:毎日採りにいかんとならんさ。正月近くになると、正月分を集めておかんとならんさ。
盛口:水汲みもされましたか? ハチ:水汲みは大変な仕事。学校近くの池で汲んでいたけれど、雨が降らないと、池の水もな くなって。婦人会で、小さい井戸ガマを作ろうと、井戸を掘ったことがある。掘ったら、水が 出て、完成して、そのあと家に帰って昼寝をしていたら、井戸の中で髪長くした神様が泳いで いる夢を見たよ。井戸の神様は女だよ。だから井戸のある家は、井戸を上等にしておかないと、 その家の女の親が短い命になるよ。ちゃんとおがんでおらんと、母親が 50 代で亡くなったり するよ。 三輪:塩辛い井戸と、甘い井戸がありましたね? ハチ:今の給油所から登って行って、右手にある井戸は辛い。ただ、雨が降ると甘くなる。雨 が長く降らないと、水もあまり出ないし、辛い水になる。井戸から汲んだ水は甕に貯めたよ。 学校から帰ったら、甕を覗いて、今日は何回井戸にいくかと考えて。水汲みは大きな仕事だか ら。昔の生活、ものすごく苦労してるんだ。今は水道も電気もあるけれど。灯も、昔は四角の ガラスで、中に石油ガマ入れて、布ガマをいて、これで灯して。時代の波は荒波だね。 三輪:味噌も作っていましたか。 ハチ:味噌はマメを細かくしないとだめだからね。今は機械だけど、昔は臼でついてよ。麦を 干してちょっと水に湿らせて、5 日ぐらいしたら麹がでるから、マメをたいて、塩を準備して 味噌をつけた。どこどこでマメをたいているというと、自分の家の杵をもって、その家に手伝 いにいってね。どの家にも杵はあったから。 三輪:杵は何の木ですか? ハチ:マツの木かね? 買ってくるからね。杵も臼も。家の臼は佐良浜で買ってきたよ。昔は 四斗甕に味噌作ったよ。相当食べたんだね。あんな大きな甕に毎年つくって。ある家でお産が あるといったら、枡にお米を入れて、味噌ももっていって。味噌は作らない家あったし。どこ の家はつくらないとわかるから。味噌は3 年おいておいたら真っ黒になるよ。これはおいしく ないという人もいるし、これを醤油にしたともいうし。 盛口:十五夜のことを教えてください。 ハチ:私たちは結婚式が十五夜だったよ。 三輪:十五夜に食べるフキャギは、昔は何で作りましたか? ハチ:昔もお米さ。お米で作るのがおいしいよ。 三輪:マメは入っていました? ハチ:うんうん。8 月マメといえば、台風がくるよ。6 月に収穫する 6 月マメが適当さ。6 月マ メは今植えているさ。風にやられたら損になるから。6 月マメも 8 月マメもおいしさは同じだ よ。6 月マメはちょっと大きめで 8 月マメはちいさいけど。 三輪:芋の葉っぱをよく食べますよね ハチ:ほかにも食べるよ。ヤチューサ(ヨモギ)は3 月 3 日にご飯に入れておにぎりにするし。 三輪:今日は長い時間、いろいろな話をありがとうございました。 2-3・勝連昭子 (昭和3 年生まれ) 三輪:昭子さんの少女時代のことを教えてください。 勝連:おじい、おばあ、お父さん、お母さんと兄妹6 名家族。ウミンチュの家。おじいはくり 船と網で魚を捕っていて、おばあさんが働く人で、畑も海もやっていた。潮が引いているのに なんで寝ているか―とおばあさんは、よく怒ったよ。そうだ、そうだと。だから昼の海も夜の
海もいってね。夜の海でのイザリもやって。松明をもってね。 盛口:どんな松明だったのですか? 勝連:ススキの長いのを採ってきて、束ねたのを3 本ぐらい持ってね。おばあは魚や貝を採る から、私は松明を担いだり、頭に乗せたり。おばあさんが、よく働く人で、夜の海もいくし、 昼の海も行ったよ。今は避難港になっているけど、ないころはリーフだったから、カニや魚も いろいろ捕れてね。おばあさんの畑は海から近かったから、潮が引いていたら、畑仕事の合間 にカニも魚も捕って、そういう生活。おじいもウミンチュだし、お父さんはカツオ船の船長。 そんなだから小さいころから私も海が好き。潮が引いたらあわてて海に行ったよ。兄妹は6 人 で、女が三人。私は2 番目で、高校に行きたいと思っていたけれど、おばあさんが、女の子は えらくしたら、人にもらわれるから行かさないといってね。おばさんで、女子師範学校を出た けど、沖縄にお嫁さんに行った人がいるから。それで受け持ちの先生に内地に行きたいと相談 してね。ちょうど戦争が始まっているさ。おばあさんはいくなというけれど、軍需工場が人を 募集していてね。それで希望をだして内地に行ったわけ。兵庫県の伊丹に行ったよ。梅田製工 所というところに就職して。ここには池間の先輩が5 名おったから安心でね。働いて、終戦も 内地で迎えたよ。21 年の 11 月に沖縄に戻ろうとなったけど、寮母さんがいい人で、沖縄は戦 争でこんなになっているけど、帰ってどうするかーと。もし身内がいなくなっていたら、戻っ ておいでねーと。それで名古屋から引き揚げ船の米軍のLSTに乗ることになって、名古屋で 1 か月ぐらい待っていて、その間に沖縄に戻る人が集まってね。幸い帰ってきたら、みんな元 気で迎えてくれたから。おじいもおばあもみんな元気で。で、安心して、おじい、おばあに連 れられて畑仕事もするし何もするしで。このときは自給自足だったから。芋、粟、ツン(モチ キビ)も作っていたし、ダイズもクロマメ(ササゲ)もみんな作ったよ。毎日、おばあさんと 畑に行って。なんでも作ったよ。麦も作ったし、フギャン(モロコシ)もあるし。綿も作った よ。道具があって、種と綿をわけてね。それから藍染をして。藍も作ったよ。(注・9)染めた ら機織りしないといけないから、地機で織って、みんなやったよ。着物も作ってね。おばあさ んには感謝しているよ。おばあさんは 96 歳まで元気だったよ。薪採りもあるさ。アダン葉採 りに、自分たちは同級生と山に行って、アダン葉を採ってきて、芋をふかして食べたからね。 芋のカズラも干して薪にしたよ。アダン葉採ってきて、実がいっぱいなるが、あっちはおいし い、こっちはおいしくないと。薪を採りながら、アダンの実も採って、これを薪の中に入れて 頭にのせて。実をちぎっていくと、中にバスがあるでしょ。あれはおかず用にもしていたよ。 そんな生活だよ。井戸に水汲みがあるさ。池間の人はね、一番鶏が鳴くでしょう。そうすると 女の人は早くから一斗カンを持って水汲み。一斗カンを頭に乗せてね。小さいときに重いもの をもっていたから、今、チビなんだよ。遠くの灯台のほうまで水を汲みにいったりもしたよ。 むこうにはトゥビガーとかンダガーとかがあるから。雨水のないときは、灯台のタンクに水が あるからと水汲みにいったこともあるよ。梅雨の時期には、薪が不自由するさ。そんなときは 狩俣あたりにも船で行ってアダンを採りに行って。カツオ船の人が閑なとき、石巻き漁をする ときの石を取りにいくから、薪を採りにいかないかーと言ってくれるから。狩俣や東辺名のあ たりにも薪を採りにいってね。(注・10) 三輪:地元の人に怒られたりしなかったのですか? 勝連:生木を木って皮をはいで干しておくわけだけど、むこうの人に見つかって、生木を切っ たんだったら島には返さんよーと言われて。船長だれかーと。防風林切ったらだめだーとね。 三輪:畑に使う道具を教えてください。 勝連:いっぱいあるさ。鎌も、マメを叩く棒も。
三輪:マメを叩く棒は何の木で作りますか? 勝連:ウツマメでも粟でも、いっぱいあるときは、これで叩いておったよ。あと、海にサンゴ 石があるでしょ。あれで粟の穂をといで、フギャンとかも、これで粒を落として。昔のおじい、 おばあは、自給自足だったから。昔は農薬もないから、畑の帰りにそこいらの木の実を食べた りね。バンツギーの実を食べたり、フットランータを食べたり。ハンキマランータとか。お菓 子替わり。バンツギーはよくなったね。風が七回吹くとバンツギーは七回なるという話もある さ。庭にも大きなバンツギーがあって、よく実がなったよ。道行く人が採っていたけど、うち のおじいはフガマスだから、採っているのを見られたら怒られるよーと。ヤラウダニ(テリハ ボクの実)は学校に行く途中、採り勝負だったよ。これは皮を剥いて食べた。歯が黄色くなる くらいまで食べたよ。今のお菓子替わりさ。泳ぎに行くのも芋をもって、ニンニクもいっぱい 作っていたから、ニンニクをつけたものをおかずにもっていって。 三輪:石アダンと水アダンという違いがあると聞きますが。 勝連:アダンはあっちの山とこっちの山では味が違うよ。 三輪:アダナスは何に使いますか? 勝連:採ってきたら、縄をなって、船のロープにしたから。アダナスを裂いて、縄をなって、 ミズハマは広くてロープをなう道具があったから、そこでロープにして。アダナスはアンディ ラも作るし、フダミも作るし。海に行く人はフダミを履いていったよ。私も履いていたよ。お じいおばあに鍛えられたよ。なんでも一緒に行ったから。私は何でもできる。 盛口:藍も畑で作ったのですよね。 勝連:藍の木を植えて、それを採ってしぼって、ほして藍玉を作っていたよ。 盛口:お産のとき、腰を温めるのに薪を使いましたか? 勝連:ドラム缶の蓋のようなものの上で、薪を燃やしとったよ。これで腰をあたためて。使う のはどんな薪でもいいよ。 三輪:アダンの幹は家の柱とかには使いましたか? 勝連:アダンギは使わなかった。小さな小屋とかには使っていたけれど、それも多くはなかっ た。 三輪:アダンニーまでタムヌを採りに行ったんですか? 勝連:アダンニーまで行くんだよ。 三輪:アダンニーには、マツの木もありましたか? 勝連:マツもあって。青年会の管理しているマツがあったよ。マツ山になっていたよ。アダン 葉が少ないときは、マツ葉を集めて、袋に入れて、たきつけにしていたよ。これは灯台の近く。 今はマツは無いさ。薪採りにいったのは、4,5 名くらいで一緒にいったよ。アダンニーまでは 歩いていったよ。イキズーヤマにも行ったよ。 木下:海はどこへ行ったんですか? 勝連:小さい時からウミンチュだったからね。イトコが船を持っておったから、潮が引くとき には、つれていけといっていたから、そこいらへんのリーフで行ってないところはないよ。東 辺名の外のリーフまで船で行って、フカビジーとかマルガマとか、リーフ並んでいるから、み んな行ったよ。フッビジ、ッサビジ、タチャタイとか、バリビジ、フッブビジとかもね。タチ ャタイは歩いてもいけるから、歩いても行ったよ。リーフに行くと、前はアイゴとかタコとか 巻貝とかいっぱいだったよ。ミシバイは巻貝がいっぱいいたよ。タコ、貝、シャコガイをよく 採ったさ。サザエとかも前はいっぱい採れて。今はいないから不思議。腰に金肥袋をぶら下げ て、アンディラも持って、もちきれないぐらいだったのにね。3 月 3 日には船でヤビジにいっ
たら、リーフが大きい殻、タコでも魚でもなんでも採れたよ。 三輪:3 月 3 日に、ウイキョウを供えるという話は知っていますか? 勝連:3 月 3 日は、船長さんは、ウイキョウを船霊にもっていったみたい。この日は、おにぎ りにヨモギの葉っぱを入れてね、潮干狩りに行ったよ。ヤビジにもキジャカ、フガウサ、ドゥ ーとか名前あって、カナマラとかに行ったらよく採れたよ。船で行ったら、5,6 名でいくから、 潮が引かないうちに降りて、アイゴを追いかけて捕るさ。追いかけると、石の下とかに入るか ら、それを横から押さえて捕ったよ。前はアイゴの棘に刺されたら米酢をビンガマにもってい っていたから、それをかけたよ。酢がないときは、おしっこかけたらいいよ。ちゃんと痛みが 止まったっていうよ。アイゴを追いかけるのが終わったら、潮が引いているから、貝とかタコ を捕ってね。アラハはサザエを採るところ、イナウはタコを捕るところ。私はタコ捕る専門。 アイちゃんと一緒に歩いていったらね、私はもの捕りながらゆっくり歩いて行って、タコを見 ながら歩いていったら、リーフのところにタコいるわけさ。先を歩いていたアイちゃんは、何 を見ていったかねーと思ってね。アイちゃんに、ここに何がいるかーと言ったら、自分は見て ないからと言ってね。タコを捕ったさ。そうしたら、タコのいた下に穴があるから、これは夫 婦ダコかもしれんと、ウギン(銛)でついたら、穴の中から、大きなタコがでてきて、二匹、 タコを捕ったよ。 木下:タコのヤー(家)は、見てわかるんですか? 勝連:タコのいるところは大概わかる。穴のところを石で塞いでいることもあるし、穴の前に 石が散らかっていることもあるし。ウギンで突いたら出てくるよ。ンープラがあるでしょ。タ コが出てきたら、これで叩いてね。ヤビジでは私が行かなかったところはないよ。魚も捕れば、 ウル(和名:ツノマタ)もあるし。ウルは買っている人がいたから、ウルを採って売ったさ。 ウルは自分用にも少し炊いて、ウルヨウカンを作ってね。海に持っていく七つ道具は、アンデ ィラ(網袋)、手袋、ンープラ、ティーアン(網袋)、ウギン、金肥袋。ティーアンにはタコを 入れてね。アンディラにはタコは入れられない。アンディラの網の目から逃げるからね。ニグ ー(シャコガイ類)はンープラで採ってアンディラに入れて持って帰ってからさばいて食べる よ。 三輪:畑の境界に木を植えましたか? 勝連:ユナギを植えたよ。金肥を使わんから、葉を肥料にしていた。芋は金肥を使わんから。 キビになってから、金肥を使うようになってね。台風とかでムーが浜に上がってきたら、上に あげてさらしておいて、バーキに入れて運んで、畑の肥料。木の葉とムーが畑の肥料。ムーが 流れてきていたら、肥料だねーと言っていたよ。今でも潮が引いたら、海に行きたいと思うよ。 おばあは80 歳になったら、船には乗せんと言われるけれど。それでも、去年の 3 月 3 日には、 近くのリーフでタコを捕ったよ。タコを捕っても、ヤーが残っていたら、次のタコも入るさ。 だから、タコを捕るときは、ヤーを割らないで捕るのが大事。捕りかねて、ヤーを割ったら、 次は入らないよ。ちょっとでも潮が引いたら、行きたいなあと思うよ。家から海が見えるから ね。 木下:タコはどんなふうにして食べますか? 勝連:大きなタコは買う人がいる。小さいのは、ゆでて燻製にしたり。 木下:燻製のつくり方はどんなふうですか? 勝連:ゆでたタコを網に乗せて、アダンのツガキを干したものを燃やして、これで燻製にする さ。昔は食べるものが無かったから、アダンを食べて、残りを置いておいて、乾かして、これ を薪替わり。アダンのツガキだから、アダンツーと呼んでね。避難港を作る前は、前の浜にも、
何でもよくおったさ。冬のイノーはおかずがふくふく捕れた。エビとか、カニとか、ウナギと かよく捕れてた。一本釣りの人は、エサを採ったり。アカマチを捕るのにとかね。イーヌブー でも、網を持って行って、エビを採って、魚の餌にして。避難港できて、もったいないよと今 でも思うよ。大きなカニもいたから。これは歩いていて、甲羅を踏んでね。 三輪:ツツー(ナマコ類)はいましたか? 勝連:避難港を作る前は、小さいツツーがいっぱいいたよ。潮が引いたら、学校に行くときに も抜いて食べておいたよ。小指ぐらいの大きさので、ぽりぽりと食べて。酢のものに模して。 これはアマヅツーといったよ。避難港をもう少し外側に作っていればね。 三輪:植樹をしたことはありますか? 勝連:いーや。松山は一か所だけだったよ。これは青年会が管理していた。薪に不自由してい たからね。生木を採って干していたら、青年会が罰をしたよ。 三輪:いろいろな話をありがとうございます。 2-4・譜久村仁さん (昭和34 年生まれ) 三輪:昔、青年団の管理していた松山があったというんですが、聞いたことがありますか? 譜久村:青年松ガマと呼んでいたんじゃないかな。青年団が管理していたみたい。 三輪:青年団って、仁さんが若いころはありましたか? 譜久村:一年、会長をやったよ。 三輪:アダンに石アダン、水アダンがあるといいますが、区別がつきますか? 譜久村:あーわからんよ。ただ、幹が硬いのを石アダンというんじゃないかな。それを掘立小 屋の柱に使っていたみたい。 三輪:じゃあ、アダンの新芽食べたことがありますか? 譜久村:ないよ。 三輪:アダンに生えるキノコは知っていますか(注・11)? 譜久村:あーあるね。サルノコシカケみたいの。 三輪:アダンの実は食べましたか? 譜久村:これは食べた。時期になるといっぱいあるさ。あとは、飽きて投げて遊んだけど。 三輪:アダンの枯れ葉を薪にしましたか? 譜久村:俺らのときは、もうコンロがあるから。薪をとることは、もうない。 三輪:イカ釣りをするとき掘立小屋を建てますね。 譜久村:時期になると、イカ釣りをする小屋を建てて。柱はどんな木でもいい。柱を三角に組 むわけ。雨風が防げればいいだけだから。屋根はカヤ。あとになったら、ビニールになったよ。 三輪:今、60 代の人に聞くと、算数ドリルを持ってイカ釣りの小屋にいったなんていう話を聞 きます。 譜久村:家にいたくないわけさ。ユリの花が咲くころは本当はイカ釣りのピークのはずなんだ けどど、今はイカがいないから。釣ったのはアカイカだよ。昔は20 匹以上釣らないと、10 番 に入れなかったのに。仲買がこれ以上釣ってきてもさばけないと言っていたぐらいだったのに。 三輪:ユリの根っこは食べましたか? 譜久村:食べなかったよ。中毒するんじゃないかな?(注・12) 三輪:昔、ヤラブはありませんでしたか? 譜久村:あったは、あった。
三輪:ヤラブは道具には使いませんか? 譜久村:ヤラブの木は硬いから。ヌツラといって、船のへさきは硬いから、それに使っていた みたい。ほかにも使ったんじゃないかな。 盛口:シマヤマヒハツの実は食べませんでしたか? 譜久村:これはアラウインータ。食べる人は食べるけど、酸っぱいから、お酒に浸けたりする よ。 三輪:フッバーギ(オオバギ)は何かに使っていましたか? 譜久村:わからんな。 三輪:ユナギではイビラを作りますよね。 譜久村:ユナギは軽いから。僕らは、子ども時代、ユナギでおもちゃの剣を作って遊んだけど。 三輪:太いマツの木があった記憶はありますか? 譜久村:あんまりないなあ。 三輪:昔、カンツバイの山に何か木があった……という話をしてくださいませんでしたっけ? 譜久村:タケかな。 三輪:ヤラブの実を食べましたか? 譜久村:黄色いところね。 三輪:その中の種は? 譜久村:ほじくって笛吹き遊びをしたけれど。 2-5・前泊忠勝さん (昭和2 年生まれ)・前泊博美さん (昭和 27 年生まれ) 三輪:青年団がマツを管理していた話を御存知でしたら教えてください。 前泊:普通は枯れ木を採るが、薪がないから、枯れない若い木や生義を伐採してから干してい る人がいて、それをやってはいけないと青年団が見張りをしていたわけ。自分らが子供の頃の 話よ。戦(第二次大戦)の前。 三輪:池間では、屋敷より木の高さが高くなるのをきらいますが、なぜなのでしょう? 前泊:昔からの言い伝え。木に抑えられて、家が発展しないということ。 三輪:畑に植えてある木はどうなのですか? 前泊:畑の木はどうもしない。 博美:不思議よね。池間に植樹の習慣がないのは、それだよね。私の子供の頃、クツギはいっ ぱいあった。ただ、大きく成長したら、みんな切るわけさー。クツギは屋敷の中や、塀みたい にして、みんなあったよ。 前泊:昔はフクギの木の上に乗って、太鼓をたたいたりして遊んだよ。大きなクツギがあった よ。 三輪:クツギは材を採って使っていましたか? 前泊:池間の人はそういう技をしない。 三輪:マツはどうですか? 前泊:マツの葉も薪になるから、拾ったら、マツを植えていた畑の人が返せといったことがあ るよ。 博美:戦前は、生木を採ったらいけないというタムヌの決まりを破る人がいないか、青年団が 見張っていたという話を聞いたことがあるけど。 前泊:戦後まであった。
三輪:仁さん、イキズーに田んぼがあったのは知っていますか? 譜久村:名前だけは残っていたのは知っている。 三輪:忠勝さんはどうですか? 前泊:わからん。 2-6・前泊勤さん (大正15 年生まれ) 三輪:昔、アダンニーあたりに、松山はありましたか? 勤:灯台近くにあった。 三輪:青年団が管理していましたか? 勤:そう。 三輪:生木を切らないようにですか? 勤:そう。普通はアダンの葉っぱばかり薪にしたよ。ススキの葉とね。 木下:アダンの葉はどれだけ採っても大丈夫なのですか? 勤:怒られなかったよ。 三輪:毎日たくさん、採ったのですよね? 勤:そう。畑の周囲のススキも切って、干して薪にして。 三輪:アダンはすぐ燃えてしまいませんか? 勤:そう、すぐに燃えてしまう。 三輪:船でも薪を採りに行きましたか? 勤:たくさん通ったよ。狩俣とか、大浦とかに行っていた。 三輪:生木も切ったのですか? 勤:生木は切らさない。生木を切ったら怒られる。枯れたものばかりだよ。柱が二つある帆船 が4艘ぐらいあって、それを借りて、5、6 名が乗って。葉っぱを刈に、大浦や西部まで。佐良 浜にいくときも、借り船をして、佐良浜に行く人はいないかーと声をかけていったよ。僕の家 は本家だったから、正月には佐良浜や西部からも人が来ていたよ。 三輪:アダナスも使いましたね。 勤:アダナスでフダミを作った。海に行くときはこれ。 三輪:アダナスを切るときはいつですか? 勤:いつでもいいよ。アダナスは6 月ごろに生えてくるから、長さが 50 センチぐらいになっ たら、切って、小さく割って、裂いて。 三輪:アダンの実も食べましたよね。 勤:歯の強い人たちは中も食べて。 三輪:バスですね。 勤:そう。おいしいのもあれば、おいしくないのもある。 三輪:若い葉っぱを食べたりしませんでしたか? 勤:食べない。 三輪:石アダンと水アダンというのを知っていますか? 勤:硬いやつを選んで、それで家を作ってね。まっすぐのを選んできて。 三輪:小屋の柱ですか? 勤:そう、小屋の柱。横木にも使って。木の無い島だから。アダンの木を切って、小さい小屋 を作って。
三輪:小屋の壁はムシロですか? 勤:田んぼのあったあたりに生えているアダンの葉を切ってきて、ムシロみたいに機織りした よ。葉の長いものを採ってきてね。くぎを3 本たてて、真ん中のはとらないようにして、アダ ンの棘のあるところを取って。これを機織りみたいにして、ムシロを作っていた。アダンバム シロ。池間に無い場合は、西部や狩俣で作って持ってくる人もあった。 三輪:勤さんは麦や粟も作っていましたね。 勤:麦は旧暦の9 月にまく。粟は 10 月末からまいて。粟は 3,4 種類もあったよ。穂の長いも の、短いものと。短いものは、早くとれるからと、後でまいて。ツンもまいていた。畑がたく さんあったから。 三輪:肥料はどうしていましたか? 勤:牛馬の糞。牛馬の無い人は、ユナギの葉っぱを埋めて。ユナギは木の皮で縄を作って、こ れでアダンの枯れ葉を縛ったよ。あとはムー。海にはえているのも、入り江のも。海のムーは、 この浜もまわってと採り勝負をしたよ。夜には電燈を持って、ヤシガニ採りもしたね。 盛口:蓑は何で作りましたか? 勤:藁で作っていたんだよ。誰の家にもあったよ。藁はイキズーに田んぼがあったから。 三輪:畑の垣根は何の木でしたか? 勤:ユナギが生えやすいから。葉は肥料にもなるし。ユナギは海のそばに生えるから、切って きて、畑のわきに植えていた。風よけにも上等だし。 三輪:畑の垣根にブッソウゲは植えませんでしたか? 勤:ブッソウゲはなかったよ。あれは最近。 三輪:ヤラブは何に使いましたか? 勤:あれはわざわざ植えてあるものだから、勝手に切れなかった。小屋の柱とかにしたけれど。 三輪:麦はツグッラ(サンゴ石)でといで、粒をはずしましたか。 勤:石でといでね。大麦と小麦があったよ。小麦は味噌。大麦は炊いてご飯を作るから。大麦 も小麦は同じ時期にまくよ。 三輪:粟はどうやって粒をはずしましたか? 勤:足で踏んでいた。粟は作るのが疲れたよ。草引きが大変。草を引いたら、穂が大きくなる から。大麦も小麦も粟も収穫したら、炊いておにぎりにして、隣近所に配ったよ。タッジャと 言っていたよ。麦で作ったのは、ムズタッジャとか。隣とか親戚とかに配るから、鍋いっぱい 炊いても、配るものしかなかったよ。 三輪:粟はアーンツ(粟の神酒)を造りましたか? 勤:あれはミャークヅツのときに作って神社にもお供え。 三輪:アダンやモクマオウを植えたことはありますか? 勤:ないね。ただ、一反、二反と畑が余っていると、マツの種をまいている畑の主がいたよ。 そうしてマツが大きくなったら、柱を作っていたさ。大きな家を作るときの柱はマツ、小さな 小屋の柱はアダン。 三輪アダンの幹はぐにょぐにょで、使いにくかったんじゃないですか? 勤:まっすぐなのもあったよ。 三輪:マツは、柱にするとき、潮や泥につけますか? 勤:泥につける人もいたけれど、つけない人もいたよ。 三輪:クバは生えていましたか? 勤:クバの木の下に生えている苗をもらってきて植えていたよ。
三輪:クバ笠を作りましたか? 勤:池間では作る人いなかったよ。 智子:鍋の蓋は作りましたか? 勤:ナベブタ、作っていたよ。作って売っている人もあったし。カヤを引いてきて、干してか らアダナスで作った縄でしめて作ったよ。 三輪:サニン(ゲットウ)でも縄は作れますか? 勤:作れるさ。つついて柔らかくしてから干して、縄なって。 三輪:フギャンで箒も作っていましたね。 勤:そう。 三輪:ススキの箒より丈夫ですか? 勤:そう。今はやる人いないね。 三輪:藍は育てたことはありますか? 勤:年寄りが亡くなってから作らないな。 三輪:6 月マメと 8 月マメはどう違うんでしょうか? 勤:おんなじ色だよ。大きさも同じ。両方植えていたよ。赤いマメもあったよ。ウツマメも作 って。ウツマメは一反、二反と作っていたから、袋の一杯は採れることもある。マメを取ると きは、マメたたき棒をつかうが、一人では叩けないから、何人かで叩いて。マメの下にカバー をひいて。昔は各家庭にマメを叩く棒もあったけどね。 三輪:昔は牛もいましたか。 勤:各家庭にだいたい牛がいたよ。堆肥も使うし。 三輪:鋤は牛にひかせましたか? 勤:使っていたよ。キビをやるときは、鋤で畝を作っていたよ。 三輪:今日はいろいろな話をありがとうございます。 3・まとめと考察 典型的な低島である池間島においては、これまで、魚毒利用植物についてもほかの島では見 られないような特徴が明らかとなっている(盛口・三輪 2015)。今回の調査において、池間 島ではアダンに特化した植物利用がみられたことが明らかとなった。池間島におけるアダンに 特化した植物利用については、以下のように特徴をまとめることができる。 1・島の北部にアダンニーと呼ばれるアダン林が存在する。 2・日常の薪のほとんどがアダンの枯れ葉だった。 3・アダンの枯れ葉が不足した場合、宮古島までアダンの枯れ葉を採りに行った。 4・アダンに水アダンと石アダンという区別を行っていた。 5・アダンの実に、ツガキ、バスという部分名称を与えていた。 6・アダンのツガキはおやつ、バスは料理素材となっていた。 7・干したツガキは炭代わりに利用され、燻製を作る際にも利用された。 8・石アダンの幹は建材に利用された。 9・気根であるアダナスの繊維が多用されていた(代わりにシュロの栽培がみられなかっ た)。 低島においては、植物資源が限られるため、このような特定の植物への特化がみられたと考 えられるが、では琉球列島のほかの低島では同様に特定の植物に利用が特化していたりするの であろうか。今後、この点についての調査が必要であると考える。また、池間島においては、
「石アダン、水アダン」「ツガキ、バス」のように、多様なアダンの利用と相まって、アダンに 関連する呼称の多様性がみられることも明らかとなった。この点についても、同様に、琉球列 島の各島において、特定の植物の利用の多様性と呼称の多様性が関連づけて見られるかどうか について、今後、調査を行いたいと考えている。 注 注1・『海人の島』(2002 年 平良新弘 自家版)昭和 11 年に池間島に生まれた著者の本に、 次のようにある。「アダンは水アダン木の果実が美味しかった。黄色に売れたアダンを見つけて は、さいころのような種をひとつ取り先端を噛みつぶし、僅かな甘いしるを吸うことでジュー スを飲んだ気分を味わい適度に熟れた果実を食べては果物を食べた満足感を味わったものであ る。石アダン木の果実は甘味がなかったので少しばかり味付けをし食した」「アダン木には大別 して石アダン木と水アダン木の二種類がある。石アダン木は幹が堅いので材木の代わりに利用 し、水アダン木の幹はもっぱら薪となった。戦後まもない頃まではウズンバラ家(掘っ建て小 屋)が残り、春になるとアダン木の柱から新芽が出るという珍しい情景も見られた」 注2・『沖縄池間島』(1972 年 野口武徳 未来社)では、子どもたちが口にする木の実として、 バナナ、パパイヤ、ミカン、山ブドウ(カニュウンーダ)、山イチゴ(ハンキンータ)、アダン、 クワの実、シマヤマヒハツ(アラウインータ)、サルカケミカン(サルカギーヌンータ)、グミ (イキャウンータ)、イチジク(注:イヌビワのことであろう フットランータ)の名をあげて いる。なお、ンータは木の実をあらわす言葉。 注3・『沖縄池間島』の記述を以下に引く。ユークイは豊作祈願の行事。9 月に行われる。ツカ サと51 歳~55 歳の女性がおはるずウタキで一夜、夜ごもりをしたあと、翌日、島を一周して まわる。このときにツカサが使用する杖は、ハナキャーギと呼ばれるオオムラサキシキブで作 られたもの。また頭にはカウスと呼ばれる草冠をかぶる。スマフサラは、悪いものが島に入ら ないようにする願い。豚を殺し、骨を縄に結び付け、決まった場所に吊るす。 注4・『海人の島』には次のような記述がある。「芋が主食の時代であり、炊きあがるまで一時 間以上の時間を要した。その間、いっときも碑の傍を放れることはなく、もくもくとたちこも る煙の中で、火力をつけるため竹で作ったふいごで、フゥフゥ言いながら風を送る。それに五 十センチほどの棒切れでアダン葉を押し込む作業もあり、当時の女性たちは大変ご苦労してお られた」 また、2017 年 8 月 5,6 日に池間島で開催された「アダンサミット」の折、池間小中学校の生 徒たちが総合の時間に行ったアダンに関する研究を発表した(「島の暮らしを支えたもの~アダ ン文化を学ぶ」)。この中で、生徒たちによるアダン葉を使ったサツマイモの煮炊きの再現実験 が紹介された。それによると、7 リットルの水で、9.3 キロの芋をアダン葉の薪を利用して炊い た場合、およそ25 キロのアダンの枯れ葉が必要で、所要時間は 37 分であった。 注5・『沖縄池間島』には、薪の種類を以下の4 種類に区分している。 ・キダムヌ…薪。モクマオウ、ヤラブ、ガジュマルなど ・タムヌ…サトウキビ、アダン葉、芋の釣るなど ・アダンツーダムヌ…魚を乾燥させるときに炭替わりにアダンのツガキを燃やす 家庭用の炭替わりにも使用 ・木の皮…工場で、焙乾用の材の皮をはいだ残り 注6・アダンニーについて、『海人の島』には「1742 年、宮古蔵元の役人たちの推進により、 アダン木が造林されたと言われている」とある。
注7・『沖縄池間島』には、「米食を日常のものとするようになったのは、第二次大戦後の現象 であり、以前は(中略)芋が主食であった。時たま米を食べるというのも、カツオ漁業がはじ まる大正期に入ってからのことである。池間では米は作っていても食べてることは殆どなかっ た。芋主食として、日常食べる雑穀としてフムズ(大麦)、フギャン(高粱)、アー(粟)、ツン (ひえ 注ひえとあるが、モチ黍)、スズ・ン(切干し芋)を食べた」とある。 注8・『沖縄池間島』には、お産のあとに産婦を温めるために薪をたくことをシラウマツ(ウマ ツはたき火のこと)といい、産後10 日目までは燃やしていたと書かれている。 注9・戦前、沖縄県ではやんばるを中心にリュウキュウアイが栽培されていた。しかし、県の 統計書をみると、大正 15 年から戦争勃発にかけて、宮古に限り葉藍(タデアイ)が栽培され ていたことがわかる。これに関して「藍植物による染料加工」(井関 2000)に興味深い記述 が記されている。この論文には1970 年ごろの宮古における染料植物の調査結果が紹介されて いるが、当時、宮古島において「家の周囲にある半自生化して生育している蓼藍を暫時、生育 の都度に刈り集めて“玉藍”と通称される製藍を行う」と書かれているのである。すなわち、 宮古島でタデアイが栽培されていたことからすると、池間島で栽培されていたのもタデアイで ある可能性があるが、今回の聞き取りでははっきりとしたことはわからなかった。 注10・「アダンサミット」のおりの、島のオカアター(年配の女性たちのこと)の座談会でも このことが話題にあがった。「対岸の宮古島までアダンの葉を採りに行って、向こうの人たちは 怒らなかったのか?」といった質問に対して、その場では「全然、怒らなかったよ。もっと採 っていいよといっていたよ」という発言がなされた。一方、『海人の島』の中には、宮古島まで アダン葉を採りに行った女性たちが山番に捕まり、船も差し押さえられそうになったという逸 話が紹介されている。同書によると「最初はたかがアダンバと黙認していたらしいが、アダン 葉の中に枯れ木の枝が入っていたと言う理由で、監視の目が厳しくなったと言うから、どこの 地域も薪不足で神経質になっていたに違いない」とある。 注11・波照間島における聞き取りに以下のようなキノコが登場する(『聞き書き・島の生活史 ③ 田んぼの恵み 八重山のくらし』2010 年 安渓遊地・盛口満編 ボーダーインク) 「アダンの木を焼いて出てくる、柄のない白いキノコがあります。これは白いキノコという意 味でスミンと言います。スミンは開墾のためにアダンを焼いて積んでおくと、梅雨時期、半分 腐ったようになったところにいっぱいでてきました。これはシイタケのように芳しくはないけ れど、おいしいキノコです。真白いものと、ちょっと紅色をしたものがありましたが、両方一 緒のものだと思います」 ヒラタケの仲間であるが、紅色をしたものがあるということからして、トキイロヒラタケでは ないかと考えられる。なお、『ユナンダキズマ むかしの暮らし 宮古島市史資料6』(2015 年 謝敷正市 宮古島市教育委員会)には、宮古島城辺出身の著者は食用キノコとして、5 種のキ ノコの名をあげ、これらのキノコについて科学博物館の保坂健太郎氏が写真を著者に見せるこ と等で、以下のように種類名を推測している。 マツミム→ハツタケ(松林) ボーズミム→チチアワタケ(松林) ムーガーミム→コムラサキシメジ(松林周辺の畑) キーヌミム→アラゲキクラゲ(枯れた木) アダムギーヌミム→トキイロヒラタケ(枯れたアダンに生える。白くて柔らかい) 注12・『沖縄池間島』には、「臨時・応用食」として、以下のものが紹介されている。アダン の実、アダンの葉の新芽(昔は野菜替わりによく食べた)、ソテツの茎、ユリの根、山芋、田芋。
なおソテツの茎に関しては、大正8 年に宮古にコレラが広がった折に、池間島は他地域との交 通を一年近く封鎖して、病が侵入するのを防いだが、このときよく利用されたと書かれている。 引用文献 盛口満 2011 「植物利用から見た琉球列島の里の自然」 安渓遊地ほか編『奄美沖縄環境 史資料集成』 南方新社 pp.335-362 盛口満・三輪大介 2015 「魚毒植物を中心とした池間島における植物利用の記録」 『地 域研究』16:191-206