1.はじめに
昨今の新型コロナウイルスの世界的拡大は、グ ローバル化を改めて痛感する脅威である。感染拡 大の防止にあたって、日本を含む多くの国では、 学校を一斉に休校する措置が取られた。このこと は、格差に関わる重要な問題を提起している。な ぜなら、学校に行けないことで、家庭環境が、子 どもの学習環境を直接的に左右するためである。 たとえば同じ市に住みながらも、インターネット へのアクセスが常時可能で、有料のオンライン講 座を受講できる子どもがいる一方で、勉強どころ か基本的な生活習慣が乱れ、給食なくして十分な 栄養を摂取できない子どももいる。有事におい て、既存の格差が浮き彫りになった状況といえる。 2015年9月、国連で採択された「持続可能な開 発目標(Sustainable Development Goals:SDGs)」 は、「誰一人取り残さない(leave no one behind)」 ことを目標に、インクルーシブネスや公正さを強 調した。そこには、現在の私たちの生活が将来世 代の発展の可能性を脅かしてはならないとする 「世代間の公正」と、同時代の現代社会に生きる 人びとの間に厳然として存在する格差を是正する べきだとする「世代内の公正」の2つが示されて いる(北村・佐藤2019)。教育に関わる領域も、 目標4に掲げられたように、公正な社会を築くた めの不可欠な達成目標として認識されている。 世代内の教育格差を是正するための取り組み は、この30年のうちに急速に進められてきた。 1990年にタイのジョムティエンで開催された「万 人のための教育世界会議」以降、すべての人に基 礎的な教育の機会を保障する「万人のための教育 (Education for All:EFA)」は、国際社会や国家 が実現すべき重要な課題として認識されてきた。 初等教育では、1990年時点で1億人を超える子 どもたちが不就学であったが、2007年には6,000 万人ほどへと大幅に減少した(UIS データベー ス)。し か し、2007年 以 降 の 不 就 学 者 数 は、 6,000万人前後で推移し続けており、紛争や極度 の貧困などにより、就学を阻害される子どもたち を未だ包摂することができていない。 アジア・アフリカ地域などの途上国における教 育機会の急速な拡大は、その質を犠牲にして進ん できたという問題もある。教育の質が低いと、学 校へ行っても十分な学びが得られない(World Bank 2018=2018)。しかし、それだ け で な く、 教育の質の高い学校に通える生徒と、そうでない 生徒との格差が拡大しうるという問題がある。た とえば、質の低い教育は、男子よりも女子に悪影 響をもたらしていると報告 さ れ て い る よ う に (Leu 2005)、教育の質の不平等は、社会的に不 利な立場の人びとにこそ不利益をもたらすためで ある。また、急速な教育機会の普及に伴って、途 上国においても学歴の価値が相対的に低下してい ることも留意すべきである。もちろん、基礎的な 教育を受けることは重要であるが、少なくない直 接費用、機会費用をかけるほどのリターンが学校SDGs 時代の教育普遍化と格差の開発研究
小川 未空
大阪大学 E-mail:[email protected]坂上 勝基
早稲田大学 E-mail:[email protected]澤村 信英
大阪大学 E-mail:[email protected] 国際開発研究 第29巻第2号(2020)教育から十分に見込めるかどうかも、貧困下にあ る人びとにとって非常に重要なことである。
公教育はそもそも、既存の社会で有利な立場の 者に裨益するように、形作られる制度だという見 方もある(Boli and Meyer. 1985)。就学率が上昇 したとしても、富裕層から貧困層の順に、就学機 会を享受するという順序に沿うだけでは、貧困層 は富裕層が得たほどの便益を受け取ることができ ない(Tarabini 2010)。社会階層の上昇移動の手 段としての学歴の価値は、それが希少だった頃 と、普遍化した後では全く異なるためである。こ れと同様に、教育が一定程度普及すれば、今度は、 富裕層から順に「良質な」教育へのアクセスが可 能となる、という教育拡充のプロセスを踏むだけ では、良質な教育が普及したとしても、既存の格 差構造を是正することにはならない。学校教育が 普遍化していく過程において、種々の格差が新た に生じている可能性があることは、教育先進国に おいて蓄積されてきた同分野の理論・実証研究が 示すところでもある(平沢ほか2013;濱本2014)。 しかし、開発をめぐる議論では、相対的な格差 の問題よりもまず、絶対的な貧困や欠乏に焦点を 当ててきた傾向にある(佐々木2011)。 このため、 教育の質をめぐる相対的な不平等よりも、絶対的 な不就学状態を解決することに重きがおかれる。 しかしもちろん、学校へ行くことそれだけでは、 貧困の削減や格差の是正には至らない。学校教育 の普及は不可逆的だとする指摘もあるように(近 藤2015)、格差の拡大が伴うとしても教育は普及 し続ける。このような状況であるために、就学率 の上昇や教育の質的改善といった一方向のみに政 策目標の焦点をあてるのではなく、拡大された教 育機会や、改善された教育の質を、誰がどのよう に受け取っているのかにも焦点を当て、教育の普及 過程における格差の問題を捉えなおす必要がある。 本特集は、主にアジア・アフリカ地域の途上国 を事例とし、教育の普遍化の過程に生じうる種々 の格差に焦点を当てている。その総説として本稿 では、本特集の試みが、これまでに蓄積されてき た膨大な教育格差研究の中でどのように位置づけ られるのか、文献レビューを通して読者に提示す ることを目的とする。 本稿では、まず、国際教育開発分野における平 等、公正等の諸概念の整理を行い、特集論文が共 通して用いる教育の「格差」という用語の定義を 明示する。次に、特集のテーマである教育の普遍 化過程における格差の問題について、先進国と途 上国それぞれで行われてきた理論・実証研究の到 達点を明らかにする。その上で最後に、途上国で 行われてきた教育開発研究に軸足をおきつつも、 先進国で行われてきた研究の枠組みを踏まえ、公 正概念が前面に打ち出された SDGs 時代の教育開 発目標達成に資する知見の提供に向け、本特集が 目指す教育の普遍化と格差に関する研究の方向性 を提示する。
2.SDGs 時代が問題とする開発における
教育格差
⑴ 教育格差是正にむけた国際開発目標の変遷 ① SDGs の特徴 SDGs は、2000年の国連ミレニアム宣言に基づ いて策定された「ミレニアム開発目標(Millen-nium Development Goals:MDGs)」の後継とし て定められたものである。2015年を主な目標達 成年とした MDGs には、 6つの目標が設定され、 そのうち教育に関わるのは、目標2の「初等教育 の完全普及の達成」、および、目標3の「ジェン ダー平等推進と女性の地位向上」であった。目標 3のターゲット(具体目標)には、「可能な限り 2005年までに、初等・中等教育における男女格 差を解消し、2015年までにすべての教育レベル における男女格差を解消する」ことが挙げられた。 しかし、格差の解消について、男女同数をもって 達成とするなど量的な平等性に偏重し、また、格 差というときにジェンダーの観点にばかり焦点が 当てられてきたという点で課題が残った。 そこで、17の目標を設定する SDGs では、よ り幅広い課題が包括されている。教育に関する事 項を定めた目標4には、「すべての人々への、包 摂的かつ公正な質の高い教育を提供し、生涯学習 の機会を促進する」ことが明記された。7つに分 けられたターゲット(具体目標)をみてみると、 「すべての子どもが」、「すべての若者が」、「すべ ての人々が」など、包括的な対象を挙げたうえで、 「男女の区別なく」、「男女ともに」といったジェ ンダーに関わる事項が付記されている。また、 ジェンダーだけでなく、たとえば5つ目のター ゲットには、「2030年までに、教育におけるジェ ンダー格差を無くし、障害者、先住民及び脆弱な 立場にある子どもなど、脆弱層があらゆるレベルの教育や職業訓練に平等にアクセスできるように する」と記され、「障害者」、「先住民」などのジェ ンダー以外の要素も具体的に触れられている。く わえて、SDGs では、目標10において、「各国内 及び各国間の不平等を是正する」ことも掲げられ、 機会均等の整備と、成果の不平等の是正につい て、政策に基づく積極的な介入が求められること も示された。 ま た、MDGs で は、「equality」と い う 言 葉 が 多用されていたのに対し、SDGs では、「equity」 という言葉が強調されるようになったという特徴 もみられる。世界銀行や OECD な ど は、「公 正 (equity)⑴ 」を、「国レベルの教育政策におけるグ ループ間の違いへの配慮という観点」から捉えて おり(西村・笹岡2016、p. 41)、そこには「困難 な状況にある人びと(vulnerable groups)」や「疎 外された人びと(marginalized population)」な どと呼称される諸集団を、十分に包摂しようとす る意図がある。ただし、平等と公正の捉え方につ いては、国際機関など各アクターによってそれぞ れ異なり統一されているとはいえない(西村・笹 岡2016)。2つの言葉の定義や使い分けは、異な る言葉で異なる次元について表現され、概念とし ての位置づけが一様ではないといえる。そこで本 稿では、それぞれの言葉を定義し直し、本特集で 使用する「平等」と「公正」、そして「格差」に ついて整理する。 ② 公正概念主流化の経緯 まず、国際開発目標の変遷における平等と公正 の 区 別 を 確 認 す る に は、量 的 平 等 を 含 意 す る 「parity」という言葉にも注意を向ける必要があ る。教育開発をめぐる議論では、とくにジェン ダー問題を扱う際に、「公正(equity)」の登場の 前に、「量的平等(parity)」から「質的平等(equal-ity)」への変遷がみられるためである。 ジェンダーの不平等を扱う指標には、従来から GPI(Gender Parity Index)が用いられてきた。 GPI は主に、総人口での男女差を加味したうえ で、どの程度、男女の就学率に量的な不平等があ るかを示すものである。しかし、GPI において平 等が達成されたとする国であっても、教室内での 扱いや、教育修了時の試験成績、職業の獲得状況 などを把捉したときに、なお女性が男性よりも不 利な立場におかれていることが、多くの研究で明 らかにされるようになった(Stromquist 2007; Halai 2011;西村2012)。 そのような背景を受け、「parity」だけではな く、「equality」を達成目標として重視すべきだ と考えられるようになった。2000年に設定され た EFA のためのダカール行動計画には、「2005 年までに初等・中等教育における gender dispar-ity を無くし、2015年までに gender equaldispar-ity を 達成する」ことが含まれている。「equality」は、 「parity」を達成したうえでの目標事項として提 示されていることがわかる。
UNESCO も、「gender parity」を、「gender equality」の達成に向けた一つの必要条件に位置 づけている(UNESCO 2014, p. 60)。ここでの 「gender equality」と は、「女 性 と 男 性 が、国 家・政治・経済・社会・文化の発展に貢献し、ま た、その結果から利益を得ることのできる潜在能 力と、完全な人権を実現できるような、平等な機 会を持ち、同等の地位を享受する⑵ 」状態である と定義されている(UNESCO 2014,p. 60)。また、 「gender equity」については、「男女が平等であ ることを阻害してきた歴史的、社会的な不利を補 償するため」に、「アファーマティブ・アクショ ンのような、平等なアウトカムを保障するために 男女で異なる扱いを必要としうる」、と述べられ ている(UNESCO 2014,p. 60)。UNESCO(2014) の区別に従えば、「equity は equality を導く」も のであり、「equality」の実現のために介入(eq-uity)が必要であると考えられている。つまり、 「実質的な平等」の達成のために、「公正」概念 が求められたことと同様の意味で、「equity」が 位置づけられているといえる。それは、たとえば アメリカで、すべての人に開かれた平等を謳いな がらも、諸個人を取り巻く出自やジェンダーなど の属性によって実質的な選択肢が阻まれている現 状を打破しようとする局面において、「公正」が 問われるようになった経緯 と も 類 似 し て い る (Gooden 2015)。 さら に、こ こ で の「gender equity」と は、よ り多くの「fairness」や「justice」のために、個々 に応じて教育資源の分配を差別化することを許可 する概念だとも指摘されている(Chisamya et al. 2012)。UNESCO もこの点を強調しており、「eq-uity」は「公正な(fair or justified)分配」を意 味し、その分配には様々な「規範的判断(norma-tive judgment)」が 含 ま れ る と い う(UNESCO 2018, p. 17)。たとえば、ジェンダーにより異な
る障壁に直面するならば、それぞれ異なる援助が 必要だということである(Subrahmanian 2005; Chisamya et al. 2012)。 また、ジェンダーとは別の文脈に目を転じれ ば、SDGs に お け る「公 正(equity)」の 強 調 の 背景には、教育をめぐる不平等の解消に向けた、 個別のニーズに対する関心の高まりがある。個々 の困難は必ずしも一様にカテゴリー化できるもの ではなく、そのため、同じカテゴリーにはめ込ま れた人びとに、同一の支援を実施するだけでは不 十 分 で あ る こ と が 明 ら か と な っ て き た。上 野 (2011)が、「制度や政策、サービスの最初で最後 の判定者が、第一義的なニーズの主体である当事 者であること」(84頁)を強調しているように、 「ニーズの帰属する主体」である「当事者」に焦 点を当てることは、ニーズに応じたケアを求める 「公正」の議論において不可欠である。また、ケ イパビリティ・アプローチを提示したセン(Sen, A.)は、ある機能を達成するために必要な財は、 共同体や個人の状況によって異なることを指摘し ている(Sen 1983)。センが示した文化や個人の 差異を適切に考慮することの重要性は、「公正」 概念とも通ずるところが大きい。 2015年以降、数字で表される就学率や中途退 学率は大幅に改善されつつあるが、従来から就学 阻害要因として指摘されてきた、「女子/女性」と い う 属 性 に 限 ら ず、「貧 困」、「少 数 民 族」、「僻 地」、「障害」、「紛争」などの多様な要因が重複す ることによって個人の脆弱性が増すといわれてい る(北村ほか2014)。そのような、個別具体化す る人びとの困難と、それに依る教育ニーズには、 同じだけの教育資源を「配分」するという平等(均 一)ではなく、それぞれのニーズに応じた「分配」 を求める公正が、より妥当だと考えられるように なっている。そして、そのための妥当な「分配」 を議論するためには、そもそも当事者がいかなる ニーズを個別に有しているかを理解しようとする 視点が不可欠となってくる。 以 上 よ り、教 育 開 発 研 究 に お け る parity、 equality、equity の議論をまとめると、「量的平 等(parity)」だけでなく「質的平等(equality)」 の達成が目指されるべきという考え方の転換にお いて、「公正(equity)」は、「質的平等の達成の ための介入」という意味で使用されているという ことになる。ここでは、「質的平等」のためには、 資源の配り方の次元において、すべての人を同じ ように扱う「平等(equality)」ではな く、個 々 のニーズに応じて異なる人を異なるように扱う 「公正(equity)」観の導入が必要だということ である。 ⑵ 教育格差に関連した用語の整理 それでは、「公正」や「平等」は、具体的にど のような事象を指し示す用語として使い分けられ る だ ろ う か。Espinoza(2007)は、こ れ ら の 言 説を含む先行研究を整理・分析し、平等と公正を 各3側面、そして、それらが対象とする教育過程 を5つの次元に分けた。これに基づくと、平等 は、「㽟機会の平等(equality of opportunity)」、 「㽠すべての平等(equality for all)」、「㽡異な る社会的諸集団の平均の平等(equality on aver-age across social groups)」という3側面であり、 公 正 は、「㽢ニ ー ズ に 応 じ た 公 正(equity for equal needs)」、「㽣(潜在)能力に応じた公正(eq-uity for equal potential/abilities)」、「㽤達成に応 じた公正(equity for equal achievement)」の3 側面である。また、これら6側面が対象とする5 つの教育過程は、「 資源(financial, social and cultural resources)」、「 ア ク セ ス(access to education)」、「 残存/到達(survival / educa-tional attainment)」、「 試験などのアウトプッ ト(output)」、「 職業的地位や収入などのアウ トカム(outcome)」である。 以上の6側面と5次元を掛け合わせれば、教育 をめぐり、平等あるいは公正とされる状態は30 種類あることになる。この30種類は、同時に複 数の状態を満たすこともあれば、どれかを満たせ ばどれかを満たすことができないという矛盾が生 じることもある。Espinoza(2007)も、公正は、 平等の拡大版というわけではなく、より多くの公 正の達成のために平等が減少しうることを指摘し ている。ただし、平等と公正の大きな違いとし て、「平等」は、なんらかの次元で人びとの状態 が同じであることであり、「公正」とは、なんら かの次元で人びとの状態がその固有の事情に応じ ていることだといえる⑶ 。 また、「公正(equity)」という語を使用し、そ の概念的混乱を整理しているものもある。Berne and Stiefel(1979)は、公正原則として、「水平的 公正(horizontal equity)」、「垂直的公正(vertical equity)」、「平等な機会(equal opportunity)」の3
つを区別した。「水平的公正」とは、等しい者を 等しく扱うこと(the equals treatment of equals) であり、「垂直的公正」とは、たとえば、学習上 の困難のある子どもには、そうでない子どもより 多くの費用を支出するというように、等しくない 者を他と異なった扱いをすること(unequal re-ceive appropriately unequal treatment)である。 そして「平等な機会」とは、人種や性別に基づく あらゆる差別のない状況であるとする。3つの公 正原則は関連し合うものであり、仮にすべての学 習者が同様の状態であれば、「水平的公正」原則 のみが適用され、仮に子どもらの間に、個々の能 力や個々を取り巻く環境、属性に違いがあるなら ば、「垂直的公正」と「平等な機会」の公正原則 が必要とされる(Berne and Stiefel 1979)。ここ で の「平 等 な 機 会」は、Espinoza(2007)の 示 した「㽟機会の平等」と重なり、「水平的公正」 と「垂直的公正」は、共に、異なる個人は異なる ように扱い、同じ個人は同じように扱うことを保 障しようとする「公正」の示す内実と重なる。 このことから、「公正」を「平等」から区別す る考え方のひとつに、諸個人の差異を前提とした うえで、実質的な平等を達するために、その諸個 人の差異に応じた扱いをすることを含んでいるこ とが分かる。 また、そのような「差異に応じた扱い」には、 価値判断が含まれるという点にも、公正概念の特 徴がある。英語表現と、その邦訳とを確認する と、「equity」は、「公正」のほかに、「公平」、「衡 平」などと訳出されることもあり、「釣り合い」 や「正しさ」などが含意される。また、「公正」 は「justice」や「fairness」の訳語として使用さ れることもあり、ここにも「正しさ」の含意を見 出すことができる。一方、「equality」は、「平等」 や「均等」、「同等」といった表現で訳出されるこ とが多く、「同一」や「均一」の含意が読み取れ る。英語論文での両者の区別については、明確に 共 有 さ れ て い る 定 義 は な い が、「equity」は、 「equality」よ り も、「fairness」や「justice」と 関連の強い概念として論じられる傾向にあるとい う(Gooden 2015)。「equity」と「fairness/justice」 を同一の概念として区別しないこともあり、不公 正とはすなわち、不合理、不正義としてもみなさ れやすい(Espinoza 2007)。つまり「公正」は、 価値判断を含む言葉であり、「公正」は望ましいも の、「不公正」は望ましくないものとみなされる。 これとは対照的に、「平等」は、必ずしもそれ を望ましいものとして肯定する言葉ではない。た とえば原(2009)は、「不平等」は必ずしも「不 公正」ではなく、許される不平等と許されない不 平等が存在することを示している。たとえば、競 争社会におけるルールの平等が担保されていれ ば、その競争の結果として起こる不平等は肯定さ れることもありうる。すなわち、ここでいう「許 さ れ る」不 平 等 は、Espinoza(2007)の 分 類 に 従えば、「 アウトプット」や「 アウトカム」 の次元において、「㽠すべての平等」が損なわれ たという意味での「不平等」の状態だといえる。 その一方で、多くの社会では、「㽡異なる社会 的諸集団の平均の平等」が損なわれたときの不平 等は、「正すべき」不平等として考えられている。 「格差」は、これを指し示す言葉である。「格差」 とは、すなわち、ある共通の社会的背景を有する 集団間に生じる不平等を、問題として捉えるとき の言葉である。志水は、「是正すべき『不平等』 を内包する違いだからこそ、それは『格差』と表 象される。『格差』は単に量的・統計的な違いを 表す中立的な用語ではない。それは、正すべき対 象を指し示す価値的な用語である」(志水2016、 p. 51)と指摘している。つまり、「格差」は、単 なる集団間の差異ではなく、不当・不合理な、集 団間の不平等を指す言葉である。さらに、その不 当な不平等を是正し、「釣り合い」をとるための 介入(=「公正」観の導入)の必要性を指摘する 言葉でもある。 以上より、「公正」の持つ2つ目の概念的特徴 は、「許される不平等」、あるいは、「是正すべき 不平等への介入」、ということだといえる。では、 いかに特定の状態が、「是正すべき」ものとして 判断され、またそれはどのように合意されるだろ うか。秋川(1996)は、不公正とは、何らかの「不 当かつ不合理」な格差がある状況であり、その判 断は、人びとの「正義の概念」に基づくものだと 指摘する。正義論の代表的論者であるロールズ (Rawls, J.)は、「原初状態(original position)⑷
」 を仮想設定し、熟慮と討議が行われれば、最も恵 まれない人びとに対する優先的な分配が必要だと する、「公正としての正義(justice as fairness)」 が導かれることを論じた(Rawls 1999=2010)。 これはリベラリズムの立場からの指摘であり、 「人びとの状態に応じて異なる対応をすることが 公正である」、という考え方は強い影響力を有し
てきた⑸ 。教育哲学者の宮寺は、ロールズの議論 を受けて、「教育は、人びとの間で平等に配分さ れるべき共有財であるばかりでなく、人びとの間 の不公平を修復していく分配財でもある」(宮寺 2014、p. 82)と言及している。 すなわち、是正すべき不平等が存在するとき、 あるいは何らかの介入の必要が認められたとき に、「公正」の持つ「異なる人を異なるように扱 う」アプローチが必要とされる。この点に、「不 平等」な状態を是正すべきか否か見極め、是正す るための介入の在り方を決めるといった価値判断 が含まれていることが分かる。 以上、「平等」と「公正」の使い分けは、その 言葉の単なる意味内容の違いではなく、その言葉 で表現しようとしている問題意識や、対象とする 教育過程に依ってきたといえる。本特集では、す べての人が何らかの次元で同質・同等な状態であ ること、またはそのような扱いを受けることを、 その価値判断は別にして「平等」と記述し、それ ぞれのニーズや状況に応じた扱いを受けることを 「公正」として議論を進める。また、「格差」と は、単に個々の性格や能力の多様性によりもたら される、結果の不平等を問題視したものではな く、そこに集団間の差異が生じたとき、つまり は、当人の努力や能力だけに基づかない、構造的 要因に起因した差異が生じている場合に、それを 是正すべきと判断された不平等が生じている状態 として取り扱う。すなわち、諸集団間に生じる不 平等を、解決すべき課題として扱うときに「格差」 という言葉を使用することとする。
3.教育の普遍化と格差に関する先行研究
⑴ 先進国での議論 教育格差問題のなかでも本特集が特に注目す る、教育が普遍化していく過程に格差が存在する 理由については、主に教育社会学の社会階層研究 分野で、先進国を事例とした膨大な研究が蓄積さ れてきた(平沢ほか2013;濱本2014)。こうした 研究群の詳細なレビューは本稿の扱う範囲を超え るものであるが、以下に代表的な理論研究や実証 研究の到達点についてまとめておきたい。 教育における格差について論じる際の出発点と して、避けて通ることができないのが機能主義理 論である。社会学全般の古典的理論の代表ともい える。本理論では、学力を身につければ社会階層 の上昇移動が可能であり、学校教育修了後に得ら れる社会的地位は、個人の資質や能力、あるいは 努力に基づくと説明される(竹内1992)。そこで は、近代化・産業化の進展とともに選抜の基準が 属性から業績に移行し、いわゆる業績主義(メリ トクラシー)が浸透していく近代社会における社 会階層の移動の代表的手段として、学校教育が位 置づけられた(Treiman 1970)。 機能主義理論の代表的論者であるパーソンズ (Parsons, T.)は、アメリカを事例に、高等教育 への進学要因を検討し、主要な進学要因を、所与 性本位の要因(=子どもの家族や社会経済的地位 に基づく要因)と、業績本位の要因(=子ども自 身の性能に基づく要因)の2つに分類した。そし て、所与性本位の要因が高等教育への進学に影響 を与える傾向があるものの、基本的には業績本位 の要因が強く影響を与えて い る と 結 論 付 け た (Parsons 1964=1973)。なぜならパーソンズによ れば、学校での地位は所与性本位ではなく、業績 に基づいて獲得される(earned)からである(Par-sons 1964=1973)。 このように業績と学校教育における学歴が密接 に関係するという前提にたてば、産業社会におけ る教育普遍化の流れは学歴社会化と表現される (平沢ほか2013)。機能主義理論は教育普遍化が 各国で進んだ理由を説明する有力な理論とされた が(濱本2014)、教育と地位達成の間の強い結び つきを想定する機能主義的枠組みが、教育機会や 教育達成の不平等を格差と捉える人びとの認識に 今日も大きな影響を及ぼしていることは否定でき ない(耳塚2014)。つまり、人びとは、教育達成 と地位達成が一定程度相関する社会の方が、身分 や生まれによって到達できる地位が決定づけられ る身分社会より、より良い状態として認識してい る。その認識において、教育の機会が不平等な状 態であることは、メリトクラシー社会であるべき ものが、実態はペアレントクラシー社会⑹ となっ ているとして、そこに不公正あるいは格差を見い だしているのである。 また、経済学分野では、1960年代に人的資本 論が確立し、アメリカの高等教育における進学拡 大を後押しした。人的資本論においては、能力の 高い者が高収入を得られるというインセンティブ のもとで、個人が主に学校教育を通して労働の効 率性を高め、労働市場が各人の能力を適正に評価し人材を分配することによって、個人の賃金の向 上および経済の成長の双方を促すと考えられてい る(Becker 1964=1976;小 塩2002)。こ う し た 考え方には、生まれによって将来の地位達成が定 められることを是としない前提を読み取ることが できる。その意味で、人びとが学歴獲得競争を経 由することによって、前近代的な身分社会を打破 し、社会全体の格差を是正しようとする働きが期 待される。場合によっては、こうした機能主義的 理論に基づけば、結果に生じる不平等は、むしろ 公正であり、必要な差異であるとする見方もあり うる。 一方、1960年代にコールマン(Coleman, J.) らの研究グループによってアメリカで実施された 量的研究の結果は、以上のようなパラダイムに よって教育が持つとされた、格差是正の機能に、 疑問を呈するものであった。コールマン・レポー トと呼ばれる本研究の報告書は、人種間の教育格 差は家庭や地域環境によって説明でき、格差の縮 小に学校教育が果たしうる役割が限定的であると 結論づけた(Coleman et al. 1966)。このように、 教育が普遍化しても出身階層と教育の間に関係性 が存在する状況をとらえ、学校教育が社会階層の 移動手段ではなく、実際には再生産の手段となっ ていることを指摘しているのが 藤理論である。 藤理論の代表的論者のブルデュー(Bourdieu, P.)は、フランスの高等教育において学生の出身 階層とその学力達成度の間にみられた関係に注目 して文化的再生産論を提唱した(Bourdieu and Passeron 1964=1997)。ブルデューは経済学理論 への批判から、人的資本に対応して文化資本とい う概念を定義し、再生産の過程を説明したことで も有名である(Bourdieu 1986)。 また、ネオマルクス主義の経済学者としてアメ リカの教育制度を検証したボウルズ(Bowles,S.) とギンティス(Gintis, H.)による対応理論の立 場からは、学校を階級文化の対立の場として捉 え、労働者階級出身の生徒と、大学へ進学する生 徒とでは、それぞれの階級の下位文化に応じた パーソナリティ特性が、再生産されているとの指 摘がある(Bowles and Gintis 1976=1986;米川 1986)。竹内(1992)は、学校における能力主義 は、人びとを納得させるための表の論理であり、 裏の論理では、学校は、既存の支配集団に有利な ように能力を定義し、彼らの地位を独占し再生産 するための口実となっていると批判している。つ まり、そもそも学歴競争へ参加する際、諸個人を 取り巻く条件が違う(=不平等である)ため、そ の競争そのものがフェアではないという批判であ る。なお、日本を事例とした近年の研究において も、出身家庭や地域などの「生まれ」で人生の選 択肢や可能性が著しく制限される状況が、豊富な データから示されており、「緩やかな身分社会」 であると指摘されている(松岡2019)。 さらに、新制度学派のマイヤー(Meyer, J.) は、学歴が重視されるあまり、実際の学びには実 質的な意味がないにもかかわらず、学校教育はそ の普及とともに正当性を獲得してきたと指摘して いる(Meyer 1977)。そして、学校教育と労働市 場は並行して発展するという近代化論の想定に対 して、学校教育が労働市場の発展とは無関係に世 界的に普及していることを示し、機能主義的な説 明を否定した(Meyer et al. 1992)。 教育普遍化と格差の関係にどのような傾向がみ られるのか、量的分析によって明らかにしようと する試みも継続的に続けられてきた。ブロスフェ ルド(Blossfeld, H.-P.)とシャビット(Shavit, Y.) による国際比較を行った先駆的研究が、日本を含 めた13か国については、一部の国(スウェーデ ンとオランダ)を除いて、教育が普遍化していく 過程で教育達成の階層間格差が一貫して縮小して いく傾向がみられなかったと結論づけたことはよ く知られている(Shavit and Blossfeld 1993)。同 じ時期、ラフトリー(Raftery, A.)とハウト(Hout, M.)はアイルランドの事例研究から、社会階層 下位層の進学率上昇は、上位層の進学率が飽和し た後で始まるため、教育機会拡大期に出身階層間 の進学率における格差が維持されるとする MMI (Maximally Maintained Inequality)仮説を提唱 した(Raftery and Hout 1993)。さらに本仮説を 補完するかたちでルーカス(Lucas, S.)は、アメ リカの中等教育段階におけるトラッキング研究の 中で、進学率が飽和状態になった社会においても 教育達成の質的な格差は維持されている現象を明 らかにし、EMI(Effectively Maintained Inequal-ity)仮説を提案した(Lucas 2001)。 また、学力格差を是正するための各国・各学校 の取り組みを横断的に国際比較した研究も蓄積さ れてきた(志水・山田2015;ハヤシザキほか編 2019など)。たとえば、ハヤシザキらは、経済的 に厳しい環境にある子どもの多い「しんどい学校」 での学力向上に向けた取り組みを事例に、東アジ
アとヨーロッパの7か国を対象とした比較分析を 行っている(ハヤシザキほか編2019)。 そこには、 社会経済的に困難な状況にある子どもに対する積 極的支援など、学力向上のための様々な工夫が描 かれていると同時に、各学校の抱える問題点や課 題についても言及されている。たとえば、教職員 が少なくない負担を抱えていることや(イングラ ンドの事例(ハヤシザキ2019))、学力観をめぐっ て保護者と学校との間で認識の齟齬があること (香港の事例(石川2019))、また、体験中心型の 教育実践と、学歴社会でもある韓国での学力保障 との間にジレンマがあること(韓国の事例(朴 2019))などが指摘されている。もちろん各国の 文脈に応じて、学力格差是正のための処方箋は異 なるといえるが、このような研究蓄積が示す具体 的な実践例から学べるところは多い。 以上のような先進諸国を対象とした実証研究 は、教育格差生成を説明する理論の精緻化と集約 化を進めてきた。教育の機会が既に普遍化した先 進諸国の議論をみても、家庭の経済的格差が、教 育格差へと連関していく現状が批判的に分析さ れ、その是正が試みられているといえる。 ⑵ 途上国での議論 教育が一足早く普及した先進諸国で論じられて いる教育格差の問題は、近年アジア・アフリカな どの教育普及期にある途上国で起こっている教育 格差の問題と必ずしも大きく乖離しているわけで はない。しかし、「はじめに」でも触れたように、 途上国を対象とした教育開発研究では、そもそも 基礎教育へのアクセスが保障されていない問題に 重点がおかれやすく、教育普遍化が進んでいく過 程で生じる格差の問題についての議論の重要性は 古くから認識されながらも、比較的手薄となって きた経緯がある。高等教育やその後の労働市場と の接続を含め、学校教育全体の格差是正に果たす 役割を主に検討するなかで発展してきた教育先進 国における研究とは、関連しつつも当然異なる議 論が展開されてきた。 1945年以降の開発と教育をめぐる理論のなか では、近代化論が最も古く、欧米諸国の開発理念 の中心に位置づけられてきた。近代化論では、す べての社会は近代化という共通の目的に向かって 進化することができると考えられており、教育社 会学の機能主義的な理論との親和性が高い。1960 年代に始まった新興独立国への教育開発支援は、 この近代化論と、同時期に経済学分野で確立した 人的資本論に支えられたものであった。しかし、 開発学分野で従属論や世界システム論が台頭した 1970年代以降は、前項で述べた教育社会学の社 会階層研究分野での理論研究の変遷とも連動し、 途上国の教育研究においても、現実の学校教育普 遍化と格差の関係を説明しようと試みる研究が活 発となった時代であった。ネオマルクス主義の系 統に属しフレイレ(Freire, P.)に代表される批 判的教育学や、学校教育制度の文化再生産的側面 を乗り越える方策として提起されたイリイチ(Il-lich, I.)の脱学校論がその代表的なものといえる (山田2007)。 一方で途上国における開発研究では、学校教育 のなかでも基礎教育を受けることそのものを開発 に必須な要素とみなす理論の確立と主流化が進ん だ(浜 野2014)。セ ン が 提 起 し た ケ イ パ ビ リ ティ・アプローチに基づく人間開発理論が主なも のであり、EFA はこうした開発研究全体の潮流 を背景に生まれた。また途上国における大規模 データの量的分析では、基礎教育による個人の賃 金に代表される私的便益や、経済成長に代表され る社会的便益が存在することを裏付ける実証分析 結果が1970年代からサカロポロス(Psacharopou-los,G.)らによって積み重ねられてい き(Psa-charopoulos 1972; Psaき(Psa-charopoulos and Patrinos 2018)、人的資本論を中心とする機能主義パラダ イムに属する研究が、結果的には EFA の推進に 大きな役割を果たした。教育普遍化と格差の関係 においても、基礎教育の教育格差是正が社会全体 の賃金格差是正につながることを示す実証研究の 成果を踏まえ(例えば、 Knight and Sabot 1990)、 基礎教育段階での開発目標の達成状況における格 差の状況とその生成要因を探索する研究がさかん に行われるようになっていった。 こうした経緯により、EFA 時代の途上国を対 象とした先行研究では、教育普及の経年変化のな かで、どのような集団が不利な状況に陥っている のか、あるいは、中途退学者のいる家庭では、い かなる障壁が就学継続を妨げているのかを明らか にし、積極的な支援が必要とされる対象を明らか にしてきた(Leu 2005; Onsomu et al. 2006; Abuya et al. 2012など)。そのような議論では、 社会階層に加え、民族集団、地域、ジェンダー、 障害、貧困などの属性や背景が、アクセスや教育
の質などの達成度において不利な状況となってい る諸集団を形成する要因として認識されてきた。 このような格差は、学校施設や教員の不足と いった、政府の財源不足など教育供給側に起因し て生じる格差であり、また他方では、学校教育に 対する保護者の期待や捉え方など、教育需要側に 起因して生じる格差でもある。前者については、 供給側の資金不足が問題であることから、今後教 育機会の拡大において是正されうるとも期待でき る。教育先進国においてはコールマン・レポート 以来、こうした観測に対して悲観的な見方のもと に行われる研究が支配的となってきた。これに対 し、ハイネマン(Heyneman, S.)とロクスレ イ (Loxley, W.)は1980年代に、初等学校に通う児 童の学力の決定要因に関する分析結果を29か国 間で比較して、途上国では供給側の役割が先進国 と比較して大きいと結論づけた(Heyneman and Loxley 1983)。こうした研究の影響を受け、途上 国では格差是正における学校教育供給側の役割を 明らかにしようとする研究が、比較的さかんに行 われてきた。しかし、「⑴ 先進国での議論」で みたように、教育の普及が進み、供給側の課題を 解決してもなお格差の問題は残りうる。 他方、後者については、就学に伴う直接費用 や、子どもが家庭内外での労働に従事できないこ とによって生じる機会費用などが就学を阻害する 要因とされてきた。このような教育の需要側の障 壁は、無償化政策の実施や、学校での給食の無償 提供、奨学金の配賦などを実施することによって 解消されうると考えられる。教育の普遍化と格差 をめぐる研究では EFA が始まった1990年代以 降、主にアフリカ諸国で政治的思惑もからみ導 入・再導入が相次いだ基礎教育段階での無償化政 策が格差是正に及ぼした効果の検証が多くなされ た(Nishimura et al. 2008; Ogawa and Nishimura eds. 2015)。21世紀に入り開発経済学分野で急速 に利用が進んだ実験的研究が、プログラムごとの 検証により、貧困層の就学促進に向けた需要側へ の費用効果の高い介入を明らかにした成果は、現 在も影響力を保っている(Dhaliwal et al. 2013)。 しかしながら、需要側に対する介入をすれば、 アクセスという面では格差を是正できるかもしれ ないが、国による学校教育普及の限界を補完する かたちで広がる非国家主体⑺ (Non-State actor) による教育提供の存在が、基礎教育段階において も無視できなくなっている。そのような非国家主 体による教育提供が拡大することで、教育需要側 に起因する格差が拡大していくことも考えられ る。私立校を中心とする各アクターの教育普遍化 促進と格差是正に果たす肯定的な役割を示す研究 は一部に存在し、いわゆる低学費私立校研究がさ かんとなっていく火付け役となった(Tooley and Dixon 2005)。しかし、アジアやアフリカ地域の 途上国を事例とした実証研究の多くが明らかにし てきたのは、急激に教育の普遍化が進められて いった過程で、貧困層が通う公立校の教育の質は 著しく低下し、非国家主体による有償の教育が拡 大することで、子どもが受けることのできる教育 の質における格差が拡大していく構図であった (例えば、Oketch et al. 2010; Bold et al. 2011;
Taylor and Spaull 2015)。
これに関係して、本特集が対象とする地域で注 目されているのが、「影の教育(shadow educa-tion)」の存在である。「影の教育」とは、東アジ ア諸国で盛んな、塾や家庭教師などの補助的な有 償教育のことを指すが、近年では東アジアだけで なく、他のアジア諸国やアフリカなどの諸国でも 急速に興隆している(Bray 2006)。近年の調査 からもその傾向は明らかにされており、たとえば 学歴競争の激化するインドでは、様々なアクター が多様な有償教育を提供するようになっていると いう(小原2016)。高学費の私立校だけでなく、 小規模で低学費の私立校や、塾に相当するコーチ ング・センターなどが点在し、都市部のほとんど の児童が、このような有償の補習指導を受けてい るとされる(小原2016)。また、ケニアにおいて も、都市部の初等学校の最終学年では、放課後や 週末に実施される学校での補習授業や家庭教師な どの有償教育が、初等教育修了試験の受験準備の ために拡大している(Buchmann 2002)。昨今で は、インターネットを経由した有償教育も拡大し ており(Bray 2013)、有償教育の多様化・拡大 により、それにアクセスできる人びとと、そうで ない人びととの間に生じる教育格差を是正するこ とにも一定の限界がある。 教育の普遍化が基礎教育段階を中心に達成され つつあることも、途上国においてこうした教育格 差の問題に注目が集まるようになった背景にあろ う。「はじめに」でも確認したように、教育機会 が普及するほど、その修了証の労働市場での価値 は、相対的に低下してしまう。就学率が普遍化の 域に達した教育段階は、一定の職業を得るための
最低条件の学歴となるためである。そうなると、 学歴の価値は、初等教育、中等教育、高等教育と いった縦の学歴だけでなく、出身校/大学や、専 門など、横の学歴が重要な比較指標となってく る。この意味で、より良い教育をめぐる競争は過 度になっていきやすい。こうした傾向は、教育普 遍化がすべての教育段階で進む先進国での研究 で、一般的にみられてきたものであり、EMI 仮 説はその代表である。 さらに労働市場の変化と対応せず教育の普遍化 が進行することで、こうした学歴インフレは途上 国の方が深刻化しやすい。1960年代、近代化論 の後ろ盾により教育拡大が途上国で推し進められ た時の状況の分析か ら、「学 歴 病(diploma dis-ease)」を 論 じ た ド ー ア(Dore, R.)は、イ ギ リ ス、日本、スリランカ、ケニアの教育普及を事例 とし、教育普及の遅れた国ほど、学歴競争が激化 しやすくなる「後発効果」をすでに指摘していた (Dore 1976=1990)。機能主義的パラダイムが仮 定するように学校教育と労働市場が、必ずしも互 いに連動して成長していないことは、高学歴失業 の問題など、とくに東南アジア、南アジアなどの 事 例 か ら も 示 さ れ て い る(牟 田1987;Jeffrey 2010=2014)。 アジア・アフリカ地域などの途上国における教 育格差には依然、国や地方政府などの財政不足に よって、教育の供給側や需要側の問題に対処する 政策介入が不十分であることによって生じている ものが残っていることは看過できない。しかし、 現在の急速な教育普及の過程のなかで、良質な教 育機会を求める教育需要側の希求により、今後さ らに多様に展 開 し て い く こ と が 予 想 さ れ る。 SDGs 時代に入り、労働市場との接続まで考慮に いれた本質的な教育格差の問題を再び正面から捉 えなおし、需要側の学習熱をそれぞれの国や国内 の地域の文脈にあわせて考慮した格差是正策を模 索する試みが、途上国の教育開発研究のおいて必 要であろう。
4.おわりに:SDGs 時代の教育普遍化と
格差の開発研究
「格差」という言葉は、慎重に扱わなければな らない。先に確認したように、本稿では、「格差」 という言葉を、「是正が必要だと価値判断される 集団間の不平等」を意味するときに使用している。 「是正が必要だと価値判断される集団間の不平 等」が生じる状態とは、つまり、その不平等の背 後に、個人の能力や努力以外に起因する構造的な 問題があることを示唆している。そのような状態 を、「是正が必要」とみなす場合に、「格差」とい う言葉でもって表現した。 本稿で整理してきた「教育格差」は、供給側、 需要側双方の働きかけによって多様に展開しう る。たとえば、公教育が有償であることによっ て、学校へ通える人びとと、通えない人びとが生 じている状態は、経済的状況による教育格差が生 じている状態である。供給側にある政府は、これ を解決するために、公立校での無償化政策導入を 実施する。しかしながら需要側にある人びとの動 きをみてみると、多くの国では、無償化された公 立校を避けて、より良い教育機会を私立校に求め る人びとが現れている。そうすると新たに、私立 校に通える人びとと、公立校にしか通えない人び ととの間での教育格差が生じることになる。これ には選択の自由の保障により、教育市場が活性化 されるという肯定的な見方もあるかもしれない。 しかし、前項でもとりあげたように、途上国の基 礎教育開発をめぐる多くの先行研究では、経済的 状況が選択可能な「教育の質」を制限しているア ンフェアな状況として、批判的に議論されてき た。また、無償化されたはずの公立校で諸経費と 称して学費を徴収することもあれば、反面、有償 のはずの私立校において経営者の裁量により学費 の不払いを黙認してもらえることもある(坂上 2019;澤村2019)。これらの事例が示すように、 公教育が普及するまさにその過程において、供給 側・需要側の双方の働きかけにより、「格差」の 形態は、様々に転じうる。教育普及期に生じる 「教育格差」とは、このような動的かつ多様な課 題を有する複雑な問題であることを念頭におかな ければならない。 また、学校教育制度に付随する種々の不平等 は、必ずしも是正が求められるものではなく、国 や社会の状況、制度設計の意図によっては、必要 な差異であることもある。たとえば、選抜を伴う 中等教育以降の教育段階では、教育の質が異なる こと(=不平等)が前提となっている国が多い。 反面、就学前教育や初等教育では、子どもを学力 などの基準で選抜することは、一部を除けばあま り一般的ではない。学力による生徒の選抜は、生 徒間で異なる学力を審査し、受け入れる生徒を選ぶという制度である。学習者の年齢が低いほど、 そのような選抜は避けられる傾向にある。なぜな ら、当人の努力や能力よりも、家庭の状況、ある いは保護者の教育意識による影響が大きいと考え られやすいからである。一方、中等教育段階以上 では、人びとを労働市場に適当に分配する機能を 負うようになる。そうなれば、学校ごと、あるい は、興味や専門によって、受けられる教育の質が 異なるように設計される。それに伴って、人気の 集中する学校や、教育の質が高いとされる上位校 には、水準を満たした学力や能力を示せない限 り、就学することはできない。これは、教育機会 における不平等である。しかし、その制度設計の 意図を踏まえれば、必ずしも是正が必要なわけで はない。ただし、そのような学力選抜を経たあと の機会の不平等が、世帯の経済力や、出身地域な ど、生徒の属する何らかの集団間にみられるので あれば、それは格差として認識されるだろう。 また、学校間の教育格差だけでなく、学校内で も教育格差は起こりうる。たとえば、教育の質の 高い学校ほど、成績優秀者に授業の速度が合わせ られ、その高い質の恩恵を十分に受けられない児 童・生徒が存在することもある。さらにいえば、 教育の質は、必ずしも試験で測られる能力だけに 現れるものではなく、体罰やいじめの有無などと いった児童・生徒の心の側面にも関わることであ る⑻ 。すなわち、教育の質は、同じ学校に通って いても、同じ教室にいても、個々の学習者の立場 よって異なりうるといえる。そのようなミクロな 動態を捉える視点も、種々の教育格差を分析する うえで重要である。 どのような状態を目指すべき「平等」と捉え、 またどのような「不平等」が格差として言及され るのか、それは、その国や社会の正しさの観念に も左右されうるし、また、生じた不平等の構成背 景によっても左右されるだろう。したがって、教 育格差について議論しようとする場合、どのよう な状態がフェアであると捉えられているか、ある いは不平等がいかにして生じているのか、対象と する社会固有の文脈に応じた議論が不可欠であ る。いつ、何を基準に、いかに振り分け、そして どのような状態が「正しい」といえるのか、それ は基礎教育が既に普遍化している欧米諸国や日本 などでも議論の続く課題である。教育普及期にあ る途上国を対象とした教育格差研究においても、 各社会の文脈や、個々の立場によって多様に定義 されうる「公正」概念に留意した議論の積み重ね が重要である。
注記
⑴ 「equity」は、研究論文や外務省、国連機関の文 書でも同一の邦訳が使用されているわけではな く、「公正」、「公平」、「衡平」などの邦訳がある。 本論文では、教育社会学分野における国際比較 の際に使用される頻度の高い「公正」を「equity」 の訳語として使用する。⑵ 原文:Women and men enjoy the same status and have equal opportunity to realize their full human rights and potential to contribute to na-tional, political, economic, social and cultural de-velopment, and to benefit from the results. ⑶ な お、UNESCO は、Equality と Equity の 違 い
に関するよくある図示(※たとえば、背丈の異 なる個人に対しそれぞれ同じ大きさの踏み台を 用意するのが Equality であり、背丈の異なる個 人に対しそれぞれ異なる大きさの踏み台を用意 するのが Equity であるという図)について、そ の解釈は誤解であるとし、Equality の概念は、 その図において、インプットとアウトカムにそ れぞれ表されていると指摘している(UNESCO 2020, p. 11)。 ⑷ 原初状態とは、思考における仮説的な状況であ る。それは、「誰も社会における自分の境遇、階 級上の地位や社会的身分について知らないばか りでなく、もって生まれた資産や能力、知性、 体 力 そ の 他 の 分 配・分 布 に お い て ど れ ほ ど の 運・不運をこうむっているかについても知って いない」状態である(Rawls 1999=2010、p. 18)。 この仮説的な状態のなかで到達する基本合意が、 公正なものとなる(Rawls 1999=2010)。 ⑸ もちろん批判もされており、代表的なものとし て、ノージック(Nozick, R.)による原理的リバ タリアニズムの立場からは、ロールズの正義論 にみられる、分配のための財が誰にも所有され ていないという前提や、国家が個人に干渉する という前提に対する批判などがある(Kukathas and Pettit 1990=1996)。 ⑹ ペアレントクラシーとは、親の富や教育意識で 子どもの教育達成が決まる社会であり、イギリ スの教育社会学者が指摘したものである(Brown 1995)。メリトクラシーでは、「能力+努 力=業 績」となるが、ペアレントクラシーでは、「富+
願望=選択」となる。 ⑺ ここでいう非国家主体とは、塾や家庭教師、都 市スラムなどで急速に拡大する無認可学校、あ るいは、私立校といった多様なアクターを指す 言葉である。 ⑻ なお、アフリカにおける体罰やいじめに関して は澤村(2013)に詳しい。
参考文献
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