特
集
1 『日本オーラル・ヒストリー研究』 第 15 号 (2019 年 9 月) 5
特集 1 食に聴く、食を書く―食の媒介者たちをめぐる歴史と社会
Special Issue 1: Oral History of Foods: Its Problems and Possibilities
本特集にあたって
Introduction to the Special Issue
倉 石 一 郎
KURAISHI Ichiro
「食」の経験について、なぜ人はかくも饒舌になるのだろうか。日頃なにげなく流し見してい るテレビも少し意識してみると、食を題材とした番組は驚くほど多い。そこで出演者たちは、い ま食したばかりの料理の美味・珍味ぶりを、言葉を尽くして表現しようとする。逆のパタンも負 けず劣らず多い。苦手な食べ物にまつわる思い出、「食わず嫌い」の経験をめぐって、やはり出 演者は語り止むことがない。こうした性向はテレビ画面の外の日常生活においても、多かれ少な かれ観察可能なものである。 しかしながら「食」が生み出すのは饒舌な語りだけではない。そこには多くの「沈黙」がまと わりついている。本特集の掲載論文の一つ、桜井厚の論稿が「肉」を題材に詳しく論じているよ うに、私たちの眼の前にある食物が、どのような生産・加工・流通の過程をへて食卓にのぼり、 私たちの口に入るのかについて、多くの者は無関心であり、そこから故意に目をそらそうとさえ する。それは逆に言えば、食の生産・加工・流通などに非常に多様な人々が関与しているにもか かわらず、かれら「食の介在者」が声をあげ、語るのを圧し殺し、はばむ力が働いているという ことである。桜井の議論は、食の問題を追求した果てに差別や排除という重い問題が横たわるこ とを示した。また本シンポジウムのコメンテータ藤原辰史も、著書『給食の歴史』(岩波新書、 2018 年)において、給食の歴史をたぐっていくと貧困・災害・戦争といった重苦しい話に行き 着くことを論じている。「食のオーラル・ヒストリー」研究には、このように饒舌と沈黙とが交 錯する状況の中で、その可能性を問われているのだと言える しかし本シンポジウムの着想は、もっと素朴なところから生まれた。個人の体験への接近を通 じて社会や文化の歴史的変遷を明らかにすること、これがオーラル・ヒストリーを用いた研究の 大きな目的であることにそう異議はないだろう。ところで生活の基本として「衣食住」が挙げら れるとすれば、「食の経験」もまた当然、その重要な研究トピックになりえるはずだ。すなわち「食」 のあり方を手がかりに、ある時代の一面を浮き彫りにする「食のオーラル・ヒストリー」があっ ていいはずだ。すでに個別に、そのような趣旨で研究を進めている先人がいるとすれば、学会と してその先人たちに大々的にスポットライトを当て、その魅力や面白さを存分に語っていただこ う。そして同時に、あとに続く者のために、現時点で克服されていない課題や難点についてもこ の際確認し合い、今後皆で乗り越えていこう――。以上のような趣旨でパネリストとコメンテー6 倉石 一郎 タの選定を行った。本号掲載の論稿とシンポジウムの発題との異同を確認しておく意味から、も う一度ここに当日のタイトルを掲げておこう(発表順、敬称・所属略)。 赤嶺淳 「高度経済成長期の食生活の変化を聞き書く:食生活誌学のこころみ」 桜井厚 「現代史における食肉文化の光と影:食肉生産にかかわる人びとのオーラルヒスト リーから」 野本京子 「食に聴く・食を書く:食の媒介者たちをめぐる歴史と社会」 藤原辰史 コメント (司会 橋本みゆき・倉石一郎) 本号に以下掲載されている各論稿については、私がここで下手な要約や論評をすることは慎み、 読者にその豊かな内容を味わってもらいたい。ただ、藤原辰史氏からのコメントについては、全 体に関わるもののみ、以下に要旨を記しておく。藤原氏の論点は大きく分けて次の四点であった。 (1)食の研究の悩みとして、食が人間のプライヴェートに深く関わる事象であり、その意味 で食の歴史は性の歴史に似た側面があり、似た困難を抱えている点。また味覚や嗅覚に 関わる経験をどのように言語によって記述するのかという根本的問題が挙げられた。自 身の研究もレシピを史料に用いたが、なお模索中であるとのことだった。 (2)価値の問題として、桜井、野本報告にもあったように「貧しさ/豊かさ」という価値を 単純に論じることができない点。食の歴史は近代化のストーリーには簡単になじまず、そ れを相対化する可能性も存在している点が重要である。 (3)食の保守性として、桜井報告にもあったように食が人間に対するスティグマの源となり、 差別や排除の問題にもつながっている点。 (4)食と死の問題として、動物を殺して食するという意味での死、さらに飢えの歴史、飢饉 の歴史ともつながっている点。食の経験は、裏側に「食べることができない」経験が貼 りついているという興味深い指摘であった。 最後に、本号掲載の各論稿を通読して改めて気づいたことを一点のみ記しておきたい。上でも 少し触れたように桜井論文は肉食を題材に、かつて屠場があり多くの地域の人々が屠畜をはじめ 食肉産業に関わっていた滋賀県 S 町、および県内の他地域でのフィールドワークに基づいて書か れたものである。そこでは被差別部落の人びとが肉の生産や流通に関わる一方で同時に肉食とい う行為の主体、すなわち消費者でもある点に焦点があてられ、その経験を語った「食の語り」が 論文全体に活かされていた。それに対し赤嶺論文、野本論文は、それぞれ鯨食、米食をテーマと するものだが、いずれも戦前期に実施された種々の食生活調査、あるいは戦前期の食について記 憶を聞き取り、考証を経て戦後に体系的にまとめられた資料を効果的に使っていた。そこから教 えられたのは、日本国内に限っても、食生活について聞き取り、それを文字資料にまとめていく 営みがいかに先人によって多く積み重ねられてきたか、そして現在を生きる私たちが、その成果 に対していかに無知なままであるかということである。本特集の各論文は、「食のオーラル・ヒ
特 集 1 本特集にあたって 7 ストリー」の次代を切り開かんとする者に対して、どんどんフィールドに出よ、そして人に会い 話を聞け、とエンカレッジしているようにも、いやその前にまず書庫に通え、先人の残した膨大 な聞き書き記録や証言を整理した資料を読み込め、と戒めているようにも、どちらにも受け取れ るのである。 (くらいし いちろう,京都大学教授)