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「絶命歌」の成立をめぐって

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Academic year: 2021

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(1)Title. 「絶命歌」の成立をめぐって. Author(s). 後藤, 秋正. Citation. 札幌国語研究, 4: 29-36. Issue Date. 1999. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/2623. Rights. 本文ファイルはNIIから提供されたものである。. Hokkaido University of Education.

(2) ﹁絶命歌﹂の成立をめぐつて. 以前、﹁大朝﹃臨終詩﹄論考﹂T︶及び﹁臨終辞の成立とそ の展開−南北朝期から南宋末期まで−﹂︵2︶という拙論で、臨. みたい。 二. 後. ﹃列女伝﹄巻四、息君夫人の条に. まず、﹁大草﹂について見てみよう。この作品が収録される のは、その第三辛が、劉向の. 引かれていることによるのであろう。ちなみに第三章は次のよ. 終詩の成立とその展開の様相について考えたことがある。そこ で最古の作品として取り上げたのは孔融︵一五三−二〇八︶. ーはかあな. 穀きては則ち室を異にするも. うに詠じられる。. 穀則異室. ﹁臨終詩﹂であり、これに先行する、前漠の哀帝に仕えた息夫 窮 の ﹁ 絶 命 辞﹂なども視野に入れた 。. わ九. 死別同穴 死しては則ち穴を同じうせん 謂予不信. ︵百花. 文芸出版社、一九九六︶は、先泰時期から清未に至る、死に臨. 有如搬日 緻日の如き有り. 予を膚ならずと請わば. んで作られたとされる七十六人の﹁臨終詩﹂と﹁絶命儲﹂を収. 将妻其夫人、而納之於宮。楚玉出遊、夫人遂出見息君、請之. 夫人者、息君之夫人也。楚伐息、破之。虜其君、使守門。. うに言っている。. あり﹂紀元前六人〇年に楚に滅ぼされた。痢女伝﹄は次のよ. 息国厄、今の河南省息県の西膚、推水の北岸にあった小国で. このことと関連して、楊光治編注﹃歴代絶命辞選析﹄. の. 正. 録している。この書物は﹁選析﹂と題しているように、死を目 前にしての作品を網羅しているわけではなく、大朝期の仏僧の 手になる作品などは収録しない。しかし拙論では取り上げな かった先妻時期の作品として、﹃詩経﹂王風・大事と衛侯の女 の﹁絶命歌﹂︵3︶の二篇を収録している。この二篇に着目して. −29−. 秋.

(3) 日、人生要一死而巳、何重自苦。妾無須央而忘君也、終不以 身吏武離。生離於地上、豊如死帰於地下哉。乃作詩日、⋮⋮。. 三. の歌の成立の事情について探ってみたい。まず、﹃琴操﹄巻上︵平. それでは衛侯の女の﹁絶命歌﹂はどうであろうか。以下、こ. 息を伐ち、之を破る。其の. 津館叢書本︶. 息君止之、夫人不聴、遂自殺。息君亦自殺、同日倶死。 夫人は、息君の夫人なり。楚 将に其の夫人を妻にして、. 思帰引者、衛女之所作也。衛侯有賢女。部王聞其賢、而請. の﹁思帰引Lの粂を引こう︵5︶。. 君を虜にして、門を守らしむ。 遂に出でて息君. 蒋之。未至而王蓑。太子日、吾開斉桓公得衛姫而覇。今衛女. 出遊し、夫人. に見え、之に謂いて日く、人生は一死を要つのみ、何ぞ自ら. 賢、欲留。大夫日、不可。若女賢必不我聴、若聴必不賢。不. 之を宮に納れんとす。楚王 須央も君を忘るること無をなり、終に身. ま. 苦しむに至る。妾. 可取也。太子遂留之。果不聴。拘於深宮、思帰不得。心悲憂. ふ. を以て更に離をせず。生きて地上を離るるは、豊に死し. 傷、遂援琴而作歌日、﹁洞洞泉水、流反於洪今、有懐於衛、. 靡日不思、執節不移今行不詭随、吹珂何事今経験雷﹂。曲終. し. て地下に帰するに如かんや。乃ち詩を作りて日く⋮⋮。息君. とと 之を止むるも、夫人 聴かず、遂に自殺す。息君も亦自殺し、. 綻而死。. めと. 其の賢なるを開きて、之を蒋らんことを請う。未だ至らずし. 思帰引は、衛の女の作る所なり。衛侯に賢女有り。彿王. 同日に倶に死す。. 劉向はこれに続けて、﹁夫義動君子、利動小人、息君夫人不 為利動臭。﹂ ︵夫れ義は君子を動かし、利は小人を動かすも、息. て王乗ず。太子日く、吾聞く斉の桓公は衛姫を得て覇たり。. と述べているように、息夫人が節. 君夫人は利の為に動かず。︶. 今. ゆる 若し女賢ならば必ず我を聴さず、若し聴さば必ず賢ならず。. 衛女は賢なり、留めんと欲すと。大夫日く、不可なり。. 義を守ったことから教訓を引き出しているのである。しかし、 吉川幸次郎﹃詩経国風 下﹄︵岩波中国詩人選集二、一九五人︶. 取るべからざるなりと。太子. 男女が、取締まりの官吏をこわがる歌。栄子は現在の事態とし、. 遂に琴を援りて歌を作りて日く、. とち ず。深宮に拘われ、帰るを思うも得ず。心は悲しみて憂傷し、. 遂に之を留む。果たして聴さ. が﹁大草﹂について、﹁おきてにそむいた結婚をしようとする 古注は、過去にはそうした風儀正しい時代もあったと、追憶す. 洞洞泉水. 洞洞たる泉水. る歌とする。Lと述べたあと、﹁なお全く別の説として﹂と断っ. 流れて洪に反る. おも. 流反於洪今. 衛を懐うこと有りて. に言及しているように、特定の人物の作品とする. て﹃列女伝﹄. 有懐於衛. 日として思わざる靡し. 々. には疑問が多い︵4︶。. 靡日不思. −30−.

(4) とある。﹁吹珂﹂は、志を得ないこと。娼珂は、挟間と同じ。¶楚. モわぎわいかか. 節を執りて移らず行いて詭随せず. 辞﹄七諌・怨世に、. つみ. 執節不移今行不詭随. 吹珂何の革ありてか飲の沓に経る. 然越河而留滞. 然も娼罰して留滞す. しか. 年既己過太半今 年 既巳に太半を過ぎ. †で. 吹 珂 何事今離欺昔 と。曲終わりて経れて死す。. ここで、歌中の語句について簡単に見ておこう。歌の前半部. と言う。. 蕗彼泉水 亦,漢に流る. 簸たる彼の泉水は. 洞洞たる泉水. あり、第六句が変形されて増補され、 一句多くなっている。. 苑要録﹄︵且を出典として収録される。. ﹃詩経﹄郷風・泉水の第一章とほほ同じものである。 亦流干洪 衛を懐うこと有りて. 渦洞泉水. は. 有懐干衛 日として思わざる靡し. 流れて凛に及ぶ. この歌は、明・鳩惟納揆﹃古詩帰﹄巻四、 古逸の項にも﹃琴. 靡日不忠. 流及干洪今. 衛を懐うこと有りて. ただし、若干の異同が. 嬰彼諸姫. 有懐干衛. やぶ. 靡日不思. 帰りを望んだもののかなえられなかったことを詠じたものであ. と説明する。衝から他国に嫁した女性が、父母の死を機会に里. 此曲有絃無歌。今此歌辞明為後人所作。隋志云、琴操三巻、. 間有後人所増。如息帰引一歌、西晋初尚末流伝。牧石崇序、. 琴操、後漠察邑撰集。以平津館本為最善。⋮⋮又今本琴操. を収録しており、﹃琴操﹄について次のように指摘する。. 漣欽立輯校﹃先秦漠貌晋南北朝詩﹄漢詩巻十一は、琴曲歌辞. 砕封何事今稚灰昔 於珂 何の事ありてか飲の昔に経る ああ 嵯乎何事今離蕨沓 嵯乎 何の事ありてか飲の昔に経る. つふ. 日として思わざる靡し. ﹁泉水﹂ の 小 序 は 、. 聯与之諜. 撃たる彼の諸姫と と・も 研か与に謀らん. し. 執節不移今行不蟹 節を執りて移らず行いて璧らず. 帰るを思うなり。諸侯に嫁して、父母終. 泉水、衛女思帰也。嫁於諸侯、父母終。思帰寧而不得、故 作是詩以自見也。. 泉水は、衛の女. す。帰寧せんことせ思うも得ず、故に是の詩を作りて以て自 しめ. る、とみなすのである。﹃琴操Lとは、衛の女性が主人公であ. 晋広陵相孔街撰。拠此、旧本琴操累経増添可知也。. ら見すなり 。. る点は共通するが、背景はかなり異かつている。。﹁詭随﹂は、. ⋮⋮又. 琴操は、後漢の葬亀の撰集。平津館本を以て最善と為す。 詭り随うを縦す無かれ. 如きは、西晋の初め尚お未だ流伝せず。故に石崇の序に、此. 今本琴操は開に後人の増す所有り。思帰引の一歌の. 無縦詭随. 以て無良を謹め. みだりに人にしたがうこと。﹃詩経一大雅・民労に、 いつわ ゆち. 以謹無良. 一31−.

(5) の曲. 絃有るも歌無しと。今の此の歌辞は明らかに後人の作. る所為り。隋志に云う、琴操三巻﹂晋の広陵の相孔街琴7︶ lし■書. と。此れに拠れば、旧本琴操の累りに増添を経しこと知るべ きなり。. わことおぎか. 余 少くして大志有り、.寄りて流俗に邁る。弱冠にして. 朝に登り、位を磨ること二十五年。五十にして事を以て官を. 陽の別業に肥遁す.。㌧⋮欺ち復た牽寄せられ、九列に婆婆. 去る。晩節には更に放逸を楽しみ、篤く林薮を好み.、遂に河 たも一ま. くる また同書は、﹃古詩帰﹄と同じく﹃琴苑要録﹄を出典として﹁息 たり。人間の煩類に困しみ、常に帰らんことを思いて永歎す。 帰 引 ﹂ を 載 せ、次のような案語を付 し て い る 。 尋いで楽篇を覧るに、思帰引有り。健しくは古人の情、今に つく 同じき有り。故に此の曲を制れるか。此の曲には絃有りて歌 晋石崇思帰引序日、崇少有大志、晩節更楽放逸、困覧楽篇. 帰河陽. 河陽に帰らん. 有思帰引、古曲有絃無歌。乃作楽辞云云。又琴操此引亦有序 無し。今 為に歌辞を作り、以て余の懐いを述ぶ。恨むらく 無 歌 。 拠 此本篇顕係後人依託。 はどこ は時に知音の者の、新声を造りて糸竹に播さしむる無き わか 晋の石崇の思帰引の序に日う、崇 少くして大志有り、思 晩帰引 思帰引 節には更に放逸を楽しみ、因りて楽篇を覧るに思帰引有り、. 経菅阜. 鴻鶴は高く飛翔す へ 菅阜を経 わた 河梁を済り. 余が異を仮りて. か に 後 人 の依託に係る。. 済河梁. 我が旧館を望みて心は悦康す. 古曲には絃有りて歌無し。乃ち楽辞を作る云云と。又 琴操 仮余異 あさ の此の引には亦 序有りて歌無し。此れに拠れば本篇は顕 鴻ら 鶴高飛翔 ここに言う石崇︵二四九−三〇〇︶の﹁思帰引序﹂は、﹃文選﹄. 望我旧館心悦康. 清渠は激し. ︵﹃芸文類衆﹄巻些﹁楽部二、∵楽府。﹃楽府詩集﹄巻五入︶を. 巻四十五に見える。この序の制作動機に係わる部分と﹁思帰引﹂. 清渠激. 魚は彷復す. さかのば. 魚彷捏. 引 い て お こ う。. 終日周覧楽無方. 雲間に登り. 終日 周覧して楽しみは方ぶる無し. 雁は驚き波を源.りて群れて相い将い くら. 登雲間. 姫妻を列ぬ. 雁驚涯波群相将. 列姫姜. 糸竹を拘ち. 余少有大志、李邁流俗。弱冠登朝、歴位二十五年。五十以 事去官。晩節更楽放逸、篤好林薮、.遂肥遁於河陽別業。⋮⋮. 附糸竹. 富商を叩く. う. つら. 欺復見牽帝、婆婆於九列。困於人間煩琴常思帰而永歎。尋 覧楽篇、有思帰引。儀古人之情、有岡於今。故制此曲。此曲. 叩宮商. 有絃無歌。今為作歌辞、以述余憤。恨時無知音者、令造新声 而 播 於 糸 竹也。. ー32−.

(6) この作品は、序の内容と対応して、官職の束縛から脱して河. 酌玉腸. 婁華池. 玉腸を酌む. 華他に婁し. 孤塞請先屯. 龍堆求緩急. 都尉亦錆魂. 式師巳喪律. 繍衣疲居奔. 桂下に双駿を厳め. 孤塞. 龍堆. 繍衣. 緩けを求むること急に. 都尉も亦た舘魂す. 式師. 先に屯せんことを請う. 巳に律を寒い. 摩しば奔るに疲る. い■●し. ーiし. 陽・金谷︵河南省洛陽市の東北︶. 擾下厳双駿. 腰辺に両横を帯ぶ. 琴操1思帰着衛女之所作也。欲帰不得。心悲憂傷、援琴両 歌、作思帰引。. た†. を詠じている。この﹁思帰引序﹂について、李善注は﹃琴操﹄. 腰辺帯両雄. 将に乗じて期限無し・. の別荘に帰りたいという願望. を引いて、次のように言っている。. 乗崎無期限. 帰るを思うも安くんぞ言うべけん. みね. 思帰安可書. この劉孝威の ﹁思帰篇﹂.については、すでに﹃楽府詩集﹄巻. 琴操に、思帰は衛の女の作る所なりと。帰らんと欲して得 ず。心は悲しみて憂傷し、琴を援りて歌い、思帰引を作る。. 五十八が、﹃楽府解題﹄を引いて次のように指摘している。. 一に離拘操に作る。琴操に日く、∴⋮︰。晋の石崇の息帰引. 女作、未知執是。. 帰河陽別業、与琴操異也。楽府解題日、若梁劉孝威朝地憑良馬、 備青息帰之情而己。接謝希逸琴論日、箕子作離拘操。不言衛. 一作離拘操。琴操日、⋮⋮ヾ晋石崇思帰引序日、︰÷・。但思. 李善の見た﹃琴操一に、﹁思帰引﹂の古辞とされる作品が載っ ていたかどうか、この記述のかぎりでは定かではないが、退欽. に. 立の指摘のとおり、石崇が﹁思帰引序﹂.を書き、﹁思帰引﹂の 歌辞を作った西晋時期には、﹁思帰引﹂ の古辞は伝わっ.ていな. かったことは確かである。また、梁の劉孝威︵?−五四人︶ も﹁思帰篇﹂︵﹃芸文類衆﹄巻四二、楽部二、楽府。﹃楽府詩集﹄. 胡地・良馬に憑る. があるが、これも漠代の故事に借りながら、﹁胡地﹂. 騎を懐きて漠恩を負う. こうしてみると西晋時期ばかけでなく、薬代にも﹁思帰引﹂. 四. い† わず、未だ執れか是なるを知らず。. 逸の琴論︵且に日く、箕子は離拘操を作ると。衛女の作と青. の序に日く、・∵︰トと。但だ河陽の別業に帰らんことを思うは、 琴操と異なるなり。楽府解題に日く、梁の劉孝威の朝地良馬. 胡地憑良馬. 蜂火入り. に遠征した兵士の、危急を救おうとする活躍ぶりとその帰郷の. 懐騎負漠恩. 甘泉. 宮重煩かる. に憑るの若きは、備さに思帰の情を言うのみ。按ずるに謝希. 甘泉蜂火入. 回中. 遠駕を労し. 思いがかなえられないことを詠ずる内容になっている。. 回申官主烙. 錦車. や. 錦革労遠駕. 巻五人︶. −33−.

(7) の成立にまつわる逸話は伝えられていたものの、古辞とされる 石上作蒲蒲九節. 故郷不帰誰共穴. はかあ丘. ん−. 蒲蒲の九節を作せ. 故郷 帰らずんば誰と穴を共にせん 石上. 仙草の名。菖蒲の一種。また、衰洪﹃抱朴子﹄仙薬巻十一に、. ﹁九節蒲﹂は、漠の武帝が高山で得たという九つの節のある. 作品は見られなかった、もしくは制作されていなかったと考え ることが妥当である。従って、現在見得る作品は六朝以降、﹃琴 操hが増補されていく期間に制作されたものと言って良いので. 菖蒲生須得石上、一寸九節巳上、紫花者尤善也。. ︵七七. はなかろうか。ちなみに、あまり注意されないが、元稜. 生ずれば須く石上に得べし、一寸九節巳上、紫花な. 菖蒲. 尤も書きなり。. ︵八三二−?︶. の作品︵空には、自身の不遇感と望郷の念が述. われるが、死を目前にした緊迫感は見られない。次に引く干浪. 背景、つまり深宮に閉じこめられた不幸な女性の悲哀がうかが. 保ちたいというのであろう。この作品には﹃琴操﹄に見られた. と言う。末句は、仙薬を待て、故郷に帰る日の来るまで長寿を. る者. 九−八三こが、憲宗の元和十二年︵八一七︶に書いた﹁楽府 古蔑序﹂︵﹃元氏長慶集し巻二三︶は、次のように﹁思帰引﹂に. 言及している。 劉補閉云、楽府肇於漠魂。掠仲尼学文王操、⋮⋮衛女作思 帰引、則不於漠貌而後始亦以明臭。 はじ 劉補閲す〓亨っ、楽府は漠魂に肇まると。按ずるに伸尼は 文王操を学び、⋮⋮衛女は思帰引を作る、則ち漠貌に於いて. −八三〇?︶. 深声長に 微 か ず. 自是無帰計. 日開十二門. 知己恩潜替. 交親日相薄. 一落又経歳. 身同樹上花. 為愛東堂桂. 不耕南畝田. 自ずから是れ帰計無し. 日びに開く十二門. 知己は恩. 交親は日びに相い薄んじ. 一たび落ちて又. 身は樹上の花に同じく. 為に東堂の桂を愛す. 南畝の田を耕さず. べられていて、 ﹃琴操﹄ の逸話とはまったく関係しない。. 八にも収録される。. 両耳. 坐ろに愁う百年の身. せずして後に始まること亦以て明らかなり。. 両耳深声長不徹. 深宮. 史成編﹃仝唐詩索引﹄︵上海古籍出版社、一九九〇︶によれば、. 深宮坐愁百年身. 一片の玉中. 重重作問清且鏑. モぞ. 慣血を生じ. 弾くを罷 め て 耕. 自ずから絶ゆ. かけがあ 重量 開を作り清らかにして且つ錦あり とこしえとど. の作品を見よう。この作品は﹃楽府詩集﹄巻五十. ﹁思帰引﹂と遺する作品は四篇が残されている。まず、張祓︵?. 一片玉中生憤血. 焦桐. 夜月に愁う. の作. 品も、旅にある者の望郷の念を言うものであって、﹃琴操﹄の. は、宮城の周囲にある十二の門。章荘︵八三六−九〇八︶. ﹁潜替﹂は、心変わりして冷淡にするさまであろう。﹁十二門﹂. 清かに替る. †た. かろ. 歳を経たり. 焦桐罷弾練自絶. 漠漠たる暗魂. ひモ. 漠漠暗魂愁夜月. −34−.

(8) 逸話とは関係がない。. 越鳥は南に翔り雁は北に飛ぶ. さて、これまで見てきたとおり、﹃選析﹄が﹁絶命歌﹂と題 するのは根拠が不明であり、あえて収録するにしても、せめて. 越鳥南翔雁北飛 南郷の要路. 品も少なくとも梁代まではその存在が認められない。唐代の同. であった。したがって﹃選析﹄が、﹁絶命歌﹂として引く作品は、. れたが、彼の作品とても、死を前にした緊迫感とは無縁のもの. ﹁息帰引﹂と遺するのが適切であっただろう。ただし、この作. 両郷掌路各言帰 如何せん我は是れ諷諷たる者. ここ. 如何我是諷諷者 独り江頭に向って釣磯を恋う. 各おの言に帰る. 独向江東恋釣磯. 題の作品を残している詩人においても、晩唐の張砧の作品には 官女の憂愁を詠ずるという点でわずかに﹃琴操﹄ の投影が見ら. には﹁間道士弾. 手渡と幸荘は、﹁思帰引﹂の選名を用いるときに、﹃琴操﹄所 載の故事の存在をまったく意識していないのである。. これらとは別に、劉南錫︵七七二−八四二︶ 仙翁一奏思帰引. 怪しむ莫かれ股勤に此の曲を悲しむを. 逐客. 仙翁. 初めて聞きて自ずから弦然たり. 丁えに思帰引を奏で. そのことを雄弁に物語っていると言えるであろう。この作品は、. う。何よりも郭茂構の﹃楽府詩集﹄がこれを収録しないことが、. が﹃詩経﹄と結びつけて創作した作品であるとみなしてよかろ. 先述したように、﹃琴操﹄が増補される過程において、何者か. 逐客初開自弦然. 長に苦しむこと巳に三年. 思帰引﹂と遺する七絶があって、次のように詠じられる︵11︶。. 莫怪股勤悲此曲 越声. つね. 連声長苦巳三年. は、. ﹁北海道教育大学紀要﹂一部A. ︵一九九九二二・九︶. 1. ﹃鎌田正博士人十寿記念漢文学論集﹄大修館書店、一九九. 三〇巻二号。 2. 注. あるいは臆断にすぎるかも知れないが、宋代、﹃楽府詩集﹄ の 編纂以後に創作されたものとも考えられるのである。. 畢娩園﹃劉轟錫集箋謹﹄ ︵上海古籍出版社、一九八九︶. この詩について、. に在. 長に苦しむこと巳に三年の旬有. 按、此詩有越声長苦己三年之旬、当是元和三年在朗州作。 投ずるに、此の辞に越声. り、当に是れ元和三年︵八〇八︶朗州︵湖南省常徳市︶. りしときの作なるべし。. 一。その後、注1の拙稿とともに、拙著﹃中国中世の哀傷文. 王維には、二〇歳の時の作である、次のような五経﹁息夫. ︵以下、﹃選析﹄と略称する︶は、出. と言う。連州︵広東省連県︶へ左遷される途次に任地を改められ、. ﹃歴代絶命詩選析﹄. 学﹄研文出版、一九九人に収録。. 4. 典を記さない。. 3. 朗州司馬として左遷されていた劉南錫は、﹁思帰引﹂を耳にし てさらに望郷の思いをかきたてられたのである。 五. −35−.

(9) 人﹂︵﹃河岳英霊集﹄巻上は﹁息夫人怨﹂に、﹃国秀集﹂巻. 帰不得帰、援琴而歌、曲終白線而死。. 巻九二. 儒林伝に、﹁凡所撰述、百余万言。﹂. ︵凡. 孔街︵二大八−三二〇︶.、字は野元は、孔子二二世の孫。 ﹁晋書﹄. て撰述する所、百余万言。︶と言う。. 王昆吾﹃隋唐五代燕楽雑言歌辞研究㌣︵中華書局、一九九. 六︶は、この﹃琴論﹄について次のように亭っ。. 00. 7. 引いた歌も併せて載せる。. ﹃琴苑要録﹄については未詳。なお、﹃古詩紀﹄は注4に. 6. 能く旧日の恩を忘るる莫からんや. によれば、. 中は﹁息鵜怨﹂ に作る︶ がある。 能忘旧日恩 花を看て満眼に疾し. ∴莫以今時寵 今時の寵を以て 看花満眼疾 楚王と共には言わず 一九九七︶. 不共楚王言 陳鉄民﹃王維集校注﹄ ︵中華書局、. この作品は、容宗の子の寧王事憲が ﹁餅﹂を売る者の妻を取. ﹃楽府詩集﹄引文云謝希逸撰。﹃宋史・芸文志㌔ ﹃中興. 書目﹄著録。﹃楽府詩集﹄以前、未見著録与徴引、応是唐五. り上げたことを、息夫人の、節を屈してまで楚王には仕えま いとする決意を借りて風刺する作品とされる。王維にとって. 代人所撰︵参劉大傑﹁再訣胡茄十人拍﹂、﹁文学評論﹂一九五 九年四期︶。. ﹁大草﹂は﹃列女伝﹄と結びづいていたのであろう。 この文章は、﹃風雅逸篇﹄巻二所載のものとほとんど変わ 洞洞たる泉水. 劉禰問は、劉鰊のこと。右補間、集賢殿学士となり、﹃楽. 渦滑洪水 流れて洪に及ぶ. 9. 流干洪今. 衛を懐うこと有りて. 社、一九七五︶第十四章. らないが、歌辞には次のように若干の異同がある。. 有懐干衛. 日として思わざる靡し. 貢は﹂. 10. ︵創文. ﹃仝唐詩﹄は、﹁一に羅隠詩に作る﹂と言う。. この作品について、増田清秀﹃楽府の歴史的研究﹄. 隋唐における古曲の演奏、三大九. ﹁盛唐及びそれ以後に弾奏されていたものに、﹃風入. ﹃易永﹄ ﹃思帰引﹄ ﹃三傑∵﹃清湘送神曲﹄ があり、⋮. であったという以外、不明であるとしか言いよケがない。. は事実であっても、その内容は、望郷の念をかきたてるもの. と指摘する。ただし、当時﹁思帰引﹂が演奏されていたこと. ⋮劉萬錫の﹃間道士弾思帰引﹄⋮⋮の詩が証明している。﹂. 松﹄. 1 1. ︵﹃旧唐書﹄巻一〇二︶っ. 靡日不思. 節を執りて移らず行いて詭随せず. 府古題解﹄一巻を著した. 執節不移今行不詭随. 吹珂. 何の事ありてか飲の茨に経る. 吹珂何事今維廠茨. また、この文章は﹁太平御覧﹄巻五七人にも、﹃楽府解邁﹄ を出典として次のように引かれており、一部異同がある。 思帰引。衛有賢女。勤王問其賢詩碑之。未至而王募。太子日、 吾聞斉桓得衛姫覇。今衛女賢者、欲留之。大夫日、不可。若 賢必不我聴、・聴亦不賢。不足取。太子不聴、遂留拘深宮。思. ー36−.

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