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教育者としてのトーマス・ベルンハルト 第一部

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Academic year: 2021

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(1)Title. 教育者としてのトーマス・ベルンハルト 第一部. Author(s). 大木, 文雄. Citation. 釧路論集 : 北海道教育大学釧路校研究紀要, 第42号: 41-48. Issue Date. 2010-12. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/2363. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 釧路論集 -北海道教育大学釧路校研究紀要-第42号(平成22年度) Kushiro Ronshu, - Journal of Hokkaido University of Education at Kushiro - No.42(2010):41-48. 教育者としてのトーマス・ベルンハルト 第一部 大 木 文 雄 ドイツ語ドイツ文学研究室 ・・ Thomas Bernhard als Pa dagoge. Der erste Teil Fumio OHKI. das germanistische Seminar Ⅰ.はじめに. て「教育者」たり得るというのであろうか。本論のライ. ト ー マ ス・ ベ ル ン ハ ル ト( Thomas Bernhard, 1931-. トモチーフは常にその課題と格闘しながら進められて行. は、 オーストリアの現代作家である。彼はこれまで、 1989 ). くことになる。それは、彼の文学作品の中に書かれている. 詩集、数々の短編小説、長編小説、戯曲、エッセイ、そし. 内容が、極めて質の高い教育的なものを孕んでいるからで. て自伝小説、等を書いて、その作品に対し様々な文学賞が. あり、しかもそのありようは教育現場の教師が到底認知す. 授与されてきた。例えば、次のような賞がそれである。. ることができないほどに深く心の底を覗き見る衝撃を我々 に与えてくれるからなのだが、それにしても真の教育者と は何か、学校の教師とはどういうものでなければならない. ①「小オーストリア国家賞」 Kleiner Osterreichischer Preis, 1968 ・ ・. か、ということがライトモチーフの形をとって論は展開さ れていくことになる。. ②「ゲオルグ・ビュヒナー賞」 Georg- Buchner -Preis, 1970. 従って、教育の本質とは如何なるものかということを考. ・ ・. ③「グリルパルツァー賞」. 察しながら、ベルンハルトの文学作品の中に見られる質の. Grillparzer-Preis, 1972. 高い教育的なもの、あるいはそれに付随する衝撃を抽出し て、それを分析、解釈することが、本論の目的になる。. ④「ハノーヴァー演劇賞」 Hannoverscher Dramatiker Preis, 1972. Ⅱ. 自伝小説『ある子ども』の成立過程とその時代背景. ⑤「オーストリア経済会議所文学賞」 Literaturpreis der O sterreichischen Bundes-. . wirtschaftskammer, 1976. ベルンハルトの作品の中に『ある子ども』(Ein Kind,. ・・. 1982)という自伝小説がある。ベルンハルトがどこで生 これらの文学賞は、ドイツ語圏の作家たちに与えられる. まれ、どのようにして小学校時代を過ごしたかということ. 極めて価値の高い賞であるのみならず、ヨーロッパにおい. が、詳細に叙述された作品である。この作品が書かれたの. てもよく知られた賞である。とりわけ「ゲオルグ・ビュヒ. は、彼が51歳のとき、すなわち1982年なのだが、ベルンハ. ナー賞」と「グリルパルツァー賞」は、日本で言うところ. ルトはこの当時この自伝小説だけではなく、興味深いこと. の「芥川賞」や「直木賞」を思わせる、いやそれどころか. に、他にも一連の自伝小説を書いていることは特筆に価す. それ以上の内実を持ったものである。従って彼、 トーマス・. る。彼が書いた自伝小説を年代順に並べて示すと以下のよ. ベルンハルトは、 現代作家、 あるいは小説家としてヨーロッ. うになる。. パ中に名を馳せているわけである。. . ところが本論では、その小説家としてのトーマス・ベル. ① 『 原 因。 あ る 暗 示 』(Die Ursache. Eine Andeutung, 1975). ンハルトが前面に出されるのではなく、 「教育者」として のベルンハルトが、特に取り上げられ、論じられることに. ② 『 地 下 室。 あ る 回 避 』 (Der Keller. Eine Entziehung, 1976). なる。何故に「現代作家」が、本論において、 「教育者」 としてのベルンハルトに変貌するのであろうか。実際に教. ③ 『 呼 吸。 あ る 決 断 』 (Der Atem. Eine Entscheidung,. 育現場で教師の仕事をしたことのない彼が、どのようにし. - 41 -. 1978).

(3) 大 木 文 雄 ④ 『 冷 や や か さ。 あ る 孤 立 』 (Die Kalte. Eine Isolation, ・ ・. わ ち ド イ ツ の ア ド ル フ・ ヒ ト ラ ー ( Adolf Hitler, 1889 -1945) 率いる、国家社会主義ドイツ労働者党( National-. 1981). sozialistische Deutsche Arbeiterpartei: NSDAP:. ⑤ 『ある子ども』 (Ein Kind, 1982). ナ チ. 党)が、第一党になった時(1932年)であり、このとき このように『ある子ども』を含めるとベルンハルトの自. トーマスは2歳であった。当時オーストリアには、自国. 伝小説は5篇になるのだが、これら一連の自伝小説は、ベ. にこのナチズムが拡大していくことを阻止する「左翼」. ルンハルトの誕生から始まり、小学校時代、中学校時代、. ( links )とナチズムの「右翼」( rechts )という二つの. 高等学校、大学時代までを含んだものである。1975年から. 政治勢力のせめぎあいが起こっていた。1933年3月、オー. 1982年までの7年間に精力的にこれらの自伝小説は書かれ. ストリアの連邦首相ドルフス( Bundeskanzler Dollfuß ). ている。ところでベルンハルト自身の執筆年代順、すなわ. は、国家社会主義運動の拡大を阻止するためにクーデター. ち自伝小説の成立年代は上述のように①②③④⑤に進むの. ( Staatsstreich )を貫徹する。同年6月には国家社会主義. であるが、⑤は執筆年代順で言えば最後に書かれたもので. 党が禁止される。1934年2月には、ヴィーンやその他の都. あるにもかかわらず、内容はベルンハルトの誕生から小学. 市で、「左翼」と「右翼」との市街戦が行われる。同年7. 校時代の一等最初のものであるという事実は意味深い。何. 月には、国家社会主義勢力側のクーデター( Putsch )が. 故にこのように⑤がベルンハルトの人生の出発点であるに. 勃発し、連邦首相ドルフスが暗殺されるが、そのクーデター. もかかわらず、一連の自伝シリーズの最後に書かれなけれ. は失敗に終わる。しかしドルフスの後継者シュシュニック. ばならなかったのであろうか。その理由について、我々は. ( Schuschnigg )は、次第にナチス勢力に圧倒されていく。. ヨアヒム・ヘル( Joachim Hoell )著『トーマス・ベルン. ドイツの国家社会主義党が、オーストリアに進駐し、オー. ハルト』の中に、いみじくも次のような答えを見出すこと. ストリアを併合したのは1938年、トーマスが7歳の小学生. ができる。. 2年生の時であった。そして第二次世界大戦が始まったの 3 が1939年、トーマス8歳、小学3年生の時であった。. 「なぜなら『ある子ども』の中に書かれる事柄が、後. 従ってトーマス・ベルンハルトの誕生から小学校生活の. の発展の光の中で初めてその意味を獲得するからであ. 時代は、まさに世界を揺るがす激動期であり、それはその. る。」(weil das darin Geschilderte erst im Lichte der. 後の彼の人生を決定づけることになったのであり、だから. 1 ・・ ・ ・ spa teren Entwicklung seine Bedeutung erha lt.). こそベルンハルトは、自伝の順番を変えてまで、⑤の『あ. . る子ども』を最後に書いたのであった。. つまりベルンハルトが意図したのは、①②③④の発展に. 我々はそれ故に、この『ある子ども』という自伝小説を. 決定的な影響を与えているのは⑤であり、それを明確に意. 中心に据えながら、教育者としてのベルンハルトについて. 識しながら彼は⑤を書きたかったということなのである。. の考察を進めていく。既に51歳になったベルンハルトは、. 神によって与えられた、ある意味における偶然の人生を、. 透徹した彼の英知と鋭敏な批評眼を使って、自らの誕生か. ベルンハルトは、自伝を執筆することによって、作家の目. ら小学校時代までの一番重要な成長段階の時期に、如何な. を通してそれをしっかりと省察しながら、偶然の人生では. る方法で教育されてきたかという事実と、そういう教育が. なく、自分の人生に意味づけをしたかったということなの. それで良かったのかどうかということについて、鋭いメス. である。. を入れて書く。そうすることによって彼は、その背後に真. ここにおいて我々は、⑤が最後に書かれた理由を注解す. の教育者とは如何なる者かということを浮かび上がらせる. るような言葉として、例えば日本人の思索家上田閑照の格. ことに成功しているのである。. 言的発言を取り上げることができる。 上田閑照はその著『非. . 神秘主義』の中で、人生を読解することを次のように書い. Ⅲ 小学校一年生になるまで ― 上昇へ ―. ている。 . 自伝小説『ある子ども』の中には、トーマス・ベルンハ. 「生きるとは、自分の<一生>というテクストを読むこ. ルトが、小学校一年生を普通の子どもたちよりも一年早. とであり、読み直すことであり、その自覚的遂行は<人生. く始めた、ということが書かれている。1936年秋、トー. についての本>を読むこと、人生を学び直すことと重な. マス5歳の時である。一年早く小学校に入学するのには. 2. 事情があった。一年生のクラスには女子児童ばかりで、男. る。 」. 子児童が少なく、クラス自体がアンバランスで、 「退屈」 ベルンハルトは、自分の人生の神秘的なありようについ. ( langweilig )だったので、もう少し男子児童がほしかっ. て、正確に「読み直す」ために、まずは①②③④を書いた. たのである。校長先生は、道端で会ったトーマスに声をか. 後、年齢的には幼少期の⑤を最後に書いたのであった。. け、 「定められた年齢よりも一年早く学校に入学する気が. しかも⑤に書かれている彼の誕生から小学校生活ま. ・・ ・ ・ ないかどうか」( ob ich nicht Lust ha tte, ein Jahr fru her. での時代は、世界を震撼させる激動期であった。すな. 4 尋ねた。 als vorgeschrieben in die Schule einzutreten. ). - 42 -.

(4) 教育者としてのトーマス・ベルンハルト 一年早く入学するためには、両親からの許可が要るが、校. ・・ Zuckersta tter, 1905-1940 )は、そこにはいなかった。彼. 長と祖父は散歩などでたびたび会い、極めて親しい間柄に. はある農夫の息子で、かつて副職を習っているときにヘル. あったために、祖父のすばやい承諾によってそれが実現し. タと知り合い、結婚もしないうちに彼女に私生児を生ませ. たのであった。. ることになる。その私生児が、いわゆるトーマスであった。. この小学校は、「ゼーキルヒェン小学校」 ( Volksschule. 父アロイスはその後、彼女の元から逃げてしまっていた。. Seekirchen )という名前で、建物自体は200年ほども経っ. そのような父アロイスであったから、彼はみんなから「詐. た古い校舎で、現代ではもう無くなって、跡地には新しい. 13 欺師」 ( Gauner ) と呼ばれていた。トーマスはその後、. 建物が建っている。5 ゼーキルヒェン( Seekirchen )は、. 父と二度と会うことはなかった。. ザルツブルク( Salzburg )から東へ30キロほどのところ. 以上、トーマス・ベルンハルトが小学一年生になる頃の. にある人口一万人ほどの小さな町だが、オーストリアの中. 彼の家庭環境について述べてきたが、トーマスは父無し子. で「一番古くから定住が行われていた」 ( der am langsten. で、彼の家庭環境は極めて劣悪だったことがわかる。. durchgehend besiedelte Ort )由緒ある町で、伝統的な世. しかしトーマスの小学校時代の始まりは生活環境が劣悪. ・ ・. 界的にも名の知られた教会( Kirche )が存在する。 しか. だったにもかかわらず、彼の人生の中で最も美しいものと. もこの町は風光明媚なヴァラー湖( Wallersee )に面して. してとどまることを、予めここで指摘しておかなければな. 6. いるので、昔から「湖」See と「教会」Kirche の二つを. らない。. 併せ持つ町ということで Seekirchen と呼ばれる。あるい. . はこの町は一般的に、 「ヴァラー湖畔のゼーキルヒェン」. Ⅳ 小学一年生の幸せ ― 担任女教師の高度な教育観 ―. ( Seekirchen am Wallersee )とも呼ばれる。さらにここに は都会と違って四季があることを強調して、ベルンハルト. 一年生の担任は女教師であった。彼女は、イギリス製の. は次のように書いている。. スーツを着て、 「真ん中から分ける髪型」( Mittelscheitel ) をしていた。それは当時最新の流行の髪型であった。. 「ザルツブルク近郊の田舎世界は、ヴィーンのように壁で. 第 一 日 目 の 授 業 で、「 石 油 ラ ン プ 」( Petroleumlampe ). 囲まれておらず、夏には緑で、秋には茶色になり、冬には. をスケッチする図画の時間があったが、トーマスの描. 白くなり、 四季は、 だから現代ほど混雑した様子ではなかっ. いた絵を、その先生は、黒板の前で高く持ち上げ、 「こ. た。」. れ は 一 番 素 晴 ら し い デ ッ サ ン で す。」( Es sei die beste. “ Die Welt war nicht aus Mauern wie in Wien, sie war. Zeichnung. )と賞賛したのである。その時以来学校でトー. ・・ gru n im Sommer, braun im Herbst, weiß im Winter, die. マスは「デッサンが上手な子」(ein guter Zeichner)になっ. Jahreszeiten waren noch nicht so ineinandergeschoben. た。そしてトーマスはその女教師の「お気に入りの児童」. wie heute. ”. ・・ ( Lieblingsschu ler )になり、明るく会話もはずみ、友だち. . のヒッピングのハンジ( Hippinger Hansi )14とも仲良く. その町にベルンハルトと祖父母がヴィーンから引っ越. 自然体で学校生活を送ることができたのである。一学年末. し て き た の は、1935年 の 春( ト ー マ ス 4 歳 ) の こ と で. の通信簿には、 「特別に熱心に学校生活をしました」 (einen. 7. あった。祖父母と母 と息子トーマスの一家は、それまで. besonderen Fleiß )という項目のところに下線が引かれて. ヴィーンに住んでいたのだが、もはや「彼らはヴィーン. いたし、正真正銘の「最高の成績」( Einser )を貰ったの. に未練はなかった」( Sie trauerten Wien nicht nach )。. である。. 8. なぜなら「困窮があまりに大きく、日々生き延びること. 以上が、自伝小説『ある子ども』の中に書かれている小. がほとんど不可能であった」( die Not war dort zu groß. 学一年生トーマスの生活のあらましであるが、この箇所の. ・ ・ ・ ・ gewesen, das ta gliche Uberleben beinahe unmo glich. ) 9. 締めくくりとして、このようなすてきな最高の小学校生. からである。当時は世界経済恐慌 ( Weltwirtschaftskrise ). 活は、「私の人生の中で、最初で、そして同時にまた最後. の煽りを受けて失業が大幅に増大し、10ヴィーンにおいて. のものであった。 」( das erste und gleichzeitig auch das. もほとんど職が見つからなかったからである。かろうじ. letztenmal in meinem Leben )15と記されている。. ・ ・. て 母 ヘ ル タ が「 家 政 婦 」 ( Hausangestellte ) と か「 料. かくしてトーマス・ベルンハルトはこの自伝小説の中. ・ ・ 理 婦 」( Ko chin ) と し て や っ と の 生 活 費 を 稼 い で い た. で、自分の体験を注意深く考察しながら、小学校一年生と. だ け で あ っ た。11従 っ て ヴ ィ ー ン の 時 代 は「 最 悪 」 ( die. いう児童の幸せとは本質的にどのようなものでなければな. 12 であり、そこでの生活がもはやできなく Schlimmste ). らないかを、トーマス個人の問題としてだけでなく、世界. なった彼らは、都会生活を脱出し、田舎町ゼーキルヒェン. 中の小学一年生に関わる問題として、すなわち普遍的な問. に引っ越してきたのだった。しかも、それでも母ヘルタだ. 題として提出するのである。我々はこの自伝小説を読む. けは、ヴィーンに残り、ヴィーンで稼いだお金をゼーキル. と、従って、自分の小学校低学年の生活を思い出し、もし. ヒェンに仕送りしていたのである。. もこんな先生に会えたならどんなに良かったか、と理想を. ところで父のアロイス・ツッカーシュテッター( Alois. 追い求めたり、あるいは、我々の先生もああいう先生だっ. - 43 -.

(5) 大 木 文 雄 たなあと同感したりもするのである。. コニーが作られてあった。そのバルコニーからは市場の. トーマス少年の経験の中に見られる小学一年生としての. 向こうに湖 ( ・u・ber dem Marktflecken den See ) が見え、. 普遍的な幸せを、具体的に番号を付してまとめると次のよ. 晴れた日には山脈 ( das Gebirge ) が見えた。この家はこ. うなものになろうか。. の地方で最も安い家で、しかし私たちはすばらしい景色 ( eine herrliche Aussicht ) を見ることが出来たし、バル. ① 教師は、児童それぞれが、それぞれに相応しい別々の. コニーの下には庭があり、下に二つの部屋、上にも二つ. すばらしい才能を持っているということを認識してい. の部屋、バルコニーに行くためのドアつきの急階段があっ. なければならない。. た。階段の終わりとバルコニーのドアの間に私は一つの空. ② 教師は、児童の持っている才能を見つけて、それを引. 間の場所をもらった。私のベッドからは背景に山脈が見え た。夜になるとごそごそ動き出すネズミたちには慣れてい. き出してあげることができなければならない。 ③ 教師は、時代の動きに敏感でなければならない。. た。用を足したいときは、夜なら暗い階段を下りて、家. ④ 教師、とりわけ小学校の教師は、美的なるもの、芸術. のドアを出て、どんなに悪い天候のときでも、雪の降る冬. を理解し、児童にそれを気づかせることができなけれ. でも、家の壁伝いに歩いて、家の外に作られていた便所. ばならない。. に行かなければならない。狭い板の隙間から大きなブロ. ⑤ 児童には、親しい友達がいなければならない。. ・・ イハウス・ビール工場 ( Bra uhaus ) の門が見えた。家の. ⑥ 児童は、自らの存在価値を学校の中で認められていな. 玄関を出て便所までの往復が私は怖かった ( Angst )。祖 父はあまりに沢山、夜にこの地方を不安に陥れ ( unsicher. ければならない。 ⑦ 児童の保護者は、教師同様、いやそれどころか教師以. machten ) 、徘徊するジプシーや行商人や強盗についてお. 上に高度な教育観を持ち備えていなければならない。. 話をし過ぎたのである。再び帰ってきてベッドに入ったと 16 きはとても安心したものだ ( ein Hochgenuß )。 」. トーマスの小学校一年生の時代は、彼の人生の中で一番 幸せな、牧歌的( idyllisch )な時代だったのだが、我々. 値段が安い割には、実に「愉快な」家である。子供にとっ. は作家ベルンハルトの描くこの時代の姿の中に上述のよう. て建物が古いかどうかはあまり関係がない。自然の中に包. な彼の教育観を読み取ることができるわけである。①~⑦. まれ、しかも毎日の生活が「どきどきする」方がずっと魅. までの「~でなければならない」が、教育の上で実践され. 力的である。祖父ヨハネスは、繰り返し面白い話、怖い昔. ると、児童というものは、トーマスと同じように、ほぼ幸. 話をトーマスに話して聞かせたが、それはトーマスの想像. せを感じ、 人間的な成長も実現されると思うのである。トー. 力を決定的に豊かにした。祖父は物語作家であったから、. マスの担任の女教師は、児童それぞれの持つ才能を見極. 「ベッドに就く前のトーマスのためにだけ話して聞かせる. め、そこに力点を置いて児童の成長を推し進める①②の力. 童 話 」( nur f ・u・r mich vor dem Zubettgehen erfundener. 量を備えていたし、③のように、服装、身だしなみ、国際. ・・ Ma rchen )17を考えて作ってくれたのであった。. 感覚に優れていた。そして④のごとく児童の芸術性を高め. 小学校低学年の児童たちにとって、父親、あるいは祖父. ようとしていた。トーマスには、⑤のように、ヒッピング. や先生から、秘密のたくさん含んでいる、どきどきさせる. のハンジという信頼のおける友がいたし、先生にも、友に. 童話を、急がずゆっくりと、魅力ある話し方で物語られる. も信頼されるトーマスは、⑥のごとく、学校に行くのが楽. ことほど想像の琴線をくすぐられるものはない。. しかったのである。 ⑦の「保護者は高度な教育観を持ち. ところでここで我々は、文豪ゲーテが、いみじくも「ど. 備えていなければならない」ということについては、我々. きどきすること」を次のように褒め称えている文章を思い. はこれから少し詳細に、自伝小説との関係で説明を加えて. 出すことができるのだが、まさにトーマスにとってもその. いかなければならない。. 「どきどきする」ありようは、小学校時代の最大の贈り物. . であった。. Ⅴ 偉大な保護者としての祖父ヨハネス 「どきどきすることは人間の最も深い精神の部分だ。いく 祖父ヨハネスと祖母アンナは、やがてゼーキルヒェンの. ら世間がどきどきさせることを忘れさせ、人間を無感動な. 高台にある古くて、この地方で最も安い「二階建ての木造. 生き物にしようとも、どきどきさせられた人間でこそ、途. のログハウス」に引っ越した。母のヘルタはヴィーンで働. 方もないものを深く感じることができるのだ。 」 『ファウ. いていたために、祖父母とトーマスの三人がこの家に住む. スト 第二部』. ことになった。古くて安いにもかかわらず、田舎の自由な. “ Das Schaudern ist der Menschheit bestes Teil; / Wie. 生活ができるという意味においてこの家が最適であった。. ・・ ・ ・ auch die Welt ihm das Gefu hl verteure, / Ergriffen, fu hlt. ベルンハルトはその家のユニークさを次のように書く。. Faust II 18 er tief das Ungeheure.”. 「それは愉快な ( lustig ) 建物で、玄関前におおきなバル. 従って祖父母と一緒に生活することは、トーマスの小学. - 44 -.

(6) 教育者としてのトーマス・ベルンハルト 校時代にとって最大の幸せな出来事であった。とりわけ祖. あるいはまた祖父は次のような教訓もトーマスに語っ. 父ヨハネスはトーマスに決定的な影響を与えた。祖父はい. た。祖父は散歩の最中、休みながら土の上にステッキで、. つも日課として散歩に出かけたが、トーマスも一緒に行. 動物やら植物の絵を描きながら、 「人は見ているものを知. き、歩きながら祖父からいろんな話を聞き、感動を与えら. るということは重要なことだ。」( Es ist wichtig, daß man. れたのであった。作家ベルンハルトはそれを想起して次の. weiß, was man sieht. )と言い、「それがどこから来たのか. ように書く。. を知らなければならない。」( Man muß wissen, woher es 「他方で、何でも知っ kommt. )とも言った。しかし祖父は、. 「昼ごろ遠くに祖父がいるのを見かけた。私は祖父のとこ. ている人々を軽蔑した。 」(Andererseits verabscheute er. ろに走っていった。夏に祖父はパナマ帽をかぶって、亜麻. Leute, die alles wußten. ) そして一つのことを深く知るこ. 服を着ていた。祖父は散歩用ステッキを持って歩いてい. とはとても大事なことだという意味のことを次のように. た。私たちはお互い分かり合っていた。祖父と二、三歩歩. 語ったのである。. くと、私は救われた。 」 “ In der Ferne, gegen Mittag, entdeckte ich meinen. 「少なくとも人はあらゆるものの中で一つのものの十分な. Großvater, ich lief querfeldein auf ihn zu. Im Sommer. 理解力を持たなければならない。」. trug er nur Leinenkleidung und einen Panamastrohhut.. ・・ “ Wenigstens einen zula nglichen Begriff muß man von. Er ging nicht ohne Spazierstock. Wir verstanden uns.. 26 allem haben. ”. Ein paar Schritte mit ihm, und ich war gerettet. ”19 このように祖父ヨハネスは深い思索の人であったから、 「私は救われた」( Ich war gerettet ) というこの表現は、. 学校教育のことについても以前からかなり物申す論客で、. 意味深く重大である。祖父は子どものトーマスにとって神. 学校の教師というものは、 「大馬鹿者」( Idioten )、「哀れ. 様のように大きな存在で、仰ぎ見るような権威を持ってい. な貧乏人」( arme Schlucker )、 「学問や芸術を理解しない. た。作家であり、哲学者である祖父は、日々自宅のログハ. 無感動な人」( stumpfsinnige Banausen )27などと言って、. ウスでの生活であったのだが、一階に書斎としての仕事部. 学校教師のことについて批判していたが、小学一年生トー. 屋を持ち、その部屋には「理由のはっきりした許可がな. マスの担任の女教師は、芸術を理解し、児童の成長を引き. ・ ・ ければ」( ohne ausdru ckliche Erlaubnis )20入ることは許. 出す優れた才能を持っている教師だったために、祖父の口. されなかったし、祖父は「午前三時に起き、仕事をし、九. から、その女教師を批判する言葉は吐露されなかったので. 時に散歩に出かけ、午後再び二時間、三時から四時まで仕. ある。. 21. 事をする」 という規則正しい、厳格な生活をしていて、. 保護者としての祖父母は、従って学校との関係をうまく. 散歩も、大抵は一人でして、 「必ずしも一緒に行くことは. 繋ぎながら、トーマスに、小学校一年生の生活は、上述し. 許されていなかった」( Nicht immer durfte ich ihn auf. てきたように「私の人生の中で、最初で、そして同時にま. 「あらゆるもの seinen Spaziergangen begleiten ) ので、. た最後のものであった。 」と言わしめるほど幸福な時代を. 以上に祖父を愛していた」( den ich ・u・ber alles liebte )23. 創り出すことに成功したのであった。. ・・. 22. トーマスにとって、散歩をしている祖父に出会い、一緒 に連れ立って自然の中を歩くことは、 「救われる」ような. Ⅵ 地獄行きの始まり小学二年生 ― 上昇から下降へ ―. 気持ちを与えられたのであった。すなわち「祖父との散 歩が許されたときは、私(トーマス)は最も幸せな人間. これまで我々は、トーマス・ベルンハルトの教育論がほ. であった」( wenn ich ihn begleiten durfte, war ich der. ぼ完璧な形で小学一年生のトーマスに具現化されているの. ・・ glu cklichste Mensch.)24のである。. を見てきた。すなわちIV章で取り上げられた①~⑦までの. 一緒に散歩したときには、 話の内容は「博物学誌、哲学、. 教育システム、つまり教師、児童、保護者の三者が有機的. 数学、幾何学、教訓より以外のものは何もなかったが」 、. に調和する構造が小学一年生のトーマスに実現されている. その中の教訓( Belehrung )の話は、トーマスを幸せにし. のを考察してきたのである。ところがその完璧といっても. た。. 良いほどの構造が、小学二年生から急激に崩壊していく姿. 例 え ば、 「目の中に何か偉大なものを持つこと」. を、ベルンハルトは鋭敏な洞察力で『ある子ども』の中に. ( Etwas Großes im Auge haben ) を 祖 父 は 常 々 ト ー. 描いているのだが、我々はVI章からは、教育する者の無知. マスに話した。 「偉大なもの」とは「くだらないこと」. 蒙昧が、如何に児童の人間性を崩壊させていくかという、. 25. ( die Lacherlichkeit ) と か「 惨 め な こ と 」 ( die. その過程を考察していくことにする。. ・ ・ Erba rmlichkeit )から脱出することとそこでは書かれて. 小学二年生の担任は、「学問・芸術などに理解のない人」. いるが、それは創造的なものに加担することであり、いわ. ( Banausen )であった。 『ある子ども』の中に小学二年生. ゆる上述したように「どきどきする」ような体験をすると. の担任のことが次のように書かれている。. ・ ・. いうことなのである。. - 45 -.

(7) 大 木 文 雄 「二年生の担任は男性教師であった。祖父がその教師のこ. 思いやりのなさと、トーマスの才能ある面を見通し、それ. とを評して言っていたように、 その先生の容姿は、 痩せて、. を高めてあげようとする教育力をもち備えていなかったた. 暴君的であり、管理職にぺこぺこし、下の者には専制的で. めに、トーマスの学校生活は、細部についてうまくいかな. あった。私の出る幕は無くなった。一晩で、突然私が全く. くなったのである。トーマスは担任教師の教卓の前にしば. 馬鹿になってしまったことにクラスのみんなは驚いた。」. しば立たされ、両手を広げさせられ手のひらを赤くはれ上. “ In der zweiten Klasse hatten wir einen Lehrer, eine. がるほどに指示棒で叩かれた。しかしトーマスは家に帰っ. solche Figur, wie sie mir mein Großvater oft beschrieben. てもその「不運」 ( Mißgeschick )については何も言わなかっ. hatte, mager, despotisch, nach oben buckelnd, nach. た。一年生のときにも、上述のような失敗や科目に対する. unten tretend. Ich hatte ausgespielt. Die Klasse. 好き嫌いがあったはずなのだが、一年生の担任女教師の場. 28 staunte, wie dumm ich aufeinmal war, ・u・ber Nacht. ”. 合は、トーマスの持っている他の児童とは違う「スケッチ」 の才能を、担任女教師が引き出すことによって、それに引. この容姿の説明からも分かるように、この男性教師は、. きずられるようにして、彼の他の科目もうまく前進するよ. 包容力がなく、トーマスの才能をうまく引き出す能力に欠. うに指導し、トーマスが一番良く発展するように教育する. けていた。児童を決まった枠の中にはめ込もうとしたので. ことができていたのであった。. ある。それぞれの児童は、それぞれ違った能力を持ってい. この一年生と二年生との間の極端な差異を考察するこ. ることを、この男性教師は理解できなかった。そのために. と、とりわけそれぞれの学年の担任教師のトーマスに対す. トーマスは、勉強に対する喜びを次第に失なっていくこと. る教育的態度の差異を考察することは、教育者としての. になる。例えば、『ある子ども』の中に出てくる具体的事. トーマス・ベルンハルト論を展開する場合、極めて重要な. 例を、分かりやすいように簡略化して番号で並べると次の. ことである。. ようになる。. これを境目に、次第にトーマスは、悪い方へ引きずり降 ろされ、下降線をたどっていくことになる。ベルンハルト. ①「スケッチ」( Zeichnen )は「可」 ( genugend )の成. はその下降していく様子を見事なメタファー(隠喩)を用. 績に下がる。. いて次のように書いている。. ・ ・. ②「書き取り」( Diktat)と「計算」( Rechnung )がうまく いかなくなる。. 「そのようにして私はすぐに悪魔の仲間に捕らえられてし. ③親友ヒッピングのハンジの成績が上がるにつれて、トー. まった。悪魔の仲間は次第に悪夢へと大きく広がり、明け. マスの成績が下がってくる。. 方には私の首を締め上げたのであった。私は下へ転げ落ち. ④一年早く入学したことを悔やむ。しかし他方でみんなよ. た。 」. り一歩早く学んでいる自負と地獄から一年早く脱出でき. “ So war ich sehr bald in einem Teufelskreis gefangen,. ることを強く考えるようになる。. der sich nach und nach zum Alptraum entwickelte und. ⑤「地理」 ( Geografie )が好きで、世界各地に思いをは. ・・ ・・ der mir schon in aller Fru he den Hals zuschnu rte. Ich. せる。世界地図が座右の友になる。しかし「授業の最中、. rutschte nach unten. ”30. 教師が無味乾燥な算数の荒野を黒板に繰り広げていると き、私はますますマンハッタンの摩天楼の谷間に思いを. 悪魔の頭領は、二年生の男性教師である、というメタ. は せ、 夢 見 心 地 でいた。 」( Wahrend des Unterrichts. ファーであり、それによって悪夢が拡大して、転落してい. sah ich immer mehr in die Wolkenkratzerschluchten. く様が、見事にこの文章には描かれている。理論的に説明. von Manhattan als auf die Tafel vor mir, auf welcher. されるより以上にこのメタファーは、説得力をもって我々. der Lehrer mathematische Ode ausbreitete. )29. に訴えかけてくる。. ⑦石版に「石筆」( die Griffe )で書くとき、筆力が強すぎ. そして一年生の担任と二年生の担任との極端な差異につ. て石筆を折ることがよくあった。字は決して美しくはな. いてもベルンハルトは次のように断言的に書く。. ・ ・. ・ ・. かった。 ⑧これまでは賛嘆していた「黒板と白墨」 ( Tafel und Kreide ). 「私が前任者の女教師を熱烈に愛したその同じ激しさを. が突然嫌いになる。これらは「不幸」( Unheil )しかも. もって、私はあの男性教師を憎んだ。」. たらさないと思い始める。. ・ ・ “ Ich haßte den Lehrer mit der gleichen Intensita t,. ⑨「黒板消し用スポンジ」 ( Schwamm )を数日ごとに喪. ・・ mit welcher ich die Lehrerin, seine Vorga ngerin, geliebt. 失したので、祖母が編んでくれた衣服の肘のところで、. hatte. ”31. 黒板を消さなければならず、帰ると祖母に汚れて擦り切 れた衣服のことで怒られた。. 上昇と下降、一年生の学期末を境界にして、全く方向が 逆になるのである。従って、二年生の学期末の成績は、落. かくして、二年生担任の男性教師は、トーマスに対する. ・・ 第ぎりぎりの「可」 ( genu gend )であった。祖父母は「絶. - 46 -.

(8) 教育者としてのトーマス・ベルンハルト 望」 ( verzweifelt )したが、 事態の改善は見込めなかった。. 目ごとに別々の教師が、クラスに教えに来ていたので、そ. そしてこのような状態が三年生にまで続いていくことが予. のいじめの強さは何倍にも増幅した。教師のそのようなひ. 想されたが、しかしトーマスの学校生活は大きな変化に遭. どい態度については次のように書かれている。. 遇することになる。 「先生たちは、私のことを助けなかった。反対に、彼らは Ⅶ 地獄の「いじめ」小学三年生. 私のことをすぐに彼らの怒りの捌け口にしたのであった。 」. トーマスの母ヘルタは、1936年、以前から仲の良かっ. ・・ ・ ・ nahmen mich gleich zum Anlaß fu r ihre Wutausbru che.”35. “ Die Lehrer halfen mir nicht, im Gegenteil, sie た 床 屋 の 助 手 エ ー ミ ル・ フ ァ ー ビ ア ン( Emil Fabjan, 1906-1993)と結婚して、ヴィーンで働きながら一緒に生. Ⅷ 小学三年生の「自殺」願望. 活していたのだが、オーストリアの中では、やがて二人 にも職がなくなり、職のあるドイツに引っ越すことになっ. これまで体験したことのないいやがらせや、いじめを. た。ファービアンが床屋として働くことになったのであ. トーマスは受ける。「震えながら」( zitternd )学校に行. る。引越し先の場所は、ドイツ・バイエルン州のトラウ. き、 「泣きながら」 ( weinend ) 学 校 か ら 帰 っ て き た。. ンシュタイン( Traunstein )という小さな町で、オース. トーマスにとって学校に行くことは、すなわち「断頭台」. トリアの国境から36キロほど離れているところである。. ( Schafott )に行くことと同じであった。だから家に帰っ. 昨年まではゼーキルヒェンで祖父母とトーマスだけの三. ても頭の中は、学校でのいやがらせでいっぱいになってい. 人生活であったが、今度は、母と母の夫であり、トーマ. て、宿題などやるどころの騒ぎではなかった。母のヘルタ. スの後見人( Vormund )であるファービアンと祖父母の. が部屋の中にトーマスを無理矢理閉じ込めて宿題をやらせ. 5人家族である。オーストリアのゼーキルヒェンからド. たが、無駄であった。トーマスは宿題をやったと嘘をつく. イツのトラウンシュタインへの引越しである。住まいは. ようになっていく。学校にも行かなくなっていく。そして. 「アパート」( Wohnung )で、 「シャウムブルク通り」. このとき初めてトーマスは「自殺」 ( Selbstmord )のこと. ( Schaumburgstraße )の端の3階の4号室であった。大. を考える。彼はそのときのことを次のように書く。. 家は、ポッシンガー婦人( Frau Poschinger )で、彼女には 4人の娘がいて、4階と3階に、トーマス一家を挟むよう 32. にして住んでいた。. 「初めて私は自殺することを考えた。再三再四私は天窓か ら頭を出した。しかし再三再四私は頭を引っ込めた。私は. 小学校は歩いて15分ほどのところにあったが、斜め向か. 臆病だったのだ。誰をも嘔吐させる、路上に落ちた肉の塊. いに「監獄」 ( das Gef angnis )があって、3メートルの高. のことを思い描くと、それは絶対的に私の意図に反するも. ・ ・. い壁に囲まれたその「監獄」の存在は、 毎日学校に通うトー. のだった。」. ・ ・ マスに「悪魔的なもの」( Da monisches )を呼び覚ました。33. “ Zum erstenmal hatte ich den Gedanken, mich. 監獄だけが、悪魔的なものを呼び覚ましたのではなかっ. umzubringen. Immer wieder steckte ich den Kopf durch. た。やがて三年生として通い始めるその小学校の児童た. die Dachbodenluke, aber ich zog ihn immer wieder. ち、教職員全体がトーマスに、いわゆる現代で言う「いじ. ein, ich war ein Feigling. Die Vorstellung, ein Klimpen. 34 め」を行使したのであった。. Fleisch auf der Straße zu sein, vor welchem jeden. それはドイツのヒトラー率いるナチスが勢力を拡大して. 36 ekelte, war absolut gegen meine Absicht. ”. オーストリアをも飲み込もうとしていたからであり、支配 者ドイツ民族は、支配されるオーストリア人を蔑視してい. トーマスは自殺を思いとどまる。しかし彼は何度もまた. たからであった。クラスの児童たちからは、なんとトーマ. 自殺しようと試みた。それほどまでに三年生のトーマスに. スはオーストリア人( Osterreicher )と呼ばれずに、そ. とって同級生から嫌がらせを受けること、先生からも叱ら. れと類似した発音で der Esterreicher(酸っぱい匂いのす. れることは辛いことだったのである。宿題をしないと、先. る国の奴)と呼ばれた。さらには差別的言葉で「頭の悪. 生の前に立たされ、両耳を引っ張られ、広げた両手を竹の. い奴」( Dummkopf ) 、 「最悪の奴」 ( der Schlechteste ). 鞭で10回叩かれるのだった。. と呼ばれた。当時は、トーマス少年はまだ三年生で、世. かくしてトーマスの小学校三年生は、地獄にいるような. 界情勢がどのようになっているのかなど分かるはずもな. 時間となる。母や後見人や祖父母の保護も、学校にとって. かったので、高級な洋服を着た「ドイツ市民の子弟たち」. はほとんど意味を持たなかった。ドイツ人の児童優位の、. ( Burgersohne )がなぜオーストリア人のトーマスを差. オーストリア人の児童劣位の構造が、厳然として存在して. 別したのかほとんど理解できていなかった。. いたからであった。. 教師たちも児童のこのような態度を止めさせようとしな. しかし現代のいわゆる「いじめ」の構造もそれと大して. かった。これは異常な事態でとりわけ特筆すべきことであ. 変わらない。自殺をしようとする児童生徒たちにとって、. る。この学校のクラスは、一人の担任制だけではなく、科. 周りは全て四面楚歌であり、救いのない地獄なのであるか. ・ ・. ・ ・. ・ ・. - 47 -.

(9) 大 木 文 雄 ら。 「死ね!」とか「臭い!」などと、いとも簡単に罵る. ・・ dtv-Lexikon der Goethe-Zitate in 2 Ba nden. 1972, S.783.. 現代の子どもたちの態度は、 「いじめ」の対象児童を、「人. 19. T. Bernhard: Ein Kind, a.a.O., S.53.. 間」として考えず、 「物」として、いわゆる邪魔「物」と. 20. ebd., S.51.. して扱おうとするあり方であり、それは「支配するもの」. 21. ebd., S.49.. と「支配されるもの」の関係、いわゆる前者優位の、後者. 22. ebd., S.54.. 劣位の二項対立としてのナチズムの思考方法と大して変わ. 23. ebd., S.47.. らない。ここでいうナチズムとは、第二次世界大戦の日本. 24. ebd., S.54.. にも存在していた。ナチズムの時代は確かにひどかった。. 25. ebd., S.55.. しかし現代でも「自殺」や「いじめ」が学校の中に起こっ. 26. ebd., S.54.. ているということは、そのような危機的な状況が依然とし. 27. ebd., S.61.. て消えてなくなっていないということを意味している。教. 28. ebd., S.62.. 育者としての教師が、児童の深層を理解し得ないまま、つ. 29. ebd., S.63.. まり児童の存在価値を深い洞察力で見抜けないままに、表. 30. ebd., S.63.. 面的なことだけを見て、 児童を判断、 評価するありようが、. 31. ebd., S.63.. いわゆる子どもたちの「いじめ」を増長する。. 32. ebd., S.71ff.. トーマス少年の地獄行きの人生は、これだけにとどまら. 33. ebd., S.75.. ず、さらにひどい展開を露呈していく。 本稿の第一部では、. 34. 大木文雄:「拒絶の精神としてのメタファー」北海道大. 小学校三年生までのトーマスの学校教育の状況について考. 学大学院「メディア・コミュニケーション研究」2010年5. 察してきたが、我々はさらに第二部において、そういうひ. 月、第58号、17-39頁、参照。. どい最低の小学校教育の状況にありながらも、つまり、最. 35. ebd., S.75.. 悪な「いじめ」に遭いながらも、それにもかかわらず、 「自. 36. ebd., S.37.. 殺」に至らなかった原因が一体どこに存在するのかという ことについて考察していくつもりである。 1. Joachim Hoell: Thomas Bernhard. Deutscher. ・ ・ Taschenbuch Verlag, Mu nchen 2000. S.27.. 2. 上田閑照『非神秘主義』岩波現代文庫、2008年、258頁。. 3. Thomas Bernhard: Die Romane, Suhrkamp Verlag,. Frankfurt 2008, S.1812. 4. Thomas Bernhard: Ein Kind, Residenz Verlag,. Salzburg und Wien 2007, S.59. 5. a.a.O.,S.61.. 6. ・ ・ Reisefu hrer, Osterreich, Baedecker Verlag, Stuttgart. ・ ・. 1988, S.287. 7. T. Bernhard: Ein Kind, a.a.O., S.47.. 8. 祖父( Johannes Freumbichler, 1881-1949) は小説家。. ・ ・ 祖母( Anna Scho nberg, 1878-1965 )は産婆の仕事をして. いた。母( Herta Bernhard, 1904-1950 )。 9. T. Bernhard: Ein Kind, a.a.O., S.46.. 10. ・ ・ Reisefu hrer, Osterreich, a.a.O., S.29.. 11. T. Bernhard: Ein Kind, a.a.O., S.42.. 12. ebd., S.45.. 13. ebd., S.39.. 14. ゼーキルヒェンの近くにヒッピング地区があるが、祖母. ・ ・. はそこで仕事を見つけ、その関係で、トーマスはそこの農 家の子ハンジと仲良くなる。 15. T. Bernhard: Ein Kind, a.a.O., S.60.. 16. T. Bernhard: Ein Kind, a.a.O., S.50ff.. 17. T. Bernhard: Ein Kind, a.a.O., S.47.. 18. Johann Wolfgang von Goethe: Faust II, Vs 6272f. In.:. - 48 -.

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