レッド・パージ研究の現状と課題
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(2) 北海道教育大学紀要(教育科学編)第57巻 第1号 JournalofHokkaidoUniversityofEducation(Education)Vol.57,No.1. 平成18年8月 August,2006. レッド・パージ研究の現状と課題. 明 神. 勲. 北海道教育大学釧路枚数青学研究室. TheStatusQuoandSomeKeyIssuesoftheStudy OntheRedPurgeinthePostwarPeriod MYOJINIsao DepartmentofScienceofEducation,KushiroCampusHokkaidoUniversityofEducation,Kushiro O85−8580. 概 要 しかし,レッド・パージの謎はいまだに解かれていない.誰がこの旋風の主であったのか,トルーマン 大統領か,マッカーサー元帥か,それとも,GHQ労働課なのか.いや時の政府・吉田内閣のアイディア であったのか.それもつかめていない.追放リストの作成者も協力者も,また,何故,新聞や放送が真先 に血祭りにあげられたのかも明らかにされていないのである.一九五○年夏から約半年,全産業に吹きま くったレッド・パージはそれほどに,規模においても,手口においても,複雑怪奇なものであったのであ る(1). かつて占領史は「秘史」とされていたが,とりわけレッド・パージは「日本戦後史のなかで,“秘史中の. 秘史,,」(2)と評されその実態が未解明とされていた.松本清張は「日本の黒い霧」の一つとして「追放とレッ ド・パージ」を取り挙げ,その中で上記の『文蛮春秋』1959年6月号「日本の汚点・レッド・パージ」とい う特集の一節を引いている.「黒い霧」の解明を意図した1960年の松本清張の論文は,比較的広範な文献に 依拠し当時としてはレッド・パージに対して最も深い分析を加えようとしたものであったが,「レッド・パー ジの真の指令者は,極東情勢に狼狽した米国国務省ペンタゴンそのものだった,と云っても間違いはあるま. い.」(3)と結んでいることに示されているように,なお全体として根拠のない推測に基づくものであった. 1960年にはレッド・パージの解明は未だ「黒い霧」段階にあった. 本稿は,その後の研究・運動において「秘史」のヴェールがどれだけ剥がされ,「黒い霧」がどの程度晴 らされたのか−レッド・パージ研究が本格化した1970年以降の研究レビューを行い,教員レッド・パージ研 究の今後の課題を明らかにすることを目的としたものである.レビューは,まずレッド・パージ研究全般に ついて行い,次いで教育界(大学および小,中,高校)について行う.. 153.
(3) 明 神. 1 レッド・パージ研究の展開過程 レッド・パージが「黒い霧」の中に置かれ「秘. 勲. 成果であった.アメリカにおける占領文書の公開 は,日本における占領史研究を活性化することに なり,レッド・パージ研究も新たな可能性を与え. 史」とされた第一の原因は,それに関する資料収. られた.とはいえ,レッド・パージ研究を専門に. 集の困難にあり,それはレッド・パージ自体の性. する研究者は極めて少なく,その業績の集大成は. 格にかかわるものであった.レッド・パージは,. 1970年以降10年間に1回という周期の長い「間欠. 占領権力を背景にした政府・経営者による不法・. 泉」のごとく現れるにすぎない研究状況である.. 不当な大量の労働者の強権的排除であり戦後最大. ここでは,レッド・パージ研究を代表する4名の. 規模の政治的・思想的弾圧事件であった.その実. 業績を取り上げ,研究の現状と課題を検討した. 態と本質の解明を望むのは,これによって「追放. い(5). された側」(以下,「された側」)とそれを支えよ うとする側のみであり,「追放した側」(以下,「し. 1−1 実証的研究の新たな段階の開拓一竹前栄. た側」)あるいはこれを「容認・協力した側」は 事実が明らかにされることを望まず可能ならば歴. 治の研究一. 占領文書の活用によりレッド・パージ研究を新. 史の忘却の闇のなかに葬むり去りたい出来事と考. たな段階にレベルアップしたのは,竹前栄治で. える.日本政府・経営者の資料未公開はこのよう. あった.. な事情を背景にしているし,また労働組合の大部. 1970年に刊行された『アメリカ対日労働政策の. 分はレッド・パージを容認ないしこれに協力した. 研究』(日本評論社1970年)は,「単に労働政策. のであったが,その組合史から実態解明の資料を. のみに限らず占領政策一般に関する学問的研究の. 得ることに多くを期待することができない.他方,. 基礎をはじめてうち固めた労作」,「占領期の本格. 「された側」は復権・復職を求める運動や裁判に. 的研究が本書によって開始された」(6)と評価され. おいて真実を明らかにする努力を追放当初から継. る占領史研究における記念碑的著作であった.さ. 続していたが,その最初の記録集が不当解雇反対. らに竹前は,その後収集した膨大な日米資料やイ. 同盟全国協議会編『記録集 レッド・パージ』. ンタビューをもとにこれを大幅に加筆修止して. (1965年 不当解雇反対同盟全国協議会)であっ. 『戦後労働改革』(東京大学出版会1982年)を刊. た.1980年前後から本格化する当事者たちの証. 行した.ここにおいて竹前は,日本側資料と同時. 言・記録集は,レッド・パージの実態を「された. にアメリカ側の占領文書を駆使して,占領以前に. 側」の視点から解明する貴重な研究資料群であ. おける対日占領政策の形成から占領終結にいたる. る(4). 労働政策の決定過程と実施過程を初めて実証的に. レッド・パージの解明は「された側」と「した. 解明した.これらの著作において竹前は,占領労. 側」の双方の資料と視点の総合的分析が不可欠で. 働政策・占領政策の変化・転換の重要なトピック. ある.その点で,レッド・パージが「秘史」とさ. としてレッド・パージを取り上げ分析している. れたのは,とりわけ「した側」で中心的役割を担っ. が,竹前のレッド・パージ研究への貢献の第一は,. たと考えられるGHQの資料を見ることがでな. アメリカ側資料を活用することによって研究の実. かったことが大きかった.占領史研究およびレッ. 証的水準を飛躍的に高め,レッド・パージ研究の. ド・パージ研究をめぐる環境を大きく転換させた. 学問的研究としての基盤を固め,重要な意味をも. のはアメリカにおける情報公開制度に基づく占領. つ多くの新たな史実を明らかにした点にある.. 文書の公開であった.1970年に刊行された竹前栄. 袖井林二郎が夙に指摘するように,占領とは「占. 治『アメリカ対ロ労働政策の研究』(日本評論社. 領した者と占領された者の相互作用」であるから,. 1970年)は,日本においてそれを利用した最初の. 両者の側からの複眼的視点で考察されることに. 154.
(4) レッド・パージ研究の現状と課題. よってはじめて占領の事実があきらかにされる(7). とりわけ,占領の主体であったアメリカ側の資料. ジ研究の新たな鳥轍図を碇示した. さらに,レッド・パージ研究を実証的・学問的. なしには事実の半分をもとらえることは不可能で. 基盤にすえるのに不可欠な資料群を碇示した意味. ある.竹前は,アメリカ側占領文書を利用するこ. も大きい.膨大な引用資料は,GHQのレッド・. とによって,これまで占領下における秘史とされ. パージを含めた反共政策を全体的に考察するため. ていたレッド・パージに関して多くの新たな事実. の貴重な資料庫の役割を果たすことになった.日. を発見・碇示した.たとえば,行政整理・企業整. 本側資料と同時にアメリカ占領文書の活用が,い. 備にはGHQの中でも最も重要な役割を果たした. わばポスト竹前の占領史研究およびレッド・パー. のがES SではなくGSであったこと,また1950. ジ研究のスタンダードとなる段階を迎えた(9).. 年のレッド・パージはコミンフォルム指令(その. 大きな画期を築いた竹前以降のレッド・パージ. 真否は確認されていないが)が一つの背景となっ. 研究の課題は,レッド・パージの実態を具体的に. ており,GSがG−2,CIE,DSなどと図り,. 解明し,レッド・パージとは占領と戦後改革に. マッカーサー,アーモンド参謀長,GS局長のトッ. とって何であったのかを日本側・アメリカ側の資. プ・レベルの決定として強行方針を指示したこと. 料で解明すること,とりわけ個別分野の研究の蓄. を明らかにした.1950年の共産党非合法構想とそ. 積とそれを通じてレッド・パージの全体像を再構. れをめぐるアメリカ外務省,GS,ES S等の動. 成することにあった.. 向や反共対策をめぐるGHQ内の各セクション (G−2,GSとES Sなど)の違いもはじめて 実証的に明らかにされた事実であった.また「横 須賀事件−レッド・パージ前史−」(1975年)は,. アメリカ側の占領文書を使用しレッド・パージの ケース・スタディを行った日本で最初の論文で. 1−2 レッド・パージ研究のバイオニア一塩田 庄兵衛の研究−. レッド・パージ研究のパイオニアとして第一ド 挙げられるのは,塩田庄兵衛である.. 塩田庄兵衛『レッドパー. ジ』(新日本出版社. あったが(8),アメリカ側資料を利用することに. 1984年)は,書名にレッド・パージと冠しかつそ. よってはじめてレッド・パージ事件の背景と推移. の全体史を描いたものとしては初めての著作で. の全容をとらえ得ることを見事に示した作品で. あった.本書は,戦後史における転換点として1948. あった.. 年から1952年にかけての時期を「戦後第一の反動. このようにアメリカ側資料を活用することに. 期」と規定し,レッド・パージの検討をつうじて. よって竹前が新たに明らかにした重要な事例は枚. この時期の歴史的特質を解明しようとしたもので. 挙に暇がないが,それらを通じてレッド・パージ. ある.塩田は,当事者の記録・証言,労働組合史,. に関する「いつ,誰が,なぜ」の疑問に相当程度. 労働運動史資料にくわえ極秘文書であったレッ. 応え,秘史のヴェールのいくつかを剥がすと同時. ド・パージに関する閣議決定などの新しい資料を. にレッド・パージについての根拠のない推測や評. 利用し,レッド・パージの概念規定とその背景の. 価を正すことになった.また,GHQの共産主義・. 検討,いくつかの分野(教員,マスコミ,電産). 共産党に対する評価とそれへの対応策の変化・展. における実態の紹介,レッド・パージの結果と影. 開を,敗戦直後の共産党政治犯の解放から読売争. 響の分析を行っている.本書は,レッド・パージ. 議,横須賀事件,教員レッド・パージ,行政整理・. の閣議決定などの第一次資料の紹介を含めて塩田. 企業整備,1950年レッド・パージ,1950年−1951. の永年の研究を集大成したものであり,当事者の. 年の共産党非合法化構想に至るまでの占領全期に. 記録・証言・手記の段階から全体史を描いた最初. わたり解明した.また,GHQの反共政策の展開. の試みであった.なお,資料として占領文書の利. 過程にレッド・パージを位置づけ,レッド・パー. 用がまだ時期的に困難であったため塩田の研究は. 155.
(5) 明 神. 国内文書に限られている.. 勲 かにされている.. 三宅の研究は,先に指摘したように資料として 1−3 レッド・パージの本格的研究の開始(そ の1)一三宅明正の研究− レッド・パージ研究におけるポスト竹前の課題. ブラッティ文書に依拠したことによりそのメリッ トと同時に一定の限界も含むことになった.「レッ ド・パージとは何か」というタイトルを掲げつつ,. にまず正面から挑戦したのは,三宅正明『レッド・. その影響においては決定的に重要性を有していた. パージとは何か一日本占領の影−』(大月書店. 1949年レッド・パージ(行政整理・企業整理)に. 1994年)であった.本書の特徴の一つは,資料と. ついての本格的な検討がなされていないことであ. してこれまでレッド・パージ研究に一般的に使用. る.. されてきた当事者の記録・証言,労働組合史,労. なお,本書に対して平田哲男はその成果を事実. 働運動史資料などの国内公刊文書にくわえてGH. 上全面的に否定する評価を行っているが(10)ゝ I」. Qにおいて総評結成やレッド・パージにかかわっ. れまで述べたようにレッド・パージの実態の新た. たES S労働課労働関係係長兼課長代理のブラッ. な解明とレッド・パージとは何かへの接近を試. ティ文書を中心的資料として活用した点にあっ. み,ポスト竹前のレッド・パージ研究の課題に正. た.三宅は本書において,いくつかの産業・分野. 面から挑戦する代表的研究であり,平田の研究と. におけるレッド・パージの実態分析を行うととも. 同じく追放された個人の名誉の回復とレッド・. に,レッド・パージによる被追放者総数の算定,. パージの歴史への復権を目指した価値ある研究と. 被追放者の対応と状況,1950年における共産党の. 考える.. 勢力の推定値,レッド・パージに誰がどう関与し,. いかに対応したか(GHQ,日本政府,検察・警 察,労働委員会,経営者団体,政党と労働組合). について考察を行い,レッド・パージとは何かの. 1−4 レッド・パージの本格的研究の開始(そ の2)一平田哲男の研究一 三宅と並んでレッド・パージに関する本格的研. 解明を試みている.レッド・パージの時期・段階. 究が平田哲男によって進められた.平田は「なぜ. については,通説的な<1949年行政整理・企業整. レッド・パージ史の研究か」(11)を1989年に発表. 備,教員レッド・パージ,1950年レッド・パージ. 以降,10年来の研究をまとめ『レッド・パージの. >の三段階説に対して<1948年−1950年米軍雇用. 史的究明』(新日本出版社 2002年)を刊行した.. 労働者へのパージ>を加え四段解説を提起し,そ. まず平田は,「レッド・パージ」という用語が. れぞれの段階の実態を分析している.ただし,ブ. 和製英語であり,それは全学連のレッド・パージ. ラッティ文書の使用とのかかわりのためか,本格. 反対闘争の中で最初に使用され,それがマスコミ. 的な分析対象は1950年レッド・パージに限定さ. やGHQ,政府にも使用されるようになったとい. れ,それ以外の時期については簡単な紹介にとど. う事実を初めて明らかにした.また,レッド・パー. まっている.1950年レッド・パージでは,放送,. ジの概念規定について,団体等規正令(団規令). 結核予防会,日本通運,石炭産業,鉄鋼業,自動. との関係を重視すべきことを強調し,「団規令に. 車産業,銀行,私鉄の各分野についてGHQ,日. もとづく共産党員およびその同調者の強権的排. 本政府,経営者・経営社団体,労働組合,労働委. 除」と規定するという碇起を行っている.. 員会,裁判所の動向が詳述され,ブラッティ文書. さらにこのような概念規定にもとづきレッド・. を利用することによって明らかになった実態が随. パージの諸段階を,①一般的な人員整理の中に. 所に示されている.労働組合の対応に関してはこ. レッド・パージを含めた<1949年の「行政整理・. れまで無抵抗という評価が一般的であったが,銀. 企業整備」>,②共産党員や組合活動家をねらい. 行,私鉄における抵抗の存在が本書において明ら. 撃ちにした直接的なレッド・パージである<1949. 156.
(6) レッド・パージ研究の現状と課題. 年1951年の小・中・高等学校および大学におけ. ①レッド・パージの実態を明らかにすること(「し. るレッド・パージ>,(彰マッカーサー書簡にもと. た側」は誰がどのように関与し,どのように実施. づく<1950年の広範囲に及ぶ直接的なレッド・. したか.また,「された側」およびそれを支援す. パージ>の三段階に分類している.三段階説は先. べき側はそれにどのように対応したか),②レッ. に紹介した塩田の著書にも見られる考えではあっ. ド・パージの影響を明らかにすること,③占領. たが,平田はこれを明確に段階区分として碇起し. 史・戦後史における歴史的意味を明らかにするこ. た.論点の一つは,第二段階に区分された教員レッ. と,④現在における意味を明らかにすること,の. ド・パージの位置づけをどう評価するということ. 4つの課題に答えることであり,それらの作業を. であり,第二には三宅の提起した占領軍雇用者の. 通じてレッド・パージの概念を再構成することで. パージをどのように位置づけるかということであ. ある.. る.これは,レッド・パージの概念規定とレッド・ パージの評価にかかわる問題である. 平田は本書の課題をレッド・パージの「実態解. 研究の現状は,①の実態解明にいくつかの分野 について着手した段階であり,②,③,④に対す る本格的研究は未開拓の課題として今後に残され. 明」に設定し,三段階のそれぞれについて,すな. ていると特徴づけることができる.平田が,自著. わち1949年行政整理・企業整備,教員レッド・. の課題を「実態解明」に限定し「本格的歴史的研. パージ,1950年のマスコミ界,映画界,電産,私. 究は不充分」と記述した意味も,おそらくは研究. 鉄,自動車産業におけるレッド・パージについて. のこのような現状への評価を指したものと思われ. の詳細な実態分析を試みている.全体として多く. る.そのような中で,今後の研究の第一の課題は,. の文献,資料を駆使してレッド・パージの実態解. ①の実態の解明作業を徹底して継続することであ. 明を大幅に進展させたが,それは段階によって濃. る.実態解明は4つの課題の土台に位置するもの. 淡が認められる.第三段階の1950年レッド・パー. であり,この解明なしには他の課題に答えること. ジに関する実態解明は映画界を新たに開拓し,塩. が不可能だからである.このためには資料の問題. 田,三宅らが対象としたマスコミ,電産,私鉄に. が決定的な重要性を有しているが,これについて. ついても飛躍的に前進させている.また,地域に. は別に論ずることにする.次に,実態の解明作業. おけるレッド・パージの事例研究は,レッド・. と合わせてレッド・パージが及ぼした影響を,当. パージとは何かの研究を豊富化させる一つの視点. の労働組合およびその職場だけでなく日本全体の. も碇起している.しかし,第一段階の行政整理・. 労働運動・社会運動を視野にいれ分析し,戦後改. 企業整備におけるレッド・パージおよび第二段階. 革と戦後史に与えた影響の考察を重視する必要が. の教員・大学レッド・パージについては,大学数. ある.その際に,1949年のレッド・パージの影響. 員のレッド・パージについての一部の新たな事実. と1950年のそれとを戦後労働運動に与えた影響と. と事例の紹介等を加えたのを除いては新たな発見. いう点から一応区別して評価することが必要であ. やあらたな論点の提起は少なく,これまでの研究. ると考えている.レッド・パージ研究は,実態解. に依拠しつつそれを整理・紹介するという性格が. 明と合わせたこれらの作業の蓄積を通じて,③,. 強い論述となっている.. ④の課題に応える準備するという形で進行して行 くことになろう.. 1−5 レッド・パージ研究の課題(その1)− レッド・パージとは何か− レッド・パージの歴史的研究の課題を一般的に. 表現するなら,「レッド・パージとは何であった. また,個別の問題では,レッド・パージの概念. 規定をどのように考えるのか,レッド・パージの 展開過程を何段階と考えるのかという初歩的問い についても見解の相違がある.. のか」という間に答えることである.すなわち,. 157.
(7) 明 神. 1−6 レッド・パージ研究の課題(その2)− 「オリジナルな資料」をめぐる問題− レッド・パージ研究においては資料の問題が極. 勲. ジ研究における「オリジナルな資料」とは,レッ ド・パージを推進・実施した立場の一次的資料だ. けでなく追放された被害者側の「回想録や聞き書. めて重要であるが,これについて平田の見解を批. き,裁判での証言など」も含まれるものであり,. 判的に検討する形で論及することにする.平田は. 両方の「オリジナルな資料」の調査・発掘に挑戦. これについて次のように自身の立場を表明してい. することがレッド・パージ研究の醍醐味であり不. る.. 可欠の課題であろう.平田の「オリジナルな資料」 発掘への疑問論は,次のような形で復唱され,「確. このような実態解明のためには,加害と被. 信」にまで高められることになる.. 害の双方の立場の資料が不可欠となるが, レッド・パージを推進・実施した立場の資料. 現代史研究の眼目は,新資料の発掘と第一. は乏しく,資料的には被害,すなわち被追放. 級の資料に依拠することにあるという立場か. 者の立場により大きく依存せざるをえないの. らすれば,本書のようなものは,現代史研究. が実状である.そのさい,回想録や聞き書き,. の名に催しないという批判が出されるかもし. 裁判での証言などが主な資料となることも否. れない.このような批判に対して,本書の著. 定しがたい傾向である.この結果,オリジナ. 者の立場についてあえて弁明するならば,公. ルな資料に乏しいという印象をまぬがれがた. 刊された周知の文献・資料の活用もまた,別. いことになってしまうに違いない.ただ,…. の現代史研究の一種をなすにほかならないと. レッド・パージに関してはたしてオリジナル. 考えるものである.少なくともレッド・パー. な資料といえるものが,どの程度あるものか. ジの実態解明のためには,この種の現代史研. という点について疑問なしとは言えないので. 究をないがしろにすることができないと著者. はなかろうか(12). は確信している.本書はそのような確信の所 産である(16). レッド・パージ研究を経験している立場から, 最後の一節を除いて平田の苦渋を伴う指摘に共感. 平田がこのように述べたからといって,彼の研. する.「した側」の資料は乏しく,それに関する. 究が「公刊された周知の文献・資料の活用」のみ. 資料の発掘は困難を極めるものであるのは言うま. で「新資料の発掘と第一級の資料」に全く依拠し. でもないが,そのことからオリジナルな資料発掘. ていない訳ではないのは当然である.たとえば,. への疑問・悲観論に飛躍するのは問題がある.こ. 本書には平田が発掘した2点の法務府特別審査局. こで平田がいう「オリジナルな資料」とは,「し. 資料,4件の聞き取り,映画関係個人資料の収集. た側」の一次的資料を指すと思われるが,最近の. などが活用されており,団規令に関する新たな研. 事例としては上記の引用文の注に平田自身が言及. 究はその成果の一例である.また,「公刊された. している福島民衆史研究会が発掘した福島県庁文. 周知の文献・資料」の収集と活用は,広範囲で膨. 書がそれであり(13),1950年公務員関係レッド・. 大なものであり,それに費やした平田の労力と執. パージの内閣文書等を発掘した高倉金一郎の業. 念には敬服させられる.とはいえ,400頁を超え. 績(14). ,あるいは教員レッド・パージ全国秘密会. る大著の大半が「公刊された周知の文献・資料」. 議に関する京都府教育長のメモを紹介した阿部彰. に依拠している事実は否めない.レッド・パージ. の業績(15)などこれまで少なくない「オリジナル. 研究において,オリジナルな資料としてアメリカ. な資料」の発掘がなされレッド・パージの実態究. 側占領文書・GHQ文書が欠かせないことは占領. 明を豊かにしてきたのである.なお,レッド・パー. 史研究の常識である.近年は,県市・市史におい. 158.
(8) レッド・パージ研究の現状と課題. てすらアメリカ側占領文書が利用されることは珍. する虞があるからである.秦の一文は特に彼独自. しくない状況である.ところが平田はこの大著に. の見解ではなく占領史研究者の多くがほぼ共通し. おいてレッド・パージを考察するのに不可欠の資. て主張してきたことである.たとえば,佐藤秀夫. 料であるはずのGHQ文書の内GSフィッシュを. はこれについて次のように指摘していた.. 僅か数枚使用するのみで,事実上これを無視して いる.平田の研究が「別の現代史研究の一種をな. 他方,アメリカ側の資料が大量に発掘され. す」ことも「この種の現代史研究をないがしろに. つつあることは,日本側の資料調査研究にあ. することができない」ことも当然のことであるが,. らためて重要な課題を提起している.それは. 同時に資料の利用において内包する大きな限界へ. 資料の偏在による研究の偏向化のおそれであ. の自覚が求められよう.平田にはこの自覚が希薄. る.従来の我が国戦後教育改革史研究が限ら. であるか欠如しているように思われる.資料に関. れた国内資料にのみ頼ってきたことの反動と. する平田の「確信」を支える拠りどころが,実は. して,大量に出現しつつあるアメリカ側資料. 秦郁彦の新聞記事(17)の一フレーズにあったこと. に幻惑されて「真実はアメリカにのみある」. を平田は自著の「あとがき」で語っている.すな. と早急に判断し,戦後改革のアメリカ「主導」. わち,「占領下とはいえ,(レッド・パージの一引. 論が一面的に強調されるおそれなしとしない. 用者)主導性はむしろ日本側にあったから,全容. ことである(現に在米研究者の一部にその傾. をつかむためには資料探索の方向を国内に切り替. 向がみとめられる).対日占領が間接統治方. えねばならぬ」という秦の指摘が「目からうろこ. 式をとったからには,日本側の対応なしに改. が落ちるような啓示そのもの」となり,彼に「レッ. 革は一歩たりとも実施されなかったはずであ. ド・パージ史研究に確信を持たせ」とし,「もし. る.この日本側の対応を正確にとらえるため. 上記の一文を目にすることがなかったならば,. には,今まで以上に国内資料の調査・収集・. レッド・パージ史の研究に向かうことはなかった. 整理が進められなければならない(19). であろうと思うにつけ,秦氏のこの文章には純然 たる学問的恩恵を感じている」とまで述べてい る(18). .ところで秦の一文は,アメリカ並みに官. このような秦の一文がなぜ平田に「啓示」を与 え「レッド・パージ史研究に確信を持たせ」るこ. 公庁文書の公開を可能にする情報公開法の制定を. とになったのであろうか,さらに「もし上記の一. 求めるという文脈の中で,その必要性の理由の一. 文を目にすることがなかったならば,レッド・. つとして日本の官公庁文書公開の立ち遅れと偏り. パージ史の研究に向かうことはなかったであろ. が米国資料依存の戦後史研究の傾向を強め,それ. う」とまで言わせたのであろうか.おそらく平田. によって歪んだ戦後史像が形成されるおそれがあ. は,秦の先の一フレーズから,アメリカ側の占領. ることを指摘し,日本側資料公開の重要性の一例. 文書に拠らなくとも日本側資料だけでレッド・. としてレッド・パージを挙げたものである.その. パージ研究は可能であるというメッセージを読み. 趣旨は,日本の戦後史研究がアメリカ側資料への. 取ったのではないか.もしそうであるとすれば,. 依存に偏っている現状に警鐘をならし,「歴史を. 私見によればそれはまさに平田の「勝手な思い入. 偏らせぬため」のカウンターとして日本側資料の. れ以外の何物でもない」(平出)のであり,仮にレッ. 重要性を指摘しバランスの取れた研究の必要性を. ド・パージの主導性が日本側にあったとしても. 指摘したのにすぎないのであって,それは決して. (これ自体自明の事柄ではなくレッド・パージ研. アメリカ側資料の使用が必要ないということを述. 究の論争的課題を構成するのであるが),日本国. べようとしたものではない.秦の論理からすれば,. 内の資料だけでレッド・パージの全容解明ができ. それはまた別の偏った歪んだ歴史像の形成に結果. ると考えるのは荒唐無稽な発想である.加えて,. 159.
(9) 明 神. 勲. 日本側の第一次資料の未公開という現状の中で,. 段階(以下,教員レッド・パージ)においては極. この代替機能をアメリカ側資料に求めざるを得な. めて手薄である.. いという特別の事情が存在する中で,アメリカ側 占領文書は二重の意味で重要性を有している. レッド・パージ研究における資料の問題につい. 2−1大学におけるレッド・パージ研究 大学等のレッド・パージに関する先駆的研究と. て,筆者は平田とはまったく異なった体験と認識. して,家永三郎『大学の自由の歴史』(塙書房1962. を有している.教員レッド・パージ研究を志しそ. 年),伊ケ崎暁生『大学の自治の歴史』(新日本出. れを進める過程で味わったのは,こんなに乏しい. 版社1965年),海後宗臣・寺崎昌男『戦後日本. 資料に依拠していてはたして研究が成立するのか. の教育改革9 大学教育』(東京大学出版会1969. どうか,研究の実証性や科学性を何によって担保. 年),鈴木英一『戦後日本の教育改革3 教育行政』. されるのかという深刻な悩みや迷いであった.そ. (東京大学出版会1970年)などの著作を挙げる. のような中で,1970年の竹前の著書との出会いは. ことができ,これらは大学の自治・学問の自由の. 決定的であった.膨大なアメリカ側資料の縦横の. 歴史の一環にレッド・パージを位置づけ論及した. 活用によって明らかにされた多くの新しい事実の. ものである.. 発見,通説の見直しと歴史像の再構成,検討課題 の碇示−それらに圧倒されると同時に,眼前に示. これらの先駆的研究を土台に,これまでに以下 のような資料収集と研究が蓄積されてきた.. された研究の新たな世界への感動とレッド・パー. ジ研究を進める可能性と希望を,私はこの著書に 与えられた.平田の表現を借りればこの著書とそ こに活用されているアメリカ側占領文書こそが私. 2−1−1 資料収集と研究蓄積一覧 重要と思われる未公刊資料,当事者の証言・記 録・回想録,研究書・論文の一覧を以下に示す.. に「レッド・パージ史研究に確信を持たせ」てく. れたのであり,竹前およびその著書には深い「学. A 未公刊資料. 問的恩恵を感じている」からである.. 1“EellsPapers’’(国立教育政策研究所所蔵). 以上の点からして,「レッド・パージの解明に. 2 「イールズ博士講演並びに懇談会概要1950.. は占領軍関係資料や政府資料をはじめとする諸資. 3.21∼22」(学生部参考資料25−1)福島大学. 料の発掘と究明が不可欠の作業となる.この点で. 学生部補導課(福島大学所蔵). も本書はもはや限界と思えるほどの徹底した探求. 3 「連合軍総司令部民間情報局顧問イールズ博. を行っている」とする伊部正之の平田の著書に対. 士およびタイパー氏講演記録 懇談会記録」(昭. する評価(20)は不正確でありこれには同意できな. 和24年 山口大学)(東京大学教育学部図書室. い.. および広島大学教育研究センター所蔵). B 当事者の証言・記録・回想録(21). 2 教育界におけるレッド・パージ研究 レッド・パージ研究が5本の指で数えることの できる程度のごく少数の研究者によって担われ,. 1 染田政方編著『北大のイールズ闘争−その真 実を明らかにする−』光陽出版社,2006 2 『占領卜大学の自由を守った青春一束北大. 本格的研究は途についたばかりという研究状況を. イールズ闘争五○周年記念−』東北大学五○周. 明らかにしてきたが,それを教育界に限定すると. 年行事実行委員会,2001. さらに一層手薄な状況が明らかになる.教育界に おいても大学等の高等教育段階では若干の蓄積が あるが,小・中学校・高等学校の初等・中等教育. 160. 3 早稲田一九五○年の会編『早稲田一九五○年 史料と証言』(全6号),1997−2000 4 40周年記録編集委員会『風雪を乗り越えて−.
(10) レッド・パージ研究の現状と課題. イールズ声明,レッド・パージ40周年』40周. (その1)北大イールズ事件の実証的研究」. 年行事実行委員会(新潟),1990. 『北海道教育大学紀要 教育科学編』45(1)1994. 5 高橋健而老『回想の東大駒場寮』ネスコ,1994 6 高橋治『名もなき道を』講談社,1988 7 柏朔司「総長とイールズ事件」『民主文学』1987 年11月号. 8 広瀬昭「戦後日本学生運動の一教訓一五○年 反レッド・パージ斗争を中心に−」『立命評論』. (12),1956. 9 関根柴雄「五十年前の勅令で首を切られた教. 10 平田哲男編著『大学自治の危機一神戸大学 レッド・パージ事件の解明−』白石書店,1993 11道又健治郎「旧弘前高校関戸教授事件と労働 調査と一回顧と提言−」『北海道大学教育学部 紀要』(60)1993. 12 明神勲「第2次教職員レッド・パージ計画と 挫折の経緯」『日本の教育史学』(31)1988 13 播磨信義「山口大学にもあったレッド・パー. 授の話−たたかう新潟大学−」『学生評論』(4),. ジ」播磨信義『憲法を生かすカー戦後山口の憲. 1950. 法−』四季出版,1987 14 明神勲「占領文書にみる北大イールズ事件」. C 研究書・論文など. 『釧路論集』(19)1987. 1 H.M.Kramer,WhoReversedtheCourse?15 明神勲「北大イールズ事件の証言(2)一高. :TheRedPurgeinHigherEducationduring theOccupationofJapan,SocialScienceJapan Journal,Vol18,Nol.2005. 2 大和田敢太「滋賀大学におけるレッド・パー ジ事件一大学における労働問題の歴史的教訓 −」『彦根論集』(348),2004. 3 大野省治編著『軍事裁判と教授会:佐賀大学. 岡健次郎氏に聴く−」『釧路論集』(15)1983. 16 明神勲「北大イールズ事件の証言(1)一枚 浦一・大田嘉四夫氏に聴く−」『釧路論集』(14) 1982. 17 上杉捨彦先生還暦記念事業出版委員会編 『レッド・パージ反対闘争資料:1950年法政大 学』上杉捨彦先生還暦記念事業出版委員会,1981. 開学時のレッドパージ』大野省治,2002. 4 高橋彦博「新憲法定着過程における大衆的学 生達動−『早稲田一九五○年史料と証言』(全. 6号)刊行の意義−」『社会志林』47(4)2001 5 山口拓史「CI&E高等教育顧問イールズ関 連資料メモ一名古屋大学との関連を中心に−」 『名古屋大学史紀要』(7)1999. 6 明神勲「占領下日本の大学とレッド・パージ. 2−1−2 明らかにされたことと今後の課題 家永・伊ケ崎段階からの研究の進展は次のよう に要約できる. 第一に,資料収集の点では,国立教育政策研究. 所が収集した資料群“EellsPapers’’がイールズ 講演の実態を解明する上で貴重な成果であった. ここではイールズらが訪問した大学当局や学生自. (その3)一所謂“イールズ旋風’’について−」. 治会の動向を明らかにする報告が多数含まれてお. 『北海道教育大学紀要 教育科学編』47(2)1997. り,国内資料としては消失してしまったと思われ. 7 鈴木英一「日本占領と高等教育改革一占領政. る学生自治会や共産党細胞のビラや公開質問状も. 策の動向を中心に−」『名古屋大学史紀要』(4). 見ることができる.さらに,CIEの大学に対す. 1996. る反共政策の構想の一部も知ることができる.第. 8 明神勲「占領下日本の大学とレッド・パージ (その2)−W.C.イールズの新潟大学演説. 二に,内容面においては,この資料の利用も含め. てイールズの新潟演説の経緯および全国講演の実. の経緯−」『北海道教育大学紀要 教育科学編』. 施過程がほぼ明らかにされている.また,イール. 47(1)1996. ズ講演に対して最大規模の抵抗が組織された東北. 9 明神勲「占領下日本の大学とレッド・パージ. 大イールズ事件および北大イールズ事件について. 161.
(11) 明 神. も当事者の証言・回想と研究の両面からその実態. が明らかにされた.各大学におけるレッド・パー. 勲. 分明な部分」(23)とされてきた. このような指摘がなされてから30年,40年が経. ジの実態についても,神戸大学をはじめとして弘. 過してきたが,全貌はどの程度明らかにされ,「死. 前大学,山口大学,滋賀大学などについて相当詳. 角」や「不分明」はどのように克服されてきたの. 細に新たな解明が進められてきている.. だろうか.これを検討するために,まず教員レッ. 課題としては,以下の諸点が挙げられる.. 第一に,各大学における実態解明はその一部分. ド・パージに関する主要な資料,論文等の一覧を. 提示すると以下のような概況となる.. に着手しただけの段階であり,一層の解明が引き 続き大きな課題である.また,イールズ講演会開. 催およびレッド・パージ推進におけるCIE,文 部省,大学当局の関係と果たした役割についても. 2−2−1 資料収集と研究蓄積一覧 重要と思われる未公刊資料,当事者の証言・記 録・回想録,研究書・論文の一覧を以下に示す.. 合わせて究明が求められる.そのためには,当事. 者の証言,大学文書と合わせて“EellsPapers. A 未公刊資料. をはじめとする占領文書の活用が不可欠であろ. 1 「昭和二十四年度第一次 全国教員整理者名 簿」特別審査局(日教組所蔵). う.. 第二に,レッド・パージは戦後の大学の自治制 度・理念形成の揺藍期に際会した事件であった. 2 天野利武メモ(天野家所蔵). 3 戦後教育資料(国立教育政策研究所所蔵). が,それがその後の大学に与えた影響を大学の自 治・学問の自由の歴史の視点から検討することで. B 当事者の証言・記録・回想録. ある.第三に,大学においてはあからさまな攻. 1 編纂委員会『柾げざる道を一堀切路夫遺稿・. 撃にさらされたにも関わらずなぜ他分野における ほどは大規模な追放を許さなかったのかという問. 追悼集−』「70年柾げざる道を」刊行委員会,1993. 2 光山桧雄「いばらの道を四○年−レッド・. 題の検討である(逆に,他分野ではなぜ簡単に大. パージ・その聞いとあゆみ−」群馬教育弾圧証. 規模な追放を許したのか).これについては,学. 言編集委員会『証言一群馬における教育弾圧の. 生の抵抗にその原因を求める通説に筆者は異論を. 記録−』換乎堂出版サービスセンター,1990. 提出している.第四に,法人化のもとで大学の自. 治・学問の自由の新たなあり方を模索している現 在の視点から反対闘争の思想と意味を再吟味する ことである.. 3 教職員レッド・パージ三十周年記念刊行会編 『三十余年の星霜を生きて』あゆみ出版,1983. 4 東京都教職員レッドパージ三十周年記念集会 実行委員会編『レッドパージに抗して三十年』 あゆみ出版,1980. 2−2 初等・中等学校におけるレッド・パージ 研究. 「教職員のレッド・パージの全貌は今日必ずし もあきらかでない」一戦後教育史の通史の代表的. 著作の一つとされる五十嵐顕・伊ケ崎暁生編著 『戦後教育の歴史』(青木書店1970年)は,教 職員レッド・パージについてこのように記してい. 5 佐藤光雄「東京都における教員レッド・パー ジと反対闘争」『季刊 教育運動研究』(7)1978. 6 名妓三子夫「静岡県における教員レッド・ パージと裁判闘争」『季刊 教育運動研究』(7) 197と;. 7 /ト島一仁「教員レッド・パージの証言」『歴 史地理教育』(239)1975年7月号. た.レッド・パージー般が“秘史中の秘史’’であっ. 8 山原健二郎『土佐の夜明け』労働旬報社,1971. たと同じく,教員レッド・パージも久しく「戦後. 9 光山於雄『ある証言一嵐に抗する教師像−』. 教育史の『死角』」(22)ぁるいは「戦後教育史の不. 162. 鳩の森書房,1970.
(12) レッド・パージ研究の現状と課題. 10 宇佐美徹「東京都大田区における教員レッ ド・パージの体験」『労働運動史研究』(52)1970. 11村山ひで『明けない夜はない一母として教師 として四十年−』労働旬報社,1969 12 入江道雄「レッド・パージーある中立主義者 のたどった道−」勝田守一・他編『戦後教員物 語(1)』三一書房,1960 12 片岡並男「あるレッド・パージ」国分一太郎 『石もて追われるごとく』英宝社,1956. 13 『嵐にたえて一不当弾圧闘争史−』秋田県教 職員組合,1952. 文科大学研究紀要』1991. 9 明神勲「教員レッド・パージ政策前史一芦田 内閣とCIEの反共教育政策−」星野喜久三・ 他監修『創る 発達と教育』川島書店,1993 10 明神勲「教育界におけるレッド・パージ」『歴 史評論』(472)1989. 11明神勲「教員レッド・パージの被追放者数を めぐって−「約1,700名」説批判−」『北海道教. 育大学紀要 教育科学編』38(2)1988 12 明神勲「教職員レッド・パージ概要ノートー 3一宮城・福島県における教職員レッド・パー ジ」『北海道教育大学紀要 教育科学編』37(1). C 研究書・論文など 1 明神勲「占領下における教職追放政策の変化. 1986. 13 永田照夫「レッド・パージ」永田照夫『教育. と教育における『逆コース論』の検証」2005(平. 基本法第8条(政治教育)小史一教育法社会学. 成14年度∼16年度科学研究費補助金報告書,基. 的考察序説−』1985. 盤研究C 課題番号145102561) 2 明神勲「教職員レッド・パージ概要ノート(そ の7)一束京都における教員レッド・パージ(そ の2)」『北海道教育大学紀要 教育科学編』56 (1)2005. 3 明神勲「教職員レッド・パージ概要ノート(そ の6)一束京都における教員レッド・パージ(そ の1)」『北海道教育大学紀要 教育科学編』55 (2)2005. 4 明神勲「東京都における教員レッド・パージ. 14 明神勲「教職員レッド・パージ概要ノートー 2一山形県における教職員レッド・パージ」『北. 海道教育大学紀要 教育科学編』35(2)1985 15 阿部彰「軍政部による教組活動への規制と 『レッド・パージ』」阿部彰『戦後地方教育制 度成立過程の研究』風間書房,1983. 16 西鋭夫「レッド・パージ(赤狩り)」西鋭夫 『マッカーサーの『犯罪』』(下)日本工業新聞 社,1983. 17 明神勲「教職員レッド・パージ概要ノートー. 前史:多田小学校事件の研究」『釧路論集』(36). 1一昔森・岩手県における教職員レッド・パー. 2004. ジ」『北海道教育大学紀要 教育科学編』34(1). 5 明神勲「教員レッド・パージー北海道を事例 として−」天川晃・増田弘編『地域から見直す. 1983. 18 明神勲「北海道における教員レッド・パージ. 占領改革一戦後地方政治の連続と非連続−』山. ー3完−」『北海道教育大学紀要 教育科学編』. 川出版,2001. 32(2)1982. 6 明神勲「占領下における教員レッド・パージ と教員組合」『北海道教育大学紀要 教育科学. 編』48(2)1998 7 明神勲「教職員レッド・パージ概要ノートー 4一秋田県における教職員レッド・パージ」『北. 海道教育大学紀要 教育科学編』45(1)1994 8 平田哲男「教員レッド・パージの特質と段階 性(レッド・パージの史的究明−2−)」『都留. 19 明神勲「北海道における教員レッド・パージ ー2−」『北海道教育大学紀要 教育科学編』32 (1)1982. 20 明神勲「北海道における教員レッド・パージ ー1−」『北海道教育大学紀要 教育科学編』32 (1)1982. 21明神勲「教員レッド・パージ裁判の検討−2 完−」『釧路論集』(13)1981. 163.
(13) 明 神. 22 明神勲「教員レッド・パージ裁判の検討−1 −」『釧路論集』(12)1980 23 川口彰義「教師の「レッド・パージ」裁判」. 勲. ド・パージ研究における実証性のレベルをあげる のに大きく貢献した.さらに,静岡の教員レッド・. パージの実態について裁判資料を活用し実証的に. 本山政雄・他著『教育法学叢書5 日本の教育. あきらかにした牧の論文も,実態解明を一歩前進. 裁判』勤草書房,1974. させるものであった.なお,利用した資料に着目. 24 牧柾名「レッド・パージ裁判−ク戦後教育ク. すると,アメリカ占領文書を利用して教員レッ. の転換点にふみとどまって−」森田俊男編『国. ド・パージを最初に叙述したのは西であった.西. 民教育運動4 教育裁判闘争と憲法・教育基本. はトレーナー文書などの占領文書を活用し,教員. 法』明治図書,1971. レッド・パージに関して国内資料では知られてい. 25 鈴木英一「教師のレッド・パージ」鈴木英一 『戦後日本の教育改革3 教育行政』東京大学 出版会,1970. なかったいくつかの新しい事実を碇示している が,逆に国内資料に殆ど目をとおしていないため,. 小,中学校教員のレッド・パージが1948年に実施 されたというイールズの誤記をそのまま事実とす. 2−2−2 教員レッド・パージ研究の概況 教員レッド・パージに関する単独の研究書の刊. るという類の初歩的かつ重大なミスを犯してい. る(24).占領文書の紹介ではいくつかの「新発見」. 行が未だ1冊も存在していないこと,研究が事実. をしてもレッド・パージの初歩的概要については. 上一人の研究者によって担われてきたこと一上記. 全く無知であるというアンバランスを西の著書は. の一覧は,教員レッド・パージ分野におけるこの. 含んでいる.先に佐藤秀夫が指摘した利用資料の. ような研究状況を浮き彫りにしている.レッド・. 偏向による歪みを示す典型的な事例である.. パージ史研究全体が手薄ななかでその個別分野が. 筆者は,これら先達の記録・回想記や研究蓄積. 一層手薄にならざるを得ないのは当然であるが,. に学びつつ北海道を手始めに東北,東京における. その結果教員レッド・パージを専門の研究テーマ. レッド・パージの実態解明に努めてきた.. としている研究者は現在のところ筆者一人のみと いう心もとない状況にある.. もちろん,この分野における研究蓄積は筆者の. 教員レッド・パージの実態解明における困難性 は,レッド・パージ研究一般が抱えるそれと共通 している.「した側」でその遂行を指示・督励し. みではなく,多くの当事者の記録・回想によって. た文部省およびこれを受けて具体的に執行した教. 豊富化され,鈴木英一,阿部彰などの研究によっ. 育委員会は,レッド・パージの存在そのものを否. てレベルアップがはかられてきた事実が正当に評. 定していたし現在もこれを認めていない.「した. 価されなければならない.鈴木英一は,組合史を. 側」の手になる公刊文書においてこれが黙殺の扱. はじめとする当時国内で公刊されていた関連資. いとされるのは当然である.ちなみに,文部省『学. 料・文献を徹底的に収集すると同時に文部省,国. 制百年史』(1972年)は,460頁におよぶ戦後教育. 立教育研究所(現在,国立教育政策研究所)など. 史の叙述において自ら指示し実行させたレッド・. から第一次資料も収集し(たとえば,多田小事件. パージについてはただの一行も触れることがな. 関係),教員レッド・パージの概況を詳細に叙述. い.彼らにとってレッド・パージは,事実を知ら. した.また,阿部彰は,鈴木の作業をより一層徹. れることが不都合で,叶能なら歴史の暗い闇の中. 底させ国内の公刊資料を広範囲に収集・活用する. に閉じ込め葬りさりたい戦後教育史の「汚点」だ. と同時に文部省のレッド・パージ指示を詳細に記. からである.これに対して,教育委員会関係者は,. 録した当時京都府教育長天野利武氏のメモを発. レッド・パージ裁判が一段落しそれへの影響がな. 掘・紹介した.鈴木,阿部の研究は国内資料の利. くなった段階で,レッド・パージの実施について. 用に限られていたという制約はあるが,教員レッ. 証言するケースがいくつか現れた.彼らの証言に. 164.
(14) レッド・パージ研究の現状と課題. は,過去に自ら理不尽なことを実行したというこ. する対応・認識と現在の組合の状態・性格を二重. とに対する後ろめたさとそれを強制されたという. に映し出す鏡のような役割を果たしていると言っ. ことに対する抗議と弁明の意識が伴っているよう. ても過言ではない.教員レッド・パージが「戦後. に思われる.. 教育史の『死角』」あるいは「戦後教育史の不分. 他方,本来レッド・パージに抵抗すべき立場に. 明な部分」となっていたのは,「した側」がこれ. あった教職員組合の手による組合史などにおける. に関する資料を秘匿してきたということだけでは. レッド・パージ記述に目を転じてみよう.残念な. なく,これまで述べてきたような運動側の問題点. がら,レッド・パージの実態,それが組合および. にも起因していたのである.. 教育に及ぼした影響を考察しようとするわれわれ. このような中で,被追放者および彼らを支援す. の期待はここでも裏切られることになる.二,三. る側からは闇の中に追いやられようとするレッ. の例外を除いて多くの組合史におけるレッド・. ド・パージの実態を明らかにし,個々人の名誉回. パージに関する記述は,実態を知るには極めて不. 復と同時に歴史への復権を求める必死の努力が継. 十分な簡単で曖昧な記述という共通の欠点をもっ. 続されてきた.それは一部では裁判を中心とする. ており,中には全国や他県の状況については記述. 司法的救済という形を取り,また他方では実態を. があるが自県についてはほとんど触れない事例や. 告発する記録集・回想録の刊行という形で進めら. 驚くべきことにこれを完全に黙殺して一行も触れ. れてきた.秋田県教組刊行の『嵐にたえて一不当. ることがないという県教組史さえ見受けられると. 弾圧闘争史−』(1952年)はその最初の試みであり,. いう実態にある.レッド・パージの記述において. 近年では,被追放者たちの集団的取り組みによる. 多くの組合史がこのような欠点から免れることが. 東京都教職員レッドパージ三十周年記念集会実行. できなかった原因の第一は,当時の組合のレッ. 委員会編『レッドパージに抗して三十年』(あゆ. ド・パージに対する対応の実際を反映しこれに規. み出版,1980年)および教職員レッド・パージ三. 定されていたということである.すなわち,本来. 十周年記念刊行会編『三十余年の星霜を生きて』. 抵抗すべき組合が事実上これを容認しあるいは協. (あゆみ出版,1983年)の二著が注目される.こ. 力せざるを得なかったというのが一般的状況で. の二著は,これまで官製教育史も組合史も語るこ. あったが,これは組合として後世に誇りをもって. とを避け曖昧にしてきた事実,実態に光をあて,. 正確に語れる内容とはかけ離れたものであり,こ. 今後のレッド・パージ研究の進展に多くの豊かな. の点では奇しくも「した側」の文部省や教育委員. 材料を提供している.なお,光山桧雄『ある証言. 会のこれに対する立場と程度の差はあれ共通性を. 一嵐に抗する教師像−』(鳩の森書房,1970年)は,. 有していたのである.ちなみに,当時県教組とし. 光山の記録を基にノン・フィクションの形で群馬. て本格的な抵抗を組織した秋田県および新潟県の. 県におけるレッド・パージの実態を県教組の動向. 県教組史は,その実態解明を詳細に行い大部の. も含めて詳細に描き出したもので出色の価値ある. ページをその記述に割いている.組合史における. 記録である.. 記述の欠点を生み出した第二の原因は,組合史を 記述する後世の編集者(組合・組合幹部)のレッ ド・パージに対する認識・評イ酎こ規定されている. ということである.いうまでもなく,組合史にお いて過去の運動史的事実の選択や評価は,現在(編. 2−2−3 明らかにされたことと今後の課題 以上の研究の概観をつうじて,これまでに解明 された内容と今後の課題について検討したい.. まずこれまでに解明された内容は,①実態の解. 集時点)の組合の運動路線や戦後教育運動史観が. 明については,北海道,東北,東京,静岡につい. 反映するからである.その意味で,組合史におけ. ては相当程度解明が進み,群馬についてもある程. るレッド・パージ記述は,当時の組合のこれに対. 度蓄積されている,②文部省のレッド・パージ指. 165.
(15) 明 神. 勲. 示の事実とその内容が実証的に明らかにされた,. ド・パージを窓口に占領期の教育史像を再構成す. (彰被追放者数については通説の「約1,700名」説. る課題と言い換えることができる.そのための作. が揺らいできたこと,④レッド・パージが組合運. 業の一つは,反共という政策シンボルが占領教育. 動および教育実践におよぼした影響については,. 政策に登場する起点とその展開過程を跡づけその. 北海道,群馬および日教組レベルで分析に着手さ. なかにレッド・パージを位置づけることである.. れている,⑤レッド・パージを教育「逆コース」. 第二に,反共教育政策の展開およびレッド・パー. 論との関連で検討する作業への着手がなされたこ. ジと教育の民主化政策との関係をどのように評価. と一以上の5点に整理することができる.教員. するのかという難問への挑戦である.それは占領. レッド・パージの全貌を完全に明らかにするとい. 教育政策に転換があったのか否かをめぐる論議,. う目標からは未だ遠い地点に留まってはいるが,. すなわち戦後教育史において通説とされてきた教. 「不分明な部分」のいくつかには光をあてること. ができたし,もはや戦後教育史における「死角」 という状態は脱しつつある状態と評価できる.. 次に,今後の研究課題として以下の諸点を指摘 したい.. 育における「逆コース論」の批判的検証という課 題である. ∈)資料の問題. 資料には何がしかの事実と同時に作成者の価値 観,視点が含まれている.その点でレッド・パー. H 実態解明. ジの実態解明のためには,「した側」の資料の利. 実態の解明はこれまでその一部がなされたに過. 用に偏向することなく「された側」の資料の活用. ぎず引き続き教員レッド・パージ研究における中. に充分留意する必要がある.資料群は,①国内公. 心的課題である.各都道府県レベルおよび全国レ. 刊文献・資料,②当事者たちの記録集・回想録,. ベルにおいてGHQはどのような役割を果たした. ③アメリカ側占領文書,④未公刊資料,に大別す. のか,GHQ内ではG−2傘下のCICが中心で. ることができるがこれらについてもバランスよく. CIEの関与は確認されていないが事実はどう. 活用することが求められるのは当然である(25). か,日本政府・文部省の役割は何であったのかが. 収集が最も困難なのは未公刊の第一次資料であ. 究明されなければならない.また,地方レベルに. る.研究の実証性を高めるにはこの収集は不可欠. おいて,各都道府県教育委員会は追放者の名簿を. であるが,これに関する国内資料が未公開な状況. どのようにして作成し追放をどのようにして実施. の中でアメリカ側占領文書で一部を代替させるこ. したのか,これに対する教職員組合,政党,追放. とも可能である.たとえば,占領軍の地方組織で. 対象者の対応はどうであったのかが明らかにされ. ある中国地区民事部は10月の月例活動報告書にお. なければならない.さらに被追放者の復権の努力. いて「中国地方の各県教育委員会のそれぞれ3名. と地方労働委員会,教育委員会再審査そして裁判. のメンバーが,1949年10月4日,近ごろ文部省か. の動向を跡づけることも課題である.また実態解. ら勧告された教員の解雇の計画の統一的方針を作. 明において最も重要な課題として,レッド・パー. 成するため宮島で秘密会議をもった.民間教育課. ジが教職員組合組織およびその機能と運動に及ぼ. 長は彼らと会い,その間題の論議について援助し. した影響,教育研究・教育実践と学校運営に与え. た.それぞれの教育委員会は,リストを準備しつ. た影響と結果の解明が重視されなければならな. っあり近々辞職を求めるだろう.」(26)と報告して. い.. おり,同じく東海・北陸地区民事部は「(東海北 仁)占領教育史像の再構成との関連づけ. 陸地方で)好ましからず教員を排除するという文. レッド・パージの実態解明と相対的に独自の課. 部省の計画が実行された.20名から30名の教員が. 題として,レッド・パージを占領教育史のなかに. 各県で排除された.そのために取られた手続きは. どのように位置づけるかという課題がある.レッ. すべての県で同一であった.」(27)と記述してい. 166.
(16) レッド・パージ研究の現状と課題. る.また,文部省からCIEへの報告文書の一つに, 各都道府県教育委員会からの報告を文部省が集約. 活用の意義を述べた. (5)大学におけるレッド・パージ研究の進展状. した各都道府県別のレッド・パージ追放者の一覧. 況を概観し,今後の課題として3点を碇示し. 表を掲載した文書も占領文書で見ることができ. た.. る(28).文部省の資料が秘匿されていたとしても,. (6)教員レッド・パージ研究の現状を明らかに. 以上のような事例からアメリカ占領文書によって. し,今後の研究課題として,実態解明と合わ. 間接的ではあるが文部省のレッド・パージへの関. せて占領教育史像の再構成との関連で「逆. 与や教育委員会の動向をも明らかにすることも可. コース論」の批判的検証の必要性等について. 能なのである.. 指摘した.. 本稿は教員レッド・パージ研究の課題を明確に おわりに. するためにレッド・パージ研究全体のレビューを. レッド・パージ研究の現状と課題について本ノ稿 で明らかにした内容は以下の諸点である.. 試みたものである.当然のことながら,それは筆. 者の力量に制限されたものであり,取り上げるべ. (1)レッド・パージに関する実証的研究がス. き研究を見落としていたり,さらに不充分な評価. タートしたのはアメリカの占領文書の公開を. や誤った評価も含まれているかも知れない.レッ. 期に占領史研究が活発化した1970年代以降で. ド・パージ研究を前進させる立場から,公開の反. あり,その囁矢は竹前栄治の研究に求められ. 論を含めてご教示をお願いしたい.. なお,文中の敬称はすべて省略させていただい. る.. (2)1980年前後から当事者たちによる記録集・. た.. メモワールの編纂・出版が活発化し,それは 現在まで継続している.「戦後見直し」の動 [注]. 向に対する批判と歴史への復権・名誉回復運 動を背景にしたものである.これらの記録集 はレッド・パージ研究の重要な資料群の一部 を構成するものであり,第一次資料としての 価値を有するものも含まれている. (3)レッド・パージ研究をある程度専門として. いる研究者は極めて少なく,5本の指で数え られるほどである. また,研究蓄積の歴史が浅いため,研究の. (1)特集「日本の汚点・レッド・パージ」『文蛮春秋』1959 年6月号,61頁. (2)梶谷善久編『レッドパージ』図書出版社,1980年,「は じめに」. (3)松本清張「黒の追放と赤の烙印」『文蛮春秋』1960年 11月号,238頁. (4)当事者たちの証言・記録集については,三宅明正 『レッド・パージとは何か』(大月書店1994年)及び 平田哲男『レッド・パージの史的究明』(新日本出版社 2002年)を参照.. 現状は実態の解明に着手した段階である.そ. (5)レッド・パージに関して他に注目すべき研究書・論. のため,研究や実証がある程度進んでも論点. 文としては,電産に関する河西宏佑の『聞蓄 電産の. を整理して論争を行うところまで研究全体が. 群像』(平原社,1992年)など一連の論文,判例を扱っ た藤内和公「レッドパージ判例に関する覚書」(上村政. 進んでいない.実態解明を土台に,影響と歴. 彦・他著『現代の生存権』法律文化社,1986年),北炭. 史的意味を明らかにし,レッド・パージとは. における経営管理制度との関係を考察した松本正徳. 何か,の問いに答えることが課題である. (4)レッド・パージ研究の「第一次資料」とア. 「レッド・パージによる経営権の確立とアメリカ的経 営管理制度の再編・導入過程一北炭の事例を中心にし て−」(『商学論叢』(中央大学)32(4)1990年)等が. メリカ側占領文書の位置づけをめぐり平田哲. 男の所論を批判し,アメリカ側文書の積極的. 挙げられる. (6)原朗「1970年の歴史学会一回顧と展望一 日本(近. 167.
(17) 明 神 代)」『史学雑誌』第80編第5号,167頁. (7)袖井林二郎『占領した著された者』サイマル出版会. 1986年,197頁. (8)『中央公論』1975年8月号. (9)国立国会図書館による13年に及ぶ在米日本占領関係 資料収集計画がスタートしたのは1978年であった.し. 勲 ている(前掲書227−228頁).. 鯛 Tokai−HokurikuCivilAffairsRegion,‘‘AnnexE−1To. MonthlyCivilAfEairsActivitiesReportPeriodEnding 310ctober1949”,GHQ/SCAPRecords,CAS(B)−01053. Cz7)ChugokuCivilAfEairsRegion,‘‘MonthlyCivilAfEairs ActivitiesReportAnnexE−1−Civi1EducationActivities. たがって,「スタンダードとなる段階」をより厳密にい. lOctoberto310ctober1949”,GHQ/SCAPRecords,. えば,国内においてアメリカ占領文書の閲覧と利用が. CAS(B)−002307.. 可能となった1980年代半ば以降,ということになろう. (1¢)平田哲男「書評 三宅明正『レッド・パージとは何 か一日本占領の影−−−¶」『歴史評論』第545号,1995年9月.. ¢8)“CivilInformationandEducationSectionIntra− Section RoutingSlip,19June1951”,GHQ/SCAPRe− cords,CIE(B)−02815.. (川 平田哲男「なぜレッド・パージ史の研究か」『歴史評 論』第472号,1989年8月. (1塾 ▼平田哲男『レッド・パージの史的究明』新日本出版. 社 2002年,402頁. (1却 福島県民衆史研究会編『発電所のレッドパージー電 産・猪苗代分会−¶ 光陽出版社,2001年. (14)高倉金一郎編『レッド・パージ関係極秘公文類集 第4版』電産九州不当解雇反対同盟,1984年. (15)阿部彰「教育長 天野利武論一戦後教育改革と一教育長. の足跡−−−1『大阪大学人間科学部紀要』第8巻,1982年. (16)平田哲男,前掲書,412頁. (17)秦郁彦「『情報公開法』の制定を」『朝日新聞』1979 年8月20日付. (咽 平田哲男,前掲書,432頁.なお平田は同時に,歴史. 研究者としての秦には批判的であることを明言してい る(平田,同前). (1功 佐藤秀夫「アメリカ合衆国に在る日本教育に関する 史料について(最終回)」『文部時報』第1263号,1982 年8月号,94頁.. 餉 伊部正之「書評 平田哲男著『レッド・パージの史 的究明』」『歴史評論』第654号,2004年10月号. 帥 3・4の文献は,伊ケ崎暁生「書評 平田哲男編著『大. 学自治の危機一神戸人学レッド・パージ事件の解明 −¶」(『日本史研究』第386号,1994年10月)に拠る. ¢勿 久米茂「戦後教育史の『死角』」『教育』第162号,1963 年10月号,95頁. 幽 牧柾名「レッド・パージ裁判−ク戦後教育クの転換 点にふみとどまって−」森田俊男編『教育裁判闘争と 憲法・教育基本法』明治図書,1971年,38頁. 糾 西鋭夫,前掲書,215頁.なお,西はその後同書を書 き改め『国破れてマッカーサー』(中央公論社,1998年) を発刊しているが,ここでもこの初歩的誤りを踏襲し ている.. 佃 これについて袖井林二郎は,「占領するものとされる ものとの双方の立場から,いわば複眼で『戦後改革』 をとらえ,文献・聞きとりという有形無形の史料の分 析を深める.そのことによってはじめて国民の総体験 としての占領の意味は姿を現わすであろう.」と指摘し. 168. (釧路校教授).
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