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あごら : 323号 (2009.12.20)「老いを考える」

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あ ご ら 第323号 2009&1'12J'J20n先行 197711

JlJ-J28日第三畿郵便物認可 本体22001'J+悦 rSBN978-4-89306-179-9 新宿発

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老いを考える

老 い に 向 か う つ い に き た ! 「 後 期 高 齢 者 」 と や ら一一一 近 づ く 足 音 を 聞 き な が ら 高 齢 化 社 会 に 思 う 老 い を 考 え る 「 長 寿 は 福 」 と 結 論 し た い 高 齢 期 の 母 を 翻 弄 し た 「 世 帯 単 位 」 の 枠 組 み 先 を 行 く 女 性 た ち と 共 に 生 き て 潤 い あ る 老 い の 道 を ゆ く 81歳 の パ ワ ー 有 能 で 美 し い 老 人 で あ り つ づ け た い 森崎 民 子 さ ん の ご 要 望 に 応 え て 各 政 党 の 〈 高 齢 者 対 策 〉 政 策 始 ま っ た 裁 判 員 裁 判 の 問 題 点 五 十 嵐 二 葉 ゼ ミ ナ ー ル-

r

人 を 裁 く』っ て 何 ? 時 評 「 政 権 交 代 」 雑 感 詩 責 任 報 告 北 朝 鮮 の 法 律 家 と の 出 会 い' 異 議 『坂 の 上 の 雲』に 異議 あ り 食の安全水源林買収と遺伝子組み換え作物栽培の動向 窓 わ だ つ み の こ え を 平 和 へ つ な ぐ 新潟から年金記録の掴簡一一これも地震の せ い ? 沖縄から基地問題への怒りが結実!総選挙で革新圧勝に" 読書室 白 井 久 也 著 『明 治 国 家 と 日 清 戦 争』 堀場清子編

I

高群逸枝の生涯一一年譜と著作』 柳 津 つ や 子 高 木 栄 子 浅 野 美 和 子 福 田 光 子 斎 藤 美 栄 子 松 崎 早 苗 森 崎 民 子 フ}く回りゅう 井 上 日 磨 美 小 池 寿 哉 森 田 み ど り 中 村 道 子 斎 藤 千 代 各 政 党 五 十 嵐 二 葉 五 十 嵐 二 葉 牧 梶 郎 堀 場 清 子 笹 本 潤 福 田 和 男 郡 司 和 男 渡 辺 総 子 押 見 操 子 浦 島 悦 子 我 部 政 男 河 野 信 子

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〈正義〉がないことを嘆くのか!

春田朋子

︿正義﹀が無いことを嘆くのか!

それなら︿分裂﹀を嘆こう

︿分裂﹀を嘆くのか!

それなら︿裁く心﹀を嘆こう

︿裁く心﹀を嘆くのか!

それなら︿無理解﹀を嘆こう

︿無理解﹀を嘆くのか!

それなら︿愛の欠知﹀を嘆こう

︿愛の欠如﹀を嘆くのか!

それなら︿愛は﹀どこからくるのか!

. . . .

.

愛 は

・ ・

. .

.

それなら自分を規定するすべて

他人を規定するすべて

そこにしがみつこうとする

︿

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とばに

ヲ・

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.

.

この哀しさを

服 部 素

どうして、こんなにまで、 言 葉が貧しくなったのか 。 誘われる熱が感じられないの か 。 │ │ 為政者の造語﹁後期高齢者﹂への思いです 。 言 葉尻をあげつらうわけではなくて、﹁このことは、﹁障害者﹂と﹁﹃自己片山号包

1

﹂ のニュアンスのちがい﹂と解釈しても、いつも気にかかっているものと同根だと思う からです 。 │ │ ﹁本気で問題と向き合って、手を?ないで行こう﹂という熱意のない、 お役所 言 葉 。 市民に追求されるまいと、 差 別用語にだけ留意したようなものを感じら れませんか 。 ﹁高齢者問題﹂として、何かネガティブに片づけられる国と、。むかしむかし、ある ところ 。 の、老いが豊かに 信頼 の中心にあった知恵ある国と 。 ││それは、老いの知恵 だけではなくて、ハンディを抱えた子どもは、神さまが何かの伝 言 を託して遣わされ た﹁宝子﹂として、部落のみんなで支えた ( 支 え て い る )国 と の 、 ﹁ 豊 か さ の ち が い ﹂ を、私は思います 。 ﹁目に涙がなければ、魂に虹は見えない﹂(北米ミンカス族のことわざ) この間、本を読んでいて見つけて、魅せられていることばです 。 ﹁高齢者問題﹂に結びつく 言 葉ではないのですけれど、今、私の中に底流していて、 ﹁こういう思いが共有できれば、 一 慌をきらめかせて、虹の彼方に羽ばたけるのではない か﹂と、そんなことを夢見ています ( 京 都 市 在 住 )

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時4吟唱時4時4時4時4時4時4時4時4時4時<3>'>何時4時冊。4吋4時4時4時4時4時4時4

山 ,人

323

詩 ︿ 正 義 ﹀ が な い こ と を 嘆 く の か ! ・ ・ バ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 春 田 巻 頭 雷 乙 の 哀 し さ を こ と ば に ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 服 部 老いを考える 老 い に 向 か う ・ ・ ・ ・ ...•••••••...•••••••••••••••••••••• ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 柳 漂 っ や 子 つ い に き た ! ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 高 木 栄 子 ﹁ 後 期 高 齢 者 ﹂ と や ら l l -. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . ・ 浅 野 美 和 子 近づく足音を聞きなが

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・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 福 田 光 子 高 齢 化 社 会 に 思 う ・ ...••••••...••••••••••••••••••••••• ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 斎 藤 美 栄 子 老 い を 考 え る ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 松 崎 早 苗 ﹁ 長 寿 は 福 ﹂ と 結 論 し た い ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 森 崎 民 子 高 齢 期 の 母 を 翻 弄 し た ﹁ 世 帯 単 位 ﹂ の 枠 組 み ・ •••••••••••••••••••• ・ ・ ・ ・ ・ 水 田 り ゅ う 先を行く女性たちと共に生きて・ ..•••••••••••....••••••••••••. ・ ・ ・ ・ ・ 井 上 回 磨 美 潤 い あ る 老 い の 道 を ゆ く ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 小 池 寿 哉 八 一 歳 の パ ワ ー ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 森 田 み ど り 有 能 で 美 し い 老 人 で あ り つ づ け た い ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 中 村 道 子 森 崎 民 子 さ ん の ご 要 望 に 応 え て ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 斎 藤 千 代 素 朋子

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時器供時唱時4時4時4吋4時4時4時4吟唱時4時 骨 何 時4的 部 供 時 母 何 時 骨 供 時 唱 時4 告政党の︿高齢者対策﹀政策 日 本 共 産 党 ・ 社 会 民 主 党 ・ 民 主 党 ・ 自 由 民 主 党 ・ 公 明 党 ・ 国 民 新 党 ( ご 回 答 到 着 順 ) ・ ・ ・ ・ 回 連 載 裁 判 員 制 度 を 考 え る

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﹁ 始 ま っ た 裁 判 員 裁 判 の 問 題 点 ﹂ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 五 十 嵐 二 葉 市 ︻ 五 十 嵐 二 葉 の ゼ ミ ナ ー ル ︼ ﹁ ﹃ 人 を 裁 く ﹂ っ て 何 ? ﹂ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 五 十 嵐 二 葉 位 時 評 ﹁ 政 権 交 代 ﹂ 雑 感 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 牧 梶 郎

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詩 責 任 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 堀 場 清 子 間 報 告 北 朝 鮮 の 法 律 家 と の 出 会 い ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 笹 本 潤 叩 異議明治は﹁栄光の時代﹂だったのか司馬本﹃坂の上の雲﹂に異議あ

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・ ・ ・ ・ ・ ・ 福 田 和 男 川 連 載 食 の 安 全 を 考 え る

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水源林買収と遺伝子組み換え作物栽培の動向・・郡司和男叩 窓わだつみのこえを平和ヘつ怠ぐ戦没学生遺稿遺品展を開催して・・・・・・渡辺総子間 新 潟 か ら 年 金 記 録 の 歯 髄 │ │ こ れ も 地 震 の せ い ? ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 押 見 操 子 間 沖 縄 か ら 基 地 問 題 へ の 怒 り が 結 実 ! 総 選 挙 で 革 新 圧 勝 に 日 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 浦 島 悦 子 捌 読 書 室 ﹃ 明 治 国 家 と 日 清 戦 争 ﹄ 白 井 久 也 著 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 我 部 政 男 叩 ﹁ 高 群 逸 枝 の 生 涯 │ │ 年 譜 と 著 作 ﹄ 堀 場 清 子 編 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 河 野 信 子 叩 惜 別 弁 護 士 土 屋 公 献 さ ん ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 内 田 雅 敏 叩

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女性の動き/活躍する女性 j ほ か ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 間 会 と 催 し ﹁ 今 な ぜ 、 松 井 や よ り を 語 る の か ﹂ ー ー ほ か ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ↑ 制 あ と

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の あ と

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裁判員候補者のクジに当たってーーほか -m

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ねCねC幻CねC<<JC問。むCねCねOむCねCねC的CねCねCねDOCOむCねCねC<<JC<<JOO

老いを考える

老いに向かう

当たり前のことであるが、人は生まれたときから、︿老いと死﹀に向かって生きてゆく。 ﹃生さることそのものを、老いに向かうプロセスとして捉える、つまりライフプロセスその ものを研究・実践の対象とするのが向老学である。﹄と、創刊時からの︿あごらメイト﹀である 高柿ますみさんは、一九九九年一

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月に﹁日本向老学学会﹂を設立。誰もが老いていく存在で あることを考胤して、誰でも入会できる︿市民立の学会﹀とした。私は会日になった。 今年(二

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九年七月二六日)、第十四日本向老学学会学術総会を開催した。 テーマは、﹁当事者研究としての向老学のすすめ﹂で、基調講演は、設立時からの会員の、

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ねCねCねDOCCねDOCC幻CねCねCねC幻CねC祢30ねC幻CねCねCねCねCねCねCね 臼 上野千鶴子東京大学大学院教授が引き受けてくださった。参加者は、約八

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名 。 私は、向老学会が終わって後、自分の状況を考えてみた。昨年、︿高齢者﹀の仲間入りをした。 そのうえ障害者であるため、医療保険では︿後期高齢者﹀となっている。女性の平均寿命を生 きるとすれば、余命は二

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年しかない。向老学会の会員になって一

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年。﹁私の老後は私が決 める﹂と言っているものの、老いること、老後のことを、果たして当事者のこととして真剣に 考えてきただろうかと自問してみた。 ﹁老いることとは、衰えること、世話になること、無力な存在になること。﹂と、上野さんは 基調講演で述べられた。このように考えると悲観的になるので、あえて直視を避けていたのか も し れ な い 。 一、もし癌になったら痛みに耐えられるだろうか?耐えなければならない時は、ホスピス の 緩 和 ケ ア が あ る 。 二、認知症になったら?素直に﹁支えてほしい﹂とお願いする。 三、腕下困難になったら?凍結合浸の食品により、軟らかく一つ一つ味がわかる食べ方もある。 四、寝たきりになったら?遠慮せず勇気を出して、︿介護されるプロ﹀になる。 五、後遺症による麻痔は?リハビリを続けて、できるだけ自立できるように、努力をする。 醜くなったとしても︿加齢の勲章﹀と開き直る。 六、終の桜家はどこに?元気なうちに﹁在宅か施設か﹂を決める。 ナ

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シングホ

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ム に 、

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ねC幻CねCねCねCねCねCねCねCねCねocccねCねCね む ねCねむねCねCねCねC的 臼 ターミナルケアのあるところもある。 七、施設では、どのような介護を希望するか?引前指定引を引いておく。 八、財産管理は?成年後見人制度を利用する。できるだけ親族でなく、第三者になってもらう。 九、︿おひとりさま﹀になってしまったら?なる前に、︿人持ち、友持ち﹀になれるように す る 。 十、ケアプランに納得がいかなかったら?利用者の立場で親身に考えてくれる、ケアマネ ージャーを見つける。 まだまだ老いへの関心は浅いのであるが、常に情報を得られるように、実践できるように、 努力することが重要と思う。いかなる場合になろうとも、﹁生まれてきてよかった、生きてい てよかったと思える、また思ってもらえるような構築﹂が必要である。言うまでもなく、﹁人 は生きているだけで尊い﹂のであるから。 来年、二

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年十月十、十一日に、名古屋市において﹁

NPO

在宅ケアを考える診療所・ 市民ネットワーク第一六回全国の集い・

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名古屋

2010

﹂が開催される。実行委貝には、医療 や介護施設などにかかわっている人が多いが、そうでない、私のような市民もいる。 大会会長が医師ではなく、活諮問(勝村淳子さん)であるのは、今回が初めてとのこと。実行 委貝会はまだ三回目であるが、そこで私は多くのことを学んだ。 藤村さんは、﹁看護師の意見や要求を取り入れてくれる医師、つまり看護師と医師は互いに

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むCねCねC幻C的CねCね CねCねCねCねC祢3C祢3CねC幻Cね~CねCねCねCねC泳:JDO 尊重して対等の関係でありたいこと、志を持って実践してきたという。患者のことは、実際、 医師よりも看護師のほうがよく把握している場合が多いからだ。さらに藤村さんは、﹁患者や その家族などが、医師や看護師、ケアマネージャー、介護福祉士、ヘルパーなどの医療や介護 に携わっている人たちへ、自身の希望や要求が遠慮なく言える、受け入れてもらえる関係にし た い ﹂ と も 言 う 。 また高齢者の食に関しても、﹁人生を長く生きてきたお年寄りの楽しみと言えば、食べること。 だから、食事は新鮮な安全な材料で、有能なコックさんに作ってもらっている。﹂と、藤村さん は強く言う。そして、﹁食の楽しみを実践するには、口腔ケアをする歯科衛生士が必要である﹂ と。したがって、診療所だけでなく、訪問看護のときも、﹁口腔ケアは必ず必要である﹂と、 歯科衛生士を同伴している。 食の楽しみだけでなく食の大切さをも強調するのは、﹁食べることは元気の素﹂だからである。 特別養護老人ホ

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ムや介護施設では、次第に口腔ケアの必要性が広まってきて、歯科衛生士 への治療相談が多くなってきている。 実行委員になって、﹁老いること﹂に正面から向き合って(受け入れててその人らしい個々人 の尊厳を保ちつつ、主体的に生きられるように日々実践している人たちに出会うことができた。 体力や集中力、記憶力の衰えを感じる昨今である。老いることを積極的に考えていこうと思 う。心底から﹁私の老後は私が決める。﹂と言えるようになるために。(日本向老学学会事務局)

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夫人六歳、安七八歳。 教只定年後、八四歳まで、小規模美術館の館長を勤めた夫。 多くの人たちと交流を深め、名も知られ、己れの仕事一途の、馬車・応のような来し方でした。 それが家に入るようになって一年目あたりから、怪しくなってきたのです。 物忘れなどは年齢ですから、気にもなりませんでしたが、体を動かすこともなくなり、机に 向かうのみ。 これでは呆けてゆくことが日に見えておりました。 とは言え、傍らの言うことなど全く無視。当人にその気がない限り、どうにもなりません。 今年に入ってからは読書もままならず、徐々に正常さを失ってきました。脳現に浮かぶのは 過去の仕事のことのみらしく、﹁アレはどうした、コレはどうなった﹂と、私の全く関知しな いことも混じえて、心配事が、波が押し指せるように興ってくるようです。 穏やかだった人柄も変わってしまい、手に負えない時はショートステイ頼みです。 大合併をしていない町の、地域包招支援センターが頼みの綱です。 この制度の有り難さを、身をもって感謝しています。 ( 官 山 県 上 市 町 在 住

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今年三月半ば﹁後期高齢者医療被保険者証﹂が、私の許にやってきた。封筒の表には﹁長寿 医療﹂(後期高齢者医療)とある。何と欺蹴的な表現!﹁赤紙﹂ならぬ﹁白紙﹂である。 保険証とともに、いろいろな説明書が付随している。それによると、私の保険料額は、年額 四

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円、これは、私の年金収入が七九万円以下、つまり国民保険の最低額から計算された ものである。私の場合は、元手が少ないので保険料もそれほどではないが、年金収入二五

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万 円の人は一一万二、二

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万円の人は二七万三、一

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円を拠出することになる ( 愛 知 県 の 場 合 ) 。 ﹁後期高齢者健康保険﹂ほど、言葉も実際も、評判の悪いものはない。昨年のクラス会でも、 さんざんで、保守・草新、どの党の支持者に関わらず、﹁高齢であることは認めるが、﹃﹁後期﹄ とは何事だ!﹂と憤慨する。または、﹁後期だとさ﹂と、自瑚気味に言、っか、どちらかである。 それは、﹁あなたは、もうじきこの世とおさらばだよ﹂と政府が決めつける失礼から来るものだ。 健康保険の分類上の一般的用語だとしても、それが個人に送られてくる以上、個人を決めつ けることになる。後期であるかないかは個人差があり、死後にしか判らないではないか。

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eccねO問。幻CねCねCねCねCねC祢~::XCCね CねむねCねCねCねCねCねC的C幻C的臼 現実は、失礼どころの騒ぎではない。七五歳を過ぎれば、誰しも、身体がどこか不調になる。 今まで医者知らずと百うほどの他肢体でも、夜えは、いかんともしがたいだろうロこの世代の 人びとは、例外なく戦争の惨禍を経験し、その後、必死になって生活を立ててきている。中に は、身体が不調でも医者にかかるチャンスのなかった人もいるだろう。それでも、老後のこと を考えて、長期間保険料を払って来たーーというより、否応なしに払わされて来た。﹁仕事か ら解放された今こそ、その果実を手にして、費用を気にせず病気を治療する権利があるはず。 それが保険というものの概念だ﹂と、誰しも思っている。 それなのに、政府は今になって、﹁医療費が多いから、後期高齢者は、一般とは別に、保険料を 支払え﹂という。こんな差別があるだろうか。日本は年寄りを大切にする国ではなかったのか。 いま衆議院選挙中だが、﹁世界中で、こんな国はない﹂と、革新系候補が述べている。医療費 が財政を圧迫するというが、﹁ GDP の八パーセントは、先進国の中では低いほうだ﹂と聞く。 ﹁若者の人口減少﹂が理由にされている。経済的理由で子供をもてない人びとが多く、適正 な人口を保てないことそれ自体が社会の大問題である。楽しんで子供を産み育てることができ てこそ、安らかな老後を迎えることができる。それには失業者と超低賃金、不安定雇用をなく し、相祉、医療、教育、文化に力をいれ、軍事的を削減し、大企業優遇税制や無駄づかいをな くす。そして、一般予算から、高齢者の医療に、もっとまわす。そんな政府や社会システムが できれば、︿高齢者差別の健康保険制度﹀は、必要がないだろう。 初めに挙げた説明書によると、後期高齢者保険から拠出される医療費は、後期高齢者医療費

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ねCね C祢:JO侶Cね Cね Cね C政3C幻C幻 Cね Cね Cね Cね C祢3CねCね Cね Cね Cね Cね C幻 臼 の一割だというから、その一割分だけ、公費負担を増やせばよいのである。 ﹁長寿医療制度は﹁支え合い﹄の仕組みです﹂と、政府のホ

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ジは言うが、弱い者だけ で支え合えば、倒れるにきまっている。それに、﹁後期﹂だけを途中から別にするのは、保険 の 概 念 に 反 す る 。 私自身に関しては、生来虚弱のうえ、老化により、いっそう多病となり、診察券で財布を膨 らませての医者廻りに忙しく、多額の医療費を使っているので、ひそかに肩身が狭くもある。 医療を受けると、その費用の一割を、窓口で払う。二月には白内障の手術を受けて、かなり 医療費を払ったが、後に高額医療費の一部を還付された。 しかし、窓口払いが三割の人もある。それは、説明書によると、﹁現役並みの所得のある方﹂ で、﹁市町村民税の課税所得額が一四五万円以上ある被保険者がいる世帯の方﹂だという。 つまり家族に一四五万円の課税所得があれば、三割を払わねばならない。これは﹁後期高齢 者﹂を家族に依存させる思想である。 例外として三項目挙がっているが、どれも﹁後期高齢者﹂が家族に依存しにくい場合である。 家族は互いに扶養の義務があるが、保険は個人単位にかけているのであって、実際に家族の 世話になるかどうかは、別の問題ではなかろうか。家族の助けを加えて﹁現役並みの収入﹂と 言ったり、扶養をアテにする保険制度とは、おかしなものである。 年金収入二五

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万 円 の 人 は 、 ﹁ 保 険 料 十 一 万 二 二

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円を払ったうえに、窓口で三割払う﹂とし たら、﹁ずいぶんきびしい﹂と言わねばならない。﹁老人が窓口で金を払う先進国はない﹂と、ある

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ねoccc幻CねCねCねC幻CねCねCねCねCねO問。ねCねCねCねCねCねC問 。 むC泳::;00 政党の候補者はいう。私としては、保険料は安いし、一川判制度は支払ったほうが、気が楽である。 ところで民主党政柿が発足することになり、﹁後川中川齢者医療制度を防止するマニフエスト﹂ が尖施される。引き替えに、扶養控除・配偶者控除が廃止されるという。扶養控除の廃止の代 わりに、﹁子ども手当﹂が支給されるし、配偶者控除の廃止は、﹁専業主婦を優遇しない﹂とい う﹁女性の自立に向かう方向性﹂をもつものであり、歓迎したい。 老人は、社会の初忠の資源であり、大切にされるべきである。 ﹁ポックリ死にたい﹂などと言わず、それぞれの人が、寿命を最大限に延ばして、生きたい ように生ききる。 まだ倒きたい人には職場を用意し、介護が必要になったら社会的な介設を受ける、そのこと が社会の労働需要を作り出す。つまり、老人を大切にすれば、社会が政かになる。 いま失業者が溢れているのに介護職を希望する人が少ないのは、あまりに給料が安いからだ。 介訟に惜しみなく公的予算を使うならば、介護職希望者は、うんと増えるだろう。その結果、 内需拡大となり、経済効果も大きい。他康保険のパイも増えるのだ。 それにしても、保険証が持てなかったり、取り上げられたり、治療を我慢したり、という例 をニュースで知ると、胸が痛む。一定水準以下の収入の人は、老若に関わりなく無料で治療が できるように願っている。病気の予防を奨励し、無料で検査や健康指導ができるシステムを作 れば、結果的に医療技は減るのではないだろうか。(女性史研究者/愛知県一宮市在住)

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近づく足音を聞きながら

﹁薬いらず、医者いらず﹂の日常を、当たり前として暮らしてきたある日、自分に手がかか ることに気付く。﹁何の前ぶれもなくしのび寄るもの﹂に、無頓着だったのだ。 今、深い黄昏の中にいる私は、緑内障の末期。視界は常に迫るタ悶に似ている。眼の寿命が 尽きる時と、命の終わる日がピタリ一致すればよいが、限の寿命が尽きたあとに命が永らえた ら、そこには深い悶が待ち構えている。 ﹁視神経の衰弱による視野狭窄﹂は、﹁視界に入らない足もと﹂が危ない。 視神経の疲れは、体全体の疲労につながっていく。限を閉じている時が、体も心も最も和む。 ﹁眠想こそ摂理にかなった時空の一体感﹂と思いつつ、いつしか睡魔の虜になっている。 老いとは、斯くの如きか。 視力、気力、体力が減退していくのは、すべてマイナスを指向し、老いは、その原因であり、 ま た 結 果 と な る 。 脳科学者は、﹁脳の活性化には、何かにチャレンジし、好きなこと、楽しいことをしなさい。﹂ と勧める。確かに放っておいたら坂道を転げていくばかり。老いの抵抗があるうちは、青信号か。

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ねCねCねCねocccねCねCねC幻C幻CねocccねocccねCねCねCねCねCねCねCね 臼 減退していく対紐には、皮肉なことに

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えるものがある。 血圧、血粉航、コレステロール、それに物忘れや失くしもの。究梅には、明え続ける医療問。

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﹁医療費﹂、﹁後期高齢者﹂。二つのキーワードが、日本の将来に暗雲をたなびかせている、と 言われている。この国ばかりではなく、アメリカでも、オパマ政権は、命運をかけて医療制度 改市に取り組んでいるし、

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も、この問題についての苦悩は深い、と言われる。 思えば、医療の充実、医楽品の開発、生活環境改善、栄養管理、そのすべての目的は、今日 の他府寿命、つまり﹁述者で長生き﹂の社会を築き上げることにあったと思われる。 最近の、ある新聞の経済記事に、私の眼が止まった。 ﹁ 医 療 費 増 、 経 済 に プ ラ ス ﹂ ││他康寿命に価値││ この記事の中で﹁先進国が経験している医療費の仲ぴは、経済学的に見て是か非か。最近の 研究では、﹃大筋では是﹂、という回答が出ている。医療貨が増加しても、医療による健康寿命 (介護の必要なく元気に日常生活ができる期間)が伸びれば、その経済的価値は医療費増を上回 るし、生活水準も改普される﹂との主旨が述べられ、一九七

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年代以降、最近までのハーバー ド大学の研究や、日本でも行われた内問府や大学の協力による研究が紹介されていて、﹁医療 技増の約四倍から十倍の経済価値の増加があった﹂と報告されている。

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むCねCねO問。ねCねCねO旬。むCねC祢0:::>>0::ねCねCねCねCねCむCねC幻CねCね 臼 たしかに女性の平均寿命は人

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台半ばに達し、 三

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年以上も伸びている。 今年の九月、私の手もとにクラス会の通知が届いた。はるか昔、旧制高等女学校卒業。当時 約百人卒業のクラスメイトは、いま八一名生存。その数が年齢と同じであることを面白がらせ た。毎年恒例のクラス会は、郷里の温泉。昔の湯治場は様変わりして、ホテルの白いピルが並 ぶ。参加する者は、﹁達者で長生き組﹂の元気印。達者で再会をよろこび、並んだお膳の賑や かな料理に箸を運ぶ。 土・日を避けた日のツア

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の客は、老人会、クラス会、趣味の会、すべて﹁達者で長生き﹂ の人びと。ひっそりのカップルも、老夫妻とみた。 売庖も賑わっていた。温泉せんぺいに、ご当地まんじゅう。隣近所への何軒分かは、みな、 貰ったおみやげのお返し。﹁健康寿命﹂の経済価値に、妙な納得をしてしまった。 年を重ねた人の旅は、今に始まったことではない。古くは、伊勢まいり、巡礼、先祖供養、 家内安全の祈りの旅であった。 一 九 四

O

年の平均寿命、四九歳六か月から、

*

人の老いも、また公平ではない。それぞれの個人差、社会格差も影を曳く。 生涯現役の人もいれば、長い年月、病床で過ごす人もいる。 四年前に、私は、つれあいと死別した。彼の晩年は、吹き荒れる嵐の中で送った日々でもあ っ た 。

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的CねCねCねCねCねCね 白 故あって降りかかった社会的削減の巾・で、次第に脳はこわれてゆく。いつの間にか、抑制にも おかされ、手巡れのため、施すすべもなく、﹁余命半年﹂の官官どおり、出誕生活六か月の後、 他 界 し た 。 何ひとつ恨む言葉を口にせず、苦しみも痛みも訴えることなく、驚くほど静かな最期を迎え た 。 はからずも、死の十目前が八五歳の誕生日。病棟の者説師さんたちから問られた色紙の寄せ 性きに、私は胸を打たれた。 ひとりの忠者としての深いつつしみと人間の衿侍を、みんなが認めてくれた言葉がつらなっ ていた。この一枚の色紙は、彼の最期の六か月の生きざまの証しとなった。 願 わ く ば わ が お く つ き に 植 え 給 え 梨 の 樹 幾 株 者 は そ の 白 き 花 咲 き 秋 は そ の 甘 き 尖 み の る その下に限れる人の いのちを問うな いま、秋果を食みながら、この詩を時折私は口ずさむ。 ( 福 岡 市 在 住

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ねCね Cね Cね Cね O幻 Cね Cね C祢3Cホ80ecCね Cね Oむ Cね Oね DCCC幻Cね Cね Cね Cね 日

高齢化社会に思う

︿

この夏、母が足の骨折で入院中、腸閉塞で亡くなった。 昨夏、私のたったひとりの弟が、心筋梗塞で亡くなっている。 私の子供時代の家族は、誰も居なくなった。 ︿いずれは訪れる時﹀は、来てしまった。 仲の良い家族だった。 人が驚くほど仲良し姉弟だった。 こんなに急に、と神を恨んだ。 だが、少し落ち着いた今では、感謝の気持ちも芽生えてきている。両親は、九

O

歳になるま で、私を導き続けてくれたのだし、誇りに思える弟と一緒に成長することができたのだから、 と:::。世の中には、これほどには恵まれない大人や子供がたくさん居ることを忘れないで、 これからの人生を生きていかねば:::。 今、そんなことを考えている。

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<<:::::幻CねCねCねC幻CねC幻CねCねCねCねCねCねCねCねCねC幻Cねac:::ねC泊 四

︿

両親のおかげで、私も、﹁どう老い、生きればよいか﹂知ることができた。

規則正しい毎日

起 床 時 間 は 、 い つ も 同 じ 。 両親とも、受をとかし、化粧し、毎日、色のコ

l

デイネイトをした服に着替え、父は新聞を 取 り に 行 き 、 母 は 食 事 の 用 意 : : : 。 そ れ か ら ヘ ル パ ー さ ん に お 願 い す る こ と を 箇 条 書 き : : : 。 昼 食 。 三 時 の コ ー ヒ ー タ イ ム 。 毎 晩 入 浴 。 夜 は 、 そ れ ぞ れ 、 日 記 。 日 が 恐 く な り 、 字 が 曲 が っ た り 、 フ ェ ル ト ペ ン を 使 っ た り し て い た が 、 き ち ん と し た 毎 目 だ っ た 。

2

外出から帰ると、父は、すぐに苅替え、背広をハンガーに吊るし、洋服ダンスにかけていた。 足がおぼつかなくなって、よろよろしながらも。

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ねCホ:]0むCねC幻C的CねoocoむCねCねCねCねC車3C祢:]0むCねC幻CねCねCねCね 臼 母は、脳梗塞を忠って左手が使いにくくなっても、りんごを押さえる道具を購入し、右手だ けで剥くなど、自分でする努力を怠らなかった。

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前向き

りんごのことでもわかるように、決してあきらめず、いつも明かるく前向きな母だった。

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歳の頃、リウマチを忠い、近年、黄斑変性症で片目失明したほか、この十年ほどで十回 も入院している。脳梗塞、大腸がん、その手術後の癒着による腸閉塞、勝酌縦刻、ヘルペス、 大腿骨骨折、肺炎、腎孟炎、右足骨折:::。そのつど、医者も驚く回復力というか、精神力と いうか、人一倍早く歩き出し、リハビリに精を出した。毎日のように訪れてくれる人びとや、 大好きなお花に固まれ、孫やひ孫の写真を飾ったりして、入院を楽しんでいるかのようだつた。

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頼み上手

高齢になると、どんなに頑張っても、自分だけではできないことも増える。そんな両親を、 実に多くの人が助けてくださった。 それは長い時間かけて意図せず両親が築き上げてきた、人づきあいの結果だった。 親族や近隣の人、ヘルパーさんが助けただけではない。少々値段が高くても、近所から買う ように心がけていた結果か、いつしか、電話ひとつで、誰もが、すぐに来てくれるようになっ ていた。大工さん、電気屋さんは言うに及ばず、お花でも、お酒、牛乳、下着、何でもすぐ届

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むCねCねCねCねCねC幻CねCねCねCねCねC幻CねC幻CねC的 。 ねCねCねCねC的 。 けていただけるので、周りの人が驚くほどだった。時がれ以後の入院中、市中椅子で外出するにあ たって、いつもお願いしていた美容院に、﹁だめもと﹂で伺ってみたところ、病院まで出かけ てくださるという。母は、病室で髪をセットしていただいて、大いに満足し、翌日外出して、 大勢の親族友人らと会食して楽しく過ごし、その数日後に、永久に旅立った。﹁セットのお支 払いがまだだから、忘れぬこと﹂と、病院での日記帳に記されていた。

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ありがとう

頼みごとが上手なだけではない。二人とも、人の話を聞くのが、とても上手だった。 親身になって喜ぴ、悲しみ、力づけていた。また、いつも感謝し、﹁ありがとう﹂と言っていた。 来容が帰られる時、父は決まって﹁おみやげは?﹂と、母をうながし、母は、何かしらお渡 しして、お述、ひいただいたことに、感謝の窓を表していた。買い置きの靴下だったり、到来物 の 一 一 応 の 初 初 だ っ た り : : : 。 入院中の父は、看護姉さんに何かしてもらうたびに、にっこりして﹁ありがと﹂、と言って おり、﹁その笑顔が素敵﹂と喜ばれていた。ほとんど意識がないように見えたときでさえ、医 者の回診が終わると、右手首から先を上げて挨拶し、医者は、﹁おお﹂と鷲きの戸を上げ、﹁お だいじに﹂と応じていた。 母も、不平、文句を一百わない人だった。ヘルパーさんに対しても、その人の得意なことを、 お願いして、感謝していた。

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ねC祢:::0むoocc幻C幻C幻C幻C幻CねCねC祢:::0むoocc将CねC幻C幻CねC祢:::0むC純 白 入院中は、看護婦さん十人以上の名前とその特徴をノ

l

トに書いて覚え、名前で呼びかけて 一人一人との会話を楽しんでいた。母は、﹁看護婦さんがどんどん優しくなる﹂と言っていたが、 看護婦さんは、﹁お母さんのお部屋に行くのが楽しみ﹂と言っていた。 父の晩年に、孫が聞いたことがある。﹁おじいちゃん一番幸せだったのはいつ?﹂ 父は答えてこういった。﹁今だよ。今が一番幸せだよ﹂ 母 も 、 常 々 言 っ て い た 。 ﹁ 私 み た い に 幸 せ な 人 は い な い よ 。 い つ 死 ん で も 、 思 い 残 す こ と な い よ ﹂ と 。 本人たちは意識しなかっただろうが、後に残されるものにとって、悲しみをやわらげてくれ る 言 葉 で あ っ た 。

︿

母を亡くして数か月後、学生時代の仲間六人、ランチを共にした。自分たちも、今年、高齢 者の仲間入りしたところだ。 ﹁美栄子さん、このたびは、大変だったわね。お母様、まだしっかりしてらしたのに、惜し かったわ。でもお幸せな一生だっだわよね。﹂ ﹁そうね。子や、孫に固まれて、ひ孫もそばにいて。私がほとんど泊り込んでいたし。それ でも住まいは別にあるので、介護サービスも受けられて、昼間、私は出かけられた

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-。 以前は、障害のあるお年寄りは、同居家族の有無にかかわらずこのサービスを受けられたけ ど、システムが変わって、たとえ働く男性でも、同居家族がいると、このサービスは受けられ

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ねCねCねCねocc:::::ねCねCねCねCねCねocc:::::ねC幻C的CねCむCねCねC幻CねCね 臼 なくなったのよ。家肢がいても介波サービスは受けられるようなシステムにしてもらわなくて は、家族の平和は保たれないわ。いま私は、名義変 . h 凡など、雑多な乎続きに忙殺されている。 後 の 仕 事 も 大 変 よ 。 ﹂

*

私へのお悔やみが一通り終わると、﹁ねえ、聞いて、大変なの。母が急に完全にぼけちゃった﹂ 独身で国の内外でパリパリ仕事していたーさんが、みんなに訴えた。 父親があまりにワンマンで、そのストレスもあって、母がほけそう、と前々から言っていた人。 ﹁ 施 設 入 居 に 五

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万 、 月 々 二 五 万 。 ﹂ ﹁ 五

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万くらいなら、まあ、妥当かしらね。家を売ったりして、大金出して入居したのに、 そこがつぶれたり、仲間とうまくいかなかったり、大病院の近くがいいから、という理由だっ たりで、出てきてしまう人もいるから、あまり高いと危険よね﹂。 ーーでも、彼女ほどのお金は出せない人のほうが多いだろう。もっと安くて、しかも快適な ところに、いつでも入れるような用意を、国がしてくれるとよいのだが。 ﹁で、あんなにほのこといじめていた父が泣くのよ。でも施設に一緒に入るのはいやだって。 だから、私、また車穴うことにしたの。母のところへ行くだけでなくて、毎日、父の夕食も作 りに行くから。でも父と一緒に住む気はないの。﹂ 分厚い翻訳者を出したりしたーさんには、守るべき自分の世界があるのだ。 ﹁父は、家事は何もやらないけど、どこも怒くはないのよ。だから介護サービスは受けられ

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ねCねCねCねCねCねCねCねC車3CねCねCねCねCねCねCねCねCね~OねC的~C>> な い の ﹂ どこも悪くなくても、後期高齢者のところには、国のサービスが必要だ。彼女の場合、遠く に住む妹さんが、週一回は、手伝いに来てくれるという。 ﹁わたしの母も、ほけちゃって、施設にいるけど、歩いて行けるほど近いから助かるわ。でもね、 私、一人っ子で、何かあっても相談する人がいないのが、つらいわ。母の兄弟も、みな高齢だし、 夫にも自分の母のことであれこれ言うはいやだから、結局、自分で悩んで一人で決めちゃう。﹂ そんな彼女も、母上が施設におられるお陰で、最近、囲碁の国際試合でオランダへ行くこと が で き た 。 でっちも大変なのよ。母が骨折で入院中、私、毎日、二食分作って、病院に運んだの。﹃病院 の食事は、いや﹄って言うから﹂と言ったのは、普段から隣に住む母上の面倒を見ている優し い

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さ ん 。 ﹁でもね、父が亡くなったとき、長姉が、﹃何も面倒見なかったことが心残り﹄って、いつも 言ってたから、﹃今しかお母さまを見られないわよ。もっとしたら体力的に無理になるから﹂ っ て 言 っ た の 。 姉も、もう七

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歳だから。母が退院した今、一か月という約束で、泊り込みで面倒見てるわ。 期限付きだから、楽しそうにやってる。その後は、二番目の姉にも、もっと来てもらおうと思 っ て る 。 ﹁ そ れ が い い わ 、 あなたは永久に末っ子なんだから﹂

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ねCねCねCねCねCねCねCねCねCねC幻CねC的CねCねCねC幻OCCCねOCCDねC幻 白 ﹁それにしても、入院したりすると、百万とか、すぐなくなるわね。親のお金だからと思っ て例室に入れてたけど、百歳過ぎる人が羽えたと聞くと、財布の口を閉めなくては:::﹂ ﹁私の父は、母が亡くなった後、再婚したけど、その義母の而倒をどの程度見ょうか、考え ちゃってる。私たちあまりお付き合いもなかったんだけれど、年とって一人でいるのほっとく わ け に も い か な い し : : : ﹂ ﹁でもお父様の財産、半分行ってるんでしょ。それで施設に入っていただいたら?﹂ 義母のことで悩んでいる

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さんも、心優しいから、きっと最後は、手厚く、面倒を見ること だ ろ う 。 結局、六人のうち、親のことで、今、問題を持っていないのは、

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さんだけ。その彼女も、 県外の施設の母上を、フルタイムの仕事の聞を縫って、亡くなるまで、せっせと見舞っていた。

︿

収穫時であるべき︿秋﹀なのに、︿人生の秋﹀を迎えた日本人は、冬の到来を前に立ちすくむ。 人生の最終日は明日かもしれないし、四

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年 後 か も し れ な い : : : 。 病気、痴呆、何が起こるのだろう。 老人たちは、いつどこで、誰と、どのように判枯らせばよいのだろう。 その到用は、自前で足りるのだろうか? まじめに働き、倹約、貯金し、保険に入り、養老年金を準備し、 u や それを使うことなく早死に

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ねCねCねO幻C幻CねCねCねCねCねC泳:JDむCねCねCねCねCねCねCねCねCねC幻 臼 するかもしれない。たくさん残ったら、なんとむなしいこと。 同様に、貯めこんで、めでたく長生きしても、長生きしすぎて足りなくなったり、入院費や、 介護費だけで終わってしまったら、それも悲しい。老後の余剰金は、﹁ご苦労様の御褒美﹂と して、楽しいことに使いたいし、使ってもらいたいものだ。 いくら蓄えればいいのか見当もつかず、消費意欲もわかず、財布の紐は硬くなるばかりでは、 経済社会も回らないだろう。 どうすればいい? ﹁ 定 年 後 の 費 用 は 、 必 要 に 応 じ て す べ て 国 が 見 て く れ る 。 ﹂ と な れ ば 、 安 心 だ 。 い や 、 そ う す べ き だ 。 ︿高齢者介護保険料﹀を徴収するなど、もってのほか。 さすがに、これはなくなりそう。だが、介護サービスの時間も、どんどん削減されてきてい て、ヘルパーさんの話を聞くと、悲惨な家族が多すぎる。ヘルパーさん自身の生活保障も、悲 惨 な 現 状 だ 。 個々の家庭にヘルパーさんを派遣するのが無理なら、老人ホ

1

ムでまとめてお世話するほ、つ が い い の か 。 施設づくりに熱心だったデンマークでは、﹁やはり、家庭がいい﹂という風潮が強まったと、 日本の状況を視察に来ていた関係者が言った。お年寄りの性格にも、施設のありようにも、よる だろう。日本ではカーテン一枚の仕切りだったり、あまりに狭すぎることも多い現状だ。

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ホームか、家出か、その阿方か、││lH・川に選んだり変克できる状態が望ましい。 いずれにしても、︿民間や家出に丸投げ﹀というのは悶る。政府が、まずは低所得向齢者の 生活保隙を。そして、そうでない人の老後の保隙もしっかりしてくれれば、国民は、﹁保険だ、 投資信託だ﹂と、ない知忠絞って、お金を預けなくてすむようになる。その分、税金に廻して もいいかもしれない。ヨーロッパの、いくつかの閏のように。││素人の私が考えてわかるこ とではないし、それを考えるために、政治家やプロがいるはず。対策をしっかりやってもらい た い も の だ 。 国を代表する政党が変わって、私たちは変化を期待している。 政治家は他の政党の批判をしたり、失敗を待つのではなく、目的に向かって、もっと協力し 合えないものだろうか。政党のためではなく、国民のための政治であることを忘れないでほし い。超党派で対処すべき事がらが、たくさんあると思う。

︿

より良い向齢化社会をつくるためには、政治から日を離さないことが肝要なようだ。 と同時に、例人レベルでは、ささいなことでも、今日に感謝、明日に希望を持'って、自分の 老後の準備をするとともに、周囲の、もっと問的の人に対して、一人一人が暖かく注意深い日 を向けていかねばならない。老後の幸せは、お金だけの問題ではないのだから。 宮沢賢治の﹁雨にも負けず:::﹂の詩を口ずさんだりして。(市サ門学校教授・東京都港区在住)

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むoccocc::;ホ3C幻Cホ:JCねCねCねC幻C幻C泳80むCねCホ3CねCねCホ3CねC車3CねC幻 日

老いを考える

/ 私は松崎

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六 ミ 八 歳 引 い 、 会 ﹃ あ ご と も

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2

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号で︿あこ色メぷトザとして、斎藤千代さん のインタビューを受けたときは、夫(六九歳)を亡くして半年も経っていなかったでしょうか。 私の母は五二歳で脳溢血で死に、父は九

O

歳直前に、ぽっくり、死にました。 夫の母は五七歳のとき白血病で死に、父は先の戦争のとき、本土爆撃を受けて死にました。 三

O

代前半だったでしょう。私の父の老衰以外は、﹁悔やまれる死だった﹂と言えると思います。 身近な死は、こんなところですが、老いについて格段の思いはありません。 私の母の兄弟は九人ですが、人

O

歳を越えると、上から順に二人亡くなりましたが、同じこ ろ、下からも、現代の縮図のような死が、二人ありました。上と下は二

O

歳も離れていますか ら、若い人の平均余命を暗示しているような気がします。 私の夫は﹁余命三か月のガン宣告﹂を受けたあと、自宅で元気に静養していたところ、十二 指腸あたりの腫協が破裂したらしく、急に苦しくなり、往診の医者から点滴を受けさせようと してからだを移動させていた私の腕の中で、息が途絶えてしまいました。宣告から、正に三か 月 で し た 。

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ねCねCねCねCねCねCねC的CねC幻CねCねCねCねCねCねC幻CねCねOねCねCね 臼 この訴を斎藤さんにしたところ、盛んに﹁それは何てお幸せだったことでしょう﹂と繰り返さ れたのです。斎脱さんもご主人をガンで亡くされたそうですが、﹁医療を受けた結果としての最 期が、とても苦しそうだったから﹂とおっしゃるのです。夫を亡くして﹁幸せ﹂などという言葉 を聞いて、少しひっかかるところはありましたが、実は、通夜に来てくれた友人も、ご主人を 二か月前に肺がんで亡くされていて、﹁こんな時にごめんなさい。でも、とても幸せな最期だっ たのね。﹂と言われたのです。その後、情沖さんの﹃達者でポックリ﹄(東洋経済新報社)を読んで いたら、私の夫は滑沖先生の言う︿満点の死に方﹀だった、ということがわかりました。 少なくとも死の一週間前までは、﹁自分がしなければならない﹂と使命感を持っていたこと のために時間を使っていました。そこから少しずつ体力が落ちてきて﹁今日は何もしなかった なあ、何もしなかったのは初めてだなあ。﹂と一日を振り返る日が来て、ついに突然の大失血 となって、一日半で逝ってしまったのでした。帯津先生は、﹁死ぬには、エネルギーが要る。 それを︿医療﹀と称して、すっかりエネルギーの無い状態まで持っていかれると、死ぬにも死ね な い 。 ﹂ と 書 い て お ら れ ま す 。 さて、﹁﹃老いを考える﹄という特集に何か脅かないか﹂と、斎藤さんから誘われましたので、 私は布津先生の言われるように、﹁述者で死ぬにはどうすればよいか﹂を舎こうと思います。 誰でも必ず死ぬわけですし、死は、決して怖がるようなものではないはずです。もちろん、 ﹁残念!もう少しこの世でやりたいことがあったのに。﹂ということは、あります。

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<<JCねCねCねCねCねO問。むOねC<<JCねCねCねCねCホ3CねCねCねCむε幻C的Cね 臼 しかし、﹁生きている人と、死んだ人とは、どのようにつながっているか﹂を考えれば、む やみと死を恐れる必要はありません。 チベット仏教の﹃死者の書﹄や、日本の密教でも、﹁死後の世界﹂を教えていますし、﹁死後 の世界﹂を体験して生き返った人たちの書籍も、多くあります。 戦乱や病気、事故などの︿無念の死﹀が、たくさんあって、その場合には、これらの書物が 説く︿穏やかな死のプロセス﹀が適合しないのでは、と考えたくなりますが、実は、どのよう な死であれ、死のプロセスは穏やかなものらしいです。ですから、死を恐れることなく、まず は最期の最期まで、健康を維持することについて考えてみましょう。 私は﹁私と整体法﹄という本を出しています(七つの森書館)。﹃整体﹄という言葉そのもの を考案したのは、野口晴哉氏であると聞いています。十五歳から上野に道場を聞いて整体法で 病気を治し、﹃月刊・全生﹄という通信を出していたそうです。晴哉氏は亡くなってすでに 三

O

年が経っていますが、この通信は、現在でも附整体協会の月刊誌として続いています。 晴哉氏は、あるときから病気の治療をやめ、﹁活元運動﹂を広めることにしました。 ﹁活元運動﹂は、﹁人間のからだは、治るようになっている。治るような勤きが自ずから出る のである。﹂という彼の観察から始まりました。そこで、人聞が本来持っている自分のからだ を治す方法の導入法を考案して、皆にやらせるようにし、特に、家庭の中で、母、娘、孫と伝 わるように工夫しました。現在では、その孫が子どもを持つ年齢になってきているようです。

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ねCねCねC幻CねC的C幻CねCねCねCねCねC幻CねCねCねCねCねCねCねCねC昭 臼 子 ど も を 身 ご も り 、

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み、打て、そして、親も元気に生きて、元気に死ぬことを実践してい る人たちが、間肢体協会には多くいます。 ﹁元気に死ぬ﹂とは、﹁元気に生きていれば、死ぬ四日ぐらい前に自分が死ぬことがわかる﹂ というのです。ご本人も、彼より三

O

年も長生きした奥様も、﹁もうそろそろかな﹂と死を予 感しながら、最後の最後までやるべき仕事をして、逝かれたそうです。ですから、﹁元気に生 きること﹂が基本です。 ﹁活元運動﹂では、﹁からだは治るようにできている﹂とひたすら信じて、とにかく迎を天に 任せる気持ちでぼんやりすることが肝要です。そうすれば、治りたいという気持ちが天に届い てかどうか知りませんが、からだが自然に動き出します。じつは、あくびゃくしゃみも、活元 運動の一形態です。意識しないで、からだが動いてしまったのです。ですから、筋肉は﹁意識 で動かそうと思わなければ、動くはずがない﹂というのは誤解なのです。﹁どんな動きが出る かは、出てからのお楽しみ﹂、ということになります。 あくびでも、くしゃみでも、出始めたら、できるだけ長くそのまま続けさせます。そうする と、﹁もう渦足した﹂という風に一つの動きが収束に向かいます。そこで、止めようと意識すれ ば簡単に止まります。そのとき、﹁動く前と終わったあとで何が変わったかな﹂と自分を観察す ることが大切です。不快だった、重苦しかったところが取れ、からだが軽くなります。つまり、 ﹁筋肉に力が出た﹂あるいは、﹁からだ全体に力が山た﹂と感じます。間違いなくそうなります。 一日の終わりに、始まりに、また、何か述和感を党えたときに活元運動をすれば、元気に(軽

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ねCねCねCねC車JC幻CねC車3CねC的CねCねCホ3CねCねCねCねC的CねCねCねC祢8 a やかに)生きられます。 私の本では、﹁実際に活元運動が出てくると、 どんなに良いことが起きたか﹂を書いています。 ﹁元気に生きる﹂とは、どういうことでしょうか? 動物、身近なところで言えば、まだ野生の残っているネコを観察するのが、よいでしょう。 冬なら日向でゆっくり寝そべって、手足を思い切り伸ばしたりします。食べたいものを食べ、 嫌なことはせず、病気になれば飲まず喰わずで、じっとしている。治ればまた元通り気ままに 生きる。死期を悟れば、どこか家人の見えないところへ行ってしまう。それだけです。 もう一冊の本、安保徹著﹁安保流ピンピンコロリ術﹂(五月書房)があります。 いつだったか忘れましたが、箱根に行くために小田急ロマンスカ

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に乗って、何げなく窓の 外をみていると、﹁ピンピンコロリ﹂という大看板が見えました。何かと思って振り返ると、 医院の広告でした。はじめて見たので、﹁何てあからさまな広告だろう﹂と、びっくりしまし たが、今では結構多くの人が使っているようですね。 免疫学基礎研究者の安保徹さんは、﹃免疫革命﹂という本でデビューしました。最初は異端 の免疫学者と扱われましたが、一般市民、とくにガン忠者には、絶大な人気があります。 半年前ほどに、近くの市民ホ

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ルで行われた講演会は、三

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分前から長蛇の列で、大ホ

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ル があふれ、小ホ

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ルのスクリーンでも放映したほどです。

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cccねCねC祢80むC的CねCねCねCねCねO!COむCねO悶CねCねCねC祢:JC>>OCねCね 臼 安保流免疫学に従えば、﹁他山すなわち免疫力の向上は、交感神経と間交感神経のバランス の原理をよく理解することが基本で、﹃何が交感神経を刺激するか﹂、﹃何が刷交感神経を立ち 上がらせるか﹄を理解して、自然の摂理に逆らわない生活、食事をしなさい﹂ということです。 簡単ですが、現代人は﹁簡単なことを信じない傾向﹂があるのが問題です。 私も、最初は活元迎動が信じられませんでした。しかし、﹁現実に起℃っていることだから、 自分にも起こらないはずはない﹂と思ったら、活元運動が出てきたのです。 ごく簡単なことですが、息を吸うとき交感神経が倒き、息を吐くときは間交感神経が働きま す。現代社会では、交感神経が立ちっぱなしという場面が多いので、吐く息を長

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く す る と 、 バランスがとれるわけです。﹁睡眠に入るとき吐く息を長

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くすると、五回もやらないうちに 眠ってしまう﹂(と、安保先生は言っています)ょうです。苦労なく眠りに入れる人は﹁医者 知らず﹂ではないでしょうか。﹁医者知らず﹂ならば、現在、来る日も来る日も議論されている よ う な 、 ﹁ 医 療 ( 費 ) 問 題 ﹂ は 、 無 関 係 で し ょ う 。 ただし、環境汚染からくるストレスが交感神経を常に立たせているので、環境問題に無関心 でいることはできません。社会的ストレスだけでなく、進化過程で経験してこなかった化学物 質、電磁場などが、大きな要素です。それを知らずして交感神経・副交感神経のバランスを実 現することはできません。その意味で、環境問題に取り組むことは、自分の身を守る生き方です。 また、﹁生物進化の歴史を科学的にみると、私たちの体は、最初、(受精卵から胎児になり、

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ねC幻 Cね Cね Cね Cね Cね Cね Cね Cね Cホ3CねCね Cね Cね C幻 Cね Cね Cね Cね Cね Cね 白 誕生して急激に大きくなる時期)は、﹁細胞分裂﹂を支えるエネルギーを作らなければならない が、成人から老人になれば、細胞分裂は低下して、﹁運動、体力維持﹂型のエネルギーになって くるから、それにしたがって、食べ物を変化させなければならない﹂と、安保先生は説いてい ま す 。 この二種類のエネルギーを作り出す仕組みが、複合されて細胞の中にあって、私たちが摂取 する栄養によって、エネルギーの型が支配されます。ですから、﹁老人が、いつまでもステー キや、うなぎを食べるのは、やめなさい﹂と警告しています。 世の中に一般的に流通している医学、栄養学は、かなり間違っていて、ガンや難病で苦しん でいる人たちでオルタナティプを追求している人たちだけが、前記のような処方に辿りついて います。この処方に依れば、病院は、ほとんど不必要です。私は、﹁病気になっても病院に連 れて行かないように﹂、親族に頼んでいます。野垂れ死にで何の後悔もしません。夫のような 幸せな最期になるかどうかは、そのとき、誰か側に居てくれるかどうかにかかっていますが、 仮に誰も居なくても、大同小異でしょう。 数日前、﹃汚れた腸が病気をつくる﹄(バーナード・ジェンセン著、ダイナミックセラア

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出版)を、本屋で見つけて読みました。﹁体調を崩してしまったら、断食と野菜繊維質の食事 で治す﹂という医学書です。日本では、かなり昔から行われていた健康法ですが、アメリカの 医師が書いているので、医学の基礎知識がベ

l

スになっています。この著者の臨床治療は、

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ねocccねCねCねCねCねCねCねC的CねCねCねCねCねCねCねCねOむCねCねC幻 印 食事療法ですから、医療問は、ほとんどかかりません。 技体法といい、食事療法といい、日常の生活

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そのものですから、現在の医療とは迎いま す。整体でも、大抵の健康不調は改普してしまいますが、初期の指導者たちは、﹁普通の医者 にかかっている人は治さない﹂と言っていたそうです。つまり、からだ、健康、病気というも のに対する見解が根本的に述うので、クスリなどで、からだを痛めつけることをやめない人に 施術をすることは、︿徒労﹀と考えていたようです。 整体や食事療法に理解のある医者が出てくれば、医者たちの知識から助言を符ながら、施術 をし、断食や食事療法を進めることができて、忠者はハッピーになります。 バーナード・ジエンセンは、﹁断食をするときは、そういう医者を探して、診て貰いながら、 やりなさい﹂と書いていますから、アメリカでは、そういう医者が見つけられるのでしょう。 日本でも早くそういう医者が、見つかるといいですね。 そこでは、大げさな検査機器は必要ではなく、(手術しないので、微細な画像を撮る必要が ないでしょう)、医者も忠者も、経済的負担が格段に小さくなります。 こういう医者が出現したら、私も、﹁野垂れ死に﹂を、予め宣言することなく、相談に行く ことになるでしょう。 ︿幸せな老い﹀を実現するには、このようなインフラが、 一つの条件ではないでしょうか。 (茨城県つくば市在住)

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寿

老いを意識し始めたのは、何歳の頃からだったろうか。五十歳を過ぎた頃だったかな。 会社では二十歳前後の若い社員たちと仕事をしていたが、自分の行動に﹁あれぇ!﹂と、内心 赤面することが一度や二度ではなく、焦ったものだ。 ︿あごら﹀の先輩は、そんな私の悩みに﹁心配することはないわよ﹂と打ち消しながらも、 ﹁そんなに心配なら、病院で調べてもらったらどう?﹂と、笑いながら助言されたのだった。 また同年の友人からは、﹁当たり前でしょ。脳細胞は毎日毎日、パチンパチンと壊れている のですよ﹂と笑い飛ばされた。 この時の﹁当たり前﹂のことばは、たいそう私を安心させた。﹁頭がおかしくなったのではな いか﹂とか、﹁私だけが変﹂という︿潜在的な人並み意識﹀に、やはりこだわっていたのだろう。 その後十余年、脳ドックでの検査入院もしないままに開き直った人生を歩いているが、﹁怪 しくなり始めたよ、検査もそろそろ必要では﹂と、陰の声が耳打ちするのもまた事実である。 還暦過ぎの身には、﹁老い﹂はいよいよ身近になり、友人たちには、老親の介護が最優先の 人 も い る 。

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むCねCねCねCねCねCねCねCねC<<]C<<]C<<]CねCねC的CねCねCねCねCねCねCね 臼 私の場合はほかならぬ自分自身であり、逃げようがない現尖である。それは独身である故か も し れ な い 。 以 前 、 ﹃ あ ご ら ﹂

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号)誌上で﹁百歳近くになったら他人様の手助けが必要になってくる かもしれません。その時、堂々と﹃ご面倒をおかけしますが、よろしくお世話を頼みます﹄と、 明かるく顕を下げられるかどうか。(中略)私は遠慮しないことにします。﹂と書いたが、お世話 になる﹁社会﹂が健全かどうかは、甚だ心もとない昨今の社会情勢でもある。 自慢できるものは何もない。老後を頼るお金もなければ、体力とて並み以下だろう。病気を 忠わない保証もない。 ﹁自己武任﹂など嫌いなことばだが、大半の人はそう思っているのかもしれない D 信念がな いので、私にできるそれなりの対策は、頭でなりとも考えておかねばなるまい。あくまでも︿自 分を納得させるために﹀である。 冒頭に書いた﹁老い﹂を心配し始めた頃、多分に自分のポケさ加減が気になってのことだが、 手にした本がある。 ﹃老いとは何かを伝えたい﹂(新柄尚武若・婦人之友社刊・一九九七年二月二五日刊行)で ある。この稿を書くにあたり、思い出して引き出してみた。 十二年前にマ

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を引いた一か所は、末尾の行、︿沈まんとする夕陽が荘厳であるように、 老年が人生の中でもっとも般粛な郎きあるとき﹀の一節である。読み返せば、また別の箇所に

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を引くことになるであろうか。 たとえ認知症になろうとも、﹁長寿の代償﹂とは、思うまい。 六年前、二

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三 年 の 賀 状 に は 、 ﹁ 。 老 い 。 を 迎 え る に も 、 修 行 が 要 る よ う で : : : 。 ﹂ と 書 い ているので、深層心理で引きずっているのだろう。 さてさて、来年二

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年の賀状には、直面進行形の﹁老い﹂について、何と表現しようか。 悟りの境地にはほど遠く、さりとて関心を持ち始めて十余年、前進なしも悲しすぎる。だか らといって、後ろ向きに生きる気は毛頭ない。 神 の 助 け か 、 今 号 、

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号の﹃あごら﹄誌上で交わされる先輩諸姉の名言を、肝に銘ずる こ と と し ょ 、 っ 。 ニ十年来の我が師、﹃あごら﹄に幸あれ! 拙文で恐縮だが、投稿のお誘いを受け﹁老いの現場﹂を身内の話題で敷街してみる。 前政権で悪評だった﹁後期高齢者﹂の呼び名は、﹁長寿・・﹂に変わったそうである(県単位 で呼称は違う?)。七五歳からなので、まだその現物を見ていないが、﹁敬老の日﹂は国民の 祝日なのに影が薄くなった世情と、無縁ではなかろう。 この世に生を享け、人生の長短は﹁運命﹂に左右されるとは思わないが、道半ばの早世であれ ば、﹁人事を尽くして天命を待つ﹂聖人君子にはなれず、残念無念の色を濃く残して、人生の

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