尋問は難しい
裁判員約一号事件︑二号事件︑三号事件でも︑ほとんどの裁判只が質問しメディアはその都度大きく取り上げ
しかし尋問は︑裁判に携わることを仕事にしている弁 た ︒
護士や検事にとってすら︑最も難しい仕事だ︒東京地検
では︑裁判只裁判に向けて︑検事たちに︑﹁尋問演習﹂を繰り返してきた︒弁護士会も法廷技術の勉強会をして
い る
︒
﹁昂 川技 術﹂
﹁供 述の 心副 学﹂ とい った 本が
︑世 界中 で何 十附 も引 かれ
︑法 作臓 に抑 わる 人は 読ん で勉 強し てい る︒
尋問は生徒が先生に判らないことを聞くように︑単純に知りたいことを聞けば︑望む答えが返ってくるものでは
ない
人は誰でも︑自分にとって不快なことでも︑聞かれた ︒
ことをすべて正直に答えるわけではない︒思い違いも︑言い間違いもある︒証人が嘘を言っても︑否定しても︑
最後には真実を言わざるを得ないところに詰めていくの
が裁 判で の尋 問な のだ
︒
東京の一号事件で︑初めて裁判貝がした質問が︑大き
く報
道さ
れた
︒ この 事件 では
︑﹁ 被害 者の 人と なり が︑ 殺人 につ なが る
トラブルの原囚となったか﹂が問題で︑証人(被害者の長男)の法廷での証言と︑持察官が作った彼の供述調合
とでは食い違いがあるが確認したのかという質問だった
のだが︑証人はその調書を﹁読んだかどうかも党えてい
ない﹂と答えただけで︑裁判只は﹁はい︒ありがとうございました﹂と言って尋問を終わってしまった︒
この尋問は︑﹁食い違いがなぜできたのか﹂から︑法
廷証言と︑どちらが真実だったのかを糾すための質問の
はずだが︑裁判長が﹁裁判員の意図を補足﹂と報道され
た尋問をしたが︑裁判貝は途中で引き下がってしまったために︑警察の供述調書は﹁証拠としての価値がない﹂
という証拠(法廷尋問調書)を作ってしまう結呆で終わ
って
いる
︒ 二号事件でも︑裁判員から︑﹁弁護側の冒頭陳述で﹃能
無し︑早く金を返せ﹂という暴言がありましたが︑言い
ましたか﹂と質問があり︑証人(被害者)から︑﹁ない
です﹂と言われ︑裁判貝は︑﹁ありがとうございました﹂
と︑そこで尋問を終わっている︒
プロがしたのであれば︑目的を達しない︑落第の尋問
だ︒そして尋問は︑目的を達しない場合には︑成果ゼロではなく︑逆の結果︑マイナスになるのだ︒
昨日も学者と弁護士の裁判員実務の研究会で︑有能な
若手弁護士から︑あるテl
マに つい ての 尋問 は﹁ 難し い︒
伐にはできない﹂という戸があがった︒プロだから怖さ
がわ
かる
のだ
︒
市民参加の歴史が長い欧米では︑市民裁判官は︑ほと
んど︑質問をしない︒尋問の難しさ︑質問をすること︑
証拠を作ってしまうことの重大さを︑知っているからだ︒
﹁裁判員が質問した﹂という︑そのことだけを︑裁判制度の成果であるかのように報道するメディア︒本来の
市民参加制度のハイライトである﹁評議・評決﹂につい
て︑
﹁守 秘義 務﹂ の壁 に阻 まれ てア クセ スで きな いこ とが
︑
﹁質問した﹂ことだけで︑成果にしてしまう大きな理由
なのだが︑刑事手続の目的は︑﹁事案の真相を明らかに
する﹂こととしている刑事訴訟法第一条を思い出して
ほし
いも
のだ
︒
お説教も難しい
﹁黄色い︐髪公判までには切りなさいと言う我弁護
人を少年は鋭く見返す﹂二十数年前に担当した事件のあとで詠んだ短歌だ︒
暴走族だった少年の今で言えば茶パツは︑当時はまだ
珍しかった︒裁判官の印象が悪いので︑いま切っておけ
ば︑公判までには黒い髪が少しのびると思って︑初めて
の面会の時に︑言ったのだが︑少年の︑それまで穏やか
だっ た日 が︑ 射る よう にな った
︒
﹁自分のためを思って百っているのだ﹂とはわかる︒
でもその援は︑不過な彼にできる︑たった一つの自己主
張の 方法 だっ たの だ︒
﹁切 れ﹂ と一 百う のは
︑も っと 何回
も面会をして︑心が迎じ合ってからでなければ︑いけな
かっ たの だ︒ 忘れ られ ない
︒
放判日裁判も三例日になって︑自信が出てきたのか︒
あるいは被告人が若いから?事件が強姦という殺人
より軽い犯卯だから?││品百森地裁の事件では裁判只の質問が︑お説教とでもいうものになってきた︒
空き巣に入って︑物色中に帰ってきた女性を強姦した
被告を︑﹁どうして逃げなかったのか﹂と問いただした
女性裁判貝は︑﹁今考えれば逃げられたが︑急に人が帰
ってきて︑足がすくんで扉に隠れた﹂と返事した被告に
﹁そ の時
︑逃 げて いた ら︑
Aさんの事件は︑なかったと
思う
のに
ねえ
﹂︒
﹁白 髭交 じり の男 性の 裁判 只﹂ は︑
﹁﹁ 一八 万円 の給 料 から 借金 を払 った 後で
︑飲 み食 いす るの が普 通の 感覚
﹄だ
︒
それをやらないで︑なければ盗みに入るのか﹂﹁そこが
一番残念︒普通ちょっと考えられないわけなんですね﹂ と﹁身勝手な被告愉す場開も﹂(朝日新聞9月4
日付
) 刑事 明作 を起 こす 人は
︑皆
︑不 山市 を抱 えて いる
︒心 身
ともに幸せに育てられた子どもは︑決して犯罪者にはな
らない︒犯
m w を犯した人は︑良いことをしたと思ってい
るの では ない
︒﹁ 普通 なら こう する
﹂﹁ こう すべ きだ
﹂と
お説教をしても︑彼/彼女は︑そんなことは百も知って
い る
知 ︒ って いて もで きな かっ た人 が﹁ ほん とに そう だつ た︒
これからは言われたようにしよう﹂と思うようになるのは︑言った人が︑自分のことをほんとうにわかって︑我
が身のことと思うからこそ言うのだ︑と信じられたとき
畠 ・ ・ ・ 炉
E︐
.
争九ドhJ人
裁判 只裁 判は
︑審 理を 短く する ため に︑ 証拠 を減 らし
︑
裁判只は︑彼/彼女の人生のほんの一郎︑犯罪という特
殊な 頂点 から 見え る氷 山の 一角 しか 知る こと がで きな い︒
裁判只とは比べものにならないくらい被告人のことを知り︑唯一の味方の立場にある弁護人でさえ︑被告人か
らそれだけの信頼を符られるとはかぎらず︑その状態で
お説教をしても︑被告人の心には届かない︒かえって一
層︑ 心を 閉ざ すか もし れな い︒
彼/彼女が︑被告という立場上︑裁判員には言い返せ
ず︑だから何も言わないとしても︒あの茶パツの少年の
ように︑鋭い目で見返すことすら︑しないとしても︒裁判員の役割は︑審理に立ち会って起訴された事件に
正し い判 断を する こと だ︒
裁く立場になったから︑諭すこともできる︑と安易に
思う こと は危 険だ
︒
自分の子どもだって︑まずいことをした時にするお説
教の 仕方 次第 では
︑反 省せ ず︑ 却っ て反 発さ れる こと は︑ わか って いる でし ょう
︒
映像裁判は正確か
これまでの︑どの裁判員裁判でもそうなのだが︑郡山
の事件でも︑法廷内には傍聴席から見える大型のスクリ
ーン
2
つのほかに︑裁判官︑裁判貝︑検察官︑弁護人︑
証言台の︑それぞれの前に︑小型のモニターがあって︑
冒頭陳述や論告弁論でも︑証拠調べでも︑そこに要点を
まとめた大きな文字や︑図形︑現場の見取り図や人体図
など の絵 や写 真が 映し 出さ れた
︒
﹁素人である裁判員に︑わかりやすいように︑映像も
使って法廷活動をする﹂│裁判員裁判になって始まった
新し
い方
法だ
︒
その方法が取られた多くの事件で︑裁判員は︑﹁検察
側の説明は︑わかりやすかった﹂と言っている︒弁護側はそうした映像資料をつくる技術や人手の点で︑組織や
新型の機器を持つ検察側にかなわない︒どうしても検察
側に 軍配 が上 がる
︒
郡山事件で︑弁護人は︑事前には︑自分は映像は使わ
ないと言っていたというが︑実際には冒頭陳述を
A 3
一枚の図にまとめたものを︑プロジェクタ1
の上 で移 動 させ て映 した のが 一回 と︑ 検察 側が つく った
﹁犯 行再 現﹂ の写 真の うち 三枚 を映 しな がら
︑被 告人 質問 をし てい た︒ 裁判の映像化は︑時の流れなのだろうか︒
ただ
︑大 変気 にな るこ とが ある
︒ まずパワ
1ポイントなどで映し出される文字情報だ︒
郡山事件では︑検察側証拠の供述調書は︑画面を動か
しながら︑全文︑モニターに映し出されていた︒
しかし︑事件によっては︑内容を民約した大きな文字
を映し続けながら︑澗件を則枕する方法もとられるだろ
う︒すると裁判貝には︑その大きな文字の印象が強く︑
元の文章には書いであった細かい事実の印象が抜け部
ちて しま うお それ があ る︒ つま り映 され た大 きな 文字 が︑
裁判只の証拠判断になってしまう結果だ︒
次に映像だ︒映像は正確だと思われがちだが︑実は︑
逆に なる こと もあ る︒
たとえば殺人事件で被害者の受けた仰がどんな俄だっ
たか
︒ー
l
これまでの裁判では︑法医学者が解剖で撮った︑たくさんの写真と︑分厚い鑑定性に文昭で書いた解
説(
﹁鑑 定立 見﹂ とそ の﹁ 理由
﹂と いう )で
︑裁 判官 に学 術 的に 説明 され てき た︒
しかし︑裁判只に分厚い鍛定許を読んでもらうのは無理だし︑死体や傷口などの写真は︑残酷すぎて裁判只に
ショックを与えるうえ︑理解しにくいということで︑極
く少数の写只のほかは︑コンピューター・グラフィクス
などを使つての絵を︑モニターに映して見せる方法がと
られ
てい
る︒
問題は︑裁判貝に伝えられる情報として︑これで正確
だろ うか とい うこ とだ
︒
仰は︑体の去而からの写民だけでは︑﹁深さや体内で
の状態﹂は︑わからない︒だが︑コンピューター・グラフィクスは︑実際の傷が自動的に絵に変わるわけではな
い︒それを作った人が︑自分の判断で単純化して作るも
のだ︒厳密には証拠とは言えず︑意見に近い︒
郡山では︑百科事典から映してきたような人体解剖図を映して︑検察官が赤いライトで︑傷の場所を示した︒
これ では
︑さ らに 意見 に近 くな る︒
裁判貝裁判を経験したある弁護士が言っていた︒人体
に凶器のナイフが刺さっている絵が検察側によって作られ︑モニターに映されたのだが︑それは︑実際の死体の
状況より︑ずっと残忍に見えるというのだ︒
彼が担当した事件では︑非常に重い刑が言い渡されたのだが︑殺人の邦名を争わない事件でも︑懲役五年から
三O年という大きな闘のなかで︑刑を決めるのに︑とく
に一般人である裁判只は︑犯行がどれほど残忍だったか
に大きく影称されるだろうと言われている︒その心証に
インパクトを持って迫る映像が︑どう作られるかで︑刑
の重 さが 決め られ て行 く︒