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英国人の食生活 : その発生と史的背景

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Academic year: 2021

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(1)53. 人. 崎 そ 一. の 食 生 活. 生 と史 的背景一―. 奥 は. 田 和 じ め. 子 に. 同 じヨー ロ ッパ 諸 国 の うち,フ ラ ンスや イタリアの料理 はお い しい とい う 定評 が あ るの に対 し,英 国 の料理 は必 ず しもそ の よ うに評価 されて い ない。 また ,英 国 の食事 は健康 ・栄養 とい う面 で もけ っ して良 い とは い えない。 なぜ な ら,現 在 の英 国人 の食事 内容 は ,肉 類 ,動 物性油脂 ,砂 糖 (チ ヨコ レ ー ト・甘 い ケ ー キ),ア ル コー ル飲料 の 過剰摂取 に陥 ってい るか らであ る。 そ のため心疾患 による死亡 率 が 日本 の 約 3.5倍 に も達 し,政 府 は この是正 に や っ きにな ってい る。す なわち,高 エ ネルギ ー摂取 ,動 物性脂肪過剰 に陥 ら ない こ と,食 物繊維 を増 やす こ とを熱心 に奨励 し,健 康志 向 の徹底 に向けて い 努力 して い るのであ る 。 一 つ の 国 の 食 の 方 向性 を考 える とき,こ の よ う に くお い しさ 〉 と 〈健 康 〉 の二 つ の側面 のバ ラ ンスの と り方が重要 な課題 になる。現在 ,先 進諸 国 では. ,. 〈お い しさ〉に気 を とられ るあ ま りに 〈健康 〉へ の側面 が なお ざ りに され る 傾 向 にあ る。 ところが 英 国 の場合 ,お い しさにウエ イ トをかけて い るわけで はな く,か とい って健康面 で も問題 があ り,近 隣 の ヨー ロ ッパ 諸 国 とは食 の 状況が い ささか異質 な よ うに見受 け られ る。 そ こで本稿 で は,英 国 の食事 が なぜ まず い とい われ るのか ,な ぜ 健康 上 好 ま しくない特定 の食 品 に摂 取 が偏 ってい るのか につい てその発 生 と歴 史的 な 背景 を探 つてみ た。 また,そ れが 現在 の食 の現状 とど う結 びつい て い るのか を考察 した。 さらに,現 在 の英 国 の食 の リー ダー たちが 目指す 「健康 を勝 ち.

(2) 英国人の食生活. とるためには,味 を犠牲にすることは止むを得ない」 とい う食の理念 とその 限界についても考 えた。 料 理 観 とその歴 史 的背景 英国人は気 どらない飾 らない料理 をつ くる といわれるが,そ の料理観 を裏 づ けるもの として次 のような記述がある。 スチ ュアー ト朝 (1603∼ 88年 )時 代 における料理 の望 ましい姿勢 は,「 食欲 を喚起する ことよ りもむ しろ空腹 〕「他国か ら ち込んだ珍 しい品 々を うよ り をな くす ことに力 を注 ぐこと」 持 使 と べ べ む しろ自給 の食 物 をより評価す きである」 などである。 こ うした考 え方 は,そ の後 200年 間英国料理 のス タイルを形成 して いっ 2。. た. 英国料理 の性格 の底流 には,田 舎風 で しか も収穫期の食べ物 を使 って. つ くった料理が尊 い とい う風潮があ った。 では,自 給 で きる食べ物 とはどのような内容 であ ったのか。新鮮 な食べ物 としては以下の ものがあ る。 海産魚,川 魚 ,フ ァース ト・クラスの ビーフ,ラ ム,マ トン,豚 ,肥 よ く 〕 な家禽,上 質の コー ン,野 菜や果実 などである 。牛乳 は 15∼ 16世 紀売買 さ れるものは まだ少な く,農 家 では新鮮な絞 りたての もの を使 い,バ ター も冬 期保存 にたえる塩か らい ものを料理用 として使 っていた“。 この よ うに多様 な食品が 自給 で きたからこそ,上 記 のような生活理念が生みだされたのであ ろ う。確 かに輸入品 に頼 る必 要性 はない。 19世 紀 の終 り頃まで,英 国の国土 の大部分が広大 な農地 であったこといか らも十分 うなずける。 しか し,上 述 のような食べ物 はけっして豊富 にあったわけではな く贅沢 を 戒 めた。その背景 には,当 時食糧確保が十分 でなかった様子 を知ることがで きる。収穫物が取れない とき,人 々は食糧 に困 った。1383年 には非常 に収 穫が悪 く,未 熟な果物 を食べ たために多 くの死者がでた。貧乏な人 たちは. ,. 鳥の餌用 の コーンや豆,や はずえんどうなどを食べ た。 もっと悪 い時期 ,例.

(3) 奥. 田 和 子. え │ゴ 1437∼ 1439年 雨 の 多 い夏 には収穫物 が 壊 減 し,百 姓 た ちは食 べ 物 が な く,ハ ー ブや根菜 を食 べ なが ら死 んで い った。 この よ うな飢饉 の 後 には 2∼. 3年 ペ ス トが流 行 し多 くの死 者 が で た9。 15世 紀 の 終 りか ら 16世 紀 にか け て ,飢 餓 で はないが 栄養 の 欠乏が続 い て体重 が 減 った りす る もの もでた"。 17 世紀 にな って も貧 乏 な人 た ちは食 べ 物 の不足 に非 常 に悩 ん だ。 17世 紀 中頃 には非常 に悪 い状態 で ,肉 もチ ーズ も不足 し,貧 乏 な人 たちはパ ン,塩 ,に しんの酢 づ け ,チ ーズ ,羊 の頭 や豚 の足 を食 べ た。後半 もまた悪 か った。1685 年 ,1691年 の収穫 は 良 か った ものの 1693年 には また悪化 し,ス コ ッ トラ ン ドや英 国 の北 の 人 はアイル ラ ン ドヘ 移民 した゛。 1800年 代 初期 の英 国 は貧 困 な状 態 で あ った。1817∼ 19年 には収穫 が悪 く,死 者や貧 困 が広 が ったつ。1840 年 は飢餓 の 40年 と して知 られ ,子 供 の 半数 は 5才 まで に死亡 し貧 乏 な労働 ・ 者 が 多 か った. 9。. この よ うに,英 国 は 自給 自足 を尊 ぶ 食生活 を標 ぼ う しなが らも,た び重 な る飢饉 を くぐりぬ け て きた。 これ は,英 国 の気象 が厳寒 で 日照が少 な く雨量 が不安定 で 農作物 の栽培条件 が厳 しい こ とに起 因 して い るか らであろ う。 以上 の よ うに,食 べ 物 が豊 富 で なか った こ とが ,生 活態度 を質実剛健 に さ せ た もの と考 える。 自給 で きる食 べ 物 を使 って贅沢 を しりぞけ る料理観 が伝 統 的 に培 かわれ ,今 日にい たって い る もの と考 える。. 2. 料 理 の特 性. 英国の人 々は 自然 の恵 みを大切 に育 み,そ の新鮮 な持 ち味 を生か して シン プルに料理 した。 しか もそれをより高度 な水準 に仕上げなければならなか っ た"。 その意味 で,英 国の料理 の味 は,質 素 で気 どらない ものであ り,食 べ 物 の味 をそのまま料理す ることが尊 ばれた。。 この ように して料理 を楽 しむ のが英国の人 の好 みであ り,英 国風 のや り方 で あ った耐。「料理 して手 を加 える」 とい うフランス風 のや り方 に真 っ向 うか ら対 立 したので ある 。 した 1°. がつてフラ ンスの料理法 にはほ とん ど興味 を示 さなか った し,「 良質 な食材.

(4) 英国人の食生活. Ю.と も述 べ られて い る。 には ソース は必 要 な し」 また,作 る分量 につい ては次 の よ うにい われて い る。英 国 で は,土 地 でで きる素晴 ら しい 産物 を どっ さ り料理す る ス タイルが基 本 的 に よい こ とだ とさ れ たЮ。そ して ,そ の ような素晴 ら しい食事 を どっ さ り食 べ る こ とが 期待 さ ・ 。 30∼ 40ポ ン ド (1.4∼ 1.8 kg)位 の ビー フが テ ー ブル にサ ー ビス れて い た D。. され ,上 質 で あ るため にこ とさら ソース を必 要 としない とい う. 料理書 とい うの は,い わゆ る専 門書 で はない。そ の土地 の主 婦 たちが主 婦 たちのため に主 婦 たちの料理 を書 きとめ た もので あ る。そ して フラ ンス料理 Ю の 贅沢 を激 しく告発 し,経 済的 な料理 を示 した I。. 田舎 の南部 で 農夫 たちが食 べ た食べ 物 は,数 百年前 ,南 部 で記述 された料 Ю 理 とた い して変 わ らない もので あ り ,伝 統 が 大切 にひ きつ が れて い るので あ る。 以上 ,料 理 は素材 の味 を大切 に し素朴 な味 わ い に仕 上 げ るシ ンプルなや り 方 で , しか もそれ を どっ さ りつ くるこ とであ った。 この伝統 が 今 日で も生 き て い る よ うであ る。 この こ とが ,料 理 の 目新 しさや高級感 を欠 き,田 舎料理 と酷評 され る由縁 で あ る と考 える。. 3. 食 習 慣 と食 べ 物. 英 国 の 人 々は どの よ うな時 間帯 になにを食 べ て きたか概観 し,現 在 の食 べ 物 との 関連性 を探 った。 チ ュー ダ朝 (1485∼ 1603年 )か ら中世 にか けて の 普通 の 人 の 主食 は,黒 パ ン (バ ー レーや ライ麦 や ビー ンの粉 で作 られた もの)や 小麦 とライ麦 で つ H。 朝 食 は 6時 で ,パ ン を食 べ 自家製 の エ くったパ ン (マ ズ リ ン)で あ った. ー ル (Ale:小 麦 を醸溜 して つ くた 自家製 ビール)を 飲 んで い たH)。 lo時 野 良 か ら帰宅 した労働 者 のデ イナ ー は,パ ン,バ ター,チ ーズ ,卵 それ に とき 日 と して肉 (夏 は新鮮 肉,冬 は塩 漬 肉)で あ った 夕方 4時 にサ パ ー を食 べ ,。. た。 ベ ー コン,パ ン,ホ ッ トケ ー キ,チ ーズ , ときにオ ー トミー ルのおか ゆ.

(5) 奥. 田 和 子. 57. (gruels)ポ テ ッジ (野 菜 のス ー プ)を エー ル と一 緒 に食 べ た. 日. )。. 金 よ う日には肉のかわ りに魚 を食 べ た。魚 は新鮮 な もので あ ったが , とき には塩 蔵 や 干物 で あ った日 )。. 農作物 の 収穫 が 不 足 す る時期 には,庭 で 栽培 した野 菜 で 補足 した。 1420 陀 年貧 困 な人 たちはパ ン もな く,キ ャベ ツやかぶ らを食 べ て い た )。. B)。 パ ン,塩 か らい酢漬 け の に しん ,た ら 町人 は朝食 を 6∼ 7時 に食べ た. ,. 野菜 のス ー プ,チ ーズ ,エ ール で あ った。昼 の食事 は居酒屋 で食 べ るか もし くは ク ックシ ョップか ら持 ち帰 った もの を家 で食 べ た。 ロース ト肉 ,パ イ. ,. ス チ ュー ,ス ー プ,パ ン,チ ーズ ,エ ー ル,ビ ー ルで あ った。夕方 5∼ 6時 には,冷 肉 とチ ー ズ ,パ ンを食 べ た。 エー ルや 少量 の ワイ ンを飲 んだ。野菜 はた まね ぎを使 い ,キ ャベ ツ もときにボイル して肉や スープ と一 緒 に食 べ て い た。新鮮 な果実 ,え び,甘 いパ ス テ イはた まに供 された日 )。. 一 方 ,貴 族 の 家庭 で は,午 前 10∼. H時 の 間 に 1回 と,軽 い 夕食 を午 後 4. ∼6時 の 間 に食 べ て い た。 メイ ンの料理 はマ トン よ りむ しろ主 に ビー フや ポ ー クであ り,家 禽 や卵 とい うのはサ イ ドデ イッシ ュで あ った。 プデ ィ ン グや ソーセー ジ,ス パ イ スの 入 らな い 野菜 の ス ー プ (pottage), パ ス タ,酢 の入 ったパ ンジェ ン ト・ ソース ,ヴ ェルジュ (未 熟 なぶ ど う汁 口 酢 の代用 )が 好 まれ た 。食事 は フル ー ツ,ナ ッツ,甘 い 食 べ 物 (は ちみ つ 0. で料理 した)で 終 った。夕方 の食事 は簡単 なデ イッシ ュで あ り,ワ イ ン,エ ール を飲 んだ。 12∼. 13世 紀 までの修 道 院 の修道僧 た ちの食 べ 物 は裕福 で 贅 を こ ら した も. ので あ ったが ,16世 紀僧 院 の解散 に伴 って しだ い にその 贅沢 さえ も消 えて い った 。 lの. 中世 ,イ ギ リス を訪 問 した外 国人 の訪 間記 に よる と,「 英 国人 の 昼食 の 食 べ 方 は大食漢 で あ り,夕 方 の食事 は節約 (節 制 ,禁 欲 )し て い る」 とコメ ン トしてお り,ヌ ー ンは む さぼ り食 べ ,サ パ ー は控 えめで禁欲 的 な もので あ っ たb)。 グ レゴ リー キ ングは,「 ス ペ イ ン人 は 食 べ , ドイ ツ人 は飲 み ,イ ギ リ ス 人 は薄 いスー プを飲 んで い る」 と評 し,こ れ は もっぱ ら当 時 の語 りぐさに.

(6) 英国人 の 食生活. なって い た. 14)。. チ ュー ダ朝時代 の 人たち は ,大 ざっぱに二 つ の グループに分 け られ る。 一 つ は 肉食 の 人たち (meat eaters)と もう一つ はパ ン食 の 人 た ち (bread eaters) で あ る。 むろん肉食 の 人 もパ ンを食べ ,パ ン食 の 人 も肉 を食 べ て い たのであ る!6)。 中世 ,金 持 ち と貧乏人 の 食事 は貧富 の差が大 き く,こ れ はチ ュー ダー朝 時 代 か ら続 い て い た。 15世 紀 の 百姓 の毎 日の食事 内容 は,1日 当 り次 の よ うで あ った。 ミル ク 1パ イ ン ト (570 ml),ホ エ イ (570 ml),2オ ンスの チ ー ズ. (56g),1オ ンスの ベ ー コ ン (28g),2オ ンスの 豆 (56g),2ポ ン ドの パ ン (906g)で あ つたる. .。. 中世 の 人 々の典型 的な食事 は,村 の労働 者 ,田 舎 の荘 園主 ,職 人 ,金 持 ち の 商 人お よび貴族 の 4つ の クラス に分 け られ る。 一 般 的 な食 事 は,黒 パ ン (マ ズ リ ン,は だか 麦 ,ラ イ麦 ,豆 の 粉 ), ミル 口 肉 はホ ワ イ トミー トが ク,チ ーズ ,卵 ,と きにベ ー コン または鶏 で あ る )。. 主であ るが ,百 姓 たちは肉 を食 べ るこ とはめ ったになか った。 当時 の スープ は非常 にポ ピュラーで ,野 菜 のポ ター ジ ュ,ス チ ュー ,で んぶ んで とろみ を つ けた粥 ,豆 のス ー プ,ビ ー ンの スー プは好評 で あ つた。 スープは貧乏 な人 たちの 一般 的 な料理 となった. い. )。. 1750年 頃 の記録 に よる と,朝 食 はセ ン トラ ル ヒー テ イ ン グで つ くられ て い る。 セ ン トラル ヒーテ イ ングで部屋 の 暖 を とるかたわ ら,そ の周 囲 にその 熱 を利用す るか たちで オー ブ ンや煮炊 き用 の レンジが はめ こまれて設計 され て い るか らであ る。 朝 食 は一 日を元 気 よ く過 ごす ため の ス タ ー トとな る 大 切 な食 事 で あ っ た〕。 そ れ は ,午 前 8時 よ り遅 くな らな い よ う に厳 格 に 習慣 づ け られ て い たl"。 昼食 (aiernoon)は ,ホ ーム ・ベー ク ド・ ケ ー キ ,ビ ス ケ ッ ト,パ ン,ス コー ン,ク ラ ンペ ッ ト,オ ー ジ ングをバ ターや ホ ーム メイ ドの ジャム をつ け て食 べ た。 これ ら甘 い デザ ー トは ,家 で とれ た脂肪 や卵 ,そ れ に穀類 を基 に.

(7) 奥. 59. 田 和 子. して作 った〕。. 18世 紀初期 ,デ イナ ー は午 後 2時 に食 べ た。 しか し,こ れ は徐 々 に遅 く なって 1780年 には午後 3∼ 4時 になった20。 産業革命 (1768年. )に よって妻 が 仕事 に出か け る よ う にな った ため 労働. 者 に よって改 め られ る よ うになる。す なわち,昼 は仕事 で多忙 なため昼食 に 肉や野菜 の シチ ューや パ イ,ま たはサ ン ドイ ッチ を食 べ る よ うにな り,手 早 2勢 く済 ませ るため にフ アース ト・ フー ドを食 べ る よ う になった 。 と くに フル. タイムで外 出 して働 く主婦 は,僅 かの労力 で手早 く食卓 を整 える必 要 が生 じ た20。 この他 に,料 理 が 簡素化 した理 由 の一 つ と して 1833年 の奴 隷廃止法 が あ り,こ れ まで雇 っていた奴隷 が 減 って見 つ け に くくな った こ と,肉 や野菜 が 29。. 高価 になった こ とが あげ られ る. 19世 紀 の 中 ば には,食 事 の終 りに甘 い食 べ 物 で終 る こ とが 伝 統 的 に確 立 し,フ ルーッやケ ー キで しば しば終 った創)。. 1851年 には,貧 乏 な労働 者 は週 に 2-3回 肉 を食 べ ,肉 よ りもパ ンや ポテ トを食 べ る割合 の方 が 多 く,ま るで動物 の食 べ 物 の よ うで あ った とい う. 2'。. 一 方 ,英 国 の上 流 階級 の 人 々 は,19∼ 20世 紀 初期 には 1日 の メ イ ンの 食 事 を昼 に食 べ ていた。焼 い た り,煮 た りした温 か い食事 で あ った。. 1900年 頃 にな る と,ウ ィー ク・ デ イ,ミ ッ ド・ ウ イー ク ・デ イ,ウ イー ク・エ ン ドの食 べ 方 は違 って きた。前 2者 で は フ アース ト・ フー ドや コンビ ニエ ンス 0フ ー ドの方 が 食 べ られ ,ウ イー ク・エ ン ドには伝統 的 な食事. (tra_. 20。 didonal meal)を 食 べ ,同 時 に外 で食 べ る とい う フ ァッシ ヨン も増 えた. 1900年 頃 には,ホ ッ トドッグや ピ ッツアの テ イクア ウ トので きる フ ァー ス ト・ フー ドの小 売店 がで きた。 学 校 の 子 供 達 は昼 食 用 と してサ ン ドイ ッチ や ス ナ ック を家 か ら持 参 し た. 26)。. 19世 紀初期 か ら 20世 紀 にかけて ,イ ギ リスの上流 階級 ,ワ ー キ ンググル ー プ, ミ ドル クラスの 人 たちは,す べ て夜 に正餐 の食事 を と り,そ れ をデ ィ.

(8) 英国人の食生活. ナ ー と呼 んだ 。 2〕. 以上 ,1日 3食 の 食 べ 方 と しては,朝 は一 日の 活力源 と して十分 に食 べ る こ と,昼 食 は どっ さ り時 間 をかけて食 べ るこ と,夕 食 は控 えめ に食 べ るこ と が 1500年 頃 か ら 1900年 頃 まで貧富 に関係 な く行 われ た。 朝食 はいつの 時代 も Break fastと 呼 ばれ ,上 流 階級 で は遅 い 時 間 に とられ る傾 向 があ った ものの ,お お よそ朝早 く食 べ た。昼食 は,労 働 者 たちは早昼 を食べ た りしたが ,noon,a■ emoon,dinnerな どと呼 ばれて い た。昼食 が メ イ ンの食事 で あ り,温 い心 の こ もった料理 で あ った。 これが 産業革命 を契機 に 職場 に生活空 間が移 ったため ,簡 単 で早 くつ くる ことがで き, しか も早 く食 べ られ る食 べ 物 へ と変 わ って い った。 夕食 は 当初 supperと 呼 ばれ ,早 くは 4時 ,一 般 には 5-6時 に とられ て い た。 しか し,19世 紀 初期 ∼20世 紀 にか けて英 国 の す べ ての 階層 た ちの 人 た ちは夕食 を正餐 と し,dinnerと よぶ よ うにな り,夕 食 にウエ イ トが かか る よ うになって きた。 また,食 べ 物 の 内容 は,黒 パ ン (ラ イ麦 ,は だか麦 ,大 麦 ,小 麦 ,豆 の粉 ) 牛乳 ,チ ーズ,ポ テ ッジ (野 菜 のス ー プ)が 基本 で エ ール を飲 む。 ゆ と りが あれ ば 肉. (ロ. ース ト,ボ イル)を 食 べ ,食 後 に甘 い デザ ー トを食べ た。 こ う. した食事 内容 は ,今 日なお引継 がれて い る よ うで あ り,パ ンはふ す ま入 りの ブラウ ン・ ブ レッ ドの方 が ホ ワイ ト・ ブ レッ ド. (日. 本 のいわゆる食 パ ンに相. 申びて い る。 当)よ り消費量がイ. 4. 英 国 の 食 事 を特 色 づ け る 食 品 群. 英国の食事 を特色づ ける食品 として,ス パ イス,ハ ーブ, じゃがい も,パ ン,砂 糖 ,チ ヨコレー ト,紅 茶 ・コー ヒー,肉. (ビ. ー フ,マ トン,タ ーキー),. 魚,牛 乳,ア ル コールがある。 また,食 べ方が少 ない もの として果物 や野菜 があげられる。 これ らの食品が どの ように食事 の中に取 り込 まれて きたか歴 史を湖 りなが ら現在 を考 える手がか りに したい。.

(9) 奥. 田 和 子. スパイス・ ハー ブ. H∼ 13世 紀 にかけての十字軍 の成果 の一 つ は,地 中海 とヨーロ ッパ との 間の交易 を促進 させた ことである。 ざくろ,プ ラム,メ ロン,デ ー ッ,い ち じく,高 価 な食べ物や スパ イス をもた らした。14世 紀 には,こ しょう, し よ うが ,ガ ラ ンガル (根 茎 ),グ ロー ブ,シ ナ モ ンや メ ース が用 い られ た。 これ らは,イ ン ド,支 那 ,東 イ ン ドか ら多 くもた らされ た。 こ しょうや しょ うが はか な りた くさんあ り安価 で あ ったが ,他 のスパ イスは高 く,家 の秘密 の場所 に保存 され ,ロ ックされていた。 また ,ロ ックされていた ものの 中 に は,貴 重 な珍 しい砂糖 ,ア ーモ ン ド, ドライフル ー ツな どが あ る。 スパ イスは,中 ば傷 んだ 肉や魚 またはスモー ク した食 品 の不快 な フ レーバ ー または単調 な フ レーバ ー をマス キ ング した2つ 。 スパ ィ ス が もた らされ る前 まで は,た まね ぎや ガ ー リックが 臭 い 肉 の にお い消 しに使 われて い た2η 。 また,庭 ではハ ー ブが 栽培 され ,そ れは今 日使 われ るパ セ リー ,セ ー ジ. ,. マ ー ジ ョラム, ミン トで あ った。 さらに ビュー グラス ,ボ ー リッジ,フ ェ ネ ル ,チ ックウィー ド, ロケ ッ トな ど多 くは道端 に生 えて い る ものであ った。 これ らはホ ーム メイ ドの 治療 や薬 と して用 い られて い た2つ 。 今 日,ス パ イス は料理用 にはあ ま り用 い られて い ないが ,ハ ー ブは家 の庭 先 で栽培 された り,店 頭販売 されて い て よ く料理 に用 い られて い る6〕 。. じゃがい も 英 国 で は主 食 とい えるほ ど重 要 な食 べ 物 で あ る。 これは,エ リザ ベ スー 世 (1600年. )に よって もた らされた とも,1564年 に もた らされた ともい われ. ,. どの よ うに して一 般化 したのかはっ き りしな い. 英 国 の北部 よ りむ しろ南 部 で急速 に普及 した。 1770年 には北 部 で も根 をお ろ して い ったか。消化 が 良 28)。. く栄養 的 で力 ので る食 べ 物 とされ た30。 の は,で. じゃが い もが人 々 に受 け入 れ られ た んぷ ん質 が 少 なか ったためで あろ う と引)い われ る。 1664年 じゃが い. もは い ちだん と新 しい展 開 をみせ た。 当初 は家 の庭 で栽培 されて い たが ,次 第 に主 食 へ と変 わ ってい った。 そ の ころ都市 で は黒 パ ンか ら白パ ンヘ と嗜好.

(10) 英国人の食生活. 62. が移 って い き白パ ン人気 が お こってい た。 17世 紀 の 終 りに は百姓 の 間 で も 重要 な食 べ 物 となった. 2,。. 18世 紀 には小麦 の価格 が上 昇 し, じやが い もは急. にポ ピュラーな食 べ 物 とな り,小 麦 の価格上昇 を抑 える安全弁 の働 きを して い たT。 町 の労働 者 に とって ベ イク ド・ ポテ トはパ ンよ りも安 いので 重宝 さ 3'。. れた. 1848年 には,ボ イル ド・ ポテ トが みか け られ る よ うになる. 3"。. ポテ. トはボ イル して オイル,酢 ,ペ パ ーで ,あ るい は切 って さまざまな方法 で 食 べ られ た"。 1740年 英 国 の料理書 には, じゃが い も料理 の レシ ピー が 20種 類 も記述 されそれ らの料理 が実際 につ くられ て い た 。 じゃが い もは ,ボ イ 3〕. ル して塩 ,こ しょうで食べ るだけで な く,ス ライス したた まね ぎ と炒 めた り ,. 場合 に よつてはエール または水 で煮 て塩 ,こ しょうで味 つ け して スチ ユー に した りした 。 この よ うに最初 はボ イルす るのが 普通 の 方法 であ ったが ,そ 3〕. の後 は皮 を とって ピッピング・パ ンに入れ ,ロ ース トして い る肉の下で焼 い た。 そ の他 には ,に しん,こ しよう,塩 ,酢 ,ス イー ト・ハ ー ブをよ く混 ぜ て一 緒 に焼 い た りした。 また,マ トンをス ライス して鍋 に並 ベ ポテ トのス ラ イス を重 ねて層 に して スチ ユー に した。 じやが い もが英 国 で穀物 と して の地 ‐ 位 を築 くに は 200年 の歳 月が必 要 で あ った 。 今 日で もじゃが い もは,ス ーパ ーや野菜店 に多 品種豊富 に品揃 え して売 ら 6〕 れてお り,よ く消費 されて い る 。 ジャヶ ッ ト・ ポテ トも大学 の 食堂 の メニ ュー にあ る。 しか しジヤケ ッ ト・ ポテ トよ りもフライ ド 0ポ テ トの方 が はる か に人気 があ るい。. パ. ン. 中世 ,パ ンは家庭 で焼 かれ るか もしくは荘 園 の オ ー ブ ンで焼 かれて い た。 しか し,町 の 人 た ちは H∼ 12世 紀 にはす で にパ ン屋 か ら購 入 して い た. 30。. 1307年 には 白パ ンとブ ラウ ンパ ンとを売 る 2種 類 の 店 が あ り,町 の どこで も買 える よ うにな った. 4)。. 1000年 頃 ,パ ンの原料 は大麦 や オー ト麦 の雑穀 で あ った. 3"。. 中世 になる と. ,. 農地 で は春 には コー ン,オ ー ト麦 ,や はす えん ど うが採 れ ,秋 には小 麦 や ラ.

(11) 田 和. 奥. 子. イ麦が とれるようにな り,パ ンは小麦 とライ麦 でつ くられた%)。 中世,パ ン には主に 3つ のタイプ,白. ,ブ ラウ ン,ブ ラックがあった。 これ らは今 日の. パ ンと同一ではない。白パ ンは最 も上等 で,石 で挽 いた り小麦 の全粒 でつ く られていた。 ブラウンとブラックのパ ンは穀類 をミックス し精製 されない ま ま用 い られ,貧 乏な人が食べ てい た。 17世 紀 になる と,黒 パ ンとブラウ ン パ ンはやめて 白い全小麦のパ ンになっていた。 ロン ドンで売 られてい るパ ン の大部分 は白い全小 麦 のパ ンであ り,囚 人 とい えども白パ ンが与 えられてい たい 最上級 の 白い粉 は 19世 紀 の 中頃か ら入手 で きるようにな った。そ し )。. て 白い粉 は特別上等 のパ ンをつ くるだけに用 い られていた。第 2,第 3番 目 の質の粉 は色 のついたバ ンを焼 くためにだけ使 われ,ブ ラウ ンレッ ドは全粒 を使 ったの。 今 日,食 物繊維 を多 く摂 るようにとの健康的配慮 か ら,雑 穀 を荒砕 きに し て小麦粉 に加えた り,全 粒小麦粉 を使用 したバ ンが多 く食べ られてい る“. )。. まさに中世 さなが らで,日 にボソボソと当たる。さらに無塩パ ンも多 いため. ,. 英国のパ ンはこの国を訪 れる人々におい しくない と酷評 される原因の一つ に なってい ると考 える 。 6勢. 砂. 糖. 甘庶糖 (Cane sugar)は スパ イス と一緒 に同 じ店 で売 られてい た。イ ン ド やアラビアか ら輸入 され,13,14世 紀 には大変高価 なものであった30。 1670年 頃になると,砂 糖 はす でに交易 によ り輸入 されるよ うになって い た。本 直民地 ジャマ イカのバ ルバ ドスで は,ア フリカか ら集 め られた奴隷が砂 糖 の生産 に従事 してい た。 18世 紀砂糖 の消費 は飲茶 の習慣 とともに広 が っ た。18世 紀 の終 リルー ツや人参 ,砂 糖大根 か ら砂糖 が とれるようになると. ,. 人 々の興味 は急速 に衰えていった 。 17世 紀 の甘 い食べ物 はその後 しだい に 3つ. 月並みな食べ物 と化 していった。 1800年 1人 当 た りの砂糖 の年 間消費量 は 30ポ ン ド (13.6 kg),1820年 には l kgに やや減 ってい た創 そ して 1939 )。. 9。. 年 ,第 2次 大戦中砂糖 は配給 にな りt19世 紀 の中ば食事 の終 りに甘 い食べ.

(12) 英国人 の 食生活. 劉 物 で終 るこ とが伝統 と して確立 され る よ うになった. )。. この よ うに砂糖 はす で に約 300年 前 か ら人 々 に愛用 され ,飲 茶 の 習慣 とと もに 日常 レベ ルで消費 され た。 この ことが 不幸 に も今 日の砂糖 の大量消費 を 招 来 して い る。古 くか らの習慣 は根 が深 く,な か なか容易 には断 ち きれ ない。. チ ョコ レー ト チ ョコ レー トハ ウ ス が ロ ン ドン に始 め て オ ー プ ン した の は 1657年 で あ る3"。 17世 紀 チ ヨコ レー トは最初 ドリ ン クで あ ったが ,17世 紀 の 終 りに は コ こ した コー ヒー う ,チ ョコ ドリ ンクか ら今 日のチ ョコ レー トに変 わ った )。. レー ト. (コ. コア)で 軽 い朝食 を始 めた こ とで ,こ れ まで よ り遅 い時 間 に朝食. を とる習慣 がで きあが った。 この ためデ ィナ ー (昼 食 )や サ パ ー. (夕. 食 )を. 40。. 食 べ る時間が もっ と遅 くな って い つた. 今 日,老 若男女 を問わずチ ヨコ レー トの 人気 は高 い。街 にはチ ヨコ レー ト ` シ ョップが 豊富 な品揃 えを して い る“。 これ も長 い 間 の伝統 の所産 であ る。. 紅茶 ,コ ー ヒー. 17世 紀 の 中頃 ,英 国 は北 ア メ リカ,西 イ ン ド,イ ン ド,支 那 な どの 植 民 地で新 たな貿易 を始 めた。 トル コの 商 人が 1652年 ロ ン ドンで最初 に コー ヒ ー シ ョップ を開 い た。そ してたち まちの うち に人気 がでて数年 の うち に街 中 に普及 して い つた。多 くの コー ヒーハ ウスは ,芸 術 ,文 化 ,商 談 の待 ち合 わ せ 場所 と して広 まったJ)。 一 方 ,紅 茶 は コー ヒー とほぼ同 じ時期 に入 つて きて ,最 初 はオラ ン ダ領東 J'。. イ ン ド (現 在 イ ン ドネシア共和 国)の 商 人 に よって支那 か らもち込 まれ た. 支那 には銀 を与 え,そ のかわ りに紅茶 を もらった。当初価格 は高 か ったが 引 17世 の終 りに向け て紅茶 の輸 入量 は着実 に増加 し 紀 次 第 に安 くな った. ,. )。. ,. 10年 以 内 に 3倍 になった. 4"。. 家庭 の 家計費 のほ とん どは紅茶 と砂糖 に使 われ. た。 こ う した紅茶 ,コ ー ヒー ,チ ョコ レー トの導 入 は裕福 な階層 に受 け入れ ら.

(13) 奥. 田 和. 65. 子. れ ,食 習慣 に大 きな影響 を与 えた。 とい うのは ,そ れ まで はお 酒 の付 き合 い で あ ったため男女 の カ ップルが一 緒 に社会的歓待 に参加 で きなか ったが ,紅 茶 がそれ を可 能 に したか らであ るい これ らが 食 習慣 い や社 会習慣 に まで広 )。. げた波紋 は大 きい。 今 日では ,紅 茶 ,コ ー ヒーは ともに主 要 な飲 み物 で あ り,紅 茶 の飲 み方 は 伝統 的 な ミル ク・ テ ィが 多 い よ うで あ る“. )。. 肉 荘 園主 は,雄 牛 ,雌 牛 ,羊 ,豚 ,家 禽 を飼 ってお り,村 人 は豚 ,家 禽 また は雄牛 ,雌 牛 それ に僅 かの羊 を飼 っていた。 そ してベ ー ク ド・ ビー ンズ (大 豆 の煮 た もの)と ベ ー コンは長 い 間田舎 の 人 たちの料理 であ つた。動物性 た んぱ く質 に植物性 たんぱ く質 を加 えてか ろ う じて生計 を営 んで い た。 14世 紀 の 中頃か ら,荘 園 が 崩壊 して英 国人 の生 活 は著 しく変貌 した 。 4〕. 16世 紀 ,農 家 や商売 人 は 肉 を食 べ て い て ,英 国 を訪 れ る他 国 の 人 た ち に とって この ロース ト・ ミー トは最 も喜 ばれ る ものであ った44。 英 国 の ビー フ とビー ル とパ ンは この 頃 か ら有名 になった。英 国 の ビー フは健康 にいい し ,. 強力 な滋養 源 になる とい われて い た40。. 17世 紀 には,貧 乏 な人で さえ も非常 に多 くの 肉 を食 べ る習慣 が で き,多 くの 肉が消費 されたい また,乾 燥 させ て塩 をまぶ しつ けた保存 肉が船 で運 )。. ばれ ,富 裕 な農家で貯蔵 されて い た4'。 40,メ イ ンデ ィ ッシ 今 日の 肉 の消 費量 は,こ こ 30年 間 ほ とん ど変 わ らず ュ と して重要視 されて い る。 ベ ー コ ン,ベ ー ク ド 0ビ ー ンズ も日常 よ く食 べ られてお り,大 学 の食堂 の メニ ューの一つ になって い る6"。 べ _ク ド・ ビー ンズは焼 い た食 パ ンの上 に どっさ りのせ て供 され た りして い た6勢 。. マ トン 蒸気船 のおか げ で 1860年 オ ース トラ リアか らマ トンが輸 入 され ,消 費量 が伸 びて い った4つ 。 マ トンの ケ ッパ ー添 えは人気 の料理 であ った。.

(14) 英国人の食生活 4● 今 日,マ トンの消費量 は下降 して い る 。. タ ー キ ー9ビ ー ンズ レヴ ァ ン ト (東 方 の 国 々 :東 部地 中海お よびその沿岸諸 国 )の 商人 に よっ ‖ て英 国 に もとらされた もの ら しい 新 しい世界 で 発見 され た さまざまな食 │。. べ 物 の うち, じゃが い も,タ ー キ ー ,豆 ,チ ョコ レー トは ヨー ロ ッパ の食習 慣 に大 きな影響 を与 えた"│。 豆 と角切 リハ ム を煮 て スー プにす るの は,10oo キ ドニー・ ビー ンズが アメ リカか ら輸 入 され用 い られ る ようになったのは 1600年 以 降 の こ とで あ るい 3,。. 年 頃 か ら始 まった. │。. 今 日,タ ー キ ー もよ く食べ られ ,コ ール ドミー トやサ ン ドイ ッチ に挟 んだ ものが よ く見かけ られ る。 キ ドニー ・ ビー ンズ もサ ラダに使用 され , ともに 大学 の 食堂 の メニ ューの一つで あ る 。 6■. 魚. 16世 紀 の 後半 には肉の断食 が行 われ た。 これ は漁業 を奨 励 す るため の ト レー ニ ングであ り,い ま一つ は一般 に認 め られて い るこ とだが ,肉 が高価 に な ったため に飢饉 を防 ぐ目的 で もあ った。宗教 的 目的 のためだ けで はな く ,. 魚 を多 く消費す るための もので あ った。 1週 間 に 2回 魚 の 日をつ くり魚 を食 べ るこ とを奨励 した もの の ,た くさんの 魚 を食 べ る こ とは難 しい こ とで4帥. ,. 1585年 には この計 画 は廃止 された。 今 日で も,魚 は あ ま り好 ん で 食 べ られ ず 肉 の 方 が は るか に 好 まれ て い る6]。 そ の意味 で は伝統 は守 られて い る とい える。. 牛. 乳. 中世 ,牛 乳 は極 めて新鮮 な ものが 農家 か ら供 給 され た。 15∼ 16世 紀 には まだ売買 され る もの は少 な く価格 も安 か った。 ただ しロ ン ドンで は牛乳 が 売 られ て い た。 良質 な牛乳 が 街 で 売 られ る よ う にな ったの は ,19世 紀 の 終 り になってか らであ る。 この 頃 には安 い コンデ ンス ミル クが 貧乏 な地域 では増.

(15) 奥. 田 和 子. 67. ぇて ぃ った2"。 今 日,牛 乳 の消費量 は高 い 。大学 の食堂 で も 1パ ックの包装単位 が 1パ イ ン ト (570 mJ)で 1回 には飲 み きれ ない量 で あ る6勢 。. 果. 実. 中世 ,荘 園主 は呆樹 園 ,ハ ー ブ園 ,ぶ ど う畑 を もっていた。 一 方 ,多 くの 村 人 は庭付住宅 に住 んで い て ,庭 で ハ ー ブ,果 物 ,野 菜 をつ くっていた。 し か し,そ れはほんの僅 かで ,プ ラム,リ ンゴ,チ ェ リー な どが一 般 的 であ っ た 。 1°. 16世 紀 には,レ ーズ ン,プ ルー ンな どの ドライ フル ー ッが ポル トガ ルか ら輸 入 され ,デ ー ッ,い ち じくな ども保存 され る よ うにな り,甘 い ク リスマ ス プデ ィ ングに使 われ た。 レモ ンは非常 に高価 であ った4動 。 しか し,ほ とん どの果実 は庭 か らとれ る もので あ った。. 17世 紀 には, レーズ ン,い ち じ く,デ ー ツ, レモ ンが南 ヨー ロ ッパ か ら 4"。. 入 って きた. 1750年 頃 には イチ ゴ,ラ ズベ リー は 6月 のデザ ー トとして. ,. ピー チ ,ネ クタ リア ン,プ ラム ,な しは 9月 のデザ ー トと して食 べ られた. 50。. そ して さば ざまな種類 の フル ー ツタル トが家で つ くられ た。 今 日で は,果 物 はス ーパ ー に豊 富 に品揃 え されて い るが ,呆 物 をよ く食 べ る国民 とは いい に くい よ うで あ る。大学 の食堂 で も形 だけか ごに並 べ られて い たが ,人 気 はそれ ほ ど高 くない よ うで あ る6〕 。. 野. 菜. 13,14世 紀 になる と,野 菜 は広 く栽培 され る よ う にな り,15世 紀 には 78 種類 に も及 び,台 所 で料理 に使 われた。 そ の多 くは通常 の家庭菜 園 で採 れ た 野菜 で ,ラ デ イッシ ュ,ほ うれそ う,キ ャベ ツ, レタス,た まね ぎ,ガ ー リ ック,リ ー キであ る。 15世 紀 には主 にハ ー ブ,た まね ぎ,リ ー キ を栽培 し て い た。 ハ ー ブは今 日で もポ ピュ ラ ー なセ ー ジ,マ ヨナ ラ (シ ソ科 ),ロ ー ズマ リー , ビュー グラス ,ボ ー リッジ,フ ェ ンネルで ,こ れ らは肉の フ レー.

(16) 英国人の食生活. 68. バ ー と して使 われた。冬場塩漬 け した肉は風味が乏 しく乾燥気味 なので ,そ う した肉用 と して用 い られて い て ,夏 場 にはあ ま り用 い られて い なか った。 これ らのハ ー ブは数 ケ 月塩漬 けに し,家 庭 ご とに治療用 の薬葉 として使 われ た281。. 15世 紀 には,キ ヤベ ツ,レ タス,ほ うれ んそ う,ビ ー トを肉 と一 緒 に煮 て い た。 ときお リオ リー ブや スパ イス でサ ラダと して生 で 食 べ た“. )。. 17世 紀 になる と,英 国 に多 くの野菜が導 入 され ,マ ー ケ ッ トガー デ ン (市 場 出荷用 の 菜 園 )が 発展 した。 17世 紀 に栽培 され て い た野菜 は,ビ ー ト ,. エ ン ダイブ,ほ うれ んそ う,ア スパ ラガス,キ ャベ ツ,に ん じん, ター ナ ッ プ,パ ース ナ ップ,ラ デ イッシ ユ,ポ テ ト, ビー ンズ , ピー ,ァ ー テ ィチ ョ ー ク, きゅう り, メ ロ ン,パ ンプキ ンで あ る"サ 。 今 日,上 述 の野菜 のほ とん どはマー ケ ッ トに並 んで い て伝統 的 に料理 され て い る“. │。. しか し,英 国 の 人 々は野菜好 きとは いい に くい よ うで あ る。. アル コール. 1598年 外 国 か ら英 国 を訪 れ た訪 問者 の記述 に よる と,一 般 的 な ドリ ン ク は ビールだ と記述 されて い る〕. │。. 小麦 の収穫 によ り自家醸造 の ビールがつ くられ ,朝 食 で さえ もビール を飲 んで い た'チ ュー ダ朝時代 には,か な りの量 の ワ イ ンが飲 まれ ,良 質 の 輸 入 品 を買 うゆ と りの あ る裕福 な人 も増 えた。街 の居酒屋 で も町 人が アル コール を飲 んで い た41。 チ ュー ダ朝 時代 ,ス ピ リ ッ トは広 く飲 まれ て い て 17世 紀 の始 め には ス カ ンデ ィナ ヴ イアの カラウェーの実 で風味 づ け した透明 なブ ラ ンデ ー ,ジ ン. ,. 4■ ア イル ラ ン ド・ ウイス キ ー な どはポ ピュ ラー な飲 み物 で あ った 。. 17世 紀 には,英 国 に輸 入 され たポ ル トガ ル ワ イ ン を飲 む人が増 え た。 そ の結果 ,サ ツク. (ス. ペ イ ン産 シェ リー )や ス イー トシ ェ リー な どが 最 もポ ピ. ュ ラー になったが 今 日では姿 を消 した52。. 18世 紀 には,す べ ての 階層 の 人 々の 中 に多 くの 飲 酒者 が い た。純 度 の 高.

(17) 奥. 田 和 子. 69. い酒や ジ ンの販売 は禁止 されず ,ス ピ リッ トの売買 に対 して もなん ら制約 は なか った。 しか し,1736年 政府 は これ らに対 して税 金 を課 した ものの ,す べ ての 階層 間で アル コー ルの消費 はか えって増 え,2-3%ア ル コール含量 は. 4-5%に なった。サ イダー もポ ピュ ラー にな り,ブ ラ ンデ ー も好 まれ た。 ラ ム も西 イ ン ドか ら大量 に輸 入 され ポ ピュ ラー になった3つ 。 今 日で も英 国人 はアル コー ル好 きであ る。大学 の食堂 内 には朝 か ら開店 し て い るバ ーがあ り,ビ ー ルは じめ各種 のス ピ リッ トを豊 富 に揃 え,バ ー テ ン もい る。街 中のいたる ところにパ ブが あ り飲酒 を楽 しむ習慣 があ る。 ビール が主 な よ うで あ る。 ホ ームパ ー テ ィで は, ビールや ワイ ンのほか各種 ス ピ リ ッ トが用意 され る。古 い伝統 は今 日で も温存 されて い る よ うで あ る。. 5. 健 康 と食 べ 物 との 関係. 今 日,英 国人 は肉を よ く食べ るが,野 菜 や果物 を少 ししか食べ ない。 17 ゛ 世紀 もそ うであった。生活水準 の高 さは食べ た肉の量で判断 された し ,19 世紀 ,週 当 た り1人 分 の食事記録 をみて も,パ ンと肉 とがほぼ同量で,野 菜 はその 1/3量 で あ り,野 菜 の食べ 方 が少ない と記述 されてい る")。 なぜ ,こ うした食習慣 が培 われたのかその歴 史的背景 を探 ってみ よう。 17世 紀 の初期 には,野 菜 を食べ ると腸 にガスがた まって苦 しくな り,難 儀 でメランコリックになると考 えられていた。 したが つて,時 折 オイルで味 つ け した野菜 をサラダにするか もしくは薄 いスー プぐらい なら良いが,そ れ 以外 は食べ ない方が良い と信 じられていたのである引52。 果物 については,17世 紀果物 を食べ ると熱病 になる とい う中世 の信仰 が まだ残 っていた")。 しか し,一 方 で果物 を食べ る と「憂 うつ症 ,気 ふ さぎ」 を抑 えるのに有効 であるとして,果 物 は野菜 よりよく食べ られていた。果実 は年中手 が届 かない ほ ど高価 ではあ ったが,出 盛期 にはた くさん供給 され た引 )。. 17世 紀 には,軽 症 の便秘 が流行 した。ふ す ま. (オ. ール ブラ ン)を 食べ て.

(18) 英国人の食生活. 70. い る貧乏 な人たちはそ の よ うな症状 にかか ってい る ものは少 なか った。 それ コ はブ ラ ンが 腸 の働 きを活発 に し,便 秘 を防 い で くれたか らであ る │。. 中世 のお 百姓 さんたち は,懐 血病 の予 防 を気遣 ってお り,冬 の終 りか ら春 にかけて防備 的 にな って い た。 また 1816年 には学校 の子供 た ちは懐 血 病 に 悩 んだ。 しか し,ど う しようもなか った。 これ を防 ぐた め には,新 鮮 なハ ー ブ,そ れ らの抽 出液 ,新 鮮 な イチ ゴの葉 ,新 鮮 なパ セ リー ,エ レカンペ ー ン. ,. おお ぐる まとそ の葉 ,生 の グーズベ リー , きい ち ごの葉 ,ワ イ ンの葉 な どを 用 い た。英 国 の北部 では黒す ぐりの ジャム と熱湯 で つ くる黒 い テ イー を風 邪 の 治療 に用 い た54。. 19世 紀 の終 り,町 の急 速 な工 業 化 につ れ て 英 国病. (く. る病 )が 生 じた。. しか し,こ れ はす で に 17世 紀 の 初 め に起 こってい た に違 い な い。 この罹患 5)。. 率 が 高 いの は,一 部 の貧乏 な田舎 の 人 た ち,と くに南 の 人であ った. 黒パ. ンをやめて 白パ ンを食 べ る よ うになった こ とが カルシウム不足招 来 の一 因 に な っている。 英 国 で は ビタ ミン A欠 乏 の 兆 しが 一 般 化 し,こ れ を防 ぐのが バ ター で あ り,浮 腫 や腎臓 に石が た まる の は ビタ ミン A不 足 に関連 が あ る とい われ て ぃ た5い 。 この よ うに,野 菜 ,果 実 を多 く摂取 す る習慣 が な い ため に ビタ ミン A,C,. D不 足 に よって発 生 す る疾 病 に悩 まされ た。 もとは とい えば,日. 照 が弱 く. 冬場厳寒 な気候風 土 では新鮮 な野菜 や果物 が生 育 しに くく,供 給量 が 不足 し が ちな生活環境 におかれて い たためであ ろ う。唯 一 ハ ー ブが貴重 な ビタ ミン 給源 で あ った。 今 日,野 菜 や果物 の供給 が十分 になったに もかかわ らず ,伝 統 と して定着 した古 い食習慣 はその まま引 き継がれ て い る よ うで あ る. 63)。. か っ ては ビタ ミ. ン A給 源 とな ったバ ター も今 日で はむ しろ脂肪摂 取過剰 の弊害 を もた ら し て い る。 しか し,こ う した習慣 の 是正 は難 しい よ うで あ る。.

(19) 6. 71. 田 和 子. 奥. 食 べ 物 のおい しさと健康志 向 のバ ラ ンス. 食料 の 不足 や偏 りに よる栄養不足状 態 は 1977年 頃 に解消 し,そ れ以 降 は 摂取過剰が続 い て い る。現在 で は ,肥 満者 は 30%,標 準 以上 の体重 の 人 (over. weight)は 25-30%,心 臓 疾患 ,動 脈硬化 ,糖 尿 病 な どの成 人病 の発 生 率 が 高 い。 そ のため ,脂 肪 ,飽 和脂肪 ,砂 糖 ,肉 ,ア ル コール を減 ら し,シ リア ル ,い も,野 菜 ,果 物 の消費 を増 や し,一 方牛乳 ,卵 ,魚 ,豆 ,ナ ッツの消 費 は変 えない よ うに とい う指針 を政 府 は示 して い る. 50。. 1人 1日 当 た りの脂肪 の摂取量 は 87.8g,P/S比 =0.41,全 摂取 エ ネルギ ー に対 す る脂 肪 比率 は 41%で あ る5つ 。砂 糖 は 93。 9g(1人 1日 人 1日. )5帥. )5■. ,肉 22g(1. ,ァ ル コール は 315"(1人 1週 )で アル コールの飲料 費 は食費 の. ほぼ 25%額. 9。. に相 当 し60,こ れ ら食 品 の摂 取 量 が 多 す ぎる。具体 的 に脂肪 を. 減 らすために次の ような細かい指示 を与 えてい る。① フラ ンス料理 を減 らす (例. えばポテ トチ ップをやめてジャケ ッ トポテ ト 〈丸 ごと皮 つ きで焼 く〉に. す る)② 肉眼で見 える脂 身 を肉か ら除 く③赤身の肉でな く家禽 を使 う④ レシ ピーか ら油 を抜 く⑤料理 の後鍋 か ら流出 した油 を除 く⑥牛乳 はスキム ミルク ・セ ミスキム ミルクにして低脂肪 にする⑦ バ ター,ヨ ー グル ト,ク リーム. ,. ソーセー ジ,チ ーズ などを低月 旨肪 にするなどである. 57)。. 上 記 の努力 は実 りつつ あ る。す なわ ち,低 脂肪 ミル クは 2年 間 (1989:. 1991)で 26%増 加 し,ス キム ミルク,セ ミスキム ミルクは家庭消費 の 48% を占めるまでに増加 した。肉では, レッ ドミー トのマ トン,ラ ム,牛 肉の消 費量 は過去 20年 間で下降線 を辿 り,一 方 ホワイ ト・ ミー トの家禽 は牛肉の 40。. 消費 を超えて上昇線 を辿 っている. 飽和脂肪酸 の多 いバ ターか ら不飽和脂. 40。 魚 の消費量 は依然 として 肪酸 の多 いマーガ リンヘ と消費が移行 してい る. 低 く肉の 10%程 度 にす ぎない 。 5つ. 多 く食べ るように推奨 されてい る野菜 ,緑 色野菜 ,果 物 の 1人 1日 当た り の摂取 g数 はそれぞれ 181g,37g,134gで ある 。果物 は過去 10年 間で若 5→.

(20) 英国人 の 食生活. 72. 千増加 して い る ものの野菜 はほ とん ど変化 な く横 ば い で あ る。 一 方 じゃが い もは 137gで よ く食 べ られて い る ものの減少 の一 途 を辿 ってい る。 パ ン・ シ リア ルは 203gで あ る。英 国 の場合 ,食 物繊維 の摂取構 成比 はパ ン・ シ リア ル類 か ら 32.4%,野 菜 か ら 29.9%,じ ゃが い もか ら 10。 7%,果 物 か ら lo。 4%, ° そ の他 16.6%で あ る 。従 って ,食 物繊維 を増 やす ための 方策 と して次 の指. 示 を与 えてい る。①全粒 を使用 した穀類製品. (ホ. ール ミールブレッ ド)に す. る② 白パ ンで な く高食物繊維 を含むパ ン,ビ スケ ッ ト,シ リアル を使 う. (オ. ールブラ ン,ブ ラ ン・フレー クス,オ ー ツ,ク ランチズなど)③ 野菜 は繊維 の少ない もの より多 く含 むもの. (例. えばス イー トコーン)を 使 う④野菜 や呆. 物 はよ く洗 い,皮 をむかないで食べ るなどである 。 この努力 は実 って,自 5“. パ ンは徐 々に減少 しブラウンパ ンが増加 しつつある。 さらに,上 記 に加 えて健康 に食べ るためのルール として朝食の大切 さを強 調 し,朝 食 を食べ ること,飲 み物 を飲 む場合 の注意 として,「 ただ喉が乾 い てい るだけであれば,カ ロ リーのある飲み物 は避けなさい」°)と いった厳 し い指示が与 えられてい る。 以上 ,国 をあげ企業 も一体 となってヘ ルシー志向を強 くかかげてその方向 に邁進 してい る。その力が強 まれば強 まるほど第一の佃1面 である味は無視 さ れやす い。英国の人 々は伝統的 に美食の習慣がないので,こ の方策にうまく 適応 していけるのであろ う。 1986年 2000人 の消費者 に対す る調査 では,健 康 な食事「healthy. Cating」. に強い関心 をもってい ることがわかった。 しか し ,. これは単なる願望 であって,実 質的な改善はあまり伴 わず実行が伴わないこ とに対す る罪 の 意識 を もた らされ たにす ぎな い とい う指摘 もあ る6υ 。 しか も 今 日マ ク ドナ ル ド,コ カ コー ラに代表 され る食 の 国際化 の波 に も洗 われてお り,粗 食 に甘 ん じたヘ ル シー志 向 をど こ まで推進 で きるか危 ぶ まれ る。. ま. と. め. 英国 の 人 々の 食事 の 内容 ,料 理観 ,食 事観 ,食 習慣 な どを歴 史 の流 れ にそ.

(21) 奥. 田 和 子. 73. って概観 した。英 国 は 日照が少 な く厳寒 で あ るが ,そ うい った気候風 土 の な かで食糧 を自給 で まか ない ,質 素 な食生 活 を耐 えぬいた長 い歴史があ る。 そ の後 ,交 易 によ り珍 しい食 べ 物 や飲 み物 を外 国 か らふ んだんに と りい れた こ とで ,特 定 の食 品摂取 に偏 ってい った歴史が 一 方 にあ る。食糧 が不足気味 で あ った 時期 には ,そ れで うま く調和 が 保 たれ て い た。 しか し,1900年 頃 を 境 に して ,人 々は 口あた りの 良 い健康 を蝕 む食 べ 物 の方 へ 傾斜 して い った。 そ して ,<粗 食 >と. <贅 沢 >と い う二 重構造 をかか えた状態 で現在 の食糧過. 剰摂取時代 に突入 して い ったので あ る。現在 ,不 健康 な食生活 か ら健康 な食 生 活 へ と転換 をはか るため に,中 世 さなが らの粗食 に戻 る試 みが とられて い る。 <お い しさ>に 目をつ む って健康 志 向型 の 食 を展 開 しよ う とす る こ と は,あ る程度 まで は可能 で あ り,現 に徐 々 に効果 を上 げ て い る。 これは まさ に,過 去 の粗食 の伝統 が残 っていたか らであろ う。 そ の意味 で ,英 国 のや り 方 には特異性があ り,ほ かの 国 で 同 じよ うに真似 ることは難 しい であろ う。 今後 ,国 際化 の波 に洗 われ つつ あ る新 しい世代 に,ど こ まで この や り方が通 用す るのか ,そ の前途 には興味 が もたれ る。. 文. 1)Kazuko Okuda,Allan Hackett:. 劉り. 1995.. 2)Margarat Lceming:A〃. js′. 献 θ. `〃 “`Ecθ. κθ JS′ ,Vol.14,No。 2,pp.2-5, “. θり げ Fθ θグ,p.80,1991,BBC Books。. 3)Mary Norwak,Jane Grigson,Mari Escritt,Magyic Black:(%θ. たjκ g. jκ ″ E“ r9ρ. `,. p.117, 1980,Ward Lock Ltd.. 4)JoC.Drummond,Anne Wilbraham:7乃 ιttgJjs力 αれ's C`れ ′rj`sげ Eれ gJjstt Dj`′. “. Fbθ グーA此 ″s′θッ げ “ ,pp.40-43,1952,Jonathan Cape Ltdo London.. 5)JoC.Drummond,Anne Wilbraham:jbjグ. 。 ,pp.87-88.. 6)JoC.Drummond,Anne Wilbraham:jbjグ. .,pp.100-101.. Fjソ. `. 7)Margaret Lceming:η .ε 。 ,p.279. j′. 8)Margaret Lceming:jbjグ. .,p.139.. 9)Rcay Tannahin:Fθ θグjれ 〃js′ θり,pp.286-288,1988,Richard Colay Ltd. 10)Margaret Lceming:η .ε 。 ,pp.H5-H7. j′. 11)Sheila Ferguson: Fθ θご―Pα ∫ ―jん ′ ′ θ―Pr`∫. ′Sι rj`s, p■ 2 1971, Billing & Sons `κ.

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参照

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