H江戸の諸講中はほぼ江戸の各地に存在し、それぞれの 講の結成された地名︵町名︶を冠して講活動を展開して おり、その中では日本橋・京橋方面、本所・深川方面に 比較的多くの講中が存在していた。 ロ江戸での講中の活動は、一七世紀中頃から承られるよ うになり、一八世紀の半ばには諸講中が積極的に寺院の 行事に参加しており、それとともに講中数も増加を致せ ていき、講中数は一九世紀前半にその最盛期を承せてい た。 日講中の実数を把握することは困難であるが、年ととも にその数を増加させていき、最盛期には約二○○位の講 中が江戸に存在していたと思われる。 四これらの講中は、日蓮宗寺院の行事すべてに積極的に 参加していたのではなく、それぞれ講中の設立目的や地 域性をゑせながら自主的に寺院行事に参加していた。 谷方面の講中に著しい。
むすぴ
なお、詳細は拙稿﹁近世における庶民信仰の動向﹂︵立正大 学史学会編﹃宗教社会史研究Ⅱ﹄所収︶を参照されたい。 日蓮聖人は﹃曽谷入道殿許御醤﹄等に於いて、末法濁 悪の衆生を﹁本未有善﹂の機と規定され、これら衆生の 救済手段として天台の三益論に基づく仏種の下種を主張 されている。この仏種の語義は、仏となるための種子・ 仏の本質・成仏の種子等と訳され、元来は仏性と同義語 であるといわれている︵1︶。しかし仏性といった場合に は全ての衆生に本来潜在する普遍的な仏としての性質、 すなわち本有不改の仏となるべき因性であると解釈する ことができるのに対して、仏種といった場合には仏の種 であるから衆生が仏となるために新たに外部から投与さ れる因性であるというイメージがあり、この両者には元 来同一意を持つものであるにもかかわらずあい矛盾した 意味に取れるという問題を含んでいると思考することが できる。そしてこの問題は日蓮聖人の遺文中からも看取 することができる。すなわち日蓮聖人は前述の如く、末天台教学に於ける仏種の
下種と仏性
日比宣俊
(149)法衆生に対する仏種の下種を盛んに主張される一方で ﹃本尊抄﹄に﹁仏既に過去にも減せず未来にも生ぜず所 化以って同体なり宮︶﹂と、事一念三千の立場から仏と 衆生の同体即具を論じておられるのである。すなわち ﹃本尊抄﹄の観心の立場からは、仏となるための因性の ない者は存在するはずがないということになるのであ る。しからぱ日蓮聖人は如何なる理由に基づいて仏種の 下種を主張されたのであろうか。そこで今回はこの点を 究明する前提として聖人の下種思想の一つの論理的依文 と思考される、天台智顎︵五三八∼五九七︶の﹃法華玄 義﹄巻一上に説かれる三益に関する所説を考察して承る ことにする。 周知の如く三益論は﹃法華玄義﹄巻一上の七番共解中 に説かれる三種教相の第二、化導の始終不始終の相に示 された法門であり、爾前経では釈尊化導の始終が未だ明 されていないのに対し法華経は化導の始まりが大通智勝 仏の法華経会座にあり、この時の平等の大益により成仏 の種が下され、この下種結縁によって調熟を経て得道す ることができると、法華経の超勝性を明したものである が、この文で先ず注目すべき点は、智顔が種子の意を ﹁巧に衆生のために頓と漸との顕と密との種子をなす ︵3︶﹂と規定していることである。すなわちここでいう 種子とは衆生に本来潜在する理的な仏となるための性質 を意味するものではなく、衆生を度脱させるために頓漸 不定等の説法方で施された教説を指していると思われる ことである。そして、この文に対する台家諸師の註釈を 見ると、荊渓湛然︵七二∼八二︶・慧澄擬空︵一七八 ○∼一八六二︶は種子の意を﹁円乗﹂あるいは﹁円聞﹂ すなわち円教の教説、あるいは円教の教説を聞法するこ とであると指摘し、更に宝地坊証真︵生没年未詳︶・大 宝守脱︵一八○四∼一八八四︶等は、ここでいう下種を 規定して、円乗の教を聞法しこれによって発心を起こす ことまでを下種とする。あるいは円乗の法を聞法してそ の義趣を理解した時をはじめて下種と名づくと主張して いる。すなわち天台の三益論に於ける種益の意味は、前 述の如く衆生に本来潜在する理的な仏性を指すのではな く、仏の教説、あるいはその聞法を意味しているという ことであり、更にこの聞法とは円教の教説を聴受するこ とであり、これによって無明を破すべき功能を成ずるこ とを仏種と規定していたと思考することができる。すな わち三益論の所説にかぎって見るならば、天台教学に於 ては、元来同一意味を持つと思考される仏性と仏種の意 (I50)
味を区別していたと思われることが指摘できる。 ︹註︺ ︵1︶中村元箸﹃仏教語大辞典﹄ ︵2︶﹃観心本尊抄﹄昭和定本日蓮聖人遺文七一二頁 ︵3︶﹃法華玄義﹄巻一上大正調・剛・A 提婆達多は釈尊に対する反逆者として有名であり、宗 教的悪人の典型とされる。ところが﹃法華経﹄提婆達多 品において彼は成仏の授記を得る。この好悪両面の評価 を有つ提婆達多に対し、日蓮聖人は多大なる関心を向け られている。 聖人の遺文をひもとくとき、提婆達多に関する説示は 五十余箇所︵真蹟現存・曽存に限定︶を数え、それらを 整理すると次のような分類が可能である。 ㈹逆罪者⋮⋮釈尊への反逆者・敵対者