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天台教学に於ける仏種の下種と仏性 (第三十八回 日蓮宗教学研究発表大会要旨)

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Academic year: 2021

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H江戸の諸講中はほぼ江戸の各地に存在し、それぞれの 講の結成された地名︵町名︶を冠して講活動を展開して おり、その中では日本橋・京橋方面、本所・深川方面に 比較的多くの講中が存在していた。 ロ江戸での講中の活動は、一七世紀中頃から承られるよ うになり、一八世紀の半ばには諸講中が積極的に寺院の 行事に参加しており、それとともに講中数も増加を致せ ていき、講中数は一九世紀前半にその最盛期を承せてい た。 日講中の実数を把握することは困難であるが、年ととも にその数を増加させていき、最盛期には約二○○位の講 中が江戸に存在していたと思われる。 四これらの講中は、日蓮宗寺院の行事すべてに積極的に 参加していたのではなく、それぞれ講中の設立目的や地 域性をゑせながら自主的に寺院行事に参加していた。 谷方面の講中に著しい。

むすぴ

なお、詳細は拙稿﹁近世における庶民信仰の動向﹂︵立正大 学史学会編﹃宗教社会史研究Ⅱ﹄所収︶を参照されたい。 日蓮聖人は﹃曽谷入道殿許御醤﹄等に於いて、末法濁 悪の衆生を﹁本未有善﹂の機と規定され、これら衆生の 救済手段として天台の三益論に基づく仏種の下種を主張 されている。この仏種の語義は、仏となるための種子・ 仏の本質・成仏の種子等と訳され、元来は仏性と同義語 であるといわれている︵1︶。しかし仏性といった場合に は全ての衆生に本来潜在する普遍的な仏としての性質、 すなわち本有不改の仏となるべき因性であると解釈する ことができるのに対して、仏種といった場合には仏の種 であるから衆生が仏となるために新たに外部から投与さ れる因性であるというイメージがあり、この両者には元 来同一意を持つものであるにもかかわらずあい矛盾した 意味に取れるという問題を含んでいると思考することが できる。そしてこの問題は日蓮聖人の遺文中からも看取 することができる。すなわち日蓮聖人は前述の如く、末

天台教学に於ける仏種の

下種と仏性

日比宣俊

(149)

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法衆生に対する仏種の下種を盛んに主張される一方で ﹃本尊抄﹄に﹁仏既に過去にも減せず未来にも生ぜず所 化以って同体なり宮︶﹂と、事一念三千の立場から仏と 衆生の同体即具を論じておられるのである。すなわち ﹃本尊抄﹄の観心の立場からは、仏となるための因性の ない者は存在するはずがないということになるのであ る。しからぱ日蓮聖人は如何なる理由に基づいて仏種の 下種を主張されたのであろうか。そこで今回はこの点を 究明する前提として聖人の下種思想の一つの論理的依文 と思考される、天台智顎︵五三八∼五九七︶の﹃法華玄 義﹄巻一上に説かれる三益に関する所説を考察して承る ことにする。 周知の如く三益論は﹃法華玄義﹄巻一上の七番共解中 に説かれる三種教相の第二、化導の始終不始終の相に示 された法門であり、爾前経では釈尊化導の始終が未だ明 されていないのに対し法華経は化導の始まりが大通智勝 仏の法華経会座にあり、この時の平等の大益により成仏 の種が下され、この下種結縁によって調熟を経て得道す ることができると、法華経の超勝性を明したものである が、この文で先ず注目すべき点は、智顔が種子の意を ﹁巧に衆生のために頓と漸との顕と密との種子をなす ︵3︶﹂と規定していることである。すなわちここでいう 種子とは衆生に本来潜在する理的な仏となるための性質 を意味するものではなく、衆生を度脱させるために頓漸 不定等の説法方で施された教説を指していると思われる ことである。そして、この文に対する台家諸師の註釈を 見ると、荊渓湛然︵七二∼八二︶・慧澄擬空︵一七八 ○∼一八六二︶は種子の意を﹁円乗﹂あるいは﹁円聞﹂ すなわち円教の教説、あるいは円教の教説を聞法するこ とであると指摘し、更に宝地坊証真︵生没年未詳︶・大 宝守脱︵一八○四∼一八八四︶等は、ここでいう下種を 規定して、円乗の教を聞法しこれによって発心を起こす ことまでを下種とする。あるいは円乗の法を聞法してそ の義趣を理解した時をはじめて下種と名づくと主張して いる。すなわち天台の三益論に於ける種益の意味は、前 述の如く衆生に本来潜在する理的な仏性を指すのではな く、仏の教説、あるいはその聞法を意味しているという ことであり、更にこの聞法とは円教の教説を聴受するこ とであり、これによって無明を破すべき功能を成ずるこ とを仏種と規定していたと思考することができる。すな わち三益論の所説にかぎって見るならば、天台教学に於 ては、元来同一意味を持つと思考される仏性と仏種の意 (I50)

(3)

味を区別していたと思われることが指摘できる。 ︹註︺ ︵1︶中村元箸﹃仏教語大辞典﹄ ︵2︶﹃観心本尊抄﹄昭和定本日蓮聖人遺文七一二頁 ︵3︶﹃法華玄義﹄巻一上大正調・剛・A 提婆達多は釈尊に対する反逆者として有名であり、宗 教的悪人の典型とされる。ところが﹃法華経﹄提婆達多 品において彼は成仏の授記を得る。この好悪両面の評価 を有つ提婆達多に対し、日蓮聖人は多大なる関心を向け られている。 聖人の遺文をひもとくとき、提婆達多に関する説示は 五十余箇所︵真蹟現存・曽存に限定︶を数え、それらを 整理すると次のような分類が可能である。 ㈹逆罪者⋮⋮釈尊への反逆者・敵対者

日蓮聖人の﹁提婆達多﹂

解釈について

原 慎 定 ⑥悪知識⋮⋮阿闇世王等を教唆 ◎堕獄者 ⑨﹃法華経﹄提婆達多品における授記 ⑧提婆達多救済の論理 この中で、㈲と⑧の各側面については以前に個別的な形 で考察した虚︶・そこで今回は、聖人がなぜ提婆達多の 事蹟を頻繁に引用されたのかという問題意識に立って、 聖人の﹁提婆達多﹂解釈の全体的構造を浮きぼりにする ことに努め、なかでもその中核に位置する提婆達多救済 の論理性を明らかにしたい。 まず注目しなければならないのは、聖人は宗教的に ﹁善﹂なる存在である釈尊と、﹁悪﹂なる提婆達多との 敵対関係を、常に歴史上の事実として把握されているこ とである。このことから、聖人の認識における提婆達多 像は、いわば﹁善﹂と﹁悪﹂との矛盾的・対立的統一の もとに形成されていたのではないかと推察される。この 問題をより具体的に考察する上で、﹃開目抄﹄中の二つ の文が重要な手がかりとなる。 はじめの一節︵昭和定本五七五頁︶は、﹃観無量寿経﹄ における章提希の悲歎と釈尊への疑問が引用され、聖人 の見解が提示される部分である。すなわち、釈尊の春属 (ISI)

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