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〈書評〉高田馨著「経営の職能的構造」

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高田馨著﹁経営の職能的構造﹂

書 評

高田

宝尽﹁経営の職能的構造﹂

山 本 安 次 郎

 著者高田博士は今春中西博士の後を受け継がれた大阪大学の経営 学担当の教授で、今更ら紹介するまでもなく、現代ドイツ経営学の 代表者の一人たるグーテンベルク﹁経営経済学原理﹂の訳者として 広く知られているが、経営学者としてはドイツ経営学建設時代の三 巨頭の一人たるニソクリソシュの研究者として特異の存在を示して いる。いな、単なるニソクリノシュ研究者というよりはそのZ節。守 呂日2しかも熱心なるそれというべく、その私淑の深さは前著﹁ 経営共同体の原理﹂がニソクリッシ.一に捧げられていることからも わかるのである。ここに取上げる新著﹁経営の職能的構造﹂も前著 の基礎的理論に立ち、更にこれを具体化せんとするものであること が窺われる。そこでわれわれは本当の意義を知るために、両者の関 係から考察を進めねばならない。  先ず、前者はその副題の通り専ら﹁ニックリソシュ経営学の研 究﹂で、ニソクリソシュ経営学の基礎をなす﹁組織論﹂における彼 穴山 独特の組織法則の根本的理解から出発して、この組織法則の主著 ﹁経営経済﹂への滲透を明らかにしつつ経営の共同体的組織理論を 展開せんとするものであった。ニックリッシュが無条件で﹁経営学 の父﹂といえるかどうか、その経営学説が今日どのような意味をも つか、更にその組織論が今日の組織理論においてどのような地位を 占めるかは、時代と見方によってさまざまであり得る。それはここ での問題ではない。ともかく、ニックリッシュがドイツ経営学史上 重要な地位を占め、賛否の如何にかかわらず経営学をやるからには 誰でも先ずこの学説を知らねばならないことはいうまでもない。そ れが、高田教授の情熱的な研究によって、誰にでも容易に接近し得 ることとなったのは、わが学界に対する大きな貢献といわねばなら ない。  ところで、経営学が文字通り﹁経営の学﹂であるとするならば、 経営学の本道は﹁経営﹂そのものの研究であろう。しかし、その ﹁経営﹂の研究はどこからでもよいというものではない。経営に必 然的にして固有の立場ないし見地からなされるのでなければならな い。これを反省し確立するところに学説史研究や学理研究の意味が ある。この意味にて、高田教授の前著﹁経営共同体の原理﹂はニッ クリッシュ経営学理論の研究を媒介に実は自己の経営学的立場の確 立であったと見てよかろう。もし、そうであるとするならば、その 確立された立場からする教授自身の﹁経営﹂の現実的研究が期待せ られる訳であり、そしてこ.の期待に応えようとする試みの︸つがま さに新著﹁経営の職能的構造﹂であるといえるであろう。事実、わ

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れわれが両者を対比しながら検討するならば、このような関係が理 解されると思われる。それ故に、もしこのように見ることが許され るとすれば前著は、高田教授の経営学的発展にとっては、重要では あるといっても、ただ予備的消極的意味にすぎないのであるが、こ れに対して新著は本格的積極的主張を含むものとして一層重大な意 味をもつことが感知せられるであろう。その意味から、本書の公刊 は、高田教授個人にとって記念すべき業績であることはいうまでも ないが、わが国経営学界に対しても前著以上の貢献といわねばなら ない。  わが国では、この二三年来﹁経営ブーム﹂とか﹁経営学ブーム﹂ とかということがいわれている。実際、ジ廊ーナリスティックなも のが横行している。しかし真に経営学の発展を期するものから見れ ば、それはむしろ転換期或いは変革期における経営学の﹁危機﹂を 意味しており、そのような表現自体苦々しい限りである。そのよう な時だけに、むしろ根本的にして深い研究こそ望ましく、本書のよ うな経営、経営組織の根本に関するアカデミソクな研究の意義と価 値とは大きいといわねばならない。われわれは教授の絶えざる精進 と努力を知っているだけに、改めて敬意を表せざるを得ない。ここ に本書の紹介を試み、感想の一端を述べて見たいと思うのである。 二  以上われわれは高田教授の両者を比較しながら、新著の意義を考 えたが、本書の内容の紹介に入るに先だち、更に本書の根本的構想 高田馨著﹁経営の職能的構造﹂ と課題について考察しておく必要がある、これによって本書の理解 を助けることが出来るからである。  さて本書は﹁経.営の職能的構造﹂という標題にはなっているけれ ども、 ﹁経営﹂或いは﹁経営組織﹂の全体を然るものとして問題と するのではなく、その部分、しかも基礎的ないし中心的部分たる ﹁生産組織口職能構造﹂或いは﹁生産関連における経営組織﹂を対 象とするの・である。ここにおける﹁経営﹂は恐らくドイツ語のべト 逃馬プに当るであろう。  著者が﹁開題しとしてその根本的立場を述べるところによれば、 経営とは﹁派生経営︵11企業︶﹂であり、経営行為の内容は﹁生産 と分配﹂であり、その要因は﹁人閥と資本﹂であるが、歴史的には先 ず資本の問題性が﹁経営財務﹂として先行し、人間の問題性が﹁経 営組織﹂として継起した。かくて経営学の対象としては.この経営財 務と経営組織があげられるという。経営組織は生産に関連しては職 能的構造、分配に関連しては社会的構造といわれる。著者はそのう ち本書の対象としてただ﹁生産組織11職能構造﹂に限定するのであ る。その理由は明示せられてはいないが、これが経営の中心問題.或 いは基礎的問題をなすばかりでなく、筆者の推察するところによる と、次の如きその見地の特質によるように思われる。著者の方法に おいては、見地が対象を規定するからである。  然らば、著者の見地とは何であるか。それは著者独特の﹁経営分 業原理﹂という見地である。これが何を意味するかは後の問題とし て、それがニックリッシュの組織法則特に形成の法則の新解釈に基 1 六三

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高田馨著﹁経営の職能的構造﹂ つくものであることは明らかである。著者は前著﹁経営共同体の原 理﹂におけるニノクリンシュの組織法則の解釈にてこれを示してい る。そしてこのような見解のよって来るところは古く、著者の学生 時代におけるスミス分業論の感銘に由来すると﹁序文﹂で告白して いるどころである。そして長い思索と絶えざる研究の結果到達した のが、この﹁経営分業の原理﹂なのである。  著者は﹁序文﹂にいう﹁﹃経済学の父﹄アダム・スミススと﹃経 営学の父﹄ニンクリノシュがともに経営分業の原理を経営生産活動 の基本原理としていること、さらに、多くの内外の経営学者が随所 に分業地に言及していること、さらに、最近ではグーテンベルクが ﹃アメ﹂力経営学の父﹄F、W・テーラーとアダム・スミスとの分 業原理における関連を指摘していることなどを知ることによって、 経営分業原理を経営の生産組織11職能構造の根本原理とすることが 決して独断でも見当外れでもないとの確信を得た。L  かくて、著者自ら本書の根本構想を語りその要点を次の如く要約 する。 ﹁第一に、経営の職能的講造に関する概念的規定のみならず も  ぬ  へ  も  つ  ヤ  ミ 具体的な諸問題をも採り上げ、それらを経営分業原理で一貫的に説 明しようとした。第二に経営分業原理を経営能率の原理として、 しかも、経営構成員のいわば主体的協働におけるそれとして理解し た。第三に、経営を経済単位の一種と解する以上、右のような意味         し  も  へ の経営分業原理は経済量、しかも、経営構成員の主体性が投射され た経済量としての経営成果にかかわるものとして理解した。﹂  右の如くして、著者のいわゆる経営分業原理をもって生産組織巨 六四 職能構造を一貫して統一的に説明せんとするところに、著者の狙い がある。本書の副題が﹁経営分業の原理﹂となっていることも肯け るが、或る意味ではむしろそれこそが主題をなしているともいえる のである。恐らく、著者が積極的に主張せんとするのもこの点であ り、理論的に見る限り、本書の評価もこの点に関することは否定し 得ない。それ故に、以下におけるわれわれの考察もこの点を中心に 行われねばならない。一体、 ﹁経営分業の原理﹂とは何を意味する か、ニックリッシュの組織法則特にその形成の法則一fそれは一般 的には組織原理といわれるものである11をなぜ特に﹁経営分業原 理﹂といわねばならないか、単なる名称の聞題か、何か実質的な意 味があるのか、これである。 三  以上述べたるが如き意味において、本書は﹁経営の職能的構造﹂ を問題とするものであり、それを特に﹁経営分業原理﹂から展開せ んとするものである。そして、本書の内容を一見するだけでも、著 者が﹁経営分業﹂に如何に重点をおいているか、われわれがその副 題こそむしろ主題をなしているという理由も理解されるであろう。 本書の内容を示す聖別は、 ﹁開題﹂として著者の経営学的立場を示 した後、次の如くである。  第一章 経営分業の原理  第二章 経営分業の形成  第三章 経営分業の構造

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 第四章 経営分業の発展  第五章 経営分業の運営  第六章 経営分業の利益  第七章 経営分業の弊害  われわれはここでは、何よりも先ず、本書の眼目をなすところの 第一章の﹁経営分業の原理﹂について考察しよう。これが前著﹁経 営共同体の原理﹂に根源をもつこと上述の如くであるが、それとの 関連は読者の研究に委ね、ここでは本書における著者の見解を三段 に分説しながら明らかにするに止める。  ω 経営分業の意味 著者は経営生産組織の本質的特徴を求め、 ﹁基本概念の伝統性にかんがみつつ、経営生産組織の特質を把握し ている根本原理として、われわれは経営分業の原理を採る﹂と断定 する。何故か。著者は﹁生産行為の目的の一元性﹂と﹁生産行為の 担い手の多数性﹂との対立から﹁経営分業の必然性﹂を導き出し、 この必然性をもつ事実からその原理性を明らかにしょうとするので ある。  しかし、著者のいう経営分業とは何か、先ずその意味を問わねば ならない。著者においては経営分業は単なる分労や分業とは異る。 経営分業とは著者独特の概念なのである。 ﹁生産目的の分割したが       リ  へ      も  も ってまた生産行為の分割を分業といい、その統一の面を協業という ならば、経営生産行為は.常にこれらの統一体としてあらなければな らない。⋮⋮この統]体が経営分業にほかならない。﹂分化と合一、 分労と合労など言葉は異るが、経営分業は常にそれらの統一を意味 高田馨著﹁経営の職能的構造﹂ しているとする。著者はこの自説の論拠としてニックリノシュ、メ レロヴィンツ及びゾンバルトの説を研究し、何れも経営分業組織に 外ならないことを示すのである。しかし果してそうであるかどう か、ここに問題のあることを指摘しておきたい。  ω 経営分業の原理性 経営分業が経営生産に必然的であるとい うことは﹁分業方式を採ることが経営生産行為の目的たる生産力の 増大に本質的関運をもつ﹂からである。著者は原理ないし原理性に ついて直接説明をしていないけれども、経営分業と経営目的たる経 営生産力増大との本質的関連のうちにその原理性を認めていると思 われる。著者によれば、この本質的関連の内容は作業技術の合理化 つまり主体的、客体的及び媒介的合理化に外ならない。この分業と 生産力に関する学説として、有名なスミス、マルクス、ビュソヒア ーの分業論を要説するのである。しかし事実性と原理性とは如何な る関係にあるであろうか。  ㈲ 経営分業の本質 分業に二つの基本類型のあることは古くか ら指摘せられている。社会的分業と技術的分業ほ経営分業がこれで ある。そしてコ分業のうち社会分業の研究は祉会経済学の課題であ り、経営分業の研究は経営学の課題である。L 両者は本質を異にす るからである。両者の差は構成過程と構成原理に現われ、前者は 前提継起の関係であり、後者は自然的と計画的・意志的であるとい う。 四 六五

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高田馨著﹁経営の職能的構造﹂  以上の如くして、経営分業の意義と原理性が確立されたから、以 下の諸章はこれを中心とする諸問題か取扱われることとなる。  第二章では﹁経営分業の形成﹂か問題となる。これは一般の組織 論ではoHσq。ゑN冒αqといわれ、組織形成の作用過程の解明に外なら ない。だから、ここでの問題も同様であり、それは ω経営分業の 動因としての経當職分の意義と内容、職分の分割と担い手、職分と 職能、ω経営分業の形成条件としての技術と分業、㈲経営分業の形 成順序の考察であり、明確な組織形成の理論が展開せられる。この ようにして形成せられた経営分業は如何なる構造をもつか。  第三章﹁経営分業の構造﹂がこれに答える。組織溝造はいろいろ に考えられるが、著者はこれを垂直的系.列と水平的系列との統一と 見、垂直体系の構造と水平体系の構造とに分析して考察する。前者 は一般にいう管理構造の問題であり、後者は業務構造の間題であ る。ドイツ組織論における関係論と過程論の問題に愚ならない。  いうまでもなく、経営分業の構造は↓定の発展の水準をもつ。高 度のものも低度のものから発展したのである。この点を問題とする のが、第四章﹁経営分業の発展﹂である。そしてそれは古くから職 能分化の問題として.取扱われて来たものである。著者はこれをω職 能分化の原理、ω垂直的職能分化過程、㈲水平的職能分化過程、㈲ 全体的発展に分ち詳説するのである。  以上の原理、形成、構造、発展に続いて、第五章は﹁経営分業の 運営﹂を取扱う。本章に著者が如何に力を入れているかはその品数 がほぼ前四章に匹敵することからも分るであろう。 山景       ヤ  も     ヘ  へ  ここでの問題の至心は権限である。著者によれば、 ﹁運営は権限 にかかわる﹂からである。しかし、それは運営の問題である前に、 形成の象皮であり、構造の問題であり、.発表の問題でなければなら ないであろう。それはともかく、ここでは ω職位、 ②管理職位 ︵インスタンツ︶、 ㈲管理範囲、働命令径路、㈲分権管理が取扱わ れる。何れも組織問題として重要なものであり、これまでにも.取上 げられて来たものではあるが、ここでは特に詳細に説かれている。 特に、管理範囲の問題や分権管理の聞題については努力の跡が見ら れ、異彩をはなっているように思われるのである。  このようにして、経営分業の、いわば解剖学と生理学が展開され たのであるが、それは如何なる利害得失をもつか、いわば保健衛生 学が取上けられねばならない。これに答えるものが、第六章﹁経営 分業の利益﹂と第七章﹁経営分業の弊害﹂である。  経営分業の利益は、上述の経営分業の原理から明らかなように、 経営生産力の増大、能率増進に外ならない。著者はこれを ω経営 分業の人的利益、②経営分業の物的利益、⑧経営分業と経営成果に 分析して論じている。経営分業の物的利益はいわゆる大量の原理と 考えられるが、それが真に意味をもつのはより大きな経営成果をも たらすからである。かくて、経営分業は経営成果との関係において 考えられねばならない。経営分業原理と経営成果原理との統一とし て考えられねばならない。それは恰もニックリッシュの組織法則が 形成の法則と維持、の法則との統一からなるのと同様である。われわ れはここに著者の真面目を見るべきであろう。

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 最後に経営分業の弊害であるが、著者によれば、それは ω労働 者の貧困化の激化、②労働者の抽象化である。心理的抽象化、肉体 的抽象化、技能的抽象化と呼ばれるものがこれである。ここから、 これに対する方策として、一方では、圖労働者の自助が問題となり 他方ではω資本家や経営者の管理対策が問題となる。一方は労働運 動であり、他方は労務管理の間題に外ならない。しかしその労資関 係または労便関係はどのようなものであり、またその対立緊張の基 底はどのようなものであり、その帰趨はど.こか。著者は経営の職能 的構造11経営分業組織と社会的構造の相互制約関係から、㈲経営共 同体の基本性を指摘するのである。そしてわれわれはこのような考 え方、 ﹁経営共同体の原理﹂が本書の問題たる経営分業の諸問題の 根雨を貫いていることを改めて注意せねばらなない。前著が本書の 基礎をなしているのは明らかである。 五  以上われわれは本書成立の意義の考察から出発して、本書におけ る著者の根本的構想を解明し、進んでその内容にふれ、問題の所在 を著者に従いつつ明らかにし、不十分ながらともかく↓応これを紹 介し得たのではないかと思う。その根本見地は多年に亙る学説の研 究、経営の現実の洞察、これを基礎とする論理的思索の結晶として 確信に満ち快力の乱麻を断つが如く、問題を簡単に割り切って些か の渋滞もないだけに、この立場を認める限り、本書が首尾一貫せる 構成を示し、生産組織−経営の職能的構造−経営分業に関する諸問 高田馨著﹁経営の職能的構造﹂ 題の統一的把握を誇っていることを認めざるを得ない。その全体系 を通覧するとき、何人も著者の企図と構想がうまく、余りもうまく 展開せられていることに驚ろくであろう。その点、一応成功せるも のといえるであろう。もちろん、経営学の学理、経営学における組 織理論の地位、組織の本質観、経営組織の意義など何れも学問の根 本に関連する問題であるだけに、本書において取扱われている問題 についても、問題といえばすべてが問題であり、疑問といえばまた すべてが疑問ともいえるであろう。しかし、学問の進歩は問題の提 起にあり、これを統一的に把握し、説明せんとする企図にある。問 題提出の書、新企図の書として見るも、まことに貴重にして意義深 き労作といわねばならない。特に、経営組織の問題は今日の経営の 在方或は経営構造の改善の問題との関係において重要であり、理論 的研究が要請せられながら、しかもなおこれに応え得るだけの根本 的労作の少い時だけに、特にドイツの組織論を消化する本格的な経 営組織論に先鞭をつけるものとして本書の意義は大きいといわねば ならない。その点、著者の努力は感服の外はない。とはいうものの、 全く問題のない訳でもない。与えられた紙数に制限もあること故 に、経営学論の問題点にはふれないで、ただ読後感として最も大切 と考えられる経営分業の原理についての二、三の疑問点を述べて見 たいと思う。  先ず、第一は、著者の根本概念たる経営分業の意義である。生産 組織だけではなく広く経営組織や経営そのものが分業一分化、専 門化、職能化、部門化、活動分析などと人によって言葉はさまざま 六七

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高田馨著﹁経営の職能的構造﹂ である一との必然的関係をもっていることは著者のいう通りであ る。そしてその分業が協業を予想し前提することも著者のいう通り である。なるほど、分業・分権における﹁分﹂は﹁共﹂であり﹁与﹂ である。だからといって、分業が協業を含むとか、分業特に経営分 業が分業と協業との統一であるということはどうであろうか。飛躍 であり、行きすぎではなかろうか。もし、そのような主張が成立つ ならば、反対に、協業こそが分業を含み、分業と協業との統一であ るということも同一の権利をもって主張し得る筈である。著者のい う経営分業は言葉はともあれ、むしろ分業的協業ないし協働体系︵ バーナード︶すなわち組織の原理であり、組織そのものを意味して いることは明らかである。組織論にして、組織が分化と統合、分割 と統一、分散と集中、分労と合労︵協働︶、 分肢化と↓体化などと いう互に相反し相対立する作用の統一として成立ち、存立し、発展 することを認めないものはない。この組織の原理や組織そのものを 経営分業といい換えたとて事実は変らず、むしろ誤解を招き易く無 理というべきではあるまいか。分業はむしろ固有の意味に分化の方 向において解すべく、その意味にても経営分業の原理はなお十分意 味をもつこと本書の示す通りである。要するに、ニックリソシュの 形成の法則を直ちに経営分業の原理と解することは無理のように思 われる。その他の学説の理解も同様にいえる。そのことは各章の複 雑な組織問題をすべて統一的に分業原理をもって説明しようと拘泥 しすぎ、余りにも形式を整えることに堕する結果となっていること からも明らかである。例えば、経営分業の利害︵第六章、第七章︶ 六八 という場合の経営分業、形成せらるべき経営分業︵第二章︶と経営 分業の原理という場合の経営分業とは明らかに意味を異にしてい る。著者においては、経営分業は原理でもあり、その原理を適用せ るべき対象でもあるのである。しかし、われわれは組織論の見地か らは原理としての経営分業と組織としての経営分業は区別すべく、 原理としても単に経営分業の原理のみを主張するよりはむしろ経営 分業の原理と経営協働の原理との相互媒介的統一を説く通説が妥当 であると考えざるを得ない。  第二に、経営分業の原理と形態の問題である。分業と能率とが本 質的関連をもつといっても分業さえ行えば能率があがるというもの ではない。具体的現実的には分業は形態をもっている筈である。そ の形態によって能率も異る筈である。分業の事実性は直ちに原理性 を意味しない。分業が問題なのではなく、合理的分業が問題なので ある。原理は分業であるより合理性の筈である。著者も経営分業の 原理に従いながら、経営分業の形成、構造、発展をとくが、そしてそ れは分業の形態、特に合理的形態と関連をもつからであろうが、直 接にはこの点を聞題とせす分業の事実性と原理性を明らかにしては いない。ニソクリノシュの形成の法則は正に形態の形成を意味し、 形態の問題は重要な意味をもっている。それは原理性の具体化と関 連するからである。この形態の閥題が形態の問題として取上げられ ないのは、組織を組織として見ないで、経営分業として考察するこ とから由来するといえないであろうか。著者も分業を主体的、客体 的、媒介的に分析しているが、それは決して形態的思考ではない。

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この点も経営分業の原理には限界があるように思われる。  第三に、著者は経営組織が生産面に関著する限り、これを職能的 構造といい、分配面に関連する限りこれを社会的構造という。社会 的構造が何を意味するか、明らかではないが恐らく人間関係や無形 式組織を含むと考えられる。然るに本当の中心課題たる経営の職能 的構造は明らかに形式組織を意味し、人聞関係や無形式組織は排除 されている。わずかに触れられてはいるが、正面からは取扱われて いない。伝統的な経営組織  職能構造はこれを意味する∼は専 ら形式組織を指して来たが、今日では生産組織でさえ人間組織と考 えられねばならないこと周知の通りである。経営組織の中心が形式 組織にあるにしても、無形式組織を無視することは今日の組織論と しては不備といわなくてはならない。そしてこれを取上げ得ないの は経営分業の原理の性質上やむを得ないというべく、そこにもこの 原理の限界が見られる。  以上著者の立場について卒直な感想を述べたが、或いは著者の真 意を誤解したり、筆者の思い違いにすぎない点があるかも知れな い。教授の宥恕を乞うと共に教示を得たいと思うところである。組 織の問題は非常に難しく、考え方もいろいろあるのではあるが、右 の批評が単なる見解の相異として葬り去られることなく、何等かの 意味で斯学の進展に役立つことを望むものである。それはともかく われわれはこの批評によって本書の価値がいささかも損ぜられるも のではなく、依然としてこの方面における最高水準のしかも極めて ユニークな研究として高く評価せらるべきことを疑うものではな い。経営組織の問題を学ばんとするものに是非精読をすすめるもの である。 ○ 高田馨著﹁経営の職能的構造﹂ 六九

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