『ヒュペーリオン』の生成
-。Eχzentrishe Bahn“から「運命」ヘー
山 根 宏 (文理学部・独文学研究室)
Die Entwicklung von Holderlins ≫Hyperion≪
-一一von dexeエzentrischen Bahnzum Schicksal-・
Hiroshi Yamane I Seminarfur deutschePdiEologteder philosophisch-naturwissenschaftlichen Fafeulfdt 序 ヘルダーリンの唯一の小説「ヒュペーリオン」は1792年夏に着手された最初の草稿,テU−ビン グン稿から1798年の完成と考えられる決定稿の第H部(第1部は同年4月に既刊)に到るまで六年 にわたる成立史をもっており,この間ヘルダーリンは絶えることなくこの小説に取り組み1五回の 書き直しを行なっている(1).各稿を成立順に挙げれば次の通りである.(括弧内は当該稿に携わっ ていた期間を示す.) テュービングン稿 (1792年夏-1793年末) ヴァルタースハウゼン稿■ (1794年初頭一同年秋) 韻文稿 (1794年11月-1795年1月) 「ヒュペーリオンの青年時代」 (1795年1月一同年夏) 最終前稿 (1795年夏一同年12月,遅くとも翌年5月) ljIrI・ 決定稿 (1796年5月一同年12月,もしくは翌年1月第1部完成, 1798年8月か9月,・第I1部 完成.) このうち最初のテュービングン稿は完全に散失しているがそれ以後の各中間稿は断片的であるにせ よ残されており,それによって決定稿に到るまでのこの小説の推移をある程度探ることができる. 1793年テュービングン神学校での業を了えたヘルダーリンはシラーの推挽を得てフォン・カルプ 家の家庭教師となるべく同年12月末ヴァルタースハウゼンに赴いた. 1795年1月に職を辞ずるまで のまる一年間,家庭教師を勤める傍,自分の時間の殆んどを費やして書き続けたのがテュービング ン以来の課題,「ヒュペーリオン」であり,イェーナに行く直前, 1794年秋にはかなりの分量が出 来上っていたと推定される.この草稿がヴァルタースハウゼン稿と称ばれるものであるか,その冒 ’頭の一部がシラーの主宰する『新タリーア』に序文を添えて掲載された.ヴァルタースハウゼン稿 そのものは残存しておらず,この稿に関しては「新タリーア」に載せられた部分だけが今日みるこ とのできる全てである.以下においては当然のこと,ながらこの「新タリーア」所載の分についての み考察し,これを「タリーア断片」と称ぷことにする. 「タリーア断片」は書簡体の形式をとっており,序文及び五通の手紙から成っている.この「タ リーア断片」については,ヴァルタースハウゼン稿の冒頭の二部というよりは寧ろ草稿全体のトル ソーである,とする見方もあるが(2).決定稿と比較してみたとき,そこにある程度の筋の照応を 認めることが必ずしも不可能ではないとはいえ,やはり切り離された断片のもつ未完成さは拭いき れない.またヘルダーリン自身が友人ノイファーに宛てて「この小説の最初の五通の手紙は冬には
84 高知大学学術研究報告 第24巻 人文科学 第6号 「タリーア」誌上に載るだろう.」(1794年10月10日)と明言している以上,この手紙の資料的価値 が全く否定されない限り,上のような見方には首肯しえない. 1794年11月ヘルダーリンはフォン・カルプ家の教え子を連れてイェーナに行く.教育上の成果が おもわしくないところからなされた一種の転地療法であったが効果はなかった.しかしヘルダーリ ンにとっては,このイェーナ行きでフィヒテの講義を聴くことができ,シラーの家に出入りし,ゲ ーテやヘルダーの面識を得ることのできたのであるから有意義なものであったとはいえる.この間 に書かれたのが韻文稿である. 結局1795年1月に家庭教師の職を辞し,その時に得た退職金で初めてイェーナでの自由な半年を過 ごす.ヴァルタースハウゼン時代のヘルダーリンの哲学的関心は専らカントとギリシヤ哲学に向け られていたが,このイェーナ滞在中はフィヒテに注がれ,友人ノイファー,弟,ヘーゲル等に宛て た手紙には随所にフィヒテの哲学への熱っぼい言及がみられる. 同年5月末,突如としてイェーナを離れ,故郷ニュルティングンて一夏を過ごすがこの間に「ヒュ ペリオンの青年時代」がこれに先立つ韻文稿を修正するかたちで書かれる. 両稿においては「タリーア断片」の轡簡体形式は破棄され,rタリーア断片』の主人公ヒュペーリ オンを彷彿させる「私」が,自然と調和した平穏な生活を送っている一人の老人を訪ね,この老人 が「私」に彼の若い頃の話を語ってきかせる,という枠小説の形式が採られている.何れの稿も断 片にすぎないが,そこでみる限り,現在の「私」と若き日の老人との間には多分に共通した傾向か 認められ,作者は自分の在り方に飽き足らないでいる「私」に,老人の口を通して彼の到達しうる 一つの可能態を教えさせる,という意図をもっていたと推測される. 尚,「タリーア断片」においてヒュペーリオンの出会う女性はメリーテであったか,rヒュペーリオ ンの青年時代」で初めてディオティーマの名が登場していることは,この稿において自然と人間 の対立という問題に解決を与え得るものとして「愛」が考えられ,一 のエd−ス論が展開されて いることと相依って,この稿とプラトンの「饗宴」との繋がりを示すものとして注目に値する13〉. 最終前稿で形式は再び書簡体に戻る.五つの断片が残:されているこの稿は,「タリーア断片」の 序文の前半を大きく引き伸ばした序文が添えられていること,最初に登場する友人アダマスは「タ リーア断片」でヒュペーリオンと共にトロヤ地方への旅行に出かける同名の知人よりは寧ろ,気性 の激しさ,ヒュペーリオンとの不和などから決定稿におけるヒュペーリオンの友人アラバンダに近 くなっていること,新しい人物としてヒュペーリオンの下僕が登場する,といった細かい点を除け ば,「ヒュペーリオンの青年時代」をそのまま再録した箇所も幾つか見られ,とりたてて新しい大 きな変化は認め難い. 最後の決定稿は前稿に引き続いて書簡体小説で,・第1部と第H部に大きく分かれ,更に夫々二巻 づつから成っている.この決定稿に到って漸くその特色が発揮されてい乙『ヒュペーリオン』(決 定稿)という書簡体小説についてー言触れておく.例えば「若きヴェールテルの悩み」における書 簡体形式は,小説とは本質的に過去時称である/というトーマス・マンの有名な言葉に象徴される 小説の過去性を打破し現在性を付与せんとする企てであり,今まさにヴェールテルが生き,愛し, 悩む姿を活き活きと描き出すための手段であった.しかし同じく書簡体小説とはいっても「ヒュペ ーリオン」(決定稿)の場合は趣きを異にするm. 友人ベラルミン宛の一連の書簡の中でヒュペーリオンが語ってきかせるのは過去の物語である. つまり,語り始める時点においてその語られる内容である出来事は既に完了してしまっているので ある.この点で寧ろ枠小説に近い感じを抱かせるか,その場合通常の枠小説では語り手は物語りを 語る以上の機能をもたず,枠組を含めた小説全体の中では語られる物語の主人公ないしは目撃者と してしか生きていないのに対し,「ヒュペーリオン」ではヒュペーリオンは「過去」の物語りの主
「ヒュペーリ オッ」の生成 (山根) ●a5 人公であると同時に語りつつある一人の人間としてまた生きているのである.‘つまり語られる過去 の出来事が彼にとって一つの体験であったと同じく,今こうしてそれを語ることが彼にとって現在 の体験であり,語るという行為によって現在のヒュペーリオンが新たなる変容を余儀なくされてい るのである.ここに,語られる過去の物語の時間と,語っているヒュペーリ牙ンの現在の進展とい う二重の時間層が生じ,この作品を独自なものにしている.「ヒュペーリオン」(決定稿)を論じる 場合この独特な構造は極めて重要な問題となることは疑いないか,本稿は小説「ヒjペーリオン」 の生成に関する考察であり,ヘルダーリンの小説理論はともかく,小説に現われたヘルダーリンの 思想を主要人物群の間に読もうとする場合,語られる「過去」の物語の中からでも抽出可能と思わ れるので,構造自体への詳論は避け,主として「過去」の物語の範囲内で考えるものとする(5). 以上簡単に各稿について触れてきたが,以下の本論において,「タリーア断片」と決定稿を中心 に小説「ヒュペー゛リオン」の生成を考察してみたい. Exzentrische Bahn テュービングン時代の後半, 1790年∼1793年にかけてヘルダーリンは夥しい数にのぽる讃歌を作 っている.これら一連の讃歌群は確かにヘルダーリン一流の力強い表現に満ちておりこの点に於て 例えば友人のノイファーやマーゲナウから遥かに擢んでてはいるものの(6)読む者の心を深く揺り 勁かすといった底のものではない.これらの讃歌においては誉むべき対象一標題の上では実に多 様であるが内実的に大きな差異があるわけではないーと誉めたたえる主体ぷ詩人とが幸福な未分 化の状態にあり,この未分化から生まれた詩はすぐれて自己完結的な世界を構成して第三者の介入 を拒むかのような力を備えているため,感情の昂揚にまかせて謳いあげる力が強ければ強いほど読 者には縁遠い空疎なものに響く
,,Hymne anan denden GeniusGenius derder Jugend“ と題する讃歌もこの時期に成立したものの一つである. (1792年3月∼4月)この詩は110余行にも亘る長いものであり,ここに引くことはできないが,
その内容は,世界の上に君臨し万物を生気づけその加護なくしては如何なる美といえども存在しえ ないGenius der Jugend を,いわばその実例をギリシャ神話に求め,神話的形象を散り嵌めなが ら誉め讃えたものといってよかろう.この詩からは,讃歌を謳うことがそのまま神々の宮居に達す ることを一点の曇りもなく信じているかのような無邪気さが看取される.
ところでこの詩は二年後のヴァルタースハウゼン時代(1794年10月中旬)に。Der Gott der Jugend“と標題を改めて作り直されている.しかし改作とはいっても,ヘルダーリンかノイファー
宛の手紙(1794年10月10日付)の中で言及しているところから辛うじて両者の繋がりを認めること ができるものであって,そうと知らなければ標題の類似こそあれ,前の讃歌の改作とは殆んど判断 されないであろうほどの変貌である.この詩は7聯から成り各聯8行,計56行,と前作のほぼ半分 の長さに短縮されている.冒頭の3聯を次に引く.
Gehn dir im Dammerlichte, Wennin der Sommernacht Fur seligeGesichte
Dein liebend Auge wacht, Noch oft der Freunde Manen Und, wie der Sterne Chor, Die Geisterder Titanen Des Altertums empor,
86 高知大学学術研究報告 第24巻 人文科゛ 第6号
-Wird da, wo sich im SchSnen Das Gmtliche verhijllt, Noch oft das tiefe Sehnen Der Liebe dir gestillt, Belohnt des Herzens Muheri Der Ruhe Vorgefiihl, Und tont von Melodien Der Seele Saitenspiel, So such im stillstenTale Den blijtenreichstenHain, Und gieB aus goldner Schale Den frohen Opferwein ! Noch lachelt unveraltet Des Herzens Friihlingdir, Der Gott der Jugend waltet Noch iider dir und mir.
まず第三聯に到ってようやく主文である命令文が現われていることが目を惹く.命令文に先立つ 二聯の長い条件文は,命令文の強さを発揮させるという修辞的効果をもっていることは否定できな いが,この詩において条件文をこれほど長くさせているのはそういった修辞的技巧というよりは, ある慎重さ,つまり命令を下すことを前にしての慎重さであると思われる.即ち,詩人はここで 闇雲に力強く命令しているのではなく,入念に時と所を選び定めた上で,甫めて命令を下しうるの である.このことは,この命令が極めて特殊な情況のもとでしか下されえないということ,言葉を
換えれば,ここに選ばれた惰況以外においてはder Gott der Jugend を称える行為,即ち犠牲の
盃を大地に注ぐも空しいことを物語っている.第三聯後半の4行は,やや形を変えて最終聯後半に もう一度そっくり現われていることから考えても巾,:かなりの力点の置かれた4行であるといえよ う.だが力をこめて置かれたこの4行がこのような形でしか表わされえないという事実が,微笑み
かける春,君臨するGott der Jugend の存在を強めると同時に弱めてもいる.つまりこのnoch
といういい方はnicht mehr を暗黙のうちに前提しており, Gott der Jugend は一般的にはもはや 存在せず特殊条件のもとでのみ存在しうるということを意味しているからである. 普遍的存在から特殊的存在へ,という神(或いは神々)の移行は,しかし,神そのものの変身を 意味するのでは勿論なく,詩人と神或いは神々との関係が移・り変ったというのに他ならない.かっ て神々は詩人がいなくても世界に存在しており,詩人はいねば,神々を乱さないという条件つきで その世界の中に共に在る.ことが許され相互の対立を前提しない調和的存在を有していた.しかし今 や神々と詩人は何れも調和的に自立して在るのではなく,相互に関係的な存在に変って了っている のである.この関係的存在という新たな事態は神々の側からではなく,詩人=人間の側の内的変 化,即ち人間の精神(Geist)が人間的側面と自然的側面とに分裂してしまったことによって惹き起 こされたものである.人間的側面,自然的側面という言葉はあまり適切ではないかもしれないが, ここでは,人間の精神の活動がもっている,自らを自己として自然から区別し,自己を拡大するこ とによって自然から無限に隔たろうとする傾向が人間的側面であり,一方これとは逆に自己を自然 の一部に組み入れようとする傾向が自然的側面であ‘る,と理解されたい.
「ヒエペーリ オソ」の生成 (山根) 87
できるといって差し支えないが,これらと同義語にニ用いられることもあるGeistについては必ずし
もこのことはあてはまらない.それは例えば次に挙げる例からも了解されよう. (Geistの下線は
引用者)
(1) Heilige Gefaee sind die Dicher, Worin des Lebens Wein der Geist Der Helden, sich aufbewahrt, Aber der Geist dieses Junglings,
Der schnelle, miiBt er es nicht zersprengen,
Wo es ihn fassen wollte, das GefaB ? (Buonapart) (2) Da mein erst Gefuhl sich regte,
Da zum erstenmale sich Gottliches in mir bewegte,
Sauselte dein Ge組レum mich. (Diotima, altereFaS万S万ung) (3) Da im Hauche, der den Hain bewegte,
Noch dein Geist dein Geist der Freude sich
- - In des Herzens stillerWelle regte,
Da umfangen goldne Tage mich. (An die Natur)
(1)のGeistはポナパルトのGeistである.このGeistは自己を意識し無限に拡大することを 目指す人間の活勁を促すGeistである. (2)では自然と調和的に一体となっている人間,ディオテ 一マ(8)のGeistが謳われる.従って人間の内部にあるからといってGeistは必ずしも一義的なも のではなく,上に述べた人間的側面の純粋培養された形としてボナパルトの内を満たしもすれば, 逆に,自我というものを一切もたずひたすら自然と共にあり続けるディオティーマの内で自然的側 面としてのみ存在することも可能なのである. (3)の用法では,呼びかけられる相手duはNatur
であるからdein Geist は自然のGeistである.このようにGeistは自然をその領域として遍在す
ることもあり得るのである. ・’ 以上の例から判るように, Geistは,人間の外部,即ち自然にも存在しーこの場合自然のGeist は自然そのものと同一視されることもある一一一一,人間の内部にもまた在り,後者の場合は更に自我 の極大化をすすめる人間的側面と,自我の極小化を目指す自然的側面に分かれている. かっては自然のGeistと人間のGeistとの分離はなく共に一つのGeistであった.しかし人間 の内部でGeistが二つの側面に分裂しその結果,自然のGeistと対立するような形で人間のGeist が生まれた.しかしこの両者は真に対立しているのではなく,人間のGeistの二側面が相克してい るが故に自然のGeistと人間のGeistとが一体になれないでいる,ということに他ならないj従っ て人間の内部で人間的側面が自然的側面を制する時,人間の精神(Geist)はそのまま自然のGeist と正面から向いあうものとなる.但しこの場合でも自然と人間が敵対するというのではない.これ については次のページでもう一度取り上げる.また逆の場合には人間のGeistは自然のGeistと 再び一つのものとなる.これがBegeisterungである(9).
先程の二つの詩に話を戻すと,初めの。An den Genius der Jugend“ においては自然のGeist
と人間のGeistとの間に分裂は生じておらず,改作された。Der Gott der Jugend“ では人間内部
の分裂及びそれに起因する自然と人間との離反が生じてい.るといえる.従って冒頭の2聯16行は比 喩的に表現すれば,人間の・Geistが自然的側面によって充たされ,神々従って自然との精神の交感 が生まれでる瞬間に到るまでの長い待ち時間であったわけである..
88 高知大学一術研究報告 第24巻 人文科学 第6号
一つの詩の改作を巡っていささか長きに亘って述Iべてきたが,狙いは二つの詩の比較そのものに あるのではなく,「タリーア断片」を論ずるに先立ってこの草稿を書いていた頃のヘルダーリッの 基本的な発想を探ってみようとする試みであった.
「タリーア断片」に附せられた序文の前半はその通りである,
Es gibt zwei Ideale unseres Daseins : einen Zustand der hSchsten Einfalt, wo unsre Bedijrfnisse mit sich selbst, und mit unsren Kraften, und mit allem, womit wir in Verbindung stehen, durch diebloBe Organisation 臨r i\Jatur, ohne unser Zutun, gegenseitig zusammemstimmen, und einen Zustand der hochsten Bildung, wo dasselbe stattfinden wiirde bei unendlich vervielfaltigten und verstarkten Bediirfnissen und Kraften, dur chdie Organisation,dievuir uns selbstzu seben imstande sind.Die exzentrische Bahn, die der Mensch, im allgemeinen und einzelnen, von einem Punkte (der mehr Oder weniger reinen Einfalt) zum andern (der mehr Oder weniger voUendeten Bildung) durchlauft, scheint sich1 nach ihren ■wesentlichenRichtungen, immer gleich zu sein. (斜体は原著者) 前段の9行は上に述べてきたところから容易に理解さ.れよう.人間のGeistが,自らを自然と区 別して認める自我の発現によって自然との分離を余儀なくされている現在,元のように自然との合 一に達する可能性はどこにあるかと問い,その答を,自然的側面をも包括した形で人間的側面が無 限に拡大し,分裂のない人間のGeistと調和的に向いあうという事態に求めているわけである.自 然のGeistと人間のGeistの関係は二つの色に喩えることかできる.分裂以前の人間のGeistは 自然のGeistと同じ色をもってそれに融け込んでいる.一方,分裂を経て人間的側面によって再び 統一された人間のGeistは自然のGeistの補色をもっている.この場合,人間のGeistと自然の Geistは同じ色ではないが,夫々が独自なものとして調和的に向いあっているのであるno). 前段についてはこの位にして,ここで取り上げたいのは後段の最初にみえるdie exzentrische Bahnなる一語である. この語については古くから様々な解釈がなされできたが(u). W.シャーデヴァルトが「楕円軌道 説」を発表するに至って(12),彼の説が大きな影響を及ぼすことになった(13). ヘルダーリンは同郷人にして且つ同じくテューピングン神学校の出身者でもあるヨハネス・ケプ ラーを讃える詩を作っており(1789年),友人ノイファー宛の1791年11月の書簡の中で,「僕は天文 学を夙くから始めなかったことを後悔している.この冬はそれが僕の関心の的となるだろう.」と 述べているように天文学には深い関心を抱いていたこと,更に「タリーア断片」に先立つ「ヒュペ
ーリオン」のテュービングン稿(14) の序文に既に。Wir durchlaufen alle eine exzentrische Bahn, und es ist kein anderer Weg maglich von der Kindheit zur Vollendung.“とこの語がみえるこ
と,などを論拠にシャーデヴァルトは「ここでは(「タリーア断片」の序文を指す) exzentrische Bahnは,本来の天文学的意味で用いられている. J(15)と断じている. 天文学上の意味で用いられているということは,このexzentrische Bahnは当然ケプラーの第一 法則,「惑星は太陽を一焦点とする楕円軌道を描く.」(. にある楕円軌道を意味することになる. そして,このようにexzentrische Bahnを楕円軌道と解すれば,ヒュペーリオン及び作者ヘルダー リンの感情の起伏,ある時には昂揚し感激に我を忘れるかとおもえばまたある時には沈滞しきって 自己の卑小感に苛まれる,といった両極性がケプラーの第二法則に対応する,即ち,第二法則,「面 積速度保存の法則」は軌道上を巡行する惑星は,惑星が焦点(太陽)から遠く隔っているときには 緩り進み,近接しているときには速く進む,という巡行速度の非等速性を表しているものである が,この第二法則と感情の起伏とを対比させれば,惑星の巡行速度の大小が感情の高低に照応す
「ヒュペーリオン」の生成 ._(山根卜_ 89 る.以上がシャーデヴァルトの楕円軌道説の概要である. 極めて独創的なこの説はしかしながら幾つかの難点をもっている. 先ず第一にシャーデヴァルトがテュービングン稿と看傲している草稿は,既に註叫に触れておい たように,今日では書体や綴字などの理由から最終前稿(1795年)と考えフられており,「ヒュペー リオ゛ン」の進展からみてもその方が妥当である.従って, 1789年のケプラー讃歌, 1791年の天文学 への関心の披億,と1794年の「タリーア浙片」との間には,天文学という項目に関しては連続性が 絶たれる.もちろん資料の上で不連続であるからといってそのことが直ちに繋がりが無いことを意 味するわけではないが,少くともシャーデヴァルトのように積極的にこの連続性を主張することは できなくなる.次に惑星の運行の非等速性と感情の起伏との照応についでであるが,前者は天体の 軌道上の運行のありさまであるのに対し後者はその運行する天体の内部のあり方である.喩えてい えば,太陽を巡る地球はその周りを公転しつつ自らも自転しているが,シャーデヴァルトは一方に 公転を他方に自転をおいてその両者を対比させているのであって,これは厳密な意味で照応関係に あるわけではない.最後に,これが最大の欠陥であるのだが,序文では「ある点から他の点へと exzentrische Buhn」を描く,と明らかに点と点とを結ぶ線を調っているが,惑星の運行する楕円軌 道は循環軌道である.シャーデヴァルト自身この最後の反論は予想していたかの如く次のように述 べている.(ヘルダーリンはほとんど,星の放物線或いは双曲線軌道を思い描いている. J(n)楕円 にはこだわっていないかのようなこのいい方は,しかしあまりにも大きな飛躍である.楕円軌道の 循環性を避けるため,非循環的な放物線,双曲線の軌道を考えたものであろうが,これらの曲線は 円錐曲線という総称のもとに一括される曲線ではあっても現われようは大きく異なっている.楕円 牧道説を活かそうと思えばシャーデヴァルトはここで放物線や双曲線をも,ち出すのではなく,楕円 の切り取られた一部としておくべきであったろう.だがそのように循環軌道を線分に分断してしま えば,それはもはや視覚的イメージの上でも論理の上でも楕円軌道ではなく,二点を繋ぐただの曲 線に解消七てしまう.ここに楕円軌道説は互解し,−・本の線だけが後に残される. L.ライアンもまたその著書。HOlderlins≫Hyperion≪“の最初の方でやはりこのexzentrische Bahnについて考察を試みている.ライアンはexzentrischと konzentrischという対概念を設定 し,前者を中心から離れようとする傾向,後者を中心に向おうとする傾向とし,自然を中心とする 両者の人間内部での対立が人間の在り方を規定している,と考える.人間内部に存する両つの傾向 という指摘それ自体は当を得たものではあるが,ヘルダーリンの描いているexzentrische Bahnの 像とは異なっているといわねばならない.序文にみたexzentrische Bahnは人間の成長過程として の径路であるのに反し,ライアンのこの考えもシャーデヴァルトと同じく人間の内面の両極性を説 明しているのに他ならないからである. 以上述べてきたことをふり返ってみると,シャーデヴァルトはexzentrische Bahn という本来の 天文学用語としての意味に引き摺られ,’ライアンはヒュペーリオン(ないし作者ヘルダーリン)の 内面的傾向とこの語との繋りを重視しすぎて,共に序文に述べられた事柄Iを曲げて理解していると いわねばならない.虚心に序文を眺めてみる限り,ここからは点と点とを結ぶ線,という像しか乏 んでこない. Bahnという名詞はヘルダーリンの詩の中では循環軌道としても,また非循環行路としても用い られており,この名詞の使用例からは何れとも決定できない.頻度からいえば後者の例が圧倒的に 多いが(筆者の調べでは約4:1の比率である. )n8).前者の用例は1789年から1791年にかけて全体 の半分が見出され,それらの場合何れも文脈から天体の軌道を指していることが明瞭であって,こ の序文のように道具立てなしに使用されていることはない. このようなことから,テュービングン時代のヘルダーリンはシャーデヴァルトのいうように天文
90
之 隻
学に深い関心を抱いており,そこからexzentrische Bahnなる術語を得た,しかしこの序文では術 語だけを天文学から借用し,本年とは異なった意味あいにおいて用いている,と考えることができ る.残るは,どのように別の意味で用いているかという問題である. ライアンはexzentrisch-konzentrisch という対概念を立てたが,筆者はexzentrischに対して zentrischを設定してみたい.ここでいう zentrischとは「中心的な」という程の意味であるがこ れは「点」ではなく「線」,つまりzentrische Bahnは二つの理想状態を結びつける直線であり, それに対してexzentrische Bahn とはその「中心線」から外れる形で二点を繋ぐ曲線である. 人間の成長過程が曲線であるとすれば,ここでいう直線として成育していく存在を何に求めるか が次の課題となる.ここで直線で表わされる生き方は,自然から一歩も離れることなく,自然との 素朴な調和の状態から完全な陶治の状態,即ち自己を自己として確立した状態に達しながらやはり 自然と調和を保っている,という生き方であるが,これは例えば次の詩句にそれか認められないで あろうか.Aber ihr, ihr Herrlichen! steht, wie ein Volk von Tltanen In der zahmeren Welt und gehort nur euch und dem Himmel, Der euch nahrt! und erzog, und der Erde, die euch geboren. (‥‥‥‥)
Eine Welt ist jeder von euch, wie die Sterne des Himmels
Lebt ihr, jeder ein Gott, in freiem Bunde zusammen. (Die Eichbaume) 自己分裂のない植物にあっては自己の生育は自然との離別なしになされ,自己の完成はそのまま 自然との調和につながる.しかし,自然児としての幼児の段階を既に抜け出て二側面への内部分裂 の生じている人間は,再び一つのGeistに統一されるまでのあいだ自然から離反している.内部の 二側面の閲ぎあいの中である時は人間的側面が,またある時には自然的側面が支配的になるため, この行路は単純な曲線ではなく,うねうねと曲がりくねった曲線を描く.これがexzentrische Bahn の姿である.このexzentrische Bahn像について具体的な視党的イメージを思い乏べる必要はない が,敢て求めるとすれば河の蛇行を考えることができよう.山間の泉に発し野を下って大海に注ぎ 込む河の流れは上にみたexzentrische Bahnの形態をよく伝えている.この繋りは必ずしも根拠の` ないものでもない.例えば,自然という支柱を失って大地を這いずる葡萄の蔓にヘルダーリッは人
間の在り方を喩えたりしているが(。An den Ather“)これも蛇行モチーフの変奏と看傲すことが
できようし,後に触れる。Hyperions Schicksalslied“,更には後期の讃歌に至っては多くの河か謳 われ,それらの詩においてはもはや比喩としてではなく,人間の存在そのものが河の中にみられて いるのである(19). このようなexzentrische Bahnは時の場におかれてあり,自意識をもたない幼児という最初の理 想状態を離れて第二の理想状態へと向う人間は,従ってその到達点を老成もしくは老熟に求めるこ とになる.「ヒュペーリオン」を論じるどの評者もあまり注目していないようであるか,筆者のみ るところ「タリーア断片」において老人と覚しきメリーテの父親か大きな比重をもっているのはそ のためである.とはいえ,この断片にメリーテの父親が登場しているかといえばそうではなく,或 いはメリーテの口を通してその言葉が語られ,或いは聞き伝えとして手紙の書き手ヒュペーリオン がその人物について語っているにすぎず,その名前すら明らかにされていない.しかしそれでもな お,例えばヒュペーリオンの友人として登場するノターラC20)についてはその人となりは読者には 何らしらされることがないのと較べると,老人の小説の中で担っている役割は極めて大きいといわ ねばならない.
「ヒュペーリ オッ」の生成 (山根) 91 「非凡な人物でありながら,ギリシヤ人の現状を怒ってスミルナを去り,もう長年の間トゥモル スの山中に棲んでいる」(21)メリ.¬テの父親はヒュペーリオンの一つの可能態に他ならず,内面の 平和を得ることができないで苦悩するヒュペーリオンに向って,平和と静けさの化身メリーテが発 する言葉,(平和を外に求めるも無駄なこと,自分で自分に与えなければJ(22)はメリーテの父親の 「苦悩から得た叡智」なのである.行くべきところ,還るべきところを求めて循徨うヒュペーリオ ンにとってメリーテが自然児としての導き手であるとすれば(23)>メリーテの父親は老成の具現者 としての導き手なのである.最後の書簡の冒頭「まだぽくは予感し続けている.見出すことはなし に.」(24)は,ヒュペーリオンがアダマスと旅行に出ている間にメリーテめ父親が娘を手許に呼び帰 し何処へともしれず山中の棲家を後にした事惰と結びつけて考えるならば,ヒュペーリ,オンが最終 的に到達すべき在り方は老人との逼迫において彼の口から語られるであろうことが推測される.こ のことは「タリーア断片」以後の諸稿を眺めるとき一層強く裏づけられる. 既に述べたように韻文稿も「ヒュペーリオンの青年時代」も老成したヒュペーリオンが,賢人の噂 の高い彼を慕ってきた「私」に過去を語ってきかせる枠小説である.このヒュペーリオンが若か った頃に師と出会い,殊に「ヒュペーリオンの青年時代」ではその師がはっきりディーオティーマ の父とされていることは,.「タリーア断片」におけるヒュペーリオンとメリーテの父親との逼迫を 示唆するものといえる.この老師は最終前稿に至ってもなお痕跡を留めている.ここでは mein alter herrlicher Freund と称ばれ,メリーテの父より寧ろ決定稿におけるアダマスに近くなってき てはいるが, >Jezt kam ich an dem Hause vorijber, wo einst mein alter herrlicher Freund gelebt hatte“(25)が同じ情況において現われる「ヒュペーリオンの青年時代」の。Izt kam ich an dem HauBe voruber, wo der Fremdling (Diotimas Vater) gewohnt hatte‰6)に照応し,それ に続く文章も内容を同じくしている.ところから(27),やはりそれまでの老師の名残りであるといえ る.ヒュペーリオン自身が老成するか,或いは老成した賢者に教えられるかは別として,第二の理 想状態が老成を指向していることは瞭らかであろう.しかしながら何れの草稿においても,少くと も現在みることのできる断片の範囲内では,無限の陶冶によって理想状態を実現した「現在」の姿 は描かれていない. 各稿が何れも未完のままに終らざるを得なかった理由の一半は恐らく,思考の上では明瞭ではあっ てもその思想の現実化ともいうべき作品において描くことの困難なこの第二の理想状態にあった. 作品が完成するにはexzentrische Bahn上の人間,という捉え方とは全く別の見方.が不可欠であ り,そして今までになかった新しさをもって小説「ヒュペーリオン」を結晶させたのが「運命」と いう概念であった. 運 命 。Das Schicksal“と題する1794年作の詩がある。作品としての価値はさておき,弟カール・コッ クの手によって最終聯の前半四行がヘルダーリンの墓石に刻まれることになったという事情から些 かしられている,28)。 この詩においては運命の仮借ない掟,従って運命の人間に対する発現形態が「嫂難」とされ, (。desSchicksals ehrne Rechte, / Die groBe Meisterin, die Not,“)第八聯後半の Des Lebens beBre Frucht gedeiht
Durch sie, die Mutter der Heroen, Die eheme Notwendigkeit. -・
92 高知大学学術研究報告 第24巻 人文科学 第6号
えることによって自己を高める外在的契機として捉えられている(29).古代ギリシャの黄金時代を 失った現在におって,運命を挺子として将来に展望を拓く意志,というのがこの詩に盛られた詩想
であるといえ,他の詩との関連において考えるならば,テュービングン時代の最後を飾る 。Grie-chenland“が専ら黄金時代の喪失を悼んでいるのに対し, ,,Das Schicksal“は黄金時代喪失のモチ
ーフと, ,.An Herkules“, ,,Gustav Adolf" 等にみられる英雄主義との混淆物であるといえる. この詩をヘルダーリンは1794年3月,シラーに宛てた,ヴァルタースハウゼンのフォン・カルプ家 就任の挨拶の手紙に添えて送っている.この手紙の中でヘルダーリンは自作の詩について,「この 詩は,貴方をお煩わせることが明らかに僣越であると思わねIばならぬほどはっきりと無価値だとも みえませんが,これを書いていた時の聊か不安な気持を追い払うに足るほど評価できるものでもあ りません.」と否定的ともとれる意見を述べ,この詩を「青春の形見」と称んでいる. このヘルダーリン自身の。Das Schicksal“評価に関してバイスナーは,手紙の相手がシラーである ところからこのような謙虚ないい方をしているのであって,本当に低く評価していたということで はあるまい,と述べているが(30)>一ヶ月遅れてノイファー宛に書かれた手紙でヘルダーリンは再 びこの詩に触れ,「僕の運命に寄せる詩はこの夏「タリーア」に載るだろう.僕は今ではもうこの 詩が厭になっている.」と洩らしていることを考えるならば,バイスナーの推測は必ずしも当って いるとはいえない.。Das Schicksal“ の成立史としては, 1793年10月20日付のノイファー宛書簡の 中で初めて言及され心),同年12月末には殆んど完成していたことが知・られている. 1793年10月と いえばヘルダーリンがテュービングン神学校を卒業してーヶ月後,上のノイファー宛の手紙が書か れた翌年4月との間には半年の隔りがあるにすぎない.半年という短い期間−一一完成した12月とシ ラー宛書簡との隔りとなると僅かに三ヶ月であるー一一で夙やくも厭気がさしているということは或 いは奇異な感じを抱かせるかもしれない.だがこの間めヘルダーリンにとっては,ヴァルタースハ ウゼン移住という大きな環境の変化があったことを忘れてはならない. 移住あるいは境遇の変化は本来,主体的というより吋偶然的・外在的なことがらであるが,ヘルダ ーリンの生涯においてそれらの果たした転機としての役割は驚くほど大きい.イェーナでのフィヒ テ哲学との遊追,フランクフルトのディオティーマ体験,ボムブルク在住中の哲学・美学論文,な ど何れの場合においても新しい地に来た当初は先住地を去る直前とはうって変って生気に溢れ,そ の度に大きく成長ないし変貌を遂げているのである.ヴァルタースハウゼンの場合も例外ではな い.テュービングン時代の詩。Zornige Sehnsucht“ で悲痛な叫び声をあげた「囚人」の姿は, 1794 年初頭の母への手紙にはもはやみられない. このようにヴァルクースハウゼン時代がヘルダーリンにとってテュービングン時代とは一線を画し た時期であってみれば,過去の残滓を湛えている詩が「青春の形見」でしかなく,嫌悪されたとし ても不思議ではない.ヴァルタースハウゼン時代に新しい運命観が生まれた形跡はみられないが, かくして。Das Schichsal“が作者のよって否定されたということは,そこに別の運命観がうまれで る可能性を暗示しているとはいえよう. . 次のイェーナ時代に眼を転じると, 1795年4月ヘルダーリンは弟に宛てた長い手紙の中でフィヒ テの哲学を識ることの重要さを説き彼なりに纒めたその哲学の概要を記している.主として「全知 識学の基礎」を扱ったと考えられるこの略述はおよそ次のように要約することができる.「人間の 中には無限を志向する活動があるが,この活動は制約を受けている.意識をもつ存在者にとって は,この活動も活動の受ける制約もともに必然的(不可欠)なものである.何故なら,もし活動 が制約を受けないとなれば活動が全てであって我々の夕Fには何も存在せず,活動は何ら抵抗を受け ることがなく,従って我々は何の意識ももちえない,一方,無限を志向する活動がなければ我々は この志向に対立する何物ももたず,従って我々は何も知り得ず何の意識ももたないからである.」
「ヒュペーリ オン」の生成 (山根) 9ろ このヘルダーリンの略述が哲学史で公認済みのものであるか否か,はここでは問題ではない.それ がフィヒテの哲学を客観的にみて正当に理解したものであるにせよ,或いはヘルダーリンが自己に 引きつけてフィヒテを理解したにすぎないにせよ,いえることはヘルダーリンがフィヒテをこのよ うに理解したという事実であり,しかもこの略述は,ヘルダーリンが自分とは無関係な単なるーつ の哲学的潮流として紹介しているのではないということである.この略述のおかれ七いる文脈,及 びこの当時に書かれたその他の書簡でフィヒテに言及する際の熱っぽい口吻といったものから測る に,ヘルダーリンは自分自身の思想をフィヒテにみた,或いはフィヒテを完全に自己のものとして 消化しているのである. ヘルダーリンがフィヒテの哲学に初めて接したのはヴァルタースハウゼン時代, 1794年夏であっ たが(32),この出会いは必ずしも最初から幸福なものではなかった.この点について, 1795年1月, 即ち上に引いた弟宛書簡のほぽ3ヶ月前,ヘーゲルに書いた手紙は興味深い.次のようなー節がみ える.「フィヒテの絶対自我(スピノザのいう本体)は全ての現実性を包括している.絶対自我は 全でありその外には何ものもない.従ってこの絶対自我にとって対象は存在しない.何故なら,そ うでなければ全ての現実性が絶対自我9中にあるとはいえなくなるからだ.併しながら対象なしの 意識は考えられない.僕自身がこの対象とすると,僕は対象であることによって,時間的にだけで あるにせよ必然的に有限であり従って絶対的ではない.従って絶対自我においては意識は考えられ ず,絶対自我として僕は意識をもちえない.意識をもたないかぎり僕は(僕自身にとって)無であ り従って絶対自我は(自我にとって)無である.」このフィヒテ批判は1795年1月の時点で書かれた ものではなくこの一節に続いて「まだヴァルタースハウゼンにいた頃,(……),僕の考えを上のよ うに書きつけておいた.」とあるところから半年前の批判と考えられる.既にヴァルタースハウゼ ン時代に人間の精神の内部分裂を大きな問題としていたヘルダーリンとしては,フィヒテの「自我」 を上にみたように理解したのであればこれに対して批判的な意見を加えたのも当然であったし弟宛 書簡中の略述にみ’られる人間の内部の一見矛盾した在り方に関心を唆られたことも納得がいく.だ がここで大事なことはヘルダーリンとフィヒテ哲学との交流の変化ではなく,略述に述べられた内 容,即ち内部の矛盾した在り方が意識的存在にとって必然的・不可欠なものとして捉えられてい る,という点にある.ヴァルタースハウゼン時代の人間の精神の二元論とこの略述との間には,人 間的側面が無限を志向するF活動」に,自然的側面が「活動の被制約性」にそれぞれ対応するアナ ロジーが成り立ち,人間の精神の内部構造についての発想自体には変化はみられない,併しそれぞ れの発想が如何なる思想に到達するかとなると大きな違いが生じてくる.「タリーア断片」のヒュ ペーリオンは内部の分裂に苦しみ,失なわれた幼児の平和を,今度は別のかたちにおいて再び得る ことを求めて悩むのに対し,フィヒテ哲学の略述にみられる構図では分裂は人聞か意識的存在たる ための必然とされ,克服すべき或いは克服しうる状態とは考えられていない.このような観念的思 考の光を現実的人間存在ヒュペーリオンに投げかけた時,そこにヘルダーリンがみたのは「運命」 という影であった.運命とは自己自身の投影に他ならず,自己が自己に対して運命であり,人間は それかそれである限り自己の運命を引き摺っていかねばならない.これがヘルダーリンの到達した 新しい運命観であった. この運命観は後のフランクフルトに移ってからの決定稿「ヒュペーリオン」に漸く作品として結実 するが,その終り近くに挿入されている。Hyperions Schicksaalslied“ はこのような運命観を考え ずに理解できない. 不易の美を咲き誇る天上の神々(34) と,滝水のように絶え間なく墜ちていく人間の姿の対比がこの 詩の主題であり,両者を分かつのは運命の有無である.
94 高知大学学術研究報告 第24巻 人文科学_ 第.6影 Saugling, athmen die Himmlischen ;<S3)
問題にしたいのは,「天上の神々」が何者であるかということである.ヘルダーリンの詩には頻 繁にギリシャの神々が登場するが,ここではそうではない.何故なら,ギリシャ神話の世界観で は,有無をいわさず相手を屈服させる外在力としての運命,即ちモイラ,があってこのモイラの前 には神々も,ゼウスでさえも無力なのである(35).古代ギリシャに通暁していたヘルダーリンがこ のことを知らなかったとは考えられないf36).となるとこの「天上の神々」をギリシャ神話とは別 のところに求めねばならない.ここでwie der schlafende / Saugling という比喩が大きな意味を もってくる.これは次のathmenの比喩ではなく,冒頭のschichsaallosの比喩なのである.つま り神々は運命をもたず眠る赤子のように憩うている,のではなく,眠る赤子のように運命を知らず 神々は憩うているのである.そこで次に運命の意味を問わねばない.モイラのような外在的な力で あれば赤子といえどその手を逃れることはできない(37).従ってここで眠れる赤子がもっていない のは外在力としての運命ではない.それは自意識という運命なのである.この二行は眠る嬰児は自 意識をもたないが故に運命を識らず,天上の神々もそれと同じく運命をもたない,と解釈しなけれ ばならない.ところで「天上の神々」とは何者かという問いにまだ答えが出されていないが,これ については次のように答えておきたい.明らかにここではギリシャの神々を指すのではなく,従っ てア・プリオリに存在する神々と人間との対比がこの詩でなされているのではなく,運命に引摺ら れ或いはそれを引摺って墜ちていくヒュペーリオンという人間が,希求した仮想的存在がこの神々 なのである,と. かくして運命は。Das Schicksal“にみたように外在的な否定的媒介ではもはやなく,存在と不可 分に結びついたものとして観じられる. ヒュペーリオンの分裂という内部構造は「タリーア断片」,決定稿ともに変化はなく,両稿の違い は,自己のおかれた情況にヒュペーリオンが如何に対処していくか,というところにある.既に 述べたように,『タリーア断片』では失なわれた理想状態を再び,今度は自らの手によって得よう と努める人間のexzentrische Bahn が描かれる筈であったのに対し,決定稿ではヒュペーリオンは exzentrische Bahn を進んでいくのではなく,分裂態を自己の運命として認め,これをそのまま受 けとめるに至る過程が描かれるのである.従ってここでは到達点としての老成或いは老熟はその必 然性を失い,物語には老人ヒュペーリオンもヒュペーリオンに教えを垂れる老師も姿を消す.序文 にはexzentrische Bahn の語は無く,替って。die Auflosung der Dissonanzen in einem gewissen Charakter‰8)が新しく見出される.この表現は,分裂態が迎命として受け入れられるに至ること を物語っているといえよう. 以上述べてきたことが,決定稿のディオティーマ,ヒュペーリオン,アラバンダの関係のうちに どのように現われているか次にみたい. アラバンダとディオティーマはそれぞれ相異なった原理を表わしている..両者を動的と静的とい う風に捉えることもできようが,ここでは上に述べてきた論旨から,「極大を志向する自我」(人間 的側面)と「極小を志向する自我」(自然的側面)として理解しておきたい.因みに申し添えれば, 文学に現われた原理という概念を筆者はヘルダーリン自身の手になる,その内容からギリシャ悲劇 を論じていると推察される論文断片,心ber den Begriff der Strafe“(1795年)から借用している. ソフォクレースの「アンティゴネー」を例にとってみれば,アンティゴネーは神々の掟或いは人
倫,クレオンは国法という原理を表わしているといえIる.この場合それぞれの原理は行為性を内包 し,且つ互いに対立原理を前提していてこの二つの原理の衝突が悲劇を招来するのである(39).‘「ヒ ュペーリオン」においても,もしアラバンダとディオティーマが面と向いあえば上のrアンディゴ ネー」の如き結果が生じたであろう(40).しかしながら小説では三人が一同に会することは巧みに
「ヒュペーリ オッ」の生成 (山根) 95 避けられている.つまりヒュペーリオンがアラバンダと共に在る時,そこにはディオティーマはま だ,そしてもはや居らず,ディオティーマとヒュペーリオンの「愛の島」カラウレア島をアラバン ダが訪れることは竟にないのである.とはいえこのことは二つの原理の衝突が起こらなかっ`たこと を意味するのではない.衝突は生じ「悲劇的」な結末がもたらされた.しかしそれはアラバンダと ディオティーマの間に,ではなくアラバンダの中でそしてディオティーマの内に生じたのである. 第一巻,第一部でヒュペーリオンはアラバンダと出I会う.アラバンダは,「太陽の子らは行為を 糧として自らを養い,勝利によって生きていく.独自の精神で自ら鼓舞し,力こそが彼らの悦びな のだ.」(41)と叫ぶ,無限を目指す意志を自らの神と侍む青年であり,ヒュペーリオンと同じくギ‘リ シヤの現状に飽き足らず,新しい建国の理想に燃えている.この理想が二人を強く結びつける絆と なるのであるが,この時点において両者の抱いている理想は外見こそ同じであれ,その由って来た る処は決定的に異なっている.アラバンダは「ネメシス同盟」の一員として,英雄が閉塞を余儀な くされている「現在」を暴力的にてあれ破壊し,英雄精神の解放としての建国を考えているのに対 し,ヒュペーリオンは「神的なものに眼覚めた感情によって人間に神性が,そして人間の胸に美し い青春が再びもたらされる時」(42)にこそ本来の人間の時代が訪れると信じ,この信仰に則った建 国を思い描いているのである(43).結局この違いが二人を仲違いさせ,ヒュペーリオンはアラバン ダの許を去る.(以上第一巻,第一部)アラバンダと別れたヒュペーリオンは知人ノターラの招き に応じてクラウレア烏に渡りそこでディティーマと逼迫する.この時のディオティーマは,「世界 は一つの家庭のようなものだと私は考えたいのです.そこでは誰もわざとそうするのでなくて相手 とうまく和合し,心の底からそう願っているからこそお互いに相手の喜びとなって生きていくので す.」といった考えからも窺えるように,自然との幸福な未分化の状態にあり,ヒュペーリオンの 眼には自然の一部として映じる存在である.そ.してメリーテに既にみたように,平静の化身で.もあ る.眼前のディオティーマをヒュペーリオンは次のように描写する.「彼の女は不易の美を衣と纒 い,悠揚と,微笑む完璧さの姿でそこに立っていた.」(45) ディティーマのこのような在り方自体は,より豊かな表現力によって造型化されているといった 表現技術上の進歩を除けば,メリーテと変るところはない.しかし,この二人の女性のヒュペーリ オンに対する関与の仕方どなると趣含を異にする.精神の分裂に苦しむヒュペーリオンに向ってメ リーテは「あなたは御自分を変えなければなりません」(46)と命じうるのに対レーこれはメリー テ自身の具現している「やすらぎ」に到達せよとの命令に他ならないーディオティーマは同じヒ ュペーリオンの分裂に心を痛めるが,と同時に「あなたの心情と活動が既に熟していたのであった ら,あなたの精神は今のようにはなっていなかったでしょう.苦悩し激勁する人間でなかったら, 今の考える人にあなたはなっていなかったでしょう.(……)美しい人間性の均衡をすっかり失っ てしまったとお考えにならなかったら,これほど純粋にそれを認識することができなかったでしょ う.」(47)とヒュペーリオンの内部の分裂の必然性を肯定的契機として認めている.内面の苦悩,行 為への焦燥ゆえにメリーテからは同情されながらもつまるところ疎んじられたヒュペーリオンは, 今ここで苦悩に押し拉がれ,大いなる行動への憧憬を抱いているがゆえにディオティーマによって 讃美され,愛されるのである(48). そしてともすれば「愛の島」に留まろうとするヒュペーリオンにーということは,人間の領域を 離れて自然とのみ和した生,ディオティーマの領域で彼女と一体となることを意味するーヒュペ ーリオンはそもそも高い目標のために生まれてきた人間であるから一個のやすらかな生に満足する のではなく,国民の教育という高邁な天職に身を捧げることを通じて建国の理想を実現するように 促し,その修業としての旅に出ることを勧める.(第一巻,第二部) ご しかし上の計画を実行に移す前にアラバンダからの便りが届き,その中でアラバンダは露土戦争
% 高知大学学術研究報告 第24巻 人文科学 第6号 の勃発をしらせ,ロシアに加担してトルコを排撃すればギリシャも独立しうるこの戦争を共に闘か うことを呼びかける.ヒュペーリオンは直ちに参戦を決意し,諌止する尹イオティーマを振り切っ てアラバンダの許へかけつける.建国の理想を実現すべき聖戦は,しかし,ディオティーマの予言 「あなたは占領はなさるでしょう,でも何のための占領であったかかお忘れになるのです.秋 が到れば独立国を御自分の手でかちとられるでしょう,でもそのあと何のための建国であったかと 問われるのです.(……)野蛮な戦闘は美しい魂を引き裂き気高い精神は老い,生に疲れてあなた は最後に,は問わずにおれないでしょう,青春の理想・よ,いまは何処に,と.」(<9) 一一が,侍みとす る部下の恣の殺戮・略奪というグロテスクに歪められたかたちで的中し.挫折したヒュペーリオン は自ら死を求めて絶望的な最後の戦闘に赴く.出陣に先立ってヒュペーリオンはディオティーマに 宛てて最後の手紙を書くがこれがディオティーマには致命的なものとなる. ヒュペーリオンが島を去ってからのディオティーフはーディオティーマにおける人間的側面への 変容はヒュペーリオンを愛した瞬間から始まっていためであるが,今や以前にもまして一一一一自らと 自然との一体を信じることも感知することもできず,専らヒュペーリオンと命運を共にする.こ の時点においてディオティーマを規定しているのは自然との合一ではなく,人間の精神の力への信 仰なのである(51).参戦が無惨な結果に終り,理想を実現する場がもはやない以上,英雄的な最期 のみを求めて出撃する,と書かれたヒュペーリオンからの手紙を読んでディオティーマは,ヒュペ ーリオンには国民の教育という天職が授けられているととをもはや想起することができず,ヒュペ ーリオンの自殺的行為に承認を与えてしまう.ここに至ってディ.オティーマはヒュペーリオンとは 別個の存在,彼に助言を与え存在の理想状態を具現してみせる者でないことはおろか,ヒュペーリ オンと生を共にする同伴者ですらなく,カラウレア島に残されたヒュペーリオンその人に他ならな い.英雄の死を希いつつヒュペーリオンが戦さに向う時,ディオティーマは,自然から離反した人 間に唯一つ残された道として,人間の精神への信仰の純粋さの証しとしてヒュペーリオンによって 点火されたその信仰に身を焼き焦して死ぬ.かくしてディオティーマはヒュペーリオンの分裂態, 自然的側面と人間的側面を,前者の化身から後者の純粋培養への変身の過程において生き,死に至 るのである. 一方アラバンダもまた彼なりに変貌を遂げる,或いはもっと正確にいえば,遂げそうになる.だ がそれは上に述べてきたディオティーマの変容から推測されるような,つまりディオティーマの逆 の径路をとる変貌というのではない.ヒュペーリオンが去っ七からのアラバンダはヒュペーリオン ヘの友愛のゆえに「ネメシス同盟」を脱退する,ここにアジバンダのアラバンダ的原理からの離反 をみることはできよう.だが参戦に駈けつけたヒュペーリオンがディオティーマについて語るのに 熱心に耳を傾け「おお,我らがギリシヤがこのような宝をまだもっているのなら祖国のために戦う のも骨折甲斐があるというものだ.」(52)と叫ぶとき,或いは更に「ディオティーマの姿が僕の心の 中にまざまざと生きるようになってからというもの,僕自身が僕にとっ七他人のように思われるの だ. J(53)と告白するときにおいてもなお,それはアラバンダのディオティーマ的転回を意味してい るのではない.何故ならディオティーマがヒュペーリオンによづて変容を受けたと同じくアラバン ダの内にもそれが起ったとすれば,傷も癒えたヒュペーリオンがディオティーマの待つ(とヒュペ ーリオンが信じている)カラウレア昌に同行するよう促したときアラバンダの断った理由が不可解 になるからである.アラバンダの挙げる理由はこうである.「ディオティーマのために僕は君を欺 き,結局はどうしても一つになれないということで僕自身とディオティーマを殺すことになるだろ う.」(54)アラバンダがディオティーマヘの愛ゆえにヒュペーリオンを殺す,という事態は納得がい くにしても,ディオティーマと結局はどうしても一つになれないだろうと懸念するのは何故か,ア ラバンダのディオティーマ的転回はこの問いに答えるととができない.
「ヒュペーリ オン」の生成 (山根)八 97 彼自身の述懐によればアラバンダはスミルナでヒュペーリオンと初めて会った時,既に凋落の兆 しをみせていた.そのようなアラバンダであったればこそ,「若く,愛に燃えた青年」と出会った 瞬間から.そして仲違いから離れ離れになってからは一層強く,ヒュペーリオンとの一体化による 再生を欲したのである.この時彼はヒュペーリオンの影法師として生きることを決意したといっで もよい.瀕死のm傷を負ったヒュペーリオンが漸・く恢復するのをみて「日頃の特持も忘れたよう に」「よくぞ生きていてくれた」と叫び,「おお,救い主なる自然よ,慈悲深き全てを癒す者よ,祖 国を失いさ迷う哀れなる我ら二人を,あなたは見捨られはしなかった.」(55)と自然に感謝を捧げる のもヒュペーリオンという生の拠り所を再び得たからであり,彼と一体化しているからこそ自然に 眼を向けることもできるのである,従ってヒュペーリオンが在る限りアラバンダはディオティー マを愛することができ,更には影が主人になり切ってその愛する女ゆえに主人その人すら殺すこと も可能であろう.だが主人が影に殺された瞬間,影は以前の主人の影ではなくなり,アラバンダは 元のアラバンダに戻らねばならず,そこに折り合うことのできない二つの原理が衝突せざるをえな い.アラバンダはこのことを知っていたからこそヒュペーリオンの影法師としての再生を断念し, 自己に立ち還って生き,再生の手段としてとった「ネメシス同盟」からの脱退に対する報復の前に 死ぬことを決意したのであった. ヒュペーリオンとの二度目のそして永遠の別離を覚悟したアラバンダの言葉,「僕の時代は過ぎて しまった.残るは立派な最期だけだ.」66)はヒュペーリオンによってディオティーマ的転回を経た 男の言葉では決してないのである. 以上みてきたように,ディオティーマにせよアラバンダにせよ,自己の内面で演じられる原理の 衝突から眼を外らずことなくそれぞれの没落に向って生きていくのであるが,今,ヤスパースと共 にギリシヤ悲劇の特質を「悲劇的な知」に求め,「悲劇的な知」とは「逃がれられない闘争を直視す る」(57)こととするならば両者はいずれもギ・リシヤ悲劇的な英雄といえよう.そして死に臨んでの ディオティーマの手紙は,読む者の心を悲しみの淵に沈めるのではなく高みへと飛翔させる.「私 達が別れるのは一層親密に結びつき,凡ゆるものとそして私達自身と一層神々しく平和に結びつ こうとするためなのです.(……)長老の玉座をめぐる竪琴弾きのように,私達自身も神々のよう になって世界の静かな神々をめぐって生きるのです.」r53)ここに没落におけるディオティーマの界 華,有限性をもった一個の人間から神々の一員への転身がみられるが,これこそヤスパースのいう ギリシヤ悲劇の本質に他ならない.ヤスパースは次のように述べている.「悲劇的な知においては 人間の生まれ変わりが行なわれる.生まれ変わりは解脱の道を辿るレすなわち悲劇的なものを超克 して本然的な存在へと躍進する道を辿る.」(59) このように「ヒュペーリオン」はすぐれてギリシヤ悲劇的な性格を帯びているが(60).唯一つの 点におい,てギリシヤ悲劇と異っている.それは原理間の衝突の場である.ギリシヤ悲劇は原理が自 己を貫徹し対立原理と衝突することによって没落が生れるのであるが,「ヒュペーリオン」では衝 突は各原理の内部に生じる,即ちディオティーマはヒュペーリiンを触媒としてディオティーマ的 原理とアラ」パンダ的原理との相克を経たのち没落していき,アラバンダはヒュペーリオンとして再 生することへの意志を,ディオティーマ的原理との衝突を未然形のかたちで体験することを通じて 放棄し,自らの原理に立ち還りそれを貫くために死への旅に立ったのである.原理間の衝突は英雄 的没落の重要な契機であるが,「ヒュペーリオン」にみられるこのような衝突の内在化は,最初か らこの衝突の具現者であるヒュペーリオンの苦悩的現存在の肯定につながる.自らの過去をふり返 り語るという「現在」の行為を通じて上の認識に達した「現在」のヒュペーリオンには,「過去」 の物語りの枠内におけるように一人とり残されたのち,真理を求めて海を渡る必要はもはやなく, 分裂した自己の内面性という運命を英雄的没落の契機として捉えそれを肯定することができ,二人
98 高知大学学術研究報告 第24巻 人文科学 第6号 -と同じく自分の死を選ぷことができるのである. アラバンダとディオティーマはアラバンダ的原理を貫くことを通して死に至るのに対し,ヒュペー リオンは自らの死をアラバンダ的原理の抹殺によって,即ち自然への回帰によって獲得する.かっ てのディオティーマのような自然との合一の在り方は幼児のそれと同じく分裂の可能性を孕んでい るが,今ここでヒュペーリオンが分裂の中から自然へと還る時,それはもはやそこでは分裂の生じ えないより高次の自然との合一,死に臨んだディオティーマが手紙の中で描いてみせた神々の世界 に住まうことであり,神々として生きるための人間としての死なのであった. こうしてみるとき甫めて。Hyperons Schicksalslied“の担っている二重の意味が明らかになる. 「過去」め物語りの枠内でみるとき天上の神々(精霊)およびその世界は(ei)>自らの運命性に苦 悩するヒュペーリオンが,自らの対脈点に立つものとして定立させた仮想存在であったのに対し, 「現在」の時点でこれを眺めるとき,そういった仮想存在であると同時に,いまはの際のヒュペー リオンに,自分の還っていくところとして現われた世界なのであった.第一聯の精霊への呼びかけ はそのような意味をもっていると思われる/従ってこの詩は第三聯から再び第一聯へと還って読ま れることを要請する.次に詩の全文を揚げこの項の結びとする。
Ihr wandelt droben im Licht
Auf weichem Boden, seelige Genien ! G誰nzendeGotterlufte
Rijhreneuch leicht,
Wie die Finger der Kiinsterin HeiligeSaiten.
Schicksaallos, wie der schlafende Saugling, athmen die Himmlichen ; Keusch bewahrt
In bescheidener Knospe, Bluhetewig
Ihnen der Geist,
Und die seeligen Augen Blikenin stiller EwigerKlarheit. Doch uns ist gegeben,
Auf keiner Statte zu ruhn, Es schwinden, es fallen Die leidenden Menschen Blindlingsvon einer Stunde zur andern, Wie Wasser von Klippe ZuKlippe geworfen,