「今まで受けてきた教科『情報』の授業」
僕は情報の授業を受けたことがないので世界史の教科について書きます。
世界史の先生は一言で言うと「関西のおばちゃん」で、すごくしゃべる先生でした。この 先生は毎回授業を始める前に小テストをして、10 問中 9 問以下の点数をとった場合は再 試験を受けさせられました。しかも小テストなのに同じ用紙ではなく、再試験用に作り直 したものでテストします。授業事態は板書をとって解説をする普通のやり方ですが、トー ク力がさすが関西のおばちゃんといわんばかりの腕前で、まるで機関銃みたいにしゃべり 出します。というか声の抑揚がすごいです。雑談も取り入れつつ、授業とその話を絡めて しゃべります。ただ阪神タイガースの話をするときは授業と全く関係ないですけど。 この先生で一番印象に残っているのが定期テストで、2 年生の時は 80%以下で不合格だっ たんですが、3 年生になると 90%以下で不合格となり、80%以上の点数をとるまでずっ と追試をしていました。夏休みも追試のためにわざわざ登校しました。テスト内容ももち ろん毎回違う内容のテスト問題です。しかも内容がとてもひねったものになっていて、国 の土地感覚や、各国間の時系列から予想しないと答えを導き出すことができない問題など 出てきて、難易度がとても高いです。最初から一発合格させる気なんてない内容です。あ んまりにもできない人は過去に家に呼んで勉強を教えたそうです。
それで小テストの平均をクラス全員の前で発表して誰ががんばっているかとかが一目瞭然 でした。
先生は進路のことについてたくさんの情報を持っていて世界史が強いならどこの大学に受 ければいいのか、そして最近の入試の動向について多くのことを語っていました。
僕は昔、世界史が全然できなくて追試とかとても辛かったですけど、この先生のおかげで 世界史の成績が上がり、世界史の偏差値が70まで上がりました。この先生にはとても感 謝しています。
ほかに印象に残った授業は一年生のリーディングの授業の先生でした。この先生は教科書 の英語にめちゃくちゃ書き込みを強要する先生で、宿題を一人でも出し忘れると授業時間 が丸一日説教でつぶれたりしました。この先生の時は若干ノイローゼになりそうでしたね 。 授業前に章の最初に予習確認のための単語テスト。章の終わりに文章解釈のテストとほぼ 毎回小テストがありました。小テストは予告されないのでテスト勉強を忘れてきたりして 低い点数を取った時は怒られるんじゃないかと落ち込みました。
文化祭が近くに来ると文化祭が先生がものすごく関与してきて、楽しむということよりも 学習を目的において活動させようとしていたのであまり上手くいきませんでした。
先生は完全な恐怖政治、絶対的権力を握っていました。
ただ、僕はそんなに嫌いな先生には考えられなかったのは先生はとにかく生徒の事を第一 に考えて行動していた事です。
体育祭は生徒の為に一生懸命になったり、泣いてくれたりしました。
でもやっぱり今思い返してもあの先生は度が過ぎていたと思います。
あの先生は厳し過ぎて、クラスメイトの一人が一月に学校をやめてしまいました。 やっぱりあんなに厳しくする必要なかったんだと思います。
あの先生のおかげで英語の学力は一時的に上がりましたが、後半は誰もついていけなく なってしまいました。
特に最期の 3 ヶ月は説教しかくらってなかったと思います。
こう振り返ってみると、随分おかしな先生だったって事がよくわかります。 僕はここまで厳しい先生にはなりたくないです。
生徒の事を考えるあまり、形式にのっとって授業をし、生徒の気持ちが見えなくなってし まうのは本末転倒です。
僕は基本は厳しく、でも生徒の主体性や対抗する意識は社会で生きていく上でも大切だと 思うので、それを尊重しつつも、秩序を乱す者はきちんとした処罰を行おうと思います。