格差の自己拡大性:
外部性が存在する人的資本蓄積モデル
におけるゲーム理論的アプローチ
東京工業大学 工学部社会工学科 4 年 鈴木 遼
平成 22 年 8 月 3 日
書式 :1 頁 25 行程度 , 1 行 35 文字 キーワード:人的資本,格差,外部性
1 序論
経済学において人的資本というのは人々の学歴や能力として捉えられてい て,主体の生産性を考える上で重要な概念である.これまで主に経済成長理 論において,人的資本水準がGDP にどのような影響を与えるかが議論されて きた.人的資本蓄積をモデルに取り入れた例としてLucas, Robert E.(1988) がある.Lucas は一般的な新古典派成長モデルに人的資本を導入することによ り経済成長の要因を分析している.ただLucas のモデルは経済全体に人的資 本が与える影響を考えているため,人的資本を蓄積するインセンティブが他 人にどのように影響されるかについてはあまり分析されていない.現実を考 えると自己投資をして能力を高める人もいれば,そうでない人もいる.この 論文ではその点に注目し,なぜ自己投資をする人としない人がいるのか,も し自己投資をしない場合どのようなインセンティブが働いているのか,さら にそのように場合どういう状況が生じるのかを分析した.
分析をするにあたり,次の2 点を考慮したモデルを考えた.第 1 に他人か ら受ける外部性があること,第2 に自己投資に時間的コストがかかること. 第1 に関して,Lucas のモデルでは他人の人的資本水準が与える影響は全主 体の能力の平均をいれることで考慮されているが,同質的主体の仮定からす べての主体が同じ影響を受けるため,人的資本蓄積の意思決定にその影響は 強く効いてきていない.そこで,ここでは自分の賃金が自分の能力だけでな く相手の能力にも依存するゲーム的状況を考えた.このような状況を考える ことで自分の自己投資量は相手の自己投資量にも依存することになり,非同 一的な主体を想定したときその人的資本水準にどのような影響が生じるのか を分析した.また第2 に関して,自己投資に時間的なコストがかかることか
ら限られた時間を労働と自己投資に配分することで効用最大化する,すなわ ち時間が制約条件になっているモデルを考えた.今期の自己投資をすること で,来期以降の所得は上がるが,今期の所得は減ってしまう.したがって,今 期と来期以降の所得のトレードオフが生じる.例えば大学院進学を考えた場 合,大学院に進学し人的資本を高めることで増加する所得上昇と2 年間の労 働により得られる所得のトレードオフが生じている状況である.
そして以上の2 点を考慮することにより,能力の格差ひいては所得格差の 拡大が自己実現的なプロセスであること,初期時点における能力に差があった 場合その差が時間を通じて拡大していってしまうことを示すのが目的である.
このモデルを用いることで,他人から受ける影響が変化することにより格 差が拡大していくプロセスを示すことができ,本研究が格差の原因の一つを 説明できると考えている.また,主体の所得水準の差はなんらかの環境の変 化がない場合拡大してしまうことから,今後の所得格差の対策を考える上で 有益である.
2 モデルの定式化
2.1 モデル1:主体が 1 人の場合の人的資本蓄積モデル
このモデルでは時間を制約とした人的資本蓄積モデルを考える.主体はそ れぞれがもつ時間を,労働と人的資本蓄積のための自己投資へと配分するこ とで効用を最大化する.主体は消費から効用を得て,無限期間の効用最大化 問題として定式化する.今貯蓄はないものとし,所得は賃金率(単位時間あ たりの賃金) と労働時間の積として得られ,賃金率は主体の人的資本水準の 関数と仮定する.また人的資本は自己投資により蓄積され,一単位の自己投 資が一単位人的資本水準を増加させる.
max
∞
∑
t=0
βtu(ct)
s.t.
1 = ht+ it
it= αt+1− αt
ct= w(αt)ht
ここで,β (0 < β < 1) は割引率で , ht (0 ≤ ht ≤ 1) は t 期の労働時間 , it(it≤ 1) は t 期の自己投資時間 , αt(0 ≤ αt) は t 期の人的資本水準 , ct
はt 期の消費水準である.
w(αt) は単位時間あたりの賃金,つまり賃金率である.w(α) に関して次のよ うな関数を考える.
w′(α) > 0 , w′′(α) ≤ 0
ここでの仮定は人的期資本が増加することにより賃金率は上昇するが,その 上昇は逓減的であることを意味している.
上式からitを消去し,ctへ代入すると max
∞
∑
t=0
βtu(w(αt)ht
)
s.t.1 = ht+ αt+1− αt
以下では効用関数を対数関数として特定化する.
各期においてその期の人的資本水準αtは所与であるので,主体は効用を最大 化するような労働時間htと自己投資の時間it,すなわち次の期の人的資本水 準αt+1を選択する.したがって主体の制御変数はwt, αt+1である.
以上をもとに,異時点間の動学的最適化問題をラグランジュ未定乗数法で 解く.
ラグランジュ関数を定式化すると L =
∞
∑
t=0
[
βtln(w(αt)ht) + λt(1 − ht− αt+1+ αt) ]
異時点間の効用を最大化するための条件は
∂L
∂ht
= βt1 ct
w(αt) − λt= 0 (1)
∂L
∂αt+1
= −λt+ βt+1 1 ct+1
w′ ht+1+ λt+1= 0 (2)
∂L
∂λt = 1 − h
t− αt+1+ αt= 0 (3)
次に定常状態を考える.
定常状態を上の(1),(2),(3) を満たすような wt+1= wt= w∗, αt+1= αt= α∗ と定義すると
h∗= 1
w(α∗) = β 1 − βw
′(α∗) (4)
したがって,(4) を満たすような α∗が定常状態における最適な人的資本水準 となる.
またこの時の消費水準は
c∗= w(α∗)
となる.
補題1
(4) を満たす α∗が唯一存在するための必要十分条件は w′(0) > 0
である.
2.2 モデル2:主体が 2 人いる人的資本蓄積モデル
このモデルでは,上記のモデルを以下のように拡張する.
今,主体が二人いると考える.各期の賃金率は、自分の人的資本水準だけで なく,相手の人的資本水準にも依存すると仮定する.すなわち, 主体 1 の賃金 率はw
1
t = w1(α1t, α 2
t), 主体 2 の賃金率は w2t = w2(α1t, α 2
t) である. wi(α1t, α2t) (i = 1, 2) に関して次のような関数を考える.
wiαi >0 , wiαj <0 , wαii,αi ≤ 0 , wαii,αj ≤ 0 (j 6= i) (5)
ここでwi
αiはw i
のαiによる偏微分である
(5) の第 2 項と第 4 項の仮定は,賃金率が他人の人的資本の増加により負の 影響を受けることを意味している.たとえば,学力といったものを相対的に 評価した場合,もし相手の能力が高い時,自分の能力は過小に評価され,ま た能力の増加による賃金率の上昇も低くなる,という状況を想定している. 以下では主体1 の効用最大化問題を考える.主体1の異時点間の効用最大 化問題を定式化すると
max
∞
∑
t=0
βtu(c1t)
s.t.
{ 1 = h1t+ α1t+1− α1t c1t = w1(α1t, α2t)h1t
⇔ max
∞
∑
t=0
βtu(w1(α1t, α 2 t)h1t
)
s.t.1 = h1t+ α1t+1− α1t
モデル1 と同様にして効用関数を対数関数として特定化する.
主体1 の異時点間の動学的最適化問題としてラグランジュ関数を定式化する. L =
∞
∑
t=0
[
βtln(w1(α1t, α2t)ht1) + λt(1 − h1t− α1t+1+ α1t) ]
∂L
∂ht
= βt1 c1tw
1(α1t, α2t) − λt= 0 (6)
∂L
∂αt+11 = −λt+ β
t+1 1
c1t+1wα1(α
1 t+1, α
2
t+1) ht+1} + λt+1= 0 (7)
∂L
∂λt
= 1 − ht− αt+1+ αt= 0 (8)
モデル1 と同様に定常状態を定義する.ただし,ここでは主体 2 の人的資本 水準は主体1 にとって,定数であると考える.すなわち α2t+1= α2t = α2とす ると,上の(5),(6),(7) を満たすような wt+11 = w1t = w1∗ , α1t+1= α1t = α1∗ が定常状態であるので
h1∗= 1
w1(α1∗, α2) = β 1 − βw
1 α1(α
1∗, α2) (9)
主体2に関しても同様にして
h2∗= 1
w2(α1, α2∗) = β 1 − βw
2 α2(α
1, α2∗) (10)
(8),(9) はそれぞれ主体 1、主体 2 の最適反応関数になっている.
したがって、ナッシュ均衡は,それぞれの最適反応関数を満たす,すなわち w1(α1∗, α2∗) = β
1 − βw
1 α1(α
1∗, α2∗) (11)
w2(α1∗, α2∗) = β 1 − βw
2 α2(α
1∗, α2∗) (12)
を満たすような(α
1∗, α2∗) である
3 分析
3.1 モデル 1 の分析
以下では,モデル1 における定常状態の安定性を議論する.分析方法とし て,定常状態のまわりでの局所的な安定性を考える.つまり,定常状態α か ら微小に変化した場合,それが時間が経つにつれふたたび定常状態に収束す るか,それとも発散するかを調べる.
max
∞
∑
t=0
βtu(ct)
s.t. ct= w(αt)(1 − αt+1+ αt)
効用最大化の一次条件の式である(1),(2),(3) を整理すると βt 1c
t(−w(αt)) + β
t+1 1 ct+1(w
′(αt+1)(1 − αt+2+ αt+1) + w(αt+1)) = 0 ct,ct+1に代入すると
w(αt+1)2(1 − αt+2+ αt+1)
= β[w(αt)(1 − αt+1+ αt)(w′(αt+1)(1 − αt+2+ αt+1) + w(αt+1))] αt+2= αt+1= αt= α の近傍で全微分する
(2w(α) + w(α)2)(αt+1− α) − w(α)2(αt+2− α)
= β[(w′(α) + w(α))2(αt− α)
+(w(α)(−w(α) + w′(α) + w′′(α)))(αt+1− α)
−w(α)w′(α)(αt+2− α)]
整理すると
xt+2+ a xt+1+ b xt= 0
となる.ここで
xt= αt− α , xt+1= αt+1− α , xt+2= αt+2− α
a = β( − w(α) + w′(α) + w′′(α)) − 2 − w(α) (w(α) − βw′(α))
b = β(w(α) + w
′(α))2 w(α)(w(α) − βw′(α))
命題1
定常状態α が安定となるためには
−a ±√a2− 4b 2
≤ 1 (13)
となることが必要
3.2 モデル 2 の分析
以下ではモデル1 の分析と同様にして,モデル 2 での定常状態の安定性を 議論する.
モデル2 における主体 1 の効用最大化条件の (5),(6),(7) を整理し,モデル 1 での分析と同様にしてα
1 t+2= α
1 t+1= α
1 t = α
1, α2 t+2 = α
2 t+1= α
2 t = α
2
の 近傍で全微分する
wα11(α
1
t− α1) + w1α2(α 2 t− α2)
= β[(wα11,α1+ 2w
1 α1)(α
1
t+1− α1) +(wα11,α2+ wα2)(α 2
t+1− α2) − wα11(α 1
t+2− α1)] 整理すると
x1t+2= β( wα1,α1 wα1
+ 2)x1t+1+ β( wα1,α2+ w
1 α2
w1α )x
2
t+1− x1t−wα2 α1 x
2 t
となる.ここで
x1t = α1t− α , x2t = α2t− α
主体2 に関しても同様にすると x2t+2= β(w
2
α2,α1+ w 2 α1
wα22
)x1t+1+ β(w
2 α2,α2
w2α + 2)x
2 t+1−w
2 α2
α1 x
1 t− x2t
したがって,
x1t+2
x2t+2
= A
x1t+1
x2t+1
+ B
x1t
x2t
とかける.ここで
A=
a11 a12
a21 a22
=
β(w
1 α1 ,α1
w1
α1
+ 2) β(w
1 α1 ,α2+w
1 α2
w1
α1
)
β(w
2 α2 ,α1+w
2 α1
w2
α2
) β(w
2 α2 ,α2
w2
α2
+ 2)
B=
b11 b12
b21 b22
=
−1 −wwα2α1
−wwα2α1 −1
命題2 定常状態α
1,α2
がともに安定となるためには,C=
[ O I B A
]
の固有値を λ1,λ2,λ3,λ4としたとき
|λi| ≤ 1 (i = 1, 2, 3, 4) (14)
が必要.
4 考察
以上の分析から人的資本蓄積に他人から影響を受けるような外部性が存在 する場合,定常状態が安定となるための条件を示した.逆に,もし仮に賃金 率の関数wi(α
1, α2)(i = 1, 2) が上記のような条件を満たさなければ定常状態 が安定とならないことが言える.したがって,関数の性質により下図のよう な3 つのパターンが考えられる.
ここで,横軸は主体1 の人的資本水準,縦軸は主体 2 の人的資本水準.ま た図の直線は,(9),(10) から導かれる主体 1, 主体 2 の最適反応戦略である. ここで,命題2 から得られる固有値の値により定常状態からの差が収束して いくのか発散していくのかを考慮に入れることで安定性を考えている.
Fig.1 では,α1, α2ともに局所的に安定であるため,定常状態に収束するこ とがわかる.ここでは,特にFig.2 と Fig.3 に注目する.
Fig.2 では主体 1,2 ともに不安定となるために自己投資が抑制される方向に インセンティブが働く.したがってこの場合,人的資本を蓄積することより も労働に時間を配分し,結果として人的資本水準が外部性が働かない場合に 比べ,過小となりうる.
Fig.3 では主体 1 のみ安定な場合であり,このとき初期時点における人的 資本蓄積量のわずかなずれにより,その差が拡大する方向に力が働く.した がって,主体にとっては最適な選択をしているにも関わらず能力格差ひいて は,所得格差が必然的に拡大していることが言える.
以上の結果から,第1 にこのモデルでは賃金率の性質が他人により依存す ることが格差を生じさせる原因であるという点,第2 にもしなんらかの改善 が行われない場合その差は拡大し続ける,つまり格差には自己拡大性が存在 し得る,という2 点が本論文の主張である.
5 結論
本論文では格差の自己拡大性が生じるための条件を理論的に示した.しか し,条件式である(13),(14) は解析的に困難であるため,格差が拡大するため の条件を満たすような経済学的意味は提示できていない.したがって,今後 の課題として適当な関数や数値を用いたシミュレーションを行うことにより 格差が拡大するための条件がどれほど妥当なものであるのかを調べる必要が ある.
また,このモデルでは企業側を考慮している一般均衡分析ではないという 指摘もある.たしかに,ここでのモデルのような賃金率の関数はad hoc な仮 定であり,この点に関して理論的裏付けを示す必要がある.
最後にここでは無限期間の効用最大化として定式化したが,世代重複モデ ルからアプローチすることで世代間では所得格差がどうなるかという点につ いても示せるのではないかと考えている.したがって,このようにさらに拡 張したモデルも検討していきたい.
6 補論
6.1 補題 1 の証明
f(α) = w(α) − β 1 − βw
′(α)
とおくと
f′(α) = w′(α) − β 1 − βw
′′(α) > 0 () limα→∞w′(α) = 0 のとき
α→∞lim f(α) = limα→∞w(α) > 0
() limα→∞w′(α) = k < ∞ のとき limα→∞w(α) = ∞ より
α→∞lim f(α) = limα→∞w(α) −
β
1 − βk >0 したがって,(4) を満たす α
∗
が唯一存在するための必要十分条件は f(0) = − β
1 − βw
′(0) < 0
(証終)
6.2 命題 1 の証明
yta= xt, ybt= xt+1とおくと
yt+1a = xt+1= ybt
yt+1b = xt+2= −axt+1− bxt= −aybt− byta
[ yt+1a yt+1b
]
=
[ 0 1
−b −a ] [ yat
ytb ]
対角化すると
[ zt+1a zt+1b
]
=
[ λ1 0 0 λ2
] [ zat ztb
]
ここで,λ1,λ2はA=
[ 0 1
−b −a ]
の固有値であり, [ zat
ztb ]
= P−1 [ yta
ytb ]
det(A − λI) = det
[ −λ 1
−b −λ − a ]
= λ2+ aλ + b
より
λ1, λ2=−a ±
√a2− 4b 2 と求まる.このとき
xt= c1λt1+ c2λt2 とかける.(ただし,ci (i = 1, 2) は定数) したがって,xt= (αt− α) が収束するためには
−a ±√a2− 4b 2
≤ 1
(証終)
6.3 命題 2 の証明
yta= x1t , ytb= x2t , yct = x1t+1, ytd= x2t+1 とおくと
yt+1a = xt+1= ytc yt+1b = x2t+1= ytd
yt+1c = x1t+2= a11x1t+1+ a12x2t+1+ b11x1t+ b12x2t
= a11yct+ a12ytd+ b11yat + b12ytb
yt+1d = x2t+2= a21x1t+1+ a22x2t+1+ b21x1t+ b22x2t
= a21yct+ a22ytd+ b21yat + b22ytb
したがって
yt+1a yt+1b yt+1c yt+1d
= C
yta ybt yct ytd
ここで
C=
0 0 1 0 0 0 0 1 b11 b12 a11 a12
b21 b22 a21 a22
モデル1 と同様にして,C の固有値を λ1, λ2, λ3, λ4とおくと
x1t =∑4i=1(ci1x10+ ci2x20+ ci3x11+ ci4x21) λti
x2t =∑4i=1(di1x10+ di2x20+ di3x11+ di4x21) λti
とかける.(ただし,cij, dij (i, j = 1, 2, 3, 4) は定数) したがって,x
1 t = (α
1
t − α) , x2t= (α 2
t− α) が収束するためには
|λi| ≤ 1 (i = 1, 2, 3, 4)
(証終)
参考文献
[1] Lucas, Robert E. (1988) ”On the Mechanics of Economic Development”. Journal of Monetary Economics 22, pp. 3-42.
[2] McCandless, George T. (2008) the ABCs of RBCs, Harvard University Press.
[3] Mookherjee, Dilip and Ray,Debraj (2003) ”Persistent Inequality”. Re- view of Economic Studies 70, pp. 369-393.