有機合成化学で実現する「最小のものつくり」
大学院理学研究院・大学院総合化学院 教授
谷野
たにの
圭持
けいじ
(理学部化学科)
専門分野 : マテリアル
研究のキーワード : 合成化学,分子,農業
HP アドレス : http://barato.sci.hokudai.ac.jp/~oc2/
どんな研究をしているのですか?
有機合成化学が専門です。炭素原子は4本の腕を使って直線状にも枝分かれ状にも環状 にも連なることができ、水素・酸素・窒素から金属までを含むさまざまな原子と結合して 有機分子をつくります。有機分子は非常に小さいため、手に取って直接加工することはで きません。そこで化学者は、同じくらいに小さな手先(試薬や触媒の分子)を送り込み、 試験管やフラスコの中で有機分子を加工します。これが有機合成で、「最もサイズの小さな ものつくり」と言えるでしょう。研究テーマの大きな柱は、炭素原子と炭素原子または他 の原子をつなぐ新しい有機合成反応の開発です。ノーベル化学賞を受賞された鈴木章先生 の「鈴木カップリング反応」は炭素原子と炭素原子をつなぐ反応の代表格であり、世界中 で利用されていることはご存知と思います。ただし、全ての有機化合物がこれのみで合成 できる訳ではないため、原料と目的物の分子構造に合わせた様々な反応の開発が必要と なってきます。もう一つの柱は、そのような反応を組み合わせた「多段階合成」によって 複雑な構造を持つ有機化合物をつくる研究です。
私たちの生活にどのように関わってきますか?
例えば、抗生物質のペニシリンがカビから発見されたことは有名ですが、その分子構造 が解明されてから、多段階合成による供給が可能となりました。有機合成の特長は、分子 構造を改造したり新たにデザインできる点にあり、副作用の軽減や耐性菌への対策に威力 を発揮します。他の分野に目を向けると、液晶や有機ELなどの高機能性材料が有機合成 されています。このように有機合成化学の対象はたいへん幅広く、研究室の卒業生の多く が医薬品や農薬から材料•石油化学まで幅広い業種の企業で開発研究に従事しています。
理学部なのに医薬の研究をしているのですか?
2004年、私たちは天然有機化合物ノルゾアンタミン(図1) の合成に成功しました。このものは、イソギンチャクの仲間で あるスナギンチャクから発見され、骨粗鬆症モデルマウスに与 えると骨重量の減少を抑えることが知られています。骨粗鬆症 の薬としてすぐ実用化できるわけではありませんが、人工合成 することでスナギンチャクを殺さずに済み、似た分子構造を持 つ化合物も供給できるため、社会的にも意義深い研究です。出身高校:神奈川県立横浜緑ヶ丘高校 最終学歴:東京工業大学大学院理工学研究科
マテリアル
図1 ノルゾアンタミンの分子構造
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次に何を目指しますか?
一例ですが、有機合成化学の力を農業に役立てることを目指 しています。ジャガイモシストセンチュウ(PCN)は、ジャガ イモの根に寄生して収穫に甚大な損害を与える1ミリメートル ほどの小生物です(写真1)。その卵はシストと呼ばれる殻に包 まれて土中で越冬しますが、この休眠状態で10年以上生存し、 農薬も効きにくいため深刻な問題となっています(写真2、3)。
PCNは、ジャガイモなどのナス科植物以外には寄生できないため、ナス科植物の根から のみ分泌される特殊な物質に接しない限り、シストの状態で残る仕組みを持っています。 そのセンチュウふ化促進物質としてジャガイモの水耕栽培液から発見されたのが、ソラノ エクレピンAです。世界中の化学者が研究に取り組みましたが、たいへん複雑な分子構造 を持つソラノエクレピンAの合成は困難を極めました。2011年、私たちは最初の人工合成 を発表しましたが、52回もの変換反応を含む多段階合成が必要とされました(図2)。
ジャガイモが植わっていない畑にソラノエクレピンAを散布し、センチュウの卵をふ化 させることができれば、その幼生は餓死するしかありません。これにより、他の昆虫・鳥 類・動物には影響を与えない、画期的な駆除法が実現できるものと期待されています。
写真1 ジャガイモシスト センチュウ
写真3 根に付着したシスト。1粒に数百個の卵が 入っている。
写真2 PCN による被害が発生したジャガイモ畑。早い時期から 黄変してしまう。
図2 ソラノエクレピンAの多段階合成スキーム。 「5 steps」は5回の反応を行ったことを表す
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