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清代末期江浙地方の蚕糸業

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Academic year: 2021

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(1)平成17年度 兵庫教育大学大学院学位論文. 清代末期江漸地方の蚕糸業.   兵庫教育大学大学院教育研究科 教科・領域教育専攻 社会系コース.    MO4218k 戸澤由子.

(2) 清代末期江漸地方の蚕糸業                  MO4218k 戸澤 由子. 清代末期江漸地方の蚕糸業 目次                                   1. 序章 ………・………・・一………………一…                 5. 第一章 栽桑                               9.  第一節 気候と土壌一………………・……                 9  第二節 桑種と桑樹栽培方法………‘…                  10   1桑種                                10.   2桑の苗木 ……………・一一…一                 11.   3苗木の移植                           12   4桑樹の仕立 ・……………・…・……一.                12.   5桑樹の培養法 …………一……・……                 15   6桑葉の収量 ………㌧………・・……・                賄.   7桑樹の病虫害                           15   8桑園の価格及地租                        16.   9桑の価格と売買                       17  小結 …一・…・…9……一・…一                       17. 第二章 養蚕                              19  第一節 蚕種                             19.   1蚕の産地  …・…………6…・・一一                lg.   2蚕の種類  ……………一・                   1g  第二節 蚕室と蚕具  ・……………・                21   1蚕室                                 21.   2蚕具  …・……・……一・一                  22  第三節 蚕児の飼育法…・………                   25   1蚕種製造法と蚕種の貯蔵                     25   2蚕児の発生                           27. ・1・.

(3) 清代末期江漸地方の蚕糸業. MO4218k 戸澤 由子.  3蚕児飼育法  ……………一・・……………・………一・  …・…      28  じようそく  4上籏     ……………・…・・…。…____り…_・_.      31      34.  5蚕病   ・………・………・…………一…。。……………    きっようかんそう. 第四節 殺蝋乾燥 ……………一…9…………一・…・………. 第五節 養蚕の収支 一………………9一…………・…り. ……9         34.      37. 小結  ・………………・・…………・・……・………………一・  ・……      38. 参考  上海女子蚕業学堂における蚕自飼育目誌概略. 第三章 繭業と繭売買 第一節 繭の販売方法と繭の乾燥 ・……………・…9…一….      42.      44 一一一.            44.  1繭の販売方法  一………………・一…………一D…一.  …・…        44.  2供房と繭の乾燥 ・……9…………9…・………一…曾一….      45. 第二節 繭の売買  一………………一一………一…曾….   …・  45.  1繭行の繭買入  一………………9………0’………●6’….      45.  2繭売買の代価  ……・…・………・一…………一量…・・. ・一一一.  3繭の輸送と価格 一………………・一……………・曾一… 小結  ……………一…・一………………曾……臼・…………・一.           46. ・…….        47.      49. 第四章座繰製糸.      51      51  1足踏器械製生糸の産地 D・………………9………………      51  2繰糸法と用水  一………………・…………… …一・      52  3煮繭と緒立、添緒 ……一…………・… …… 一一      52  4再繰   9…………・……・…一……・ ……一……      54 第二節 足踏器械製生糸の売買 ………一…9…9…………      56 小結  一………………・・……・…………9……………・一り・      58 第一節 足踏器械製生糸  一………………9………………. 第五章器械製糸 第一節 上海の器械製糸 ・…・……………・………・……一・. 第二節 器械製糸場の創立設計予算 一.           ・2・.      61      61      65.

(4) 清代末期江漸地方の蚕糸業. MO4218k 戸澤 由子. 第三節 器械製糸工場.  1器械製糸工場の設立.  2器械製糸工場の構造.  3製糸工場の貸借  4製糸器械 小結. 第六章 製糸工女の労働と賃金   1労働者と賃金 ……………… ・………一……………・……………・.   2工女の勧誘                     …’一…   3工女の職名及年齢      …・  ・….   4工女の出身地とその生活水準            …・ …・   5工女の技術   6工女工賃の支払法及就業時間    …・      一・   7工女の賞罰法  …………一…   …・・  小結                       一…・…・……一・. 第七章 生糸の売買  第一節 生糸の種類               ・・…….   1上海で流通する生糸の種類  ・一……………7一………………・…….   2製糸工場の商標               …・    ’●  第二節 生糸の販売  ……・…………….   1生糸の輸出販売                   ’…….   2生糸売買の先約売 ……一………・9………   3上海における生糸輸出商と生糸の船積荷数         …・9  第三節 生糸輸出  …・…・…………・一一……….   1生糸輸出の手続き ……・………一・    ・…………   2生糸の輸出販売にかかる諸費用 一……………      …・.  第四節 目清両国の生糸輸出高の推移と価格変動      …・ …一.   1目清両国の生糸輸出高の推移  ……・……一. ・3一.

(5) 清代末期江漸地方の蚕糸業. MO4218k 戸澤 由子. 8 0 9 0  1.  2生糸価格の変動 小結  一……………. 第八章 清国における蚕業教育  第一節 清国の教育と漸江蚕学堂.   1清国の教育の状態   2漸江蚕学堂  ・………………….   3蚕学校のカリキュラム   ー    1本多報告(明治32年)    2峰村報告(明治36年)    3紫藤報告(明治44年).  第二節 蚕業教育の効果  小結  …一……・……・……9甲……. 結論. 113. 附編 清国の政治、交通、金融機関等の状態. 117 117. 1政治 2交通  …一…. ■  g  o  9  ■  9  ■  ・  ○  ・  9  ・  ●  い  9  .  ●  0  6  }  ,  ■  o  ■  り  ,  9  ■  o  ●  9  ・  9  9. 3金融  一……. り  9  ■  9  曾  O  ■  9  0  0  −  9  .  9  ●  ,  .  O  O  .  O  O  ,  ,  D  D  ●  り  響  ■  ,  0  9  9     ●  ■  0  9  ●. 117 119. 132. 地図. ・4・.

(6) MO4218k戸澤 由子. 清代末期江漸地方の蚕糸業. 序章  本論の研究目的は、清代末期の江漸地方の蚕糸業について明らかにすることである。  中国絹研究においては、漢代から唐代の研究が盛んであり、清代に関しては鈴木智夫氏、. 曽田三郎氏の研究がある。清代の絹、特に生糸に関しては欧米そして日本も当時強い関心 を寄せていた。欧米の絹の消費量は多く、欧米の製糸業は重要産業のひとつであった。開. 国後漸く世界市場に登場した中国生糸は、欧米で注目を浴びた。目本も製糸業によって発. 展を遂げようとしている時期であり、中国生糸に関して非常に強い関心をもって調査を進 めた。当時の中国生糸の生産過程のなかで栽桑・養蚕・蚕糸製造過程・製糸を取り巻く環 境などは十分明らかにされていない。明らかにすることは重要な研究課題であると考えら れる。.  先行研究としては (1)佐藤武敏『中国古代絹織物史研究』 風間書房 1977年 (2)陳慈玉『近代中國的機械繰綜工業』中央研究院近代史研究所 1989年. (3〉徐新吾『中国近代繰糸工業史』  上海人民出版社1990年 (4)池田憲司『中国新蚕農書考』    華中蚕糸公司 1991年 (5)鈴木智夫『洋務運動の研究』    汲古書院 1992年 (6)曽田三郎『中国近代製糸業の研究』 汲古書院 1994年 がある。.  研究に用いる史料として明治期に日本の農商務省の視察報告書を参考にした。これらの 視察報告書は信頼度が高く、先行研究の書物の中にも引用されているが総合的に比較・検 討した研究は未だない。そこで本稿では最も詳しく報告している紫藤章の「清国蚕糸業一 斑」を中心に他の報告と併せて考察した。. (1)錦戸右門r清国繭糸事情」明治30年10,月 横浜井上商店 (2)高津仲次郎r清國意綜業視察報告書」明治30年  農商務省農務局. (3)松永伍作r清国蚕糸業視察復命書」明治31年3月 農商務省農務局. (4)深沢利重「清国蚕糸業視察報告書」明治32年2月 前橋商業会議所 (5)本多岩次郎「清国蚕糸業調査復命書」明治32年4月 農商務省農務局 (6)轟木長「清国蚕糸業に関する報告書」明治34年9,月 農商務省商工局. (7)關貞江「清国漸江省に於ける蚕糸業に関る報告書」明治35年9月農商務省商工局 (8)峰村喜蔵「清国蚕糸業視察復命書」明治36年12月  農商務省農務局. ・5・.

(7) MO4218k戸澤 由子. 清代末期江漸地方の蚕糸業. (9)小山久左右衛門「清国製糸業視察復命書」明治39年1,月  小山久左右衛門 (10)町田菊次郎「清韓に於ける製糸業視察復命書」明治39年12月. (11)紫藤章r清国蚕糸業一班」明治44年3月      生綜検査所.  漢籍文献はおもに (1)『繹絶』任大椿 1769年. (2)『囲風廣義』楊山山  1742年 (3)『繹幣』王国維 1968年. (4)『天工開物』宋応星 1673年 を参考にした。.  研究方法は佐藤武敏先生の『中国古代絹織物史研究』を参考に、蚕糸業について項目毎 に網羅的に取り組む方法をとった。佐藤武敏先生からは直接聞き取りをさせていただき、 また貴重な資料である清国蚕糸業視察報告書の提供をうけ、これを利用させていただいた。. 池田憲司先生は実際に昭和B年8月(1938年)から昭和16年11月(1941年)まで華中 蚕糸公司に勤務しておられ、日本帰国後も長く繊維業界で重要な役割を果たしてこられた。. 著書のみならず実際にお会いして研究への助言をいただいた。中央研究院の陳慈玉先生に も直接助言をいただいた。.  また、明治期の清国蚕糸業視察報告書を用いて研究することについて、明治期外交通商 情報の領事報告が注目されている。当時生糸と茶が日本の最大輸出品で、明治政府が海外 の、とくに清国の蚕糸業の情報入手の必要があったからと考えられる。.  1972年、石井寛治氏が『日本蚕業史分析研究』 (東京大楽出版会1972年)に視察報告 書類を利用するも、一部の報告書のみの利用であり、報告の史料批判を行っていないのが 問題とされている。.  次に今回参考にした清国における蚕糸業の視察報告書の歴史的背景を示し、各報告書の 意図、調査方法、内容の特色、歴史的意味を述べたい。.  最初に清国を視察したのは錦戸右門で、本格的な現場視察は日清戦争以後に集中してい る。これは下関条約以来、清国への企業進出が可能となったためである。.  明治初期より、清国の桑と蚕が優秀であるため、目本に多く輸入された。当時、清国の 生糸貿易は目本をはるかに超えていた。.  蚕糸研究会では、蚕糸関係書籍目録を発行した。日清戦争の講話条約が契機となって、 蚕糸業にかかる調査員が清国に派遣された。. 一6一.

(8) MO4218k 戸澤 由子. 清代末期江漸地方の蚕糸業.  錦戸、高津、松永報告書について(∼明治30年)は、錦戸右門は上海器械製糸の欧米市 場の進出に強い関心を持ち調査した結果、清国繭が全般的に目本繭に勝ること、生糸並び に屑物の価格は大差がないが輸出量は清国が目本の2倍あること、上海器械製糸は、光沢 以外はすべて日本の製糸場に勝ることを報告している。.  目清戦争後、清国蚕糸業の視察において、民間業者の高津仲次郎は、蚕糸業の経済側面 のみならず技術的側面も調査し、清国の繭・生糸に対する高い評価を技術的側面から明ら. かにした結果、桑園の土質、鍬の接木法・栽培法、蚕児結繭時の扱い方、蚕児飼育方法は. 未熟だが繭の性質が良好で、また座繰は足で枠を回し粗忽である原料が良好なため、生糸 は日本のよりも上等で、賃金が日本の半額で有利であると結論づけた。松永伍作は蚕業講 習所技師であり、細部を除き高津とほぼ同じ内容の報告を行った。以上いずれも清国の蚕 種、繭、生糸を高く評価している。.  本多・深澤報告(明治31∼32年)は、本多岩次郎は蚕業講習所技師であったが、清国の 繭及び生糸に対して、極めて低い評価をした。深澤利重は前橋商工会議所に勤務していた が、従来の報告を事実誤認による過大評価として批判している。清国洋式器械製糸業は、. 日清戦争後勃興した事業で、極めて不経済で、旧式製糸業の改良は難しく、土地・気候は. 養蚕には向かず、目本の蚕種は清国に劣らないとして、目本が清国に勝っていると結論し た。.  轟木・關・峰村報告(明治33∼35年)は轟木長は清国杭州府蚕学館の講師であったが一 時帰国後海外実業練習生として再度渡清し、峰村とともに清国で蚕糸教育に従事して、長 期問滞在し、詳細な調査を行った。江漸地方の土地・気候は養蚕に適し目本に勝ること、 蚕種は粗製濫造だが性質が強く、桑や物価が安く副業により存続していること、製糸業は、. 座繰製品は粗雑・拙劣で粗悪、器械製糸は明治31∼32年に一時衰退したが生糸市場は活況 を取り戻しつつあり、目清戦争の講和条約を見据えて清国で器械製糸業を起こすことを提 案した。關貞江は、清国蚕糸業の長所を日本に応用、清国蚕繭糸を利用し利益を収得する ことを提言した。峰村喜蔵は、調査期間も長く最も詳細な報告を行った。桑の種類は3種. で少ないが江漸の魯桑は目本の及ぶところではなく、養蚕も品種が限られているが製糸上 の品質が安定し、繭質は良好だが、生糸の品質が目本に劣る。これは原料が劣悪なのでは. なく、繰製上の技術が乏しいため。結論としては、清国蚕糸業を改良し、清国に蚕種製造 所、製糸場を起こすことを提案した。.  小山・町田報告(明治38∼39年)は小山久左衛門はおもに広州、町田菊次郎は韓国と満. 一7一.

(9) MO4218k 戸澤 由子. 清代末期江漸地方の蚕糸業. 州を調査しているため本稿ではとりあげない。.  紫藤報告(明治43年)は大変詳しく、佐藤先生、池田先生の信頼も大きい。本論におい て中心とした報告書である。1910年、全世界に占めるの蚕糸産額は、清国38%、日本33% で、欧米への輸出量を増やしているなかで紫藤は清国蚕糸業の実情を調査した。従来の調 査のように、繭の輸入や工場建設の是非の観点からではなく、競争国としての清国の蚕糸 業の調査を実施している。清国は国民教育が普及せず、地方政治が不振で国民が貧弱であ り、交通機関の不整備、経済機関の紛綜錯雑がその産業・商業の発展の一大障害となって. いるため、目本は鋭意本邦蚕糸の改良を企て、その販路の拡大を目指すべきであると結論 している。.  石井寛治氏や曽田三郎氏がこれらの農商務省の視察報告書の一部を利用して研究されて いるが、総合分析した研究は未だない。同視察報告書を基礎史料として研究していきたい。. そこでこれらの史料を中心に、今迄論じられることの少なかった清代の養蚕に着目して研 究していきたいと考えている。また蚕糸業が最も盛んであった江蘇省・漸江省、いわゆる. 江漸地方を中心として研究することを考えている。また佐藤武敏先生の『中国古代絹織物 史研究』は養蚕から織物・刺繍に到るまで詳しく研究されており、その課題整理の手法を 参考に進めていきたい。.  蚕糸業関係器具の図及び桑関係の図は漢籍史料を参考にする。  第一章では栽桑について江漸地方の気候や土壌、桑の種類、桑の栽培方法などを述べる。. 第二章では養蚕について蚕の種類、蚕室、蚕具、蚕児の飼育方法などを述べる。第三章で は繭業と繭売買について販売方法や販売人、販売に伴う繭乾燥、輸送、代価などを述べる。. 第四章では座操製糸にっいて足踏器械製糸による生糸生産、座操生糸の販売などを述べる。. 第五章では器械製糸について創立にかかる費用、工場の施設、設備、構造などとともに工 場賃貸の習慣も述べる。第六章では製糸工場の労働と賃金について労働者と賃金、とくに 製糸工女の労働生活状態を述べる。第七章では生糸の売買について生糸の種類や販売方法、. 上海からの生糸の輸出を述べる。第八章では清国における蚕業教育について杭州蚕学堂を 中心に述べる。なお当時の清国産業社会の背景を簡単に附編として清国の政治、交通、金. 融機関等の状態を述べる。以上の分析を通じて清代末期江漸地方の蚕糸業を明らかにした い。. ・8・.

(10) 清代末期江漸地方の蚕糸業. MO4218k 戸澤 由子. 第一章栽桑  本章では第一節で清末江漸地方の気候について述べ、気候と士壌の養蚕への適否を明ら. かにしたい。第二節で桑種と桑樹の栽培法について述べる。苗木の特徴、苗木の移植、培 養法、桑葉の収量、桑樹の虫害、桑園の価格と地租、桑葉の売買と価格について述べる。. 第一節 気候と土壌  19世紀末から20世紀初頭の蘇州、漸江は米・繭・生糸などの一大産地である。それは 気候・風土が栽培に適しているからである。.  下記の表1、表2、表3に示したように、だいだい5∼6月の気温は摂氏21∼24度く らいである。雨量は多く、気候は概ね穏和である。平成14年刊の日本蚕糸学会による改 訂蚕糸学入門によると蚕の発育可能温度範囲は概ね、摂氏7∼40度で、実用的には大体摂. 氏20∼30度とされている。同じく湿度は75∼90%とされている。表1をみると杭州にお ける1905年から1909年の5年間の平均気温では4月の最高気温の平均は19.26度、最低 気温の平均が10.94度である.5月の最高気温の平均は26.10度、最低気温の平均は16.10 度である。6月の最高気温の平均は29.18度、最低気温の平均は21.02度である。ほぼ養. 蚕の実用に向く気温に適合している。表2をみると杭州における1905年から1909年の5 年間の平均湿度では4月の平均湿度は80.8%である。5月の平均湿度は77.3%である。6. 月の平均湿度は82.2%である。これも養蚕の実用に向く湿度に適合している。ここから江 漸地方の気温・湿度のは養蚕に適していると考えられる。一方で、深澤利重は温暖すぎる 気候は蚕児が早熟になる原因であるとし、また繭病が広がりやすいとしている(1).早熟な. 蚕の糸は強度や繊度が不十分であることが多い。.  江漸地域の士壌は肥沃である。粘土質の土壌も多い。深澤は粘土質は桑樹栽培に適さな いという考えであるが、実際に轟木、紫藤の調査結果によると、むしろ粘土質土壌には桑 樹が多いことが確認されている(2)。土地が痩せていて桑栽培に不適な土地であるとした深. 澤は自身で詳しく調査をしたわけではないと考えられる。. 表1 明治38∼42年各年(1905∼1909)4、5、63か月の最高・最低・平均気温. ・9・.

(11) MO4218k 戸澤 由子. 清代末期江漸地方の蚕糸業. 38. 月. 40. 39. 42. 41. 平均. 最高 最低 最高 最低 最高 最低 最高 最低 最高 最低. 4 5 6. 最高. 最低. 16.7 10.1 20.0 12.3 20.3 11.1 17.6 10.1 21.7 11.1 19.26. 10.94. 25.3 16.4 24.4 16.9 27.1 15.8 29.9 15.7 26.8 15.7 26.10. 16.10. 30.2 22.1 29.5 22.2 28.4 19.6 30.1 21.0 27.7 20.2 29.18 21.02. 清国杭州中央気象台出張所観測表より. 表2 明治38∼42年各年(1905∼1909)4、5、63か,月の月間平均温度・湿度. 4 5 6. 39. 38. 月. 40. 42. 41. 平均. 温度. 湿度. 温度. 湿度. 温度. 湿度. 温度. 湿度. 温度. 湿度. 温度. 湿度. 12.83. 85. 15.70. 81. 14.86. 78. 13.31. 84. 16.03. 76. 14.55. 80.8. 20.32. 71. 19.93. 84. 20.86. 72. 20.48. 77. 20.57. 72. 20.43. 77.3. 25.27. 79. 25.20. 85. 23.38. 80. 24.72. 81. 23.17. 87. 24.35. 82.2.                   清国杭州中央気象台出張所観測表より. 表3 明治38∼42年各年(1905∼1909)4、5、63か月の月間降水量・降水目数 38 月. 4 5 6. 40. 39. 42. 41. 平均. 降水量 目数 降水量 目数 降水量 日数 降水量 目数 降水量 目数 降水量 目数 粍. 目. 粍. 目. 粍. 目. 粍. 目. 粍. 目. 粍. 目. 179.1. 19. 153.3. 19. 56.0. 12. 231.3. 21. 101.7. 16. 144.3. 17.4. 241.3. 17. 195.5. 20. 104.7. 13. 93.2. 10. 59.9. 6. 138.9. 13.2. 134.0. 11. 252.6. 17. 171.1. 11. 172.0. 17. 511.0. 25. 248.1. 16.2. 清国杭州中央気象台出張所観測表より. 第二節 桑種と桑樹栽培方法. 1桑種  清国では桑樹の種類は大きく区別すると火桑、湖桑、野桑の3種である。.  桑樹は多種類あるが、普通に栽培されているのは火桑、湖桑、魯桑、荊桑の4種がほと.                  一10・.

(12) 清代末期江漸地方の蚕糸業. MO4218k 戸澤 由子. んどである(3)。     わ  せ.  火桑は早生種で葉が大きく、厚い。枝は高大で、幹が赤く樹皮に黄色い斑点がある(4)。. 湖桑は漸江省湖州府を原産とする。魯桑の変種で最も多く栽培されている。幹の色は青白 く、葉は大きく、厚く、<滋>(養分)が多い。寿命も他種よりも長い。桑樹のなかで最 良といわれているが性質は弱く、移植するのは簡単ではない。俗に白皮葉という(5)。.  魯桑は原名東生桑という。湖桑と同種である。葉は大きく、円く、性質は強い。中生種 である(6)。.  荊桑は一名を榛桑ともいう。士桑、野桑の類である。葉は大きく、肉が薄く、津液(汁). は少ない。晩生種で発芽が最も遅い。砧木として魯桑を接ぐのに適している。各地で栽培 されているのはそのためである(7)。.  また野桑は葉が小さく、薄い(8)。.  江漸地方では魯桑しか栽培されていないという高津や松永の報告もある(9)が、これは誤. りである。高津、深澤以後の深澤・轟木・紫藤報告などの調査報告には他種の記載がある (10)。. 2桑の苗木  桑はだいたい接木で栽培される。    そうじん.  まず桑椹を取る。これは桑の実のことである。桑椹は肥黒なものを選ぶ。これを水に入. れて浮かぶものを取り去り、沈んだものを選んで陰乾にする。畑に深さ6寸(広東尺:1.                                    わら 寸二3.55cm)、幅3寸か4寸ほどの溝を掘る。まず乾糞泥をうめてその上に桑椹を蒔き、藁 ばい. 灰で覆い、時々清水をまく。発芽後適宜間引いて間隔を空けるようにする。一年後に一尺 (広東尺:1尺=35.54cm)ほどに育ったものを鳥暴という(11)。.  烏桑は次の年に成育の良いものを選んで、株間6∼7寸、畦幅1尺内外の見当で移植し、 水肥をあたえる。.  苗木が1年成長したとき、丈夫な苗を選んで希望する種類の桑を接ぐ。                         き      はこ  接木するためには、まず葉芽のある接穂を3∼4寸位に勇り、筐中に置き、湿布で覆っ.           きぬたぎ て風目にあてて、利刀で砧木とする。  苗木は地面から半尺ほどのところを切り取る(12)。.  皮部分を少しの木質部とともに削り、切り口を滑らかにして接ぎ穂を挿す。切口を密着. 一11・.

(13) 清代末期江漸地方の蚕糸業. MO4218k 戸澤 由子.                  むぎわら させ・接穂炉動かないように注意し、桑皮か麦桿で接いだ部分を堅く縛る・ 暖かければ晴明(4月5目頃)前に、寒ければ晴明後に接ぐ。  接木した後、晴天であれば接着しやすいが、豪雨であれば接着しないこともある。  晴天が続けば接いだ部分が乾燥するので、時々水を注いで、湿らせる必要がある。  接穂の2芽を残して動かないように注意しながら土で覆う。.  しばらくして芽が出たときは1芽だけ残し後は取り去る。そうすると10月頃になれば. 4尺5∼6寸から5尺7∼8寸に成長する。これを苗木という。  清朝末期、漸江省嘉興府石門県は桑苗栽培地として最も有名であった。また杭州府海寧 州、湖州も良い桑苗を仕立てて他へ搬出している(13)。. 3苗木の移植  前述のようにして作った苗木は12月頃になれば他に移植するのに適するようになる。           あぜはば 苗木を植えるためには、畦幅は凡そ4尺∼5尺とし、株と株の距離も4尺∼5尺とし、1 畝に240本以上350本位の株数が適当である(14)(15)。.  二L地が肥沃であればまばらに植える疎植によく、痩地であれば密生して植える密植によ い。.  苗木を植えるには、まず方2尺5寸∼6寸、深さ1尺5寸位の穴を掘り、前もって濃厚 な水肥(水に溶かした肥料)及び河泥から成る混合肥料を注いでおく。苗木の根を洗って、. 腐敗した髪根などは勇りとって、一本をこの穴にまっすぐに植える。直に土を入れて填め、. よく叩き直すだけにしておく。このとき水を注いではいけない。. 4桑樹の仕立て  第2年の2月初旬に育った苗木の幹は地上1尺6寸の高さに切っておく。.  後で出た芽は2個だけを成長させる。秋になれば4尺5寸から6寸乃至5尺7寸∼8寸 の高さに成長している。.  翌年つまり3年目の2月になれば、また前年から成長した枝を1尺2寸の高さで前と同 じように切り取る。また各枝より出た芽二つずっ成長したときはその秋には4尺5寸から. 6寸乃至5尺7寸∼8寸の高さに成長している。. ・12一.

(14) MO4218k 戸澤 由子. 清代末期江漸地方の蚕糸業.  翌年、つまり第4年の2月頃成長した枝を1尺2寸の高さで前と同じように切り取る。. 成長した枝を1尺2寸の高さで前と同じように切り取る。第5年以後は毎年5月6月の春 蚕季節までは新芽を勇去しない。.  その後そのまま放置した枝葉を切り取り蚕児を養う。.  以後毎年、伸長した頂上の枝より2芽づつを成長させ、各所より出る芽を除去する。.  第1年には地上高1尺2∼3寸、第2年、第3年、第4年にはその上より、1尺2寸又 は1尺3寸の高さに勇り去るため、全体の樹高は4尺7∼8寸余りとなって、普通の人な  はしご. ら梯が不要で摘葉・勇枝が可能で収穫作業に便利である。毎年これを継続すると数年後に. は16箇の枝上には漸次拳状となり、これを墨暴と呼ぶ(16)。.  新枝を桑と共に切り取って飼育に供することが可能なため、摘葉の労力を省くことがで き、雨又は湿気が高く桑葉が湿けている時は小枝のままつり下げて乾燥出来て便利である。.  充分成長した桑樹は1本で50∼60斤(1斤二603.75g)の収葉が可能である(17)。.  江蘇・漸江両省で桑栽培法に別に差異はないが、江蘇省は桑樹の高さを中くらいに仕上 げる中刈が多く、漸江省は桑樹の高さを高めに仕上げる高刈が多い。.  江蘇漸江地方の養蚕家は、桑樹栽培法特に勇枝法に最も注意している。  勇枝を要する枝には次の4種ある(18)。  れきすい. ①渥水状 枝が下方に垂れたもの. ②刺身状 内部に向いて成長した枝  べんし. ③駐枝状 枝が2本同時に発生したもの。丈夫な方の枝1本を残し勇り去る。  じょうざ. ④冗挫状 同一の場所に数本密生させるもの。丈夫な枝1本を残し勇り去る。. ・13一.

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(16) 清代末期江海地方の蚕糸業. MO4218k 戸澤 由子. 5桑樹培養法                あぶらかす  桑の根側を耕しきって豊軟にさせ、油粕の溶液を少量づつこれに施す。.  初春に芽が萌出したものを羅篠という。苺條は秋には8尺の長さに成長する。.  冬季に濃厚な人糞または川泥等を施す。すると翌年に良く繁茂し、施肥をしない場合の 殆ど2倍に収葉がある(19)。.  毎年11月に翌年の為に桑園の手入れをする。桑枝が屈曲又は衰弱したものを切り取り、 大きく厚い葉を生じさせるため樹形を傘のような形につくり、雑草を除去する。.  1・3・6・9月頃肥料を充分施せば最も良い。肥料中人糞は最も効力がある。近年牛馬糞 の堆積肥料がよく好まれる。油粕、豆粕の類は温気があり養分が多いために、桑樹の周囲 に小穴を穿ってこれに肥料を満たし、河泥で覆い、その根を充分に養う。  数十年経過した桑樹は漸次衰退し、樹心が空洞となるため、その傍らに若い桑苗を植え、. 2・3年後に老木を切り去り、少しでも土地を無駄に空けないようよう注意する。  桑樹の寿命の最も長いものは、50年以上に及ぶという(20)。.  清国では一般に家桑即ち湖桑を栽培するが、野桑も又家桑と同様に成長する。ただ、野. 桑は家桑のように勇枝することなく成長するままにまかせ、大木は50∼60尺に達し、葉 を摘ることが甚だ困難である。野桑の葉は小さく薄く、また、一度家桑を食べたことのあ る蚕は野桑を好まない(21)。. 6桑葉の収量  桑葉の収穫量は清国では、貨幣価値、丈量の不統一により、経済上の統計が殆ど不可能. である。江蘇・漸江地方の各所で紫藤が聞いた結果によると、普通1畝(日本の6畝余). (1畝=614㎡)の桑園から産する桑葉の量は、上等で12担(1担二60.48kg)から13 担(但し新梢共)、中等で10担、下等で5担である(22)。. 7桑樹の病虫害  清国では桑の病害・害虫に注意を払う者がほとんど無く実態はよくわからない。若干の 記録によると以下の通りである。.  桑牛(23)は桑皮の内部に生長する害虫のことである。口には2個の刺刃の如き咬階をも. ・15一.

(17) 清代末期江漸地方の蚕糸業. MO4218k 戸澤 由子. つ。新芽がこの虫にやられた時には枯死する。桑皮を咬み破き内部に散乱させる。幼虫は. 蚕児に似ていて、鋭い口がある。成長し漸次降りてその根に食い入る時には桑樹は枯死す る。この虫の駆除には、桑樹を点検し、樹皮の外面に脂のようなものが漏出する場合に樹. 皮をとると、米粒のような幼虫を発見できるので駆除する。もはや成虫となれば発見は困. 難である。針金をその穴にっっこんで刺し殺す。穴が深すぎて届かぬ場合、桐油を穴に注 ぐと鰭鰭(根切り虫)は死ぬ。.  桑虫は葉を害する昆虫のことである。6∼7月頃に発生し、桑葉は葛布のようになり次年 には著しく収葉が減る。小さい繭を作り蛾となって各所に産卵し、次年にはますます繁殖. する。駆除には、姻草の幹を煎じた煮汁を適度に水で割り散布するか、見つけ次第に駆除 する。. 8桑園の価格及地租  桑園の価格は上海等都会付近では1畝約300弗∼500弗(1弗=2圓)。地租(地主が 清朝に納入する租税)は銀約1両半(1両=1圓18銭)を銅銭に換算して納入する。春 夏冬に分納する。借地料は1畝1ヶ,月80仙∼1弗20仙(1仙=2銭)位である。無錫地 方の田地価格は上等の田で1畝は80弗内外。中等は50弗、下等は30弗位である。これ らは二毛作で、1年に米8斗(1斗=10.34リットル)、小麦8斗位を算出する。地租1年. およそ800文(1文=1厘)を普通として、4、9、12月で分納する。借地料は田一畝に つき3弗、外に保証人初期酒食料として1弗50仙が必要で、合わせて4弗50仙である。  無錫地方の桑園の価格は、上等1畝70∼80弗、中等50弗、下等30弗くらいである。 地租は田と大同小異である。貸付起源5か年を1期とし、料金は地価の7分位である。.  湖州地方の桑園一畝価格は50∼60弗が普通である。地租は1畝1200文内外である。.  上海女子蚕業学堂の史氏の談では、紹興地方の田の価格は1畝約110∼120弗内外であ る。桑園は50∼60弗内外である(24)。.  元来、江蘇・漸江地方の田は高田で、田の周辺には掘割又は運河等があり、水牛を動力 とする揚水機で絶えず灌概するのに便利であり、普通の畑でも容易に田に替えることが可 能である。よって、これらの地方は殆ど田畑の区別ない。  桑園は、畦幅広く株間距離が遠いので、多くはその下に蚕豆その他作物を栽培する(25)。. ・16一.

(18) 清代末期江漸地方の蚕糸業. MO4218k戸澤 由子. 9桑葉の売買と価格  養蚕は全く農家の副業で、30∼40斤(1斤=604g)から70∼80斤内外の生繭を収穫 する。飼育に要する桑園の全部を所有する者は少なく、使用量(飼育に必要な量の)3割 は買桑する(26)。.  売買法には種々ある。市場で売買するもの、園地従量売買(桑の収穫量による桑葉売買). するもの、園地面積売買(園地面積による桑葉売買)によるもの、旧暦12月頃先約束す るもの等である。先約束の場合は手付け金として1畝単位の売買に5弗位を支払い、その. 値段は100斤(=1担)に60∼70仙乃至1弗見当である。  桑葉は市場で売買する場合、多量の水をまいて増量する不正が多く、桑葉の値段はその. 年の桑樹発芽の状況や養蚕家の蚕種篇笠模様等により変動するが、平年の相場は最高で. 100斤にっき5弗内外、最低で50仙内外。1910年は桑葉が価格高騰したため、無錫地方. は100斤に月1弗50仙∼2弗2・30仙。杭州付近、嘉興付近は1弗2−30仙∼4弗10仙。 上海付近では1909年は6弗位に達したが、1910年の価格は2弗∼3弗位である(27)。. 第一章小結  清末19世紀末から20世紀初頭の江漸地方は温暖であり、養蚕に適していた。また桑苗 栽培が盛んであった。栽培種はほとんどが人の手で育てる家桑である。桑樹の仕立てには 特徴があって、これを挙式という。桑葉が摘み取りやすく、腰を伸ばして作業ができる、. また日照・通風にも優れていたため注目されていたのである。挙式はいわゆる高刈・中刈. であるが、現在ではほとんど低木作になっている。筆者が2005年8月25日に池田憲司先 生にお聞きしたところ、作業効率は低木の方がよいからという理由による。すると本論で 取り扱った報告書はちょうど中国で低木作が始まる直前の記録であったということになる。. 第八章で述べる1898年創立の蚕業学校の実践によって低木作が知られるようになったと 考えられる。養蚕は農家の副業で、専業生産者は無かったため、桑葉の売買も行われてい た。江漸地方は縦横に運河が通り、桑葉の運搬にも便利が良かった。桑葉の価格は年によ って変動がある。市場で売買される場合に、桑葉に水をまいて重量を増す不正があった。 近代的取引が完成していたとは言い難かった。. 一17一.

(19) MO4218k戸澤 由子. 清代末期江漸地方の蚕糸業. 第一章註 (1)深澤報告13頁. (2)紫藤報告3頁、高津報告6頁、松永報告3頁119頁. (3)紫藤報告13頁14頁、高津報告9頁、松永報告119頁 (4)初期の報告書には魯桑のみと記している。高津報告10頁. (5)紫藤報告14頁. (6)紫藤報告22頁、高津報告10頁、峰村報告14頁、轟木報告13頁 (7)紫藤報告22頁 (8)紫藤報告22頁 (9)松永報告頁119頁、高津報告. (10)紫藤報告23頁、深澤報告、轟木報告13頁 (11)紫藤報告23頁、高津報告、松永報告120頁 (12)紫藤報告24頁. (13)紫藤報告24頁 (14)紫藤報告25頁. (15)松永は1畝につき180株くらいが適当としている。松永報告119頁. (16)紫藤報告26頁、高津報告10頁、松永報告121頁 (17)紫藤報告26頁、高津報告11頁、松永報告123頁 (18)松永報告121頁. (19)紫藤報告27頁 (20)紫藤報告28頁 (21)紫藤報告28頁 (22)紫藤報告29頁. (23)桑牛とは現代の中国語ではクワガタムシのことであるが、ここではカミキリムシを指.  す。池田憲司先生談。 (24)紫藤報告30頁 (25)紫藤報告31頁 (26)紫藤報告31頁. (27)紫藤報告32頁. ・18・.

(20) 清代末期江漸地方の蚕糸業. MO4218k 戸澤 由子. 第二章 養蚕  本章では養蚕にっいて述べる。第一節では清朝末期に江漸地方で飼育されていた蚕の種 類を明らかにし、第二節では蚕を飼うための蚕室と蚕具について述べる。蚕室・蚕具は清 代初期からほとんど形が変わっていない。ここで述べる清朝末期は器械・機械の導入によ る養蚕・製糸業の激変期の直前の状態であるので、その状態を明らかにしておくことは重. 要であると考える。第三節では蚕児の飼育方法にっいて述べる。蚕種という言葉は第一節 の蚕の種類と紛らわしいが、ここでは蚕の卵すなわち蚕の種を意味する。当時の養蚕家が. 蚕を卵から艀し、数回の脱皮を経て成長させる過程を明らかにする。蚕が繭になるための. 足場(籏)に移してやる上籏について述べる。蚕病にっいては、取り扱う時代は少しさか のぼるが清国繭が欧米社会から特に注目を受ける引き金となった微粒子病にっいても触れ.                        さなぎ る。第四節では繭から糸を取るために、繭が蛾になる前の蝋のまま殺す殺蝋乾燥について 述べる。第五節では蚕飼育の収支について述べる。. 第一節蚕種 1蚕の産地  江蘇漸江両省の主な産地は(1)、. ①江蘇省 常州府の無錫縣、金匿縣、蘇州府下の長州縣、震澤縣、常熟縣、江蜜府、松江  府、揚州府、徐州府、鎮江府下等。. ②漸江省 杭州府下の海密州、余杭縣、新城縣、昌化縣、及びその他の縣。嘉興府下の平  湖縣、石門縣,嘉興縣、桐郷縣、海盤縣、湖州府下の烏程縣、蹄安縣、徳清縣、長興縣、.  その他、紹興府下の陳縣、新昌縣、諸盤縣、鯨挑縣、薫山縣及びその他の縣、霧波府下  の奉化縣、郵縣、鎮海縣等 である。(巻末地図参照). 2蚕の種類  江蘇漸江地方で飼育する蚕児はすべて四眠蚕(4回脱皮するもの)である。その8∼9. 割は一化性(1年に1回しか世代を繰り返さないものを一化性という。2回のものを二化. ・19・.

(21) 清代末期江漸地方の蚕糸業. MO4218k 戸澤 由子. 性、それ以上を多化性という)である。蚕の種類は、無錫、紹興、繰縣、諸暫等有名な生 産地の名でよばれる。清国固有蚕種は次の16種である(2)。. ①新昌種 漸江省紹興府下新昌縣の産。形状で新長種、新圓種の2種。圓頭種ともいう。 ②小水團. 産地①と同じ。上海製糸家が好んで需要。. ③大水團 産地①と同じ。この種小水團に圧せられて近年産額減少。. ④小石罐 漸江省紹興府下新昌縣及び同府下諸甕縣産。. ⑤桂圓種 ④の産。圓球状。日本の大圓頭のこと。諸桂種ともいう。 諸盤産の桂(正)圓の意。. ⑥玉蚕種. ④の産。小形。. ⑦中紫團 ④の産。春蚕、夏蚕ともにこの種あり。小形。. ⑧棲臭種. ④の産。形状中位。. ⑨鄭種. 漸江省蜜波府下鄭縣の産。形は大。. ⑩龍角種 ⑨の産。蚕体に角状突起有り。 ⑪錫圓種 江蘇省常州府下無錫縣の産。小形又楕円形。一名圓頭種ともいう。 ⑫漂陽種 江蘇省鎮江府下漂陽縣の産。形状は大。 ⑬七里種. 漸江省湖州府の産。. ⑭鯨杭種 漸江省杭州府下鯨杭縣の産。形状は大。中央に総れ有。目本種に似る。白色。 たまに笹色を帯びるものが少し有る。形状よりこの種を束腰種ともいう。. ⑮鋳白種 漸江省湖州府の産。形状大。日本の角又に似る。この種を権子種とも称す。 繭質は劣等。広東省、山東省、四川省産にこの種が多い。. ⑯封黄種. ⑮に同じ。.  漸江省の杭州蚕学堂での飼育種は、①青桂(目本の青熟と桂圓種の掛け合わせ〉②新元 ③轟青(轟木長氏が日本より取り寄せた青熟)④龍角⑤諸桂⑥大元⑦緋江⑧泥蚕⑨金巣⑩ 挑種⑪菌種⑫繰種⑬諸夏⑭四化の14種(3)がある。.  このうち、最も多く飼育される種は青桂で、次いで轟青、龍角、諸桂種である。  一般育蚕家に歓迎されるものは圓頭種、桂頭種で束腰種、極子種がこれに次ぐ。.  1910年に清国各地の蚕業学堂又は蚕業伝習所で飼育されているものはほとんど皆杭州 蚕学堂の由来のもので、蚕業者の飼育するものとは全然異なる種である(4)。.  南京博覧会出品の繭中にはこの他、深黄、碧丸、深養、粉種、杭雪齋種、東青種、米色. ・20・.

(22) 清代末期江漸地方の蚕糸業. MO4218k戸澤 由子. 種、封三種、華夏種、綜夏種、桐圓種、黄色又昔、大又繭、漸青元種、粉江繭(繭色江色 を帯びたもの)、赤丸、大圓、鑛紋、選陳、淘新、笄轟、松夏等の名称のものがあると伝わ る。この中には異名同種のものが多い。生産地の違いが形状の違いとなる(5)。.  清国の繭は、名のある産地ではその形状、品質が同一である。そのため製糸家にとって. 名のある産地から繭を買うことは、均等な品質の糸を生産できるので利便性が大きい(6) と考えられる。. 第二節 蚕室と蚕具. 1蚕室  清朝期の養蚕家には専用の蚕室(図2). な粗造煉瓦壁禾桿乃至櫨葦葺住宅を使用す. ら1丈(曲尺:1丈=303cm、広東尺:1 丈=355.5cm)のものが多い(7)。.  部屋の開口部2カ所程度で空気の流通は 不十分である。土間の一隅に寝台がある。. 劣!.彰、ー礼、鰐. 1尺=30.3cm、広東尺:1尺=35.5cm)か. 臓.、§. 18L8cm)、奥行3間半、高さ9尺(曲尺:. /〃. 、z、/劒. 表記:曲尺と考えられる、曲尺:1間=. −      臼    . 大きさはだいたい間口4間(目本の尺貫法. ”..−、,、 ﹄次薄.\. る。蚕室は各家の目常寝起きする場所で、. 笏忽、f、.海、懸 愚黛︾身. 圖.室羅. を有するものはほとんどない。極めて狭隆. ・\. 天井は低く、室内は不潔である。障子等も. 十分でなく、外気が室内にはいるので湿度 図2 蚕室図(『囲風廣義』巻中二十). や温度は外気の影響を受ける。しかし火力 で寒さを防ぐこともせず、ただ目常の煮炊. きの熱が自然に蚕室に伝わるだけでほったらかしである。あまりに寒いときは蚕を飼う蚕 棚に布を撒いて外気から守る程度である(8)。清国の農家は棟が高く、多くは瓦葺きで周囲. は粘土又は煉瓦を用いて厚層な壁とし、内部はすべて木材で造られている。農家の構造は. 甚だ粗で、暖地であるために窓戸の隙間等に注意を払っていないので、室内で戸外が見え. ・21一.

(23) 清代末期江漸地方の蚕糸業. MO4218k戸澤 由子. ることは珍しくない。一見して室内の温度調整は不可能に見えるが、実は壁は厚層のみな らず中間に二重壁のような空隙があって、そのため天然の寒暖ともに和らげることが可能 である(9)。また、家屋の周囲にはほとんど棟と同じ高さの高土塀を設け、この塀も外来の. 寒暖を遮って直接室内に入れないという効果がある。従って施設の粗末な割には外温の変 動は室内に影響を与えにくい。.  家屋の床は板を敷いたものはほとんどなく、多くは敲き造り又は瓦敷で、甚だしきは粘 土で固めたに過ぎない。多くは二階建てであるが天井を設けたものは少ない。一般に棟木 両端の下部の壁に円形、花形等をした小窓を設ける(10)。.  1897年の高津報告でも養蚕のための蚕室を持っているものを聞かないと報告している。 松永も轟木も同様の報告をしている(11)。.  このような家屋内で適当な器具で良好に蚕児を飼育するのは不可能である。飼育中に多 くの蚕が死ぬことを前提に、大量の蚕を飼育する厚飼いである(12)。. 左購礁購灘糠継噸.. 2蚕具. 蚕を飼育する入れ物である蚕具は北方と南方とで異なる。.  ﹁、〃”グ配 ■伽グ・⋮.7 7“. .一羅麟難鰯灘珊欝.  一   .−ー    沼■.       ,卜■     ,,“,   ﹄ぺ.                   ①蚕箔 北方で使用される葦簑を指す。蚕  架上に架し蚕をまき飼育する。分箔、除  沙等の際に巻紆自由で、壮蚕の飼育に適  する(図3参照)。. ②蚕筐 南方で使用される一種の蚕籠。竹  製楕円形の一種の蚕籠である蚕筐を使用  する。稚蚕の飼育に適する(図4参照)。. ③蚕盤葦櫨を織り竹で縁辺を作る長さ7  尺幅5寸(広東尺11寸二3.5cm)中間9  寸で蚕架に挿入して使用する(図5参照)。. 図3 蚕箔(『醐風廣義』巻中四十)                  一22一.

(24) M042 18k fi. F l?. f. ;. != $'i lk. ;'!L;L F'-. c;. i#t. '. ' d' 1S:n. I. f:#:rfi. :. , it:. l d "a. a I af 1 :' J: ";'' !f '1/' ; " ?i I }: ';:i:. / ;)!;. ' :_ -:-. IL[ I:. *:i. : :/ il _______ _ _. l' l. l. ;. ..*. :t ;. $ . " /"_ _. l l. . ' ;:¥¥:: ' ¥' ' ':. ¥LJL' l. ... t. f ; :' 'Ic';;/1_:. I_ ' CIZ _ '_ l L '/' '. "' L1. I ;;:' / {. : : i :; ;. :. '. ! i ; i/;i. ::; :: -. l. ;. J[::. '. l.. s'/r '/:' '* :. f *;f /" '. I. i) ';. ///'1 =・・ ・・ f_. .. . .. ..:. '. ;/ ;. l. **+* .' +: ,_4:z . l'd 3 :" ;:;;* t' LF *_ t. ' c'- "' -'i ' /1 _. 'j ' * ' " _- '*-' /, f f"I:frttl i. _-_. ; s;/::::/:/; :::: : :. '/_]. ;'. rF'. !. / !. '. i';i ::' 1' ::" ,,.::. ,. l I }. ¥;if. r. i. ¥;. l. " ¥ ' ¥. ¥. '*'*"":'2. ¥. ". '."' "t'y. z. ?:. 's! t. .ul. :. {: :". .. fr 'f :11" "' ' i?4 =1 J" 's ':::_ /_ _'' .( </ li ;. , , _ : ""? j' ""' '. " ll. ;. !. ( r. l' ! l l n I. f. " j:. i. :. J4. '. ]5. p +)t). l.. lr. !r. : fl. i. -T11. '. i. ' 'l. l. I :--r. t. i. 1 t. ": : Ili'r_-*_ 1::::. i. !!. ij .i. l. f'. i:. !. =i!. i,. _!. :l 1'. ! i* ji 7. l'. i!. n.;. '_ _ I. :I1. t !. ir: 1' i. I F =: ' i-:. f=1. //! 1; '. __ F. il*I. ,. )t F..== =_ :t1:_ :. :. _//L-:. l {. :$ i :.l /. EF::. Is';. ¥L-. a. ;::; j ". ; 5". <. 'I. fr:Ff ['1::' :1J. ::=T. t. ; b. ;lllr' ":. !{ :i i] li¥' i--. = j '. " * : :: ::_, ;__r {{"/.;{;_ :t t::_ _. 1 ' J!t. iib II¥; '. *= ';s''.. ' : _i/;'{';. 1 11 (Lli't. ;d-. Tl. 'l. l6. ( r 1. L. P+). 17. .. 3 .. ' : Fl ). ; i. :. F. l. : i'. I. u J. : ; i ; :- f. _1!i. ,. =:):j:: rtz:. 1. j t. :::;:t : :. '1. 't. i :J 'r'(1 ' = f'tIt _' _ Lb 111 jJ I Ij- - -1-- ! == t{! ll. fl L i' 1: ¥Fl.

(25) 清代末期江漸地方の蚕糸業. MO4218k 戸澤 由子. ④ 蚕儘 最も広く使用する器具。円形、竹製、浅縁、大中小あり成長に応じて使い分け.  る。小は1尺2∼3寸、大は4尺7∼8寸。重量は重く不便だが、堅固で内に敷物を使用  する必要がなく、顛沙の乾燥がよく一般の取り扱いに便利(13)である(図6参照)。  紫藤や高津や松永は鼎足の蚕架(図7参照)を評価している(14)。.  蚕児を飼育する籠は竹製の丸籠で、筐または薩という。小さいものは直径2尺位から大. きいものは5尺くらいのものもある。編み方は細かいのと粗いのと2種あり、粗いものは 厚紙を敷き、細かいものはそのまま蚕児を飼う。筐をのせるための蚕棚は蚕植または蚕架. といい、部屋の各隅に置く。そのため、柱は3本で鼎足である。この3本の柱に丁字型の. 横木を架けて、三角形の棚に組み立てその上に筐を載せる。高さ8尺余り、階段は9段も. しくは10段である。各段の距離は8寸余りである。蚕架は折畳可能で、持ち運び自在で ある。幅の大小は箔の大きさに従っているので一定でほない(15)。.  高津は筐の形が円形なのでそれにあわせて蚕植も三角形になって適応したものかと考 えた(16)。.                             桑切包丁は菜切包     .ダ∫ゲ 一げ一轟へ一、無、            丁の幅広もの。姐板の.    〃一’        き〉. ’『‘零κノ、. !沸’”一            碑㌻ヤ_. ように使う切盤(図8. 参照)は藁を5∼6寸 に切ったものを円く大. 束とし、中央を硬く縄 で絞め、小口を平らに.        毫桑切製藁. 切ったものである。桑. 図8 切盤(峰村報告 養蚕業 三蚕具). 葉を到切するには一握 りづつこれを切ってい. る。同時に多量の葉を到切するようなものはない(17)。.  蚕児が四眠をすぎて上籏が近くなると各筐の中からよく成長したものを拾い上げて籏 に移す。籏は地上3∼4尺の台で、竹などで實をつくり、その上に藁を敷き、更にその上. に長さ1尺から1尺2∼3寸の中央をくくって両端を広げた藁束を立てて並べる(図9参 照)。籏の下には必ず火を入れ、室を閉鎖し、4∼5日後に成繭を見るまであけることは ない(18)。. ・24一.

(26) MO4218k 戸澤 由子. 清代末期江漸地方の蚕糸業.  二   一. 鞭蘇辮雛.一. 火を用いることは、. 部屋を乾燥させる. ので蚕児の結繭に 大変良法である。. 清国の繭が解野し. やすいのはその原 因の幾分かは火の. 使用によるもので あろうといわれて いる(19)。. 図9 籏(峰村報告 養蚕業 七上籏). 第三節 蚕児の飼育法  1蚕種製造法と蚕種の貯蔵  養蚕家の飼育に供する蚕種(蚕の卵)は、自家での製造にかかわるものが多いが、蚕 種製造業者から購入するものも多い。1910年の清国には専門の蚕種製造業者はない(20)。.  蚕種の製造地は、漸江省の鯨杭、新昌、煉縣、江蘇省無錫である。.  蚕種の販売者中、自家の収繭から採種とするものと、他の成繭を購入して、採種販売 するもの、他人の製造した蚕種を仲買して販売するものがある。.   自家用蚕種を製造するものは蚕種の選択をする場合もあるが、蚕種の品質に少しも注  意を払わないものも少なくない。特に販売用の蚕種では粗製がひどく、発蛾の見込みの  ないものまで蚕種に供することがある(21)。.  蚕種の台紙(蚕蛾が卵を産み付けるためのもの)は種々ある。桑の皮によって出来た  大杭紙を用いるもの、漉返紙を用いるもの、反古紙を用いるもの、古い綿布を用いるも  の等などがある。.  台紙の寸法は大小あって、大きい物は長さ1尺7寸5分幅1尺5寸くらい、小さいも  のは1尺1寸5分平方くらいである。台紙の四囲を1寸開けて貼り付けて平付けとする。.   蚕種1枚を製造するのに、2斤乃至2斤半の生繭が必要である。蛾数では、1枚につ  き340∼350蛾必要である。. ・25・.

(27) 清代末期江漸地方の蚕糸業. MO4218k 戸澤 由子.  蚕卵紙1枚に艀化した幼虫の量つまり蟻量は10匁(目本尺貫法表記。1匁=3.75g) 以上20匁に達するものがある。.  蚕種用の繭は、繭山の上部に結繭したものの中で、皮肉が厚く、形状が整っていて、 汚点のないものを撰び採り、丁寧に籠の中に配列していく。上に藁或は蓬を薄く覆って、 空気の流通を良くし、かつ静かなところ置く(22)。.  凡そ10目後夜半に出蛾(蛾になる)するので、雄雌を分離する。.  蛾の羽根が成長しないもの、腹の赤いもの、しっぽの不完全なもの、帯黄色で毛並み のないもの等は病気なので、必ずこれらを取り除く。.  雌雄両蛾の数が十分に得られれば、雌雄同数ずつを他の籠に移し、風に強く当たらせ. ないようにする。蛾の交尾後凡そ8時間でこれを割愛(折対)させる。つまり雌雄の蛾 を引き離し、雄蛾を取り除く。.  雌蛾は産卵紙を少し震動させて排尿させた後、予め用意した台紙にのせて、そのまま. 平面に置く。よい位置で産卵させるため、相互の距離を適当に保って産卵させるか、台. 紙を壁に懸吊することもある。縣吊する時は、弱い蛾は下に落ちるので落ちたものを取 り除く。.   歌回. 丁ず卦逗日. 履爵蓄戊臆州.  雛額耐箋裁.  唇凧乃企生手笈.  明嚢.                      産卵は午前8時から午後9時頃に終 わる。.  産卵紙は風にさらすと、卵色は黄色 より緑に、緑より黒くなるので、清水. で洗浄し、乾かして内側に巻纏し、袋. 状にして高所に釣り下げる(図10参 照)。. 繭、.  蚕卵紙の売買は、普通養蚕後行われ、. その価格は凡そ、1枚1弗乃至1弗20 ∼30仙である。時には1枚2弗に達す 図10 下子掛連図(『醐風廣義』巻中二十七). ることもある(23)。.  蚕種の検査もなく、病毒の歩合はか. ・26・.

(28) MO4218k戸澤 由子. 清代末期江漸地方の蚕糸業. なり多く、平均3割∼4割である(24)。.  蚕種貯蔵法は簡単である。産卵させた種紙を8・9目問籠中に平置きした後、風通し 良好で静かな所に懸吊るすか、支那皮提、空気箱又は瓶中に貯蔵する。.  蚕種を塩又は石灰に漬たす塩種または灰種という方法がある。この目的は弱い種を除 去する一種の蚕種選択法である。これによって、不時の蚕児発生を防ぎ、蚕児の発生を 同時期にさせることができる。.  灰種は、産卵後4∼5目後に卵が黒色に変じる際、石灰を蚕種の面上約1分位の厚さ.                       に覆い3・4日後に接している.       鳳じ. 獣沖隅\ ミ藷霞 嶋.                帥.     _、_=鋳  . 灰を除去する。.  塩種は厳寒の候の冬至前後に 蚕種を1枚づつ蚕座に併置し、. その上に食塩を蚕種の面が見え なくなる程度にまで散布する。. その後夜間屋上に1週間以上 10目位、紙面上の塩が殆ど溶解 して見えなくなるまで放置し、. 冷水で塩気がなくなるまで洗い、 陰干しして貯蔵する(25) (図 11参照)。. 2蚕児の発生  蚕児の発生期は、漸江省は江蘇省よりも早い。.  江蘇省無錫地方では蚕児の発生は旧3.月10日∼15目、上籏は旧4月15目∼20日頃で ある。.  漸江省紹興地方では旧3月5∼6日に蚕児の発生がある、上籏は旧4月10日前後(飼育 日数30∼35目)である(26)。.  桑の新芽が一銭銅貨大(龍一銭銅貨:明治6∼21年、直径27。8㎜、天皇の肖像は畏れ 多いため皇帝の象徴の龍が刻まれた。表面に菊・桐文、収百枚換一圓の記載)に伸長した. ・27・.

(29) 清代末期江漸地方の蚕糸業. MO4218k 戸澤 由子. 時が桑給に都合が良く、蚕種発生の好機である。.  目本のような蚕種の催青法(蚕卵を温度管理して艀すこと)はほとんど行われていない。. 発生10日前位に予め蚕卵紙を内側に巻纏しそのまま括ったものを、綿で包み温暖な場所 に置くか、昼間に過度な労働をしない婦人の背又は懐中で暖め、夜間は布団に入れて人の 体温で暖める。6∼7目後に、蚕卵紙を開けば、発生期に近いものは卵色緑に変じるので、. 毎目これを開いて点検する。産卵紙上に5∼6匹位の蚕児が発生してもなお元のとおりに 巻いてそのままにしておく。一目くらい桑葉をあたえなくても差し障りないので、翌日に 8∼9割発生しているのを見てから収蟻する。これを爆裡(27)という。.  3 蚕児飼育法   蚕紙上に発生した稚蚕は、蚕卵紙のまま2人で両端を支え風の当たらない部屋の一部に.  移し、これを他の紙上で回転させ第三者が小竹片で紙の背面を柔らかに叩いて2寸5分位  から落下させて移す。その後稚蚕は羽帯又は刷毛で丁寧に籠つまり箔に余り密集しないよ  うに広げる。これを掃立という。.   蚕児発生後蚕紙を蚕座に平置し、その上に普通楊柳を乾燥させ粉末としたものを散布す  ると、幼虫である蟻は楊柳の香りを嗅いではい上がるので、これに切桑を与える。.   未だ発生していない卵がある場合、蚕卵紙を元のように巻いて置くと、翌目には発生す  る。しかしこの蚕児は、前目のものと区別して他の籠に入れ、成長が不揃いになることを.       式錦葉     防ぐ・    鴛    操              清国では、体に毛の生えていない裸体虫で数回脱皮.                 し結繭する虫を総称して蚕という。.                 卵より発生した虫を蟻(当時の発音ではi)、2∼3        郵       日経過したものを蟻(当時の発音ではmiao)といい、.                 その後初めて蚕という。普通、蟻約10匁を凡そ1坪                 (日本の尺貫法表記。1坪=3.306㎡)毎(尺坪)の                 割合で蚕座に拡げる(28)。.                 蟻墓後すなわち筐の内に平等に拡げて桑葉を与える。.                 桑葉は細かに刻み葉飾(ふるい)で箭う (図12参 図12 葉鯖(『醐風廣義』巻中十六).                 照)。桑葉を手にする者は必ず作業をする手を洗い清め、. 一28・.

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