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待賢門院加賀「かねてより」歌説話小考 : 歌徳の相違と擬作・はらみ句とについて

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(1)Title. 待賢門院加賀「かねてより」歌説話小考 : 歌徳の相違と擬作・はらみ句 とについて. Author(s). 菅原, 利晃. Citation. 札幌国語研究, 9: 49-66. Issue Date. 2004. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/2693. Rights. 本文ファイルはNIIから提供されたものである。. Hokkaido University of Education.

(2) 待賢門院加賀﹁かねてより﹂歌説話小考. 恋歌三︶. 待賢門院加賀. コ. に. 菅. 利. ﹁かねてより﹂歌説話の種々相. 晃. ﹁かねてより﹂の歌を発案し、保持していた旨の記述がないの. を引く﹃郊女暗言﹄も同様のものと考える。以下同じ︶。まず、. 第一に、﹃今鏡﹄の独自性である︵ただし、この場合、﹃今鏡﹄. 対照表からうかがわれる点として、次の諸点をあげておく。. 断っておく。. 年の順としたが、必ずしも正確な成立年代順ではないことを. 覧にした。なお、対照表は、おおむねその作品の成立年や刊行. る作品は除き、一つのまとまった形での説話を収めるものを一. ︵以下﹁対照表﹂︶をご覧いただきたい。当該歌のみを記載す. ここで、別掲の、待賢門院加賀﹁かねてより﹂歌説話対照表. 一. 1歌徳の相違と擬作・はらみ旬とについて−. はじめに ﹃千載和歌集﹄ に次の歌がある。. ,ば. 花園左大臣につかはしける おも なげ 欺きせむとは. ︵﹃千載和歌集﹄巻第十三. ちゆうじやう. 待賢門院加賀は、この一首のみ伝えられている歌人で、それ さきのいつき. 以外の詳細は不明である。しかも、当該歌を載せる﹃今鏡﹄ つちみかど. ︵注1︶。にもかかわらず、こ. は、﹁土御門の前斎院の御もどに、中将の御とかいひけるも のとかや﹂という伝も存在する. の説話は請書に伝承されている﹁有名な逸話﹂となっている︵注 はたして、この待賢門院加賀﹁かねてより﹂歌説話とはどの. うような願望をもった旨の記述もないのである。恋愛関係の悪. 時にこの歌を詠み、勅撰集にとられたら評判もいいだろうとい. である。また、しかるべき人と恋仲になって忘れられるような. ような説話なのか。本稿では、当該説話の伝承関係、および歌. 化についても、﹁本意なかりけるにや﹂とあって、他のように. 2︶。. 徳について考察したいと考える ︵注3︶。. −49−.

(3) P口. ノヽ』 「御 ロロ. 」庶皇第. 伏子 かで詠よあ に通‡む る ’ひ御二折吉. 寄房待 よ 加賢 み賀 門. り よ 加か待た. 0が. あ と 院 り い の 0ふ女 をてととか. を持年とか. 人 物 紹 介. け遠浅は. る ま な う 歌. 、持しいね. 、ちごいね たろふて. 歌. たごふて. りよ歌よ けみをり 、. .. りろ寄よ けよをり 、. るて;. るみ;. るどたに「 ベにら、お. るなれ人「 ベビたにお しにらいな. し入むいな. 」らにひじ とむよむく 思、みつは. 」入んひじ とたにむく. 願. 七万 ヨ已. てば、る も、忘ベ. いばわぬ う、すべ. 優ゞ集上らき. な集らき. ななれ人 ミ. そのむい めお、か. けに、が. てと花ゞ. り申花注し. けゞ園あ りにのり. 0し園芸た. そのり に思 芸g りご. けと く. 田. 0申左け や も そ あ ひの り のの、 け ご ち. る 本ほ. ん と 、く お. ばせ こ. り け. ば ら こ 、せ の た歌. 、. 孟. お じ大 ぼく臣 しあも 、 にみ. りにひさ. 0い. 、り と か. を. 伝 達. た て ね り た て. り にみ大 0. 女に き どた さ あ も 柴「ま お② けれい. 応 結. け千か. 千 載 集. り載ひ. け集上が. 歌. ばつ;. れ ゐい. けは. りれい ○. 花畏. け て よ 女. り を け ま. れ ら. 田 一室 契・. 0警ぐ 入し. に. 入. にく. る. そ柴世. る と し世. ○ぞ柴の. 果. い の の. 付っが. ひ加人 け賀. ;;. け て. る と ふ ○ こ し. け」伏. 待賢門院加賀﹁かねてより﹂歌説話対照表. き 芸抄. 事を. 各説話は、﹁人物紹介﹂1﹁歌を発案・保持﹂1﹁願望﹂⋮という項目順に記載されている。しかしながら、表中で①②⋮としたのは、項目順ではなく、. 柴ち今 」第鏡. 同 物. その数字の順に記載されていることを示す。﹁⋮﹂は省略を示し、空欄は当該記事がないことを示す。﹁願望﹂には一部﹁自賛﹂に関するものも含め. し た 『. 『. 注. ノ 幾き十 一べ才訓. 名 を. 得. ひ し る. い似能雪 でよ因L にりが. 評. 誌 ロロ. 申て振合 す、舞吉. の か、院盲. ○っ に. −50−. 補 足.

(4) 云を序今鼻 事や注序殊. リ 云女歌館八 之本戸 事集. 」中見『市 和「今図 ト 男和書 女二法御. 『 女 に御 房加白 あ賀河 りとの. ●. ;●室 .. い御. 云内 ノ. ル云院. ふ 内 く 探年 よ 云(∋. シ比 り 云①. 此. ケラ可 レン然 ハ 時人 取ニ 出遇ヲ. よ 逢 り わ. へ思 キ ヒ. ぬす. き た わ い花思 う ふ薗 ひ. ヒ ア花 ニサ位慮常 ケサ薗 、. ル カ ノ. さ 位 と 程二 三思. い と く. リ テ久. に不. け久. 0. レ ズ. 成 0. ケ シ. 送時 ケ ニ レ 、. ハ此. 0リ カ ト. 、寄 ヲ. タク 兼 ヲ ト ラ 比. ニ彼哀 馴加 レ. カ ズ ヨ. ニ ニ. (⊃ __. 0. ケ 浅. も た て ’. て ら 、さ. 優、すべ. 国. な集 ら き ベ ど た に そお け い 田. .⊇…諾 け く お ん に も. 被 捨 た書 さ り て て けつ此 れか の ハハ寄 し を にへ思三. けて て位 り 年加あ 比賀 は. ケ ヲ 思. リ 年テ 0来、. なの に と. り ご. ば ら 此孟 、せ歌. 歌. れい空. 伝 達. を. ぼ く お 大 臣. け は ゞ. の 反 応 結. に を れ 成迎 と. リ ニ(彰. 四 ニ ・. て. ニ後. ヤ成リ. 願. りし. ノ三く警. ル カ 日. し入ぢら い お と た ん ひな. に に 三 こ. ニ ズ臣. バ送; 0 シ. ・. 程人の の. 程ラ大. リ 読テ モ女 ケ テ ヨ ヒ ク レ ○リ テ ヤ. 人 物 紹 介. 、みをり て、;. ス テ. 寄忘. ケ カ 日 レ レ 比. をよ歌よ. た喜主著害毒 寄 ら② と ん哀 お時可 も取然 ひ出人 て て に. ト ラ(参. 思 レ 哀 ヒタレ. ロロ 名 り い房待 けふに賢 り歌、門 0よ加院 み賀の あ と 女 持主と と か たしいね る比言ふて. すく比りく此 ほ隠よ;の. 董蔓. D【8 0 ノじヽ. 管. ら「(蔵 く夫尊. ヲ聞古立 竺. ら か お 了 ヲ 女二又. 六書貞. 」 ハご∵注院. 入Vし さ 千. に く て 載. D O此 入歌. ラ千 レ載 タ集. 集 に. D讐ぐ 入 る. リ 茂 シ彼此. と し て 此. 讐 、. ケ加 フ. け加ハよ り 賀 ふ ミ. るふし柴. ≡. こしてを とにか以 なかねて りた付せ むるむ. ・● ,. −51−. 果. ひのの. け加人 るふ. 賀 ○とし や似能. 0た国 りが. け振 る舞. にに. 評 妻五 Plコ. 補 足.

(5) 詩. 同. 筆. ロ【]. た加かの. よ賀ヾ女 る ろ よ ねあ を も み て る 0 ち て よ と. た と り き り し;. け ご と か. 0歌二賢. 人尋 さ のい御 こ. 人 物 紹 介. けふ房待仁. 読、門. ア加院 リ 賀 ノ ケト 女 リ ヨ ト カ. ケ ミ 云 ネ. り 歌 に 賢2. 0読加か門え. み賀が院更 あ と の た て い ね こ. ル テ 歌 テ. り 、ふ て れ け年歌 よ も. ヲ モ ヲ ヨ. る 頃 を り. 、チ年リ. 歌. を持読:. 、ち み と か. 夕 比;. モラツ「. ベど時ひ同. テパピ同. ベ. ロロ 名. 三. り い女又. み と ば待誉 リ 云房待 0 う 0院空. 責競 作. 類斎. 物 窒五 』コ. 侍い う 賢父 り ふ に 門た. 蔵東. 『 歌束. しに読眠誓じ. モ、テク 優集、ハ. らハ. 願. ナナ忘サ ルドタル ペニラベ. ざ入ンキ 七冒 ヨE. もな まど. ≒. もたに ひらい. れ大おけ い. な の、り ん く お 0にも. よ言. 優選三た人. ‘ヒ、ンミ云. なならに. テ大ヲケ イ. そ 園 た さ. てヲタム. るんん言. ケ臣巨ン リ ニ 、カ ○申花 シ ソ 園 タ メ ノ リ. ア 思 リ ノ. や ひ. ケ 如. あの. ン ク. り ご け と れ い こ は ら の 0せ う. た た り を. け ま お し九ゴ. 弧. り れや ○ と さ. 入 し さ た く て り 千貫か. ヤ セ 此 ケ 寄. け の と る 加 0. ○賀 ふ. 田. も ひ大 せの. 申 、が. し花 し や思 に れ程 あ ひ けが経. り の り れつ. し く 花豊. り ま ら猶窪て し さ 大 0. 0にい おみ ぼ じ し く. シ ン. の 反. 入如②. 千 載 集. り く さ. に千言て. に 入. 0にの. 賀 フ ト シ ゾ、. 臣. 応 結. け載ざ思 り集土ひ ケ ノ 世 ル加人. 達. 御;. け哀大 りれ臣. ボ ミ. を 石. 、大 よ 臣 り. れ ら. る. ぞ子し① 言柴.盲世. 果. ひ の の. を. け加入 る 賀. 得 る. 0 と 附ふ. け く ん は偉かか. へは を 也か り かふ此 ば、;. れこなおりふの. そもと;る能. 望. はやこむま因. 評 誌 ロロ 補 足. ベさもかひ法 りしをしに師 −52−. 時見. 歌. て を て. ヲイ. 云バ①. ・. 覧此か じ歌ね. ばせ こ. ラ. 入 シ② こク サ. ■室. れ な. 、ヒ ケ ク ヲ リ哀ト ○一 ヽヾ. 、給左. て ほ ら ど. レ ヲ ノマ マ. ㌔莞土く 申 ばひ. て 臣けい 、に ん か. ヽ ._... け載ぎひ. と し み そ し な. し 臣花. め大 り て. 、す.

(6) し言 『 な』国. 緑笑. 論を論. 院巻. 蒜八『. 『. 賀「朝 」待女 賢鑑. 門 」た余 りへ院; 人の歌賀待 けるにま る女加た. こ「雑 事ふ々 」し集 柴 の十 み賀のしい. 管 ロロ 名 人 物 紹 介. ・ 一−. が房賀待. ’のと賢 あい門 る歌; 「 、よとね めいて. りへよ けるり. が持詠ねあ 、ちみてる たてよ時. 彗・ よ加院か たいねあ. りふてる けうよ時. り、り、. るたり. け年;. がを;. る頃とか. ひらくじ哀 居ん契くれ た時りはに りにてさや. け、、るさ. .. 歌. 、読とか. 思どれい お ひにたひな てもらむじ 、 いむっく. 願. る詠そべし. lミみれきき てに人歌. 七万 ヨ已. こ忘にな そらわり て人けわか にんざの 馴、に法 れわや師 そざ倣が めとひし. 飽. か れ. とれり、 思たな同. とならに. りさは花. てにぞそ. けしれ園. るも奉大 を睦り臣. 、じてに か、思. 田 配. 0ぁのの 園. れ臣花. ばにて程. 四. 一室. ・. て. 後 に. ぞいで始 0ひつめ. 出るて で様よ しにみ とて出. けてこ. 歌. れ参の. ばら歌 、せを. を. 伝 連. た詠. りみ. けがや大 りらさ臣. 、せし限 たみり ま哀な. ひれく. れ千五. し載条 、 集の に三. 人位. らの. け加世 る賀の 、と人 ぞ伏 云柴 ひの. 思しお. ひくと ヾ. 給あ. の. へはも りれや 0にさ. 入則 、 に. け千 り載 ○集. 載. に. 果. ゞ、れ を. 得 けのし. 評 享左 口lコ. けはし; る皆探其. 堀暮雲芸葉書満室至蔓撲羞葦誓董芸蔓 −53−. をかき道 、く人に ;あ、心. り古ざ. 補 足. 花.

(7) 「. 碧. 『. ロロ 名. ・ Fコ. か也へ待宍 歌か奉賢2. 中で読. 人 物 紹 介. る う 歌園; に か こ お れ 、よ た と に ひ ち ゞ は. 人∑り 門え な し 院L. り 女王に. し 房号仕宗. け ま に花. た戒告 を時宣. れくるのあ. 一軍. よ−∵. 痙. ミ首k て. けよけ首 ひみかるも我. つ. を我究 りな. ゑ. ゐたなはひこ. ふが. たらひ詮て、. しら 秀忘 逸ぢ. るはしな、ろ. 願. と E日わ 一しゝヽも. んとぞ歌逸ぢ とき此を也. ひ ゐ. た. おに歌読と. る. もよにたお. り終言賀、花婆. 喜. 亡方 ∃已. 侍契まに有奇花法 りりひ心仁ど園芸. 田. しかけを公言の 、. にたれか. 左さ 、らばけ加府ふ ’. 吉. ひた賀・. れえ と い. る ほ に つ. バ長く言 給 しな ひ く く け見ミう. 、か り け つ と か. り り て こ け; そ. 妄撃. 田 望萎. け見 う と. 花. や な. 送ぞよ と今;. れかかか ハ き ねの てて歌是 き か大あ りん臣告 給しこ ふ更已の. 給 し と い ひ く ゞ つ. り て ね け 、て れ た よ ばて り 、ま;. 女常たな歌に を と ひけを(彰. れえ と な. 一軍貴く去 れ き て と 今. 歌. ばて よ て こ. 、を り 、そ く; 折 り と か な け書ね れ. を. 伝 達. 思大島 大 臣 の. 反 応 結. 0すて い り ずる の を よ り は. 千 載 集 に 入 る. て柴① と や は が. っ て. けふ. 給し. 果. 名 を. 得 る. 評 享五 ロロ. 華葦葦壷≡墓室善書誓重苦喜墓警墓萎蓋 −54−. 補 足.

(8) 「夕. 院更首『. の』絵. 『 作 ロ. 加か「入 芦. 法巻一. ロロ 名. 師の首. 」. 門え一 多ぞ寄主ハ賀ヾ待誉 有至絹簑. が寄主り り 門主の加か 人望すし院ゝ御賀ゞ. てびひ院更. 嘉. 雷増大宗か. るるな奉賢父院L. に歌是戎雪. 持皇人寄主よ 中東 た に を り に. を と. り も 読書;. よ き. モ ーい. し い て と か. に は年己いね. ■ヽ つ る の. で頃言ふ て. し な ひ我束 し た な とゞが おにら. _.」 ′ヽ 一. と の り 似;. 人 物 紹 介. に な感歌て歌或. も り じ を よ に時. .. を る と り ハお. 花楚 園芸 の. 大お. 臣き に. せ わ. し す 頃去ら れ 参孟 ら ハ て か. 参真の ら 寄主 せ を け よ れ み. 給な お ひ く と ▼.」あゞ 泉箕か. ふ詮夏も ら かけ を仁富花憲. 歌. 見けてみ り 、詠 箆童. せれ年づ; み. 人 に ら の ね る. り も 後 ん て 同. けて々 折さ じ. 願. も此も ひ歌是秀旨 ゐを逸ぢ た詠吉な るたり. 能話百. 国 ∃E. 思 ら ら れに ひ ん ばた契. 渡お、ら り. ひ く れか公園孟. 四. 侍禁契喜バけ加左さ り り 終言た賀大だ し か に ま に、臣是 に たふひ心三有奇. :. た し と い ま く ゞ つ. 給れ如果 ひが く し. ひ見 う と. ・ご る に 臣思. け え と な. れ さ う く バせ と お. お り ての今 く‡ 折苛こ り と か な そ け かね れか れ き て ハ の. バて よ と 歌是 ぞ ぎ思大お. 田 ニ. 時 な の ひ り か し せ か. け の れ歌 ばを 参. ひ更芸ミ. がぎ. し に じ. り り し千三 と載き 也集≒. を. 伝 達. ら. にあ大 大. り し 臣∈. 給て い. 歌. 臣. しヽ の 0 に み 思青じ 反. 結. と ち く. れ載ひ さ 千 に 集がて 載. け に ひ後 集 り 入 し に に. に. Dれ く も 入. も 入ぢ. ら千か る. ぞ と し夫東. 果. い し よ. ひ ば り. び加て こ. け の し る 加かて. と賀ゞふ. 名 を. 得 る. りにる今. し似まの. ○たひ能. ;るも囲. 事この なれふ. −55一. 評 董五 P口. 補 足. た た大て.

(9) 予定通りとするのとは大きく異なっている。結果についても、 ﹁伏し柴﹂という異名を源有仁 ︵花園左大臣︶ によってつけら. 前の評価とも後の評価とも解釈できようが、﹃今鏡﹄ こたち. よ. では﹁寄. が﹁歌詠. む御達﹂﹁女﹂と表わしているのに対して、﹃今物語﹄ よみ﹂. ﹃古今著聞. れ、﹁即詠﹂を得意とするすぐれた女房として親しくつきあわ. 集﹄では﹁歌よみ﹂、﹃本朝歌人伝﹄︵﹃女教艶文庫﹄︶では﹁歌人﹂. ︵以下﹁女房﹂という表記も含む︶、﹃十訓抄﹄. れたというふうに、他と異なっている。さらに最大の違いは、. 前述の通り、この女房が待賢門院加賀ではなく、﹁土御門のなどさ つ歌 き人 ちと ゆし うてじ とき 、の 一い 人の 扱や っう てこ いることがわかる。さらに、﹃本 朝女鑑﹄. つちみかど 前斎院の御もとに、中将の御とかいひけるものとかや﹂となっ. では﹁双なき歌よみにて、集の中にも数々入れられた. ていることである。. 有﹂と、. うたひと り﹂、﹃賢女鑑﹄︵﹃女要百人一首教袋﹄︶では、﹁すぐれたる苛人﹂、 うたよ、ミ しうか▲粛ヽくあり. ﹃絵入百人一首﹄では﹁ならびなき寄読にて秀寄多. 有名歌人としての確立がうかがわれる。このように、待賢門院. では、かねてより別れを予感していただけ. であって、かねてよりこの歌を発案し保持し、名誉願望をもっ. 加賀に対する評価が、時代が下がるにつれて、次第に高まって. つまり、﹃今鏡﹄. ていたのではないのである。それに対して、﹃今鏡﹄以外の諸. いるのである。. では﹁女房﹂、. 作品では、かねてより別れを予感し、かつまた、かねてよりこ. もっとも、星殊院蔵﹃古今序注︵尊円序注︶﹄. 八戸市立図書館本﹃古今和歌集見聞﹄では﹁女﹂、﹃古今序註︵了. の歌を発案し保持していたのである。この歌中の﹁かねてより﹂ の語にひきずられて、別れの予感どころか、歌の発案・保持ま. 誉序註︶﹄. では﹁は. でをも﹁かねてより﹂と解釈し、伝承してきたのではないかと. したもの﹂とのみあり、﹁歌人﹂としての地位は明示されてお. では、待賢門院加賀﹁かねてより﹂歌説話の話末評. 都をば霞とともにたちしかど しらかは. 秋風ぞ吹く白川の関. かすみ. 能個はいたれる数奇者なり。. すきもの. は、前話を指すものであるが、それをあげておく。. 語に、﹁能因が振舞に似よりて、ついでに申す。﹂とある。これ. のういんふるまひ. ﹃十訓抄﹄. 第三に、﹁能因法師とのセット化﹂ということである。例えば、. 古注釈における本話の扱いについては、後で詳述する。. らず、それほど高い評価をしていない。なお、これら、古今集. では﹁女房﹂、東山御文庫所蔵﹃古今集注﹄. 考えられる。 このように、比較的成立がはやいと目される﹃今鏡﹄のみが、 ﹃今鏡﹄を、﹃今物語﹄以降の作品が改変し、創. 他と大きく異なっている。言い換えれば、当該説話の源泉に近 いと思われる. 作し、それが享受されてきたのである。 第二に、有仁から待賢門院加賀への重点の変化である。﹃今鏡﹄ では、源有仁を中心に、待賢門院加賀はいわば脇役として、語. の歌を詠んだ. られているのに対して、﹃今物語﹄以降では待賢門院加賀が話 の中心となっているのである ︵注4︶。. また、待賢門院加賀について、﹁かねてより﹂. −56−.

(10) 歌説話、待賢門院加賀﹁かねてより﹂歌説話を派生させている。. いだ. とよめりけるを、都にありながら、この歌を出さむこと、. 歌徳を見据えた配置ではなく、むしろ歌説話それ自体に対する. こもゐ. 無念と思ひて、人にも知られず、久しく龍り居て、色を黒. ︵注5︶。. 関心からの配置と言えよう. みちのく. ︵尊円序注︶﹄・八戸市立図書. ﹁かねてより﹂歌説話の歌徳. 前節で、畳殊院蔵﹃古今序注. 二. く、日にあぶりなしてのち、﹁陸奥の方へ修行のついでに. では、この後に、待賢門院加賀﹁かねてより﹂歌. よみたり﹂とぞ披露しける。 しよき ︵﹃十訓抄﹄第十才芸を庶幾すべき事十︶. ﹃十訓抄﹄ このような﹁能因法師とのセット化﹂は、能国法師の﹁都を. 賀﹁かねてより﹂歌説話に対する扱いについて一部触れた。こ. 文庫所蔵﹃古今集注﹄といった、古今集古注釈での待賢門院加. 館ネ﹃古今和歌集見聞﹄・﹃古今序註︵了誉序註︶﹄・東山御. ば﹂歌説話の後に、待賢門院加賀﹁かねてより﹂歌説話を置く. こで、それらの歌徳について考察してみたい。. 説話を配置している。. ものとして、﹃十訓抄﹄、﹃古今著聞集﹄、﹃源平盛衰記﹄、﹃国歌. まず、対照表の﹁結果﹂において﹁大臣の反応﹂﹁千載集に. 入る﹂﹁異名を得る﹂という三つを想定し示したが、古今集古. 八論余言﹄、﹃百人一首一夕話﹄がある。その逆に、待賢門院加 賀﹁かねてより﹂歌説話の後に、能因法師の﹁都をば﹂歌説話. 注釈では﹁千載集に入る﹂という点が軽視されていることが言 える。. 例えば、皇殊院蔵﹃古今序注. 館本﹃古今和歌集見聞﹄・東山御文庫所蔵﹃古今集注﹄. では、. ︵尊円序注︶﹄・八戸市立図書. が. を置くものとして、﹃女郎花物語﹄、﹃雑々集﹄、﹃本朝女鑑﹄. では﹁ふし柴の加. では、待賢門院加賀﹁かねてより﹂歌説. 白川の能因﹂という記述がある。. ある。説話という形ではないが、﹃俳俄悔﹄ 賀 なお、﹃東斎随筆﹄. これに関する記述がみあたらないし、﹃古今序註. ︵了誉序註︶﹄. 話の前に、能因法師の﹁天河ナハシロ水ニセキクダセアマクダ. にしても、作者の評語のあとにつけただけである。歌徳として. の勅撰集入集をことさらに記すものではない。. リマス神ナラバ神﹂という祈雨の歌をふくむ説話を配している。. これらの、﹁能因法師とのセット化﹂は、﹃十訓抄﹄からの発. ト化﹂がおきたのではあるまいか。もっとも、﹃十訓抄﹄では、 あまがはなはしろみづ. にこだわる歌人に対する興味が、優先されて、このような﹁セッ. おもひて﹂、八戸市立図書館本﹃古今和歌集見聞﹄ では﹁哀レ ヲ、 可然人こ遇テ思ヒ忘ラレタラン時取出スヘキ寄卜思ヒケレハ、﹂. では﹁哀可然人に達てわすれたらん時取出てよかりぬへき寄と. これは、﹁願望﹂において、畳殊院蔵﹃古今序注︵尊円序注︶﹄. 一連の歌徳説話群のなかに、能因法師の﹁天の川苗代水に⋮﹂. というように、勅撰集入集をのぞむという設定の他の作品︵﹃今. 案であろうと推察される。歌徳という観点よりも、むしろ風流. という祈雨の歌説話が置かれ、そこから能因法師の﹁都をば﹂. 一57−.

(11) 鏡﹄系続の作品を除く︶. とは異なっていることにも関連する。. これに対して、﹃今物語﹄以下にみられる、﹁あはれ﹂という. に入集するに至るプロセス. 大臣の反応は、この歌が. ﹃千載集﹄. まして、﹃古今序註︵了誉序註︶﹄・東山御文庫所蔵﹃古今集注﹄. ︵注7︶。. 書の類を除き、﹁男女の仲をも和らげ﹂という観点ではなく、﹃千. つまり、古今集古注釈以外では、後述する女子教訓書・教養. はじめて勅撰集に入ることができるのである. の一つにすぎない。位の高い相手に感心されることがあって、. ︵尊. では、そのような事前の願望そのものすら存在しないのである。 についても、畳殊院蔵﹃古今序注. では﹁三位あはれと思て加賀を迎へて年比に成にけ. また、﹁大臣の反応﹂ 円序注︶﹄ り﹂、八戸市立図書館本﹃古今和歌集見聞﹄では﹁哀レニ思テ、. 載集﹄. ︵注8︶。. に入集すること、異名を得ること、すなわち、名を揚げ. 彼加賀ヲ年来こ馴ニケリ。﹂、﹃古今序註︵了誉序註︶﹄. ることが、歌徳として語られているのである. では﹁日. 比ヨリ。浅カラズ成ニケルトカヤ。﹂というように、歌によっ. 別の見方をすれば、﹃今物語﹄. それ題、対照表の﹁願望﹂に、例えば﹃今物語﹄では﹁集な. ている。あまつさえ、東山御文庫所蔵﹃古今集注﹄ では﹁さて なほ くやさしき女やとて、日来より猶御情あさからず。御子あま. を揚げるという歌徳にむすびつきやすいように、後人が勝手に. て男女の仲が睦まじいものになったことが、ことさらに記され. た出来にけり。﹂と、子どもまで多く成したことも添えられて. 推測し、創作したかのように思われてならない。. 以下の. ﹁願望﹂はいかにも、名. どに入たらむも、いうなるべし﹂と記されている通りである。. いる。つまり、これらの古今集古注釈では、あくまでも、﹃古 の例証. ちなみに、江戸時代の女子教訓書・教養書の類においては、. の﹁仮名序﹂にある﹁男女の仲をも和らげ﹂. 今和歌集﹄. は記載されていない。しかし. ︵﹃万. おとゝ・つたさら. ︵﹃万代百人一首都文箱﹄︶、﹃賢女鑑﹄ ︵﹃女要百人一. ﹃賢女鑑﹄. では、明確な﹁願望﹂. ながら、その上で、﹁大臣この苛こかんし更こちきり給ふ﹂ あとゞ さら. 首数袋﹄︶. として、待賢門院加賀﹁かねてより﹂歌説話は扱われているの である。 の﹁いみじくあはれにおぼ. 代百人一首都文箱﹄︶、﹁大臣いミじく思して更にちぎり給ひし. 従って、大臣の反応も﹃今物語﹄. しけり﹂などにみられるような、歌に対する感心にとどまらず、. とぞ﹂. という結果があり、そこに﹁男. さらに男女・夫婦の仲が睦まじくなったという由の結果が特に. 女の仲を和らげ﹂という歌徳がうかがわれる。古今集古注釈以. ︵﹃女教艶文庫﹄︶. では﹁何とぞ此歌にか. られ、﹁大臣いみじく思給ふと也﹂という結果が記されている。. みとゞ. なひし事あらんときによみたらはきぼならん﹂という願望が見. ただ、﹃本朝歌人伝﹄. 外であるにもかかわらず、それらに近い内容となっている。. ︵﹃女要百人l首教袋﹄︶. 記されているのである。 しかも、八戸市立図書館本﹃古今和歌集見聞﹄には、﹃十訓抄﹄ の本. からの引用が指摘されているのに、このような改変がみられて いる ︵注6︶。それほどまでに、﹃古今和歌集﹄ ﹁仮名序﹂. 説に利用しょうという、特別な意図が読み取れる。. −58−.

(12) ﹁きぼならん﹂という名誉獲得への欲求がある上は、﹁男女の 仲を和らげ﹂という歌徳は明確には語られていないのである。. ⋮さるは月草のあだなる色を、かねて知らぬにしもあらざ. さて、勅撰集に入集したこと以外に、例えば、﹃うたたね﹄ では、 つきくさ. りしかど、いかに移りいかに染めける心にか、さもうちつ しば. けにあやにくなりし心迷ひには、﹁伏し柴の﹂とだに思ひ ︵﹃うたたね﹄︶. かが︵ママ︶. さぬき ないし うらはの内侍おきのいしの讃岐。ふししばの賀賀などゝて侍. り。﹂と、その名はあげられている。. ︵ママ︶. ﹃安斎随筆﹄にも﹁因レ歌得レ名﹂として、﹁下もえの少将﹂﹁こ. とうらの丹後﹂﹁沖の石の讃岐﹂﹁ふし柴の加賀﹂﹁待宵の少侍. 従﹂﹁ものかはの蔵人﹂﹁初音の僧正﹂などと、列せられている。. かくして、待賢門院加賀は、勅撰集に入集し、異名を得、大 いに名を揚げたのである。. ところで、このような名を揚げる行為について、請書におい. ては肯定的な見方が多いのだが、これを否定的に見る場合があ. 知らざりける。. と引くように、待賢門院加賀﹁かねてより﹂歌説話は、後世で. る。例えば、﹃国歌八論余言﹄. 本とすべき歌﹂ に、. よりおもひしことよふし柴のこるばかりなる歎せんとは﹂. また待賢門院に加賀といへる女房のありけるが、﹁かねて. では、田安宗武は、. はかなり知られるようになっている。また、﹃和歌口伝﹄では﹁初. 千載名歌. といへる歌をよめりけるが、かの法師がしわざにや倣ひけ. ん、わざと人に馴れそめて飽かれて後に始めてよみ出でつ. る様にていひ出でしとぞ。これらは殊に︿浅ましきわざ. まつよひのふけ行くかねの音きけばあかぬ別の鳥はものか +ム. 面白く侍るに鳥は物かはといへる、少思ふやうならず。. なり。またかの二歌いかばかりなる歌ぞや。いとさしもあ. らぬ歌なり。たとへかの二歌よき歌にても、さるこゝろば. 又. かねてより思ひしことぞふし柴のこるばかりなるなげきせ. と記し、﹁これら﹂、すなわち能因の歌説話も含めて、﹁殊に. ︵﹃国歌八論余言﹄歌をたしなむの論︶. の道には大いにもとりたるわざなり。. るに歌に栄えあらんことを思ひて巧なるわざをなすは、歌. けてよみ出づるものなるを、かの加賀などが如く、ひたぶ. たゞ歌は、おのが情の喜び怒り哀しみ楽しむほどくにつ. へにては歌の道無下に知らざる人たちとこそいふべけれ。. の. むとは. といへる、ことわりはかはひて侍れど、⋮ ︵﹃和歌口伝﹄初本とすべき歌︶. とあるように、﹁ものかは﹂ の蔵人と並び置かれている。 ﹃女郎花物語﹄ ︵板本︶ でも﹁源三位よりまさのかたへ﹂. 説話に、﹁まつよひの小侍従﹂の他に、﹁うたゆへ名をつきたる. たんこ せうしやう 女ばうおほく侍り。﹂として、﹁したもえの少将ことうらの丹後。. 一59−.

(13) いる。そもそも歌は、おのれの感情にしたがって詠み出すべき. に歌に栄えあらんことを思ひて巧なるわざをなす﹂と批判して. しかも、待賢門院加賀の名を揚げる行為について、﹁ひたぶる. る人たち﹂﹁歌の道には大いにもとりたるわざ﹂と酷評は続く。. ︿浅ましきわざ﹂. 見られるが、﹁かねてたしなみ侍りしが、対雨窓月といふ題を. 紀﹄巻之二十六、﹃尤之草紙﹄廿一﹁探き物の品じな﹂などに. 情﹂は、﹃和漢朗詠集﹄巻上・十五夜、﹃類宋句題抄﹄、﹃日本詩. 姓は桜井氏︵注11︶。源順の﹁揚貴妃帰唐帝思. 和元︵一六八一︶年生∼宝暦五. 話を交えるものである. 二、マ︶. 対レ雨恋レ月。諾。. 李婦人去漠皇. ︵一七五五︶年没の俳語師で、. ︵注10︶。文章中の﹁吏登翁﹂とは、天. ものである。それなのに、巧みな計画にのっとって、歌によっ. 得て、この句を出せし。﹂という擬作に関する記述があるのは、. であるとしている。﹁歌の道無下に知らざ. て名を揚げようとする行為は、歌の道に反するものだとして痛. 李夫人去漠皇情. 所レ作也云々。. ︵基︶. また、﹁津守の国碁が、うす墨にかく玉づさとみゆる哉のうた﹂. たことが善かれている。. ここでは、源順がこの詩を前もって作り、数年間用意してい. ︵類宋本系﹃江談抄﹄第四二二十七︶. 故老云、数年作設。而待二八月十五夜雨一、参一六条宮一. 楊貴妃帰唐帝思. 類宋本系﹃江談抄﹄第四だけである。その本文をあげておく。. 擬作とはらみ旬 には、次のように書かれ. 烈に批判しているのである ︵注9︶。. 三 ところで、前節で触れた﹃俳俄悔﹄ ている。. 一吏登翁の云、世にはらみ句といへる有。趣向うかびながら も旬を惜て其場をまつ。今の世の懐剣・弁当など、いへる. かねてた. さもしきこゝろとは、おなじ日にかたるべからず。むかし、. 李婦人去漠皇情. とあるが、この歌は、﹃後拾遺和歌集﹄巻第一・春上・歌番号. ︵ママ︶. 源の順が. 七一、﹃新撰朗詠集﹄巻上﹁帰雁﹂、﹃袋草紙﹄上巻、﹃宝物集﹄. 揚貴妃帰唐帝思. しなみ侍りしが、対雨窓月といふ題を得て、この句を出せ. 巻第三、﹃古来風体抄﹄下、﹃新時代不同歌合﹄下﹁三十七番左﹂、. ︵基︶. で、その本文をあげ. どに見られる。これらのうち、詠歌事情を含む説話を収めるも. ﹃高野物狂﹄、﹃女郎花物語﹄ ︵写本︶ 下、﹃本朝語園﹄ 巻三 タカヨシクニモトシウカ ぱんじじやうじゆ しかた ﹁孝義回基秀寄﹂、﹃理斎随筆﹄巻之三﹁万事成就する仕方﹂な. し。津守の国碁が、うす塁にかく玉づさとみゆる哉のうた もおなじ。 白川の能因. なども皆このたぐひなり。. ふし柴の加賀. といふ句を、ひ. のは. うき世の果はみな小町也. といふに. ておく。. はせをの翁も. さしくこ、ろにかけて、品かはりたる恋をして. ︵﹃俳俄悔﹄︶. たかよし ある所において人々歌読むに、右衛門尉孝善詠じて云はく、. ﹃袋草紙﹄、﹃本朝語園﹄、﹃理斎随筆﹄. 出せり。. ﹃俳俄悔﹄は、大坂の大江丸自撰の句集で、所々に新古の俳. −60−.

(14) うぐひすの初音や何の色ならんきけばみにしむはるの あけぼの カく. つぎよみいだ. つもり. ねなにいろ き み 鴬のはつ音は何の色ならん聞けば身にしむはるのあけぼ の. たまづさ. はて. 斯有ける程に、また是に次て読出すべき歌なくて、津守には わづら. 住吉神主国基この座に在り。己に秀歌読まるるの由を存じ、. 案じ煩ひ、病にふして死なんとす。とても果なん命ならばと、 さんろう. 安からずありて、その後不食に成りて、他事なく和歌を案ず。. うすずみ. 一首を読出す。其歌に、. ばんじじやうじゆ. しかた. の津守国基の歌説話の場合、先の. ︵﹃理斎随筆﹄巻之三﹁万事成就する仕方﹂︶. ﹃本朝語園﹄. 意しておいてそれにふさわしい機会を待ち、その時になっては. 源順の説話との共通点が見られる。それは、前もって詩歌を用. ﹃袋草紙﹄ と. 薄墨にかく文章と見ゆる哉霞てかへるはるのかりがね. かなかすみ. 神に祈りて一七日参龍し、七日めの明がたに、はたして名歌. の題を出だし、こ. さて、﹁うすずみにかく玉づさとみゆるかな﹂と云ふ歌はよ むなり。その後人々を招きて、﹁帰る雁﹂ の歌を取り出だせり。人々褒督す。伐りて遺恨を散ずと云々。 ︵﹃袋草紙﹄上巻︶. 戎所こテ人々寄ヨミケルニ札訂咋郡部覿軒ンテ云ク 鴬ノ初音ヤ何ノ色ナランキケバ身こシム春ノアケボノ. ウグヒス セキ. とあるので、披露する機会を待つというよりは、披露. じめて披露した点である。ただ、津守国基の場合は、﹁その後人々. カンヌシ. 草紙﹄︶. 住吉ノ神主国基此ノ席こアリスデこ秀苛ヨマル、ノ由ヲ存ジ タジ. ソラ. カリ. を招きて、﹃帰る雁﹄の題を出だし、この歌を取り出だせり。﹂︵﹃袋. フショク. カス. 安カラズ思ヒテ其ノ夜ヨリ不食ニナリテ他事ナク寄ヲ案ジ ケルガサテ タマッサ. する機会を意図的に設定したふうになっている。﹃理斎随筆﹄. ズミ. ウス墨ニカク玉章卜見ユルカナ霞メル空ニカヘル雁ガ子 マ子キガン. うき世の果はみな小町也. 出せり。﹂についてだが、この旬は. ﹃猿簑集﹄. に見られる。し. を、ひさしくこ、ろにかけて、品かはりたる恋をしてといふに. 次に、﹁はせをの翁も. 。カヨシクニモトンウカ ホメ歌を得たことのみが措かれているタ. ではそのような意味合いはなく、神に祈って、一命を賭けて名. ソノーチ. 成就する. かならすじやうじゆ. ︵﹃本朝語園﹄巻三﹁孝義国基秀寄﹂︶ なさ. といふ句. ト云フ寄ヲヨミ出セリ其后人々ヲ招キ坂雁ノ題ヲ出サセ此ノ. いちめいかけ. ホウヨ ヤウくヰコンサン 寄ヲ取り出ス人皆褒誉シケルニ漸々遺恨ヲ散ズトカヤ. よろづ. 万 の 事 三 叩を懸て其事を為んとす る 時 は 、 必 ねがひ. かし、これが芭蕉の﹁はらみ句﹂であったかどうかについては. こゝばんぶつれいちやう. こと也。夏は万物霊長たるがなす処の願として成就せざ. ︵注12︶。. 不明である. きんせき. によると、﹁連歌や連句において、. ところで、この﹁はらみ句﹂とは、﹃総合芭蕉事典﹄ 出版・昭和五十七年六月︶. ︵雄山閣. る事なしといへる。また虎と見て射たりし失には金石のかた つもり. きをもつらぬきしためし有り。むかし津守なるもの、友人と 歌を読てたのしみたるに、はつ春彼友なるもの、. −61−.

(15) その場で前句に応じて即座に付句を出さねばならないが、すぐ に旬が浮かばぬときの用心に、あらかじめ旬を用意しておく、 その旬のことをいう。﹂とある。 また、﹁擬作﹂については、﹃和歌大辞典﹄ ︵明治書院・昭和. おわりに. これまで述べてきたことをまとめる。. 第一に、待賢門院加賀﹁かねてより﹂歌説話は、おそらく源 泉に近い. ﹃今鏡﹄からの改変が大きくなされているということ. 六十一年三月︶. である。例えば、それは有仁から待賢門院加賀への重点の置き. によると、﹁詠歌を求められる事態をあらかじ. め予想し、それにふさわしい詩歌を事前に作ること。またその. 第二に、古今集古注釈は、﹁男女の仲をも和らげ﹂という歌. 方の変化などである。従って、ここに二つの系統を想定し得る。. での頼政、寂. 詩歌。﹂とある。﹃和歌文学辞典﹄︵桜楓社・昭和五十七年五月︶. での源俊頼の例をあげ、﹃無名抄﹄. 徳に注視し、それ以外は名を揚げるという歌徳に注目している. では、﹃今鏡﹄ 蓮が﹁擬作を晴の会に利用して好評を博したという実例﹂を示. の可能性がうかがわれるのである。. ということである。すなわち、ここにも、さらに異なった伝承 の中で田安宗武が、待賢門院加. 第三に、名を揚げることに至る、﹁擬作﹂. 的に見ている。. たということである。ただし、﹃国歌八論余言﹄. はそれを否定. 旬﹂︶は、その目的をなすための、有効かつ伝統的な手法であっ. ︵あるいは﹁はらみ. している。 ところで、﹃国歌八論余言﹄. 賀﹁かねてより﹂歌説話を批判したことを先にのべたが、それ ︵注13︶。. と同様に、この、﹁はらみ句﹂に関して、芭蕉もそれを否定的 に見ていたことが あ っ た と い う. しかし、このように、﹁はらみ旬﹂にしろ、﹁擬作﹂にしろ、. ︵注15︶。例えば、小. ところで、贈答歌に端を発する、﹁即詠﹂という詠歌のスタ. イルが、かつて評価されることがあった. 前もって詩歌を用意しておいて、しかるべき機会に披露すると いうことは、世間では多く見られることであり、むしろ名歌が. 式部内侍の﹁大江山﹂. ︵注16︶。. 系統の作品を除く︶、前もって考えていた歌を、その機会を得. 翻って、待賢門院加賀の﹁かねてより﹂の歌の場合︵﹃今鏡﹄. である. 出すことが、一つの価値として認められていたことがあったの. の歌のように、まさに即時に秀歌を詠み. 擬作であったことが多いのも事実であった ︵注14︶。. の代表的な歌として、一定の評価を受けてい. そうすると、待賢門院加賀﹁かねてより﹂歌説話は、﹁はら み句﹂や﹁擬作﹂. たということになる。そのため、﹃俳俄悔﹄にあるように、源順・ 津守国基・能因・芭蕉と並び置かれるようになったのである。. ︵注17︶。確かに、創作したのは何年も前かもしれな. てその場で即座に詠むということは、一種の﹁即詠﹂と言える のである. 一62−.

(16) ﹁かねてより﹂. の歌は、﹁即詠﹂という、一. いが、その場に応じて即座に詠むということは、やはり﹁即詠﹂ にたがわない。 待賢門院加賀の. の詠者を、. ︵講談社. ではなく﹁待賢門院加賀﹂. それらに従って、本稿ではこの﹁かねてより﹂. ﹁土御門前者院の中将の御﹂. とみなして論を進める。なお、竹鼻績氏﹃今鏡﹄ 学術文庫︶. ︵講談社学術文庫︶. にも﹁﹃勅撰作者部類﹄. 注. ﹃母. にも、待賢門院. の三木紀人民の解説による。また、岩田正氏. ︵﹃短歌﹄・昭和六十二年五月︶. ︵1︶. に. には、﹁﹃勅撰作者部類﹄には﹃母斎院新肥前﹄. 見相反する詠歌のスタイルなしに成立しえないものなのであ. とあるほかは全く不明である﹂とあり、三木紀人民﹃今. ︵2︶. 斎院新肥前﹄と注されるのみ。﹂とある。. 物語﹄. る。 総じて、待賢門院加賀﹁かねてより﹂歌説話、いや、待賢門 院加賀その人自身に対するイメージは、次第に一つの理想的女 性像へと形成されてゆくように思われてならない。. ﹁即詠﹂. 加賀﹁かねてより﹂歌説話について、﹁この即詠ならぬ即. 確かに、今まで見たように、待賢門院加賀は、たった一首の 歌の﹁即詠ならぬ即詠﹂によって愛情と名誉とを勝ち得た。そ. ︵新日本. ︵﹃類東本系江談抄﹄. 本稿で用いた本文は次による。﹃古今和歌集﹄. 詠はドラマを得ることで有名となった。﹂とある。 ︵3︶. れは相手の男性の愛情を得ることでぁり、勅撰集に入集するこ とであり、異名を得ることであった。. 古典文学大系︶、﹃類衆本系江談抄﹄. 武蔵野書院・昭和五十八年七月︶、﹃袋草紙﹄. しかし、近世以後の女子教訓書・教養書のごとき類にいたり、 待賢門院加賀は、﹁賢女﹂. 文学大系︶、﹃今鏡﹄. ︵日本古典文学大系︶、﹃和歌口伝﹄ ︵日本. ︵京都大学. ︵﹃国文学研究資料館紀要﹄第十人号・平成四年三月︶、﹃古. 国語国文資料叢書︶、八戸市立図書館本﹃古今和歌集見聞﹄. 歌学大系︶、鼻殊院蔵﹃古今序注︵尊円序注︶﹄. ﹃古今著聞集﹄. ︵講談社学術文庫︶、﹃十訓抄﹄ ︵新編日本古典文学全集︶、. ︵講談社学術文庫︶、﹃千載和歌集﹄︵新. ︵新日本古典. とは、異名・名誉を獲得した以上の意味を持つであろう。つま. 日本古典文学大系︶、﹃今物語﹄︵中世の文学︶、﹃うたたね﹄. の一人として扱われてきた。このこ. り、待賢門院加賀は、模範的・理想的女性像として、徐々に確 立されてきたのではないかと察せられるのである ︵注18︶。. 竹鼻績氏﹃今鏡﹄︵講談社学術文庫・昭和五十九年六月︶ の補説、三木妃人民﹃今物語﹄ ︵講談社学術文庫・平成十. 今序註. ︵﹃新走. ︵﹃日本文学論究﹄第四十六冊・昭和. 年十月︶. 六十二年三月︶、東山御文庫所蔵﹃古今集注﹄︵﹁﹃頓阿序注﹄. ︵了誉序註︶﹄. 門前斎院の中将の御﹂とを別人としている。これについ. その他﹂中世古今集注釈書解題︶、﹃源平盛衰記﹄. の解説参照。両氏は、﹁待賢門院加賀﹂と﹁土御. ては、﹃鄭女暗言﹄にも同様の指摘がある︵対照表参照︶。. −63−.

(17) 源平盛衰記﹄新人物往来社・平成三年二月︶、﹃東斎随筆﹄ ︵中世の文学︶、﹃二八要抄﹄︵続群書類従︶、﹃女郎花物語﹄ ︵日本. も共通話が半数ほどみられ、文章もきわめて近い。また、. ﹃絵入百人一首﹄にも、頭書に、いろと姫の事、二程の母、. 兼雅の妻、大弐三位、田道が妻、まつらさよひめなどの. 説話が収められている。これら、百人一首古注釈や女子. ︵古典文庫︶、﹃本朝女鑑﹄. 教育文庫︶、﹃本朝語園﹄︵古典文庫︶、﹃国歌八論余言﹄︵日. 教訓書・教養書のごとき類には、女性に関する説話、特. ︵古典文 庫 ︶ 、 ﹃ 雑 々 集 ﹄. 本歌学大系︶、﹃本朝歌人伝﹄ ︵﹃女教艶文庫﹄・﹃江戸時. が、そのすべての書を調査したわけではない。しかし、. にいわゆる﹁賢女﹂﹁名女﹂を集めたものが多く見られる. ︵日本俳書. 近世における理想的女性像の享受の在り方の一端をうか. 代女性生活絵図大事典﹄第九巻・大空社・平成六年六月︶、. ︵日本. ﹃安斎随筆﹄ ︵改定増補故実叢書︶、﹃俳俄悔﹄ 大系︶、﹃郷女陪言﹄ ︵日本随筆大成︶、﹃理斎随筆﹄. がい知ることはできよう。機会があれば、広く調べたい. の三木紀人民の解説に、﹁ここでは主体はあ. 随筆大成︶、﹃賢女鑑﹄︵文政十一年・慶応元年再刻板本﹃万. ︵1︶. と考える。 注. くまでも有仁であり、女は和歌の才を有仁に認められて、. ︵4︶. 代百人一首都文箱﹄︶、﹃半日閑話﹄ ︵日本随筆大成︶、﹃百. ︵万延元年坂本︶。. 人一首一夕話﹄︵岩波文庫︶、﹃賢女鑑﹄ ︵天保五年板本﹃女 要百人一首 教 袋 ﹄ ︶ 、 ﹃ 絵 入 百 人 一 首 ﹄. 和歌の才をもって有仁に仕え、主君有仁を輝かせる女の ︵文. なお、﹃賢女鑑﹄を収める ﹃万代百人一首都文箱﹄. として、衣通姫、. なお、浅見和彦氏﹃十訓抄﹄. とある。 ︵5︶. の頭注に、﹁名歌にはそれにふさわしい. 佐伯真一氏﹁翻刻・紹介八戸市立図書館本﹃古今和. ﹃見聞﹄の共通部分に﹁拾. 君︵若︶抄﹂即ち﹃十訓抄﹄の引用が認められ⋮﹂とある。. 年三月︶ の解題に﹁﹃尊円序注﹄. 歌集見周﹄﹂︵﹃国文学研究資料館紀要﹄第十人号・平成四. ︵6︶. ている﹂とある。. 物語が伝えられる。﹃十訓抄﹄編者の和歌への好尚を示し. 平成九年十二月︶. ︵新編日本古典文学全集・. も、﹃今物語﹄は視点︰王題ともに大きく改変している。﹂. 一人として登場するにすぎない。同じ逸話を扱いながら はい. 政十一年・慶応元年再刻板本︶および﹃女要百人一首教袋﹄ ︵天保五年坂本︶、﹃絵入百人一首﹄ ︵万延元年板本︶. ずれも架蔵のもので、書名はそれぞれ表紙の題賽によっ た。いずれも、二段組みの体裁となっていて、﹃百人一首﹄. ﹃賢女鑑﹄. ﹃女要百. に限らず、婦女子に対するさまざまな教養・教訓などを には、頭書に. 収めている。このうち、﹃万代百人一首都文箱﹄ 人一首教袋﹄. 光明皇后、皇后嘉智子、清少納言、道綱公御母などの説 の方が最終 に. の分だけ語数が多いが、他の説話はほぼ同. 話が収められている。﹃万代百人一首都文箱﹄ 話﹁尼将軍﹂. 文かつ同配列である。﹃本朝歌人伝﹄ ︵﹃女教艶文庫﹄︶. ー64−.

(18) れ、歌人としての名を後世に知られること. / ロ す. ぐれた歌人という名声を、広く世間に認められること﹂. ︵7︶ 注︵1︶の三木紀人民の解説に、﹁上位者の感嘆を待て、. その権威をまとい、飛躍して勅撰集に入集を得ることを. 男女の間の移ろいかけ. 男女の間に愛情が強. 男女の. をあげ、﹁Ⅳ愛情獲得深化回復の徳﹂として﹁イ. められ深められること / ハ. / ロ. 最初から目的としていたのであった。すべてが勅撰集入 −. 間に愛情が成立すること. の歌人たち. 集へと収束し、それ以外の要素がすべて捨象されている﹂ とある。また、田渕旬美子氏﹁﹃今物語﹄. ていた愛情がよみがえること﹂をあげている。本話の場合、. 二十. 勅撰集世界の周縁 − ﹂ ︵﹃大阪国際女子大学紀要﹄. つまり、歌のために、自らその状況を設定するのはい. 、つことになろ、つ。. 古今集古注釈がⅣのハ、それ以外がⅠのイおよびロとい. に送られたのは、愛を繋ぎ止めるためではなく、. 三号−二・平成九年十l一月︶ にも﹁この歌が ﹃さりぬべ. き人﹄. ︵9︶. わば本末転倒であり、倒錯しているのである。これにつ. 上位者と下位者、王と臣、という歌徳のシステムを意識 した行動であって、上位者の感嘆を得て、更に其の権威. いて、松村雄l一氏﹁倒錯した歌人たち. ︵﹃共立女子短. によってそ. 紀要﹄第二十二号・昭和五十四年二月︶. ︵秀歌︶. ︵秀歌︶. の. 第十巻・昭和二年二月︶. の. 和歌説話にお. を纏って勅撰集入集という栄誉をめざした行動であった。. ける. った﹂とある。 ﹃俳俄悔﹄. ︵日本俳書大系. ために、そのような倒錯の構図をみずから引いてしま. う点にあるとし、﹁たまたま手に入れた一首の. の後の自分の一生をまるごと規制せざるをえない﹂とい. には、﹁加賀の倒錯は、たった一首の. ︵文科︶. −. すべてが勅撰集入集へと収束していくのである。﹂と同様. 期大学. ︵秀歌幻想︶ の成立と屈折素描−−−﹂. の指摘がある。 ︵8︶ 森山茂氏﹁歌徳説話論序説﹂ ︵﹃尾道短期大学紀要﹄第. 詠歌を賞讃されて、. 二十三集・昭和四十九年一月︶ では、﹁和歌を詠ずること. によって得られた徳﹂として﹁A. B. 詠歌を賞讃され. /. 歌 人 と しての名声を得ること. 詠歌の. /. C. て 、 布 施や禄などの褒賞を受ける こ と. ︵10︶. 解題、および﹃名家俳句集﹄︵有朋堂文庫・大正七年七月︶. 力によって、男女の間に愛情が成立したり、移ろいかけ ていた男女の愛情が復活したりすること﹂などをあげて. による。. の緒言による。 ﹃俳文学大辞典﹄. いる。本話の場合は、古今集古注釈がC、それ以外がA. ︵11︶. に﹁この句は芭蕉の挙句で、かねてこれに. はらみく. ︵河出書房新社・昭和五. ︵角川書店・平成七年十月︶. ということになるだろう。さらに、同氏﹁歌徳の種々相﹂. 伊藤正雄氏﹃芭蕉連句全解﹄ 十一年四月︶. ︵12︶ 勅撰和歌集に撰ば. ︵﹃尾道短期大学紀要﹄第二十六集・昭和五十二年一月︶. では、﹁Ⅰ名声栄誉の徳﹂として﹁イ. −65−.

(19) して、得たりとこの句を付けたのだといふ伝へがある。. 見合ふ前句を求めてゐたが、たまたま凡兆の前句に際会. 賢女として知られた女性を. は実に多くの人物の略伝が掲げられるが、⋮孝婦・貞女・. 事典﹄別巻・大空社・平成六年六月には、﹁女子用往来に. ﹃女の鑑﹄として収録したも. 事実のほどは分らない﹂とある。. のが目立つ。﹂とあり、﹁美化された多くの略伝は、女性. の理想像を見出すというよりは、一種の憧れの対象でし. に. よると、﹃三冊子﹄の﹁わすれみづ﹂を引いて、芭蕉が﹁挙. かなかったのではないか。﹂という指摘がある。. ︵13︶ ﹃総合芭蕉事典﹄ ︵雄山閣出版・昭和五十七年六月︶. 句を安易に出すことをいさめている﹂ことを示し、﹁挙句 は蕉門ではあまり歓迎されなかった﹂としている。 ︵14︶ 注 ︵1︶ の竹鼻績氏の補説では、﹁当時、﹃しかるべき. 時名をあげたる歌ども、おほく擬作にてありけるとかや﹄ ﹃伏し柴﹄. の歌も擬作と考えて. に﹁歌. ﹃今物語﹄. ︵﹃無名抄﹄︶ という考えがあったので、伏し柴の加賀の. 異名をとった. のような話が生れたものであろう。﹂とある。 ︵ほ︶ 例えば、﹃俊頼髄脳﹄ ︵新編日本古典文学全集︶. を詠まむには、急ぐまじきがよきなり﹂としながらも、﹁し かはあれど、折にしたがひ、事にぞよるべき。⋮心疾くと ︵2︶. の岩田正氏論文に﹁即詠はゆるがしにで. 詠めるもめでたし﹂﹁心疾きも、かしこき事なり。﹂とある。 また、注. きぬ、貴族階級の知的遊戯であった。﹂ともある。 ︵16︶ 拙稿﹁小式部内侍﹃大江山﹄歌説話における教訓−−− ﹃即詠﹄と﹃証﹄としての歌徳説話1﹂︵﹃札幌国語研究﹄ 第七号・平成十四年六月︶ 参照。 ︵17︶ 注 ︵2︶ の岩田正氏論文による。 ︵18︶ 江森一郎氏・小泉吉永氏﹁﹃絵図大事典﹄の編集・後記﹂ ︵﹃江戸時代女性生活研究﹄・﹃江戸時代女性生活絵図大. −66−.

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参照

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