近世商家における徒弟教育 : 佐野屋孝兵衛家の記録をとおして
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(2) . 第 16 巻 第 2 号. 北海道学芸大学紀要 (第一部C). 昭和40年12月. 近世商家 に寿げる徒弟教育 -- 佐野屋孝兵衛家の記録をとおして -- 入. 江. 宏. (北海道学芸大学函館分校教育学研究室). ’ Hi s ng of Apprenticesin a N[erchant roshiIRI愈 ; T爺ini Housei n the Tokugawa Period. はじめに 1 「家」 的企業体と子飼奉公人 口 同族意識の形成-- 「家風」. は. じ. 「店風」 への同化-- m 家業の担い手の育成-- 「商 法」 の習得--. め. に. わが国の徒弟奉公制度は近世町人が生み出 した最も個性的教育慣習であるが, これまでその外 i l i ceshi 的 形 式 の類 似 か ら西 欧 中 世 ギ ル ドの 徒 弟 制 度 (Lehr ngswesen,apprent p) と 比 較 さ れ, そ. の機能が高く評価されてきた反面, ややもするとその本質が見失われる傾きがなかっ たとはいい きれない. たとえば apprenticeship との類似から, 安易に, 町人の徒弟教育の主体をわが国近 ) 世の同業組合である仲間・株仲間に求めた如きである1 . i た しか に, 近 世 町 人 の 徒 弟 奉 公 と 西 欧 の apprent ceshi p と の 間 に は そ の 外 的 形 式, た と え i ing Gesel le i i ld) に は Lehrl ter (apprent f t (cra t gu ば 独 特 の 修 業 階 梯 と して Zunf ce s , , Me ,. があり, 一方わが国の職人社会には徒弟・職人・親 方, 商家には丁稚・手代・番頭・主人といっ た階梯 があり, しかもそれらが共に厳格な身分階層 序列として存在していた点, またわが国の徒弟奉公が<子飼>あるいは〈子畜〉といわれる如く. t Journeyman, ma t s er) と い う threes age s. 親方の家に住込んで修業 したことは広く知られるところであるが, 西欧中世の徒弟も親方の家で fami ly tabl l d) の一員として遇されなが ら腕をみがいた e につくことを許され, 家族 (hou eho s. ) 点等には明らかな類似が指摘できる2 . しかし, 内面的, 本質的な問題において両者を比較すると多くの相違を見出せる. たとえば西 欧中世の徒弟は弟子入りに際 して修業に関する重要事項について 親方と双務的徒弟契約 (Lehr - k kon t t が交わ ) し 町人の丁稚奉公に際 して必要な書類といえば されるのに対 公法上必要な a r , , 切手のほかは身元保証の請状だけであっ て, 契約などむ しろ<水クサイ>ものとして 否 定 さ れ た.(強いて主人側の契約といえるものをあげれば, 請状に 「年々御定通仕着可被下候」 と仕着の 義務が定例文言と してあげられていただけである. ) 次に, 西欧の徒弟も親方の手許で訓練をうけ 7- 「10.
(3) . 入. 宏. 江. ることには変りがないが, その教育の最終責任はあくまでギル ドに存した. 契約は直ちに組合に 登録され, 組合は組合員である親方の朕けと技術指導が適切になされているかどうか こ れを監視. す る制度 (た と え ばイ ン グラ ン ドの 大 工 組 合 規 定. . i i t (A C0mpos on of the Carpenters, 1598). 等はこの役目 を searcher あ る い は warden と い い, 違 犯 者 が あ れ ば 彼 らが 警 告 し, も し必 要 ) なら徒弟を他の親方の許に移す措 置 を 定 めている3 ) が設けられ, それらの条項は 組 合 規 約 f dnung) に明確に規定された。 町人社会の場合, 一旦弟子入り した徒弟は極端にいえば t (Zun or 生かそうが殺そうが主人の勝手であっ た。 もちろん, 主人が丁稚を一人前に仕立てることは義理 でもあり, 世間の目もそれを監視していたのであるが, 一方, 従来徒弟教育の機能を持つと考 え られてきた近世の仲間 o 株仲間の規約には, さきに西欧中世ギル ドにみた如き徒弟教育の主体と しての責任を示す積極的規定は何も見当らず, むしろ奉公人の取締規定 (年季年限, 別家料の協 定, 他店解雇奉公人の雇入, 他店奉公人の引抜きの禁止等) があって, その規則面 がうかがえる ) のみである4 . さ らに両者の人格陶冶の面について比較検討すると, 西欧中世ギル ドの徒弟教育 ) と して必要な人格・識見を形成す の過程は技術習得の課程であると共に, 同時に市民 (Bar r ge i i ion の重要な課程で あり i t iv cal educat るための c c education 乃至 pol , したが っ て そ の ゴ ー ル k i M i t t a で あ る 親 方 資 格 審 査 の 際 に は, 技 術 的 判 定 ( esters c e , maserpece の提出) とともに, そ の人物が親方つまり組合員と して市の政治に参劃するに相応 しい人格であるか どうか判定される のであっ た. これに対 し町人社会の場合, 近世社会に市民意識の成立を見なかっ たという本質的 問題を別と しても, その人格形成の過程において圧倒的に強調されるのは主家第一主義であり同 族意識であって, いわゆる 「家」 イデオロギーの教化が一貫 してみ られ, 対社会, つまり町内と か「世間」の意 識もこの「家」を媒介にしたものに止まっている. わが国の徒弟奉公のかかるあり方 は主人と奉公人の結合原理がいわゆる〈オヤ o コ ナ リ > に あ っ た と こ ろ か らも 当 然 で あ り, そ こ l i か らは 遂 に 西 欧 の 徒 弟 制 度 に み られ る pub c の意識は見出せない.(近世町人にあっては, むし ) ろ 「家」 こそが彼らの 「公」 であり, それは私事と異っ たものと して把握されていたのである. 以上指摘 した両者の差異は, 一面西欧中世ギル ドとわが国近世の仲間・ 株仲間が同じ同業組合 として捉えられながら, 基本的に異なる性格, たとえば西欧のそれが中世都市の部分共同体と し て本質的には市民身分を組合員とする都市自治の単位組織であるのに対 して, 町人のそれは組織 ) ) 的には一種の家連合 (事実仲間規約には しばしば仲間内を親類同然 に 心 得 よと示されている5 であり, 幕藩権力との関係は著 しく寄生的である点等にみられる本質的差異か ら一部説明出来な i い こ と も な い が, む しろ 西 欧 中 世 の apprent ceshi p と わ が 国 近 世 の 徒 弟 制 度 を 同 業 組 合 の 教育. 機能という同じ次元で無理にとらえようとするところに問題があるといえよう. 結 論 的 に いえ ば, 西欧中世の apprenticeship は 教 育 の 主 体 は あく ま で ギ ル ドに あ り, E. Li pson が指摘 してい ) 6 i i と して 開 か れ て い た の に 対 し, t るように文字通り 「市民への道」 (the avenue to c zenshi p) 近世商家の丁稚奉公は, 「家」 ,的企業体における<暖簾内>要 員の育成, 子飼奉公人の同族化の 過程として把握出来よう. 周知の如く近世商家はその営業規模の拡大に際Lて 「家」 の非血縁的成員で あった奉公人の分 家, 所謂<別家>を創設 してきた。 別家は傍系家族員のく分家〉と共に主家を中心に暖簾内なる 同族団を形成 したから, 別家創設は主人とオヤ・コナリの原理で結ばれた子飼奉公人の 「家」 へ の編入, 同族化の過程に外な らず, したがって別家要員は 「家」 の成員に相応 しい人格と能力の 持主でなければならず, そこには能力・業績本位の淘汰選抜を伴う厳 しい訓練が前提されるのは 当然であっ た. この点をおさ えられて, すでに中野卓博士は, ,「丁稚制度が株仲間の同業者を養 成 -1 08-.
(4) . 近 世 商 家 に お け る 徒 弟 教 育. するために作 られた制度と説く人もあっ たが, これも家と同族におけるオヤ o コ関係一般の共通 ) な意味とその歴史を考える場合受けいれることは出来ない」 と指摘されておられる7 。 誰が徒弟 教育の主体であっ たかという観点か らみるならば, これまでの, わが国近世の徒弟教育を仲間・ 株仲間の機能とする捉えかたは誤りであり, とくに商人の丁稚奉公制度に関する限り, その教育 の主体を 「家」 乃至同族団に求めるのが正しいように考える。 したがって, さきに外的形式の類 似点として指摘 した住込み修業も, 西欧の場合, 日常的接触による全人格的教育のねらいはもち i i i t ) の習 得 の た ckl chke ろ ん あ っ た と して も, 親 方 の 許 へ の 住 込 み は い わ ば 秘 伝 に 基く 腕 (Gesch. めの随伴的条件であり, それ故にまたこの課程は後世ギル ド学校 (ドイツ型の) の成立へと発展 )のであるのに対 して, わが国の徒弟制度においては家に住み込む (子飼) のはむ しろその する8 本質からいって基本的条件としてこれを把握することができよう。 別. 記 本来比較研究は比較する両者にある程度の等質性を必要と し, この点徒弟制度についての彼 i ceship が本来, 手工業における技術習得の課程として発達 した以上厳密に 我の比較は ap, prent f i d) とわが国の近世手工業者, つまり職人社会なり t tgu l は 西 欧 中 世 の 同 職 ギ ル ド (Zunf ,cra. 職組合との間に行なわれなければな らない。 しかしわが国においては商家にも丁稚奉公という 商業徒弟の制度があり, 外的形式は勿論その方法原理も手工業者のそれとほとんど共通な点か i ceship と 比 較 さ れ, ら, 普 通 両 者 を 含 め て 西 欧 の apprent. あ る い は む しろ 論 者 に よ っ て は 商. 家の丁稚制度そのものを想定 して直接これと比較 がなされるのが普通であっ た。 この点再検討 を要するが, このことは直ちに西欧中世の同職 ギル ドの徒弟制度とわが国近世商家のそれとの 比較研究の無意味を意味するものではない。 前者との比較において近世商家の丁稚制度の本質 を明らかにすることが可能で あれば, 両者の比較研究に横わる限界を充分認識 した上でこれを 検討することは有意 義と考える。 本論は比較研究について以上の見解に立つものである。 なお, わが国近世の職人社会における徒弟制度については改めて検討するが, 徒弟の教育に 関 しては, その技術水準の保持という観点から商業社会より職 仲間の連帯性が強かったものと 推測される. また職人社会に あっては経営の基本的要素が商家の如き資本になくむ しろ経験的 熟練にあったから, 商家における家産を通 しての 「家」 の意識の如きははるかに小さく, 親方 と弟子の結合原理も 「家」 を媒介とするよりむ しろ個人的関係に基くところが強かったように 考えられる。 しかしそれとても程度の差で, 徒弟教育の方法原理については両者は本質的に共 ) 通 ず る も の が 多 か っ た と 思 わ れ る9 。. 本稿は, 以上の観点から, 江戸の木綿・ 呉服問屋佐野屋孝兵衛家を中心に佐野屋一統の諸記録 をとお して, 近世商家が 「家」 および 「家」 的企業体の存続と発展のために使用 人, とりわけ子 飼奉公人の教育 に如何に期待し, 熱意をそそいだか, その実態を, その目標, 内容, 方法原理 にわたって明らかに し, それをとおして近 世町人の徒弟教育の主体が株仲間では な く, 彼 ら の 「家」 乃至同族団<暖簾内>に あったことを検証 したい. なお, 佐野屋孝兵衛家= 「佐孝」 の出目, 経営内容, 暖簾内の具体的系譜, 階統組織等につい o )に詳述したの で重複をさけるが, 関東一円に蕃街した佐野屋一統の てはさきに発表 した諸論文l 宗家は野州宇都宮の菊地治右衛門家で, 代々 「古衣転販を以て業」 とし, あわせて金融業を営ん だが, 享保年間に別家を創設, 以来次々に 暖簾分けして商家同族 団を形成, 文化年間には江戸へ 一円に50軒余の分支 進出 (「佐孝」創設) , 天保期の株仲間停止を契機に問屋仲間へと上昇し, 関東 店を擁するに至り, 幕末には 「佐孝」 の女婿大橋諭蓋との関係から坂下門事件に関係している。 09- 一1.
(5) . 入. 1. 江. 宏. 「家」 的企業体と子飼奉公人. 文化11年正月, 佐野屋孝兵衛 (知良, 号淡雅, 寛政元~嘉永6年) は宇都宮の宗家より資本と 熟達の手代数名の分与をうけて, 江戸日本橋元浜町松坂屋藤八裏に分家開舗 したが, 開舗後そう 日を経ない時期に作成されたと推定される 「面々衣服制所持心得書」 の前文に 次のように記 して 1 ) い る1 .. 昔より本家に立る処の 家格有て其主人是を守て家を治る事数代余も本家に従事 し 其業を学の 処日を積月を重て 漸々に其旨を得たり幸に 賢徳院誰孝古君井当主人栄親君撰二依而 今髪に一店 を開き本家に事る長なるへき 汝等三四輩余を加て業を補助せ しむ其恩の広大なる事挙て尽すへ きにあらねは切に其恩報へき要道を考るに余も 叉其志を総き本家之規矩を本と し学ひ得る処の 基を開き商 買の道敷栄 して其貨殖の余れるを積み以て我 家に事る 忠節の者を して後一店の主と なすは賢徳院の志を縦き且当主人の高恩報へき方分の一にも至ん敷と深く 此事を思ふといヘ と も何そ余一人の力を以大業を成す事あたはす願はく は 幸助好兵衛佐助ら能吾業を助け余に其功 を顕さ しめ叉汝等も能我志を継き後一家之主と成 らは 幸甚の至何事歎是に如ん哉然て業を精く 学ふ少壮之者を挙切に教導し其功を成さ しむ へ し (後略) 新 らたに一店を主宰することにな った孝兵衛知良が重手代に協力を要請 した一文であるが, こ こには近世商家の徒弟教育の倫理的根拠といったものが語 られてお. り注目される. すなわち徒 弟 教育は家累代の意志であり, す ぐれた子飼を得て これを一店の主にまで育成することは 「商買の 道敷栄」 するこ とであると同時に 家のかかる意志を継承することにほかな らず主家への 報恩の道 と してこれより大切なものはない. したがってその指導原理は当然 「本家之規矩」 であり 奉公 , 人もとも どもこの大業に協力すべ きであるというのである. また 「家」 における奉公人の位置について佐孝 「家内記録一」 に次のような記述がある . 我家身代之儀 は誰の者と申定ハ無之只先祖の者二而 主人是を預り進退致 し候道理二候 (中略) 依而 主人ノ ・召仕の者を我壱人の 召 仕と 而己 心得候 而ノ ・不相成矢張先祖の召仕を我相預 り候 而先 祖の為に召 仕候と心得可申筋に候叉召仕の 者方にても当主人壱人而己 の奉公と不心得 (中略) 公ヶの先祖江 万奉公致すと相心得可申事二候 (中略) 主人方二而 公の道を相行候得 は諸事差図 を受或ノ ・不足の処は是を相輔翼致候 而其公を為遂候か召仕の者の公の道二候 (傍点引用者) すなわちここでは奉公人が 「家」 の公けに属するものと して明確に把握され 主人もおのれ一 , 人の使用人と心得てはな らず, 奉公人もまた当代の主人個人に仕える気持ではなく 共に家累代 , の公の道に仕える心掛けをも つべきであると している. さらに同書は, 主人--この主人も先祖 の手代をただ 「預り進退致」 す存在で, いわば 「先祖の奉公人」 であるが一「は 「一家大切二心 得」 るな らば 「召仕と心を合互 二心付」 けて家業に励むことこそ肝要で, したがって一店繁昌の 基は 「良召仕を多く相養候 外無之」 と記 している. 以上二つの記述は近世商家における徒 弟教育の本質を究明するに当って極めて 貴重な資料を提 供 しているといえよう. すなわちここでは奉公人が主人とも ども 「家」 の公けの中に正 しく位置 づけられ, したがってその教育はまさに公けの仕事であり, 彼らを家のよき奉公人として朕ける ことはとりもなおさず家の 「公の道」 に外な らないと把握されている. 使用人教育はもとより経 営組織体に必須の要務であるが, ここではそれが 家の理念において説かれているのであり, ここ にわれわれはまた近世商家の経営形態を 「家」 的企業体と して把握する一つの根拠を見出すこと ができるといえよう. いずれにせよここには商家の徒弟教育が 「家」 を媒介に して捉えられ そ , -11 0-.
(6) . 近 世 商 家 に お け る 徒 弟 教 育 れを 支 え る 情 熱 が, 「家」 の 理 念 に 基 い て い る こ と を 知 る の で あ っ て,. こ の 限 り, い わ ゆ る 同 業. エネルギーとな っている 組合である仲間・株仲間の 思想なり論理なりが 徒弟教育を支える精神的, 証拠はどこにも見当らない. 孝兵衛知良が嗣子教中 (文政11~女久2年) を意識して書き遺したといわれる教訓書 「保福秘 訣」 には, 商家の主人に期待される徳目を列挙した中 に 「能家人ヲ撫 シテ, 忠実二教へ, 才幹有 者両三人ヲ用 ヒテ, 家道ヲ輔翼 シ, 幼弱ノ憧僕マテ, 切二教導シテ忽ニ セス, 成人二及ヘハ, 其 ノ器二随テ擢用」 いるべきことが掲げられ, また主家に良く仕える者に対 しては 「厚ク恩恵ヲ施 シ, 良 妻 ヲ 要り, 家 ヲ 造 り 与 へ,. 富 ヲ 頒 チ テ 足 ル コ トラ 要 ス ル ヘ シ」 と 述 べ ら れ て い る. ま た 文. 政11年2月, 佐野屋 一統が宇都宮の 宗家に参集, 評議の上制定, 調印 した 「家格連印帳」 第4条 には別家創設に関 して次のように規定している. 一, 当家主人一代の内店々より相応の人見 立主人一代二二人まて当家より 基業金差出為致別家 ) 暖密 下二可致候事(4 ここに示されている一代に二人宛の別家創設は, 同家が享保年間に矢田部与兵衛を別家して以 , 来現在に至る別家創設の実績を勘案しての数字らしく, 佐野屋一統はこのあと佐孝 (孝兵衛店) うこともあるが その上昇発展期とい ) の各店の如きは ( 橋本長作店 ) 司 佐丹 (吉田丹兵衛店 , , , それぞれ10店前後の別家創設 (本家よりは孫店に当る) を行っ ている. もちろんこの条項は本家 を拘束するもので, 表面的には別家制限を示 したものであるが, 同時に, 本家における別家創設 の義務, 道徳的責任を明 瞭にした条項とみることもできよう. いずれにせ よ以上の 教訓や規定にうかがえるところは, 子飼奉公人の存在が 「家」 の理念と構 造に本質的に結びつき, その育成が彼らの家の 「公の道」 として位置づ けられていることである. したがって徒弟教育に示される 「家」 の積極的意志は, 同時に 「家」 のもつエ ゴイ ズム, とりわ け近世商家の 「家」 の具体的表現の場 である 家業経営-- 「家」 的企業体それ自身がもつ資本の 功利性乃至合理性と無関係であり 得ないことを忘れて はな らない. さきの教訓書 「保福秘訣」 は 同 時 に 「夫 方 金 ヲ 有 ッ 家 ハ, 数 万 ノ 魁 ナ レハ, 容易ノ 福 ニ ア ラ ス,. 慎 テ 其 家 業 ヲ 専 一 ニ ス ヘ シ,. ・他所二支店ヲ創ムルコ ト勿し」 と家業専一を説き, 支店分 必利欲二惑テ, 他ノ販駕ヲ弁マメ, 或ノ ・立ヘキ支家ノ退転 ツタル類ヲ 出をむ しろ否定するような言葉がみられる. 「但シ父ノ愛弟, 或ノ 興起スヘキ 義理アルハ, 別二開舗シテ隆盛セソコトラ謀ルモ有へ シ」 と家の立場から分・別家の 創設 が考えられることはあっても, 家の存立に本質的にかかわらないレベルにおいてはむ しろ家 業の要求する功利性 が優先 して, 「然しトモ近里二同業ノ販売ヲ許スヘカラス, 是後代二至テ競 争ノ心ヲ発スルラ 恐ル・也」 と本家中心主義をとっている. 近世商家の家法には 「本家のつよみ を第一」 とする思想が普遍的で, ここに徒弟教育の性格を規定する要因として 「家」 のエ ゴイ ズ ムの存在を認めなければならない. さきの 「家格連印帳」 第7条には, また次の様な規定がみ られる. 一, 二男三男致分家候者は当家 分家と相唱可申候尤も分家 の者より当家を本家と唱可申候取 ・当家より別家店内或は暖簾下と唱候得は別家の者より当家を本店と唱可 申 候 立致別家候者ノ (傍点引用者)(7) すなわち傍 系親族の分家よりは主家を本家と唱えさせるのに対 し, 奉公人の別家からは主家を 本店とよばせているのであるが, これは 「別家の者より分家をハ尊敬いた」 させ,「分家別家一列 )等とともに同族団統率上の制度的工夫, つまり呼 に不混様可相心得」 ことを規定している条項(8 称という 形式上の問題かも知れないが, たち入って推測すれば, 傍系親族の分家が家の本末の糸 -1 11-.
(7) . 入. 江. 宏. 譜におし ・てより強く意識されているのに対 して, 子飼奉公人の別 家はむ しろ 「家」 的企業体にお ける経営組織乃至資本関係においてより強く捉えられているという 推定も意味のな いことのよう には思われない。 子飼奉公人が主人と オヤ・コナリの結合原理において結ばれるという徒弟教育 の理念の面だけに捉われて, 家業という 「家」 的企業体において丁稚奉公制度が如何なる役割を 果 しているかという機能的側面を見失ってはな らないと思う. 徒弟教育 の究極目標は暖簾内成員の育成,子飼奉公人の同族化である. 奉公人の側からみれば , 永年季の奉公 の末に主家の同族成員としての地位を獲得することによって, 次三男の厄介的境遇 から店特・家特に出世 し, 町人社会における市民権を得ることができるのであり, 主家の側から みれば, 家の非血縁成員の同族化によって家族員だけでは到底期待できない質的にも量的にも優 れた家業 の担い手を保持 し, またその経営の拡大にも応ずることを可能にするのであった . しか し暖簾分けが企業経営の合理化から次第に制限され, 他面通勤別家を幾人も抱えるだけの営業規 模を持たない大方の商家においては, 奉公人のすべてに別家への道が開かれているわけではない 。 む しろ現実に は生涯使用人的地位に甘んぜざるを得ないものが多く, したがって徒弟教育の現実 も封建的雇傭労働 の過程, たかだか企業内における従業員教育の過程と して しか捉え得な い面が 顕著にな る. それにも拘わらず, 徒弟教育の本質を子飼奉公人の同族化の過程と して捉え得るの は, 主人と奉公人が, (所謂給金奉公を含めて) オ ヤ コ o ナリの結合原理において結ばれること がたてまえとされ, 企業組織そのものが近世庶民のもっている. 「家」 制度に可能な 限り機能合理 的に依拠しているからである. 近世町人の家業における経営理念, 経営組織, 人事管理方式には 一貫 して 「家」 のイ デオロギーの反映がみ られ, 必ず しも同族要員ではない またそこに到達 し , 得ない多くの奉公人にとっ ても, 彼らがかかる 「家」 的企業体の従業員である以上 彼らもイエ , ノモノにふさわしい行動様式, 価値体系が要求されるのは当然であり, またその教育 は 「家」 の 構造をとおして行われるのであるから, そこに展開する教育 の内容, 方法原理は 「家」 の本質と 深くかかわっており, その原理を子飼奉公人の同族化の過程において捉えることは正しいといえ よ う.. もちろん, 子飼奉公人の同族化の過程といっても, 主人と奉公人が恩と奉公の情誼的結びつき において存在 している段階と, 営業規模が拡大 し, 店方制度が確立 し, 本家主人と支店奉公人と の間に. face to face. のつながりがなくな るような段階では, その教育 の過程に大きな変化がみ ら れることは事実である。 ここにみる佐野屋の記録も明らかにそれを示している。 しかし近世商> にあっては, その家業経営の拡大に当ってあくまで 「家」 の枠をはずすことな しに, それを目的 合理的に機能させる 方向に発展させていった以上, そこに展開する奉公人教育 の本質も遂に変り が な か っ た と い え よ う。. それでは以上の如き性格をもつ徒弟教育が目 ざす具体的人 間像は何か. それは真に同族成員に ふさわ しい人格の持主であり, 同時に現 実に家業の担い手として優 れた商才の持主である 前者 . が主家の「家風」「店風」 を身につけることによっ て可能であるとす るな らば 後者はその 「商法」 , の 習 得 に よ っ て 形 成 さ れ る と い え よ う. D. 同 族 意 識 の 形 成 - - 「家 風」 「店 風」 へ の 同 化. オヤ・コナリを結合原理と し, 住込みによる日常的・全人格的接触を通じて人間形成 をはかる 子飼制度こそ暖 簾内要員育成に最もふさ わしい訓練形式であった. 幼時からの徹底r した媛けをと おして「家」的企業体 のメ ンバ ーにふさ ′わしい行動様式, 情緒的反応を身につけさせ, 祖先祭ネ己や -1 12-.
(8) . 近 世 商 家 に お け る 徒 弟 教 育. 同族饗宴等の 「家」 の行事を通 じてイェノモノの意 識が深められた, その見事な成果を示す資料 が佐野屋文書にも残っている。 たとえば16才の時から佐野屋に仕え, 勤功成って文化7年下総佐 原に別家創設 (司店) を許された橋本文蔵 が遺 した 「本店井司家格録」 に 面々尺寸の徳無之家業の栄年月を安楽に送り候事 本家は先祖の高恩分家別家は本家の重恩に 依る所に候得を 子孫末々報 恩之志亡却有へからす候尤子孫連綿と永続 し, 其業を失わ ざる事, 先祖之志を継ぎ報恩之第一たるべく候間是を以子孫専要之勢とすべし, 讐仏事 供養朝暮怠な し といへ ども, 先祖之産業を廃り, 家を失ふ輩, 不孝是より大なるもの有へからす (傍点引用者) とあり, 「佐孝」 に伝わる 「東武店別家中相続条目」 前文には 今生の渡世家業に付ては本家を後楯として 誰恐るふ事もなく誓へ不意の災難ありとも本家を 初として内和中相集て 相談に及ふ時は如何なる心労の事も十分一よりも心安し是実に二世安楽 の果報にあらすや悦ひても尚余りあるものなり (中略) 全く本家の余光に して家財は仮ひはし 壱本に至るまて悉く主人の恩施に依ものなり (傍点引用者) と一家安楽がひとえに本家の恩施, 店内 (タナウチ) の相互扶助によることが強調されている。 もちろん, 経営規模の膨脹による<内>とく店 >の分離, 遠隔地域への出店分出に伴う本家主 l な 関 係 の 発 生 等 の 段 階 に 至 る と, 主 従 の オ ヤ o コ ナリ の 結 sona 人 と支 店 奉 公 人 と の 間 の imper. 合は単に情誼的なるものを媒介とするだけでは済まなくなり, 新たに整合さ れたイ デオロギーや 制度上の工夫が必要となってくる. 家訓 9 店則の作成や暖簾内慣行の確立がそれ で あ り, 特 に 己および<初登り><中登り><在所登り>な どと称した本家参 「家」 の守護神の祭 礼, 祖先祭ネ 2 ) 等所謂同族儀礼のハレの日 が準備されて, 系譜関係の再確認, 同族意識の強化が行われた。 集1 考察の対象とな っている佐野屋も経営規模からいえ ば むしろこの段階に達 しているとい えよう。 ともあれ, 子飼奉公人にとっては, 日々の生活が即修行の場, 主家の 「家風」「店風」 を身につ ける過程にほかな らなかった。 このように極めて実践的な教育の実態を再現 してくれるものは経 験者の実歴談以外にない。 事実商人として成功 した人物が晩年丁稚奉公時代を回顧 してその経験 を語ったものの中には, 徒弟教育の本質を洞察し, そこに展開された方法原理を正しく把握して, その内容をわれわれに伝えてくれるものが決して少くない. しかしこれらの直接史料はおおむね 明治以降のそれに限られ, 近世商家の実態を伝えるものは, 教訓的意図から潤色さ れたような も 1 3 ) 佐野屋文書も例外でなく, 重手代達からの闇書 (二代孝兵衛教中稿本 のを除いて極めて少い。 「先君創業ヨリ以来店在勤ノ者通計」 所収) が若干ある程度である。 これとても同店の徒弟教育 の実態を再現するには程遠く, われわれに残されているのは, 間接的資料ではあるが同店の奉公 人教育の実践規範, 指導要領にほかならない家法o店則を通じて, その教育内容, 方法 原理を出 来 る だ け 明 らか に す るこ と で あ る。. 佐野屋文書のうち, 以上の観点から考察の対象となるのは 「面々衣服制所 持心得書」 「店教訓. 家格録」「地震後改革議定録」 「家格連印帳」 「屋満喜質店法則録」 佐孝 「家内記録」 等である これらの家法・店則の一部は, その成立過程および同店の発展過程に果 した機能について別稿に 詳述したので重複をさけるが, たとえを 孝兵衛知良が日本橋元浜町に出店後最初に執筆 した 「面 々衣服制所持心得書」 は前文と本文8条, および 「支配人礼服」「同集会杯他行之衣服」「支配人 己下二番三番衣服」 「中人以下衣服」「子供衣服」 の項目の下に衣服の 制がそれぞれ詳細に規定さ れ, 間接的に同店の職制も示されている。 前文によれば衣服制法の意図は, 修業期の青年の情欲 におぼれがちな態度を衣服という最も具体的, 基本的枠を通して規制して行こうというのである が, いうまでもなく封建社会における衣服にはより本質的意味が存在する。 衣服が差別と序列の -1 13-.
(9) . 入. 江. 宏. シンボルとして封建的身分秩序維持--ここでは具体的に店内組織における諸身分, さらにそれ を包括する家族擬制的集団における ヒエラルキトを保持するために如何に有力な手段であるかを 考えるとき, 知良の意図が奈辺にあったか推察に難くない. 「店教訓家格録」 は同じく知良の手になるもので執筆は天保12 ・3年頃と推定される. その成立 事情からいっても, また形式・内容からみても 「佐孝」 はもとより佐野屋一統に重きをな した家 3条, 興味のあることは, 第1条 「朝起相心掛云云」 から始まって第33条 「夜仕舞之 法で, 全文3 儀云云」 と, 起床から就寝までの商家の一日になぞらえて順次に各人の守るべき規律, 心掛けを 述べ, その間たとえば, 朝の礼拝のところ で神仏信心, 祖先の忌日精進, さ らに祭礼会宴の規定 をな し, 昼中の営業のところで取引, 接客, 帳場の心得から会計の取決めに及ぶという具合に極 めて実践的な構成をとっている. 同族意識の形成の面で注目されるのは祖先祭ネ己や 「家」 の守護 神の祭礼についての部分で, 同法第3条は 「神仏之信心可有心得条左二」 と して実に5頁半 (ニ オ~四ゥ) にわたって尊崇すべき神名, 戒名を列挙 し, その由来および祭ネ 己の作法, 慣例をあげ て い る. た と え ば. 一, 店卸之相済候後祝儀之宴魚類にて例年之通可致候井店内懇意贈物不相替可致事 一, 中原大明神御祭ネ 己 八月十八日 是は本家大先祖之 由何れの頃よりか神二奉崇本家にては 赤飯ヲ蒸魚肉ヲ以会宴有之候得共当店二而 は朝赤小豆飯二而 魚類之惣菜ヲ以 相祭候尤主人之 義は本家へ罷越一同之席二連り相祭可申事 一, 金毘羅祭 是ノ ・粟宮 (知良 の実家大橋家を指す・引用者) 持山二金毘羅之桐昔より勧請有 之田舎ハ此祭十八日二致 候得共当店二 而 は世間に効ひ十日二定候朝赤飯を蒸態とするめ等二. 野菜四色都合五色の平井汁附総菜但し赤飯重配来候家不相替贈可申事 右永々不怠様可致事 ここで注目されるのは本家の祭が分家にそのまま継承されていることであって, 「佐孝」 と前後 して別家創設さ れた佐原の橋本文蔵店 (司店) に遺されている同店 「年中行事」 によると, やは り宗家の祭がそのまま継承されている. なお同書 によると司店では新 らたにその土地の祭礼 (天 王様) が家の祭にとり入れられている. 「店教訓 家格録」 にはまた 「家風」「店風」 の文字がしば しば見られることが注目される たと . えば第12条の金銭の所持を禁ずる項に, 「 (前略) 若金銭之所持有之及穿璽候節所持之申訳ノ ・相立 候共家風を破之申訳不相立候事」( 12 )とあり, 17条には. 一, 伊勢参宮之儀本朝第一天子様奉始万民宗祖之神に候得は可奉拝詣は 勿論に候得共壮年之者 より参宮之願有之候共相許不申候 是本家. の家風 にて万一其身を過ち候ては不相成候二付此 願不聞届候 (下略)(1 7)とあり, さ らに19条には 一, 碁将棋ノ ・遊芸にて商人ハ家業之妨二相成候間店風と申唱 禁置候井無益之絵草子戯作本等見 候儀有間敷候事(1 9)(以上傍点はいずれも引用者) とある. 以上にみえる 「家風」「店風」 の語はいずれも家のしきたり, 店の不文律といった意味 にも解せるが, 同時に第12条の用例にみ られるように伝統によって神聖化した規範というか よ , り倫理性の高い意 味をもっ た言葉に解され る. いずれに しても, その 「家」 乃至 「店」 がもつ独 自の価値体系, 行動様式を身に つけては じめてその成員にふさわしい人間となることが出来るの であって, 子飼奉公は換言すればこの家風 ・店風になずみ, それを身に つける過程ということが できよう. その意 味でこれらの語が家法 の条文にみえることは注目される . 「地震後改革議定 録」 は安政2年, 2代孝兵衛教中が, 先代の死, 異船騒擾 大地震等内外の , 一11 4-.
(10) . 近世商家にお ける徒弟教育 激動災厄に 「佐孝」 の存立が危機に直面 した時, これを克服せんために草した家法であるが, そ の前文第2条には 一, 是迄先君立置れ候家格録之通 相間守候得は申分無之候得共 自然先君之余沢二浴し段々と心 も緩み来る事故以来ハ一心ヲ入替創業之心得 ニテ倹約相守相互二勤功相立候様精 々 可 致 候 (前文 o 2) とあり, 同法 「店内服務規定」 第15条には 一, 右のヶ条永代相用可申事但倹約之儀は不申及候得共倹約のみ二而 元二復し可申心得二 而 は 相済不申各々創業之身分 と存精勤致し三ヶ年之中二是 迄之損失取戻候様可致然ル上は此度倹 約之ヶ条は元に復し可申候事 (店内服務規定o15) (以上傍点引用者) とあって, 一店の主宰者が再建に着手するに当って, 家代々の家法を拠り どころに し, 創業の 精神に立ちかえることを呼びかけている点に注目 しなければならない。 直接的には同族結合の強化を目指すものであるが, 間接的には奉 公人の同族成員としての士気 の高揚に役立っ たと思われる一連の施策と して, 文政11年の佐野屋一統の会合は大変興味深い。 文政11年2月 (この月, 宗家11代治右衛門の母 が死去しているので, 恐らくその葬儀に参会の折 と思われるが), 宗家を中心に店内(タナウチ)一同が会合し, 協議の上 「本家旧来之例格ヲ増損」 して新 しく家格を定め, 分り別家一同これに調印 した. 佐原司店にその写しが伝わる 「家格連印 帳」 である. 次いで分・別家中より出店の証文を定め, 同時に 「店内中世話方行司」 の制を設け, 「一同之目鑑」 を以って, 譜代の別家岡部太兵衛と鈴木久右衛門の両名が選ばれ, 両人は 「血判. 之神丈」 を宗家に差出した。 さらにこの時 「旧店再興之為」 宗家より次の7名に以下の資金が 遣わされた。 すなわち太兵衛, 久右衛門に金弐百両, 吉右衛門, 与八, 久七に金百両, 荘七, 新 蔵に金五拾両である. これら旧忠節の譜代別家の逼塞がどの程度であったか不明であるが, この 措置は恐らく, これよりさき文化年間相次い で分o別家した佐野屋孝兵衛店 (佐孝), 橋本文蔵店 (司) , 吉田丹兵衛店 (佐丹) がいずれも急速に発展して, いわば佐野屋店内における新興勢力と なったのに対 して, 宗家が店内のバランスをはかるため旧店にテコ入れを計ったと見るのが至当 であろう. 一方新興勢力はこの際, 孝兵衛は長四郎と, 女蔵は長作とそれぞれ宗家先祖がかって 称した名前に改名 しているのも注目される。 己のため店内参集の機会に一同評議の上 「他所店持之者 さ らに同年8月, 前出の中原大明神祭ネ 自然疎遠二相成り賢徳院君丹誠ニ 若ツ末年家内共二其地之者二成行テハ 家業追々繁栄スルニョリ テ宗家永続ノ仕法等空ク相成旨」 (以上引用はいずれも 「菊池家中興 系図」) を考え, 他所店特の 者は本家のある宇都宮に本宅を建てることを決定, 孝兵衛改長四郎, , 佐原司店の長作等は早速こ れに着手している。 以上一連の施策の背景には, 佐野屋一統がこれまで宗家を中心にほとんど宇 都宮周辺に根を下 していたのに対 し, 下総佐原への司店の進出, 江戸日本橋への 「佐孝」 の開舗 を契機に, 遠隔他都市に出店分出が続き, さらにそれらが孫別家を分枝して佐野屋一統が広く関 東一円に蕃街することになって, それ自体は佐野屋の営業の発展にほかならなかっ たが, 同時に それは同族結合の面からは大きな危機を苧 む表象として容易ならぬ事態があっ た. この時点に立 って系譜関係の再確認, 宗家の恩情, 暖簾内習俗の明文化等同族組織強化の一連の施策 が打たれ たといえよう。 本宅を宇都宮に置く制度は勢江商人の例をモデルに したものと思われる。 9条, まず宗家の相続規定 佐野屋一統の店内 (タナウチ) 規定となっ た 「家格連印帳」 は全文4 1)と次三男の分家(2 ) として嫡子相続( , 四男以下および女子の処遇(3)を定め, 第4条に前節に )を規定 している。 第5条, 第6条には 触れた, 当主一代に2人迄の別家創設(4 -115-.
(11) . 入. 一, 分家別 家共大勢有之候内 事(5). 江. 宏. 相撰本家の暖幣下二取立差出し候儀本家 江 の勤を相心得可申候. 一, 分家別家共為致別宅候節先格の証文急度取之可申候但シ代替りの節 は右証文可為読聞候( 6) と本家への忠誠を求め, 続いて分家より宗家を 「本家」 と, 別家よりは 「本店」 と呼称する こと(7), 分別家より別家せるものを孫店と唱えること(8) , 別家の当主 は 「自分儀を旦那様 と為唱申間敷候親方様と唱可申候尤分家は不苦候事」(9)等店内相互の呼称を定め, 特に別家 は分家を尊敬し, 「分別家一列に不混様」 心得ることが戒められている。 11条は 「毎月ニノ日 分家別家中月二三度宛本家致参会」 こと(11)を規定 し, 続いてさきにみた店内世話行事の制 ( 12)(13) が成文化されている. 第14条は. 一, 岩崎屋太兵衛佐野屋久右衛門家の儀は 盛徳院様御殿後女のみの処両人格段世話致は当家致 連綿候儀全両人の功ニ因る処と心得 は子孫末々無廉略大切二可致候 且子孫未々別家の可為上 席其余は別家年月の順二而 席可相定候事(14 ) と, 別家の序列を規定 して一応別家創設順を原則としているが, そのほか特に旧忠節の譜代別 家二店を挙げて別格と しているのが注目される。 なお, この太兵衛, 久右衛門二家については「店 教訓家格録」 にも同様の条文がみ られる. 第15条は主人壮年にて死亡の際の妻子の処遇, 分別家の奉公を定め, 16条には本家主人の忌中 における服喪の制が分家・別家 ・孫分家と家のヒエラルキーに従 って定め られ, 第17条には 一, 分家別家の者他処 江 致出店候共自分其地 江 相越於其地致妻帯候儀可為無用当地二本家相立 致妻帯半年宛は当地に可致住 居候事 (下略)(17) とさきに触れた宇都 宮居住の件が規定され, さ らに分別家は何事によらず 「身上向の儀」 は一 同内評の上, 本家に申出 るよう定めている. 18条は別家中 「平日格段に親しく」 世話をし合い, 子孫末々まで 「傍輩之好身 (よ しみ)」 を保つべきことをよびかけ, 方一不幸のあっ た際は別家中 より 「相応の人品相見立跡世話掛り申付」 け 「勿論本家よりも厚致世話亡地は為致間敷候」 (19) と している. ついで, 積金の制(20) ) を定め, 葬婚その外いずれも先格に随う , 年中記録の制(2 べきである(22)と して, 婚儀, 不幸, 出産, 節句の際の祝儀, 香莫等をこれも分家(23 ) , 別家, 孫店(24 )の格式においてそれぞれ定めている. さらに25条以下は, 衣服の制(25)(2 6) , ならびに 頼母子講加入の禁(27) 9) , 芝居見 , 諸芸遊芸者の止宿の禁(28) , 家内にて三弦, 浄瑠璃類無用(2 物の制 (婦女は日を限り許可 しているが, 子供には見世物類一切を禁じている)(30) 0才以下 ,4 の婦人の他行無用(3 1) )と禁制事項を列挙 し, 次いで33 , 34 , 同 じく郷 (実家) 行長逗留無用(32 ゑ長沢 二をエ. ー, 幼主の節其母たるもの彼是存寄など申家事妨ニ相成候得は 分家別家中 取斗可 有 之 候 事 (33 ) 一, 主人不行跡叉は非道の振舞猶有之者衆評の上為致隠居扶持の外為小遣金壱両位贈可申 )とある. 主人といえども 「先祖の手代」 である以上かかる措置は近世商家の家法に広 候事(34 く み られ る と こ ろ で あ る.. 5条以下は同族団守護神ならびに 祖先の祭梅についての規定 がみ られる。 35条は さて3 一, 年々八月十八日中原明神祭礼永々怠不可有候尤分家別家孫店は都て当店の下二 住候者は可 相赴事 但右祭礼の節分家店中席の儀は其年の店卸勘定増高に随席順可有之事(35) と佐野屋一統の守護神中原明神の 祭礼について明文化 し, 特に但書に, 店内の同祭礼における -1 16-.
(12) . 近世商家にお ける徒弟教育 席次がその年の営業成績によるとしているところが注目される。 かかる祭礼が従業員のレクリェ ーショ ンを兼ねた同族意識強化の重要な場を 提供 したことはさきに触れたところであるが, そこ に家の本末の系譜に基く厳然たるヒエラルキーが確認されるのはいうまでもないが, その会宴の 6条からは, 浄室清光院 席順に営業成績という別の基準が採用されているのは興味深い. 続いて3 代々主人たる人の追福は百年 8)が続くが, (39) 6)(3 7)(3 以下先祖代々の法事の規定(3 , 妻は50年 ) 2 1) に限るとし, 寺斎料について定め(4 (4 0) , なお以上の規定も 「家に格段 , その他は33年忌(4 3条は遺言に関する規定で, 遺 39・但書) としている。 4 の有大功人は衆 評の上永々たろへく候」( えと し 死期に及んでの遺言を原則として認めていない 一同に読聞せることをたてま 言は分別家 , , 5条以下 44条は「二三男致分家候者江 父母相滞致分家候儀無用父母は別二可為隠居事」 と補充 し, 4 0才以下の者伊勢参宮無用(4 6) は再び禁制の項目を並 べて, 金銭, 人事の請印無用(45) , 相場 ,3 7条には 「正月勘定の儀三年打続不勘定」 の場合は 「衆評の上仕法替可有 8)とし,4 物買置無用(4 事」(4 7) の文字がみられ注目される. 最後に, すべて家格は時節に随い貧福に応 じて改変, 増減 9)との一条を加え, の必要が出来ようが, その際は店内一同念入に評議の上改革すべきである(4 「右の通家格衆 評の上致議定候然上は本家分家別家至迄子孫末々相違為間敷候」 として, 文政11 年戊子2月の日付で宗家の治右衛門 (栄親), 分家筆頭の長四郎 (孝兵衛改め) 以下店内一同が連 署 捺 印 して い る。. 以上, 佐野屋一統の 「家格連印帳」 を資料紹介も兼ねて逐条その内容をみてきたが, 家法全体 を貫く原理は, 本家尊重 (本家第一主義) , 家の本末の重視, 店内相互扶助 (共同帰一) の思想で あって, これらの原則の保持によってはじめて 同族結合の強化と 「家」 的企業体の確立が可能で あっ たとい えよう。 「家格連印帳」 は直接には佐野屋暖簾内の組織強化をめざすものであっ たが, かかる暖 簾慣行が成立し, 家の行事や日 常生活の中で現実に 「家」 の原理が示され, 貫ぬかれて いくのを奉 公人たちがみることによって, 彼らは 「家」 における行動様式, 具体的には佐野屋の 家風, 店風を身につけることが可能になるといえよう. 同家には2代孝兵衛が 「佐孝」 の江戸開 の奉公人の履歴や言行を記録した稿本 「先君創業ヨリ以来店在勤ノ者通計」 があるが, 舗以来忠勤、 そこに記述されている奉公人の遺族に対する主家の親身の配慮 (通勤別家平山幸助の項) をみる とき, さきにみた旧忠節の別家で逼塞しているものに宗家より再興資金を授与した如き事例等と ともに, 同家における主従の情誼的結合が しのばれ, これらの事実はまた本家の 恩恵に対する末 家の恭 順・奉公という家の原理を一段と説得力 あるものにしたように思われる。 m. 家業の担い手の育成-- 「商法」 の習得--. 徒弟教育の究極目標である望ま しき暖簾内要員の育成に当って第一に要請されるのが 同族意識 の形成であれば, 第二の要請は現実の企業の担い手にふさわしい商取引の能力, 商才の酒養であ っ た。 如 何に同族成員としての自覚にもえ, お店大事の忠誠心があっても, 現実に暖簾に恥ない 「商ひ 上手」 でなければ暖簾内に連なる資格かないのは当然であろう. 徒弟制度は従業員として 実際の業 務に従事する過程がそのまま学習の過程であって, 商人と して必要な商取引の知識o技 能もすべて実際の活動をとおして経験的に与えられたことはいうまでもない。 したがってその教 育は文字を介 して行われるようなことはほとんどなく, その教育内容や方法を示す文献資料はこ れまたないのが普通であろう. 前節に続いて 「佐孝」 に伝わる店則, 奉公人規定等をとおしてそ の実態をできるだけ再現してみたい。 佐野屋の店則類のうち, 商取引の実際について指示 し, その内容の最も充実しているのは 「質 17- -1.
(13) . 入. 江. 宏. 物取扱方規則書」 である. 同規則書は 「質店規則書」(前文2条・本文 9条) , 「質方可心得条々」 (18条) , 「品物自利心得の事」(6条) の3部よりなっており, このうち第1部はこれとほとんど 同 じ文面のものが 「屋満喜質店法則録」「質的家格法則録」 の名称のもとに同店一統に流布 してい るところから, 質店経営の基本的心がまえを説くこの部分がまず作成され, のちにより具体的, 実践的指導要領の部分 が追加されて今日み られるような構成にな ったものと推測される. 質店経 営は佐野屋一統の営業活動の中で常に重要な位置を占める部分で, 「佐孝」 の江戸進出以後こそ呉 服・木綿問屋が表看板になっているが, 佐野屋の歴史からみれを む しろ 「古衣転販」 に次いでは じめた質店経営は同家の家業といっても差支えなく, 事実 「佐孝」 が呉服・木綿問屋と して大を な した後もその傘下には質店経営に従事するものは相変 らず多かっ た. それだけその営業には力 がはいり, またその商法にも永年の経験に裏打ちされた優れたものがあっ たはずで, 以上の背景 からここに見る 「質物取扱方規則書」 は近世商人が遺 した従業員教育の実践指導要領として優れ た 内 容 の も の と い う こ と が で き よ う。. 第1部 「質店規則書」 は質店経営の基本的心得を述べた部分で, その対象も末尾に 「右の通吃. と相守可申候万一心得違の者有之前条二相洩候取斗猶有之は吟味の上 支配取放店法の通可申渡候 事」 とあるように, 中人以下ではなくむ しろ支配役に向け られていることが知られる. まず前文 に 「別而商買たろ身ハ四方の通路自由に して交易に故障なきを大なる福とす」 と国恩冥加を教え, 分限倹約, 家業出精を訓戒 したのち, 本文では法外の高利取引の禁止 (1) , 質物相当の心得(2) , ) 封印物預りの禁止(3) 家名相記請判の禁 , 家伝重宝類の質取禁止(4 , 金銀出入の慎重(5)(6) , ) 止(7) , 相場商いの禁止(8 , 月〆の厳守(9) 等いずれも質店経営の基本原則が列挙されているが, 例えば第2条に 一, 質物取扱の心得は其品物の善悪により金銀多少見計 らひ 相当に貸遣す事勿論也或ハ置主の 人物実体なるを目当に価不足の品に不相応二金銭貸遣 し候儀 有間敷候其人たとヘ正直なりと も困窮二て質入ル程の身分故期日の相違いた し候は 自然の道理にて期日に及ひ流れに出 し靭 損失は勿論目前に候此儀を得と勘考いた し貸遣 し候節 質物相当と申一条吃度相守可申候是家 業を慎の第一にて厳重二過候杯と云訳には曽て無之事(2 ) とあるように質物取扱の基本的心得をできるだけ具体的事例に則 して述べている. また金銀の 出入れに当っては仮令親類縁者に対 してもこれを慎み, よんどころない場合は 「本店申達し其上 差図ヲ以取計」 るよう規定 し(5) , 「本店入金の外他人. 利付の金子預り申間敷候仮令無利足の金. 子ニ 而 も本店へ聞合吃と差図を受取計可申事」( 6) と規定外の事項についてはいちいち本店の指 示 を 受 け る よ う 定 め て い る.. 第2部 「質方可心得条 々」 は店頭で実際に質物を取扱う手代を対象にした心得で, その内容は 一段と具体的である. 第1条仲間議定の堅守(1)に続いて,「質物取方不同無之様成丈平二貸遣」す こと, 置主の約束な ど当にすま じきことを注意(2) し, こと商取引に関 しては置主はもとより親 類懇意の人に至るまで 「私の義理達」 を戒め(3 ) , 第4条は 一, 質物取扱方は置主の心を能察 して包紙相用丁寧に取仕末可致候 是人を安心為致候善方便二 ) 而 則商売の道二候事(4 と置主の心を察 して細かな心づかいを示すことが結局商売繁昌の秘訣であることを教え, 第5 条にも, 仮初にも 「この質物が質流れになれば」 などと口に してはならぬ, 質店は金利を以って 渡世す べきで質 流れの利益な ど求めるの は商買の道に障ると戒めたあと,「貸方二高下無之様己之 眼力二而 取可申候尤取候節ノ ・志み汚れ可出色物等夏を通し候得は 格別二品の価見落候もの故殊に 一1 1 8-.
(14) . 近世商家にお ける徒弟教 育 心付平二貸遣 し可申候猶眼力二不及品は相共二手入評議の上貸出 し可申事」( 傍点引用者) と, 質取りに必要な質物の正当な評価には 「己之眼力」 , つまり品物の目利きに必要な力を養うべきこ とを説いている. この 「眼力」 こそ質商売の基礎的能力であっ て, 質店ではどこでも従業員の厳 しい訓練が行なわれたことと推測される. 第6条は. けんたい. 一, 夜入無拠取扱候は 見体より下直二取入申へく候 猶置主不足の由申候は 其余ノ ・貸可申趣を以て相断可申候(6). 明朝見候上二 而. と夜間は品物の目利きが難 しいことを注意 し, 続いて刀剣類, 諸道具類は評価が難 しく, とり わけ瞳甲, 銀細工, 茶道具類は目利きが困難だから取扱わぬこと(7) , 置主に不相応の品は出処を 念入に乱 し(8) 9) , 機道具, 貸本等も同断( , 呉服店で売買の品とみ られる紙付表地や端物など多 10) 数持参の場合は置主の身元その他吟味の上 慎重に取計うべきこと( , 等質取りの際に必要な配 慮を列挙 し, さ らに質帳記入上の注意(11) 12) 等が述べ られている。 , 仲間中へ相談の際の心得( とくに12条では 「仲間中二相洩私の意地達」 な どあってはな らないと戒めている. 13条 は 質 流 しに つ い て. 一, 流月二至候質物月々微細二見出シ大口有之候はふ 無越度様数度断相立其上相流可申候大口 の質物は春秋二不限目切二いた し まめやかに心付可申候讐は金壱両の品流二相成候を一ヶ月 ねせ置候得は銀壱匁の利足減 し二相成候得は 取置候質物平生胸に不忘様日々心付可申候流 古 着の儀幸作店 (親類店・引用者註) へ折々相送り掛方其仕切ニ売直段銘々記 し貰二而 相場直 打等常々相試取入可申事( 13) と質流品を無為に死蔵することによって生ずる利子の欠損を指摘 し, 古着の値段に ついては親 類店か ら学ぶようにと細かな配慮を示 し, 続いて帳合(14 15) ) ) 等につい , 小遣料( , 現金所持(19 て規定 している. さらに17条では店商売手隙きの節は無駄に過すことなく, 帳合, 質物置場の始 末を心掛けよとして, さらに としたけ 一, (前略) 猶子供の役目年長候者より夫々申付閑暇無之様心懸可申候其上にも 閑隙有之候ノ ・ ・昼夜二かきらす手習算盤致出精或其身の徳二なるへき仮名書の 書籍を読得と味ひ身二行ひ 可申候小人間居して不善をなすの聖語恐慎へき事( 17) と閑暇の節は手習算盤に励み, また平易な教訓書を読むことをすすめている. 文章の前段から その指導は年長者の任務とされていたものと推測される. 一体佐野 屋一統の家法・店則には奉公 人に手習・算盤の訓練, 学問奨励を明記したものが多く (例えば 「店教訓家格録」 にはこれとほ とんど同 じ趣旨, 文言でさらに詳細な箇条がみ られる) , その尊文的傾向は同家に伝統的というこ 4 ) と が い え る1 。. 最後に18条は衣服の制に関連 して年少者に対する店風教育に触れ, 次の如く述べている。 一, 面々衣服の儀古来 当家用来候嶋柄有之是を相用時々流行の嶋 新繕様不相用形姿質素に可 致候人の心中ノ ・衣類と身の行ひにて知れ候ものに候 況手元の道具等花麗の品用候儀有間敷候 若呉服手道具等花美を好み候者は長く奉公仕遂難き者に候間年長に至 らさる 前暇差遣 し可申 5 )尤一様にも云難き事に候得は少年の頃 店風得と教諭いたし可申候上たろ者心正く候得 候1 は若き者の身持は明らかにしれ候得は其善をとりて 教導いたし人を撫育る事を肝要に可心懸 候事 (18・傍点引用者) すなわち, 年長者が心正 しく, 模範となれば, 年少者は目から店風を身につけるであろうと先 輩の責任を説いている点が注目される. -1 19-.
(15) . 入. 江. 宏. 第3部 「品物自利心得の事」 6箇条は, 質店業務中品物の目利きという最 も技術的修練につい ての実際的テキス トであって, 例えば 一, 青梅目引緯物類惣 而木綿に絹糸入候古き品は直打より下直に貸可申事(2 ) 一, 小袖類黒色御納戸掘茶白茶鼠の頚都而鉄 凝かけたろ染色新敷見へ候共 年数不知物故念入見 候而価より下直に貸遣 し可申候尤当世向新 しき品には可有掛酌事(5) 等がそれで, このほか, 茶糸多き縞類は新品に見えても, 抜けさ しなどある故念入に調べるべ ) きこと(1) , 幅尺の大きい品, 綿身のよい品は価値ある故取入るべ きこと(3 , 紋風, 解物に心を 付けること(4 流行おくれの品 老人物 ) 婚礼祝儀向の小袖に汚れのあるもの等は皆不要の 品 , , , べ で必ず流れに出すもの故, 下値にて貸す きこと(6) 等が示され, 最後に 「右条々相心懸候様夜 分叉は朝飯前人出無之節折々一同為読聞無廉略様可致候」 と結んでいる. 商才を身につけるために, 以上の如き商取引の実際面にわたる綿密な指導とな らんで大きな影 響を与えたものに賞罰がある. 賞罰は訓育の有効な手段として商家に広く用い られ, 佐野屋の店 則にもこれに触れたものが多いが, 佐孝 「家内記録一」 には 籾一店を大切二致候ノ ・良召仕を多く相養候 外無之靭召仕を能々引立こしらへ候ニハ 物事取 極の法則を立而 諸事隈二不相成様且依情の沙汰無之様二致し 其本を相立候事第一二候其本と申 ハ外二無之賞罰を明二致事二て候 と述べ られている. 賞罰に当っては中人以下の場合は支配人が立合い, 上役の者には主人立合 いで特に慎重に行なわれるべきであるとし, その 「賞し候箇条目録」1 5条を掲げている. 第1条 一, 主家の儀二付正路の利潤二可相成事井宜輔株式等の類心懸申立候者の事( 1) には じまって, 米味噌薪炭その他日用品の倹約(2 ) はきもの紙屑類の始末 ( 3 ) ) , , 小遣(4 , 所持 5) の用方よきもの, 傍輩( ) に対する態度ょきもの 品( 6) 年長者 ( 7 酒色衣類を慎む もの (8 ) , , , 使い早きもの(9 ) 10) 等を揚げ, 11条, 12条には , 早起心掛けるもの( 一, 仮令年長の者 江相対候 而も銘々心付の儀は何事二不寄申出候 而殊賞の心掛有之者の事 (11 ) 一, 打寄候 而も無用の雑談不致身の為心得等の儀穿璽致し叉身代の為心掛等の 話 致 候 者 の 事 (12). ) 14 ) をあげ, さらに15条 をあげ, 続いて出入の者に対する態度よきもの(13 , 雑言相慎むもの( ヤこむま. 一, 業用 梗有之節読書手習算盤等相心掛候者の事( 15) と, 佐野屋家法に しばしばみえる 手習算盤の奨めがここでもとりあげられているのが注目され る.. 「罰候方条目」 は 「大暇相賞方の条目と表裏」 するものとして略され, その罰 は 「一, 叱を受 候事, 一, 褒美を不受事一, 振舞之節坐席下り候事」 の三段階を示 し, 以上の賞罰は年に両三度 定期的に行ない, またそれが厳正に行なわれるよう一定の仕法, 手続が必要であると している。 なお同書には, 奉公人を戒めるに当って 「我身代二而 我召仕候所故左様の事を谷候而ノ ・主人一己 の手前勝手の様二而 我を恐可申杯と心得差控居候儀は甚敷心得違ニ而 讐令怨ム者ハ 怨候共先祖公 の道を心明白に谷候事是先祖 ・被申付候職分を踏行候事と心得可申候」 と述べて, 適切な賞罰が 家 の 公 の 道 と して 捉 え られ て い る.. 最後に, 以上考察 してきたような奉公人の 教育が真に実をあげるためには何よりも主従間に深 い人格的結びつき, 信頼関係が存在 しなければな らないことを指摘 したい。 前出の稿本 「先君創 業ヨリ以来店在勤ノ者通計」 に, 文化8年, 14才にて宇都宮本家に奉公, 文化11年, 孝兵衛知良 -12 0-.
(16) . 近 世 商 家 に お け る 徒 弟 教 育. ・役二立ヘキ者ナラソ」 と差添えられた小林 の江戸開舗に当って宗家の治右衛門孝古より 「行末ノ 好兵衛は, 忠勤の生涯を回顧して 私儀ハ御存知ノ通気象ノミ勝候生質ニテ 小供ノ時ヨリ一国ナル生し二候ヒツカ賢徳院様思召 ニテ彼ノ小蔵ノ ・見処有之候者故孝兵衛二付ヶ遣スヘシトテ不図 江戸御店二参り御奉公致シ追々 莫大ノ御恩ヲ蒙り俸へ譲り候 金高モ不容易儀ニテ恐入候次第二御座候 (中略) 不可思議ノ御縁 ト申モ余リアル「ニテ御座候且叉段々相考候二佐丹へ差添被 仰付候テモ佐原 へ被 仰付候テモ私 気象ニテハ連モ奉公シ遂ヶ候「ニハ無之主人と喧嘩致疾二暇ヲ 蒙りフラッキ人足ニナリ申ヘキ ラ先君ノ大器量ニテタトヘ 愚存等申過シ候テモ御立腹モナク御目ヲ被掛御使ヒ被下候へハ社如 ・先君ノ広ク諌ヲ御 此我存分二相働キ好兵衛々々ト尊君様杯モ被 仰聞候ャゥニ 相成申候実以是ノ (刻). 容し被遊候処ヨリ私ノー国モ事ナク通りモノニ相成候ト申者二御座候実以不思議二 主従和合致 候事天ノ所為トモ可申候 と述懐している。 も しここにみられるような両者の情誼的結びつきがなければ, 如何に優れた 指導や訓練が行なわれても教育の実は決してあがらなかったであろう. なお好兵衛は同稿におい て, 少年時における本店の生活のつましさや奉公の厳しい日々を回顧 しているが, こう した優れ た先輩の実歴調は後輩に教訓と激励となって大きな影響を与えたと思われる。 また編者の孝兵衛 教中はそれらを充分考慮に入れていたに違いない。 i h i 註 1) 管見であるが, 近世商家の丁稚制度と西欧の appr t en c e s p を対比させ, 丁稚制度を株仲間の教育機 能とする見方を一般に強く印象づけたのは丸山侃堂・今村南史 r丁稚制度の研究」 (明治45年) のようで ある。 同書には丁稚制度の末期的弊害を批判して 「西洋の所謂親方教育」 にならって 「紳士的商人の養成 を要す」 との文字がみえる。 2) ツソフトおよびその徒弟制度に関しては主に, 諸田実 「中世都市とギルド制度」 , 中木康夫 「商業の 発達とギルド制度の変容」 (以上 『西洋経済史講座』 1所収) , , 野村兼太郎 「英国資本主義の成立過程」 i 柚木重三 r独逸経済史概説」 son p ,L , Ho ビレソヌ (増田四郎訳) 「中世ヨーロッパ経済史」 ,E; The Economi 1 l tory of Eng c Hi and s , 1,1921. 参 照。 , VO. f t ld Li 3) Lamber e .1891, p .259, 野 村・ 前 掲書 208~9 頁 によ る. ,J .M,; Tow Thousand Years of Gi 4 ) 宮本叉次 「株仲間の研究」22 3~9頁.. 5) 三所綿市問屋株の 「仲間作法書」の一節に「仲間中隔意有之候而は永久不相続之基に候間, 以来親類同事 1 7頁に に, 不寄何事に陸間数相親み可申候事」 (「綿商旧記」 三ノ上傍点引用者) とある。 宮本・前掲書1 よ る。 i t 6) Li pson . .323 ,(引 用 は1947年 版 に よ る) .c , B, op ,p. 7) 中野卓 「商家における同族の変化」 『社会学評論』 46 , 第12巻2号. なお商家同族団に関しては中野卓 「商家同族団の研究」 「 足立政男 参照。 近世商人の別家制度 」 , f West ion,1950. p tory o 8) Good ern Educat s ,97, , H. G.; A Hi. ) ツソフトの徒弟制度とわが国中世の手工業者のそれとの間における本質的差異に関しては原田伴彦氏が 9 論じておられる. 同氏 「中世における都市の研究」18 3~5頁参照。 10 ) 佐野屋孝兵衛家については拙稿 「近世商家における同族結合と家訓の教育的機能」 『北海道学芸大学紀 要』(第1部C) 第13巻1 6巻1号参照いただければ幸 ,2号および 「近世商家における惣領教育」 同上・第1 い で あ る.. 1) 佐野屋関係の引用は煩雑にわたるので出典をいちいち示さないが, すべて菊池文書 (宇都宮市寺町・菊 1 池小次郎氏蔵) ならびに橋本文書 (佐原市本橋元・橋本地三郎氏蔵) による. 12) 「登り」 の儀礼の実態ならびにその教育的機能については北島正元編 「江戸商業と伊勢店」 584~8頁参 照.. 13) たとえば心学的教訓書 「主徒心得草」 5編下に本郷五丁目伊勢屋吉兵衛の奉公時代の話が掲げられてい る. この挿話は明治に入って天野為之編 「小学修身経」 高小用巻二に収録されている。 詳しくは拙稿 「町 人教訓書にあらわれた奉公人像-- 「主徒心得草」 について--」 『人文論究』 (北海道学芸大学函館人 女学会) 第25号参照。 14) 「菊池家中興ノ系図」 天保元年の項に次の如き記述がある。 -12 1-.
(17) . 入. 江. 宏. 天保元年九月若州侯博員山口平三郎ト云人多病ニ付致仕ノトコロ其為人温厚ナル人ノョシ聞及シ故店内子 ↑供教授ノ為メ頼ソトテ江戸金沢町醒斎ト云ル人ニ申シ入 レーケ年十五金ッ・可贈相談取極 メテ宇都宮二招 ク (下略) 15 ) 京都近江屋仁兵衛家 「定」 (延享元年) にも 一, 子供置たて候事一ヶ月斗の中に随分人ニ心を付見候て思入無之ものノ ・評義之上早ク戻シ候様可致候 とある. 竹中靖一 「石門心学の経済思想」449頁による.. -12 2-.
(18)
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(注)
Ross, Barbara, (ed.), Accounts of the stewards of the Talbot household at Blakemere 1392-1425, translated and edited by Barbara Ross, Shropshire Record series, 7, (Keele, 2003).
海に携わる事業者の高齢化と一般家庭の核家族化の進行により、子育て世代との
小学校における環境教育の中で、子供たちに家庭 における省エネなど環境に配慮した行動の実践を させることにより、CO 2
を育成することを使命としており、その実現に向けて、すべての学生が卒業時に学部の区別なく共通に
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