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意味付与という病-ハイデガーを手がかりに-

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(1)Title. 意味付与という病-ハイデガーを手がかりに-. Author(s). 後藤, 嘉也. Citation. 北海道教育大学紀要. 人文科学・社会科学編, 56(1): 1-13. Issue Date. 2005-08. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/806. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 北海道教育人学紀 要. ︵たち︶. ︵人文科学・社会科学編︶. 第五十六巻. 意味付与という病. 第∵号. 平成十七年八月. 後. 藤. 嘉. 北海道教育人学函館枚倫理学研究室. ハイデガーを手がかりに. 概要 が存在者に存在することの意味を付与する世界の主体だと考. 也. はじめに. 世界は有意味にあるのでも不条理にあるのでも. ない。ただたんに、そこにある。︵ロブ=グリエ︶. ︵阿部更織︶. 私はアンタのお人形じゃない! いい加減、本. 当の私を見ろ=‖. このことばが本歌取りしていることが明らかな旧約. かつて、ある預言者は嘆いた。﹁すべては同じことだ、何の甲斐もない、. 世界は無意味にあ息。﹂. 聖書の伝道者の書によれば、人間も死に、動物も死ぬ。あらゆる労苦は空し. く、すべては塵に帰る。これは珍しいせりふではなく、つまりは常套句であ. る。それはしばしば、みじめな自分を価値の高いものと買いかぶりたがるナ. ルシシズムや強者へのルサンティマン ︵反感・怨恨︶ を隠しもつ。それゆえ. ツァラトウストラは、あの預言者が同情の徳へと誘惑していることを嗅ぎと. 自分. え、さらには大地の支配をめぐつて相争うことが、近現代の本質的動向であ. り、彼をはねつけた。. 滑稽なほど不遜な取り合わせでもあ. が存在し滅んでいくことに何らかの意味を探し出そうとする衝追は. との意味について、ハイデガー哲学を中心に考えたい。. 鎮めがたい。以下では、自他の存在者 ︵存在するもの︶ が存在するというこ. ろう. しかしそれにしても、世界と自分. る。力の獲得が目的であって、存在者はそのための価値としてのみ存在意味 を認められる。だが、より多くの力という目標には目標がなく、主体にとっ ての価値としての存在も存在それ自身ではない。世界はたんに、そこにある。 それにもかかわらず、他なる存在者は、あるがままのものであらしめよ、 と訴えている。意味は、主体による付与を待たずに、近くて遠い他なるもの からすでに到来している。. 一存在者の存在は人間の像に似せて定立される. どの生物もどの人間もそれぞれの仕方で外界をとらえる。世界はおのおの. にとってちがった姿で現れる。だが、ある考え方からすると、人間はみずか. らを原型にして他なるものの存在を意味づける。このことを本節でみよう。. 特異な生物学者エクスキュルによると、どの生物も種に独自の仕方で環境.

(3) 後 藤 嘉 也. 態度を選んでいるわけではない。本能に突き動かされて木に向かうだけであ. と相互作用のかかわりをもつ。深い森. を組織し、この環 境 世 界. る。. ︵Umwe−t︶. のなかの一本のカシワの木は、小人を信じる幼い少女には恐ろしい顔で凝視. が防護壁であり、根は環境世界の外部にあり何の意味もない. においてもカシワの木は保護のトーンを示すが、フクロウにとっては太い枝. 天候から守るしっかりした屋根である。キツネと同じくフクロウの環境世界. ことを理解するとは、その或ることを、意味を目当てとして、意味にむかっ. を目指した主著では、意味とは. イデガーはこれと対照的である。存在するものが存在することの意味の究明. 信﹂. ﹁刻みつけ﹂ ﹁受. しに眺める客観的観察者、たとえば植物学者にとっては、無関係なただの対. て、ないし意味として、開示し理解することである。意味はあくまで現存在. 榔エクスキュルにとっては、どの生物も、独自に意味の. 象だとしても、動物においては、関係を結ぶかぎりでのみ﹁主体の手で刻み. が理解するという場面において分節される。それゆえ意味を﹁もつ﹂. する悪魔だが、その木の根のあいだに巣を作ったキツネには自分と家族を悪. つけられる意味の担い手に変化する﹂。ウグイスのさえずりも、ウグイスと. 存在だけであり、﹁有意味であったり無意味であったりできるのは⋮現存在. り現存在の存在性格としてとらえられた。. の目当て﹂. である。或る. のは現. ︵GAN一N≡︶。存在することはそもそも意味として、実存疇つま. ﹁投企 ︹理解作用︺. ︵これらの語のニュアンスの相違は無視しよう︶ をおこなう。ハ. 私では異なった意味をもつ。環境世界は、それぞれの種、それぞれの人間に. しかない﹂. ﹁利用﹂. よっていわば構成 さ れ る と い っ て よ い 。. エクスキュル生物学はハイデガー哲学にも刺激を与えた。このことは、研. 世界とのエクスキュルの区別には、客観的世界の基底に生活世界を見出した. ︵GA−ひ一N︺○。科学者が認識する客観的世界とそれぞれの種が生きる環境. 太陽ではなく、ユスリカの目に存在を負うユスリカの太陽である。しかし、. 導き出すことができよう。ユスリカの群れを踊らせる太陽は、私たち人間の. エクスキュルからも、彼の意図に反して、理解という点での人間の卓越性を. このようにハイデガーとエクスキュルの違いは大きいが、見方を変えれば、. フッサールや、人間に現存在という術語を与えてその根本構造を世界内存在. それを知っているのはユスリカでも太陽でもない。人間だけが、ユスリカの. 究者が明らかにしているだけでなく、ハイデガーみずからも示唆している. に通じる. ︵一九二七年︶. として際立たせた ハ イ デ ガ ー の 主 著. 生きる世界がどのような計画にしたがって作られているかを理解する。ユス. ﹃存在と時間﹄. 面がある。それにもかかわらず、ハイデガーとエクスキュルのあいだの隔た. リカの世界の計画性. を見抜きさえすれば、ユスリカの太. われる。目の見える大人同士でも眼の位置や視力などの相違は視像の差異を. 人間でも幼児と目の見えない大人と目の見える大人では、ちがった姿であら. 主体である。一本のカシワの木は、キツネとフクロウと人間では、また同じ. を把握しているとしても、世界の存在を意味づける根拠は人間、自我という. そうだとすると、それぞれの生物がそれぞれのパースペクティヴから外界. ︵GA金一N票︶。これは通りすがりの言及であり、趣旨は について語るのは人間だけである。. 陽について語ることができる. ︵Zweckm琵igkeit︶ から区別される︶. ︵P−anm笹空gkeit意図が欠けている点で合目的性. りは大きい。前者は、後者とちがって、㈲人間と動物の根本的な断絶をきわ. と呼ぶ. ハイデガーは、動物の環境を現存在の環境世界と区別して環境野. めて鋭く意識し、㈱ひいては意味を人間ないし現存在に固有のものと考える。. ㈲ ︵Umfe−d ︶. 明示されていない。が、おそらくそれは、可能性と開示性を刻印された人間. ﹁存. は世界ないし環境世界を生きるのに対して動物は環境野に繋縛されている が、エクスキュルはこの相違に気づかない、という非難である。人間は. ﹁かかわりの欠如﹂を特徴とする ︵︺︺︶。キツネはカシワの木に対して何らかの. 在するものとのか か わ り ﹂ を 存 在 し 動 物 は という点が決定的 差 異 で あ る.

(4) 意味付り・という病. 生み出す。しかし、フッサールにおいては、私に現れる世界と他我に現れる. ︵AnthrOpOmOrphie︶﹂に気づかないことが素朴さなのだ、と。﹁世界を人. 値を定立していることに、﹁事物の擬人化 ︵くermenscEichung︶﹂、﹁擬人観. ︵nach dem Bi−de像を基準として︶⋮定立することがあら. 世界は同一でなくてはならなかった。この難問は自我を鍵にして解かれる。 間の像に似せて. ゆる世界解釈のただひとつ真実な仕方である﹂. ﹁構成の見地からいえば、動物に対して人間は正常のばあいをあらわす。 それはちょうど、構成の見地からいって、私自身がすべての人間にとっての の人間化. ︵の模像︶ にな. ︵GA苫一00ー︶、﹁存在者の存在は人間の像に似. ︵GA金一−N笠、﹁存在者全体. 原型であるのと同様である。したがって、動物は本質的に、私にとって私の. せて定立される﹂ ︵ひ︺︶ 等々。人間化とは存在者全体が人間. るという事態である。人間とはまったく別種の ︵たとえばひどく劣った︶ も. ︵くermenschung︶﹂. 人間性の異常な変様として構成され嵐。﹂ であり、人間はまたすべての生物の. のとして解釈されるばあいにも、基準があくまで人間にあるかぎり、存在者. ︵UrnOrm︶. 原型である。コウモリは超音波を発しながら晴間のなかを飛んで虫を捕食す. は人間化している。. 私はすべての人 間 の 原 型. るが、これは私という原型の変則である。私が根拠であり、これにもとづい. ここで異常と訳した語は原型からの変様として理解すべきであり、さしあた. ユスリカの世界の計画性を見抜きそれについて語りうるかぎりで、ユスリカ. イデガーもまた、存在者の存在を擬人化したともいえよう。エクスキュルも、. 存在者の存在を意味という実存疇として解明することを試みたかつてのハ. り差別の色彩をおびていない。私よりボールの見極めの鋭い野球遣手は、私. の存在を擬人化している。計画性という概念がそもそも人間の概念であり、. て異常︵AコOma−it警︶が正常︵NOrma−it警︶ではない異常として構成される。. のなかでそうした存在者として構成される。﹁他者が、存在するものとして、. 代哲学は主体としての人間をむしろ超越論的主観性や絶対的自我と呼んだ。. ところで、人間という主体は人間という種や個人であるだけではない。近. この概念がユスリカの世界に投射されている。. のは、私が他者をそのように構成するからである。存在者が存在. しかもそのように存在するものとして、私にとって意味と妥当性をもつこと ができる﹂. することの意味は私によって付与され、妥当性を承認される。. サールという個人は、自己実現をめざすヨーロッパの人間理性 ︵主観性︶ の. 個人の意味での主体や自我は本質的ではない。フッサールにおいても、フッ. あり、あらゆる存在者の主体︵Subjekt根底に横たわっているもの︶である。. 歴史のなかである任務を課せられているにすぎない。さらに三〇年代後半の. したがって、私は、存在するものが当のものとして存在することの根拠で. 西欧近代以後、人間は存在者全体の中心ないし尺度となる。自我は万物の原. ハイデガーは、主体なるものは ﹁共同体でも、︵社会︶ でも、民族でもあり. もまた、人間に理解されるかぎりでの存在するこ. 型である。﹃存在と時間﹄. うる﹂. 味を付与しているのは、主体としての人間たちである。. の存在の尺度ないし根拠であろうとしている。存在するものにその存在の意. このように、人間という主体は、さまざまなかたちをとって、存在者全体. ︵GA芦−筐︶ と注意する. との意味を究明するという点で、この伝統の磁力圏から脱出してはいなかっ た。それを批判して人間を世界内存在としてとらえたにもかかわらず。 ニーチェは、﹁自分自身を事物の意味や価値尺度として見積もるのは、相 も変わらず人間の途方もない素朴さである﹂と嘲笑していた。どの存在者も. さて、カシワの木の意味をめぐつて幼児とキツネが喧嘩するという事態は. 想像しがたいのに、人間 ︵たち︶ と人間 ︵たち︶. それぞれの視角から世界を解釈している以上、人間ないし自己が唯一の尺度 であろうはずはないからである。ところが、一九四〇年前後のハイデガーは. くしばしば相争う。とりわけ西欧近代以降にはそれが渦巻く潮となって人間. は意味付与の覇者となるべ. それを強引かつ批判的に解している。ニーチェからみれば、自分が意味や価.

(5) 後 藤 嘉 也. の支配をめぐる闘争がおこなわれる. は、オンティッシュかつオントローギッシュな仕方で大地の支配をめぐる闘. ︹地球︺. この闘争は哲学的根本教説という名前で遂行され息。﹂. 争というかたちをとる。﹁大地 時がくる. ﹁存在するもの全体を存在にむけて解釈する叙述のなかで述べられたこと﹂. 哲学的根本教説という語は、第二次世界大戦中のハイデガーのいうように、 は、オンティッシューオントローギッシュという対概念を. ︵GAPN一︺茎︶ を、つまりはオントローギッシュな水準でのカヘの意志の教. 大地の支配をめぐる闘争. と自然を呑み込む 。. 二. ﹃存在と時間 ﹄ 1存在論的などと邦訳されてきたこの一. 水準で、という意味合いで用いられている。存在することはつねに存在者が. 対の概念は、存在者の︵に関係する︶水準で−存在することの︵に関係する︶. 本質である。この体制は、存在するものを、認識の対象. 書き換えれば、総駆り立て体制 ︵G?Ste︼−︶. えをあらわしている。これは、戦後の四〇年代末のハイデガーにしたがって. ︵存在者的︶. 存在することである以上、二つの水準は切り分けられつつ結びついている。. に対して立っているもの︶ というより、資源 ︵Bestand技術による注文に. 提出していた。存 在 的. 近現代を特徴づけるのは、いわば、大地の支配をめぐるオンティッシューオ. 応じて立っているもの、用象︶ としてあらわにするように人間を仕向ける。. 中東地域は原油の埋蔵地として存在する。あるいはその十年ほどまえには、. ︵Gegenstand主体. という、近代以降の科学技術の. ントローギッシュ な 闘 争 で あ る 。 それぞれの存在者は、おのおのの視角から世界を読みとり、意味づける。. ﹁あらゆる存在者を無条件に思いのままにできるようみずからを乗り越えて いく権力授与﹂. ︵の人種や国家や. 民族等々︶. 作為. そうだとすると、 人 間 が 、 ま し て 人 間 一 般 と い う よ り 自 分. あろう。他の生物も、他の国家も同じく主体だからである。人間はすぐれて. 者を次々と思いどおりに操作し、整え、つくる ︵たとえば油田を開発する︶. などと記述されている。これは、存在. あの闘争は、存在者の存在についてのこの運動を知らないままに、まして. ︵Machenschaft︶﹂ ︵GA宗一−︺−︶. ︵GA苫一−道︶、﹁つくることやこしらえものの支配としての. 歴史的な存在者であるから、これを歴史の場面で考えれば、それぞれが歴史. ことによって自らにそのつどより大きい力を与える運動のことである。. が存在するもの全体の根拠だと考えるのは、途方もない素朴さで. を物語ることになる。赤穂浪士の討ち入りは、多くのR本人と吉良家の領民 の子孫とではちがった仕方で記憶されている。第二次大戦はさまざまな視点 の語る歴史を至卜祝するのは、. 存在論を旗印とすることなく、﹁大地・地球を原材料地域として無際限に利. ︵たち︶. 奪・開発を目的として、物資はもちろんのこと戦闘員であれ非戦闘員であれ. 義戦争は、そのひとつの極限的な形態であろう。そこでは、土地と人間の収. ︵GA苫一N︺○︶ などの帝国主. から記述される。 し た が っ て 、 自 分. おのれに至る橋とみなす狂気にもなりうる。. ︵GAPN一︺00︶ をめぐつて戦われる。世界大戦. 用しっくすこと﹂や、﹁︵人材︹人間という材料︺︶を幻想なしに活用すること﹂ のなかに、ニーチェは過去が. これまた途方もない素朴さである。﹁かつて存在した一切を自分に至るため の橋として解釈し 直 す と い う ⋮ 各 世 代 の 狂 気 ﹂. ︵本 来 の ︶. 犠牲にされているのをみた。それぞれの解釈は、現在と過去の、さらには将 来の一切を. 人間自身を原型にして他の人問、他の人種、他の社会をその異常な変様とし. るカヘの意志というオントローギッシュな動向に突き動かされて遂行される. がある。大地をめぐる種々の闘争は、より大きい力の獲得にむかってひた走. 人間も資源として冷徹に活用される。その背後には哲学的根本教説、存在論. て定立し利用するのは、近代ヨーロッパの存在論的動向であり、私たち自身. オンティッシュな戦いである。. しかし、これらを単純な素朴さとして嘲笑するのはあまりに素朴である。. がこの動向のなかに組み込まれている。狂気が常態である。そしてこの狂気.

(6) 意味付り・という病. カヘの意志の形而上学の木質は、すなわち、ニーチェ個人の哲学体系とい 主旨である。. 徹底して、人的物的資源を効率よくシステマティックに運用するものが勝利. よく収容し、人体をまるごと利用しっくした。市場競争では、経済合理性を. によるホロコーストは一種の合理性を貰いて実行された。大量の人間を効率. コーストにも、近年激しさを増す市場競争にも、あらわれている。ナチズム. むかってハイデガーは、﹁死は現−存在に対して何もできない﹂と書き送る。. 者を捉える作為が双方に共通のロゴスだからである。そのうえ、若い兵士に. だと考えるからではない。力の獲得のために利用すべき資源としてのみ存在. 和という区別は皮相である。それは、平和を戦争の変種ないし一時停止状態. 従軍中の教え子に宛てた三九年一一月二六日付けの手紙によると、戦争と平. ㈱真の決定の前では戦争と平和の区別や生と▲牝の相違さえ効力を失う。. する。目標を設定し、これに適した計画をできるだけ数量化して立案し、実. その理由は、﹁死は、そもそも現−存在の敵という役割のなかに消えることは. うよりそこに結晶している存在の水準での運動は、存在者の水準では、ホロ. 行し、その結果を点検・評価し、これを反映させて次の計画を立てるという. なく、存在することの真理をまもることのなかに一緒にふくまれている﹂. というものである。﹁死は、存在することの最高にして極限的な証﹂. これら三点は、存在することの真理という水準ではどれも的確である。だ. るだろう。. 消されるどころか、存在するという事実がまさしく際立ち、あからさまにな. ︵GA芳一N00皇 である以上、死に直面することによって、人間自身の存在が. ︵N詔︶. サイクルがうまく 稼 動 す る 必 要 が あ る 。. ところで、ハイデガーにおいては、大地の支配をめぐる闘争におけるオン トローギッシュな同一性を強調するあまり、オンティッシュな差異がともす ると小さくみられ る 嫌 い が あ る 。. や﹁水素爆弾の製造. ㈲敗戦から四年後の悪名高い発言によれば、機械化された食程産業であ る農業は、﹁ガス 室 や 絶 滅 収 容 所 に お け る 死 体 の 製 造 ﹂. だ云々。本質とは、作為. が、そのただしさは、存在者の水準での懸隔を小さく見積もることを正当化. ︵GA遥一Nゴ. のようなものと本 質 的 に は 同 じ も の ﹂. しない。. ︹民族︺. 社会主義﹂との闘いで、どちらが勝利 にすぎない。ど. 榔たしかに、いわゆる民主主義国である連合国も、支配のための支配を. 釈するといういわば狂気に近づいている。. ある。過去の整序の仕方が、かつて存在した一切を自分に至るための橋と解. とすれば、ナチス党員だったという過去は、ハイデガーの現在であり将来で. 昔のことではなく、そこへと立ち返って可能性を取り戻すべき既在性である. の死体製造はあまりにかけ離れている。とりわけ、過去はただに過ぎ去った. ㈲存在者の水準では、機械化された農業による食糧生産と強制収容所で. や総駆り立て体制のことである。そのことばは哲学的根本教説として語られ ており、偏狭なナショナリズムや自己合理化のあらわれでは必ずしもない。. ﹁ドイツ. と、ナチス・ドイツという﹁無制限に軍備を拡大する帝. ﹁帝国﹂、あるいは. 榔英仏両国がドイツに宣戦布告した一九三九年九月三日以降に善かれた. ﹁財閥支 配 ﹂. 手記によると、英仏米という西方列強ないし民主主義的 西側の 国独裁﹂、あるい は. ﹁仮決定﹂. ︵Erdkreis地球およびその全生物︶. するかという決着 な い し 決 定 は 、 前 景 に 出 て い る ちらが権力を掌握 す る に せ よ 、 ﹁ 全 世 界. めざすカヘの意志に突き動かされているという点では、枢軸国と変わらない。. が、どち. を完璧に荒廃させ る 本 質 的 可 能 性 を は ら ん で い る ﹂. 東西冷戦は資本主義国ないし自由主義国が共産主義国を圧倒して終結し、自. ︵GA害一NN−fし. らも現実性の本質そのものを克服できない。むしろ、﹁存在することの本質. 由競争をあおる総駆り立て体制の強化が結果した。しかしだからといって、. こそが真の決定である。存在者にかかわる. についての単純な 諸 決 定 ﹂. そうした帰趨のオンティッシュな重要性は消えない。人々の生は ﹁仮決定﹂. ︵NNN︶. 次元での違いの根底には、存在することの真理にかかわる次元があるという.

(7) 後 藤 嘉 也. なるもののなかで 転 変 を 余 儀 な く さ れ て い る 。. ㈱戦争と平和、生と死の差異の失効という知見は、たとえ戦争における. 加わり、そのために身を犠牲にすること. これが、人間の、あるいはむし. ろ労働者という理念型で呼ばれる超人の、みずから立てた目標であり、意味. それは、個人としての私も他者も生物も超越論的主観性としての私に対し. である。. 自身も物理的な死に襲われる瀬戸際にある青年には、酷薄にすぎよう。それ. てのみ意味と妥当性を認められるというフッサール現象学と、きわめて類似. 死を美化するイデオロギーに転化しないとしても、戦場で他人の命をあやめ. ともそれは、戦場の兵隊にも終末期の患者にも、生と死の受容を促すだろう. している。しかし、力への意志による覇権闘争のなかで、自他の存在者が存. 人間はいまや世界の主人となる。他と争いながら、存在するものたちにそ. 失われた意味をもとめて. ヴィッツの犠牲者も、それどころか強制収容所の所員やカポーも。﹁百人の. の存在意味を与える。自分自身は主体として、他なる存在者は対象ないし資. 三. 意味を付与することによって成功を収められるだろうか。. 在することの意味は汲みとられるだろうか。失われた意味の探求は、自分が. か。. 第一次大戦以後﹁個々の男性が数として交換可能になるという事態がいま や戦争の公開性のなかでも妥当するようになる﹂︵GA苫一N道︶という診断は、. おそらくただしい。ただの数として代理可能な役割を果たさざるをえないの は、現代社会の職業人も、戦場の兵士も同じである。教員に名前を尋ねられ. 死は悲劇だが、百万人の死は統計だ﹂と述べたアイヒマンをもじれば、どこ. 源として存在する。存在することの意味の崩落という事態はこうして回避で. ると学生番号で答える大学生も、たんなる囚人番号でしかなかったアウシュ. であれ百万人の生は統計でしかない。だが、ガス室に送った者と送られた者. きる。だが、それはただの見かけで、無意味さの完成にすぎず、ハイデガー. たい。. は存在することの明るむ場という別な意味をさがした。それをこの節で示し. の存在論的同一性 だ け で 話 を 済 ま せ る こ と は で き な い 。. いずれにせよ、存在者の水準での大地の支配をめぐる闘争はさまざまな仕 方でおこなわれ、存在することの水準では自然も人間もより多くの力を獲得. ニーチェのよく知られた断章によれば、﹁至高の諸価値が無価値になると. いうこと。目標が欠けている。︵何のために︶ という問いへの答えが欠けて. するための搾取と開発の対象︵むしろ資源︶として存在するという出来事が、. 近代と現代で生じている。人間はその主体としてみずからに意味を与え、他. いる﹂ということ、これがニヒリズムである。私たちはあらゆる出来事のな. かに意味ないし目的や、全体性ないし統一や、彼岸にある真の世界ないし存. なる存在者にはそのための手段としての価値を認めながら、互いに争う。 ところで、一九三〇年代のE・ユンガーは、ニーチェに学びつつ、市民. 在をもとめてきたが、それらの価値は私たちが世界のなかに置き入れた仮構. ブルジョア. とは異種のものとして独自の尺度と中心をもつ労働者を提唱した。労働者は、. でしかないことがあらわになった。世界は価値を喪失している。. あり、最高の命令術は犠牲に催する諸目標を示すことにあ息﹂。このように. に定立して存在者に価値と意味を与えるという上記のやり方である。﹁︵価値︶. した。その方途が、︵少なくともハイデガーの解釈によれば︶. それゆえニーチェは、失われた意味をもとめてニヒリズムを克服しようと. ﹁独自のあり方と独自の目標を所有するまったく特定のカヘの意志を担う者 ほ であ息﹂。そして、﹁人間のもっとも深い幸福は自分が犠牲に供されることに. ユンガーは、人間に目標や意味が欠如しているニヒリズムの時代に、彼なり. という着眼点は、生成の内部で相対的に持続する生の複合的形成物にとって. 価値を自覚的. のカヘの意志の形而上学によって答えを出した。大地の支配をめぐる戦いに. 川.

(8) 意味付り・という病. の保存と上昇の条件に対する着眼点であ冬。﹂キツネもフクロウも、人間も. の意志の世界だが、しかしそれはどこへ行こうとしているのか。. としているとしか言いようがない。﹁生そのものが生成の存在であり、創造. それは、力の増大それ自身、利潤獲得それ自身、世界支配それ自身を目標. 他の存在者とその出来事は自己の力を保存し上昇させるための条件として評. するがもはや目標はない。⋮無目標という目標﹂. ︵何のために︶という問いは、存在者をカヘの意志として解釈する内部で. ︵GA00↓一−芸︶。﹁︵なぜ︶と. 価され、価値を算出される。みずからが価値尺度であり、自分の視角から他 か. は、もうすでに意味をもたないかもしれない﹂ ︵GA苫一NN00︶。生き残り、勝. 利するための戦い。自己を保存し、企業=冒険をより大きくするための競争。. より大きい力のための力、次の勝利のための勝利。それは何の意味もない。. 定されているかもしれない。またシンデレラは、継母によって虐待の対象と. しく思うとき、子どもの存在は親のカヘの意志にとっての価値としてだけ肯. ありきたりの例を挙げれば、親が子どもをその美点ゆえに誉めそやし誇ら. が気づかれないさまにまで沈み込むことによって、この意味のなさが完成さ. ではありえない。﹁存在することそのことの真理があらわれないという事態. ることそのことの意味ではなく、意味を付与することも人間の存在する意味. こうして、人間によって付与される存在することの意味は存在者が存在す. 意味付与する主人という虎は、戦いに駆り出された奴隷の張子である。. して生きる意味を与えられ、美しく聡明であるがゆえに王子の愛を受けた。. れる﹂. ︵GA憲一︺00︶。高く評価することによって存在することの思考はなお. 自分にとっての価値に着眼して彼女を評価する点では継母と王子に大差はな. ざりにされ、存在することの無意味さがつらぬかれる。意味付与は病である。. 第一節でふれたように、かつてのハイデガーも、フッサール現象学のよう. に純粋自我による意味付与にまでは踏み込まないにせよ、存在することを現. ︵GAひ一N誌︶。国力や会社の収益. を増大させるという理由で表彰される国民や昇進させられる社員は、その道. にもひそんでいた錯覚である。. ており、甘やかな意味への幻滅とナルシシズムやルサンティマンをふくむ。. てのアンチと同じく、それが反抗している当のもの、意味を暗黙の前提とし. かといって、世界の存在は不条理でもない。不条理ないし反意味は、すべ. あり主人だというのは、﹃存在と時間﹄. 標的にしている。人間が存在者に存在することの意味と価値を与える尺度で. 言及は、創造的破壊によって市場競争を勝ち抜く人々や ﹃存在と時間﹄をも. ﹁創造する者たちだけが贈りうる﹂ ︵GA00り一会︶ というニーチェヘの批判的. 存在の存在に相関化・相対化していた。世界それ自体は意味をもたず意味は. 国民を総動員して遂行される地球支配をめぐる戦争においては、自然. ﹁不断に古いものを破壊し新しいものを創造して、たえず内部か の過程である。彼はこれを、生 ﹁創. 世界は有意味でもなければ不条理でもない。世界はただたんにそこにある。. の新結合による. 産的諸力. ハイデガーにとって、存在するということに根拠はない。﹁存在することそ. ︵生産 手 段 ス ト ッ ク 、 ハ イ デ ガ ー の い う 資 源 ︶. 造的破壊の過程﹂と名づけた。非連続のこの力動的な過程は、まさしくカヘ. ら経済構造を革命 化 す る 産 業 上 の 突 然 変 異 ﹂. 得のために. し何を目的としているのか。シュンベーターによると、資本主義は、利潤獲. る世界支配という目的は、あるいはそのための自己犠牲という目標は、しか. それに、広くは宇宙や文化圏から狭くは家族や特定の個人までを対象とす. も人間も権力拡大 の 条 件 と し て し か 存 在 を 許 容 さ れ な い 。. 他の︶. の理由で国や会社にいられなくなることもあろう。まして、技術と物資、︵自. かぎり、その本質 の 尊 厳 を 奪 わ れ て い る ﹂. い。どのみち、﹁存在することそのことは、価値として評価され尊重される. だろうか。. 人間にとっての価値として評価することは、本当にその存在を承認すること. だが、存在するということをカヘの意志ないしこれを体現した超人という. その存在を承認さ れ る 。. の存在者に正負のさまざまな価値を刻みつける。存在するものは価値として. 民族も国家も、ある限られた期間存続する有機体である。それらにとって、. 15.

(9) 後 藤 嘉 也. のことはそれ自身 に お い て. ︹存在するものを︺根拠づけているが、みずから. との真理﹂. ︵GAp︺ヨ︶ である。現存在が現−存在という表記に改められた. のは、現がいまでは実存疇ではなく存在自身の現であり、現を存在すること、. ︵GA−〇一ヨ︶。存在するものが存在するもの. は根拠をもたない ま ま で あ る ﹂. 存在の明るむ場に立ち出でることは、将来の. 理をもとめそしてまもるとき、現−存在に変化する。現−存在とは、﹁特定の、. 人間のつとめだ. であるのはまさにそれが存在するからであり、存在するものの根拠は存在す. からである。人間がすなわち現−存在ではない。人間は、存在することの真. しかし、存在することの根拠の脱落というこの洞察は、意味についての問. つまり将来の人間存在の根拠﹂ であり、﹁人間をその可能性において際立た. ︵来たるべき︶. ることにある。根 拠 づ け ら れ て い る の は 存 在 す る も の だ け で あ る 。. いの遮断とイコールではない。ハイデガーは失われた意味をもとめる。無意. 主体となるのではなく、まず存在すること自身によって呼び求められ、次に. することの真理を考えることによって応接した。みずからが意味を付与する. それゆえハイデガーは、存在することが無意味になるという事態に、存在. ︵GA宗一︺0〇〇 である。. せる存在﹂. の試みを、新たな仕方で、つまり真理についての問い直しと. 味さが完成されようとしているなかで、彼は、存在することの意味を問うた ﹃存在と時間﹄ いうかたちで反復 す る 。. 真理はしばしば事象とそれについての知性の判断・命題が合致することだ によれば、合致は、さしあたり隠さ. これに応じて存在することの真理、存在することの明るむ場に立ち出でるの. ﹃存在と時間﹄. とみなされるが、 し か し. 意味は基本的には意味付与されるものだからである。. 慎重であった。おそらくそれは、価値が価値定立されるものであるように、. を準備することによってそうした。ただし、意味という単語を使うことには. ︵明らかに. ︵Dasein︶. まだしかし、不明な事柄がある。第一に、存在することの意味ないし真理. 、存在するものとのかかわりにおいてどういうことを指示するのか。第二 は開示性を指す。は ﹁現. 投げ出されて存在するか. ︵Lichtung︶. と名づ. れおおわれたありさまにある事象を現存在があばき出し発見することにもと. ないし明るむ場. ︵da︶. という存在構造にある。人間が現存在. づく派生態でしか な い 。 根 源 的 真 理 は 、 現 存 在 に そ な わ る 開 示 性 されていること︶. ︵Da︶. けられたのは世界 内 部 の 特 定 の 現 に そ こ に らであり、この現. ︵GAN一N遥︶。科学法. に、存在することの真理の思考は、また右の指示を受けとりこれにしたがう. ︵与えられる︶﹂. 存在が存在するか ぎ り で の み 、 真 理 は. 意味と同じく現存在の存在性格、実存疇である。. 他なるものに帰属するものを与える. ことも、やはりそれぞれの視角からおこなわれ、つまりは擬人化ではないか。. ︵存在する こ と の ︶. 四. 則や矛盾律も、それを発見する現存在が存在するがゆえにのみ真である。真 理は. ところが、一九三〇年代後半に真理も意味もあらためて省察される。真理、 現、明るむ場は、もはや人間の実存疇ではなく、存在することの真理であり、. 第二節で述べたように、存在することの思考の水準と存在するものにかか. わる水準とは、二つでありながら一つである。存在するものがまさしくある. ︵与えられる︶﹂. という主著の命題は、﹁存在の明るむ場が自らを生起させるかぎりでのみ、. ということを注視するのが存在することの思考である。﹁存在することとい. 明るむ場である。 ﹁ 現 存 在 が 存 在 す る か ぎ り で の み 、 存 在 は. 存在することは自らを人間に譲り渡す﹂︵GAp︺︺空、ということを意味する。. う根拠のなかではじめて、あらゆる存在者は当の存在者としてみずからの真. 理⋮に至る﹂︵GA宗一謡f︶。そこで、明るむ場という存在することの意味が、. ﹁現は存在すること自身によって生起させられており、⋮人間は存在するこ との真理のまもり 手 と し て ⋮ 現 − 存 在 に 帰 属 す る ﹂. 存在者とのかかわりにおいて何を指し示すか、これを考えよう。先取りする. ︵GA宗一N芸︶。これにし. たがえば、存在することの意味も、存在することの明るむ場、﹁存在するこ.

(10) 意味付り・という病. と、他なる存在者 か ら. に応答すること、﹁存在者をあるがままのものであらしめること﹂ ︵GA票一. う返却は、咲き匂うバラがみずからの存在について語り、人間がそのことば. ﹁ありのままのものであらしめよ﹂という意味が送ら. れ、これに応じて他に属するものを授けることが明るむ場を存在することで −○︺︶. ただし、この対話は、自他が一致する交感・合一︵cOmmuniOn︶. いうありさまである。. によって可能になる。ハイデガーが現−存在と呼んだのは、人間のそう. ある。. が成功する﹂. ︵GA宗一わ 皇− り︶ ではと ない。バラは人間にとって他なるものにとどまる。何のずれもない. 存在することの真理が指示するのは、存在者への意味付与という仕方で失. ︵Wiederbringung︶. われた意味を回復することではない。﹁存在することの真理によってのみ、 人間に存在者を返 す こ と. 存在しはするが、全面的に私の対象や資源であることはけっしてない。自分. 存在するもののありさまそのものではない。存在者は、対象や資源としても. はそもそも人間の所有物ではない。人間にとっての対象というありさまは、. 象する。これによってあらゆる存在者は人間化する。しかし、存在するもの. 花を、化学者はそれが赤くあることを、科学の言語、自前の概念で分析し表. 緑の香りもキツネの戯れも人間自身の姿の投影である。生物学者はバラの開. が現実の事物や想像上の事物に授けてきたすべての美と崇高さを、私は、人 用 問の固有物にして所産として返還をもとめたい. 人間から疎外された神の本質を人間に還元しようとした。後者は、﹁私たち. を指す。これは、フォイエルバッハやニーチェを連想させもしよう。前者は、. れにもかかわらず、バラは、ただたんにそこにあることによって私に何ごと. するために存在しているわけではない。世界はただたんに、そこにある。そ. かといって、世界はことさら不条理にあるのでもない。人間をわざわざ嘲弄. が、人間の意味付与によってはじめて価値を帯びる、というわけでもない。. 人間に恩恵を施すためではない。また、それ自身としては価値には無関係だ. 間に好都合な意味をもっているわけではない。太陽が光を放つのは地球上の. かに、世界は有意味に存在するわけではない。他者も事物も、それ自身が人. こうしてはじめて、私たちは意味の生成について語ることができる。たし. ことはできない。. きとろうとするが、そのことばに追いついて自分にとっての現在たらしめる. の思い込みに対して警戒を怠ってはならない。私はバラの沈黙のことばを聞. いう断章がある。wiederbringungとは、もともとの所有者に返却する 主こ 客と 合一は、失われた意味をもとめる人間が描く幻想のひとつである。合一. の姿に似せて理解することは、私がその存在者を当の存在者としては失うこ. かを語ろうとし、意味していもバラが赤くあることについて静かに思いを. るむ場という意味に立ち出でること、現を存在することである。. いたすとき、私は意味するそのことばに、応じょうとしている。これが、明. とである。. 逆に、私が対象化や意味付与を断念して接するときに、存在者は人間に返 却されうる。私が庭に咲くバラを眺め、﹁バラの輝く赤に没入し、バラが赤. 客観ではない﹂. による意味付与をまぬかれる。たいていの教師は教え子を評価することを職. ける意味の誕生のほうが切実である。他者は合一を拒む他なるものとして私. 人間として存在する私たちには、バラよりも他なる人間とのかかわりにお. 私の所有物を投入した擬人化の所産ではない。むしろ、バラはそれ自身のほ. 務のひとつとしている。中学校の教員が冗談半分にせよ内申点への影響をち. ︹私の︺. うから赤いありさまで立ちあらわれている。私はこれに答えてそれを見つめ. らつかせて指導に当たるのは日常茶飯事である。それにもかかわらず、生徒. くあることについ て 思 い を め ぐ ら す ﹂ と き 、 ﹁ こ の 赤 く あ る こ と は. ている。存在するものはそれ自身のほうから私に立ちあらわれ、﹁あるがま. は教師の他者であり、原型の変様ではない。クラスの良きリーダーだとか間. ︵GAp﹂㌫︶。あでやかに咲くバラやそれが赤くあることは、. まのものであらしめること﹂を要求している。したがって、ハイデガーのい. のかか.

(11) 後 藤 嘉 也. 題児だとかいうラベルを貼りつけても、生徒の顔はその彼方へと遠ざかって. ることの思考は、他者を自己の存在のために吸収する西洋形而上学の絶頂. だったからである。この形而上学を、人間化ないし擬人化の哲学と名づけて. ﹁君﹂. ではない.。. をレヴィナスは意味作用. を﹁恵みを贈ること﹂と翻. 仕方で存在することを現−存在と呼んだ。これは存在することの擬人化では. 在することという他なるものの呼びかけに、遅れて身を開き、応じるという. 意味を現存在の存在性格 ︵実存疇︶ として捕捉するのを放棄してからは、存. しかし、この批判は乱暴である。ハイデガーは、存在者が存在することの. いる。生徒の顔は教師に現前してはいない。教師のとらえる顔はすでに痕跡. には顔と顔がじっと見つめあう幸. もよい。. ︵僕と君︶﹂. でしかない。顔は、彼方から到来するがゆえに﹁彼性︵i−−巴t恥︶﹂︵レヴィナス︶. という三人称であ る 。 ﹁ 我 と 汝. み馴染んだ二人 称 の. ﹁語ること﹂. 福な融合ないし相互現前が想定されているかもしれないが、他者の顔は親し 川. その顔は何ごとかを語る。この. と名づけている。﹁顔は彼方から到来し、そしてこの彼方は ない。彼は、ヘラクレイトスのビリア ︵phi−ia︶. 訳しながら、次のように解説している。﹁根源的に与えるとは、他者の本質. ︵signif i a n c e ︶ 凱. 痕跡として意味す息。﹂顔は私がそれをまなざし現前させる瞬間にももはや. ︵GA誠一−N00︶。恵みを与えるとは、上位の者が自分の所有物のいくぼくか. に属するがゆえにその他者に帰せられるべきものを授けることである﹂. 脱毛症の少女は、親に向かって無言で叫ぶ、﹁なんで、本当の私に気づいて. を下位の者に施すことによって上下関係を確認し自己の存在を強化するふる. 彼方へと過ぎ去っているが、しかしその痕跡は私に意味を送っている。全身. くれないの!私のことをちゃんと見てよ!﹂と。のちにはティッシュ・ケー. から由来するのではなく、自同者に訴 ﹁ある. れもない。レヴィナスに反して、﹁ある人は他なるもののために﹂ は存在す. けたものの、これがレヴイナスとそのハイデガー批判を意識しているのは紛. 〃. る。ハイデガーの解釈するこのビリアに註して、デリダは、﹁ある人は他な. 現かもしれないが︶ であることをもとめる他者の呼びかけに応えることであ. ︵稚拙な表. まいではない。むしろ、他者が当の他者であること、﹁本当の私﹂ いい. スを投げつけ、母親の背中を叩いて、大声で。年老いた祖母にさえ、いい子 であることを求めつづけるがゆえに、﹁私はアンタのお人形じゃない! 加減、本当の私を 見 ろ = ︰ ﹂ と 必 死 で 怒 鳴 る よ う に な も. ︹自己︺. いまや意味が立ちあらわれている。意味するのは他者である。﹁意味は⋮ 自らのなかにとど ま る 自 同 者. える他なるものの 顔 か ら 由 来 す 息 。 ﹂ そ し て そ れ は 、 ハ イ デ ガ ー で は. る仕方である。他なるものに属するがゆえにそれに帰せられるべきものを授 ﹁あ. がままのものであらしめること﹂を、レヴィナスでは他者を他者として. それでもなお、疑いの余地は残る。他なるものの存在の呼びかけに応じて. する意味、私が付与する意味でしかないだろう。. に吸収することができない。私が自分のなかに封じ込めた意味は、私が意味. 者もそれが発する意味も、私の彼方にある以上、私はこの意味を自分のなか. きにすでに到来している。私はそれに答えなくてはならない。そのうえ、他. 失われた意味は、こうして、思いもかけない彼方から、思いもかけないと. これが存在することの意味を受けとり、現という明るむ場を. けること、. ご3. ﹂という. らしめること﹂を命じている。意味は私が他なるものに付与するものである. 〃l. 存在することである。. ﹁ある人は他なるもののために. で. ︵−ごn・pOur⊥.autre︶. どころか、逆に他者から私に届けられる。意味の源泉は私ではなく他者にあ る。意味とは. ことにある。意味が意味しているのは、﹁ある人は他なるもののために﹂ あり、他者に対す る 責 任 で あ る 。. とはいえ、レヴィナス、とくに後期レヴィナスは、﹁ある人は他なるもの のために﹂という意味を、存在することの外部に置いた。彼にとっては、存 在することは自己の存在に固執することにほかならず、ハイデガーの存在す. 10.

(12) 意味付り・という病. いか。この疑いを晴らすことはできない。命令性幻聴などという現象さえあ. 釈して入れた意味、あまりに人間的な意味であらざるをえないのではあるま. て解釈されているようにも思える。到来した意味は、とどのつまりは私が解. してはじめて理解と応答が成立する。他なるものは私という原像にかたどっ. 他なるものに何が属するかを考えそれを与えるのは私である。わが身にてら. のは私である。バラが赤くあることについて思いをめぐらすのは私である。. 存在することは、やはり一種の擬人化ではないのか。他者の表情を読みとる. いない。世界はただたんに、そこにある。. ものは、とくに人間を目当てや根拠にして有意味または反意味に存在しては. われるこの闘争には、意味付与という病がとりついている。だが、存在する. 在することに耐えかねて、あるいは無意味さを忘れるかのようにしておこな. がら創造的破壊を繰り返し、大地の支配をめぐつて互いに争う。無目的に存. せよ、近現代の本質的動向である。そのため種々の主体は、対象を利用しな. する世界の尺度だと考えるのは、度外れたおめでたさとも狂気ともいえるに. として存在する。自分 ︵たち︶ が存在するものに存在することの意味を付与. るもののために存在せよ、と訴えている。他なるものは意味している。心な. しかし、そこにある存在者たちは、あるがままのものであらしめよ、他な. る。人間はだれかの書き込みを待つ汚れなきホワイトボードではない。聴き とる側、反応する 側 の 主 体 性 の 関 与 は つ ね に 生 じ て い る 。. なるほど、ハイデガー自身は人間化の疑いをこばんだ。現−存在としての. らずもすでに届けられているこの意味は、他なるものに属するものを授ける. もひとつの立脚地である以上、存在すること. 人間が存在する現. よう﹁主体﹂に指示している。それにしても、その意味はともすると私の与. ︵明るむ場︶. の思考も、特定の視角からの思考として存在者全体の人間化とならざるをえ. えた意味に転じる。患者に狂気の診断を下したからといって、精神科医が狂. ‖. ﹂忘諷詠b訂愚粍雫︹打聖畏賀嘆さ一くittOriO堅OStermann. Fr.Nietzsche一染ぎ吏ぎざ寸言註♪只ritischeS︵ud訂nausgabe一Bd.摩Gruyter﹂纂〇. J.く.Ue洛已−\G.Rriszat一箪艮薗螢:ぎきご芽ぐぎ慧豪≦害虫ゴす芸翠邑妄ぎ栗野\. ︵邦訳﹃生物から見た世界﹄ 日高敏隆・野田. ㈱. J.く.Ue舛k已−一↓ぎQ完済c許無已長町♪Suhrkamp﹂笥u一S.u芦. L亭声S∴岩戸. ︵前掲邦訳、一円一ページ。︶ 棚. 保之訳、思索社、一九七三年、一二⊥一二八ページ。︶. 染料還ぎ惑乱冬扇Fischer﹂纂u一S.澄∴芦. 潮. u0〇.. Gわ. ハイデガー全集からの引用は次の略号によって指示する。. ているしるしである。. 渡した者が自分だけはこの病気とは無縁だと信じるのは、当人が病にかかっ. 気をまぬかれていることにはならない。だれかに意味付与という病名を言い. ないのではないか、という追及を彼はしりぞけた。﹁人間が⋮より根源的に ︵a−讐heia︶. ︵GA定一−N笠。現の. 現−存在を現−存 在 と し て 認 識 し 根 拠 づ け る ほ ど 、 人 間 化 が 真 理 を危険にさらすと い う 疑 念 は い っ そ う 非 本 質 的 に な る ﹂ 思考は対象化では な い と い う 反 論 で あ る 。. だが、自分が根源的に現−存在を認識し、他なるものから到来した意味を 受け入れているという保証はない。客観的保証はそもそも可能でもなければ ふさわしくもない。それゆえ、自分が新たに意味を挿入しているのではない という呼び といういっそうかすかな響きをとも. か、と自問する必 要 が あ る 。 ﹁ あ る が ま ま の も の で あ ら し め よ ﹂ かけは、﹁お前は 私 を 聞 き 損 っ て い る ﹂ なっている。. おわりに. 存在するもののありようは、主体︵個人や国家や民族や研究者共同体等々︶. のありさまを原像として解釈される。対象は主体が表象し意味付与したもの. 11. 6.

(13) 後 藤 嘉 也. ㈲. フッサール﹄. ︵邦訳﹁デカルト的省察﹂船橋. 所収、中央公論社、一九七〇年、三. E.Husse ユ 一 和 琴 琴 さ 訂 ぶ B d ﹂ 一 N i j h O f f ﹂ 当 山 一 S ∴ 石 戸. 強調はフッサールによる。. ‖〓. Fr.N訂tzsche一軒ざ註訂訂こきS訂 Fr.N訂tzsche一軒ざ註訂訂こきS訂. Bd.卑−宗〇一S.N∽P. Bd.p−宗〇一S.u会.. 中山伊知郎・束畑精一訳、. E﹂声ロger一b篭J冒倉温空い不e宇COtta﹂器N一S.ヨ.. Fr一Nietzsche一寸ヨ患N宅﹄旨cぎRr旨er﹂蛮声nJN.なお、ハイデガーはフッサー Fル r.N訂tzsche一寸ヨ∼訂N蛍ヽ轟c空一n.N〇.. L苓きSJuの . ︵ 前 掲 邦 訳 、 三 二 〇 ペ ー ジ 。 ︶. 一七ページ。︶. 弘訳、﹃世界の 名 著 5 1 プ レ ン タ ー ノ. ㈲. シュンベーター﹃資本主義・社会主義・民主主義 ︵上︶﹄. 、ミ﹁、.一〓.コい.. 、ミ﹁、二rコ.. 昭. ︵GA笥一N纂︶。. ﹁意味付与﹂という語をニーチェに適用しているが、それが強引であることは. 彼自身認めている. 由来の. ターの資本主義社会は、﹁ただ者ならぬ企業者と銀行家が経済を引っ張っていくニー. 東洋経済新報社、一九九一年、一土○一土一ページ。森嶋通夫によると、シュンベー. チェ的な英雄主義の世界﹂ である ︵森嶋通夫 ﹃H心想としての近代経済学﹄ 岩波新書、. ㈱一九三四年から甲0年のあいだに書かれたこの手記は、ナチズムを暗示しているだ ナチズムおよびそれを挟撃する連合国を存在論の場面で同列に置いて批判している別 ︵GA茎一笥︶。﹁近代の. けでなく、ドイツが二正面から対略している自由主義諸国とソ連をも意識している。. 真理の根拠づけとのあいだの決定﹂. ︵GA宗一りu︶. を私たち. たとえば近代であれば対象性・表象されることとして、現代の技術. ︵の真理・明るむ場︶. と存在するもの、. も、存在することが人間に贈る歴史的運命. である。それほど、存在すること. ﹁この区別. ﹃シュンベーター﹄ 岩波新書、一九九三年、一九土一九七ページ︶。これらの妥当. ﹁栽∵汝﹂ とを鋭く区別し、後者においては ﹁︹汝と我の︺ このひとつの. ﹃我と汝・対話﹄. ︵M.. 田口義弘訳、みすず書房、一九九八年、一三土ページ︶。. Buber一N賀町内協⊇C賢一LambertSchロeider﹂蛮声S一uP前掲邦訳、二二七ページ︶である。. それでも、汝とは、﹁他者、異なった仕方で異なったことを考えている人間﹂. SJN〇.邦訳. 現在が輝いている﹂ ことを讃えた ︵M.Buber一打かS註hぎLambertSchneider﹂変声. 関係における. 自他の調和に肯定的な彼は、対象化ないし所有における ﹁我トそれ﹂と、交わりないし. もっとも、ブーバーのばあいでさえ、他者が他者であることは忘れられていない。. ジ︶。. 覚の現象学2﹄竹内芳郎・木田元・宮本忠雄訳、みすず書房、一九七五年、三六土ペー. ︵M.Meユeau七〇nty一七監彗S卦已長町n熟訂甘言尽ぎきGaニimard﹂蛮声p.巴u.邦訳﹃知. 歴史に意味を与えるが、しかしそれは歴史が私たちにその意味を提案するからである﹂. 百歩譲って意味付与という語を用いるとしても、次のような構造になる。﹁私たちは. Fr.N訂tzsche一軒ざ註訂訂こきS訂Bd.p−望岩一S.誌N.. の哲学としての共通性からみれば、どちらも興味深い指摘である。. 性を論じる資格は私にはまったく欠けているが、ニーチェとベルクソンの躍動する生. 弘. 一九九四年、六〇六一ページ︶。ちなみに、伊東光晴によれば、彼のこの思考は、ベ. は純粋に主体的な概念である﹂. と存在する. ルクソンの創造的進化の世界を経済学の次元に移したものである ︵伊東光晴・根井雅. ︵栗︶。. の筒所を挙げてお く 。 ﹁ ︵ 人 種 ︶. ︹であ る ︺ ﹂. 諸可能性は、個人主義、自由主義、社会主義、ナショナリズム、共産主義、︹ユンガー の︺労働者. ㈱一九三〇年代後 半 か ら 、 存 在 者 の 存 在 ︵ 存 在 す る も の が 存 在 す る こ と ︶. 私はしかし、存在することをあくまで存在者が存在すること. ことそのこととは峻別されるようになり、オンティッシュ︻オントローギツシュとい う対概念も放棄 さ れ る 。. ︹現一 存 在 に よ る ︺. なるほど、一九三八/二九年の手記のなかでハイデガーは、﹁存在者の優位と存在す. として受けとり、オンティッシュ︻オントローギツシュという対概念をも維持する。. ることの. い集められよう。そもそも、存在するものか存在することの真理かという決定自体、. に、あるいは彼自身に迫っている。この種の発言はハイデガー全集のそこここから拾. けとられるか. 人間の決断によって帰趨が定まるわけではない。存在者の存在がどのような仕方で受. ︵Geschic k ︶. 的世界では資源 で あ る こ と と し て. は、早くも一九 二 門 年 の 会 話 の な か で 、 存 在 す る も の と 存 在 す る こ と と の. 人間とは、もはやかけ離れている。︵もっとも、ガダマーの述懐によると、ハイデガー. 二つでありながら一つである。ハイデガー自身も次のように書きとめている。﹁存在す. −芸u一S.告︶。だが、存在することの思考の水準と存在するものにかかわる水準とは、. ︵GA豊一uu︶。. ることは存在するものとは別の事柄ではない。存在するものそのものであり、存在す るものであるだけ だ ﹂. 2. 小林康夫訳、吉雄風の薔薇、一九九〇年、九四ページ。︶. 茅島奈緒探構成﹃ジロジロみないで﹄扶桑社、二〇〇四年、一七七一七八ページ。. のユマニスム﹄. E↑eくFas一↓Q訂ミ恥監町ミ叫きMartinusNijhO辟−悪声也.琴 国文社、一三九ページ。︶. ︵邦訳﹃全体性と無限﹄. ているのだ、という主旨である。H㍉G.Gadamer一p逐§⊆買詳こヨiぎBdJ〇一≧訂hr一 E↑eくinas一b軒S§已警更ご計∼打撃ぎ?ざS宝更fatamOrgana﹂笥Nも.誌.︵邦訳 ﹃他者. は私たちがするものはない﹂と告げていたという。むしろ人間がそのなかに入れられ. 12.

(14) 意味付り・という病. Lき註空莞已雲慧ギ:呂§・告∼軋告芯改宗C♪堅uwer﹂蛮声pJNの.︵邦訳﹃存在の彼方. L苓きp.畠. ︵ 前 掲 邦 訳 、 九 九 ペ ー ジ 。 ︶. レヴィナスは他なる. 姻. 合田正人訳 、 講 談 社 学 術 文 庫 、 一 九 九 九 年 、 二 一 一 ▲ 円 ペ ー ジ 。 ︶. は、他者に責任を与え返す. ︵他者. ことにもなりうる。いまは、これらについて詳細な議論を. ﹁殺せ﹂という命令に従ってだれかを殺害するとき、届いたその声は本人の心の投. J.Derri d a 一 七 註 茸 莞 告 ∼ 打 ︶ 已 賢 一 G a ≡ 訝 − 浩 草 p . u 等. するゆとりはな い 。. に帰属するもの を 与 え る ︶. 私という他者で も あ り う る 。 ﹁ 他 な る も の の た め に ﹂. なることとしてだけ理解するものではない。他なるものは、人間以外の存在者でも、. ふくむ。また、私は、﹁他なるもののために﹂を、彼のように自分が他者の身代わりに. ものを他なる人間だけに絞るが、私にとっては、他なるものは人間以外の存在者をも. へ﹄. 糾. ㈲. 錮. ﹁素朴な臨. 影でしかない。だが、精神鑑定と矯正医療の実践者である林幸司と松野敏行によれば、. ︵杯事司編著﹃司法精神医学研究﹄新興医学山販社、二〇〇一. 幻聴に命じられ る が ま ま に 生 じ る 重 大 犯 罪 は ご く ま れ で 、 こ う し た 現 象 は 床現場からはほ ど 遠 い ﹂. ︵基盤研究︵C︶︵2︶︶. 教授︶. による研究. 年、一八二ページ︶。たいていは、詐痛か、そうでなくとも責任能力があるという。. 付記. 本稿は、平成一 六 年 度 科 学 研 究 費 補 助 金 成果の一部である 。. ︵函館校. 13.

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