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市場の力と権利の力 : 言語権から考える

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Academic year: 2021

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(1)Title. 市場の力と権利の力 : 言語権から考える. Author(s). 大江, 洋. Citation. 北海道教育大学紀要. 人文科学・社会科学編, 51(2): 113-127. Issue Date. 2001-02. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/706. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 北海道教育大学紀要 (人文科学・社会科学編) 第51巻 第2号 Journa lofHo 一由山do Uni i i ) Vo tyof Educat i ISc i l vers on (Ht皿ani錠esそ uIdsoc a ences ‐ 51, No ‐2. 平成1 3年 2 月 Febma ry, 2001. 市場の力と権利の力:言語権から考える. 大. 江. 洋. 北海道教育大学函館校法律学研究室. はじめに:言語的多様性の危機. 人間社会およびその未来にとって決定的な構成条件となるであろう環境問題とは, 果たして 「自然環境」 に限られるべきものなのであろうか- たとえば普段の何気ない会話の中でわれわれが用いている 「言葉」 を めぐる問題も, また独自の環境問題を構成する. なぜなら言語環境とは次のような特徴を持つからだ. すな 1に よ っ て は じめ て 社 会生 活 を 営 む こ と が 可 能 と な る 人 間 と いう 存 在 に と っ て わ ち, ① 言 語 を用 いる こ と* ,. 例外なく言語 (的環境) は各個人のそれまでの歴史の中に (通時的に), そして今ある状況に (共時的に) 離れ難く存在しているという点, およびf ②その環境に対する明確な市場価格が設定できないという点である (GI血, )- 自然および言語の両環境が遍在性と価格設定不可能性という基本的共通点を持つとすれば 1999a 20 : , 言語環境保護の必要性も自然環境保護から類推可能だろう. 座して待っていては自然環境と同様 言語環境 , も破 壊 さ れる かも しれ ないの である (S卿 mabb ). 本稿 で は, わ れわ れの 身の 回り に存 在す 1999 197 ‐民a nga s : , る 「言語 環境」 なる もの にこ だわ っ て み た い. 現 在, 人類 史上 かつ て な い ほ どに急 激 に言 語 の 多 様性 が失 わ れつ つ ある (Skut bb i 6 ) *2 -K : na anga s . ,2000 その 勢 い は凄 ま じく, 2100年頃 に は現 在の 十 分の -以 下の 数 の 言 語 しか存 在 して い ない だろう と も ま た現 , 存 す る 言 語 の 二 ~ 五 割 は す で に 子 ど も た ち が 学 ば な く な っ て い る と も 言 わ れ て い る (Skutnabb… &angas :188). ,1999. こうした傾向が 「自然」 なものかと言えば, 決してそうではない‐ なぜなら, 国家権力はしばしば少数派 固有 の 言 語 に 対 して 圧 迫 ・ 抑 圧 を 行 っ て き たか ら だ. た と え ば自 ら をク ル ド民 族 と名 の る こ と を禁 じら れ , 「山岳 トル コ 人 (Motmta in Tur ks )」 (Ha 9 9 ) と さ た 1 9 2 2 9 蔑 称 れて き トル コ 内の 国 ド民 と ク ル 族に ss anpour : , っ て. トル コ憲 法 第42条 は非 常 に反 動 的 である‐ ハ ッ サ ン プー ル によ れ ば, い かなる 教 育機 関に お いて も ト ル コ語 以 外 の言 語 は母 語 と して 教 え ら れて はな ら ないと そ こ で は規定 さ れ て いる(Ha 3 1999 227 )* 8 s s anpour : - ‐ ,. 少数言語を抑圧し, 言語 (的環境) の多様性を侵害する存在はこれまで何よりも国家権力であるとされて き た. もち ろ ん, この よう な 国家 観 は未 だ陳 腐化 して いな い 時と して 国家 が見 せる 「抑 圧 主体 と しての 顔」 . に 目 をそ む ける べき で は ない か ら であ る. だ が 国家 と いう 存 在 はこ れま で言 葉 へ の 権利 (言 語 権) 延 い , ,. ては人権一般の抑圧主体であると同時に, 権利を侵害された者を救済する機関でもあるという複雑な位置に 立つ‐ こう した 国家 の 位 置 づ け・ 役 割 につ い て は 後 に簡 単 に触 れる こ と と なる だ ろう さ ら に本 稿 で は . ‐ ,. こうした国家と言語 (権) との関わりとともに. 昨今注目されてきたもう一つの重要な点にも検討を加えて いく‐ この主体もまた侵害と救済の二面性を持つ. 言語的多様性や言語権を侵害抑圧すると同時に 他面 , , ある意味でそれらを保護救済する顔をも持っている‐ ではその主体とは何か 「市場」 である . ‐ 以下に, 少数派言語の生き残り, そして再生の問題を主として国家, 市場 (言語) 共同体 そして権利 , , 4 という 脈絡 から小考 して いき たい* ‐. 113.

(3) . 大 江. 洋. 1. 凶暴な市場 ( 1 )全世界化 将来の民族的・地域的発展のためには少数言語・文化 は異なったそれ (全世界標準の言語・文化 !) へと l l 置 き換 え ら れる べ き だ と いう 主 張 が 見 られる‐ い わ ゆる 「全 世 界化 (g ob組sm,g ob血2anon)」 だ. スク ッ. トナブーカンガスによれば, 「今日の全世界化はますます強力な世界的な垂直的関係を築きつつある‐ それは 民 主 的 制 約 の 見 せ か け さ え 見 せ ず, ま た 『権 利 に 付 随 す る 義 務』 も 考 慮 しな い」 (Skutnabb‐ 5 さ らに具 合 の 悪 い こ と に その 垂 直 的 関係 さ えも がま っ たく 統制 の 取 れな い 「 Kanga 2000 2 )* 手に 451 ‐ s : . , , ) と な っ て いる‐ そ して, この 全 世 界化 を大 きく 動 か し l d )」 (Gi ddens 2000 20 負え な い世 界 (runaway wor : ,. ているものが言うまでもなく世界次元での強大な 「市場」 の力である‐ 冷戦構造の崩壊, そして世界中を- 瞬にして駆けめぐる情報を支える技術の発展などとともに, 市場は新たな様相を見せるに至っている. 「現代の自由主義者は政府というオーガニゼーショ ンの権力とその肥大化は強調するけれども, 株式会社と 1 74 ) いうオーガニゼーションの巨大化と権力の肥大化は余り問題にしていない‐」 (間宮,1999 : . l )‐ 世 界 経 済 に と っ て, そ れ は一面 で は強 力 2000 全 世 界化 はある 意 味 で 「諸 刃 の 剣」 であ る (SamQue son , な牽引 車 である に違 いな い. しか しその反 面 で, 国家主 権 や地 方 文化 ・ 伝統 に と っ ての脅 威 と も なる. ま た. l 互sm) と, 全世界化は果た して 同 i 社会経済的側面への撹乱要因ともなり得よう. 従来の植民地主義 ( c o on a 441) がなさ れるの も理 由の な いこ と で はな い. 皮 肉 なこ じなの かと いう 問題指 摘 (Skumabb ‐K : z i nga s ,2000 と に, 全世 界化 の 「張 本 人」 とも言 える 金 融王 (ヘ ッ ジ・ フ ァ ン ド王 ?) ジ ョ ー ジ・ ソ ロス は全 世界化 の 過. 度の進展に危倶を抱いているようだ‐ 日く, 「開かれた社会の主たる敵はもはや共産主義的脅威ではなく, 6 bb 436 [重引]) * 資本 主義 がも たら す脅 威 である」 (Skuma ‐K : i通ga s . ,2000 7において ま ず論 じら れ )」 * heeconomicsofl t anb guage 言語学の中で, 市場と言語の関係は 「言語経済学 ( てきた. そこで当初議論されてきたのは, 特定の言語使用が市場的力を持つのか, つまりどの言語を用いる in 182)‐ もち ろ ん厳 密 に論 ずる 1999b かに よ っ て 「収 入」 にも差 が出るの か どう かと いう 問題 であ っ た (G1 : ,. ならば, 労働市場における優勢言語 (英語等) に対する需要と, 労働力以外の商品 (映画・音楽等) 市場に おける優勢言語需要との間の異同を細かく検討していく必要があるのかもしれない. だが, ここでは労働市 場領域における言語-収入問題を素描するにとどめる. 言語を自己同一性の一部と捉え研究するだけでなく, 言語の経済学的意味, 中でも収入と言語の相関関係 )‐ た と え ばカ ナ ダの ケ i 1999a 14 を検 討 す る こ と が1960年代 か ら言 語 経 済 学 に お い て注 目 さ れて き た (Gr n : ,. ベック州において, 性別, 年齢, 学歴等々の諸条件が同じ勤労者に対して調査が行なわれている. その調査 結果によれば, フランス語よりも英語に堪能な勤労者の方が高収入である. そしてこのことは特に英仏語の ) I 1 19 99a 1 5 どちらも母語でない話者 (英仏語非母語話者の英語使用) にとって著しい (G n : ‐ , さて,労働市場における言語使用についての経済的需給関係は一般的にどのように考えられるのだろうか. ある言語が使用できることで雇用が生まれる場合の需給関係である‐ 当該言語を教える仕事に就く際に必要 とされるような高度な言語使用・運用の次元から, 最低限話せないと 「仕事にならない」 ような基本的な言 語使用・運用次元までと, そこでの言語使用の能力・次元にはもちろん一定の幅があろう. 言語使用に関わる需給関係についてグランは次の ごとくまとめる. まず雇い主側が雇おうとする雇用需要 量, および働き手側の参入者数 (雇用供給量) の基本的需給関係がある‐ そして, 賃金が上昇すれば基本的 114.

(4) . 市場の力と権利の力:言語権から考える. に需要 (雇用数) は低下し, 反対に勤労者側から言えば, 賃金が上昇すると参入希望者数 (供給量) は増え て いく‐ した が っ て言 語 使用 に関 わる雇 用 市場 の需 給 曲 線 がここ で描 か れる (GI 1n 1999b 174 ). 5 ‐ : ,. たとえば英語運用能力に関わる雇用を考えてみよう‐ まず英語関連の雇用需要量の増加は, 情報伝達用語 と して の 英語 の 重 要度 を 間接 的 に高め る こ とへ とつ な が っ て いく (GI血, 1999b 176 ). もち ろ ん, ある言 語の :. 市場的価値が高まるということは, 各自がその言語の運用能力を高めようとすることの誘因ともなり, 当該 運用能力 (上記例で言えば英語運用能力) が各個人に対して持つ象徴的あるいは市場的価値は下がる (Gr i 1999b 177). 当 該言 語 が持つ 全 体 的な 市 場価 値 は上 昇 も しく は維 持 さ れ たと して も, 参 入者 数 の 激増 n : ,. は各個人への分配量 (賃金) を減少させるかもしれない. また, 当該言語が出来る他に, 付加価値としてそ の他の言語能力 (日本における外国人外国語教師の日本語能力等) が市場的に評価され得る余地はある‐ た だ し, こう した 付 加価 値 が成 立 する た め に はいく つ かの 前提 条 件 が必 要 だろう. グラ ン はその 前提 条件 と し. て, ①付加価値としての言語そのものが生き残っていること, ②市場はあくまで儲けに資する多様性のみを 維 持 しよう と する こ と を挙 げる (G1 in 1999b 178 ). 9 ‐ : ,. ( 2 ) 市場の複雑性. 結 局, 市 場 を どの よう に捉 える か と いう こ と は, 市 場 に 対 して わ れわ れが 持つ 印 象 を探る こ と でも ある ‐. 極端に言えば, 「凶暴な市場」 と 「希望としての市場」 という対照的な印象さえもが併存し得る状況下にあ S る と言 える かも しれな い* .. むろん市場に関わる事柄はそう単純ではなく, 市場が市場として成立するには様々な要素がそこに関係し てくる‐ 法の問題に限ってみても, 所有権概念をはじめとした財産法の整備や, 市場の歪み・行き過ぎを何 らかの程度で正すというのであれば独占禁止法に代表されるような経済法の整備も必要となってこよう‐ 換言すれば市場成立には 「国家」 が必要なのである. 「市場は決して前国家的な自然的秩序ではな」 く (井上,1998 ), 逆に国家を前提とする‐ そこで望まれる国家の 「強さ」 はもちろん状況に応じて可変的 38 : だ‐ たとえば全世界化を押し進める立場から言えば, 全世界化を妨げられるほどは強くなく かと言って内 , 乱 を統 制 でき る 程度 に は強 い 国家 が望 ま れる こ と と なる (Skumabb 200 1999 2000 459 ). (全世 界化 -Kanga s : : , , に お ける) 市場 にと っ て の 国家 が持つ 力の 重要 性 である‐. 市場に 「光と影」 の部分があるからには, 市場の存在をただただ声高に非難しても, 事は生産的にはなら ない‐ 抽象的には市場のどの側面を批判・克服し, どの面を生かすのかという考察が必要不可欠である 特 . に 「悪 の 根 源 は市 場 その もの で はなく, そ こ での 不平 等 な権 力構 造 にある」 (GI 1n 1999b 179) と いう 見 方 に : ,. 真撃に耳を傾けるなら, なお一層のこと単純な市場批判・否定に終始することなく丁寧に市場を見ていかざ る を得 な い‐ 市場 的 な席 巻 が 純粋 に 当 該物 ・商 品 の 「優 秀 さ」 か ら来 て いる と は限 ら な いこと にも 一 筋縄 で はいか な ,. い市場の複雑さが現れている. 言語の問題に関して言えば, 特定の言語が伸張・ 発展する背景には軍事力 (特に優勢言語の基盤国の それ) や地政学的国際関係などの 「非市場的な力」 が存在す ると主張される (Gr i 1999b 172 182). 特 定 言 語 の 伸 張 は市 場 原 理 に よ っ て す っ き り と説 明 さ れる よう に 見 える が そ の 市 n : , , ,. 場的伸張はあくまで非市場的な力による 「最初の一押し ( lpush)」 があ っ た 後 に言 える こ と だと グ a n mida ラ ン は強調 する (G1 in 1999b 176 )‐ : ,. こうして, 単純化できない市場のあり様を瞥見するだけでも, われわれが株式市場や外国為替市場だけを 市場の印象として持つべきでないことがわかる‐ 現実の市場とは市場だけが切り離され孤立しているもので はなく, 国家存在や消費者の特有な行動等, 様々な付随的要素が関係している. したがって 「自由放任的な」 115.

(5) . 大 江. 洋. 市場とは現実の市場とは掛け離れたものであって, 言わば 「西欧近代が作り出した一つのイ デオロギー」 ) と さ え言 える かも しれないの である. 「純 粋市場」 の印 象 だけ で市 場 を語る べき で はない‐ (金子, 1999b 96 :. さて, 市場領域という概念が成立するならば, それと対照的な 「非市場領域」 も想定し得る‐ そもそも, 「歴史的に長期間にわたって市場は強固に存在し続けてきた」 という素朴な観念をわれわれは持ち過 ぎてい るようでもある‐ 事実は逆に, 「十九世紀中葉には市場によって処理される領域が段違いに小さく, 逆に遥 ) とも言われている‐ 安易に市場の 998 30 かに大きな [非市場的] 社会システムが存在していた」(神野,1 : 席巻を必然的に捉えるべきではないかもしれない. 言うまでもなく, 市場領域が拡大されればされるほど, 逆に非市場領域は狭まっていく. そして非市場領域の縮小化は何らかの社会改革を必要とする‐ なぜなら, 市場領域の拡大, すなわち競争主義的な市場原理の拡大は社会統合を破壊する危険があるからだ. 新たな社 8 ) が求められる理由がここにある‐ 会的な 「協力原理」(神野,199 5 : ) )」 問題と関わる (金子,1999a f この協力原理は, 昨今目に付く 「安全網 ( t a eげne s . 安全網問題は 「市 場化の限界」 と関わって論じられてきた‐ 労働, 土地, 資本 (貨幣) などのいわゆる本源的生産要素 (第一 次生産要素) には市場化の限界があり, 何らかの協力・共同の領域が確保される必要がある‐ 金子勝によれ ば, 安全網の整備によって社会的制度への信頼が生まれ, そうした信頼があってはじめて各自は市場的競争 に乗り出していける. 裏を返して言えば, 「セーフティ ーネ ッ トを媒介とする社会的共同性がなけれ ば. ) の である‐ 94 人々 は自己決定 をな しえ ない」 (金子, 1999b :. 2. 市場の生かし方 ( 1 )脱出□としての市場 少数言語の問題に戻ろう. 果たして市場の力とは言語的多様性に対して否定的な影響を及ぼすだけなのだ ろうか‐ 特に昨今の全世界化問題を考慮に入れる とそうなるのか. もし人間にとって市場とはあくまで何か の目的のための 「手段」 であり, 目的そのものではないとするならば, 言語的多様性保障のために市場機構 を利用することはできないのだろうか‐ こうした一連の問題提起を受ける形での考察が今後ますます必要と な っ てく る に違 いな い‐. 少数言語を含め, 少数派 (の作りだすもの) が市場において隆盛を極めることは大変難しいだろう. その 点において安易な市場待望論は危険である‐ だが, ここでは全世界化に押し潰されると思われている側 (言 語問題で言えば少数言語の側) のさらなる積極的な戦略, すなわち市場と言語的多様性を積極的につなげる 可能性 (市場を使って言語的多様性を守る可能性) を若干検討していきたい. 少なくとも小さな単位 (ひと つの中小企業, 狭い地域共同体次元) での市場的成功は決して夢想的ではないという発想, すなわち 「草の 根次元」 での市場的努力・成功の可能性だ‐ たとえば, まさに 「手作り」 とも言うべき次元での村・街づく 9を市場の肯定面として高く評価する井上達夫は次のように述べる‐ )* 「草の根資本主義」 りの実践 ( 「重要なのは, 世間がオーソライ ズしてく れたもの しか認めないという態度を捨て, 自分で新しい価値を作 っていく気概です. たとえばダサイ とされたものの価値の逆転を図るく らいのガッツ がなければ. そういうこ とば強い個人しかできないというのは, 甘えですよ‐ 潜在的なニ ッチはいっ ぱいあると思う.」 (金子・井上, 1999 32). :. 潜在的すきま論を抽象的に主張しても, 事柄がある種の市場戦略に関わるだけに説得力に欠ける だろう 116.

(6) . 市場の力と権利の力:言語権から考える. そこで非常に簡単にではあるが, 少数言語と市場の結びつきの事例を一瞥したい‐ トル コ 国 内 で抑 圧 さ れて いる ク ル ド語 を守 る ため に トル コ 国外 か らの ク ル ド語 衛星 放 送 (Med ) が行 ‐TV 0 こ れ は言 語 権 保 障の 問題 であ る と と も に小 規 模 なク ル ド語 市 場 が成 1 わ れた が (Ha 1999 235 )* ssanpour : , , り 立つ 萌 芽 とも 思 わ れる‐ ある い は, ヨ ー ロ ッ パ の 「辺 境 領域 ( lreg i i )」 にお ける 少 数 言 語 に r a ons pe pher 注 目す べ き 経 済 効果 が見 ら れる (G1 in 1996a 24). た と え ば アイ ル ラ ン ドでの 二 言 語 主 義 (英 語 に加 えて ゲ : ,. ール 語 の 使用 ・ 学 習推 進) 奨 励 下 での ゲール 語 関連 の 経 済 的 活動 である. ス プ ラ ウルの先 行 研究 1 1 ここ で ゲール 語 の 市場 的 再生の 試 み を少 し追 っ て いく こ と と した い (Sproun ) に 基 づ いて* 1996 , , ‐. ス プ ラ ウル に よ れ ば, 各地 域 およ び, 地 域 間の 関係 に は次の よう な 経 済 原則 が存 在する という ( Sproun 1996 ). 95 : ,. ・他の地域に対する経済的犠牲なしに失業率の削減ができれば, 各地域合計の総収入は増える ・富裕地域への人ロ流入, 過密化の傾向 ・地域間格差の減少はインフレ防止に役立つ. 言語的少数者が多く居住する地域は経済的に未発展地域である場合がこれまでは多く, そこから少数言語 を経済的障害と捉える考え方が根強く残り続けてきた‐ あるいは, 経済発展と少数言語に関連性はないとす る見方がせいぜいのところであり, 積極的に少数言語 (の存続・活用) と経済発展を絡ませようとすること は稀 であ っ た (Sproun 1996 97 8)‐ そう した 状 況の 中 で徐々 に で はある が, 少数 言 語 を市場 的 に活用 しよう ‐ : , と する 動き が見 ら れる よう に な っ て き た‐ こ こ 十数 年来, 芸 術 ・文 化 ・観光 等 におい て 「ケ ル ト」 関連の もの が流行 し そ の ひ とつ の 鍵 はゲール 語 , で あ る と言 わ れて い る (Sprou l l )‐ ゲー ル 語 へ の 注 目 によ る さ ら なる 経 済 効 果 の 可 能 性 がそ こ で模 1996 98 : ,. 索されつつある. この経済効果とはゲール語関連の商品やサービスが経済的活動および仕事と して成立する こと を意 味 しよう‐. ス プラウルによれば 「辺境」 での経済活動が成功するためには, いくつかの重要な要素が挙げられる (Sprou l l 1996 ). ま ず, 人 ロ 的な側 面‐ 具 体 的 に は, 地 元 住 民 人 口 (居 残 り 組 お よ び出 戻 り 組) 新 規 参 103 : , ,. 入者 (移住者) 人口, そして観光客などの一時滞在者人口である. 何と言っても そこに人がいなければ話 , にならず, 極端な過疎化はある程度解消される必要があろう (もっとも過密化する必要はないが) ‐ 人 ロ増 の 原 因 である と 同時 にそ の 結 果 と して 雇 用 需 要増 が 関 わる 新 規 に 事業 を一 か ら始め る か ある , ‐ , い は事 業所 が流 入 してく る か はと も かく と して 人 口増 の ため に はや はり仕 事 は必 要 である , ‐ で は, 人 ロや 雇用 需要 を大 きく 押 し上 げて いく 要 素 と して はどの よう な もの が考 え ら れる の だろう か そ . こ に は複雑 な 要 因が 絡 み合 っ て いる に違 いな い が あ えて 単 純化 する と どう なる の だろう か その 点 につ い , .. て, ス プラウルは地域経済発展の共通条件と して次の三点を掲げている. すなわち ①その土地への愛着 , , ② 当該 地 域の 固有性, ③ 自信 か らく る 冒 険への 挑 戦 (Sproun1996 ). 104 , :. そこで言語はどのような意味を持つのか‐ ゲール語は果たして当該地域の (経済的) 発展に役立つのか ‐ ス プ ラ ウル はゲー ル 語 と地 域 発展 に関 する 四つ の 仮 説 を提起 する (Sprouu1996 104 )‐ 5 ‐ , :. ①自己同一性としてのゲール語が望ましい ②ゲール語人としての自己同一性が強まれば人ロ定着率が上がる ③ゲール語は住民と旅行者双方にとって魅力的である ④ゲール語の持つ経済的文化的価値によって住民の自信が生まれる 117.

(7) . 大 江. 洋. まず言語と自己同一性の問題である‐ 調査によれば, 今やゲール語は単なる老人向けのものではない. そ こ での ゲ ー ル 語 と は, 当 該 共 同 体 に と っ て の 「一 体 感, 強 み, 文 化 的 誇 り, 自信」 と して 理 解 さ れて いる 8). (Sproun, 1996 107 : …. 次に, 人ロ定着問題‐ 人口流失抑制の肝所は熟練層の地域定着にあると主張されているが, 同時に当該地 )‐ ま た, 9 l 108 l 1996 ‐ 域 の 文化 (ゲー ル 文化) がす た れな いこ と が人 ロ定着 率 と 密接 に 関わ っ て いる (Sprou : ,. 一般に出身地に戻ってくる理由や新しい土地に定着する理由はあれこれあると言われる‐ その中でも重要な ものが, 「親族関係, 文化的魅力および物理的魅力 (ゆっくりとした生活の歩調, 精神的重圧感の低さ, き ) な どである. れい な環 境, 良 い景色)」 (Sproun 1996 114 : ,. 第三に, 差異性を経済的効果につなげるひとつの鍵は観光にあると主張される. ただ, 旅行者自身の選好 が十 分 に 解明 さ れて いる と はま だ言 えな いら しい. また, ここ でも起 業家 たち の ゲール語 に対 する 能 力と 自 ). そ う した も の が原 動 力 と な っ て, ゲ ー ル 的 な も の へ の l l 1996 109 12 覚 が 重 要 と 考 え ら れ て いる (Sprou : ‐ , )‐ 111 1996 「戦 略 的企業 活動 (ma = oun rkedng)」 に結 実 する (Spr ,. 最後に, ゲール語・文化への愛着の問題がある‐ そこで主として担われる商売が 「すきま産業的」 な小規 模商売であるだけに, ゲールヘの愛着から地元で商売をしたがるかどうかが非常に重要となってくる. そう した愛着の重要性は, 非ケルト系の人間がゲール (ケルト) 文化への愛着から新規定着する事例からも窺わ れる. 長 期 に わた っ て 抑 圧 さ れ, 二 級 市民 視 さ れてき た ゲー ル 語 ・文化 で あれ ばこそ, そ の よう に扱 わ れて )‐ 1996 112 5 き た言 語 ・文 化 に対 して 自信 が持て る かどう か が決定 的に重 要 なの である (Sproun ‐ : ,. ( 2 )秩序の三極構造 こうして, ゲール的戦略的企業活動の事例から, 言語の多様性および少数言語の維持発展にとっての市場 の意義が確認されよう. もちろん市場は万能ではない‐ それどころか, 制御されざる市場 (市場原理の席巻) が悲惨な帰結を招くことは論をまたない‐ 市場を生かしつつ, その抑制をも同時に図る何らかの仕組みが構 想 さ れる 必要 がここ にある.. さて, 市場の良さを生かすという発想にとって非常に参考になる秩序原理を井上達夫は構想している‐ そ こでの議論を以下に少し紹介検討 してみたい. 井上によれば秩序形成原理には 「市場」「国家」「共同体」 という主たる三要素があり, それらの良き均衡 こそが求められることとなる. この三者の均衡が崩れる時, それらは 「専制のトゥリアーデ」 なる悪しき状 態を示す. すなわち, ①国家権力が突出して肥大し抑圧専制的な権力をふるう 「全体主義的専制」, ②市場 の力が突出し市場原理によって社会が覆われる 「資本主義的専制」, そして, ③特定の共同体がある種の社 ) 43 998 会的専制を行う 「共同体主義的専制」 である (井上,1 - : . 「共同体アナキ ズム」 とも評されうる共同体の突出には平等性 が広く保障される可能性があるが, 「変わ ) 39 - り者や異端者を迫害する社会的専制に容易に転化」 する危険性も存在する (井上,1998 : . また, 「地域 1 2 )* 59 : 間の公正の貫徹や人権保障」 などにおいて国家の役割は非常に重要であるとされる (井上,1998 . もちろん, 国家の役割の重要性を認めたからと言って, 国家突出 (抑圧国家) の危険性は忘れられるべきで はな い.. 市場, 国家, 共同体というそ れぞれ役割の異なった三者の均衡抑制こそが 「自由が生息しうる 『よく秩序 ). 日く, この 「秩序のトゥリアーデ」 構想 43 づけられた社会』」 になり得ると井上は述べる (井上,1998 : (秩序の理念型としての良き均衡) があるからこそ, ①三者の中のひとつの原理を絶対化する危険性や, ② 1 3 )* 60 1 三極 の 崩 れ方の 社会 ごとの違 い にわ れわ れ は気 づ く の である (井 上, 1998 ‐ : ‐ 118.

(8) . 市場の力と権利の力:言語権から考える. 市場, 国家, 共同体の均衡抑制を主張する井上の秩序構想は三者それぞれの重要性を示すとともに 一要 , 素の突出の否定面を鮮やかに示す点で示唆深い. むろん, 具体的な均衡のあり様についてはさらなる検討が 求められよう. はからずも当の井上が別扶する多文化 (多言語) 主義独特の非常に解決困難な問題 (後述) に対 して, 果 た して こ の相 互均 衡抑 制 論 が ど れだ け解 明力 を持 っ て いる の か という 疑 問 は残る さ らに 現 ‐ ,. 代社会においては 「政府の組織と市場組織との境界線がきわめて不鮮明」 である (新藤 2000 ) という 10 8 : , 一般的指摘もあり, ここで想定される三者がそもそも三つの主体として裁然と分割され得るのかという点も さらに検討する必要があろう. 3. 権利 の力. ( )言語権の発想 1. 市場の専制を防止するために他の秩序原理を用いること すなわち国家や共同体の持つ力を利用するとい , う可能性は以上の通りである. ではこの三者の均衡抑制のみによって基本的に良き秩序は保たれるのだろう か.. 往々にして市場が横暴な時にこそ, 国家および共同体も専制的であったり無力である場合が多いのではな いか. 「負の三者連合」, すなわち市場は凶暴な様相を持って小さな経営単位をすりつぶし 市場寄りとなっ , た国家は市場開放することに専心し, 伝統的な共同体が持っていた相互扶助的仕組みは壊滅状態にあるか , 反対に自律的な個人を抑圧することに共同体が (またぞる) 遮進するという想定である これではいかにも ‐ 暗漉たる帰結が待っているに違いない. ではどんな秩序原理要素をさらに加えれば良いのか ‐ そこに市民的自由・権利の必要性が見出される. いわゆる 「抵抗物」「抵抗の道具」 としての権利 である . 人権を自由市場に対する 「矯正物 (cor )」 と して 捉 える (Sku t r recロves 1999 197 2000 469) 発 ‐Kmga nabb s : : , , 想だ. たとえば, 奴隷禁止制度は 「苦役からの自由」 等の権利と結びつく そうした権利はしたがって自由 ‐ 市場原理 (この場合ならば奴隷契約の自由) に対する制約・矯正物となり得るという論法である* 1 4 ‐ 矯正物 と しての 権利 と いう この 発 想 は 言 語 問題 に おいて 「言 語 権」 と いう 観 念 を生 み 出 して き た , .. 言語権は自らの母語に関する権利としてまず構成される‐ すなわち 本人の自己同一性の中核要素* 1 5とし , ての権利 (母語尊重権), 母語を学習し母語によって教育を受ける権利 (母語学習権) そして母語を公的領 , 域等で使用する権利 (母語使用権) などである‐ 自らの母語が三種類の 「権利」 として保障されることによ って (少数) 母語の生存がはかられていく‐ さらに公用語学習権, つまり自らの母語が公用語と異なる場合 に は, その 公 用語 を学 習 する権利 が決 定 的 に重要 である (大 江 20ooa 6 1 351 )* : - , ‐. 言語権には個人的次元と集団的次元があり得る‐ 個人的次元での言語権保障とは 文字通り領域に関わり , なく 各個人に言語権 (母語権, 公用語権) を保障するものである 対照的に 集団的次元でのそれは特定の . , 言語共同体の維持・発展を意識したものだ. 「人類は隙間なくかつ連続して言語共同体に必然的に組み込ま れて いる」 (We i ber 1964 29 ) と いう 立 場 か ら は 言語 共 同体 な しに各 個 人の 母 語の成 立 を見る こ と はな sge r : , , い‐ そ こ か ら 言 語 教 育 な ど に よ る 言 語 共 同 体 維 持 の 重 要 性 が 説 か れ る (Phi l l ipson & Skutnabb- 民angas1995 488)‐ : ,. 権利 の文脈と は若干位相 を異にする が 市場抑制・ 変容を公共政策によ っ て行う ことがあ り得る , (G1 in 1999b 180J‐ この こ と を言 語の 問題 に引 きつ け て言 え ば 社 会言 語 学 等 に お いて 主張 さ れて き た い わ : , ,. ゆる 「言語政 策・言 語計 画 ( l 1 7 l卸mng)」 がそ れに該 当 しよう* an罫1 agepo五cy agep I 1 ,lmg ‐ 言 語 政 策 ・計 画 と は,合理 的計 画 と いう 形 で言 語環 境 に対 して働 き か ける こ と を意 味する(GI 1n 1999a 18 )‐ : , 119.

(9) . 大 江. 洋. その際に民主的な手続を踏んで各自の言語権保障を促進するようなものは, 合理的・計画的であろうとする 言語政策・計画自体の特徴と相侯って, 有効なものとなりやすい‐ だが問題はそこで終わらない. 言語権保障をめぐって深刻な対立が生じている場合には, 言語政策・計画 は思いの外無力である‐ なぜなら, そもそもどんな状態, どんな言語権保障を目標として政策・計画を行っ ていくかは, それ自身からは導きだされないからだ. 目的と手段とは重なる部分を持ちつつも基本的に区別 可能だとするなら, 言語権保障という目的とその目的達成のための言語計画・政策はとりあえず分けて考え る べき だろう‐. ( 2 )多言語主義・領域主義の難問 )」 や 「多様性 (能α i eけ)」 であ 移民や先住民に対して言語権が与えられる根拠は通常,「公正さ (顔=me s s るとされる. そして, 公正さよりも多様性から言語権を根拠づけることにはいくつかの利点があるとグラン は述べる. なぜなら多様性を用いた方が, ①何が正しいことなのかという正統性に関する煩項な議論を回避 できる, ②公正さと多様性の調整問題 (ディ レンマ) を回避できる, ③多様性の追求は多数派自身の利 益に ). グラ ン が取り 上 げた こ れらの 理 由の 妥当 性 につ い て はさ らなる in 1995 34 も なる と 示せ る か ら である (G1 : ,. 検討が必要と思われるが, ここでは以下に多様性原理に基づいた場合の言語問題をいくつか取り上げて検討 する にと どめ る‐. 個人次元あるいは集団次元での言語権という分節方法はすでに示 したが, グランも言語権・言語計画を二 he t つに分ける‐ すなわち, 帰属集団や領域に関わりなく各個人が権利・政策の名宛人となる 「個人原理 ( ). 後者 の 領域原 理 と l )」 だ (G1 in 1995 35 i lpmコ i l )」, およ び 「領 域原 理 (met : i r = ] c e o r a emt p c e r son紙坪p p pe ,. は特定の領域での言語使用に関する原則をその内容とする. そしてグランは領域原理の有望性を説く‐ なぜ なら, ①言語計画者は 「政治単位 ( po互け)」 というひとつの領域に関して権力を持つ者であり (したがって 領域単位で政策を実行 しやすい), ②領域原理を求める声が現在多く存在し, さらに③領域原理は必ずしも ). 6 1n 1995 35 単 一言 語主 義の 際 限の な い拡 大 を助 長 しないか らである (GI ‐ : ,. 領域主義は単一言語主義を助長しないと述べたが, それは少数言語をつぶすような形で有力言語が無制限 に伸張することを防ぐという視点からのもので, 基本領域単位における単一言語主義自体を排除するもので 立) は重 ) はない (G 995 36 1 in 1 : . したがって, この領域原理において当該言語を話す人口 (言語共同体の成 , )‐ in 37 1995 要 と さ れる (G1 : ,. グランが基本的に想定する状況によれば, 重層的に各領域単位が存在することとなる. 具体的には, 国家 単位, 広い地域単位, 地域共同体の三層構造である‐ そしてそこでは, 対応する政府 (中央政府, 各地方政 府) が言語に対して一定の統制権 (公的次元での言語使用方針, 公用語の通用範囲等に関 しての権限) を持 )‐ たと え ばスイ ス に お いて, 中央政府 ・ 各州 (カ ン トン) ・ 地域 共 同体の 各段 階 つ とさ れる (GI 1n 1995 41 : , ). 1995 39 in で 公用語 が設定 さ れて いる こと な ど が挙 げら れる (G1 二 ,. こうして, 三層構造において各々の言語が 「棲み分け」 できれ ばそれにこしたことはない‐ 領域原理の幸 福なる達成である‐ 非常に小さく区切られた地域単位で少数派が言語権を享受するという発想だ. しかし, 小さい単位で棲み分けしよう と思っても, 完全に言語的に 「一枚岩」(一言語で統一されること) となるの 1 8 は非常に困難である‐ どの地域単位で区切っても少数派は現れる* . いわゆる少数派の中の 「少数派 (当該 1 9 域外に出れば多数派の場合を含む)」 問題が出現する. たとえばカナダ・ケベック州内の圧倒的 「少数派」* )‐ 39 in 1995 : で ある 英 語母語 話者 に対 して どこま で十 分な 英語 使 用 を認める の かという 問題 である (G1 ,. 言語の多様性保障に関しては各言語間の形式的な平等では不十分であるという考え方がある‐ なぜなら形 120.

(10) . 市場の力と権利の力:言語権から考える. 式 的平 等 の 追 求 だ け で は結 局 の と こ ろ 支 配 的 言 語 の 再 強 化 に しかつ な が ら な い と いう 危 倶 (Gr i 1995 38) n : , が存 在 す る か ら だ. そ こ で は, 「多様 性 お よ び 寛 容 を促 進 する 非 対称 性 ( i i 1dtolerabi五坪‐ va r eケー enh zmc ng aI i )」 (G1 ) と いう 考 え 方, つ ま り 少 数者側 を積極 的 に援 助 する い わ ゆる in 1995 46 enh zmc ngas切nmemes : ,. 「積. 極 的優先 処遇 (誠6 naロveacdon)」 的発想 を採 ろう と する 場 合 が 多い‐ r 1. 結局, 多様性を担保するためにはきめ細かい地域単位で言語権を認めていこうとすることは大切ではある が, そ こ に は詰 め切 れて い ない 部分 も 見 え 隠 れする‐ そ こ で, もう 少 しそう した 問題 に検 討 を加 えて いき た L) .. 多様性保障の難しさを多文化主義検討の文脈において井上達夫も考察している. これまで, 「公定」 され る支配的文化がその他の少数文化を抑圧するという点でナショナリズムは多文化主義と衝突し, 両者はまっ たく異なる性質のものだという理解がなされてきた‐ つまり少数派抑圧に関してナショナリ ズムは多数派を 支援する (あるいは多数派そのものとなる) 傾向にあり, 対照的にリベラリズムおよび多文化主義は少数派 擁護 の 立場 だと 想定 さ れて いる の である‐ だが, 支 配 的文 化 を押 しつ け流 通 させ よう と する ナ シ ョ ナリ ズム. と, 周辺化されてきた少数者の文化を復権, 再生させようとする多文化主義は, 「特定」 文化の優先性を強 く 主 張 する と いう 点 で 類 似 性 を持つ と 井 上 は述 べ る‐ 日く, 「エス ニ ッ ク 集 団 や 民 族 的 マイ ノ リ テ ィ の 文化. 的アイ デンティ ティ なるものもまた, 内部の差異を隠蔽抑圧する同化権力の産物ではな いのか」 (井上, 1999 )‐ した が っ て, 多 文化 主 義 的 発 想 と ナ シ ョ ナリ ズム の 間 に は, その 違 い を 「絶対 化 する よう な存 在 96 :. 論的断絶があるわけではない」 こととなる‐ これまで両者がまったく異なると思われてきた背景には, (当 該国の文化を体現する) 多数派によって少数派がそ凱底的に抑圧され, その権利を侵害されてきた歴史的事実 がある (井 上, 1999 )‐ 98 二. もちろん, 文化をめぐる社会的な力関係 (圧倒的な主流派文化の強さ) を考慮すれば, 少数派が強く自ら の文化的維持・発展を求めることは理解できる‐ そして, その維持発展のためには形式的平等では不十分だ と彼らは述べるのである‐ ここでの多文化主義とはあくまで少数派文化の維持発展が目的なのだ. したがっ て厳密に言えば, 「被差別集団の主流派社会への同化統合のために」 (井上,1999 ) なされると解釈され 90 : てきた従来の積極的優先処遇と, ここでの多文化主義は異なるとも言えよう. 多文化主義は各々の民族性を 「小さなナショナリティ」 と見なすことで 「内なるマイノリティ を同化する 権力と化す」 危険性がある (井上,1999 ) 98 : ‐ そこで, 抑圧性のない多文化主義という, 従来の多文化主義 の 変化形 が求 め ら れる こと と なる‐ た と え ばそ の 例 と して 「間文 化主 義 ( lm1 i l i t ÷ n er cu a sm)」 や 「相 互 変容 , 的 ナ シ ョ ナ リ ズム」 の 構 想 な ど が挙 げら れる と井 上 は述 べる (井 上 1999 7 )‐ 井 上 自 身 は, 民 族 文 化 的 96 ‐ : ,. な多様性を保障する課題と, 個人次元での自律性を保障する (個人に対する介入の排除) という課題に対し 2 0 て, 正義理念に基づく両者の統合を主張する* ‐ 領域主義, 多文化主義に見られる難問は, ‐当然多言語主義にも存在している. 言語権保障の具体例として, い わ ゆる 「多言 語 主 義 (mu lmmgu山sm)」 -ひ とつ の 言 語 だ け を共 通語 (旗増 ) と せ ず に より 多く gua 仕組ca 2 1 だ が この 多言 語主 義 を徹扇 の言 語 を流 通 させ よう と する こ と - が提 唱 さ れる に至 る* 底する こ と に お いて ‐ ,. も, やはり少数内少数問題が出てくる‐ 多言語主義の最適な程度はもちろんゼロ (単一言語主義) ではない. だ・が その程度を直ちに 「無限」 , (際 限 の な い 多 言語 主 義) に する こ と が望 ま しいの か ある い は少 なく と も そ れ が可能 か否 か と いう こ と を ,. 考える必要があろう. そこで浮上してくる問題が結局多様性保障の中の抑圧問題 である 燃 .. 121.

(11) . 大 江. 洋. ( 3 )権利の遍在性. すでに述べたよう に, 市場・国家・共同体の均衡抑制関係においては三者揃い踏みの専制的形態 があり得 る. すなわち, 「市場は凶暴な様相を持ち, 国家は専制的で, 共同体は無力もしくは特定の共同体のみが権 力を行使 (濫用) するという想定」 である. そこに, 市場・国家・共同体の均衡抑制関係に還元できない権 利の価値が存在する. 周辺化され抑圧され続けてきた少数者に対して仮借なき市場原理が蔓延し, 抑圧的な 国家権力が猛威をふるい,多数派の共同体が社会的専制を行うことは,むしろ少数者に対する常態であった. 国家は直ちに少数者の守護者となるわけではない. 繰り返しを恐れずに言えば, そこで大きな武器となるも 2 3 の が 「権利」 なの である* ‐ )」 を強く 主張 i fr tnbudono ス ク ッ トナ ブーカ ン ガス は権利 実 行 時 にお ける 「資源 の 再分 配 ( ar ed s esour ces ). た と え ば, 抑 圧 的な教育 機 構 こ そ が言 語 滅亡 の 直 接 的原 因 201 214 i ま ねga す る (S L印mabb 2000 471 1999 ‐K : : s , , , ). 1999 190 だ と して, 言 語 権 を 認 め る 際 に は教 育 上の 言 語 権 が 重 要 で ある との 主 張 だ (Skut ‐Kangas … nabb : ,. つまり, いくら言語権保障を唱えても, 学校教育等で言語教育を十分に行わない限り言語権保障は 「絵に描 い た 餅」 に過 ぎな いという こ と が強調 さ れる.. この 「画餅」 説をさらに一般的な文脈で語ると, それは権利の費用 (コスト) 説と関わる‐ 社会権 (福祉 的諸権利) 保障は給付行政等の国家の積極的役割なしに達成され得ないことは自明である‐ 見過 ごされやす いことだが, いわゆる自由権的権利もその実効性を担保しようとするならば, 裁判制度に代表されるような 国家の 存 在 を必 要 と する‐ この こと を 金銭面 から見る な ら ば, いかなる 権利 に も費 用 が かかるの である. ホ ー ム ズ と サ ン ス テ イ ン 日く, 「権 利 に は 費 用 が か か る. な ぜ な ら, 救 済 に は 費 用 が か か る か ら で あ る」 (Ho lmes& Sunstein,1999 :43)‐. さて, 権利と言えばわれわれは直ちに法的権利を思い浮かべる傾向が強い‐ そこでの権利とは実定法化さ )‐ このことは, 「国家からの i 1993 れ, 訴訟等で確認, 実行される 「強く頼りになる」 権利である (Man n , 自由」 と思われているような権利もその実効性の保障には国家機関の強い実行力 (司法をはじめとした諸国 家機関の存在) が必要であるとの上記の主張からも補強されるだろう. ただし, だからといって権利が持つ 「規範としての力」 を軽んずるべきではない. 権利とは実効性次元につきるものではなく, その守備範囲は もっと広いのである‐ 権利概念が持つ論争喚起能力や強い説得力にも目を向けるべきではないか‐ だからこ そ, 「権利と正義の関係」「道徳的権利」「自然権」 等々の一連の 「もうひとつの」 権利の系列がしばしば論 2 4 じら れるの だ* ‐. 稿を閉じるにあたって, 多文化主義・多言語主義の難問に戻ろう‐ 少数派と, 少数派の中のさらなる少数 者との間の緊張・対立関係は果たして 「権利」 によって調整され得るのだろうか. 特に, 少数派領域におけ るさらなる少数派が当該領域外では多数派である場合-カナダ・ケベック州における英語母語話者などはそ の典型例-を考えてみよう. 113 ) な ど に お いて 侵 害 さ i 1995 ケ ベ ッ ク の 英 語 母語 話 者 の 言 語 権 は, 英 語 標 識 が認 め ら れ な い 点 (Tur - : , French) れて いる とも言 わ れて いる. 英語 母語話者 にと っ てこう した処 遇 は 「単 なる フラ ンス 語 肯 定 的 ( ‐ pro ) と映る よう でも ある‐ だが, こ こ で l i 2000 26 と いう より も反 英語 的 ( i i : ーEng shman & F shman sh)」 (F anロ ,. は感覚的な判断を先行させずに, もう少し分析的に問題を見ていくこととする‐ 繰り返しになるが, 少数者の言語権を認めることとは, そこで少数者の母語権 (母語尊重権, 母語学習権, 母語使用権), および母語が公用語と異なる場合には公用語学習権を保障することである‐ そして, 言語権 が差別禁止として用いられるのか, それとも積極的優先処遇として用いられるのかというような論点, つま り言語権保障の 「程度」 もまた重要だろう. フィ リプソンおよびスク ッ トナブーカンガスによれば, 保障の 122.

(12) . 市場の力と権利の力:言語権から考える. l l ) (Phi l l ipson,1995:79- ipson & 進 展 度 合 い ごと に 以 下 の 各 段 階 が 設 定 さ れ る (Skutnabb-Kangas & Phi 2 5 )* S卿Lmabb-Kz印gas 1995 489 - : ‐ ,. )」(少数言語など特定言語を禁止抑圧する) ① 「禁止抑圧 ( i b i don r oh p )」(特定言語を公的に禁止抑圧することだけは少なくともしない) l ② 「寛容 ( t r auon o e. ③ 「非差別規定 (nonrdisc血 血a檀onprescnpdon)」 (言 語 に よる 差 別 禁止 を唱 える) ④ 「言語権容認 ( )」(少数者などの言語権を公的に認める) ー us i s on peロ ⑤ 「拡充 ( )」(財政措置など具体的な言語権促進・拡充策を視野に入れる) r omoロon p では, ケベックにおける英語母語話者の言語権が侵害されているとしたら, 一体どの言語権がいかなる意 味 に お いて (どんな 程度 で) 侵害 さ れ て いる の だろう か‐ ケ ベ ッ ク で は1 f伍eFr heCh額t 977年 に 「フラ ンス 語 憲 章 ( )」 なる 言語 法 が制定 さ れた‐ t ero enchLang age l l. 以 来, およそ次 の よう な フラ ンス 語 政 策 が採 ら れるこ とと な っ た (Bourh i 1999 257J. s& Ma r shan : , ・ ケ ベ ッ ク での 唯一 の 公用 語 はフラ ンス 語. ・行政, 福祉・社会サービスから, 準公共的機関, 事業, 小売業に至るまでのフランス語使用 ・英語話者にも英語でのサービス保障 ・ フラ ンス 語 しか話せ ない こと だ け での 解雇 は禁止. ・50人以上の事業所での仏語使用 ・移民の仏語系学校の入学奨励・義務 ・仏語標識・看板の徹底 (一部の例外を除く). ケベックにおける英語母語話者の母語権保障 (の程度) について‐ まず母語尊重権に関しては少なくとも ③非差別規定段階までは達しているだろう‐ ただし, 母語尊重権を④, ⑤段階まで保障するということが具 体的に何を意味するのかは不明な点も多い (学習権, 使用権と較べて)‐ 母語学習権については, 英語系学 校が大学に至るまで存在している状況から, 少なくとも④段階までの保障が予想される‐ 母語使用権に関し ては判断が微妙である‐ 標識・看板の問題に注目すれば, ①段階にとどまっているとも言えよう. 一方 英 , 語話者への英語サービスという側面を重視すれば, ④段階までの保障とも考えられる‐ 公用語学習権につい ては, 英語話者にとっての仏語教育・学習の現況によっており, 即断はできないが, ④あるいは⑤の段階と 言 える か も しれな い.. やはり問題の焦点は母語使用権にある- 英語話者側から言えば, 母語使用権が制約されている状況を打破 するために, 英仏語併存と言えるような言語使用状況へと変えていきたいに違いない. だが英語の現在の影 響力を考え合わせると, それでは英語の (将来的) 席巻を招きかねないとの危倶が仏語話者側から出される だろう‐ 抽象的次元において明瞭な解決策はなかなか求めにくい‐ また, 移民等の他の少数派は次のように主張するかもしれない. 英語母語話者はまだまだ 「優遇」 されて いる‐ な ぜ な ら, 英 語 の 持つ 通 用 性 ・力 か ら す れ ば 英語 母 語 話者 はケ ベ ッ ク を 脱 出する こ と も でき る し , , ケ ベ ッ ク 内 にお い ても 英 語 だ けで十 分 暮 ら して い ける 地 域 (モ ン トリオ ール や ケ ベ ッ ク 西部地 区等) が存 在 して いる‐ そ れ に較べ て わ れわ れの 母語使 用 権 はほと ん ど無 に等 しい と* 2 6 , ‐. おそらく歴史を含む一切の具体的文脈を捨象 した 「母語権使用」 の対立は 現実には非常に調整困難であ , る. 仮に黒白をつけるにせよ, やはり各々の権利主張の背景にある具体的文脈の検討を抜きにしてそれは実 行不可能に近い‐ 秩序の三極構造の構成要素たる市場, 国家, 共同体に加えて, 市民の側の権利の重要性を 123.

(13) . 大 江. 洋. ここまで唱えてきたが, 拡張的に権利概念を捉えようとする著者自身の立場 (権利の遍在性) からは権利間 の緊張・衝突は不可避的だ‐ その際に, 問題が複雑になればなるほど権利を 「問答無用の切り札」 とするの でなく, むしろ相手を問答に引き入れるための切り札と見なすべきである. 本質的な点は, 権利というかた ち (外形) だけにあるのではない‐ その権利を構成する実質的な中身にあるのだ‐ 確かに権利を用いたとし ても, 難問に対する簡便な解法とはならない‐ ただし, 権利主張という形式を採ることによって, われわれ は主張を再吟味する機会に恵まれる. そのことが少数者問題に代表される難問を解きほぐす手がかりとなる だろう‐. 註 * 1 社会生活にとって不可欠な言語使用とは文字言語の運用に限られない‐ 無文字社会での偉大な口承文化を想起されたい‐ また, 音声言語のみが想定されるべきものでもない (たとえば口話法 「のみ」 をろう (聾) 者向けの言語使用法と見なし て, 手話の持つ多様な言語世界を切り捨てることなど) ‐ ろう者を 「聴覚障害者」 として (だけ) 位置づけるのでなく, ). ) (Pa i ), 1996 「文化的・言語的少数派」 と捉 える考え方も現れて来つつ ある. 参照, (石川 ・長瀬編, 1999 r as n s( ed . *2 たとえ ば 太平洋 諸 島における 言語 的 多様性 が どの よう に失 われてい っ た か につ いて 詳細 に検 討 したもの と して (Mu ‐ , ) がある. h l haus l 1996 e r , *3 トルコの人権状況につ いては 人権保障監視組織 である 「人権の見張り (HumanRights Wa t ch)」 の報告 (Html皿 Rights , Wa hhw lw/wr 2k ] を参照せよ‐ 298) [h 1999 //www‐ t ch org/h : t軍: . ,. 塾 国家, 市場, 共同体, 権利という四要素が錯綜する現代的文脈の中で少数派の生存・発展をいかに図っていくのかという 非常に 「熱い」 論題は, むろん言語問題に限ったことではない. 「地方の時代」 と持ち上げられながら, 未曾有の財政危 機に陥いりつつある地方自治 (体) の再生に代表されるような 「応用問題」 は山積している‐ *5 こうした全世界化に対 して無政府主義 的な反応・反抗が見られるとの指摘もある (Kahn )‐ 1999年にシア トルで行わ 2000 ,. れた世界貿易機関 (WTO) 閣僚会議への戦闘的とも言える反対行動はその典型例だろう‐ なお, 世界貿易機関の問題性 指摘につ いて は (Wauach&Sあr za. ds ), ) を参照せよ. 1999 ‐. * 6 また, こうした市場化傾向は, いわゆる新自由 (保守) 主義の一環として理解することもできよう‐ たとえば神野直彦は 『システム改革』 を主導する新自由主義の主張は, 中央政府から地方政府への責任移譲. 公共部門か 次のように述べる‐ 「 ). 37 ら民間部門への 責任移譲, 家族と地域社会への責任移譲 が三位一体となっ たイ デオロギーなの である‐」 (神野,1998 : *7 言語経済学の概 要につ いて は (GI ) を参照せよ‐ 1n 1996a・b・1999 , , *8 たとえば市場に対して各自が持つ印象の違 いを鮮やかに示すものと して, (金子・井 上, 1999 ) を参照. *9 参照 (吉津 1992) , , ‐ *10 ハ ッ サ ン プールによれば1999年4月 にMed …TVはそ の放 送免許 が申請 国英国において取 り消された‐ だが, 引き続き1999 238 )‐ 1999 l如 副÷ 年5月からBnb amr rv (CTV) でクル ド語による放送が続けら れていると いう (Has : s組pour sCu , *11 その他にも (Wi鉱a ) を参照せよ‐ 1999 n ns , ,. * 1 2 福祉的諸施策を実行していく国家の任務と同時に, 従来 「国家からの自由」 と思われてきた自由権等も費用の点や最終 1999) (大 江, lmes & Suns i t 的 な 実 効性 の 観点 か ら は国 家 を前提 と する と いう 点 につ いて は後 述する. 参照, (Ho e n , ) 2001 ‐ *1 3 たとえば井 上 はこう 述べている. 「権力抑制原理と しての重要性と, 放縦への転化の 危険性という消極 的自 由の ディ レン. マへの対処への道は, 国家・共同体の抑圧に対する脱出口としての市場と. 市場の放縦化に対する制御装置としての国 家・共同体との間の抑制と均衡に求められます. 積極的自由が挙む自律と自治の葛藤の調整は, 自律と自治の生息地を それぞれ市場と共同体が提供し, 国家が市場の自律促進機能と共同体の自治促進機能の分化と両立を図るとともに, そ 42). れぞれの機能不全を補完する役割 を果たすことによ っ て可能になるで しょう‐」 (井上, 1998 : *14 ただし カンガス は全世界化の 危険性 を強調するあまりに, 権利と市場を二項対立化させ過 ぎている ようにも 思われる. . *1 5 各 個 人 が 持 つ 独 特 の 精 神 世 界 は 十 分 な る 母 語 獲 得 なく し て は 成 り 立 ち 得 な い‐ こ の こ と は ヴ ァ イ ス ゲ ル バ ー 124.

(14) . 市場の力と権利の力:言語権から考える. バ 一 説 か ら 学 ん だ 母 語 理 解 に つ い て は, (大 江, が (We i sgerber ,1964) が 説 く と こ ろ で あ る‐ 筆 者 ヴ ァ イ ス ゲ ル ) を参照されたい‐ 20ooa 361 : - *16 本稿に おいて は言語権概念の検 討をまとま っ た形 で行う 余裕がない‐ 別 稿 (大江, 2000a ) を参照 されたい‐ 言語権 (研 l (eds ), l l 1999) ), i 1995) (K0nt ta 究) の あ ら ま し を 示 す も の と して, (Skutnabb rae -Kangas & Phi pson (eds . ‐ ) な どが, ま た言語 権に 関する 人権文書 を本 格的に整理 したものと し ) (言語権研 究会編, 1999 ), (Ph 2000 i頚pson ( ed . ) がある‐ て (deVa 1996 r ennes , *17 参照 (Wa 1998 346)‐ rdhaugh : , , *18 完全なる棲み分 けの困難性 を グラ ンも認め ている. と言 っ ても彼 は. 棲 み分 けによ っ て消耗 しき っ た国 はないとも強調 )‐ する (G! in 1995 3940 : , *19 1996年時点 でカナ ダ全土における 英語母語話者対仏 語母語話者の 人口比率は60%対23%である の に対 して, ケベ ッ ク州に 1999 252)‐ i おいて は完 全に逆転 し, 9% (英) 対81% (仏) になる (Bourh : r s& Ma sh辺, *20 そう した統合に関 して井上 は次 のよう に述べて いる‐ 「私自身の政治哲学的立場につ いて一言するなら. 自律か多様性 か. うべき公共的理由を政治的正当化に要請する正義の理念をリベラリズムの基盤と ではなく, 自他双方の視点から受容し. し, 自律と多様性 を正義理念 によ っ て媒介すること によ り 多文化 主義の洞察をリベラリ ズム に取り込 むことが可能であ ), 「自律と 多様 性 を単 に対置させるの で はなく, 正義を 基底にする こ とにより両者 ると考えて いる.」 (井上, 1999 110 : )‐ を総合 したいと思 っ ています」 (金子・井 上、 1999 7 : *21 多言語主義につ いての概説 と して参照 (Edwa ) (三浦信孝編, 1997 )‐ 1994 rds , , *22 参照 (G1 )‐ in 1996a 26 : . ,. * 2 3 法 (権利) 概念の 「普遍主義的要請」 を示唆する井上達夫は普遍性についてこう述べる‐「普遍性を唱えるということは. ローカルなコンセ ンサス の虚 構の 中 で抑 圧さ れていく 『違 っ た声』 に発言する機 会を与える ということなのです. 政治 的機能から表現す れ ばマイ ノリティ 保護ということになるのでしょ う が-」 (佐伯‐井上, 1999 )‐ 96 : *24 権利概念の特質につ いての筆者自身の今のところの見解と して (大江 1999・20oob・c ) を参照 さ れたい. . 、 *25 参照 (大江 20ooa 355)‐ : . . *26 少 し次 元は異 なる かも しれ ないが 多言語 的社会にお ける 公用語 (ある い は国際 共通語) をそも そ もひとつ あるいは複 . 数の有力 「自然言 語」 に 固定化すること に問題がある とも 考えら れる. 世界的な英語公用語化問 題にもつ な が っ ていく 自然言語と公用語 (その平等性 問題) につ いて は, 稿 を改めて是非考えてみた い‐. 参考文献 石川 准‐長瀬修編, 1999, 『障害 学への 招待: 社会, 文化, ディ ス ア ビリ ティ』, 明石書店‐ 井上達夫. 1998, 「講義の七 日間:自由の秩序 自由の秩序」 『新・哲学講義7: 自由・権力・ユー ト ピア』、 岩波 書店‐. ----,1 9 9 9 ,「多文化主義の政治哲学:文化政治のトゥリアーデ」 由井・遠藤編 『多文化主義のアメリカ 揺 ら ぐナ シ ョ ナル・アイ デンティ ティ』, 東京大 学出版会‐. 大江洋,1 9 9 9.「権利と関係性」、 立教法学,5 3号- 一--,20ooa, 「言語 を権利 と捉 えること」, 立教法学, 55号‐. 一--,20 o o b,「権利と主張」 日本法哲学会編 『法哲学年報1 9 9 9:都市と法哲学』. 有斐間‐ ---,20ooc, 「関係性 への権利 (-) :子 どもの権利 から権利の再構成へ」, 国家学会雑 誌, 113巻11・12号‐. 一--.20 1 0 0号‐ 、「権利に費用がかかるとは」, 人文論究 (北海道教育大学函館人文学会),7 金子勝. 1999a, 『セー フティ ーネ ッ トの政治経済学』, ちく ま新書‐ ---, 1999b, 『思考の フロンテ ィ ア:市場』, 岩波書店‐. 金子勝・井上達夫,1 9 9 9 0 4号. ,「市場・公共性・リベラリズム」. 思想,9 吉津耕一,1 9 9 2,『 「草の根資本主義」 って何?:手づくりリゾートへの招待状』. 農村漁村文化協会. 言語権研究会編, 1999, 『ことばへの権利 :言語権と は何か』, 三元社‐ 佐伯啓思・井上達 夫, 1999, 「主権国 家にと っ てナ シ ョ ナル・アイ デンティ テ ィ と は? :国旗・ 国歌問題が問いかけているこ 国歌問題が間 125.

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