Posted at the Institutional Resources for Unique Collection and Academic Archives at Tokyo Dental College, Available from http://ir.tdc.ac.jp/
Title
歯周病を伴う骨格性下顎前突の外科的矯正治療例
Author(s)
堀江, 由規子; 宮崎, 晴代; 金井, 由起; 髙野, 正行;
末石, 研二
Journal
歯科学報, 116(3): 245-245
URL
http://hdl.handle.net/10130/4028
Right
目的:成人矯正は歯および歯周組織の加齢変化に加 え歯周病の罹患率が高く,欠損歯や補綴歯が多いた め,治療目標の設定や治療メカニクスに制約が生じ ると考えられる。我々は,5歯欠損を伴い歯周炎に 罹患した成人骨格性下顎前突症患者の矯正治療に対 し,歯周病科,口腔外科,補綴科と協力し良好な結 果を得たので報告する。 症例(事例):患者は初診時年齢45歳0か月の女性 で,受け口を主訴に来院した。20代の頃からう蝕に より#6,56,!4,"6の5歯を喪失し,強度の下顎 spee 彎曲を補うように歯冠長の長い補綴物が臼歯 部に装着されていた。上顎両側側切歯は矮小であっ た。また自覚はないものの全顎的な歯肉退縮および 歯槽骨吸収を認め,下顎両側臼歯部の動揺が著明 だ っ た。Angle 分 類Ⅲ級,overjet −3mm,over-bite 5mm,SNA 80°,SNB 85°,ANB −5°,U 1 to FH 109°,L1 to Mand 68°より上顎の後退と 下顎の突出による過蓋咬合を伴う骨格性下顎前突症 と診断し,非抜歯にて SSRO による外科矯正を行 うこととした。 はじめに歯周病科にて SRP を中心とした歯周治 療を約1年間行いポケット値などの改善をはかっ た。上顎臼歯部ブリッジは除去して Tek に交換し 歯冠高径を変更しやすくした。術前矯正治療は下顎 から開始し,上顎臼歯部にレジンを築盛し咬合挙上 してから上顎の排列を行った。手術は SSRO によ り下顎を7.5mm 後方移動した。顎間固定は歯の負 担軽減のためワイヤーのフックは使用せず顎間固定 スクリューを用いた。動的治療期間は4年4か月を 要した。矯正治療後の補綴処置のため,マルチブラ ケット装置の除去は一度に行わず臼歯の補綴を優先 し次に前歯の補綴を行った。治療は長期間を要した が,前歯部の適正な被蓋と緊密な咬合が得られた。 装置除去後も各科で定期的なメインテナンスを継続 し,保定2年で安定した咬合状態が保たれている。 成績および考察:歯周病を伴う成人の矯正治療では 歯周病医や補綴医との連携が不可欠である。術前に 適切な診断と炎症の改善を行い,歯の移動量や顎間 固定法を選択すれば安全に治療を行うことが可能で あり,審美的および機能的な改善による QOL の向 上が期待できることが示唆された。 目的:太平洋戦争開戦に伴い「開戦日付8日を毎月 大詔奉戴日とする。」ことが閣議決定された。目的 は国民挙げて戦意高揚をはかることであり,その日 は17年1月8日から終戦月まで合計44回あったこと になる。本学でも儀式を行ったことは散見される が,更に記念講演を可能な限り開催していたことが 演者の入手した資料で発見された。本学戦中史の空 白を埋める史実として報告する。 方法:演者の父(以下「学生T」と略)は本学51期 生で昭和17年4月入学20年9月に卒業したが,在学 中の生活記録を日記で詳細に残していた。父の死後 遺族として私の責任で大詔奉戴日(以下「奉戴日」 と略)関係の記録を抽出し,整理した。更に日記の 正誤を検証すべく,歯科学報と51期卒業生が卒後残 した著作等の文献記録を調査し,他学の記録を可能 な限り入手し比較検討した。 結果:学生Tが奉戴日儀式に出席した機会は判る範 囲で約20回だったが,学生後半期には記録が曖昧で 不明な部分もあった。多くの場合当日は朝始業前1 時間ほど早く登校,厳粛な儀式を行っていた。引き 続き,時には著名人・有識者等外部講師による講演 が1∼2時間の範囲で開催されていた。その回数は 記録として立証できる範囲で14回,講演者内訳は軍 関係3,政界2,報道界3,歯科外の学界関係5, その他1であった。日記では19年7月が最後であっ た。歯科学報では主要な節目に限り詳細な記録があ り,それは17年1月の第1回,同4月,12月には開 戦1年の記念日行事が記述されていた。更に学報19 年5号では「講演が19年7月で最後」と見られる記 述があった。学報は政府の令により19年6号をもっ て休刊措置となっており,以後文書による立証根拠 はない。他学関係では日本歯科医専の学会誌記録に 「奉戴日に式を行った。」記録が日別に箇条書きで 記載されており,記録としては本学よりも確実で あった。しかし記念講演のような企画行事は見当た らなかった。 考察:儀式そのものは定例行事で形通りの進行だっ たと思われるが,同時に当初は毎月のように記念講 演を企画していた実行力には驚きであった。その講 演者をどのような基準で選定していたかを今知るこ とは出来ないが,血脇・奥村両先生が培われた人脈 で実現した部分もあるように思われる。私見ではあ るが,戦時下にあっても「歯科医師たる前に人間た れ。」の精神で企画されていたのではないかと推測 した。