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念仏と懺悔

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Academic year: 2021

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称佛六字、即嘆佛→即餓悔、即発願廻向 とある中の﹁称佛六字:⋮即餓悔﹂の意趣を親驚が平易に噛み砕いて示したものである。ここで何よりも注目される ことは、﹁南無阿弥陀佛﹂と六字の名号を称えることが、おのずから佛徳讃嘆になるのみならず、俄悔することにも なるという事実が指摘されていることである。ここに述べられている言葉に秘められた思想は、二千五百年余りの遼 遠な佛教の歴史に照らして見るとき、実に深甚な意味合いを帯びた発言であることが痛感される。このことは、繊悔 銘文中の ﹃尊号真像銘文﹄︵本︶に親鶯は次のような言葉を記している。 ① 南無阿弥陀佛をとなふるは、すなわち無始よりこのかたの罪業を繊悔するになるとまふす也。 これは善導の別徳を讃えて、智栄が善導大師の真像に誌した銘文を親鴬が解説して述べた言葉である。これは智栄の

念佛と熾悔

坂東

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ということが、佛教においてのみならず、凡そ人間の宗教的体験にいかに重要な地位を占めるものであるかに思いを 致すとき、一層明らかに感知されるのである。この短かい発言には色灸な意味合いが籠められていると見られよう。 例えば、浄土の教法を聞信する念佛者にとっては、その救済成就に当って、事改めて峨悔するということは何等必要 とせられず、只六字の名号を素直に称えさえすればよい、という教えをここから汲み取ることもてきるであろう。そ の場合、称佛六字は一体どのような性格をもったものであろうか。果して無信但称の機械的な口称でも事足りるとい うことであるのか。あるいは、至誠心・深心・廻向発願心等のいわゆる三心を具足した称名念佛がここに暗黙の裡に 意味されているのかlが必然的に問題とならざるを得ない。何れにしても、ここでは、称名念佛に、いわゆる峨悔 と同等の資格と価値を付与した善導に、親鴬が心底から讃意を表していることが明らかに看取されるのである。ここ ではまた、南無阿弥陀佛と称えることによって、その都度犯した罪が峨悔されるというのではなくして、﹁無始より このかたの﹂罪業が繊悔されていることになるという。これは称名が現在だけでなく無限の過去に係わっているもの であることを暗示している。﹁無始よりこのかた﹂とは、また、単に時間的に過去に遡ることを意味するのみならず、 自己の自覚に上らぬ所謂無意識的罪業をも包括するものと考えられよう。しかしながら、この短かい発言で最も注目 される点は、称佛六字が無始よりこのかたの罪業を﹁俄悔するになる﹂と表現されている事実であろう。ここでは臓 悔という宗教的行為が自己のはからいに立つ意識的行為であることが明らかに否定し去られている。そして特別に隙 悔として為す行為でなく、六字の名号を称えることがおのずから俄悔という宗教的行為と成っているのであるという。 しかもこれは親鶯自らの主張的発言ではなく、親鶯が智栄の銘文について述べた解説的言辞として表明されたもので あるだけに、一層その控え目な表現に宗教的意味合いの深さを暗示している。殊に親鶯の場合、先覚の諸師の言葉に よって自己の所信を披瀝するのが特色であったと見られるからである。したがって、われわれは称名念佛という形に おいておのずから為されている餓悔こそ真に餓悔という名に値いするものであるという確信がここに裏打ちされてい

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ると見ることもできるであろう。 ﹃観無量寿経﹄の中には、南無阿弥陀佛と称えることが、五十億劫、乃至、八十億劫の生死の罪を除くことになる という思想が見られる。隙悔と滅罪とは表現こそ異なれ、相互に不離なるものと見散されるが、一般に量的無限は質 的な相異を暗示する場合が多いことを考え合わせると、称名によって自己の記憶にある無しを問わず、一切の罪業を 離れることができるという思想がすでに﹃観経﹄に説かれていると見ることができよう。唐の善導はこの﹃観経﹄解 釈に多大の貢献をなした事は周知の事実であるが、他方その深い餓悔思想は浄土教史上の白眉とも言えるであろう。 善導に﹃観経﹄を紹介したと伝えられる師の道紳は、その著﹃安楽集﹄の中で次のような言葉を述べている。 今の時の衆生を計るに、即ち佛世を去りたまいて後の第四の五百年に当れり。正に是れ臓悔し、福を修し→応に 佛の名号を称す、へき時の者なり。一念阿弥陀佛を称するに、即ち能く八十億劫の生死の罪を除却せん。一念既に雨 ② なり。況んや常念を修するは、即ち是れ恒に繊悔する人なり。 ここには意図的な性格を帯びた称名とは言え、とも角絶えず称名念佛を修することが、同時に恒に戯侮していること になるという思想がすでに顕われている。この道紳に十年余りの間、しかも二十歳台の多感な青春時代から感化を蒙 った善導が、餓悔思想においても深甚な影響を蒙ったとしても別に不思議はないであろう。善導の場合峨悔思想は、 その﹃観経疏﹄︵散善義︶に示される二種深信中の機の深信の表白として簡明に表わされているが、﹃般舟讃﹄や﹃往 生礼讃﹄等、その他の諸著作の上にも濃厚に刻印されている。例えば、﹃般舟讃﹄には、 まう 敬ひて一切往生の知識等に白さく。大きに須らく漸槐す曇へし。釈迦如来は実に是れ慈悲の父母なり、種種の方便 ③ もて我等が無上の信心を発起せしめたまふ。 と広く儀悔の呼びかけを行なっている。天台智顎によれば、繊悔は衛槐に等しいとして、 ④ 隙は断に名け∼悔は槐に名く。噺は則ち天に漸ぢ、槐は則ち人に槐ず。

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という定義づけを行なっているが、これは、 噺とは自ら罪を作らず、槐とは他をして作らしめず。断とは内自ら菫恥し、槐とは発露して人に向う。噺とは人 ⑤ に差ぢ、慨とは天に差ず、是れを漸槐と名づく。 という﹃浬藥経﹄の思想を受けたものと思われる。このように、もし蹴塊と俄悔が同一の内面的状況を指すとすれば、 同経にこれにすぐ続いて述。へられる 剛偲無き者は名けて人と為さず、名けて畜生と為す。蜥偲あるが故に、則ち能く父母師長を恭敬す。断槐あるが ⑥ 故に父母・兄弟・姉妹有ることを説く。 という言葉は、とりもなおさず隙悔の意味するところを明らかにしていると言えよう。これは、断偲、すなわち餓悔 の心情が人間を畜生と区別する重要な徳目であるのみならず、人間の真に人間たることを確保する絶対必要条件であ ることを示すものであろう。因みにこの箇所は、己が犯した罪に戦く阿闇世王にたいして、宮廷の名医・耆婆が教誠 した言葉の形をとってはいるが、この耆婆の言葉はそのまま釈尊の峨悔観を示しているものと見られよう。 し ⑦ 専ら弥陀の名号を念ぜんには如かじ。念ゐに称名し常に餓悔す蕊へし。 という言葉が見られるが、一方においては、必ずしも称名を伴わぬ餓悔を薦めつつ、またこれと平行して、他方称名 と俄悔とを相即させて述べている点、師の道紳と全く軌を一にしていることが看取されるであろう。 このように浄土教の伝統においては、餓悔ということは、直接的に、あるいは、間接的に称名念佛の行との関連に おいて成り立っていると見てよいであろう。しかしながら、一体何故に称名念佛が餓悔たりうるのであろうか。そし てどのような称名念佛が峨悔として成り立ちうるのであろうか。そしてその場合の峨悔の性格はどのようなものであ るのかI等が問われねばならないであろう。そもそも餓悔という現象の発端は、有限なる人間が己が犯した罪悪な した言葉の形をとってはいる また同じく﹃般舟讃﹂には

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り過失なりの自覚をもつことに発し、それを追悔し、あるいは呵責の念に駆られて心が安んずることを得ず、できう べくんぱ罪障を償って、元の安らかな心境を恢復したいと意識的、あるいは無意識的に希求することをその本来の性 格としているようである。あるいは自己の罪障にこれまで無自覚であったものが、覚者の言葉に接し、佛智に照破さ れて、罪業感を覚え、居ても立ってもいられぬ心境が忽然として生起するに至ることもありうるであろう。そこには 悔いる主体と、自覚に上った対象たる罪障との実在感が共に存するのは当然である。しかしながら、自己と自己の犯 した大小の罪過との意識の存する限り、真の安心は遂に得られぬであろうことは確かである。さればとて罪業の意識 を消除するのに性急な余り、酒・麻薬・享楽等の一時的な逃避手段に訴えても、根本的な解決とはなり得ず、むしろ 更に苦悩を深める結果に終るであろう。﹃混藥経﹄に描かれている阿闇世王の故事はこの苦悩の深刻さを如実に示し ている。真の解決は更に根元的なもの、即ち心の深部における転廻I廻心Iに期待するより外に道はないであろ う。このように臓悔は主、客の二元対立を前提とし、それらを包含しているが、同時に繊悔の深化に従ってその対立 が解消された境地に進めば、隙悔という意識すら消失してしまうことは当然の成り行きである。餓悔の中味でありつ つ、繊悔の出発点であった二元対立の域を脱した次元を強いて区別し、別の呼び名を以てするとすれば、それはいわ ゆる﹁廻心﹂に他ならないであろう。古来﹁廻心隙悔﹂という複合語が用いられるのは、餓悔というものが、餓悔 するものとされるものとの二元対立に発しつつ、その対立の解消された質的に異なる次元をも孕むものであるが故で あろう。キリスト教の伝統において用いられている﹁峨悔﹂を意味する薑§亀惠。量という言葉にも、﹁後思・後悔﹂ ⑧ ︵電§亀︲ごO量︶と、﹁理︵性的直︶観の超越﹂ミミs︲富。硯詠との両義を一語に孕んでいると言われる。前者は否定的側面、 即ち自己の没落と放棄としての隙悔であり︲後者は、肯定的側面、即ち自己の価値性の恢復l廻心︵転心︶lを 内容とした餓悔である。このように、餓悔は自力と他力、自己と自己を超えたものの双方より成立っできごとである ことが、このメタノイァという一語に象徴されている。これはまた佛教の伝統において﹁廻心﹂という言葉が﹁峨悔﹂

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に即して別立された消息をも間接的に物語るものであろう。善導の言葉を以てすれば、前者は罪悪生死の存在の日常 ⑨ 的自我の死、すなわち、﹁前念命終﹂をさし、後者は罪業の繋縛を脱し真の自己を恢復し、いわば新たな自己に甦っ ⑩ た局面、すなわち﹁後念即生﹂を意味すると考えられよう。浄土教のいわゆる往生浄土の体験は疑いもなくこの廻心 隙悔を内容としていることが、ここに改めて知らしめられるのである。 以上の考察によって知られることの一つは、戯悔は、罪障の解消されぬ次元と、解消された次元とを同時に孕んで いるという事実である。換言すれば、餓悔は苦悩の凡夫の上に起る事実であるが、起るというでき事自体すでにただ 事ならぬ事実を告げているのである。全く無自覚な凡夫には餓悔、追悔の心など起り得る筈はないが、繊悔の心が萌 したところには、これまで実動していなかったある働きが開始されたと見ることができる。この実動するに至った働 きを﹁信﹂と呼ぶにせよ、﹁菩提心﹂と呼ぶにせよ、その働きあっての追悔であり餓悔である。従っていわゆる隙悔 は、餓悔という眼に見える現象の背後にある目に見えない働きをも含めての餓悔であるということができよう。餓悔 ⑪ は自己の行でありながら→同時に自己を超えたものの行であり、従って﹁無の行﹂と称されうるといわれることも以 上の意味においてであろう。よってわれわれは餓悔において自力,、他力の混然一体となったすがたを見ることができ る︲と一言準えよ﹄︽ノ。 親驚の和讃の中に見られる次のような洞察もこの辺の消息に向けられたものと言うことができる§ 信心スナハチ一心ナリ 一心スナハチ金 金剛心︿菩提心 心スナハチ金剛心 二

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ふつう、信心や菩提心は人が起すもののょうに考えられがちであるが、親鴬は人に起るままを他力と言い切っている のである。したがって餓悔も自己のはからいによるものではなく、偏えに他力の催起を俟ってはじめて成り立ちうる 行であると言うことができるであろう。換言すれば、心の質的転換を意味する廻心と相即するような餓悔︸﹂そが真の 意味における倣悔であると言えるであろう。 親鶯がその餓悔観に多大の負うところがあると見られる善導大師には、いわゆる﹁三品の餓悔﹂の教説のあること が知られている。すなわち→﹃往生礼讃﹄︵日中讃︶には→三種の餓悔が挙げられている。 倣悔に三品有り。上中下なり。上品の倣悔は、身の毛孔の中より血を流し、眼の中より血を出す者をぱ上品の繊 悔と名く。中品の餓悔は$偏身に熱き汗毛孔より出づ。眼の中より血の流るる者は中品の繊悔と名く。下品の繊悔 ⑬ は、偏身徹りて熱く、眼の中より涙出づる者をば下品の峨悔と名く。 常識的に考えれば∼どんなに深刻な倣悔でもせいぜい熱涙を出して前非を悔い、また救われた喜びを表明するのがそ の極と思われるが、善導大師がここで説いている繊悔のタイプにおいては、それは下品の、つまり一番劣った部類に 属する慨悔にしかすぎぬと見倣されていることが分る。善導の標準からすれば、更にこの程度を上まわる底の餓悔と いうものがあり、それらは眼や毛孔から血を流す位深刻なものであるという。善導大師がここで言外に語っているこ とは、一般の常識で考えられる餓悔は実は本来の餓悔とは全く想像も及ばぬ程異質なものであるということであり、 熱汗に代って血涙や身の毛孔からの流血をもって示しているのは、質的懸隔を象徴的に示すものとも見られうるであ ろう。また一方、一般に重い病状において見られる出血・吐血等の症状は、確かに異常であって、普通当の病人の自 覚を超えた病因による場合が多いことに思いを致せば、餓悔という行為も、戯悔している当人を超えたある働きによ って現出せしめられているという事実が、この場合の流血として示されているとも考えられよう。前者の見方は、一 ⑫ コノ心スナハチ他力ナリ

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見、現実には有り得ぬような流血という象徴的表現をもって善導大師が本当の餓悔が凡夫にはとうてい出来得ぬこと を示していると見るに反し、後者の見方は、正に現実の身の事実としての流血・吐血等の病状を示すものと見、ただ 凡夫の無明の故に、自ら犯した罪業に心は無自覚の儘でいるに反し、身の事実が、主観を超えて、現に罪業を証言し ているとの見方である。何れにしてもゞただここで最も注目す、へきことは、善導はこの教説を述べた後、 ⑭ 応に知るべし。流涙・流血等に能はずと雌も、ただ能く真心徹到する者は、即ち上と同じ。 と結んでいることである。この趣旨を受けて親鴬が と詠んでいることは周知の事実であるが、同時にこのことは、親溌の餓悔観が善導から直接継承されたものであるこ とを物語るものであろう。この場合親鶯は善導の﹁真心徹到﹂なる言葉を、称名念佛に即した他力廻向の信の徹底と 受け取っていることは明白である。 繊悔は本来、真実に照破されて、個人が自己の過悪を如実に知らしめられたところに生ずる極めて実存的な反応と 考えられるが、初期佛教の僧伽においては、それは単に個人の内面的なことがらとして留めて置くことなく、互いに 表白して許しを乞う今へきこととされたようである。現在でも東南アジアの上座部佛教の伝統において行われているい わゆる布薩︵↑一宮富ミミあるいは、官吻員言︶の儀式がそれで、布薩とは、同一地域内の比丘達が半月毎に会合して、 過去半月の間における行為を自己反省し、罪があれば告白・俄悔する行事で、毎月の満月と新月になされるものと言 われる。この時、波羅提木叉︵戒本︶、即ち佛教有団の規律の基本条項の全体を話するのが本来の制度であるが、障 真心徹到スルヒト 金剛心ナリヶレバ 三品ノ隙悔スルヒト、 ⑮ ヒトシト宗師︿ノタマヘリ ヒーr︿

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害があれば略してその一部を語することが許されるという。この場合、波羅提木叉は自己の行為を吟味するに当って の規準となる役割をもつものである。又、この儀式は出家の者に限られず、在家の信者が六斎日などに八斎戒を受持 することも同じく布薩と呼ばれる。この布薩の制度の起源はもと外教にあったと言われるが、恐らく人間性の自然の 成行きとして、このような制度が生起したものであろう。俄悔そのものは兎も角として、この大衆の前における告白 は、しかしながら、必ずしも人間性の自然に相応するとは言い難いであろう。告白される内容、大衆の質、等、時と 場合によって極めて大きな相異が有り得るからである。したがって、どのような場合も適当であるとは言い得ないで あろう。法︵真理︶の前における人間性の平等ということに思いを致すとき、過失を免れ難い不完全な人間の上に、 他の告白を聴許する資格が賦与されているとは思われない。もしあるとすれば、それは﹁法﹂の権威の下に仮に許さ れるのみであろう。隙悔は結局のところ絶対、無限者︵法あるいは佛︶の方から己が身が照らされるところに成立す るものであって、個としての実存が独りその光の中に立つことにこそこの行為の自然のあり方があるようである。以 上の点に思いを致すとき、大衆の面前で、具体的に罪を告白する初期佛教の布薩の儀式が、佛教の歴史的発展と共に 形式化し、あるいは廃されるに至ったことは必然の成行きであったと言えるであろう。これは決して餓悔そのものの 不合理に由来するのではなく、秘事を公開して他の許しを乞うという事実の妥当性に係わり合いをもつものであろう。 このことは臓侮の要素をも含む受戒の制度の変遷の中にも看取することができるであろう。例えば、三師七証という 十人の師の立合いの下に行われていた小乗律に基づく受戒の形式を否認した最澄は、その﹃四条式﹄の中で

ならび⑯

今、天台の年分学生、丼に回心向大の初修業の者には、この戒︵小乗戒︶を受くることを許さず。 か と明言し、十師の中、一人でも閾いたならば戒を得ることができぬという小乗戒に替って、﹃梵網経﹄の十重四十八 軽戒に基く大乗戒による受戒を主唱し、 ひとり 現前の一の伝戒の師を請じて、以て現前の師となす。もし伝戒の師なくんば、千里の内に請ず。もし千里の内に

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と言う。この﹁阿含経﹄のいわゆる二つの妙法のうち、前者が対自的心境であるに対して、後者が対他的心境である ことは明らかである。これは換言すれば同一の心境が内面と外面の二方向から見られたことによって名づけられた名 称の相違であって、決して二つの別個の心境ではなかろう。両者は異った相を呈しつつ相即している。この両者のい わば一体となっている心のさまが、いわゆる餓悔の心情であると言ってよいであろう。このように餓悔には本来、内 も外もなく、自力も他力もなく、私も公もあり得ぬ道理ではあるが、社会的性格をもった人間生活の中において生起 する限りは、時と場合に応じて、内・外等の区別が必然的に生ずることになる。但し何れの場合においてもそこに厳 然として存在するものは、のっぴきならぬ改悔への内面的促しと希求である。 しかしながら、餓侮は以上概観した諸側面の他に、天台智顎が﹁摩訶止観﹄の中で指摘しているように、いわゆる

ふまえ⑰

能く戒を授くる者なくんば、至心に餓悔して、必ず好相を得、佛像の前において、自誓受戒せよ。 と述べている。ここにも、出家・得度の儀式という内省の凝縮された象徴的行為が、深い個の自覚に返された観があ り、いわば一対一で佛に直参するひたむきな姿がある。この小乗戒から大乗戒への転換の根底をなしているものも、 餓悔という内省的営みの極めて実存的な厳粛性の自覚にあると言っても過言ではないであろう。 峨悔と同義と見倣されている蜥含葛︶・槐︵§員昌ご倉︶はそれぞれ初期佛教以来、十大善地法の中に数えられてい ⑱ るが、﹃増一阿含﹄︵第九漸槐品︶にも ⑲ 二つの妙法あり。世間を擁護す。所謂、有漸有塊なり。 と説かれ、蜥塊の徳が讃嘆されている。ここで注意されることは!同じく過悪を差恥することでありながら、伽と槐 の二つに分けて説かれていることである。﹁倶舎論﹄中の定義によれば、 所造の罪において、自ら観て恥づること有るを説いて名けて噺と為し、他を観て恥づること有るを説いて名けて │ 鬼 と な す⑳ ◎

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については、﹁普賢観経﹄に おのずか 何者か是れ罪、何ものか是れ福、我が心自ら空なれば罪・福も主なし。一切の法は是の如く住なく壊なし。是の 如き峨侮は心を観ずるに心なし。法も法の中に住せず。諸法は解脱なり、滅諦なり、寂静なり。是の如きの相をば ⑳ 大倣悔と名け、大荘厳餓悔と名け、無罪相隙悔と名け、破壊心識と名く。 とあるように、罪障や過悪の現象面に留意することなく、自己の心を捕捉しているところの罪から逃れんとし、同時 にその反対概念である福を求める二元相対の分別心の本性が本来空であることを見定めることを薦める。これが徹底 されればこの心的態度は、もはや、餓悔とすら呼ぶ必要は無い筈であるが、事繊との対照上→智頻は敢えて理の餓 悔と呼んだのであろう。日本の浄土教史においては、法然の先駆をなす源信は、その隙悔観の法然に与えた影響は決 して無視出来ない重要な位置にあると思われるが、その著、﹃往生要集﹄においては、明らかに理餓を勝れたものと していることが認められる。すなわち源信は、﹃要集﹄大文第五・助念の方法中の骸侮衆罪の項において、諸種の憧 悔を述べた後、問答を設けて左の如く言う。 問ふ。この中に何者をか最勝とする。 はんに ⑳ 答ふ。もし一人に約せば機に順ずるを勝となし、もし汎爾に判ずれば理餓を勝となす。 この理骸を事俄より勝れたものと見る思想は、事観よりは理観を、称名念佛よりは観念の念佛を勝れたものと見る 天台教学の観心の教学と明らかに並行するものであるが、これは源信自身も述ゞへているようにあくまで、﹁汎爾に判﹂ ② ﹁事俄﹂と﹁理懐﹂とに分けられる。これは隙悔の性格、したがって様式に係わる区別で、この区別に注目すること は、峨悔と念佛との係わり合いを考察するに当って、重要な視点を提供することになるかに思われる。前者は﹁随事 ② 分別餓悔﹂、後者は﹁観察実相骸悔﹂とも称されることからも察せられるように、一方は、具体的な個々の過悪につ いての餓悔を指し、他方は、過失そのものと、過失を犯した主体、の実相を本質的に諦観することに帰着する。後者

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それでは餓悔と称名念佛との結びつきは、どのような歴史的事情によると考えられるであろうか。佛教がインドか ら中国に受容されて、大乗佛教的発展を遂げると同時に、諸種の峨悔・悔過の形式を生み出すに至った。これは所謂 小乗律に基づく布薩の儀式の大乗的な独自の発展とも見られうるであろう。と同時に切実な現実感の必ずしも伴わぬ 形式に堕した側面も付随するに至ったことも看過できない。何事にあれ、形式の完備は、内実の稀薄化を伴ないがち であるからである。諸倉の大乗経典の成立。翻訳と共に、それらに基づく幾多の繊悔の形式が生まれ、それらは悔過 文、峨法︵あるいは繊儀︶として成文化されるに至ったが、それらの拠りどころとなった経典では、﹃混藥経﹄、﹃法 って、称名念俳の形態における峨伽は、事・理の双方に跨がっていると見ることができよう。 事繊より理徴への方向は、峨悔そのものの本質的性格からして必然的、否、自然の趨勢と言うゞへきであろう。したが 何びとにとっても、凡そ倣悔の発端は必ず事峨に在り、事峨を媒介せぬ理餓は有り得ないからである。しかしながら とも考えられよう。理峨は決して事峨の否定ではなく、むしろ止揚されたものと見倣さるべきであろう。何となれば、 る因から見れば事餓でもあり、また果すなわち、念佛によって参入せしめられた境地から見れば、理俄ともなり得る えしめられる第十八願的念佛等、種々の色合いを含み得るものである点を勘考すれば、動機、すなわち称えしめられ の念佛においても、諸行並みの第十九願的念佛、自我意識を混えた第二十願的念佛・自己の計らいを離れて自然に称 もなく理餓でもあり得ぬと見られるが、後世、法然の称名念佛の後を受けて立った親鴛が明らかにしたように、同一 からば、ここにおいて、称名念佛の位置は、一体どのように考えられるであろうか。それは、結局のところ、事峨で ば、当事者の機質によっては事蹟の方が勝れた場合もありうる事は十分考慮に入れての返答と見るゞへきであろう。し じた上でのこと、換言すれば、一般論の上においてのことと見る蕊へきであろう。もし﹁機に順ずるを勝と﹂するなら 三

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華経﹄、﹃華厳経﹄、﹃金光明経﹄、﹃観無量寿経﹄、﹁観佛三昧海経﹄、﹃円覚経﹄、各種の﹃般若経﹄$各種の陀羅尼 類があり、中でも﹃法華経﹄に基づく﹁法華餓法﹂が最も有名である。この減罪悔過の法は中国においては殊に梁時 代以来盛んに行われたことが知られている。また悔過の所依となった本尊等の種類も数多く→薬師、阿弥陀、釈迦、 吉祥天、普賢菩薩、虚空蔵菩薩、地蔵菩薩等があり、後世の発展途上において注意せられることは、個人の罪障の悔 過という原初の性格が更に拡大されて、五穀成熟や病気平癒等の祈願等にも充当せられるに至った事実である。これ は、佛教が鎮護国家の宗教として祈願・祈祷の役割を荷うに至った歴史的事情に基づくものであろう。源信から法然 を経て親樋に至る浄土念佛の発展の過程において、この余りにも形式化し、内実を失っていた悔過の本来の意義が再 確認されるに至ったことは、鎌倉新仏教における宗教的生命の復活と平行して注目さる、へきであろう。そこには祈祷 的要素の払拭と、個人の宗教的生き方の自覚が顕著に現われているからである。 さきにも瞥見したように、臓悔と念佛との結びつきの最も顕著に見られるのは、唐の善導大師であったと思われる。 その拠り所は、主として﹃観無量寿経﹄﹃観佛三味海経﹄等にあったと見られるが;偏依善導一師を標した法然も比 叡山における修学の間において、天台教学の思想的影響をかなり多分に受けていたであろう。したがって、その臓悔 思想においても、法然は必ずしも、無媒介な形で善導を継承していたとは言えないであろう。他方において、﹃往生 要集﹄を通じて浄土門に入ったと語っている法然の前には、源信の存在を無視することはできまいと思われる。何と なれば、源信においては﹁助念の方法﹂の一つとして峨悔を考えてはいるものの、戯悔を念佛と不離のものと見倣し ていたことは明らかであるからである。況んや、﹃法華経﹄に基づく天台教学を真受けにすることを拒否し、法然ま での﹃観経﹄浄土教を新たに﹃大無量寿経﹄を通して見直した親鶯に至っては尚更である。しかしながら∼浄土教の 流れにおける限りは、餓悔の行と念佛との結びつきは決定的なものであったことは歴史の証するところである。その 際問題として残るのは、臓侮との結びつき方、及びその場合の念佛の性格如何である。もし念佛行とは別に薦められ

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る餓悔というものが存在すると仮定せられているならば、その両者の間には直接的な結びつきはないと見なければな らないであろう。あるいは餓悔の行が先づ設定せられてあり、念佛がその際の補助的役割を果す場合も考えられる。 この場合の隙悔と念佛の関係は一致するところもあり、一致しないところもある間柄と見られるが、未だに餓悔が ﹁他﹂の行でなく、﹁自﹂の行と受取られている余地を残している。もし、さきの場合のごとく、両者が完全に別立 せられているならば、その念佛は骸悔を含む諸行並みの念佛であるし、その餓悔も本来自他不二の性格が覆われて ﹁自﹂の行と見倣された峨悔の行であると言えるであろう。この二種類の関連を更に一元化する方向につきつめたも のが、冒頭に掲げた智栄の念佛即餓悔観に他ならぬと言えよう。さきに繊悔の本来的性格を論じた箇処において考察 したように、峨悔が真に餓悔としてあるべきであるならば、峨悔する主体も、餓悔における意識内容たる罪福等の対 象も、共に超えられたものであらねばならない。この境地こそ、その成立の根拠は兎も角として、かの﹃普賢観経﹄ において﹁大繊悔﹂﹁大荘厳峨悔﹂﹁無罪相倣悔﹂と讃えられた心的状況に他ならない。これは明らかに般若・中観 の思想の流れの中にあるものと見られるが、もし、廻心を伴なう峨悔こそ真の餓悔であるとするならば、このように 実体的な主・客の意識が転廻されて、偏えに他力の催起としての俄悔となった念佛こそ真に峨悔という名に値いする 倣悔と言われうるであろう。親鷲の所謂﹁三願転入﹂は、念佛の種類の客観的分類と見らるべきではなく、寧ろ念佛 を称える側の心的状況の批判的分別と見散さるゞへきであることを想起すれば、それはそのまま、餓悔と念佛との関連 にも密接な間係をもつものであることが知られるのである。 3 ② ① 註 ﹁真宗聖教全書﹄二巻五六五頁 一・安楽集﹂︵巻上︶、﹁真宗聖教全書﹂一巻三七八頁 ﹁依観経等明般舟三昧行道往生讃﹄﹁真宗聖教全書﹂一巻六八五頁

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⑳ ⑳ ⑳ ⑳ ⑳ ⑲ ⑬ ⑰ ⑯ ⑮ ⑭ ⑬ ⑫ ⑪ ⑩ ⑨ ③ ⑦ ⑥ ⑤ ④ 百脚一個 = 、 田 = ロ 同 一 ヨ ー , 往 辺 真 右 大 金 生 元 宗 般 光 礼 著 聖 四 浬 明 讃 = , 教 七 桑 経 = │ 鐵 全 七 経 文 へ 悔 書 ・ 上 句 前 道 上 b 第 一 序 と 一 ’ 十 巻 、 - / し 巻 c 九 第

同右八頁

同右

﹁真宗聖教全書﹂一巻六八○頁 ﹃高僧和讃﹂︵天親讃︶﹁真宗聖教全書﹄二巻五○三b 田辺・同書二十二頁 ﹁阿毘達磨倶舎論﹄第四︵分別根品︶。大正蔵二九・一九・a ﹃増壱阿含経﹂巻第九、大正蔵二・五八七・b ﹁倶舎論﹂同二十一・a ﹁摩訶止観﹄︵巻第二上︶。大正蔵四六・十三・c ﹁望月佛教大辞典﹄二・一四九四・C ﹃観普賢菩薩行法経﹂大正蔵九・三九二・Cl三九三・a ﹃恵心僧都全集﹂第一巻一五四頁 ﹃伝教大師全集﹂第一巻九頁 ﹁高僧和讃﹂︵善導讃︶﹁真宗聖教全書﹄二巻五一○頁a 錘全書﹂一巻七○七頁 ﹁隙悔道としての哲学﹄︵田辺元全集・9︶昭和三十八年 こ︵前序︶﹃真宗聖教全書﹂一巻六五二頁 巻第三・釈餓悔品、大正蔵三九・五九・a 十九・梵行品、大正蔵十二・四七七・b 筑摩書房。十八・十九・二十一頁

参照

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