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<書評・紹介> 霍韜晦 : 安慧「三十唯識釈」原典訳註

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Academic year: 2021

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本書は表題の如く三十論安慧釈のサンスクリット原典からの 現代中国語訳を主要な部分とする。著者の濯鞘晦氏は、香港新 亜書院研究所を卒業︵一九六六︶の後、大谷大学大学院に留学し ︵一九六九’七二︶、現在は香港中文大学哲学系講師である。著者 の日本留学中に起草された本書は、以下のような内容で構成さ れている。 一、自序⋮⋮⋮・⋮・・⋮.:⋮⋮・⋮:⋮・・・⋮⋮⋮・⋮:壱l陸 二、唯識三十頌三訳対照⋮⋮。:.⋮⋮⋮⋮⋮.:..⋮⋮⋮一 三、安慧﹁三十唯識釈﹂原典訳註;・・⋮・・⋮・⋮⋮:⋮十三 四、梵文原典⋮⋮⋮⋮:・・⋮・・⋮⋮:。⋮⋮:.⋮⋮⋮一五一 五、梵漢語彙対照::.⋮::・・・⋮:⋮⋮・⋮⋮・⋮⋮⋮二○九 本書の序文には、著者がいかなる動機で三十論安慧釈を中国 語に翻訳するに至ったかが述べられているのでそれを紹介して おこう。中国の佛教研究はしだいに衰えて、すでに長い時間が たっていたが、中華民国初年︵一九二一︶の頃、一時的に関心が

窪霜晦著

安慧

﹁三十唯識澤﹂原典諜註

松田和信

高まり、支那内学院・武昌学院・漢蔵教理学院・三時学会等が 組織され、その中、文献学の分野においては、呂徴℃法尊、特 に後者は十年間もチベットに留まった後、漢蔵教理学院におい て多くの典籍︵菩提道次第論等︶を中国語に翻訳した。しかし ながら、それらは少数の人の活動にとどまり、学術界に反響を 引き起こすことはできず、さらに国難と戦争のため、佛教研究 者たちは一日の安全もなく、また知識人も時代の問題を離れる ことができず、佛教学は机上の空論となってしまい、時代の圧 迫の下、このわずかな幼い芽も若死してしまったのである。か くして世界の学会の発展からとり残された中国佛教界にあって、 著者は、一九六九年秋、ハーバード北京学社の援助を得て、日 本に留学したのである。日本において著者はサンスクリットと チ。ヘット語を学び、西欧における文献学の学風を継承すること をもって、中国の数十年来の研究に欠けていたところを補って、 漢語学界を助けることを自らの佛教研究の目的としたのである。 そしてこのような立場に立って、著者はまず第一に三十論安慧 釈の翻訳を発表したのであるが、それはこの典籍のもつ佛教思 想上の重要性のためであり、さらに著者が以前より研究してい た成唯識論との比較に関心をいだいたからである。例えば、第 三頌﹃不可知執受処了﹄という句にかんする両者の相違点、転 変と見相二分の概念等、さらには真諦の訳した転識論との関係 といった問題が述・へられているが、それらは我、ベにとってもす でによく知られているテーマである。以上、﹁自序﹂の内容を 簡単に紹介したが、次に置かれる﹁唯識三十頌三訳対照﹂は、 85

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三十頌玄英訳と著者による韻文訳、およびそれに言葉を補った 散文訳との対照である。 著者は翻訳にあたって、レヴィ校訂本を底本として用い、寺 本腕雅によるチベット訳校訂本、呂徴の﹁安慧三十唯識釈署 抄﹂、荻原雲来・宇井伯寿・野沢静証の和訳、真諦訳の転識論、 成唯識論と述記を参照し、さらには野沢訳を通してヴィニータ デーヴァの複注をも参照している。そして以上の諸文献の参照 の結果は、訳文に倍する量の﹁註﹂となって示されている。著 者によると、この﹁註﹂の中では、第一に重要概念の原語的説 明、第二に資料の比較、第三に安慧説の整理、第四にそれらの 概念を現代語によって説明することがなされている。次に訳文 についてであるが、著者は最初にできる限り玄英の訳語を採用 することに努めた︵伝統を受けつぐために︶が、一方では、そ れらの言葉に現在の概念と重大な相違があることに気付き、思 考錯誤の結果、著者自身が以前に発表した部分訳︵香港﹁法相学 会集刊﹂第二輯所収︶に対して若干の改訳を施すこととなった。 例えば、以前には﹁変﹂あるいは﹁能変﹂としたg口冒日璽を ﹁転化﹂に、﹁唯識﹂としたぐ旨恩威︲目算国を﹁唯表﹂とい うように。しかし三性説や諸心所の名称等、かなりの部分で玄 英の訳語をそのまま使用している。﹁転化﹂﹁唯表﹂といった 訳語が現代中国語としていかなる︸一ユアンスを持つのか、また 著者がこれらの佛教術語を何を基準にして訳し分けるのか、そ 一一 の辺の事情は筆者には不明である。 さて著者の訳文の疑問点を少し指摘しておこう。︹十五頁十 三行︺閉農園を﹁無対﹂と訳し﹁註﹂において、直訳すれば ﹁無能﹂の義であるとするが、これは鼠農3←閉島国の誤 読。︹十九頁十八行︺呂且目秒を﹁所取﹂と訳すが、この場合 ロ忌目目は朕国司の意味で用いられており︵チベット訳は 鼻の口︶、著者の訳は意味をなさない。レヴィ本二十三頁・本書 六十九頁に出ている弾目四go鼠鼻息・⋮・・云友の一文は偶では なく、安慧自身の注釈文である︵このことは荒牧典俊氏の和訳 にすでに指摘されている︶。︹百十一頁九’十二行︺この部分は 第十七偶にあたる部分であるが著者は次のように訳す。 識転化分別。彼皆所分別。 由此彼皆無、故一切唯表。 ぐ﹄言自国も四国箇目○ご四目菖冒言○ぐゅQぐ房己冨劃昇異 甘口塑菌自己胖蝕言国段蝕目圏討ご四目a蔵号重日礫国詳魚目二 一ヘ ]﹃、、 著者は梵文C句最初の甘口餌を﹁由此﹂と訳し、。﹁註﹂にお いて、これが直前の﹁彼皆所分別。﹂を受け、玄英訳の﹁由此 正理﹂とは異なると述べるが、これは疑問である。この場合の 蔚旨四は偶冒頭の識転変I分別を指しているのであって、﹁こ の︵分別︶によって分別されるものは存在しない。﹂の意であ り、著者の訳文では、玄英訳に引きずられた誤訳であると言わ れても仕方がない。なお第二十四偶については、d句の幽冒国 昌宮ぐ騨巨︺習四罰は、著者も注記しているように︹一三六頁︺円 86

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著者は本書の末尾に付録としてテキストのローマナイズと梵 漢対照の語彙を掲載している。なおこのテキストはレヴィ本そ のままでなく宇井博士その他の訂正をとり入れたものであるが、 ローマナイズする場合の約束事である単語を分書することがな はできないように思われるのである。 ろう。従って﹁不思議﹂という訳を誤訳であると断定すること 記念論集所収︶の中に含まれる﹁世親三部作﹂と同一のものであ って紹介された﹁カトマンドゥの佛教写本典籍﹂︵岩井博士古希 が紹介されている︶。なおこの写本はかって長尾雅人博土によ 所蔵の佛教写本目録§H3口④の巻四十五頁を見よ。この部分 ているのを確認できるのである︵z胃冒]昌缶弓巨ぐ①めazg己 いたのとは別の写本において、この部分が四・旨ご色と伝承され 耳蝕に変えたかもしれないのである。事実、我交はレヴィが用 では﹁無心﹂という観念を排除して、原文を駒。芹冨から四。旨︲ ︵﹃唯識説における真理概念﹄法華文化研究第二号五十九頁︶護法系統 あろうか。すでに勝呂信靜博士によって指摘されているように はそれを誤訳であると指摘するが︹一四八頁︺、はたしてそうで 頭の胃詳冨を玄美が﹁不思議﹂と訳したことに対して、著者 の心はどのようであるのかということを述べるのであるが、冒 第二十九偶にかんして、この偶は、唯識性に悟入した礒伽行者 の点、著者は荻原・宇井・野沢訳の誤りを訂正している。次に 成実性を指すのであって、依他起性を意味するのではない。そ 三 されず、しかもあまりにも多いタイプミス︵この部分はタイプを 複写したもの︶のため、遺憾ながら学術的使用にはたええない。 母日脚目←輿]︺風呂宮里.ご︶︾吾←百﹃つ鼠.巴 、 ︲ずぽ倒顕ゆめ四︵一︲l←ず面酔函四︲⑱騨空︲︵]画旬胃﹄︶︺ロ倭I←戸﹃四︵骨切詞︺印︶ 四彦冒﹄l▼四m口許︵昌函式画]︶、四吋ぐゆ]口色l←印四吋ご酉]回動ロ画︵胃切酌函︶ q■JL0曲 、 ○ぽ四口Q①−+oぽぃワロ①︵﹄、陣の︶四国ロ戸詐画l寸四︶訓巨斥計P郵戸へH切酌]つ︶ 〆 、 昏四]四l←もぽゅ]色︵︺、酔画。︶目色叫声−斗目凶︵昌切ぬい︶ 庁H︼ぐ﹄色盲凶丘lf庁国ぐ﹄ロゴ色ロ︵胃、P、︶Hか四冒騨l←冠篇四・pHか四己騨へ]切史﹃︶

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H”己抑Q葺く侭四くいl︲中門口も脚Q砕く伝四琶四︵]、P]﹄︶め四局ごゆずユ②]四肖拭 −1中m凶引く四ヴュ四]穴沙口︺︵HmPm︶ぐご欧四℃庁洋のI汐剣邑剴騨も詐拝○︵]のP﹄胃︶ 、 胃いく四斥四すふ。l当日ご稗曾式画色つ臼・局︶ヴロ四国遇胃津くが 欠落倉臼・底︶印冨臥四目四国閉園国←砦間宙冒曽口開冨国 ︵旨のいい︶︲ぐ①Q四口脚ぐ許庁I寺ぐ①Q四国脚︲﹃拝へHつい唖︶ / 鼬 口畢、 閏日日閏触冒冨H目烏巴︺←困冒]諒国冒冨叶目鼻息口罷.e ヴロ品息←画冒畠烏︵]患・弓︶煙菖時耳冒←自冨胃辱四○急. 馬︶ぐ目再訂目←昌日岸菌go露.扇︶昌騨日←昌冨冒 言$.届︶匡昌ぐ胃←g自国は︵]$g︶ 最初の十・ヘージだけでもこんな調子であって、一々指摘すれ ば際限がない。また本文中に引用されるサンスクリットも誤植 が多い。また梵漢対照の語彙は宇井博士の作製されたもの︵﹁唯 識三十頌釈論﹂所収︶に類似している。例えば凱国冨君風目甚︲ 目冨に対して﹁転依所成﹂とすることや、昌餉目胃目鼻自笹︾ 園H替冒ぷゅ鼠というような取り上げ方は、自ら索引を作製し たのであれば考えられない仕方である。なおこの部分にもタイ 87

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プミスが多い。ただし、胃①冒紗←胃⑦日四口目閏日P←目目目色口 等はタイプミスとばかりも言っておれない。この部分だけ変化 形で出したというのであれば別であるが。なおこれも宇井博士 の語彙と同一の取り上げ方である。 三十論安慧釈は、レヴィ本が出版されて以来、数多くの人に よって研究され、テキストの訂正がなされてきた。さらに新し い資料の発見によって部分的にテキストの異動が示されてもい る︵ぐ・ぐ①○戸豈巴①﹄、、祠HP四戸①目前具の昏時画目色は︾切目H旨︺、房四鼠百四℃は︲ ず彦山、胃p﹄p庁彦①吋凹命目PCO冒①oは○胃︵蒔門堂︺呉騨昌農ロ四口目の。凰心井口胃騨計⑦凰旦ゆ・営 寺ミ薑昌。、§、q鼠重電吻暑具も。§亀、閣暑嵩急患ミ湧駕昌昌︾皇。.胃︼ 乞訟︶。また我女の見ることのできる写本として、国5冒昌︲ 目意司○局捧号Ppca聾且旨醜昌弓。H匡園o匡唱○固め所蔵の 旨団国I后忌山国がある。これは今世紀になってネパールで書 写されたもので、資料的価値はあまりないが、それでもなお、 次のようなテキスト訂正を我煮に提供する︵頁数はレヴィ本で 示す︶。 命H蹟ロー←計吊賦ロめい庁印ロへ]刃、︶,

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4、 色曾ぐ扉ロロ筐国lYい口ご扉屋号冒四倉いむ 山| の胃ごp︲号胃BpI←9号尉四詐乱目冒ぃ閏くP︲号胃白砂Ⅱ︵急.ご また先に述ぺたネパールの国四は。︺︺昌冑の言ぐ$所蔵の世親三 部作に含まれないいくつかの写本も参照しえたらより完全な訂 正がなされうるであろう。︵もっとも、これはレヴィ自身の用 いた写本であるかもしれない。︶ ともあれ、著者がこの三十論安慧釈を出発点として、より多 くの典籍に対して研究を続けてゆかれることを期待したい。 ︵中文大学出版社・香港・一九八○︶ 一 一 次の要項で賛助︵定期購読︶会員を 募集いたします。会員には本誌を発 行後すみやかにお送りし、本会の出 版物を割引価格でおわけします。 ○年間会費︵二冊分︶ 国内一、七○○円 海外二、○○○円︵円払い︶ ○申込み伽京都市北区小山上総町 大谷大学佛教学研究室 *申込みは郵便振替が便利です。 ︵京都画畠g大谷大学佛教学 研究室︶

賛助会員募集

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