「自敬表現」研究史(一)
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(2) (132) 「 自敬表現」研究史. 敬 語 研究 の歴史 ﹂ の詳 細 な論 考 昭和 一九年 ︶ の第 一篇 ﹁ これ は、 敬 語 研 究 史 が 、 石 坂 正蔵 氏 の ﹃敬 語 史 論 考 ﹄ ︵ 。 を凌 ぐ も の のな い状 況 にあ る こと を考 え ると、 いた し かたな いと ころ であ ろう 石 坂 氏 は、 敬 語 研究 史 の時 代 的 区 分 を 次 の四期 と し た。 第 一期 室 町 時 代 末 期 ま でo 第 二期 江 戸 時 代 第 二期 明 治 大 正時代 ︵下 限 は昭 和 五年 ︶. 現代 ︶ 第 四期 昭 和 時 代 ︵ 、 、 内 容 的 に は、 第 一期 は、 古 典 注 釈 におけ る関 心 と 注 意 、 第 二期 は、 国 学者 其 他 の研 究 及び関 心 第 三期 は 研 究 、 、 、 、 と関 心 で、 日清 戦 争 前 後 で、 明 治 を 二時 期 に分 ち、 大 正以後 を、 第 三小 期 と し て 前 期 中 期 後 期 と称 し 言文. 。 、 一致 、 標 準 語 等 の国 語 問 題 、 国 語 教 育 、 文 典 、 研 究 論 文 、 研究 書 を扱 って いる 第 四期 は 意義 と 影 響 の大 き い学 時 枝 博 士 の敬 語 学 説 ﹂ のみを取 上げ て いる。 説として ﹁. 、 こ の石 坂 氏 の時 代 区 分 は、 ﹁自 敬 表 現 ﹂ 研 究 史 にも適 用 でき るも の であ るが 昭 和 二十年 八月 十 五 日 の敗 戦 を境. 昭 和 二十年 ︶ ま でと し、 以 後 を第 と し て、 日本 の社 会 制 度 が 一変 す る ので、 本 論 文 で は、 第 四期 は昭 和 時 代前 期 ︵ 現 代 ︶ と す る こと にす る。 五期 、 昭 和 時 代 後 期 ︵. 第 一章 第 一期 安 土 桃 山 時 代 ま で. 、 、 敬語 研究史 におけ る第 一期、 即 ち安土桃山時代 ま で の時期 は、 釈 日本紀 仙覚 など の万葉集注釈 仙源抄 など の 、 、 源氏物語注釈 など の古典注釈 におけ る関 心と注意が 主たる内容をなすが 石坂氏 によれば フ﹂の期 の註繹 的方面.
(3) 田 直 敏 西. (133). に於 け る言 語 待 遇 への注意 は、 看 過、 誤 解 、 黙 認 など の為 に、 多 く は、 は つき り し た意 識 を 見 る事 が 出 来 な い。﹂. ︵ 七 四頁 ︶ と いう。 ﹁自 敬 表 現 ﹂ に関 し て言 えば 、 殆 ど 注 意 も払 わ れず 、 関 心も持 たれ て いな いよう であ る。. 仙 覚 ② は万葉 集 開 巻 第 一の雄 略 天皇 御 製 中 の ﹁押 奈 戸 手 吾 許曽 居 師 告 名 倍 手 吾 己曽 座 ﹂ を ﹁フ シナ ヘテ、 フ レ コ. ソ フ ラ シ、 ツ ケ ナ ヘテ、 ワ レ コソ フラ シ﹂ と 訓 み、 ﹁倭 国 者皆 是吾 ミ シ マ所 也 ﹂ と歌 意 を 説 いて いる電 そ し て、. ﹁此 御 歌 詞中 、 押 奈 戸 乎 、 吾許 曽 居師 、 告 名 倍 手 、 吾 己曽 座 句﹂ と特 に こ の句 を取 りあげ て いるが 、 そ れ は ﹁居 ﹂. と ﹁座 ﹂ の敬 語 表 現 に関 す る こと でなく 、 対 にそ ろえ て訓 む べき こと を、 次 のよう に説 いて いる のであ る。. フ シ ナ ヘ ワ ン コソ フ ラ メト点 ス。 又或 本 ニ ハ、 ワ レ コソ フ ラ シ、 ツケ ナ ヘテ、 フ シナ ヘテ、 一本 ノ点 ニ ハ、. テ、 ワ レ コソヰ シカ、 ツケ ナベ テ、 ワ レ コソ フ ラ シト点 ス。 ニ ツ共 ニソ ノ コト ハフ ト ヽノ ヘス。 コレ ニヨリ テ ワ ン コソ フ ラ シ、 ト ト ノ ヘ点 ス ルナリ。 古 人伝 テ フ シナ ヘテ、 ワ レ コソ フ ラ シ、 ツケ ナ ヘテ、 今 ノ占T ハ、 云、 長 歌 ヲ ヨム ナ ラ ヒ、 卜 ヽノ ヘタ ル句 ヲ ヨメルフ モチ テ、其 故 実 ト ストイ ヘリ増. 関 心 は専 ら 長 歌 の句 を整 え て訓 む こと にあ って敬 語 に は関 心 を示 し て いな い のであ る。. 万葉 集叢 書 第 十叢 の ﹃万葉 学 叢 刊中 世篇 ﹄ で は ﹁万葉 抄 上﹂ が仙 覚 の訓 を踏 襲 し、 ﹁ 御 製 の心﹂ と し て、 仙 覚 の. ﹁御 製 歌 意 ﹂ と ほぼ 同文 で 述 べ て い る電 問 題 の箇 所 は、 ﹁日本 国 は 皆 是 吾 し め給 所 也 ﹂ と な って いる。 こ の訳. 自 敬 表 現﹂ に解 し て いた可能 性 が あ るが 、 ﹁ 自敬 表 現﹂ を は、 ま さ に ﹁自 敬 表 現 ﹂ であ る。 し て み ると、 仙 覚 も ﹁ 特 に異 様 に感 じ な か った ので注 意 す る こと も な か った のであ ろう か。. こ の期 に は、 右 のほ か に は殆 ど 取 りあげ る べき も のはな い。 ただ 、 十 六世 紀 後 半 に、 キ リ スト教伝 道 のた め に渡. 来 し た宣 教 師 た ち によ る 日本語 の観察 の中 に、 日本 人 の自 覚 し て いな い敬 語 の特 質 を 正確 にと ら え た記 述 のあ る こ. >一 吉 利支 丹 の敬 語 観 ﹂ の章 で、ワリ ニア ノ ︵ と が 注 目 さ れ る。 土 井 忠 生 氏 は ﹃吉 利 支 丹語 学 の研究﹄o の ﹁ のXS 摯 o. メ シァが 一五 F8 おぶ o 〓 実 ︼ じ の観 察 を紹 介 し て いる。 今 、 そ の中 で、 く﹄ m●目 o︶ と そ の随 員 だ った メシア ︵.
(4) (134) 「 自敬表現」研究史. 八 四年 一月 六 日付 で、 ポ ルト ガ ル の コイ ンブ ラ学 林 長 へ宛 て て書 いた書 簡 の 一節 を引 いてみ る。. 他 の如 何 な る国 語 にも 見 ら れ な い で、 日本 語 のみが 有 す る別 の特 徴 は、 立 派 な 言葉 遣 を 学 ぶ のと併 せ て、 充. 分 な教 養 を積 ま ねば な ら な いと い ふ事 であ る。 大 人 に対 す る のと 子 供 に対 す る のと、 ま た目上 に対す る のと 目. 下 に対 す る のと で、 如 何 に話 す べき かを知 り、 又誰 に向 って話す 場 合 にも 守 る べき 礼 儀 を 心得 、夫 々 の場 合 に. 使 ふべき 特 有 な動 詞 な り名 詞 な り 言 ひ廻 しな り を会 得 し た上 でな け れば 、 何 人 と 雖 も真 に日本 語 を 理解 し た と は言 へな い のであ る電. 敬 語 を単 に言葉 遣 と し て で はな く 、 礼 儀 o教 養 と と も にあ るも のと し て、 そ の本 質 を的 確 によく と らえ て いる。. 宣 教 師 た ち の、 こう し た 日本 語 への関 心 と 研 究 の蓄 積 の上 に、 ロド リ ゲ ス ︵ ︼ ぢ ぎ ”& ﹃ ∞馬 じ の ﹃日本 大 文 典 ﹄. >﹁ ︵ お 鮎” r ●∞8 Q① FB ヨ︶ ︵一六〇 四︱ 一六〇 八年 刊 ︶ におけ る豊 富 な 敬 語 記 述 と詳 細 な説 明が 展開 さ れ 、 初 め て当 時 ﹁自 敬 表 現 ﹂ が実 際 に行 わ れ た ことが 注 意 さ れ た の であ る。. 第 二 章 第 二期 江 戸 時 代. 第 二期 、 江 戸 時 代 の敬 語 研究 は、 国 学 者 の古 典 研 究 に伴 う 注 釈、 語 学 的 研 究 のほ か、 歌 学 者、有 職 故 実 家 、 儒. 者 、 作 家 な ど の随 筆 に見 られ る。 が、 石 坂 氏 によれば 、 ﹁日本 語 が敬 語 法 を中 心とす る待 遇 表 現 の方 面 で頗 る高 度. に発 達 し た も のであ る こと に気 附 いてゐ な いど 、 即 ち、 敬 語 、 待 遇 語 と いう 語彙 の レベ ルで の 個 別 的考 察 にと ど ま って いて、 敬 語 、 待 遇 表 現 の組 織 o体 系 の認 識 には 至 って いな い。. こう し た状 況 の中 で、 こ の時代 のご く 初 期 に出 版 さ れ た ロド リゲ ス の ﹃日本 大 文 典 ﹄ の組織 的 な敬 語 記 述 と行 き. と ど いた説 明 は、 ま さ に抜 き ん で て いる。 完 成 し た ラ テ ン文 法 と外 国 語 の観 察 力 を持 って いた外 国 人 宣教 師 であ っ.
(5) 田 直 敏 西. (135). た か ら でき た こと であ る し、 外 国 人宣 教 師 た ち の日本 語 学習 を効 果 的 な ら し め よう とす る目 的 のも と に叙 述 さ れ た. が 為 の成 果 であ るが 、 こ のポ ルトガ ル語 で記 さ れ た内 容 は、 昭 和 に至 るま で、 日本 人 の敬 語 研究 に影響 を 及ぼ す こ と はな か った。. マカ オ で、 >﹂ 三 全 一 〇 年 に、 ﹃日本 小 文 典 ﹄ ︵ 一六 一〇 年 、 マカオ に追 放 さ れ たが 、 ロド リ ゲ スは、 8 σおお. 、 。 Q” 〓●∞8 ] 3 8 ︶ を 刊 行 し た 土井 忠 生 氏 に よれば こ の小文 典 第 一巻 巻 頭 の日本 語 の特 質 概 説 におけ る敬 語 の. ロド リゲ ス の日本 語 敬 語 論 を要 約 し た も のであ ると いう。 同 氏 の訳 に よ ると 、 次 のよう な内 容 であ る電 条が、. こ の国語 の動 詞 及 び 名 詞 は、尊 敬 o丁寧 o謙 譲 の色 々な関 係 によ つて用 ゐ ら れ る。 即 ち、 身 分 の高 い者 や低. い者 に就 い て話 し、 又 そ れ に向 つて話 す のに は、尊 敬 し 又 は軽 蔑 す る度 合 を 明 確 に示 し た特 定 の語 が あ つて、. そ れ を如 何 な る時 如 何 な る法 にも 用 ゐ る。 又、 名 詞 に接 続 す る色 々な助 辞 が あ つて、 殊 更 に品位 を添 へて尊 敬. し た り、 大 袈 裟 に軽 蔑 し た りす る のに用 ゐ る。 か ゝる動 詞 や助 辞 の用 法 は常 に誰 と 共 に話 す か、 誰 に就 いて話. す か、 誰 の前 で話 す かと いふ人と 関 係 し、 又何 に就 いて話 す かと いふ事 物 と関 係 し てゐ る。 随 つて、 動 詞 や助. 辞 を 用 ゐ る のに は、 必 要 に応 じ て、尊 敬 や 丁寧 の意 を添 へた り添 へな か つた り し て話 す や う に学 ぶ事が 肝 要 で あ る。 公 一 丁表 ︶. 土 井 氏 は、 右 の引 用 文 の後 に、 ロド リ ゲ ス の敬 語 論 と敬 語 観察 に ついて、 次 のよう に述 べ、 高 く 評価 し て いる。. 敬 語 の示 す 意 味 は 待 遇関 係 で あ ると ロド リゲ ス の 日本 語 敬 語 論 は こ ゝに 要 約 せられ て ゐ る のであ つて、. し、 そ れ に尊 敬 o丁寧 ・謙 譲 の三 つの場 合 のあ る こと を認 め、 如 何 な る品 詞 の上 に顕著 に現 れ る かと いふ点 で. 助 動 詞 を含 む ︶ と名詞 の接 辞 と を挙げ 、 更 に又敬 語 が如 何 に運 用 せ られ る かと いふ方 面 にも着 目 し は、 動 詞 ︵. て、 対 話 手 、 話 題 に上 す 人、 同席 の傍 聴 者 、 そ れ ら と話 手 であ る自 己 と の身 分 上 の相 対 的 関 係 及び 話 題 に上す. 事 物 と 人 と の関 係 が 待 遇 関 係 を規 定 す る条 件 と な る こと を明 か にし、 敬 語 を離 れ て の談 話 は存 在 しな い こと を.
(6) (136) 「 自敬表現」研究史. 注 意 し て、 国 語 に於 け る敬 語 の重 要 性 を強 調 し てゐ る の であ る。 敬 語 の主要 な 性質 は、 如 上 の諸 点 で略 ゝ尽 き. てゐ る と 言 つて よ から う。 ロド リゲ スが 日本 語 に対 し て徹 底 し た観察 を 下 し た事 は、 これ によ つても窺 はれ る. が 、 更 に個 々 の敬 語 に就 いて、 大文 典 で具体 的 に詳 述 し た所 を見 るならば 、 当 時 外 国 人 によ つて かく ま で精 緻 な 研 究 が な さ れ た事 に敬 服 せざ るを得 な い であ ら う? 筆 者 も 亦 、 上井 氏 の見 解 に全 く 同感 であ る。. ロド リ ゲ スの行 き とど いた 日本 語 敬 語 観 察 を 示す も の の 一つに、 ﹁ 自敬表 現 ﹂ への注 意 が あ る。 彼 は、 ﹃日本 大. 助 辞 を伴 はな い単純 動 詞 に於 け る敬 意 の度 合 に就 いて、 又、 丁寧 に言 ふ場 合 の規 則 に就 いて﹂ 文 典 o﹄ 第 二巻 の ﹁ の ﹁附 則 一﹂ にお いて、. o自 分 自 身 と か身 分 の低 い者 と か に就 いて話 す の に は、 そ れ ら に対 して敬 意 を払 ふべき でな く、 話 す 対 手 と か. そ の座 にゐ る人 と か に応 じ て、 単純 動 詞 か卑 下 の助 辞 と の複 合 語 かを使 はねば な ら な い電 と、 まず 述 べ て、 そ の後 に、 次 のよう に述 べ て いる。. o●ま ︶ は、 書 状 や渡 航 免 許 状 にお いて、 自 分 自 身 に敬 意 を払 った言 ひ o ﹁関 白 ﹂ ︵ DS ヨ訂 8 ︶ と ﹁公方 ﹂ ︵. 、 く ユ ︵聞 召 す ︶ 9 8 oσ一. くog 独 ヨ 8 匡. 、 な ど 電 奪普 び に 思 召 す ︶. 方 を す る。 これ が そ の文 体 だ から であ る。 例 へば 、 く0お こ”∽ 仰 せ出 だ さ る る︶、 く多 oxI ①〓 ︵ 思召 鶴〓 c ︵ 、 す ︶ B8 匡 8 x一 Oc一. 会 話 にお け る敬 語 表 現 に つ いて説 明 し て いる中 へ、 特 に、 書 状 、 文 書 におけ る、 関 白 や公方 の ﹁自 敬 表 現 ﹂ を持. フ ﹂れ が そ の文 体 だ か ら﹂ と説 いた のは、 会 話 におけ る敬 語 の用法 とあ ま り に変 って いて、 宣 教 師 た ちが ち出 し、 混乱 し な いよ う に配 慮 し た も のであ ろう 。. ロド リ ゲ スに次 いで、 スペ イ ン人 のド ミ ンゴ派 宣教 師 コリ ャード ︵ 口 計 8 ooF 一3 が 一六 一九年 来 日し、 キ リ. シタ ン禁 制 の中 で布 教 し、 三 公 〓一 年 、 宗 務 で ロー マに向 い、 三 全 〓二年 末 、 ロー マに到 着 し、 三 全 一 七年 に ﹃日.
(7) 田 直 敏 西. (137). 、 敬 語 の本質 に 、 。 >口 08日ヨ”け ︻ 本文典﹄ ︵ 8o r ●∞く器 ︶ を刊 行 し た そ の敬 語 論 は 土 井 忠 生 氏 に ﹁ 8 o FB ●︼. ロド リ ゲ スの記述 を踏 襲 しなが ら改 悪 し た点 もあ り、 新 に加 関 し て果 し て明 確 な 認 識 が あ った か否 かも 疑 は しく 、. へたも の は殆 ど な い。o﹂ と 酷 評 され て いるが 、 ﹁自 敬 表 現 ﹂ に注意 し て、 次 のよう に述 べ て いる。. 敬 語 動 詞 は常 に第 三人 称 に従う。 王者 でな いかぎ り自 ら に敬 意 をあ ら わす 者 はな い。 王 者 は自 分 の こと を も 喜 び に思 し召す 。︶ω ュ a げoLヨ霧 c ︵ 次 のよう に云 う。 ︼ 8 8 oげ︻. 仰 せ出 さ る る御法 度 ︶ が あ ざ ︵ コロ び に思 し 召 す ﹂ の後 に、 く0お こ”∽ ”” ヘイ ン語 稿 本 に は、 駕 民 匡 ∞o﹁ な お、 ス。 ると いう ?. コリ ャード の説 明 で は、 ﹁自 敬 表現﹂ が 会 話 か文 書 か は っき り しな いが 、 スペ イ ン語 稿 本 によ ると文書 の ことば に属 す るも のと 見 ら れ る。. 、 こう し た外 国 人 によ る敬 語 観察 に比 し て、 日本 人 によ る考 察 は甚 しく 見劣 りが す るが 問題 を ﹁自敬 表 現 ﹂ に限. って み ると 、 古 典 、 特 に古 事 記 と万葉 集 の注 釈 を 通 し て、 特 異 な敬 語 と し て の ﹁自 敬 表 現 ﹂ の指 摘 と とも に、 ﹁自. そ れ に対 し て、 ﹁自 敬 表 本 居 宣 長 、 鹿 持 雅 澄 な ど ︶ と、 ﹂とば であ る と 見 る説 ︵ 神 や天 皇 の 実 際 のン 敬 表 現 ﹂ は、. 富 士谷御 枝 ︶ とが 現 ﹂ は、 神 や天 皇 の実 際 の ことば ではな く 、 編 者 の立 場 から、 加 え られ た敬 語 であ るとす る説 ︵ 提 出 さ れ て いる のであ る。 これ は注目す べき こと であ る。. 江 戸 時 代 の ﹁自 敬 表 現 ﹂ への考 え方 は、 本 居 宣 長 以前 の宣 長 以後 と で かな り明 確 な線 を引 く ことが でき る。. 。. 宣 長 以 前 は、 ﹁自 敬 表 現 ﹂ への積極的 な説 明 の見 られ な い時 期 であ る。 今 、 万葉 集 の注釈 書 によ って順 次見 て み よ う. 萬葉拾穂抄﹄o 北村季吟 ﹃ 巻頭 の雄略天皇御製 に ついて、 巻一.
(8) (138) 「 自敬表現」研究史. 虚 見 津 山跡 乃 国 者 押 奈 戸 手 吾 そ ら み つや ま と のく に はを しな へてわ れ 許 曽 居 師 生回 名 倍 手 吾 己曽 居師 こそ を ら し つけ な へて わ れ こそ を ら し. と訓 み、 ﹁日本 国 は皆 是 わ か御 座 所 な り﹂ と 説 いて いる。 これ は仙 覚 以来 の中 世 の万葉 集 注 釈 を そ のま ま受 け継 い で いるだ け であ る。 下河 辺 長 流 ﹃ 萬 葉 集 管 見﹄o に は、 ﹁自 敬 表 現 ﹂ に関 わ る注 解 はな い。 契 沖 ﹃萬 葉 代 匠 記‰. 万葉 集 巻 一巻 頭 の雄 略 天 皇 御 製 に ついて見 る と、 歌 句 の訓 み は、 従 前 ど おり であ る。. ワ レ コソ フ ラ シ ハ我 コソ フ ント ノ給 フ古 語 ナ リ。疑 ノ詞 二非 ス。下 同r 此。古 事 記 曰。 雄 略 帝 日、於 ・ 並 倭 国・ 一 精 撰 本︶の 除 皇 口亦 無 /王 卜云 同 心 也 。 ︵ 語 注 も 右 の如 く であ る。. 次 に、 巻 六 天 皇 賜 三酒節 度 使 卿 等 一 御 歌 一首井 短 歌 に ついて見 ると、 ﹁ 自 敬 表 現 ﹂ に関 わ る部 分 、 即 ち ﹁我 者. 将 御 在 天 皇 朕 宇 頭 乃 御 手 以 掻 撫 曽 祢 宜 賜 打 撫 曽 祢 宜 賜 ﹂ に ついて、 次 のよう に注 し て いる。 天 皇 朕 ハ、又今 按 、ス メラ ワカ ト読 ヘシ。ウ ツ ノ御 手 ハ、神 代 紀 上 云。伊 奨 諸 尊 日、吾 欲 /生 〓 鶴 ♯町 ガ タ 召 ∵ ﹂ 。 、 。 能 欠 自 注 云。 珍 此 云〓予 頭 一 喜 延 第 式 八 祝 祈 年 詞 云 御 年 皇 神 前 白 馬 白 猪 白 鶏 種 々色 物 乎備 、 皇 御孫命 能 消︶ ︵ 宇 豆 乃弊 畠 乎″ ざ特党 奉 畝宣 。 ニ ツ ノ祢 宜 賜 ハ、今 按 、ト モ ニネ キ タ マフト ︵ヨム ヘシ。 或 ハ上 ハネ キ タ マヒト ヨ ム ト モ、 下 ハ必 ラ スネ キ タ マフト︶ 読 テ句 絶 ト ス ヘシ。 ︵ 精 撰 本M 敬 語 に関 し て は、 特 に言 及 す る と ころが な い。.
(9) 田 直 敏 西. (139). 荷 田春 満 ﹃萬 葉 集 僻 案 抄 ﹄② 巻 一の雄 略 天 皇 御 製 の語 句 注 を 見 ると、 次 のよ う に説 いて いる。. 吾 許 曽 居 師 と は、 吾 と は、 天 皇 みづ から の給 ふ み ことば 也 。 居 師 は御 座 所 と し給 ふ べ しと 也。. 吾 己曽 座 と は、 上 におな じ。 此対 句 の意 は、 日本 の国 の内 は天 皇 の御 座 所 な れば 、 命 令 を ほど と し て、 何 所 に. ま し ます べき も、 叡 慮 ま ゝな るよしを のた ま ひ て、 須 児 に天 皇 な りと し ら せ給 へる也 電. ﹁吾 ﹂ 以 下 を 天 皇 の発 言 と し てとらえ、 文 意 を尊 敬 表 現 と し て説 いたも のであ り、 注 日 さ れ る。 ﹁自 敬 表 現﹂ と し て踏 み こんだ 説 明 に は至 って いな い。 賀 茂 真 淵 ﹃萬 葉 考﹁. 巻 一巻 頭 の雄 略 天皇 御 製 の語 解 を見 ても、 問 題 にな る ﹁吾 許 曽 居 師 ﹂ ﹁吾 己曽 座 ﹂ に ついて は、 次 のよう に注 し て いる のみ であ る。. 吾 許 曽 居 師 ⋮ ⋮○ 乎 良 志 は、 乎 里 の里を延 た る也 、 古 への天 皇 、 やまと に宮敷 ま し て天 下 知 し めし ヽ故、 只 や まと を押 並 云 々と のた ま へは、即 天 下知 す る事 と な り ぬ。 Ъ 一 一 吾 己 曽 座 。 六一一. ﹁ 自 敬 表 現 ﹂ に ついて、 明 確 な意識 を持 ち、 は っき り し た形 で説 いた のは、 本 居 宣 長 の であ る。 宣 長 は、 万葉 集. に関 し て は、 ﹃萬 葉 集 玉 の小 琴 ﹄ では、 巻 一、 巻 頭 の雄略 天皇 御 製 に ついて、 旧訓 の訓 み のう ち ﹁吾 許 曽 居師告 名 部 手 吾 己曽 座 ﹂ の部 分 を 次 のよ う に訓 み、 これ が 以 後 の定 訓 と な った。 吾許 曽 居 。 師 吉 名 部 手 。 吾 己曽 座。. 、 本 に、 居 師 と師 字 を 上 の句 へつけ て、を ら し と 訓 る は誤 也、こ ゝはを ら しと いひ て は、語 と ヽの はす 又吉 字. を告 に誤 り て、 つげ な べ て、 のりな べ てな と よむ も、 いか 民、 のりな べと いふ こと 心得ず 、 こは必吉 字 也、 し.
(10) (140) 「 自敬表現」研究史. き は太 敷 坐 、 又 しき 坐 国 な ると い へる しき 也 電 但 、 こ こ で は、 ﹁自 敬 表 現 ﹂ に ついて は述 べ て いな い。. 宣 長 の ﹁自 敬 表 現 ﹂ に ついて の考 え方 は、 ﹃古 事 記 伝 ﹄ や ﹃続 紀 歴 朝 詔詞解﹄ に見 え る。. まず 、 ﹃古 事 記 伝 ﹄ で は、 ﹁九 之 巻 ﹂ の ﹁神代 七之 巻 ﹂ で、 ﹁速 須佐 之 男命 詔其 老 夫 。 是 汝 之 女 者 。 奉 於 吾哉 ﹂ に 注 し て、 次 の如 く 述 べ て いる。. ○ 奉 は、 字 のま ゝに多 亘 麻 都 良 牟 夜 と訓 べ し、 ︹旧く 久 礼牟 夜 と 訓 り、書 紀 も 同 じ、 其 は吾 に 奉 ると 云む は、. いか ゞと 思 へる故 の訓 な れ ど も 、 上代 には、 貴 人 は自 のう へを も 、尊 み て詔 ふ こと つね な り、後 世 の心を以 て らず と ②. 疑 ふべき にあ らず 、 久 流 と 云 言 も 、 土佐 日記 う つほ物 語 など にも 見 え て、 や ゝ古 け れ ど 、 な ほ然 は訓 べき にあ. ま た、 ﹃続 紀 歴 朝 詔 詞 解 ﹄ で は、 ﹁第 一詔 ﹂ の ﹁貴 支高 支広 支厚 支大命 乎受 賜 利恐 坐 三﹂ におけ る ﹁恐 坐 三﹂ に つ いて、 次 の如 く 述 べ て いる。. ○ 恐坐 三は、 も と は字 のご と く 、 恐 畏 る ゝ意 な る を、 そ れ 即 承 諾 ふ意 にな り て、 万葉 に多 く 、 天 皇 の 命 畏 み と いひ、 古 事 記 に、 須 佐 之 男 命 の、櫛 名 田比 亮 を、 吾 に奉 む や と詔 な る御答 に、 足 名 椎 の、 恐 奉 む と い へる ミ ラ など み な 然 り、 俗 言 に、 奉 /長 と い ふ これ 也 、 さ て天 皇 は、 御 鰐 の御 事 をも、尊 み て詔 ふ例 に て、こ ゝも坐 畳 と は のた ま ふ な り、 此 たぐ ひ皆 然 り電. 宣 長 は、 ﹁自 敬 表 現 ﹂ が 実 際 の天 皇 や貴 人 の ことば に行 わ れ た も のであ ると断 じ、 ﹁後 世 の心を 以 て疑 ふべき にあ らず ﹂ と ま で言 って いる のであ る。. 本 居 宣長 の影 響 は極 め て大 き か った。 万葉 集 の注 釈 に ついて み ても 、 以後 の橘 ︵ 加 藤 ︶ 千蔭 の ﹃萬 葉 集 略解 ω﹂、. 萬 葉 集 檜 嬬 手 o﹄、 岸 本 由 豆流 ﹃萬 葉 集 改 證 ﹄、 鹿 持 雅 澄 の ﹃萬 葉集古 義 ﹄ な ど の訓 みや ﹁自 敬 表 現﹂ の考 橘守部 ﹃.
(11) 敏 直 田 西. (141). ﹃萬 葉 集 燈 り が 現 れ た。 え方 な ど に明 白 な 影 響 が 見 え、 ま た、 宣 長 の ﹁自 敬 表 現 ﹂ 批 判 と し て、 富 士 谷御杖 の説 ︵. 、 そ の中 で、 宣 長 の ﹁自 敬 表 現 ﹂ 説 を継 承 した岸 本 由 豆流 と鹿 持 雅 澄 の説 と 宣 長 説 の批 判 者富 士 谷 御杖 の説 を見 て み よう。 岸 本 由 豆流 ﹃萬 葉 集改證 ﹄o. 。 ﹁自 敬 表 現 ﹂ に ついて の考 え方 は、 巻 六 天 皇 賜 酒節 度 使卿 等 御 歌 一首 の ﹁天 皇 朕 ﹂ の注 釈 に見 え る. 、 、 、 、 天皇 朕 。 代 匠 記 に、 す めら わが よまれ し に依 べ し。 天 皇 をば 常 に す め ろぎ と申 せど す めら と も 申 す こと 、 、メ メ へ二 キ ′ 、キ シヲ ク レ′ ス メラ ミ ク サ 二 一一 O 加 炒 涯 始 、 安 加 計 計 ひ 酔 十 ヽ 行 売 ル 弊 爾 ヽ 伎 波 米静 “ ヽ 酢 七 和 、 久 升 た ・ 之 乎 ま 例 波 伎 爾 良 久 佐 米 美 に 須 コ 、 叙 ガ 々。 神 護 景 雲 三年 九 月 己 丑詔 に、 久 之 三 云 々な ど あ り て、 続 紀 、 天 平勝 宝 元年 四月 甲 午 朔 詔 に 天 皇 羅我. 。 、 天 皇 良我 御 命 云 々など あ る に てし るべ し。 ま た、 和銅 元年 正月 乙 巳詔 に 今 皇 朕 御 世 爾 当 而 坐 者 云 々 大殿 、 御孫之 幕﹄云 々と あ る は、 専 ら こ ゝと同 じ。 さ て、 こ ゝに天 皇 朕 と詔 た ま ひ ま 皇 我 宇 都 御 子 、 皇一 祭 祝 詞 に、 、 、 、 。 、 た宇 頭 乃 御 手 と も、 祢 宜 賜 とも、 御 自 ら尊 称 し て のた ま ふ は 古 への例 也 書 紀 雄 略 紀 天 皇 御 製 に 野磨 シテ コ 卜 マ へ 、 マ ス、 ホ枠 、 ′ コ シ 、フ ス卜 卜 ヶ ム 、 ホ 作 摩 呼 須 飾哀 謄 簸 、 胸 拠 呼 枠 肺 斯 題 云 等 僣 、 呼 武 胸 静 勝 該 作 、 之 々符 須 登、静 仲枠 挙 僣 酔 登 飾 哀 摩 陛 、 みな こ の例 な り電 々とあ る も 、 御 自 ら尊 称 し て のた ま へり。 紀 に多 か る宣命 も. 。 天 皇 御 製 など 他 の例を 示 し て、 ﹁自 敬 表 現 ﹂ 説 を述 べ たも のであ る こう し て展 開 した 江 戸 時 代 の 詔 、 祝 詞、. 。 、 ﹁自 敬 表 現 ﹂ 説 に理 論 的 な根 拠 を与 え、 明治 以後 の ﹁自 敬 表 現 ﹂ 説 にも 影響 を 及ぼ し た のは 鹿 持 雅 澄 であ る 鹿 持 雅 澄 ﹃萬 葉 集 古 義﹄o. 、 、 江 戸 時 代 の万葉 学 を集 大 成 し たと言 われ る鹿持 雅 澄 は 本 居 宣 長 から岸 本 由 豆流 に至 る ﹁自 敬 表 現 ﹂ 説 に 日本 自 敬 表 現 ﹂ が 備 わ ると 説 いた。 彼 は、 万葉 独 自 の天壌 無 窮 の 当 部年の尊 厳 性 によ って至尊 であ る天 皇 の ことば に ﹁ 。 集 巻 頭 の雄 略 天 皇 御 製 の ﹁吾 己曽 座﹂ の注 と し て、 そ の考 え方 を詳 述 し て いる.
(12) (142) 「 自敬表現」研究史. ○ 吾 己曽 座 ︵ 座 を 拾 穂 本 に居 師 と あ る は、 上 の居 師 を 見 まが へて写 誤 れ るな り、 ︶ 座 は マセと訓 べ し、 御 みづ. か ら し か詔 む は、 いか ゞと おも ふ は後 世 意 な り、 ︵か ら国 に こそ 、 高貴 人 も みづ か ら を謙 退 て、 寡 人 不穀 など. や う に い へる こと常 な れ ど 、 そ はう はべ の へつら ひ な り、 皇 朝 の古 にさ る趣 な る はひと つも あ る こと な し、 ︶. 同 じ天 皇 大 御 歌 に、 阿 具 良 葦 能 迦 微 能 美 畳母 知 比 久 許 登 爾 、 と御 自 の御 事 を よま せ賜 ひ、 既 く 須 佐 之 男命 御 み. づ から、吾 御 心須 賀 々 々斯 と詔 ひ、 八千矛 神 御 みづ か ら、 夜 知富 許 能 迦 微 能 美 許 登 波 云 々、 と よま せ賜 ひ し類. いと多 く、 此 集 六巻 聖武 天 皇 の、 節 度 使 に御 酒 を賜 へる大御 歌 にも 、手 抱 而我 者将 御 在 天 皇 朕 宇 頭 乃 御 手 以掻 撫 曽 祢 宜賜 打 撫 曽 祢 宜賜 云 々、 と よ ま せ賜 へり、 ︵さば か り仏 を信 服 ひ賜 ひ し御 代 にす ら、 な ほ御 みづ から か く 詔 へる に て、 あ な かし こ天 皇 の稜 威 は、 天 下 に又 た ぐ ひ な く 、 尊 く 大 坐 坐 こと を おも ふ べ し、︶ そ も ノヽ 皇 御 孫 命 の御 天 降 り ま し ゝ時 、 天 照 大 御 神 、 大御 手 に天 つ璽 の神 宝 を さ ゝげ も た し て、 豊 葦 原 の水 穂 国 は、が だ 秋 の長 五百 秋 に、 吾 御 子 のし ろ し めす べき 国 な り、 故 皇 御 孫 命 天降 坐 て し ろし め せ、 天 つ日嗣 の隆 え ま しまさ む こと、 天 壌 のむ た無窮 な ら む と 、 こと よざ し賜 へり し、 神 勅 のま にノヽ 、 神代 よ り今 のを つ ゝに、 かけ まく も かた じけ な く も 、 御 世 々 々 の天 皇 命 の、 こ の食 国 天 下 を、 天 雲 のむ か ふす かぎ り、 谷 嘆 のさ わ た るき はみ、 お し へべ て を さ め賜 ひ、 しき な べ て し ろ し めし ま し ま せば 、 天 下 にたれ し の人 か、 わが 大 君 天 皇 の、 大 御恵 を か ゞふらざ る べき 、 か ゝれば 古 ご と 学 す る徒 は、 か り にも後 世 の 邪 説 ど も にまど はず し て、 御 世 々 々 の天皇 は、 やが て大 御 神 の御 子命 にま し ま し て、 現御 神 と 大 八島 国 し ろ し めす こと なれば 、 高 御 座 天 の日嗣 の、 又 た. ぐ ひ なく尊 く か し こく ま しま す こと を 、東 の間 も 忘 る べき にあ らず 、 さ れ は此 大御 歌 を 陶 だ﹂に載 て、 皇 大. 朝 廷 の大御 威 徳 を まづ 示 し た る こと 、 撰 者 の微 意 あ る に似 た り、 あ な かし こ、 ︵ 因 に云 む 、 からく に周 の代 の はじ め つか た、 成 王 と 云 しが 時 に、 叔 父 の周 公 旦 と 云 も のが 、 成 王 に告 た り しと 云伝 へた る詩 、 毛 詩 大 雅 に載 ノ ン コ 夕 、 二メ ヲ ク二 二 ョ ヲ、 ヲ クフ ギす修 ニ 己 上 て人 皆 知 た るが 如 し、 其 中 に、 無 ︻念 ﹁爾 祖 ・ 版 徳 ヽ 永 言酵 ︻ 命 ヽ自求〓 多福 一 殷之 末ン 喪/ 師 ヽ 克酉 〓.
(13) 敏 田 直 西. (143). 万民 を なづ け し たが へ これ成 王 の祖 父 文 王 を法 と し て 其 徳 を修 め、 易 、 と い へり、 帝 ヽ 宜霊 千 殷 駿 命 不 / 一 一 祖 先 にも と り 天命 にそ む も し徳 を 修 む る 心 一日片 時 も 間 断 あ らば 、 て、 子孫 末永 く 天 命 に配 ひ福 を求 め よ、. よ う せず ば あ き て、 つひ に国 を 亡 さ む と、 ち かく 殷 の代 の興 亡 を豊 と す べ し、 天 の駿 命 不/易 甚 難 き わざ ぞ 、. や ふ かりなむ を と 、 いと深 切 に反 覆 し戒 た り、 さ しも名 を 得 し周 公 旦な れば こそ 、 武 王が か ら う じ て取 得 たり. 、 かり. し天 下 なれば 、 い つま でも能 し て人 に奪 われ ぬや う にせ よと、 下 おそ ろ しく そ ゞろ寒 さ に、 天 命 に 託 て深 く. 戒 め た るな れ、 異 国 の風俗 にて はま こと にさもあ る べ し、 あ な か し こノヽ 、 わが 天 皇命 を さ る 王ど も と. 天 照 大御 神 の 御 自 さづ け 賜 へる 皇 統 にま し 天壌 無窮 と 事 依 し賜 ひ て、 にも ひと しな み に申 す べき 事 か は、. 、 ノヽ て、 天 地 のよ り合 のき はみとき は にかき は に、 いく 万 代 を経 ても動 き 坐 ぬ大 君 に大 坐 ま せば 御 代 御 代 の. 天 皇 は、善 も ま し ま せ悪 も ま しま せ其 論 をば す て ゝ、 ひ た ぶ る に尊 み敬 ひ畏 み拝 み て、 か り にも側 よ りう か ゞ 、其 は い. ひ奉 る事 あ た はず 、 た と ひ た まノヽ こ の理 に背 き て、 畏 く も 皇 朝 廷 に射 向奉 れ る械 悪 き賊 奴 あ り ても. く ほど なく つひ に神 代 の古 事 のま にノヽ 、 皇朝 の稜 威 を か ゞや かし て、 た ちま ち にあ と かた な く う ち滅 し賜 へ. 、 、 る事 、 前 々 の樅 跡 に付 て見 べ し、 さ れば こそ異 国 に て は、 天 子 と称 てほ こりを るも のす ら 焼 倖 なれば し. ば しも徳 と 云 も のを失 ひ て、 人 のなづ く べく かま へざ れ ば 、 た ちま ち傍 の人 に天 下 を奪 はれ と られ なむ と おも. ふ 心 よ り、 さ も な き こと にも 心な らず 、 人 に謙 下 り へつら ひ て、真 の心 をば あ ら わ さず 、 う は べ を つく ろ ひ か. ざ る風俗 な るを 、 そ の風俗 と は、 雪 と炭 と の如 く き よく か はり て、 此 大御 歌 に、 押 奈 戸 手 吾 許 曽 居 師 吉 名 倍 手 、 吾 己曽 座 と、 又 たぐ ひなく 尊 く 大 坐 す ことを、 つく ろ ひ賜 はず かざ り賜 はず 、 あ り のま ゝに のた ま へる こと. お ほ ろ か に 誦 過 し申 さず し 此 所 に心 を と ゞめて、 読 たび にか へす ハヽ あ りが たく も た ふとく も おぼ ゆ る を 、. て、 いよノヽ ま す ま す 、 天壌 無窮 皇 統 のかたじけ な く 、 又 なく かし こき ことを思 ひ奉 り て、 皇 朝 を ふ かく 厚 く. 尊 み重 み敬 ひ奉 り崇 へ奉 り て、 かり にも異 国 の風俗 など ゝは似 も よらず はる か にす ぐ れ て、 いみじ き ほど を思.
(14) (144) 「 自敬表現」研究史. ふ べ し、 あ な か し こノヽ 、︶ω. こ の雅 澄 の ﹁自 敬 表 現 ﹂ 観 に典 型 的 にあ ら わ れ て いるが 、 本 居 宣 長 以 下 の言 説 は神秘 的信 仰 的 で 一種 の不可知 論. に陥 って いて、 説 得 力 に欠 け ると ころが あ る。 こ の弱点 を 鋭 く 突 いた のが、富 士 谷御杖 であ る。 萬 葉 集 燈﹄① 富 士 谷御杖 ﹃. 本 居 宣 長 に対 抗 し、 ﹃ 富 士 谷 御 杖 は、 父富 士 谷 成 章 の学 を 継 承 し て、 古 事 記 燈 ﹄ ︵一八〇 七︶o を著 し た。 分析. 的 で理 論 的 な御 杖 は、 そ の ﹁大旨 ﹂ に、 ﹁上巻 非 史 緋 ﹂ を 書 き 、 宣 長 が ﹃古 事 記伝 ﹄ で、 上巻 、 即 ち神 代 を史 実 、. 実 録 と し て扱 った こと を 、 声 を 大 にし て批 判 し、 非 難 し た。 御 杖 は、 これを ﹁言 霊 ﹂ によ るも ので、 人情 世 態 の比. 喩 的 表 現 乃 至象 徴 的表 現 と 解 し て いる。 宣 長 の不 可知 論 への批 判 の 一部 を示す と、 次 のよう な も の であ る。. 伝 のう ち、 す こしも あ や しく 心 えが たき 所 々 は、 か ゝる事 深 く たづ ぬる は から 心な りと み え た り、 さ らば 聞 え ま ぬ ゝにな し おく をば 、 や ま と 心 と や い は ん、 いと お ほ つかなき 事 な り やΨ. 御 杖 は、 ﹃ 萬 葉 集 燈 ﹄ に お いて、 開 巻 第 一の雄 略 天皇 御 製 の注 解 の中 で、 ﹁師 吉 名 倍 手吾 己曽 座 ﹂ を ﹁シキ ナベ テ ワ レ コソ フ レ﹂ と訓 んだ 理 由 を 次 のよ う に説 明 し て いる。. ○ 師 吉 名 倍 手 こ の吉 の字 、 告 に つく れ る は誤 な る べ し。 師 吉 は、 太敷 坐 など いふが如 く 、 知 と いふ心 な り。. 高 知 を高 敷 と いふ に ても し る べ し。 名 倍 手 は、 上 に同 じ。 こ の座 をば 、 宣 長 はま せと よ みき 。 これ は、 神 典 に. さ る例 あ れば な る べ し。 須佐 之 男 命 御 みづ から、吾 御 心須 賀 須 賀 斯 。 と お ほ せられ、 ま た 八千文 神 の、御 みづ. から夜 知富 許 能 迦 微 能 美 許 登 波 云 々。 と よま せ給 ひ し に よれ ば 、 さ る事 と も おぼ ゆ れど 、 も と 、 神 典 は神 の御. 心 を は か り奉 り て、 後 より よ みた るも の な る を、 後 よ り か き、 宣 長 は実 録 と みた るよ り の説 な り。 御 みづ か. ら、 いか でさ は のり給 はむ。 し か る べ からざ る事 は、 古 事 記 燈 を み てさ と る べ し。 これ は、 帝 の御 う へな るが 故 に、 家 持 卿 の、 心 え て し か ゝれ た る に て、 な ほ ﹁を れ ﹂ と よむ べき 也電.
(15) 田 直 敏 西. (145). 即 ち、 ﹁神 典 ﹂ であ る古 事 記 に登場す る神 々 のことば は、 そ の実 際 の ことば で はなく、 後 代 の人 々が 尊 敬 表 現 を. 加 え て記 し たも のであ る。 そ れ を 宣長 が 実 録 と見 た た め に、 古 の神 、 天 皇 、貴 人 は、 ﹁ 自 敬 表 現 ﹂ を 用 いたと 誤解 し た のであ って、 自 分自 身 に 敬 語 を用 いて話 す ような こと は な か ったと す る のであ る。 御 杖 は、 ﹃古 事 記 燈 ﹄ の ﹁大 旨 下﹂ ﹁神 人 耕 ﹂ で、. 人 と いふ は、 神 を身 内 にやど した るも の ゝ名 也 、 神 と いふ は、 人 の身 内 にやど り た るも のを 云也 Ψ と いう 神 人 観 に立 って、 宣 長 説 を 次 のよう に批 判 す る のであ る。. こ のぬ し の説 、 いと お ほ ほ しき こと な らず や、 これ を ひと へに神 と い ふも のをく はしく せら れず し て、 た ゞ皇. 御 祖 た ち を尊 び て、 神 と称 した る物 な りと のみ思 はれ け んが ゆ ゑ な り と おぼ しき な りQ. 御 杖 に は、 独 自 の言霊 論 、 倒 語 説が あ り、 そ の注 釈 も、 た と えば 、 古 事 記 の ﹁天 沼矛 ﹂ に つい て、. 天 何 と いふ名 これ に かき らす いと多 か る は大 かた地 にあ る物 はた と ひ千 里 を へた てた りと も ゆ か は みら る へし. 天 な るも の は 張審 な と か 妄 説 こそ あ ら めゆ き て みら る へき も の にあ らね は た ヽおも ひや る は かり な るも の也. さ れ は天 何 と いふ はす へて虚 象 な りと のさ と し の為 也 と 心 う へしさ れ は こ ゝも ま こと に奴 を も て かさ り に つけ た る矛 に はあ ら てそ のか た ちを思 ひやれ の心 にて刑測 矛 と は い ふ也 と しる へき 也o. と 説 く と いう よう に合 理 主義 的 であ る。 従 って、 万葉 集 開 巻 第 一の雄 略 天 皇 御 製 の ﹁吾 己曽 座 ﹂ の ﹁座 ﹂ に ついて. も 、 これ は、 ﹁ 帝 の御 う へな るが 故 に、 家 持 卿 の、 心 え てし か ゝれ た る に て﹂ と説 明 し て、 古 代 の天 皇 の ﹁自 敬 表 現 ﹂ を否 定 し て いる のであ る。. 従 来 の ﹁自 敬 表 現﹂諸 説 の展 望 で は、 たと えば 、 尾崎 知光 氏 の ﹁所 謂 自 敬 表 現 に ついて﹂ にお いて、 ﹁自 敬 表 現﹂ 否 定 説 と し て、. 01 9 4 ヽ 三矢 重松 博 士 は夙 に ﹁高 等 日本文 法 ﹂ の中 で ︵ 同書 増 訂 改 版 9 6 6 ぺ ︲ジ︶ これ らを 記 者 よ り の敬 語 であ る.
(16) (146) 「 自敬表現」研究史. と 説 明 せら れ 創 見 を示 さ れ たが 、 同 書 の性 質 上 か詳 論 せら れず 、 且 つそ の後 これ に注 目す る人 も 割 合 に少 な か った や う に思 はれ る。. と 説 いて いる。 ﹁自 敬 表 現 ﹂ を 記 者 から の敬 語 であ ると見 る説 は、 三矢 重松 氏 の ﹁創 見 ﹂ で はなく 、 富 士 谷 御 杖 に. 始 ま る のであ る。 尾崎 氏 以 後 、 ﹁自 敬 表 現 ﹂ に ついて の研究史 的 考 察 が発表 さ れ て いな い ので、 こ こ に特 に指 摘 し て おく 。. 第 二章 第 二期 明治大正時代. ﹁ 真 に研 究 と名 附 け得 べき も の の起 った のは第 三期 即 ち明治 維 新 以 後 の事 であ って、真 の研 究 史 も 亦 此 処 に始 め. ら れ る。 組織 的 に全 面 的 に、 ま と められ た研 究 の出 た のは明治 二十 年 代 以後 であ る﹂ と石坂 氏 は、 述 べ て いる電. こ の時 期 は、 言 文 一致 、 文 体 統 一、 標 準 語 制 定 など の国語 問題 、 国 語 政策 、 国語 教 育 と の関連 で敬 語 が と りあげ ら. 自 敬 表 現 ﹂ は、稀 に、 古 典 の故 語 に関 連 し て言 及 さ れ る れ て、 論 じ ら れ 、 研 究 され る こと が 多 か った。 従 って、 ﹁. 程 度 で、 そ の研 究 は、 次 の第 四期 、 即 ち昭 和 時 代 にな って から 本 格 化 す る こと にな る。 石坂 氏 は、 敬 語 研 究 史 と し. 自 敬 表 現 ﹂ 研 究 史 と し て は、 内 部 の時 期 的 小 分 け をす る必 要 が な い ので、 て、 本 期 を前 期 中 期後 期 に分 け たが 、 ﹁. 、 ﹁ 自 敬 表 現 ﹂ 研究 史 と 全 体 を 一時 期 と し て扱 う こと にす る。 な お、 石 坂 氏 は、 こ の期 の下 限 を昭和 五年 と したが. し て み る と、 昭 和 五年 五月 の湯 澤 幸 吉 郎 氏 の ﹁自 己 に敬 語 を用 ひ た古 代歌 謡等 に ついて﹂0 を も って、 本 格 的 研 究. 現 代 ︶ の始 期 と 見 るわ け 一時 期 を劃 す る こと にな る。 つま り、 昭和 五年 を も って、第 四期 昭 和 ︵ の開 始 と し て、 で、 石 坂 氏 の敬 語 研究 史 の時 期 区 分 にほぼ 一致 す る。 さ て、 明 治 から大 正 へと敬 語 研 究 の跡 を見 て い こう。.
(17) 田 直 敏 西. (147). まず 、 日本 人 と し て、 最初 に敬 語 の分 類 を試 み た のは、 明治 二十 五年 、 ﹃皇 典 講 究 所 講演 ﹄ 七十 一、 七十 二0 に ﹁邦 文 上 の敬 語 ﹂ を発 表 した 三橋 要 也 であ る。. 三橋 は、 ﹁余 は今 、 本 邦古 来 よ り今 日 に至 るま で、 言語 及文章 の上 に、 現 れ た る敬 語 を、 研究 す る に就 き て、 先. そ の区 別 及沿 革 等 の大 要 を述 べ、 次 に其 の必要 な る所 以 を耕 ぜ んとす 、﹂ と し て、 まず ﹁ 敬 語 の区 別 ﹂ を 論 じ た。. ○ 敬 語 の区 別 古 来 の語 学 者 にし て、 敬 語 を 区 別 した り し者 、 未 有 らざ り しを 以 て、今 これ を 為 す に 当 り て は、仮 に其 の名 称 を設 けざ るを得 ず 、 左 に挙 ぐ る所 は、 皆 余 が 創 意 に係 るも のな れば 、 或 は適 当 せ ぬも 有 り ぬ べけ れ ど 、 そ は他 日を待 ち r 訂正す る所 あ る べ し、. 敬 語 は、 其 の他 人 の上 を 言 ふと、 自 己 の上 を 言 ふと により て、 これ を 二種 に分 つべ し、 他 称 敬 語 、 及自 称 敬 語 これ な り、. 日 他 称 敬 語 他 称 敬 語 と は、 己が 対 し た る人 、 公一 人称 ︶ 及 己が 談 話 の上 に載 す べき 人 ︵三人称 ︶ を 、 尊 敬 す. る時 に、 其 の人 、 及 そ の人 に附 属 せるも の、 及其 の人 の動 作 を存 在 等 に、 用 う るも のを いふ、 例 へば 、 ﹁君 ﹂ ﹁ 御 衣﹂ ﹁ 給 ふ﹂ ﹁ 坐 す ﹂ 等 の如 し、. 日 自 称 敬 語 自 称 敬 語 と は、 己が 対 し た る人 、 公一 人称 ︶ 及 己 が 談 話 の上 に載 す べき 人 ︵三人称 ︶ を、 尊 敬 す る時 に、 自 己、 及自 己 の動 作 存在 等 に、 用 う る者 を いふ、 例 へば 、 ﹁や つが れ ﹂ ﹁ 奉 る﹂ ﹁ 侍 り﹂ ﹁ 候 ふ﹂ 等 の如 し、. 自 称 敬 語 の或 る者 は、 其 の用 ゐ ら る ゝ区 域 広 く し て、 我 が尊 敬 す べき 人 に対 し て、自 己 の動作 存 在 を いふ に. 止 ま らず 、 自 己 に関 係 な き も、其 の談 話 上 に載 す べき 者 の、動 作 存 在 等 を称 す る乏 称 敬 語 と も な る こと あ りo、. 三橋 は、 こ の後 に、敬 語 の下位 区分 を試 み、 次 いで、 ﹁ 敬 語 の沿 革 ﹂ を 述 べ て いる。 そ の中 で、 ﹁ 接 頭敬 語 名. 詞 の上 にあ るも の 他 称 ﹂ の項 の ﹁み﹂ で、 ﹁自 敬 表 現 ﹂ に言及 し、 異 例 と し て、 敬 語 の範疇 外 のも のと み よ う と.
(18) (148) 「 自敬表現」研究史. し て いる。. 、 ﹁お ほ み﹂ と し て は、 至尊 至 さ て上 世 に は、 こ の ﹁み﹂ を 以 て普 通 の敬 語 と な し、 これ に ﹁お ほ﹂ を 冠 し て. 、 貴 の上 に いふ最 上 の敬 語 と し た りき 、 又 至尊 至貴 の御 上 など に は、 こ の ﹁み﹂ を自 称 に用 ゐ給 ひ し こと あ り. 我 が み 心﹂ 等 の如 し、 これ そ の尊 威 を、 保 ち たま へる より の御 こと な れば 、 尋常 の場 合 ﹁皇 朕 うづ のみ手 ﹂ ﹁ と は大 に異 り、 も と よ り敬 語 と す べき 限 にも 非 る べ しo。. 、 ﹁ 敬 語 は、 即文 章 を美 な ら しむ る所 以 の 一要 具 な 三橋 は、 最 後 に、 ﹁敬 語 の必 要 ﹂ の章 を設 け て説 いて いるが. 、 、 り﹂ と し て、 ﹁日 厳 粛 な る べき 文 章 は、 これ によ り て益 そ の厳 市 の度 を高 む べ し ﹂と し て 延喜 式 の鎮 火 祭 祝 詞 の. 文 章 を 示 し て、 、 上 世 の祝 詞 宣 命 等 の厳 粛 な る は、 其 の叙 事 の荘厳 謹 粛 にし て 文 辞 の這 健 簡 古 な り し に因 る べ しと い へど も 至 、 そ の尊 容 を保 ち、 稜 威 を堕 さ せ奉 らざ り し に因 る こと多 しと い ふべ しΨ. 尊 及神 祗 の言 行 を叙 す る に当 り て は、 常 に厳 格 に敬 語 を用 ゐ. と 、 敬 語 の表 現 価 値 を論 じ た。 、 、 三橋 の敬 語 論 は、 敬 語 の分 類基 準 に、 自 他 と人 称 を導 入 し て 後 の山 田孝 雄 氏 石 坂 正蔵 氏 の敬 語 論 に影 響 す る. 、 自 敬 表 現 ﹂ の意 味 に用 いて いる電 天 皇 の と ころが あ った1 ま た、 ﹁自 称 敬 語 ﹂ は、 現代 で は 春 日和 男 氏 が ﹁. 尊 容 を保 ち、 稜 威 を墜 さ ﹂ な いた めと 説 いて いる 尊 威 を保 ﹂ つた めと 見 、 祝 詞、 宣命 の敬 語 も ﹁ ﹁自 敬 表 現 ﹂ を ﹁ 、 、 、 のも 注 目 さ れ る、 新 し い見 方 であ る。 そ れ に 三橋 の敬 語 論 で見逃 せな い のは 敬 語 を社 会 秩 序 の維持 社 会 的 団 。 結 に必 要 な も のと し、 ﹁敬 語 は言語 上 の礼 儀 な り﹂ と も 言 って いる こと であ る 、 、 、 敬 語 の必 要 は、 た ゞ文 意 の上 に のみ止 ま らず 、 共 の有 無 は 社 会 団 結 の上 に 大 な る影響 あ るも のな り これ を社 会 上 必 要 と な す 。.
(19) 敏 田 直 西. (149). も と よ り 一ツニ ツに止 ま らざ る べけ れ お よそ 人 類 の、 互 に団 結 一致 し て、 安 楽 の生活 を 享 受 しう る原 因 は、. ど 、 其 の重 な るも のは、 各 人 こと /ヽ く 徳 義 の心あ る による、 而 し て恭 敬 は、 徳 義 の高 尚 な るも のな り、 君 臣. 上 下貴 賤 尊 卑 、 各 其 の位 に安 んじ、 其 の分 を守 り て、 相凌 ぎ 相 犯す こと な き も のは、 一に恭敬 の徳 によ らざ る. はな し、 さ れば 恭 敬 は、 社 会 の秩 序 を保 ち、 其 の団 結 を固 く す る所 以 の根 幹 に し て、 一朝 これ を失 は ゞ、 忽 に 上崩 瓦 解 の禍 を免 れざ るべ し、. 中 に恭 敬 の心 あれ ば 、 其 の発 し て行 為 の上 に表 る ゝ者 は、 言語 の上 にあ ら は る ゝ者 坐 作進 退 の 儀 則 と な り、 は、 他 称 自 称 の敬 語 と な る、 敬 語 は言 語 上 の礼 儀 な り、 されば 、 行 為 上 の礼 は、 人 に対 し て、視 感 の上 に、 我. が 敬 意 を 知 ら しむ るも のな り、 言語 上 の礼 は、 人 に対 し て、 聴 感 の上 に、 我 が 敬 意 を知 ら しむ るも のな り、 是. れ を 以 て敬 語 を 用 う る は、 坐 作進 退 の礼 を行 と相 並 し て、其 の間宅 も軒 軒 軽 電 あ る にあ らず 喫. 敬 語 の社 会 性 への着 眼 と し て評価 でき るが 、 ﹁自 敬 表 現 ﹂ をそ の視 点 から 見 ると いう発 想 は三橋 に はな か ったの. 、第 六号 ︵七 月︶に 三橋 要 也 の後 、 明 治 三十 三年 に岡 田 正美 が ﹁待 遇 法 ﹂ を ﹃言語 学雑 誌 ﹄ 第 一巻 第 五号 ︵六月 ︶ ﹁自 敬 表 現 ﹂ に は言 及 し て いな い。. 発 表 し、 ﹁ 敬 語 法﹂ ﹁ 謙 語 法 ﹂ ﹁平語法 ﹂ ﹁ 卑 語 法 ﹂ と とも に、所 謂尊 大 語 に当 るも のを ﹁ 倣 語 法﹂ と し て いるが 、. ﹁自 敬 表 現 ﹂ が 実 際 に行 われ た こと を否 定 し、 全 てそ れ は記 者 o編 者 の立 場 から の書 き かえ であ ると し た のは、. こ の期 に 同 じ 主張 を した のは、 三矢 重松 であ った。 彼 は、 ア同等 日本 文 法 ﹄ 江 戸 時 代 の富 士 谷 御 杖 であ ったが 、. 明 治 四 一年 ど に お いて、 ﹁両体 の錯 綜 ﹂ と し て、 文 法 上 の 一単 位 文 にも 記 録 体 と 対 話 体 の錯綜 す る ことが あ る ︵ と し て、 ﹁物 語 など に て いふ地 と 詞 の流 しあ ひ﹂ の例 に、 まず 、 是 は 諸 国 一見 の 僧 にて 候 ふ. を挙 げ 、 こ の ﹁是 ハ地 よ り仕 手 を指す 語 な る に、 之 を 仕 手 に言 はし め下 を 詞 に候 フと流 す な り。 ﹂o と説 き、 次 い で.
(20) (150) 「 自敬表現」研究史. ︵ 存 ず る ﹂ 日 あ り て 申 す な り﹂ ⋮ ⋮ ︵ 熊 谷︶ ﹁ 敦 盛︶ ﹁ 存ず る 旨 の あ るなれば 聞 かず るぞ 是 は. 故 太 政 入道 の 弟 に 修 理 大夫 経 盛 と い ふ 人 の 末 子 いまだ 無 官 な れば 無 官 大 夫 敦 盛 と て 生年 十 六 に な るな り﹂ と 宣 ひけ り ︵ 盛衰 ︶. に つ いて、 ﹁詞 を 地 に流 し た るな り。 地 を 詞 にし て人 に語 ら せ、 詞 を 地 にし て事 情 を 説 明 す る は旧時 の作 者 の慣 用. 手 段 な り。 か ゝる詞 は真 正 の対 話 文 にあ らず 、 作 者 の記 録 体 の筆 を 入れ た る者 な れば 、 間 接 対 話 とも 謂 ふべ し。 ﹂ω と 論 じ て いる。 そ し て、 こ の間 接 対 話 の例 と し て、. 大 御 神 怪 し と 思 し て 細 く 天 の岩 屋 戸 を 開 き て 内 より 生回り給 はく ﹁ 吾 が 隠 り坐 す に 因 り て 高 天 の原 自 開 く 又 葦 原 の中 つ国 皆 開 け む と 思 ふを 云 々﹂ ︵ 記︶. ︵ 素 尊 ︶ ﹁吾 此 の 地 に 来 ま し て 我 が 御 心 須 賀 々 々斯 ﹂ と のり給 ひ て ︵ 記︶. ○ 山 の あ る じ 俊 蔭 に のたま ふ ﹁お のれ は 天 上 よ り き た り給 ひ し 人 の 御 子 ど も な り こ の 山 に 下 り給 ひ て 一 ム々. ○ 波 斯 国 公 のた ま はく ﹁こ の 奉 れ る琴 の 士 戸 あ しき 所 あ り しば し ひき な ら し て奉 れ﹂ を 挙 げ て、 次 のよ う な ﹁自 敬 表 現 ﹂ 否 定 論 を 展 開 し た 電. 此 等 も 詞 は詞 と 見 ゆ る に コモリ マス御 心 など と いふ記 者 よ り の敬 語 によ り て真 正 の対 話 文 にあ らず な れ り。 之. を 古 の神 は自 の上 にも 敬 語 を 用 ゐ た り と思 ふ は甚 しき 誤 な り。 太閤 など こそ 自 称 に殿 下 思 召 スなど とも 言 ひけ. め、 さ て は子 供 も 坊 ツ チ ャ ンガな ど と は言 ふべけ れ ど 、 常 識 あ る人 には有 る べく も あ らず 。. さ て 又 前 に述 べ た る第 三者 の待 遇 と い ふ こと を 繰 返 さ む に、 貴 者が ﹁行 ク﹂ と い へるを取 り次ぐ 言 は ﹃﹁入 ラ. ッシ ャ ル﹂ と仰 セ ラ レ マシタ﹄ と い ふ如 く 、 又先 方 よ り ﹁明 日参 上 可仕 候 ﹂ と言 ひ越 せ る に対 し、 ﹁御 来 臨 可. 被 下 旨 拝 承 ﹂ な ど 言 ひ て鶏 鵡 返 に は言 ふ べ からざ る道 理 な ると等 しく、 尊 き 人 の言 語 をば 其 の儘 に繰 り返 しま.
(21) 田 直 敏 西. (151). ねば ざ るが 我 が 国 風 な り。 されば 史 書 の伝 ふる所 にて は、 歌 文 など の外 に は 貴 人 の真 正 の言語 は見 るべ から ず 。 天 祖 の神 勅 豊 葦 原 の 瑞 穂 の国 は 我が 皇 御 孫 命 の 君 と ます べき 国 な り. の如 き も 、 意 を取 り て言 ひ伝 へた る者 、 祝 詞 宣命 の如 き も皆 執達 の人 の宣 す る言 に て直 接 の御 言 にあ らず 。 然. る に支 那 風 に て は天 子 も 直 接 に臣 下 に対 話 し、 そ れ を 直 接 に記 し伝 ふ る よ り、 我 にも 王朝 の古 にはそ れ を 学 ベ. る漢 文 の詔 勅 あ り。 今 の御 代 には其 の風 を 受 け て、 五条 の御 誓 文 より始 め て種 々 の詔 勅 の直 接 対 話 な るあ り。. 制 度 の然 ら しむ る所 、 私 議 す べき に はあ らざ れ ど も 、 其 の御 言 の儘 を臣 民 の 口に懸 け奉 る は畏 き業 にあ るま じ き か。. こ の 三矢 重 松 の ﹁自 敬 表 現 ﹂ 否 定論 は、 前 述 し た如 く 、 尾崎 知光 氏 によ って、 フ ﹂れ ら を記 者 よ り の敬 語 であ る. と説 明 せら れ 創 見 を 示 さ れ た ⋮ ⋮私見 は本 質 的 に は かう し た方 向 を 更 に発 展 さ せ たも の﹂0 と 高 く 評価 さ れ たも の な の で、 関 係 す る全 文 を引 用 し た。. 三矢 の言 う ﹁対 話 体 ﹂ ﹁記 録 体 ﹂と いう のは、 日語 ・話 し ことば と文 語 o書 き ことば と いう 対 立 で はなく て、 特. 定 の相 手 を めあ てと し た表 現 を ﹁対話体 ﹂ と い い、 不特 定 の相 手 対 象 の表 現 を ﹁記 録 体 ﹂ とす る のであ る。. 自 己 の言 説 を聴 く 者 、 直 接 に眼前 に在 る か、 然 らざ るも 一定 し居 る時 は、 其 の聴 者 に対 し て自 然 に 一種 の語 気. を なす 。 之 を対 話 文 と いふ。 人 の言 説 は必 聴 者 あ るを期 す れ ど も、之 を そ れ を定 めず し て、 或 る事物 に就 き て. 思 想 を 言 ひ表 せ る者 は、 亦 之 に相 当 す る語 気 あ り。 之 を記 録文 と いふ。 言 語 は自 己 の思想 を他 に対 し て言 ひ表. 今 は頗 るそ の相 異 を 認 む る に至れ るな 根 源 に於 いて は 両 体 の区 別 な か る べき も 、 す よ り 生 じ た る者 な れば 、. り。 例 へば 物 語 の地 ・脚 本 類 の卜書 o歴 史 ・律 令 ・諸 記 録 ・科 学書 ・独 自 等 は大 抵 記 録体 にし て、物 語 脚 本 類 の詞 ・詔 勅 o上奏 ・祝 詞 o宣 命 ・手 紙 よ り、 日常 の談 話 は皆 対 話 な り電.
(22) (152) 「 自敬表現」研究史. 三矢 の言 う ﹁対 話 体 ﹂ ﹁記 録 体 ﹂ に文 体 を 三分 す る狙 いは、 当 時 と し ては、斬 新 であ るが 、 具 体 的 な文章 の分 析. にな る と 、 ﹁両 体 の錯 綜 ﹂ を持 ち出 す こと にな る。 ﹁是 は⋮ ⋮ に て候 ふ﹂と いう自 己紹 介 型 の表 現 を ﹁対 話 体 ﹂ と. し て認 め な い のは、 古 代 か ら 明 治 時 代 ま で の 日本 語 を ひと ま と め にし て、 いわば 汎 時 論 的 に論 じ て いるた め であ. 常 る。 特 に、 ﹁自 敬 表 現 ﹂ を論 じ て、 万葉 集巻 六 の ﹁天 皇 賜 酒節 度 使 卿 等 御歌﹂ な ど に言 及 せず 、 ﹁自 敬 表 現﹂ を ﹁. 矢 の論 の 不十 分 さ は 如 実 に示 され て いる。 識 あ る人 に は有 る べく も あ らず ﹂ と 断 言 し て しま って いると ころ に 〓一. ﹁史書 の伝 ふ る所 にて は、 歌 文 など の外 に は貴 人 の真 正 の言語 は見 る べ からず 。 ﹂ と 断 じ て いる 三矢 にし て は、大き. な失 考 と 言 わ ねば な ら な い。 な お、 三矢 が 、 古 事 記 等 の ﹁自 敬 表 現 ﹂ を ﹁記 者 よ り の敬 語 ﹂ と し た のは、 前 述 した. 如 く 、 富 士 谷 御 杖 の ﹃萬 葉 集 燈 ﹄ に次ぐ も の であ るが 、 御杖 の説 を 知 って いて の立 言 であ る のか、 当 時 の敬 語 的常. 識 に立 脚 し て の論 であ る か は明 ら か で はな い。 ﹁太 閤 ﹂ の例 や ﹁坊 ッチ ャンが ﹂ の例 から見 ると、 富 士谷 御杖 と は 別 個 の立 言 であ ろう かと 思 わ れ る。. 敬 語 法 の研 究﹄︵ 大 正 一三年 ︶ω であ る。 明 治 以 後 の敬 語 研 究 におけ る最 初 の組織 的 体 系 的 な著 書 は、山 田孝 雄 の ﹃ 山 田氏 は、 そ の敬 語 本 質 観 を ﹁推 譲 の美 風 ﹂ の言語 へのあ ら わ れ に置 く。. 凡 そ敬 語 の発 す る はも と 社 交 の間 にあ り。 敬 語 は実 に人 々相 推 譲 す る意 を表 明 す る 一つの方 法 な り。 も と よ り. こ の敬 語 は上 下貴 賤 の区 別 を あ ら はす に適 す と い へど も 必ず しも 階 級制 度 の結 果 と のみ いふべ からず 。 人 は人. と し て交 る間 に互 にそ の人格 を重 んじ、 そ の才 能 知 識 、 徳 望 、 品格 等を尊 ぶ に於 いて、 そ れ を 言語 によ り て表. 明 す る こと これ実 に自 然 の人 情 にし てそ れ の存 す る は これ が わが 民 族間 に推 譲 の美 風 の行 は る る によ るも のな れ ば 、 寧 ろ嘉 みす べき 事 な り とす増 山 田氏 は、 敬 語 に親 愛 の表 現 と 品格 保 持 の表 現 のあ る こと を 強 調 す る。.
(23) 田 直 敏 西. (153). 我 等 が 用 ゐ る敬 語 は必ず しも 尊崇 に限 らず. 、 親 愛 の意 をあ ら わす 場合 あ り、 又 言語 に品格 あ ら し めむが 為 に用. ゐ る こと あ り電 し いな い こ 山 田氏 が 敬 語 に ついて論ず る場 合 に、 身 分 秩 序 の上 下関 係 を 言 語 的 に示す はた らき をす る点 を強 調 て で敬 語 護持 の姿勢 で. とが 注 日 さ れ るが 、 これ は、 いわゆ る大 正デ モク ラ シー の社 会 思 潮 から左 翼 思 想 の高 ま り の中. 。 書 かれ た た め であ ろう 。 次 のよ う にも述 べ て いる 、 代 には排 斥 す 人或 は い はむ。 敬 語 は専 制 時 代 の階級 制 度 を背 景 と し て発 達 し た るも の にし て 自 由 平等 の新 時 。 し かり し時 著 べき な りと 。 これ亦 皮 相 の見 にし て全 く敬 語 の真 意 を知 らざ る徒 の言 のみ も と ょ り階級 制 度 の 、 形式 的 に繁 文 代 に はそ れ を背 景 と し て敬 語 が異常 に発 達 し た り し は疑 ふべ からず と い へど も そ れ も実 はただ にす た り、 今 やそ 褥 礼 と な り た る のみ に し てそ の繁 雑 な る形 式 は明 治 維 新 以後 社 会 の状 態 の改 ま ると 共 に漸 く. 彎 の古 の繁 文 褥 礼 を 知 るも の殆 どなく な り た る にあ らず や 、 き ことば にわ た って、 詳 述 し 、 山 田氏 は、 国語 、 候 文 、 普 通 文 の敬 語 法 を 体系 的 に説 き 当 時 の話 し ことば 書 。. 、 、 べた た。 そ の ﹁結 論 ﹂ の中 で、 特 に 古代 の ﹁自 敬 表 現 ﹂ に言 及 し て 次 のよう に述. 。 ら 、 か の紀 記 万葉 など に展 見 る敬 こ こに こ の敬 語 の変 遷 の或 点 に関 し て 一言す べき こと であ り そ は他 にあ ず 。 と へば 応 神 天皇 が 語 の 一現 象 と し てわが 至尊 が 御 みづ から の事 を 宣 ふ に敬 称 の語 を用 ゐ ら る る こと な り た. 。 古事記、中︶ しなたゆ ふささなみ路をすくすくとわが いま せば木幡 の道 にも叫uuをと め 云 々 ︵ とうたひ賜 ひ、雄略天皇が、 ︲ u ば 猪 つとわ おほ君 はそ こを図 洲u て玉まき の胡床 に立 たししづ まき の胡床 にコ﹁ 猪待 つとわが いませ さ ま. 書紀、十四︶ が引劃 d ば 云 々 ︵ 、 へる事、 これ従来多少 とうたひたま ひしが如き、 至尊 の尊き は勿論 なが ら 御自 ら の事 に敬称 の語 を用ゐ たま.
(24) (154) 「 自敬表現」研究史. の惑 と な れ る点 な り。 今 吾 人 は これ を 国語 の敬 語 法 に照 し て考 ふ る にこは これ実 に、 吾 人 が 、 第 三章 第 四節. に. 説 け る所 のあ る者 と 一道 の生 気 相 通ず るも のに し て君 臣 の間 に親 愛 の至情 温 る るも のあ り て和 気競 た 々 る愛 を あ ら はさ せ賜 へる所 な り と 釈 す る を得 るな り。 而 し て かく の如 き 生 気発刺 た る敬 語 の用 法 は候 文 にも普 通 文に も なき のみ な らず 、 中 古 以 来 の文 章 に多 く 比 を見 ざ る所 な りと す 。 即 ち こ の点 よ り見 れ ば 、 奈 良 朝 以 前 の文献 と、 現 代 の 口語 と の間 に は 一脈 の生 気 相 通 す ると ころあ り て、 両 者 いづ れも 国 民 の真 の声 な りと認 む るを 至当 とす べき な り 9. 山 田氏 は、 右 の文 章 を も って ﹃敬 語 法 の研究 ﹄ を し めく く って いる。 この山 田氏 の ﹁自 敬 表 現 ﹂ 解 釈 は、 研究 と いう も ので はな いが 、 現 代 口語 の敬 語 法 と対 比 し て、 実 際 に行 わ れ た も のであ る こと を 説 こう と し た と こ ろが、 注 目 さ れ る。 ﹁ ﹁第 三章 第 四節 ﹂ は、 国語 の敬 語 法 の ﹁敬 語 の特 別 の用 法 ﹂と し て、 次 のよ う に説 いて いる。 敬 称 の語 は時 来 他 に対 し て崇 敬 の意 を表 す る に用 ゐ るも のな るが 、 時 と し て自 己 又 は自 己 に属 す る者 に敬 称 を 用 ゐ る変 態 あ り。 これ は小 児 等 に対 し て親 愛 の意 を表 し て物 語 ると き に、 そ の小 児 等 が 説 話 者 に対 し て 日常 用 ゐ慣 れ た る敬 称 の名 詞 を と り て説 話 者 自 身 が 第 一人 称 と し て用 ゐ 、 又 は説話 者 に属 す る者 を代 表 す る第 三 人称 と し て用 ゐ る場 合 に行 は る る な り。 敬 称 を 以 て第 一人 称 と し て用 ゐ た るも の。 お かあ さ ん ︵ 母 の自 称 ︶ はあ のし ろ い花 が す き です。 おと よ、 お と う さ ん ︵ 父 の自 称 ︶ が か へつて来 てう れ し いか。 中略︶ ︵ 早 く顔 を 洗 つて に いさ ん ︵ 兄 の自 称 ︶ と 一緒 に おさ ら ひを し ま せ う。 又 次 の如 く 自 己 の身 分 を い ふ に敬 称 を用 ゐ た るあ り。.
(25) 田 直 敏 西. (155). 第 一人 称 ︶ が か いてあげ ます。 先生 ︵ 姉 自 ら称 す ︶ です。 み よ ち や ん は私 の妹 で、 私 はみ よち や ん のね いさ ん ︵. 第 一人 称 主格 ︶ も 何 んな に淋 し いか知 れ な い のです 。 お貞 ち や んも 淋 し いと お いひだが 、 姉 さ ん ︵ 。 或 は又 次 の如 く 自 己 の側 の人 を称 す る に、 対 者 の用 ゐ る べき 敬 称 を以 てす る ことあ り. 。 説 話 者 の夫 に対 し て対者 の叔 父︶ は大 変 だ 土 手が 切 れ たと い つてす ぐ 屋 根 へ出 ま し た 叔 父さ ん ︵. 以 上 の場 合 はす べ て敬 称 の語 を用 ゐ てあ れど も 、 そ れ の述 語 は か へりて謙 称 を 用 ゐ 又 は全 く 敬 語 を 用 ゐ ぬも の 、 o。 にし て、そ れ ら の語 は形 式 上 より見 れば 敬 語 な れど 精 神 よ り見 れば 親愛 の意 を あ ら は し た るも のな りとす. 、 以 上 によ って見 ら れ る のは、 ﹁君臣 は父子 の間 柄 ﹂ と いう 君 臣 観 を 親 子 の間 柄 で の ことば づ か いと 関 連づ け. 、 、 て、 国家 の慈 父 た る天 皇 が そ の赤 子 た る臣民 に ﹁自 敬 表 現 ﹂ を用 いる のは 親愛 の情 が 自 ら あ ら われ出 たも ので. 次 の第 四 こ の 山 田氏 の ﹁自 敬 表 現 ﹂ 解 釈 は、 ﹁ 和 気畿 々た る愛 を あ ら はさ せ賜 へる所 な り﹂ と いう 論 理 であ る。. 、 期 、 昭 和 前 期 の松 尾 捨 次郎 、 江 湖 山恒 明氏 ら に継 承 さ れ 軍 国 主義 化 し て いく 社 会 思 潮 の中 で の国体 明 徴 論 と相侯 って最 も有 力 な 説 と な って い った。 し かしなが ら、 山 田氏 の ア ナ ロジ ー は、敬 語 使 用 の心 理 に つ いて述 べ たも ので 。 自 敬 表 現 ﹂ は叙 述 部 に敬 語 表 現が 行 わ あ る から、 敬 語 の表 現 形 式 と し て の対 応関 係 を持 つも の で はな い 古 代 の ﹁. れ る のに対 し て、 現 代 の親 愛 表 現 で は、 山 田氏 も ﹁述 語 は か へり て謙 称 を用 ゐ 又 は全 く 敬 語 を 用 ゐ ぬも のにし て﹂. 、 階 会 的階 級 と敬語 に着 目 し た安 藤 正 次、 小 林 好 日氏 ら の. 。 と 述 べ て いる よ う に、 叙 述 部 に は敬語 表 現 は行 わ れ な い のであ る な 繁、 当 時 の時 代 思潮 と の関 わ りと いう点 から見 れば. 、 見 解 も 注 目す べき も のであ る。 これ ら は、 直 接 ﹁自 敬 表 現 ﹂ に言 及 し たも ので はな いが 次 期 にお いてと りあげ る. 、 松 尾捨 次郎 氏 の ﹁自 敬 表 現 ﹂ 論 と 対 立す ると ころが あ り 松 尾 氏が 小 林 好 日氏 の説 を意 識 し て自 説 を提 起 し て いる 。 ことも あ って、 こ こ に、 安 藤 、 小 林 両 氏 の説 を 示 し て おく こと にし た い.
(26) (156) 「 自敬表現」研究史. 安 藤 正次氏 の説 は、 ﹃古 代 国 語 の研 究﹄ぃ に ﹁附 録 ﹂ と し て 掲 載 さ れ た ﹁言葉 と文 字 にあ ら はれ た 我 が 国 民 性﹂ と いう 論 文 の中 に見 え る。. 第 四 に、 わ が 国 語 に は階 級 思 想 の反映 と見 る べき も のが 薪 しく 発達 し てゐ ると い ふ こと は、 長 い間 の歴 史 的. 関 係 に本 づ く も の で はあ るが 、 ま た国 民 性 の 一面 を 語 るも のと いふ ことが 出 来 る。 前 に述 べ た や う に、 わが 国 民 は、 一方 に於 て は抽 象 概 括 を 好 む 国 民 であ り、 様 式 の単 純 化 を好 む 国民 であ る、 然 る に 一方 に於 て、 言葉 の 上 に階級 的 の差 別 の著 しく あ ら はれ てゐ ると い ふ の は、 矛盾 であ り撞 着 であ るや う に見 え る。 然 し、 こ の両 種 の性情 は対 立 し得 な いも ので は無 い、 あ た かも 、 自 由 の思 想 と秩 序 の観 念 が 両立 し得 る や う な も のであ る。階. 級 思想 と い へば 語 弊 が あ るけ れ ど も 、 言葉 づ か ひ の上 に尊 卑 の つかひ分 け をす ると いふ こと は、 長 い間 の歴史 的 教 養 によ つてわ が 国 民 の 一特 性 と な り、 そ れ が 国 語 の特 性 の 一と な つてあ ら はれ て来 てゐ る。武 家 時 代 に於. て はそ れが 極 端 にま で発 達 し て来 た。 現代 に於 て は社 会 組織 の変 化 と共 に、 漸 く そ れが 単 純 化 さ れ る傾 向 を生 じ てゐ る のも 、 ま た看 過 す る こと の出 来 な い国 民 性 の閃 き であ る電. こ の安 藤 氏 の 敬 語 観 の 影響 を 受 け た かと見 られ る のが 、 小 林 好 日氏 で、 そ の著 ﹃国語 国 文 法 要 義﹄o の ﹁ 第 二編. 品詞論 第 一 垂早 待 遇 法 ﹂ の冒 頭 に ﹁社 会 組織 と待 遇 の表 白 ﹂ と し て、 次 のよう に述 べ て いる。 今 日 は四民 平 等 の時 代 であ る。 し かる に旧時 代 は階 級 的 社 会 組織 の時 代 であ つた。 昔 は今 日と違 つて社 会 は 安 定 でな い。 平 和 を維 持 す る為 に階 級 的 差 別 を厳 重 にす る こと は止 む を得 な か つた。 わが 国 は由 来 皇 室 中 心 ・ 綜 合 家 族制 の国 家 であ つた の に、 武 家 時代 封建 制 度 が 布 かれ ると 共 に主徒 の区 別 o上 下尊 卑 の秩 序 が 複 雑 にな り、 階 級 思 想 は いよノヽ 深 く 人 心 に浸潤 し た。 これ の言語 の上 にあ ら はれ た のが 待 遇 法 ︵ 敬 語 法 ︶ であ る。 尊. 長 の動作 又 は尊 長 に関 係 す る こと に は尊 敬 の意 味 を 含 んだ 語 を用 ひ、自 己 の動作 又 は自 己 に関 係 す る こと には 卑 下 の言 ひ方 を な し、 待 遇 の形 式 が 煩 哨 な るま で の発 達 を な し た。 これが名 詞 にも あ ら はれ る。 代 名 詞 にもあ.
(27) 田 直 敏 西. (157). 、 之 を取 巻 いてゐ る 八百 万 の神 々即. ら はれ る。 又動 詞 にも助 動 詞 にも あ ら はれ てゐ る。 、 皇室 が す べ て のも の ゝ中 心 であ り 皇室 が 最 も 神 聖 な るも のであ るとす る観念 は 古 事 記 の神 話 特 に 伊 美 諾 尊 、 伊 美 冊 尊 の大 八洲 国 生 成 神話 を はじ めそ の他 の神 話 にも表 れ てゐ るが. ち 一般 国民 はそ の間 に は階 級 的差 別 をも持 た な か つた観 が あ る。 上古 に於 て我 国 は よ ほど 平等 的 の社 会 組織 を. 成 し てゐ た のであ る。 さ う し て皇 室 と い へど も 、 よ ほど 民 本 的 で大 国 主神 は稲 羽 の素 兎 を な汝 と いふ代 名 詞 で. 。 呼ば れ てゐ る。 臣 下が 天 皇 を お呼 び申 す にも 汝 が 命 ど いふ代 名 詞 を 用 ひ て居 る 之 を武 家 時 代 に驚 く べき多 数 。 の代 名 詞 を も ち複 雑 な待 遇 上 の形 式 を発達 さ せた のと は殆 ど 比 べも の にな ら な い. 今 は再 び 平 等 の時 代 に復 った。 王朝 よ り武 家 時 代 に互 つて次第 に発 達 した煩 哨 な待 遇 法 は之 から減 る のが 当. 。 然 であ り、 又現 に減 つて行 く のを われ わ れ は日撃 し てゐ る し か しま た言語 の上 に待 遇 法 のあ る こと は我 が 国 、 。 語 の特 長 であ つて、 今 後 に於 ても 是 が 全 く無 く な る事 は想 像 出 来 な い 建 国 の初 から 君 臣 の分 が 定 ま つて居. 。 り、 家 庭 が 家 長 中 心 の我 が 国 に於 て は初 から こ の待 遇 法 をも つてゐ た のであ る 支 那 の言 葉 のや う に君 主 の行. 電 動 を 云 ふ場 合 にも 王巡 狩 ﹂ と いふや う に全 く敬 意 を含 ま ぬ言 ひ方 をす るやう にな る こと は到底 あ るま い 。 右 の論述 におけ る小 林 氏 の ﹁上古 に於 て、 我 が 国 は よ ほど 平等 的 の社 会 組織 を成 し て居 た のであ る 云 々﹂ と い. 。 、 う見 方 に対 し て、 松 尾 捨 次郎 氏 は、 翌 昭和 三年 刊 の ﹃国 文 法 論 纂 ﹄ の中 で 次 のよう に批 判 し て いる. 、 、 此 は面 白 い見 方 で、 如 何 にも当 世 に受 のよ い説 明 のや う で はあ るけ れど も 此 だ け の例 証 で は 首肯 出来 な 、 。 い点 が多 い。 何 よ りも 、 汝 と汝が命 と を 同等 に視 ら れ た様 に思 はれ る のが 感 心出 来 ぬ よも や汝 が 命 ま で 今. 、 日 の測 同様、卑 下 の語と見られた のではあ るま い。勿論、潤 には尊敬 の意も卑 下 の意もな いが なが命 には十 、 分 に尊敬 の意が あ る。本居翁 の説 によれば、 な んぢ も元来名持 の意 で 尊敬 の義があ ると いふ電 このと ころは、松 尾氏 の批判が当 っている。.
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︵原著三三験︶ 第ニや一懸 第九號 三一六
〔追記〕 校正の段階で、山﨑俊恵「刑事訴訟法判例研究」