十二・三世紀のリューベック市における市民自治の展開 -- B・アム・エンデ説の検討 --
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(2) な る 自 治活 動 を し 、 都 市君 主 の役 人が い か なる 権 限 を 行使 し て い たか と い う 市政 の実 態 は 、必 ずし も 史料 に よ って 哀. づ けら れ て は い ない 。そ れ ゆえ 市民 自 治 の問 題 に 言 及 し た 論 考 の 多 く は 、そ の 叙 述 に 一定 の推 測 を 混 え ざ る を え な か. .Rori g)の 「 建設 企業 者 っ た 。そ れ らの研 究の 中で 、 画期的 で か つ 現 在で も 有 力 な学 説と な っ た の が 、 レー リ ヒ ( F (2. ). .- gild) 」説で あ っ た 。 即ち 、 市 建設 の 担 い 手 は 、 富 裕 なる 遠隔 地商 人で あ り 、 彼ら 団( U nt e rne hme r k onsort mm od. (3. ). こそ 市政 の 主 た る 担 い 手で あ っ た と す る もので あ る 。 我が 国のリ ュー ベ ッ ク 史研 究にお い て も レー リ ヒ 説が 基 本的 に. 受 容さ れ て き た と 言 っ て よ い 。. し か し 「新 」建設 と い う 言 葉 自 体が 示唆 し て い る ご と く 、 この 時 の 建設 は 全 く の荒 野 の 中で 遂 行さ れ た も の で は な. い 。 既 に 存 在し て い た 都 市定 住 地 を 基 礎 と し て 、 同市は 建設 ない し 再 建さ れ た の で あ る 。そ れ ゆえ 、 前 述 の ご と く 、. 我々 は 素 朴 な疑問 と し て 、 ――五 八年 以 前 のリ ュ ー ベ ッ クで の 「 市」 政 は い か なる も ので あ っ た の か 、そ し て そ れ と. ― ―五 八年 以 後 の 市政 と はい か なる 関 連 を も って い る の か と い う 疑問 を 持 たざ る を え ない 。 と ころ が 、 レー リ ヒ の. ( 4. ). 建設 企業 者 団 説は 、 ― ―五 八 年を 始 期 と し て い る ため に、 前 述 の 疑問 には 必 ずし も 十 全には 答 えて く れ ない の で あ る。. レー リ ヒ 説は 、そ れ が 発 表さ れ て 以 来 、 多 く の研 究者 によ っ て 批 判さ れ る か 、 少なく と も 修正 の余 地が あ る こ と が. ( 5. ). 指 摘さ れ て き たので あ る が 、 これ に 代 わ る 説 得 的 な 、実 証性 の伴 っ た研 究は 発 表さ れ て い なか っ た 。 し か し 最 近我々. の研 究を 目 に す る こと がで き た 。 彼の研 究は 、 こ れ まで の諸 研 究に多 く 見 られ る ご ) は エ ン デ ( Be rnhardA mE nde. と く 、 単 にレー リ ヒ 説の 欠 陥 を 指 摘す る だ けで なく 、 よ り 積極 的 に 、多 く の 関 連 史料 に 当 り なが ら 、 ― ―五 八 年 以前. の 「 市 」政 か ら、 十 三世 紀 末 ない し 十 四世 紀 まで の 市政 の 展 開 に一 定 の 展 望 を 示そ う と し た 意 欲的 な試 論で あ る 。. - 92-. 近大法学 第31巻第1 · 2· 3号.
(3) 本稿 は 、 主 に 彼 の 、こ の 論 考 に 依拠 しな が ら 、リ ュ ー ベ ッ ク におけ る 市民 自 治の 成 立 と 展 開 過程 を 解 明 す る こと を. 課題 と す る 。 叙 述の 方 法と して は 、 第一 にレ ーリ ヒの 建設 企業 者 団 説を 、 市民 自 治 の 中心 機 関 たる 市 参事会 の 成 立 と. その権 力 確 立 過程 と 関 辿す る 限 りで 、 要 約 し、 第 二 に エン デ の所 説を 、 竿 者 の 視 角か ら 整理 して 、 紹 介 し、 最後 に両 説 の 比 較 検 討を 試 み る こと に す る 。 註. - 93-. ( 1)林 毅「ドイツ中世都市法の研究」 、七ー八頁。. , s1926. t r hunde ahr s12.J ede s r tadt hme rne un s te g1915•D i ndung un, i.i s r r s fa Gr r ve s kundde c Rat e prungde s Ur 2) Lube ( , r 1959. に lal e t e tt mM i ei kraft hafts c s t hde c i nr i r He s 1937. これらの論文は、W ir k, c be e Li.i ndung i.i Gr Low eunddi 収録されている。. ). ( 3)増 田四郎 「独逸中世史の 研究」 、 二O七頁以下。高 村象平 「中世都市の諸 相」 、 二九頁以下。関谷沿 rドイツ ・ハ ンザ史序 説」 、四三頁以下。. ( 4)前 掲三論 文を参照。. fa , udi e n ( 5) S t r zurV e sge s s ung s c hi c ht e Li.i be c ks im 12.u nd13.J t 1975. ahr hunde r. 二、 レー リ ヒの 「建 設 企 業 者 団 」説. ( 1. 本節 に おい て は レーリ ヒの 建 設 企業 者 団 説を 、 市 参事 会の 成 立 と 展 開 に 関 連 す る 限 りで 概観 す る が 、 その 前 に 関 連. 市 参 事会 と い う 言 梨 が登 協 する 最 古の 史料 の 主 た る もの は 、 ― ―八 八 年 の 皇 帝 フリ ー ドリ ッ ヒ一世 ( 赤髯 王)特 許. す る 史 料 に つ い て 述べ て おく 。. 十二、 三世紀のリュ ー ベック市におけろ市民自治の展開.
(4) (2 ). (3. ). l 状 と 、 ―二 0一 年五 月十 二 日付文 書 で あ り 、そ れ ぞ れ に市参 事 会 員 を 意 味 する c ons u esの 文 字 が 文 中 に記さ れ て い. る 。 しか し前 者 の 特 許 状 につ い て は 、 プロ ッ ホの研 究によ っ て 、そ れ が 後 年 改 ざ んさ れ たも ので あ る こ と が明 らか に. さ れ て き て い る 。 即ち 、― ―八 八 年の 特 許 状 中 の c ons u lesの文 字 は 決 して オリ ジナ ル なも の で は なく 、― ニ ニ五 年. )」 と い う s 皇帝 フリ ードリ ッ ヒ ニ世 に よ っ て こ の 特 許 状 が 再 確 認さ れ た際 、 こ の字 句が意 図的 に 本 来の 「 市民 (civ i. uesと いう文 字 の現 わ れ 文 字 に 代え て 挿 入さ れ た も ので あ る。 従 っ て 、史料 的 には 後 者 の― 二0 一 年文 書 が 、c ons l. る最 古のも ので あ る。. そ れ ゆえ 、 この 市参 事 会 が さ ら に 一 体 い つ まで 遡 りうる の か と い う、そ の 成 立の問 頌に対 して は 、 どこ まで 傍 証 に. よ っ て 証 明 しうる か 、あ る いは 「 市参 事 会 」 概念 にいか なる 内 容を 盛 込 むか に よ っ て 、 各論 者 毎 に 異 なる 解 答がで て. こ ざ る を え なか っ た の で あ る 。 しか し様 々 な学 説の 中で も 、 画期的 で か つ 今 日で も 有 力 な学 説がレ ー リ ヒ の それ で あ った。. 市 参 事会 の成 立. そ の 推 論 の 根 拠 と して 、十 三世 紀 末のリ ュ ー ベ ッ ク の 土 地 帳薄 O bersta dt buc hの登 記 例 を あ げ る 。 帳薄 に は 市場 の. あ り 、まさ しく 富 裕 なる 商 人 団が ハ イ ンリ ッ ヒと の協 調の下 にリ ュ ー ベ ッ ク 市場 建設 事 業 を 遂 行 したと 考え た 。 彼は. 業 を 彼 ら の 危 険 負 担 で 着 手し、そ れ に対 して 都 市君 主 た る ハイ ンリ ッ ヒ 獅子 公 が代償 と して 様々 な特 権 を 与 え た の で. imBre i sga u)の 例を 挙 げ つ つ 、 同様 に建 設 さ れ たリ ューベ ッ ク で も 主 に 富 裕 な商人 か ら成 る 建設 企 業 者 団 が建 設事. 彼 は 、市参 事 会 の 先 駆 形 態を なす の が 建設 企業 者 団で あ っ た と す る 。 即ち 、彼 は 建設 都 市フラ イ プ ルク( Frei b r ug. H. - 94 -. 近大法学 第31咎第1 · 2• 3号.
(5) (4 ). 大多 数の屋 台( Bude n)が、 一連の古い、市参 事会と関 連す る家族の所 有下にあ り、それらの屋 台が他の商 人や手 エ. 業 者等に賃 貸されていたことが登 記されていた。 この事実から、彼は、十三 世紀初頭には、それらの屋 台はすべて市. 参 事会と関 連す る家族の所 有下にあ ったと推定し、さらにその家族 は建 設企業者団に由来したと結 論づけた。. よ レ ーリ ヒ ` ‘ •、 彼らの建 設事業と、 シャウ エ ンプ ルク家の ホ ルシュタ イ ン伯 アド ルフ ニ世の下での最初 の建 設事業. (一― 四三年)との関 連性を否定する。 その理由は、 第一には、 大規模でかついわゆる都市的定住地の端初 が新建 設. の一―五八ー 五九年におかれるからであ る。 例えば、 現在の市場の位 置も、 純粋に地理的にはこの年以 降に確 認され (5 ). ンリ うると彼は言う。 第二には法的側 面においてであ る。― 一八八年の特許 状が示す ごとく、「最初 の 建 設者」 ヽ ノイ. (6 ). - 95-. t ungの場所 ( Sit z ) 」となり、さらに市は彼から「鋳 貨や関 税 (につい l verwa ッ ヒ獅 子公によって、市は「R e gal i e n. 立し、そ れが、かなりまとまった形で行政 ・裁 判官 庁として機能していたと考えられ、これが後に「市参事会( Rat ) 」. 従 って彼によれば、新建 設後、――六三年頃のハ イ ンリッ ヒ獅 子公の特許 状によって、市内に― つの市民官 庁が成. 検 査権(同、第十二条 ) 、都市共 同体に帰 属する裁 判収入の管理 権(同、第六、 七条 )をも行使していたと推測する。. 、鋳貨 ro nat re ch t ろう。 レ ーリ ヒはこれに加えて 、聖 マリ ア教会 守 護権( Pat )( フリ ードリ ッ ヒ一世特許 状、第三条 ). この市民官 庁は市場での生活 必需品取引の管理・裁 判権を、都市君 主の役 人、 フォ ークトとは独 立に行使したであ. って建 設企業者団は単 なる私的機関 ( Ve re ini gung) から公的諸権限の担い手 となったのであ る。. rg e ch eBe かの機関 が存 在したはずであ り、恐 らくそれは―つの市民官 庁( bii r li horde ) であ ったであ ろう。これによ. レ ーリ ヒによれば、この建 設に伴い、建 設企業者団は公から市場の管理を委 任されたが、そこにはそのための何ら. ての特 権 ) や 最も声 望あ る都市法」を初 めて付 与されたからであ る。. 十二、 三世紀のリュ ー ベック市における市民自治の展開.
(6) と 表示 さ れ る 官 庁と き わめ て 密 接な 関 係 の あ る も の 、あ るい は 直 接的 な 先 駆 者 、 と な っ たので あ る。. 彼 は この 市 民 官 庁の 市 参事 会 へ の 転 化を 一 ―八 八 年 と 見 て い る よ う で あ る 。そ の 転 化の 契 機 は 、 同年 の フ リ ード リ. ッヒ 一 世 の特 許 状 によ っ て 、 ハイ ンリ ッ ヒ 獅子 公 か ら付与 さ れ て いた特 権 よ り も 、よ り 重要 な 自 律的 権 限 が 市 民 官 庁. に 新 た に 付与 さ れ た こと で あ る 。そ の 権 限 の 中で も 、特 に 彼 が 注 目 す る の は 、都 市法改 正 権 ( 第十 八 条) で あ る 。. 点 を 余 り 重視 し な い 。 即ち 、 この 史 料 で は 市 参事会 員 の 「 称 号( T ) が 問 題 と な っ て い る の で あ り 、 市 参事 会 ite l」. と ころ で 史料 上 市 参事会 の 存 在 を 証明 す る の は ―二 0一 年 の 文 書 中の 五 人 の 市 参事会 員 で あ っ た 。 レ ー リ ヒ は この. にな る。. 的 根 拠 が 、 不十 分に せ よ 、 認め ら れ た 一 ―八 八 年 以 降の 十 二世 紀 末 な い し ―ニ ニ 五 年 以 前の 十三 世 紀 前半 と い う こと. 権 限 を 市 内 に お け る 無 制 限 の 権 力 と す る こと によ っ て 市 参事会 と な っ た と 考 え る 。そ の 成 立 は 、 具体的 に は 、そ の 法. 行政 ・ 裁 判 権 限 を 有 し て い た 市 民 官 庁が 、フ リ ー ド リ ッ ヒ 一 世の特 許 状 によ っ て 立 法権 限 を も 付与 さ れ 、そ れ ら の 三. 従 っ て 彼 は 、市 参事 会 の 成 立を 行政 • 立 法・ 司 法の 三側 面 か ら と ら え 、 建設 企業 者 団に 由 来 し 、 本来 市 場 に 関 す る. これ は ―二 二 六 年 の フ リ ード リ ッ ヒ ニ世 の 特 許 状 に よ っ て 承 認さ れ た と 彼は 言 う 。. 年 以 前に起 草 さ れ た と 思 われ る都 市 法は 、一 般的 な 立 法権 限 と 裁 判権 限 が 市 参事会 に帰 属 して いた こと を 証拠 づ け 、. 市 民 官 庁は 立 法活動 と そ れ に伴 う 裁 判 活 動 の 領 域 を 前述 の 狭 い 分野 か ら 様 々 な 分野 に拡 大さ せ て い っ た 。 ―ニ ニ五. を 、自 ら の 一 般的 な 、制 限 の な い 立 法権 の 法的 根 拠 と し よ う と し た の で あ る 。. uumjus )」 と は 本来 市場 に 関 連 し た 自 治法 ( Will こで 言 われ る 「 都 市 法( s kti r ·)で あ っ た が 、 市 民 官 庁は この 規 定. こ. s)と 市 参事会 員 ( con, )自 体で は な いか らで あ る 。 加え て 彼 は 、 十 三世 紀 末 に 至 る まで の 史料 で は 市 民 (c i ( R at vi. - 96 -. 近大法学 第31巻第1· 2· 3号.
(7) (7. ). ( 8. ). )の名 称は頻 繁に交互に現われているのであ り、 市参事会員の名 称がいっ 現われたかという 問頌は純粋 に偶然 es ul s. の問 題であ るとして、 問題設定自体をしり ぞけるのであ る。 そうであ るとすれば、彼によれば、 市参事会の成立 は一. 二0 一年 以前 で、 ― ―八八年以降 の十二世紀 末となろう。. ( 9. ). ,commni 市 参事会の成 立に関する叙述に比べて、市参 頃会の母胎である市民共 同体 ( Gemei nde ci o vium) の成立. については彼はほとんど 触れていない。市 参事会 に対して市民共 同体 がい かに 成立し、市参 事会の成立といかなる関. 係 にあ っ たのか、彼は鮒 明な画 像を与えてくれない。 無論彼が建 設企業者団の成立を都市君 主との関 連において論究. ( 10 ). t が市 民共 同体 の代 表機閑( das ver Or t r gan) e ende として成立していく過 程を論ずる時 、彼が市民共 同体 の存 在を前. 提としてい る ことは 明 らかであ ろう。 しかし 十 二世紀 中の市民共 同体 について彼は何ら秩極的な評 価を与えていな. t い。 即ち、自由な、市 内の土地所 有者 ( Grundbes z er )から成る市民共 同体 は年三 回、 フォ ークトによっ て開 催さ i. れる市民集会 ( E cht di ng ) に召集されるが 、彼 らはハ イ ンリ ッヒ獅 子公によっ て承 認された諸 権利の担い手 としては. 問題とはならなかっ たのであ る。なぜなら彼らの出 席する市民集会は、 フ ォ ークトの裁 判集会であ り、彼らの、 市場. ( 11 ). 裁 判に対する影 楔力は明瞭に奪われていたからであ る。彼によれば、 市参 事会と市民共 同体 との問の抗 争を意 味する. 痕跡はなく、 結 局十 二世紀 中の市民共 同体 はきわめて消極的 な存 在にとど まっ たのであ る。. 口 市参事会制 の展開. 市は、―二O一年以 後 デ ンマ ークのヴ ァ ルデ マ ール ニ世によっ て占領 ・支 配されることになっ たが、やがて北 ド イ. - 97-. す ることを本来の目的 としていたのであ るから、この問 題設定自体 が的 はずれであ るかもしれないが、 彼が市 参 事会. 十二、三世紀のリュ ーベ ック市における市民自治の展開.
(8) ツ 諸 侯らによって同王が駆 逐されるとともに、―ニニ五年、市 は再び 自由を とりもどした。この戦争に際 して、 既に. 北 ド イツ 諸侯を独自に支 援しう るまでに自 立化していた市は、戦争終 了後市がこの対 デ ンマ ーク戦に参 加していた諸. 侯の支 配下に組 み入れられることを危惧し、またその自治を一層 発展させるべく、皇 帝の下に使節 を派遣 した。 その. 結 果市は皇 帝によって、第一 に市に都合 よく改 ざんされた フリー ド リッ ヒ一世の特許 状を再確 認され、 第二に新たな. 特許 状を付 与されたのであ る。. 第一の フリー ド リ ヒ一世の特許 状の改 ざんは、彼によれば、既 にプ ロッホ が明 らかにしたように、 第六条 と第十 二. 条に加えられている。 これらの条 項 において「市民 ( civi s)」が「市参 事会員 」に書きかえられ、即 ち、第六条 は「都. 市法 ( Wil lk tir ) についての市参 事会員の裁 判権 」に、第十 二条 は 「市参 事会員の貨幣 検 査権」 に読 みかえられたの. であ る。これらの改 ざんの意 義について、彼は、 既に市が事実上確 立させていた権力 状況に、 オ リジナ ルな特許 状の. 字旬が修正 ・適合させられたにすぎ ないと考える。 まず市参事会員の裁 判権について。 ―ニニ五年以 前の市内での裁. 判に関 連す る史 料は、市の禁 令( Ve rbot )違 反者には銀三 マ ルクが科 せられるものとされた―ニ―二年 の文書 で あ. る。 彼は、後の リューベ ック法のラ テ ン語写本から推測して、この史料が、市参事会員による、市場での禁 令違 反者. に対する裁 判権を示し、そしてこの裁 判権が―ニニ五年 までには、 前述の如 く、市内の全ての事件を管轄 す るまでに. 拡大したと考えるのであ る。 その結 果都市君 主的役 人たる フォー クトの裁 判権は縮小され、 フォー クトは実質 的な権. 限を喪失し、ただ裁 判収入に対する一定の持分 という経済的な特権としてその権限は維持されたのであ る。 彼は、 同. じよう な事例が建 設都市 フラ イプ ルクでも 検 証さ れると言う。 次に第十二条 についても、彼は、 ―ニニ五年頃 の法断. gme nt ) か ら―ニニ五年以 前に市 がその権限を既に保持していたと推測する。 ch t 片 (R e sFra. - 98 -. 近大法学 第31巻第1· 2· 3号.
(9) ( 12 ). 従 ってこ の改ざんは 都市君 主 の役 人に対す る市の 既存の自由の確 保 にあり、い わば弱者 が強者から自らの身 を守 る. ため の 手 段であ った。. ( 13 ). 第二 の、 フリ ードリ ッ ヒニ世の特許状 の付与 によ って、 皇帝は 市 を自由帝国都市と認め 、前 述の 特権 を承 認し、 さ ら に 一部 新 たな 特権を市に付 与し た。. `. 、 フリードリ ッ ヒ一世の 特許 状 の前 述の 改 ざん 次 に 市 参事会と 市 民共同体との 間係 につい て見ると、 レ ーリ ヒょ r[. は、市 民 の権限 を縮 小させ たも ので はな か ったと 言う。な ぜならこ の改ざん は都市君 主の 役人 に対し て向けられ たも. t ci v ta ii s ) 制定 の本来 の決定権者は市参事会であり 、市 民共同体 には 、市参事会の 捉 十三 世紀 中は 都市法 (de r et a c. ( 14 ). 案に 対する、 一般的 な同意権 が認められ てい た にすぎな か った。しかしこのことは市参事会と市民共 同体と の制度上. Ob ri の対立 を意味しない 。 確か に史 料 上では ―二 六七年市参 事会が市 のオ ープ リ ヒカイト ( gk e i t )とし て、 ま た十 n om r‘ し かしこ の状態は事実上 既 に― ニ ニ )とし て現われるよ う にな った的 三 世紀 末 には市参事会 具がドミ ヌス (d ii. 五、 六年 項に 達成され てい たも のであ る。. 以上市参事会と市民共同休と の関係 に関す る彼 の叙 述 は、 前 述の如く、市 参 事会の市 民共同体 に対す る俊位 を認め. ( 16 ). つつも、 それ が制度的 対立 を惹起しなか ったという、言わば両者の 一体性 を強調す るものとな っている。 さら に十三. 世紀 中 の両者 の関係 がすべ て― ニニ五、六 年頃確立した状態に帰 沿すると彼 は述べ ている。. とこ ろで市参事会成立後 の都市 君主制を見ると、彼 はほとんどこれに言 及し ていない。前 述 の如く、― ニニ五年 頃. の特許 状 の改ざんと捌辿し て都市 君主 の役 人が皇帝 の フォ ークトであっ たと 迩べる にと ど まり、 そ の後 の彼ら の活 動. - 99 -. のであ り、ま た市参 事会自体 が当時 既 に完 全に そ の韮盤を確立させ てい たからであ る。. 十二、 三世紀の リ ュ ー ベ ッ ク 市 に お け る 市民 自 治の展開.
(10) 近大法学 第31 在第 1 · 2 · 3 号. に つ い て彼 は 言 及 し て い な い。. 以 上 か ら 明 ら か な 如 く 、 レ ー リ ヒ に よ れ ば 、 富 裕 な る商 人 か ら な る 建 設 企 業 者 団 が市 民 官 庁 さ ら に は市 参 事 会 へと. ひ き つが れ 、 そ れ が 都 市 店 主 の 役 人 と の権 力 競 合 に せ り 勝 ち 、 ―ニ ニ 五 、 六 年 頃 に市 参 事 会 主 導 の市 の統 治 体 制 が 確. I•. . .7 Nr. 立 さ れ た の で あ る 。 十 三 世 紀 中 、 市 参 事 会 制 に関 す る文 書 は こ の政 治 体 制 を 表 現 す るも の で あ った と いう こ と に な る. の で あ る。 註 . (1) Lubec k undderUr ng derRat s pru s ver fa s s ung adtLubec kundenbuc h derSt k.(以下 LUB.と省略) (2) Ur . 9· (3) LUB. I•Nr. ー. (4) DerMar nLti gk. Topogr afi s c b h-s ktvo t at i s t i s che Unt er s uc hungenzurdeut s c henSo z i al undW i r t s c haf t s ges c hi , , 1921.i . c ht e m Mi t s r kr t s af chaf t ei t t el alt nW i er (5) 高村、前担占 、三七頁。 . .S.25 (6) LubeckundderUr s ver fa s s ung s prung derRat. • `. • .. . (7) + 三世 末 にな って、ci vi sと cons ul esは次 第 に区別されるよう にな ったと彼 は言う。i 7 bi d s • .s. 6. (8) ―二0 一年 以前 のlli 氏北人も、お そらくltj 参廿会な いし、 それに先行し た類似 の宜庁 の構成員 てあ ったろう。i bi d bi s. 6. (9) i d., , ibi s.7. ) (10 d., s.3 0. d., ) ibi (11 (12 ) 但し、第 十 二条 ( 貨幣検査権) の刑血 �規記 のみは‘ ―ニニ五年 頃 の法状況から考え て、lii 参事会が刑洲椛 を有 し ていたとは 考 えられず、全く新 たに付加 された条項 と彼 は考 える。i bi d s. 14. 。 貸幣鉗造権) ) 例えば、第 五条 ( (13 . 291. ) LUB. I•Nr (14. - 100 -.
(11) ( 16 ). ( 15 ). . . LUB. I•Nr 5 5 2 ,S.2 .0. .a ,a 0 F.Rorig. ペル ン ハルト ・ア ム ・エン デ の所 説. リュ ーベ ックの 市民自治の 展開 に関す る画期的 な研究たる レー リ ヒの 建設企業者 団説に対して は、 それ が発表され. い 。 なぜ なら それら は、秘極的 に、 史料に晶 っく H説を描く こと ができ なか っ た からである。しかし本稿でと りあ げ. る エ ンデの所説 は、 レ ーリ ヒは市参 事会の市民 に対す る支 配 (H e r rsc ha ft) の合 法性を 基礎づ けるべく 建 設 企業 者. 団 説を構想した と批判す るだ けで はなく、さ らに史料を駆使 して自説を描きだす 試みに取り組 ん だものであ った。. エ ンデの レ ーリ ヒ説批判 は以下 の二点であ る。. 第一に、 レ ーリ ヒは一― 四三年のホ ル シュタ イ ン伯 アド ルフニ世下で 行なわ れた リ ュ ーベ ッ クの建設と、 ――五八. ー 五九年 のザ ク セ ン公ハ イ ンリッ ヒによ る それとの関連を 否定し、市 民自 治も ハイ ンリ ッヒ獅 子公下で 開始す るとい. う、い わば 「断続説 」に立つのに対して、エ ンデは、都市君 主の交代 はあ る ものの、 市民 自治 は両時 期にわたって 基. 本的に 「連 続 」していたという 立場にたつ のであ る。. 第 二に、 レ ーリ ヒは、エ ンデによれ ば‘支 配の正 当性を特許 状の付 与という形 式で ハイ ンリ ッヒ獅子公によっ て保. 証された建 設企業者団 が、市 民官 庁、そして市 参事会 へと 発展し、一 三世 紀の二十年代 に は統治権を 確立させたと述. - 101 -. ヽ. て 以来、 多くの 研究者 によって 批判が 加えられた が、 それらのいづれ も 必ずしも十分 なものであ ったと は言い がた. 十二、 三世紀のリュ ー ベ ッ ク市にお け る 市民 自 治の展開.
(12) べた。 即 ち、十 二世紀 半ばを出 発点とし て十 三世紀 前半 に至る市 の 自治制度の、他 の ドイ ツ中世都市 に比類を 見 ぬ順. 調な 発展 コー スを 彼は描い てみせたのであ る。 これに対し て、 エ ンデは、市参事会支 配体制の 確立過 程は決し て順 調. な 発展過 程ではなかっ たと 反論する。即 ち、その過 程は、 一方では市民共 同体から、 他方では都市君 主ないし、 潜 在. 的 に市 に支 配を 及 ぼそ うとす る近隣の領 邦君 主から、 次第に 様 々な権力を集中化させる過 程であ り、それは十 三 世紀. (1 ). 末ないし 十 四世紀 初頭に 至っ て終了したのであ る。 レー リ ヒにおい ては、 この 点に 関する分 析が欠落し てい るとし. て、 彼は批判し実証を試みるのであ る。. 以下 におい て、 我 々は 我 々の観点か ら彼の説を 要約・紹介し、さら にこれ に検 討を 加えたい と思う。 我 々の 観点と. は、 中 世都 市における都市共 同体と都市君 主との 相 互関係のあ り方を究明す る こと にある。さら にそ れ ぞれ の 基本的. 構成要索とし て、 前者の都市共 同体につい ては、市民共 同体 (G e mei nd e) とその代 表機関たる市参 事 会を、 後者の. 都市君 主制につい ては、都市君 主とその役 人たる フォ ークトを 念頭 におい ている。 さら に本稿では後述す るごとく、. リ ュ ーベ ッ クが地 理的 ・政 治的 に特別な位 置関係にあった ことを考 慮し て、 後者 に「潜在的 な」都市君 主とし ての 近. 駈の 領邦君主を も加 え ている。. と ころで エ ンデは、 そ の 著作の 全 体の三分 の 一の 頁数を 詳細な史料の書誌学的 ・文献学的 批判検 討 にあ てている (2 ). が、 本稿では この部分 の検 討を 割愛 しなければならなかった 。そ れらの史料の ほとんど を筆者は検 討する ことができ. な かっ た からであ る。 これらの検 討は今後の 課題となろ う。 従っ て彼の 研究の 土台とも言うべき実 証部分 に つい て、. 筆者は 批判的 に扱う ことができ ず‘それらを前提としなければならなかっ た ことを最初に お断りし ておきたい 。. - 102-. 近大法学 第3 1 巻第1 · 2 · 3号.
(13) H 市参事会 の成立 市 民共 同体 の成 立. レーリ ヒが市参事会自体 の成 立を探 る こと を出発点とし たのに対 し て、 エンデは市参事会 の成 立母胎を市 民共同体 であ ると考 え、そ の成 立を探 る ことを出発点 とする。. 彼 は市 民共同体 の成立がハイ ンリ ッヒ公 によ る新建設 (一―五八— 五九年)以前 のシ ャウ エンプ ルク期 (一―四三. ー 五七年) にま で遡 ると主張する。前 述 の如く、 レーリ ヒは 一―五八年以降 の建設企業者 団 の自 治活動を、 それ以前. の シ ャウ エンプ ルク期 の住民 のそれとは関連性 のな いも のと推 測し、 シ ャウ エンプ ルク期 とヴ ェルフン期 (一―五八. 市 の)建 設者 ハインリ に否定 する。彼 によれば‘ その根拠 は、第 一に、 フリードリ ッヒ 一世 の特許 状 の第 一条 中 の「(. ッヒ」 と はオリジ ナ ルではなく、 ―ニニ五年頃 の改ざ んによるも のであ る こと、第 二 に、 リ ュー ベ ック新建設 の場 所. が シ ャウ エンプ ルク期 のそれ と同 一場 所 であり、か つその新建 設もまた同 じ住民 によ って行なわ れ た こと、第 三 に市. の フ ォークト裁判制度 は シ ャウ エンプ ルク期 に確立し、 それがヴ ェルフ ェン期 にも維持され続 けた こと であ る。 ま ず シ ャウ エンプ ルク期 の住民 に つい ての彼 の説 を要約す る。. リ ュー ベ ックの端初 は 一―四三年 の建設 である。 それは明らか にホ ルシ ュタイン伯 アド ルフニ世 (シ ャウ エンプ ル. ク家) の発意 に 基 づくも のであ り、おそらくその建設事業 は彼 の腹 臣 か、 あ るいは最初 の定住者 によ って遂行 された. であ ろう。商 人的な市民からな る 「建設者 団」に 、 それが委 ねられたとは考 えられな い。な ぜな ら この地域 は本来 ス. ラプ 人地域であり、か つドイ ツ人と彼ら と の戦闘 地域 であ ったから、 たとえ建設者 団 に建設事業が要 請され たとし て. - 103 -. (1). I 八0年) との市 民自治 のいわば断絶 を強 調し ていた。 エンデは逆 にそ の連続 性 を指摘 し、建設企業者 団説を全面的. 十二、 三世紀のリ ュ ー ベック市におけ る市民自治の展開.
(14) も 、 彼ら にとっ てそれ に応ずる には余り にも 危険度が高く 、 従っ て彼らが 市を建 設し た とは考 えられないからであ. . Sch i i de r る 。しかも 当時西欧から バ ルト 海域 への主要な 交易路 は、 アイ デ ル・シ ュラ イ (E le)経由であ っ たから. (3. ). であ り、 リ ュ ーベ ック建 設は経 済的 採算性 にも 問頴があ っ たであ ろう。 それ ゆ え建 設された定住地 は小集落を こえな. い も のであ っ たろうし、 そ こに集う 住民 も この地 域を対 象とする商業 を 営 む商 人が 中 心であ っ たであ ろう 。. 当時 リ ュー ベ ックには住民からなる ―つ の市民共 同体 が存 在し ていた と推測さ れる。 その証拠とし て、第 一に ヘ ル. モ ルト の rスラ プ年 代 記」 の一節があ げられる。 即ち、―― 五八 ー 五九年 の新建 設 に 先ん じ て 商 人や その他 の住民 J. (4. ). i 、 ニての意志を じ え n のム し 、 仙いに加いり に柿砧 i叩 尤派池 5心 Jム ”ヱ八 (i ns r bi s ),'.f::ハィ'ンIJッヒ砥 or e s etce t eri ta or es u t i ha it b t. 公 にとっ て好都 合な場所 に定住地 ( l ocus ) を 彼らが建 設する ことを 希 望す る 旨を彼らが 伝えた ことであ る。 この こと. は当時 シ ャウエ ンプ ルク期 に、既 に商 人と その他 の住民からなる団体 ( Ve r band) が存 在し ていた ことを、 そし てそ. の文 脈から商 人が その団体内で 中 心的役 割を担っ てい た ことを示すも のであ る。. 第 二 に ハイ ンリッ ヒ獅 子公 の支 配下 に 市 が入った時 にも新 たな 裁判制度が 導入されなかっ た ことであ る。 これ は シ. ャウエ ンプ ルク期 に市 が既 に独立 の裁 判管区をなし てい た ことを示す 。もしも そうでなかっ たならば‘公 は市 を アド. ルフ 伯の支 配領域から分離さ せた際 に、市を新 たな裁判管区 としなければならなかっ たであ ろう。しかし そのような. 動きは 全 く見られなかった。さら にシ ャウエ ンプ ルク期以来市 にお いて裁 判を 掌握し ていた のは専ら フォ ークトであ. り、 彼 は年 三回市民集会 にお いて フォ ークト 裁判を開 催し、 そ こで適 用さ れた 手続き法 は、市を 含む この地 方 のラ ン. (5 ). ト法 たる ホ ルシ ュタ イ ン法 ( r ens ei us vid , eli Hols t e r n ech t )であ っ たが、 そ の実体法 は市民法 ( ci vilevel fo. cet wi c bel d h e)で あっ た。 フォー クト裁 判 における 判決発見 人も終身 の審 判 人 (Schoffe n)で はな く、 フ ォ ークト. - 104 -. 近大法学 第31巻第 1 · 2 · 3 号.
(15) (6. ). Ger i c ht s , ei l gr emi um) であ った。以上 のことは 、 市 民 からな る裁 判民団体 ( によ って召集され る判決委員会 (Ur t. gemei nde) の存在 を推測さ せ、 これ は前 述 の市民共同体 とかなり の点 で 一致 し ていた であろう。. (7. ). 従 って、 市 にお いて既 にシ ャウ エンプ ルク期 に市 民共同体 が存在 し ていた のであり、 レーリ ヒが主張 するご とく、. ヴ ェルフ ェン期以降、新 た に様 々な特権 を付与され て市 民自治 が開始した のではな い。. このよう にシ ャウ エンプ ルク期 に市 民 のとりわ け裁判 におけ る自 治活 動 の存在 を推測す る エンデは、 ――五七ー 五. 八年 の都市 君主 の、 アド ルフ伯 から ハイ ンリ ッヒ獅子公 への交代 の意義 に ついても、 レーリ ヒとは全く異 な る評価を. i ur ac t i s s i ma) を付 与 した のであ る i vta it i shones 与 える。即ち、 ハイ ンリ ッヒ公は新建設 に際 し て市 民に都 市 法 ( ( 8. ). ). と呼ば れ る機 関 であ る。. ( 10). cons ili um)と、そし てその構成 員 は Rat mannen( ( Koll egi al o r gan) であり、それ は、Rat( cons i l i ar i i •cons ul es ). エンデは 市参事会 に ついて 以下 のよう に 定 義 する。 即ち、 市参事会 とは 二人以上 の 構成員 から成 る、 合 議機関. (2). - 105 -. が、 既 に固有 の裁判管区 で、固有 の都市 法 を展開させはじめ ていた市 民共 同体 にと って、 それは市 民 の都市 法が非常. に有利 な法 によ って補 充された ことを意 味 した。 それは、 レー リ ヒが述 べた様 な、 いわば 「統 治権」 の付与 ではなか. った のであ る。即 ち、 レーリ ヒによれば、建 設企業者団が公 から市 地域を眺 入し、市 な いし市 参 事 会 が中州全域 のグ. ルント ヘルにな った こと にな っているが、 エンデは、 ――五九年以降 にお いても公 は この中州内 に所有 地を有 し てい. ( 9. た こと、 さら に都市 君主 への地代支 払 いの中 止が十 三世紀以降 にな ってはじ め て証明され ることから、 レーリ ヒ説 を. 市 参 事会 の成 立. 否定 す るのであ る。. 十二、 三世紀のリ ュ ー ベ ック市における市民 自 治の展開.
(16) ch が、 シ ャ odri 史 料 上、市参事会 員が現われ る のは ―二0 一年 五月 十 二日付文書、即ち、 リ ュー ベ ック司教 The. ( 11 ). ウ エンプ ルク家 の アド ルフ三世 から リ ュー ベ ックの聖 ヨ ハネ修 道院 への Kii hrs t orf 村 の売却 を承認した文書、 にお. ( 12 ). いてであ る。文書中 に列挙された証 人中 に 「リ ュー ベ ック市参事会員 ( cons cens ul es es Lubi ) 」 が挙げ られ ている。. と ころが前 年 の ―二00年六月 九 日付文書 では証 人は単 に 「 市民 ( ci vi s) 」 と表記さ れ ている にすぎな いのであ る。. レーリ ヒは、後者 の 「 市 民」と いう表記 は、彼 ら証人が既 に市参事会員 であ った ことを否定 す るも のでな いと述 べ、. ( 13 ). 十 二世 紀 末 の市参事会成 立を強調する。 そ の理由 とし て、彼 は、十 三世紀 にお いても 「市民」 と 「市参事会員」 の表. 記方 法 が一定 せず、偶 然に左 右さ れ ていた ことをあげ る。. これ に対 し て エンデは 「市 民」 と 「市 参事会員」 の表記が現 われ る文 書 を詳細 に検 討し、各文書 の発 行者 がリ ュー. ベ ック の証 人に関し て、彼 ら に常 に同じ称 号 を与 え て記述し ていたと して、彼 は表 記方法 の 一貫性 を主張す る。 それ. 故 リ ュー ベ ックの市民 証 人に ―二00年ま での文書 では 「市民」 の称号 が付 され、 ―二0 一年以後 の文書 では 「市参. ( 14 ). 事会員」 のそれが付 された ことは、偶 然 の問願 ではなく、 その背景 に制度 上の変 化が推定され るのであ る。 即ち、. ンデは市参事会 がリ ュー ベ ックにお いて成 立した のは ―二0 一年 であ ると断定 でき るとす る。. とをあげ る。. ( 15 ). 付随的根拠 とし て彼 は cons ul esの用語 が ドイ ツ語 圏 に入 ってき たのは十 二世紀 から十 三世紀 への転換期 であ るこ. 工. この 「市参事会」 は市民委員会 (bti rg er li cherAus s c huss)な いし中央 的な市場官庁 ( N ent ra l e Mar kt behor de). と呼 ばれ る先 駆形態を持 っていたと推定 され る。 エンデは ―二0 一年以後史 料 上 に現われ る市参事会 と同様 の機能 を. vi ta t i s )とは異なり、 一部 の市民から構成され る機 関、即ち、市 民委 員会 が ―二00年以 果 し、市 民集会 ( popl usci. - 1 06 -. 第3 1巻第 1 • 2 · 3 号 近大法学.
(17) 前 に存 在したと推測する。 な ぜなら市 参 事会 が成立 に際して他の市民的な中央委員会を駆 逐し た 証拠はな く、 複数の 「 中 央」委 員会が存 在したと は考え られな いからであ る。. こ の市民 委員会 は、第 一に フォー クト裁 判所と は異なる、市民の独 自の裁 判機関として成立したであ ろう。その権. 限 につ いて エ ンデは十三世紀 の市の裁 判組 織から推定して いく。即 ち、十三世紀 後半市参 事会 は事 実上市内で の 全世. Nie de rgeric h) 俗的裁 判権を 獲得するが、 そ れ は二つの裁 判から成り立って いた。 下 級裁 判 ( tと W ette裁 判であ. る。 下級裁 判 は刑 事 ・質 に関す る事件な いし 相 続 に関 する事件をその管轄 下 におき、 これ は フォー クト裁 判 (ge bo,. e裁 判所 は手 工業 を規 制 ・監督し、そ の違 反者 に刑罰を科する官 庁 (o t enVo t rdn‘ ng)に由来した。他 方 Wet di gt. - 107 -. N eb enb e )であ り、 広 い意 味で市場 交易を管轄 して いた 。 こ れ は市 参 事会から分 離した付 属官 庁 ( de ho , ungsb ehor. ilr)を 決議、 制定し、 同法 違 反につ いて裁 判し、 彼 ら は同裁 判が フ lk W il が承 認さ れ、市民が市場 に関 する都市法 (. 権を 行使するための 委員会を 設 置したと考えられるのであ る。 さら に同特許 状第十八 条 によ り、 市民 の 都市 法 改正権. 違 反事件 につ いて の 瞭 罪金は フォー クト に三分 の 一が、市 に三分 の二が帰 属するとされており、市民共 同体 は同裁 判. ( 16 ). 第六条) に再 録された。それ によれ ば生活必 需品 に関 する 交 易 の 条 項は 一― 八八年の フリー ド リ ッヒ一世 の 特許 状 (. この市場裁 判権は恐 らくハ イ ンリッ ヒ獅 子公の特許 状 に帰 因し、 シャウ エ ンプ ルク期 にまで遡ら な いであろう 。こ. さ せつつも 、W et t e 裁 判の前身たる市場裁 判を フォー クト裁 判と は別 に開 催して いたと考えられる。. 判 に関 与して いなかった。 従って市参事会の 先駆 形 態たる市民 委員会 は、 フォー クト の 陵罪金 に対する持分 権を維持. 市 参 事会 はこの裁 判を開 催し、 自ら決定し た 瞭罪金を収取しており、さ ら に ―二四0 年以前 にも フォークト はこの裁. rde)であ り、 このこと は市 場 平和の維持が本来市参 事会 の職務であ ったことを意 味す る 。 実際 ―二四三年 以 前 には. 十二、 三世紀のリ ュ ー ベック市に お け る 市民自治の展開.
(18) ォークト裁 判にな じま ぬも のと いう立場に立 ったと考えられる。. 従 って エ ン デは、市民共 同体 の中から、 ハイ ンリ ッヒ獅 子公による市場裁 判権の付与を契機として、その裁 判権 を. ( 17 ). 行使し、そ の裁 判収入を 管理する市民 委 員会が形成され、それが フォ ークトと 併存しつつその 任務 を遂行す るよ うに. な ったと考えるのであ る。. 彼は、 第二に、市民 委員会 は全市民のための 一機関 であ ったと考え る。なぜなら、 まず ハイ ンリ ッヒ獅 子 公も フリ. ードリ ッヒ一世も彼らの特許 状の名 宛 人を、市 民 委員会で はな く、 市民共 同体 (G e me in de)としていたからであ り、. 次に、 既に市民 委 員会 の構成 員と 一般市民との 間に資 格上の相違が生ずる 可能性があ りえたにもかかわらず、 両者は. 区別されていないからであ る。エ ン デは、市民 委員会が十 二世紀中、市民即 ち市民共 同体から本 質的 に区別さ れた 特. 別の存 在で はな く、それ は市民共 同体の執行機関 であ り、そ の構成 員も 恐ら く市民によ って 選出されていたと推測す. る 。 レ ーリ ヒが 述 べたよ うに、 特権陪的な市民によ って 構成さ れる 「市民 官 庁」によ って 裁判権が行 使さ れた ので は. ない. さて、 一方で都 市 君主の役 人たる フォ ークトと 併存 しつつ、他 方で市民共 同体と は未 分離の状態であ った 市 民委員. 会が ― 二0 一年 以 後「市参事会 」と 呼称されるよ うに な ったの は、 単 なる名 称の 変更ではなく、 前 述の 三者の関 係. 中、 と りわけ都市君 主と市民委員会 •市民共 同体 との 政治的 な 力関 係の変化に 呼応したものであ ると彼 は主張す る。. 同様の 事例 は、ラ ーベ(H.R a be)によ れば 、十二 •三世紀の ドイ ツ 語囮の諸都市でも 見られる 。例え ば バーゼ ルで. は、 ミ ニステリ アーレンを 除 く市民から 構成されてはいるが、 本来いかなる 決定権能をも 有せず、そ の構成 におい て. 司教に 依存していた 顧問会(R a t)としての coni s lliu mが 、 ― 二四八 年、 リ ュー ベ ックの 様に政治的 な力 関係の 変. - 1 08 -. 近大法学 第31巻第1 · 2· 3 号.
(19) ( 19 ). ulesに 変更さ れ て い る 。 s 化と と も に 、con. sam)」 交 代 が頻 繁 化 し 、 都 市君 主 の 諸 権 リュ ー ベ ッ ク に おい て は、 ― ―八0 年以 後都 市 君主の 「 無 法 な (g ewalt. 利 が 次 第 に 消 滅し て い った と 考 え ら れ る 。そ の 決定 的契 機 は、 デ ン マー ク 王 ヴ ァ ルデ マー ルの 南 下と と も に、 当時の. , 都 市君 主 たる ホ ルシュ タイ ン 伯 アド ルフ 三世 が追 放さ れ た 後 、 ―二0 一年 市民 た ち が必 要 に 迫ら れ て 市民 集会 ( con. o mi nato re s ) を 市 に 迎え 、市 を 王に 引き 渡し た こ とで siliu m)を 独 自に 開 催 し 、彼 ら は ヴ ァ ルデ マー ルの 代 理 人 ( n. ( 20 ). あ る 。 こ の 市民 集会 に は アド ルフ 伯の フ ォーク トの 関 与 は認め ら れ ず、 恐 らく 市民 委 員会 が 「市参 事会 」 と し て 市民. こ れ 以 降の 市 参 事会 に つ い て 考 え ら れ る こ と は、 第 一に市 参事会 た る 市民 委 員会 の 任 命に 際 し て アド ルフ 伯の 同 意. ( 21 ). がも はや 不要 と なり 、 第 二に「 市 参事会 員 」 の 称 号 が市 民の 自 意 識と そ の 権 限に 対 す る 意識 を 嵩め 、 第 三に 市民 委 員. 会 が市 外の 第 三者 に対 す る 市の 利 害 の 代 表 機 関 と し て の機 能を 果す よ う に な ったで あ ろ う と いう こ と で あ る. 以 上 エ ンデ は ―二 0一 年 の 「 市 参 事会 員 」 の 称 号の 導 入 が、レ ーリ ヒ が述 べ るご と く 特許 状 を 通 じて 既 に 市民 官 庁. が事実 上 市 参 事会 に 転 化し て い た 状 態 、 いわ ば 「 既 成事実 」 を 承 認し た も の で はなく ‘ ―二0 一年 に 実 質的 な 変 化 が. 生 じたこ と 、 即ち 市 内 に お いて政 治 的に 主 導的 な機 関 たる 市 参 事会 が成 立 し た こ と に 随伴 し て 生 じた 現 象で あ った と. 考 え る 。 換言 す れ ば 、市 参 事会 は、 一 方 で 市民 共 同 体 の 、都 市 君主 とそ の 役人た る フ ォー ク トか ら の 自 立 の 表現 と し. ). .J .un d1 . , tS.8 r 3 hun de hr im1 a 2 e beck hic h s sungsg e u nz St rfas u rV e s t Li.i c de i. 註. て 、 他 方で は市 民 共 同体の 一機 関に す ぎなか った 市民 委員 会 の 、 市民 共 同 体 の 代 表 機 関 化と し て 成立 し た ので あ る 。. ( 1. - 1 09 -. を 集 会 に 召集 し 、そ の 決 議を 実 行し た と 考 えら れ る 。. 十二、 三世紀の リ ュ ー ベ ッ ク 市 に お け る 市民 自 治の展開.
(20) ー. `. . ,quell 0-88 •s.1 d一 bi hungen.i uc s er heUnt sc i t enkri (2) Er erTei! t s . ., . 6 9 1 3 9 1 s d bi (3) i 04. -3 02 au,Sla Neu i.i s oob)S.3 nunder age r t k.( tvon H.St ni ber o er hr aut l wenc dv.Bo mol (4) Hel . 6. (5) LUB. I•Nr . , . . .1 99 s 0 a a (6) B.am Ende C.Haa (7) エンデによれば‘ シ ャウ エンプ ルク期 に市民共同体が存在したと十 分 考 えられるので、この時期 の市 は、 ハーゼ ( ,. `. ー. . • .s.10 2106 d bi e) の都市 の分類 に従 えば、 既に法的意味 にお いても都市 であ った。i s . a•.s.304 a. mol dv.Bo s au a. (8) Hel . ,a . 6 8 -11 O.,S.10 (9) B.a m Ende a.. .但 し、 この定義が、 第 一に、 一般 に市参事会制 ( ., 32 s.1 bi (10 d ) i Rat s v er fa s s ung) の定義 に必要な基準を考應し ていな い こ と、第 二に、cons ili ar iiと c ons ul es と の相迩 が考 えられる のてあ るが、 それも前提 からはずし ている こと、以上 から決し • .s.1 50. d bi ) で断 っている。i て完全なも のではな いことを註(19 . 9. ) LUB. I•Nr (11. 0. tumsLubeck`(以下 BL と省略)Nr.2 s ) Ur h desBi (12 kundenbuc. ` ー. ー. . 節、二、 レーリ ヒの 「 .. . a (13 ) F.Ror O.,S.20-21 i g 前 建設企業者団」説 、参照。 a . ,a. .S.1 . 371 39 a• a ) B.am Ende (14. . .s.1431 44 ) i (15 d bi. (16 ) ハイ ンリ ッヒ獅子公 の特許 状 はもはや残存し ていな いが、多く の条項 は フリ ードリ ッヒ 一世 の特許 状 に再録され たと考 えら れる。但し、第六条は ―二二五年頃改ざ んされ、 現存 の特許状 では市参 事会 の裁判権を規定し ている。 ー. . .. s 46 1 2 4 1 ) i (17 d• bi . ., 49 s.1 d ) i bi (18. ー. . .,s.1 (19 ) 他 に シ ュトラ スプ ルク (―ニ ―四年以後 ) bi d 、 シ ュパイヤー (ーニニ八年)等 の事例があ る。i 43144. . ,s.1 . d 44 bi ) i (20 . .,s.149 d ) i bi (21. - 1 10-. 第 31 巻第 1 · 2 · 3 号 近大法学.
(21) 口 市参事会制 の展 開. ―二0 一年成立した市 参事会 は、十 三世紀 中 に次第 にその権 力を確立させ、市 内 におけ るその支 配 の基礎を固 め て. いく。 以下 にお いて、 そ の確立過程を、市 民共同体 と の関係 にお いて、 そし て都市 君主な いし それ に類 する近隣 の領. 市民共 同体 との関係. 邦 君主 と の関係 にお いて述 べよう。 山. 市 民共同体 の代表機関 とし て成 立した市 参事会 は、市 民共 同体 との関係 にお いて、次第 に単 な る代表機関 た る こと. を超 え て、十 三世紀末ま でには様 々な権力を獲得し て市民共同体 の上位 機 関と化し、さら に市民共同体 に対す るその. - 1 11-. ヘルシ ャフト の基礎を確立するま でに至 った。. この過 程 は、第 一に市参事会 が自 治定 立法II 都市法制定 ( Will kli I · s et zung) 権 を獲得 した こと によ って開始する。. エンデ によれば、都市法は本来市 民 の自発的合 意 にも とづ いて制定 さ れ るのであ るから、 それが市 内 の諸関係 ( i nne ,. 都市法」 と いう表示 は余計なも のと市 民 には考 えられた r s ta dt s i c he Ver hal t ni s s e) に ついて規 定 し ている限り、 「. (1 ). であ ろう。 それ故、都市法 に関 する記述が史料 上に初 め て現わ れ るのは、都市法 の写本 の中 ではなく、第 三者 の手 に. ff er enz en) に関する文 書 にお いてであ る。 そ ( Di. 教会) への不動産譲渡禁止 に関 する文書 では、都市法 は市民共同体 によ ってでは ( 11. なく、市 参事会 によ って制定 され たと記 され ている。 さら に最古 のラテ ン語 の都市 法写本 によれば、少 くとも ―二二. と ころが ―ニニ七年 の、死手. 銀 三 マルクの罰 金 で禁 じ ていた。 これは当時 都市 法が市 民共 同体 によ って制定 され ていた ことを示すも のであ る。. れ によれば、市 民共同体 は、司教な いし聖堂参事会 への、生活 必需品 の形 での、負 担付 き ( g es c hul det en)贈与を、. な る文 書 、即ち、 ―ニ ―二年 の市 とリ ュー ベ ック司教区 と の争 い. 十二、• 三世紀の リ ュ ー ベ ッ ク市における市民自治の展開.
(22) (3 ). 五 年以 前に は、 市 が都市 法 を 制 定 し た の で あ り 、市 参 事 会に は都市 法 違 反事 件 に ついて 判 決 する 権限 の み が与 え られ. て いた に す ぎ な い。. 前述 の 史 料 か ら、エ ンデ は、 遅く と も ―ニニ 七年 ま で は、市 民 共 同 体 が 都市 法 に ついて の 制 定 権 限 を 有 し 、市 参 事. ( 4. ). 会 は、 都市 法 違 反に 対 する 、一 程 範 囲内 で の 罰 金 ( W e t t e) の 決 定と 適 用、 あ る いは裁判 収入の 管 理と いっ た 都 市 法. の 施 行 に 伴 う監督 権 限 を 有 する と いう基 本 原 則 が働 いて いたと 考 える 。そ し て この 原 則 は、 ―ニ ニ 七年 以 降市 参 事 会. (5 ). が都市 法 を 決 議し 公 布 する ( beschliessen und e r l a ssen ) 原 則 に 置き か え られ 、 この 原 則 が ―二 四0 年 都 市 法 法 典. ( S冨d trc eh t sko dex)にお いて 明 確に 法 規 範 と し て 確定 さ れ たので あ る 。. この 結 果 、 市民 自 治におけ る 一 部 の 行政 ・ 裁 判 権 限 を 有 する に す ぎなか った 市 参 事 会 は、市 民 共 同 体か ら 立法 権 限 を 獲 得 し 、市 民 自 治の 主要 な 諸権 限 を 自 らに 集 中 化さ せる に 至 った 。. 市 参 事会の 市 民 共同 体 に 対 する ヘル シ ャフ トの基 礎 確 立化 は、 第二 に 、 市 参 事 会 が 立法 権 限 を 獲 得 する に 伴 って 都. 市 法 を 制 度 的 に 担 保する 裁 判 権 限 を 確 立す る こと を 契機 と する 。 即ち 、 ―つに は一 般的 な 裁判 管轄 権 、二 つに は刑 罰. (6 ). 権の そ れ ぞ れ 強 化 ・確 立で あ る 。 エ ン デ は裁 判 管 轄 権 に 関 する 事例 に ついて 一 例 を 挙 げる のみ で あ る 。 即ち 、 そ れ. は― ニ ニ ニ 年リ ュ ーベ ッ ク市 と 同司 教と 聖 堂 参 事 会と の 文 書に よ る 和解 に つ いて の史料 で あ る。そ れ に よ れ ば市 参 事. 会 は市 民 に 、そ の 市民 が聖 堂 参 事 会 と の 紛争 の た め に 教会 裁判所 に 召喚 さ れ た 場 合 、そ の 事件を 市 参事 会 裁 判 に 移 送. rw es (V e g)する こと を 勧 告 する こと がで き た 。しか しそ れ は未 だ 「 消極 的 な( negav t ie) 」移 送権限 で あ り 、市 参 事 i un. 会 は一 般的 にそ れ を 命 ずる こと はで き な か った 。 この 事例 は、 前 述 の ― ニ ―二年か ら二 七 年にか け ての 市 参 事 会 の 都. 市 法 制 定 権の 確 立へ の 中 間 時期 に 位 磁 す る も ので あ り 、 エン デは市 参 事会 の 都 市 法 制 定 権 と 、市民 に 関 する 事 件 につ. - 1 12 -. 近大法学 第 3 1 巻第 1 ・ 2 · 3 号.
(23) (7. ). い ての 裁 判管轄 権の、両方の確 立が 同時進行的 に生 じた こと を指摘す る。. 裁 判管轄 権の確 立 後、市 参事会は 刑罰権 ( gewalt )をも 拡張させ ていく。既 に ―ニ―二年の史料や ラテ ン語写 Straf. ). ていた。 これ に加 えて、 ―二四九 年ないし五 七年 に至れば、 本来の 権限 には 属さない 体 刑. ( 8. 本に見ら れるごとく 、お そらく市場裁判 に伴う も のであ ったと推 定され るが、市参事会は被告 人 に罰金刑 ( Ge l dst ra , fen) を科す ることができ. をも 市参 事会は科す る ことができ るまで にな った。 これは市参 事会が ―二四0 年頃 フ ォ ークト職ととも に、市場 裁 判 に由来す る裁判権とは異質な下級裁 判権を都市君 主から獲得した結 果であ る。. (9 ). か く し て市参 事会は都市法 制定権とそ れ に関連す る裁 判権、 さら には 刑事裁判権と 刑罰権をも 掌中に収め、 リ ュ ー. 第三 に、市参 事会と市民共 同体、あ るい は市参 事会員 (門閥) とそれ以 外の市民との社会的区分 が意 図されは じめ. ( 10). た ことであ る。 これは市 に宛 てた 書 簡の名宛人が時ととも に次第 に変化し ていく 点 に明瞭 に認めら れ る。即 ち、. 二六年のハ ンプ ルクからの書 簡では 「 フ ォ ークト、市参 事会員、そし てその他の リ ューベ ック市民」が 名宛人と され. てお り、 この時期市参 事会員が独自の機 関を構成し ていたのではなく、市参 事会は市民共同体 の 一組 織であった こと. が推測 され る。と ころが、 同年の フリ ードリッヒ ニ世の特許 状では 「 フ ォ ークト、市参 事会員 と リ ュ ーベ ック市民」. となっ てお り、市参 事会員は他の市民 と 区別され るも のとし て記 され てい る。 さら に四0 年 に至れば、 通常の名宛人. は「 フ ォ ークト、市参 事会と リ ュ ーベ ック市民 」であった。前述の如 く、 この時期市参 事会は都市法 制定 権 ・裁 判権. ( 11). を確 立し てい たのであ るが、い わ ゆ る人的団体 とし ての 「 市参 事会員」 に代っ て、法 人格とし ての 「市参 事会」が登. 場 し てい るのであ る。. - 113 -. ベ ック市内 におけ るす べての 裁判権( 教会裁判権を除く) を自ら に集中化 させたのであ る。. 十二、 三世紀のリ ュ ー ベ ッ ク 市にお け る市民 自 治の展開.
(24) (3 ). 五年以 前 には、市 が都市法を制定したのであ り、市参 事会 には都市法 違 反事件 に ついて判決す る権限の みが与え られ. ていた にす ぎ な い。. 前述の史料から、 エ ンデは、 遅くとも ― ニニ 七年 までは、市民共 同体 が都市法 に つい ての制定権限を 有し、市参 事. (4 ). 会は、都市法 迩 反に対する、 一程 範 囲内での 罰金 (W e t t e) の決定と適 用、あ るいは裁 判収入の管理と いった都市法. の 施行 に伴う 監督権限を 有すると いう 基本 原則が 働 い ていたと考える。そ し てこ の原則は、― ニニ七年以 降市参 事会. (5 ). rlas s e n ) 原則 に置きかえられ、 こ の 原則が ―二 四0年都 市法 法 典 が都 市法 を決議し公布する (besc hlie sse n und e. skodex) におい て明確 に法 規範とし て確 定されたのであ る。 ec ht r adt (St. この結 果、市 民 自治にお ける 一部の行政 ・裁 判権限を 有する にすぎ なかった市参事会は、市民共 同体 から立法権限 を 獲得し、市 民自治の 主要な諸 権限を自ら に集中化させる に至っ た。. 市参事会の市民共 同体 に対する ヘ ル シャ フト の基礎確 立化は、 第 二に、市参 事会が立法権限を獲得す る に伴 っ て都. 市法 を制度的 に担保する裁 判権限を確 立することを 契機とする。即 ち、 ―つ には一 般的な裁 判管轄 権‘二つ には 刑罰. ( 6. ). 権のそ れぞれ強化 ・確 立であ る。 エ ンデは裁 判管轄 権 に関 する事 例 につ いて 一例を挙げるのみであ る。 即 ち、 それ. は ―ニ ニニ年 リュ ーベ ッ ク市 と 同司 教と聖 堂参事会との文 書 による 和解 につい ての史 料である。そ れ によれば市参 事. 会は市民 に、その市民が聖 堂参 事会との 紛争のため に 教会裁 判所 に召 喚さ れた 場合、その事件を市 参事会裁 判 に移 送. ive 」移送権限であ り、市参事 ( Ve rwe i s ung)することを 勧告することができ た 。しかしそれは未だ「消極的な (neg at ). 会 は 一般的 にそれを 命ずることはできなかった 。こ の 事例は、前述の―ニ―二 年から二 七年 にか け ての市 参事会の都. 市法 制定権の確 立 への 中間時期 に位 脳す るものであ り、 エンデは市参 事会の都市法 制定権と、市民 に関す る事件 につ. - 1 12 -. 近大法学 第3 1巻第1 • 2· 3号.
(25) (7. ). い ての裁 判管轄 権の、 両方の確 立が同時進行的 に生 じた こ と を指摘す る。. 裁 判管轄 権の確立 後、市参 事会は 刑罰権 (Straf gewalt )をも 拡張 させて いく 。既 に― ニ― 二年 の史料や ラテ ン語写. ). に至れば 、 本来の権限 には 属さない 体 刑. 本 に見ら れ るごとく 、お そら く市場裁判 に伴う も のであ ったと推 定 されるが 、市参 事会 は被告 人に罰金刑 (Gel dst r a, (8. fen) を科す ることができてい た。こ れ に加 えて 、 ― 二四九年 ない し 五 七年. をも市参 事会は科す ることができる まで にな った。こ れは市参 事会が― 二四0年 頃 フォ ークト職ととも に、 市場裁 判 に由来す る裁 判権とは異質 な下 級裁 判権 を都市君 主から獲得し た結 果である。. (9. ). かくして市参 事会 は都市法制定権とそ れ に関連する裁 判権、 さら には 刑事裁 判権と刑罰権 をも 掌中 に収め、 リ ュー. 第三 に、市参事会と市民共 同体、あ るいは市参 事会員(門 閥)とそ れ以 外の市民との社会的 区分 が意 図さ れは じめ. ( 10 ). たことであ る。こ れは市 に宛てた書 簡の 名宛人が時ととも に次第 に変化していく 点 に明 瞭 に認め られる。即 ち、. 二六年 のハ ンプ ルクからの書 簡では 「フォ ークト、市参事会員、そしてその他の リ ュ ーベ ッ ク市民」が 名宛人と され. てお り、 この時期市参事会員が独自の機 関を構成していたのでは なく、市参事会は市民共 同体 の 一組 織であ ったこ と. が推測 される 。ところが、 同年の フリ ードリ ッヒ ニ世の特許 状では 「 フォ ークト、市参事会員と リ ューベ ッ ク市民」. と な っており、市参事会員は他の市民 と 区別されるものとして 記されている。 さら に四0年 に至れば、 通常 の 名宛人. は 「フォ ークト、市参事会と リ ュ ーベ ッ ク市民」であ った。 前述の如 く、この時 期市参事会は都 市法 制定権 ・裁 判権. ( 11). を確 立していたのであ るが、いわゆる 人的団体 としての 「市参 事会員」 に代 って、法 人格としての 「市参 事会」が登. 場しているのであ る。. - 1 13 -. ベ ッ ク市内 におけるすべての裁 判権 ( 教会裁 判権を除く) を自ら に集中化 させ たのであ る。. 十二、 三世紀の リ ュ ー ベ ッ ク 市 に お け る 市民 自 治の展開.
(26) この展開 と 軌 を 一に して、市参 事会員 門閥は他の市民からの社会的分 離 を意 図す る。即 ち、 ―二四三年市参 事会員. ( 12 ). gt erni tas ) に 受け入れた。本来商業 都 市とし 修 道院と 同院 長を、 その 兄弟団 (f eran) Dob と その家族 は ドベラ ン (. て 発展した リ ュ ーベ ック市においては市政 への商 人層の影 響力が最初 から 大きか ったのであ るが 、こ の時期早く も遠. 隔地商 人た る上 層市民 が 一般の市民とは 異な る特権 階層化を企てたのであ る。. ( 13 ). しか しこの社会的分 離化の 試みは 不成 功に終 る。 なぜなら市民内 部での社会的 流動性が高く、市参 事会は常に新 た. )を その中に 取り 込む必要があ ったからであ る。 nesn vi o homi に上 昇して く る新 興 層 (. 上層市民は、 その他の市民 を政 治的 意 思決定過 程か ら排除す ること 十三世紀 末に 至 って、 ついに彼ら市参 事 会員 II. に事実上 成 功す る。即 ち、 第 一に市参 事会員 資格 を遠隔地商 人に限定す る市参 事会員 選挙規則を ハイ ンリ ッ ヒ獅 子公. によ って 作成さ れたものと して 制定したこと、 第 二に、 一三00年頃 市参 事 会員の 相互 補 選制を 導入 したことであ る。. す るよ うにな nung) rd ero Ob 以上、市参 事会は第 一に都市法制定権、 第 二に 裁 判権 を獲得 して市民共 同体 に 優位 (. ( 14 ). り、さ らに十三世紀 末には市参 事会が上 層市民によ って独 占さ れるこ とによ って、市政 におけ る大商 人支 配、即 ち、. 市民共 同体 に対す る市参 事会の支 配 ( R at s her r sc ha ft ) の法的 ・社会的前 提条件が 形成されたのであ る。 註. I•. . 27. ( 1 )BL.Nr . 59. ( 2) BL•Nr .224. ( )てあ った。LUB. Nr e x a t t 3) 因みに、都市法史料における、市参事会制定の最初の法は ―二五五年のパン税法 ( Bro ( 4) 但し、市民共同体が都市法制定権限を有していた時ですら、市参事会が都市法制定に際して影啓力を行使していたと彼は推. - 1 14 -. 近大法学 第31巻第 1 · 2 · 3号.
(27) 十二、 三世紀のリュ ー ベ ッ ク 市における市民自治の展開. ,a.a ,S. 134. .0. 測する。B.am.Ende. ー. ., s. 134. bid (5) 同法典 では、市 民は市参事会 の命令 に従う べきも のとされた。i . 42. (6) BL•Nr ,S. 134 135. .a .a.0. (7) B.am.Ende. (8) エソデ によれば、 フリ ードリ ッヒ 一世 の特許状 に記 され ていた贖罪金 の分割 による市参事会 の持分権 は、市参事会が裁判君 • .s. 135. d bi 主 ではなく、都市共同体 の執行機関 であ る ことを示 すにすぎな い。i. -115-. ,s. 135. bi d. (9) i .31. ) LUB. I•Nr (10 .a.a .S. 136. .O. ) B.am.Ende (11 (12 ) 市参事会員は 本来市民 によ って 選挙 され たと考 えられる。 ま た 被選挙人も大商 人に限定され てはいなか ったよう である。 ,s. 213. i d. bi. •.s. 213. ) i d (13 bi • .s. 136-137. 一―七0年代、市参事会 に判 決樅限 があ るという原則が、 ラテン語 から ドイツ語 に初 め て翻訳された際 、 bi d (14 ) i • .s. 212. d bi hkeitに修 正された。i c kli r wi ungs s s fa Ver. 都 市 君主 制. フリ ー ド リ ッ ヒ ニ世 に よ る 特 許 状 の付 与 で あ る 。 これ ら の法 的 行 為 は 既 に達 成 さ れ た市 民 自 治 を 都 市 君 主 に対 し て確. こ の過 程 の法 的 契 機 と な った も の は 、 ―ニ ニ 五 ー ニ六 年 の フリ ー ド リ ッ ヒ 一世 の特 許 状 の改 ざ ん と 、 ―二 二 六 年 の. る。. 中 市 参 事 会 が 市 内 にお け る権 力 を 確 立 さ せ て い く の に伴 って、 後 者 の権 力 が 次 第 に衰 退 し て い く 過 程 が 明 ら か に さ れ. 次 に市 民 共 同 体 ・市 参 事 会 と 都 市 君 主 •そ の役 人 、 な い し これ に類 す る 近 隙 額 邦 君 主 と の関 係 にお い て、 前 者 、 就. 国.
(28) 保 す る ため に行な わ れ たの で は な い。 エ ン デによ れ ば 、都 市君 主 は 、 後 述 す る 如く、 頻 繁 に 交 代 して お り 、 市 に 対 す. る 影響 力 も 弱体 化 して お り 、 こ の 行 為 は 都 市君 主 に 対す る と い う より も む し ろ 市 に 脅 威 を与 え続け て い た近 隣 の領 邦. 君 主 に 対 す る 法的 手 段と して 行な わ れ たので あ る 。レ ー リ ヒ は こ の 点 を 必 ずしも 十 分考 慮 してい たと は 思 わ れ ない 。. 以 下 にお い て 、都 市君 主 と そ の役 人 、 な ら び に こ れ に 類す る 近 隣の 領 邦君 主 に つ い て 、 年 代 記的 に要 約す る 。. ハイ ンリ ッ ヒ 獅 子公 以 後 の都 市君 主 制. ). (. V•D assel ) と い う 人 物が 伯 の 家 族と と も に 市 か ら 退却 し た事実 と 、 ― ―八 一 年 の ベ ネ フ ィキ ウ ムの 付 与 の 際 と 今 回. (3 ). f ― ―八 九 年 、 市が 追 放か ら帰 還し たハイ ンリ ッ ヒ 獅子 公 に 開 城 し、そ の 際 アド ルフ伯の 代理 人 たる アド ルフ (A dol. ウ ムがレ ー ンで あ ったの か 、 単 なる 贈与 で あ ったの か 不明 で あ る 。 しか し、 アド ルフ伯が 十 字 軍に参 加 してい た間の. 半 分 を 旧都 市君 主 たる アド ルフ三 世 に「 ベ ネ フ ィキ ウ ム( Bene fi c iu m) 」と して 付 与 し たので あ る 。 こ の ベ ネ フ ィキ. え ら れ る 。 即ち 、 皇帝 フリ ー ドリ ッ ヒ 一世 は 市を 皇帝 直 轄都 市 と して 皇 帝 の 直 属下 に 置い たが、 他方 市 か ら の 収 入の. 八 一年 以 降、 事実 上 都 市君 主 に ホ ルシュ タイ ン伯 アド ルフ三 世 が 復 帰 し、 市内 に は 伯の フ ォー ク トが 滞在 し たと 考. ― ―八 0年 ハイ ンリ ッヒ 獅子 公 が 帝 国 アハ ト刑に 処 せ ら れ 、 追 放さ れ て か ら 、都 市君 主 の 頻 繁 な 交 代 が 開 始 す る 。. (1. ) (R ei noldus と い う ミ ニステリ アー レが 登場 して い る こと か ら 、 ハイ ンリ ッ ヒ 公 が 都 市君 主 的 役 人 たる フ ォー ク トを 2) 任命 し て い たこ と が 考 えら れ 、 この役 職 は 既 に シ ャウエ ン プ ルク 期 に も 存 在してい たよ うで あ る 。. 年 の ハイ ンリ ッ ヒ 獅子 公 文 書 に お いて 、 「リ ュ ー ベ ッ クの フ ォー ク ト (c om es deL vi byk e)」 と して ラ イ ノ ルド ス. 前 述 の 如く 、 都 市君 主 は ま ずホ ルシュ タイ ン伯 アド ルフニ世 、 そ の 次は ハ イ ンリ ッ ヒ 獅子 公 で あ った。 ― ―六. (1). の 事 件 の 際 に 、皇帝 の フ ォー ク トが 話題 に な って い ない こ と か ら、 ― ―八 一年か ら 一 ―八 九 年 まで 、 事実 上 、 ホ ルシ. - 11 6-. 近大法学 第3 1 巻第1 ・ 2 · 3 号.
(29) ュタイ ン 伯 アド ルフ 三世 が 都 市君 主 で あ った と推 測さ れ る 。 伯の フ ォー ク トも 八 一年 以 後 市に 滞在 し て い た と 考 え ら れる。. f t e) 」を ― ― 九0年 国 王に 即位し た ハイ ン リ ッ ヒ六世 は 、市 か ら の 収益の 半 分 た る 「 国 王の 半 分 (koi n gliche Hal. 帰 国 し て い た 獅子 公 に 贈与 し た 。 た だ し 、そ れ は 残り の半 分 を ホ ル シ ュタイ ン 伯に 与 える と い う 条 件 付き で あ った 。. (4 ). し か し 獅子 公 は 既 に 伯のフ ォーク トを 市 か ら 退却 さ せて い た ご と く、 この 約 束 は 果さ れ な か った 。 即ち 、 八 九年 以後 ハイ ンリ ッ ヒ 獅子 公 が 市 に 対 す る 支 配権 を 再 び 確立 さ せて い たので あ る 。. ― ― 九三 年十 字 軍か ら帰 還し た アド ルフ 伯が ザ ク セン 公 ベ ル ン ハル トと と も に 獅子 公 を 打ち 破る と 、 皇 帝 は 再 び市. t j en bu rg)がリ ュー ベ ッ ク の フ ォーク ト( ad v ocatu sLubi ce n i ss )で あ った ことが 証明 さ れ る こと ( Wla t erv onLli. か ら 、一 ―九 三年か ら ―二0 一年 まで アド ルフ 伯は 単 に 市か ら の 収 益を 得 た だけ で は な く、 都 市君 主 で あ った と推 定. され 翠. リ ュー ベ ッ ク 市に 都 市君 主 の役 人たる フ ォーク トが 存 在す る と い う 体制 は 、 ―二 0 一年 以 後デ ン マー ク 軍の 南 下 と. に属 すよう と も に アド ルフ 伯が ホ ル シュ タイ ン か ら 追 放さ れ 市 がデ ン マー ク 王の オ ー バ ーホ ー ハイ ト(O eb rh oheit ). ( 6). に な って か ら も 、か わり は な か った。そ の 際 都 市君 主 の 位置に あ ったの は 、 国 王 ヴ ァルデ マー ル で は な く、そ の 家 臣. O rl am iind e) で あ り 、 彼は 市 の 水 車 と 関 税か ら の 収益を 取得 し た 。 市 に 配 置さ れ た フ ォ l b r e ch tv. アル フ 。レ ヒ ト(A. ー ク トに つい て は 不詳で あ る 。いづ れ に せよ 、 ―二 O一 年 か ら 三 二 三 年 まで の都 市君 主 は この アル プレ ヒ トで あ っ. たので あ る 。. - 11 7-. か ら の 収 益を す べて 伯に 与 え た 。 ―二0 一年五 月の 史料 に お い て 、 アド ルフ 伯の ミ ニステリ アー レ たる ヴ ァル ター ル. 十二、 三世紀の リ ュ ー ベ ッ ク 市に お け る市民自 治の展開.
(30) は再度 ホ. ル. ン ヘフ ト ( Bornho ve d)の 戦 い で 北ド. ル. シ ュタイ ン 伯頷に 侵入し 、 ― ニ ニ 四 年 北 ドイ ツ諸 候 軍と 衝突 し た 。 こ の 時 リ ュー. ル. と こ ろ が ―二 二 三 年リ ェー ( Lyo e) 島 滞 在 中に 北ド イ ツ諸 候の 奇 製を 蒙 り 、 監禁 さ れ 、多 額の 賠償 金を 支 払って 解 放さ れ た ヴ ァ ルデ マー. ベ ッ ク の 市民 は 後 者 の 諸 候 軍を 支 援し て い る 。 こ の 紛争 は ―ニニ 七年 七月 ボ. イ ツ諸 侯 軍が デ ン マー ク 軍に 勝利し 、 後 者の 北ド イ ツか ら の 徹 退と い う 形で 最 終的 決着 が つ けら れ た 。. そ の 間に 市 は ―二 二 六 年 六 月皇 帝 フリ ー ドリ ッ ヒニ 世 か ら「 帝 国 自 由 特 許 状 」を 授与 さ れ て い たが 、そ の 際 皇 帝 と. 市 の使 節と の 仲 介 を 果し た の が ザ ク セ ン 公 ア ルプレ ヒト ( Al br e ch t I.) で あ った 。 彼は ―二 二 六 年 秋この 北ド イ ツに. クを譲. ル. フ 四世 と そ れ ぞれ レ ーン. ル. 戻 った 。 自 分た ち の レ ー ン を 正当 化し て も ら う べく北ド イ ツの 諸 侯たち は 彼に リ ュー ベ ッ ク 市 と ラ ッ ツ ェブ. シ ュタイ ン 伯 アド. ル. (7. ). ト ( Al b ertv.S tad e)の 記 録に よ れ ば 、 伯ら は ザ ク セン 公 に リ ュー ベ ッ ク 市 を 「皇 ル. 渡し 、 翌年 二 月に は 、 公 は シ ュヴ ェリ ン 伯ハイ ン リ ッ ヒと 、そ し て ホ. 契 約 を 結 んだ 。 こ の 間の 事 情 を 伝え る ア ルベ. シ ュタイ ン 伯 アド. ル. ( 8. ). フ ニ 、 こ‘ 四世 、ハイ ン リ ッ ヒ獅子 公 、 ア ルプ レ ヒト ・フ ォン ・オ ルラミ. ル. フ 四世 の 支 配下 に あ った こ と を 示 す 。. ル. 帝 の た め の 信 託と し て (z u t reu enHa nd enfur denKaiser )」 譲渡し た 。 こ の こ と は ―二 二三 年か ら二 六 年 秋 ま で. 伯、 即ち アド 以上 の よ うな 、 ホ. ュン デ 間で の 都 市君 主 の 頻 繁 な 交 代 の 中で 、リ ュー ベ ッ ク 市 参事 会に よ る フリ ー ドリ ッ ヒ 一世 の特 許 状 の改 ざ ん やフ. ). シ ュタイ ン 伯家で あ った 。 市 が 常 に そ の 支 配を 免れ るべ く 腐心. ル. リ ー ドリ ッ ヒニ世 の特 許 状 の付与 が 生 じた の で あ る 。 エン デ によ れ ば ‘こ れ ら の 都 市君 主 の 頻 繁 な 交 代 に お い て 、 繰. (9. 返し 、事 実 上 強力 な 都 市君 主 と し て 登場 し た の は ホ. し て い た こ と は史料 上 明 白で あ り 、 前 述 の 特 許 状 を め ぐる 法的 措置も 、 ま さ しく この 伯 家 の 支 配に 向け ら れ た も の で. - 118-. 近大法学 第31巻第1 · 2· 3号.
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