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経済体制の比較基準

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経済体制の比較基準

福 田 敏 浩 はじめに 1ヘンゼルのばあい ffピュッツのばあい 皿リッチュルのばあい IVタールぐイムのぽ1あい Vひとつの総括 は じ め に  経済体制の比較研究が本格的に行なわれるようになったのは,第2次大戦以 後のことである。もちろん,この方面の研究は戦後に突如として登場したと言 うのではない。最初の波は両大戦間に現われた。周知のようにこの時期にはい わゆる計画経済論争が勃発し,ランゲ(0.Lange)やラーナー(A. p. Lemer)        つやディッキンソソ(H.D. Dickinson)らが「社会主義的ワルラス体系」の構築に 参画して社会主義における経済計算の可能性を論証したのに対し,ミーゼス (Lv. Mises)やハイエク(F. A Hayek)やPビンズ(L. Robins)らの新自由主 義者たちは社会主義での有効にして合理的な経済運営の可能性に対して異議を 唱えた。このような論争においては社会主義対資本主義という対置の中でとり わけ両体制の効率面の優劣が問われたと言える。  さて,このような戦前における体制比較は一口で特徴付けると,いわゆるモ デル理論的な比較であった。これに対して戦後になると,研究の範囲が著しく 拡大されると同時に実証的な比較研究の占めるウェイトが徐々に高まってきた と言える。戦後期におけるこのような比較研究の進展をもたらしたのは,東側 1) Boettcher (1) S. 35.

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陣営の拡大に伴う社会主義体制建設の拡大と多様化,西側諸国における資本主 義体制の変質と多様化ならびに冷戦体制の出現といった一連の経済的および国 際政治的な現実動向であったことは疑いない。戦後期における経済体制の比較 研究は,ことにアメリカで盛んとなった。比較経済体制論(comparative economic systems)が経済学における一分野として確立されたのはこの国においてであ る,と言って過言ではあるまい。むろん言うまでもないことだが,この方面の 研究はアメリカに限られてきたと言うのではない。西ヨーロッパにおいても精 力的に研究が推進されてきている。なかでも地理的に東方圏の国ぐにと境を接 する西ドイツおよびオーストリアが研究の中心地となっている。たとえば西ド ィッにおいては1951年にベルリン自由大学に東欧研究所(Osteuropa Institut)ヵミ 設立されたのを皮切りに,それ以後,ソ連・東欧関係ならびに比較体制関係の 研究所が大学内にあるいは独立の機関として相ついで設置された。そして,こ れらの研究所を拠点にして精力的に理論的ならびに実証的な研究が展開され, その成果は著書や雑誌論文の形で発表されてきたが,その数は枚挙にいとまが       の ないほどである。  本稿の目的は,西側ドイツ語諸国における経済体制の比較研究に直接・間接 に関連する幾多の論説のうちから代表的なものを四つほど選び,体制比較の基 準の面に着目してこれらを比較検討す.ることにある。なお本稿は,私自身の経 済体制論研究の体系化へ向けての準備作業の一環を成すものである。 1 ヘンゼルのばあい  まず最初にヘンゼル(K.Paul Hensel)の論説からみていくことにしよう。  (1)K.P.ヘソゼルは思想系譜からいうと新自由主義(Neoliberalismus)に 連なる人物である。新自由主義は現代を代表する社会経済思想のひとつである が,これは単一の学説体系から成るのではなく,見解を異にする複数の学派や 2)西ドイツならびにオーストリアにおける東欧研究の動向については野尻〔13)がく  わしい。

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      経済体調の比較基準  69       ヨ  思想グループをうちに含んでいる。ヘンゼルが所属していたのは,そのなかで もひときわ大きな影響力を保持してきた西ドイツのフライブルク大学グルー プ,すなわちフライブルク学派である。この学派はヨーロッパ大陸における新 自由主義のメッカとなっており,とりわけ戦後において理論ならびに実践の両 面で多彩な活動を展開し,これら両方面に大きな足跡を残してきた。フライブ ルク学派の礎を築いた論者のひとりは,ドイツ語圏における経済体制罪なら びに経済政策学に不朽の業績を残した,あのワルター・オイケン(Walter Euc− ken)である。ヘンゼルは,このオイケンの薫陶を受けた直弟子のひとりであ る。したがって,あるいは当然のこととも言えるが,ヘンゼルの経済体制論の 基調にはオイケンの教えが色濃く反映されている。換言するならば,別稿で私 が細説しておいたようにヘンゼルの論説は基本的にはオイケン説を継承するも     の のと言える。そこで以下ではオイケンの所説をも交えながら体制比較という点 にアクセントを置:いてヘンゼル説の概要を述べていくことにしたい。       の  (2)ヘンゼルによれば経済秩序(Wirtschaftsordnung)ひ*「経済活動の条件群」        の または「経済過程を規定する条件下」と定義される。すなわち,経済秩序とは 個々の経済活動や日々の経済の流れ(経済過程)を支え,そのあり方を規定する 枠組と考えられている。このような経済秩序の捉え方はオイケンと同様であ る。オイケンにおいては,人間生活の一領域としての経済が質的側面たる経済 秩序と量的側面たる経済経過(Wirtschaftsablaufまたldi Wirtschaftsprozess)とに 二分され,前者は後者のあり方を規定する枠組と解された。このような:経済世 界の二分法はオイケン以後フライブルク学派の経済学研究の柱となっており, この派の経済学者たちのあいだでは経済理論の分野で経過理論と秩序理論,経 3)ナウP一トによれば新自由主義は次の六つのグループに分類される。1.シカゴグル  ープ,2.ロンドン大学グループ,3.オーストリアグループ,4フランスグループ,5.  ベルギーグループ,6.フライブルク学派(西ドイツ)。Nawroth〔10〕S.5一一6.なお  新自由主義の社会経済思想のアウトラインについては野尻〔12〕を参照されたい。 4) 拙稿〔32〕および拙稿〔34〕。 5) Hensel (5) S. 49. 6) Hensel (4) S. 325.

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 70 彦根論叢 第219号 済政策学の分野で経過政策と秩序政策というシェーマが常用されている。  (3)つぎに,経済秩序の仕組みを問題にしなければならない。それというの もこの点にヘンゼルの論説の核心のひとつがあるからである。この点にかんす るペンゼルの発言をここに再録すれば次めごとくである。「経済秩序は倫理        マ  的,法的ならびに形態論的な構成体である」。この引用文から明らかなように, 経済秩序は倫理的要素,法的要素ならびに形態論的要素から成る。これらにつ       きう いての細目を私なりに整理し直して示すならぽ次のごとくである。  A.倫理的要素……慣習,風習,宗教観や世界観に根ざす義務観および責任感など。  B.法的要素……憲法,契約法・会社法・税法・独占禁止法などの経済関係法規,そ   の他の法律。  C。形態論的要素(=秩序形態)   ① 計画体制……分権的計画体制,集権的計画体欄   ② 所有形態……私有,公有   ③企業形態……たとえば西ドイツでは約20の形態   ④ 企業内意思形成形態……単独指導原則,集団的意思形成原則   ⑤ 企業内成果計算原則……利潤原則,計画達成原則,プレミア原則,所得原則   ⑥価格形成形態……公定価格市場価格   ⑦市場形態……完全競争から双方独占まで総数で100の形態   ⑧貨幣形態……交換手段および計算単位の両機能を有する形態両機能の分離し    た形態   ⑨貨幣体系……実物貨幣振替貨幣・債務証書,銀行券  (4)以上が経済秩序の構成要素にかんするヘソゼルの叙述のあらましである が,いまこれをオィケソの論述と比較すると,オイケンよりもヘンゼルのほう が経済秩序をより広く捉えていることが分かる。このことはとりわけ規範的諸 要素一つまり倫理的要素および法的要素一に対する両論者の扱い方の違いに端 7) Hensel (7) S. 15−16. 8) Hensel (7) S. 18−20.

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      経済体制の比較基準  71 的に示されている。ヘンゼルにあってはこれらの要素は経済秩序の構成要素に 含められたことは前述のとおりであるが,一方オイケンのばあいにはこれらは 与件としていわぽ経済秩序の外に置かれたのである。ちなみにオイケンは与件 として,①経済活動の目的としての欲求,②自然(地下資源),③労働(その量 と質),④過去に生産された財のストック,⑤技術知識⑥法的社会的組織の6 群にわたる諸要素を挙げた。オイケンのばあい規範的要素は,各種の社会的組 織や精神的諸要因などとともに第6番目の与件群に含められている。  さらに,ヘンゼルの形態論的諸要素に注目すると,これらについてもヘンゼ ルのほうがオイケンよりもより多くの要素を考慮に入れていることが知られ る。オイケンが経済秩序の構成要素として確定したのは経済体制,市場形態, 貨幣形態ならびに貨幣体系であった。私見によれば,これら四つの要素はその ままヘンゼルに受けつがれた,と言っても過言ではない。ヘンゼル自らが明言       の しているように,市場形態,貨幣形態および貨幣体系は内容に何ら変更が加え られることなしにそのままかれの体系の中へとり入れられている。問題となる のは経済体制(Wirtschaftssystem)である。というのは一見する限りではヘンゼ ルはこの用語を使ってもいないし,これを経済秩序の構成要素に含めてもいな いからである。しかしながら,ヘンゼルの論述を仔細に検討し,かっこれをオ イケンの説と突き合わせてみるならぽヘソゼルはオイケンの経済体制をも自説 のうちにとり入れたことが了解される。ではヘンゼルのどの用語がこの経済体 制にあたるか。それは計画体制(Planungssystem)である。計画体制は一口で言 うと需給の調整システム(Koordinationssystem)セこほかならない。ヘンゼルは先 述のとおりこれを分権的計画体制と集権的計画体制とに区別した。そのさいの        ヱの 区別標識はオイケンと同じく「誰が経済経過を計画するか」である。かくて分 権的計画体制は経済活動の主体が多数の個別経済であることと需給が市場価格 によって調整されることとをもって特徴付けられるのに対し,集権的計画体制 は経済活動の主体が一個の中央機関であることと物量バランスによって需給の 9) Hensel (7) S. 20. 10) Hensel (3) S. 175, Hensel (7) S. 23.

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調整が行なわれることとをもって特徴付けられる。これら二様の計画体制はそ の内容からして明らかにオイケンの二つの経済体制に,つまり流通経済(Ver− kehrswirtschaft)と中央指導経済(zentralgeleitete Wirtschaft)とに対応すると言 いうる。  (5)以上にみたごとくヘンゼルは経済秩序の把握にさいして倫理的要素から 形態論的要素までの多様な要素に注目しているが,ここでこれらの要素はいず れも同じランクにあるのではないということに注意しておかねばならない。す なわちヘンゼルによれば,構成諸要素のあいだには経済秩序を経済秩序たらし める主柱的要素と,しからざるものとがある。かれはカント(1.Kant)にちな んで前者を本質的要素(konstitutives Element)と呼び,後者を偶有的要素(akz一       ユユ identielle Elemente)と名付けている。ではどれが本質的要素にあたるか。それ は計画体制である。これに対して残りの要素はすべて偶有的要素として位置付 けられ,重要性の点で計画体制の下位にあると考えられている。前述のように 計画体制は分権的体制と集権的体制とに区別されたが,ヘソゼルによれば計画 体制にはこれら以外のものは理論的に考えられないと言う。そうすると,計画 体制は経済秩序の本質的要素だからして論理的に経済秩序も二つしかありえな いことになる。すなわち,分権的計画体制を柱とした市場経済と集権的計画体       エ  制を中核とした中央管理経済とがこれである。別稿で指摘しておいたように, 調整システムの重視とともにこのような秩序の二分法もまたオイケンに由来す ると言わねばならない。  (6)さて,これまで経済秩序の構成の問題に焦点をあててヘソゼルの論説を 概観してきたが,今度は視点を変えて体制比較の角度よりかれの説をみておく ことにしよう。結論を先取りして言うならば,ヘンゼルはもともと(ことに東 西の)体制比較にとって有効かつ有用な理論の獲得を意図して如上の説を打ち 立てたと解される。というのは,ほかでもない,ヘンゼル自らがここに概観し た包括的な論説を活用しつつ東西両ドイツをフィールドに選んで中央管理経済 11) Hensel (4) S. 42. 12)拙稿〔32〕および拙稿(34〕。

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      経済体制の比較基準  73        と市場経済の巨細にわたる比較を試みているからである。そして注目すべきこ とは,そのさい先に挙げた経済秩序の構成諸要素が比較の基準とされているこ とである。つまり,ヘソゼルにおいては経済秩序の構成要素すなわち体制比較 の基準という等式が成立しているのである。かくしてヘソゼルは,中央管理経 済と市場経済とを,たとえば需給の調整,秩序の構成,法秩序ならびに国家と 経済などについて詳細に比較し,このことを通して市場経済の(とりわけ効率上 の)優位を論証している。  ところでヘンゼルに大きな影響を与えたオイケンの論説は本来,経済体制原 理論の部類に属すると言えるだろうが,しかしそれはまた現実の諸経済体制の 比較を意図していたとも言える。というのはオイケン自らが明言しているよう ユの に,かれの(経済体制,市場形態,貨幣形態ならびに貨幣体系から成る)形態論的装 置は具体的な経済体制の構造を把握するための手段としての機能を有していた からである。オイケンはこの装置を活用することによって時と所とを問わず一 切の具体的経済体制の構造を的確に把握しうると確信していた。私見によれば ヘンゼルの体制下は現代における諸経済体制の比較を念頭においてオイケン説 を拡張しようとしたものであると解される。 ]]1 ピュッツのばあい  つぎにピュッツの論説を取り.ヒげることにしたい。  (1)テオドール・ピュッツ(Theodor Ptitz)は1905年生れのオーストリアの経 済政策学者である。第2次大戦以後の西側ドイツ語諸国では一般経済政策論 (Allgemeine Wirtschaftspolitik)の研究が本格的に進められてきたが,ピュッツ はこの分野の研究に大きな影響力を及ぼしている指導的論者のひとりである。 以下にみるかれの経済体制論はこのような政策論の一環として展開されたもの である。言いかえるならば,ピュッツの経済体制論はその政策論のいわば基礎 理論ともいうべき地位を占めると言ってよい。 13)Hensel〔7〕S.27以下。 14) Eucken (2) 168−169.

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 ところで系譜的にみると,ピュッツはもともとゴットル(F.v. Gottl−Ottlilie・ nfeld)の流れを汲むが,しかしその体制論には二二するようにオイケンやゾム バルト(W.Sombart)の影響もみられる。もちろん,だからと言ってピュッツの 論説には個性や独創性がないと言うのではない。ヌスバウマー(A.Nussbaumer)        15) が指摘するように,ピュッツは経済体制の原理的研究の方面ではゾムパルトや オイケンに比肩しうるほどの個性的な業績を残したと言えるのである。  (2)ピュッツが研究の対象とするのは,現代における東西の諸経済体制であ る。周知のように第2次大戦以後,東側の社会主義も西側の資本主義もそれぞ れ変容しつつ多様化の道をたどりつつある。東側では1950年代に.入っていち早 くソ連圏から離脱したユーゴスラヴィアを先駆けとして,50年代後半にはソ連 圏諸国のあいだに多様化の動きが始動した。この動きは56年を頂点にして一時 下火となっていたが,60年代に入るといわゆる経済改革を契機として再燃し た。かくて経済改革以後ソ連圏諸国の経済体制は大きく変容し,かつての一枚 岩的な構造から脱乱して分岐の道をたどりつつあることはいまや誰の眼にも明 らかとなった。私のみるところでは現在,ソ連・東欧圏にはソ連・東独型の集 権的社会主義,ハンガリー型市場社会主義ならびにユーゴスラヴィア型自主管 理社会主義が存在している。  一方,西側の資本主義諸国においても多様化の動きが顕著である。レッセ・ フェールの資本主義はすでに過去のものとなった。この一世紀のあいだに資本 主義は質的に大きく変化した。とりわけ国家と経済との関係の変容にこれをみ ることができる。国家はもはやかつての夜警国家などではなく経済に対して強 力な発言力を有する行政国家もしくは巨大な政府となった。むろん経済への国 家の干渉の具体的な方式は各国各様であるが,一般に国家が経済の全般的調整 者,少なくとも経済の全般的調整の補完者の地位を占めていることは争いがた         ユの い現実となっている。いわゆる混合経済の出現である。しかも混合経済の態様 は近年,多様化しつつある。それは国ごとにさまざまと言いうるが,代表的な 15) Nussbaumer (15) S. 31. 16) 野尻〔14〕34−35ページ。

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       経済体制の比較基準  75 ものとしてはフランスの協調経済方式,西ドイツの協調行動方式,イタリアの 公社方式ならびにスウェーデンの福祉国家方式をあげることができよう。  ㈲ さて,ピュッツの関心はこのように多様化した東西の諸体制をいかに的 確に把握するかに向けられる。かれによれば,オイケン流の形態論をもってし ては現実の経済体制を十二分に捉えることは不可能である。というのは,オイ ケン流の諸形態はもっぱら需給の調整にかかわる形式的にして「意味空疎」        17)(sinnleer)な純粋形態またはモデルにほかならないからである。だがしかし, ピュッツはオイケン流の形態論を一のちにみるリッチュルのようレこ一全面的に 斥けた,と言うのではない。したがってピュッツによるオイケン批判の真意 は,現実の経済体制を把握するにはオイケン流の形態論のみでは十分でないと       18) いうことにあったと言わねばならない。ピュヅツによればオイケンの論説は価 値や目標にかんする議論を欠いている。経済秩序は他の社会的諸秩序と同様に 自然とは異なってそのときどきに支配する価値(たとえば,自由,公正,福祉,安 定)によって根本的に規定される。言いかえると,経済秩序はたえず価値に関 係づけられ,この限りで意味をもっている。したがって価値と経済秩序とのあ       エ う いだには常に一定の意味関連(Sinnzusammenhang)が成立しているのである。 ピュッツによれぽ,オイケン説の難点は要するにこのような意味関連が不問に 付されたことにある。  (4)かくて「意味ある」(sinnerftillt)現実の経済秩序を的確に捉えるには意味 関連の聞題を体制分析に取り入れることが不可欠のこととなる。ピュッツの言 うところを解釈すると,こうした意味関連は「国家と経済との関係」にもつと もよく表現される。ここに国家と経済との関係とは,経済政策の主体としての 国家と個別経済(企業,家計など)との関係,つまり個別経済がどのような形で 国家に従属するか,にほかならない。ピュッツはこの点にかんする原則を「従       20) 属原則」(Subordinationsprinzip)と呼ぶ。そしてこれを後述のとおり四つに区別 17) Piitz〔18)S.148。 18) この点については拙稿〔33〕でも指摘しておいた。 19) Ptitz〔19〕S.24, S.26. 20) Piitz〔19〕S.24.

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している。  ピュッツは経済秩序の把握にさいして従属原則ばかりでなく需給の調整原則 (Koordinationsprinzip)をも重要視する。この原則は二つに区別されている。 「市場経済的調整原則」と「中央管理経済的調整原則」とがそれである。これ らの原則は「これをW・オイケン流に定義するならば,論理的に考えられる       (可能な)調整原則である」。このことは,調整原則には論理的にみてこれら二 様のものしかありえないということを意味する。このような見解がオイケンの 考えを引くことは言うまでもない。  (5)ところでピュッツは,如上の従属原則と調整原則を一般原則(generelle         Grundsatze)とも呼んでいる。ここに一般原則とは,経済秩序全体のあり方をい わば内在的に規定する原則のことである。つまり,それは総体経済秩序の主柱 をなす本質的な原則にほかならない。したがって一般原則は経済秩序の本質的 な構成要素だと言ってよいであろう。秩序把握にさいしてピュッツが注目する のは,調整と従属の二様の一般原則ぽかりではない。これらのほか特殊諸原則 (spezielle Prinzipien)にも注意が向けられている。ここに特殊原則とは,総体 経済を構成する諸部分秩序を内在的に規定する原則のことである。特殊原則は 経済秩序の構成要素という点では一般原則と違わないが,しかし重要性の点で 一般原則の下位にくると考えられている。換言すれば,一般原則は経済秩序の 本質的構成要素であるが,これに対して特殊原則はその副次的・二次的な構成 要素なのである。  ⑥ ピュッッに即して一般原則ならびに特殊原則についての細目を示すなら       う ば,次のごとくである。  A.一般原則   ①調整原則……市場経済的原則中央管理経済的原則   ② 従属原則……経済過程への国家の不干渉の原則,経済過程の市場適合的な指導 2!) Ptitz (19) S. 23. 22) PUtz (19) S. 19. 23) PUtz (19) S. 22ff, S. 33ff.

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      経済体制の比較基準  77    の原則,経済過程の指令的中央計画の原則,経済過程の中央計画適合的な指導の    原則  B.特殊原則   ① 所有関係……私有,基幹産業の国有化,社会化など   ② 企業形態…・個人企業,株式会社,協同組合など   ③経営体制……非参加方式,協議方式,共同決定.自主管理など   ④市場形態……公開市場,封鎖市場など   ⑤ 競争関係……自由競争,制限競争など   ⑥ 貨幣制度     貨幣創造の主体……国家,中央発券銀行     貨幣発行日……金準備高など     対外取引……自由取引,為替管理   ⑦ 所得形成……協約方式,中央決定方式   ⑧ 所得分配……必要原則,貢献原則,平等原則  ちなみに,ピュッツのばあい上に示した(それぞれ複数のヴァリアントを有する) 八つの特殊諸原則は,経済循環の諸局面一生産,交換ならびに分配一における 原則と考えられている。すなわち①②③は生産の局面における,④⑤⑥は交換 の局面における,⑦⑧は分配の局面における原則なのである。  〈7)以上がピュッツの体制論のあらましであるが,かれの論説の一大特色は 意味関連にかかわる従属原則が経済秩序の主柱のひとつの位置に置かれたこと にある。このことによって一方で価値の問題が秩序分析に取り入れられる道が 拓かれるとともに,他方で国家と経済との関係が定型化されることにもなって いる。しかし,ここで意味関連の問題を重視するのは何もピュッツだけではな いということを言っておかねばならない。学説史的に振り返ってみると,いわ ゆる歴史学派の回れを汲む論者たちはそのときどきに支配する価値的ならびに 精神的な諸要因に着目し,これらを基軸にして論を立てるのが普通である。た とえば,歴史学派の批判的展開者として知られるゾムバルト,その流れを汲む シュピートホフ(A.Spiethoff)や(後説の)リッチュルやハイマン(E. Heimann)

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らの体制下においては,多様な諸要素を全体へと意味的に統合化する統一原理 として精神的要因に注意が向けられていると言ってよい。私見によれば,価値 や意味関連を強調するピュッツの論説にはこの派の考えが色濃く反映されてい        の る。また方法論的にみると,ヌスバウマーが示唆しているように,ピュッッは       ら  オイケン流の理論(ピュッツの考えによれば「モデル理論」)とともに,ゾムバルト        流の理論(ピュヅッによれば「歴史的理論」)をも活用し,このことを通して独自の 方法的立場の確立をめざそうとしていることが窺える。  ⑧ ピュッツの論説は,直接,東西の諸経済体制の比較を意識して立てられ たものではない。むしろ,先にも関熱したとおり,かれの説は経済体制の原理 的研究の部類に属すると言うべきであろう。しかしながら,私見によれば,ピ ュッッが経済秩序の構成要素として確定した一般諸原則ならびに特殊諸原則は そのまま現実の諸経済体制の比較の標識にもなりうるのである。そのなかでも 私はことに国家と経済との関係にかかわる従属原則に注目したい。というの は,今日,国家なしの経済は世界中どこにもないと言っても過言ではないから である。東側諸国については言うまでもない。西側の国ぐににおいても経済に 対する国家の影響力は徐々に強まりつつあることは先述のとおりである。こう した現実を直視すればするほど,私は経済体制の比較にさいしてピュッツ流の 従属原則の問題を考慮に入れざるをえないと思うのである。そのさい私がとく に注目したいのは,従属原則を細分するさいのピュッツの着眼点である。すな わち,ピュッッはいかなる基準をもって従属原則を四つに区別したか,であ る。結論を言えば,かれのぼあいそれは個別経済(企業および家計)1の活動領域 のどの点に対して国家の経済諸施策が投下されるか,に置かれている。こうし た国家諸施策の投下点(Ansatzpunkte)は次の二つに大別される。すなわち,そ 24) ヌスパウfr・一によればピュッツの論説は「ゾムバルトによって提示された諸要素が  オイケンに由来する分類法に組み込まれている」ことをもって特徴づけられる。Nu−  ssbaumer (15) S. 33. 25) Ptttz (18) S. 134. 26) PUtz (17) S. 63.

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      経済体制の比較基準  79 のひとつは個別経済の計画要素(Planelemente)であり,もうひとつはその計画 与件(Plandaten)である。前者は生産や消費などの個別経済の活動内容を意味 し,後者は個別経済の活動をいわば外から規定する諸条件(たとえば,市場価格,       つ 賃金率,利子率,経済政策の諸用具変数,法規範など)のことである。先に述べた経 済過程への国家の不干渉の原則ならびに経済過程の市場適合的な指導の原則の 両原則は,国家諸施策の投下が計画与件に限定されるばあいを示している(前 者は国家干渉がもっともゆるやかな,いわゆるレッセ・フェールの原則にあたる)。これ に対して,残りの二つの原則,すなわち経済過程の指令的中央計画の原則およ び経済過程の中央計画適合的な指導の原則のぼあいは,計画与件はむろんのこ と,個別経済の計画要素へも国家が介入するものである(後者は前者よりも個別 経済への干渉の度合がゆるやかなばあいを示している。その具体例としてe#・60年代後半の いわゆる経済改革によって実現した東側の諸体制が挙げられる)。以上の国家諸施策の 投下点というピュッツ流の観点は,現実の(とりわけ東西の)諸経済体制の比較 にとって有用かつ有効な基準となりうるだろう。国家諸施策の投下が計画与件 に限られるか,それとも個別経済の活動内容に及ぶか,さらにそれぞれのぼあ いに具体的にどの点に向けられるかをくわしく吟味することによって諸体制の きめ細かな比較が可能となるからである。 皿 リッチュルのばあい  (1)ハンス・リッチュル(Hans Ritschl)は新社会主義(Neosozialismus)の系 譜に属する経済学者である。西ドイツの新社会主義は,第2次大戦以後におけ       う るこの国の思想界を指導してきた社会経済思潮のひとつである。それは一口で 言うならば,マルクス主義と絶縁した,漸進的かつ現実主義的な社会主義であ ることをもって特徴付けられる。この新社会主義は学界や思想界ばかりでな く,SPD(ドイツ社会民主党)と結んで西ドイツの政策実践に対しても多大な 影響力を行使してきた。こうした新社会主義はハンブルク大学を活動の拠点と 27) Ptitz (19) S. 22. 28)西ドイツにおける新社会主義については野尻〔14〕第3章がくわしい。

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 80 彦根論叢i第2!9号 してきたことからハンブルク学派とも呼ばれている。リッチュルもこのハンブ ルク大学の教授としての経歴をもっているが,かれのほかにこの大学にゆかり のある代表的な経済学者としては,・・イマン(E.Heimann),ランダゥァー(C. Landauer),オルトリープ(H.一D. Ortlieb),ヴァイサー(G. Weisser),シラー(K. Schiller)らの名前を挙げることができる。  (2)さて,新社会主義者たちの志向する最適体制はいわゆる混合体制である と言ってよい。リッチュルのばあいにもやはり混合体制が志向されているが, 混合体制の根拠付けにかんする議論はすでに1931年に公刊された,”Gemeinw− irtschaft und kapitalistische Marktwirtschaft“というモノグラフにおいて展 .開されている。この書の中でかれは,どの時代の経済秩序も「市場経済」と 「共同経済」とから成る混合秩序であるという考えを呈示した。そしてその後 に発表された一連の論著においてかれはこのような考えを敷皮し体系化する作 業を丹念に続けていった。かくしてリッチュルは,混合経済にかんする弘通の 見解と違って人間の存在性の問題にまで下降してそこから混合体制を根拠付け ることを試みた。すなわち,かれは人間の存在特性をぽ個人的存在であると同 時に社会的存在であることのうちに見出し,この二重の存在性から市場経済と         共同経済の混合化の必然性を根拠付けたのである。リッチュル自らはこのよう       な混合論を「原理的二元論」(grundsatzエicher・Dualismus)と規定している。この ようにリッチュルは,経済体制の原理的研究の方面で,とりわけ混合体制の原 理的基礎付の面で大きな足跡を残したと言いうるが,しかし本稿ではこの点に ついてはこれ以上立ち入って検討する余裕はない。この点の考察は別の機会に 譲ることとして以下では本稿の目的たる体制比較に論点を絞ってリッチュルの 論説を概観していくことにしたい。  ㈲ リッチュルによれば,経済体制論の主要な課題のひとつは「具体的な諸       お  経済秩序を分析しうる道具を開発する」ことにある。この引用文よりしてかれ 29) Ritschl (23) S. 147−148. 30) Ritschl (21) S. 9, Ritschl (23) S. 148. 31) Ritschl (24) S. 193.

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       経済体制の比較基準  81 の研究目的のひとつは諸秩序の比較に役立ちうる諸基準の定立にあったと解し てもあながち不当ではあるまい。私はこの点についてまず二つのことに注目し たい。そのひとつはりッチュルによるオイケン批判であり,残りのひとつはり ッチュルの方法的立場についてである。  リヅチュルの論説の特色を的確に把握するには,あらかじめかれによるオイ ケン批判を簡単にみておかねぽならない。というのは,リヅチュルはいわぽオ イケンとの全面対決の形で自説を展開したと解されるからである。リッチュル が問題としたのは,なによりも現実の諸経済秩序の比較分析の面でのオイケン 説の有効性である。先述したように,オイケンは自分の形態論的装置でもって 時と所とを問わず一切の具体的な経済秩序の構造を認識しうると確信してい た。リッチュルはこのようなオイケンの確信それ自体を問題にする。すなわち かれは,オイケンの形態論的装置をもってしては現実の諸秩序を把握すること はできないと考える。なぜか。オイケンの形態論は現実的でないからである。 リッチュルによれぽ,こうした現実遊離はオイケンの方法論それ自体からきて いる。オイケンは古典派から一般均衡論の流れの合理理論(rationale The・rie)       ヨヨ  の系譜に属する。この理論は,孤立化的方法(lsor・ermethode)をもって特早付 けられるが,オイケンの依拠する重点高揚的抽象(pointierend hervorhebende Abstraktion)の方法はまぎれもなくこの孤立化的方法の一種である。オィヶン の重点高揚的抽象の方法とは,日常の経済活動が営まれる具体的な個別経済に 光りをあて,そこに融合して存在する諸形態の一つひとつを重点的に抽象する ものであった。この方法によって,それぞれ複数のヴァリアントを有する,経 済体制,市場形態,貨幣形態ならびに貨幣体系が確定されたことは先にみたと おりである。オイケンによれば,これらの形態はユートピアではなく現実に即 して獲得された理念型(ldealtypus)という属性を有していたQ  さて,リッチュルはこのようなオイケンの方法および理念型に対して厳しい 批判を加えた。かれによると,オイケンの諸形態はいわゆる類型(Typus)では 32) Ritschl (21) S. 5, Ritschl (23) S. 123.

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ない。オイケンは重点高揚的抽象をもって「ひとつの家政,ひとつの工業企        お  業,ひとつの荘園」から諸形態を確定した。しかしながら,ただひとつの事例 から獲得された形態に対して類型としての属性を与えることは許されない。な ぜならば,ある形態が類型と呼ばれうるためには少なくとも,同種の複数の事       ラ 例に共通する特徴が反映されていなければならないからである。かくてりッチ ュルは,オイケンの諸形態は現実離れしたフィクションであり,フォン・テユ ーネン(J.H. von ThUnen)の「孤立国」と同類の「モデル」である,と断定し おさう た。ちなみに,リッチュルほど強い調子ではないにしても,オイケンの諸形態 は類型などというものではなくモデルだと解する論者は少なくない。たとえ ば,ワィペルト(G.Weippert)は,オイケンの方法は非歴史的方法であり,こ れによって得られた形態は類型ではなく,むしろ「意味空疎な図式」であり         「思惟的モデル」である,と解している。また,ゼラフィム(H.一J.Seraphim)        もこれとほぼ同じ主旨のことを述べている。さらに,ピュッツならびにノィハ ゥザー(G.Neuhauser)もオイケンの諸形態を「調整モデル」もしくは「秩序モ         38) デル」と捉えている。  かくてりッチュルは,オイケン流の合理理論の方法を斥け,現実適合的な形         態論を確立すべく歴史的理論(histerische Theorie)Uこ足場を求める。この理論 は歴史学派からゾムバルトの線の,意味理解を柱とする定性的理論にほかなら ないが,リッチュルはこれを「構造分析的理論」(strukturanalytische Theorie) k33) Eucken (2) S. 254, Anm. 28. 34) Ritschl (2!) S. 11−12, Ritschl (22) S. 107−1/0. 35) Ritschl (21) S. 16−17, Ritschl (22) S. 112. 36) Weippert (31) S・ 57, S. 325. 37) Seraphim (25) S. 113−116. 38) PUtz (18) S一 134, Neuhauser Cll) S. 45. 3g)ただし,リッチュルは国民経済の認識に果す合理理論の役割を無視したわけではな   い。むしろ,歴史的理論と合理理論とを併用することによってはじめて国民経済の特  徴が把握可能となるという立場に立つ。かれ自身の言葉を借りれば「方法多元論」   (Methodenpluralismus)の立場である。 Ritschl(22〕S・83−84.

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      経済体制の比較基準  83       ぺの とも呼んでいる。リッチュルによれば,この理論は類型化的方法(typisierende Methode)をもって特徴付けられる。この方法は,経済世界における同種の多数 の形態,事象ならびに経過に共通してみられる二二をば「経済型」(Wirtschaf・ tstypus)として構成しようとするものである。この経済型は現実の模写でない という意味で必然的に観念的(ideell)なものであるが,しかしそれはフィクシ ョγではなく同種類の数多くの具体例にかかわるという意味で現実的(real)   をわ である。ここでこれ以上リヅチュルの方法論の問題に立ち入る余裕はないが, ただ最:後にリッチュルの方法はオイケンにくらべてはるかに歴史的,経験的で あることを付け加えておきたい。  ω リッチュルによれば経済秩序とは,そのときどきに支配する主観的精 神(つまり時代精神)が客観化され具象化される人間生活の一部分領域であり, さまざまの基本形態ならびに諸要素が意味的に統一された「意味構成体」         ベコ  (Sinngef薩ge)である。このような経済秩序の把握の仕方は明らかにゾムバルト の考えを引いている。ゾムバルトもやはり経済秩序(ゾムパルトの用語では経済 体制Wirtschaftssystem)をば,一定の精神によって支配され,一定の秩序およ び組織をもち,一定の技術を使用する「意味統一体」(sinnvolle Einheit)または       べお  「精神的統一体」(geistige Einheit)と解していたからである。こうしてリッチ ュルの論説においては精神的諸要素が中心的地位を占めることが知られるが, これはことに経済秩序の構成の面に端的に反映されている。すなわち,リッチ ュルは経済秩序の構成要素を「原理」(Prinzipien)と「形成形態」(Gestaltungs− formen)とに二大別するが,前者は中核的な本質要素としての精神的要素を内 容とし,後者は前者が具体的な形をとって実現されたものと考えられている。 このような経済秩序の主柱を成す「原理」は「社会の精神」(Geist der Gesells− chaft),「経済の精神」(Geist der Wirtschaft)および「技術の精神」(Geist der 40) Ritschl (23) S. 146. 4!) Ritschl (22) S. 108−109. 42) Ritsch1 (23) S. 146, Ritschl (24) S. 192. 43) Sombart (26) S. 14.

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Technik)の三つに区別されているが,このような捉え方もまたゾムパルトに由       ユの 来すると言わねばならない。  (5)さてリッチュルは上に述べた歴史的・経験的方法をもって現実のうちか ら「原理」ならびに「形成形態」一すなわち経済秩序の構成要素一を抽出して いるが,それちはおびただしく多様かつ多数である。ここでは紙数の制約もあ ってそのすべてを再録する余裕はないので以下にはこれらについてのアウトラ       45) インだけを示しておく。  A.原  理   ① 社会の精神……社会的意識の原則,社会的意志の原則   ②経済の精神……経済動機,経済倫理経済原測   ③技術の精神……経験的一科学的,伝統的一実験的  B.形成形態   ① 社会の形成形態……結合の形態,集団形成の形態   ② 技術の形成形態…・担い手による類別,使用原料による類別,動力による類    別,労働手段による類別   ③ 経済の形成形態……経済の秩序構成体,計画形態分業形態,所有形態,経    営形態と労働形態,物的および人的交通形態,通信形態,企業形態,団体の形態,    市場形態,価格形態,貨幣形態,通貨制度,信用形態,銀行形態,取引形態,保    険の形態,対外貿易形態,所得形態,公経済の形成形態  (6)以上の構成要素のカタPグは,これを諸経済体制の比較基準として活用 することができよう。事実,ほかならぬりッチュル自らがこのカタログのうち のいくつかを標識にして「自由経済」,「独占資本主義経済」ならびに「社会主 義経済」の三つの体制を比較し,このことを通して各体制の特徴を描き出すご        46) とを試みているのである。ここではその結果なり成果なりについて触れる余裕 はないが,ただ最後にリッチュルの体制比較の方法についてはここで一言して 44) Sornbart (26) S. 20. 45) Ritschl (24) S. 193−196. 46)Ritschl〔22〕S.136以下。

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       経済体制の比較基準  85 おかねばならない。リッチュルの論説にはゾムパルトの考えが色濃く反映され ていることは既述のとおりであるが,しかし体制比較の:方法にかんしては両論 者のあいだに違いがみられる。ゾムバルトはその形態論的装置をもって資本主 義,時間的にこれに先行する諸経済体制(自己経済や手工業など)ならびに資本 主義以後に来る社会主義を比較し,各体制の特性を明らかにすることを試みて  をア  いる。ゾムバルトがこのような形での体制比較を試みたのは一リッチュルが指         ラ摘しているように  ,なによりも資本主義の特徴を把握したいがためであった。 つまり,ゾムバルトの本来の関心は資本主義という経済体制の特徴を言えるこ とに向けられていたのである。このようなゾムバルトの比較の方法は歴史縦断 的体制比較の部類に属すると言いうるが,それはいわゆる歴史学派の手法にも 通ずるものがある。これに対してリッチュルの体制比較のスタイルはいわば歴 史横断的とでも言えるものであり,近代という歴史時代に実現された前述の諸 経済体制に注意が向けられている。こうした方法は,いわゆる比較経済体制論 の分野で広く採られている方法と軌を一にすると言える。 IV ターールハイムのばあい  最後にタールハイム(Karl C. Thalheim)の論説を取り上げることにしよう。  (1)K.C.タールハイムは,経済体制論の領域ではドイツ語圏を代表する論 者のひとりである。かれは第2次大戦前にはゴットルの影響をうけて経済にか んする包括的な構造論を打ち立てた論者として知られていたが,戦後はむしろ 実証的な比較経済研究への関心を強めていったことが窺える。すなわちターール ハイムは,1951年に創設されたベルリン自由大学東欧研究所に永年にわたって 在職し,その間,東欧経済の実証的研究ならびに比較経済体制研究に精力的に 取り組むかたわら,研究指導者として後進の育成にあたってきたのである。東 欧研究所を中心としたターールハイムのグループからはク=ルシュ(p.Knirsch) やフヨルスター(W.F6rster)やヒョーマン(H.一・H. H6hmann)といった西ドィ 47)Sombart〔26〕S.20以下。 48) Ritschl (24) S. 192.

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ツを代表する東欧研究家が輩出している。このグループの学風は地味ではあ るが,実証的かつ経験的な研究態度に貫かれた堅実さを誇っている。  さて,以下において検討を加えるターールハイムの体制論は多年にわたる実証 的研究の中で醸成されたものであり,それだけにかれの論説は最初から現実の 諸経済体制の比較を目的として立てられている,と言ってよい。  拗 タールハイムが問題にするのは現代における東西の諸経済体制である。 かれはまず,現代の諸体制は東西を問わず例外なしに混合体制であるという認      なの 識から出発し,これを有効かつ的確に把握しうる形態論的装置を追求する。か れによれば,伝統的な(たとえばオイケンに代表される)理念型的純粋モデルをも ってしては現代の混合化した諸体制を的確に把握し比較することはできないと   言う。かくてタールハイムは,このような批判に立って現実適合的な形態論の 確立をめざしていくのである。  (3)私見によれば,ターールハイムの論説の柱を成すいわゆるキイ・ワードは 「体制従属変数」(systemabhtinge Variablen)と「体制中立変数」(systemneutrale        Variablen)の両概念である。ここに体制従属変数とは一口で言うと経済体制の 構成要素にほかならない。したがって,それは経済体制を特微づけるメルクマ ール(systemtypische Merkmale)でもある。これに対して体制中立変数はこのよ うなメルクマールではない。すなわち,これは経済体制を構成するものでも, 経済体制を経済体制たらしめるものでもない,言うなれば経済体制の外にある ファクターのことである。タールハイムはこの体制中立変数の代表例として技 術(Technik)を挙げている。ちなみに,かれはかって技術をはじめとして国民 (人口の量と質),空間(地下資源,自然環境),経済精神ならびに政治形態を「構       52) 造規定因」(strukturbestimmende Faktoren)呼んだことがある。構造規定因とは 国民経済のあり方をいわば外から規定する要因,あるいはクニルシュの言葉を 49) Thalheim (29) S. 330. 5e) Thalheim (29) S. 330. 51) Thalheim (29) S. 332. 52) Thalheim (27) S. 470.

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       経済体制の比較基準  87 借りるならぽ経済世界を取り巻く「環境条件」(Umweltbedingungen)のことで  らお  ある。先の体制中立変数はこのような構造規定因に含まれることは言うまでも ない。タールハイムによれば体制中立変数としての技術は,国民経済の発展の 態様を規定する要因ではあっても,経済体制を特徴付けるメルクマールではな ら う い。ことに現代における東西の諸経済体制は技術ファクターをもってしてはこ れを特徴付けることはできない。というのは「先端技術を用いて建設される工        場はソ連においても合衆国においても同じように稼動する」からである。技術 が体制中立的と言われるゆえんである。  (4)ちなみにタールハイムは以上の技術面をもっていわゆる体制収敏説       (K・nvergenzthe・rie)に批判を加えたことがある。体制収敏説は1950年代末ごろ に登場したが,以後70年代の半ばごろまでこの説をめぐって賛否両論白熱した 論戦が繰り広げられた。周知のように,体制銀白説とは現実の動向から東西 両体制(資本主義と社会主義)の接近化や第三の体制への収束を説くものであっ た。むろん一口に体制収敏説と言っても単一の論説があるわけではなく,そこ にはさまざまの角度よりする種々の説が含まれているが,その中でタールハイ ムが批判を加えたのはティンバーゲン流の説である。ティンバーゲン(J.Tin・ bergen)はいち早く東西両体制の収敏を説いた論者のひとりであるが,かれは, 東西における技術的要素とりわけ計画技術(Planungstechnik)の類同化によっ て両体制はやがては「ひとつの最適体制」へ収束せざるをえない,という結論    57> を下した。このティンバーゲン説は社会工学的な基調のものであった。これに 対してタールハイムは,第一に計画技術に代表される体制中立的な技術ファク ターの類同化をもってただちに体制それ自体の収敏を結論付けることには無理 があること,第二に現実には東西両体制はいずれも一枚岩ではなく,むしろそ 53) 54) 55) 56) 57) Knirsch (8) S. 93. Thalheim (29) S. 341. Thalheim (29) S. 341. これについてはThalheim〔28)を参照。 Tinbergen〔30〕を参照。

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れそれ多様化の道をたどりつつあること,の二点を主たる論拠としてティンバ       ら ラ ーゲソ説を斥けたのである。  (5)さて,本稿のテーマからして次に問題としなければならないのは,経済 体制の構成要素たる体制従属変数の種類とその数である。タールハイムに即し       う てそのカタログを示すならば次のごとくである。  ①所有秩序……個人的所有,国家的所有など  ② 管理体制……市場価格機構,指令的中央計画など  ③ 経済活動の目的……目的の設定者,目的設定の規定因  ④ 価格形成……自由市場的価格形成,行政的価格形成など  ⑤ 競争および市場形態…・・競争の機能競争の範囲,競争の種類  ⑥ 経済生活のイニシアチブの担い手とその形態・…個人,連合体,国家など  ⑦ 所得分配の種類と形態……団体協約,国家による賃金制定など  ⑧貨幣の機能……貨幣創造の条件など  ⑨ 信用および銀行の機能……投資資金調達方式,信用市場など  ⑩対外経済関係の役割……対外経済関係の占める比重.対外収支,対外経済関係   の管理方式など  ⑥ タールハイムは以上のほかに経済的に重要な「社会的メルクマール」と        60) して次の四つのものを挙げている。  ①社会保障の範囲と種類……失業保障老齢保障など  ②労働市場における組織……雇用者団体被雇用者団体など  ③労働制度・…職業選択および職場選択の自由,強制労働など  ④経営制度……単独指導制,労資協議制,労働者自主管理など  タールハイムによれば,これらのメルクマールは経済にとって,したがって 経済体制の特徴付けにとって重要であるにしても,本来,社会秩序に属するも のと考えられている。これらのメルクマールのほか,法的要素も重要視されて 58)Thalheim〔28〕を参照。 59) Thalheim (29) S. 332−338. 60) Thalheim (29) S. 339−340.

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       経済体制の比較基準  89

いる択言うまでもなくこれらは㈱従属変数で臆く,経灘制のあ肪を

外から規定する「構造規定因」に含まれるものである。  如上の体制従属変数ならびに社会的・法的要素は,現実の諸経済体制の特徴 把握の標識たることが期待されており,したがってそれらは体制比較の基準と もなりうる。  (7>ところで,ここでこれらの変数や要素はすべて同一のランクに位置する のではないということに注意しておかねばな:らない。すなわち,タールハイム の主張を解釈すると,これらの変数なり要素なりには軽重の差がある。言いか えると,これらのあいだには経済体制の主柱にあたるものと,しからざるもの とがある。まず,体制従属変数が社会的・法的要素の上位にくることは言うま でもない。次に,その体制従属変数のあいだにも差等がある。既述のとおり体 制従属変数は全部で10であるが,タールハイムによれぽそのうちで最:重要のも のは所有秩序である。なぜか。「この点にr東側』の体制と『西側』の体制と       62) のもっとも大きな,かつ決定的な差異が認められる」からである。この引用文 から読み取れるように,タールハイムのぼあい所有秩序最重視の根拠は結局, 現代における東の体制と西の体制とを根本的に区別しうるメルクマールは何 か,という問いに還元されると言える。したがって,このような根拠付けは原 理的というよりはむしろ東西諸体制の比較からする現実的・実証的なものであ る,と言うことができる。  さらにタールハイムは,所有秩序のほかに管理体制(Lenkungssystem)一つ       まり需給の調整体制一をも重要視している。その根拠は全く示されていないが, 私見によれば所有秩序のぼあいと同様であると推察される。ついでに言えば, 所有秩序と管理体制を除いた残りの八つの要素の個々については何も述べられ ていない。ともあれ明らかなことは,タールハイムにおいては所有と管理とが 経済体制の本質的要素と考えられていることである。 6!) Thalheim (29) S. 329, 62) Thalheim (29) S, 332. 63) Thalheim (29) S. 341.

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Vひとつの総括

 本稿を結ぶにあたって最後に,これまでに論じてきたところをふまえて若干 の総括を行なっておくことにしたい。  (!)本稿では系譜的に相異なる四人の論者の説をみてきたが,これらのあい だには立場を異にするといえどもいくつかの共通点がある。まず第1に言える ことは,各説とも体制比較の基準として多様かつ多数の要素に注目しているこ とである。すなわち,上に細述したとおり,どの説も純経済的なファクターは むろんのこと,各説ごとに内容に違いはあるにしても経済世界以外の諸領域に 属する種々のファクターをも考慮に入れている。第2に細かくみると,どの説 においても純経済的なカテゴリーの中に含められた要素はこれまた多種多様で あるが,ここに四つの説に共通してみられる主なファクターを引いておくと次 のごとくである。調整形態(または管理体制),所有方式,価格形態,市場(競 争)形態,貨幣形態(または貨幣制度)。  さらに第3に,経済誌の諸要素をも含む多種多様の要素に注意が払われるの はドイツの伝統とも言えるが,しかし私見によれぽそれ以上に,現実適合的な 体制論を確立しようとする各論者の意図に発している,と言える。現実に即し た形で立論しようとするかぎり多様な要素に注目せざるをえなくなるのは当然 のことと言える。しかも,各論者によって考察の対象とされている現代の経済 体制それ自体が複雑化・多様化しつつあることを考え合わせるならば,なおさ らそうならざるをえなくなるだろう。ともあれ,四つの論説の検討から得られ る教訓のひとつは,オーソドックスな経済学的方法,すなわちモデル理論の方 法をもってしてはもはや現代の体制問題を十分に扱いえないということであ る。  (2)本稿で取り上げた四つの説のあいだに内容上の違いがあることは既述の とおりではあるが,以下重複を承知の上で,経済体制の本質的要素の問題に視 点を限定して各説のあいだの違いを指摘しておくことにしたい。この点にかん する各論者の考えを示すと,ヘンゼルー計画体制(つまり調整体制),ピュッツ

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      経済体制の比較基準  91 一調整原則および従属原則,リッチュルー原理(社会の精神,経済の精神,技術の 精神),タールハイムー所有秩序および管理体制,であった。このことからまず 言えることは,ヘソゼルおよびリッチュルが,それぞれ調整と精神の一要素を 最重視するいわば一元論の立場に立つのに対し,ピュッツとタールハイムは二 要素重視の二元論の立場をとっていることである。次に指摘しておかねばなら ないのは,精神重視のリッチュルの立場についてである。先のようにこのファ クターは三つに分類されたが,その中でもっとも重要視されているのは「社会       ちの の精神」である。ということは,社会的ファクターが経済体制のもっとも本質 的な構成要素と考えられていることにほかならない。他の三者が経済的要素を 重視する中にあって,このようなリッチュルの説は異彩を放っていると言わね ぽならない。最後にリッチュルにちなんでいまひとつ,技術の問題を取り上げ ておきたい。この要素を重視するのも四人の論者の中ではりッチュルだけであ るが,このような立場は先述のとおりゾムバルトの流れを汲む。いま,体制比 較の角度からゾムバルト窯リヅチュル流の技術観に論評を加えるとするならば 次のように言えるだろう。まず,ゾムバルトのばあいがそうであるように,歴 史縦断的な比較にさいしては技術は有効かつ有益な基準となりうる。すなわ ち,資本主義という近代を代表する経済体制と,これに先行する諸経済体制と の比較を試みるばあい,技術は疑いもなく有効な基準となりうる。なぜならば このことによってことに資本主義の体制特質を的確に把握することが期待され るからである。しかしながら,これに対して現代における東西の諸経済体制の 比較のばあいはどうか。タールハイムとペータース(H.一R.Peters)が指摘して      う いるように,このような歴史横断的な比較のさいには技術は有効な基準となり えないと言える。というのは,先のタールハイムの発言にもみられるとおり, 今日,東西両世界のいずれにおいても広く同種の技術が利用されているのは明 らかだからである。  (3)はじめに断っておいたように,本稿は経済体制の比較基準にかんする私 64) この点については小林〔9〕を参照。 65) Thalheim (29) S. 341, Reters (16) S. 59.

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 92 彦根論叢第219号 自身の説を展開することを目ざしたものではない。また,ここに取り上げた四 つの論説のいずれが現代における東西諸体制の比較にさいしてもっともその効 力を発揮しうるか,したがってどの説が現存諸体制の特徴をもっとも的確に把 握しうるか,を判別しようとしたものでもな:い。むしろ本稿の課題は,有効な 体制比較を可能にせしめる現実適合的な経済体制論の確立のための準備作業の 一環として四つの論説に検討を加えることにあった。本稿での検討を通して言 えることは,現実に即した論説の確立のためには経済体制の内在的規定因とし て多くの要素に着目せざるをえないということである。なかでも国家と経済と の関係(ピュッツ流の従属原則),需給の調整方式ならびに生産手段の所有方式が ことに重要であると思われる。これら三つの要素を柱にした体制論の展開は別 の機会に譲ることにしたい。       一1982 ’ !2 ・ 28一        参照 文 献 (1) Boettcher, E.: Wirtschaftsordnung und Staat, in: Hambzarger Jahrbuch fur   Wirtschafts−ttnd GesellschaftsPolittfe, 25 Fahr 1980. (2) Eucken, W.: Die Grundlagen der Nationalbkonomie, 8 Aufl., Berlin・ Heidelberg .   New York 1965. (3) Hensel, K. P.: Studie tiber Planwirtschaft, in: Beckerath, E,, Meyer F., Muller−   Armack, A. (Hrsg.): Wirtschaftsfragen der Freien Welt, Frankfurt a. M, 1957. (4) Hensel, K. P.: Strukturgegensatze oder Angleichungstendenzen der Wirtschafts−   und Gesellschaftssysteme von Ost und West? in: ORDO, Bd. xu, 1960/61. (5) Hensel, K. P.: Grundgesetz−Wirtschaftsordnungen: Eine ordnungstheoretische   Studie, in: ORDO, Bd. XIV, 1963. (6) Hensel, K. P.: Das Verh51tnis von Allokations−und Wirtschaftssysteinen, in:   Boettcher, E. (Hrsg,): Beitrtige xum Vergleich der IPVtrtschaftssystemen, Berlin   !970. C7) Hensel, K. P.: Grttndformen der Wirtschaftsordnung: MarktwiMt tschaft−Zent−   ralverwaltungswirtschaft, Mtinchen 1972. (8) Knirsch, P: Strzaktt{ren zand Formen 2entraler WirtschaftsPlanung, Berlin 1969. 〔9〕 小林大造;「ゾムパルトとリッチュルー新社会主義への体制形態論の系譜」 (野   尻武敏編著『現代の経済体制思想』,新評論,ユ976年4月所収)。

(27)

       経済体制の比較基準  93 (10) Nawroth, E. E.: Dze Soxza.i−und WirtschaftsPhilosophie des Neoliberalismus,    Heidelberg 1961. (!!) Neuhauser, G.: Die wirtschaftspolitischen Konzeptionen als Problem der the−    oretischen Wirtschaftspolitik, in: Seraphim, HrJ. (Hr’sg.): Zur Grundlegung    wirtschaftspolitischer Kon2eptionen, Berlin 1960. 〔12〕 野尻武敏,「新自由主義の経済体制思想」(野尻武敏編著『現代の経済体制思想』,    新評論,1976年4月所収)。 〔13〕 野尻武敏・「西欧の東欧経済研究  西ドイツとオーストリア」,神戸大学経済学    研究年報23,1976年。 〔!4〕 野尻武敏:『選択の時代  多元化社会と経済体制』,新評論,1980年。 (15) Nussbaumer, A.: Die Bedeutung ,,Strategischen Verhaltens” fdr die Systematik    der Wirtschaftsordnungen, in: Ddrr, E., Jdhr, A., Rothschild, K. W. (Hrsg.):    Beitra’ge x“r TtiVzrtsehafts−and GeseglsehaftsPolztzfe, Festschrift ftz’r Theodor Pthtx,    Berlin 1975. (16) Peters H.R.: Ordnungstheoretische Anslatze zur Typisierung unvollkornmener    Wirtschaftsordnungen, in: Hamburger Jahrbzteh far Wirtschafts−und Gesellscha−    frspoZitife, 18 Fahr 1973. ’ 〔二!7〕 Pdtz, Th.:Theone der allgemeznen IiVirts(rhαftspolzttk und Wzrtschaftslenkung,    Wien 1948. (18) Putz, Th : Zur Typologie wirtschaftspolitischer Systeme, in: 」T’ahrbuch ftir    So2iaJwissenschaft, Bd.ユ51964. (19) Pdtz, Th.・ Grzandlagen a”er zheoretischen Tflzrtschaftslbolitife, 3 neuarbeitende    und erweiterte Auflage, Stuttgart 1975. (20) Ritschl, H.: Gemeinwirtschaft ttnd kopitalistische Marktwirtschaft, Ttibingen    1931. (21) Ritschl, H : Wandlungen im Objekt und in den Methoden der Volkswirtschaf−    tslehre, in: Schmo/gers tJahrbuch fttr Gesetxgebztng, Verwaltung “nd Volkszvtrtsc−    haft zm Deutschen Reich, 67 Jg., ll Halbband, Heft 6 !943. (22) Ritschl, H.: Theoretzsclte Volfes”Lvirtschaftslehre: Erster Band: Grundlagen und    Ordnungen der Vogkswirtschaft, Tdbingen 1947. (23) Ritschl, H.: Dze Grundlagen der ’tiVfzrtschaftsordnung, Ttibingen 1954. (24) Ritschi, H.: Wirtschaftsordnung, in: Handwbrterbuch der Sozialwissenschaften,    Bd. !2 1965. (2s) Seraphim, H.一J.: Theorie der allgemeinen WzrtsehaftsPolitik, 2 Aufl., G6ttingen    1963. (26) Sombart, W.: Dze Ordnung des Wirtschaftslebens, Berlin 1925.

(28)

彦根論叢 第219号 (27) Thalheim, K. C.: Aufriss einer volkswirtschaftlichen Strukturanalyse, in: Zei−    tschrift ftir die Gesamte Staatswissenschaft, Bd. 99, Heft 3 1939. (28) Thalheim, K. C,: Bedeuten die Wirtschaftsreformen in den Ostblocklandern einen    Systemwandel? in: Boettcher, E. (Hrsg.): 1)Pi’irtschaftsplanung im Ostblock, Stu−    ttgart/Berlin/K61n/Mainz 1966. (29) Thalheim, K. C.: Systemtypische Merkmale von Wirtschaftsordnungen, in:    Arndt, H. (Hrsg.): SoziaJzvissenschaftliche Untersztchungen, Berlin 1969. (30) Tinbergen, 」.: Die Rolle der Planungstechniken bei einer Anntiherung der    Strul〈turen in Ost und West, in: Boettcher, E. (Hrsg.):1)VirtschaftsPlanung im    Ostblock, Stuttgart/Berlin/K61n/Mainz 1966. (31) Weippert, G.: Walter Euckens Grundlagen der Nationa16konomie, in: Zeitschrift    fdir die Gesamte Staatswissenschaft, Bd. 102, 1941/42. 〔32〕 福田敏浩;「K.P.ヘンゼルの経済秩序論につ1v・て」,『社会科学論集』 (大阪府立    大学)第6・7合併号,昭和50年12月。 〔33〕福田敏浩;「四つの経済体制  ピュッツの論説をめぐって」,『社会科学論集』     (大阪府立大学)第10号,昭和54年3月。 〔34〕福田敏浩;「類型学的経済体制論の潮流  オイケン説をめぐって」,『社会科学論    集』 (大阪府立大学)第11。!2合併号.昭和56年3月。

参照

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