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<論文>プラトン『クラテュロス』に於ける語義論と名辞の本質定義―初期イデア論におけるφύσις の分節化―

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Academic year: 2021

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(1)プラトン『クラテュロス』に於ける語義論と名辞の本質定義. プラトン『クラテュロス』に於ける語義論と名辞の本質定義 ―初期イデア論における φύσις の分節化―. 聖光学院中学・高等学校. 龍野 隆 らする解釈である。言語論におけるイデア論的解釈を『ク. 【序】 1. 『クラテュロス * 』における語義論の展開は実に長. ラテュロス』における議論の枢要と見なす時、同対話篇. 大で、同対話篇全体の約2分の1(ステファヌス版で. の構成は、自然説と規約説の対立を中心とする「ドクサ. 391 から 427)にまで及んでいる。特にセドレーは同. の世界における言語論」から「イデア界における言語論」. 対話篇におけるその価値を高く評価し、これを先人達の. への転換という構成をとる。上述の語義論はこの転換点. 技術知(テクネー)を再現するものとして、対話問答法. に位置すると共に、言語論がドクサの世界からイデア界. 2. 的な探求方法に準ずるものと位置づけている * 。本稿. へ飛躍する際の不可欠の舞台装置を成している。一方、. は『クラテュロス』が語義論を一つの転換点として、大. プラトンのイデア論は時期に応じてその存在論的位置づ. 3. きくその名辞 * 論を転換したという立場をとるもので. けを変化させる。本対話篇で展開されるイデア論に於け. あり、同対話篇における語義論研究の重要性を些かも減. るオノマの認識論的位置づけも、本稿の検討対象となる。. じることを意図するものではない。一方、セドレーとは 異なり、同対話篇における語義論の位置づけを、 『クラ テュロス』におけるソクラテス的言語論から、プラトン 的言語論への転換点と考え、これをプラトン自身の語義 論研究の成果が開陳されているものと捉えるのではなく 4. * 、オノマとピュシスの間に見られる認識論的関係をロ ゴスによって展開したものと解釈したい。. 【Ⅱ.ソクラテス的言語論に基づく名辞の本質定義】 『クラテュロス』389a から 390e における議論は次の ように始まる。 立法者はどこへ目を向けて命名をしているのだろ うか。(389a5-6) まずは立法者(νομοθέτης)の語に注目したい。この 語は、「ノモス(νόμος)」を「置く人(θέτης)」を示す 表現であり、いわゆる「命名者(ὁ ὀνομάτων θέτης)」. 【Ⅰ.問題点の整理】 本対話篇を規約説(名辞の正しさは個人間の取り決め. を直接に表す語ではない。プラトンは直前の箇所で「名. によって決まるとする説)と自然説(名辞の正しさは本. 前制作者(ὀνοματουργός)」をこの語で言い換えてい. 性的に決まっているとする説)の間の優劣を論ずるもの. るが、この νομοθέτης の語が法や慣習(νόμος)を想. 5. と見る見方は一般的なものである * 。一方、規約説と自. 起させることに気が付かなかった可能性は低い。命名の. 然説の何れにも与せず、対話篇終盤におけるソクラテス. 根拠はさて置き、(少なくとも『クラテュロス』389 の. による言及(「名辞によってではなく、またそれらの名. 時点では)プラトン自身、名辞をノモスの視点から論じ. 辞よりもむしろ、まさにそのもの自身によって学ぶべき. ていたであろうことは想定出来る。ハイニマンによると、. でもあり、探求すべきでもある…。」439b6-8)をもって、. ポリス市民は歴史的にバルバロイをノモスなしに生活す. 第三の途を探る向きもある。その最たるものはイデア論. る人々として軽蔑の対象としていたという *7。同氏が. 的解釈であろう *6。規約説と自然説は、ともに日常世. 指摘するように、プラトン時代のソフィスト達が、ノ. 界(これをクラテュロスの主張に基づいて「流動」の世. モスとピュシス(φύσις)のアンティテーゼを、ロゴス. 界と解釈する)を名辞において表現することを目的とす. (λόγος:言葉)とエルゴン(ἔργον:行い)のアンティテー. るものであり、名辞によらず「それら自身」(=イデア). ゼに比肩するものと考えていたとするならば *8、プラ. という不変的かつ普遍的存在を通して事物の対象認識を. トンはヘルモゲネスの規約主義の主張に対して、敢えて. 行うべきである、という主張を読みとるのがこの立場か. ノモテテースの語をもって応えたのかも知れない。つま. 98.

(2) り、ノモスと名辞を関連付けて論ずることにより、名辞. に教え合っているのであり、そのあり方に応じて物事を. が人為的、慣習によって意味を持つことを受容する姿勢. 区別しているのではないだろうか。(388b10-11)」とい. を示すことで、当時のギリシア世界で一般的であった言. うソクラテスの主張に見られるように、現象界における. 語論に対するソクラテス流のエレンコス(ἔλεγχος:論. 分節を旨とするものであることが分かる。また、『クラ. 駁)展開の契機となしたのである。なお、この一文により、. テュロス』における杼のイデアは、個々の杼との間で形. 爾後展開される杼と織物の関係についての議論が、立法. 態的に〈範型-似像〉関係にあることよりも、「杼の役. 者による命名行為とのアナロジーで展開されることが前. 割を果たすこと(κερκίζειν)を本性とする」という表. 提される。それゆえ、続く箇所は、論の分類上、以下の. 現から推測されるように、目的論的な性質をより強固に. ように整理される。. 有しているものである。このことは、後段の 389e1-3. (杼) 〔織布道具としての〕杼の役割を果たすこ. において、「同じ目的のために(τοῦ αὐτοῦ ἕνεκα)同. とを本質とするようなものに目を向けて〔杼をつく. じ道具を作っていても」の表現からも窺い知ることが出. るであろう〕。(389a7-8). 来る。ここに『パイドン』以降の中期対話篇に特徴的な. (名辞)まさに名前それ自体であるかのものに目. 超越論的イデア論との差異を読みとることが出来る。プ. を向けてすべての名辞を創り〔対象に対して〕命名. ラトンの対話篇のどの部分がソクラテスの考えを表し、. すべきなのではないか。(389d6-8). どの部分がプラトン自身のものかを見定めることは、ま. 職人をモデルとして、形相と個物の関係が論じられる. ずもって不可能な所行といえる。しかし、ここではまず. のは、プラトンの対話篇において珍しいことではない。. 『ゴルギアス』(501b) において、経験と技術が論じられ. 殊に有名な例は、 『国家』596b における寝椅子と机の. た際、ソクラテスによって魂にとって最善なものが追求. 例であり、『クラテュロス』と同様、職人は寝椅子や机. されている点を指摘しておきたい。初期対話篇で描かれ. のような家具を製作する際に、そのモデルとしてのイデ. たソクラテスに一般的な傾向として、行為や存在のレゾ. アに目を向けながら個物に形を与えていくものとされて. ンデートルを善の追究に置いているケースが多いことは. いる。イデアが個物に先行して存在するとされている点. 周知の事実である。また、『パイドン』(99b-c)のソク. では『クラテュロス』における杼の例と同様であるが、. ラテスは、万物の存在についての真の原因を論ずる際、. その直前の 596a6-8 において、ソクラテスが「我々が. アナクサゴラスによる物質的・機械論的説明を批判しつ. 同じ名辞をあてはめるような多くのもののそれぞれ何れ. つ、ロゴスにより善を追求する姿勢を見せている。後者. にも、あるイデア (εἶδος) を置くのが常である。」との主. は最終的に「善の分有」にその解答を求める点で、中期. 張を行っている点に注目したい。ここでは名辞はイデア. 対話篇に特徴的な超越論的な本質規定への傾向を示して. とイコールのものとして、事実上、実存在の区分に対応. いるものの、プラトン的イデア論の展開において提起さ. するものとされる。表現を変えて言えば、名辞による分. れるレゾンデートルの目的論的探求の姿勢は、多くの初. 節はイデア界における実存在の分節に対応するものと考. 期対話篇に共通に見られる傾向であることから、中期対. えられている。このことからも、ここで想定されるイデ. 話篇における実存在の探求も、明らかにプラトンがソク. アは、個物から乖離し超越的に存在する範型として、似. ラテスから引き継いだ命題であると言って良い。「杼の. 像としての個物のあり方に反映されるものとされている. 役割を果たすこと」という行為に、「杼」という存在の. 可能性が高い。さらに「彼(職人)が存在するものを作. 本質規定を帰するイデア概念は、初期対話篇のソクラテ. るのではないとすると、彼は実存在(τὸ ‘ὂν’)を作るの. スに特徴的なものである。こうした目的論的な本質規定. ではなく、何か実存在に似てはいるけれども、そうでは. は、次に引用する箇所に見られる「本性上それぞれに適. ないものを作るのではないのか。」(597a4-5)との表現. した道具(τὸ φύσει ἑκάστῳ πεφυκὸς ὄργανον)」や「本. からも、寝椅子や机のイデアが超越的実存在として、個. 性上それぞれに適した名辞(τὸ ἑκάστῳ φύσει πεφυκὸς. 物との間で形態上の比較対照となっていることが窺われ. ὄνομα)」という表現からも確認することが出来る。. 『クラテュロス』における名辞論は、 るだろう *9。一方、 「名辞を道具として名づけることで、我々は何をしてい るのだろうか。 (388b7-8)…我々はあることをお互い. (杼) 〔製作者は〕本性上それぞれに適した道具 を見つけ、道具を作り出すもととなるものの中へと 割り当てなければならないのである。(389c3-4). 教育デザイン研究 第8号(2017年1月) 99.

(3) プラトン『クラテュロス』に於ける語義論と名辞の本質定義. (杼) それぞれの本性に適った杼〔の形〕を木. 作っていても、全ての鍛冶屋が同じ金属の中へ〔そ. 材の中にね。(389c10-11)…というのも、それぞ. の形を〕いれる訳ではないのである。それでも、同. れの杼は、本性において、それぞれの織物の種類. じ姿(イデア)を割り当てる限り、他の金属に割り. 10. (εἶδος* )を対象とするものであったと思われるか らである。(389d1-2) (名辞)かの立法者が、本性上それぞれに適した 名辞を、音や音節の中に割り当てるようにしなけれ ばならないのではないか。(389d4-6) ここで εἶδος と共に「本性」の表現として用いられて いる φύσις の語に注目したい。カルヴァートは、全て. 当てようとも、その道具は正しいものなのだ。たと え誰かある者が、それをその地で行おうとも、外国 で行おうともね。(389e1-3,390a1-2) (名辞)そして立法者がそれぞれ〔の名前〕を 同じ音節に割り振ることがないとしても、誰もが このことを理解しない訳にはいかないのである。 (389d8-e1)。…どのような音節に割り当てていよ. の杼が共通して有する形相と、(厚いウールと軽い麻布. うとも、それぞれに相応しい名辞の形(エイドス). のように)異なった性質の布を織るために用いられる杼. を割り当てている限り、その地であろうと外国であ. が個々に有する形相とでは、その普遍性に大きな差異が. ろうと立法者はかように評価されるのではないだろ. 存在すると指摘する。プラトンは前者にエイドスの語を、. うか。(390a5-8). 後者にピュシスの語をあて、両者を対比的に用いている 11. 杼の役割は「杼の役割を果たす」ことによって布を織. という * 。しかし、本対話篇においてプラトンがエイ. ることにあり、個々の杼の形態に拘わらずその役割を果. ドスとピュシスを明らかに異なる語として区別して用い. たすものを杼と呼ぶ。同様に、名辞の役割は「分節化」. ている訳ではないことは、「我々にとって、その〔命名. によって「教示する」ことにあり(387a)、個々の名辞. の〕働きは本質的に我々との間においてあるのではなく、. の形態に拘わらずその役割を果たすものを名前と呼ぶ。. それ自身で独自の本性(τινα ἰδίαν φύσιν)をもつもの. そして、これらの作用は臆断(ドクサ)によってではなく、. である…。(387d1-2)」との表現からも窺い知ることが. 本質によって定まっている。さらに、織る布の種類に応. 出来る。同箇所で用いられているピュシスの語は、人間. じて様々な形態をとるのが杼の常態であるならば、名辞. の慣用に基づく作用の定義としてではなく、これに対す. の場合にはそれを用いる国の慣習(ノモス)に応じて様々. る本質的な働きを指して用いられている点で、389 を. な音節から構成されるのが常態である。名辞は音韻論的. 中心とするカルヴァートの議論における、「全ての杼が. にではなく、意味論的に表示対象の存在目的を教示する. 共通して有する形相」に近い働きをもつ語として用いら. 限りにおいて、名辞としてその機能を果たす。これがこ. れている。この点でピュシスとエイドスの間で語用論上. こでの検討箇所から導き出された、ソクラテス的経験論. の大きな差異は意識されていないといえる。一方、389. に基づく名辞の本質定義である。. におけるピュシスの語は、あくまでもエイドスの目的論 的定義のために用いられているものと考えることが出来. 【Ⅲ.語義論による「イデア論」の転換】. る。語の原義から考えても、視覚的意味をもつエイドス. 『クラテュロス』における語義論の特徴は、名辞の正. をそのピュシス(本質)によって定義づけることは出来. しさを検証するにあたり、万物流転のヘラクレイトス説. るが、ピュシスをエイドスによって定義づけることは困. を参照軸に、存在を流動的と固定的の二つの点から分析. 難である。エイドスとピュシスの間に異なるクラスを設. していることにある。現象界を流動の世界と解する点. 定しようというカルヴァートの試みは、『クラテュロス』. ではクラテュロスと(対話篇中の)ソクラテスの間に. の文脈に、ピュシスの目的論的分節化をもってエイドス. 大きな主張の隔たりはなく(411bc)、規約説批判の形. を定義づける限りにおいて妥当性をもつものといえる。. を取りながら、論は専ら始原の状態の探求へと向かう. 最後に、現象界における個物とイデアの間の形態的区. (397b)。名辞論における本質定義を旨とする本稿にお. 別を明確に指摘している次の箇所を参照し、ソクラテス. ける論の展開上、ここではまずソクラテスがオノマの語. 的語義論における本質定義と名辞の関係に関する論を閉. 義に「存在 τὸ ‘ὂν’」を当てていることに注目したい。. じることとする。 (杼) というのも、同じ目的のために同じ道具を. 100. それゆえ、オノマ(名辞)というもの〔単語〕は、 これが探求の対象となるあるものである、という文.

(4) が短縮された名辞のように思われる。ところで、む. 越論的)にではなく、時間的な流動性の中に位置づけて. しろ我々が名づけられる対象のことを言う場合に、. いく。現象界が流動の世界であるならば、名辞が指示す. そのことを君は知るだろう。というのも、その時、. るクラスの差異を意識する必要はない。411b4-c1 の一. これが探求の対象たるあるものであると、これが. 節に見られるように *13、それがドクサによる認識上の. はっきりと言っているのだからね。(421a7-b1). 混乱に起因するものであろうとも、名辞は命名者の認識. 上記の訳文中の「あるもの」はその前段(421a)の. に基づいて対象にあてがわれるものであるが故に、認識. ヘルモゲネスによる質問部分では、「存在 τὸ ‘ὂν’」と表. 論上の転換は名辞のあり方に反映される。後段(440a). 記されており、これを受けての発言であることは明らか. でソクラテスは静的な状態のみに知識の根拠を求め、常. 12. である * 。オノマは決してそのものに意味内容が含ま. に流動する事物を認識することは不可能であると断言す. れるものではなく、命名対象として定義されるべき「存. るものの、テンポラリーな静止状態にある対象を認識可. 在(ὂν) 」とされている。この命名対象たる「存在」が. 能であるとする(439e)ことで、イデア的な認識から. 可感的個物であるならば、その存在は感覚によって認識. 超越論的な要素を排除していく。名辞は存在論的にはド. 可能な筈であり、探求(「探り求め」)を要することはない。. クサの世界の産物である。. また、「存在」が可感的個物であるならば、名辞による. プラトンは神々の名前から水や火のような普通名詞ま. 認識は全てを可知的対象へと還元する筈である。しか. でを含むあらゆる名詞を、動詞・形容詞・抽象名詞まで. し、名辞は一種の記号であり、伝達の手段であった。探. を包含する「名辞」によって定義する。一方、 『クラテュ. 求によって求められるべきは語の「定義(内包)」であり、. ロス』における語義論探求の際、普通名詞による置き換. それは「存在」に寄り添うものとしてシニフィエを形成. えではなく、ロゴスによる定義づけが専らとされてい. する。命名対象そのものは可知的認識の対象であり、イ. る。このことにはどのような意味があるのだろうか。観. デア論的に論じられるべきである。上記の引用文中の「文. 念的な認識対象としての「名辞」は、そもそも現象界中. が短縮された名辞のように思われる。ἔοικε...ἐκ λόγου. に対応する可感的実体を有するものではなく、常なる流. ὀνόματι συγκεκροτημένῳ」に見られる「ロゴス」は、. 動を余儀なくされる現象の世界において、人々の共通認. ここでは一種の「形態素」がオノマを形成することで定. 識の下に分節化の規準として機能する。つまり、流動の. 義付けられる内包を意味し、概念としてのシニフィエを. 世界における個物は常にその属性や偶有性の集合として. 構成する。オノマはこのシニフィエを通じて探求される. 認識され、ロゴスを通じてその全体性(=イデア)が把. べき「存在」をそのアルケーに持つ。一方、ドクサの世. 握される。属性が可知的認識対象として存在するのであ. 界におけるオノマは「存在」を示唆するという点でシニ. れば、個物はスタティックな存在として超越論的イデア. フィアンとしての役割を担うこととなる。. 論の対象となるが、ロゴスは常にトートロジーに陥るこ. 名辞は教示を目的とし、現象界を分節化するための道. ととなり、名辞は探求の対象としての位置づけを失う。. 具である。個々のオノマはロゴスを内包する「存在」と. 一方、流動性を事物の常態として想定する場合、個物は. して、可知的認識の対象であり、探求の対象であると共. 偶有性によって把握されるが、プラトンが指摘するよう. に、オノマによる分節化は「(分節化される以前の万有. に、名辞は人々の間で共通認識をもって把握されること. としての)存在」を探求するための手段でもある。しか. はなく、個物の探求はただひたすらにロゴスに負うこと. し、存在論的に見て多くのクラスに多層化された現象界. になる。プラトンが『クラテュロス』で展開した「語義論」. をロゴスにおいて分節化するには、オノマの非力は明ら. は、単に歴史的に同系統に属する関連語句を羅列したも. かである。殊に、直示的定義を旨とする固有名詞に一定. のではなく、名辞をそのアルケーにまで遡って探求する. の内包を設定することは、一般的な規約説の考え方から. ことにより、流動的世界における名辞の変遷を論理的に. は不可能と言える。ここにおいて規約説は認識論的転換. (ロゴスによって)解釈したものである *14。個別具体的. を迫られることとなる。ソクラテスは、神々の名前(レ. なオノマと、その語義(原義)として提示される語句と. ア・クロノス・オケアノスなど)から抽象名詞(記憶・. の関係は様々だが、語義は専らロゴスに依って名辞の意. 無知・無節度など)までを対象に、歴史的に始原の状態. 味を構成するための要素として提示されたもので、歴史. (アルケー)を探ることで、名辞のイデアを空間的(超. 的探求を専らとするものである必要はない。. 教育デザイン研究 第8号(2017年1月) 101.

(5) プラトン『クラテュロス』に於ける語義論と名辞の本質定義. 424b に至り、議論は文字と綴りによる名辞の模倣機. ば(ῥῆμα)*15 と共に文を形成し、これらが全体として. 能の検討へと移る。これまで常に探求のための道具で. 事物の模倣機能を構成する(431)。流動下の世界にお. あったオノマが、今度は探求の対象となる。426c から. いて、オノマは規約的な指示機能のみでは事物を完全に. 427c ではオノマは字母にまで分解され、ギリシア文字. 表象することは出来ない *16。これに対し、ソクラテス. が一文字毎に流動説に基づいて定義され、その属性が綴. は、名辞の模倣性は「事物の概型」の内在によって保証. りとして名辞の意味に反映されているものとされる。こ. されるとも指摘する *17。イデア論の文脈からは、この. こで、ソクラテスは名辞の役割が教示にあることを確認. 「概型」こそが合目的的存在としての本質(οὐσία)を. し、名辞の目的論的定義を行う(428e) 。杼のアナロジー. 規定するものであると考えられる。ソクラテスにおいて. に従って解釈する時、ここに合目的的な本質(οὐσία). は、単独のオノマの内にも一定のロゴスが内包されてい. 規定における名辞のイデアが措定されていることが確認. ることがその根拠であることは、先の語義論に関する件. 出来る。一方、杼のイデアにおいて、織る布の種類に応. で名辞の構成要素が論の中心であったことから判断でき. じて設定された下位のカテゴリーには、その目的論的な. よう。また、名辞のイデアとのアナロジーでその模倣性. 機能主義において個々の名辞(シニフィアン)が該当す. を論ずるに際し、杼と絵画では個物とイデアの模倣関係. る。しかし、ソクラテスの議論は、名辞が指示すべき具. が逆になっていることにも注意すべきである。大工が杼. 体的個物との関係を明示しないままに、名辞の機能とし. を作成する際には、杼が杼としての機能を十全に果たす. ての模倣性の問題へと移っていく。430 以降、教示を. よう、杼のイデアの概型を個々の杼において(杼のイデ. その働きとする名辞と杼のアナロジーに関する議論は一. アの模倣物を個物において)再現する。一方、ここでソ. 応の終焉を迎え、名辞の模倣機能は絵画とのアナロジー. クラテスによって指摘されている模倣性は、個物に対す. によって検討される。. る名辞の模倣性である。少なくとも、論のこの段階でソ. 〔二つの像のうち正しいものは〕それぞれに相応. クラテスがクラテュロスを導く先はそこである。名辞が. しく、似たものを割り当てるものの方なのだと思う。. 名辞である限りの要件を模倣性に置くクラテュロスがヘ. (430c12-13)…さらに名辞については、正しい割. ラクレイトス的流動説に固執する限り、万物流動を否定. り当てと呼ぶことに加えて、真なる割り当てとも呼. し、静的性質をもったイデアを名辞の模倣対象として措. ぶのだ。他方の似てないものを割り当て、〔これを. 定するか、一切の名辞を否定してそこに無言で佇むしか. 事物に〕適用するものを正しくないものと呼ぶのだ。. 途はない *18。とはいえ、静的イデアの存在を前提にソ. また、それが名前に関する場合にはいつでも、誤っ. クラテスが展開する名辞論にクラテュロスも全面的に反. ているものと呼ぶのだ。(430d4-7) 。. 対している訳ではない。イデア(「そのもの自体」)に関. ソクラテスは名辞そのもののイデアを想定する一方、 個々の名辞が名辞として機能するためには、命名される. するやりとりの中でクラテュロスは次のように賛意を示 す(439d3-7) 。. べき個物に対する模倣性が重要であると主張する。個々. (ソクラテス) それでは、ある顔やそのようなも. の名辞は模倣性において教示の機能を果たさない限り、. のが美しいかどうかではなく、それ自体〔美〕につ. 名辞のイデアの具体的現象物としては、その「正しさ」. いて考えようではないか。これらのものすべてが流. が認められないとの立場を取る。杼のイデアの場合、亜. 動するものであるかどうかではなくね。それに対し. 麻や羊毛を対象とする個々の杼には、それぞれの目的に. て、我々の主張としては、美それ自体は現に存在す. 応じた個々のイデアが模倣対象として措定された。個々. るような形で常に存在するものではないのか。. の杼はそれぞれ機能性にも差があり、時に杼として相応. (クラテュロス) 必然です。. しくない粗雑なものが存在する可能性もあるが、名辞の. この後の件でソクラテスはイデアの流動性を否定して. 場合にも名辞としての機能性に差があることが想定され. 行くのだが、クラテュロスが流動を前提としながらもイ. る。ここでも同様に、名辞を構成する要素たる字母につ. デアの存在を認めていることには注目したい。万物流動. いて様々であることが、模倣物たる名辞の常態であると. は決して空間的に隔絶されたイデア界と、可感的認識対. 指摘されている(432)。こうした文字と綴りが絵画的. 象であるドクサの世界の間の流動的関係を想定したもの. な模倣の手段としてオノマを構成し、オノマは述べこと. ではない。そしてこのことがソクラテスとクラテュロス. 102.

(6) の共通認識の下にあることが、本対話篇の約半分を占め. とのアナロジーによって具体的個物との機能面における. る語義論の展開において確認された。命名者による名辞. 関係(この場合は模倣における正しさ)が判断される。. の発明は、流動する現象界の始原の状態(アルケー)に. この模倣関係が単なる視覚的・音韻論的意味における模. おいて行われるべきものである。目的論的イデア論が指. 倣関係を意味するものでないことは言うまでもない。記. 向するのは、本来あるべき状態(アルケー)であり、流. 号としての名辞は、クラテュロスも認めるように(434e). 動下の現象界における個物は、その始原の状態の(何ら. 「慣用によって」ある決められた意味内容を対話者の脳. かの変化を遂げているという点において)不完全な伝承. 裏に想起させる。この想起内容こそが模倣を通じて提示. 物に過ぎない。ソクラテスが自ら展開した流動説に基づ. された個々の名辞の定義(一種の内包)であり、シニフィ. く語義論を再吟味する必要を主張した時(428d)にも、. エとして可感的認識対象を可知的認識対象へと還元する. クラテュロスはソクラテスがそれまでに展開して来た語. ものである。合目的的イデア論はロゴスによるアルケー. 義論に対しては全面的に賛意を示している。そして、当. の探求において名辞(オノマ)の本質(ウシア)を規定. 該箇所におけるソクラテスの発言の中には、始原の状態. するが、名辞の認識機能はただひたすらに可感的個物と. における静的状態を前提とする名辞の正当性に関する言. の模倣関係によってシニフィエとして想起対象となる。. 19. 及が含まれているのである(397b)* 。クラテュロス. つまり、プラトンが『クラテュロス』で定義づけた名辞. は始原の状態における静的イデアの存在を否定してはい. とは、流動下にある可感的個物を模倣的機能によってア. ない。杼のイデアは名辞のイデアに対応し、麻や羊毛を. ルケーと結び付けることにより、対象の認識を可能とす. 材料とする杼には個々の名辞が対応するものとされた。. るものである。ドクサの世界の名辞が分節化するのは流. 一方、可感的個物である杼に対応するものを欠く名辞は、. 動下にある可感的個物であり、可感的個物は流動性に基. それ自体が一つのイデアとしての働きを有するものであ. づいてアルケーと結びつけられ、シニフィエを想起させ. るとの解釈が可能であるものの、本稿が主張する流動性. る。. 下の世界における名辞は超越論的イデアとしての性質を 否定されているところから、本質において可感的個物と. 【Ⅳ.結論:「イデア論」に基づく名辞の本質定義】. の対応関係を要求されるものであった。名辞が綴りと文. 『クラテュロス』は 438 以降、事物の認識における名. 字によるものではないとされている以上(432b)、名辞. 辞の役割について最終的な結論の提示へと至る。これ以. は感覚的な認識対象のシニフィアンではない。殊に、事. 前の文脈は全てこの結論部分を導く為の導線であったと. 物の発見と学習をともに名辞の働きと考えるクラテュロ. 言って良い。本稿においても、これまでの議論をもとに. スにとっては(436a)、事物に関する「知識」とは即ち. 同対話篇 438 から 440 を解釈することで『クラテュロ. 事物の名辞による調和的把握を意味している。これは分. ス』におけるプラトンの名辞論に関する一つの結論とす. 20. 節化による「真理の把握」 (436c3-5* )において、一 種の観念がノモテテースによる命名に先んじて存在して いることを意味する。一方、プラトンは発見と学習を区 別することでイデア論的転回への道筋をつける訳である が、イデア論的に措定された「名辞」が、名辞の観念と. る。 438 以降の文脈において、名辞論に関する論点は次 の2点に集約される。 1)名辞による認識可能性について (438d-439a, 439de,440c). してのシニフィエを指すものであることは明らかであ. 2)認識対象の不変的性質について (439c-440b). る。命名者は可知的イデアたる名辞のイデアをその教示. まず第一に、本稿の主たる検討対象である名辞の認識. 的機能において目的論的に再現する際、可感的個物を範. 可能性について検討を加える。まずソクラテスとクラ. とするその模倣性によって教示性を機能において再現す. テュロスは、これまで展開されて来た語義論に依って、. る。すなわち、イデアとしての「名辞」はその機能にお. 名辞には流動的性格を有するものと、固定的性格を有す. いてシニフィアンとしての名辞によって再現され、命名. るものとの2種あることに同意する。但し、2種の名辞. 対象(可感的個物)との類似性によって名辞としての「正. のうち何れが「真理に(ἀληθείᾳ)似た(438d3) 」も. しさ」を判断される。こうして名辞は、杼のイデアとの. のであるかについては意見を異にする。ソクラテスは不. アナロジーによってその目的論的機能が検討され、絵画. 変的性格をもつ名辞を支持し、クラテュロスは流動的性. 教育デザイン研究 第8号(2017年1月) 103.

(7) プラトン『クラテュロス』に於ける語義論と名辞の本質定義. 格を有する名辞を支持する。ここでソクラテスが主張す. 論じられてきた名辞の言語論的模倣機能に依る事物の認. る「真理」とは如何なるものかが問題となる。当該箇所. 識が、イデア的模倣機能による事物の認識にとって代わ. において「真理」は「あるものの〔存在についての〕真. られる。言語論的模倣機能は感覚に依存する為にドクサ. 理(τὴν ἀλήθειαν τῶν ὄντων)」と言い換えられている. の世界における伝達を旨とするが、イデア的模倣機能は. のみで、これを 439 以降展開されるイデア論の文脈で. 事物のアルケーを想起させることによる伝達を旨とする. 解釈することは当然可能であると考えられるものの、プ. 点で可知的認識に属するものである。ソクラテスは感覚. ラトンのイデア論の多様な性格に鑑みて、『クラテュロ. 的個物の流動性に関わる人々の認識を消極的にではある. ス』におけるイデア論そのものが厳密な定義を要求され. が認めつつ(439c)、感覚的個物の流動的性格を模倣す. る。前節までに論じたように、『クラテュロス』におけ. ることにより名辞がその伝達機能を果たすという考え方. るイデア論は事物の合目的的性質に依拠するもので、感. には否定的姿勢を示す。ソクラテスは名辞抜きでの事物. 覚的個物に対する一定の類的依存関係を前提とするもの. 認識を提案する。しかし名辞は事物を指示することを働. であった。さらにソクラテスが指向する合目的性は、事. きとする一方、事物の本質を見出すための探求の手段で. 物の本来の存在理由として語義論において措定されたア. もあった。名辞の探求の機能までも否定してしまっては. ルケー(始原の姿)によって正当化された。一方、名辞. イデア論者としての自己否定になりかねない *21。それ. の流動的性格は、時間的推移により変化を被る事物との. 故ソクラテスは名辞に代わる新たな探求の手段を模索す. 類似性が想定可能であるものの、ノモテテースによって. る。. 命名された名辞が「それぞれ〔の事物〕に対して本性上. ところで、他の何を通じてこれ〔存在〕*22 を学. 相応しい(390e3)」かどうかの判断は、問答家(哲学者). ぶことが出来るだろうなどと君はなお期待するのか. の判断を待つこととされた。たとえクラテュロスが一次. ね。つまり、適切で正当なものより他の何を通じて. 的名辞の命名をダイモーンによるものと主張したとして. 学ぶのか。恐らくそれらが類似の場合にはさらにお. も、名辞使用の妥当性は感覚的個物の歴史的に流動的な. 互い同士を通じ、そしてそれら自身を通じてその. 性格ゆえに、その判断は問答家に依らしむべきものとさ. もの自体を〔存在について〕学ぶのではないのか。. れている。それゆえソクラテスによって為された次の言 明は、以下のように解釈されるべきであろう。 つまり名前なしに存在について学ぶことが可能で あるように思われる。(438e2-3). (438e5-8) ここで名辞は探求の手段としての役割を「それら自 身」に譲る。それは、命名者自身が事物の本質を流動の 状態と勘違いし、結果として流動的要素を含む多くの名. 自分と自分の魂を世話することを名辞に任せ、そ. 辞を創り出してしまったとのソクラテスの考えによる. れ〔名辞〕とそれを定めた者を信じることで、何事. (439c)。ここで「~自身」を表す αὐτὸ τὸ Xの表現が. かを知っていると思い込むなどということは、とう. 若干問題となろう。ここで用いられている αὐτὸ τὸ Xや. てい利口な人のものではない。(440c3-8)。. αὐτὸ ὅ ἔστιν のような、プラトンの対話篇において通例. 人が名辞に事物との類似性を見出すことで、その類似. イデアを示すとされている表現が、イデアを表すものと. 性によって意味を把握するクラテュロス説に正当性があ. 想定される初期の例と解されているからである。この観. るならば、ドクサの世界に生きるのが常である我々人間. 点から論ずるに、流動的要素の含有が危惧される名辞に. は、流動的世界の住人であるがゆえに名辞の流動性に事. かわり、イデアが存在把握の重要な手段と考えられてい. 物との類似性を見出すこととなる。しかし名辞は感覚的. るものと解釈される。感覚的個物ではなく、イデア間に. 個物そのものではない。名辞の働きの重要性は、目前の. 存する差異こそが、名辞によって分節化される対象とな. ものに対する直示的指示機能以上に伝達機能にある。感. る。「名前抜き」での事物の認識が、名辞を一切使用し. 覚的個物と名辞の流動性を前提とする限り、何れの名辞. ないことではなく、対象認識において名辞が果たす語義. もその伝達機能において機能不全に陥ることは明らかで. 論的な探求の機能を否定することであるならば *23、イ. ある。名辞はあくまでも記号である。記号はそれのみで. デア間の差異に基づく分節化による認識は重要な対象把. は何物をも表象し得ない。438c 以降のソクラテスは、. 握の手段となる。しかし、感覚的個物の間の分節化によっ. 名辞に対する過度の依存を否定的に評価する。それまで. て事物を認識するドクサの世界の人間にとって、イデア. 104.

(8) は探求の目的ではあれ、探求の手段となることは有り得. く、アルケーを目的論的に指向するソクラテス的ロゴス. ない。たとえ名辞の果たす役割がイデアの分節化にあろ. を支える「そうあるべき根拠」として提示されているに. うとも、イデアに対する直示的機能を可感的個物の認識. 過ぎないと言える *25。. に先立つ第一の認識対象として措定することは、『クラ. また、上記の説に沿って言えば、ソクラテスによって. テュロス』の時期までのソクラテスの対話篇からは想定. 提示されたイデア論に対し、クラテュロスが容易に肯定. し得ない。ソクラテスが否定しているものが、名辞の語. の態度を示した(439d3-7)点についても、「プラトン. 義論探求的機能ではなく、(音韻論的に措定されたドク. がはやく対話を完了するための便法 *26」のような強引. サとしての)名辞そのものであることは文脈上明らかで. な解釈をとる必要は無い。また、クラテュロスが流動説. あろう。しかしその語義論探求的機能は否定されてはい. への傾倒を強めるのはソクラテスとの対話の結果である. ない。名辞にかわり「それら自身」の表現で表された「イ. という考え方 *27 についても、これを否定する根拠を本. デア」こそが、その役割を担うのである。このことは次. 稿は有しない(基本的にはこの主張を本稿は支持する). に論ずる『クラテュロス』におけるイデア論の解釈にお. ものの、ここで議論されている 439cd の箇所において. いて解決を見る。当該箇所においてイデアと解釈すべき. は既にクラテュロスの姿勢は流動説への傾倒を強めてい. 表現は2か所存在し、それぞれ次のように表されている。. る。また、近接箇所(440d9-e2)でクラテュロスが明. τι ... αὐτὸ καλὸν καὶ ἀγαθὸν「何かそれ自体で美. 確にヘラクレイトスの流動説を肯定する姿勢を示すこと. しいものとか、それ自体で善いもの」(439c8). からも、クラテュロスは個物に内在する性質としての. αὐτό, ... τὸ καλὸν「美しいものそれ自体」(439d5). 「善」「美」のイデアを、流動的性質を有するものと理解. 439c では「美しさや善いものそれ自体」を示す表現. していたに違いないのである。それはクラテュロスの思. の前に、事実上の不定冠詞(τι)が付されていることに. い違い *28 などでは決してなく、プラトンによって提示. 注目したい。ギリシア語では抽象名詞には定冠詞を付け. されたイデアが個物から遊離した普遍的存在ではなかっ. るのが通例である。一方、ギリシア語には不定冠詞が存. たが故に、流動の可能性を否定し切れないものであった. 在しないために、普遍的、唯一存在から切り離された個. からである。この点で、『クラテュロス』におけるイデ. 物一般に言及する場合には、無冠詞で名詞が使用される。. ア論は『パイドン』や『国家』ほどの超越論的性質を有. しかしここでは敢えて抽象名詞に τι の一語を加えるこ. してはおらず、『クラテュロス』における「イデア」は. とでその意味を強調しているものと考えることが出来る. 流動下にある感覚的個物の、「あるべき姿」を示すもの. *24。当該箇所がイデアの不変性を論ずる箇所であるこ. と解釈されるべきである。この点で、本対話篇における. とを前提に τι の存在に注目すると、この「美」や「善」は、. イデア論的言語論は、ドクサの世界に生きる我々が、普. 『国家』のようなプラトンのイデア論を代表する対話篇. 遍的知識へと至る一つの方途を示していると言える。. で主張されているような、不変的性質を有する普遍的(ま たは唯一)存在を想定して用いられているものではなく、. 1 本 稿 に お け る 訳 文 は Duke,E.A. et al.(eds), Platonis. 可感的事物がそれぞれ有する個々の美や善に関して用い. Opera tomus I, Oxford, 1995.(New OCT)所収のギ. られていると考えるべきではなかろうか。この考え方に. リシア語原文を、岩波書店版『プラトン全集2』 (1974. 立てば「(美しいとされる事物がそのように判断される. 年)の水地訳を参考に試訳したものである。. 根拠となる)そのもの独自の美しさ」とでも訳出し得よ うか。一方、439d の αὐτό, ... τὸ καλὸν の表現はプラ. 2 Sedley, D., Plato's Cratylus, Cambridge; New York, 2003, p.24 および p.48f.. トンにおいては普遍的イデアに関する表現と通例解釈さ. 3 ὄνομα は一般的に名辞を示す語と解されている。し. れるものであり、その可能性も捨てきれないものではあ. かし『クラテュロス』においては、形容詞や動詞の不. るが、文脈上 439c で既出の τι ... αὐτὸ καλὸν を指して. 定詞形(414ab, 426c) ・分詞形(421c)、さらには文. 定冠詞(τὸ)が用いられているとも考えられる。前節ま. 節の最小単位(385c)をも示す語として扱われてい. でに展開して来た本稿におけるイデア論解釈に沿って言. ることには注意が必要である。(cf.Ademollo, F., The. えば、ここで指摘される「美」や「善」のイデアも、存. Cratylus of Plato, Cambridge, 2011, p.1.)本稿では、. 在論的還元の根拠となるような普遍的存在では決してな. 通常の文法用語との混乱を避けるため、翻訳からの引. 教育デザイン研究 第8号(2017年1月) 105.

(9) プラトン『クラテュロス』に於ける語義論と名辞の本質定義. 用部分を除き、プラトン的な意味でのオノマはそのま. エイドスは類(genus)に、個々の杼に特徴的なピュ. ま「オノマ」と表記するか「名辞」の語をあて、今日. シスは種(species)に比肩され、両者の関係は形相. 的な意味での名詞に該当する表現には「名詞」を当て. (form)と固有の形相(proper form)の関係に等しい. ることとする。. という。なお、本文中で φύσις を「本性」と訳して. 4 語義論の科学性に対する否定的意見はメリディエ. いるのは水地訳(p.23f.)による。同訳では εἶδος も「本. (Méridier, Cratyle, PLATON oeuvre complètes, tome V,. 性」と訳されており、両者の間に Calvert がいうよう. 2e partie, 1961, Paris. ,p.20.) に代表される。 5 cf. Thomas Wheaton Bestor, Plato's Smantics and Plato's "Cratylus", in: Phronesis 25, 1980, p.329f., note 10.. な区別は想定されていない。 12 καὶ τὸ ‘ὂν’ の 部 分 は、 比 較 的 古 い 時 代 に 属 す る 写本を含むβ系の写本グループには見られない (OCT,p.244note)。この部分が後世の書き込みだと仮. 6 Kahn, Ch.H., Language and Ontology in the "Cratylus",. 定することも可能であり、ὂν に対して必要以上に形. in: E.N. Lee & A.P.D. Mourelatos & R. Rorty (Hrsg.),. 而上学的な「存在」としてのイデア論を読みとること. Exegesis and Argument. Studies in Greek Philosophy. には慎重であるべきだろう。. Presented to Gregory Vlastos, Assen 1973, pp.152176 (Phronesis, Suppl.-Bd. I).. 13「あらゆるものに名前をつけた(原文は現在形)大昔 の人々は、今日の熟達者達の多くが存在が如何なる状. 7 ハイニマン著(広川、玉井、矢内訳)『ノモスとピュ. 態にあるかを探求しつつ、しばしばぐるぐる回されて. シス―ギリシア思想におけるその起源と意味―』みす. 目が回っており、そしてそれから事物自体が回ってい. ず書房、1983 年、p.130.. るように、全く動いているように見えてしまうのであ. 8 同前、p.45f. 9 Luce もやはり職人と命名者の技術のアナロジーに注. る。」(411b4-c1) 14 Burkert は『クラテュロス』における語義論の展開. 目した上で、神におけるイデアと人におけるイデアの. から、「アルケーは第一の原理ではなく法則となった」. 対比が、『国家』と『クラテュロス』では大きくこと. と指摘するとともに、同対話篇における意味論的言. なる点を指摘している。『国家』では、神の下におけ. 語分析に「ソクラテス的帰謬法」による論の展開を. る杼の製造が包括的なイデアの次元のものであるのに. 見る( La Genèse des Choses et des Mots, Le papyrus. 対して、人の下における杼の製造は個別具体的なもの. de Derveni entre Anaxagore et Cratyle, in: Les études. に関わる。一方、『クラテュロス』では、こうした区. philosopiques, 25, 1970, p.452f.) 。本稿もこうした見. 別が曖昧であり、イデア論的に見て未完成であると. 解を共有するものではあるが、同論文との分析過程に. いう。(Luce, The Theory of Ideas in the Cratylus, in:. 大きな違いがあるため、同氏が語義論を否定的に扱う. Phronesis 10, 1965, p.24.). のに対し、本稿は語義論こそがアルケーと帰謬法を結. 10 389d1 で用いられている εἶδος の語に「種類」の訳. び付ける紐帯として重視されるべきであり、意味論的. を付けたのは、文脈上の判断と先行訳(水地訳では. 言語分析は音韻論的語義論分析を否定した結果ではな. 「種類」、Fowlar 訳では kind、Schleiermacher 訳では. いと考える。. Art、Méridier 訳では genre)による。但し、εἶδος の. 15 述べ言葉(ῥῆμα)とは、名辞との組み合わせで文を. 語は、個々の杼に対する「杼のイデア」をトークンに. 構成するものであるという(425a)。426e では具体. 対するタイプを示す語と解釈する限り、超越論的性格. 的に幾つかの動詞が列挙されており、『ソフィスト』. をもたない一定のクラス(集合)を表すものと見なす. (262a)では動作を表す語とされている。本稿では名. ことも可能である。この場合「種類」と「イデア」の. 辞の個別具体的なあり方を示すものと解釈したい。. 概念上の差異は著しく縮小される。. 16 事物の探求のためには、オノマはロゴスによる補完. 11 Calvert は『クラテュロス』のこの箇所(esp.389a-b). を必要とする。これが『ソフィスト』における議論の. にエイドスとピュシスの対比を読んでいる (Forms. 前提であった(218c) 。『クラテュロス』における言. and Flux in Plato's "Cratylus", in: Phronesis, 15, 1970,. 語論は後期対話篇において大きく展開していくものと. p.27.)。同氏のプラトン解釈によると、杼に共通する. 考えることが出来る。両対話篇におけるロゴスへの関. 106.

(10) 心が、真実在への直観を排除していることは、既に納. 19「そして、我々は、常に存在し、本性的に存在するも. 富信留氏によって指摘されている(「自己を制作する. ののところにおいて、正しく付けられた名前を発見す. 言葉」in:『哲学雑誌 vol.106(778 号)』、p.56) 。この. る可能性が最も高いのである。」(397b6-8) 。. ことは『クラテュロス』と『ソフィスト』が言語論的. 20 当該箇所におけるクラテュロスの発言「命名者が真. 関心を共有している証と言えるが、オノマそのものが. 理の把握に失敗しなかったということが、あなたに. 有する内包にロゴスの展開を見る『クラテュロス』は、. とって最大の証拠となるはずです。というのも、全て. レーマ(述べことば)に過度に依存しない、厳密な語. のものがそれぞれに対して、このように調和すること. の定義を模索(これをソクラテスは「探求」と呼ぶ). は決してなかった筈ですから。」(436c3-5)は、全て. している点で、『ソフィスト』以上に「ソクラテス的. の名辞が相調和していることを前提とした真理の把握. 言語哲学」の申し子と言える。. を説いている点で、名辞による分節化を表しているも. 17 τύπος に 対 す る 訳 語 と し て「 概 型 」 を 用 い て い. のと解釈出来る。. る の は 水 地 訳(p.148) で あ る。 打 刻 を 意 味 す る. 21 名辞抜きの真理の探究の件について、Ademollo はソ. τύπος は、範型や似姿を意味する語としても用いら. クラテスが否定しているのはあくまでも名辞の語義. れる。432e6-433a1 の文脈では、「言葉がそれにつ. 探求的機能であり、名辞の使用による推論を破棄し. いて示しているところの事物の τύπος が…字母の名. 直感的把握を肯定している訳ではないとする(Ibid.,. 前のように…。」とある。先行訳の多くが、この語. p.445.)。しかし、本稿で論じてきたように、名辞の. を「本性」的な意味で解釈している(Fowler 訳では. 語義論探求機能は、事物の始原的状態をイデアと深く. intrinsic quality 、Schleiermacher 訳 で は Grundzüge. 関連付ける意味でも軽んずることは出来ない。. 、Méridier 訳 で は caractère distinctif)。 し か し、 ソ. 22 写本間で表記に若干の異同がある。βTQ写本にお. クラテスが参照するよう求めている(433a)ヘル. ける τα ὄντα は2行前の τα ὄντα を受けていると考. モゲネスとの対話(393e)を読む限り、ソクラテス. えられるので「存在」、W写本では αὐτά と表記され. が τύπος の語を、「名辞が指示対象を表すに必要な. ているために「それ自体(=本質)」と解釈すべきだ. image」の意味で用いていることは明らかである。但. ろう(cf. New OCT, p.271) 。. し、名辞が「綴りと文字による事物の表示」であるこ とを否定している(433b)ところからも、音韻論的 な image との相同ではなく、本性的な image の類似. 23 Ademollo, op.cit., p.445. による解釈(名辞の使用は 否定されていないとする)。 24 こ の 文 脈(τι εἶναι αὐτὸ καλὸν καὶ   ἀγαθὸν) に. (434a)を意味しているものと考えることが出来る。. おける τι を不定冠詞的にではなく、be 動詞(εἶναι). よって本稿では、τύπος の語を一種の範型(イデア). の補語とする解釈も存在するようだが(Ademollo,. を意味するものと解釈する一方、それが形而上学的な. op.cit., p.457, note 8)、ここでは学説の趨勢に乗じ、. 意味での「存在」ではなく、論理学的な意味での「本. この解釈に関する判断は保留する。. 質」規定を表すものであることを示すために、スキー. 25 Ademollo は『パイドン』100b 及び『国家』476c. マ(シェーマ Schema)を連想させる訳語である「概型」. との比較の下に、この τι と τὸ の用法を区別せずに解. を使用させて頂く。. 釈しているが、『国家』は言うに及ばず、『パイドン』. 18 cf. アリストテレス『形而上学』Γ 巻 1010a(出隆訳、. においてもプラトン的イデア論は普遍的性質を有する. 岩波文庫、p.140f.)。アリストテレスによると、自然. 可知的存在としての意味を帯びるようになる。. 説的名辞論を主張するクラテュロスは、ヘラクレイト. 26 水地訳『クラテュロス』p.167 の註 (6) 参照。. スの徒として流動説に固執するあまり、名辞の伝達機. 27 Ademollo, op.cit., p.459.. 能を放棄することになったといえる。. 28 Sedley, op.cit., p.167.. 教育デザイン研究 第8号(2017年1月) 107.

(11)

参照

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