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琉球国絵図と近世の交通事情: 沖縄地域学リポジトリ

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Title

琉球国絵図と近世の交通事情

Author(s)

津波, 清

Citation

史料編集室紀要(19): 55-80

Issue Date

1994-03-30

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/7421

Rights

沖縄県立図書館史料編集室

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琉球国絵図 と近世の交通事情 (津波)

古今 東 西 、 国 家 の 成 立 と 発 展 の 過 程 で 道 は 政 治 ・ 通信 ・ 産 業 ・ 交 通 に と っ て 欠 か せ な い も の で あ る 。 中 国 の 唐 の 時代 (六 一 八

七 ) 広 大 な 領 土 を 支 配す る た め ' 組 織 的 な 交 通 体系 が形 勢 され ' 駅伝制度 も い ち じ る し -完 備 した t と い う 。 「中 央 の 兵 部駕 部郎 中 の 管 理 下 に ' 地 方 に は 各道 に 館 駅巡 官が あ っ て ' 管 内 の 州 県 所 属 の 駅 務 を 監 督 し た 。 駅 は 主 要 な 交 通路 に そ っ て 三 十 里 間 隔 に 設 け ら れ 、 全 国 で 一 六三 九 ㌧ そ の う ち 水駅 二 六

、 陸 駅 二 一九 七 、 水陸 を か ね る も ① の が 八六 あ っ た 。 」 の で あ る 。 駅 の 主 た る 目 的 は 公 文書 の 逓 送 と 役 人 に 馬 な ど の 乗 物 を 提 供 したり '休息 ・ 宿 泊 ・ 食 事 を 提 供 す る こ と で あ っ た 。 も とも と '道 路整 備 は 産 業 の 発 達 や 政 治 と 密接 に 関係 し て い る が'唐 の 駅 伝制 も 同 様 の 性格 を 帯 び て い た 。 駅 制 は 契 丹族 の 国 家 で あ る 遼 (九 一 六

一二 一五 ) や 蒙 古 民族 の 国 家 で あ る 元 ( 二 一七 一

二二 六 八 ) ② の 時代 一 層 発 達 し た よ う で あ る 。 古代 日 本 に お い て も 八 世紀 に は す で に 駅 伝 制 が 成 立 し て い た 。 この 時代遣唐 使 の 派遣 に よ っ て 唐 文 化 の 影 響 を 色 濃 -受 け て い た 時代 で あ り ' 唐 の 制 度 に な ら い 役 人 の 往 来 に 利 用 さ れ る 幹線道 路 で あ っ た 七 道 (東 海 ・ 北 陸 ・ 山 陰 ・ 山 陽 ・ 55

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南 海 ・ 西 海 の 各道) の 三 十 里 (約 一 六 血 ) ご と を 基 準 と し て お か れ た 駅 に 駅 馬 を 配 置 した . こ れ ら は 緊急 の 飛 駅 便 ・ 公 ③ 文 書携 行 の 駅債 や 公 務旅 行者 な ど に よ っ て 利 用 さ れ た 。 琉 球 に おい て は 尚 巴 志 ( 一 四 二二

-1 四 三 九 在 位) の 時代 駅 制 が敷 か れ た と い わ れ て い る 。尚 巴 志 は 1 四

六 年 武 寧 ( 二 二 九 六

-1 四

六 在 位) を 滅ぼ す と 父 の 思 紹 ( l 四

l 四 二 一 在位 ) を 中 山 王 に つ け '自 らは 北 山 '南 山 の 攻

略 に 全 力 を 傾 注 し た 。 尚 巴 志 は 三 山 を 統 一 す る と ' そ の 支配 を 強 化す る 必 要 か ら 迅 速 か つ 正 確 に 情 報を 収 拾 し た り ' 伝 達 す る 必 要 が あ っ た 。 ﹃琉 球 国 由 来 記 ﹄ に よ る と 、 四 道 地 里 (三 十六 町 云 里 ) 富 国 里 者'永楽年 間 '尚 巴 志 王 ' 国 中之 定 里 積 欺 。 中 華 '春 秋 命 暦 序 云 。 神 農氏' 地 形 ヲ ハ カ-' 四 海 ヲ 甑 度 ス 。 東 西 九十 寓 里 '南 北 八 十 寓 里 -ア -。 然 レ バ則 、 炎 帝 ヨ -'始 テ 里 数 ア -。 准南 子 ニ '寓 民 喜 テ 、尭 ヲ 立 テ '為 天 使 。 於是、 天下 ノ 虞 狭 ・ 峻 易 ・ 遠 近 ' 始 テ 記 セ -。 道 里 の 起 ル コ ト ,陶唐 氏 ヨ リ ,始 ル -ア レ ド モ ,黄帝内俸 こ , 記 里 専 ア レ バ , 里 数 ハ , 炎 帝 ヨ リ 始 ル 事 , 明 也 。 ︹中 華 事 始 ︺ 五 騨 (有 制 札 鯨家 。 俗牌 家 卜 云 ) 富 国罪始老'永 楽 年間 '尚 巴 志 王 '琉 球 園 帰 一 統 '始造 騨 欺 。 (東 西 の 途 、 隔 月 互 駅 次 7 -。 其 所 の 役 、蓋 夜相詰 ' 勉 公 事. 通 園 用 。 今 世之制度 也 ) 中華 ハ ' 周 ノ 世起 ル 。 ︹中 華 事始 ︺ ⑤ 倭 国 ' 孝 徳 天 皇' 大 化 二 年' 初 テ 騨馬 ヲ 置 ル ト ' 日 本 紀 ニ アレ バ' 是始 ニ ヤ ︹大 和 事 始︺ と あ る 。 この ﹃ 琉 球国 由 来 記 ﹄ の 記 録が 具 体 的 に ど のよ う な も の で あ っ た か 、 それ を 証 明 で き る 絵 図 や 記録 等 は な い が' 三 山 を 統 一 した 尚 巴 志 が津 々 浦 々 まで 支配権 を 確 固 た る も の に し て い -た めに は 里 程 を 定 め ' 駅 制 を 実 施す る こ と

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・ -: .-i. ⋮ . . ︰︰. . 琉球国絵図 と近世の交通事情 (津波) が重 要 な 意 味 を も っ た に ち が い な い 。 尚 巴 志 は 三 山 を 統 一 し た と は い え '有 力 な 按 司 達 は 健在 で あ り ' それ に 対 す る 防 備 に 万 全 を 期 す 必 要 が あ っ た 。 北 山 を 滅 ぼ し て の ち ' す ぐ に 尚 巴 志 は 自 軍 の 第 1 の 武 将 で あ っ た 護 佐 丸 を 今 帰 仁 に 残 し 、 反乱 に 備 え た 。 し ば ら く し て 護佐 丸 は 中 山 の 要 地 で あ っ た 読 谷 山 に 移 り ' そ こ に 座 吾味 城 を 築き ' 北 山 にに ら み を き かした 。 また '今 帰仁城 に は 尚 巴 志 が 中 山 王 に つ い た 一 四 二二 年第 二 子 の 尚 忠を 北 山 監 守 に 任 じ ' 配 した 。 後 王 位 に つ い た 尚 忠 ( l 四四

l 四四 四 在位) は 子 弟 を 今 帰仁 に 封じ '代 々 監 守 を 勤 め さ せ た がt l 六六五 年尚 質 王 の 時 廃 止 ⑥ さ れ た の で あ る 。 尚 巴 志 が 三 山 統 一 後 、 軍 事 的 ・ 政治的 理由 か ら 道 の 整備 は も ち ろん の 事 ' 迅 速 な 情 報 伝 達 の た め に 里 制 ・ 駅 制 を 敷 い た こ と は 十 分考 えられうる 事 で あ る 。 こ れが の ち の 宿次 の 重 要 な 役割 を 担 う 番 所 制度 の も と に な っ た と 考 えら れ る の で あ る 。 里 制 ・ 駅 制 に 関 し て 山本弘文氏 は 最 近 の 沖 縄 県歴 史 の 道調 査 の 成 果 を 踏 ま え て 「 も ち ろん 地域 ご と の 道路 の 建 設 や 整 備 は ' す で に 三 山 対 立 時 代 (十 四 世紀 初 頭

十 五世 紀 初 頭 ) ' な い し そ れ 以 前 に 始 ま っ た も の と 考 えなけれ ば ならな い が' そ の 統 一 と 里 制 ・ 駅制 の 整備 が 緒 につ -の は ' や は り 三 山 の 統 一 時代 (十 五 世紀 初頭) と 考 え る の が 妥 当 で あ ろ う 。 そ し て 十 五 世 紀後 半 以 後 の 第 二 尚 氏 時 代 に は ' 奄美 や 八 重山 の 征 服 に とも な っ て '海 上 を 含 む ⑦ ︹す べ て の 道 ︺が ' ︹首 里 に 通 ず る ︺ こ と に な っ た と 考 え る こ と が で き る の で あ る 。 」 と論 及 し て い る 。 琉 球 国 絵 図 は 一 六四 四 年 に 調 製 が 始 ま る が' こ のこ ろ に は 東西 南 北 に 道路網 は か な り 整備が進 んでお り '沖 縄本島 の み な ら ず ' 周辺 離 島 ' 久米 島、 宮古' 八 重 山 に 至 る ま で 宿道 (現 在 の 国 道 に 相 当 )が整備 され て い た と み え '絵 図 中 に 赤 の 実線 で 明 示 されて い る 。 また '絵 図 の 付 属史料 と し て 作 成 され た 絵 図 帳 には 御 城 より 各間 切 番 所 へ の 里 程 が 明 記 さ れ て い る 。 ① 新 編 東洋 史 辞 典 京 大東洋 史 辞 典 編 纂 会編 東京創 元 社 平成 二 年 ② 前 提 書 九 二 ペ ー ジ 遠 は 「曹 廟 の 盟約 」 を 契機 と して 宋 と の 間 に 貿 易 が さ か ん と な り ' それ が 交 通路 を 発達 さ せ た が' なか で も 北京 57

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(燕 京) 、 中京 大定 府 (大名 城 ) ' 上 京 臨府 (林 東) を 中 心 と し て 設置 さ れ た 駅伝 路 は 活 発 を き わ め 、 駅 舎 に は 付 近 の 民 家 か ら 牛 馬 を 供 出 せし め 、 それ を 旅客 の 使 用 に あ て てい た 。 し か し 駅 伝 の 制 度が 大 いに 発達 し た の は 元 代 に 入 っ て か ら で あ る 。 元 代 は 漠 北時代 か ら 、 砧赤 ( シ ャ ム チ ) が あ り ' オゴ タ イ -カ ン の 時 に 早 -も 整 備 を みた が' 中 国 統 1 後 は 全 地域 に およ ん で 完備 した 。 壷 赤 と は 蒙 古 語 で 「 路 を つ か さ ど る 老」 あ る い は 「路を 利 用 す る 者 」 す な わ ち 駅伝 の 意 で '砧 ( タ ン ) は 駅 を 意味 し た 。 ③ 新 編 日 本史辞 典 京 大 日 本史 辞 典 編纂 会編 東京創 元 社 平成 二 年 参 照 ④ 名嘉 正 八 郎 は ﹃琉球 の 城﹄ (株 式 会社 ア ド バ イ ザ ー 一 九 九 三 年) で 次 の よ う に 和 田 説 を 取 り 上 げ て い る 。 三 和 田 久 徳 「 三 山 統 二 一 四 二 二 年 説 を 支 持す る 和 田 久 徳 は ' 昭 和 五 十年 三 月 に 「琉 球 国 の 三 山 統 一 に つ い ての 新 考 察 」 (﹃ お 茶 の 水女 子 大 学人 文 科 学 紀 要第 二 八 巻第 二 分冊 ﹄ 口 頭 発表 は 昭 和 四 十九 年 十 1 月 二 十 三 日 南 島 史 学会 第 三 回 大 会 ( 那覇 市 ) ) を 発表 し た 。 和 田 は 沖 縄 側 の 史料 ﹃ 中 山 世 鑑 ﹄ ﹃察 鐸 本中 山 世 譜 ﹄ ﹃ 察 温本 中 山 世 譜 ﹄ ﹃ 歴 代 宝 案﹄ な ど ' 中 国 側 の 史 料 ﹃ 明 実 録 ﹄ ﹃大 明 1 統 志﹄ ﹃ 中 山 沿 革 志 ﹄ な ど を 徹底 的 に 史 料 批 判 し ' 尚 巴 志 は '最 初 に 南 山 を 攻 略 L t 次 に 1 四

五 年 中 山 を ' そし て 最後 に 一 四 二 二 年 北 山を 攻略 し て 三 山 を 統 1 し た と す る 新 説 を 発表 し た 。 琉 球 国 の 三 山 統 一 につ い て のこ れ ま で の 通説 は '尚 巴 志 が 1 四 二 ハ 年 (永 楽 一 四 ) に 今 帰仁城 主 (山 北 王 ) を 攻略 L t つ ぎ に 1 四 二 九 年 (量徳 四 ) に 大 里 城 主 (南 山 王 ) を 滅ぼ し て 三 山 を 統 1 した とす る 説 で あ っ た 。 (﹃ 琉 球 の 城 ﹄ 一

六 ペ ー ジより ) ⑤ 琉 球史 料 叢 書 第 二 伊波普 猷 ・ 東 恩 納 寛 惇 ・ 横 山 重 篇 井 上 書 房 刊行 昭 和 三 七 年 巻 三 事 始 乾 天 地 門 四 道 地 理 五 辞 参 照 ⑥ 山北今帰 仁城 監 守 来 歴 碑 記 ( 1 七 四 九 年 ︹乾 隆

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︺ 建 立 ) に よ る と 「昔者 球 陽 諸 群 四 分 五 裂終 成三 山 鼎 足 之 勢

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琉球国絵図 と近世の交通事情 (津波) 寓 民 堪 途 炭 之 憂 佐 敷 按 司 巴 志 大 典 義 兵 匡 合 三 山 而 致 一 統 之 治 然 山 北 諸 群 地 係 峻 岨 人 亦 勇 猛 離 中 山 遠 教 化 難 敷 恐 復 侍 峻 岨 而 生 襲 乳 乃 遣 次 子 尚 忠 監 守 永 為 定 規 -」 と あ る 。 ⑦ 「琉 球 王 国 の 街 道 と 継 立 ・ 通 報 組 織 」 (﹃ 経 済 志 林 ﹄ 第 六 十 一 巻 第 一 号 ) ' 山 本 弘 文 平 成 五 年 二

図作

史的

徳 川 家 康 は 関 が 原 の 戦 い で 石 田 三 成 の ひ き い る 西 軍 を 破 り ' 全 国 に 号 令 で き る 覇 権 を に ぎ り ' 一 九

三 年 江 戸 幕 府 を ひ ら い た 。 翌 一 六

四 年 に は 全 国 の 大 名 に 国 絵 図 の 提 出 を 命 じ て い る 。 江 戸 幕 府 が 全 国 に 号 令 し て 国 絵 図 の 作 成 を 命 じ ' 提 出 さ せ た の は 慶 長 期 、 正 保 期 ' 元 禄 期 ' 天 保 期 の 四 度 で あ っ た 。 慶 長 期 は 1 六

四 年 に ' 正 保 期 は 一 六 四 四 年 に ' 元 禄 期 は 一 六 九 七 年 に ' 天 保 期 は 一 八 三 一 年 に 国 絵 図 作 成 が 開 始 さ れ て い る 。 慶 長 期 に は ' 琉 球 は 王 国 と し て 独 立 し ' 中 国 と の 冊 封 体 制 を 軸 に 東 ア ジ ア ・ 東 南 ア ジ ア と の 中 継 貿 易 で 活 躍 し て い た 時 代 で あ り 、 国 絵 図 調 製 に つ い て は 江 戸 幕 府 の 権 限 外 で あ っ た 。 琉 球 は 〓 ハ

九 年 薩 摩 の 侵 入 を う け ' そ の 後 政 治 的 ' 経 済 的 支 配 を 受 け る よ う に な る 。 こ れ は 江 戸 幕 府 の 外 交 ・ 内 政 の 両 面 に わ た る 政 策 が 薩 摩 を 介 し て 影 響 を 及 ぼ す よ う に な る こ と を も 意 味 し た 。 そ の 現 れ の 1 つ が 国 絵 図 の 調 製 で あ っ た 。 幕 府 は 一 六 四 四 年 (正 保 元 ) 一 二 月 十 六 日 に 諸 国 の 留 守 居 役 等 を 幕 府 評 定 所 に 招 集 し て 国 絵 図 ' 郷 帳 な ら び に 城 絵 図 の 提 出 を 命 じ て い る 。 薩 摩 藩 は 留 守 居 役 の 新 納 右 衛 門 が 出 席 し ' 井 上 筑 後 守 と 宮 城 越 前 守 か ら 領 国 の 絵 図 の 献 上 の 指 示 を う け て い る 。 こ の 辺 の 事 情 に つ い て ﹃ 島 津 国 史 ﹄ は 「 (正 保 元 年 ) 十 二 月 十 六 日 。 綜 官 命 天 下 諸 侯 。 上 其 封 園 地 圏 」 「 (慶 安 ) 二 年 。 己 丑 。 春 正 月 二 十 六 日 公 如 江 戸 。 ︹ 操 寛 陽 公 蕃 譜 ︺ 二 月 七 日 0 琉 球 王 尚 質 献 盟 書 o 為 嗣 位 故 也 ︹ 同 上 ︺ 大 隅 地 園

向 地 圏 。 琉 球 城 圃 成 。 各 1 帖 . 二 十 三 日 。 遣 使 持 圃 三 帖 。 付 井 上 筑 後 守 以 上 。 」 「 七 月 二 十 1 日 。 薩 摩 地 固 。 琉 球 地 圏 。 大 島 地 園 。 八 重 山 地 園 成 。 各 二 帖 。 八 月 五 日 。 遣 使 持 地 圏 八 帖 。 日 隅 薩 圃 5 9

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田 帳 六 冊 O 路 程 帳 三 冊 。 琉 球 園 田 帳 路 程 帳 各 一 冊 。 付 井 上 筑 後 守 以 上 . ︹同 上 ︺ 奮 譜 十 1 月 五 日 。 上 薩 隅 日 琉 球 地 圏 。 島 津 左 衛 門 系 園 亦 云 十 一 月 五 日 。 輿 島 津 圃 書 文 書 不 合 。 基 地 園 成 。 鞭 上 之 。 如 固 書 文 書 所 記 。 而 其 完 局 在 十 1 月 五 日 ① 爾 。 不 然 . 彼 此 必 有 1 誤 . 今 不 可 考 。 」 と 述 べ て い る 。 正 保 期 に お け る 国 絵 図 作 成 は 国 ご と の 絵 図 元 を 決 め 三 国 一 絵 図 を 原 則 と L t 縮 尺 は 六 寸 一 里 ( 二 万 千 六 百 分 の 一 ) を 基 準 と し て い る 。 し か し ' 琉 球 は 広 い 海 洋 の 中 に 多 -の 島 々 が 散 在 し て い る た め 、 三 部 構 成 に な っ て い る 。 与 論 島 以 北 の 奄 美 諸 島 ' 久 米 島 を 含 む 沖 縄 本 島 及 び 周 辺 離 島 ' 宮 古 ・ 八 重 山 諸 島 の 三 部 で あ る 。 琉 球 国 絵 図 の 様 式 は 以 後 正 保 期 の も の を 踏 襲 し て い く こ と に な る 。 ま た ' 幕 府 は 全 国 絵 図 の 作 成 上 の 統 一 を 図 る た め 「 国 絵 図 可 仕 立 覚 」 ( 二 三 ヵ 条 ) , 「 絵 図 書 付 候 海 辺 之 覚 」 (十 七 ヵ 条 ) の 基 準 条 目 を 示 し て い る 。 条 目 二 三 ヵ 条 の う ち 第 1 条 は 城 絵 図 の 作 成 要 領 で あ る 。 第 表 は 八 項 目 か ら な り ' そ の な か に 「侍 町 小 路 わ り 井 間 数 主 事 」 と い う 項 目 が あ る 。 琉 球 国 の 場 合 , 城 絵 図 は 現 存 し な い が ' 一 般 に 言 わ れ て い る 首 里 古 地 図 が そ れ に あ た る と お も わ れ る 。 ま た ' 比 嘉 春 潮 文 庫 に あ る 首 里 御 城 よ り 各 地 へ の 里 程 が 記 さ れ た 「絵 図 帳 軸 J に , 東 西 三 町 一 国 司 居 城 内 外 廻 九 町 南 北 二 町 内 東 之 石 垣 高 四 問 弐 尺 南 之 石 垣 高 サ 三 間 土 董 岩 懸 高 十 一 間 北 之 石 垣 高 五 間 五 尺 西 之 門 三 重

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琉球国絵図 と近世の交通事情 (津波) 1 東之 門 二 重 一 北之門 三 重 とあ り '城絵 図 の 具 体 的内容 を 記 した も の と 考 えら れ る 。 首里 城 は 築城方 法が 近 世 の 城 郭 と 違 い ' 独 特 の 様式 を 備 え て ③ い る た め ' 城絵 図 及 び 絵 図 帳 は 独自 の も の を 作成す る 必 要 が あ っ た と 思 わ れ る 。 壱 里山 (壱 里 塚 ) や そ れ を 示 す記 号 、 郷村 (琉 球 の 場合 、間切 と 村) ' 郷村 知行 高 な ど は 基準 を 守 り ' 描写 され て い る 。 ま た ' 海 辺 の 絵 図 基準 に つ い て も 幕 府 の 指 示 した と おり 守 られ て い る 。 離島 の 多 い 琉 球 に と っ て 海 上 交 通 は 重 要 な 交 通手 段 で あ り '絵 図 中 に も 詳 細 な 情 報 が盛 り 込 ま れ て い る の も 特 徴 的 で あ る 。 元 禄 期 に お い て ほ 改 訂要 綱 「覚」 七 ヵ 条 の 基 本 方針 と 留意事 項 が提 示 され る ととも に ' 具 体的作 成要 領 二 通が 示 さ れ た 。 琉 球 国 の 場合 、正 保 期 の 絵 図を わ ず か に 訂 正 す る に とどま っ て い る 。 一 尚古 集成 館 絵 図 関係 史 料 「御 国 絵 図 之儀 付 而御相 談 之覚」 の 中 に ' 「 琉 球絵 図 ハ古絵 図 之 通相調 候 筋 。有 之度 与 存 其 趣 61 御 国 元 へ中 越侯」 l ④ と い う 記 事 が でてお り ' 元 禄期 で の 琉 球 国 絵 図 作成 の 事 情 を う か が う こ と が で き る 。 ま た ' 「琉 球 図 変 地改 目 録 三 冊 」 ⑤ に よ る と 改定 の 主 たる も の は 「悪鬼 納嶋を 沖 縄嶋 に 」 「摩 父仁 間 切 を 摩 文 仁間切 に 」 の よ う に 呼 び 名 の 変更 が 主 で あ る 。 そ の 後、 天 保 期 ( 1 八 三 l

-1 八三 < ) に も郷 帳 及び 絵 図 の 改 正 を 行 っ て い る が 、琉 球 国 の 場合 ' 改 正 は ほ と ん ど なさ れ て い な い よ う で あ る 。 ① ﹃島 津 国 史﹄ 鹿 児 島 県 地 方 史 学会 鹿 児 島 県教 員 互 助 会 印刷 部 昭 和 四 七 年 ② 表題 は 朱 書 で 「正 保 三 丙 成 年絵 図 帳 之 写也 」 とあ る が' 沖 縄 県 教育 委 員 会が 平成 四 年 三 月 に 発行 し た ﹃琉 球 国 絵 図 史料集﹄第 一 集 で は ﹃ (悪鬼 納 島) 絵 図 帳﹄ と 仮題 し て あ る 。 ③ 那覇 市 文 化振 興 課所蔵 「首 里 古 地 図 」参 照

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④ 「島 津 家 文 書 国 絵 図 調 査 報 告 」 (﹃ 東 京 大 学 史 料 編 纂 所 報 ﹄ 第 二 四 号 ' 黒 田 日 出 男 ・ 杉 本 史 子 ' 一 九 八 九 ) ' ﹃琉 球 国 絵 図 史 料 集 ﹄ 第 二 集 (沖 縄 県 教 育 委 員 会 、 覚 前 略 1 琉 球 国 異 名 悪 鬼 納 嶋 卜 沖 縄 嶋 卜 両 様 二 有 之 候 付 段 〃 中 越 候 趣 有 之 被 達 貴 聞 候 処 此 節 ハ 沖 縄 之 文 字 を 用 可 申 旨 被 仰 出 候 由 (後 略 ) 十 月 十 六 日 嶋 津 勘 解 由 嶋 津 主 計 殿 (尚 古 集 成 館 所 蔵 「絵 図 関 係 史 料 」 中 よ り ) l 九 九 二 ) 等 参 照

1 絵 図 と 一 里 塚 正 保 期 に 二 度 目 の 国 絵 図 の 提 出 を 指 示 さ れ た 際 ' 縮 尺 (分 割 ) の 基 準 が 六 寸 一 里 ( 二 万 六 一 百 分 の 一 ) と 定 め ら れ ' 主 要 道 筋 に は 1 里 ご と に 黒 丸 に よ る 印 が 付 さ れ る の が 原 則 に な っ て い る o た だ 、 曲 が り -ね っ た 傾 斜 の あ る 山 坂 道 に お

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琉球国絵図 と近世の交通事情 (津波) ① い て は 図 面 で 距 離 が の び過 ぎ る の を 考慮 し て ' 一 般 に は 道筋 1 里 を 三 ∼ 四 寸 程 度 に 縮 めて 表 現 し て い る と い う . 琉 球 国 絵 図 の 場 合' 大 嶋 で 名瀬 湊付 近 に 浜沿 い の 道 で あ る に も かか わ ら ず 、 ま た 「焼内 間 切之 内 うけ ん 村 か ら 焼内 間 切」 の 間 の 1 里 塚間 ' 鬼界嶋 では 「 わ ん 間切 か ら 荒 木 間切 」 の 間 の 1 里 塚間'永良部嶋 で は 「 き び る 間切 の 国 頭 崎 」 近 く の 一 里 塚間 ' 与論 嶋 で は 「あ が さ 漬 」 を 挟 む 一 里塚間 が 極端 に 短 -な っ て い る 所 は 一 里 に 満 た な い 部 分 、 た と え ば 五 町と か 十 八 町 など の 端 数 の 箇 所 で あ る と 考 えら れる ととも に そ こ が' 1 里塚 の ボイ ン -を 打 つ 際 の 起 点 に な っ て い る と 考 えら れ る 。 お そ ら -そ の 両 点 を ポ イ ン ト に 時 計 と 同 じ 進 行 方 向 か 逆 方 向 に 黒 点 せ 打 っ て 行 っ た の で あ ろう。 1 万 ㌧ 「 あ か き な 村 大道 よ り 笠 利間切 大道 迄 壱 里甘 三 町 」 「す こ 村 大道 より 住 用間 切 大道迄 三 里 廿九 町 」 や徳 之 島 の 「東間 切大 道 よりあ こ ん 村 大道迄 四 里山 坂難所牛 馬 無 往還」 ' 永 良部 嶋 の 「 西目 村 大 道 より 下平 川 村 大 道 迄 弐 里 」等 の よ う な 山 越 え の 横 断 道 路 に は 1 里 塚 の 記 載 が なされ て い な い の も 特 徴 の 1 つ で あ る 。 よ ろ 嶋 を 含 む 小さ い 島 々 で は 「嶋 廻 三里甘町 」 と 記載 さ れ て い て も 、 一 周 道 路が整備 され て い な い た め ' 一 里 塚 の 記載 は な い 。 沖 縄 及 び 周辺 諸島 をみ て み る と ' 沖 縄本 島 北部 で 東宿 と 西 宿 を 結 ぶ ル ート が 「 国 頭間切 大 道 より あ は 村 迄 三里 廿 五 町 甘 間」 「 な こ 間 切 大道 より お ほ ら 村 大道 迄 1 里廿 三 町 四 十間 」 「幸喜 村 大道 より 金 武 間切 大 道 迄 壱 里 冊 1 町 四 十間 」 の 三 本あ る が ' い ず れも 1 里塚 の 記載 は な い 。 ま た 、 「名 護 間切 大道 より 羽地 間 切 大道 ま で 一 里 甘 一 町 」 と あ る が ここ も 一 里 塚 は 記載 され て い な い 。 「 具 志 川間切大 道 よ り 勝 連 崎 迄 弐 里 八 町 」 や 「首 里 より 摩 父 仁 間 切 大道迄 三 里 四 町 」 と 記 載 の あ る ル ー ト は き ちん と 一 里 塚 の 黒 点 が 措 か れ て い る 。 周辺 離島 で は 伊平 屋 嶋 の み 一 里 塚 の 記載が ある 。 久米 島 は 一 里 塚 の 黒点 は 五 つ あ る が' 「鴫 廻 六 里廿町 」 と は 直接 関係 な い よ う で あ り 、宿 道 の 里 程が 必ず し も 嶋 廻 の 里 程 と 1 致 し な いの も 特 徴 の 1 つ に な っ て い る . この 特 徴 は 各 島 々 に お い て も 共通 し て い る 。 1 体宿道 も な い 険 し い 山 間 を ど の よ う に 測 量 し て 島 廻 り を は じ き 出 した の だ ろ うか ' 興 味 をそそ る 所 で あ る が' そ の あ た り の 事情 に つ い て は '今後 の 調 査 に 期 待 し た い 所 で あ る 。 63

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宮古島 諸島 ・ 八 重 山 鳥 諸島 に お い ては お お む ね 大 島 及び 沖 縄 本島 で の べ て き た こ とと 共通 す る が,宮 古島 が 「嶋 廻 り 十 一 里 」 と あ る の に 一 里 塚 の 黒 点が 十 カ 所 し か な い の に 比 べ ' 石垣 島 で は 「嶋 廻 り 十 六 里 十 七町 」 と あ る の に 黒 点 は 十 八 カ 所あ る 。 石垣 島 の 場合、伊 原間 か ら 平久保 に 至 る 間 に 黒 点 が 二 カ 所あ る が' お そ ら く ここの 間 は 島 廻 り か ら 除外 さ れ た と思 わ れ る 。 西 表島 の 場 合' 「 嶋 廻り 十 五 里」 とあ る のに 対 し ' 「 入 表 間 切 よ り は へ め 崎 迄 九 里 塑 官 町 」 と あ る の ① は ' 宿 道 を 時計 廻 り に 実 測 した 里 程 と 考 えられ ' 黒 点 も十 カ 所 に う た れ て い る 。 壷 鯛 に つ い て は 「 T 道 矩 六 寸香 里 。 い た し 絵 図 。 壱 里山 を 書 付壱 里 山 無 之 所 者 三 拾 六 町 二 間 を 相 定絵 図 妄 里山 書付 之 事 」 と あ る よ う に 必 ず し も 一 里 塚 を 築 き' 目 印 に したこ と で は な い よ う で あ る 。 沖縄 県 教育委 員 会が 昭 和 五 八 年 度 か ら 平 成 三 年 度 に か け て 実 施 した 歴 史 の 道調査 で は 沖 縄 本 島 の 恩納 村 ,名 護 市 辺野 古 など で 現存 (辺野 古 の 一 里 塚 は 道路拡 張 の た め 現 地 保 存 が で き な か っ た よ う で あ る 。 ) し て い る の を 確認 で き た 。 し かし本 島 以 外 の 所 で は 一 里 塚 の 用 語 さ へ 確認 で き な か っ た 。 このこ と は 宮 古 ・ 八 重 山 で も 同 様 で あ っ た 。 こ のこ とか ら し て 沖縄 本島 以 外 で は 一 里 塚 ( 一 里山 ) は 築造 さ れ な か っ た と 考 え ら れ る 。 た だ ,村 の 入 口 な ど 重要 な場 所 と思 わ れ る 所 に 大き な石 な ど を お い た チ ン マ 1 サー があ る が' 1 里 塚 と 断定 す る だけ の 聞 き取 り が得 ら れ な か っ た 。 ① ﹃ 八 重 山 鳩 由 来 記 ﹄ に は 道 や 湊 に 関 す る く わ し い 記録 が あ る 。 ② 前 掲 の 尚 古集 成 館 所 蔵 「絵 図 関係史 料」 中 よ り

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絵 図 と 架 橋 ① ﹃琉 球 国 碑 文記﹄ に よ る と '実 に 多 -の 架 橋 の 記録 が あ る 。 木 橋 を石 橋 に 改 造 し た り ,新造 した り , 当時 の 土 木技 術 の 水 準 を 象 徴 す る かの よ う に '競 っ て 工 事 の 模 様 を石 に 刻 み つ け て い る 。 第 二 尚 氏初期 の 黄金 時代 をを 築 き 上 げ た 尚真 王 ( 完 l七 七

妄 二 六 在位) は 首 里 城 守 礼 門 東南脇 の 石 門 を 起 点 に 那

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叫 . 、 " ・ -・ L . -. . . . ・ .T . 琉球国絵図 と近世 の交通事情 (津波) 覇 港 に 至 る 真 玉 道 を 整 備 し た 。 真 珠 湊 碑 文 (石 門 の 西 の ひ の も ん ) に は 、 首 里 の 王 お き や か も い か な し 天 の み 御 -事 に ま 玉 -な と の -ち つ -り は し わ た し 申 侯 時 の ひ の も ん 嘉 靖 元 年 -つ の へ む ま の と し 四 月 九 日 き の と の と り の へ に き こ え 大 き 、,、 き み の お れ め し ょ わ ち え ま う は ら い の 時 に 御 せ 、 る た ま わ り 申 候 と よ -も り よ そ い も り お -の -よ -も こ と ま り に ま 玉 は し -に の ま た や わ た し ょ わ ち へ つ か し よ わ ち へ た し き や -き つ さ し よ わ ち へ あ さ か か ね と 、 め わ ち へ よ ね ん -く に よ ね ん て 、 御 ゆ わ い め し よ わ ち や 事 千 人 の さ と ぬ L へ あ -か へ そ ろ て 御 は い お か -申 侯 こ の ほ し ハ -に の あ ん し け す の た め 又 世 の 御 さ う せ の た め に ね た て ひ か わ 又 と よ -す -此 く す -と -つ の か く こ の た め に 一 は ん お さ と ぬ L へ あ く か へ は へ は ら し ま お そ い 大 さ と ち へ ね ん さ し き わ ま 玉 は し お わ た り 下 し ま し り と も に か き の は な ち に せ い そ ろ い 天 三 十 三 天 地 ハ 十 八 天 あ か め た て ま つ り 候 て 三 百 人 そ う た ち ほ し -よ う の 御 ゆ わ い 申 候 ま か わ た る く に か ・、、 の 大 ほ や -も い 此 す -の こ と は ハ 三 人 の 世 あ す た へ ま う し か ね か う ち の 大 ほ や -も い た る か ね も い た -し の 大 は や く も い (﹃ 金 石 文 ﹄ 沖 縄 県 教 育 委 員 会 ' 昭 和 六

年 よ り ) 嘉 靖 元 年 は 一 五 二 二 年 で あ り ' こ の 年 首 里 か ら 金 城 ' 識 名 坂 を 経 て 、 国 場 川 を わ た り ' 那 覇 港 へ 通 ず る 国 道 が 完 成 6 5

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.i ● ● 一 L t そ の 完 成 祝 い を 盛 大 に 行 っ た こ と が う か が え る 。 も ち ろ ん ' 文 中 に は 真 玉 橋 も 同 時 に 完 成 し た こ と を 伝 え て い る 。 こ の 頃 ' な ぜ 国 を あ げ て こ の よ う な 大 土 木 工 事 を 必 要 と し た の か 、 注 目 に あ た い す る 。 1 五 五 四 年 ' 尚 清 王 の と き に 築 か れ た 「 や ら さ も り く す -」 は 三 重 城 の 対 岸 に あ っ た 砲 台 で あ る が ' こ の 砲 台 を 築 い た 目 的 が 碑 文 に 刻 ま れ て い る 。 内 容 の 大 意 は 「 琉 球 国 中 山 王 尚 清 は 国 の 用 心 ' と ま り (那 覇 港 ) を 守 る た め ' や ら さ も り グ ス ク を 築 い た 。 昔 か ら 海 賊 に 襲 わ れ た り ' 戦 に な っ た こ と は な か っ た が ' 万 一 の 時 に 備 え て 三 番 の 内 ' 1 隊 は 御 城 の 警 護 ' l 隊 は 那 覇 の 警 護 ' 残 り の 1 隊 ま た は 南 風 原 ' 島 添 大 里 ' 知 念 ' 佐 敷 ' 下 島 尻 の 兵 隊 は 「 や ら さ も り グ ス ク 」 の 警 護 の た め 配 置 で き る 体 制 を 整 え た 。 」 で あ る 。 や ら さ も り -す -の 碑 文 は 一 六 世 紀 、 東 ア ジ ア か ら 東 南 ア ジ ア に か け て 再 び 倭 意 が 活 発 な 動 き を み せ た 時 期 と 重 な り 、 そ の 影 響 が 琉 球 に ま で 及 ん で い た 事 を 物 語 っ て い る 。 ま た ' 1 五 九 七 年 に 建 て ら れ た 「 浦 添 城 の 前 の 碑 」 は 首 里 城 か ら 浦 添 城 ま で の 道 を 整 備 し た 理 由 に つ い て 述 べ て い る が 、 こ の 時 「 た い ら は し 」 を か け ' 平 良 と 大 名 の 間 に 石 畳 を 敷 き つ め て 雨 の 日 に も 通 行 に 便 利 を 図 る よ う に し た よ う で あ る 。 お そ ら く こ の 時 に は 首 里 と 浦 添 の 問 は 起 伏 の 多 い 所 な の で , 全 面 的 に 道 路 を 改 修 し た と 思 わ れ る . 経 塚 と 仲 間 の 間 に は 「 あ ぶ ち 川 」 「 小 湾 川 」 が 流 れ て お り , そ こ に り っ ぱ な ア ー チ 橋 ( 1 般 に 安 波 茶 橋 と 呼 ん で い る 。 ) が 架 け ら れ て い た 。 現 在 か な り 破 損 し て い る が 、 架 け ら れ た 当 時 の 面 影 を 十 分 留 め て い る 。 そ こ に は 国 王 が 浦 添 城 へ 行 幸 す る さ い ' 休 憩 L t 赤 い 皿 で 泉 水 を 飲 ん だ t と 伝 承 の あ る 「 赤 皿 井 」 が あ る 。 平 成

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年 度 浦 添 市 教 育 委 員 会 が 浦 添 グ ス ク の 範 囲 確 認 調 査 の た め 実 施 し た 発 掘 調 査 の さ い ' 城 門 に 連 な る み ご と な 石 畳 道 が 出 現 し た 。 お そ ら -安 波 茶 橋 も ' あ る い は そ の 周 辺 の 道 も 一 五 九 七 年 段 階 で 整 備 さ れ た の だ ろ ぅ 。 琉 球 国 絵 図 は 1 六 四 四 年 に 調 製 が 始 ま っ た こ と は 先 に ふ れ た が ' 「 真 珠 湊 碑 文 」 や 「 浦 添 城 の 前 の 碑 文 」 に 出 て く る 橋 は す で に 整 備 さ れ て い た わ け だ か ら 当 然 絵 図 に も 記 載 さ れ て い な け れ ば な ら な い 。 一 体 ' 正 保 琉 球 国 絵 図 作 成 段 階 で は ' 架 橋 の 状 況 は ど う な っ て い た の だ ろ う か 。 川 と 架 橋 の 記 載 に つ い て 調 べ て み る こ と に す る 。 奄 美 大 島 は い く つ か 川 の 記 載 は あ る が ' 河 川 名 や 架 橋 に つ い て は ま っ た -ふ れ ら れ て い な い 。 奄 美 諸 島 の な か で 1 番 面 積 の 大 き い 島 な の に

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l -琉球国絵図 と近世の交通事情 (津波) 橋が 1 つ も 架 け ら れ て い な か っ た と い う の は 不 思議 で あ る 。 ま た ' ここ か ら 川 を 渡 る と い う 「 歩 渡 り 」 も 表 示 され て い な い 。 徳之島 は 、 河 川名が 記 載 され て い る 廉 川 ' あ こ ん 川 ' あき り 神 川 ' や と の 川 に それ ぞ れ 「歩渡 り 」 の 表 示 が なさ れ て い る 。 奄美諸島 で 特徴 的 な こ と は ' 河 川 を 渡 る 際 の 「 歩 渡 り 」 「 橋 有 」 と 直 接 関係 は な い が '奄 美 大 島 以 外 「 池 」 の 表 示 が 目 立 つ こ と で あ る 。 うけ 村 に 二 か 所' 徳之 島 に 1 か 所'永 良都 島 l 四 か 所'与 論 島 五 か 所 で あ る 。 永良都 島' ② 与 論 島 に 池が 多 -特 記 され て い る の は 、 生 活 用 水 '農 業 用水 と し て 果 た す役割が 大き か っ た の だ ろ う 。 沖 縄本島 で は 「 歩 渡 り 」 の 表 示 が あ る の は 1 七 か 所 で あ る . ま た ' 「橋 有 」 の 表示 が あ る の は 七 か 所 で あ る 。 「 歩 渡 り 」 の 表 示 の あ る 河 川名 を 列 挙 す る と ' 奥 川'楚州 川 、 比地 川 (国 頭村) '鏡 波 川 ' 比 地 川'源 河川 (名 護 市) '慶 佐次

(東村) ' 辺野 古 川 (名護 市 ) ' 大 井 川 (今 帰仁村 ) ' 久 志 大 川 (名 護 市 ) ' 宜 野 座 大 川 (宜 野座 村 ) ' 宜野 座 福 地 川 (宜 野 座村) 、奥 首 川 (金 武 町 ) ' 石 川 川 (石川市 ) ' 天 麻 川 (具 志 川市 ) '鏡波 川 (豊 見 城 村) '報得 川 (糸満 市 )等 で あ る 。 「 橋 有」 と 表 示 さ れ た 河川 と 橋 は 読 谷村 と 嘉 手納 町 の 境 を 流 れ る 比謝 川 に 架 かる 比 謝 橋 、 国 場川 に 架 かる 真 玉 橋' 金 城 川 に 架 かる 金城 橋' 安 里 川 に 架 かる 安 里 橋 (崇 元 寺橋 と も 言 う ) '牧港 川 に 架 か る 牧 港 橋' 北谷 町 白 比川 に 架 か る 地域 橋等 の 六 河川 で あ る 。 「橋有」 の 表 示 は 七 か 所あ る が ' こ れ は 比謝橋が 二 か 所 表 示 さ れ て い る こ と によ る 。 ま た ' 金 城 川 は 下流 にい -と 安 里 川 に な る 。 沖 縄 の 河 川 の 場合 い -つ か の 集落 を 経 由 し て い く過程 で ' 川 の 名が変 化 し て い く こ とが よ -あ る 。 金 城 川 の 場 合 な ど よ き 例 で あ る 。宮古 ・ 八 重 山 で は 「 橋有」 の 表 示 は 1 か 所 も な い 。 「 歩 渡 り 」 の 表 示 は 宮古 で 乎良 市 の 入 江湾 の 一 か 所' 石 垣 市 で カ ブ ル マ タ 川 ' そ う じ 川 '宮 良 川 の 三 か 所' 西 表島 で 浦内 川'前良 川 ' 後 良 川 ' ユ ツ ン 川' ホ ネ ラ

'

ナ ダ ラ 川 ' 野 崎 川 の 七 か 所' 与 那 国 島 で田 原川 1 か 所 で あ る 。 正 保 国 絵 図 が調製 され た

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六四四 年 段 階 の 架 橋 の 実態 を 知 る 上 で 「 歩 渡 り 」 「橋 有 」 の 表 示 は 重要 な 意 味 を も っ て い る 。 一 方 ' ﹃ 球陽 ﹄ ﹃琉球 国 碑 文記﹄ な ど の 記 録 に よ る と 架 橋 に つ い て 数 多 -の 記録 が あ る 。沖 縄 で 最 初 に 架 橋 の 記録が 出 て く るの は 一 四五 一 年 に 完 成 し た 長虹 堤 に 関 す る も の で あ る 。 ﹃ 球 陽﹄ に は 「首 里と 那 覇 の 間 に は 海 が あ っ て ' 隔 た っ て い て 、 冊 封俵が来 るご 67

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・ ` 、刊 . . . i. と に 船 を 集 め て 柾 を つ -っ て 渡 し て い た 。 一 四 五 二 年 (尚 金 福 三 ) に 冊 封 債 が -る こ と に な っ て ' 尚 金 福 王 は 国 相 懐 機 に 長 虹 堤 の 築 造 を 命 じ た 。 懐 機 が い う に は ' 海 深 -波 大 で ' と て も 人 間 業 で は 不 可 能 で あ り ' 神 の 加 護 が 必 要 だ t と い ぅ の で ' 壇 を 設 け て 二 夜 三 昼 お 祈 り を し た 。 効 果 が 現 れ て 翌 日 か ら 海 水 が 滑 れ 海 底 が 出 現 し た 。 そ こ で ' 上 は 公 卿 大 夫 か ら 下 人 民 に 至 る ま で ' 昼 夜 石 を 担 い で ' 安 里 橋 か ら イ べ ガ マ に 至 る ま で の 長 虹 を 築 き ' 石 橋 七 座 を 設 け て 、 浮 道 を 完 ③ 成 し た 。 -」 と あ る 。 那 覇 は 一 五 世 紀 ご ろ ま だ 浮 島 で あ り ' 首 里 と の 交 通 は 不 便 だ っ た よ う だ 。 そ の た め ' 浮 道 を 造 り ' 七 座 の 石 橋 を 設 け た わ け だ が ' 国 絵 図 に は 安 里 橋 の み が 表 示 さ れ て い る 。 ま た t l 里 塚 が 記 載 さ れ て い る が ' 同 1 の も の と 考 え ら れ る も の が ' 一 七 二 二 年 に 作 成 さ れ た 久 茂 地 相 屋 敷 図 に 明 示 さ れ て い て ' 興 味 深 い 。 真 珠 湊 碑 文 に 出 て -る 真 玉 橋 は 1 五 二 二 年 段 階 で は 木 橋 で あ っ た が t l 七

八 年 石 橋 に 改 修 さ れ て い る 。 l 八 三 七 年 に は 三 た び 大 改 修 し て い る 。 な お ' 金 城 橋 は 真 珠 道 の 中 で 金 城 町 の 石 畳 を 過 ぎ て 識 名 坂 に か か る 間 の 金 城 川 に 架 け ら れ た 橋 で あ る 。 牧 港 は 西 海 道 の 宿 道 が 通 る 場 所 で あ り ' 首 里 城 を 出 て 平 良 橋 を わ た り 、 安 波 茶 橋 、 仲 間 の 一 里 山 を 過 ぎ て 牧 港 橋 に 差 し か か っ た 。 こ の 牧 港 ま で の 道 筋 で 絵 図 中 に 唯 1 表 示 さ れ て い る の が 牧 港 橋 で あ る 。 改 修 牧 港 橋 碑 記 に よ る と 1 七 四 四 年 (尚 敬 三 二 ) ' 木 橋 七 座 が 架 け ら れ て い た の を 石 橋 に 改 修 し た ' と あ る 。 北 谷 城 跡 (地 域 城 跡 と も い う 。 ) の 北 ' 白 比 川 (瑞 慶 覧 川 と も い う . ) に は 地 域 橋 が 架 け ら れ て い て ' 1 八 二 1 年 (尚 瀬 1 人 ) 改 修 さ れ て い る 。 比 謝 橋 は 木 橋 で あ っ た の を 一 七 一 六 年 二 座 を 石 橋 に 改 修 L t l 七 二 九 年 さ ら に 残 り の 二 座 も 石 橋 に 改 修 し た こ と が ' 比 謝 橋 碑 文 ' 重 修 庇 謝 橋 碑 記 に 述 べ ら れ て い る 。 以 上 が 正 保 国 絵 図 に 「橋 有 」 と 表 示 さ れ た と こ ろ で あ る 。 架 橋 工 事 は 琉 球 王 府 に と っ て 大 き な 土 木 工 事 だ っ た よ う で あ り ' 碑 文 も 多 -残 さ れ て い る 。 こ こ で 1 覧 表 に 整 理 し て お く こ と に す る 。

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琉球国絵図 と近世の交通事情 (津波) 午 雲 七 七 七 七 七 七 六 六 六 六 六 六 六 五 五 五

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八 八 六 五 五

九七 九六 九

九 八九 七七 七七 七 四九 代 重 修 与 比 大 泊 重 重 輿 宇 板 金 安 浦 国 其 碑 修 宮 那 謝 枝 離 同⊂:コ 修 修 哩 辛 敷 城 壁 蘇 ≡ 珠 比 田 荘[ ■コ F1 I) 石 暮コ F) r司 棉 橋 城 頒 謝 檎 檎 碑 碑 碑 碑 火 港 棉 碑 秤 碑

の 徳 棉 文名 紅 碑 記 棉記 碑 文 文 橋屋碑 文棉橋 碑 文 文 碑文 前の碑 碑 文 四 南 木 西 西 元ヽ木 豊 A口 元 東 現 真 洪 太 か 真 記戟事項の 痩 風 六 棉 表 表 見 風 莱 風 荏 秩 水 辛 た 珠 の 原 七 で 島 良 城 で 石 原 の 道 で 棉 の 道 内 町 lll.・.▲.一.】一■ め の の 橋 城 破 橋 町 の 橋 及 は 及 木 の 午 つ 育 古 で 跡 壊 だ を 日 金 が び な び 棉 国 莱 た 見 見 め の さ つ 疏 橋 城 破 噂 の 真 F) の の の つ た 橋でヽ )I ノJヽ、 玉 座 川 し を 西 東 た 偵T鏡i た の る に 改しヽ 城 と 檎 を 上 た 石 部 部 の を 宇 莱 ま も を 石 fL 西 l∃ 守 前 を 痩 ▼lll.・.-■ 辛 汁 で し、 棉 に 表 に 良 良 石 波 の 六 川 だ ら 修 の わ 造 に 改 莱か 祖良 改修 川に 川に 橋に 川に 棉を 七 に莱 汁が れた たし 道を れ弁ヽ し 九 た 修 る 柄 し 木 木 改 莱 _改 竺 橋 石 橋 時 整 記 しヽ で :シ: ウニ 負 め の 田 が 録 千 蒔 をF) をl1 しグ ら しメ′ た 衣 秤 碑 し 赦 め 四 痩 止___」 の 莱 莱 た れ た 六 時 だ 文 文 た へ らまし 痩 の を 碑 け 汁 時 て 時 九 の -1 時 の と l∃ ヽ口 文 た た の い の た の 追 も を

た た 棉 た 碑 午 文 の 碑 を 石 橋 にし た 時の 碑 文改修た時の碑し 与那棉橋修改の田 時碑文の 時碑文の 文 橋修改橋石を木に 文 事す改倭たを記し 碑時倭改たのをし 文 塞文備た時碑のし

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午 八 八 八 八 七 七 七 七 七 重 改 節 重 重 節 改 重 報 碑 修 造 追 修 修 修 修 修 得 佐 金 天 F7 玉 城 阿 城 女 栄 港 理 棉 文 棉 棉 .天 檎 棉 橋 橋 客 記 I) 名 文 文 碑文 文 記 記 記 碑記 白 並 記 大 雨 氏 天日 六 五 長虹 橋脚 六 戟得 で 川7■ 間F 七七

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琴 ほ 九 川■デ 部 に莱 川下 午石 毎 カでゝ 石ヽ檎 午 石に 損 カゝ派 檎 に き 改 棉 壊 る に に 莱 た 梁 修 を し 池 莱 改 翠 当 は し 莱 た 城 橋 嘩 初 木 た 橋 石 棉 し の だ 石 し を た 八 六 普 つ 一コ た 義事 を 改 時 ○ 普 た が 時 ク< の 九 の が の 修 しメ′ 棉 午秩水で 午 石 破 水ヽ 碑 項のめら し た 文 改 檎 損 の た 時 修 を し a の 破 し ム た 普し の 碑 壊 た i 石たに檎痩七でのもとし 壊 碑 移下たか疏を棉たでのししこ0 修碑時重たをののし 文碑時修た改の局しく 改修たのでた0ししヽ 以 上 表 で 確 認 で き る と お り ' 木 橋 を 石 橋 に 改 修 し た り 、 あ る い は 雨 ' 夙 に よ り 破 損 し た も の の 改 修 な ど ' 橋 の 工 事 は 大 変 な 土 木 事 業 だ っ た よ う で あ る 。 一 例 を 勢 理 客 橋 に と る と ' 碑 の 裏 面 に は 奉 行 金 崇 沢 上 聞 親 雲 上 石 奉 行 毛 応 竜 宮 城 親 雲 上 石 匠 金 城 筑 豊 之 親 雲 上 宜 方 比 嘉 筑 豊 之 方 房 1 勢 理 客 征 普 請 成 就 付 未 四 月 九 日 世 名 城 親 雲 上 政 安 子 共 召 列 被 渡 初 侯 事 一 石 細 工 七 百 九 十 六 人 附 夫 九 七 千 六 十 壱 人 之 事 1 碑 文 作 細 工 六 拾 六 人 附 夫 九 九 拾 八 人 之 事

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琉球国絵図と近世の交通事情 (津波) htは ⋮ .壬 暮ー⋮ 1 筆 者 池 原 筑 豊 之 喜 増 玉 寄 筑 登 之 長 賢 掘 手 宮 城 筑 豊 之 広 重 金 城 仁 尾 康 照 三 十 年 辛 末 四 月 吉 日 と あ る 。 夫 丸 と は 人 夫 の こ と で あ る 。 あ と 1 例 ' 首 里 ・ 島 尻 を 結 ぶ 要 路 に 架 け ら れ て い た 真 玉 橋 に み る と ' そ の 1 八 三 六 年 の 重 修 碑 (慕 ) に は 、 計 開 摂 政 尚 元 魯 浦 添 王 子 朝 憲 法 司 馬 徳 怒 与 那 原 親 方 良 綱 毛 惟 新 東 風 平 親 方 安 度 向 寛 兼 城 親 方 朝 典 奉 行 向 文 遠 大 湾 里 之 子 親 雲 上 朝 昇 楊 永 幹 石 原 里 之 子 親 雲 上 昌 正 筆 者 毛 邦 佐 永 村 里 之 子 親 雲 上 清 書 毛 永 保 平 安 名 里 之 子 親 雲 上 盛 恩 武 必 振 奥 原 里 之 子 親 雲 上 宗 杜 惣 大 工 知 念 筑 豊 之 親 雲 上 脇 大 工 島 袋 筑 登 之 蒲 戸 金 城 錦 碑 工 金 城 筑 豊 之 親 雲 上 石 細 工 壱 方 式 百 五 拾 八 人 九 分 壱 厘 工 銭 七 万 四 千 七 百 七 拾 六 貫 九 拾 七 文 日 用 夫 七 万 八 千 式 百 式 拾 六 人 五 分 工 銭 拾 五 万 六 千 四 百 五 拾 三 貫 文 案 光 地 神 山 里 之 子 親 雲 上 謹 書 と あ り ' 莫 大 な 費 用 と 労 力 を か け で い た こ と が わ か る 。 な お ' 碑 の (義 ) に は 「道 光 十 六 年 丙 中 国 相 法 司 議 奏 重 以 石 築 世 寄 橋 広 大 蕨 橋 薮 且 其 北 次 新 築 一 大 橋 名 目 世 済 橋 年 三 月 二 十 七 日 起 工 越 明 年 丁 酉 四 月 八 日 告 成 -」 と あ り 、 一 年 余 の 日 数 を か け て 完 成 し た こ と が わ か る 。 ① 前 提 ﹃沖 縄 大 百 科 事 典 ﹄ に よ る と ﹃琉 球 国 碑 文 記 ﹄ は 「収 録 は 四 回 に わ た っ て な さ れ た と み ら れ ' 第 一 回 は ︹万 歳 嶺 記 ︺ ( 1 四 九 七 ) か ら 改 修 時 の [真 玉 橋 碑 文 ] ( 1 七

八 ) ま で ' 第 二 回 は ︹琉 球 国 新 建 至 聖 廟 記 ︺ ( 1 七 一 六 ) か ら ︹改 造 池 城 橋 碑 文 ︺ ( 一 八 二 一 ) ' 第 三 回 は ︹首 里 新 建 聖 廟 碑 文 ︺ ( 1 八 三 七 ) か ら ︹南 苑 之 額 井 掛 床 碑 文 ︺ ( 〟 7 1

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八六六 ) ' 第 四回 は 補 遺 で 一 八 七 六 年 の ︹独逸皇帝 (博愛 記 念碑 ) ︺ ま で を 収録 。 王 府 時代 の 貴 重 な 文 献 で あ る 。 」 と 説 明 され て い る 。 ② 「 水 を 制 す る 者 は 国 を 制 す 」 と い わ れ るよ う に ' 治 水 は 国 政'農業 生 産 と 密 接 な 関係 に あ り ' そ の 意味 で 池 が 多 く 人 工 的 に 開 墾 され た こ と は 重 要 な 意味 を も っ て い た こ と で あ ろ う 。 久米島 で は 一 七 七 四 年 の 「与座 村引 田 碑 記」 、 一 七七 二 年 の 「芋座 池 の 碑」 ' 一 七 七 六 年 の 「大 田 池 の 碑 」 な ど に よ っ て 潅概 用 の 池 が 開撃 さ れ て い た こ とが う か が え る 。 こ れ と は 別 に 一 七 四四 年 の 「改 決 羽地川 碑 記」 には ' 察 温 に よ っ て 氾濫 す る 羽 地 川 の 水 流 をか え る 大 土 木 工 事 が行 わ れ た こ と が述 べ ら れ て い る 。 ③ 前提 ﹃沖 縄 大 百 科事 典 ﹄ 中巻 七 九 二 ペ ー ジ 参 照

-絵 図 と 海上 の 里 程 近世 の 交通 は 陸 上と 海 上 の二 通 り の ル 1 -が あ っ 七 。 特 に 多 -の 島 々 が点 在 す る 琉 球 に お い て 海 上 交 通 は 重要 な 意味 をも っ て い た 。 一 三 七 二 年察 度 の 時代 「明 」 の 太祖 は 楊載 を 琉 球 に 遣 わ し '招 諭 した 。 こ れ に 応 え て 察 度 は 春 期 を 遣 わ し ' ここに 明 王 朝 と 琉 球 と の 間 に 正 式 な 外交 関係が樹 立す る よ う に な っ た 。 明 は 琉 球 だけ で なく '東 南 ア ジ ア ・ 東 ア ジ ァ の 国 々 に も 使 者 を 派 遣 し ' 冊 封 関係 の 樹 立 を 促 した 。 冊封 関係 の 樹 立 は 同 時 に 中 国 と の 貿 易権 を 確 立す る こ と を 意味 し て い た 。 ア ジ ア を め ぐ る 以 上 の よ うな 国 際 情勢 は 永楽 帝 ( 一 四

二 四 在位 ) の 海外 遠征 に よ っ て 1 層進 展す る こ と と な っ た . こ れ は 内 政 ・ 外交 の 両 面 に お い て 海 上 交 通 の 果 た す役割が 一 層 重要 度 を 増 し た こ と を 意 味 した 。 琉 球が最 初 に 地 図 に 登場す るのは 一 四 七 1 年朝 鮮 の 申 叔 舟 が著 した ﹃海 東諸 国 紀﹄ に お い て で あ る 。 海東 諸 国 と は , 日 本 本 国 .

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I ・ ・ ト ・ ・ ・ ・ ・ . ・ .. .. ︰⋮ . . 琉球国絵図 と近世 の交通事情 (津波) 九 州 ・ 壱岐 対 馬 両 島 ・ 琉 球 国 の 総称 で ' こ れ ら の 地 域 の 地 勢 ・ 国 情 ・ 来聴 の 沿 革 など を 明 ら か に L tそれ ぞ れ の 地 図を ① 挿 入 し て あ る 。 ﹃海東 諸 国 紀﹄ 中 の 琉 球 国 図 は 絵 図と し ては 詳 細 では な -' 記 載 事 項 も 簡 略 な も の で あ る 。 大島 を はじ め 鬼 界島 ' 恵 羅 武 島 など が 琉 球 に 帰属 し て い る こ と が 明 記 さ れ て い る 。 鬼 界島 の 横 に は 「去 上 松 二 百 九十 八 里 去 大 島 三 十 里 属琉 球 」 、大 島 には 「去恵 羅武 一 百 四 十 五 里 属琉 球 」 、度 九 島 (徳之 島 ) に は 「去 大島 三十里 属 琉 球 」' 恵 羅武島 に は 「去琉 球 四 十 里 去 上 松 三 百 七 十 里 属 琉 球 」 ' 輿 論 島 に は 「 去 度 九 五 十 五 里 去 琉 球 十 五 里 」 ' 思何未 に は 「去 上 松 二 百 八 十 五 里 去 大 島 二 十 五 里 属琉 球」 、鳥 島 に は 「去琉 球 七 十 里 此島 硫 黄 琉 球 国 所□ 属 琉 球」 '恵 乎也 山 (伊 平屋島 ) に は 「 去 琉 球 二 十 里 去 上 松 三 百九十 里 属 琉 球」 伊 是郡 に は 「去 琉 球 十 五 里 去 上 松 三 百 九 十 五 里 属 琉 球 」 '粟島 には 「去 琉 球 三 十 五 里 」 ' 九 米 島 (久 莱島) には 「 去 琉 球 百 五 十 里 」 ' 花島 に は 「去 琉 球 三 百里 」 と 海 上 の 里 程 が 記 され て い る 。 ﹃海 東諸 国 紀﹄ 中 の 琉 球 国図 の 里 程 の 記載 と正 保 琉 球 国 絵 図 中 の 里 程 の 記載 を 比較 し てみる と ' 奄 美 諸島 の 場合 '沖 縄 か ら の 距離 を 記載 し て い る の は 与 論島 の 「 あ が き 泊 より 悪 鬼 納 嶋 迄海 上 廿 里 未 申之 問 。嘗 ″此 渡 昼 夜 共 。汐 東 へ落 ル 」 一 つ で あ る . ま た 沖 縄 側 か ら 「運 天 湊 ヨ -与 論 島 の 内 あが さ 泊 迄 海上廿 里 丑 寅之方 。普 ″ 此 渡 昼夜 共。 汐東 落 ″」 と あ り ' 運 天 湊 とあが き 泊 間 の 里程 で あ る こ と が わ かる が' ﹃海東諸 国 紀﹄ の 記録 と か な り 差 異 が 認 め ら れ る 。 与 論以南 の 沖 縄 諸 島 に お い ても 同 じ よ う な こ と が い え る 。 「 に よ は 入 江 冒-恵 平屋 嶋 迄海 上 拾 里 丑 之方 。普 ″ 」 「 悪鬼 納 嶋 之 内 那覇 湊

ヨ-久米 嶋 迄 海 上 四 拾 八 里 酉 戊之 間 。嘗 ″」 「悪鬼 納 嶋 之 内 那 覇 湊 ヨ-乗場 迄 海 上 三 拾 里 酉 子 之 間 。 普 ″ 」 で あ る 。 ま た '単純 に 比 較 は で き な い が、現在 の 測 定 で は 那 覇 か ら 粟 国 島 (粟島) ま で 六 1 キ ロ メ -ル ' 那 覇 か ら 久米 島 ま で 九 四 キ ロ メ ート ル で あ る 。 この 違 い は ﹃海 東諸 国 紀﹄ や 「 国 絵図 」 中 の 琉 球 国図 が 実 測 に よ らな い と こ ろか ら く る も の で あ ろ う 。 ② ﹃ 八 重 山 鳩 由 来 記 ﹄ に は 各 島 々 の 距 離 が 記載 され て い る の で 正 保琉 球 国 絵 図 中 の 里 程 の 記載 と 比 較 し てみ る 。 ﹃ 八 重 山 鳩 由 来 記 ﹄ 中 に は 「 一 石 垣 よ 。 竹 富嶋 壱 里 拾 五 町 ' 1 竹 富 よ り 黒 嶋 三 里 四 町 弐 拾 間 t l 黒 嶋 よ り 新城 壱 里 拾 町 合 73

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石 垣 よ 。 波 照 間 迄 拾 八 里 ' 一 竹 富 よ り 小 溝 嶋 壱 里 三 拾 五 町 弐 拾 六 間 ' 一 小 溝 よ 。 古 見 嶋 1 里 弐 拾 九 町 合 石 垣 よ 。 古 見 迄 五 里 七 町 弐 拾 六 間 ' 一 小 溝 よ 。 西 表 嶋 六 里 三 拾 四 町 五 拾 入 間 、 1 西 表 よ り 輿 那 園 嶋 迄 四 拾 八 里 合 石 垣 よ り 輿 那 囲 迄 五 拾 八 里 拾 三 町 弐 拾 四 間 ' 一 小 溝 よ り 鳩 間 嶋 迄 四 里 三 拾 弐 間 合 石 垣 よ り 鳩 間 迄 七 里 八 町 三 拾 弐 間 」 と あ る 。 正 保 琉 球 国 絵 図 で は 「御 崎 泊 (石 垣 ) よ り た け と み 嶋 迄 海 上 1 里 甘 六 町 ' た け と み 嶋 よ 。 窯 場 迄 海 上 二 里 二 十 町 ' 下 離 嶋 よ り 波 照 間 嶋 迄 海 上 十 二 里 未 申 ノ間 。普 ル、 た け と み 嶋 よ。 小 溝 嶋 迄 海 上 二 里 ' 小 溝 嶋 よ り 入 表 嶋 之 内 こ み 間 切 迄 海 上 三 里 ' 石 塔 嶋 御 崎 泊 よ り 入 表 嶋 之 内 そ な ひ 村 迄 海 上 十 一 里 酉 ノ方 。普 ル、 ひ け 川 村 よ り鳩 間 鴨 迄 海 上 三 里 半 ' 入 表 嶋 之 内 そ な ひ 村 よ 。 与 那 国 嶋 迄 海 上 四 拾 八 里 酉 ノ方 。普 ル鹿 渡 昼 夜 共 。湖 東 へ落 ル」 と あ る 。 測 定 法 の 違 い に よ る の か 、 両 者 に も や は り 差 異 が 認 め ら れ る 。 海 上 の 里 程 は 風 向 き ' 港 や 津 ロ の 条 件 と 共 に 旅 程 や 海 上 交 通 を 考 え る 上 で 重 要 な 要 素 で あ っ た こ と は 当 然 で あ る が ' 現 在 の よ う な す ぐ れ た 科 学 的 測 定 法 が 確 立 さ れ て い な か っ た と こ ろ か ら 里 程 に 多 少 の 差 異 が 生 ず る の は や む を え な い 状 況 だ っ た と 考 え ら れ る O \ ① 前 提 ﹃沖 縄 大 百 科 事 典 ﹄ 上 六 六 五 ペ ー ジ 参 照 ② 石 垣 市 立 ﹃ 八 重 山 博 物 館 紀 要 ﹄ 第 三 号 昭 和 五 八 年

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絵 図 と 港 海 上 交 通 に と っ て 港 の 条 件 は 重 要 な 意 味 を も っ て い る 。 国 絵 図 の 作 成 に お い て も そ の あ た り の 事 情 に つ い て は 十 分 注 意 を は ら っ て い た と み え て ' か な り 詳 し -記 載 さ れ て い る . た だ ' 港 を 示 す 用 語 に つ い て は 統 1 を 欠 い て い て 、 単 に 規 模 に よ っ て 使 い 分 け を し て い る と は 思 え な い 。 大 島 諸 島 で は 焼 内 湊 、 大 和 馬 場 湊 ' 住 用 湊 ' ふ か い が 浦 湊 ' 名 瀬 之 湊 ' 西 之 古 見 湊 ' 鬼 界 嶋 わ ん 泊 ' 徳 之 嶋 和 に や 泊 ' 秋 徳 湊 ' 永 良 部 嶋 和 泊 ' 与 論 嶋 あ が き 泊 ' せ っ た ' 瀬 名 ' 井 之 川 な ど が 港 と し て 使 用 さ れ て お り ' こ こ で は お お む ね 港 の 規 模 等 に よ っ て 使 い 分 け し て い る よ う で あ る 。 沖 縄 お よ び 周 辺 諸 島 で

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i . . ・ . -,( ・ ・ ・ ︰ . 、 . . ︰. " . 琉球国絵図 と近世の交通事情 (津波) ほ 運 天 湊' 那覇湊t に よ は 入 江 '大湾 入 江' ま ひ 湊 入 江' 久 米 嶋 兼 城湊' ま ち ゃ 入 江 '宮古島 ・ 八 重山 鳥 諸島 で は 石 垣 の 川平 湊'美崎 泊 と あ る 。 この 内 読谷 の 大湾 入 江 は 「 一 此大湾 入 江 廉 さ 一 町 深 さ 三 尋 ' 一 大船 五 六 般 程 繋 ル ' 一 東 風 南 風 西 風 之 時船 か 、 り不 成 」 とあ り ' 規 模 の 大き い 港 で あ っ た こ と が わ かる 。﹃ 八 重 山鳩 由 来 記 ﹄ に は 陸 上 '海 上 の 詳 し い 里 程が紹介 さ れ て い る 。 そ の 中 で 湊 で 呼 ば れ る の は 「嘉 平 湊 」 「 真 栄良湊」 「勢 良 湊」 「 浦 田 湊 」 「 よ な た湊 」 「 比 嘉湊 」 「船浮 湊」 「 網 取 湊」 な ど で あ り ' 泊 は 「美崎泊 」 1 件 で あ り '津 口 は 二 二 カ 所' そ の 他 1 件 で あ る 。 ③ 「琉 球 井 諸 嶋 図 」 で は 「 (永良部) 和 泊 此湊 -︰ 」 「 (輿 論 嶋 ) ア カ サ 泊 此 湊 --」 の よ う に 表 現 し て い る 。 ④ 津 ロ '泊、 湊 など 海 上 交 通 の 要所 た る 港 は 厳 密 に 区 分 され るこ と な -使 用され て い た よ う で あ る 。 こ のこ と は 薩摩藩 に お い て も同 様 で あ っ た よ う で あ る 。寛永 七 年 ( 〓 ハ 三

)

の 記録 によ る と 御領内 湊 数 と し て 「 一 薩 州京 泊 但 ' 川 湊' 水 上 三 里甘 町 潮 入 ' 一 湊 口 虞 サ式 町 ' 干 潮 之時 ハ深 サ 四 尺 '満 潮 之時 ハ武尋武 尺 、 大船 三 百 腹 程 繋 ル' 西 風 南 風 船 出 入 不 自 由 ' 洪 水 之時 ' 船 出 入 不 成 侯 ' 京泊 よ り 片浦 迄 海 上 廿 三里 ' 船数 五 拾 八 腹 '内、 猟船 八 腹' 五 反 帆 以 下 四 拾 六 腹' 六 反 帆以上 四 肢' 1 薩 州片浦 湊 口 廉 サ 四 町 四 拾間 ' 入 拾 三町 '探 す 拾 九尋 ' 西 風 南 風 船繋 自 由 ' 北 風 東 風 船 繋 不 自 由 片 浦よ 。 坊 津 迄 海 上 八 里 ' 船 数 四 拾 武 捜 '内 ' 猟船 三 十 七 線 ' 五 反 帆 以下 五 般 ' 7 5

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一 薩 州 坊 津 湊 口 虞 サ 三 町 四 拾 間 ' 入 拾 武 町 、 深 サ 三 十 六 尋 ' 船 繋 場 深 サ 七 尋 ' 大 船 三 十 般 程 繋 ' 何 風 。 て も 船 繋 自 由 ' 湊 ロ ニ ハナ レ 瀬 多 シ ' 坊 津 よ 。 山 川 迄 海 上 十 三 里 ' 船 数 八 十 腹 ' 内 ' 漁 船 四 十 五 般 ' 五 反 帆 以 下 拾 九 腹 ' 六 反 帆 以 上 拾 六 般 ' 一 薩

湊 口 虞 サ 四 町 四 拾 武 間 ' 入 七 町 四 十 八 間 、 探 サ 三 拾 尋 ' 大 船 武 百 四 五 拾 腹 程 繋 ' 何 風 こて も 船 繋 自 由 ' 山 川 よ 。 鹿 児 島 迄 海 上 拾 三 里 ' 船 数 百 拾 八 線 ' 内 ' 猟 船 三 十 七 般 ' 五 反 帆 以 下 七 拾 三 般 ' 六 反 帆 以 上 八 般 ' 後 略 」 ⑤ と あ り ' や は り ' 湊 ' 津 ' 泊 の 区 別 を 設 け て な い こ と が わ か る 。 以 上 の こ と か ら 港 の 呼 名 は 昔 か ら 呼 び 習 わ さ れ て き た ⑥ も の を そ の ま ま 使 用 し た と 考 え ら れ る 。 ① 前 提 ﹃沖 縄 大 百 科 事 典 ﹄ 上 六 六 五 ペ ー ジ 参 照 ② ﹃ 八 重 山 嶋 由 来 記 ﹄ ' 八 重 山 博 物 館 紀 要 第 三 号 ' 昭 和 五 八 年 ③ 「琉 球 井 諸 嶋 図 」 都 城 島 津 家 島 津 久 厚 氏 所 蔵 ④ こ の 件 に 関 し て 山 本 弘 文 氏 は 前 提 書 で 「 以 上 の よ う に 船 泊 の 名 称 は 泊 、 湊 ' 津 口 な ど ま ち ま ち で あ る が , い ず れ も 港 口 の 方 向 ・ 広 さ と 水 深 ' 船 繋 所 ま で の 距 離 な ど を つ ぶ さ に 書 上 げ ' 船 頭 ' 水 手 に と っ て 不 可 欠 な 内 容 を 具 え て い た 。 -」 と 述 べ て い る 。 此3

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ト ⑤ ﹃島 津 家 列 朝 制 度 ﹄ 巻 之 六 三 一 九 ⑥ 近 世 に 設 置 さ れ た 津 口 番 所 ' 積 荷 検 査 証 で あ る 津 口 手 形 ' 津 口 勤 番 の 津 口 横 目 は 林 産 物 の 制 限 ' 禁 止 木 の 摘 発 を 主 と し た も の で あ る 。 こ の 場 合 に お け る 津 口 も 広 -港 を 意 味 す る 言 葉 と し て 解 釈 出 来 る 。 な お ' 一 七 三 五 年 に 設 置 さ れ た 津 口 横 目 は 国 頭 間 切 の 辺 野 暮 、 奥 、 安 和 の 三 力 村 と 久 志 間 切 の 川 内 ' 大 川 の 二 力 村 に 船 政 所 を も う け ' 初 め て 勤 番 を お い て い る 。 一 七 五 三 年 か ら は こ の 仕 事 は 山 奉 行 が 兼 務 し た 。 (前 提 ﹃ 沖 縄 大 百 科 事 典 ﹄ 中 八 一 六 ペ ー ジ 参 照 琉球国絵図 と近世の交通事情 (津波) 2 絵 図 と 遠 見 番 所 江 戸 幕 府 は 一 六 三 九 年 八 月 ' 太 田 備 中 守 資 宗 を 長 崎 に 遣 わ し ' キ -ス ト 教 禁 教 令 を 令 達 し た と い わ れ て い る . こ の と 一 き ' 薩 摩 藩 は 川 上 久 国 ' 鎌 田 政 有 を 派 遣 し た 。 幕 府 は 「 近 年 耶 蘇 宗 門 を 厳 禁 す 。 然 れ と も 猶 は 聞 -に ' 潜 か に 伴 天 連 を 77 遣 は す と 。 今 よ り 以 後 、 扇 俄 流 陀 船 (ポ ル -ガ ル 船 ) の 入 港 を 許 さ す ・ 英 二 に 日 -。 I 沿 岸 各 所 常 に 避 卒 を 置 き 、 船 舶 を 検 査 せ よ 。 異 国 船 入 港 せ は 登 岸 を 許 さ す ' 速 に 長 崎 に 送 れ 。 其 三 に 日 く 。 異 国 船 閑 を 倫 み て 上 陸 し ' 其 の 掠 跡 を 告 -る 者 は ' 賞 す る に 銭 物 を 以 て す 。 と 」 の 慎 吾 を 示 し た 。 翌 年 も 「俄 流 陀 船 復 長 崎 に 至 る ' 既 に 英 人 を 斬 れ り 。 自 今 以 後 沿 海 諸 虞 ' 若 し ' 俄 流 陀 の 入 港 す る あ ら は ' 一 切 虞 す る に 死 を 以 て せ よ 。 英 二 に 日 く 。 沿 海 諸 国 ' 常 に 高 虞 に 避 卒 を 置 き ' 俄 流 陀 船 を 望 見 せ は ' 速 か に 長 崎 奉 行 に 報 せ よ 。 其 三 に 日 -0 俄 流 陀 船 の 外 ' 唐 船 及 異 国 船 入 港 せ は 登 岸 を 許 さ す ' 其 人 を 検 査 し ' 速 か に 長 崎 に 送 れ 。 」 ① こ れ ら の 令 達 が 薩 摩 藩 に お け る 遠 見 番 所 ' 火 立 番 所 設 立 の 起 源 に な っ た と い わ れ て い る 。 薩 摩 藩 に お け る 遠 見 番 所 の 所 ② 在 地 に つ い て は 「寛 政 御 答 書 」 に 出 て -る 。 寛 政 御 答 書 に は 異 国 船 番 所 並 異 国 船 遠 見 番 所 と し て 「 一 薩 州 出 水 荒 崎 '

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1 薩 州 出 水 脇 元 村 ' 一 薩 州 阿 久 根 倉 津 ' 1 薩 州 出 水 長 嶋 ' 1 薩 州 出 水 多 田 崎 ' 1 薩 州 阿 久 根 佐 潟 崎 ' 一 薩 州 水 引 京 泊 二 ヶ 所 ' 1 薩 州 高 城 西 方 村 ' 一 薩 州 河 遠 郡 坊 津 二 ヶ 所 ' 1 薩 州 加 世 田 片 浦 二 ヶ 所 ' 1 薩 州 鹿 寵 枕 崎 、 一 薩 州 加 世 田 鶴 食 崎 t l 薩 州 摂 宿 郡 山 川 二 ヶ所 ' 一 薩 州 頴 娃 脇 村 一 薩 州 市 来 湯 田 村 ' 一 薩 州 日 置 山 田 村 ' 1 薩 州 甑 島 里 村 ' 一 薩 州 甑 島 松 島 崎 ' 一 薩 州 甑 島 中 甑 村 二 ヶ 所 ' 一 薩 州 甑 島 手 打 村 二 ヶ 所 、 一 薩 州 河 遠 郡 口 之 島 ' 一 薩 州 河 連 郡 中 之 島 ' 1 薩 州 河 連 郡 賓 島 ' 1 隅 州 熊 毛 郡 種 子 島 島 間 村 ' 一 隅 州 熊 毛 郡 種 子 島 小 藍 ' 一 隅 州 駁 謀 郡 永 良 部 村 、 1 隅 州 駁 謀 郡 長 田 村 ' 一 隅 州 駁 讃 郡 宮 之 浦 村 ' 1 隅 州 駁 謀 郡 粟 生 村 ' 一 日 州 諸 県 郡 志 布 志 、 1 日 州 諸 県 郡 大 崎 」 異 国 船 遠 見 番 所 と し て 「 隅 州 佐 多 島 泊 」 が あ り ' ま た ' 津 口 番 所 と し て 六 ヶ 所 あ げ ら れ て い る 。 賓 永 御 答 書 (賓 永 十 年 ' 一 七 二 二 ) に は 津 口 番 所 二 十 四 ヶ 所 、 遠 見 番 所 十 一 ヶ 所 ' 火 立 番 所 十 二 ヶ 所 記 載 さ れ て お り 、 そ れ ら の 果 た す 役 割 と し て 「 右 遠 見 番 所 、 火 立 番 所 之 儀 ' 番 人 付 置 侯 我 と 、 御 尋 候 ハ バ ' 番 人 三 人 ヅ ツ 申 付 置 侯 ' 遠 見 番 之 儀 ハ ' 年 中 不 明 様 ニ ' 相 勤 申 侯 ' 右 之 外 こ も 二 月 よ り 九 月 迄 之 内 ハ 、 島 々 浦 々 ニ ハ 、 海 上 見 得 渡 候 山 々 え 、 数 十 ヶ 所 圭 夜 遠 見 番 人 付 置 申 侯 ' 火 立 番 之 儀 ハ ' 二 月 よ り 九 月 迄 之 内 、 両 人 申 付 事 二 御 座 候 由 ' 可 中 上 候 ' 右 之 外 ' 琉 球 国 島 々 ③ へ も ' 番 所 合 武 拾 三 ヶ 所 御 座 候 ' 以 上 」 と あ り ' 近 世 琉 球 の 遠 見 番 制 度 を 考 え る 上 で 重 要 な 事 が 述 べ ら れ て い る 。 こ れ ら 一 連 の 史 料 で 明 ら か な 事 は ' 江 戸 幕 府 の 鎖 国 政 策 と 連 動 し て 遠 見 番 所 ・ 火 立 番 所 が 設 置 さ れ て い る と い う こ と で あ り 、 琉 球 諸 島 も 例 外 な -' そ の 範 噂 に 組 み 込 ま れ た と い う 事 を 意 味 す る 。 ﹃ 球 陽 ﹄ に よ る と 一 六 四 四 年 各 所 に 「 火 立 所 」 を 設 置 し た こ と に な っ て い る 。 そ し て 船 の 種 類 に よ っ て 「蜂 火 ( の ろ し ) 」 の 種 類 を 替 え ' 情 報 伝 達 の 基 準 を 示 し て い る 。 た だ ' ど の 場 所 に 設 置 し た か の 記 録 が な い の は 残 念 で あ る 。 こ の 記 録 を 補 う 史 料 と し て 国 絵 図 が あ る わ け だ が ' そ の 中 に は 二 ヶ 所 に 異 国 船 遠 見 番 所 が 確 認 出 来 る 。 与 論 島 と 古 宇 利 島 (絵 図 で は 沖 ノ 郡 島 と あ る 。 ) で あ る 。 一 六 四 四 年 段 階 に お い て ' は た し て こ の 二 ヶ 所 に だ け 設 置 さ れ て い た の か 、 大 い に 疑 問 の 起 こ る と こ ろ で あ る が ' 設 置 ヶ 所 に 関 す る 史 料 が 1 九 世 紀 以 降 の 史 料 に 頼 る し か な い 以 上 t や む を え な い 所

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札 ・ 1-琉球国絵図 と近世の交通事情 (津波) で あ る 。 官 撰 の 絵 図で は な い が' 1 九 世 紀 ご ろ 作成 され たた と思 われ る 通 称 「薩 摩藩 調 製 図 」 中 に は 火立所が き ち ん と 明示 され て い て 興 味 深 い 。 「薩 摩藩 調 製 因 」 は 彩 色 さ れ た

' △ '口 など の 記 号 で 王 城 '寂 々 ' 旧 城' 村 々 ' 三 府差 別 ' 山 方 切 ' 海 方 切' 道 筋 ' 川 筋 、 番所へ 火 立所 が 記載 され て い る 。 た だ '文 字 情報 が極端 に 少 な いの も 特徴 的 で あ る 。 大島 属島'宮古 ・ 八 重 山 諸島 が 欠 落 し て い る の は 残念 で あ る 。 あ る い は 意 図 的 に 沖 縄 本 島 及 び久米島'そ の 周辺 諸島 に 限定 した の か ' 判断 で き る 史料 に 欠 け て い る 。 ④ 宮古 ・ 八 重 山諸島 で 現在 確 認 で き る も の を 合 わ せる と遠見番 所 、 火立所 はか な り の 数 に な る 。 一 八 世 紀 以 降 海 上 交 通 の 果 た す 役 割 が増 大 し ' それと とも に 遠 見番 所' 火立所 も 整 備 が 一 層進 ん だも の と 思 わ れ る 。 ① ﹃薩藩 海 軍史 ﹄上巻 侯 爵 島 津 家編 纂 所 昭 和 四 三 年 ② ﹃藩法集﹄ 八 鹿 児 島藩 藩 法 研 究 会編 昭和 四 四 年 ③ 前提 ﹃藩 法集﹄ 八 ④ 絵 図 に お い て 異国 遠見番 所 が最 初 に 登 場す る の は 「 正 保 琉 球 国 絵 図 」 に お い て で あ る 。 そ の 中 で は 沖 ノ 郡 嶋 と 与 論 嶋 の二 島 に あ る 二 カ 所 の み で あ る 。 薩 摩 藩 調 製 図 に よる と 伊 平屋島' 伊是 名 島 '伊 江 島 ' こ おり 島 '瀬底 島' 宮 城島、粟 国 島 ' 渡 名喜島 ' 座間味島、 渡嘉 敷島 '前島 に 各 一 カ 所' 久 米島 三 カ 所'沖 縄 本 島 三 言 所 の 計 二 七 カ 所 に 設置 され て い た よ う で あ る 。絵 図 等 の 史料 に は 記載 さ れ て い な い が' 宮 古 ・ 八 重 山 には 遠見 番 所 や 火 番 盛 等 の 遺構が 各 島 々 に あ り ' 現 段 階 で 確 認 で き る も の だけ で も 1 八 カ 所 あ り ' それ ら す べ て を 合 計 す る と 実 に 四四 カ 所 に も な る 。 遠見番 所 ・ 火立所 に 関 して は 近 年 研 究論 文 も い -つ か 出 て い る 。 ﹃沖 縄 県 歴 史 の 道 調査 報 告 書 -八 重 山 諸島 の 道

-﹄ Ⅶ ( 平成 二 年 ) で は 黒 鳥 為 一 氏 が ' ﹃沖 縄 県 歴 史 の 道 調 査 報 告 書

-宮 古諸 島 の 道-﹄ Ⅶ (平 成 三 年 ) に は 79

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砂 川 玄 正氏 ・ 豊 見 山 和行 氏 が そ れぞ れ 発 表 し て い る 。 また 、 里 井 洋 一 氏 は ﹃ 地 域 と 文 化 ﹄第 六 一 号 (平 成 二 年) に ' 黒 鳥 為 1 氏 は ﹃地域 と 文化 ﹄ 第 七 言 号 (平 成 三 年) に '山 本 弘 文 民 は ﹃経済 志 林﹄ 第 六 十 1 巻第 三 号 (平 成 5 年 ) に そ れぞ れ論 及 し て い る 。

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薩摩藩調製図(沖縄県立図書館蔵)(本文

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