奄美歴史遺産データベスによる地域歴史文化遺産の活用と保全
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(2) 情報処理学会研究報告 IPSJ SIG Technical Report. Vol.2012-CH-93 No.7 2012/1/28. 生態系を形成している 注4。 このような自然環境において人と関わりあいのある動植物,魚介類について季節ご とにまとめてみた。このことは奄美大島が縄文時代相当期から狩猟採集活動を行いて おり採集・狩猟・漁撈という自然との生業の在り方をいま模索している。 大島北部に位置する赤木名城において地元植物研究家の田畑満大と自然写真家勝廣 光などの協力を頂いて行い、植生調査を基に環境省野生生物保護センターの田中純自 然保護官の指導も頂いて第2図「資源の垂直利用」を作成した。 赤木名城における植生調査からは人との関わりのあるものがデーターで示されて いるが、何処までが里山であるのかはっきりした線引きすることが出来なかった。季 節による狩猟採集の場所と用材、食物採集として集落単位で深い山から海に至るまで 資源の垂直利用が考えられるが、具体的なデーターで示していきたい。 植生調査資料は文献調査と現地調査により、それぞれ個票(DB)にし第 1 図を作 成した。調査期間は通年を通して行い、主だった植物 186 種の記録である。分類の中 で特に生活用品、植栽鑑賞、薬用、食用の植物が多いことがわかる。山に入るたびに 植種は増えるが、赤木名城内の特徴を示す植物としての目的は達成できたものと考え る。. が 52%余りである。天然林の林冠を占めている主な樹種は, スダジイ, フカノキ, エ ゴノキ, イジュなどで窪地や斜面の向き, 風当たりや湿度が保たれ養分もたまりやす い場所などで生育と保存状態の違いがみられるとしている 注4。 海岸に面した急斜面や尾根などの風当たりが強く乾燥した場所は, スダジイやシャ リンバイなどの低木林になっている。標高 694.4m の湯湾岳山頂付近などには, 霧が よくかかり, 空気の湿度が比較的高く保たれて, タイミンタチバナ, ミヤマシロバイ, イジュなどの低木林がある。 残りは, リュウキュウマツの混じる二次林, リュウキュ ウマツ, シャリンバイなどの植林地, 伐採地, 竹林, 草地などである。 笠利地区において聞き取り調査などを行うと終戦直後は「かさんはげやま」と島唄 にも唄われるほど伐採されたという。確かに笠利の山々は琉球松に覆われていること から伐採されてから40年から50年ぐらいしか経過していないことがわかる。集落 周辺の山に入るとほとんど狭いところでも段々畑状に人の手が入っているのがわかる。 本当に猫の額ほどという言葉が合うよく合う。終戦直後は復員してきた兵隊さんや疎 開先から帰郷してきた家族などで奄美大島の人口が最も増えている時期にあたる。そ れは大島北部の笠利地区に限らず,大島ほとんどの照葉樹林に人の手が入っている。 開墾は各集落から遠く離れた山の斜面などで炭焼き小屋や田んぼのなどの農作業小屋 も作られている。冬場の炭焼きや猟の時期などは寝泊りもしていたという。 このような土地利用のあり方は古い土地台帳や現在の地籍調査による土器台帳との 比較を行う作業を進めている。そのことによって地域における土地利用のあり方と自 然との生業の視点からも論究できるものと考える。ただし,終戦直後、一時的に乱開 発された土地利用のあり方は台帳には記録されていないものが多いようである(調査 中)。 里山・里海的概念 環境省の調査では植物において南方系と北方系の種が混在して豊富な植物相を有 しており,奄美群島を分布の北限とする種が 120 種あるなど,多くの南方系の種の分 布北限となっていること,アマミセイシカ,ウケユリ、アマミエビネ等の固有種が多 いことが特徴とされている。 動物ではアマミノクロウサギ、ケナガネズミ,アマミトゲネズミ,オオトラツグミ, ルリカケス,クロイワトカゲモドキ,リュウキュウアユ等の固有種・固有亜種をはじ め,多様な動物相を有し,奄美大島や徳之島ではハブを食物連鎖の頂点とした独特の 生態系が形成されている。また、群島の海岸域にはウミガメの産卵地が存在している ほか、奄美大島及びその周辺島嶼には海鳥(アジサシ類、アナドリ類)の集団繁殖地 がみられるなど、広域移動性動物の重要な中継地・繁殖地ともなっている。 奄美群島の海域では、裾礁や堡礁などのサンゴ礁が発達している。造礁サンゴの種 数は約 220 種にのぼり、魚類、貝類、甲殻類など多様な生物の生息場所として特有の. 第1図. 2. 人と関わりのある植物(赤木名城). ⓒ 2012 Information Processing Society of Japan.
(3) 情報処理学会研究報告 IPSJ SIG Technical Report. 第1表. Vol.2012-CH-93 No.7 2012/1/28. 植生調査票を作成し、そのデーターの収録記録から今後はこれらの調査を基に食料 資源としての観点から堅果類特にドングリやツワ、薬用など人間との生業の視点から の調査を進めていきたい。 島の中で見られる自然との生業は縄文時代相当期から続いている狩猟採集民とし て限られた動植物の獲得とサンゴ礁を主とする魚貝藻類の獲得が今も島民の生活基盤 になっていることが大変注目されるからである。 植物については人と関わり合いのある植物のデーターベースを行いその割合は第 1図の示すとおり%である。この植生調査のパーセントは同一植物が複数に利用され ているため観賞用や生活用品、食用などにも利用されている%である。この図と表か ら神山とされる赤木名城の所在する一帯は人との関わり合いが多いことを示している ことがわかる。 ドングリの仲間は比較的こうした神山から奥のほうに群生している。そのような特 徴から集落に近い神山などと言われているところは里山的な役割を果たしていたと言 えよう。その里山的な山からドングリが多く自生している山はイノシシやアマミノク ロウサギなどの猟をするときに入る山で、その奥は人がほとんど入らない山というこ とになる。環境省の調査で人の関与のない原生林はわずか3%位しかないということ も理解できる。終戦直後の乱開発の影響もあるが、人の土地利用が深い山から海に至 るまでの垂直利用を行っていた可能性が高いが、深い山と里山的な分分はモザイク状 になっているため、里山の根拠を示すことが難しいと言わざるを得ない(第2図資源 の垂直利用)。しかし、戦後の一時期は深い山まで入っているがその畠が持続して使わ れてなく一時期であることがリュウキュウマツの成長から伺える。また、シマの人は 畠にする場合必ずといっていいほど蘇鉄を植えている(旧正月 2 日は蘇鉄を植える日 でもあった)。シマジマで聴き取り調査を行い、私が祖母たちから教えられた記憶など から総合すると蘇鉄は島の人々にとってとても大切で強い思いのある植物であると感 じる。 12,13 世紀頃までは狩猟採集生活をしていた奄美の人々が蘇鉄を食料の糧とする管 理栽培に取り組み始めたということになる。奄美においては蘇鉄に関する古い文献は 『沖永良部島代官系図』1682 年、 『奄美大島資料』1805 年、 『大島代官記』1833 年、 『南 島雑話』1850 年から 1855 年などに記録されているという。沖縄の岸本義彦より、以 前に聞いた話では 18 世紀頃に蔡温が沖縄でも普及させているということであった。こ のような疑問に答えるような報告が本資料をまとめるに当たり、知ることが出来た。 安渓貴子が「ソテツの来た道」として『奄美沖縄環境史資料集成』2011 年 3 月に南方 新社から出版されていた 注5。 蘇鉄についてはこれからも調査を続行していくが、奄美・沖縄諸島の遺跡の植物遺 体調査を進めている高宮廣土との談話からも先史、古代の遺跡からまだソテツ遺体の 検出はないという。奄美大島では赤木名城において 12 世紀の遺構から米が検出されて. 人と関わりあいのある植物(赤木名城) 3. ⓒ 2012 Information Processing Society of Japan.
(4) 情報処理学会研究報告 IPSJ SIG Technical Report. Vol.2012-CH-93 No.7 2012/1/28. おり、奄美・沖縄諸島では古いほうにあたる。いわゆる農耕の始まりと考えられる。 ただし狩猟採集による基本的生業はドングリ類が考えられ、その後に蘇鉄の管理栽培 などが考えられないか今後の課題でもある。そのような観点から蘇鉄が里山の境界と してのひとつのキーワードにならないか。山中を歩いて感じたことと植生調査からそ のような疑問を抱き始めている。. 海における可食可能な資源はピアソンによると世界のサンゴ礁の中でも宝庫であ ると述べている。奄美群島においてもここ数年の遺跡から出土する貝類遺体の黒住耐 二や漁骨遺体の桶泉岳二、緑川弥生などの調査成果が注目されている。 このような調査成果から奄美大島における先史時代の主な陸上食用は現在もブロ ッコリーのようにもこもこと山を覆っているスタジイを主としていることがわかる。 海産物は先史時代の遺跡全般に見られるチョウセンサザエ、マガキガイを主にイソハ マグリ、サラサバティラ、シラナミ、ヒメジャコ、ヤコウガイなどがあげられる。ピ アソンは蘇鉄も上げているが縄文・弥生時代相当期の遺跡から植物遺体の検出がまだ されていないため保留にしている。奄美大島の人々が大切にしている蘇鉄は生活の中 でも重要な役割を果たしてきており、積極的に管理し利用している時代がどこまで遡 るのかこれからの楽しい課題がまたひとつ増えたことになる。 九州においては甲元眞之、小畑弘己の熊本大学の皆さんが「九州古代種子研究会」 (会長甲元眞之)を組織して積極的に調査を進めており、大きな成果を上げている。 先月は恩師である甲元眞之より、宮崎考古学会長岩永哲夫の『考古学者のドングリ交 遊記』―縄文の主食を求めて―が届いた。岩永はこの本の中で縄文時代の食料は哺乳 類動物60種、貝類350種、魚類70種、鳥類35種、植物55種とされている食 料などの他にドングリによる現在のレシピも紹介しており本人が実に楽しいそうに紹 介している 注8。じつは私も奄美大島で可食される食用植物や魚介類において本文に登 場するメンバーや事業に賛同している仲間たちと同様な調査を楽しんでいる。 可食魚貝類. 第2図. 奄美の四季は自然的環境の中で「シマの人にとってはあまり季節感を鮮明に区別で きないが・・」ということを前項で記したが、シマの人が魚介(漁撈)に関わる季節 感はとても敏感である。海人は旧暦カレンダーによる潮の干満や海流の流れなどを読 み取って漁に出かけている。奄美市漁協の原永竜博や漁師から聞き取り調査を行った のが「第3図の魚介類カレンダー」である。 このデーターは現在奄美市漁協(笠利)に水揚げされているものを主に聞き取り調査 を行ったものであり、禁漁期間などを考慮しなければならない。この図からは岩永哲 夫が九州の事例で「春は山菜、夏は魚介類、秋は堅果類、冬は動物」という九州のカ レンダーと少し違いがみられる。琉球弧においてはピアソンが指摘したように「世界 のサンゴ礁の中でも宝庫である」というように年中可食される魚種があるということ がわかる。シマにおけるサンゴ礁(イノー)の利用についてはリーフ内の魚介類やイ ザリ漁についての報告もあるため追加して整理を行いたい 注9。. 資源の垂直利用. 先史時代における可食動植物の利用 奄美・沖縄諸島における植生は亜熱帯湿潤気候とさる。植生の分布も北部の非石灰 岩地帯と南部の石灰岩地帯に大別されている 注6。植生も北部にスタジイの群生、南部 にクスノキカエデなどの群生などが見られる。 先史時代の食用についてはリチャード・ピアソンが有用植物としたものにイタジイ、 アガサ、蘇鉄、キイルンヤマノイモ、オダカの 5 種があげられている 注7。また、高宮 広土は琉球列島における可食動物数はリュウキュウイノシシと海ガメが主で7種しか 知られていないという。奄美大島においてはこれにアマミノクロウサギが加わる。意 外と陸上における可食可能な食用種は少ないことがわかる。 4. ⓒ 2012 Information Processing Society of Japan.
(5) 情報処理学会研究報告 IPSJ SIG Technical Report. 第3図. Vol.2012-CH-93 No.7 2012/1/28. (2)歴史と文化 ① 歴史 奄美はその位置的特徴から朝鮮、中国との交流や、琉球、大和などによる介入など、 日本本土や琉球の影響を強く受けた地域といえる。 奄美群島の考古学からは旧石器時代のものと推定される 25,000 年~30,000 年前の奄 美市笠利町喜子川遺跡や伊仙町のアマングスク遺跡からチャートの剥片や打製石器等 が出土している。また、奄美市笠利町喜子川遺跡、宇宿高又遺跡、イャンヤ洞窟遺跡、 知名町中甫洞窟遺跡からは、縄文時代前期(今から約 6 千年~8 千年前)の爪形文土 器が出土している。その他にサウチ遺跡、宇宿貝塚から出土した弥生期の装飾品(貝 符や鉛ガラス)などから大陸や九州などの地域との交流があったことが示唆されてい る。奄美群島では、7~10 世紀に、大和の律令国家と中国唐朝の時代の影響を受け、 複雑な狩猟採集時代が考えられる。それまで奄美群島は九州等からの物流などの影響 を受けながら縄文、弥生、古墳時代相当期に比較的単純な狩猟採集生活を行ってきま したが、それは独自の社会基盤が形成され、強力な首長を要するような複雑な社会組 織に発展するに至らなかったことを意味している。 琉球においては 11 世紀から 16 世紀に按司と呼ばれる力をもったリーダーが出現し、 活発な交流・交易を行っている。奄美を含めた琉球列島においては明の朝貢貿易でさ らに力を蓄え、琉球王国成立までの激動の時代を迎える。この按司たちの支配が割拠 する時代は「按司世(アジユ)」と呼ばれ、その名称が奄美の時代区分にも使われてい る。この時代には徳之島で焼かれたカムィヤキ(類須恵器)が琉球諸島全体に流通の 広がりをみせ、また赤木名城からは 12~13 世紀頃のカムィヤキ、14~15 世紀頃の青 磁と大和の特徴を持つ竪堀、堀切等の重層する遺構が発見されている。 これにつづく琉球王朝の時代が「那覇世(ナハンユ)」と区分され、17 世紀前半か らの薩摩藩による藩政時代を「大和世(ヤマトンユ)」と呼んでいる。 17 世紀には薩摩藩によるサトウキビの生産と製糖法が推進され、黒糖による貢租な ど、奄美地域への支配政策は砂糖を基軸としたものに大きく転換し、明治期の砂糖売 買の自由化まで続いているとされている。戦後は一時、米軍統治下におかれたが、昭 和 28 年12月25日に日本に復帰を果した。 ② 文化と暮らし 奄美の人々の暮らしは、自然との深い関わりのもと営まれており、南北との交易や 琉球・薩摩の介入といった歴史の影響を受けながら、島唄、八月踊り、豊年祭など独 特の伝統文化・芸能や、信仰、自然観などを生み出してきた。このため、加計呂麻島 の諸鈍シバヤや与論島の十五夜踊りといった伝統芸能にも南方系と北方系の歌・演目 が入り交じったものが見られるなど、琉球文化や大和文化などが溶け合った文化が形 成されている。また、方言では集落を「シマ」と呼んでおり、シマごとに、言葉や習. 魚介類カレンダー. 5. ⓒ 2012 Information Processing Society of Japan.
(6) 情報処理学会研究報告 IPSJ SIG Technical Report. Vol.2012-CH-93 No.7 2012/1/28. 細は本報告で行う)。その結果、赤木名墓地 565 基を数え、特徴あるものは図面作成を 行い、墓石に刻まれた文字すべての記録を行った。 墓石の特徴から山川石、加治木石と思われる石の導入が多いこともわかり、墓地の 形式や時代的変遷も明らかにすることができた(第4図赤木名墓地の推移図)。. 俗が異なり独自の方言、島唄が残るなど、多様化した文化が見られている。 人々の暮らしは周辺の自然と密接に関わっており、一般的に、集落を中心として前 面の海で魚介類を採取し、川で生活用品などを洗い、川エビやカニ(タナガ、ガン) などを採り、背後の山野で田畑を開墾するとともに、薪や材木を伐りだして生活の糧 とするというように、集落が周囲の海や山と一体となった生活を営んできた。 海の彼方には神々のいるネリヤ・カナヤ(ナルコ・テルコ、リュウグウ)と呼ばれ る理想郷があり、豊穣や災害をもたらすと信じられている。琉球王朝時代には、神々 を迎え、送り出す祭事や農耕儀礼、年中行事を司るノロ制度ができ、現在でもその時 代に生まれたと思われる行事や芸能が各地に伝わっている。 ノロによって迎えられた神々は、山に降り、山から尾根伝いに集落に下りてくると されたことから、カミヤマ(神の降り立つ山)、カミ道(山から降りてきた神が通る道)、 ミャー(集落の中心にある祭祀等を行う広場)などといった信仰空間が集落の構造に 影響を与え、前面の海や背後の山とともに集落空間(景観)が形成されてきた。 山仕事に従事していた人々は、山の神に感謝するため「山の神の日」を設け、その 日は山に入らないといった風習が存在するなど、神の領域への侵入をコントロールす るためのタブーや戒めが存在しました、それがケンムンや山の神との遭遇体験、聖な る空間の存在など、様々なかたちで島民の間に引き継がれ、守られてきた。しかし、 このような、集落を中心として周辺の自然と一体になった生活、集落空間の仕組みや 秩序、ノロによる祭司、島民の空間概念や精神性などは、近年の急激な社会経済の変 化により地域の中での伝承力が低下し、将来世代への継承が懸念されている。 奄美群島では、近年サトウキビを中心に、馬鈴薯等の野菜,花き,畜産,果樹等の 農業が営まれている。耕地面積の割合は、徳之島と沖永良部島が高く、徳之島では、 さとうきび、野菜、畜産が、沖永良部島では花卉、野菜が主要な作目となっている。 ③ 墓地からの考察 赤木名地区においては現在、奄美市教育委員会が文化的景観事業に取り組んでいる。 23年度で総合的調査(土地利用、伝統的家屋、敷地、集落配置、垣根、集落内の植 栽、赤木名城、城内の植栽、人と関わりあいのある植物、年中行事、墓地、文化的景 観等)をまとめ、24年度に地区内の保存計画書の作成を行い、報告書としてのまと める計画である。 これらの総合調査の中で特に墓地調査の成果から歴史的な視点でどのように捉えら れるだろうか。報告したい。 赤木名地区に現存する墓地は2か所がある。集落墓地としては外金久にある一か所 に里、中金久、外金久の墓地が集約されている。もう一か所は一族墓地である。墓地 調査は3区長の協力を頂き、文化的景観調査員の北海道大学博士課程山口知恵と一緒 に行った。当初は墓地に数の記録と墓地配置図だけの予定であったが、先の「奄美遺 産」によるDB化の活用で石上英一から指導をいただき、個表による作成を行った(詳. 第4図. 赤木名墓地の推移図. その後、奄美大島における特徴ある地区(奄美市名瀬根瀬部、名瀬旧永田墓地、奄 美市住用町市、宇検村宇検)の墓地調査を行い、それぞれの特徴を明らかにすること などの指導も受けた。そのため、墓石の石質については山川石、加治木石とされる石 質や代官墓地、島役人の墓地などに山川石、加治木石が使用されているため 12 月に鹿 児島市教育委員会の協力を頂き、島津家 28 代までの墓地予備調査を行ってきた。赤木 名地区における墓地の時代変化は 1792 年からの年号が確認されている。横目や横目格、 樽横目、與人、與人格など島役人と思われる墓地に山川石や加治木石が使用されてい る。その時代変遷を第2表に示した。 墓地調査を進めるに当たり、課題も明らかになってきた。1、奄美群島における主 な地区の墓地調査の必要性 2、墓地から見る薩摩の影響 3、島人の墓石に対する 思い(ステータス) 4、時代的背景 5、墓石の流通のありかた 6、奄美の宗教 6. ⓒ 2012 Information Processing Society of Japan.
(7) 情報処理学会研究報告 IPSJ SIG Technical Report. Vol.2012-CH-93 No.7 2012/1/28. 観などが取り上げられる。 奄美大島では洞窟墓や風葬、サンゴ囲墓、露出した箱型石棺墓などが主であったが、 現在では御影石や黒御影石など立派な墓石が主流を占めている。赤木名地区は薩摩の 仮屋(代官所)跡などがあり、屋敷囲い、垣根、入母屋造りの家屋など特に薩摩の影 響の強い地区であることがわかる。 近世における古文書記録との対比など当時の時代的背景までを視野に入れた取り組 みが望まれる。. 土地利用の現況を明らかにする 土地台帳による土地利用の分析が完了し、現在の航空写真、地図の分析、上述の悉 皆調査結果から現況の土地利用を明らかにし、現地調査によって土地利用の現況を 確認する。その後、奄美市郷土研究会の弓削正巳より、竿次帳の資料調査の情報を いただき、現在分析に入っている。 ② 外観調査 ・建築物 赤木名地区における全建築物を対象に所有者、用途、建築年代、屋根、壁、規模を 現地調査やヒアリング調査、資料調査によって明らかにする。 ・工作物・・・調査の実施 赤木名地区における全工作物を対象に所有者、用途、建築年代、材料、規模を現地 調査やヒアリング調査、資料調査によって明らかにする。 ・樹木・・・調査の実施 赤木名地区における全樹木を対象に所有者、用途、樹齢、樹種を現地調査やヒアリ ング調査、資料調査によって明らかにする。山城と集落庭の植生調査を実施。 ③ 屋敷地における調査(概観調査結果から約 20 件を抽出) ・建築物 現地調査を行い、配置図、平面図、断面図を作成する。 ・屋敷林の調査 現地調査を行い、屋敷林の配置図を作成する。 4.生活・生業に関する調査 文献調査、ヒアリング調査、現地調査によって赤木名地区における生活・生業を明 らかにする。また、上述の構成要素に関する調査結果と生活・生業に関する調査結果 を分析することで、赤木名の景観と生活・生業の関連性を明らかにする。このような 調査結果は赤木名地区における文化的景観としてまちづくりに取り組む。 ■参考資料 注 1、『奄美地域の自然資源の保全・活用方策検討調査業務』平成 21 年 3 月. 第2表. 注 2、平成 21 年 2 月 12 日館報告示される。. 墓地の時代変遷. 3、赤木名の文化的景観 ①悉皆調査 ・建築物・工作物・樹木の現況を明らかにする 赤木名地区の景観の構成要素を把握するため、まず、赤木名地区において悉皆調査 を行い、建築物・工作物・樹木の現況を明らかにする。次に、各年代の航空写真と古 写真、建築台帳、住宅地図などを分析し、各物件の建築年代、所有者、各物件の特徴 を明らかにする。 建造物については悉皆調査を実施し全 803 件を抽出した。. 注 3、大島支庁『奄美群島の概況』平成 22 年 注 4、高宮広土「沖縄諸島先史時代からのメッセージ」『生態資源と象徴化』平成 19 年 3 月 注 5、安渓貴子「蘇鉄の来た道」『奄美沖縄環境資料集成』2011 年 注 6、岸本義彦「琉球列島の自然と考古」『沖縄県史』 注 7 、 Person,R. 1981. Subsistence and Settlement in Okinawan Prehistory:Kume and. Iriomote.Laboratory of Archaeology,. British. Columbia:University. Of. British. Columbia.. 注 8、岩永哲夫『考古学者のドングリ交遊記』2011 年鉱脈社 注 9、中山清美『掘り出された奄美諸島』平成 21 年 6 月(財)奄美文化財団. 7. ⓒ 2012 Information Processing Society of Japan.
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