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タイ国北西部におけるカレン族の平地民化 [Plain Emulation of Hill Karens in Northern Thailand]

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タ イ国北西 部 にお け るカ レン族 の平地 民 化

Plain Emulation ofIIillKarensin Northwestern ThailarLd by

ShigeruIⅢ MA

1 は じ め に 1) 最 近 , 低 開 発 国 の近 代 化 の問 題 の なか で, "国民 形 成 ‥ (nationbuilding)が 中心 課 題 と し て と りあ げ られ て い る。 山地 民 な どの少 数 民 族 の 同化 もそ の なか で 重 要 な地 位 を しめ て い る こ とは い ま さ らい うまで もな い。 そ こで, 本 稿 は 山地 民 が どの よ うな形 で平 地 民 化 し, タイ人 に 同化 してゆ くか とい うこ とに 焦 点 を あ て なが ら, タイ国北 西 部 の メホ ン ソ- 1/県 メサ 1)ア ン地 区 の ス コ一 ・カ レン族 (Skaw Karen)に つ い て のべ てみ る こ とに しよ う。 今 後 , 特 別 に こ とわ らな い で カ レン族 とい った場 合 に は , ス コ一 ・カ レン族 を さす こ とにす る。 2) す で に, 既 報 で は 山地 カ レン族 (PwaK'sa)の文 化 変 容 の研 究 を とお して, この間 題 の 適 時 的 (diachronic)な一 面 を分 析 してみ た 。 そ こで , こ こで は 山地 カ レン族 と平 地 カ レン族 (Pwa Baylah)を共 時 的 (synchronic)に比 較 研 究 す る こ とに よ って, カ レン族 の平 地 民 化 の問 題 に 接 近 してみ た い 。 "東 南 ア ジ アは地 理 的 に も, 文 化 的 に も, そ の多様 性 が きわ だ って い る。 北 部 の 山岳 地 帯 か ら南 部 の海 岸 地 方 まで の亜 熱 帯 的 大 陸 性 気候 か ら熱 帯 的 海 洋 性 気候 まで の一 連 の 地 理 的変 化 も さ る こ となが ら, 文 化 的 多様 性 は さ らに い っそ う複 雑 な 様 相 を 望 して い る。 た とえば, ビル マ, タイ, ラオ ス, カ ソポ ジ アは 小 乗 仏 教 , ヴ ェ トナ ムは大 乗 仏 教 , マ レー シ ア とイ ン ドネ シ アは イ ス ラム教 , そ れ に フ ィリピ ンに お け るキ リス ト教 を くお え る と, こ の 地 域 は 「世 界 宗 教 」 のす べ て を包 含 して い てた い- ん壮 観 で あ る。 そ れ に 言 語 の地 域 的 差 異 に い た って は枚 挙 に い とまが な い ほ どで あ る。 しか しなが ら, 東 南 ア ジ アの多様 性 を強 調 す るだ け で は , 真 実 の一 面 しか 物 語 って い な い。 1) Deutch(1963) 2) 飯島 (1965),Iijima(1965)

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タイ国北 西部におけ るカレン族 の平地民化 す なわ ち, 家族構 造,女 性 の地位 の高 さ,精 霊信 仰, 生 産技 術 の性 質 な どほ おお くの共 通 点 を 3) もってい るo" ‖この よ うに共 通 の特徴 がひ ろ く分布 してい る こ とは, 東 南 アジ アの多様性 の底 に 統一性 が 横た わ ってい る とい う印象 をあた えてい る。 と ころが, 逆 説的 に い うと, この地域 の多様性 こ そが 決定 的 な統一 性 を もた ら してい るので あ る。 東 南 アジ 7のいず れ の国 に も山地 民 と平 地 民 が い て, それ ぞれ の生 活様 式 の差異- 時 には ●● 抗争- がわ れわ れ の この地 域 にた いす る 理 解 の 整 理 を たす け るか ざに な るのでは なか ろ う か. 東 南 アジ アに おけ るいか な る国家 を とってみ て も, 相対 的 に 同質 的 で, 多数 の人 口か らな って い る平地 民が そ の 中核 をな してい る。 この種 の平 地 民 は単一 で主要 な言語 をほ な し, 世 界 宗 教 のひ とつ に帰 依 してい て, 集約 的 な水 田稲 作 に生 活 を依存 してい る。 ところが, いず れ の 国 も山地 民 とい う少数 民族 を所 有 して いて, かれ らは きわ めて異質 的 で あ る。 山地 民は雑 多 な 言語 をほ な し, かれ ら白身 の政 治 的統 一性 は な い。 それ に,近年 にいた る まで,平 野部 とはほ 3) Burling (1965)p.2

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東 南 ア ジ ア 研 究 第3巻 第5号 そばそ と した政治 的紐帯 以上 の ものは もっていなか った。 山地 民 は通常焼 畑農業 をお こない, 平地 民 に くらべ る と, 仏教徒,ヒン ドゥー教徒や イ ス ラム教徒 に な る速度が た い- んに緩慢 で 4) あ る。'' 以上 の よ うな一般 論が具体 的 に どの よ うに機 能 してい るか, 山村 の HtiToPaと平地 村 の Pamoloにつ い て観察す る こ とに しよ う。 2

エ コ ロ ジ ー

い うまで もな く山地 カ レン族 と平地カ レン族 でい ちばんこ とな る ものは, 両 者 にお け るエ コ ロジ カル な適 応 の差 異 で は なか ろ うか 。 ここでは 山地 カレン族 のお こな う焼 畑 に よる稲作 と平 地 カ レン族 に よ って な され てい る水 田稲 作を比較 す ることに よ って, 両 文 化 の前 提 に な るエ コ ロジ カル な条件 につ い てふれ る こ とに しよ う。焼 畑 と水 田に よ る稲 作 を この よ うな意 味 で え ら ん だ こ とは将 来 の本 報 告 におけ るモデル設 定 の伏線 と してで あ って, 正 確 な民族誌 的 記述 では な い こ とを 申 しのべ ておく 。す なわ ち, 山地 カ レン族 で も今 日 で は多 少 の水 田稲作 は お こな っ てい る し, 平 地 カ レン族 も自分 た ちの領 域 の限 界地 にお い ては 若 干 の焼 畑 農 業 をお こな って い る 。た だ, 本 稿 にお い ては これ 写真1 平 地 カ レン族 の村 Pamolo らが 山地 カ レン族 や平 地 カ レン族 の文化 形成 に決定 的な役割 をはた して い ない とい う意味 で ほ とん どふれ なか った ので あ る。 4) Burling (1965)p.4 写真 2 山地 カ レン族 の村 HtiTo Pa

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タ イ回北 楯 部にお け る).'L/ン族 の平地 民化

(1) 焼 畑 農 業

焼 畑農業 は東 南 アジ ア諸 国 の原住 民 に とって重 要 な生業 で あ る。 国 々に よ ってそ の名称 がか わ る。 た とえば , フ ィリピ ンにお いてほ kainging,ビル マでは taungya, マ レーではladang,

5) タイで は tham raiとよば れ てい る。 〟これ ら熱帯諸 国 の典型 的農 業 はそ の 自然 的 条件 に よ く適 合 して い る。 熱帯 におい て, 火は 耕作 者 のい ちば ん よい道 具で あ り, 多量 に心安 な労働 力 の節約 に な る。 たぶ ん, 火に よる耕地 の整備 は1日あた りにす る と,す き (鍬 ) と肥料 をつ か った集約 農業 よ りもお お い収益 をあげ るだ ろ う。 そ の うえ,熱帯地方 の住 民 はわ るい衛 生状態 も手伝 って, 過重 な労 働 には適 してい ない。一 万,焼 畑農業 は熱帯 の土壌 の状 態 に あ る種 の適 応 を しめ してい る。 それ は森林 に よ り 肥沃 に な った土地 を利 用 し, 同時 に焼却 した植生 の灰 が肥料 と して役 だつ 。 それ に, あ ま り土 壌 を は りか え さない ので , 侵蝕 に よる害 を抑 制 し, また焼 畑 の周 関 に あ る森林 に手 をつ け な い 6) ので, 畑地 か らの土 壌流 亡 がす くな い。" メサ リア ソ地 方 にす む カ レン族 の 経 済 生 活 の 基 礎 をなす ものは, い うまで もな く米 作 で あ る。米 作 は水 田 (chi)に よる もの と, 焼 畑 (xu)に よる もの と2種類 あ るけれ ども, 山地 カ レ ン族 の経折 を さ さえ る ものは後者 の焼 畑農業 で あ ろ う。 タイ国北 部 の山岳地帯 では このほか に ア カ族 (Akha), ラフ族 (Lahu), l)ス族 (Lissu), ミャオ族 (Meo), 平オ族 (Ya°)な どの山 地 民 に よって焼 畑盛 業が お こなわれ てい るけ れ ど も, ここでは 山地 にあ る HtiToPa村 の カ レン族 の焼 畑 に よる稲作 につ い て,す こ した ちい ってのべ る ことに しよ う。 カ レソ暦 LaPlu (l月中句- 2月中旬) の未 に村人 は 山には い り, この年 の焼 畑 の候 補地 を物 色す る。 カ レン族 は二 次林 の再 生 の ぐあ いをみ て, 土壌 の肥 沃 度 が どれ だけ 回復 した か を し らべ るので あ る。カ レン暦 の(∼)aLe(2月中 旬 - 3月中句)とTePeh(3月中旬∼ 4月中旬) の約2カ月間 に わた って,

畑候 補地 にあ る雑木 や下 草 の伐 採 をお こな う。 お お きい木 は下枝 をお と し, 中位 の木 は枝 をほ とん ど と ;)さる。 ちい さい木 は き りたお され る。 これ らは乾 期 の ため比 較 的短時 間 に 乾燥す る。 カ レン暦 TeKu(4月 中旬- 5月中 旬)には 火 をは な ち, 山焼 きをす る。 この頃 に な る と, タイ国北 部 の山岳 地帯 は 山焼 きの煙 で空 が かす むほ どで あ る。 山 焼 きの 目的 は雑木 や下 車 を焼却 す る こ とに よ り, 丘 陵 の斜面 をた がや しょ くす る と同時 に, そ の灰 は 肥料 と して役 にたつ だけ では な く, 雑草 の種子 や 作物 にた いす る病 虫害 を一時 的 にせ よ 減 少 させ るのに役 だつ U)で あ る。 な お, l回 d)山焼 きで不十 分 な場 合 には, 焼 け残 りの木 や根 を集め て再 焼却 をす る。 LaSa(5月中旬∼ 6月中旬) にはい る と, 月初 め に陸稲 の

種 が お こなわれ る。 焼 畑 には掘 り棒 で

:

3

()セ ンチ メー トル間隔 で あ さいI/'<が あけ らわ , それ ぞれ の穴 には数つ ぶず 5) Pendleton(1962)p.157 6) Gourou(1963)p.31

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東 南 ア ジ ア 研 究 第3巻 第5号 つ稲 の 種 子 が ま か れ る。 Hti

To

Pa村 の陸稲 の種 板 には bump6 (黒 色 種 ), buki(赤 色種 ),bumb6(黄 色種 ) の3種 煩が あ る とい う。 Hti

To

Pa村 の慣 習 と し て,Sapgaとよば れ る村 の 宗 教 的指導 者 で あ る長老 の Rは,焼 畑 に おけ る陸 稲 の 播 種 に さ きだ ち, みず か ら そ こで この年 の第 1番 目の 穴 を掘 る。 これ は焼 畑 農業 が 山 地 カ レ ン族 に とって 写真3 焼畑をす るKaren。 口笛は風を呼び,野火は山野を 焼 きつ くす とい う。(MaeKoKi村) は, 経 済活動 で あ るのみ な らず, 信仰 生 活 の一 部 に な ってい るほ ど文化 の核 に くい こんで い る か らで あ ろ う。 焼 畑 にお け る陸 稲 の播 種 で は, カ レソ族 と しては めず ら し く共 同作業 が お こなわれ る。1枚 の畑 を皆 で播 種 しお え る と, つ ぎの畑, また そ のつ ぎの畑 と うつ りなが ら, 村 中の畑 の播 種 を お こな ってゆ く。 ちなみ につ け くわ え る と, 水 田稲 作 につ い ては この村 で協 同作 業 が発達 して いない のは, 焼 畑 の よ うに大 昔 か らのなが い伝統 が なか った こ と と, それが 数10年 前 に この村 に導 入 され た頃 には, あ る程 度 の "個 人主義 "がす で に カ レン族 のあ いだ で発達 しは じめ て いたか らで は ない だ ろ うか。

De

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(6

月 中旬

∼7

月 中旬) に な り, 稲 が

1

2-1

3

セ ンチ メー トル ぐらい にな る と第

1

回 日の除 草が あ る。LabNwe(7月 中旬∼ 8月 中旬) に な り, 稲 の草 丈 が豚 の高 さ ぐらい に な る と第2回 目の草取 りが お こなわれ, そ の後 2回,合 計 4回の除草が お こなわれ る。 この際 には 一 般 に女性 に よる協 同作 業 が お こなわ れ る。 つ ぎの 月 LaXo (8月 中旬∼ 9月 中旬) に な る と, 出穂 にそ な えて, 畑 の周 囲に森林 か ら伐 採 して きた雑 木 で垣 根 をつ くった り, ふ るい垣 根 を修復 した りして, 畑 を野 獣 の害 か らま も る。 稲 の種 類 に よ り,出穂 が おそ い,はや い は あ るけれ ども,LaKu(9月 中旬∼10月 中旬)に陸 稲 の穂 が で は じめ る。 そ の頃 にな る と, 稲 の間作 と して栽 培 され ていた トウモ ロ コシや キ ュウ リが み の り, それ らの収 穫 が お こなわれ る。ChiMu(10月 中旬∼11月 中旬)の末 には陸 稲 の穂 が で は じめ,ChiSah (11月 中旬

∼1

2

月 中旬) に収 穫 が お こなわれ る。tIti

To

Pa村 にす こ し

(6)

タ イ掴北 婚部 におけ るカ レン族 の平地民イセ ばか り栽 培 され てい る水 稲 は陸稲 よ りす こ しお くれ てみ の り, したが って また収穫 も ChiSah のおわ りに お こなわれ る。 1964年 の例だ と,10月20日す ぎか ら HtiToPa村 では収 穫 が お こなわれは じめ, 11月 8Lj ぐらい までつづけ られた 。 収 穫 に さきだ ち村人 はそ れ ぞれ の 畑 に あ る 出 作 り小屋 に とま りこ 衣, 野 豚 な どの野獣 を監 視に ゆ く。 7〕 収 穫 がは じまる と, 一 家 の大 部分 が村 か ら2- 3キ ロ メー トルは なれ た畑 に あ る出作 り小屋 に とま りこんで, 仕事 をす る。 本 村 の家 は手 間 のす くない家 では, しめてゆ くか, 時 には老 人 や子供 が留守 番 をす る こ とが あ る。 収穫 につ い ては 協 同作業 が お こなわれ な い。 しか し,近 隣 の村か らは親 類縁者 が手伝 いに く る し, 村 内で もほ や く収 穫 の おわ った者 が近 親 の者 の刈 り取 りを手伝 う。 また, そ の年 に 自分 の家 の米 を消費 して しまい, ほか の村人 か ら米 をか りた者 は,収 穫 の よ うな農 繁期 にそ の米代 を労 働 で支払 わ なけ れば な らない。 収穫期 には石 油 カソ1つ の米 にたい して2日間, 草む し りの時 に は3日間は た らか なけれ ば な らない。 (2) 水 田 農 業 東 南 アジ アにおけ る主 要 な農 産物 で あ る稲 の一 番重 要 な生 産様 式 は, い うまで もな く水 田稲 作 で あ る。 土地 が平 坦 で, 降水量 が十 分 にあ る所 か水利 の健 の よい場所 では稲作 が発達 して き た。 "ほか の農耕 形態 と同様 に, 水 田農 業 の伝 統 的技術 は気候 と地 形 の地方 的 に特有 な条件-の長期 にわた る苦難 にみ ちた適 応 の結果 で あ る。 これ は焼 畑農業 よ りもは るか に 集約 的 な土地 利 用形 態 な ので, それが 発達 した のは注 目す べ きこ とで あ る。 閏の面 を水平 にす る こ と, あぜ をつ くる こ と, そ れ に必 要に お うじて水 田の テ ラスをつ くる こ とに よ って土壌 侵蝕 のた え ざ る脅威 にた いす る効果 的 な保 護 と, さ らには何千年 とは いわ な い まで も, 何百年 間 も土 壌 の肥沃度 を うしな うことな しに, 大 部分 の地 方 で 耕作 がつづ け ら来 て きた。 これは漕 親水や 大 水 が は こんで くる肥 料分 に よ って, 水 田土壌 の肥沃 度 が保持 され て 8) い るか らで あ る。" メサ リア ソ地 方 の谷 間 にす んでい る平地 カ レン族 の経 済 を ささえ る ものは, ほか の タイ系平 9) 地 民 のそれ と同様 に水 田農業 で あ る。 この技術 は 山岳地帯 か らお りて きた カ レン族が谷 間 の住 10)

民 で あ る タイ ・- ア ン (ThaiYuan)系 の北 タイ人 (KhonMuang)か ラ ワ族 (Lawa)か ら まなんだ もので あ ろ{) 。 7) 1964年にはこの距離であ ったけれ ども,焼畑の位置は毎年移動するので,時には数キロメー トル もは なれた所になることもある。 8) Fisher(1964)p.75 9) Pamolo村の場合には短期的な見方をすれば この記述があたる。 しか し,長期的に見た場合にはタイ 族が北方か らこの地方に移動 して くる以前に カレン族は ラワ族と同様に,平地の住民であったのか も Lれない。,これについては,べつの機会にのべることにす る。 10) Mom-KhTller系の 1族。

(7)

東 南 j'i7 ア 研 究 第3巻 第5号

平 地 の Pamolo村 で は カ レン暦 の LaSa(5月 中旬∼ 6月中旬)か ら DeiNya(6月中旬

∼ 7月 中旬) にかけ て, 田のあ らお こ しが お こなわれ る。 DeiNya の 月には 田に擢親 水が導 入 され る。 この 月には 苗 床 が 田 の 一 部 につ く られ, 月 の後半 か ら, つ ぎの LaNwe(7月 中 旬∼ 8月 中旬) にか け て, そ の苗代 に稲 もみ が 播 種 され る。 LaKu (9月 中旬∼10月 中旬) には雨期 のた めに河 川が増 水 を し, 田畑 に も十 分水 が ゆ きわ た るので, 田 植 が お こ な わ れ る。 それ につ い で,Chi

Mu(

1

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月 中旬

∼1

1月 中旬) とChiSa

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1

1

月 中旬

∼1

2

月 中旬) には除草 が

2-3

回に わた ってお こなわれ る。 焼 畑 の場 合 とは こ とな り,1カ所 に連 作 を して も濯 親水 や 天 水が雑 草 の発 生 を抑 制す るので, 除草 にか か る手 間 は相 対 的 にす くな い。 ChiSaのす え, す なわ ち

1

2

月 中旬 に ちか づ くと, ぼ つぼつ 水稲 の収 穫 が は じめ られ るが , 本 格 的 に な るのは LahNaw (12月 中旬- 1月 中旬) で あ る。 この よ うに して, 平地 の Pamolo村 に おけ る1年 間 の農作 業が 終 了す るので あ る。 写真4 水稲 の収穫。山地 Karenも数10年 前に Thai族か ら水 田農 業 を まなん だ。(MaeHaKi) (3) 経 済 生 活 以上 のべ て きた よ うに, 山地 カ レン族 と平地 カ レン族 の生活 圏 の地 理 的 条件 の差 異, した が って また エ コロジーの ちが いに よ って, 前 者 が他 の 山地 民 と同様 にほ とん ど焼 畑耕 作 に依存 し てい るのにた い し, 後者 は タイ族 と同様 に水 田耕 作 に従 事 し, 平地 民 と類似 した生 産様 式 を と って い る。 この よ うな状 況 の も とにあ って, 山村 の HtiToPaと平地 村 の Pamoloの カ レン族 の経 済 が どの よ うに い とな まれ てい るか ここで のべ る こ とに しよ う。 まず,HtiToPaで は村 の付近 一帯 の土 地 は大昔 か ら ‖村 の もの りで あ って, 村 にmember -shipを もつ こ とと, 村 の土地 をたが やす こ とは ま った く同義 語 で あ る。 全 戸 数24軒 中22戸 までが焼 畑 を もってい る。 す なわ ち, 村 全体 で92パ ーセ ン トの戸 数が 畑地 を保 有 してい るので あ る。 そ の例 外 の2軒 の うち,1軒 は80-90才 ぐらい の老 婆 な ので, 近 親 者 に よ ってや しなわれ てい る。 い ま1軒 の家 は戸主 が労 働者 と して村外 にいつ もはた らきにで

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タ イ国北 西 部 に お け るカ レン族 の平 地民 化 冒 局 月 局 冒 表1 カレン族の農業 と儀礼 てい るので, 焼 畑 をす る余 裕 が ない ので あ る○ ちな射 こつ け くわ え る と, 現 在 このあた りの 山 地 カ レン族 が お こな ってい る焼 畑農業 は7団式 農業 で あ る○ 各 戸 とも村 の周 掛こ7カ所 の焼 畑 候 補地 を もち, 毎年 そ の なか で1カ所 だ け を焼 畑 と して利 用す るので あ る。 村 人 のほ とん どの者 が焼 畑 を も って い るのにた い して, 水 田は24戸 車わず か に6戸 しか所 有 してい な い。 これ は全 戸 数 の25パ -セ ン トに しか あた らな い。1戸 あた り1raiか ら3raiま で の所 有 面積 で あ るけ れ ども,焼 畑 の場 合 と同様 に, 汗確 な測量 が お こなわ れ た こ とが ない の で, 実 際 の面 横 はわ か らな い。 一方 , Pamolo村 で は村 が平 地 に あ り, 商 品流通 のただ 中に位 置 して い る関係 で, 上地 が 商 品 と して離 合 集散 す る。 全 戸 数50戸車28パ -セ ソ トに あた る14戸 が 自分 の水 田を所 有 してい る だけ で あ る. この ほか22パ - セ ン トに あた る11戸 が メサ リ7 ン(ハ地 主か ら

f-1をか りて,耕作 してい る。 水 田所 有 者 は 1- 6raiの水 田を も って い て,

1

戸 あた り平 均 約 :う・3raiで あ る。

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東湖ア i7 ア 研 究 第3巻 第5号 畑 につ い ては各戸 とも家 の周 囲か村 の まわ りに 1/4

- 4

raiぐ らい の土 地 を も ってい て, バ ナ ナ, コ コナ ツ, こ し ょ う, ピーナ ツ, 大 豆, いん げ ん豆, さつ ま い も, 砂 糖 きび , タバ コ, 野 菜 ,マ ンゴー,パ パ イ ア, 陸 稲 , カ ノ ン果 樹 な どを栽 培 してい る。 しか し, いず れ にせ よ,1戸 あた りの所 有 面 積 の平 均 が 1.5raiに 写真5 焼畑におけ る稲の脱穀. この場所は一種の "聖域 '' で,働 く者以外ははいることもできない。

(

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)

す ぎな い ので, 商 品作 物 を 生 産 す る余地 は ほ とん どない。 ● ● 家畜 や 家 きんに つ い ては, 山村 も平 地 村 とも差 異 は な く,HtiToPa村 で も Pamolo村 で も水 午, 豚, 鶏 を飼育 してい る。 水 牛 は水 田耕 作 に は役 牛 と して 不 可 欠 な 家 畜 で あ る と同時 に, 収 入 のす くな い カ レン族 に とっては, か けが え のな い現 金 収 入 源 で あ る よ うだ 。 また これ につ いで, 豚 は収 入 源 と して も, また儀 礼用 と して も重 要 な家畜 で あ る。 水 牛 とは こ とな り, 女 子 にで も飼育 が 可能 なた め に, 豚 は "女性 の "家畜 といわ れ, も っぱ ら一 家 の主 婦 か 娘 が そ の飼育 に あた って い る。 年 頃 に な り, 娘 が 豚 の 飼 育 に 本 腰 を いれ は じめ る と, 村 人 はそ の娘 に, い よい よ結婚 適 令期 が きた とひや かす のが つね で あ る。 それ は豚 が結婚 準 備 のた め のた い せ つ な 資金 源 に もな る し, 鶏 と同様 に, 結 婚 の儀 礼 に も必 要 だ か らで あ る。 HtiToPa村 で は24戸 中16戸 が水 牛 を も って い て,1戸 あた り最 低1頭 か ら10頭 を保 有 して い て, 平 均3.7頭 の水 牛 を飼 って い る こ とに な る。 豚 は13戸 が 飼 育 してい て, 1軒 で1頭 か ら 6頭 ぐらい も って い る。 鶏 は大 部分 の家 で多 少 とも飼 って い るけ れ ども, ほ とん どが 野放 し状 態 で あ るた めに, 実 数 はつ かみ に くい。 夜 間 に は 山猫 や ひ ょ うな どの野 獣 か ら鶏 を ま も るた め ● ● に, 家 の高 床 の下 につ くった小屋 らしき ものに いれ る こ とで , わ ず か に家 きん の面 目をた も っ て い る。 Pamolo村 で は50戸 中18戸 が水 牛 を保 持 して い て, 1戸 あた り1頭 か ら6頭 , 平 均 3.2頭 飼 育 して い る。 豚 は20戸 が 飼 って い て, 1軒 あた り平 均 で2.2頭 も って い る。 なお, 鶏 につ い て は,HtiToPaと同様 に, ほ とん どの家 で 飼育 して い るけれ ども, 数 の増 減 が は げ しい ので, 実 数 はつ か み に くい。 ● ● 以上 ,HtiToPaと Pamolo両 村 に共 通 して い る家畜 や 家 きんにつ い て のべ て きた 。 しか

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タ イ掴北 蛸邦 に お け る ;'Jレン族U)平地 民化

し, このほか に 山村 で飼育 して い て,平 地 村 で は 飼育 して い ない家畜 が

2

種 類 あ る。 それ は ヤ ギ と象 で あ る。 も っ ともヤ ギは ここで は経 済性 は ほ とん どもたず ,HtiToPa村 で は宗 教指 導 者 (Sapga)が悪 霊 (damuxa)よけ のた め に銅育 してい る とい う。)

一 方, 象 は カ レン族 に とっては経 済 的 に重 要 な動 物 で あ る と ともに, 一 種 の statussymbol を しめす 家畜 な ので あ る。 カ レン族 が 1頭 1頭 の象 に 名前 をつ け るほ ど愛 着 を しめ してい る さ まは, ヒマ ラヤ山脈 の高地 にす む チベ ッ ト人や シ ェル パ族 の ヤ クに た いす る態 度 を思わ せ る も のが あ る。HtiToPa村 で は14戸 が象 を所 有 してい る こ とに な ってい る。 しか し, 村 に い る象 の どれ1頭 を とってみ て も, あ る特定 の個 人 とか 1軒 の家 で 所 有 し て い る もので は な く, 村 内,村 外 の縁者 ,親 戚か友 人 と共 有 して い るので あ る。 す なわ ち,そ のひ とつ の理 由 と しては , 象 が人 間 よ りも長 寿 で あ るた め に, 遺 産相続 な どに よ って, 所 有 権 が 分割 され てゆ くの と, 他 の理 由 としては,象 が高 値 なた めに,何人 か の者 と共 同購 入 して, 労 役 につ か うか らで あ ろ うo Lか し, タイ国北 郡全 体 と して は, テ ィー ク材 の過 伐 のた めに, 林 業 が 斜陽 産 業 で あ るた め に, 象 もか つ て も って いた経 済 的意 義 を うしないつつ あ り, そ の傾 向は トラ ックな どの発達 に よ り決定 的 に促進 され て い る よ うに思 わ れ る。 村 外 の賃労 働 にた いす る山地 カ レン族 と平 地 カ レン族 の態 度 の差異 は興 味 ぶ か い。 山地 カ レ ン族 とい え ども, 現 金 の魅 力は十 分 に知 って い るけれ ど も, 象 に よる材木 とか 物 品 の輸送 のほ か は, 村 外 に で て現 金収 入 を も とめ な い。 それ は 山地 カ レン族 が平 地 民 にた い して警戒 的 で あ i), あ ま り接 触 を した が らな い とい う理 由のほか に, 山 村にたいす る商 品経 済 の侵 入 が まだ そ れ ほ どで は な ぐ 〔, 村落経 済 に 自給 自足性 が つ よいか らで は な いだ ろ うかO しか しなが ら, 一 方平 地 カ レン族 は

地 が 十 分 に な く, 農業 だ け で は生 活 で きな い ので, 料 外 に 出かせ ぎに ゆ く者 がす くな くない 。〕 くわ えて,Pamolo村 の場 合は メサ リア ンの町か らわ ず か 2キ ロ メー トル あ ま りの ところに あ るた め に, 商 品経 済 の村 落経 済 にた いす る影響 はた い - んにつ よい ものが あ る。 それ ゆ え, 平 地 カ レン族 の生 活 に は現 金 は不 可欠 な ものに な って い る。 Pamolo村50戸 の うち, す くな くとも30戸 か らは 1- 3人 ぐらい の者 が 村 の 内外 で賃労 働 を して い る。 大 部分 は メス ラ- タJH(Mae(-)rata)を こえて, メサ 1)7 ソの町 に はた らきに ゆ く。 職 種 は雑 多で, 使 いば Lり, 庭 つ くり, 木 こ り, 溝 掘 りな どで,1日5バ - ツから30バ ー ツ ぐらいかせ い で い る。 このほか 山 村で は あ ま り見 られ ない経 済 活 動 は, Pamolo村 か らは毎 朝 の よ うに カ レンの女 が 付 近 の タイ人 の女 の よ うに てんび ん棒 に野 菜や ノミナ ナ, タバ コな どを いれ て, メサ リア ンの 町 に あ る市場 まで, 商 売 をLにゆ く。 しか し,商 品 の量 が きわ め てす くない た めに, 村落 経 済 を 決定 的 に ささえ てい る もの とは思 わ れ な い。

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束 南 ア L7ア 研 究 第3巻 第5号 3 信 仰 山地 カ レン族 にいわせ る と, 仏教 化 した り, キ リス ト教化 した カ レン族 はほ ん と うの カ レン では ない とい う。 この よ うに, カ レン族 が カ レソ族 として の資格 を保持 す る第1の条件 は アニ ミス トで あ る こ との よ うで あ る。 換 言す る と, カ レソ文化 の本 質 は アニ ミズ ム, す なわ ち精 霊 信仰 で あ る とい え よ う。 ここではそ の精 霊信仰 にか んす る儀 礼 を 中心 と して, 山地 カ レン族 と平 地 カ レン族 の社会 を 浮 き彫 りにす る うえで不 可 欠 の ものだけ に焦 点を あて る ことに しよ う。 (1) 農 耕 儀 礼

Pa

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Lux

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の儀 礼 HtiToPaで は焼 畑 に陸稲 を播 種す る時 に, 御飯 を木 の株 の うえにお いて, 精 霊 を よび, 祈 りを あげ る。 昔 は豚 や鶏 を いけ に えに して儀 礼 と していたけれ ども,今 日では御飯 しか もち いない。 それ のみ では な く, 村 の古老 です ら, この Pahmekoの儀礼 をお こな う対象 の精 霊 の 名前 さえ も し らなか った。

HtiToPaで Pahmekoといわれ る儀 礼 は,平地 のPamolo村 では Luxuとい う名前 でお こ なわれ てい る。 Luxuの儀 礼 に さい しては,畑 に竹 で 図1の よ うな祭壇 をつ くる。 これ は 元来北 タイ人が地 のぬ し(ChaoDin)に捧 げた儀 礼か らまなんだ もので, カ レン族 は図2の よ うな祭壇 を伝 統 的 には もちい ていた。 このあた りに も平地 カ レン族 の平地 民化 の姿 をか い ま見 る ことが で きる。 ll) 播種 が おわ った時 に, 畑 の所 有者 は村 の Sapgaを 司祭 にた のみ ,Luxuの儀礼を と りお こ 図1 北 タイ文化の影響を うけた Luxuの祭壇 図2 カレソ族古来のLuxuの祭壇 ll) 前述のように,村の宗教的,精神的指導者で,山地 カレン族は Hikoともい う。

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タ イ国北 西 部 に お け るカ レン族 の平 地民化 な う。 鶏 2羽 と酒 1本 が 通常 用意 され る。 2羽 の鶏 は さ っそ くいけ に えに供 され, 血 は 祭壇 の 柱 にぬ る。 酒 は 図1で も しめ され て い る よ うに, 祭

に さ さげ られ る。 宅畑ま料理 され, つ め, 肉, 内臓 は御 飯 とい っ し ょに祭壇 に さ さげ られ る。 さ らに, 肉 と内臓 の一 部 は木 の切 り株 の う えに のせ て, 精 霊 に祈 りを あ げ る。 以上 の よ うに, 平地 カ レン族 の場 合 には Luxuの儀 礼 が か な り保 存 され て い る。 しか し, 慕 者 に この儀 礼 が な ん とい う精 霊 に さ さげ られ てい るか と質 問す る と, ま った く精 霊 の名前 をL らず, なか には タイ人 が精 霊一 般 に もちい る呼 称 Piとい った者 が いた のが 印象 的 で あ った。 この あた りに も, 平地 カ レンの文化 変容 の方 向が 暗 示 され て い るC,

Tal

u Ta

phadu

の儀 礼

別名 を Taluphaduと もLutiboRoと い 、う。Lah Nweに な る と,水田にほぼ水 が ゆ きわ 12ヽ K'saKoK'sa(水地 のぬ し) とい う精 霊 に た L、 して,TaltlTaphaduの儀 礼が お こなわ れ る。J まず ,HtiK■sa(水 のぬ

し)

のす んで い る潅海 水の取 りいれ 口に7枚 のは しごC71つ いた 祭増 を つ く り, 儀 礼 をお こな う。 通 常 は そ の濯凝 滞 ク、 所 有 者2- 3名が それ ぞれ持 参 した2- 3羽 の

をいけ に えにす る。 血 は 祭壇 の柱 にぬ り, 羽 毛 は 火 で もや し, 肉や 内臓 の一 部 は祭壇 に ささ げ るO また, 3年 に

1

豚 を いけ に えに

L

て 盛 大 な 儀礼 が お こなわ れ る とい う。 家畜 を いけ に えにす る場 合 に は.Sapgaが 屠殺者 を決完 す る。 晩 に な る と, 村 の男性 は年 令を とわず ロー ソ 13〕 クを もって, 村 の 西 方 に あ る 山 のふ もとに ゆ 14) く。 そ こに は KoK'sa(地 のぬ し) がす んで い て, 儀 礼 用 の小 屋 が あ る。 そ こでは も し豚が いけ に え と してKoK saに ささげ られ る場 合 に は, 豚 の 頭 を た た い て殺 す 。 肉は料 理 し, 内臓 や ひづ め と と もに祭壇 に 写真6 山村のSapga。かれは このあた りに かつて存在 した longhouseの最後 の目撃者である。(MaeHaKi) 12) これを山地 カレン族などでは TiK'chaKoK'chaと発音する。 13) 昔使 っていたみつろ うのかわ り。 14) 別名 PaduK'saとい う。

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東 南 ア iy ア 研 究 第 3巻 笥5号

さ さげ られ,Sapgaは祈 りを あ げ る。 そ の後 , TaluTaphaduの 出席者 は既 婚 者 と未 婚 者 に わ か れ て,Sapgaの イ ニ シ アテ イヴの も とに酒 盛 り, つ い で食 事 が お こなわ れ る。 この儀 礼 の た めに ,各 戸 か らおす とめす の鶏 ひ とつが いが もち よ られ , 出席 者 に は鶏 料 理 が平 等 に分 配 さ れ る。 最 後 に Sapgaが HtiK■saKoKtsaに祈 りを さ さげ, この儀 礼 を おわ る。

Tal

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の儀 礼

別 名を Tibokoと もいい, 山村 の HtiToPaで お こなわ れ る儀 礼 で あ る。 これ は お そ ら く 平 地 の Pamolo村 で お こなわ れ てい るTalu Taphaduの退化 した もので は な いか と思 わ れ る。

LaXoの 月に濯海 溝 でお こなわ れ る。 昔 は2段 に な った手 の こんだ祭壇 を つ くって儀 礼 を お こな っていたけれ ども,今 日で は6本 の柱 の うえに1段 の簡 単 な祭壇 を つ くるだけ で あ る。 祭 壇 に つ け る階 段 も しだ いに単 純 化 され て きた。 昔 は5段 も し くは 7段 の ものをつけ ていたけれ ども, 現在 で は3段 の階 段 を使 用 してい る。 今 日で は鶏 だ け が いけ に えに供 され, 祭壇 に そ の血 を ぬ り, 羽 毛 を は りつ け てい るけれ ど も, 昔 は それ と同時 に豚 もいけ に えに され て, 肉 と と もに ひづ め も祭壇 に さ さげ られ た。 祭壇 に は そ のほか御飯 もそ な え られ る。 この儀礼 は畑 で お こなわ れ る Boaxuの儀 礼 と同様 な宗 教 的 意義 が あ る とか んが え られ る。

Bo

axu

の儀 礼 この儀 礼 は 山地 カ レン族 も平 地 カ レン族 も陸稲 の栽 培 に つ い てお こな ってい るので, 平地 に あ る Pamolo村 の よ うに水 田稲 作 を 中心 とす る農業 を い となむ所 で は比較 的 なお ざ りに され て い る。 しか し, 山村 の HtiToPaの よ うに焼 畑 に よ る陸稲 の栽 培 を してい る所 で は,か な り は っき りと した形 態 で残存 して い る。 山村 で は Boaxuの儀 礼 はつ ぎの5つ の部分 にわ か れ て い る。 伍)Kakeの儀 礼 小 型 の寵 をつ く り,莱 , と うが らし,べ テ ル ナ ッ ツ,米 ぬ か, 稲 の 葉 な どを いれ て, 陸稲 の り敵 " に "たべ て" も らい, それ に畑 か らた ち さ って も ら う。 (B) Tatamoの儀 礼 鶏 を いけ に えに して, そ の血 を稲 の葉 に そ そ ぎなが ら祈 蘭 をす る。 (C) Chexuの儀 礼 - び, な き鹿 ,蘇, 鳥 な どの諸 動 物 に や どる精 霊 のわ ざわ いか ら畑 で は た らい てい る村 人 を ま もるた めに お こな う。 図3の よ うな ものに 米 と米 ぬ か を まぜ ていれ て, そ の うえか ら鶏 の血 を そ そ ぐ。 (D) Lumeの儀 礼 この儀 礼 は焼 畑 とた い- んに 関係 のふか い もので あ る。祭壇 (dapo) 什 の 能 状 の も の 図3 Chexuの祭壇

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タ イ周北 西部にお.j'る カ レ ン族 の 可リ也民 化 に もえ さ しの薪 か 炭 を ささげ, 火 の精 霊 Mikasaに焼 畑 の成 功 を祈 る。 (E) Pechoxuの儀 礼 して, と うが ら し,堤 ,潤 ,稲 の葉 と と もに HtiK、saKoK'saに さ さげ, 農作 業 に従 事 して い る者 と畑 の安全 を い の る。 O

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の儀 礼 この2種 類 の農耕 儀 礼 は ,稲 作 の収穫 儀 礼 で あ る。 一 般 に は Obukoの儀 礼を収穫 の まえに お こな い,Sebupoの 辰礼 を収 穫 のあ とに お こな う。 しか し, 山村 の HtiToPaで は2つ の儀 礼 を い っ し ょに して,収穫 儀礼 と して収 穫 の まえに お こない,Obuk() とよんで い る。 儀 礼 に さ きだ ち, 畑 の所 有 者 か ら陸稲 の初穂 を と って きて, それ を た く。 川か らは魚や カ ニ を と って きて料 理 を して,御飯 と と もに, い ろ りに あ る三 徳 が わ りの 3佃 の 右 の うえ に のせ て,精 霊 に ささげ る。 この儀 礼 に さい しては 山地 カ レン族 の も っと もた いせ つ な家財 道 具 で あ る食 台 (sabi), と うが ら しを つ く石 の乳 鉢 , 米 を いれ る寵 に草 の葉 をむす びつ け る。 食 台 は前 日に使 用 した ものを あ らわず に儀 礼 に もちい るのは興味 ぶ か い ことで あ る。 平地 の カ レン村Pamoloでは ,本 来 のObuko のほか に Sebupoの儀 礼 が お こなわ れ て い る。 そ のた め脱 穀 をす る場所 に ち い さ な 祭 壇 を つ くる。 そ こに精 霊 Pibiyoを まね き,鶏のい き 血を祭壇 に さ さげ て 収 穫 を 感 謝 す る。 また, Pibiyoは 田の なか の カニ穴 に す んで い る とい われ て い るので, そ この土 をひ とつ かみ と って きて穀 倉 に お く。 所 に よ っては土 のか i-)りに 机 の羽毛 をつ か うと ころが あ る とい う。 儀 礼に使 用 した 鶏 は料 理 して, 家 人 が たべ る。

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の儀 礼 水 田にか んす る農耕 儀 礼で , お もに Pamolo の よ うな平 地 の

で bこなわれ てい る。脱 穀す るまえに 寵 の なか に 1羽 の 鵜を いれ て, 水 田を あ る きまわ る。 そ の後 , 鶏 を いけ に えに して, 図4の よ うに脱 穀場 に つ るす。 稲 穂 を た た く所 に は御飯 を そ な え る。 また, カ レン族 の儀 礼 の 例 に もれず 酒 もそ な え,BuK、sa(稲 のぬ し) 写真7 平地 Karenの水田における収穫儀 礼。(MaeKoKi) に祈 りを あげ る。 この よ うな儀 礼 を お こな うと, 脱 穀 の さいに収穫 量 が 増 加 す る と信 じられ てい る。

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束 南 ア Ly ア 研 究 第3巻 帯5号 御 飯 稲穂 を た た く所 鶴 / / / // / / / ) B,I ,/ ', ,' '押''// // / / / / / / 図 4 LutL5Pob盃 の儀 礼 水稲 の収穫 や 脱 穀 の よ うな 農耕 儀 礼 が す べ て終 了す る と,Pamolo村 で は この儀 礼 が お こな ゎれ る。 田の所 有者 が 司祭 して, /ミナ ナ, シ ャグ リーの果 実 , タノミコ,酒 ,御飯 ・ カ レー汁 な どを HtiK・saKoKsaに さ さげ て感謝 をす る。 これ は一 種 の収穫 祭 な ので, 村人 が こぞ って 参 加 して お こなわれ る といわ れ る○ (2) そ の他 の儀 礼 農耕 儀 礼 のほか に い くつ か の儀 礼 が存 在 してい るけ れ ども, そ の なか で も っ と も重 要 と思 わ れ る Kisuと 0Xeの儀 礼 に ふれ よ うo 16) Kisuの儀 礼 この儀 礼 は この あた 。の カ レン族 の あい だ で しば しば お こなわ れ るた いせ つ な もので, 山村 で も平 地 村 で も観 察 す る ことが で き る。 まず , 山村 の HtiToPaに おけ る Kisuの儀 礼 の模様 か ら記 述 す る こ とに し よ う。 司祭役 の Sapgaが儀 礼 をす る家 の入 口で , 高 床 に か か って い るは しごを 食事 の しゃ も じに つか って い る竹 の棒 でた た きなが ら, 口の なか でぶ つ ぶ つ と祈 りを あげ る。 そ の さいに Sapgaのわ き に はか ご(komえ)が おか れ る。 そ のなか に は酒 が1本 ,既婚 者 用 の婦 人 の カ レン服 の上 衣 とス ヵー ト, 布 , ち ま きの よ うな 白い もち, ごまい りの もち, 鶏2羽, 茶 わ ん な どが いれ てあ る。 sapgaは竹 の しゃ も じで鶏 の頭 を た た きなが らまた 祈藤 を お こな うo そ の直後 に2羽 の鶏 は家 人 に よ ってひね り殺 され る。 それ をす ぐに水 あ らい を して, 室 内に もちか え る。 い ろ りは た で 鶏 の頭 か ら足 まで 火に か ざ し, そ れ か ら羽毛 が む し りと られ る。 この鶏 は料 理 され , カ レー と して食事 に供 され る。 そ の晩 に は この儀 礼 の一環 と して,Kwesiが お こなわ れ る。Sapgaは 湯 のみ茶 わ んか ら酒 を1滴 ず つ指 をつ か ってゆ か に た らし, 祈 りを あげ る。 そ の さいに は家 人一 同は Sapgaの方 向をむ い て, 仏教 式 の合 掌 を お こな う。 しか し,Kwesiに参 加 してい る他 の村 人 た ちは大 声 で _ __ - 1 15) 山村では所によって KichiIと発音す る.

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タ イ国北 西部 におけ るカ レン族 の平地民 化 談 笑 し, この儀 礼 に は ま った くとい って よい ほ ど, お ごそ か な 雰 鋭 気 が な い。 祈 藤 が おわ る と,Sapgaが まず 酒 を のみ, つ づ い て家人 をふ くめた村 人 た ちが まわ しのみ をす る。 や が て, utえとい う謡 曲の よ うな合 唱が ほ て しな くつ づ き, また 時 に は思 い だ した よ うに祈 りが あげ ら れ る。 この儀 礼 の さいに 家族 の者 の手 首 に木 綿 の糸が まきつ け られ る。 これ が本 来 の Kisuの意 味 で あ る。 Kisuの期 間 中に は村 では物 品 の売 買は もち ろん の こ と, 品物 の移動 す らも禁 じられ る。 この儀 礼 は農耕 儀 礼 の よ うに定 期 的 に お こなわ れ る性 質 の もので は な い よ うで あ る。 必 要 に 応 じて Kisuが お こなわ れ る。 筆 者 が HtiToPa村 に滞 在 中に Kisuの儀 礼 が お こなわれ た 時 も, 村 の子 供 が死 んだ た めに, 村 人 は不 吉 (tachu)だか らとい って, それ か ら9日 目に ふ た た び お な じ儀 礼 を お こな った。 一 方 ,Pamolo村 では ほ とん ど同様 な Kisuの儀 礼 が お こなわ れ てい るけれ ども, 山村 と く らべ る と,Kwesiが 多少複 雑 なや り方 で お こなわ れ てい る。

Pamolo村 で は Kisuの司 祭 は Sapgaで あ る KwesiKoと村 長 (Ke)の KWesiDaの2 人 に よ ってお こなわ れ る。 村 長 は 副 Sapgaの資格 で KwesiDaをす るので あ ろ う。

儀 礼 は KwesiKoの Kwesiに よ り開始 され る。HtiToPa村 の場 合 と同様 に,Sapgaは 茶わ んに いれ た酒 を祈宿 を しなが ら指 で1滴ず つ床 には じきお とす。 そ の後,Sapgaは御飯 用 16) の しゃ も じで食 台 をた た きな が ら祈 りを あ げ る。 それ と同様 に参 加者 の最年 長 の女 が し ゃ も じ で 食台 をた た き所蔵 をす る。 食 台 の上 に は 鶏 肉の カ レー, ち ま きの よ うな 白い もち (met6), ごまい りもち (metopi) な どが お い てあ り, 食 台 の まわ りに は数個 の 中型 の ⅢLに御 飯 が も りあげ てあ る。 食 台 と皿 の あい だ に は何本 か の木 綿 の 白糸が おかれ , それ は手 首 に ま きつけ る Kisuに もちい られ る。 Sapga や 家 の老 人 は そ の糸 を と りあ げ る と, そ こに で てい る食物 や 酒 に ひ とまわ りふれ させ てか ら, 家 人 の手 首 に ま きつ け る。 この儀 礼 を してい る部屋 は家 の寝 室 に あた るが,Sapgaは そ の柱 の所 に ゆ き, ふ た た び床 に 酒 を た ら しなが ら,Kwesiを お こな う。 そ の さい に家 人 は合掌 をお こない,Sapgaとい っ し ょ に祈篠 を お こな う。 それ か ら酒 は家族 の者 に まわ され , 同騎 してい る他 の村 人 に もふ る まわ れ る。 一 同に酒 が ひ とまわ りす る と,Sapgaもそ の酒盛 りに参 加 す る ことが で きる。 そ の あた り か らuta とい う哀 調を お ぴた合 唱 が は じま るの もHtiToPaとお な じで あ る。 や が て,Sapga の イ ニ シ ア テ ィヴの も とに食事 が 開 始 され る。 酒 の ぴん に最 後 に残 った酒 はす こ しず つ- ら して, ち ょ うどつか ってい る茶 わ ん の 1つに い っぱ いに な る よ うにす る。 これ は カ レンが縁 起 をか つ ぐせ いか , 一 同お お さわ ざを してお こな 16) 山村 と同様 sabiとよんでいるが,アルマイ ト製の大型の盆である。

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乗 南 ア L7 7 研 究 第3巻 第5号 う。 そ の茶 わ ん最 後 のい っぱ い の酒 は, 家族 のなか の長老 の男子 が Kwesiを お こな う。 そ の 時 に も家族 一 同が合 掌 して, 祈 薩 に参 加す る こ とは い うまで もない。 この よ うに して,儀 礼 は 終 了す る。 儀 礼 の終 了に あた り,KwesiDaが 祈 りを あげ る。 儀 礼 を お こな う3日間 は手 首に まいた 糸を き っては な らない し, 村 内に おけ る品物 の売 買, 移 動 は禁 止 され てい る。

山村 で も平 地 で も,Kisuの儀 礼 はHtiK'saKoK'sa(水地 のぬ し),KachakachaKalukacha

(山 の精 霊 ),DakachaLokacha(家 の精 霊 ) に さ さげ られ た もので あ る という 。 しか し,平 地 の Pamolo村 で は,Kisuは仏 陀 に さ さげ られ る もので あ る と ‖誤解 = してい る者 もい る。 こ れ は平地 カ レソ族 が平地 民化 してい るあ らわ れ と もい え るが, 同時 に カ レソ族 が タイ人 と =ぉ な じ 'で あ る とい うこ とを筆 者 の よ うな外 部 の者 に 誇 示す る =故 意 の誤 解 、'か も しれ な い。 Oxeの儀 礼 この儀 礼 は HtiToPaの よ うな 山村 で も, また Pamoloの よ うな平 地 村 で もお こなわ れ て い る もので, 家 の精 霊 Muxapaduと悪 霊 Damuxaに ささげ られ た もので あ る。 0Ⅹeは この よ うに ス コ一 ・カ レン族 だ け で は な く, ポ - ・カ レン族 (P●woKaren)な どで もお こなわ れ て い る と ころを 見 る と, カ レン文化 にか な りふ か く根 ざ してい る儀 礼 とい え よ う。 両 カ レン万 言 で 0Xeと よば れ てい るけれ ども, ス コ一 ・カ レン語 で時 に は Obwaとい うこ ともあ る。 0Ⅹeの儀 礼 の司祭役 Ⅹekoは ポ ー ・カ レン族 の場 合 だ と, 男性 で も女 性 で もそれ を つ とめ る こ とが で き るけれ ども, ス コ- ・カ レン族 の場 合 に は女 性 しか Ⅹekoの役 をす るわ け に は ゆか な い。 いず れ の場 合 も,一 家 の主 婦 が Ⅹekoに な る こ とが儀 礼 をお こな う うえで も っ とものぞ ま しい ので あ る。 しか し, この時 に必要 な資格 としては, 主 婦 が "罪 リを おか してい な い とい うこ とで あ る。 も しそ うだ と, 精 霊 のいか りに ふれ て,一 家 が翌年 に食糧 不 足 にみ まわ れ る心 配 が あ るか らだ と信 じられ てい る。 ポ ー ・カ レン族 で は主婦 が病 気 な どで Ⅹekoとして司祭役 が で きな い時 に は, 主 婦 の父方 の 祖 父 (pu)が そ の役 を代 行 す る こ とが で きる。 しか し, まえに ものべ た よ うに 男 が 0Ⅹeの司 祭 をす る と,儀 礼 が あ ま り有 効 では な い といわ れ てい る。 ス コ一 ・カ レン族 の場 合 に は,Ⅹekoに は 主婦 の代 役 と して長女 (pomu)が 第1候 補 で あ る け れ ども, も し結 婚 な どで家 を は なれ て い る時 に は次女 , それ 以下 の娘 も不 可 能 な らば , ま ご 娘(limu)が Ⅹekoの役 割 を はたす。 また, まん い ち家族 の なか に この よ うな女 性 が い な い時 に は, 別 の方 法 で儀 礼 をす る こ とをか んが えなけれ ば な らない。 こ こで興 味 ぶ か い こ とは,0Ⅹeの儀 礼 で は女 性 が Ⅹekoと してた いせ つ な役 割 をは たす だ け では な く, 儀 礼 の単 位 が いわ ゆ る1軒 ご とに お こなわ れ てい な い とい うこ とで あ る。 図5の よ うに,母 系 を 中心 に儀 礼 集 団が形 成 され , これ を ス コ一 ・カ レン語 で は taduxoとよんで い る。 この集 団 の編成 原理 は現 在 まで の ところ十 分 にわ か らないけれ ども, す くな くとも James

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タ イ国北 了当雄にお け るカ レン族 の平 地民 化 HalTliltonが ポ ー ・カ レン族 の研 究 に よ り, カ レン族 に matrilineageが あ る とした 記述 は, この taduxoに か んす るか ぎ り適 用 で きない こ とだ け は た しか な よ うで あ る。 0Xeの儀 礼 で は 豚 が い け に えに供 され る。 そ の方 法 は ス コ一 ・カ レン族 の場 合 だ と, さ し殺 す け れ ども, ポ ー ・カ レン族 の場 合 に は 豚 の 口 か ら水 を注 入 して, これ を溺 死 させ る。 陳 が い け に えに され る と,Ⅹekoが 所 蔵 を す る。 豚 は そ の後 火に か け て, あぶ られ る。 ス コ - ・カ レン族 は そ の まえに 豚 か ら内臓 を と りだ 図5 0Xe の儀礼集団 し心 臓 や 肝 臓 を し らべ て, つ ぎの年 の運 ・不 運 を うらな う。 豚 の 肉 と内臓 は料 理 して儀 礼 の参 加 者 が た べ るけれ ども, 頭 部 は豚 の体 か らき りは な して, 鶏や 酒 と と もに寵 の なか に いれ て森 林 に持 参 し, カ レン族 の い ちば ん おそ れ て い るdamuxaに それ を さ さげ る とい う。 ポ ー ・カ レン族 の場 合 に は , 豚 を殺 した 直後 に, 豚 に 刃 物 を さ して,血 を だす。 そ の血 を 手 に つ け て祈 りを あ げ る と,参 加者 は "罪 日 か らす くわ ,軋 る とい う。 そ の後 は豚 の体 に棒 を さ し て, 内臓 を いれ た ま ま火で あぶ る といわ れ て い る。 豚 の 肉 と内臓 は ス コ一 ・カ レン族 もポ ー ・カ レン族 も身 内 の者 だ け で は な く, 他 の村人 に も 分 配 す る。 4 社 会 組 織 (1) 家 族 と 親 族 "特 殊化 した政 治 的 , 経 済 的 諸 制 度 が未 発達 な社 会 に お い ては, 他 の社 会 で は も っ と精 練 化 した機 構 が 独 占 して い る統 治 , 生 産 , 交 換 な どの機 能 のか な i)の部分 を 親族 集 団 が担 当 して い 17) る。" それ 散 , こ こで 家族 を 中心 とす る親族 集 団 に ふれ る こ とに よ り, カ レソ社 会 を 多 少 浮 き ぼ りに す る こ とが で き るで あ ろ う。, ㈱ 家 族 カ レソ族 は HtiToPaの よ うな 山 村に お い て も,Pamoloの よ うな平 地 村 に お い て も, 倍 住形 態 , 社 会 , 宗 教 ,経 済 な どに か んす る基 本 的 な単 位はい うまで もな く家 族 で あ る。 カ レン 族 の家族 は理 想 的 に は母 盾 的 単 婚 家 族 (matrilocalnuclearfamily)で , 構 成 員 は 男 とそ の妻 , 未 婚 の子 供 た ちか らな っ

い る. この 単婚 家族 は1軒 の家 屋 を所 有 して い るO た い て い,結 婚

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東 南 ア ジ′ア 研 究 第3巻 第5号 の時 に親か ら分離 して,1戸 をか まえ る ことが おお い。 カ レン族 は結婚後 の居住形態 と して一 般 に母居性 を このむ ので,村 内 も し くは村外か らの男子が女 の家 に婿入 りし, おお くの場 合 に は妻方 の両親 の とな り, もし くはそ こに土地 が 十 分 に な い時 には村 内の ほ か の 所 に 家 をた て る。 山村 の

Ht

iTo

Paでは全体 の

2

5

戸 の うち, 単婚 家族 が 18戸 で72パ -セ ン トに あた る。 の こ りの30パ ーセ ン ト弱 の うち全体 戸数 の20パ ーセ ン トに あた る5戸 が いわ ゆ る最少拡張家族

(

mi

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y)

で あ る。 この最 少拡 張 家族 の大 部分 ももともと単婚 家族 であ っ た ところに,女 のがわ の両親 のいず れかが死亡 して, それ に くわわ り,生計 を ともにす る よ う にな った のではな いか とか んが え られ る。 谷 間 に あ るPamolo村 では全 戸数

5

0

戸 の うち 44戸が単婚 家族 で あ り, じつ に88パ ーセ ン トに あた る。 最 少拡張 家族 をのぞ くと,"本来 の " 写真8 豚のえさをつ くる少女。家畜の世話 は女の仕事である。(Pamolo)

2

HtiToPaとPamoloの家族形態 表

3

HtiToPaとPamoloの家族構成

Fii蒜o 旧 moloI

竃 「耳 訂 1%8 家 族 形 態 NuclearFamily l ExtendedFam

i

l

y

*NF+WiMo 刺 Extended Family NF+WiMo+WiBr NF+Da十DaHu NF+WiBr . NF+WiSiHuBrWiM。 』 計

2

5

r

1

0

0

*) NFは nuclearfamilyの略語。

0010

5

家 族 構 成 家族の人数 計 HtiToPa村 I Pamolo 村 f'. 2 3 4 5 6 7 8 9 1 0 2 3 4 5 4 2 2 8 6 10 13 4 5 1 1

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タ イ国北 西 部に おけ るカ レン族 の平地民化

拡 張 家族 (extendedfamily)はわず か に全 戸 数 の10パ -セ ン トにす ぎな い。

いず れ にせ よ, カ レン族 の家族 の あ り方 は 山村 にお いて も平 地 村 に お い て も, 基 本 的 な差 異 は な い よ うに お もわ れ る。HtiToPaとPamolo両 村 の家族 形 態 の詳 細 は前 貢 の表 2の ご と く で あ る。 家族 構 成 の面 か らみ る と,前 頁 の表3の とお りで あ る。 山村 の HtiToPaで は1戸 あた り平 均4.8人 ,平地 村 の Pamoloで は4.3人 が家族 の構 成 員で あ る。

(

B

)

H W 結 婚後 の居 住形 態 につ い ては前述 の ご と く, 母属性 が カ レン族 の家族 の あ り方 の =理 想''に な ってい る。 山村 の HtiToPaもそ の例 に もれず ,20組 の夫 婦 の うち70パ ー セ ン トに あた る 14人 の夫 が村 外 か らこの村 に婿 と して婚 入 してい る。 妻 が村 外 か らこの村に婿 入 して い るのは わず か に10パ - セ ン ト,2例 にす ぎな い。 そjlも2人 ともわず か に2キ ロ メ- トル ぐらい しか は なれ てい な い MaeHoKi村 出身 で あ る。 一 万 ,平地 村 の Pamoloで は村 内 の全夫 婦44組 の うち, 組 合 せ の不 明な6組 の夫 婦 を のぞ く と,全 体 の47.3パ -セ ン トに あた る21組 の夫 婦 の場 合, 夫 が 村外 か らこの村 に婚 入 した ので あ る。 妻 が 村 外 か ら Pamoloに婚 入 した のはわ ず か全 体 の11パ ーセ ン トに しか あた らな い5例 に す ぎな い。 しか も, そ の5名 の女性 の うち, 3名が 北 タ イ 人 で あ る。 この よ うに3組 の例 は =特 別 な = ヶ - スで あ り, したが って, こ この カ レン族 に と っては, 父居的婚 姻 (patrilocal marriage)はむ しろ例 外 で あ る とい え よ う。 この意味 で は 山地 カ レン族 も平 地 カ レン族 も基 本 的 に は おな じ婚 姻形 態 を と ってい る とい え よ う。 と ころが ,通婚 圏 につ い ては, 山村 と平地 村 とは きわ め て対 照的 で あ る。HtiToPa村 の場 合 は村 を 中心 に半 径10-15キ ロ メー トル以 内 の数 力村 が通婚 圏 の中心 に な って い るのにす ぎな いけ れ ど,Pamoloに な る と通 婚 して い る村 は じつ に24カ村 にわ た り, 通婚 圏 は半 径 数10キ ロ メ- トルに お よんで い る。 この よ うな通婚 圏 の広 さ, 狭 さの問 題 は 山地 カ レン族 と平 地 カ レン族 との平地 民化 の差異 を しめす ので あ ろ うし, そ の背 後 に は 山地 と平 地 の交 通 の便 , した が って また社 会 的 流動 性 の ち が い も影響 して い るので あ ろ うぐう また, それ とはふ か い関 係を もっ ことで あ るが, 山村 と平 地 村 の コ ミュニテ ィー と して の性 質 の相違 もか かわ りあ いを も って い る とお もわ れ る。 この村落 の性 質 につ い ては コ ミュニテ ィ-の ところで のべ る こ とに しよ う。 以上 , 山地 カ レン族 と平 地 カ レン族 の家族 につ い てのべ て きた ので, こ こで はそれ を総 括 し て, カ レン族 の家族 につ い て ま とめ てみ る こ とにす るO カ レン族 の家族 にか んす る基 本 的特 徴 は だ いた いつ ぎの 3点に要約 す る こ とが で き るだ ろ うo (1) 単婚 家族 か 最 少拡 張 家族 が大 部分 で あ る。

(21)

東 南 ア L7ア 研 究 第3巻 第5号 HtiToPa村 (20組 の夫婦)

) 妻が この村 出身の場合,村外か らきた夫 の出身地 Fuedio 4(名) MaeHoKi 3 Maelai 2 HoePaya 1 (B)夫が この村 出身の場合,村外か らきた妻 の出身地 MaeHoKi 2名 (lo艶) (C) 夫 も妻 もこの村 出身 4阻 (20%) PoPaKi Pachi MaeUranoi Hanu Ma主 Pamolo村 (44組 の夫婦)

)妻が この村 出身 の場合,村外か らきた夫 の出身地 Ban Pon 2(1名は北 タイ人) UpoKi Umen 2 Muang Pai 1 MaeSapu 1 MaePu Ki 1 MaeCham 1 MaePang 1 WanRam 1(北 タイ人) MaeEtKi 1 Ban Pe 1(ラワ族 ) (B)夫が この村 出身 の場合,村外か らきた妻 の出身地 TahRam 1(北 タイ人) Kapa 1(北 タイ人) Tonglem 1(北 タイ人) (C) 夫 も妻 もこの村 出身 (D) 夫 も妻 も村外 出身 夫が TepoK15 出身 妻が MaeEtKi出身 (E)組合せ不明の夫婦 11組 (25%) 1組 (2.3%) 6組 (13.6%) MaeToklo MaeLanG MaePoklo Hsaw Hteet MaeSariengの南方 MaeSariengの北方 タイ国中部 ビ′レマ 計 MaePang 山 村 計 表4 通 婿 の 形 態 1 1 1 1 14名 (70%) 1 1 1 1 1 1 1 1(中部 タイ人) 1(タイ系 ビルマ人) 21名 (47.3%) 1 1 5名 (ll.4%)

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タ イ困北 恥鮎 二お け る J]]i/ン族u)平地民化 (2) 各 家族 ともお お くの場 合 に は独 立 した 経 済単 位 で あ る。 それ らは 山村 で は焼 畑 に よ り, 平 地 村 で は水 田に よ り稲 作 農業 をい となむ 。 各 家族 は 田畑 の よ うな不 動 産 のほ かに, 若 干 の水 牛 , 豚 , ときに は 山村 で象 な どの動 産 を所 有 してい る。 (3) 家族 は儀 礼 の単位 で あ り, 伝 統 的 にはい くつ か の農耕 儀 礼 や 0Xe の よ うな家 の儀 礼 を お こな う。 前述 の よ うに カ レン族 の典 型 的 な家族 は, 両 親 と未 婚 の子 供 た ちの 2世 代 をふ くむ 単婚 家族 か, お お くの場 合 , 妻 方 の両 親 の どち らかが死亡 した時 に そ の片親 が 同居 して形 成 す る最 少拡 張 家 族 で あ る。 婚 姻後 の居 住形 態 につ い ては, 母 盾 的 で あ る こ とが おお いけれ ども, そ れ は絶 対 的 な法 則 で は な く, のぞ ま しい居 住形 態 で あ る とい うにす ぎな い。 家 に よ って娘 が い な い場 合 に は 男 の子 が嫁 を も ら うこ ともあ る。 いず れ の場 合 で も, 子供 の うちい ちば んわ か い者 が家 に の こ り, 家 をつ ぐこ とが お お い。 18)

この よ うな カ レン族 の家族 は Freeman の定義 に よれ ば, 永 続 的共 同合 体 (perennialcor -poration aggregate)で あ り, 出生, 養 子線 紋 , 結 婚, 死 亡 な どに よ って成 員 の変化 が あ った

として も,不 動 産 ,動 産 な どの財 産 を共有 し, 世 代 か ら世 代 - とそれ をっ た え てゆ く社会 組 織 で あ る。 カ レン族 の個 人 は あ る特定 の家族 の成 員 と して うまれ , 同時 に ひ とつ 以上 の家族 に 属す る こ とはで きな い。 個 人 は 自分 の 属す る家族 に だけ , だ いた い均 分相 続 的 原理 に も とづ い て, 財 産 権 を主 張 す る こ とが で き る。 ')ま/才tた家 の財 産 に た い Lては,養 子 に ゆ くか, 死亡 す るか, 結 婚 す るか に よ り,そ の権 利 を喪失 す る。 (C) 親 族 カ レン族 の親族 組 織 に は あたか も母 系的要 素 が存 在 してい る よ うに のべ てい る 人類 学者 が い るけれ ども,筆 者 の調 査 したか ぎ りで は家族 の ところで のべ た よ うに, 一 応 双 系的 とい ってほ ぼ まちが いは な いで あ ろ う。前 述 のJamesHamiltonの ポ ー ・カ レン族 の研究 に よる と, カ レ ン族 に matrilineage が機 能 を も って い る よ うな 印象 を うけ るが賛 成 で きない 。 相 続 にか ん して HtiToPa 村 の調査 を お こな った ところ, あ き らか に 双 糸的 で あ った。婚 姻後 の唐住 形 態 に 母 居 的傾 向か つ よいのに くわ え て, 末 子 相続 的傾 向が あ るた めに, 不 動産 の 相続 は娘 , と りわ け末 娘が も ら う場 合がす くな くな い。 しか し, こ れ が 絶 対 的 な 法 則 では な い 。 息子 も結婚 後 村 内に と どま る時 に は親 か ら田畑 の一 部 を相続 す る こ とが で き る。 ちなみ に つ け くわ え る と,結婚 後 の居住 形 態 は まえに ものべ た よ うに, 母 盾性 が この まれ るけれ ども, そ のほ かに大 方 か 妾万 の どち らのがわ に, よ り多 く土地 が あ るか とい うこ とが 居住形 態 を決 定 す るのに重要 な要 因に な る よ うだ。 水 牛 や豚 な どは だ いた い子 供 に平 等 に分 配 され る よ うだ。 ところが象 は高価 なた めに頭 数 に 18) Freeman(1960)p.67

(23)

知 識 7 i7 7 望 渦 潮 3 鹿 瀬 5 亜

(24)

J/1回北 西部 におけ るカ レン族 の平地民 化 制 限 が あ るので, 用役 権 のみ が均 分 に相 続 され る。 子供 の うちのだれ かが 象 の飼 育 を担 当 し, 時 に応 じてほか の者 が そ れ を必 要 なだ け使 用す る といわれ てい る。 この よ うなわ け で,大 部分 の象 は 兄弟 をは じめ とす る近 親者 数 名, ときに は10名以上 の者 に よ って, "共有 り され てい るし〕 親族 呼 称 につ い ては表 4にみ る よ うに,Ego の兄弟 と姉 妹 と そ れ ぞ れ の 配 偶者 につ いては ちが った呼 称 を使 用 してい るけれ ども, そ のほか は ま った く左 右 対 照型 な親族 呼称 を もってい て, 双 系的傾 向を しめ して い る。 年 令 別 に よ る親 族 呼称 は 厳 格 にわ かれ てい て, カ レン社 会 の あ り方 が 示 唆 され て い る。 このほか テ ク ノ- ミ- (teknonymy)が存在 して い る。 た とえば , 一 家 の主 婦 は ma とよば れ るほか に,nu+長 女 の名前 +mu とよば れ る こ とが あ る。 いず れ にせ よ, カ レン族 の社 会組 織 は タイ族 に ま さ る と も お とらな い "ゆ る く組 織 され た (loosely structured)" ものな の で, 親 族 の機 能 な どま こ とに把 握 しに くい。 そ の た め,前 回

19)

の調査 では ま こ とに不 十 分 な資料 しか あつ め られ な か った ので, 今 回 の調査 で さ らに解 明 した い とお も う。

(2) コ ミュニテ ィー

Mae Sarieng 地 方 は これ まで に何 回か政 治 的 な変 化 を こ うむ って きたが, そ の よ うなた か い レベル の政 治 的変 化 は村 落 レベ ル の社 会 組 織 に は あ ま り影 響 を あた えなか った よ うに お もわ れ る。 村 落 の よ うな コ ミュニテ ィーは単婚 家族 と同様 に本 質 的 に普 遍性 を も った社 会 集 団で あ 20) 21) り, また文化 全 体 を さ さえ る もっ と も典 型 的 な社 会 集 団で あ る とか んが え られ てい る。 そ こで, こ こで は 山地 カ レン族 と平 地 カ レン族 の文化 の差 異 を知 る うえで不 可 欠 で あ る両 コ ミュニテ ィーの性 格 の相違 につ い てふれ る こ とに しよ う。 HtiToPa と Pamolo 両 村 の コ ミュニテ ィーを くらべ て, い ちば ん顕 著 な差 異 は前 者 の よ うな 山村 が血 縁 村 と しての性 格 が つ よいのに た い して, 後 者 の よ うな平 地 村 が地 縁 村 と しての 性 格 が っ よい こ とで あ る。 もち ろん, それ は HtiToPa 村 の コ ミュニテ ィー編 成 の原 理 に地 縁 性 が ま った く存 在 しな い とい うこ とで は な く, また Pamolo村 のそれ に血 縁 の原理 が ほ とん ど作 用 しな い とい うこ とで は な い。 た だ どち らか の原理 が コ ミュニテ ィーの基 本 的編 成 原理 に な ってい る とい うこ とで あ る。 22) す で に 拙稿 で ものべ た よ うに, このあた りの 山 岳地 帯 に は前 世 紀 のおわ り頃 まで は カ レン族 の long houseが存 在 して いた といわれ て い る。 HtiToPa 村 で もい まか ら70-80年 以前 に

23) longhouseが あ った こ とが た しか め られ て い る。 村 の最 古老 といわれ るR (約80才)に よれ ば , 19) following-upsurvey として,1965年11月か ら1966年6月まで, 前回とおな じ所で カレン族の調査に 従事 している。 20) Murdock(1960)p.76 21) Ibid,p.82 22) 飯島 (1965)p.8,Iijima(1965)p.420 23) このあた りのカレン族は12支をもちいないので,正確な年令はわか らない。 この80才は 自称であるけ れ ど,ほぼ まちがいない と思われ る。

(25)

煎 南 ア L7 ア 研 究 滞 3巻 第5号

"自分 が10才 ぐらいの ときに,longhouseの集会場 で皆 と食事 を した こ とをおぼ えてい る。 そ の頃は Taluphaduの儀 礼 もお こなわれ ていた。 しか し, 自分 は ちい さか った ので, 当時 の こ

とは夢 の よ うに お もいだ され るだけ で あ る----" とい う。 この よ うな訳 で,す でに今 日では このあた りの山地 カ レン族 の longhouseの社 会組 織 につ い て 詳 細 は 知 るす べ もな いけれ ど ち,HtiToPa村 に おけ る現在 の血縁組 織 な らびにそ の系譜 を 中心 に,Marshallが えが いた ビル マの Pegu地 区におけ るカ レン族 の longhouseか ら類推 す る と,それ は西 ボル ネオの イ バ ソ族 (Iban)の longhouseに類 似 した コ ミュニテ ィーの よ うに お もわれ る。 す なわ ち,

"それ ぞれ の longhouseをつ らぬ く原理 はひ とつ の コ ミュニテ ィーを形 成 してい る とい うこ

2

4

)

とで あ る。 換言す る と, 村落 とlonghouseは おな じものなので あ る

'

'

HtiToPa村 の このlonghouseは焼 畑農業 を前 提 とす るカ レン族 の nomadism が停滞す る とともに解 体 にむ か い, つ いに今 日にみ られ る よ うな単婚 家族 も し くは最 少拡 張家族 の集合 体 で あ る自然村 に変化 して きた こ とはす でに前掲 の 拙 稿 で の べ た とお りで あ る。 しか しなが ら, いず れ にせ よ HtiToPa村 は "共 通 の祖 先 " を もつ血縁 集 団 とそれ に婚 姻関係 のあ る者 か らな ってい る典 型 的 な血縁 村 で あ るこ とは まちが いない。 この よ うな HtiToPa村 の コ ミュニテ ィーの社会組織 のあ り方 は土地 制度 ともふかい関係 を もってい る。 す なわ ち, この村 では村民 としての membershipと土地 の所 有形態 とは表裏 一体 を な してい る。 村落 の成 員以外 の者 は この村 の飯域 で土地 を所 有す る こ とは い っさいみ と め られ ないので あ る。 ご く最 近 まで村 の土地 はす べ て村 の総有 制 の も とに あ り,個 々の家族 は あ る一定 の土地 の一 時 的 な 占有権 を も っていた のにす ぎなか った。 とにか く,現在 で もHtiTo Pa村 にお いて土地 を所 有 もし くは 占有す るのに は, 2方法 しか存在 していな い。 それ は この 村 に うまれ るか, また は この村 の成 員 と婚 姻関係 には い るか のいず れ かで あ る。 これ にた い して,谷 間 の平地 村 で あ る Pamoloでは コ ミュニテ ィーが HtiToPaとた いへ ん こ とな った原理 で編成 され てい るこ とは まえに ものべ た とお りで あ る。 HtiToPa村 の山地 カ レン族 の よ うに血縁 を 中心 に コ ミュニテ ィーが形 成 され てい るばか りでは な く, 他 村 か らの た んな る移 住 とか,流 出な どもみ る こ とがで きる。 くわ えて, こ の 村 に 婚 入 し た者 のなか に は, 北 タイ人, 中部 タイ人 , ラ ワ族 な どの非 カ レン系住 民 もい る し, かつ ては村人 が クメー ル(Khmer)と総称 してい るカ ンボ ジ ア人 や カム族 (Khmu)も Pamolo村 の一 員 として生活

25) を していた といわれ てい る。 この よ うに 他 の 民 族 集 団 が カ レン族 のなかに吸収 され てゆ くの は, 山村 にお いてほは なはだ まれ な こ とで あ る。 平地 カ レン族 の この種 の吸収作 用はた んに婚 姻関係 を とお してだけでは な い。 た とえば, 筆者 も Pamolo村 に調査 のた めに滞 在 中何 回か "カ レンにな る " こ とをつ よ くすす め られ た。 村人 のひ と りにそ の方法 をたず ね る と, 〃村 で 24) Freeman(1960)p.69 25) これ らのカンボジア人やカム族はこの地方のチーク産業の労働者 としてはた らいていたのである。

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//イ国北西 部にお け るカ レン族 の平 地民 化 お こな う Talu Taphaduに毎 年 連続 で参 加 し, 陳 な どをそ のた びに いけ に えに提 供 す れ ば , カ レン族 の一 員 に な る こ とが で き る 日 とい うLlいず れ にせ よ平 地 村 で は筆 者 の よ うな外 国人 で さえ カ レン族 に な る道 が ひ らかれ て い る とい うこ とは, 平地 カ レン族 の文 化 をか んが え る うえ で 興味 ぶ か い。 す なわ ち, いか な る者 も村 に何 年 か滞在 す る こ とに よ って獲得 され る地 縁性 を とお して, カ レン族 の成 員 に な る こ とが で きるので あ る。 それ では この よ うな平 地 村 の異質 的 要素 を吸収 す る =開放 性 り と, 山村 の血 縁 集 団を基 礎 と す る "閉鍬 性''は どの よ うな背 景の も とに 発達 して きた ので あ ろ ')か(〕 筆者 は これ を エ コロジ カルな適 応 の差 異 に よ る とか んか え る。 す なわ ち,IitiToPa村 の よ うな 山村一 帯 では カ レン族 が 他 の民族 集 団に くらべ て "多数派 ‥ な ので , いか な る情 況 の も と に あ って もカ L,ン族 が 他 の民族 集 団に吸収 され て しま う危険 は ない o Lたが って,‖排 他 的 に= 血 の "純 潔 ''を た もつ こ とに よ って民族 集 団 の 団結 が確 保 され る。 それ に た い して, Pamolo 村 の よ うに平 地 に あ り, カ レン族 が他 の民 族 集 団にか こ まれ て生 活 して い る場 合 に は, カ レン 族 は "少 数派" として, た えず タイ系 もし くは ラ ワ系住 民 な どに吸収 され るおそれ が あ る。 こ の よ うな状 態 の も とに あ っては, カ レン族 は ‖血 の純 潔 日 を犠 牲 に して も, 文化 集 団 として の カ レン族 社 会 を保持 しよ うと して い るので は な いだ ろ うか。

以 上 の よ うな社 会 的 ,文化 的 条 件 の も とに あ っては ,前 述 の TaluTaphadu(も し くは Tal u-phadu)の儀 礼 も山村 と平 地 村 に お い ては 根本 的 に 社 会 的 な意義 が こ とな って い る よ うに お も わ れ る。 他

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HtiToPa村一帯 (矢印は凝集力を示めす) Pamolo村 図6 Taluphadu儀礼の機能

表 2 Ht iToPa と Pa mol o の家族形態 表 3 Ht iToPa と Pamol o の家族構成 Fii 蒜o 旧 mol oI

参照

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