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<研究論文>企業文化と経済性思考 利用統計を見る

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著者

斎藤 弘行

著者別名

Saito Hiroyuki

雑誌名

経営論集

41

ページ

51-78

発行年

1995-02-28

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00005687/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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企 業 文 化 と 経 済 性 思 考51

企 業 文 化 と 経 済 性 思 考

弘. 行

は じ め に 出 発 点 と し て の経 済 性 ( 今 日的 意 味 で ) 経 済 の 分 割性 と 全 体 性 経 済 適 用 の場 と し て の 単 位 と全 体 経 済性 成 立 の 条 件 経 営 に おけ る文 化 の 本質 終 りに は じめ に 企業文化(または経営文化) あるいは組織文化とい う言葉を使 うときには そ のなかに或る特別 の意味が含 まれることを我々は感覚的に知ってい る。そ れぱいわば経験対象 の領域に我々が存在していることに なるのだが、 ここか ら、さらに一歩抜け 出して より認識対 象 の領域に 入 りこ む と き、 企業 文化 (以下について組織文化 も経営文化も同一とみなす) がどうい う意味を持つ か よりはっきりした思考を我々ぱ持つことになる筈であ る。 もつともそれは 術語の意味を獲得する常套的手段 であって企業文化だけ に限ることではない としても、この語に 関連す る今日の企業活動とは若干 (かまたはそ れ以上) 異なるものを 我々は手に入れるだろ うと期待して、この企業文化を採 りあげ たと我々は言 うことができる。企業文化にはその際、経済性思考、共同体、 ロマン主義などの意味 が含 まれることを我々には知 るこ とが で きる。(後 の2 つはここでは扱わないが言 出 発点 と し て の 経 済 性 (今 日的 意 味で ) 企業文化とい う言葉 が使用 される時期がどこにあるかを知 ることに より、 企業文化 の理解の仕方 が異なってくるかもしれない。お よそ英 語圏の文献の なかで企業文化 、マネジメント文化あるいぱ組織文化な どとい う表 現に よっ

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て或る種の企業活動を表 現したことについ ては多 くの人 の指摘するところ で ある。そ れは企業と社会環境の価値に多 くの注意を払 うこと、会社の建造物 の外観もし くはそ の利用について工夫を こらす とい うような点に特に よく現 われてい る いそのような企業の現実的な行為は1980年代になって意識的にな さ れる ようになり、その活動にたいし て文化活動とい う標識が付げられる よ 引こなった1)。しかし企業 は意識するかと うかは別にし てそ の種 の文化的 活 動はそれ以前にも行なっていたことは改めてい う必要もない。 しかし ヨーロッパ、とりわけ ドイツ語圏におけ る事情は英語圏とは別 の経 過を示す。 これについ て触れることがここでの我々の課題 である。我々を非 常に驚かせることは既に、1920年代に ニックリッシュが「経営文化」 とい う 言葉を使用していたことである2)。 この意味を知ることに よ り企業 文 化 の理 解が よりよく得られると我々は考え る。 ニックリッシュ基本的な考え方は、文化は経済性との関連と、人間が経済 原 則を扱 うのだとすることである。我 々もこの思考経過に従って説明をす る ことになるのだが、先ず次のような冒頭の文章に注 目す る。「経 営に おけ る 文化は経済性の本質から生 じる、そして経 済性が支配してト るところではい た るところで見られる」と。そこで我々は経 済性のなかに果 たして文化が入 りこ んでい るとしてもどのようにし てそ うなってい るか の質問をするごとに よってこの文章の内容を把握することができると考える。 その場合に経済性について若干 の知識を我 々は持つ必要がある。今日のい くつ かの経営経済学 もし くは経営経済的 マネレ メソト論のテキストを見るこ とが我々の進む方向である。 (1) ベ ーエの説明りこよると経 済性は先行す る概念として の利益 お よび 収 益 性を もとにしている。 これは特にベ ーエに限ったことではない が、その事 情について我々はベ ーエの説 明を聞 く。 出発点としての利益ぱ経営経済学の 本質表現手段 としての数量化可能性を示 す ものだとト う認識を我 々は得る。 利益はある事象のひとつを表現するけ れど も、 生産要素を投入したもの( の 評価値) と産出したもの( の評価値) との差 額として単純に我々が理解して い る。 そのとき利益とい う表現を 使用 しない で成果とト う言葉 が使用される ( これを経営の成果として示 されてい る⊃ この場合3 種 類 の用語 が認 めら

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企 業文 化 と経 済 性 思 考53 れるが、利益 はGewinn, 産出したものの評価された値 い はErtrag,こ の産 出 額と投人額のプラス値が成 果つ まりErfolg とい うことになってい る。 この考 えは現実の活動を かなり抽象的に表現してい て、どのような数値なのか明瞭 でぱない。 これと同時にある期間 の収益 と費用(ErtragandAufwand )とい う視点で その間の差を見るときに も成 果とい うが、同時に利益 とい う言葉 も使用され ている。そしてそ れは自己資 本の利 子(支払い額) と、私企業については企 業家もし くはそ の協力者の活動に たいす る報酬(企業家賃金)を示すのだと されている。一般にはこの場合成果計 算がなされたことになっている。我 々

の注 目するところはErfolg がErtrag とAufwaud のセット概念 に 関連 し てい

るということである几 また同時にベ ーエは原価計算におけ る利益として 「見積 りされた、 もしく は割出された利益」を示す。 これは自己資本や企業家にたいする利益 が「バ ランスシ ート的利益、 もし くは収支決算的利益」であるのに対 して 「見積計 算的利益」とい う表現に見られる。 この場合 イ後者) 売上と原価 の差 が利益 であ り、自己資本利子 と企業家 報酬は原価 のなかに入れられる≒ このようなベ ーコニ、の説明は既に会計学の領域では初歩的なものとして一 瞥 もされないかもしれない。 経営経済学にとっては原点に もどってみると利益 を採用するのか収益か、成 果かとい うことに結着がつけられていない ように 思われる。さらに現実に例えば利益 と収益 の厳密な区分け経営学(経営経 済 学ではない! ) の日常表 現におい ては余りなされていなし 。しか もこれら用 語がドイツ語圏 の用語と対応 されるときに会計学、経済学などの使用法を超 えて、経営学においてかなり恣意的に使用されてい ることに我 々は気づく。 しかしベ ーエにおト て我 々は次 のように利益、成果、収益を理解する。 利 益( 一 般的 に) 利 益( バランスシート 的計算:自己資本利益十企業家報酬) 利 益(計算的利 益:売上 と原価 の益) 成 果(生産要素の投入と産出の評価額) (経営成果) 成果(ある期間の収益 と費用の差:成果計算) または収益

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この際に は期間の限定された(主 として会計処 理上 の期間)成果6)のことを 収益とト う。一定期間で計算してみない と結果 が分からない価値として の収 益(と費用) とい うことであ って、いわけ特定 の収益(費用と対応させない と分らなト とい うことで) である。成果 が自己資本利子と企業家報酬に、最 終的には なるとト う点に注 目してそれに対して利益とい う名前をつける。 こ の利益はいわばバランスシート的(および収支決算的)利 益と呼ばれる。原 価計算上 の売上と原価の差から見積り、算定された利益 と区別 される。 経営経済学におし てどちらの利益を重視するかとい うことより 乱 この学 問 の選択原 理としての収益性を求めるには一 般に成果 と関連する利益を用い る。特に資 本に関連づけられた利益 とい う意味で利益が扱 われる。この時点 で収益 と費用お よび成果の用語は一時姿を 消す。つ まり専ら利益 の用語ばか りが活躍す ることになる。 収益性は ベ ーエによると期間成果を経営 の資本に関連づけ ることから生じ る。あ る一定 の決算期間の資本於どのぐらい の高さ の額で利 子を獲得するか を示すのが収益性とい うことになる。 ここで資本が総資 本と自己資本に(さ らにはそれ以外の資本)区分されるから、総資本の収益 性と自己資本の収益 性 の区別がである。そこで、総資本収益性は、利益と他人資本利子を加えた ものを総資本で割ったもの(これに100を掛け る)であ り、同様にして自己資 本 収益性は利益を 自己資本で割ったもの(100を掛ける)であ る≒ この計 算 式 はあらゆ るテキストに見られるものであるが、どちら の利益率が勝れてい るかの判断 の決定的な ものは存在しない。( また我 々はそ の ことについ て 語 るほどの資料 もない言 収益性概念と区別されるのが(我 々の課題 とする)経済性の概念である。 経 済性の標識 もおよそ3 種類 のものがあることを ベーこ二は指摘する。生産活 動におけ る生産要素の様々な組合わせを して一定 の産出量が達成される状況 を想定するときに使用されるのが経済性の考え のひとつ である。最も有利な 原価の(組 合わせの)かたちと、実際に達成さ れた原価のかたちの間の関係 を示 すのが経済性の価値的な概念とい うことになる。そ れは予定された、あ るべき姿の原価と、現在の、現実に達成された原価の対 比として(前者が分 母で後者が分子)表示 される。我々はこの表示 のなかで 原価 が使用 されるが それは貨幣表示 も含 まれるとい うことは分るとしても、 どのような種類の、

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企業文化と経済性思考55 どのような組合わせ方を したか、どのような時点 の貨幣価値な のかについて 全く条件づけ られない表示 として認識する。従ってここでの原価は抽象的概 念であって具体的な生産現場 もしくは経営全体について計 算し ようとして も 不可能なものを多 く含 んでい ることを我々は知 ってい る8)。 経済性ぱ また生産要素 の数量的投入(作業時間、経営手段 単位 、原材料単 位)に対する数量的産出高べ個数、重量な ど) の関係を示す ときにも使用さ れる。これは数量的 もしくは技術的経済性であり、生産性 とも呼ば れる。 こ の場合にも貨幣単位におけ る生産要素の評価がないから経営計算制度(会計 制度)にとって実践的意味を持たないとベ ーエは言う。合理原則を守るかど うかについて人は語ることができないとい う理由づけ が示 され る。 しばしば用いられる経済性 は価値的経済性であり、貨幣価値評価 の収益 と 生産要素の投人の比率に より表示される。つ まり経済性は費 用 (分母)と収 益(分子)の対 応として示 される。 このことに より経済性 と収益性 の区分が つかなくなる恐 れも出てくるとい う指摘もあ る。それは市場価格を もって収 益が評価されるときに価格動 向がどうなるかに より経済性 が影響を受け るた めである。価値的生産性が (イ面格的表示におい て)良くなくて も給付生産性 は増加するとい うこ ともあ り得る。生産過程の合理化があるためでそ うなっ たと判断されるか もしれなしヽ。 もちろん我 々はこ の点 につ いてこれ以上 の議 論はしない(それは多分会計学の領域に移されることにな る であ ろ うが)。 その場合に経済性 の表示につト て他の方式 も参考にしなけ ればな らない。 (2)経済性の表示方式は多 くの人により様々に行われ るが、 ここでは合理 原則との関連づけ の中で経済性 の説明される例を我 々は 見 る≒ こ れは経 営 経済におけ る人間 の意思決定を基準にしてものを 考え るとし う立場を重視す る。そのとき人間は合理性、 とくに形式的合理原則に従った行動をすると仮 定して、この原則は経営(またはシステ ム) に 特有 なイ ンプ ット と アウト プットの大きさに関連づけ られると想像される。 この関係で経 営経済行為を 見ることを経済的 原則に従ったかどうかを見ることと同 仁とす る。つ まり投 入量(要素投人 一分母) と産出(経営収益 一分子) が極大化に なる ような原 則( の算定式)であ る。これは極大化原則 と呼ばれるがそ の内容 は、(a)イン プ ットが一定 の場合に アウトプ ットを 極大化するこ と(文 字通 りの極大化原

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則)、および(b)アウトプ ットが一定 の場合にインプット極小化すること(極 小化原則)を含 んでい る。 経 済性はここでもどのようなインプ ットか またぱア ウトプ ットかを何 も語 らなト 。経営は、(またあらゆる活 動は)そ のような原則に従 うのだと誰 が指 示した り命令した りするかはそ の原則には含 まれてい ない。 単に合理性 とい うときにはそれで済むかもし れない。 誰がどのぐらト 獲得するか(俗例を 使 えばあ る特定 の人がどのくらト うまくやうたか、儲げ たか)を含まないし、 指令 もしていない。それ故に このときに は経 済性は一 種の空概念だとい うこ とであ る。 このような要請に応じ るかど うかぱ別にし て経済性が、イ ンプットとアウ トプ ットを関連する財貨 の数量形 (価格一定 のもとでの評価づげ による)だ け と限定して みると、この数値を 極大化す ることだとい う説明に移行する。 それは要素投入と要素産出(この場合 の産 出はErtrag となっている)の関係 である。 これは経 済性とい うよりも生産 性とい う呼びかたがなされている。 特に重要な生産要素種類にたいする生産性数 値が算出されることになるのだ が、例えば作業員 もしくは従業員生産性 とし て時 間当 り賃金の生産価値また は売上高、 もし くは、機械運転時間当 りの生産価値な どがあげられる。 これ は前に技術的生産性として示 されたものの内容 と同じであ る。 これと同時にインプ ットとアウトプ ット の財貨を実際 の価値つ まり価格で 評価されると きに分母と分子の関 係は、要素投人量(がコストであ り)、と産 出量 (が収益) であ る。 これが極大化される ことを示す。しかし 分母と分子 とも 「評価づけ のなされた」とい う形容詞がつ いている。 換言すると生産単 位当 りのコストが最小化されることが重要だとい うことになる。 この際には 製品 単位当 りについてどの ような原 価種類 があ るかとい う分析、あるいは コ スト発生の責任あ る位置もしくは コスト算定 の場所に従った 分析も より現実 に 即した分析として行なわれることに なってい る。この ような経済性をコス ト経 済性と人 は呼ぶことがある。 (3) ウル リッヒの経済性につい ての考え方を補足 的に加える10)。 こ の場 合 に も単に貨幣価値的表示 だけ では、つ まりその絶対的価値表示だけ では十分 ではない ので他 の価値との比較がな されるべきことが提案される。 企業の事

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企業 文 化 と経 済性 思考57 象は多様であ りそれには多数 の数値が関連す るけ れどもそ のなかから本質を はっきり表 現で きる指標 イ言明能力ある指 標とも言 う)を選び 出すことが大 切である。基本的には予め意図した事象と有 効な事象と の比較が代表的な考 え方であ る。 それは現在値と予定値(もしくは当為 の値) の比較 のことを意味する。 さ らに一定の成 果を 獲得するための「消費、費用、使用な どの高さ上を 「産出 高、収穫高、 収入、収益」 と直接に関連させ ることが経済性へ の道である。 これぱづ どのくらい骨折 り甲斐 があったか、 どのくらい報いられたか] など という通俗的表 現のなかで理解されることである。 およそ人 間の行動の評価が道徳的もし くは 美的以外の局面、あるいは主観 部分を回避した領域においてなされるときに 目的と手段 の関係を問う のが普 通のこ とであ る。とす れば比較 された大 きさ(数値) は2 つ とも現在値か、 そ れとも2 つと も予定値かのどちらかであるかもしれない。 前者については 実施された行為が報われたかどうかを問 うて、知 ることであ り、後者につい てはある一 定の行動が報われるのかとうかを知 ることである。 経営領域では上記 のような人間行動の評価づけ にとどまることはできなしヽ。 そこで経営経 済学は上記の比較対比を もう少し 修正した方 法において示す。 ウルリッヒ は前記2 つ の標識表示 と同じく3 つ の指標を提示す るが、最初に 生産性が出てくる。ここでは生産性は物 理的 − テタノロジ ー的大きさで示し たインプ ット ーアウトプ ット関係のことであ るノ それは一定 の質をもつ財貨 と、それに よって達成された別 の財貨(もし くは製品) の間 の関係を見るこ とである。 こ の場合(生産に)投人する財貨が様 々なものがあ り、それをま とめて示 すことは不可能であ るから、一般的には どれかひとつないしはある ところに限定 した生産性が見 出される ように努力 がなされる(部分生産性の 発見)。すなわちある一定 の生産要素の投入量に たいする 産 出量 の関 係が 観 察されることをそ れは意味する。 十 これに対して経済性と収益性は価値に結びつげ られてい る。 基本的には上 述の如く投入 と産出の関係であ るが、経済性 は3 種類 の形式に おいて示され る。 (a)費用(分母)と収益(分子)の関係におけ る経 済性 がある。これを[双 方的もしくは高度経済性] と ウル リッヒは命名す る。 さらに (b)現在値の費

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用(分母丿 と予定値 の費用(分子) との関係で経済性を 見ることもあ る。 こ れは「費用経 済性」と呼ばれる。(c)同様にして収益経済性 も考えられる。こ れは現在値の収益( 分母)と予定値の収益(分子) の関 係を示す。 最後に収益性 の表示であるが、 これは上記2 名の説明と同じ く基本的に資 本 (分母) と利益(分子) の関係を示す。資本が総資本 か自己資本かの問題 と、期間利益 と現在の財産価値 との比較 のことも合わせて考 えられるがさし あたって我 々の課題 ではない。むしろ ウルリッヒが経済性と収益 性を ど う見 ているかに我々の関心 がある。 ウル リッヒはこのような基本概念に 頼る経営 経 済学 が古典的学問 であ るとい う。 この概念は企業の行動原則 と 目標設定か ら直接に引出されるから必然的に重要視されるのだとウルリッヒは 付け 加え てい る。 我々はこ の際に ウル リッヒが社会的システ ムとし ての企業を構想し てい るの は分るとして も、 経済性(および収益性) が専ら古典的経営経済学 の標識へと低下されてしまって良い のか疑問に思 う。 経済性を捨てることが新 しい学問 の形成に通じるのか どうか語るには我々 は余 りに知識が不足してい る。それ と共に企業活動 が経済的次元を 下位に 置 くことで済むのかどうか我 々は明 白な答えを得ない。 ひとつ だけ 言えること は企業がある原則に従って行動すると、 この原則に拘束されることは、経済 (行動)主体 としての企業 の当然の努力だ とい うことであ る。そ れが経済性 や収益性であろ うと、対極の倫理性 もし くは芸術性(最近 では企業文化 のこ とも含めて)であろ うと原則に従 うことは否定されなト ことなのである。 企業 の利益を また当然 のこととし て認めることぱひとつ の経 済的原則を 守 ることに関係するのだろ うか。す なわち、「収益経済的原 則 に 従 っ た行 動 も しくは利益極大化原則に従 った活動から出てくるものとして ので きるだけ 高 い収益性への努力」は高度 の経済性への努力 と連携す るのが好都合なことが 多い と経験的に知られる11)。 企業 のどこかに主体的な行動 の抽象的位置を想定する こと、例えば誰か が あ る目的を もってある行動を意識的に行なうこと、 またぱ指導することとい う思考様式を とれば経済性を 遵守するかしないかとい う課題の前に我 ぺ ま立 つことになる。そのときにはこの原則を どのくらい意識的に守 るのかどうか も行動主体の自由である。そ のことが自由な企業 の標識 のひ とつ でもある。 ところが現実に 経済性 と収益性 が結びつかない こともあ ることが知られる。

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企業文化と経済性思考59 そ れは 高い 経 済性 が 得 ら れ た か ら と い って 高い 収益 性 が あ っ た と は 言 え ない こ と も生 じる とト う 意味 で あ る。 例 え ば資本 を あ る程 度 無 制限 に 投 人し て行 くと きに 経 済性 が 向 上 す る こ と が 生 じ るか 右し れ ない。 生 産性 に つ い て も同 じ ように 、 ニれが 高 い と経 済 性 も 高 くな る とは 言え ない こ と が あ る。 高価 な 財 貨を 注 ぎ込 んで 行け ば 生産 性 が よくな るこ と は十 分 考 え ら れ る こ と であ る。 そ こで こ の よ うな ジ レ ン マ と、 各 原 則 相互 間 の無 関 連 性を 避け る ため とは 明言 して いな い が 、ウル リ ッヒ の 生産 的 、社会 的 シ ステ ムと して の企 業 とい う 考え が提示 さ れ た も の と我 々は 推 測 す る。 こ こ では ど こ に経 済主 体 があ っ て 、 ど の ように意識 的に こ れら 原 則 の遵 守 を 指導 す るか の考 え は ひ と まず 遠 ざけ る。 こ の よ うな原 則 を 調 整 し た り、 加 減 した りす る より も、 企 業 が ひ とつ の 全 体 とし て各 部 分 の 目標 を 矛 盾 のな い よ うに組 合 わ せて 追 求 す る こ とに 注 目 す る とす れば、 選択 原 理 とし て の経 済 性 の地位 は 自然 と 後 退 す る こ とに な る。 こ の問題 につ い ては 経 営 経 済 学 の構成 に 関 す る事柄 で あ っ て 、 こ こ で と り あげ る べ きも ので な い と我 々は 判 断 す る。 ウル リ ッヒ に お い て は 経 済 性 の原 則は あ く まで価 値 的 な 企 業 局面 を 叙述 す る概念 の 位置 に あ る こ と を我 々は 心 得 え てお くべ きで あ る 。 (4)経済性は(お よび収益性)は経営事象の数値的、 なかんず く価値的表 現であることは容易に 分るとして も、それは経営活動のあ る結果 として出て くるものである。経 済性の背後に何かあるかを知らせるのがメレロビ ッツで ある1呪 企業(経営)管理 が英語圏のマ ネジメントと同じかどうかは別にして、 企 業管理の課題は経営 の2 つの人 きな課題に対応される。そ のひとつ が「技術 的 一経済的領域j であ り、他は 「社会的 領域」である。これに合わせて経営 がどのような政策を 考え、それを実 行するか決められてくる。 我 々は特に前者の領域に 注目する のだが、その際に次の ような陳述に出合 う。「経営の経済性 と収益性は独立した事象ではなく、常 に あ る機 能 の実 施 と一緒になってはじめて存 在す るので あ るから、 同心 よ うに経 営 的機 能 に 従って経営政策のこの部分を 分割する こ とが実践上 よく 行 な われ る」 と。 我々は経営政策に関す る事項はさしおくことにするが、 ここから解読される ことだが経営の各機能 の結果 としてある結果が発生する( この機能を どう運

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営するか が経営政策とい うことになるのだ が)。 それを 判断 す る もの として 経済性 (と収益性)があるのだとみるこ とができる。 グ さらに経済性があらゆる経営に内在す る問題 であ ることも確かである。市 場、経済体制、経営の種類、技術、経 済活動に対す る心構えのいかんにかか わらず、経済性は存在するとメレロビ ッツは言 う。特に経営 の意思決定を必 然的に最高の経済性に導くような数値を求め るこ とが経営活動にとって重要 であ るから、経済性は経営指導的性質を持つ ものと考えられる。 このようにしてメレロビ ッツのもとでは経済性は単なる価値的数値 の比較 にとどまることなく4 経営政策を導 くため の、さらには最適な行動を数値的 に把握するため の有力な手段の地位を占めるこ とが分る13)。(もちろん他の学 者 もその意味を無視してい るのでないが。) ・。 経 済 の 分 割 性 と 全 体性 し 経済性 の原則あるいは収益性原則はその算定式 は若干異なるとしても、大 きく分け るととくに ご の場合4 種類 の意 味を 含 む こ とが受 取 ら れる。・(a ) ベ ーエの示す ように経済性は先ず収益性原則 から出発す るもので、どちらも 経営経済学 の土台を形成する合理原則であると同時に、それが選択原理であ る。(b)ベスト マソ等に よると、経済性原則は合理原則 であ る のはい うまで もない が、極大化 ておよび極小化) 原則であ る。それは具体的にその原則の 内容と原則 の指導者を 明示しないが、方向づけ の指導原理 であ る。(c )ウル リッヒの経済性原則(および収益性原理)は どちら かとト うと古いタイプの 経営経済学の原則だと認識されてい る よう に 思われる。つま り企業経営はこ の種 の原則を ふりまわすことなしに、システ ム化に よって運営されるべきだ とウル リッヒは言 う。 これら原則 は企業 事象 の価値的表示の局面を示すに過 ぎない。(d)メレロビ ッツにおいては経済性はあらゆる経 済 体制 の中に 存在 し、 どんな経営でも、技術におい て存 在す る原則であるとされる。経済活動 をするには心構えのなかにこの原則を含 めるべ きであ って、 具体的には企業 政策におけ る指導原則である。 経済性原則は一 般的にはこのようにし て、 これより以上の展開ぱなされな いレ 事実、 この原則を単純に数値的表 現と見れば算術式 であ ってとり立てて 深い問題が含められていない ように 見え る(選択原理、 合理原則、政策 の指

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企業文化と経済性思考61 導 性 、シ ス テ ム化 のた め の 原 則 とし て の 意味 は別 に し て )。 こ れに 対 し て ニ ッ クリ ッ シ ュの語 る 意味 内容 は経 済 性 の原則 に た い す る よ り以上 の展 開 をは か っ てい る も の と我 々は 推 察 す る。 そ れ は経 済 性 のな か に 文 化 を発 見 す る こ とで あ る。 か くし て我 々ぱ 再 び ニ ッ ク リッ シ ュの 言 明に 立 ち戻 ら ねば な らな い14)。 ニ ッ クリッ シ ュは文 化 は 経 済性 に 内 在す る のは ど うし て な のか とい うご と を 説 明す る に 当 って 経 済性 の考 え 方 を 示 す のだ が、 そ の 適 用範 囲を 語 るこ と から 始め る。 経済 的原 則 が 通 用 す る よ うな 場 であ るなら ば どこ で も経 済 性 を か ん がえ て も よい と す る の が ニ ッ ク リッ シ ュの考 え で あ る と我 々は推 量 す る。 こ のた め に は我 々は経 済 的 原 則 (経 済性 原 則 では ない! ) が 個 々 の事 象 に 関 連す るの み なら ず(そ れを 含 む )経 営 生 活 と 、そ れを さら に 含 括す る全 体 の 経 済に関 連 す る とす る彼 の考 え 方 に 注 目す る。 こ の意味 は、個 々 の(小 さ な ) 経 済活動 に おけ る原 則 が 先 ず あ っ て 、 そ れが 経 済全 体に 波 及 す る とか 、 全 体 の経 済の 活 動に おけ る原 則 が 逆 に 個 別 の経 済 に作 用し て く るとい っ た 、 ど ち ら が 先行 しそ れが影 響 す る か とい っ た 考 え方 はな い とい うこ と であ る1≒ こ の考え 方 は 一方 に 原 因 、 他 方 に 結 果 が あ る とか、 個 々 の部 分に まで細 分 し なけ れ ば 経 済は理 解 で き な い と い うこ と で はな い。 従 っ て常 識 的 に は 科学 的 で はない とい うこ とに な る 。 し か し 反対 に どこ かに 出 発 点を 求め な くて も 事 象( お よび事 物) は まる ご と把 握 で き る と する も うひ とつ の科学 的 思 考を ニ ッ タリ ツ シ ュはし て い る も のと 我 々は考 え る。 ニ ックリッ シ ュは 個 々の も のが ( と い っ て もそ れ が 具 体的 に 何を 示 す か 明 示 し ない け れ ども仮 に 単 位 と す る) あ た か も 自分 が 全 体 であ るか の如 く振舞 うと すれば そ れは個 々 のも の( 単 位) が孤 立 した も の で あ る とい う。 個別 的 な も のが何 ら か の全 体 へ の 作 用 の な か で 、「個 別 の も のの 粉 砕 化 」 が あ っ た と 見 るの が妥 当 の よ うに 思 わ れ る。 こ れ は 個別 的 な も の (つ まり、 単 位) が 消 失、 分解 、 散逸 す る とい う よ りも 、 既 にそ の とき には 個 別 のも の( 単位 ) が より以上 の部 分( また ぱ 肢 体) を 含 む と す る認 識 であ る。 同 じ よ うに 全 体的 な もの は そ れ が ひ とつ の 単位 な の であ る。 そ れは あた か も 分割化 、 有 機 的形 成 に 抵 抗 し てい る よ うに行 動 す るか の如 き 姿を し てい る。 こ こ で単位 は文 字 通 りま と ま りの こ と で あ る 。 単 位 の な か に 個 別 的 な も の (つ まり個 別性 ) が 含 ま れ る が そ れ が より大 きな 全 体 のか に 包 み込 まれ る と

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きに個別 詮と単位の対立があるとはト えなくなる。 このよ ケにして奇妙に聞こえるかもしれない がニックリッ シュは次のよう に言 う。「経済的原理は肢体(部分)におト てまた個別性におい ても妥当すれ ば、全体において単位にあるものとしてすでに妥当しない。 もし もその原則 が全体 のなかで支 配するならば、既に個別 性において、 また同 じく配列 のき い た単位におい ても支配しなト 」 と門 これは個 々のものと全体 の ものとに 区分した原則 の存在しないことを意味するのにほ かなら ない。そ の土台とな るのは経済の意味 が全体であ り同時に個であ るとい う一見非科学的な理解の しかたであると我 々は推量する。 経 済 適 用 の 場 と し て の 単 位 と 全 体 経済はニッ クリツシュもとでは もちろ ん有機体的な ものとし て説明される こともある。「経済は生活、つ まり有機的な ものである」と語られる。そ う見 るならば経済 のなかにある個々の単位(いまそ の実体は何 か明確でないとし ても)はきち んと組立てられたかたちになっていて、し かもそ の経済の個々 の存在(個別性) は当然 部分( もしくは肢体)でな くてはならなト 。 これは 人体(個 々の単位) にたとえればそれぞれの器官がある べきところに配置さ れていて、そ の個 々の働きを(肢体としての働き)をし てい る筈である。 このことについて もニックリッシ ュは単な る個別性を 認める のでなくて、 そ れが同時に全体 のかかに 巾位を通 して有機的に結びっ けら れてしヽる情況を 想定していると、我 々は判断する、 そのと き初めて 寸私 かそ こから出発する 原則が経済的原則である]とニックリッ シュは 言う。 つ まり経済的原則が作 用する情況を この ように設定しているのだと我 々は考え る。 経済の原則に従ってあ る効果が生じる場面を別 の表現 で示せばこ うい うこ とになる。単位のなかで、それぞれの肢体(器官) もし くはそ の部分の生活 を可能にす るために必要なあらゆる事がはっきり効果を示す ようになるとき のことである。 さらに、個別性のなかで生活し、繁栄す ることが全体にとっ てよト と認められてい るときのことである。それは個 々の肢体 の生活が個別 性としてそ のまま存在するのでなくて、さらに全体にと ってもよト 効果を 出 すときに限って経済の原則が認められてト ることである。 要す るに個別の生 活(または肢体生活)がいたるところ個別的に存在するけ れど も、「それが対

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企業文化と経済性思考63 立 し てい ると す る 考え 方 よ り 乱 そ れ らが 入 り交 って 、 お 互い の た めに な っ てい る丿) とニ ック リッ シ ュは言 う。個 々の部 分が 繁 栄し て も よい と全 体 に 認 め ら れて い る こ と が何 よ りも経 済の原 則 が効 果を あげ る場 面 な の で あ る犬 経 済性 成 立 の 条 件 我 々は余 りに、 ニックリプ シュの提唱する個別 既と全体性 の相互関連の説 明にとらわ れてし まっている。 ニックリッ シュは経済のあ る原則が効果を示 す場面を示して、そ うい うところでない と原則は力を 出さないし、 また原則 を使用してはならないと言ってしヽるように見える。 このことを 踏まえて我 々はい よい よニックリッシュの経済的原則の説明に 入 りこむことに なる。「今やエ ンジニアの効果程度と経済 的 原 則 の 間 の区別 を見るが よい」 と指示 さる如 く19)、経済原則が単に数値的に (もし くは算 術 的に)表現されるものでぱない ことが示される。エ ンジュ アの効果 度とはこ の場合、かな り比喩的に用いられている とし ても、 経済 の原 則 が、 例 えば 我々が列挙した ものとは (程度 のことは別にして)異なることを示 してい る と我 々は理解す る。 「この原則は有機的、創造的生活 の原則として、誰が生活を形成 し ようとも、 利用しなくてはならない も のにとって現れて くるト ものである。 とくにニッ クリッシュはここでは経済性を定義していない が、経済的原則 が通用する範 囲と、それが通用しなけ れぼ ならないことを含めている概念 であると我 々は 推量することができる。 ニ ックリッ シュは早くもここで 「経済性 は文化を共 に含 めている」 と語 ってし まってい るが、その関連に至るまでの説 明はなト 。 我々はそこでさら に彼 の説 明を追 うことにすると ここで初め て人間の登場 を我 々は見る。 人 間の欲求を実現するための活動が語られ る/ 人間はこの欲 求充足を果すため の目標設定をす るという経済学的にも初歩的な 思考が出さ れている。 目標 の設定は 丁個人 のもとで本来的に行われるものであ るかそれ とも他人のところに加わ るこ とを通して]行 われる。 どちらに しても人間は 欲求の序列づけを して、自己 の 目的となる ように努める。 欲求実現のため の 目的(ここでも具体的 に どの 目的 の 指示 は な さ れなト が)は個人に直接役 立つ こともない ことはなト が、第3 者に役立つ ようにす ることから個人は始 める。 この場 合も第3 者 の特定は できなし 。第3 者にな

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る者は常に変化する。 従ってあらゆる者が第3 者であ る。 従ってあらゆる人 のた めに個人が 目標設定をしてい るとい うことにな る。 個人(自己) もまた あら ゆる他 の( 第3 者) ものの目標設定 のなかに含 まれるのが生活の場であ る。 このような事象は全 く同時的に行 われるのであって、個人の 目標設定 が 先か後は最終的には明確でないし、 どち ら で も よい こ とであ る。 そ れ故に 「先ず より大 きな全体を経由して各人は自己の 目的設定を通し自分自身 の成 功を ぱかる」 とい うことになる。 これは 目標設定 は欲求充足のためかどうか の詮索 は別にして、全体性情況のなかでなされるとい うことを 指唆している。 個人 が単独に 目的の設定をするのでなくてあ るまとまりのなかでの行為と して認識する見地が示 されている。 この場合 の個人 の目標設 定 が別名 、「肢 体 目標上 とい うことになる。 まとま りとは別に構成体 とも言うことができる。 目的設定は実現を伴なわなけ れば 意味 がないが、そ の場が構成体である。つ ま り様 々な個人 の集合の場におけ る目標実現行動が重視されるレ ニックリツ シ ュはこの時点になってや っと構成 体に該当するのが狭義 の企業 だとい う。 企業はそ こでは「企業家に よって指導された経済単位」 とい うことになっ てし る20)。 この構成 体の全体のなかで、個人は肢 体生活をするので あ り、 構 成体が個別性を表出するものとみなされる。 この ようにして経済的原則はこ の経済単位のなかであてぱめられるけ れども、そ れが同時に全体に妥当する とき 「妥当 なもの」 となる。 従ってニッ クリッ シ ュの用語法では個別 単位で の経 済的原則 が同時に全体へと適合し、そ こで有 意義で、かつ有効であると きに、づ 経済性」とい ‰ そ の際に経済性が一方で確かに数値的次元を持つけ れ ど、他方でそれを超えたものを含んでいる ことが知られるレ ・。 こ のあた りではまだ経 済性 が文化と関連する筋道がはっきりしていない が 「経済的、=数 値的次元を超えた」点に 注 目し始めてい ることが我々にも受取 られる。 ニ ッタリツシュはこれについ て「文化が経営のなかにあるかどうか が決定 される位置に立 っている」 と述 べてい る。 企業 が活動に当って経済的法則 の許容以上 の効果をあげ ることがひとつの 例示 として与えられる。 これまで の抽象的表 現から離れる機会がやって来た。 そ こで企業 が自己 の活動がどのくらい経済原則に合 わせるかどうかの指識は ないから厳密な行動基準ぱない としても、企業は 「効果を 出し過ぎる」 とい う情況を 想定 することができる。 ある経済単位 が程度を超え た効果を 出す と

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企業文化と経済性思考65 き全体にたい して有効なのかどうかが測られることが課題 とされる。それは 現実には 不可能 であ る。X なる企業がY とい う効果 て生産高、利益など)を あげたとし て、そ れが経済原則を どのくらい守ったか どうか誰に も言えない。 ましてそ れが全体( の経済)に対してどのくらい有効とな ったか、損害を与 えたか測定できる訳がない。 それで もニ ッダクリツシュはそ れが測定できるか どうかを問 うていない。そ うではな くて 「ある人が 自分の経営を意図的にこ の情況 (過剰効果の造出) の中にもってきて……全体の生活を傷つけ るような情況 の中に経営を長期に わたって置くとす れば、その人は寄生虫 である/ とニッノ リツツ ユは言 う。 我 々の推測に よれば企業 の過大な収穫を通して経 済が繁栄 することは結構な ことであ るが、果してその通 りに行くかどうか疑 問視さ れてい るのかもしれ ない。一般 には多 くの企業が全体 のなかで好成績をあげ ればそ れで経済が発 展したことにな るが、 他方で より以上 の全体、そ れぞれ の企業を含む全体、 −この中には経済事象以外のことを含む全体があ るのだが ーが傷つけられる ようになってい ないだろ うかとす る心配があ る。 あたか もニックリッシュは 今日の企業 の置か れる情況を予見しているように思われる。 確かに ニックリッシュは全体と言ったり、全体の生活と言った りするが、 経済全体 とは言わない。 ニックリッ シュは(我々が先に触れた ように)経済 的原則は経済の領域において効果をあげ るが、 人間の全体の生活 において確 実に良い ものであるとき経済性 があるとい うようである。 従って この点を考 慮 のなかに入れない人間、とくにその ような企業家、 経営者な どは 「人間的 文化の外に立つ」 ことになる。従って経営が経 済の領分で獲 得 す るも のは、 [文明の獲得物] であるレ 経済性が文化 の生活において作用すること、 また全体 の生活が文化 である ことがこのあた りの説明経過で我 々の認識のなかに入ってくる。 ニッタリツ シ ュはそ のようには規定していない が経営の生活 も全体のなか の生活 のひと つに過ぎないのだから、全体の生活==文化 のなかに当然経営 も含 まれてると 見 ている。 その ような情況(ここでは場と言えるが) のなかでの効果程度を 超えたもの、「良い」、「人間のためになる」、寸あ るべ き形にな る」といった現 実が形成された ときに初めて経 済性があったと言え るわけ である。それは明 らかに規範 思考を含む と共に、 より倫理性への方 向づけを暗示し ている。

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我 利 よ歴史的考察を しているのでない が、ニックリッ シュのこ のような思 考は経営経済学におけ る私経済学的方 向づけに対立するもので あ る21)。 二ッ クリツシュの思考は倫理的 一規範的方 向づけをす るとい う評価がなされてい る。そ の基礎になっているのは経営 の中に活動する人 間の欲求方 向づげを考 え ることである。 またそ れは同時に社 会政 策的 思考 を 含む とす る指摘 もあ る几 いずれにせよニックリッシ ュの独特 の経済性思考の背後に は こ の よ う な基礎づけ のあるこ とを知 ることに我 々はとどめてお く。 経 営に お け る 文 化 の 本 質 ニックリッシュは経済的原則の適用に際して人間が主役であることにに触 れる。そ のこと自体は当 り前のことである。人間欲求の配列 は個 々の活動の 方向づげを決めること、。それは個々の人の、またそれを含 む経済単位の 目標 を形成 させる ように強制してくることは既に述べた。 しかし我 々は特に文化 概念の導入に当って注 目すべき陳述に おいて人間の存在を より強 く識識する ことになる。 「我 々の経済的原則が経済におい て通用するとい うことは、人間がその原 則を利用するとい うことである。人 間は自己の最 も深い ところにある意識か ら、 この原則を実行す る。 この意識は 良心である。 人間は意識のなかに、 自 分 自身を直接的に意識 し、 またあら ゆる経験に先立って自分を個体としてば か りでなく、肢体(的生 き物) として 意識するレ この意識 と良心を 通して人 間ぱこ うい ヶように行動す る能力を もつ。つ まり構成体におけ る全体 目的 の 肢体 目的−これに よって全体 が繁栄す るのだがーを 実現す ることである。 自 己 の良心から人 間は 自分の活動領域において経済的原則を この ように利用す る」 とニックリッ シュは語 る≒ 人間お よび良心、そして意識の用語は ニックリッ シュの組織論の基本であ る。その詳しい説明は別の場に委ねられるとして 乱 人 間は経済的原則を意 識 の最も深い ところに 定着させるとする仮定に我々は興味を 覚える。人間 が 存在することに より原 則そのものが人 間と同一化し て、人間そのものに、変 化してい る様相をそ の命題は教えてい る。 ニッタリツシュは別 のところで意識 の存在 の役割を語る24)。人 間 の意 識 の もち方は様 々な程度に なってい る。精神 内の荒れた生活 のなかでこの意識を

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企業文化と経済性思考67 失 なう て し まう こと もあ る。 また こ の意識 の 働 きに つ い て、 人 間は 意 識を も つ から こそ 人 間 とぱ 何か (つ ま り人 間 性) を 知 る の であ り、 そ の こ とを 通 し て 自分 自身 と の結 びつ き (同 一 化) と 他 の人 間 と の結 び つ きを 得 るのだ と も 言 う。 さら に 意識 のな かに 肢 体 (部 分 ) と全 体 を 同 時 に 認識 す るので あ る。 精 神が 自分 自身 を 意 識し てい る とい う働 き が ず っ と続 い てレ る様 相 のこ と を 良 心と ニ ッ クリッ シ ュは 言 う≒ 先 に 意識 は 良 心 だ と 中 間説 明 な し に 語 ら れ た が、良 心を 観 察 し ては じめ て 欲 求 、つ ま り精 神 の欲 す る こ とが 分 かっ て ぐ る。 しか し 人 間 の外 に 「直 接 的 自己 意識 」 を 取 り出 し て 見 る こと は でき な い 。 こ の 意識 は 良心 のな かに あ るあ る も のに な ろ うと す る こ と、 良 心 の通 り に な りた い と す る も のであ り、 こ れが 自己 意 識 だ と い うこ とに な る。 さら に 意 識 は精 神 に な りた い とい うこ とで あ り、 そ れ が 何で あ ろ うと人 間にな りた い とい うご と と同 じ であ る。 そ れ 以 外 の動 物や 植 物 に は な りた くな い とい う の が常 に 意識 のな かに あ る こ と も我 々 に は 読 み取 れ る。 従 って 意識 と良 心 は ひ とつ の相 互 作 用 のな か に存 在 す る も の であ る。 良 心は 精神 の自己 意識形 成 に 伴 っ て生 じ る ものか もし れない 。 ニ ック リッ シ ュの叙 述に 従 っ て行 く と我 々は次 第に 哲 学的 、 思弁 的 領 域に 誘 い こ まれ る。 我 々は 再び ニ ック リ ツシ ュの も とに 文 化 の題 材 へ と戻 ら ねば な ら ない。 しか し そ の場 合 、良 心 ( や 意識 ) な ど とい う厄 介 な も のを 提出 し てし まった 。 従 っ て こ のこ とに か かお り合 わ ねば な ら な い 。 そ こ で我 々は ニ ッ ク リッ シ ュの次 の陳 述 のな か で やっ と文化 に 接 近 でき る こ とにな る。「工 学 の効 果 の度 合 は全 く良 心 を 必 要 と しな い 。 文 明 あ ま た 良 心 な しで あ り うる。 しか し 文化 は 良 心 の所 産 で あ る。 良 心 があ ると ころ で の み 、人 は文 化 を 見 出 す。 従 っ て我 々の 最後 の証 明 の結 果 は こ うい うこ と であ る。 つ ま り もし も経 済 的 原則 と同時 に 経 済 性 が経 営 に おト て 支 配す る ならば 、 文 化 は経 営 のな かに あ る とい う こ とで あ る。」 二こ で我 々が重 要 視 す る のは「文 化 は良 心 の所 産 だ 」と い うこ と 、「文化 は 経 営 のな か に あ る」 とト う2 つ の言 明 で あ るノ こ の 言 明 にた ど りづ くため に、 我 々は ニ ッ クリッ シ ュと共 にか な りた ど た どし い 道を 廻 って 来 た こと にな る。 我 々が 今 日文 化 につ い て 語 っ てい る こ と が 既に 語 ら れ てい た か、 もし くはそ の萌 芽 があ っ た とい うこ と が重 要 な の であ る。 し かし ニ ッ クリッ-y ュが使 用 す る文 化 の考 え は 人 類 学 の用ト る 概念 使用 法

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に基づい てト ない ことだけは分るとして 乱 結局文化 の概念定義 はなされて いない。 従って我 々はそれを他の文章から推量する よりほかに知 る方法ぱな^ ≒ ニックリッ シュは前に も工学におけ る効果性の標識を持 ち出すのだが、こ の場合再度そ のことに触れ る。経営の生産活動は工学 の知識 なしに は不可能 であることは当然 なのだ が、工学はだからといって経営をそ れだけ では支え きれない。 ニ ックリッ シュは工学 の能率性への方向づけ は否定 しないけど、 それは精神的 なものには接続しないであ くまで技術であると考える。技術の ほかに精神(もしくは精神的なもの)が必要とされるわけ である。工学は専 ら文明のできごとなのであ る。 文明は概して進歩 の思想に結びついている。 とくに社 会の進歩=があるとき に文明とい う。そ れは宗教にたいして合理性が優位に立つ ことであ り、特定 のそして地域的 な、小 さな慣習が衰退して行くことである。 なかんず く自然 科学の発展がそ の主流を なす≒ ニックリッ シュが工学は効率や 能 率 の事 柄 で文明だ とするのはこの意味だと我々には推察がつく。 これはあくまで技術 のことだけ に結びっ くけ れとぺ それはそれで否定されているわけ ではない。 しかし文明だけ が先 頭に立つならば何か個別的な、分 散化した、またそれ 自体で小 さい ながら個別性を主 張するものが否定 さればしないかとい う心配 がでてくる。 例えば工学的 (技術的)なものに逆 うものはすべて否定されて しまって統一的 な、絶対的状態が勝れたものとする思考が生 まれはしないか とす るこ とを それは含 んでい る。つ まり個別性を多大に含 んだ地域性の自律 の低下、 より大きな全 体のなかで個を押し潰したより大 きな文化的統一性が 発生してくることになるよ 犬 どうしてこのような状態が生成されてしまうのかニックリッ シュの考える ところであり、それは文明 の代表者である工学(技術)は良心なしで何で も やれるからだ とし うことを彼は考えている。 ドイ ツ語圏 の哲学思想にしばし ば文 明の進歩に反対する思考が示されると言われるがこれもそ のひとつ と見 ることができる。特に経済領域におけ る発展が文明のひ とつ のモデルとな っ てい ることが背 景になっていて、それのみが生活の人間性を形成するのでな いとする一種 の批判が形成されているのではないかと推 測され る2≒ 文 明さ え進歩 させれば何事を も解決できる、特に経済さえ発展 させればそれが成功

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企業文化と経済性思考69 な のだ とい う思 考に ニ ッ クリッ シ ュは反 発 し た か の よ うに 見 え る。 こ れに対 し て文 化 は 効果 の度 合が あ った か ど うか 、 能 率 が ど う とい うこ と を 押 しつけ て 来 ない とニ ック リッ シ ュは 言 う。 人 は 効 果 で判 断 され る 領域 、 な か んず く 経 済 領 域に 住む ば か力 でな く、 そ れ以 外 の領 域 に住 む。 経 済以外 とい うの は こ こ では 若干 訂 正 し て経 済を 含 む よ り広 い 領 域 と 言 う のか よい か も知 れない 。 ニ ック リッ シ ュに よる とこ の 領 域 こそ が 全 体性 な ので あ る。 文 化 は この 領 域 に関 係す る。 こ れに 続い て 「文 化 は良 心 の所産 で あ る」 とい うのだ か、 こ の とき の文化 は 多 分 「そ れ 自身 の中 に価 値 を 備え てい て、 日常 的 、 世 俗的 な生 活 の必 要性 を 超 越す る 何 も のか がそ の中 に 出現 し もし くは 具 体 的 姿 を 示 す 、 認 識、 行為 、 対 象、慣 行」28)の こ とで あろ う。こ れは 我 々が あ く ま で こ の よ うに推 測 す るだ け で ニ ッ ク リッ シ ュは (先 に 述 べた 如 く) 文 化 の定 義 は し てい な い。 とす る な ら ば、宗 教 、 芸術 、道 徳 な ど が文 化 の本 質 を な す も の で あ る。 経 済、 法律 、 政 治 な ども 科 学や 技 術 と共 に 文 明 の中 に 入 る。 明ら か に 我 々 が現 在用 い てい る、 ような 文 化 概 念 とは 異な る。 バ も ニッ クリッ シ ュは 特に 良 心 の定 義 を しな い 。 従 っ て 我 々は 何 ら か の文 章か ら 推量 しな け れば な らな い已 良心 は形 か ら す る と意 識 の ような もので あ り、 最 も深い と こ にあ っ て、 中 間 に は何 物 も 介 在し な い ( つ ま り経 験 的 でない ) も のであ る。 最 高 の価値 へ 高 めら れた 意識 が良 心 だ と も 言 う。 人 が どんな こ と を 意識 し てい るか (場 合 に よって は 確 信 す る か ) に よ っ て 良 心 の 内容 が 決 っ てく る。 既に 我 々が語 っ た 如 く同時 に 全 体 と部 分 と し て の人 間 の本質を 意 識し てい る こ とをそ れは 指 す。 こ の意識 は 経 験 か ら 出て 来 る ので ない こ とは 今 知 っ た が、 そ れは い わば 意 識 に先行 す る も のか もし れな い。 故 に 意識 の最 高価 値 的 な かつ 最深 部に 存 在 し 、な お経 験 も経 由 しな い で 存 在す る も の が 良 心 で あ る 。 良 心 が あ る か ら 我 々は経験 か ら 入手 した も のの秩 序づ け を す るこ と が で き る よ うに な る。 良 心 があ っ て人 は 統一 のあ る 、 秩 序づけ ら れた 全 体 と い う意識 に なる ( もし く は 持つ)。 こ うし て見 ると 人 間は 良 心 の なか に 自己 の生 活 のた め の尺 度 、あ ら ゆ る事 物 のた め の尺 度 を 持つ と言 え る。 更 に 言え ば 良 心 は 自己 の行 動 お よび あら ゆ

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るものの関連の価値づげの場で ある。価値づけをする人間は べそ れが良心に おいてなされることを同時に含めて)精神をもつ とし う。 ニ ックリツシュぱ と くに これを 「価値づけを する人間は精神である」 と直接的表 現をしてし ま う。 このあた りの脈略は我 々の理解の範囲を超えるけ れど、良心において価 値づけをする人 間、そ の本質は精神であるとも言しヽ換え られ る。故に精神は 良心のかかにあ り、そのとき精神は空ではなくてそ うあ りたいとい う欲求が あって存在するのだ と解釈される。 人 が良がらぬことを 考え、 意図すれば イ行動がそれを現実に表出しなト と しても)良心な き行為とされてし まう。人が自分でそ の行動を良心的だと認 め、他人も恐ら くそのことを誉めそやとしても、なおかつ良心を 欠い たもの でもあることもあ りうる、従 って逆に人が良心的である限 り、そ の行動は良 からぬことが頭にあったとしても(このとき行動に出るか出ないかは別にし て)なおかつ良 心的 とい うことになる。 上記のように ニックリッ シュは意識、良心、精神を中心にして人間性を追 求するのであるが、そ れら の間 の関係が明確ではない。 それに 良心の事柄の みを追うことに より、我 々は文化の問題から離れる恐れかおる。ニしかし良心 が語られるとト うことは、ひ とつには道徳的価値、命令(掟)、法律 の認識に たいする人間の精神 の能力() ム義) と、他方で独自の、 直接的に実施さるべ き行為へのそ の適用(狭 義) を 意味す るこ とに ほかな ら ない呪 明ら かに ニックリッシ ュは この線に沿って語ってト る。 ようやく我 々は ニックリッシ ュの文化の意味もしくは本質 が良心、またそ れを とりまく道徳、きまりへの服従、全体と部分の繁栄などとト うことにあ る ことが分って来た。そし て良心を よりよく自覚し、自己 の行為を正しく把握し てト るとト う感覚が意識であ る。精神はいわば、意識一良心 の結び合わせの上 に立 ってより人間らしさ、人 間の本性を表明す るものだ とい うことができる。 ニックリッシ ュが文化は経営 の中にあると言うときに、経営が良心を もっ て運営されること、また部分と全体 がどちらかの都合に よって も左 右されな し 状態にある ように なってい ることを文化があ るとい うように思われる。 経 済的原則だけ を推進す るのは文明のことであり、それが勝れた 「方 法」であ るかもしれなレ が、また技術的思考にはかなってい るか もしれなし が、文化 ではないことに なる、そ こで ニックリフシュは単なる経 済的原則に代って経

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企業 文 化 と経 済 性 思 考71 済性の考えを提出す る。それは単に技術 的に勝 れているかどうか、効果がよ かったかどうかに関連するのではなくて丿 部分に も全体に も同時に(そして 一 方を先にやって他を後にするとい うことではな くて相互連動的に)善であ ること、ためになることを示 す標識である。そ のことを文化は経済性 の本質 から現われるとニックリッシ ュは言っている のだと我々は理解する。従って ニックリヅシ ュの文化ば単に人間が好 き勝手に動 くこと(例えば技術的、経済 的効果のみに片寄ること)を克服して行 って人 間が自治力 、自制力をつけ る教 育を身につけ ることである。そ れは精神形成 としての文化とい うことにな る。 ニックリッ シュは最終的には個と全体 が同時に繁栄するのは公正とト う手 段に よる、そ れは当然良心から 出てくるのであるが、現場の問題では、公正 な、平等的な 配分とい う。 これについては更に考慮すべき課題 として我 々は とっておく。 終 りに ニックリッシ ュの、「経営におげ る文化」てい う論文を 中 心に 経営 の文 化 はどうい うものか、それはどのようにして生じるかを語ったのがこの小稿で あ る。企業文化 (経営文化)もし くは組織文化 などとい う言葉 が今日通用し ているが、既に70年以前に、経営学(正しぐは経営経済学) の中で文化とい う言葉が使われていたこ とを改めて我々は認識し た。 ニッタリツシ ュの文章は難解であ り、中心となる経済的 原則、経済性、意 識、良識、精神、肢体と全体性などとい う用語ぱ全 く説明なしで自由に使用 されている。従 って我々はその中に含 まれる真 意を推量しつつ、理解を進め なげ ればならなかった。 しかしそ のこ とに より明らかに なったことは ニックリッシ ュの経営の考え 方はいわゆる共同体的経営であ り、 良い 意味で も悪い意味 でも今日の企業 が 直面 する・、 とくに日本におけ る経営 の問題を先取 りしてい るように思われる。 また経済性 の意味も今日の経営経 済学 のものとは異なっていて、共同体的経 営を支援す るためのもの標識とな ってい る。 この経済性は ニックリッ シュの 独自の文化の考えなレ こは実 現で きない。つ まり良心を中心とする経営活動 が文化であ り、そ れこそが肢体 も全体性 も同時に、過不足な く満足 させ、繁 栄させるのだとい うことにな る。

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1 − / / / t X ゝ 経 済 性 の 概 念 図 ( 全 体 指 向) 経 済 性 ニ 良 い こ と 、 た め に な る こ と 、 幸 福 、 満足 、 あ る べ き 姿 暴 文 化 創 造 〆 〆 非 経 済 性 1 し / ゝ ゝ 〆 〆 士 経 済 的 原 則( 経 済 領 域) 圭 全体経済への 良い効果 個人 のため 経済単位のため fl 全 体 の た め 生活の破壊 人間への損害 全体へのマイナス効果 精神・意識・良心の概念図 人 間 性 ”〃 がφ-“^ ≒ ≒ 良 心 が 機 能 す る 状 態 ゝSS*>.

づ( り) 蒜に ム雖 ぐ ゛

精 神 の 反 映1;/ \ 文 化 創 造 源 泉 ■ 文 化 を 反 映 | 最 高 価 値 の 意 識 ノ[] ラj:F:│ ← 良 心 又 は 確 信/ →[:] デ]]]:] 代 表 物 と し て め ・ = 道 徳 / W -→ 全 体 ・部 分 の 同 時 把 握 −_J- ” " 〆 〆 〆 ♂ 〆 "

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1 − I1 企 業 文 化 と 経 済 性 思 考 個別 性 、 単 位 \(統 一 体)、 全 体 性 の 関 係 図 個 別 性( 肢 体 ・ 部 分 ) 個別的なもの[I] より全体のなかの部分の存在 〆 〆 〆 統一体 単 位 ( 肢 体 ・ 部 分 を 含 有) 個別的な もの[IT] 単位のなかにさらに部分 の存在 全体性と部分(肢体)の関係 " " / / j ゝ X X / / / 〆 X ゝ ゝ 〆 経 済 的 原 則 S S ” ”" − 限 定.さ れtz 全 体.栓 S 適 用 ゝ 卜 ゝ 4 S S 部 分 部 分 部 分 部 分 部 分 部 分 全 体 性 ゝ ゝ ゝ ゝ X X X / / / 〆 / `S 身 涛的 な 原 則 適 用 の場 .´´ ´ ゛ ゝ│吻141 鴫-ニLIL, − 蝉“ が│が│ 経済的原則は経済の場でも有効 II 1 1 / / 73

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/ / / 1 − / / / / / l l X X X ゝ ゝ 〆 欲 求 目 標 設 定 概 念 図 充足のためI 〉 F ← 目 標 設 定 個 人 目 標 ( 機 能 せ ず ) 第 三 者 の た め の 目標 ( 機 能 ) ( 組 織 目 標 ) 個 人 目標 の み で は 、 実 現 不 可 能 、 他 人 目 標 を 経 由 す る 。 〆 " " 目 標 設 定 状 況 概 念 図 " 〆 〆 ノ ♂ ff φ φ φ φ . 個 人 の た め の 目 標 φ ” 戸 = 全 体 四 状 四況 -・ ・ ゝ S S S S I ゝ ゝX 個 人 欲 求 ( 目 標 設 定 へ か り 立 て る も の ) \ ( 出 発 点 )X ← → 相互への役立ち 4−− % 他 人 の た め の 目標 ゛ ぶ ざ 誓 や は 全 体 の 場 で 無 廓 こ な さrt ’ ’' 叫 − 一 万 ̄− : ご こ ∇sl φ 戸 X 1 ︲ 1 1 / /

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企 業 文 化 と 経 済 性 思 考 75 注 コ レ1 ) し ぼ し ぼ 指 摘 さ れ る企 業 文 化 の ル ーツ は 次 の も の に あ る と み ら れ る 。CorporateCulture,BusinessWeek,October27,1980. お よ びBrekenfeld,G,TheOdysseyofLeviStrauss,Fortune,March22 レ1982.2 )Nicklisch,H.KulturimBetriebe,in:ZeitschriftfurHandelswissenschaftundHandelspraxis,Heft1,1924.S.3 −5.3 ) バ ラ ン ス シ ート 的 ( ま た 収 支 決 算 的 ) な 利 益 の算 出 は 会 計 学 の 課 題 で あ る が , こ こ では 特 に 会 計 学 の 問 題 か 経 営 学 の 問題 か の区 別 を す る の で は な く , ベ ー エ の 表 現方 法 に よ る だけ で あ る 。 な おWohe は 別 の と ころ で成 果 計 算 の 項 目 を 立 て て い る 。Wohe,G.,EinfuhrungindieAllgemeineBetriebswirtschaftslehre, 犬MiJnchen,Vahlen レ1984,S.47 −48バ 成 果 計 算 は費 用 計 算 と 収 益 計 算 で あ り, 支 出 計算 と収 入 計 算 で は な い」 と 。4 ) 収 益 と 費 用 の セ ッ ト 概 念 は 例 え ば 次 の も の に 説 明 が あ る 。Horschgen,H,Grundbegriffede ・rBetriebswirtschaftslehreII,Stuttgart,Poeschel レ1979,9,24 −26.例 え ば ,「期 間 利 益 は2 つ の 構 成 要 素 を 持 つ ,ひ とっ は プ ラ ス 要 素 で あ り期 間収 益 と 呼 ば れ る, 他 は マ イ ナ ス 要 素 で あ り期 間 費 用 と 呼 ば れ る。 期 間 収 益 は 収 人 を 表 七, 期 間 費 用 は 支 出 を 表 すこ と。 ま た 「費 用 と は あ る 決 算 期 間 内 に お け る 企 業 内 部 で の 価 値 費 消 で あ り, 収 益 とは 価 値 増 加 の こ と で あ る … … 期 間 成 果 は 収 益 と 費 用 の 間 の 差 と し て 生 じ る] と。5

) 利 益 の 区 分けbilanzieller(pagatorischer)Gewinn とKalkulatorischerGewinn が あ ると ベ ー エ は 言 う。6)

例 え ば , 松 本 剛 ,r ド イ ツ 商 法 会 計 用 語 辞 典 」 森 山 書 店1990 年287 頁 に お い て 次 の よ う な 説 明 が あ る。「Erfolgsrechnung (成 果 計 算 [ 書 ]) に は 広 狭2 義 が あ るノ 狭 義 に はGewinn −undVerlustrechnung ( 損 益 計 算[ 書 つ と 同 義 。 広 義 に は

こ の ほ かBiianz も 含 む ] と 。 ま た291 頁 に お い てErfolg に は2 義 が あ る 。1 つ はGewinnundVerlust の 意 味 。Erfolg はErtrag とAufwand の 差 額 。 プ ラ ス のErfolg

がGewinn で , マ イ ナ ス のErfolg がVerlust で あ る 。 第2 の 概 念 はErtrag とAufwendung ( 費 消 , 費 用 ) の 上 位 概 念 と し て 用 い ら れ る 。 こ の 場 合Ertrag とAufwendung の 差 額 はErgebnis (業 績 )で あ る。プ ラス のErgebnis がGewinn 、マ

イ ナ ス のErgebnis がVerlust で あ る と 述 べ ら れ て い る。7) 自己 資 本 に つ い て は 企 業 家 資 本 , 参 加 資 本 の名 前 も使 用 さ れ , 他 人 資 本 は 債 権 者 資 本 と も 言 わ れ る 。 さ ら に こ こ で の利 益 は バ ラ ン ス シ ー ト 上 で 最 終 的 に 出 さ れ たBilanz-Gewinn の こ と で あ る。 従 っ て 総 資 本 に つ い て は 利 益 と他 人 資 本 利 子 が 分 丿 とFとな る。 利 益 と 他 人 資 本 利 子 の 合 計 は 資 本 利 益 と 呼 ば れ る こ と も あ る と い う。 以 上 の点 に つ きWohe,a,a,0,S ,48.

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8) 我 々 はKosten を 原 価 と 表 示 す る が , こ の 言 葉 は 経 営 経 済 学 で は 重 要 な も の だ が 統 一 概 念 は な い と さ れ て い る 。Horschgen,a,a,0,S,242. 原 価の 内 容 に つ いて 次 の3 種 類 の 標 識 が 区 別 され る と す る。(a )財 貨 の 数 量 的 消 費 ,べb )財 貨 消 費 が 真 の 目 標 に 関 連 す る 程 度 ( も し くは 給 付 と 関 連 す る 程 度 ),(c)真 の 目標 に 関 連 し た 財 貨 消 費 の評 価 。 ま たGutenberg は 要 素 投 入 量 に 価 格 を 掛 け た も の と し て 示 す こ と に も 触 れ て い る。 し9 ) 以 下 に つ い て ,Bestmann,U バHg. ),KompendiumderBetriebswirtschaftslehre,Miinchem /Wien,Oldenbourg,1982,S,10 −11ニ ……10 ) 以 下 に つ い て は ,Ulrich,H ,DieUnternehmungalsproduktivessozialesSystem,Bern /Stuttgart,PaulHaupt,1968,S,288 −290.11 )ebenda,S,290 に お い て ,「利 益 極 大 化 を 唱 え る 学 者 の な か に は , 企 業 経 営 者 が 極 大 の , 絶 対 的 利 益 を 獲 得 し よ う と す る の か 或 い は 極 大 の 収 益 性 を 獲 得 し よ う と す る の か に つ い て 見 解 の 一 致 は ない 」 と。 ‥‥ ‥ ‥‥12 )Mellerowicz,K.,Unternehmenspolitik,BandI,Freiburg,RudolfHaufe,1963,S,85 −88. ∧ ニ ト \13 )ebenda,S,214 つ221.例 え ば 「経 営 経 済 的 思 考 は 大 部 分 数数 値 的 思 考 で あ り,つそ れ は 価 値 と 数 量 で 表 現 さ れ る 。 数 字 に 基 づ い で 経 営 は 意 思 決 定 を す る 。 こ の こ と は 経 営 が 大 規 模 に な りそ の 構 造 が 複 雑 に な れ ば な る ほ ど 大 き く な る」 と 。 ………14 ) 以 下 に つ い て こ こ で ぱ と く にNicklisch,a,a,O.,S,3 一5に お け る 言 明を 中 心 に す る。15) 一 般 的 に は 我 々 は 経 済そ れ 自 体 の 正 確 な 理 解 を も とに し て い る の で は な い 。 経 済 に つ い て 例 え ば ,Weber ドM 。WirtschaftundGesellschaft,Tubingen,Mohr,1985. (Funfte パevidierte.Auflage ),Sバn-32. イ あ る 行 動 が そ の 意 図 的 意 味 で 効 用 獲 得 へ の 願 望 を 満 す こ とに 向 け ら れ て い る 限 犬 りで , 経 済 的 に 指 向 し て い る と い う。 経 済 行 為 は 自 由 使 用 の 権力 を 平 和 裏 に 行 使 す る こ と に な るノ こ れ は 主 とし て 合 理 的 経 済 行 為 で あ っ て 目的 合 理 性 に 従 っ て 計 画 的 に 経 済 方 向づ け ら れ て い る も の で あ る 。 経 済 は 自主 独 立 的 に 継 続 的 な 経 済 行 為 で あ り , 経 済 経営 は 経 営 に 合 っ た よ う に 配 列 さ れ た 継 続 的 経 済 行 為 と い う こ と に な る 」 と。16 )Nicklisch,a,a,O.,S,3. こ こ で 我 々 は ,単 位 の な か に 部 分 ,肢 体 が 含 ま れ,そ れ を 表 現 す る 用 語 とし て個 別( も し く は 個 部 性 )が あ る も の と 解 釈 す る。但 し ,単 位 は 個 別 的 な も の で な い か は 不 明 で あ る 。 ま た 単 位 は 全 体 の な か で は 個 別 性 を 示 す か も し れ な い が 明 確 で は な い 。17 )ebenda,S,3. も ちろ ん個 別 既 が 全 体 性 に 抵 抗 す る か の 如 く活 動 し て も よい が , そ の よ う な 場 面 で は 経 済 原 則 は 作 用 し て い ない こ と に な る 。

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