著者名(日)
ライプホルツ ゲアハルト[著], 名雪 健二[訳]
雑誌名
東洋法学
巻
56
号
1
ページ
233-246
発行年
2012-07
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00000150/
政府と議会といった近代民主制において、特に、国家の意思形成に参与する機関の憲法上の代表的地位は、今に な っ て 十 分 に 問 題 と な っ て き た。 憲 法 と 現 実 (感 覚 的 に 知 覚 し う る 対 象 の 意 味 に お い て) と の 間 に は、 こ ん に ち 至 る ところで、はっきりと際だった矛盾がある。 特に、代表制自体、現在重大な危機にある。議員の自由は、国民代表者の言論と投票に決定的に影響をおよぼす 政党組織と党派に、多かれ少なかれ、広範に依存している。議員は、たいてい、選挙人によってある政党に所属す る者としてのみ議会に選ばれる政党およびその名士の指図に拘束される役員以外のなにものでもなくなってきた。 しかし、決定の自由なしには、政治的に決定する人物の側から、代表は不可能である。代表は、この関係におい て、ある政党が決して国民全体を代表しうるのではなくて、ある国民集団の特別な利益だけを代行しかできず、場 合 に よ っ て は、 そ れ を 代 表 す る ゆ え に、 不 可 能 で あ る。 そ の 点 で、 政 党 と 国 民 的 に 結 合 し た 国 家 共 同 体 と の 間 に は、 実際 に は 矛 盾が あ る。 あ る 政党 ―― こ れは ま た、 言 葉の 語 源 ( Partei す な わち、 pars = 政 党) か ら明 ら か と な る 《 翻 訳 》
現在の民主制における憲法と現実との緊張関係
ゲアハルト・ライプホルツ著
名
雪
健
二
訳
が ―― は、 決 し て 全 体 で は な い。 政 党 に 固 有 な、 他 の 政 党 に 対 す る 補 充 の 必 要 が、 そ の 本 質 に 属 す る。 少 な く と も、一つの他の政党の存在なくして、政党を概念的に考えることはできない。それは、現代の政党制度がはまり込 んでいる政治的領域において、どの政党も、同時にその構成員の範囲を拡大し、かつ、最大数の国民をその目的の た め に 獲 得 す る 傾 向 を 有 す る こ と を 妨 げ な い。 し か し な が ら、 「国 民 政 党」 へ の こ の 意 図 は、 必 然 的 に 常 に 制 限 さ れる。ある政党が国家を独占し、かつ、それと同一視するならば、その本質の前提が消滅し、同時に、技術的意味 において、国家全体の内にある一つの政党といういい方が不可能になる。 そこで、たとえば、こんにち、ロシア、イタリア、スペインにおいて権力を握った独裁政党がヨーロッパの他の 政党制度からはずれている理由は、独裁政党が国民全体との同一視を目指しているゆえにではなくて、この国家と 政 党 の 同 一 化 を 外 面 的 に 実 際 に 実 現 し、 そ し て、 そ の 後 (そ の 必 要 は な か っ た の だ が) 、 同 一 化 を 法 律 的 に も 裏 づ け たからである。その際、独裁政党は、確かに反対派の出版の禁止、信念上独裁にとり非好意的な態度をとっている 団体組織の解散、市民的・自由主義的基本権、とくに結社の自由および集会の自由の大幅な停止など、暴力的手段 を採用したのであるが。 た と え ば、 フ ァ シ ス ト 政 党 は、 フ ァ シ ス ト 国 家 を 統 合 す る 一 構 成 要 素 で あ り、 そ れ は 貴 族 的 エ リ ー ト 部 隊 と し て、 純 粋 な 国 家 組 織 (軍 隊 や 警 察 な ど と) 、 い わ ゆ る 国 家 機 関 と 同 じ 仕 方 で、 国 家 の た め に 使 用 さ れ、 そ の た め に 活 動する。ファシスト政党は、 「まさしく国家精神の代弁者であり、推進者であり、 ・ ・ ・ ・その重みのある内容ゆ え に、 ま る で 国 家 の 本 質 で あ る」 。 し た が っ て、 こ ん に ち、 イ タ リ ア の 場 合 も、 他 の 独 裁 制 国 家 同 様 に、 政 党 国 家 の概念は使用できない。というのは、その前提条件、つまり国家の中で、複数政党が同時に存在するということが 国家と政党を外見上同一視することであてはまらないからである。
代表制の現在の危機は、同時にその古典的形態において、代表制をもとにして発展してきた議会制の精神的基礎 を揺るがさざるをえない。議員が党派的に拘束され、部分的な利益の代弁者にすぎないならば、議会の議決は、も は や 議 論 を 尽 く し、 か つ、 国 民 の 代 表 者 の 自 由 な 相 互 の 意 見 交 換 の 産 物 で は な く な る。 自 由 な 意 見 交 換 は、 む し ろ、議員の確信と意思形成への美辞麗句的に作用する弁証法による影響の可能性が存在し、要するに、議員が国民 全体の代表者であるところにだけ可能である。代表者は、すでに、バークが述べたように、まさに「彼の公平な意 見、彼の賢明な判断、彼の啓発された良心」を彼の委任者に「犠牲にし」てはならない。あらゆる議会制の本質の 一要素をなす議論は、議員が既定の路線を進み、提起された新たな論証に反応せず、討論の終結に自主的に最終決 定を下せない場合に、意味を失い、 「無用な儀式」となろう。 し か し、 こ ん に ち に お い て、 代 表 制 お よ び 議 会 制 の 危 機 が ―― 妥 当 な こ と に ―― い わ れ る だ け で は な く て、 「代 表的統治の危機」までがいわれるようになった。実際に、憲法上独立の議院政府は、こんにちドイツのみならず、 他の国家においても、もはや大幅に国民全体を代表しない。議院政府は、議会内で支配する党派およびその背後に ある政党組織に左右されるようになった。こんにち、大臣がその憲法上の地位を自覚した強力な人物でない限り、 たいていは代表の意味において「全体の奉仕者」ではなくて、大臣がイギリスのように、その支持者に直接に対面 しようと、または多くの他の国のように、政党機構に依存し、その決議や指図だけを遂行しようとも、その党派お よび政党の依頼を受けた代弁者である。そのため、この点において、議会代表国家の危機を解消するために「政府 の支配権」の復元を要求したのも誤りではない。 憲法と現実との間のこれらの緊張関係は、具体的に解釈されるべき憲法規範が法現実に適った別の解釈もありう る場合にのみ調和可能である。この当為と存在のなるべく解消すべき二律背反を対象とする問題は、同時に一般的
国 法 上 の 意 義 を 有 す る。 あ ら ゆ る 成 文 憲 法 に は、 「実 際 上 の 統 合 制 度」 に 適 合 し、 か つ、 こ れ に 応 じ て 変 化 し よ う とする意図が内在するというスメントが、最近おこなった主張はまさに当をえている。法規には「価値関係または 価値関係の可能性の相違」が内在する限り、規範の解釈は、内容的に変化し、その時その時の法現実を受け入れる 可 能 性 が あ る。 そ れ ゆ え に、 あ る 規 定 の 解 釈 に あ た っ て、 歴 史 的・ 言 語 上 の 論 証 (制 定 史 お よ び 立 法 者 の 意 図 へ の 指 摘 な ど) が、 決 定 的 な も の に な る こ と は あ り え な い。 同 じ 理 由 か ら、 法 の 比 較 も ま た、 内 容 的 に 一 致 す る 規 範 の た だの並列に限定されてはならない。というのは、価値観が国民共同体内で、または法の比較に際して、異なった国 民 の 価 値 観 が 該 当 す べ き 規 範 に 関 し て 内 容 的 に 一 致 し、 か つ、 「諸 現 実」 が こ れ ら の 価 値 観 に よ っ て 形 成 さ れ て い るかどうかが、常に決定的であるからである。たとえば、全国民の法の下の平等のような憲法原則が、一連の国家 において、同じにまったく異なった解釈になり、また、時の立つうちに、自己の法体系の中でも内容的に解釈が変 更されうる。 も っ と も 著 名 な 例 を あ げ れ ば、 立 法 者 が 規 範 と し て 承 認 し た も の の そ の 本 質 か ら し て も、 「既 存 の」 本 質 を 表 現 する概念をあらゆる法現実と結びつけるわけにはいかない。成文の規範体系の弾力性と現実への順応性は、個々の 規定が明らかにもっている人文科学的意味合いをもしかしたら、逆にするほどのものではない。さもなければ、法 原則がその特異な規範力を唯一に決定的であると主張された社会学的力に奪われる始末になるだけではなくて、規 範を超越する精神的実態もまた、内容的に歪曲されることになる。 特に、代表の概念は、法学のこれらの本質概念に属する。規範的または実際的意味において、規範という概念を ここで提示された、もしくは以下で提示すべき本質の標識は、規範または実際の意味内容に属するものとして立証 される場合においてのみ使用してもよい。国民との関係についていえば、国民が――一人または複数の――代表者
に よ り、 政 治 的・ 観 念 的 単 位 と し て 再 現 さ れ (人 的 存 在 の 二 重 性、 代 表 性 の 理 念 的 基 礎 づ け) 、 代 表 者 の か か る 主 張 を 国 民 が 正 当 な も の と し て 承 認 し (代 表 の 正 当 化) 、 政 治 的 に 決 定 す る 代 表 者 が 自 主 的 決 定 権 を 有 す る な ど の 場 合 で あ る。たとえば、この意味において、ある憲法が代表議院内閣制を採用しているならば、法現実が議院内閣制と矛盾 し、非代表的構造を有する場合、憲法と現実の矛盾が存在する。というのは、かかる政治体制にも、議会制にも、 その本質と合わない現実を取り替えることができないからである。憲法が代表制を採用したときでも、基本的に同 じである。ここでも、現実でよく知られている代理という概念を代表も、代理も、両概念の本質を内容的に歪曲す ることなしに、いかなる形でも代表へと再解釈はできない。それゆえに、憲法が代議制を是認し、かつ、矛盾する 慣習法が明白でない限り、法と現実との間に乖離する二律背反は、制定法の変更によって初めて是正されうる。 そうすると、実際問題として、つぎの結論につながる。すなわち、代表制の支配の下で「正しく」決定しようと す る 権 限 の あ る あ ら ゆ る 裁 判 上 の 審 級 も、 そ の 審 理 に ま か さ れ た 事 実 関 係 に 矛 盾 が 生 じ た 場 合、 法 現 実 を 無 視 し て、 成 文 法 に し た が っ て 調 整 し な け れ ば な ら な い。 こ の よ う に し て、 矛 盾 が 生 じ た 場 合 に、 法 が 現 実 に 勝 る 限 り ――そして、規範的でもある法的観察に矛盾が生じた場合の基本的決定を無視できないものである――「現実」と なった政党国家は、法の意味における国家と一致しない。代表制の放棄の後、法が矛盾した際にも「事実」となり うる場合に初めて、政党国家が法的に誕生した時がくる。 憲法と法現実の対立を構造的に調整し、それによって、規範と現実を相互に融和するというさまざまな国家で行 われており、かつ、互いに大幅に異なった試みが失敗に終わらざるをえないことが、代理の自律性およびその本質 的構造の認識から理論的に明らかとなる。というのは、精神科学に属する、代理のような本質概念は、どうでもよ さそうな政治的現実にのみあわせ、そのたびごとに変わる内容をもって満たされうるのではなくて、その客観的明
白性からはっきりと規定されなければならないからである。 したがって、代理の概念を目的概念としてだけみなして、本質概念としてみなさなくて、これをもとにして、特 に、議員の選挙人および政党組織からの従属を理論的・構造的に説明しようと試みた最近数一〇年間の代理理論に 賛 成 す る こ と は で き な い。 「こ の 従 属 は、 実 際 問 題 と し て、 そ し て、 妥 当 な こ と に 存 在 す る。 こ の こ と を 誤 認 す る あ ら ゆ る 法 的 理 論 は、 誤 っ て い る」 。 こ の 文 章 が い く ら 正 し く て も、 逆 に 法 現 実 の 具 体 的 現 象 を 代 理 と い う 一 般 的 概念に無理やり合わせ、それによって、それを内容的に捻じ曲げることは、本末転倒である。もっとも代表的な憲 法理論上の試みだけに触れると、たとえば、フランスにおいて、デュギーの自然主義的リアリズムは、この主題に 関して、代表特有の本質の認識をもたらすよりは、むしろ代表事実の社会学的言い換えとなる。イタリアのミツェ リも、アメリカのローウエルも、国民全体の代表と一部の人たちの利益代理という二つの対立する組織制度を互い に組み合わせ、個々の議員が国民全体を代表するだけではなくて、同時にまたその構成要素、すなわち、選挙人と 政 党 組 織 の 利 益 を も 代 理 す る 能 力 が あ る と 明 言 す る こ と に よ っ て、 い と も 簡 単 に 現 存 す る 緊 張 を 取 り 除 こ う と す る。これにより、議員は、同時に国家の代表者および彼を選挙する集団の下位におかれるべきである。 ここで批判される見解が弁証法的にもっとも切れ味鋭く主張されたのは、ドイツで、ゲオルク・イエリネックに よってである。イエリネックは、彼により導入され、たびたび批判なく継受された第一次的および第二次的国家機 関という区別を用いて、法現実の現象を説明しようとし、また、無理な差異にもとづいて、代表者と被代表者との 意思の間に法的統一を論じようとした。イエリネックによれば、――ここで、対立する基本的な立場がとくにはっ き り と あ ら わ れ る が ―― 適 用 さ れ る 法 的 概 念 は、 「認 識 規 範 で は な く て、 現 実 の 一 定 の 法 的 目 的 の た め の 判 断 規 範」である。それゆえに、場合によっては、個々の場合に、法律学的意味における代表の存在を肯定し、同時にそ
れ は、 社 会 学 的 ま た は 心 理 学 的 意 味 に お い て、 「虚 構 お よ び 外 見」 と 説 明 し て 拒 否 す る こ と、 ま た は、 逆 の 場 合 も あることさえ主張する。それに対して、現実がそもそもその認識により初めて意味あるものとして判断されうるの で、ここで展開される、現実の認識と判断との間の根本的区別を否定する現象学的立場をとる本質の研究を主張す る。そして、かかる本質の研究は、その時の法現実から独立しているゆえに、その内容に立ち入ることも、その現 実と抵触することも可能な国法学に限定されない普遍的な認識を作り上げることを主張する。 さらに、なぜ現代諸民主制において、代表の基盤がまさに政治的決定を下す機関に関して、困難な問題となった かの理由を問うと、特に一九世紀中に、構造上完全に変化された議会の選挙法を指摘しなければならない。という のは、スメントが、ロレンツ・フォン・シュタインの社会理論との関連で解明したように、選挙法には国家の枠外 で 作 用 す る 社 会 的 な 勢 力 を 国 家 の た め に 利 用 し、 そ れ に よ っ て、 社 会 を 国 家 と 融 和 さ せ る 機 能 が あ る と す る な ら ば、 「社 会 の 選 挙 法 に は、 た だ 社 会 的 な 力 関 係 が」 働 き、 国 民 代 表 が「国 家 と 社 会 と の 間 の 中 間 体 と」 な る。 そ の 結果、国民代表機関において、もはや、全体の利益のみのではなくて、主として統合的に作用しない社会的の個別 的な利益が国法に組み込まれる。そして、議員は、もはや国民全体の代表者ではなくて、個別的な政党により体現 化 さ れ た 社 会 的 利 益 の 代 弁 者 で あ る。 こ の 観 点 か ら み て、 こ ん に ち 代 表 制、 つ ま り、 議 会 制 も 代 表 議 院 内 閣 制 も 陥った危機は、結局、国家によって創りだされた国民の政治的統一の、分岐する社会的勢力との対決によりもたら される近代国家の全面的危機の帰結である。 比 例 代 表 制 の 導 入 は、 こ の 展 開 の 延 長 線 で、 も と も と、 す で に 存 在 し た 危 機 を 著 し く 増 し た。 政 党 幹 部 の 権 力 は、有権者の立場と引き換えに大幅に強化された。有権者にではなくて、まさに「中間の選抜機関の機能」を引き 受けた政党には、政治指導にあたるべき者に関する最終的決定権がある。多数選挙制において、有権者と議員との
間にまだある程度保障された直接の関係は、比例代表制により最終的に破壊される。有権者の投票は、第一次に政 党のものであり、有権者の候補者を指名することへの直接的影響の可能性、したがって、自発的な指導者の指名は 不可能である。要するに、比例代表制の導入により、本来、代表制に特有であった議会選挙に「固有の創造的な弁 証法の一要因」 (スメント) がまたもなくなった。 危 機 の こ の 深 刻 化 は、 比 例 代 表 制 と 必 然 的 に 因 果 関 係 の あ る 社 会 的 利 益 の 細 分 化 と 関 連 し て い る。 こ の 利 益 に よって、議会において作用する社会的勢力は、同時にある程度の国民投票的要素をえる。ミラボーが意図した、ま た、 他 の 者 が、 こ ん に ち な お 望 む よ う に、 議 会 が 個 々 の 票 を 正 確 に、 か つ、 「公 平 に」 描 写 す る 国 民 の 政 治 的 配 分 の「鏡」であるべきとするならば、国民と議会の典型的代表の関係から逸脱されて、数的関係を可能とする選挙人 または政党と被選挙人との間に存在する「直接的民主制の」関係が前提とされる。この理由から、比例代表制は、 傾向として、極端な平等主義的形式民主制に属し、自由主義・平等主義的形式民主制には属しない。 ドイツ・ライヒ憲法など、一部の憲法が同時に、代表制も国民投票的比例代表制もあわせて採用するという点に みられる法的不均衡は、憲法制定者による比例代表制が代表制におよぼす影響に対するもともと不十分な見通しに 由来する。フランスやイタリアなどすでに一部分に成功したまさに比例代表選挙制一般に対する逆行の動きは、憲 法制定者も代表制にとっての比例代表制の危険な帰結を意識し始めており、また、憲法制定者の代表制への根本的 肯定に対して、比例代表選挙制の導入には二次的な意味にのみ、すなわち、組織技術上で直接民主制の意味におけ る構造を変更させるような意味をみいだすべきではないということを十分に裏づける。ついでにいうと、比例代表 選挙法を巡る戦いに際して、圧倒的多数をもって代表制そのものの継続をいかなる形でも検討しようとしなかった 諸学説も同じ立場である。
この関係において、法と現実の間での――こんにちの政党組織の法律的承認にも拘わらず――相変わらずの厳し さで進行する対立がどのようにして解消されるのかという問題を最後に検討しなければならない。 政党支配自体がすでに一八世紀のイギリス、一九世紀のフランスやドイツなどで何度か構想された成文法の法現 実 へ の 接 近 の 意 味 に お い て、 憲 法 に よ り 法 的 に 承 認 さ れ る 解 決 策 が、 も っ と も 適 切 で あ る か も し れ な い。 こ れ に よって、実際は、憲法上、その時その時に政府を構成するための指名を受けた政党および党派の執行委員会にしか す ぎ な い 政 府 同 様 に、 あ る 政 党 の 所 属 員 と し て の 議 員 も、 国 民 全 体 を 代 表 し な い こ と に な る。 最 近、 ケ ッ ト ゲ ン は、首尾一貫してこの意味において、こんにちの制度の最終的結果として政党所属大臣を公式にも承認することを 要 求 し た。 そ れ に よ っ て、 ―― 少 な く と も、 議 会 と 政 府 の ―― 代 表 の 基 礎 は、 最 終 的 に 取 り 除 か れ る こ と に な ろ う。 こんにちの政党支配のかような憲法的法制化の最終的結果まで明らかにするために、政党国家が憲法理論上どこ に位置するのか、また、ここでどの構造原理が一般意思の形成となるのかが、解明されなければならない。 こんにちの政党国家は、よくみれば、直接民主制の形態である。国民発案および国民投票のように、市民自体が それとも有権者もしくは政党組織に直接依存している国民代表機関が基本的政治的に決定を下すかは、本質的に違 いはない。有権者が、たとえば、結社のような意味において、帰属すると感じている政党の幹部議員への依存関係 も、 市 民 の 国 民 代 表 機 関 へ の 影 響 の 可 能 性 を 基 礎 づ け る。 「組 織 さ れ た 国 民 の 代 弁 者」 と し て の 中 央 集 権 主 義 的 政 党の介入は、代表が行われない面積の広い国家の大衆デモクラシーにおいて、ほとんど必然的である。かかる組織 された代弁者によって初めて、大衆の有権者は、政治的に実際に行動能力ある集団に結合される。とにかく、明確 で憲法機構を麻痺させない決定を可能とするような自己の確固たる伝統の実体がない国民にとって、その形成は不
可 欠 で あ る。 通 常 の 政 党 制 度 の 下 で も、 「立 法 府 は、 も は や 議 院 内」 で は な く て、 「外」 、 す な わ ち、 国 民 自 体 に 属 するであろう。 近代「政党国家」が直接民主制の変種にすぎないならば、市民が、すなわち、それまたは政党から独立した国民 代表もしくは最終的にまた、政党により決められた政府がその決定において、国家の意思形成に参加をする限り、 民主主義の基礎となっている原理、つまり、憲法理論上その基礎となる意義を、最近、C・シュミットによって新 たに指摘されたのはしごくもっともである民主的平等を機能的に変える同一性の原理でさえ、一般意思形成となり うる。政党の多数意思は、国民の全体、それによって国家の統一を基礎づけうるために、国民により、一般意思、 つまり、超党派的な全体の意思と同一視させられなければならない。この同一化の過程の中で、政治的理念的統一 と し て 国 民 を 代 理 し な い。 た と え ば、 市 民 な ら び に 政 党 に 基 づ く 民 主 主 義 に お い て、 国 民 全 体 は、 投 票 権 の あ る 個々の市民によっても、積極的に作用する国家の同志の総計によっても示されない。代理の原則のように、精神上 特有な自律的な構造を有している同一性の原則と同じように、経験的現実的に変えられえないし、また、同一性の 意味において作用し、全国民を代表する個人の存在といったようなものから生ずるこの立場から主張されえない。 国民投票による民主制と代表民主制との違いは、同時に機能的に国家を統一にまで統合する二つの憲法原則、意 思 を 統 一 的 に 作 用 す る 代 表 原 則 お よ び 同 一 性 の 原 則 の 対 立 の 中 に 含 ま れ て い る。 た と え ば、 確 か に、 ヴ ァ イ マ ー ル・ライヒ憲法においては、法的に同一性の考えに基づく国民投票による制度が、原則的に代議制の憲法と結びつ けられうる。それは、発案または国民投票を是認する形態でもしくは同時に二つの形態で、国家の意思形成に参加 することによってである。国民の関心が十分である限り、これらの二つの場合において、代表の原理は、純粋に民 主制の同一性により廃棄され、つまり、立法のために任用された立法機関から、市民によりその代表的性質が奪い
取られた。それに対して、直接的・代表的民主制の構成要素は、およそ二院制におけるように、市民とそれを代表 する議会を国民共同体のための政治的決定に同価値に参加させる仕方で、相互に結びつけられえない。国民の意思 が民主制において、その助けをもって、恐らく創設しうる二つの構成原理がこの仕方で互いに結合されようとした ときに、国家論的、かつ、憲法論的無意味さを是認することになろう。どの組織原理が具体的に共同体内での意思 形成に際して適用されるかの問題は、むしろ二者択一的にのみ意味をもって投げかけられうる。国民と同一の市民 または議会だけが、しかし、国民と議会は民主制において、最終的に妥当な同価値的に権威のある決定を下すこと はできない。 こ の 基 礎 的 立 場 か ら、 民 主 制 に お い て も 議 会 が な ぜ 必 然 的 に 国 民 全 体 を 代 表 す る 必 要 が な い の か が 始 め て わ か る。すなわち、立法機関は、近代大衆民主制の共同意思がいわゆる直接民主制におけると同じように、同一性の原 理を用いて形成される場所でもありうる。同じ理由から、政治的理念的統一として国民を代表しない政府も、すな わ ち、 こ れ ら の 大 衆 民 主 制 に お い て、 憲 法 上 政 府 の た め に 任 用 さ れ、 交 代 す る 政 党 や 政 党 多 数 派 が あ る。 そ れ ら は、政府の業務を担当することによって、なお、国民全体の代表とならない。その時その時に強調される「政党内 大臣」は、この場合において、その指図に依存している国家指導のために選ばれた政党の執行機関にすぎない。さ もなければ、政党内大臣は、ひそかに独立した代表者にまたなるであろう。しかし、それによって、選挙人集団の 直接民主制の組織として近代国家の代表の基礎を克服しようとし、ついに、除去しようとした政党は、政府との関 連で変化させられた形態でまた、代表者に立ち帰るであろう。 このもっとも自然である解決、つまり、成文憲法の法現実への接近に対して唱えられるべき基本的異議は、少な くとも現在では、政党内部でだんだん進む社会の崩壊過程のため、同一性の原理が国民の意識において、つぎのよ
うな緊張の中で生き生きとしているかどうかが、問題となったという点にある。すなわち、国民の意識は、政党多 数派の考えを国民共同体の一般意思をもって遂行しようとするということである。近代大衆民主制において、この 関係は、たとえば、純粋に国民投票によるスイスのカントンよりも、とても複雑である。すなわち、大衆民主制に おいて、意思形成的に向きを変えられた平等原理は、国民にとり、なおまったく基本的なもの、まったく活力ある もの、ほとんど自明なものとみえる限りはである。面積の広い国家において、政党国家、政党支配、政党制だけが あるほとんど一般的となった有力な用語例は、問題となった状況を典型的に示している。日々新たに必要となるこ の同一化がうまくいけば、政党支配の憲法上の正当化は、大衆民主制となるのではなくて、その形態において、政 党の再び代表の、しかも権威主義的・代表的独裁となるか、または、こんにちのヨーロッパでよく知られることに なった独裁の意味におけるカリスマ的に正当化された人物、もしくは、その存在が憲法的構造原理の一つの生き生 きとして作用する力に意図的にまさに依存する近代国家の解消となるかどちらかであろう。それゆえに、憲法がこ んにち、なお近代国家の民主的・代表的基礎に固執し、この意味で、議員と政府に影響を与えようとし、また、責 任を自覚した人物の場合に、特に政府内で、実際にもなお作用しようとするならば、これは、現在において、古く さい自由主義的回想を生き生きと保つためには行われない。むしろ、前もって確かにいうことができない発展をで きるだけ抑えておくことが、直接民主制の代用であるこんにちの政党国家への権威ある拒絶の深い意味である。す なわち、その発展は、結局実際、民主的に国家を支えることを実証するであろうか、またはむしろ逆に、代表の方 向へ法秩序の非民主的・革命的変動とならないか、もしくは過去数百年で、苦労して闘い取った国家統一の暫時の 破壊にさえなるのであろうかどうかである。
訳者あとがき こ の 翻 訳 は、 ゲ ア ハ ル ト・ ラ イ プ ホ ル ツ ( Gerhald Leibholz, 1901 ―1982 ) 教 授 の 古 典 的 名 著 „Das Wesen der
Repräsentation und der Gestaltwandel der Demokratie im 20. Jahr
hundert “ の第四章の訳である。 G・ ラ イ プ ホ ル ツ 教 授 は、 一 九 〇 一 年 一 一 月 一 五 日、 ベ ル リ ン に 生 ま れ、 ハ イ デ ル ベ ル ク 大 学( Universität Heidelberg )、 ベ ル リ ン 大 学( Universität Berlin ) の 両 大 学 で、 哲 学 と 法 律 学 を 学 び、 一 九 二 一 年 に、 一 九 歳 で 哲 学 博 士 ( Dr. phil. ) の 学 位 を 取 得 し、 一 九 二 四 年 に、 法 学 博 士 ( Dr. jur. ) の 学 位 を、 ハ イ ン リ ッ ヒ・ ト リ ー ペ ル ( Heinrich Triepel, 1868 ―1946 ) 教授の下で取得した。一九二八年、公法学教授資格を取得し、同年、ベルリン大学の 私講師となり、 一九二九年、 グライフスヴァルト大学 ( Universität Greifswald ) 教授に招聘され、 一九三一年、 ゲッ ティンゲン大学 ( Universität Göttingen ) の教授となった。 G・ライプホルツ教授は、一九三五年、ナチス政権の下、ゲッティンゲン大学教授の職を追われ、家族と共にス イスに出国、その後、イギリスに亡命した。一九三八年以後、オックスフォード大学で研究を続け、第二次世界大 戦後の一九四七年にドイツに戻り、ゲッティンゲン大学に復職した。また、一九五一年から一九七一年までの二〇 年間に亘って、連邦憲法裁判所判事 (
Richter des Bundesverfassungsgerichts
) を兼務した。その間の一九六八年に、 星 章 肩 帯 連 邦 功 労 十 字 大 勲 章 を 受 け、 一 九 八 一 年 に は、 ハ ノ ー フ ァ ー 大 学 ( Universität Hannover ) か ら、 名 誉 博 士 が授与された。 G・ライプホルツ教授は、一九八二年二月一九日、ゲッティンゲンで八〇歳の生涯を閉じた。ドイツの雑誌シュ ピ ー ゲ ル ( Der Spiegel ) は、 ゲ ッ テ ィ ン ゲ ン の 国 法 学 者 で、 長 年 に 亘 っ て 連 邦 憲 法 裁 判 所 判 事 で あ っ た ラ イ プ ホ ル
ツ教授が連邦共和国の憲法の発展に多大な影響を与えたとし、彼の政党国家論は政治家に理論的基礎を与えたと論 じた。 な お、 G・ ラ イ プ ホ ル ツ 教 授 の こ の 著 書 の 全 訳 は、 廣 田 健 次 教 授 (日 本 大 学 教 授、 ボ ン 大 学 客 員 教 授 を 歴 任。 ゲ ッ テ ィ ン ゲ ン に 研 究 滞 在 し た 際 に、 G・ ラ イ プ ホ ル ツ 教 授 の 下 で、 国 法 学・ 憲 法 学 を 学 ぶ。 ) が 訳 者 代 表 と し て、 『代 表 の 本 質と民主制の形態変化』という題名の下に、近く成文堂から単行本として出版される予定である。 平成二四年四月一〇日 ―なゆき けんじ・法学部教授―