プライバシーの権利とその範囲--アメリカの判例を
めぐるいくつかの法的問題点
著者
三和 一博
雑誌名
東洋法学
巻
5
号
2
ページ
55-82
発行年
1962-03
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00007809/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.jaブライパ
シ!の権利とその範囲
││アメリカの判例をめぐるいくつかの法的問題点
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プライパ γ ! の権利は、同時代における個人の権利と社会の権利とのもがきを反映している。 つまり、プライバシ ーの権利はこれらの対立する理念の間の子供であり、 プライバシーの権利をめぐる法的問題点はこれらの原理の衝突 のスパークから生ずるものである。本来個人的な権利であるプライバシーの権利が社会的利益という対立する理念に よって漸次的に調整されることによって、両者の価値のパラ Y スが達せられ、プライバシーの権利の正しい範囲が明 らかになってくる。 前号(本誌五巻一号五九頁以下) ではアメリカにおけるプライバシー法理の発展について概観してきたのであるが、 個々のケ l スの漸次的な増大は、単なる過去の判決の速記的な摘要としてだけでなく、将来の取扱いに対する道標と して、それを有効とするような一貫性をもって、現在に適用されるべき一連のル l ルを築き上げている。このような アメリカの裁判所によって追求された一般的なル l ルにしたがって、本号では、プライバシーの権利をめぐって生ず るいくつかの法的問題点を取上げてみる。 プライバシーの権利とその範囲 五 五東 洋 法 学 五 六 本 号 で の 判 例 も 、 も っ ぱ ら 、
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によれば、通常理解される ようなプライバシー(狭義)における利益のほかに、少くとも三つに類別される利益がある。すなわち、経歴におけ る利益(
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﹀である。もちろん具体的なケ l ス に お い て は 、 これらの中のいくつかが侵害された場合が多いのである が、しかしほとんどの場合に、 主として含まれている利益によって合理的に分類することができる、 としている。 プライバシーという用語は、プライバシー概念によって保護される利益を十分に表わすには、あまりにも狭すぎるといわれ るほどに変化してきており、近時の判決は、プライバシー法理によってカバーされる状況の多様性を明らかにしている、とい わ れ て い る( 8
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経歴における利益 人の経歴における利益は二つの方法で侵害されうる。 一つは、その経歴(個人生活の些細)事の単なる暴露によっ て 、 いま一つは、その一部もしくは全部を個人的な利用のために盗用すること(毛言。胃E
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ロ ) に よ っ て な さ れ る 。 個人生活の私事を保護してほしいという要求は、それがわれわれの法やそれ以上のものに深く根ざしているよう に、ほとんど説明や擁護を必要としないものである。にもかかわらず、他人の生活の内幕を暴露することは、それが単 な る う わ さ 話 の 水 準 を 超 え る も の で な け れ ば 違 法 に な ら な い b さ ら に 、 そ の 暴 露 が そ の 人 に は げ し い 精 神 的 苦 痛 を 起 さ せ る 場 合 で も 、 そ の 流 布 さ れ る 報 道 に お け る 公 的 な 利 益
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自由。が、その人の個人的な利益よりも重要で ある場合には、それは訴えられない。 この種のケ l スとして有名なものは、一九四O
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虫色町田は、一一才の時に著名な数学者たちに第四次元の数学を講じ、一六才の時に国R
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ぬ から学位をうけた天才児であった(この時期に、かれは公衆から多くの喝采と注目をうけた)が、その後、かれは神経障害を うけ、身元を隠そうとして、その異常な数学的能力を使う必要のない平凡な銀行事務員となって、穏やかに慎しみ深く暮して い た 。ι
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門誌は、﹁かれらはいまどこに﹂(当官話﹀B
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という特集において、∞広山田の伝 記的スケッチをしたのである。それは、別に敵意のあるものではなかったが、市電ののりかえ切符をしゅう集しているかれの 楽しみの奇行をリストして、偉大な才能を焼きつくしてしまった才人の姿を明らかに描写していた。∞丘町は、自己のプライ バシーの権利が六つの州において侵害されたとして連邦裁判所に訴えた。しかし地方裁判所はそれを却下し、さらに巡回控訴 裁判所もそれを確認したのであるが、裁判所は、過去のことをそっとしてほしいという本人の希望と公開を期待する世間の俗 世的な願望との衝突する場合として、相当に苦悩しながらも次のようにいっている。 ﹁すぐれた反対意見にもかかわらず、われわれは、新聞雑誌のせんさくからの絶対的な免除を私的生活の内的な比一一細事のす べてに与えようとはまだ思わない。だれでも若干の点で、流布される報道における公的な利益がプライバシーに対する個人の 要求をこえて優勢になるということに同意するであろう:::少くともわれわれは、ぜロE
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の疑問のあるまた限定しに くい状態を達した人、あるいはそれを押しつけられた人については、その私的な生活の制限された吟味合2
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を 許 し た ・ : ﹁われわれは、印刷された事項のニュース価値がつねに完全な擁護を構成するか否かに関しては、何らの注釈も表明しない。 暴露は、そのコミュニティの礼節の観念︿g
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に焦点を合わせた場合は、衣服や言葉づかいや習癖や人格の通常の容 プライバシーの権利とその範囲 五 七東 洋 法 出ι 寸‘ 五 八 貌についての正しい論評は普通はこの線を超えないであろう。嘆かわしいことかどうか、隣人やぜロ
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岱 ぬ ロ 円 。 叱 の 不 幸 や 弱点は他の住民にとっては相当の関心事であり、また議論の主題である。そして、このことがコミュニティの大多数︿B22
﹀ である場合には、毎日の新聞や図書や雑誌におけるかれらの表現を禁ずることは、裁判所にとって不得策守口調 20) となるで あ ろ う : : : ﹂ と 。 この判決は、人はその意に反して E 匂 ロ 巴 芯 出 ぬ 己 円 0・ u となりうること、また匂c
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のプライバシーの侵害は﹁その コミュニティの礼節の観念﹂であれば許されるという点において注目されるべきである。つまり、換言すれば、経歴が暴露さ れたケ l スでは、公衆が原告の私的生活における何らかの正当な利益を有するか、また、もしそのような利益をもつならば、 その利益は原告の生活のいかなる程度までおよぶか、という問題を提起する(後述五ω
参 照 ) 。 このような考え方は、私事の暴露を含む判決の基底にあるようである。たとえば、一九四六年の巴g
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吋 問 。 ロ ( 同 町 ω 司 ・ 注 品 句 、 九 日 。 ∞ ︿ k r 志・ロ・ゎ・﹀)事件では、十分にはいっていないが、煽動罪として刑事訴訟手続におかれた被告人としての控 訴人の地位は、独りでいるという権利をもっ大部分の市民からかれをはずすものであるとして、かれは正当な公的利益の対象 であり、その結果として、M
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由。ロはラテオ解説者 であって、その放送の一つで、ホテルのバーテンザーである原告が高官たちの秘密会談を盗聴する立場にあったということを 指摘したものである﹀。 なお、一九四三年のの8
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-概念の下でおそらく違法とならない場合でも、個人的な利益のために 他人の経歴を盗用する場合には問題となる。ただ、それが訴えうるものとなるためには、他人の経歴の使用によって たとえば最近のうわさ話を伝えることが楽しいというような単なる個人的な満足の水準より以上のも 引 出 す 利 益 が 、 のでなければならない。商業的使用のために盗用するだけでは起訴しうるものにならないといわれてきたが合 0 3O H o o p m g M V E )
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しかしこの点はさらに詳しく考える必要がある(後述六参照)。 商業的使用といわれるもののすべてが、この意味での﹁商業的﹂ではない。田弘吉事件では、zod ﹃ J 円 。 件 。 門 誌 は 明 ら か に 商 業的使用のために∞丘町の個人的な経歴を使用したが、だが、そのことはプライバシー法理に関連ある﹁商業的盗用﹂︿8
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ロ)ではなかった。同様に、巴 B r z 同 国 同 事 件 で は 、 ロ 足 場 可g
吋由。ロのスポンサーが自己の製品販売の一 助 と し て 回 B r R E の生活の些細事を使用したのであるが、この事件は商業的使用のための盗用として責任を負わせなかっ た。その説明は、被告が各々の事件で提出したものの報道価値に存するのであって商業性の欠除には存しない。つまり、 ∞丘町事件で優勢であった流布される報道における公的利益が、二つの方向で重大となる。経歴の暴露が訴訟の争点である場 合には、この公的利益は宮H
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概念によって責任を制限するように作用する。盗用概念の適用が可能である場合に は、被告の提出したものが報道を第一にしている場合に責任は同じく消滅させられる。したがって、裁判所は、虫色町田事件に おけるように盗用概念を全く無視するか、あるいは﹁商業的﹂使用を見出そうとはしないであろう、といわれている(司巴ロr
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田 口 間 以 同 町 凶 釦 仲 吋 N C ) 。 アメリカの裁判所は、 公 開 の 各 タ イ プ の 報 道 価 値 に 対 す る 評 価 に 区 別 を お き 、 ま た メ デ ィ ア の 種 類 に よ っ て よ り 好 み を し て い た よ う で あ る が 、 そ れ は 不 当 な 結 果 に 導 く お そ れ が あ る 。 問 題 は 、 も っ と 公 開 そ れ 自 身 の 事 実 に 重 点 を お 会-ーたとえば、それが注意、深い仕事であるか、全然フィクションであるか、などl
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、 ま た 、 メ デ ィ ア に 関 す る 価 値 判 断 も 柔軟であることが必要である(各種のマス・メディアに対するアメリカの裁判所の態度についてはZ
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巴 定 。 i m 怠を 参 照 ) 。 この点からいえば、ラテオ放送を起訴できるものとした宮内 5 4 ・ 目 。 のE
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いる)。この事件は、自動車の運転手であった原告が、強権にあって狙撃されて重傷を負い、しかもその襲撃はかれに精神上の 病気を残し、それは単に事件を陳述するだけでも神経にはげしい攻撃的作用をひき起すほどであった。狙撃の後、ほとんど一 年半たって、被告会社が原告の同意なしにその氏名を使用してそのホールドアップ事件をラ少オ・ドラマにしたのであるが、 原告はその放送を聴いてはげしい精神的苦痛を起し、さらに友人からの電話の問合せによって悪化し、その結果、安全な運転 ができなくなってしまい解雇された、ということを訴えた。連邦地方裁判所は、プライバシー権を認めた初期のカリフォルニ ア の ケ i ス ( 昌 巳 ︿ ロ ︿ ・ 同 巴 子 ロ N h 巳 ・ kPRYN∞
P N ミ 同 ) 問 。 . 山 口 ︿ 台 ﹁ ロ -E -H S H ﹀│本誌前号七一頁参照)の先例にしたがって、 被 告 の 却 下 の ・ 申 立 を 否 定 し た 。 訴訟の争点が明らかに単なる暴露である場合には、裁判所は原告が匂円H I E
-の 白 山 山 口 円 。 に な っ た と い う 理 由 で 容 易 に 被 告 の 申 立 を是認したかもしれない。原告はその意に反しても匂ロ巴古出∞C
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となりえたのである。また、ホールドアップ事件の正確 なニュース摘要は、回目r
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吋明。ロの放送より以上に違法性がないといいえたはずである。また、事件後一 年半もたつていたという時間的なおくれは、あるいは被告に責任を負わせる理由となるかもしれないが、これとて、事件の正 確なニュース報道であるならば、年末のニュース摘要ゃあるいは近辺の著名な犯罪に関する日曜附録記事と同様に、安全にな しえたであろうとおもわれる。しかし、この事件では、ラジオ放送が主として実際のニュース記事というよりも、それ以上に 現実の出来事にもとずいたドラマであった。﹁報道における公的利益﹂は単なる暴露を保護するかもしれないが、しかし原告 の不幸な経験についての詳細の使用を保護しない。つまり、このような使用は報道を第一としているものではなくて、原告を 傷つけるものであり、それゆえに違法なものである、と適切に判示したのである。 (2) 肖 像 に お け る 利 益 理 論 的 に は 、 経 歴 に お け る 利 益 の 場 合 と 同 様 に 、 人 の 肖 像 に お け る 利 益 も 単 な る 暴 露 あ る い は 盗 用 の い ず れ か に よ って侵害されうる。 し か し 、 た と え ば 写 真 に よ っ て な さ れ る 他 人 の 肖 像 の 単 な る 暴 露 は 通 常 は 不 法 行 為 に な ら な い と思われる。 それは、放棄概念(後述五参照)から説明される。つまり、公衆の視界へ容貌をさらすことによって、自分の肖像が他人に 暴露されることに対して保護される権利は放棄している、と考えられる
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巴 。 ロ ∞ ︿ 巴 ω ∞ ﹀ ) 。 このような極端な場合を除いては、 高度の困惑を生ずるような写真による肖像の 暴露ですら、それが他の利益の侵害をも含んでいるような事情の下で行われないかぎり、それだけでは違法とはなり えないであろう。自像における利益を含んだ判例では、個人的な使用による盗用、もっとも通常には商業広告という 点が強調されている。 この場合には、その状況は単なる暴露の場合とは全く異ってくる。まず放棄概念は関係してこない。つまり、戸外を歩行す ることは他人に顔を見せることに同意することを含んでいるが、それは他人自身の財政上の利益のために自分の顔を使用させ ることに同意することを含まないといえる。さらに、この場合には権利を行使することの困難は少くなる。つまり、写真の商 業的使用は比較的少く、しかもかれらがそれを使用していることは、その性質上容易に発見できるであろう。また、現実に損 害の発生する見込みは増大する。つまり、多くの人は製品の広告中に自分の容貌を見出すことに困惑もしくは狼狽させられる の が 普 通 で あ ろ う 。 このようなケ i スでは、その侵害が過失によったものである場合でも、原告は商業広告中での自己の南像の権限な プライバシーの権利とその範囲 ー」ー ノ、東 洋 法 学 ノ、 き使用に対して賠償をうけた。 明
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の評決を回復し た。控訴においてはノ i ス・カロライナ最高裁判所は、﹁フォリス﹂に対する原告の評価が﹁この方法で生計を得ている多く の若い婦人に対する不当な恥辱かつ非難﹂となるであろうと解釈して、文書誹致の件を棄却し、プライバシーの侵害に関する 新しい審理を命じた(なお、後述五ω
参 照 ) 。 同様に、被告の液体調髪品の広告として原告の写真の権限なき使用を扱った出RF
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∞﹀)事件は、いずれも被害をうけた原告と原告の肖像でもって自己の製品を広告した被告との衡平に関し た も の で あ る 。 しかしながら、写真の権限なき使用は、回附凶円四u
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﹀)事件のよう な場合には、 より異常な状況を含んでいる。 被告は、タイム・マガジンの医学欄において、﹁飢えたる大食漢﹂ という見出しで病院着をきた原告の一枚の写真と、 原告と認めさせるような、かっその病気の性質を説明する一・二節の文章を掲載した事件である(本誌前号七三頁参照﹀。 しかしその写真は、もともと被告に雇われたものではないリポーターによって、原告の異議を押しきってその病室で撮られ たものであり、そしてその原告の異議を知らずして被告によって用いられたものである。裁判所は、原告のために台、
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の 判決をして、次のようにいっている。 ﹁原告のわずらいがその異常性のゆえに若干の公的利益の事項であるといえるけれども、それはこのようなわずらいをうけ た人の同一性を示してよいということにはならない。個人的なわずらいの取扱いにおいて、医師へインフォメイションを与 え、あるいは医師によってそれを得るべき権利を含むべき場合には、プライバシーの権利に限界があるべきであるとしても、 かかる人の同意なしにそれと関連してその氏名を陳べるような公開は避けなければならない。﹂と。 たしかに、原告は2
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刊 の 出 向 円 弓 03 であったし、その病気は公衆の好奇心を喚起した。しかし病気の暴露は高度の 個人的事項であり、またω
広町事件においていわれたコミニュティの﹁礼節の観念﹂は、このような場合にこそ線を, ひくことを正当するであろう。それゆえにこの考えによれば、通常は訴ええないようなニュース写真の公開による場 合でも、病気の暴露とともに、 ま た そ の 一 部 と し て 、 同 一 性 を も っ て 使 用 す る こ と は 訴 え う る も の と な る で あ ろ う (なお、医学的写真の使用については後述五ω
参 照 ) 。 なお、絵(℃5
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﹀によるプライバシー権の侵害においては、厳格な写真的な正確性は必要ではない。原告の写真が 種々の点でそれと異なる絵画のモデルとして用いられた場合に、 F o 止54
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﹂と題する映画の広告ポスターにその写真を転写した。帽子と服装はまったく同じものであり、その絵の 回復が与えられている。 N 芯m
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のショ! 被 告 は 、 ﹁ 恥 八 世 の プライバシーの権利とその範囲 ...L..o / 、東 洋 法 学 ノ、 四 大きさは原告の等身大であって、重要でない変更はなされたけれども、原告であることは明らかに認められた。裁判所は、耳 確に描写されたものではないけれども、原告に近似している表現を放置することによって制定法の目的が挫折せられるであろ う 予 と の べ て い る 。 さらに、原告の写真が全然用いられていなかった場合ですら(原告に似た俳優の写真が用いられていた)、裁判所は、 その絵が何らかの視覚的再現を含んでいると判示している
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5 5 ﹀ ) (3) 氏名における利益 通常は他の利益が共に含まれているのであるが、稀に、氏名における利益だけが保護されることがある。 出 百 五 回 ぐ ・ 冨 巳2
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明 日 ロ } 向 。 。 ・0805
・ 九 日 ∞ NWHHωMYN 仏 お ∞ ︿ 5 A H H ﹀)事件では、被告デパートが、その検眼の業務の継 続を禁ずるような法案の否決を勧告するオレゴン州知事に対する電報に、原告の認識もしくは同意なしに原告の氏名をサイン した。原告の申立に対する被告の妨訴抗弁が支持されたが、控訴においてオレゴン最高裁判所はプライバシー権にその判決の 基礎をおいて、そしてωEZR
同 巳 ・ 宮 町 。 -O R ぬ ぐ ・ 同 町 長 } 命 令 臼 巧g
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口 ︿ 巴 ピ ﹀ ) 事 件 ( 上 院 議 員 宮 旬 。 日 目- Z
件 。 の 氏 名 を 使 用 し た 政 党 ︿ F m 司o
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の問題が重大となる。プライバシー訴訟におい て回復をうるためには、原告は侵害されたものが現実に自分に属する利益であったことを立証しなければならない ( ぇ ・ 同2
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仏︿巴ω∞﹀)経歴や山円像の盗用の場合には、このような向一性の証明の必要性は 通常あまり困難ではないが、氏名の場合には困難は大きくなる。国
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事件では、被告と原告とが雇用関係にあり、 か っ た 。 しかも電報に住所が書いであったので、この点は重大な問題にならな 同 耳 目 MM 可︿・出色問。ω
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この事件は、映画の公開宣伝として、ロスアンゼルスの一千名の人に対して被告によって送られた手紙から、原告が侵害を うけたという事件である。映画の筋の一部であるその手紙は手書きされたものであり、ピンクの便築に転写されて次のように 書いであった。 ﹁ 最 愛 な る 人 へ 、 このことは誰にも洩らさないように、私はロスアンゼルスに帰ってきましたが、今まで感じた以上に貴方にお会いしたいも のです。約一年前に私がどんなにしてふざけ回った合己ロ包か覚えていますか。とにかく、私は、現在、もう一度やってみた いという気持でいますし、本当のところ、充分娯しみたいという気分でいます。 もう一度よりを戻しましょう、貴方が忘れることのできないような一晩をすごすことを約束します。3
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﹃ロ劇場の前で木曜日にお会いしましょう。その眼には輝きを唇には微笑を浮べ、心には不幸を抱い た 女 の 子 を 探 し て 下 さ い 。 愛 情 を も っ て 、 貴方の仮想の遊び友達である、Z
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﹂ 手紙が郵送された当時、原告はロスアンゼルスに住み、しかも彼女の氏名は電話帳にその種類の唯一のものであった。もち ろん、富良芯ロ同2
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刊という氏名は、映画およびその原作である図書において非常にポピュラーになった女主人公の氏名で もあった。裁判所は原告のプライバシー権が侵害されたと判示して、訴却下の判決を破棄した。被告は、手紙が﹁明らかに広 告であり、かつ合理人によって読まれるにちがいないもの﹂であったこと、および、それについて少しも﹁わいせつ、誘発も プライバシーの権利とその範囲 六 五東 洋 法 ~己 ず・ ノ 六 しくは不道徳なもの﹂ではなかったことを主張した。後の主張は、被告の使用のための原告の氏名の盗用であったか、原告の 評判を侵害したか、という問題に関するものであって、プライバシーの争点としては直接に関係しないが、前の主張は、同一 性の証明の争点に対して真正面に起った。この点について、裁判所は次のようにいっている。 ﹁手紙は、事実、明白かつ明確な様式において原告に関係したものであり、また彼女の存在を知る人によって合理的にそう 理解されたであろう。訴えられた不正な点 ( 4 3 。ロ巴は、原告のプライバシー権の侵害であり、かっかかる侵害は、彼女が他 の地方にいたものと侵害者が考えていたがゆえに、やはりリアルであり、あるいは損害があるものである。﹂と。 第二の主張については争いはあまりありえないが、しかし原告が感情の重大な損傷を正当化されるかどうか、つまり彼女の 氏名における利益の侵害が被告の行為の結果によって起ったかどうかは、疑問の余地のあるところとおもわれる。 姓 ま た は 名 の み が 独 立 し て 保 護 さ れ る か ど う か に つ い て 、 そ れ を 一 般 的 な ル i ルとして論ずることは無益である。 具体的なケ!スにおいて探究すべきことは、固有な名前の使用がーーーその人の著名さと、被告によって与えられた公開のタ イプとを劃酌することによって
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公 衆 の 心 に 原 告 が 明 ら か に 同 一 視 さ れ た か ど う か で あ ら ね ば な ら な い(
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仲 間 ♂ 白 石 岡 山 巳 m m H U 民 ・ 同v p
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巳 F O ロ m w 阿 国 円 。 仏g
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。 . 、 芸名・筆名またはその他の仮名に与える保護の程度に関するケ l スにおいても若干の混乱があった。ニューヨーク連邦地方 裁判所は、その州におけるプライバシー制定法が芸名またはその他の変名に対して適用がない旨をのべたが(ロミぽヲ同・同・ 0 ・ 何 色 5 目 立 ロ 足 ♂ ( ︿ ロ ・ 。 ・ 2 ・J円 ・H
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司・切口署・呂町)、同じ巡回における巡回控訴裁判所によるその後の判決では、附随的 意見において右の判決を否定した(の白仏己 F ︿ -F 。 m hち
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。既婚 婦人がその旧姓の権限なき使用を禁じうることを認めた判決はある(回包- q
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﹁いかなる慣習がかつて存在しえたとしても、婦人は現在一般に婚姻後もその旧姓によって引続き知られるものである。プライバシ}の権利は人に対して与えられているものであり、かつその
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が一般にまた公的によく知られている 名前によってその人に自由に与えんれるべきである﹂)。通常の場合とは逆に、出版社が、二つの名前が同義であるという理由 で、筆名で書かれた著者の本名を使用することが許されているケ i ス が あ る ( 巴 ロ ∞ ︿ ・ 出5
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冨 Z 。 .HNNUHNωZ ・円 ・ Jω
-H 品 h H ︿ ] 戸 山V H O ﹀ ) 。 (4) プ ラ イ バ シ ー に お け る 利 益 プ ラ イ バ シ ー 概 念 に よ っ て 保 護 さ れ る 人 格 の 種 々 の 利 益 の 一 つ と し て 、 通 常 理 解 さ れ て い る 狭 義 の プ ラ イ バ シ ー に おける利益がある。すなわち、誰からも見られない(ロ♀z
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広忠)、従わされない(ロo
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な ど の プ ラ イ バ シ ー で あ る 。 こ れ ら の 利 益 が 通 常 こ う む る 損 傷 は 侵 害(
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。 ロ ) と さ れ て お り 、 そ し て そ の 侵 害 に 対 す る 法 的 保 護 の 範 囲 は 、 判 例 か ら は 明 確 で は な い が 、 裁 判 所 は 本 来 私 的 な 場 所 に 独 り で い る 権 利 ( 同 目 的E
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が行使されるということを指摘している。 Y 向 。 ロ 自 由 。 -4 ・ ﹀ 己g
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。﹀事件では、原告の会話を盗聴す る装置を病室にとりつけたことに対し、不法侵入公5
4
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るとは全く別に、原告に訴権を認めた. さらに、前述(
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参照﹀の回目宮門事件でも、ミズリ l の裁判所は、原告の病気の事実の暴露が違法であると判示したのみ でなく、次のことをつけ加えている。 ﹁同様に:::確かにプライバシーの権利は、治療や健康回復のために病気または床についている聞に同意なしに撮られた写 真の公聞から、その人を保護するのは当然である:::。﹂と。 したがって、ここでは、裁判所は、明らかに経歴の違法な暴露という面よりも、プライバシーにおける利益に対する侵害と いう面から考えていたといえる。そうだとすれば、原告は、公開からだけでなく、基礎的な不法行為である写真撮影という侵 害行為からも同様に保護されるべきことになる。ただ、この場合には、d
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・がその全部について責任をもつべきかど プライバシーの権利とその範囲 六 七東 洋 法 学 六 八 うかは疑問である(その雇人が違法な写真を撮ったのではないし、また真実の状況応対する共謀の認識をもっていなかった﹀ が、経歴の違法な暴露に関しては、その記事および同一性ある写真を印刷したという理由で、その責任は当然に
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。 ・ に属せられた。侵害のみに対する訴訟であった場合には、その責任はおそらく別人に存したであろう。 この点は、侵害行為が同様に不法侵入であった宮巳 Z H 4 ・ 戸 内 ︼ 凹 k r ロ m o - o m 何M
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の 巳 ・ kF3 ・ 立 ω。
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﹀)事件によって補足される(なお、同事件については後述五ω
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参照)。自殺を遂げた婦人の写真が、その悲 劇の起った後まもなく原告の家から消失したものの複写であって、それが発表された。死亡した婦人の夫であった原告は、不 法侵入・横領( g
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ロ﹀および写真の発表がかれのプライバシー権を侵害したことを申立てた。裁判所は、最初のこ点につ いて、写真のコピ!に対する被告の占有が原告の家屋への不法な侵入と関係あることを、原告に対して証明する必要があると のべた。それに対する原告の失敗が回復否定の一理由であった。同じ理由づけは、裁判所はそれを指摘しなかったけれども、 それが侵害にもとずいているかぎりにおいてプライバシーの点にも同様に適用した。一
一
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附
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映 画 や 小 説 に お け る 氏 名 や 写 真 の 附 随 的 使 用 に 対 し て は ( そ こ で は 、 一般に、原告の氏名や写真は公衆に真実でないとい う 印 象 を 与 え る ﹀ 、 回復は否定された。 。 。 。 W 4 ・ 吋 当 g t o任 。S
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﹀)事件では、特作長編映画におけるフ ィルムの五フィートを占める群集シ l ンに原告があらわれた事件であるが、仮差止命令の適用が否定された。 同様に、宮R
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﹀事件では、被告が白 人奴隷の働く現実の場所を示すことを趣旨とした﹁白人奴隷売買の内幕﹂(吋Z
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と題す る映画を製作したのであるが、そのシ i ンにおいて、明らかに原告の氏名の書かれた工場建物の外観がはっきりと現われたと いう事件である。裁判所は、原告の氏名が建物の写真の単なる附随的部分にすぎなかったという理由で、原告のプライバシー 権は侵害されていないと制示した。かかる目立つ場所に自分のしるしを置くことによって、その人は、他の点でそうする権利をもつであろう人によって写真を撮られることを防止しえない、としている。 ロ 日 ロ
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ロという名前が、=一九八頁におよ ぶ ﹁ シ ョ l ・ ボi
ト﹂と題する小説において使用された。裁判所は、各ケ!スにおいて、原告の氏名や写真の使用の範囲・程 度および性格を計ることを余儀なくされるとのベて、回復を否定した。文学上の便法が制定法( 0
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﹃ ) を 侵 害 す る 口実としてもち出されえないけれども、制定法は、著書における=
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を違法としようとはしていないし、本名の まったく偶然の記載を禁止しようとはしていない、といっている。 印4
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同 とよばれる人物が登場する﹁ベンソン殺人事件﹂と題する著書を出版した。フルネ l ムは人物のキャストにおいて一度用いら れただけで、本文ではただ姓であるω
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のみが用いられた。原告である司E
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品。は、以前、合衆国の法務 長官附特別助手であった検事であったが、決して地方検事附秘書官としての行為はなかったし、またかれの暮し方公問詰めると 著書における人物のそれとの間には類似はなかった。裁判所は申立を却下した。 同じことは、原告の写真が商業カタログにおいて附随的に現われた場合に達せられた。H
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﹀)事件では、宝石類の卸売商である被告が、そのショール ームの写真の入ったカタログを発行した。セールスマンである原告は、カウンターの背後に立っているのを撮されたが、その 写真は長さ括インチ、幅 3 インチであって、原告の写真は約メ平万インチであった。裁判所は、原告のプライバシー権の技術 q o 上の侵害はあるけれども、かれは実際の段損はうけていないとして六セントの判決を裁定した。被告は、原告とフィルムとの 関係を利用しようとはしておらず、かれの写真が入っていることは別にカタログの価値を増すものではなく、その売場を表現 するという被告の主たる目的に単に附随的なものにすぎなかった、といっている。 プライバシーの権利とその範囲 九東 洋 法 会旦. 寸晶 七
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法人のプライバシー
プライシパ l 法理の目的は、人間の平和と幸福の増進にある。それゆえに、自然人のみがプライバシー権をもっと いうことが一般に認められている。 組合に対して否定したものとしては、岡山。自ロ4
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事件がある。この事件 では、被告会社が E ︿g
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を発売したのであるが、その包装および広告は、アカデミックなガウンを着て角帽 をかぶった若い女性の絵、カレツヂ・ペナントの模造品、カレツヂ・エ l ルおよびカレッヂ・シ l ルの模造品がついており、 しかも=︿g
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の販売を禁止することはできないとしたが、その 理由は、被告の行為は、そのカレツヂの学生や卒業生に対しては﹁心痛や苦悩や困惑﹂を起したであろうけれども、法人であ るカレツヂはそのような人間感情に対する侵害をこうむりえない、というのにあった。さらに裁判所は、カレツヂは学習のた めの団体公g
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片 山 O ロ)としてその機能の遂行からもっとも充実した収益のために広範な公開に依存しまた勧誘している公共団 体である﹂という興味ある論議を附加している。 しかしながら、 ユタ州法は﹁公共団体﹂守口E
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昨 日 0 ロ ﹀ に対してプライバシー権を与えている(
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5 ω l A ! ? 本 誌 前 号 七 五 頁 参 照 ) 。 以上の判例は何らの疑問もなしに先例として採用されたのであるが、z
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守口司自己目。)は次のようにいって、これらの 判例が不必要な制限的見解であるとして批判している。ーーなにゆえに、商社を構成している個人の氏名より以上に商社の名 称の使用がより自由であるかについて、何ら真の理由はない。さらに、法人や組合の名称の多くは、その無差別な使用にょって金銭上の価値が害されるであろうところの商業名公
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る と し て 、 ! ル の 確 立 が 必 要 で あ る 、 と 。 一般に広められているものである。より衡平なル四
死後のプライバシー
この場合、まず、ある人のプライバシー権がその生存中に侵害され、それが回復されないうちに死亡した場合に、 その相続人(遺言執行人あるいは遺産管理人﹀はその人に代って救済を追求しうるか、さらに、故人におけるプライバシ ー権は存するか、 つまり故人のプライバシー権が侵害された場合にその生存親族は訴権をもちうるか、 という問題が 提起される。 コモシ・ロ l 上は、財産権(官宅R
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昨日宮﹀は人の死後も残存するが、人的権Q
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は人の死亡とともに消 滅するというル!ルがある。ほとんどの判例は、 プライバシーの権利は=官。旬R q
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の 範 瞬 間 よ り も 、J
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の 範 隠 に 入 れ ら れ る べ き で あ る と 判 示 し て お り コ モ γ ・ロlでプライバシー権を 認める州では、人の生存中に発生したその侵害についての訴権はその人の死後はもはや残存しないことになる。 ( 本 誌 前 号 七 一 二 一 一 頁 参 照 ) 、 そ の た め 、 し か し 、 一 九 三 五 年 、 ニューヨーク州では、財産権と同様に人的権も残存するという制定法が通過した。 z o d ﹃ 吋 o 井 口 ぬ の め LOE何回SZ
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﹁人または財産の権利侵害に対する訴権は、その訴権を有した人の死亡によっ て消滅しない。﹂││ただし、プライバシー権に関してこの規定を適用した判例は見当らないようである。 こ の 問 題 に つ い て 、z
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は次のようにいっている 1 1 1 ﹁ 人 的 権 が 人 と と も に 死 消 す る と い う コ モ ン ・ ロ l 法 理は、不宰かつ不合理なものである。人的権と財産権との間の古い区別は、単なる一群の人的特権Q
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に関して何を支配しうるか否かについてのルl
ル で あ る 。 人 プライバシーの権利とその範囲 七東 洋 法 品ι す・ 七 的権と財産権との聞の区別は表面的にはあらわれるものであるが、原理的には実在しないものである。さらに、たとえその区 別が論理上正当なものであったとしても、なぜ人的権が人とともに死滅しなければならないかについては、何らの理由も現わ れない。訴権は一般に人の生存中にそれ自体で認められた価値物であり、それは死において失われるべぎものではない﹂と。 故人のプライバシーが保護されねばならないかどうかについては、近時の判決では、 プライバシー権が﹁生存中の 権利であって、死後の権利ではない﹂とした初期の判決(∞。
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-本 誌 前号六四頁参照)を否定している。裁判所は、生存者のプライバシーが法によって保護されうるというのと同じ理由づ けで、故人のプライバシーを保護することも容易に認めることができる。 一 九O
コ一年に制定されたニューヨーク州法( z
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・ の -w o ∞日)は幾分かわった方法でそれを緩和している i l l 生 存 者 の ポ l トレイトがその書面による同意なしに による同意なしに登録しえない旨が加わっている。 そして合衆国の故大統領のポ1
トレイトがその未亡人の生存中はその未亡人の書面 ユタ州法( d
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-ゆ 印 叶 ∞ N ︿ 巴 品 N ﹀)では、その相続人の書面による同煮が生存者の場合と同様に必要である 旨を規定して、故人のプライバシーをも保護している(以上の諸立法については、本誌前号七四・五頁参照)。 他州における近時の判例は、大体において)致して故人のプライバシー権を認めている。 ロ 。 ロ m -o m ︿ ・ω
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﹀)事件では、ある婦人がシャム双生児を生んだが、その後まもなくその子供が死亡し、その父親が子供の身体の写真を撮るために写真屋を雇ったところ、その写真屋が自らの使用のために追加プ リントをつくり、そして自らの名で著作権を得たのに対して、その父母が訴訟を起したのであるが、原告が勝訴した。 さ ら に 、 回 印 刷 。 目 。 同 ゆ J q・ ∞
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﹀﹀事件では、ある子供が身体の外に心臓をも って生まれたので、外科手術によってその崎形を治すために病院へ送られたが手術は不成功に終って、その子供は死亡した ω その病院は、両親の許可なしに新聞社へストーリーを与え、かっその身体の撮影を許した。その両親は、自分たちがその不具 の子供に関する事実の秘密保持権をもっており、またいつでも適当にその身体や生殖器をカバーしてやる権利をもっているこ とを主張して、訴訟を起した。裁判所は、三対二の判決において回復を許した。 しかし、原告のプライバシー権がその妻の自殺に関する詳細の公開によって侵害されたことを支持しなかった冨 Z Z H 4 ・T ) ω
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﹀)事件では、﹁ある人と親近関係にあるという 理由でもって、その人に関する公開をとおしての自分の不幸を救済される権利﹂を認めることはできない、としている(後述 五ω
参 照 ﹀ 。 しかし、これらの判例は、故人がプライバシー権をもっという命題、あるいは何らかのかかる秘密的法理に立って いるものではない。Z
釘角(官官印m
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もいっているように、生存中の権利のみを認め、死後の権利を認めないと いうことは、問題を誤解することである。事実は、非常にリアルな窯味において、その中に生存中のプライバシーが 含まれいているということである。奇型児の身体についての写真がその両親に対する注煮を促し、それによってかれ の 独 り で い る 権 利 分f
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る が 侵 害 さ れ る こ と は 疑 い え な い こ と で あ る 。 大 衆 の 好 奇 的 な 論 評 か ら 隔 離 と自由とを願う感じやすい人は、 かれらの死んだ子供に関して不必要に論評する記事によっても、 かれら自身に関す る同様の記事によってうけるであろうと同じように、容易に損傷をうけるであろうといえる(なお、後述五ω
参 照 ) 。 プライバシーの権利とその範囲 七東 洋 法 《¥. '7 -七 四 Z 山 N 2 ( m g H V 自己目。)は、さらに、﹁コモン・ロ!は人間に対する物理的侵害の保護から評判や感情に対する侵害の保護へと 進んできたが(本誌前号六一頁参照)、それは、死体の保護から死んだ親族の評判や思い出の保護へのより大きな変遷にほか ならない。あるいは、また、親族に対する生存者の感情にほかならない。ある人のもつプライバシーがその人の死んだ家族の 氏名や自像の権限なき使用によっても侵害されうるという事実を裁判上承認することは、コモン・ロ ll の歴史的伝統における 一歩前進である﹂といっている。
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放棄
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公的利益との関係 / -K 裁判所は 2 切 口 宮 山 の 民 間 ロ- g m
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あるいはごu
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目 。 。 H M 附 W H 1 0 2 0 H・ ω ごに対して回復を否定するために、しばしばプライバシー 権の放棄もしくは黙示的同煮といういいまわしを用いている。しかし、このような﹁放棄﹂(当包 40 一 円 ﹀ = 同 ︾ 回 V E A M 片 岡 阿 国 盟 諸 3 の場合 の正確な窯味 や取扱いについては、 しばしば困難が生ずる。 公 職 守 口E
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﹀を求める人は﹁公衆の注目からさえぎられた生活をする権利を放棄している﹂といわれ(巧R
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印)・また、﹁公衆の認識を求めかつ願うところの政 治家、作家、芸術家あるいは発明家は、そのプライバシーの権利を公衆に対して譲渡しているものといいうる﹂とのべられて い る 公BP
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・ 開 ・ 当 ・ 巧 巳E D
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∞ 定 ﹀ ) 。 も ち ろ ん 、 公的な職業を志望する者が評判(ロ自己百官)の中へ自らとび込み、 そして自由窯忠でもって 2 旬 ロ 宮 町 出 何 回 吋 03 となることは事実であろう。このように、その身分を任窯で引受けている場合はあまり重大ではない。 しかしながら、実際に E 匂 ロ V 出 。 出 向 C H・ 03 である人に軽卒に放棄概念を適用することは、その旬ロ宮町民何回M g
としての身分がその人の自由意思でもって獲得されたものであるか否かによって、 しばしば不幸な結果へ導くことがある。 人ばしばしば自らの肯定しない行為をとおして公衆の注目の対象となるが、しかしそれは、一般的な関心ある出来事におい てかれが不本意ながらも関係者になったためである。たとえば、守口
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・ 出 向 t L 司 。 え の 0 ・ (NS 同 w-NNNH∞
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・ 者 入 NLVSN ︿巴包﹀﹀事件では、原告が夫とともに街路を歩いていたときに不意に夫が襲撃されたのであるが、被告新聞がこの事件を記述 して原告の写真を掲載した。裁判所は、人は誰でも世間からはなれて生活する権利をもつけれども、ときには不本意ながらニ ュース価値ある出米事において俳優となる場合があるとのべ、このような場合には、その人はもはや自己の隔離からぬけ出し ており、その人の氏名や肖像の公開はプライバシー権の侵害とはならないとしている。 冨 ZZ 吋 4 ・ 円 、 。 ∞ ﹀ ロm H o
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何 M 呂 田 山 口 2 ( ω 印 の 巳 ・ ﹀ 同 省 ・ ︿ NL ﹀ ω 宏b
印 刷 ︼ ・ ︿ NL ﹀ 邑 H ︿ 巴 ω ゆ ﹀ ) 事 件 で は 、 裁 判 所 は 、 ロ ス ア ン ゼ ル ス に あ る公共建物の一二階からとびおりて自殺した婦人は、その行為によって彼女のプライバシー権(およびその夫のもまた)を放 棄した旨を判示している。自殺を決意した人は、おそらく将来の公開を予期することは考えられる。同様に、政治家を志す人 は、その人の希望ですらあれ、多くの公衆の注目を期待する。しかしながら、このような考え方は、プライバシー権の許され うる侵害の程度の決定においては不適切である。つまり、このような人が一切のプライバシー権を放棄していると考えること は で き な い 。 結局、これは放棄の方面からではなくて、正当な公的利益の方面からのみ決定されるべき問題であるといえる(吋 0 ・ z r o 晶 、 m C匂詰旦斗 N 吋 ) 。 し か し こ れ は 、 E M 2 H E 庁 出 間 口 H 1 2 3 がそのプライバシーの利益の若干の保護を放棄しないとか あるいは放棄が誤った概念であるということではない。真の区別は、 初 期 の 判 例 が ほ の め か し た よ う な切 ロ
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