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心理摘要 利用統計を見る

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Academic year: 2021

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(1)

心理摘要

著者名(日)

井上 円了

雑誌名

井上円了選集

9

ページ

13-88

発行年

1991-03-20

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00002923/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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    第壷章 緒論 緒・第一節・A・、我、人が天、地の閲惚立ちて目に色を見、耳に  聲を聞き口に味を感じ或.は喜び或ば笑ひ或は哀み動  かんピ欲レて動さ止らんピ欲らて止まり物の善悪事.  一の利害を識30思量するは蓋し人に如何なる作用あ⑬. 論  て然るやZ問は、是れ我生来有する所の精紳作用に  一 謔驛s云ひて答ふるより外なかるべし之を此π劃⋮ (巻頭) 4.刊行年月日   初版:   明治20年9月   底本:4版明治32年3月10日 5.句読点   なし 6.その他   (1)原本の索引,試験問題,東   洋心理学大意は省略した。 1.冊数

  1冊

2.サイズ(タテ×ヨコ)   126×187㎜ 3.ページ   総数:240   序言: 2   索引: 8   資料:16〔心理学系統史略〕   目録: 8   本文:184   総数:22〔試験問題,東洋        心理学大意〕 明間w…明嘲幼期l tS治治mtS■泊拍・ m−’ti’t:廿廿二二1 二入五西四二十十, 特牟年年年奔隼 三十七二二幽九入 月月月男月月 月  一  十一 望九入・・‡ 日日日日口臼 日 璃云馴欄田犀     正  瘤     ぼ 弛 廠蔑辰腹刷鹿版許 ゴ作籾頃.甲亭員鑑・r 癬行者=彗“■彼      藷雛題毒、ハ    ロロ やロ

・鷲︰警菅

     頂U飴緊焚    鷲棚綱蹴蒜 苔欝籍賄願鵜蹴 庵寧皐著頂魯■冥●胃  冑ヌ亘工寓犀“ 一 11一

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第五版序言

 本書は、余が先年初学の者に心理学の 端を授けんと欲し、多忙の際そうそう編述せしものなれば、誤謬、疎 脱もしたがいて多かりしが、図らず読者の愛顧を得て、日ならずしてこれを再版し、続きて第三版、第四版を重 ね、またここに第五版を刻するに至る。今これを刻するに当たり、更に﹁東洋心理学大意﹂を付録として巻末に 加え、もって東西心理学の比較研究に便にす。左に本書総目録︹前出︺を掲ぐ。   明治二八年八月一日       著 者 誌 心理摘要 13

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心理学系統史略

 心理学は近世の学問にして古代の学問にあらず。古代にありては、哲学家中全く心理を論ぜしものなきにあらざるも、 いまだ一科独立の学問として研究したるものあらず。ただただこれを純正哲学の一部分として論述したるのみ。たとえば ギリシア学者中プラトン氏、アリストテレス氏等の論ずるところ、すなわちこれなり。しかるに今日にありては、心理学 は純正哲学の範囲を離れて独立の学科となり、心性の現象作用を実究してその規則を考定する理学となれり。故に今日の 心理学は、心性の本源実体を論明する哲学にあらずして、心性の現象作用を実究する理学なり。術語にてこれをいえば、 心体の学にあらずして心象の学なり。しかして心体を論究するは純正哲学の部門に属す。しかるに古代にありて心性を論 ぜしものみな心体を問題となせしは、いまだ純正哲学の範囲を脱して心理学の独立せざりしによるのみ。近世に至りても、 その初代にありてはなお心理学と純正哲学との混同せしを見る。しかしてこの両学の判然相分かれたるは、今をさる二〇 〇年以後のことなり。  そもそも心理学は英国哲学家の得意とするところにして、またその哲学の特性というべきものなり。まずベーコン氏 ︵じd①60コ︶ひとたび哲学研究の方法を定めてより、ホッブズ氏、ロック氏、バークリー氏、ヒューム氏等相続きて起こり、 おのおの心理を論究したるも、いまだ純然たる一科独立の学科となるに至らざりき。その後心理学派二種に分かれ、その 第一派はリード氏を祖としスコットランド学派の心理となり、第二派はハートリー氏を祖とし英国学派の心理となる。こ の二者の異同は、スコットランド学派は先天説を用い、英国学派は後天説を用うるにあり。しかして余がいわゆる今日の 心理学とは、この後天派の英国心理学をいうなり。その学ハートリー氏に始まるというも、ホッブズ氏、ロック氏等の説 中にその源を発せり。しかしてその説を完成したるは、ハートリー氏以後、ミル、ダーウィン、ベイン、スペンサー等の 諸氏の力による。今その諸氏の心理説をいちいち論述するにいとまあらずといえども、ホッブズ氏以下諸氏の小伝を掲げ て、その系統を略示せんとす。  ホッブズ氏︵出oひひ6切︶は紀元一五八八年英国マームズベリーの地に生まる。僧侶の子なり。オックスフォード大学にお いて学業を修め、学成るの後、貴族の師傅となり欧州諸邦を漫遊し、当時の大家に接見し、イタリアにありてはガリレオ 14

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心理摘要 と相知り、本国にありてはベーコンと相親しむ。一六五〇年﹃人性論﹄と題する一書を著す。その前後、著書はなはだ多 し。その政治を論ずるや王権を主唱せるをもって、晩年人民の厭悪するところとなる。 六七九年に至りて死す。寿九一 歳なり。氏にさきだちてべーコン氏哲学研究法を講じ、実験帰納の必要を論じたるも、その論ひとり客観上の事物に関し、 いまだ人性心理のいかんに及ばざりしが、ホッブズ氏に至り実験帰納の論理を人心の上に応用し、心理を論ずるに物理を 用い、人の智識思想の作用は、分子の離合集散によりて物質の変化を現ずると同一理に帰し、諸感覚の離合によりて思想 作用を発現するなりという。また、感覚を解するに分子運動の理をもってせり。これまさしく世の唯物論の端を開くもの というべし。その論ロック氏に至りていよいよ明らかなり。  ロック氏︵[o臭o︶は一六三二年英国リングトンの地に生まる。法律家の子なり。その学をオックスフォード大学に修め、 もっぱら理学および医学を研究す。一六六四年英国公使に随従して独国に遊び、ベルリン府に滞在す。一年を経て本国に 帰り、貴族の家に客となり医を業とす。その後再び欧州大陸を漫遊し、帰りて貴族の師傅となり、ついで書記官となる。 氏一代の傑作﹃人智論﹄は一六七〇年に稿を起こす。一六七四年故ありて本国を去り、数年を経ていったん帰朝せるも、 一六七九年再び本国を去り、爾後オランダに住す。一六八八年に至りまた本国に帰る。その前年﹃人智論﹄の稿を脱し、 その翌年これを刊行す。一七〇四年七三歳の寿をもって遠逝す。氏の心理説は﹃人智論﹄中につまびらかなり。その論の 主眼は、人に本然の性情なきことを論定し、人智は経験によりて来生するゆえんを説明するにあり。これを説明するに感 覚、反省の二種を分かち、感覚は身体外部の作用にして、反省はその内部の作用なり。なお外部の感覚、内部の感覚とい うがごとし。この内外両作用によりて、我人が外界において経験するところのもの心内に積集し、かつ結合して思想とな り智識となるという。故にその説全く経験説なり。  氏の説を一歩進めて、翻りて唯心説を起こせし者はバークリー氏︵Co①完巴。司︶なり。氏は一六八四︹五︺年アイルランド に生まる。一七〇九年﹃視力論﹄を著す。一七一〇年﹃人智原論﹄を著し、外界は識心の作用を離れて別に存せざるゆえ んを証明し、唯心論の源を開く。一七五三年に至りて死す。氏とやや同時代に出でてロック氏の説を継ぎ、その極端に走 りたるものはヒューム氏︵=已ヨ①︶なり。氏は一七一一年スコットランド、エディンバラ府に生まる。史家ならびに哲学家 としてその名あり。一七三九年﹃人性論﹄を著し、 七四八年﹃人智論﹄を著す。ともに哲学上有益の書なり。その論、 15

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虚無を唱え懐疑に陥る。一七七六年に至りて死す。その他二、三の心理説を唱えたるものあれども、これを略す。  更に眼向を転じてスコットランド哲学の系統をみるに、その学はハチソン氏︵寓巨oゴoω8︶に始まる。氏は一六九四年ア イルランドの一地方に生まれ、スコットランド大学に在学し、学成るの後グラスゴー大学の教授となり、倫理学を教授せ り。その後アダム・スミス氏、リード氏等、教授の職にありしも、みな主として倫理学を講述せり。リード氏︵知o︷ユ︶は 一七一〇年スコットランドの一地方に生まれ、学をアバディーン大学に修め、心理学に関する著述数部あり。故にスコッ トランド学派中、心理を論ずるもの氏をもって祖とせざるべからず。リード氏に継ぎてステユアート氏︵∪力9乞①詳︶スコッ トランド哲学を講じ、ブラウン氏︵bd﹁o≦白︶また一家をなすといえども、スコットランド哲学者中最も勢力を有するもの はハミルトン氏︵工O∋=[Oコ︶なり。氏は一七八八年スコットランド、グラスゴーの地に生まれ、オックスフォード大学に 成業の後スコットランドに帰り、一時エディンバラ大学において史学の教授となりしも、一八三六年以後哲学科の教授と なり、ついに一八五六年エディンバラ府に死す。氏の哲学はリード、ステユアート両氏を継述すといえども、独国カント 氏の説に影響を受けしところ少なからず。氏はカント氏のごとく心性の現象を智情意の三種に分かち、智力に内覚外覚の 二種を分かち、外覚によりて外界の事物を知り、内覚によりて内界の事情を知るものとす。しかしてその知るところの内 界の事情は心性の現象にとどまり、実体を知るにあらずという。ハミルトン氏に継ぎてスコットランド学を唱うるものフ ェリアー氏︵ウ⑦日氏︶あり。氏は一八〇八年エディンバラ府に生まれ、大学教授となり、一八六四年に至りて死す。以上、 スコットランド学者の唱うるところの心理説は、英国心理学者ロック以下の論と大いにその性質を異にし、先天性の思想 を本拠として立論するものなり。しかるに英国経験派は客観上の経験を本拠とする性質あり。故に余はさきに、前者は先 天説、後者は後天説なりといえり。また、スコットランド哲学家は多少心理学と純正哲学とを混同して論ずるをもって、 その心理学はいまだ全然独立の学科を成すに至らず。しかしてその学の全く独立せしは最近のことなりといえども、その よりてきたるところを尋ぬるに、ハートリー氏の連合説より始まる。  ハートリー氏︵匡隅け言邑は一七〇五年英国アームレーの地に生まる。僧侶の子なり。その父はこれを教育して将来僧侶 となさんと欲しケンブリッジ大学に入るるも、氏は僧侶となるを欲せず、自ら医術を修む。その後﹃人類視察論﹄を著す。 この著の初稿は二五歳のときこれを起こし、一六年間その校正に力を用い、一七四九年これを世に公にす。一七五七年に 16

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心理摘要 至りて死す。氏の著書中一代の卓見と称すべきものは、脳髄振動説と観念連合説との二点なり。その説、ニュートン氏の 理学上の新説を、心理上に応用したるものに外ならず。まず氏の振動説を考うるに、脳髄および諸神経は感覚を生ずべき 機関にして、その分子の振動によりて感覚を生ずるものなり。故にもし外物ありて神経の末端に触るれば、神経分子の振 動によりて精神作用を興起するに至るという。つぎに連合説を考うるに、諸感覚観念互いに連合する性ありて、感覚は連 合して思想となり、単純の思想は連合して複雑となるという。これ思想発達の規則にして、今日の心理学の原理とすると ころのものなり。氏の門より出でてその説を伝うるものはプリーストリー氏︵㊥﹁8ω=oぺ︶なり。氏は一七三三年英国フィ ールドヘッドの地に生まる。氏は初め神学を研究して組合教会の牧師となるも、その後哲学に苦心し、哲学上の著書を発 行す。すでに改宗してユニテリアン教会の牧師となる。一七九四年アメリカに遊び、一八〇四年同地に没す。氏はハート リー氏のごとく振動説ならびに連合説を主唱すといえども、多少異なるところなきにあらず。およそ物質の形体は分子の 集合離散の度に応じて現出し、精神作用は脳髄の機械的作用の上に生じ、脳髄を離れて別に心体あるにあらずという。し かして物質全体とその固有の勢力とを合したるものに至りては、その体無比最上の神体の上に成立せざるべからずと説き きたりて、唯物論と有神論とを接合せるもののごとし。  ハートリー氏ならびにプリーストリー氏と同説を唱うるものはエラスムス・ダーウィン氏︵国日ω∋已。・Oc。﹃≦日︶なり。ダ ーウィン氏は一七三一年に生まれ、医学を修め医を業とすといえども、生理学ならびに心理学に関する著述あり。一八〇 二年に没す。その心理を説くや、ハートリーおよびプリーストリーと同説をとる。その説によるに、宇宙間に物心二元あ り、心元は運動を生じ、物元はこれを伝うるものなり。物質の運動に三種あり、物理的、化学的、生活的、これなり。動 植物の運動ならびに心性作用は、この第三種生活的運動に属すという。しかして心性作用の生ずるゆえんを説くに、感覚 神経の運動をもってし、その運動の連続より思想の連合を生ずとなす。  その他、ハートリー氏の連合学派に属すべきものタッカー氏︵↓c臭隅︶あり。一七〇五年に生まれ一七七四年に没す。 またぺーリ氏︹勺巴o巴あり。一七四三年に生まれ一八〇五年に死す。タッカー氏はハートリーの学派よりむしろリードの学 派に近し。ぺーリ氏はただ倫理上に一新説を立てたるのみ。しかしてハートリーの学説は、当第一九世紀に至りミル、ベ イン、スペンサー諸氏を得て大いに発達せり。 17

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 ジェームズ.ミル氏︵冨∋oω忌≡︶は一七七三年スコットランド、モントルーズに生まる。エディンバラ大学に入りて 業を修め、その初め僧侶となる予定なりしも、中途にして志を変じ文学を専修す。氏の著書中哲学に関するものは一八二 九年の発行にかかる﹃心理書﹄なり。これを心象分析論と名付く。一八三六年に至りて没す。氏の学はハートリー、ヒュ ーム両氏を継ぎ、実験心理学を唱え、観念連合説を取る。まず感覚と観念との関係を論じて、感覚去りたる後、心面にと どまるものを観念となし、その間に連合ありて、一者起これば他者これに従う。その前なるものは感覚にあらざれば観念 なり、その後なるものは観念に限る。しかしてその連合の強弱は、反覆、習慣等の事情異なるによるという。かくして観 念連合の道理は、氏に至りていよいよ明らかなり。氏の子をジョン・ステユアートこミル︵]o言o力9曽︷忌≡︶と名付く。 氏は一八〇六年に生まれ一八七三年に没す。その著書中哲学に関するものは論理書﹃ハミルトン哲学批評﹄およびその父 の心理書を訂正したるもの等なり。氏は純正哲学にてはホッブズ、ヒューム、コント三氏の説を取り、心理学にては父の 説とブラウン氏の説とを取るもののごとし。  ハートリー氏およびミル氏の心理説に基づき、心身の関係を明示せるものはベイン氏︵CO巴コ︶なり。氏は一八一八年に 生まれ、アバディーン大学の教授となり、一八五四年﹃感智論﹄を著し、一八六五年﹃情意論﹄を著し、一八六八年心理 学ならびに倫理学の書を著す。実に近世心理学家中の泰斗なり。氏の心理を論ずるは唯物論を唱うるにあらず、肉身を離 れて別に精神の存する説を排斥するにあらずといえども、その説明に至りては、全く物理の規則により連合の道理を取る ものなり。  スペンサー氏︵ωOΦ口oo﹁︶も近世心理学者の一人なり。氏は一八二〇年に生まれ、英国ダービーの人なり。幼時より数学 を好み、長じて土木工学を学び、中途にして文学に転じ、ついに哲学家として世間に称せらるるに至る。氏の哲学は五大 部より成り、第一部を﹃哲学原理﹄という。一八六〇年の発行なり。第二部を﹃生物論﹄という。二冊より成る。その第 一冊は一八六六年、第二冊は一八七二年の発行なり。第三部を﹃心理論﹄という。二冊より成る。その第一冊は一八七二 年、第二冊は一八七三年の発行なり。第四部を﹃社会論﹄という。二冊より成る。ともに既刊なり。第五部を﹃倫理論﹄ という。しかしてその第三部﹃心理論﹄につきて、氏の心理説をうかがい知ることを得るなり。その説、ハートリー、ベ イン等を継ぎ連合の原理を用うといえども、一家の新説は進化の原理を心理学上に応用せるにあり。故に氏は、心性作用 18

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心理摘要 は生活作用より進化し、生活作用は内外応合より発達すという。かつその発達は一世 代の経験に限るにあらず、数世数 代の経験によりて進化すという。この説明によるに、氏は過激の唯物論者なるがごとしといえども、自ら称して実体論者 なりと称し、物象の外に本体の実在を許せり。かつ氏は﹃哲学原理﹄中に可知的界の外に不可知的界の存することを説き、 物心万象の本体は人智をもって知るべからずとなす。  以上叙述せるところ、これを一括すれば、ハートリー氏よりスペンサー氏に至るまで、これを総じて連合学派と称す。 観念連合の規則によりて心性の発達を説明するによる。これ英国心理学の特色にして、ハートリーをもってその開祖とな すも、もしその源を尋ぬるときはホッブズ、ロック等の諸氏の経験説に基づく。しかして心理学の純正哲学の範囲を脱し て一種独立の学科となりしは、ハートリー氏以後相伝えて今日に至り、ベイン、スペンサー等の諸氏の尽力に帰せざるべ からず。余の本書中に述ぶるところは、ハートリー学派の連合説と、スペンサー氏等の唱うる進化説とを参酌し、これを 一科の理学としてその大要を摘示せるものなり。故に題して﹃心理摘要﹄という。  本書は英国学派の実験心理説の摘要なれば、ここに独国心理学派の系統を述ぶる必要なしといえども、独国にも実験心 理を講究する学派あれば、その人名を列挙するも、またあえて贅言にあらざるべし。そもそも独国において実験心理学の 祖と称せらるるものはヘルバルト氏︵=6吾自け︶なり。氏は一七七六年に生まれ一八四一年に死す。その学カントに基づく といえども、心理学をして一科独立の学科とする道を開きたるは、実に氏をもって始めとなす。けだし氏の心理学は実験、 数理、および純正哲学の三元素をもって科学的に講究したるものなり。しかしてこれを英国学派の心理説に比するに、純 正哲学を心理学の基礎とするの別あり。これ一般に独国学派と英国学派と、その見を異にするところなり。しかるに独国 哲学家にして、英国派の心理を唱道したるものはべネケ氏︵こd①oOズ①︶なり。氏は一七九八年に生まれ一八五四に死す。そ の説のヘルバルト氏に異なるは、純正哲学および数学を心理学の基礎中に加うる説を排斥するにあり。また独国哲学家中 にて、実験心理学に関係を有するものはロッツェ氏︵↑oCo︶なり。氏は一八一七年に生まれ↓八八一年に死す。その心理 は哲学上の憶説を混同し、いまだ純正哲学の範囲を脱せずといえども、また実験上の説明を用うるをもって実験学派の一 人に加うるなり。つぎに物理上より心理学を攻究し、いわゆる精神物理学の開祖と称すべきものはフェヒナー氏︵ブ06汀氏︶ なり。氏は一八〇一年に生まれ一八八七年に死す。また、生理学上より心理を論じたるものはヘルムホルツ氏︵コO一∋庁〇一吟N︶ 19

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なり。氏は一八二一年に生まれ、医学ならびに生理学をもって聞こゆ。しかれどもその心理を論ずるや、完全なる学科的

組織を開きたるにあらず。しかして生理上試験的に心理を攻究し、いわゆる生理的心理学を完成し、現今独国実験心理学

の泰斗と仰がるるものはヴント氏︵綱已目会︶なり。氏は一八三二年に生まれ、今なお存命なり。その学説はこれを略す。

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心理摘要

第一章緒論

       第一節 端 緒  今、我人が天地の間に立ちて目に色を見、耳に声を聞き、口に味を感じ、あるいは喜び、あるいは笑い、ある いはかなしみ、動かんと欲して動き、とどまらんと欲してとどまり、物の善悪、事の利害を識別思量するは、け だし人にいかなる作用ありてしかるやと問わば、これ、わが生来有するところの精神作用によるといいて答うる より外なかるべし。これをここに心性作用という。この心性作用を論究する学、これを心理学と称す。およそ学 問には理学、哲学、政治、法律等、その種類いくたあるを知らずといえども、一として心性作用によらざるはな し。故に諸学はみな心理学と多少の関係を有するものなり。ことに教育、倫理、論理等の諸学は心理学と密接の 関係を有することは、余が弁明を待たざるところなり。故にいやしくも学理を研究せんと欲するものは、必ずま ず心理学を修習せざるべからず。その他、医師が病客を診察するにも、裁判官が罪人を審問するにも、その人の 性質気風を知ることまた必要にして、宗教家が人を教うるにも、政治家が人を治むるにも、父母が子を養育する にも、詩人が詩を作り楽人が楽を奏するにも、人の性質を明らかにすることは実に欠くべからざる要点なり。今、 心理学を講習するもの、必ずしも人の心中を察知すべきにあらずといえども、ひとたびその学に入りて、外貌と 内想といかなる関係を有するかを究むるときは、これを実際に施して多少の益あるは必然の理なり。これにより てこれをみれば、心理学は人の目的業務のいかんを問わず、だれにでも一般に研究せざるを得ざる最重至要の学 21

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なりというべし。        第二節 物界心界の別  すでに心理学は心性の学にして、最重至要の学なるを述べたれば、これより心性とはいかなるものにして、心 性の学とはいかなる学問なるかを弁明せざるべからず。およそ我人が目を開きてその前に見るもの、これを物質 と名付け、目を閉じてその内に動くもの、これを心性と名付く。あるいは物質を客観といい、心性を主観という。 あるいは客観の一境はこれを物界と称し、主観の一域はこれを心界と称す。あるいはまた、心界は内にあるをも って内界と呼び、物界は外にあるをもって外界と呼ぶことあり。その図表左のごとし。       しかして物質は延長を有し、心性は意識を有す。

物③∴鶯鷺㌶∵翼霞甦雛霞野

       なその範囲内において起こるものとす。        第三節 心体心象の別  更に進んで、そのいわゆる意識界すなわち心界はいかなるものなるやを考うるに、第一節に述ぶるがごとき声 色の感覚、喜哀の情、挙止、動作、識別、思量等の諸作用に外ならざるを知るべし。しかるに、すでにかくのご とき作用ある以上は、これを発現する本体別になかるべからず。なお、太陽の実体ありて光線の発現あるがごと し。この心性の実体、これを心体と名付け、その心体より発現するもの、これを心象と名付く。心象とは心性の 現象を義とす。しかして心象の存するは我人の直接に知るところなれども、心体のいかんに至りては到底知るべ 22

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心理摘要 からず。ただ論理上その有無を推究するのみ。        第四節 心象の種類  かくのごとく、心体はそのいかなるものなるや知るべからざるのみならず、その果たして存するや否やなお判 定し難きをもって、今、心性の性質を論ぜんと欲せば、ひとり心象のいかんを述ぶるをもって足れりとす。それ 心象はその種類いくたあるを知らずといえども、大別して三大種となす。すなわち感情、智力、意志これなり。 あるいはこれを略して単に情、智、意と称す。しかしてまた、感情に感覚と情緒との二種を分かつ。すなわち第 一節に挙ぐるところの目に色を見、耳に声を聴くは感覚なり。あるいは喜び、あるいはかなしむは情緒なり。動 かんと欲して動き、とどまらんと欲してとどまるは意志なり、識別思量は智力なり。以上、心性の分類を図表を 掲げて示すこと左のごとし。  甲

  心

  性

心体 ︵乙︶ 心 界  この三種の心象は、みな意識の範囲内において起こるものをいう。しかるに我人の身体中には、意識作用の範 囲外に属するものあり。たとえば腸胃、心臓等の活動のごときこれなり。また、意識作用中にも一半無意識なる ものあり、あるいは最初有意識にして数回反覆の後、無意識に変ずるものあり。かくのごとき意識作用はこれを 23

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反射作用と名付く。しかして智、情、意三種はみな意識作用なり。        第五節 心理学は心象の学なること  ここに至りてこれをみるに、心理学は心象の学問なりや心体の学問なりや、これを判定することまた容易なり。 すなわち心理学は心象の学なりと知るべし。しかれども、これただただ今日のいわゆる心理学に限る。もし古代 の心理学を論ずれば、心体の学と称せざるを得ず。なんとなれば、ギリシアおよびインド学者の唱うるところは、 その目的、心体のいかんを論定するにあればなり。しかして心体のいかんを論定するは、哲学中別に形而上哲学 すなわち純正哲学の一科なり。故に古代の心理学は、純正哲学の一種に属するを適当なりとす。        第六節 心理学と純正哲学との関係  すでに心理学は心象の学問にして、心体のいかんを論ずるは純正哲学なりと定むるときは、両学の関係いかん はこれによりて推知すべし。そもそも哲学は事物の原理原則を論究する学問にして、簡短にこれをいえば、形質 なきものを論究する学なり。たとえば、水土のごときは形質を有するものなり、心、神のごときは形質を有せざ るものなり。この形質を有するものを実験する学、これを理学といい、形質なきものを論究する学、これを哲学 という。しかるにその無形質中に、現象を有するものと有せざるものとの二種あり。心性は現象を有するも、神 体は現象を有せず。また心性中にも、心体のごときは現象なきものといわざるべからず。また物質はすでに形質 を有するをもってもとより現象を有するも、物質の実体に至りては現象なきものに属さざるを得ず。故に神、心、 物三者の実体はともに無現象に属し、心象は有現象に属すべし。この無現象を論究する学、これを純正哲学とし、 この心象を論究する学、これを心理学とす。故に純正哲学を形而上哲学すなわち無象哲学に属し、心理学を実験 24

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心理摘要 哲学すなわち現象的哲学の範囲に入るるなり。        第七節 心理学と哲学諸科との関係  つぎに心理学と他の哲学諸科との関係を論ずるに、美学、論理学、倫理学等もみな形而上の純理を論究するも のにあらざるをもって、現象的哲学に属すべきはもちろんなりといえども、この諸学の心理学と異なるゆえんに 至りては、更に一言せざるを得ず。心理学は心象の事実を論究してその規則を考定する学問なれば、これを現象 的哲学中の理論学に属し、美学、論理、倫理の諸学は心理学に定むるところの規則を実際に応用するものなれば、 これを実用学とすべし。すなわち心理学は感情、智力、意志三種の性質作用を論究してその規則を考定するにと どまるも、美学は心理学に定むるところの感情の規則の実用を説き、論理学は智力の規則の実用を説き、倫理学 は意志の規則の実用を説くの異同あり。なお物理学、純正化学、天文学等は理学中の理論学にして、器械学、製 造学、航海学等は理学中の実用学なるがごとし。        第八節 学界の全表  以上論ずるところ、図表をもって示すこと左のごとし。  そのほか哲学中に社会学、政治学、歴史哲学、言語哲学、宗教哲学の諸科ありて、心理学と多少の関係を有す ること明らかなるも、今ここに挙ぐるところは、直接に心理学と関係を有する諸科に限る。ただし教育学の一科

︵甲︶学問竃∵璽擁︰擁

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のごときは、最も心理学と密接なる関係を有するものなり。そのうち身体の教育と心性の教育との二種ありて、 心性の教育に至りては、心理学の感情、智力、意志三種の実用につきてその発育法を教うるものなり。        第九節 心理学の研究法  これによりてこれをみれば、古代の心理学と今日の心理学と同一ならざるゆえんを知るべし。その異なる要点 は、古代の心理学は心体を論究し、今日の心理学は心象を論究するにあり。その他、心理を研究するの方法に至 りては、古今大いに異なるところあり。古代の研究法は事実のいかんを問わず、世間一般に信ずるところの道理 に基づきて解釈を与うるを常とす。かくのごとき方法を、論理学上にて演繹法という。これに反して、事々物々 を実験して一般の規則を考定する法あり、これを帰納法という。今日の心理学は帰納演繹の両法を用うるものな り。また古代は主観一法を用い、今日は主観客観両法を用うるの別あり。主観法とは、自己一人の心象を考定し て心理を研究する方法なり。客観法とは、広く他人外物の性質作用を研究して心象の規則を考定する方法なり。 今、古代の研究法をみるに、主観の一法を取りて客観の考証を欠くもの多し。あるいは全く客観法を用いざるに あらざるも、これを一、二の人に験するのみにて、広く東西古今衆人の上に試むることなし。ことに諸動物を比 較して神経の組織を考定するがごときは、古人の全く用いざる方法なり。今日はしからず。研究上ただに主観客 26

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観両法を用うるのみならず、客観の研究法大いに進歩して、心理学上著しき発達を見るに至れり。        第一〇節 帰 結  以上の論点を帰結するに、心理学は心性の学なるも、心性には心体と心象との別ありて、心象一方を論究する もの、これを今日の心理学とす。故にもし心理学の解釈を下さんと欲せば、よろしくこれを心象の学というべし。 すでにこれを心象の学と定むるときは、現象的哲学に属せざるを得ず。しかしてまたその学、理論上心象の規則 を考定するのみにて、更にその実際の応用を説かざるをもって、現象的哲学中の理論学に属すべし。もしまた今 日の心理学と古代の心理学との異同を挙ぐれば、古代の心理学は心体を論究するをもって一種の純正哲学なり。 かつその研究の方法に至りては、古代は演繹一法を用い、今日は帰納演繹両法を用い、古代は主観一道を取り、 今日は主観客観両道を取るの別あり。これ、今日の心理学が一種の実験哲学となりしゆえんなり。 第二立早  種僻類払柵 心理摘要        第一一節 心性の彙類法  前章に述ぶるごとく、心理学は心象の学問にして心性作用の現象を論究するにとどまるも、その現象には千種 万類の別ありて、その種類互いに相合して作用を現ずるもの、これを複合作用という。その複合作用を分析して 単純作用に帰し、単純作用を合類して一、二の種類に減ずるは、心理学研究において最も必要とするところなり。 すなわち諸作用中同一の性質を有するものはこれを合して一小種となし、諸小種中同一の関係を有するものはこ 27

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れを合して一大種となす。これを心性の彙類法︵あるいは分類法︶という。なお鳥獣を合して動物となし、動植 を合して生物となすがごとし。今この彙類法によりて心象の種類を定むるに、三大種となすことを得べし。すな わちさきに挙ぐるところの感情、智力、意志これなり。        第一二節 感情の種類  この三種中につきて、まず第一に位する感情の種類およびその性質を述ぶるに、感情には第四節中の図表に示 すごとく、感覚と情緒との二種ありて、感覚は普通に分かつところによるに、五官すなわち眼、耳、鼻、舌、皮 膚の五種の覚官の上に起こるところの心性作用をいう。また、その作用を分かちて視感、聴感、嗅感、味感、触 感︵すなわち視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚これなり︶の五種となす。すなわち視感は眼官の上に起こり、聴感 は耳官の上に起こり、嗅感は鼻官の上に起こり、味感は舌官の上に起こり、触感は皮膚の上に起こる。これを総 じて五感︵あるいは五覚︶と称す。この五感の外に有機感覚︵あるいは体感︶を加えて六感となす。有機感覚と は身体の組織間に起こる感覚をいう。すなわち飢渇、疲労等の感覚これなり。あるいは前の五感は身体の一部分 に固有の感覚なるをもって特有性感覚と称し、第六感は一定の位置を有せざるをもって普有性感覚と称するなり。 つぎに、情緒とは喜怒愛憎の情にして、これを一二種に分かつ。すなわち驚情、愛情、怒情、恐情、我情、力情、 行情、同情、智情、美情、徳情、宗情これなり。また、これを単純と複雑との二種に分かつ。驚、愛、怒、恐、 我、力、行は単純の情にして、同情、智情、美情、徳情、宗情は複雑の情なり。故にその一を単情と称し、その 二を複情と称す。すなわち左表のごとし。 28

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心理摘要 感情

     感

     覚

   特   

   有    有

   性    性

︵有機感覚︶ 視感 聴感 嗅感 味感 触感 驚情 愛情 怒情 29

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       第=二節 感情の性質  感情の一種固有の性質は苦楽の二感にして、心性作用上苦痛を感じ快楽を覚ゆるもの、これを総じて感情と称 す。たとえば目に花を見て快を覚し、耳に音楽を聞きて楽を覚え、病にかかりて苦痛を感じ、死を弔して不快を 覚ゆるの類これなり。しかして感情中感覚と情緒との別を立つるは、前者は感情の単純なるものにして、後者は 感情の複雑なるものの異同あるによる。しかれども、感覚はただに苦痛と快楽との二感を有するのみならず、外 物を識別覚知する作用あり。たとえば目に見て物の遠近を覚知し、手に触れて物の大小を識別するがごときこれ なり。かくのごとき作用は感情の性質と称し難きをもって、むしろ智力作用に属せざるべからず。故に感覚は感 情の一種にして、また智力の一部となるなり。        第一四節 智力の種類および性質  つぎに、智力は事物を識別思量する作用にして、これに外覚と内想との二種を分かつ。外覚とは目前に現見す る外物の現象を識別覚知する作用をいい、内想とは心内に想出推理する作用をいう。故にその一を表現的︵ある いは直現的︶と称し、その二を内現的︵あるいは再現的︶と称す。しかしてまた、内想中に実想と虚想との二種 あり。実想は事物の実形実状を再現想出する作用をいう、すなわち想像作用これなり。虚想は実形実状を離れて 心中に思惟考出する作用をいう、すなわち思惟作用これなり。実想に再想︵すなわち再生想像︶、構想︵すなわち 構成想像︶の二種あり。虚想に概念、断定、推理の三種あり。その表左のごとし。  たとえば色を見て紅白を弁じ、声を聞きて鐘鼓なるを知るがごときは外覚作用なり。心内に昨年の月花を想出 し、夢中に異郷の風景を想見するがごときは実相なり。人の人たるゆえんを考定し、是非善悪を思量するがごと 30

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心理摘要 きは虚想なり︵感覚は感情の分類中に掲げ、またこの智力の分類中に入るるは智力の起源なるによる︶。        第一五節 意志の種類および性質  つぎに、意志は外界に向かいて命令実行する心性作用にして、歩行談話より選択、決断、制止等の諸作用に与 うる名称なり。たとえば我人が朋友を訪わんと思いてその家に至るも、相会してその思うところを語るも、悪心 を制して善心にかえるも、忠を捨てて孝を取るも、みな意志の作用なり。これを執意という。しかしてその作用 は必ずなさんと欲する目的を有するものなれば、あるいはこれを解釈して目的ある作用という。この目的ある作 用を有意作用と称し、これに反して目的なき作用を無意作用という。たとえば歩せんと思いて足を動かすは有意 作用なれども、熟眠中に偶然足を動かすがごときは無意作用なり。今、意志はこの目的ある作用を義とするもの にして、有意作用のみに与うる名称なること明らかなりといえども、ある挙動に至りては、有意に属するか無意 に属するか、判然相分かつべからざるものあり。故に、ここにしばらく両作用を合して意志と称するなり。しか 31

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してその有意作用にも単純と複雑との二種あるをもって単意、複意を分かつ。その表左のごとし。

意志露︷瀦

       第一六節 感情智力意志三者の異同  以上、感情、智力、意志の種類およびその性質を弁明したれば、これよりこの三者の関係を略示すべし。まず 感情は外界の現象を心内に感受して起こり、智力は内界の範囲内に諸想を比較推理して起こり、意志は内界の決 心を外界に実行せんとして起こるの異同あり。他語にてこれをいえば、第一は外界より内界に入り、第二は内界 中にあり、第三は内界より外界に向かうの別あり。その図左︹上図︺のごとし。  すなわち甲より乙に入るは感情なり、乙より丙にわたるは智力なり、丙より丁に出ずるは意志なり。故に第四 節中の乙図、左︹下図︺のごとく変ずべし。 甲 外  界 丁  すなわち智力は心象中の内部に位し、感情、意 志は外部に関して存するを知るべし。しかれども、 これただただ大体の区別のみ。もしこれを細論す れば、この三種の間に判然たる界線を引くことあ たわざるなり。 32

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       第一七節 感情智力意志三者の関係  已︹以︺上三種の心性作用は、その性質多少の異同あるをもって互いに抗抵する性あり。また、その間判然たる 分界なきをもって互いに結合する性あり。その一を抗排性と称し、その二を連結性と称す。抗排性とは、感情強 き者は智力、意志ともに弱く、智力盛んなるときは感情、意志ともに衰うるがごとく、三者同時にその力をたく ましくすることあたわざる性質あるをいう。たとえば人はなはだしく怒るときは、智力をもって事物の道理を弁 別することあたわず、意志をもって身体の挙動を制止することあたわず、また深く智力を用いて思想を労すると きは、自然に耳目の感覚を減じ、手足の挙動をとどむるに至るがごとし。これに反して連結性とは、一作用起こ れば他の作用のこれに連結して起こるをいう。たとえば身体上に苦感を生ずるときは、智力および意志作用のこ れに伴いて起こるありて、その位置を知定し、その苦を避けんとする挙動を見るがごとし。これ他なし、三者互 いに連結するによる。けだし教育上智力を養成すれば、感情、意志またしたがいて発達するを見るも、この連結 性の存するによる。しかして三者の発達の、人々の業務習慣に応じて差等を生ずるを見るは、抗排性の存するに よるなり。故に心性作用には抗排、連結の両性ありと知るべし。

第三章 発達論

心理摘要       第一八節 心性の発達 前章はもっぱら心性にあまたの種類あることを述べたれども、       33 その種類は発達の前後によりて不同あり。およ

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そ人の幼時にありてはその種類少なくして、長ずるに及びようやくその数を増すは、みな人の知るところなり。 たとえば情緒は一二種ありと定むるも、幼時にありてはわずかに喜怒の二情を有するに過ぎず、更にさかのぼり てその初期に達すれば、ただただ苦楽の感覚を有するのみにて、別に情緒と称すべきものあるを見ず。ことに智 力意志のごときに至りては、単純の感覚と運動とを除きて、外は人の発達したる後にあらざれば発現せざるなり。 そもそも心性作用はその身体とともに発達するものにして、その発達の順序、あたかも一個の種子より草木の次 第に生育して、茎幹枝葉を開発するがごとし。今、人類進化説によるに、人は動物より変遷しきたるというにあ らずや。その説果たして真ならば、心性の本源は動物中にありて存せざるべからず。しかるに一般の動物は感覚、 運動の外、別に心性作用と称すべきものを有せず。これによりてこれを推すに、人の有する感情、智力、意志も、 この発達せざる感覚、運動より進化してきたるといわざるを得ず。これを心性の進化という。        第一九節 智力の発達  これより心性各種の発達を述ぶるに当たり、まず智力の発達を論ずるを必要なりとす。智力は心性の内部に位 し、諸作用の中心となるのみならず、人類の動物に異なり、開明人の野蛮人に異なり、大人の小児に異なるゆえ んのもの、主としてこの力の発達するとせざるとによる。その力発達せるものは、感情意志もまたしたがいて発 達し、その力発達せざるものは、諸作用もまたしたがいて発達せざるなり。故に智力の発達を論ずるは、心理学 を研究するに最も必要となすところなり。今その発達の順序を考うるに、さきに第一四節の表に示すごとく、外 覚より内想を現じ、実想より虚想を生ず。更にその順序を列記すること左のごとし。   第一次 感覚 34

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心理摘要   第二次   第三次   第四次   第五次   第六次   第七次  すなわち、 えんなり。 知覚 再想 構想 概念 断定 推理 智力の発達は感覚より始まり推理に終わる。 これ前章に、感覚をもって智力分類の一部分となすゆ        第二〇節 知覚の感覚より生ずるゆえん  まず初めに感覚よりいかにして知覚の生ずるかを述ぶるに、感覚は外物の五官に触れて直接に起こすところの 単純なる心性作用にして、その作用はただただ目に色を感じ、耳に声を感じ、手足に形質を感じ、鼻舌に香味を 感ずるにとどまり、その感ずるところの諸性質を合成して一体の物質を覚識するにあらず。よくこれを合成して、 一物を一物として覚識するは知覚の作用なり。故に知覚はこれを感覚に比するに、心性作用のやや複雑なるもの となす。たとえばここに一個の果実ありと想するに、目に見てその色を感じ、手に触れてその形を感じ、舌に接 してその味を感ずるは感覚にして、その色、その形、その味相合して、これを一個の果実なりと認識するは知覚 なり。故に知覚は、諸感覚相合して生ずるところの結果なりと知るべし。しかしてこの感覚と知覚とはただちに 外物に接触して起こるをもって、あるいはこれを外覚︵あるいは表現的︶と称するなり。 35

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       第一=節 内想の外覚より生ずるゆえん  つぎに内想の発達を考うるに、その第一に位する再想︵再生想像︶とは、亡友を想出し故郷を想見するの類に して、目前に現見せざるものを想像上に現見する作用をいう。しかしてその想像上に現見せるものは、前時すで に一回もしくは数回、外覚上に覚識したるものに外ならざるをもって、その体全く知覚よりきたるものとするな り。故にこれを再生と名付く。これを再生と名付くるは、ひとたび外覚上知覚したるものの、再び想像内に現生 するを義とす。つぎに構想︵構成想像︶とは、いまだ一回もその形状を現見せざる外物の現象を、想像上構成す る作用をいう。たとえば、いまだ一回も面接せざる数千百年前の古人を想見し、いまだ一回も経過せざる異邦の 地形を構成するがごとし。しかしてその想像上構成せるものを分解するに、その各部分みな再想の諸影像より成 るを見るべし。故に構想は再想より派生せるものとするなり。        第二一一節 虚想の実想より生ずるゆえん  更に進んで虚想の起こるゆえんを考うるに、虚想とは、事々物々固有の実形実状を離れて、事物一般にわたる ところの思想に与うる名称にして、その体全く実想より派生するなり。まず虚想の第一に位する概念の性質を述 ぶるに、概念とは一個一個の事物の実想をいうにあらずして、事物の一種または一類総体にわたる思想をいう。 たとえば、木と称するときは、松でもなく梅でもなく杉でもなく、樹木総体にわたる思想を生じ、鳥と称すると きは、■でもなく雀でもなく鶏でもなく、鳥類総体にわたる思想を生ずるの類これなり。この事物総体にわたる 思想は、一個一個の事物の実想を離れて別に発達すべき理なきをもって、概念は実想より変化してきたるものと なす。つぎに断定とは、二個の概念相合して生ずるところの思想作用にして、たとえば人は死すべきものなり、 36

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心理摘要 山は動かざるものなりというがごとく、なにはなになり、これはこれなりと断定する作用をいう。つぎに推理と は、諸断定相合して生ずるところの論理作用にして、一断定より次第に論究して他の断定を結ぶものをいう。た とえば人は死すべきものなり、しかるに仙人は人なり、故に仙人は死すべきものなりと論定するがごとし。かく のごとく概念相合して断定を生じ、断定相合して推理を生ずる以上は、推理は断定よりきたり、断定は概念より きたるというべし。これを要するに、虚想は実想より発達し、内想は外覚より発達せるものと知るべし。        第二三節 智力の経験より生ずるゆえん  これによりてこれをみるに、智力は外界の経験よりきたること明らかなり。すなわち我人、日夜外界の物象に 接触して、その耳目の上に覚知識了するところのもの、次第に心内に積集して智力を構成するに至るなり。あた かも生物のその食物を外界より摂取して、体内の栄養を営むがごとし。智力の栄養は外界の経験なり。故に経験 に富むものは智力に富み、経験に乏しきものは智力にもまた乏し。けだし小児の智力の大人にしかざるゆえんは、 この理によりて解すべし。故に感覚上の経験をもって智力の材質とするなり。        第二四節 発達の原力  果たしてしからば、智力を構成する材質は感覚上の経験よりきたるとするも、これを構成すべき原力は心内に ありて存せざるべからず。なお身体の発育上、外界より摂取せる食物を消化すべき原力は、腸胃中にありて存す るがごとし。しかしてその原力は人の生来有するところのものにして、外界の経験よりきたるものと定むべから ず。これに三種あり。曰く、弁別力、契合力、記住力、これなり。弁別力とは、一物またはその性質を、他物ま たは他の性質に識別する力なり。契合力とは、一物またはその性質を、他物または他の性質に類同する力なり。 37

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記住力とは、ひとたび感受したるものを、心内に保持して消失せざらしむる力なり。たとえばここに一個のリン ゴありと定むるに、これを見てリンゴなりと識了するには、まずこれをリンゴにあらざるものより識別せざるべ からず。これを弁別力という。また、そのリンゴの他のリンゴと同一の性質を有することを認識せざるべからず。 これを契合力という。しかしてまた、この二力をもって外物を知覚想像するには、その前に経験したるものを心 内に保持する力を有せざるべからず。これを記住力という。この三力中その一を欠くも、智力の作用を現ずるこ とあたわず。故にこれを智力発達の原力と名付くるなり。これによりてこれをみるに、智力の発達は、外界の経 験と内界の原力と相合して生ずるものと知るべし。        第二五節 発達の事情  かくのごとく、智力の発達は外界の経験と内界の原力との結合作用なりというも、その作用を促しその発達を 助くるところの事情、別になかるべからず。しかしてそのいわゆる事情は、演習、習慣、連想の三種に外ならず。 第一に演習とは心生作用の実習にして、たとえば視聴の作用を実習すれば、知覚の力したがいて発達するがごと し。つぎに習慣とは、すでに一方に向かいて発達するものは、常にその方向に進まんとする習性あるをいう。し かしてこの性を起こすものは演習の影響にして、演習反覆すれば自然にその習慣を生じて、漸々高等の地位に進 むことを得るなり。つぎに連想︵観念連合の略称︶とは、経験の際、事物の観念の互いに連合するありて、一観 念起こるときは他の観念のこれに伴いて起こる規則をいう。けだし観念とは種々の意義を有するも、心理学上特 に用うる意は、事物の心理的現象、あるいは外物の主観的影像を義とするなり。これを要するに、智力は内界の 原力と外界の経験とによりて発達するはもちろんなりといえども、感覚相合して知覚を生じ、知覚相集まりて再 38

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心理摘要 想を生じ、再想相会して構想を生じ、実想相結びて虚想を生じ、概念より断定、断定より推理と次第に相生ずる は、演習、習慣、連想の三事情の、互いに相助くるによると知るべし。        第二六節 感情意志の発達  以上は智力の発達につきて論じたるのみ。これより感情、意志の発達につきて考うるも、同一の規則の存する こと疑うべからず。すなわち内界の原力と、外界の経験と、演習、習慣、連想の事情とによりて、単情は発達し て複情となり、単意は発達した複意となるに至る。けだし感情は単純なる感覚より起こり、意志は単純なる運動 に始まりて、次第に高等複雑の情意を生ずるに至るは、全くこの発達の規則による。これを要するに、智力も感 情も意志も、ともに同一の規則に従いて発達するや、また明らかなり。        第一一七節 発達の全表  今、内界の原力を内因とし、外界の経験を外因として、心性発達の規則を表示すること左のごとし。 ︵甲︶ 39

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 この表によるに、内因の三力は人の生来有するところのものなるも、その他はみな経験よりきたるもののごと く見ゆれども、ここに外界の経験を待たずして、生まれながら有するところの智力あり。これを本能︵あるいは 本性︶という。本能とは、教育によらずして生来有する知識を義とし、小児の生まれながら手足の動かすべきを 知り、飲食の用うべきを知り、父母の畏るべきを知り、朋友の愛すべきを知るの類をいう。故に内因中に、原力 の外にこの本能を加うるを適当なりとす。その他、外因中にも風雨、寒暖、土地、食物等の天然の現象より生ず るものと、替属、朋友、国民の交際上よりきたるものとの二種あり。今この二者を区別せんために、その一を物 理的とし、その二を社会的とす。すなわち左表のごとし。  これ、心性発達の全表なり。しかるに内因中に原力、本能の二種を分かつは、一世一代の人につきてのことの み。もし数世数代の人につきて論ずるときは、本能は原力と外因との相合して生ずるところの結果なること明ら かなり。なんとなれば、本能は父祖数世間の経験より得るところの結果を、その子孫に遺伝したるものなればな り。故に、一にこれを遺伝性という。 40

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      第二八節 遺伝順応の規則  論じてここに至れば、遺伝のなんたるを==口せざるを得ず。遺伝には体質の遺伝と心性の遺伝との二種ありて、 父祖の性質、気風をその子孫に遺伝するもの、これを心性の遺伝という。この規則に対して順応の規則あり。順 応とは、自体を変化して外界の事情に適合する規則にして、教育、経験等によりて生ずるところの変化は、みな この規則に属す。およそ人たるものはその一生の間、順応によりて発達したる心性作用をその子に遺伝し、子は その一生の問、順応によりて得たる結果をその子に遺伝し、子々孫々互いに順応、遺伝して、野蛮人種も次第に 進んで開明に達するに至る。しかして順応の起こる原因は、これを前節の乙表に考うるに、物理的、社会的の外 因なること、問わずして明らかなり。故に心性の発達は順応、遺伝の二種の規則によると知るべし。

第四章 感覚論

心理摘要       第二九節 感覚の義解  今、智力の発達を論ずるに当たり、感覚はその起源なるをもって、まず感覚より始めざるべからず。それ感覚 は一般に解するところによるに、外物の五官に触れて直接に起こすところの心性作用にして、すなわち身体の外 部において生ずるところの一種の意識作用なり。もし精密にこれを論ずれば、ひとり外部の作用のみを義とする にあらず、内部の諸組織内の感覚もその中に加えざるを得ず。これ第一二節に、視感、聴感、嗅感、味感、触感 の外に有機感覚を加えて六感となすゆえんなり。故にあるいは感覚を解して、求心性神経の末端の刺激に伴いて 41

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起こるところの単純なる心性作用なりという。およそ身体中、心性作用を営むところの部分は神経の組織にして、 これに繊維と細胞との二種あり。もしその色につきてこれをいえば、白質神経と灰白質神経の二種なり。しかし て細胞は心性作用を起こすところの中心なるをもって、その集合せる部分を中枢器と名付く。すなわち脳髄脊髄 等これなり。その中枢作用を伝導するものは繊維なれば、これを伝導器と名付く。その伝導作用をつかさどる神 経にまた求心性、遠心性の二種ありて、求心性神経はその末端に受くるところの刺激を中枢に向かいて伝導し、 遠心性神経はその中枢に起こるところの興奮を末端に向かいて伝導するものとす。故に、感覚および知覚作用を 導くところの神経はともに求心性に属す。        第三〇節 感覚の種類  感覚の種類中、第六の有機感覚は飢渇、寒暑、疲労、爽快のごとき、全身の組織内に起こるところの感覚にし て、一種特有の部分を有せざるも、視聴等の五感はおのおの一定の部位ありて、互いにその作用を転換すること あたわざる性質あり。たとえば視感は目の部分において起こり、聴感は耳の部分において起こり、味、嗅は舌、 鼻の部分において起こり、耳をもって色を見ることあたわず、舌鼻をもって声を聞くことあたわずといえども、 有機感覚はしからず。手を労動すれば手に疲労を感じ、足を労動すれば足に疲労を感じ、脳髄を用うれば脳髄に 感じ、腸胃を用うれば腸胃に感じ、身体中疲労を感ずべき一定の部位あることなし。これ、前者を普有性感覚と 称し、後者を特有性感覚と称するゆえんなり。今、普有性感覚の種類を挙ぐるに、第一は筋肉の感覚にして、労 動または休息によりて筋肉上に生ずる感覚これなり。第二は飢渇の感覚にして、食物、血液の過不足より生ずる 感覚これなり。その他、呼吸上酸素の多寡によりて生ずる感覚もこれに属す。第三は寒温の感覚にして、身体の 42

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心理摘要 諸部分において寒冷温暖を感覚するをいう。この第三の感覚は常に皮膚の上に起こるといえども、内部の組織間 にもまたこの感覚あり。故に皮膚上の寒温の感覚は特有性の触感に属し、内部の組織間に起こるものは有機感覚 に属するなり。以上三種の外、腸胃中の消化の感覚、血管中の血行の感覚も、みなこの感覚に属す。        第三一節 感覚の弁別力  およそ人たるものは、感覚の度量および性質を弁別する力あり。たとえば外物の五官の上に与うるところの刺 激強きときは、これに伴いて生ずるところの感覚また強く、刺激弱きときはその感覚また弱し。これをもって、 声の大小、色の濃淡等を弁別することを得。これを度量の感覚と称す。また、我人は色の赤白、声の清濁を弁別 する力あり。これを性質の感覚と称す。その他、感覚には時限と地位とを識覚する力あり。まず時限とは、感覚 の連続する時間の長短をいう。たとえば食物の舌に与うる感覚はその連続する時間多少長く、光線の目に与うる 感覚は短き類これなり。また感覚上、時間の経過を測知することを得。たとえば目に一物を見るに、一分間の感 覚と一時間の感覚とは、その長短の感覚を異にするがごときこれなり。つぎに定位とは、同一の官能中において その刺激するところの部分異なるときは、これに伴いて生ずるところの感覚もまた異なるをいう。たとえば右の 手において感ずるときは、その感ずるところ右の手なるを知り、左の手において感ずるときは、その左の手なる を知るがごとし。けだし人はこの地位の感覚を有するをもって、外物の大小、広狭、容量、距離等、すべて空間 の現存を知ることを得るなり。かくのごとく感覚には度量、性質、時間、地位を弁別する力を有するをもって、 その結果、智力の発達を助くるに至る。しかしてこの弁別力は、諸感ことごとく同一なるにあらず。五感中、視 感のごときは最も弁別力に富み、味覚のごときは最もその力に乏しきを見る。ことに有機感覚に至りては、全く 43

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弁別力を有せざるにあらざるも、ほとんど智力の発達を助けざるもののごとし。 きものを第一次に置きて、諸感の序次を定むること左のごとし。 第一次 第二次 第三次 第四次 第五次 第六次 今、その力を有すること最も多  この順序によるに、 も苦楽を感起するに至りては、 有すること少なくして、 も多く智力の発達を助くるに力あるかというときは、 味感は直接にその官能に触れたるもののみを感ずるをもって、 も、嗅感は外物より発散せる分子に触れて起こるをもって、多少隔たりたる外物の遠近方向を知ることを得べし。 これ、嗅感の味感の上に位するゆえんなり。その他、嗅味の性質の他の諸感に異なるは、感覚を連続する時間の 長きにあり。すなわち食味を感ずるも香臭を感ずるも、その原因去りてなおしばらく、前時の感覚を連続する事 視感 聴感 触感 嗅感 味感 有機感覚  第三一一節嗅味両感の作用     特有性感覚中最も弁別力に乏しく、智力の発達を助けざるものを味嗅両感とす。しかれど         この両感は五感中その力最も強きものなり。故に味感および嗅感は智力の性質を      感情の性質を有すること多きものと知るべし。もしこの二者の間において、いずれが最        嗅感をもって味感の上に置かざるを得ず。なんとなれば、        すこしも外物の遠近方向を知ることなしといえど 44

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心理摘要 情あるをいう。        第三三節 触感の作用  つぎに、触感は皮膚面の感覚なるをもってその区域はなはだ広しといえども、その・王たる部分は唇頭および指 端となす。しかしてその有するところの弁別力に至りては、もとより味嗅両感の比にあらず。すなわち味嗅は同 時に諸性質を弁別して感ずる力なしといえども、触感は同時に諸性質を弁別して感ずる力あり。かつ触感は時間 の連続短きをもって、一物を感じてただちに他物に触るるも、前後の感覚を混同することなり。これに加うるに、 触感は地位を知定する力に長ずるをもって、よく物の大小、広狭、遠近を弁別し、したがいて智力の発達にあず かりて力あり。        第三四節 聴視両感の作用  つぎに、聴感はこれを触感に比するに、外物を感覚する力一層細密にして、音声の大小高低のみならず、その 種類のいちいちを弁別して感ずることを得。すなわち聴感は、音声の度量、性質を感ずる力に富めるものと知る べし。また、聴感特有の性質は時間の連続経過を知定するにあり。けだし音声の感覚は前後連続して起こるをも って、これによりて時間の長短および前後を識別することを得べしといえども、外物の地位を知定する力に至り ては、はなはだ乏しきがごとし。けだし聴感は左右両耳に感ずるところ異なるによりて、多少外物の方向距離を 知るべしといえども、これを触感、ことに視感に比すればその力大いに微なるを覚ゆ。視感は諸感中最もよく外 物の性質、度量および地位を弁別し、智力の発達を助くるものなり。語を換えてこれをいえば、視感は色の種類 を弁別するのみならず、外物の大小遠近を指定する力あるものとす。しかれども視感によりて外界の事情を知了 45

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するは、その実、他感のこれに加わるによる。その理は次章知覚論に入りて述ぶべし。        第三五節筋覚の作用  以上挙ぐるところの六感の外に筋覚と称するものあり。この感覚は普有性感覚にあらずして一種の特有性感覚 なれども、また五感の中に加え難し。もしこれを細論すれば、これに感覚の名を与うるすらすでに不当なりとす。 なんとなれば、すべて感覚は外物の感触を待ちて起こるものにして、その作用を外物の上に及ぼして、自らこれ に感触するものにあらず。他語にてこれをいえば、感覚は所作用にして能作用にあらず。しかるに筋覚のごとき は能作用にして所作用にあらず。これ、その他の感覚と異なるゆえんなり。しかしてその作用は普有性感覚に類 するがごとしといえども、普有性感覚は全く所作用にして、この感覚は能作用なるをもって、また同一にあらず。 しかれどもこの感覚は常に視感、触感と連合して起こり、決して独立して起こらざるをもって、特有性感覚中別 にこの一感を設くるを要せず。しかるに、ここに別にこれを論ずるは、その作用の智力の発達に最も重要なる関 係を有するによる。そもそも筋覚には運動の感覚と抗抵の感覚との二種ありて、運動の感覚は手足または全身の 運動に伴いて起こるところの感覚をいう。この感覚によりて、外物の方向および距離を知ることを得るなり。た とえば、手足を右に動かすと左に動かすとは異なりたる感覚を生ずるをもって、左右の方向を知ることを得、ま た手足の伸縮は異なりたる感覚を手足の上に生ずるをもって、空間の距離を知ることを得るがごとし。その他、 運動の感覚は時間の経過を測知することを得べし。たとえば、長く運動したるときと短く運動したるときとは異 なりたる感覚を生ずるをもって、時間の長短を感知するがごとし。つぎに抗抵の感覚とは、手足または全身をも って外物に接触衝突して起こるところの感覚にして、この感覚によりて、外物の固質、重量、弾力性等を知るこ 46

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心理摘要 とを得るなり。たとえば足をもって一物に触るればその軟硬を知り、手をもって一物を挙ぐれば、その軽重を知 り、物を支うるときは、時間の長短に従いて異なりたる感覚を生ずるがごとし。この二種の筋覚は、身体中主と して手足と両眼との作用によるをもって、触感と視感とに密接なる関係あるものと知るべし。けだし手足と両眼 とは身体の構造上、自在に左右上下に運転すべき装置を有するをもって、外界の諸部分において諸事情に感触し、 もって視触両感をして外界の状態を明知するを得せしむ。これすなわち筋覚の力なり。もしこれに反して手足の 運動なきときは、あたかも草木のごとく、外物のきたりてこれに接触するにあらざれば、外界の事情を知ること あたわず。また両眼の運動なきときは、外界の一点を明視するのみにて、同時に諸点を併視することあたわず。 故に視触両感は筋覚と相合して、大いに智力の発達を助くるや明らかなり。しかして筋覚は、視触両感なきとき は、またその作用を示すことあたわず。なかんずく、触感は筋覚を起こすに欠くべからざるものなり。        第三六節 感覚の発達  これによりてこれをみるに、感覚は感情の一種なるも、あわせて智力の起源なること疑いをいれず。しかして 感覚によりて智力の発達するは、前章に挙ぐるところの発達の規則によることまた言を待たず。けだし感覚の力 よく外界の事情を覚知することを得るは、弁別、契合、記住の三力の発達せるによる。すなわち弁別力の発達に よりて、外界の諸事情、外物の諸性質を弁別して感ずることを得、契合力の発達によりて、同一の事情および同 一の性質を有するものを、たやすく覚知することを得るなり。しかしてこの二力の発達は、記住力の存するによ る。たとえば紅色を見てたちまち紅色なるを感じ、実声を聞きて嬰声なるを感ずるは、前時すでに見聞経験した るところの声色を記憶中に保持せるによる。その他、感覚の発達は演習、習慣、連想の事情によることは別に説 47

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