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経済体制収敏説の再登場
福 田 敏 浩1.はじめに
(1)最近,経済体制論の分野に収敏説(convergence theory)が再び登場 してきた。ここに面心説とは,東西両経済体制の相互接近とこれら両体制の 第3の経済体制への収束を説くものである。 この説が最初に登場したのは1950年代末から60年代初頭にかけての時期で ある。時あたかも東側世界での経済改革の前夜に当っていた。1930年代半ば に確立されたソ連型管理社会主義が曲がり角に立たされ,その改革の必要性 が東側諸国の革新的学者や政治家の問で主張されるようになり,また,一部 の国で実際に分権化の方向での体制改革が緒に就こうとしていた時代であっ た。一方,西側では国家の経済への干渉がますます拡大していた。加えて国 際政治は東西対決から平和共存へ移行しつつあった。収敏説はこのような時 代状況を背景にして登場したのである。 1) (2)もちろん,この説を最初に主張したのは西側の論者である。筆者の 知る限り,まずバッキンガム(W.Buckingham)が1958年に,ベトヒャー(E。 Boettcher)が59年に,ソローキン(P. Sorokin)が60年に,ティンバーゲン(J. Tinbergen)が61年に東西両体制の相互i接近を主張した。1960年代半ばの東側 での経済改革の開始とともに収敏論者も増えてくる。ガルブレイス(J.K. Ga1− braith)やワイルス(PJ.D. Wiles)があとに続いた。 (3)収敏説は国際的スケールの論争を巻き起こした。これを否定したの 1)収敏説の概要およびこれをめぐる論争については野尻〔11〕および福田〔3〕第2章を 参照されたい。は,西の新自由主義者と東のマルクス=レーニン主義者であった。ドイツの 新自由主義者ヘンゼル(K.P. Hensel)は,現実はむしろ東の中央管理経済が西 の市場経済へ移行しつつあると説いた。これに対し,ソ連のブレゲル(E. Bregel),レオンティエフ(L. Leontiev)および東ドイツのマイスナー(H. Meissner)らは,西の資本主義が東の社会主義へ移行しつつあると主張した。 2) 筆者は,これらの説を移行論と名づけた。 収帯説批判論には以上のほか,実証的比較経済体制論者のものがある。各 論者に共通する批判の論点は,東西間に科学技術や管理形態などの広義の技 術の面での相互接近は認められるものの,経済体制レベルでの相互接近は認 められず,むしろ東の社会主義と西の資本主義は体制レベルでは並進してい る,というものであった。60年掛から70年代にかけてこの種の批判論を展開 したのは,タールハイム(K.C. Thalheim),クニルシュ(P. Knirsch),ボーン ステイン(M.Bornstein)らであった。80年代にはエルマン(M. Ellman)やコ ルナイ(J.Kornai)がこれに続いた。筆者は,これらの論者の説を並進論と名 3) づけた。 (4)旧邸論争は70年代以降下火になり,ひところは東西の経済体制論者 の視界から消えてしまってさえいた。東西の経済体制は収政論=者の主張する ようには相互接近せず,むしろ批判論を有利にするような動きを示したから である。ことに東での経済体制改革が一ハンガリーを別にして一停滞した ことが,収敏説にとって決定的に不利になったと考えられる。 (5)収敏説に再登場のきっかけを与えたのは,東での体制変動である。 80年代半ばからソ連・東欧諸国ではペレストロイカが開始される。これは政 治,経済,言論および文化などの建て直しを目指したものであるが,それは ことに政治面で急速かつ抜本的であり,89年春は東欧革命が勃発したことは 周知のごとくである。このような予想を超えたきわめて短いタイム・スパン での体制変動は,体制動向の予言を事とする東方ウォッチャーにはショック 2)福田〔3〕第2章。 3)福田〔3〕第2章。
経済体制収敷説の再登場 27 を与えたが,アカデミックな経済体制論者には格好の考察材料を提供したと 言える。東での経済体制の変化傾向の確定や変化の原動力の究明など,経済 体制論にとって最も重要な課題が研究者に突きつけられたのである。 本稿で取り上げる新しい収敏説は,ユーゴスラヴィアのホルバート(B. Horvat)とチェコスロヴァキアのオタ・シク(0. Sik)の説である。ホルバー トもシクもソ円型管理社会主義を否定し,ともにイクォリティとデモクラシ ーとエフィシェンシーの同時実現を可能にする最適経済体制を提唱している ことは夙に知られたところである。 本稿は,ホルバートとシクの収敷説を批判的に検討することを目的にして いる。 II.ホルバートの収弁説 (1)ホルバートはユーゴスラヴィアのサグレブ大学で教鞭を執っている 国際的に著名な経済学者である。かれの収敏説は,1989年に出された論文 ContemPo「a7y Socialist Systems and the:Trends in Systemic Reformsで展開され ている。この論文はわずか9ページの紙数のものでしかないにもかかわらず, 高密度の内容を誇っている。理想的な経済体制に関するホルバートの見解が コンデンスされた形で展開されているのである。そこで,まずこの点から検 討してみよう。 (2)結論を先取りすると,ホルバートが理想と考える最適経済体制は, 社会主義(socialism)である。ただし,これはソ連,中国および東欧諸国に現 存する経済体制(いわゆる現存社会主義)ではない。東に現存する経済体制 は,一党独裁,官僚的統制(または行政的計画),堅固な政治的・経済的ヒエラ 4) ルキーおよび国家的所有から構成されている。ホルバートによれば,これは 本来の社会主義の理念から逸脱した経済体制である。かくてかれは,この経
済体制は社会主義ではないということを強調すべく,それを国家主義
5) (statism, etatism)と呼ぶ。国家主義は官僚主義のシステムであり,そのもと 4) Horvat (7) p.233, Horvat (8) p.236. 5) Horvat (7) p.233, Horvat (8) p.236.6) で働く人びとは「国家に雇われた賃労働者」になる。 (3)では,社会主義とは何か。ホルバートによれば社会主義をして社会 7) 主義たらしむるのは平等(equality)である。この平等は,人びとが「基本的 8) な社会主義的役割のすべてを行うことにおいて平等」という意味に解されて 9) いる。社会主義的役割は生産者,消費者および市民の三つである。 生産者(producer)としての平等には人びとの社会的資本への平等のアクセ スが含意されている。これから,社会的所有と自主管理が出てくる。さらに, 自主管理が成立するための基本的先行条件として自由市場(生産者による100 %の市場自治)が不可欠となる。 消費者(consumer)としての平等には労働に応じた分配が含意されている。 そのための基本的先行条件は,すべての生産者にスタートの平等を与える計 画である。計画は市場の不完全を補うものである。 市民としての平等には自治と政治的自由が含意されている。これらの実現 のためには分権と政治権力の分散が必要となる。 以上の社会主義の教義からホルバートは,社会的所有(自主管理),市場お 10) よび計画から成る経済体制が望ましいという結論を導出している。社会的所 有は社会の全成員による生産手段の所有方式である。全員がいわば持主にな る方式であり,具体的には企業の全成員による自主管理の形をとる。これに よって企業レベルでの民主主義が実現される。 市場と計画は対立するものではなく補完の関係にある。つまり,市場の機 能しない分野で計画(中央計画機関による干渉)を利用する。 (4)このように見てくると,ホルバートの社会主義論は戦後のユーゴス ラヴィアで支配してきた労働者自主管理型社会主義の理念と基本のところで 重なり合うことが知られるであろう。言うまでもないが,ホルバートはユー 6) Horvat (8) p.236. 7) Horvat (8) p.234. 8) Horvat (8) p.234. 9) Horvat (8) p.234. 10) Horvat [8) p.235.
経済体制収敷戸の再登場 29 ゴの現存経済体制を擁護しているのではない。ユーゴの現存経済体制は近年 危機的状況に陥り,体制的輪郭がすっかりボやけてしまっている。ユーゴの ビチャニッチ(1. Bi6ani6)によれば,1980年代のユーゴ経済は「計画でも市場 でもない,場当り的に反射的に管理されている経済」に堕し,経済的決定が 有力政治家とビジネスマンと政府高官の無責任な管理に委ねられてきたので 11) ある。ホルバートの論文の行間からは,こうした危機的状況を乗り超えるに はかれのいう社会主義の道しかない,という悲痛な思いが伝わってくる。 (5)次に,ホルバートが東西の体制動向をどう見ているかを尋ねてみよ う。それは次の一文に集約的に表現されている。 「資本主義は,シュンベターが1949年に考えていたように,国家主義へ収 束しつつあるのではない。両体制は,その20年後にヤン・ティンバーゲンが 確定したように,互いに収敏しつつあるのでもない。両体制は収束しつつあ るが,しかし異なった体制へ,である。この異なった体制とは,私見では, 12) 本稿で私が社会主義と呼んだ体制ということになろう」。 要するに資本主義と国家主義は理想的経済体制たる社会主義へ収敏しつつ ある,というのがホルバートの結論なのである。 (6)ただ,かれにはこのような主張があるだけで,両体制の社会主義へ の収敷に関する実証的な論証はまったくない。これでは単なる希望的観測と 言われても仕方がないように思われる。 ちなみに,ホルバートが批判しているティンバーゲンには東西両体制の相 互接近に関する実証的論証があった。すなわち,ティンバーゲンは,61年に 出た論文1)oCommunist and Free Economies Show a Converging Pattern∼と, 67年に出た共同論文Convergence〔of Economic Systems in Etzst and Westにお いて,西では国家干渉および公的セクターが増大していること,東では市場 的要素および私的セクターが増大していることを事実をもってかなり詳しく 13) 論証しているのである。この点に関する限り,ホルバート説はティンバーゲ 11)Bi6ani6〔1〕pユ39. 12) Horvat (8) p.241. 13)Tinbergen〔20〕,Linnemann, et al.〔10〕.なお,福田〔3〕第2章をも参照されたい。
ン説よりもはるかに見劣りがすると言わねばならない。 また,ティンバーゲン説には東西両体制の収敏のエンジンに関する議論が あった。すなわち,かれはそうしたエンジンとして計画技術を措定した。具 体的に言うと,投入一産出分析やリニアプログラミングの計画方法と計画組 織などがそれである。ティンバーゲンによれば,このような計画技術が東西 間で徐々に同じよ,5になりつつあるが,この傾向が進行すると,やがて両地 域で科学的経済理論の認識が普及し,最適体制について合意が形成されるこ とになろう。これとともに東西聞で社会経済目標の差異も狭まって「全国民 の福祉」が東西共通の目標となろう。これらからティンバーゲンは両体制は 14) やがて収弔するだろうという結論を導き出したのである。ホルバート説には このようなティンバーゲン説に匹敵するような議論はない。 III.オタ・シクの収旧説 (1)逸気・シクは,チェコスロヴァキアにおける1968年の「プラハの春」 を理論実践両面で指導したことで知られる。そのかれは,「プラハの春」の 挫折以後,スイスに亡命してザンクト・ガレン大学およびチューリッヒ大学 に籍を置き,20年余り研究と教育に従事していたが,東欧革命中の90年に故 国に帰り,現在はバベル(V.Havel)大統領の経済政策顧問の要職に就いてい る。 (2)シクは,収敏論争が華やかなりし60年代に,収敏説に対し好意的態 15) 度を表明したこζがある。つまり,収徹論者の主張するように東西両体制は 相互接近するだろうという見通しを持っていた。しかし,その当時,かれみ ずからは自身の筆算説を提示しようとはしなかった。 シクの収敏説は1990年に出た著書Die sozialgerechte Marlltwntschaft−ein 〃㎏遊70s磁箔。勿で展開されている。以下,この書物を中心にかれの説を見 てみよう。 14)Tinbergen〔21〕.福田〔3〕第2章をも参照されたい。 ソ 15) Sik〔13〕.
経済体制収敏説の再登場 31 (3)シクにはホルバートと同様,理想的経済体制に関する議論がある。 まず,それから尋ねてみよう。 , 16) シクの理想的経済体制論の原型は,かれ自らが述べているように,チェコ の60年代の経済改革を指導していた当時に形成されている。「プラハの春」以 後にスイスに出てからも理想的経済体制に関する体系化の仕事は続けられた。 この方面の代表的著作としては,Der Dritte Weg(Hamburg,1972),Humane Wirtschaftsdemoleratie(Hamburg,1979), Ein隅田碗瞬5砂s’魏der Zukunft (Berlin,1985)がある。これらの著作の中でシクが一貫して追究してきたの は,現存資本主義と現存社会主義を超えた,効率および人間性の両面でベス トの「第3の道」(Der Dritte Weg)であった。つまり,西の現存資本主義と 東の現存社会主義よりもより効率的でより人間的な第3の経済体制であるが, 17) シクはこれを「社会主義的計画市場経済」(Sozialistische Plan−und Marktwirt− 18) schaft)とか「人間的経済民主主義」(Humane Wirtschaftsdemokratie)と名づ けてきた。 (4)では,第3の道たる「人工的経済民主主義」の経済体制とは何か。 立ち入ってみよう。 シクが意識的に「第3の道」を提唱するようになってすでに20年にもなる。 その間,基本の体制編成原理一自由,平等,効率およびヒューマニズム(デモ クラシーと解放)一に変化はほとんどなかったものの,これらの原理のウェ イトづけに若干の変化があったし,体制デザインの具体面にも少なからぬ変 化があった。たとえば,企業の所有方式については全従業員による共同所有 (Miteigentum)が考えられ,社会主義的価値が強調されていたが,最近では 私的所有および株式会社なども重視されるようになり,所有面で自由主義的 19) 価値が前面に立つようになっている。 16)シクは「チェコの国家経済改革委員会を指導した1960年代に手掛け始めた」と述べて ソ いる。Sik〔16〕S。9. 17) Sik〔14〕S.11,43. ソ 18) Sik〔16〕,Sik 〔19〕S.30,36−37. ソ19)共同所有の内容については,たとえばSik〔16〕S.14−15を参照されたい。
本稿では,しかし,このような体制デザインの変化についてはこれ以上立 ち入らないことにしよう。ここではむしろ,シクの最新の「第3の道」の体 制デザインを見るに留めておきたい。 (5)ところが,「第3の道」に関するシクの論述は必ずしも系統的ではな い。したがって,かれの説を検討するには,まずもって検討者が整理の基準 を用意しなければならない。筆者は,その基準としてシクが1987年に出した 碗鵬6罐鰐漉初θ’Vergleiche 一 Theorie 一 Kre’tikの中で展開している経済体 制(Wirtschaftssystem)の構成に関する議論を採用するのが妥当である,と考 える。 20) 筆者の解釈によれば,経済体制は基本において次の三つのサブ・システム から構成される。需給および利害の調整システム,所有システムおよび経済 と国家の関係にかかわるシステムがそれである。 「社会主義体制の欠陥(低効率,低品質,イノベーションの立ち遅れ,供給の 需要への不適合,量重視)を除き,資本主義の欠陥(失業,インフレーション) 21) を予防する」経済体制たる「第3の道」の構成をこれら三つについて整理す 22) ると,次のごとくである。 ①需給および利害調整システム。ベストのシステムは市場メカニズムであ る。これは最大の効率と個別経済の自由を保証する。市場形態は買手優位の 競争市場が望ましく,独占は排除されねばならない。価格体系は自由価格で ある。市場の種類としては商品市場,労働市場および資本市場(株式会社,銀 行および為替システム)が考えられている。 ②所有システム。これについては所有の多様化が望ましいとされている。 すなわち,企業形態としては私企業,協同組合,混合企業,株式会社および 国有企業が考えられている。市場に参加する企業については,小規模の私企 業を除いて,すべての形態の企業において全成員による共同資本参加,利潤 20)これについては福田〔3〕第6章を参照されたい。 21) Sik 〔19〕S.14.( レ 22) Sik 〔19〕S.30−37. 内は筆者の挿入。
経済体制収敏説の再登場 33 参加および共同決定のような参加方式が導入されねばならない。 大型国有企業は,全成員の所有になる一種の持株会社に転換されねばなら 23) ない。シクはこれをMitarbeitergese11schaftと呼ぶ。このような私企業が発行 する株式の多くは全成員によって保有され,一部が外部(資本市場)に販売さ れる。かくてこのような企業では成員は所有者たると同時に労働者たる性質 を帯びることになる。ここにおいて一方で,資本主義下の私企業体制での宿 弊であった資本関心と賃金関心との対立(資本家対労働者の対立)およびこれ から生じてくる失業とインフレ(賃金・物価スパイラル)が解決:されることに なる。他方で,企業内での意思決定や利潤への全成員の参加が実現されるこ とになる。また,企業内での作業方式も民主的に決定され,たとえば作業ロ ーテーション制の採用によって成員の単調労働からの解放が実現されること になる。 こうしてMitarbeitergesellschaftの制度化によって,効率の改善が果たされ るどともに,企業管理の民主化および解放(資本および単調労働からの解放)と いう生産現場での人間化が実現されることになる。 ③経済と国家にかかわるシステム。これは要するに経済への国家の干渉方 式にほかならない。シクは言うまでもなく個別経済への国家の直接干渉 筆者の言葉を使うと指令方式 を否定する。さりとてレッセ・フェールを擁 護するものでもない。「第3の道」における国家は,積極的な経済政策を行う 主体である。この国家は,市場メカニズムでは処理できない社会保障,機会 の均等の実現,環境対策および公益事業などを行う。また,市場での競争を 維持するための反独占政策をも行う。 さらに,この国家はマクロ分配計画を積極的に行う。その目的はマクロ経 済的不均衡(ことにインフレ)の是正と大量失業の予防である。具体的には, 国家が国民各層の参加のもとで民主的に,平均賃金上昇率を計画し,これに 基づいて賃金を決定するのである。このことによって現存資本主義に見られ るコスト・プッシュインフレ(賃金・物価スパイラル)が予防されるとともに ソ 23) Sik〔19〕S.32.
賃金の高騰に伴う失業が予防される。 このような所得政策およびそのほかの経済政策の目的設定は,いわば国民 の下からの参加によって民主的に決定される。かくてシクにあってはミクロ の参加とともにマクロの参加も考えられているのである。 (6)以上がシクの「第3の道」のエッセンスである。筆者の目からすれ ば,「第3の道」はマルクス主義的な社会主義像から懸け離れ,基本のところ で徐々に西側の社会民主主義(または民主社会主義,自由社会主義)の体制デッ サンに近づきつつあるように思われる。それは,先に触れたように所有方式 の考えに端的に示されている。Mitarbeitergesellschaftの財産については当 24) 初,持分証書の形での全成員所有という一種の共同所有が主張されていた。 つまり,企業の財産は内部の者のみが所有するという方式であD,外部の者 による支配を排除するという考えであった。論理的には,これによって労働 者自主管理が成立することになる。他方で,資本市場が排除されねばならな いことになる。このようなシクの考えは,しかし,かれ自身の独創になるも のではなく,先に見たホルバートに代表されるユーゴ起源の社会的所有のコ ンセプトと同じなのである。 最近のシクはMitarbeitergesellschaftという言葉を使っているが,その内容 は変化して,要するに株式会社となっている。むろん,株式の多くは企業の 全成員によって保有されるのだから共同所有と言えるかもしれないが,しか し,資本市場を認め,その株式をこれへ向けて売りに出すとすると,外部か らの支配の可能性が出てこざるをえないだろう。自主管理の原則が浸食され る可能性がある。また,全発行株式の一部しか公開しないというのであれば, Mitarbeitergesellschaftの調達しうる資金量には自ずから限界が出てくる。こ れでは企業の成長はおぼつかなくなり,結局は株式の大量公開を余儀なくさ れる可能性が高まる。この面からも共同所有および自主管理は破綻する可能 性がある。 ともあれ最近のシクは,マルクス主義的社会主義の根幹を成した共有思想 ソ ソ 24)たとえば,Sik〔16〕s.396−453およびsik〔17〕S.64−77を参照。
経済体制収敏説の再登場 35 から次第に離れ,私有とその優i位を認めるに至っているのである。かれが最: 近,自身の理想的経済体制についてもっぱら「第3の道」や「人間的経済民 主主義」というタームのみを口にし,社会主義とか社会主義的という言葉を 避けているのは,このことと無縁ではない。 もうひとつ,シクの強調しているマクロ分配計画について触れておくと, このアイディアは70年代の西ドイツの協調行動(Konzertierte・Aktion)を彷彿 させる。これは,政府・労働者代表・使用者代表の三者の話し合いによって 賃金水準を決定し,物価の安定を図ろうとするものであった。シクのアイデ ィアはこの方式に着想を得たという証拠はないが,両者は基本において同じ であることは事実である。 (7)以上を踏まえて次に,東西の経済体制動向に関するシクの見解を見 てみよう。 結論を言うと,かれは東西両体制の「第3の道」への収束を主張している。 シクは,このような変化傾向の捉え方に関してはティンバーゲンと同様であ 25) ると述べている。ということは,現存の社会主義と現存の資本主義はいわば 二点から相互に接近し,やがては「第3の道」という一点へ収敏するという 考えに立っていることにほかならない。 シクは他方でティンバーゲン説には難点があることを指摘する。しかし, 26) シクの批判は皮相であり,ティンバーゲン説を痛打するには至っていない。 また,シクが問題にするのはティンバーゲンの前出の61年論文のみであり, 収敏のエンジン(計画技術)について触れた66年の論文Die Rolle derPlanung ソ 25) Sik〔19〕S.37. 26)その批判は次の3点である。第1は,ティンバーゲンは両体制にとって体制改変への 圧力は同程度と考えているが,事実は発展の遅れている体制の方が体制改変への圧力が 強いこと,第2は,収敏しゆく体制での国有に対して楽観的すぎること,つまり国有は 官僚支配と効率低下をもたらすことが考慮されていないこと,第3は,収敏にとって障 害となる政治や利害の問題が過小評価されていること。Sik〔19〕s.37−40.なお,筆者 によるティンバーゲン説批判については福田〔3〕第3章を参照されたい。
stechnik bei einerAnnde’herzang in Ost und VVest,東西両体制の相互接近を経済 政策論の角度から実証的に論証した前出の67年の共同論文,両体制の収敏し ゆく第3の経済体制たる「最適体制」(optimum regime)を説いた67年の共同 論文および67年の論文Some Suggestions on a Modern Theory(Of the OPtimum 1∼卿耀はまったく等閑に付されている。筆者の理解によれば,ティンバーゲ ン説は数ある収敏説の中で最も体系的であり,東西両体制の相互接近の論証, 収敏のエンジンの明示および収敏しゆく第3の経済体制の提示の三つの部分 27) から成るのである。したがって,ティンバーゲン説を批判するとすれば,少 なくともこれら三つの点を論難しなければならない。シクの論難はわずかに 相互接近面での批判,しかも皮相な批判に終始しているにすぎない。 (8)シクによる「第3の道」への収束の論証は十分とは言えない。たし かに,たとえばアメリカの私企業での意思決定への従業員参加の例が引かれ て,西でのミクロレベルでの民主化が高まりつつあることが指摘され,西の 28) 資本主義の「第3の道」への収束が説かれている。しかし,東西両体制の相 互接近ひとつを取ってみてもその論証は断片的であり,説得的でない。筆者 の見るところ,シクは,少なくとも需給および利害の調整システム,所有シ ステム,国家と経済の関係にかかわるシステムの三点について,東西両経済 体制の相互接近を実証的に証明する義務があるだろう。これら三つのシステ ムは経済体制の基本的構成要素なのだから,論理的に考えると,これらの面 での相互接近が論証されてはじめて経済体制それ自体の相互接近が言えるの である。 また,シクには収敏のエンジンに関する議論はまったくない。この面でも ティンバーゲン説よりも見劣りがする。以上よりしてシクの収敏説もホルバ ートと同様に希望的観測の色彩が強いと言わねばならない。 27)福田〔3〕32ページ。 28)Sik〔19〕S.41−42.
経済体制収敷説の再登場 37 IV.新しい収赦説の特徴 次に以上の収敏説の特徴を明らかにしなければならないが,その方法とし てここでは60年代の旧収敏説との比較対照というやり方を採用してみたい。 (1)ティンバーゲン説に代表される60年代の三二説は,東西両体制は互 いに歩みより,やがては第3の体制へ収束すると主張した。つまり二点から 一点への収束という意味での収敏が説かれた。この限りではホルバートおよ びシクの説も同様である。 (2)旧収敏説は体制二分法の立場を採っていた。すなわち,東西両地域 についてそれぞれ一つの経済体制が存在すると考えられていた。東には社会 主義(または共産主義,計画経済,中央管理経済)のみが,西には資本主義(ま たは自由主義,市場経済)のみが存在することがイクスプリシットに,あるい はインプリシットに前提されていた。このような体制二分法の立場は,ホル バートとシクにもそのまま妥当する。ただ,ホルバートのばあいには東西に 支配する経済体制を資本主義と国家主義に区別する基準は不明である。シク のばあいは,需給および利害の調整システム 市場経済か計画経済か が 29) その基準とされている。 ついでに言うと,旧収二丁を批判した移行論および並進論のほとんども体 30) 制二分法の立場に立っている。30年代に成立する資本主i義か社会主i義かとい う二分法が,経済体制の多様化が進む現在にあっても,依然として大きい力 を保持していることは驚きである。体制二分法に対する筆者の批判について は別の機会に詳述したの一(・7ここではこれ以上立ち入らないでお謬。 (3)旧収敏説は東西両体制の収敏しゆく地平に,イクスプリシットに, あるいはインプリシットに資本主義的要素と社会主義的要素が混合したいわ ゆる混合体制を想定していた。この面で最もはっきりとした形の議論を展開 29)Sik〔18〕S.55. 30)これについては福田〔3〕第3章参照。 31)福田〔3〕第3章。
したのは,ティンバーゲンであった。かれによれば,東西両経済体制は第3 の「最適体制」(optimum regime)に収束する。これは,要するに社会的福祉 の最大限の実現を可能にする,「公企業および徴税国家」と「私企業」とから 32) 成る混合秩序(mixed order)なのである。「最適体制」は,現実の観察から得 られた現実型ではない。それは,むしろモデルであって,ワーゲナー(H. 33) Wagener)の言葉を借りれば「公理的」(axiomatisch)な性質を帯びている。 しかもティンバーゲンはこれに目指すべき最良の秩序という意味を込めてい る。文字通り「最適体制」なのである。 ホルバートおよびシクも基本においてティンバーゲンと同様の立論方法を 採っている。両者とも東西両経済体制は第3の理想的な経済体制へ収敏する と考えているからである。 このように整理すると,ロラン(G.Roland)がいみじくも指摘しているよ 34) うに,新旧の収敏説は,あらかじめ最適体制を措定しておいて,いまだ最適 状態にない現存の両経済体制がそれへ収束するという論法を採っていること が判明する。 ちなみに,収敏説を批判した移行論もこのような論法を採っている。マル クス=レーニン主義者は「共産主義」を措定して資本主義はこれへ移行せざ 35) るをえないと説いた。これに対し,新自由主義者のヘンゼルは「競争秩序」 (私有+競争市場経済+国家の秩序政策)という理想型を措定しておいて東の
36) 」
経済体制がそれへ移行すると説いた。 収敏説にせよ,移行論にせよ,きわめてイデオロギー色の強い議論である。 これらの論者は,東西の現存の経済体制がそれぞれの抱く最適体制へ収束し て欲しいという願望を持っている。このような態度は,実践面ではいざしら 32)ティンバーゲンの最適体制の内容についてはTinbergen〔22〕, Tinbergen〔23〕Part IVを参照されたい。 33) Wagener (24) S,260, 34) Roland (12) pp.385−386. 35)たとえばBrege1〔2〕を参照。 36) Hensel (6) S.174−181.経済体制収敏説の再登場 39 ず,科学的認識の面では問題があることは多言を要しないであろう。現実の 体制動向を歪曲する恐れがあるからである。 (4)新旧の収敷説の唱える最適経済体制に共通する事項をもうひとつ挙 げておこう。筆者の理解では,ティンバーゲンにせよ,ホルバートにせよ, シクにせよ,細目面で違いがあるにしても,資本主義およびこれを支えてき た自由主義思想の利点(自由,効率,市場,私有)と,現存杜会主義およびこ れを支えてきた社会主義思想の利点(平等,解放,計画,共有,自主管理〉を結 合しようとしている。かれらはこのような意味での混合経済が望ましいと考 えている。ハンガリーのコルナイは,次のような面白い比喩を使って,こう した立論方法を批判している。 「経済学の伝統によってわれわれは,すべては『最適化』されうるし,ま たされねばならないという風に考えることに慣れてきた。可能なベストのル ールとベストに機能する制御メカニズムとを結合した『最適経済体制』がデ ザインされねばならないという考えが起こってきたことは,故なしとしない。 この目的を設定する者は,スーパーマーケットに行く者に似ている。棚の上 にはすべての体制の利点を内蔵したメカニズムのさまざまな部品が並べられ ている。一つの棚には東欧で実現された完全雇用がある。他の棚には西ドイ ツやスイスにおけるような高度の職場組織や規律がある。第3の棚には不況 なき経済成長が,第4の棚には物価安定が,第5の棚には外国市場の需要へ の迅速な生産の適合がある。体制デザイナーは,何もせずにただ手押し車を 押してこれらの『最:適部品』を集め,家でそれらから『最適体制』を作り上 げるのである。 しかし,これはナイーブで,ないものねだりの白昼夢である。歴史は,わ れわれの好きなように選択できるようなスーパーマーケットを提供していな い。どの現実の体制も一つの有機的全体を成す。それらは多かれ少なかれ, ある割合で良い点も悪い点も含んでいる。体制の選択は,一括セット販売な のである。異なる諸セットからわれわれの好むものを取り出したり,好まな
40 彦根論叢第269号 37) いものを捨てることはできないのである」。 ここではコルナイの体制選択に関する考えの当否には立ち入らないでおこ う。筆者が強調したいのは,この比喩に端的に示されているように,新旧の 収敏論者の最適経済体制の立論方法があまりにも安易かつプリミティブなこ とである。自由と平等,効率と共有,効率と自主管理,効率と完全雇用など は,必ずしも両立するとは限らないことは今世紀の東西諸国の体制実験で明 らかとなったところである。最適経済体制を科学的に論証するとすれば,こ れらの問題を慎重に検討する必要があろう。 (5)新旧の収敏論者の最適経済体制に関する議論から明らかなように, かれらの経済体制の捉え方はプラグマティックである。すなわち,かれらは 経済体制およびその構成諸要素を合理的操作の対象として手段化しようとす る立場を採っている。要するに,市場と計画,共有と私有は互いに排除し合 う体制原理ではなく,これらは効率や自由や平等や人間化などの諸目的を達 成するための同時に使用可能な経済的手段と見る立場である。これに対し, 新自由主義者やマルクス=レーニン主義者のほとんどは,市場・私有と計画 ・共有はそれぞれ資本主義と社会主義に固有の属性であって,両者は両立し えないという意味での体制非両立論の立場に立ってきた。 (6)新旧の収旧説の問には違いもある。まず,前述したことではあるが, 東西両経済体制の相互接近に関する論証は,旧収敏説の方が体系的である。 ホルバートにはそうした論証はないし,シクのそれは断片的である。 また,旧収敏説には収敷のエンジンに関する議論があった。ティンバーゲ ンは東西両体制を第3の体制へ収束せしめていく原動力として計画技術を考 えていたことは,前述の通りである。ガルブレイスやソローキ・ンらも東西で の技術の同一化が東西両体制の差異を縮小させると説いた。このような意味 で,旧収敷説の多くは技術主義の立場に立っていたのである。これに対して, ホルバートにもシクにもこうした原動力に関する議論はない。旧収敏説の方 37) Kornai (9) p.138.
経済体制収敏説の再登場 41 がより科学的な体裁を取っていたと言わねばならない。 V.む す び 最:後に本稿を結ぶにあたって,二,三感想めいたことを指摘しておきたい。 (1)20世紀は経済体制実験の時代である。世界各地でさまざまの経済体 制の制度化が試みられ,それらの功罪が明らかとなった時代である。このよ うな現実の動きとパラレルな形で経済体制論の分野ではさまざまな説が展開 された。20世紀の経済体制論史上,最初に時代を画したのは両世界大戦の間 の時期であった。この時期,ミーゼス(Lv. Mises)によって社会主義のもと での経済計算は可能かという問題が提起され,これをめぐって賛否両論入り 乱れての国際的な経済計算論争が展開された。この論争を通じて,資本主義 対社会主義という形での体制二分法と体制比較のスタイルが確立された。筆 38) 者は,このような戦問期を「経済体制論群生の時代」と名づけてきた。 20世紀の経済体制論史上次に時代を画したのは,60年代の収敏論争であっ た。この論争において舗設説のほか移行論や並進論が唱えられたことはすで 39) に触れた通りである。筆者は60年代を「第2の経済体制論群生の時代」と呼 んできた。 60年代の収敏論争によって動態的比較経済体制論が飛躍的に発展した。こ こに動態的比較というのは,現存の諸経済体制の体制的変動の内容とその方 向を確定しようとするものである。収血忌は東西両体制の第3の体制への収 束を,移行論は西の体制の東の体制への移行あるいはその逆を,並進論は両 体制の体制レベルでの並進を主張したのである。 (2)80年代後半に開始されたソ連・東欧でのペレストロイカと80年祖忌 の東欧革命は,政治面での心心トクラシーからデモクラシーへの転換を実現 したと同時に経済体制の面での体制的変動を誘発しつつある。ホルバートと シクの収敷説は,東の体制変動に誘発されたものであるが,先述の通り,東 38)福田〔3〕140ページ。 39)福田〔3〕141ページ。
42 彦根論叢第269号 西両体制の変動方向に関するかれらの議論は経験科学的とは言えず,単なる 希望的観測の域を出ていない。 また,かれらはティンバーゲン説を意識し,これを批判する形で自説を展 開しようとしているが,しかし,ティンバーゲン説批判は功を奏していると は言い難い。筆者の理解によれば,ティンバーゲン説は東西両体制の相互接 近の論証,収敏のエンジンの確定および両体制の行きつく「最適体制」の明 示という三つの部分から成るきわめて立体的かつ体系的な説であった。これ ら三つの部分について批判するのでなければ,ティンバーゲン説の批判には ならないであろう。ホルバートもシクもこれを行っていない。かれらは結局, ティンバーゲンを超えることができなかったのである。 ドイツの形態論的経済体制論の流れを汲む筆者の目からすれば,かれらの 聖明説は経済体制論の体を成していない。国際的に著名な学者だけに,その 稚拙さが一層目につくのである。 (3)東の経済体制の変動は,今後,経済体制論の分野に新しい動きを生 ぜしめるであろう。「第3の経済体制論群生の時代」が到来するチャンスがふ くらんできたようである。東の体制変動についてはさしあたって二つの点を 究明する必要があろう。一つは,東側諸国の現存経済体制の変化方向を見定 めることである。いま一つは,体制変動の誘因を確定することである。 東の現存経済体制の変化はきわめて流動的であり,現時点で確定的なこと は言えないが,筆者は別稿で,資本主義化した東ドイツとソ三型経済体制に 留まっているルーマニアを別として,そのほかの国はハンガリー型市場社会 40) 主義へ移行または志向しつつあることを指摘しておいた。併せて,過去23年 にわたって体制改革を行い,すでに市場社会主義の域に達したハンガリーは 経済実績の悪化から資本主義化する可能性があることも指摘しておいた。 東の体制変動の急激な変動を一つまりソ連型管理社会主義の崩壊を一招 いた誘因については,筆者はまだ私見を形成するには至っていない。この問 題は筆者の今後の課題であるが,今の筆者の考えではその誘因は複数あるよ 40)福田〔5〕。
経済体制収敷説の再登場 43 41) うに思われる。これもまた別丁で試論風に指摘したことだが,ソ連型経済体 制の需給調整方式の機能麻痺,国有方式の非効率性および政治体制の変動が さしあたって考えられる。このほかにも,60年代の収敏論者が強調したよう な技術的要因も考えられるかもしれない。ともあれ,事実に即した形で誘因 を究明するには時間がかかりそうである。ステップ・バイ・ステップで追究 してみたい。 参 照 文 献 ( 1 ) Bi6anie, 1. : Systemic Aspects ef the Social Crisis in Yugoslavia, in : Gomulka, S., et al. (eds.) : Economic Reforms in the Socialist PVorld, London 1989, ( 2 ) Bregel, E. : Die Theorie von der Konvergenz der beiden Wirtschaftssysteme, in : Sowfetwissenschaft : Gesellschaftswissenschaftliche Beitrde’ge, 5, Mai 1968. 〔3〕福田敏浩『現代の経済体制論』晃洋書房,1990年。 〔4〕 福田敏浩「ソ同型経済体制の体制変動」『彦根論叢』第266号,1990年。 〔5〕福田敏浩「ソ連・東欧における政治・経済体制の変動」『彦根論叢』第267号,1990 年。 (6) Hensel, K.P.: Grundformen der VVirtschaftsordnung: Marletwirtschaft Zentralverwaltungswntschaft, MUnchen 1972. ( 7) Horvat, B. : What is a Socialist Market Economy?, in: Acta Oeconomica, vol. 40(3−4) ,1989. (8) Horvat, B.: Contemporary Socialist Systems artd the Trends in Systemic Reforms Worldwide, in: Gomulka, S,, et al. (eds.) : Economic Reforms in the Socialist vaorld, London 1989. ( 9 ) Kornai, J. : Contradictions and Dilemmas, Studies on the Socialist Economy and Society, London 1985. CIO) Linnemann, H., J.P. Pronk, J. Tinbergen: Convergence of Economic Systems in East and West, in : Bornstein, M., et al. (eds.) : The Soviet Economy, A Boole of Readings, 3. ed., Homewood 1970, (11) (12) (13) (14) 野尻武敏『経済体制のゆくえ』晃洋書房,1980年。 Roland, G.=Gorbachev and the Common European Home:The Convergence Debate Revived?, in:Ky々Zos, vo1.43, Fasc.3,1990. ソ Sik,0.:Anntiherung der Wirtschaftssysterne in Ost und West ?, in:Wirtschafts一 dienst, 1966/III. Sik,0.:エ)emokratische und So2ialistische Plan−und Marktw勿tschaft, Z茸rich 41)福田〔4〕,福田〔5〕。
1971. ソ 〔15〕 Sik,0.:1)er 1)rz’tte ureg:Der mazxistische und leninistische Theo7i’e und die moderne、肋伽s’η’egesellschaft, Hamburg 1972. 〔16〕 Sik,0.:Humane VVirtschaftsdemoleratie:Ein dn’tter Weg, Hamburg 1979, レ 〔17〕 Sik,0.:Ein WirtschaftsSystem der Zukunft, Berlin 1985. 〔18〕 Sik,0.:PVinschaftssysteme’ Vergleiche−Theori’e−Kηitik, Berlin 1987, 〔19〕 Sik,0.:Die so2ialgerechte Marktwirtschaft Ein Weg,彫γOsteuropa, Breisgau 1990。 〔20) Tinbergen,」.=Do Communist and Free Economies Show a Converging Pat− tern?, in:Soviet Studies, vol.XII, no.4,1961. 〔21〕 Tinbergen, J.:Die Rolle der Planungstechnik bei einer Anntiherung in Ost und West, in:Boettcher, E.(Hrsg.)lWinschaftsPlanzang im Ostblocle,.Begi’nn einer Liberalisierang P, Stuttgart Ber正in Kdln!966. 〔22〕Tinbergen, J,:Some Suggestions on a Modern Theory of the Optimum Regime, in:Feinstein, C.H.(ed.〉:Socialism, ()a≠)ita lism & Economic Growth, Ess¢ys P resen ted to Maan’ce Dobb, London 1967. 〔23〕 Tinbergen, J.:Production, Income and VVelfare, The S勿π物プ「or anα)timal Social Order, Whistable 1985, 〔24〕Wagener, H.一J.:Zzar Analyse von PVi万tschaftssystemen, Eine Einfdihrung, Berlin Heidelberg New York 1979. 1991・ 1 ・1ト L