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研究成果報告書(4)『過疎地域における寺院に関する研究』

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(1)

浄土宗総合研究所

 

研究成果報告書

 

4

過疎地域における寺院に関する研究

  

目次

はじめに



    7

■分析編



14

第1章

  「過疎」について



14 1―1. 「過疎」とは何か?… 14   (1) 「過疎」が生じた社会的な状況… 14   (2)人口移動の三つの時期… 15   (3)農山村に生じた「空洞化」… 15   (4)異なる場所に住む三つの世代… 16 1―2.過疎と日本の将来… 16   (1)日本における人口減少の段階… 16   (2)地方の消滅可能性… 16 1―3. 「過疎」が及ぼす寺院への影響… 16

第2章

 

浄土宗寺院と「過疎」―アンケート調査の分析より―



20 2―1.過疎地域における浄土宗寺院の基礎的情報… 20 2―2.アンケート調査の概要… 23 2―3.経済的問題に関する考察… 23   (1)寺院住職の兼職… 24   (2)檀家数の減少… 26

(2)

  (3)法要出仕の機会の減少… 27   (4)檀家の居住地の拡散化の問題… 30 2―4.寺院の今後に関して… 32 2―5.過疎地域における兼務寺院の状況について… 35   (1)長期兼務の状況… 35   (2)経済状況… 35   (3)檀家数… 35   (4)伽藍の状態… 35   (5)寺院の今後… 35 2―6.まとめ… 40

第3章

 

聞き取り調査から見えた過疎の状況



41 3―1.寺院に対する影響… 41   (1)檀家数の減少について… 41   (2)遠方檀家にまつわる諸問題… 49   (3)墓地に関する問題… 53   (4)寺院の経済状態の悪化、寺院組織の弱体化… 54   (5)過疎地域におけるその他の問題… 57   (6)まとめ… 60 3―2.地域状況・寺院状況の変化に関わる諸要因―地域産業の変化、歴史的要因―… 61   (1)過疎と地域産業の変化… 61   (2)現在の寺院状況に関わる歴史的要因… 64

(3)

第4章

 

将来に向けて



67 4―1.各寺院の将来に向けて… 67   (1)伝統の見直し… 67   (2)信仰の維持及び継承… 68   (3)地域や社会のなかで… 68   (4)世界に向けて… 69 4―2.教団の将来に向けて… 69   (1)寺院の統廃合に関して… 69   (2)法務依頼に関する、過疎地域寺院と都市部寺院の間に関する課題… 70   (3)経済的問題に関して… 70   (4)高齢住職への人的援助… 70   (5)各教区に「寺院の将来を考える会」の設置… 71   (6)後継者人材バンクの作成… 71   (7) 「布教拠点センター」の創出… 71

■資料編



73

第1章

 

聞き取り調査報告



74 1.和歌山教区野上組・有田組・日高組… 74 は じ め に … 74   他 宗 の 兼 務 寺 院 の 状 況 と 対 応 … 74   こ れ ま で の 浄 土 宗 の 対 応 … 75   調 査 対 象 地 の 選 定 理 由 と 報 告 内 容 … 76   和 歌 山 教 区 の 寺 院・ 兼 務 寺 院 の 実 態 と 特 徴 … 76   特 徴 的 な 事 例 … 77   圭 室 文 雄 先 生 講 演「 近 世 寺 院 の 成 立 ~ 寺 請 制 度 に 関 連 し て ~」 概 略 … 79   ま とめにかえて… 80 2.山梨教区と千葉教区… 82

(4)

はじめに/今年度の報告について… 82   (1)山梨教区山梨組・八代組・都留組… 83 調査寺院地域の概要… 83 A寺… 84   B寺… 87   C寺… 89   D寺… 90   E寺… 92   (2)千葉教区安房組… 95 調査寺院地域の概要… 95 F寺… 95   G寺… 97   H寺… 99   I寺… 101   (3)千葉教区東総組… 103 調査寺院地域の概要… 103 J寺… 103   K寺… 104   L寺… 105 まとめにかえて… 105 3.新潟教区佐渡組… 110 は じ め に / 佐 渡 市 の 寺 院 の 特 徴 / 今 回 の 調 査 寺 院 の 特 徴 / 佐 渡 の 地 理 / 佐 渡 の 市 町 村 / 佐 渡の人口/佐渡の産業… 114 A寺… 115   B寺… 118   C寺… 121   D寺… 124   E寺… 127 4.石見教区と南海教区… 131 は じ め に / 石 見 教 区 の 特 徴 / 石 見 銀 山 と 寺 院 / 石 見 教 区 寺 院 の 対 応 / 南 海 教 区 高 知 組 の 特 徴/廃仏毀釈の影響/今後の対応… 134   (1)石見教区大田組・邇摩組・江津組・浜田組・益田組… 135 石見教区について/島根県の地理/人口情報/歴史―特に銀山について―/産業構造… 137 A 寺 … 138   B 寺 … 140   C 寺 … 144   D 寺 … 146   E 寺 … 148   F 寺 … 150   G 寺 … 153   H 寺 … 155   I寺… 157   J寺… 161   K寺… 163   L寺… 164     (2)南海教区高知組… 166 高知県の地理/高知県の人口/高知県の産業/高知県の歴史〈廃仏毀釈〉… 168

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M寺… 169   N寺… 173   O寺… 176   P寺… 180 5.熊本教区第二組・第三組… 184 はじめに/熊本教区の特徴/第二組/第三組/天草の人口の特徴… 186   (1)第二組(芦北町・相良村・水俣市)… 188 葦北郡芦北町/球磨郡相良村/水俣市… 190 A寺… 191   B寺… 195   C寺… 198   (2)第三組(天草地方)… 103 天草地方の地理/天草地方の人口/産業構造/天草の歴史… 205 D寺… 206   E寺… 211   F寺… 213   G寺… 216   H寺… 218   I寺… 222   J寺… 225   K寺… 229 6.北海道第一教区・第二教区… 231 北 海 道 第 一 教 区・ 第 二 教 区 の 浄 土 宗 寺 院 / 北 海 道 の 産 業 の 変 遷 / 炭 鉱 / 漁 業 / 農 業 / 人 口 移動… 234   (1)第一教区(函松組・江差組・中央組)… 235 A寺… 235   B寺… 237   C寺… 240   D寺… 243   E寺… 246   (2)第二教区(西組・南組)… 249 F寺… 249   G寺… 252   H寺… 255   (3)第二教区(北組)… 258 I寺… 258   J寺… 260   K寺… 262   L寺… 264

第2章

 

アンケート調査



268 1.正住職寺院へのアンケート第一次集計報告… 268 2.兼務寺院へのアンケート第一次集計報告… 311

(6)

第3章

 

平成二五年度公開シンポジウム

 

山下祐介先生講演録



349 「限界集落問題の行方と課題―地域社会・文化の世代間継承を考える―」 1.過疎地域での世代の問題… 350 2.世代間の住み分け… 350 3.集落点検… 351 4.住民とは誰か―二ヶ所居住の問題―… 353 5.次世代への地域継承… 354 6.今後重要な二つの世代―新たな価値観に向けての宗教の役割… 354 研究成果・研究員一覧… 357

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はじめに   近 年 、 特 に こ こ 数 年 、 過 疎 問 題 は 、 政 治 、 経 済 、 地 方 行 政 の 領 域 で 日 本 社 会 の 喫 緊 の 課 題 と し て 注 目 を 集 め て い る 。 わ れ わ れ 伝 統 仏 教 寺 院 に と っ て も 、 そ の 存 続 を か け た 深 刻 な 問 題 と な っ て い る 。 平 成 二 四 ( 二 〇 一 二 ) 年 に は 首 都 大 学 東 京 の 山 下 祐 介 氏 の 『 限 界 集 落 の 真 実 ― 過 疎 の 村 は 消 え る か ? 』( ち く ま 新 書 ) が 出 版 さ れ 、 平 成 二 六 ( 二 〇 一 四 年 ) 年 に は 増 田 寬 也 編 著 『 地 方 消 滅 』( 中 公 新 書 ) が 、「 こ の ま ま で は 八 九 六 の 市 町 村 が 消 滅 す る 」 と い う 衝 撃 的 な 惹 句 で 反 響 を 呼 ん だ 。 こ の 書 の 発 刊 を 契 機 に 山 下 氏 は 、『 地 方 消 滅 の 罠 』( ち く ま 新 書 、 二 〇 一 四 年 ) と い う 反 論 を 刊 行 し た 。 こ の ほ か に も 「 増 田 レ ポ ー ト 」 に 反 論 す る 多 数 の 書 籍 が 刊 行 さ れ 過 疎 問 題 は 大 き く 脚 光 を 浴 び る こ と と な っ た 。 さ ら に 寺 院 関 係 で は 、 鵜 飼 秀 徳 『 寺 院 消 滅 』( 日 系 B P 、 二 〇 一 五 年 ) が 話 題 を 呼 ん だ 。 こ う し た な か 、 各 宗 派 や そ の 研 究 機 関 で も 寺 院 と 過 疎 問 題 へ の 取 り 組 み が 盛 ん に な っ て い る 。 最 新 の 研 究 成 果 と し て は 、 櫻 井 義 秀 ・ 川 又 俊 則 編 『 人 口 減 少 社 会 と 寺 院 ― ソ ー シ ャ ル キ ャ ピ タ ル の 視 座 か ら ― 』( 法 蔵 館 、 二 〇 一 六 年 ) が あ り 、 各 教 団 の 研 究 者 や 宗 教 社 会 学者の共著による多様な視点から過疎問題を捉えた大著が出版さ れ た 。   浄 土 宗 総 合 研 究 所 で は 、 い ち 早 く 平 成 二 〇 ( 二 〇 〇 八 ) 年 度 か

ら 過 疎 地 域 寺 院 の 研 究 を 開 始 し 、実 地 調 査 は 、平 成 二 七 ( 二 〇 一 五 ) 年 三 月 ま で 継 続 し て 行 わ れ た 。 過 疎 地 域 寺 院 の 研 究 は 、 こ の 間 に 一 応 の 成 果 を 見 た の で 終 了 し た 。 本 報 告 書 『 過 疎 地 域 に お け る 寺 院 に 関 す る 研 究 』 は 、 こ の 間 に 行 わ れ た 研 究 活 動 を 振 り 返 り 、 新 た に 分 析 や 解 説 を 付 け 加 え た も の で あ る 。 概 略 を こ こ に 記 し て お く こ と に し た い 。   本 研 究 は 平 成 二 〇 ( 二 〇 〇 八 ) 年 度 か ら 、 総 合 研 究 プ ロ ジ ェ ク ト 「 開 教 研 究 」 の 国 内 研 究 部 門 と し て 始 め ら れ た 。 研 究 目 的 は 「 過 疎に関する基礎的情報および過疎地域における寺院の状況を調査 す る こ と 」 で あ る 。 研 究 に あ た っ て 、 ま ず 「 過 疎 」 に つ い て 基 礎 的 情 報 の 収 集 を 行 っ た 。 一 方 、 実 地 調 査 と し て は 兼 務 寺 院 率 が 高 い 和 歌 山 教 区 の 中 で も と く に 過 疎 化 が 進 行 し 、 兼 務 寺 院 が 集 中 し て い る 野 上 組 ・ 有 田 組 ・ 日 高 組 の 七 ヶ 寺 の 聞 き 取 り を 行 っ た 。 そ の 報 告 は 「 過 疎 地 域 に お け る 寺 院 活 動 の 現 状 と 課 題 ― 和 歌 山 教 区 野 上 組 ・ 有 田 組 ・ 日 高 組 の 場 合 ― 」 と 題 し て 報 告 し た 。 初 め て の 調 査 だ っ た た め 、 以 後 継 続 す る 各 地 の 調 査 と 報 告 の 形 式 が 若 干 異 な っ て い る 。

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  研 究 会 で は 明 治 大 学 名 誉 教 授 の 圭 室 文 雄 氏 に 「 近 世 寺 院 の 成 立 ~ 寺 請 制 度 に 関 連 し て ~ 」 と い う 講 演 を い た だ い た 。 こ こ で 教 え ら れ た の は 、 寺 請 制 度 が 幕 府 に よ っ て 全 国 的 に 実 施 さ れ 、 住 民 の 少 な い 地 域 に も 寺 院 が 作 ら れ ( 一 村 一 ヶ 寺 制 )、 住 民 管 理 制 度 の 役 割 の 一 端 を 担 う こ と な っ た た め 、 初 期 の 頃 か ら 、 本 寺 寺 院 が 兼 務 し た 寺 院 も 存 在 し た と い う こ と で あ る 。 こ の 示 唆 は そ の 後 の 調 査 に 大 い に 有 益 で あ っ た 。 調 査 の 視 点 が 定 ま っ た こ と に よ り 、 次 年 度 か ら の 調 査 の 方 向 性 が は っ き り し た (『 教 化 研 究 』 二 〇 号 )。   平 成 二 一 ( 二 〇 〇 九 ) 年 度 は 、 関 東 地 方 で 兼 務 寺 院 が 比 較 的 多 く 山 梨 教 区 五 ヶ 寺 と 千 葉 教 区 七 ヶ 寺 と そ の 兼 務 寺 院 を 調 査 し た 。 こ の 両 地 区 の 特 徴 は 、 主 に 日 蓮 宗 系 の 寺 院 は 過 疎 地 域 に 集 中 し て い る が 、 浄 土 宗 寺 院 は 少 な い こ と で あ る 。 し か し 、 山 梨 県 の 果 実 農 家 地 域 は 高 齢 未 婚 後 継 者 も 多 く 、 寺 院 に と っ て も 今 後 の 檀 家 の 減 少 と い う 深 刻 な 課 題 が 明 ら か に な っ た (『 教 化 研 究 』 二 一 号 )。   平 成 二 二 ( 二 〇 一 〇 ) 年 度 は 、 新 潟 教 区 佐 渡 組 、 石 見 教 区 の 調 査 を 実 施 し た 。 佐 渡 組 に つ い て は 、 七 月 に 五 ヶ 寺 と そ の 兼 務 寺 院 に つ い て の 調 査 を 完 了 し た 。 石 見 教 区 は 二 回 の 調 査 を 経 て 、 報 告 書 を 作 成 す る こ と に な っ て い た が 、 二 回 目 の 調 査 は 東 日 本 大 震 災 に よ っ て 延 期 し た た め 、 こ の 年 度 の 報 告 は 佐 渡 組 の み と な っ た 。 佐 渡 組 は 鉱 業 、 観 光 業 の 不 振 が 大 き く 、 限 ら れ た 島 内 の 産 業 の 創 出 も 限 ら れ 、 就 職 の た め 島 外 へ の 人 口 の 流 出 が 止 ま ら な い (『 教 化 研 究 』 二 二 号 )。   平 成 二 三 ( 二 〇 一 一 ) 年 度 は 、 石 見 教 区 の 二 回 目 調 査 ( 前 年 と 合 わ せ 一 二 ヶ 寺 ) と 南 海 教 区 高 知 組 四 ヶ 寺 の 調 査 を 中 心 に 行 っ た 。 島 根 県 は 、 江 戸 初 期 に 盛 ん だ っ た 銀 山 は 掘 り 尽 く さ れ 、 県 内 産 業 に 乏 し い 有 数 の 人 口 減 少 県 で あ る 。 教 区 寺 院 は 、 関 東 圏 に 流 出 し た 檀 家 の た め に 「 東 京 法 要 」 を 増 上 寺 で 開 催 し 、 遠 距 離 檀 家 の 繋 ぎ 止 め の 工 夫 を し て い る 。 当 初 継 続 が 危 惧 さ れ た こ の 法 要 は 、 平 成 二 八 年 で 第 一 〇 回 目 を 迎 え る 。   高 知 県 は 、 神 仏 判 然 令 に よ っ て 寺 院 数 が 半 減 し た た め 、 県 内 一 組 で あ り 、 ま た 県 の 東 西 で 距 離 が 離 れ て い る た め 、 共 同 の 活 動 も 行 わ れ に く い 。 漁 業 も 、 遠 洋 漁 業 は 廃 れ 、 若 者 は 県 外 に 就 職 し て い る 。 高 知 市 内 に は 一 ヶ 寺 も な い が 、 県 内 寺 院 か ら 高 知 市 内 に 移 転 し て い る 檀 家 も 多 く あ り 、 こ う し た 状 況 へ の 対 応 も 課 題 と な っ て い る (『 教 化 研 究 』 二 三 号 )。   平 成 二 四 ( 二 〇 一 二 ) 年 度 か ら は 、 研 究 会 の 名 称 が 「 過 疎 地 域 に お け る 寺 院 に 関 す る 研 究 班 」 へ と 変 わ っ た 。 熊 本 教 区 第 二 組 三 ヶ 寺 と 第 三 組 八 ヶ 寺 の 調 査 を 行 い 、 熊 本 県 内 の 歴 史 的 背 景 を 持 っ た 寺 院 運 営 の 困 難 さ が 浮 き 彫 り に さ れ た 。 ま た 、浄 土 宗 総 務 局 の「 寺 院 問 題 検 討 委 員 会 」 と 連 動 し 、 過 疎 地 域 の 正 住 職 寺 院 と 兼 務 寺 院 へ の ア ン ケ ー ト を 実 施 し 、 ア ン ケ ー ト の 分 析 を 行 い 、 正 住 職 寺 院 回 答 の 第 一 次 集 計 報 告 を 行 っ た (『 教 化 研 究 』 二 五 号 )。   ま た 、 平 成 二 六 年 二 月 二 四 日 に は 、「 こ れ ま で の 二 〇 年 、 こ れ か ら の 二 〇 年 ― 過 疎 地 域 寺 院 の 現 状 と 浄 土 宗 寺 院 の 将 来 ― 」 と い う

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はじめに シ ン ポ ジ ウ ム を 開 催 し た ( 大 本 山 増 上 寺 三 縁 ホ ー ル )。 内 容 は 、 こ れ ま で の 調 査 結 果 の 報 告 と 山 下 祐 介 氏 ( 首 都 大 学 東 京 准 教 授 ) の 講 演 「 限 界 集 落 問 題 の 行 方 と 課 題 ― 人 口 減 少 下 の 地 域 社 会 を 考 え る ― 」 を い た だ き 、那 須 公 昭 ( 浄 土 真 宗 本 願 寺 派 総 合 研 究 所 研 究 員 )、 本 田 行 敬 ( 浄 土 宗 石 見 教 区 教 区 長 )、 名 和 清 隆 ( 浄 土 宗 総 合 研 究 所 研 究 員 ) の 三 名 に よ る シ ン ポ ジ ウ ム を 行 っ た 。 他 宗 の 状 況 お よ び 本 宗 の 石 見 教 区 の 活 動 を 知 り 、 調 査 か ら 窺 え た 実 際 を 知 る こ と の で き る 有 意 義 な シ ン ポ ジ ウ ム で 会 っ た 。 特 に 山 下 氏 の 講 演 は 示 唆 に 富 む も の で あ っ た た め 、 本 報 告 書 に 抄 録 を 掲 載 し た 。   平 成 二 五 ( 二 〇 一 三 ) 年 に は 、 北 海 道 第 一 組 五 ヶ 寺 と 第 二 組 七 ヶ 寺 の 実 地 調 査 を 行 っ た 。 北 海 道 は 小 樽 以 南 の 江 戸 期 に 開 拓 さ れ た 第 一 組 と 札 幌 以 北 の 広 大 な 地 域 の 第 二 組 に 分 か れ て お り 、 多 く の 寺 院 が 過 疎 指 定 地 域 内 に あ る 。 ニ シ ン 漁 業 や 炭 鉱 開 発 な ど に 伴 い 展 開 し て き た 寺 院 も 、 地 場 産 業 の 不 振 と 人 口 減 少 に よ っ て 厳 し い 寺 院 運 営 を 強 い ら れ て い る (『 教 化 研 究 』 二 六 号 )。 】    浄 土 宗 総 務 局 、 寺 院 問 題 検 討 委 員 会 ( 本 プ ロ ジ ェ ク ト か ら 武 田 、 名 和 研 究 員 が 参 加 ) と 連 携 し て 「 寺 院 問 題 検 討 委 員 会 中 間 報 告 書 」 が 作 成 さ れ た (『 宗 報 』 平 成 二 六 年 六 月 号 )。 翌 年 八 月 に は 、「 過 疎 地 域 に 所 在 す る 寺 院 の 問 題 に 関 す る 報 告 書 ( 過 疎 地 域 に お け る 寺 院 へ の ア ン ケ ー ト 調 査 集 計 )」 が 寺 院 問 題 検 討 委 員 会 の 最 終 報 告 書 と し て 作 成 さ れ た 。 平 成 二 七 年 八 月 に は 、 ア ン ケ ー ト に 回 答 さ れ た 地 域 寺 院 の 活 動 の 中 か ら 、 ど の 地 域 の 寺 院 に も 活 性 化 に 役 立 つ 『 い き い き お 寺 事 例 集   て ら 活 の ス ス メ 』 も 作 成 さ れ た 。   以 上 の 他 、 各 研 究 員 が 浄 土 宗 総 合 学 術 大 会 な ど で 、 研 究 成 果 の 発 表 を 行 っ て い る 。 そ れ に つ い て は 本 報 告 書 の 巻 末 を 参 照 さ れ た い   こ う し て 、 平 成 二 七 年 度 は 、 最 終 年 度 と し て 、 本 報 告 書 『 過 疎 地 域 に お け る 寺 院 に 関 す る 研 究 』 の 作 成 が 行 わ れ た 。   本 報 告 書 『 過 疎 地 域 に お け る 寺 院 に 関 す る 研 究 』 は 、 分 析 編 、 資 料 編 の 二 部 構 成 と な っ て い る 。   第 一 部 の 分 析 編 は 、 本 報 告 書 の 中 心 を な す も の で 、 四 章 か ら 構 成 さ れ 、 第 1 章 「 過 疎 に つ い て 」 で は 、 1 ― 1 で 日 本 社 会 に 過 疎 が 生 じ て き た 状 況 を 大 き く 四 点 に 分 け て 、「 過 疎 」 と は 何 か に つ い て 、 総 合 的 な 視 点 か ら 各 分 野 の 研 究 者 の 主 張 を 引 用 し 分 析 し て い る 。 ⑴ は 高 度 経 済 成 長 期 以 降 に 起 こ っ た 都 市 部 へ の 人 口 の 集 中 と 地 方 部 の 過 疎 化 に よ っ て 生 じ た 社 会 的 状 況 を 指 摘 し て い る 。 ⑵ は 人 口 移 動 が 起 こ っ た 三 期 の 特 徴 を 詳 述 し 、 ⑶ は 結 果 と し て 農 山 村 に 「 空 洞 化 」 が 生 じ た こ と 、 ⑷ は 現 在 起 こ っ て い る 三 世 代 別 棲 み 分 け 状 況 を 述 べ て い る 。   1 ― 2 で は 前 章 を 受 け て 、「 過 疎 と 日 本 の 将 来 」 を 論 じ て い る 。 ま ず 過 疎 が 三 段 階 に 進 行 す る 状 況 を 明 ら か に し 、 現 在 地 方 の 多 く

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は す で に 第 二 ・ 第 三 段 階 に 入 っ て い る と い う 。 次 い で 増 田 レ ポ ー ト を 引 用 し 、 地 方 都 市 の 消 滅 可 能 性 を 紹 介 し て い る 。 本 章 の 最 終 節 で は 過 疎 が 及 ぼ す 寺 院 へ の 影 響 と し て 、 再 び 増 田 寬 也 の 消 滅 可 能 性 自 治 体 を 援 用 し 、 宗 教 社 会 学 者 の 石 井 研 二 の 消 滅 可 能 な 限 界 宗 教 法 人 の 分 析 を 行 っ て い る 。   第 2 章 は 、 ま ず 正 住 職 寺 院 の ア ン ケ ー ト 調 査 の デ ー タ の 分 析 に よ っ て 、 2 ― 3 で ⑴ 寺 院 住 職 の 兼 務 、 ⑵ 檀 家 数 の 減 少 、 ⑶ 法 要 出 仕 の 機 会 の 減 少 、 ⑷ 檀 家 の 居 住 地 の 拡 散 化 の 四 点 に 問 題 を 絞 っ て 検 討 を 加 え て 、 2 ― 4 で 寺 院 の 今 後 に 関 す る 考 察 を 行 っ て い る 。 次 い で 2 ― 5 で は 、 過 疎 地 域 に お け る 兼 務 寺 院 の 状 況 に つ い て 、 回 答 の 分 析 に よ っ て 、 ⑴ 長 期 兼 務 の 状 況 、 ⑵ 経 済 状 況 、 ⑶ 檀 家 数 、 ⑷ 伽 藍 の 状 態 、 ⑸ 寺 院 の 今 後 の 五 点 か ら 分 析 を 行 っ て い る 。 特 筆 す べ き は 、 浄 土 宗 寺 院 の 過 疎 地 域 寺 院 の 全 体 像 が 明 ら か に な っ た こ と で あ る 。 概 し て 、 高 度 経 済 成 長 期 以 降 、 檀 家 数 を は じ め と し て 急 激 な 変 化 に 見 舞 わ れ て た こ と で 、 非 過 疎 地 域 と 比 較 し て 兼 務 や 無 住 寺 院 が 多 く な り 、 経 営 が 困 難 な 状 況 に あ る こ と が 窺 え る 。   第 3 章 で は 、 直 接 各 住 職 方 か ら 聞 き 取 り 調 査 を し て 得 た 情 報 を も と に し た 分 析 の 報 告 で あ る 。 3 ― 1 で は 寺 院 に 対 す る 影 響 を 、 ⑴ 檀 家 数 の 減 少 、 ⑵ 遠 方 檀 家 、 ⑶ 墓 地 、 ⑷ 経 済 状 況 の 悪 化 、 檀 家 組 織 の 弱 体 化 、 ⑸ そ の 他 に つ い て 明 ら か に し て い る 。   3 ― 2 で は 「 地 域 状 況 ・ 寺 院 状 況 の 変 化 に 関 わ る 諸 要 因 ― 地 域 産 業 の 変 化 、 歴 史 的 要 因 」 と し て 、 戦 後 急 激 に 起 こ っ て き た 過 疎 の要因が近代日本社会を支えてきた地域産業と大きく関わってき た こ と を 、 聞 き 取 り 調 査 を 行 っ て き た 地 域 を 中 心 に 明 ら か に し て い る 。 最 後 に 、 過 疎 に 関 わ る 歴 史 的 要 因 と し て 、 江 戸 期 に 成 立 し た 「 檀 家 制 度 」 を 取 り 上 げ て い る 。 徳 川 幕 府 の 領 民 管 理 の た め に 成 立 し た 寺 請 制 度 か ら 生 じ た 檀 家 制 度 は 、 明 治 政 府 の 上 地 令 や 廃 仏 令 ( 神 仏 判 然 令 ) に よ る 危 機 を 乗 り 越 え て き た が 、 戦 後 の 民 法 改 正 や 農 地 改 革 に よ る 危 機 を 迎 え 、 現 在 は 高 度 経 済 成 長 に よ る 地 域社会と檀家制度の崩壊という大危機を迎えている状況を概観し て 、 過 疎 問 題 は 、 歴 史 的 な 寺 檀 関 係 や 地 域 産 業 に よ る 地 域 の 発 展 に伴って寺院が成立してきたことと深く関わりがあることを報告 し た 。   第 4 章 は 、 以 上 の 各 種 考 察 を 経 て 本 研 究 班 の 得 た 知 見 を も と に 、 「 将 来 に 向 け て 」 と 題 し て 、 個 々 の 寺 院 が 取 り 組 む べ き 課 題 と 教 団 と し て 取 り 組 む こ と の で き る 課 題 に つ い て 記 載 し て い る 。     第 二 部 の 資 料 編 は 、 1 . 聞 き 取 り 調 査 報 告 、 2 . ア ン ケ ー ト 調 査 3 . シ ン ポ ジ ウ ム ( 山 下 祐 介 講 演 抄 録 ) で 構 成 さ れ て い る 。   第 1 章 「 聞 き 取 り 調 査 報 告 」 に 関 し て は 、「 は じ め に 」 で 概 略 を 述 べ た が 、『 教 化 研 究 』 二 〇 号 か ら 二 六 号 ( 二 四 号 は 報 告 な し ) に わ た っ て 、「 和 歌 山 」「 山 梨 ・ 千 葉 」「 佐 渡 」「 石 見 ・ 高 知 」「 熊 本 」「 北 海 道 」 の 各 地 寺 院 調 査 の 『 教 化 研 究 』 報 告 を 転 載 し た も の で あ る 。 聞 き 取 り 行 っ た 研 究 員 自 身 の 単 な る 記 述 で は な く 、 当 該 寺 院 住 職 の で き る だ け 具 体 的 直 接 的 な 表 現 を 心 が け た 。 そ れ に よ っ て 、 読

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はじめに 者 に は よ り 一 層 厳 し い 現 状 が 読 者 に 伝 わ っ て く る と 思 わ れ る 。   第 2 章 「 ア ン ケ ー ト 調 査 」 は 、 分 析 編 の 分 析 資 料 の も と と な っ た 「 正 住 寺 院 へ の ア ン ケ ー ト 第 一 次 集 計 報 告 」「 兼 務 寺 院 へ の ア ン ケ ー ト 第 一 次 集 計 報 告 」 で あ る 。   第 3 章 「 平 成 二 五 年 度 シ ン ポ ジ ウ ム 」 は 山 下 祐 介 講 演 録 「 限 界 集 落 問 題 の 行 方 と 課 題 ― 地 域 社 会 ・ 文 化 の 世 代 間 継 承 を 考 え る ― 」 と な っ て お り 、 上 述 し た よ う に 、 寺 院 が 視 点 の 中 心 で は な い も の の 、 現 在 各 地 で 起 こ っ て い る 過 疎 状 況 の 問 題 を 「 世 代 間 の 継 承 の 問 題 」 と い う 視 点 か ら 捉 え た も の で あ る 。 わ れ わ れ 寺 院 住 職 に と っ て も 非 常 に 有 益 な 講 演 で あ る こ と か ら 、 今 回 あ え て 活 字 化 し 収 録 さ せ て い た だ い た 。 改 め て 山 下 先 生 に は 感 謝 の 意 を 表 し た い 。     本 プ ロ ジ ェ ク ト は 、 実 地 調 査 と ア ン ケ ー ト と い う 二 つ の 研 究 方 針 で 実 行 さ れ た 。 実 際 に 対 面 し て 聞 き 取 り を 行 う と い う 、 実 感 の こ も っ た 、 し か し 反 面 印 象 論 に 陥 り や す い 、 調 査 者 の 情 緒 的 側 面 の 出 や す い 方 法 と 、 数 値 化 さ れ た デ ー タ に よ る 客 観 的 な ア ン ケ ー ト と い う 方 法 は 、 相 反 す る 点 を 内 包 し て い る が 、 両 方 の 方 法 が あ っ て 初 め て 見 え て く る と こ ろ が 多 か っ た と 思 う 。 聞 き 取 り 内 容 の 文 字 起 こ し や ア ン ケ ー ト 内 容 の 分 析 に は 、 多 く の 時 間 を 費 や し 、 研 究 員 諸 氏 に は 多 大 な 労 苦 を か け て し ま っ た 。   本 報 告 書 の 一 番 の 特 徴 は 、 分 析 編 の 第 4 章 に あ る と 言 っ て も 過 言 で は な い 。「 過 疎 」 と い う 問 題 に つ い て 、 過 去 を 見 定 め 、 現 状 を 直 視 し 、 そ の 中 か ら い か に 各 寺 院 や 教 団 が 有 効 な 方 策 を 考 案 し 実 施していくことができるかというわれわれ研究班の提案が本章で あ る 。   こ こ に 、 執 筆 、 調 査 、 資 料 分 析 に 携 わ っ た 研 究 員 全 員 に 改 め て 感 謝 の 意 を 表 し た い 。   最 後 に 、 長 期 間 に わ た る プ ロ ジ ェ ク ト を 通 じ 、 聞 き 取 り 調 査 で は ご 住 職 方 に 貴 重 な お 時 間 を い た だ き 、 ま た ア ン ケ ー ト で は 真 摯 な る ご 回 答 ご 協 力 を 賜 っ た こ と を 心 よ り 御 礼 申 し 上 げ た い 。         平 成 二 八 年 三 月   研 究 代 表   武 田 道 生

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1―1. 「過疎」とは何か?   日 本 で は、 特 に 高 度 経 済 成 長 期 に 伴 う 都 市 部 へ の 人 口 移 動 に よ っ て、 地 方 部 に「 過 疎 化 」 が 生 じ た。 「 過 疎 」 と は、 地 域 の 人 口が減ってしまい、その地域で暮らす人の生活水準や生産機能の 維持が困難になってしまう状態であるが、過疎地域の特徴として は、地域の人口が減少するだけでなく、少子高齢化、地域産業の 衰退、またそれら諸条件の結果として地域で暮らす人の生活水準 の維持が困難になってしまう状態を伴うことが多い。   「 過 疎 」 と い う 言 葉 は、 一 九 六 〇 年 代 に 使 わ れ 始 め た 行 政 用 語 でもあり、 「過疎地域自立促進特別措置法」によって「過疎地域」 (「 過 疎 地 域 市 町 村 」( 第 二 条 第 一 項、 第 三 二 条 )、 「 過 疎 地 域 と み な さ れ る 市 町 村 」( 第 三 三 条 一 項 )、 「 過 疎 地 域 と み な さ れ る 区 域 のある市町村」 (第三三条二項) )が指定されている。過疎市町村 の数は七九七、全国の一七一八市町村の 46%に当たる。過疎市町 村の占める面積は 58・7%であるが、人口は全体の8%に過ぎな い。 ( 平 成 二 六 年 四 月 五 日 現 在、 全 国 過 疎 地 域 自 立 促 進 連 盟   過 疎物語 kaso-net http://www.kaso-net.or.jp/kaso-about.htm )   なお、 過疎化が進行し地域社会としての機能を失った集落を 「限 界集落」と呼ぶこともあり、これは一九九〇年頃に社会学者であ る大野晃によって提唱されたものである。 (1) 「過疎」が生じた社会的な状況   高度経済成長期(一九五五年―七三年)を契機として若者が都 会へ流出した(人口の「社会減」 )。また昭和二五年の朝鮮戦争に よる特需を契機にして、就業構造が急変した。第一次産業従事者 が減少し、第二次、第三次産業従事者が増加したのであるが、多 くの若者がふるさとを離れ都市部(特に三大都市圏)へと移動し て第二次、第三次産業従事者としての職を求めた。これは産業間 に よ る 所 得 格 差 が 拡 大 し た こ と も 関 係 す る。 昭 和 三 〇 年 か ら の 一 〇 年 で の 所 得 の 増 加 を 見 る と、 第 一 次 産 業 は 一 ・ 五 倍 で あ る の に 対 し、 第 二 次 産 業 は 四 倍、 第 三 次 産 業 は 三 ・ 三 倍 も の 増 加 を 見 せたのである。   また昭和三〇年代には石油燃料への転換が起こったことにより、 木炭生産が激減した。このことにより、木炭生産や林業依存度の 高 い 地 域、 た と え ば 中 国 山 地 の 山 村 で は 挙 家 離 村 が 続 発 し た が、 これら人口流出の背景には、根強い都市幻想と離村願望、また大 規模な自然災害が直接的きっかけとなる場合もあったという(乗 本吉郎『過疎問題の実態と倫理』富民協会、一九九六年、五一頁

第1章

  「過疎」について

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第1章   「過疎」について 第1章   「過疎」について ―六一頁) 。   一九九〇年代にはこの「社会減」に加え、出生数より死亡数が 上回る「自然減」が始まった。つまり、高度成長期を契機として 若 者 が 出 て い っ た た め 地 域 で 新 た な 子 供 が 生 ま れ る 数 が 少 な く、 そ の 一 方、 残 さ れ た 人 口 が 高 齢 化 し て い く と い う「 少 子 高 齢 化 」 が顕著になったのである。 (2)人口移動の三つの時期   増田寛也はこの戦後の人口移動を、経済的視座において三つの 時期に分けて説明する。第一期は、一九六〇―七〇年代前半の高 度経済成長期であり、三大都市圏に集積した重化学工業の労働者 として移動した。七〇年代には第一次石油危機により安定成長期 になり、工場が地方に分散することで経済力の地域間格差は縮小 し、その結果UターンやJターンが起こる一方で、関西圏、名古 屋圏から人口が流出するなど、人口移動が均衡した。   第 二 期 は 一 九 八 〇 ― 九 三 年 で、 バ ブ ル 経 済 を 含 む 時 期 で あ る。 東京圏はサービス業、金融業を中心に成長を遂げる一方で、地方 に立地する重化学工業は円高により苦境を迎えた。この結果、都 市部と地方の経済力の地域間格差は拡大し、地方から東京圏への 人口流出が大きく進んだ。なお、関西圏、名古屋圏の人口は横ば いであったという。   第三期は二〇〇〇年以降の時期で、円高による製造業への打撃、 公共事業の減少、人口減少等により地方の経済や雇用状況が悪化 した。これによって、若者層を中心に地方から東京圏への人口流 出が再び生じ、現在に至っている。地方から大都市圏へ移動した 若者は累積一一四七万人(一九五四―二〇〇九年)だが、大都市 は結婚し子供を育てる環境としては望ましくなく、このことが日 本全体の人口減少に拍車をかけた。   増田によると、上記における第一期と二期は大都市圏の「雇用 吸収力の増大」よる「プル型」であったが、 第三期は地方の経済 ・ 雇用の低下が原因の「プッシュ型」である。大都市圏でも非正規 雇用がふえるなど、必ずしも魅力ある雇用が増えているわけでは ない。つまり「仕方なく」流出を迫られており、地方が消滅のプ ロセスに入りつつあることを示しているという(増田寛也『地方 消滅』中公新書、二〇一四年、一七頁―二一頁) 。 (3)農山村に生じた「空洞化」   小田切徳美は、この時期の農山村の変化を、三つの異なるレベ ルとして生じた「空洞化」として捉える。まず、第一が「人の空 洞 化 」 で あ る。 こ れ は 一 九 六 〇 年 代 よ り 生 じ た 人 口 の「 社 会 減 」 と一九八〇年代後半より生じた「自然減」による人口減少である。 この時期は人口が急激に減少したが、集落機能の変化はあまり見 られず、世帯数や人口減に対応するように、集落の役職の統合や 廃止、班の再編などで対応してきたという。第二が「土地の空洞

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化」である。これは一九八〇年代後半より生じたもので、農地耕 作者の担い手不足が顕在化してきた。耕作しないと土地が荒れる ため、地主が無料で耕作を頼む状況もあるという。第三は「むら の空洞化」である。一九九〇年代より集落の維持が困難な状況が 出現するようになってきたことを指す。これは主に農業関係の活 動が衰退したことを指すが、しかし祭りや道普請など生活の共同 活動は工夫をしながら維持し、機能は低下しつつも「まだ何とか やっていける」状況が多いという。   しかしながら、急激に脆弱化し住民の「諦め」が地域の中に急 激に広がる時がやってくることがあるという。これを彼は「臨界 点」と呼んでいるが、この臨界点は、自然災害などのほかに、国 の政策決定などにより地域の希望が奪われることよってももたら さ れ る と い う( 小 田 切 徳 美『 農 山 村 は 消 滅 し な い 』 岩 波 新 書、 二〇一四年、一六頁―二二頁) 。 (4)異なる場所に住む三つの世代   山下祐介は、過疎地域の傾向を「世代間で異なる場所に居住す る現象」として捉える。彼は、人口の層が厚い三つの世代層「大 正 末 か ら 昭 和 一 桁 生 」、 「 団 塊 の 世 代 」「 団 塊 ジ ュ ニ ア 世 代 」 を 指 摘したうえで、これらの世代層が、それぞれ異なる場所で異なる ラ イ フ ス タ イ ル を 送 っ て い る と 述 べ る。 つ ま り、 「 大 正 末 か ら 昭 和一桁生」の世代は、昔ながらの生活を親から引き継ぎ、生れた 場所で暮らしている特徴が見られる。戦後に生まれた「団塊の世 代」は、地方で生まれたがそのなかの多くの人々が都市部へ移動 した。そして低成長期世代の「団塊ジュニア世代」は、はじめか ら都市で生まれ育ち、初めから都市での生活に適応しているとい うことである。   こ の よ う に 人 口 の 多 い 三 つ の 世 代 層 が 住 み 分 け て い る 状 況 で あ っ て も、 「 大 正 末 か ら 昭 和 一 桁 生 ま れ 」 は 元 気 な の で、 以 前 の 社会形態が引き継がれてきた。このため、過疎地に目立った問題 は生じないままで来ていたという。しかし現在では、過疎地の中 心を担ってきた戦前生世代(昭和一桁世代)が八〇歳を超え、死 を 迎 え る 時 期 に 差 し 掛 り 様 々 な 問 題 が 顕 在 化 す る よ う に な っ た (山下祐介『限界集落の真実』ちくま新書、二〇一二年) 。 1―2.過疎と日本の将来 (1)日本における人口減少の段階   現在においても、過疎地域においては深刻な状況が現出してい るが、この傾向は今後一層加速化することが予測されている。ま た、この「過疎地域」と呼ばれる地域が拡大することも予想され る。   国立社会保障・人口問題研究所は、平成二四年一月に「日本人 の 将 来 推 計 人 口 」 を 発 表 し た。 こ れ に よ る と、 二 〇 一 〇 年 に 一 億 二 八 〇 六 万 人 だ っ た 人 口 が、 二 〇 五 〇 年 に は 九 七 〇 八 万 人、

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第1章   「過疎」について 二一〇〇年には四九五九万人にまで減少をする予測となっている。   この人口減少は、減少する年齢層によって三つの段階に分けら れる。第一段階はおよそ二〇四〇年までであり、この時期は生産 年齢人口および年少人口は減少するが、老年人口は増加する時期 である。第二段階はおよそ二〇四〇年から二〇六〇年の間であり、 生産年齢人口および年少人口は減少するが、老年人口は維持もし く は 微 減 す る。 こ の 時 期 に な る と、 本 格 的 な 人 口 減 少 が 始 ま る。 第三段階は二〇六〇年以降であり、 この時期には、 生産年齢人口 ・ 年少人口とともに老年人口も減少に入る。なお現在、大都市や中 核 都 市 は 第 一 段 階 だ が、 地 方 の 多 く は す で に 第 二、 三 段 階 に 入 っ て い る と い う( 増 田 寛 也『 地 方 消 滅 』 中 公 新 書、 二 〇 一 四 年、 一五頁―一六頁) 。 (2)地方の消滅可能性   『 中 央 公 論 』 二 〇 一 三 年 六 月 号 に お い て、 増 田 寛 也 + 日 本 創 生 会 議・ 人 口 減 少 問 題 検 討 分 化 会 に よ り「 消 滅 可 能 性 自 治 体 八九六」が報告された。これは、二〇一〇年から二〇四〇年にか けての三〇年間で、人口の再生産を中心的に担う「二〇―三九歳 の女性人口」が五割以上減少する市町村を抽出したものであった。   現在のような人口移動が終息しない場合(二〇一〇―一五年ま で の 状 況 ) に は、 八 九 六 の 自 治 体( 全 体 の 49・ 8 %) が 該 当 し、 これを「消滅可能性都市」と呼んだ。また、そのうち二〇四〇年 時 点 で 人 口 が 一 万 人 を 切 る 小 規 模 市 町 村 は 五 二 三( 全 体 の 29・ 1%)相当する。これらを「消滅する市町村」と呼称してランキ ング形式で発表したこともあり、レポートはマスコミで大きく取 り上げられた。   このレポートに対しては、なぜ三〇年後に若年女性人口が半減 すると「消滅可能性」といえるのか、そもそも「消滅」の定義と は 何 で あ る の か、 な ぜ 人 口 が 一 万 人 以 下 に な る と「 消 滅 可 能 性 」 から「消滅」に変わるのか、この人口規模ラインにどのような質 的相違があるのか、都市から農山村への移住傾向に対する過小評 価をしているのではないか、などの批判がある。   ともあれ、このレポートは非常に大きな反響をもって人々に受 け入れられ、いつのまにか特定の地域に対する「撤退の勧め」と して機能しはじめているという(小田切徳美『農山村は消滅しな い』岩波新書、二〇一四年、七頁) 。 1―3. 「過疎」が及ぼす寺院への影響   一 九 八 八( 昭 和 六 三 ) 年、 「 N H K 特 集   寺 が 消 え る 」 と い う 特集番組が放送された。過疎化の進む島根県川本村(現 ・ 邑南町) 近郊にある寺院のおかれた状況について報告したもので、すでに 伽藍が朽ちてしまっている寺院、都市部へ移動をした寺院などの 様子は、多くの視聴者に驚きをもって受け止められた。   この番組で報告された事例は、いわゆる過疎地域においても極

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端な例であるかもしれない。しかしながら、日本の仏教寺院の多 くは、檀家制度に基づき、主に地域に住む檀家の人々を対象とし ての布教活動、葬儀・法事などの儀礼執行を行い、その一方で寺 院は檀家からの経済的支援を受けてきた。このように、 寺院は 「地 域に住む檀家」を主な対象としてきたため、地域の人口が減少す ることが寺院に大きな影響を与えている場合が見られるのも事実 である。   宗教社会学者である石井研士は、日本創生会議の「消滅可能性 自治体八九六」に該当する市町村に所在する宗教法人を、各都道 府県の宗教法人名簿より抽出した。これによると、宗教法人名簿 に あ る 宗 教 法 人 計 一 七 万 六 六 七 〇 法 人 の う ち、 該 当 す る 法 人 は 六万二九七一法人( 35・6%)であり、約三分の一を占める。石 井 は こ の 宗 教 法 人 を「 限 界 宗 教 法 人 」 と 呼 び、 「 宗 教 法 人 の 三 分 の一以上は消滅する可能性があることになる」と指摘する。この うち人口一万人未満の市町村にある宗教法人は一万六八七一法人 で、全宗教法人の9 ・ 5%に当たる。   この限界宗教法人を系統別にみると、系統別全数に占める限界 宗教法人の割合が最も高いのが神道系( 40・1%)で、次いで仏 教 系( 32・ 7 %) 、 諸 教( 30・ 7 %) 、 キ リ ス ト 教 系( 21・ 4 %) であり、神道系の割合の高さが顕著となっている。仏教系のみに 限定し、包括宗教法人の該当被包括宗教法人の割合をみると、最 も比率が高いのが高野山真言宗( 45・5%) 、次いで曹洞宗( 42・ 1 %) 、 真 言 宗 智 山 派( 38・ 99%) で あ る。 そ れ に 対 し て 比 率 が 低いのが黄檗宗( 22・6%) 、真言宗豊山派( 24・4%) 、浄土宗 ( 25・ 2 %) で あ る( 石 井 研 士「 限 界 宗 教 法 人 」『 宗 務 時 報 』 一二〇) 。   先 述 し た よ う に、 日 本 創 生 会 議 の「 消 滅 可 能 性 自 治 体 8 9 6」 に対しては様々な問題点が指摘されている。またこの報告をもと にして抽出した「限界宗教法人」も、何をもって宗教法人の限界 とするのかが明確ではないし、個別の宗教法人の規模を考慮に入 れているわけでもない。よって単純に「限界宗教法人」と呼ばれ た約三分の一の宗教法人が消滅する可能性があるとはいえないで あろう。しかし、これらの宗教法人が将来的には現在より厳しい 状態へと追い込まれていくことは想像に難くない。   「 過 疎 化 」 に よ る 寺 院 へ の 影 響 は、 単 に 地 域 の 人 口 が 減 少 す る ことのみに起因する訳ではない。先に挙げた、山下が指摘する世 代の住み分けの問題は、寺院と檀信徒関係を考えるうえで非常に 重要である。なぜなら、普段寺院と主に関係を保っている人々は、 地元に残っている戦前生まれであることが多い。この人たちが亡 くなった後、他地域に転居した次世代の人々とこれまでのような 檀信徒関係を維持できるかどうかは不透明である。特に過疎地域 の場合には、地元と離れた都市部に居住している例も多く、檀家 の世代交代は、寺院との距離が離れるという問題を内包している のである。

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第1章   「過疎」について   本研究班では、過疎化によって寺院にどのような状況が生じて い る の か に つ い て、 聞 き 取 り と ア ン ケ ー ト に よ っ て 調 査 研 究 を 行ってきた。以下において、調査によって明らかになった寺院の 現 状 と そ の 分 析 を 記 し、 そ の う え で 各 寺 院 が 何 を す べ き な の か、 また教団として何が出来うるのかについて考察をしていきたい。   (名和清隆)

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  本 章 は 過 疎 地 域 に お け る 浄 土 宗 寺 院 の 基 本 的 な 情 報 を 提 示 し、 平成二四年に実施したアンケート調査の分析からみえる過疎地域 における浄土宗寺院の実態を提示する。 2―1.過疎地域における浄土宗寺院の基礎的情報   ま ず『 浄 土 宗 寺 院 名 鑑 』( 平 成 二 五 年 版 ) に 基 づ き 浄 土 宗 教 団 の寺院数を確認し、次いで過疎の実態を把握しよう。   『浄土宗寺院名鑑』 (平成二五年版)によって浄土宗教団の状況 を示すと以下の通りである。   一般寺院数:七〇三二(総大本山・特別寺院を除く)   【内訳】   正住職寺院数:五五六二(全体の 79・1%)   兼務住職寺院数:一三一二(全体の 18・7%)   無住寺院数:一四九(全体の2 ・ 1%)   その他(兼務特命・代務・代務特命):九(全体の0 ・ 1%)   これらの寺院のうち、平成二六年三月に改正された過疎地域自

第2章

 

浄土宗寺院と「過疎」



―アンケート調査の分析より―

立促進特別措置法によって過疎地域と指定された地域にある寺院 数は、以下の通りである。   過疎地域寺院総数:一〇六五(全体の 15・1%)   【内訳】   二条一項指定地域にある寺院:七八六   三三条一項指定地域にある寺院:一五三   三三条二項指定地域にある寺院:一二六   浄土宗は寺院数全体の 15・1%が過疎地域にある。過疎地域寺 院の数には、当然のことながら、地域差がある。浄土宗の教区別 の過疎地域寺院数は表一のようになる。この表によると半数以上 の寺院が過疎地域にある教区が七教区(石見教区・北海道第一教 区 ・ 秋田教区 ・ 北海道第二教区 ・ 大分教区 ・ 長崎教区 ・ 愛媛教区) あることが分り、このうち石見教区はすべての寺院が過疎地域に ある。一方、六つの教区(埼玉教区・神奈川教区・三河教区・尾 張教区・伊賀教区・大阪教区)では過疎地域に寺院が存在しない。

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第2章   浄土宗寺院と「過疎」―アンケート調査の分析より― 第2章   浄土宗寺院と「過疎」―アンケート調査の分析より―   ただし過疎地域にある寺院が一概に小規模寺院であり、過疎地 域以外にある寺院が大規模であるということではない。例えば過 疎 地 域 寺 院 が 全 く な い 三 河 教 区 は 寺 院 数 が 全 教 区 の う ち 第 五 位 ( 三 一 八 ヶ 寺 ) で あ り、 そ の う ち 正 住 職 寺 院 数 は 二 〇 八 ヶ 寺( 全 体の 65・4%) 、兼務寺院数は一〇〇ヶ寺( 31・4%) 、無住寺院 数は一〇ヶ寺 (3 ・ 1%) である。これを全国平均 (正住職寺院: 79・ 1 %、 兼 務 住 職 寺 院 : 18・ 7 %、 無 住 寺 院 : 2 ・ 1 %) と 比 較すると、正住職寺院が少なく、兼務・無住寺院が多いことが分 る。寺院規模を計る一つの目安として寺院に振られる等級(一が 最大で、五六が最小。大きいほど規模が小さいと考えられる)に 着目してみると全寺院が過疎地域にある石見教区の等級の平均が 四 八 ・ 九 で あ る の に 対 し て、 三 河 教 区 の 平 均 は 五 〇 で あ り、 石 見 教区よりも小規模な寺院が多いと考えることができよう。   このような中で過疎地域にある寺院の特徴は、高度経済成長期 以降大きな変化に直面した点にある。アンケートでは檀家数の減 少についての設問があり、過疎地域寺院の六割が檀家が減少した と答えている。浄土宗における過疎地域寺院の考察は、過疎化に ともなう地域の変化が寺院にどのような影響をもたらしたかを理 解し、またそのような変化のなかでそれぞれの寺院がどのような 工夫をしているかを知るために行われるべきものである。日本全 体が人口減少に転換する中で、過疎地の経験をその先例として受 け止めることができよう。   先に浄土宗には過疎地域に一〇六五ヶ寺の寺院があることを指 摘したが、これについて、正住職寺院と兼務寺院の割合を、非過 疎地域および全体との比較でみてみよう(表1、 2) 。   この表を見ると過疎地域は非過疎地域と比較して、正住職寺院 の割合が少なく、兼務寺院・無住寺院の割合が多いことが理解で きる。一〇六五ヶ寺の過疎地域寺院のうち正住職寺院は七四九ヶ 寺で約七割であるが、非過疎地域では五九六七ヶ寺のうち、約八 割が正住職寺院である。   アンケート分析からも理解されるが、兼務寺院は檀家が少なく、 また収入も少ない寺院が多い。過疎に指定される地域に兼務寺院 が多いということは、非過疎地域よりも寺院運営が難しいという ことができる。あるいは過疎に指定される地域は、法律に定めら れるとおり、人口の減少や経済状況の悪化が見られると指摘でき よう。   以上のように過疎地域は非過疎地域と比較すると、兼務や無住 寺院が多いと指摘でき、寺院運営が難しい地域ということができ よう。以下、アンケートの分析ではこの点について詳細に検討を 試みたい。

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表1 教区別過疎寺院数 教区名 寺院数 二条一項 三三条一項 三三条二項 過疎寺院数 割合 北海道第一教区 74 60 0 0 60 81.1% 北海道第二教区 66 39 0 4 43 65.2% 青森教区 110 36 7 5 48 43.6% 岩手教区 34 6 0 2 8 23.5% 秋田教区 48 20 15 0 35 72.9% 山形教区 119 24 16 1 41 34.5% 宮城教区 56 3 0 2 5 8.9% 福島教区 166 46 23 3 72 43.4% 群馬教区 75 10 0 0 10 13.3% 栃木教区 79 4 0 6 10 12.7% 茨城教区 101 0 0 2 2 2.0% 埼玉教区 149 0 0 0 0 0.0% 東京教区 436 5 0 0 5 1.1% 千葉教区 146 22 0 0 22 15.1% 神奈川教区 264 0 0 0 0 0.0% 山梨教区 91 1 0 5 6 6.6% 新潟教区 80 22 6 3 31 38.8% 富山教区 65 1 1 0 2 3.1% 長野教区 236 8 0 8 16 6.8% 静岡教区 162 6 0 2 8 4.9% 三河教区 318 0 0 0 0 0.0% 尾張教区 215 0 0 0 0 0.0% 伊勢教区 253 23 0 28 51 20.2% 教区名 寺院数 二条一項 三三条一項 三三条二項 過疎寺院数 割合 伊賀教区 49 0 0 0 0 0.0% 岐阜教区 89 4 0 0 4 4.5% 石川教区 40 6 0 1 7 17.5% 福井教区 85 12 0 0 12 14.1% 滋賀教区 470 0 0 3 3 0.6% 京都教区 597 17 10 8 35 5.9% 奈良教区 315 28 14 2 44 14.0% 和歌山教区 197 35 35 0 70 35.5% 大阪教区 486 0 0 0 0 0.0% 兵庫教区 240 15 0 1 16 6.7% 鳥取教区 42 8 0 4 12 28.6% 出雲教区 56 20 3 4 27 48.2% 石見教区 51 47 4 0 51 100.0% 岡山教区 27 10 0 1 11 40.7% 広島教区 75 13 0 4 17 22.7% 山口教区 140 39 0 16 55 39.3% 南海教区 53 22 0 0 22 41.5% 愛媛教区 70 32 3 0 35 50.0% 福岡教区 260 22 8 0 30 11.5% 佐賀教区 90 6 0 6 12 13.3% 長崎教区 67 30 2 4 36 53.7% 熊本教区 89 40 2 0 42 47.2% 大分教区 57 33 4 0 37 64.9% 三州教区 44 11 0 1 12 27.3% 総数 7032 786 153 126 1065 15.1% 表2 過疎・非過疎割合 過疎地域 非過疎 全体 件数 割合 件数 割合 件数 割合 正住 749 70.3% 4813 80.7% 5562 79.1% 兼務 281 26.4% 1031 17.3% 1312 18.7% 無住 34 3.2% 115 1.9% 149 2.1% その他 1 0.1% 8 0.1% 9 0.1%

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第2章   浄土宗寺院と「過疎」―アンケート調査の分析より― 2―2.アンケート調査の概要   平成二四年六月、浄土宗総合研究所は寺院問題検討委員会(総 務局所管)と連携し、過疎地域における浄土宗の正住職寺院と兼 務住職寺院に対してアンケート調査を実施した。このアンケート 調査についての詳細は以下の通りである。 ①調査対象寺院 過疎地域自立促進特別措置法第二条第一項、第三三条一項およ び二項適用地域に所在する正住職寺院、兼務住職寺院(住職交 代手続きをしている寺院は調査対象外) 調査対象正住職寺院   七一〇ヶ寺 調査対象兼務住職寺院   二七七ヶ寺 ②調査実施期日 平成二四年六月 ③配布方法と回収方法 配布は、調査該当寺院に対して浄土宗総合研究所から直接郵送 した。回収は「回答寺院→組長→教区長→宗務庁(総務局)→ 浄土宗総合研究所」という順を追った。 ④回収率 正住職寺院版アンケート    88・3% (回収数六二七/配布数七一〇) 兼務住職寺院版アンケート   85・1% (回収数二三六/配布数二七七)   本アンケートは平成二四年二月の浄土宗が管理する寺院のデー タをもとにアンケート調査対象寺院を選定したが、送付にあたり 代務住職寺院、無住職寺院、また住職交代の手続きなどの状態に ある寺院は調査対象外とした。アンケートの設問、集計結果につ いては本報告書の資料編の第2章を参照してほしい。ここでは① 経済的問題に関する諸問題、②寺院の今後に関して、③過疎地域 における兼務寺院の状況について、の三点に焦点を当てて、アン ケート調査を分析したい。 2―3.経済的問題に関する考察   寺院の経済的問題を分析する視点として、ここでは寺院の収入 と(1)寺院住職の兼職、 (2)檀家数の減少、 (3)法要出仕の 機会の減少、 (4)家の居住地の拡散化の問題(遠方檀家の割合、 工夫を行っているか)との関係を分析し、過疎地域における正住 職寺院の経済状況を把握する。   まず個々の経済的な問題についての考察を行う前にいくつかの

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傾向を述べていく。本アンケートにおいては檀家数と寺院年収に ついての回答を得たが、過疎地域では寺院の年収は檀家数と強い 相 関 関 係 に あ る( 相 関 係 数 : 0・ 74)。 つ ま り、 檀 家 数 が 多 い ほ ど寺院の年収が高くなる傾向がある。また本アンケートにおける 寺院年収とは、宗教法人としての寺院が一年間で得る収入との理 解であり、支出等は考慮されないものであり、また住職などが宗 教法人から得る個人の収入とも異なるものである。 (1)寺院住職の兼職   過疎地域における正住職寺院の住職のうち、 21%が現在も兼職 をしており、 また 29%が現在はしていないが兼職の経験がある (グ ラ フ 1) 。 兼 職 を し て い る 理 由、 あ る い は し て い た 理 由 に つ い て は 70%が経済的な理由と答え、残りの 30%はそれ以外の理由で兼 職 を し て い る と 回 答 し て い る( グ ラ フ 2) 。 経 済 的 な 理 由 以 外 で の兼職には、寺院が運営母体となっている幼稚園や社会福祉法人 などの職員になっている場合がある。   経 済 的 な 理 由 で 住 職 が 兼 職 を し て い る 寺 院( 経 済 的 兼 職 寺 院 ) の年収は以下のような割合になっている。これをみると経済的理 由で住職が兼職している寺院は 63・7%が年収三〇〇万円以下で あり、過疎地域全体(年収三〇〇万円以下総計: 43%)と比較し て 年 収 が 少 な い 傾 向 が あ る と 指 摘 す る こ と が で き よ う。 ま た 一〇〇〇―二〇〇〇万円の年収でも、経済的な理由で兼職をして 経済的 理由で 兼職 70% 経済的 理由以 外で兼 職 30% 有効回答数: 311 総回答数: 314 グラフ2 現在し ている 21% 現在は してい ない 29% したこ とがな い 49% その他 1% 有効回答数: 625 総回答数: 627

グラフ1

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第2章   浄土宗寺院と「過疎」―アンケート調査の分析より― 表3 経済的理由による兼職寺院 檀家数区分 経済的兼職寺院 過疎地域全体 0 3.7% 2.6% 1-10 3.3% 1.3% 11-30 4.2% 3.6% 31-50 17.2% 9.9% 51-80 17.7% 13.7% 81-100 14.9% 10.3% 101-150 15.8% 14.2% 151-200 13.5% 13.4% 201-250 2.8% 6.8% 251-300 2.8% 6.1% 301-400 1.9% 8.4% 401-500 2.3% 4.7% 501-700 0.0% 2.9% 700 以上 0.0% 2.1% いる寺院もあり、この割合も過疎地域全体と比較して高くなって いる。さらに檀家数についても比較してみよう(表3) 。   経 済 的 理 由 で 住 職 が 兼 職 し て い る 寺 院 は 90・ 2 % が 檀 家 数 二〇〇軒以下であり、これは過疎地域全体(檀家数二〇〇軒以下 総数: 69%)と比較して高くなっている。これらのデータから住 職が経済的な理由で兼職している寺院は、過疎地域のなかでも寺 院年収が低く、また檀家数も少ない傾向にあることが理解できる。   これまでとは逆に寺院年収と兼職の関係についても考察したい。 (表4、 5)   この二つの表を見ると年収三〇〇万円の寺院までは、兼職経験 者(現在している・したことがある)の方が多く、三〇〇万円以 表4 年収と経済的兼職 年収区分 経済的兼職寺院 過疎地域全体 0 万円 1.9% 1.1% 0-50 万円 7.9% 4.9% 50-100 万円 7.9% 4.6% 100-150 万円 9.8% 6.7% 150-200 万円 11.6% 8.0% 200-250 万円 10.2% 7.2% 250-300 万円 14.4% 10.5% 300-500 万円 20.9% 20.3% 500-1000 万円 14.4% 26.7% 1000-2000 万円 0.0% 8.3% 2000 万円以上 0.9% 1.6% 表5 年収と兼職経験・非経験の関係 兼職経験者 兼職非経験者 総計 0 万円 7 0 7 0-50 万円 18 11 29 50-100 万円 19 9 28 100-150 万円 27 14 41 150-200 万円 28 19 47 200-250 万円 27 16 43 250-300 万円 41 23 64 300-500 万円 60 63 123 500-1000 万円 63 100 163 1000-2000 万円 13 38 51 2000 万円以上 3 7 10

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上の寺院になるとしたことがない人が増える。地域の差などもあ るが、年収三〇〇万円以下の場合は、寺院のみの収入で生活する ことが難しいと指摘できよう。 (2)檀家数の減少   檀家数と寺院収入は相関関係にあることは先に指摘したが、こ こでは最近二〇年で檀家が減少した寺院の収入を中心に考察しよ う。また今後二〇年間の檀家増減の予想と現在の経済状況の関係 についても考察しよう。ただし、この今後の檀家増減については、 あくまでも予想であるので、住職の実感に左右されていると考え ることができるものである。   まず過疎地域における檀家の増減について見てみよう。      変化なし:一四五ヶ寺( 28・7%)      増    加:八一ヶ寺( 13・2%)      減    少:三七四ヶ寺( 61・1%)      分らない:一二ヶ寺(2 ・ 0%) (有効回答数:六一二)   ア ン ケ ー ト に よ る と 二 〇 年 間 で の 檀 家 の 増 減 は 以 上 の よ う に なっており、過疎地寺院の約六割は檀家が減少したと答えている。 増減についての詳細は以下のようになる(表6) 。   増 加 と 回 答 し た 寺 院 の う ち 50% 弱 が 一 ― 一 〇 軒 の 増 加 で あ る。 五 〇 軒 以 上 の 増 加 は 八 ヶ 寺 で あ り、 ア ン ケ ー ト を 回 答 し た 寺 院 (六二七ヶ寺)の1%にも満たない数である。   減 少 に つ い て も 一 ― 一 〇 軒 が 全 体 の 35% と 最 も 多 く、 全 体 の 50%強で五〇軒以下の檀家減少がある。また全体の約5%に当た る寺院が五〇軒以上の檀家減少が見られる。檀家数と寺院収入が 強い相関関係にあることは先ほど指摘したが、過疎地域では六割 を超える寺院の檀家軒数が減少しており、収入も減少したと推測 することができよう。   次に今後の檀家数がどのように増減するかについての住職の予 想を見てみよう(表7) 。   これをみると約 85%(五一九ヶ寺)の寺院は今後檀家が減少す ると予想しているが、過疎地であっても 10%弱の寺院は檀家が増 加 す る と 考 え て い る。 ま た 変 化 し な い と い う 回 答 も 7 ・ 7 % 見 る 表6 二〇年間の檀家増減 増加 減少 1-10 37 1-10 160 11-20 19 11-20 91 21-30 10 21-30 57 31-50 7 31-50 33 51-100 5 51-100 21 100 以上 3 100 以上 12

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第2章   浄土宗寺院と「過疎」―アンケート調査の分析より― こ と が で き る。 こ の 増 減 予 想 を 寺 院 の 檀 家 数 別 に 見 て み る と 次 ページの表9のようになる。   檀家数が一―一〇軒の寺院を除き、多くの寺院が檀家の減少を 予想しているが、檀家数の多寡が増減予想に大きな影響を与えて はいない。また三一―五〇軒の檀家を持つ寺院での二一―三〇軒 の減少や、八一―一〇〇軒の五一―一〇〇減少などは檀家が半減 するという悲観的な予想も見られ、聞き取り調査で聞く「葬儀を 一つすると、檀家が一軒減る」という住職達の実感が、この増減 予想にも表れていると考えることができよう。   また一〇〇軒以上の減少を予想したのは、有効回答数の約5% ( 総 回 答 数 : 六 二 七 / 有 効 回 答 数 : 六 一 二 ) に あ た る 三 〇 ヶ 寺 で ある。このうちのおおよそ半数(一七ヶ寺)が九州地方の寺院で ある。熊本教区への現地聞き取り調査では、昭和三〇年代後半か ら高度経済成長期において、檀家数が半減した寺院が多くあるこ とが明らかになった。最近二〇年間の檀家減少についても一〇〇 軒以上と回答した寺院も多く、これも今後の予想に影響を与えて いると推測できよう。 (3)法要出仕の機会の減少   聞き取り調査でも確認されたことであるが、葬儀を複数人の僧 侶で勤めることは一般的なことであり、地域によっては異なる宗 派であっても出勤する場合がある。このような法要出勤の現状と、 その増減について見てみたい。   アンケートによると約 60%の寺院に法要出勤の習慣があり、そ のうち 53%の寺院が法要に出勤している。その他の回答としては 「地域に浄土宗寺院がない」 「習慣はないが、頼まれた時は出勤し ている」といった回答があった。   次に、このような法要出勤の増減についてみてみたい(表8) 。 表7 今後二〇年間の檀家増減予想 増減予想数 実数 割合 変化なし 47 7.7% 1-10 増加 22 3.6% 11-20 増加 7 1.1% 21-30 増加 10 1.6% 31-50 増加 4 0.7% 51-100 増加 3 0.5% 100 以上増加 0 0.0% 1-10 減少 109 17.8% 11-20 減少 144 23.5% 21-30 減少 100 16.3% 31-50 減少 79 12.9% 51-100 減少 26 4.2% 100 以上減少 30 4.9% 分からない 31 5.1% 総数 612 100% 表8 法要出仕について 法要の出仕 数値 割合 変化なし 100 17.0% 増加 7 1.2% 減少 282 48.0% もともとない 127 21.6% あったがなくなった 64 10.9% 新たに始まった 2 0.3% その他 5 0.9%

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0 1-10 11-30 31-50 51-80 81-100 101-150 151-200 201-250 251-300 301-400 401-500 501-700 700 以上 変化なし 3 (50%) 5 (62.5%) 2 (9.1%) 10 (16.4%) 7 (8.3%) 3 (4.8%) 5 (5.7%) 5 (6%) 3 (7.1%) 2 (5.3%) 0 1 (3.4%) 0 1 (7.7%) 1-10 増加 0 0 3 (13.6%) 4 (6.6%) 3 (3.6%) 2 (3.2%) 2 (2.3%) 1 (1.2%) 1 (2.4%) 2 (5.3%) 2 (3.9%) 1 (3.4%) 1 (5.9%) 0 11-20 増加 0 0 1 (4.5%) 1 (1.6%) 2 (2.4%) 0 1 (1.1%) 0 0 0 0 1 (3.4%) 0 1 (7.7%) 21-30 増加 0 0 0 0 1 (1.2%) 1 (1.6%) 2 (2.3%) 1 (1.2%) 0 4 (10.5%) 1 (2%) 0 0 0 増加 0 0 0 0 0 0 2 (2.3%) 0 0 0 0 1 (3.4%) 1 (5.9%) 0 増加 0 0 0 0 0 0 0 0 1 (2.4%) 1 (2.6%) 1 (2%) 0 0 0 以上増加 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 減少 0 3 (37.5%) 11 (50%) 23 (37.7%) 23 (27.4%) 15 (23.8%) 10 (11.5%) 7 (8.4%) 5 (11.9%) 3 (7.9%) 6 (11.8%) 1 (3.4%) 0 0 減少 0 0 5 (22.7%) 15 (24.6%) 22 (26.2%) 15 (23.8%) 34 (39.1%) 19 (22.9%) 9 (21.4%) 8 (21.1%) 7 (13.7%) 6 (20.7%) 2 (11.8%) 1 (7.7%) 減少 0 0 0 3 (4.9%) 20 (23.8%) 14 (22.2%) 13 (14.9%) 24 (28.9%) 9 (21.4%) 4 (10.5%) 8 (15.7%) 3 (10.3%) 1 (5.9%) 1 (7.7%) 減少 1 (16.7%) 0 0 0 3 (3.6%) 6 (9.5%) 13 (14.9%) 17 (20.5%) 8 (19%) 6 (15.8%) 12 (23.5%) 6 (20.7%) 4 (23.5%) 1 (7.7%) 減少 0 0 0 0 0 5 (7.9%) 2 (2.3%) 4 (4.8%) 2 (4.8%) 2 (5.3%) 6 (11.8%) 2 (6.9%) 3 (17.6%) 0 以上減少 0 0 0 0 0 0 1 (1.1%) 1 (1.2%) 2 (4.8%) 6 (15.8%) 5 (9.8%) 4 (13.8%) 3 (17.6%) 7 (53.8%) 2 (33.3%) 0 0 5 (8.2%) 3 (3.6%) 2 (3.2%) 2 (2.3%) 4 (4.8%) 2 (4.8%) 0 3 (5.9%) 3 (10.3%) 2 (11.8%) 1 (7.7%)

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第2章   浄土宗寺院と「過疎」―アンケート調査の分析より― 変化なし 21.7% (100人) 増加 1.5%(7人) 減少 61.3% (282人) あったがなく なった 13.9% (64人) 新たに始まっ た 0.4%(2人) その他 1.1%(5人)

出勤の変化(「もともとない」を除く)

総回答数:

460

有効回答数:

460

グラフ3   法 要 へ の 出 勤 に つ い て は、 「 減 少 し た 」 と「 な く な っ た 」 を 合 わせると 58・9%となる。また「もともとない」という回答を除 いて変化をみると、グラフ3のようになる。これをみると六割を 超える寺院が出勤が減少したと回答し、また一割以上が出勤の習 慣が無くなったと回答している。新たに出勤が始まった地域もわ ずかに見られるが、ここでは出勤の減少や廃止の理由について分 析してみよう(表 10)。 表 10 出勤減少・消滅の理由 消滅の 理由 出勤の 回数 年齢・立場の変化 僧侶の人数の変化 出勤先寺院の状況変化 兼職の開始 兼職終了 その他 減少 29 158 62 1 1 22 あったがなく なった 17 24 13 1 0 6 総計 46 182 75 2 1 28 有効回答数:334 総回答数:346

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