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2 はしがき 国語科教材が描く戦争二〇〇五年 目取真俊は沖縄から 戦後ゼロ年 という言葉を発した 在日米軍基地の大部分を押しつけられた沖縄が強いられている状況を鑑みれば たしかに戦後は未だに到来していない しかし いくつもの政治的な節目を通じて 戦争は終わったとの歴史認識は早くから浸透していった 沖

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Academic year: 2021

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フェンスレス

 第 4 号 目次

  はしがき―国語科教材が描く戦争・・・・・・・・・・・・・・・・・ 友田義行 2 論文 愚痴をこぼす坑夫たち――宮嶋資夫『坑夫』論・・・・・・・ 矢口貢大 5 プロレタリア文化運動と〝コミンテルン三二年テーゼ〟・・・・・・ 伊 藤 純 23 「昭和戦前期プロレタリア文化運動資料研究会」の資料集成作業の中から グローバル化時代の「闖入者」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 内藤由直 39 浅井花子の人と作品・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 和 田 崇 53 付:浅井花子著作目録 武田泰淳『富士』論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 藤原崇雅 75 ――精神医療に対する作家の発言を手がかりに―― 資料紹介 日本近代文学館所蔵 武田泰淳草稿類・・・・・・・・・・・・・・・ 藤原崇雅 91 ―『富士』「ある近代的な物語り、精神病患者の物語り」― 合評会記録 池田啓悟『宮本百合子における女性労働と政治 ― 一九三〇年代プロレタリア文学運動の一断面―』・・・・・・・・ 鳥木圭太 103 「 美智章著『アニメーションの想像力』の著者に聞く」          をふりかえる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 水川敬章 109 書評

TOSAKA JUN : A CRITICAL READER・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 雨宮幸明 113

竹内栄美子著『中野重治と戦後文化運動 

      デモクラシーのために』・・・・・・・・・・・・・・・・・ 村田裕和 120

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は し が き

国 語 科 教 材 が 描 く 戦 争     二 〇 〇 五 年 、 目 取 真 俊 は 沖 縄 か ら 「 戦 後 ゼ ロ 年 」 と い う 言 葉 を 発 し た 。 在 日 米 軍 基 地 の 大 部 分 を 押 し つ け ら れ た 沖 縄 が 強 い ら れ て い る 状 況 を 鑑 み れ ば 、 た し か に 戦 後 は 未 だ に 到 来 し て い な い 。 し か し 、 い く つ も の 政 治 的 な 節 目 を 通 じ て 、 戦 争 は 終 わ っ た と の 歴 史 認 識 は 早 く か ら 浸 透 し て い っ た 。 沖 縄 が 本 土 復 帰 す る 遙 か 以 前 か ら 「 も は や 戦 後 で は な い 」 と の 言 葉 は 列 島 を 覆 っ て い た 。 年 は 戦 後 七 一 年 と 位 置 づ け ら れ て い る 。 本 誌 第 二 号 の は し が き で も 言 及 さ れ て い る が 、 戦 争 体 験 者 の 高 齢 化 が 進 み 、 体 験 を 持 た な い 世 代 が い か に 証 言 を 継 承 す る か が 、 ま す ま す 喫 緊 の 課 題 と な っ て い る 。 今 夏 は 各 紙 で 戦 争 体 験 者 団 体 の 解 散 が 報 じ ら れ た 。 体 験 者 に よ る 証 言 の 重 要 性 は か ね て か ら 指 摘 さ れ て お り 、 当 事 者 が 不 在 と な っ た 際 に 再 び 危 機 が 高 ま る と の 警 鐘 も 鳴 ら さ れ て き た 。 こ の 間 、 二 〇 一 五 年 九 月 に は 安 全 保 障 関 連 法 が 強 行 採 決 さ れ 、 二 〇 一 六 年 七 月 の 参 議 院 選 挙 で は 第 九 条 を 含 む 日 本 国 憲 法 の 変 更 を 目 論 む 与 党 が 圧 勝 し た 。 日 本 は 法 的 に も 戦 争 が で き る 国 へ と 戻 り つ つ あ り 、 周 辺 諸 国 へ の 警 戒 感 を 煽 る 報 道 が 生 み 出 す 雰 囲 気 は 、 戦 後 ゼ ロ 年 と い う 認 識 の 広 が り を 思 い 知 ら せ る 。 こ ろ で 、 体 験 者 の 戦 争 は 、 文 学 を 通 し て 、 新 し い 世 代 に ど の よ う に 伝 え ら れ て い る だ ろ う か 。 多 く の 子 ど も た ち が 最 初 に 戦 争 に つ い て 知 る 機 会 は 小 学 校 の 授 業 で あ り 、 中 で も 科 目 と し て 学 習 す る の は 主 に 社 会 科 と 国 語 科 と い う こ と に な る 。 国 語 科 教 材 に 限 っ た と き 、 戦 争 世 代 の 作 家 た ち に よ る い わ ゆ る 戦 争 教 材 は 、 今 も 生 き 延 び て い る 。 し か し 、 そ こ に 描 か れ た 戦 争 体 験 の 中 身 に 目 を 凝 ら す と 、 あ る 傾 向 が 浮 か び 上 が っ て く る 。 倒 的 な シ ェ ア を 占 め る 光 村 図 書 の 小 学 校 国 語 教 科 書 で 、 第 二 次 世 界 大 戦 を 背 景 と し た 物 語 教 材 に は 、 あ ま ん き み こ 『 ち い ち ゃ ん の か げ お く り 』 ( 三 学 年 ) 、 今 西 祐 行 『 一 つ の 花 』 ( 四 学 年 ) が あ る 。 ま た 、 中 学 校 で は 井 伏 鱒 二 『 黒

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い 雨 』 ( 三 学 年 ) な ど が 挙 げ ら れ る 。『 ち い ち ゃ ん の か げ お く り 』 と 『 一 つ の 花 』 を 読 み 並 べ る と 、 不 思 議 な 符 号 に 気 が つ く 。 両 作 品 と も 幼 女 が 主 人 公 で あ り 、 父 親 が 召 集 を 受 け る 場 面 が 出 て く る 。 出 征 を 見 送 る 際 、 前 者 で は 母 親 が こ う つ ぶ や く 。「 体 の 弱 い お 父 さ ん ま で 、い く さ に 行 か な け れ ば な ら な い な ん て 」。 後 者 で も 地 の 文 で こ う 書 か れ る 。 「 あ ま り じ ょ う ぶ で な い ゆ み 子 の お 父 さ ん も 、 戦 争 に 行 か な け れ ば な ら な い 日 が や っ て 来 ま し た 」。 自 ら 志 願 し た の で は な い 一 般 市 民 を 家 族 か ら 引 き 離 し 、 戦 場 に 連 れ 出 そ う と す る 力 へ の 批 判 と も 読 め る し 、 身 体 虚 弱 の 男 性 で あ っ て も 徴 兵 さ れ る こ と に な っ た 戦 局 の 悪 化 を 表 す 設 定 と も 読 め る 。 も ち ろ ん 戦 死 を 予 想 さ せ る 伏 線 で も あ ろ う 。 し か し 同 時 に 、 虚 弱 な 出 征 兵 士 と い う 形 象 か ら は 、 加 害 者 性 が 脱 色 さ れ て い る と も 言 え る 。 お そ ら く 戦 場 で 「 活 躍 」 す る こ と な く 死 ん で い っ た と 思 わ れ る 彼 ら は 、 空 襲 や 原 爆 に よ っ て 殺 害 さ れ た 人 々 ( 特 に 子 ど も ) と 同 じ く 、 純 然 た る 戦 争 の 被 害 者 と し て 表 象 さ れ る の だ 。 材 を 含 む 児 童 文 学 作 品 は 、 読 者 に 近 い 子 ど も の 視 点 か ら 描 か れ る も の が 多 い 。 戦 時 を 子 ど も の 立 場 か ら 描 く 場 合 、 野 坂 昭 如 『 火 垂 る の 墓 』 に 代 表 さ れ る よ う に 、 多 く の 場 合 飢 餓 と 空 襲 の 本 土 が 舞 台 と な る 。 戦 争 と は 、 物 資 が 窮 乏 し 、 頭 上 か ら の 圧 倒 的 暴 力 に さ ら さ れ 、 父 親 を 戦 場 に 取 ら れ る 悲 劇 に 見 舞 わ れ る も の で あ る 。 だ か ら こ そ 戦 争 は い け な い 、 と い う こ と に な り か ね な い 。 竹 山 道 雄 の 唯 一 の 児 童 文 学 作 品 と 言 わ れ る 『 ビ ル マ の 竪 琴 』 で も 、 水 島 上 等 兵 の 足 を ビ ル マ に 止 め た の は 、 日 本 兵 の 遺 体 の 山 で あ っ た 。 少 な く と も 義 務 教 育 で 子 ど も た ち が 出 会 う こ と に な る 戦 争 教 材 が 継 承 し よ う と す る の は 、 戦 争 被 害 の 物 語 と 言 わ ざ る を 得 な い 。 年 の 全 国 戦 没 者 追 悼 式 に お け る 首 相 の 式 辞 に も 、 加 害 や 反 省 の 言 葉 は な か っ た 。 参 列 者 の 中 心 が 遺 族 で あ る た め と の 配 慮 ら し い 。 戦 争 と そ れ に 伴 う 占 領 や 開 拓 の 記 憶 を 、 特 定 の 視 点 か ら の 像 に 固 定 せ ず 、 無 数 の 経 験 が 交 差 す る 場 に 開 き 続 け る こ と 。 国 語 科 教 材 研 究 に お い て も 、 そ の こ と は 求 め ら れ て い る 。 ( 友 田 義 行 )

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愚痴をこぼす坑夫たち

――宮嶋資夫『坑夫』論

1   はじめに――坑内に響く声   下層社会への変装取材を得意としたジャーナリスト・知久泰 盛 ( 峡 雨 ) は、 一 九 一 一 年、 古 河 財 閥 の 経 営 す る 足 尾 銅 山 へ の 潜入取材を試みている。 「足尾銅山鉱夫となるの記 」 (1) によれば、 坑口を潜るとそこには、カンテラの灯が「厚ぼつたい闇に圧へ つけられるやうで光線の乏しい赤い焔が燃えるばかり漸く足元 が見える」世界が広がっている。カンテラ一つを頼みに闇に覆 われた別世界を歩むなかで、知久の聴覚は研ぎ澄まされていく。 知久の筆がそこで記録するのは、坑内に響き渡る様々な種類の 音 で あ る。 鉱 山 電 車 の「 轢 轆 の 音 響 」 、 圧 気 機 の「 足 元 も 岩 天 井もぶる〳〵顫へるやうな轟音」 、 「耳を澄してゐると下の方で も横の方でも幽かに 戞 かつかつ 々 と石を切る音」が響き、時折ダイナマ イトの「頭上の岩天井が崩るかと思ふやうな大爆音」が空気を 激しく振動させる。そして無機質なこれらの音の合間を縫うよ うに、鉄槌の「 戞 かつかつ 々 」という音で拍子をとりながら、坑夫たち は唄う。      アー坑夫様とはヨー知らずに迷うたヨー と唄うと、他の一人は    やろやツたな と囃やす。次に唄の下の句を続けて アー聞けば奥山ヨードント 坑 あ な ずまゐよー、やろやツた な、ア、    ずん〳〵 (知久泰盛「足尾銅山鉱夫となるの記」 )

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  さらに「いくら叩いても、穴づりとれぬ石が堅いのかドント 手の業か」といった悲調の唄や「足尾だるまと古河様は穴をほ らしてドント金を取る」といった猥雑な唄まで、知久の筆は丹 念にそれを記録していく。本書には、こうした「寂莫たる坑内 に、鉄槌の 嘎 かつかつ 々 たる音響と参差して、この音調を耳にする時は、 無味殺風景なる坑夫の周囲にも、一種の哀音が漂う」ような風 景が印象的に記されている。採鉱現場に響き渡る無機的な轟音 の合間に耳を澄ますと、ともすればかき消されがちだが、そこ には哀調を伴った坑夫たちの肉声が響いているのである。   また足尾銅山の坑夫からの聞書きという体裁をとった、江見 水蔭「足尾銅山坑夫の話 」 ( 2 ) には、次のような坑夫の声が書きと められている。 昼間十二時間穴の中で暮らすのですから、 日輪を見る事が 出来ぬ訳です。一処に行つた信州と言ふ男が、 しみ〴〵愚 痴をこぼして 「こんな事なら あちら 0 0 0 に居た方が甘い物が食 へて体も楽だ」 あちら 0 0 0 とは監獄の事ですが、 何んと驚くで はありませんか。 (江見水蔭「足尾銅山坑夫の話」 )   ここで信州と呼ばれる坑夫は、かつて自身が身を置いた獄中 と現在の足尾銅山の環境を比較し、前者の環境の方がまだ楽で あ っ た と 述 懐 し て い る。 信 州 の 発 話 は、 坑 夫 と い う 立 場 か ら、 階級的に浮上することの困難な事情もあって、いかんともしが たい生活の現状を嘆く日常言語のジャンルの一つである 「愚痴」 として、語り手に分類されている。   哀調を帯びた鉱山節や坑夫の生活を嘆く愚痴は、急速な近代 化を推し進めるこの国の産業構造の末端から響いた軋みである。 彼らは生活の悲哀を唄い、どうにもならない現実に対して弱々 しく愚痴をこぼすことで自らを慰めるほかなかった。   ま た そ の 一 方 で、 鉱 山 の 外 の 人 間 か ら 坑 夫 は、 「 人 を 殺 し た り、 放 火 を し た り、 暴 動 を し た り す る 謎 の 人 間 」 ( 平 沢 計 七「 坑 夫 の 生 活 」 ) (3) の よ う に み な さ れ て い る。 粗 暴 で 荒 々 し い 坑 夫 像 も、 新聞報道等のメディアを中心に広く流布していた。 足尾銅山鉱夫となるの記

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  悲哀を込めて鉱山節を唄い愚痴をこぼす弱々しい坑夫と、粗 暴で怖ろしい坑夫――こうした鉱山労働者の二面性をつぶさに 描 出 し え た 文 学 作 品 と し て 宮 嶋 資 夫 の『 坑 夫 』 ( 一 九 一 六 年 一 月、 近 代 思 想 社 ) ( 4 ) が 挙 げ ら れ る。 『 坑 夫 』 の 登 場 人 物 を み る と、 本 作 の主人公・石井金次が「世間からは唯兇暴の一語を以て評し去 ら る べ き あ の 人 物 」 ( 堺 利 彦 ) (5) 、 「 乱 暴 者 と し て 世 を 終 つ た 」 ( 大 杉 栄 ) (6) と し て そ の 粗 暴 さ が 強 調 さ れ る 一 方 で、 そ れ と 対 照 的 に 他 の 坑 夫 た ち は「 虚 偽 怯 懦 権 力 に 媚 び、 友 を 売 つ て 恬 然 た る、 無恥無気力の労働者 」 (7) として位置づけられてきた。   また『坑夫』をめぐる先行論においては、その粗暴さが強調 される石井金次の形象をめぐって検討が重ねられてきた。佐藤 勝 (8) は、石井金次の行動様式が、都会からの排除、資本家による 詐欺、足尾鉱山暴動の敗北と仲間の裏切り、恋の破綻という四 つの外在的条件に規定されていることを明らかにしている。そ して森山重 雄 (9) は、石井金次の疎外の構造を「まず仲間を疎外し、 次には仲間から疎外され、ついにはかかる自己をも疎外してし まう」という三段階において把握している。それに対し中山和 子は『坑夫』の可能性を「政治と文学」の観点から捉えなおし、 石井の「激しい憎悪と軽蔑とを込めた絶望の訴え 」 ) 11 ( として位置 づけ、同時代における「実行と藝術」の影響を重視する森 山 ) 11 ( と の間で論 争 ) 12 ( に発展した。また石井の「沈鬱」の分析を行った中 村三春の論 考 ) 11 ( や、千葉正昭による石井金次の「獣性」の分 析 ) 14 ( な どの議論が展開されてきた。   一方で石井金次以外の弱々しい坑夫たちのありようは、先行 論において後景に追いやられてきたといえるだろう。本論のね らいは、これまで「卑屈」の一言でもって切り捨てられてきた これら弱々しい坑夫たちの存在を浮上させ、彼らと石井金次と の間でどのような葛藤が繰り広げられたのかを考察することに ある。その際に非常に示唆に富むのが、次の黒古一夫の指 摘 ) 11 ( で ある。   私の判断では、 この宮嶋の小説世界における〈日常(生 活)の喪失〉こそ、 宮嶋の政治性を反映し、 また彼の文学 の 根 幹 に 横 た わ る 重 要 な フ ァ ク タ ー に 他 な ら な い と 思 う のである。/宮嶋の小説世界の主人公達は、 決して 〈生活〉 を掌中にしていない。彼らは 〈日常性〉 の環から逃れよう とする意志を強固にすることで、 その存在を主張するので ある。この宮嶋文学の一大特徴は、 処女作『坑夫』の主人 公の石井金次の造形から始っていると言える。 (黒古一夫「宮嶋資夫序説――〈日常性〉の喪失」 )   黒古の指摘するように、 『坑夫』 の主人公 ・ 石井金次は 〈日常 (生 活 ) 〉 を 忌 み 嫌 い、 な か ば 追 い 立 て ら れ る よ う に 破 滅 的 な 生 に 身をゆだねている。それでは石井以外の弱々しい坑夫たちの場 合はどうか。彼らは必死で日常生活に縋りつこうとし、そうし た日常を固守するためには、本作の末尾で描かれるような陰惨

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な暴力すらも厭わない存在なのである。そうした日常性への姿 勢をめぐり石井とその他の坑夫たちの間には、大きな隔たりが あるのだ。   そして彼らの日常を支え、その悲哀を表白するスタイルこそ 愚痴であったのではなかったか。 『坑夫』に描かれているのは、 坑夫たちの愚痴や不平といった日常言語のジャンルをめぐる闘 争 な の で あ る。 さ ら に、 そ れ は 宮 嶋 の『 坑 夫 』 が 生 ま れ る 母 胎となった近代思想社の言語戦術に接続していくと考えられる。 以下、考察を試みていきたい。 2   石井金次の言語戦術   坑 夫 』 の 舞 台 は、 常 陸 に あ る「 池 井 鉱 山 」 と い う 架 空 の 鉱 山である。田上貞一郎の調 査 ) 11 ( によって、そのモデルは茨城県七 会村 (現 ・ 城里町) にかつて存在した高取タングステン鉱山であっ たことが明らかになっている。黒古一夫編「宮嶋資夫年譜 」 ) 17 ( に よると、宮嶋は一九〇九年、数え二四歳の時に「茨城県水戸市 郊外で親戚の経営していた高取タングステン鉱山の事務員」と なり、翌年鉱山から帰り上京している。タングステンは、軍備 拡張に邁進する日本において、兵器製造の側面から特に注目さ れた鉱物であった。豊原信一郎著 『タングステンとモリブデン』 (一九一六年 ) ) 11 ( には、次のような記述がある。 換 言 せ ば タ ン グ ス テ ン を 含 有 す る が 故 に 鋼 の 硬 度 を 増 大 し、 高温度に於てもよく其鋼の砕硬性を維持する特性を有 すればなり、 且又タングステンスチールは製砲、 製艦等兵 器 の 製 作 上 一 刻 も 欠 く 可 ら ざ る 極 め て 重 要 な る 材 料 た る が故に軍器製造工業独立問題の喧伝せらるゝの今日、 有識 者 の タ ン グ ス テ ン 原 鉱 に 注 目 怠 ら ざ る 所 以 の 者 又 以 て 思 ひ半ばにすぐる所あるべし。 (豊原信一郎『タングステンとモリブデン』 )   硬 度 と 耐 熱 性 に 優 れ た タ ン グ ス テ ン は、 近 代 兵 器 の 生 産 に 不 可 欠 な 鉱 物 で あ っ た。 こ と に 第 一 次 大 戦 開 戦 後、 「 時 局 の 進 展 す る に 従 っ て 兵 器 火 薬 の 材 料 品 相 場 は 一 斉 に 暴 騰 」 ) 19 ( す る こ と と な る。 タ ン グ ス テ ン を 産 出 す る 鉱 山 が 高 取 鉱 山 も 含 め 国 内にわずか四カ所ということもあり、 「時局」を鑑みた政府は、 一 九 一 五 年、 突 然 輸 出 禁 止 を 命 じ た 。 21( そ う し た 状 況 の な か で、 タングステン鉱山では労働環境への投資と釣り合わぬ、無理な 増産計画が練られることとなる。むろんその皺寄せが向かうの は、 末端の労働者である坑夫たちのもとであった。 『坑夫』には、 鉱況が盛んになり、坑夫たちの生活環境の整備がまにあわない 飯場の様子がありありと描かれている。 事務所では堀進を急ぐ為に、 どし〳〵人を増すので、 飯場 にも長屋にも坑夫は一杯になつた。 風通しの悪い沢合に建

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て ら れ た そ れ ら の 家 の 上 を、 日 中 は 暑 い 日 が 容 赦 な く か つかと照りつけるので、 夜になつても家の中はむん〳〵し てゐた。 そればかりでなく裸のまゝで寝る人達の汗や脂肪 を思ひ切り吸ひ込んだ夜具や、 周囲の羽目にぶら下げた汚 れ く さ つ た 仕 事 衣 か ら は、 た え ず 臭 い 匂 を 放 つ て ゐ る の で、 室の中にはむかつくやうないきれが一杯にたゞよつて ゐた。生温くほてつた真黒な畳の上に、 坑夫等がべと〳〵 に汗をかいたまゝごろ〳〵寝転んでゐる有様は、 人間の家 と云ふより全く豚小屋に近いものだつた。 ( 『坑夫』 )   こうした劣悪な生活環境で起臥する坑夫たちの口からは、当 然ながら「あー畜生ツ苦しくつて寝られやしねえツ」といった 愚痴がこぼれる。しかし、これら坑夫たちによる愚痴の合唱に、 本作の主人公である石井金次は決して加わらない。なぜなら石 井は「毎日同じやうに愚痴や泣言ばかり繰り返してる仲間達が ごちやごちや集まつてゐる、埃つぽい騒々しい飯場へ帰るのが 何よりもいや」だからである。日常的な生活環境への不満を言 語化することは、石井にとってもっとも忌むべき行為として位 置づけられているのだ。   本作において、一貫して石井金次は愚痴をこぼさない労働者 として造形されている。もっともこうした石井の態度は、自ら の不満を言語化する場合に、それを愚痴に分類することをかろ うじて回避することによって、成立しているのだ。飯場におい て石井が不満を漏らす、次の場面をみてみよう。 「 あ ゝ あ、 つ ま ら ね え な 」 思 は ず 大 き な 声 で [ 石 井 は ―― 筆者注 ] 怒鳴つた。 「何がよ、兄弟」と側にゐた太つた男がきいた。 「 だ つ て よ、 考 へ て 見 ね え、 俺 た ち や 何 だ つ て 此 ん な 馬 鹿 げた苦しい目にばかり逢はなきやならねえんだ、 蒼くなつ て働いてよ、 間誤つきや岩に打つつぶされて、 雨の降る晩 に 冷 て え 土 ん 中 に 埋 め ら れ ち ま ふ な ん て …… そ れ が 当 り めえの事なのか、 鉱主は毎日甘い酒を飲んで美い女を抱い て や が る …… 下 ら ね え 端 た 銭 の 愚 痴 な ん か こ ぼ す 時 ぢ や ねえや。手前達やみんな寝呆けてやがら」 とむか〳〵する 思ひを一ぺんに吐き出すやうに云つた。 ( 『坑夫』 )   ここで石井は、坑夫の悲惨な境涯を嘆いているが、一見する とこの発話は他の坑夫たちの発話と同様の愚痴に分類されかね な い 危 う さ を 内 包 し て い る。 し か し そ れ に 続 け て、 「 下 ら ね え 端た銭の愚痴なんかこぼす時ぢやねえ」と、愚痴の発話主体に 他の労働者たちを位置づけ、自身の発話をそれと差異化するこ とにより、愚痴をこぼさぬ主体としての卓越した自身の位置を 担保しているのである。そしてこの石井の発話は、石井に共犯

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的 な 語 り 手 に よ り、 「 む か 〳 〵 す る 思 ひ を 一 ぺ ん に 吐 き 出 」 す といった愚痴ならざる発話として分類されている。   人間が他者に向けて発話をする際になされる、聴き手や話者 自身によるその発話のジャンルの分類は、対話において重要な 意 味 を 持 っ て い る。 同 じ 発 話 内 容 で あ っ て も、 例 え ば そ れ が 真 剣 な「 抗 議 」 と し て 聴 か れ た 場 合 と、 「 愚 痴 」 と し て 聴 か れ た場合とでは、その発話の価値は大いに異なるだろう。そして 社会的に下位に位置づけられる「愚痴」や「泣き言」といった 日常言語のジャンルは、往々にして聞くに値しない発話として 退けられてしまう。自身の発話がどのようなジャンルに分類さ れるのか、さらに誰がそうした発話のジャンル分類を担うのか ――私たちの日常的な発話の背後では、無言のうちにこうした ジャンルをめぐる駆け引きが進行しているのだ。   そしてこうした日常言語のジャンル分類をめぐる闘争は、 『坑 夫』の様々な場面で展開されている。石井は、他者の発話を愚 痴に分類する役割を積極的に担うと同時に、他の坑夫たちに対 し、それらの発話を禁止する主体として機能している。 『坑夫』 の冒頭で、事務員の顔を蹴って鉱山を出ていくこととなった佐 藤に対して共感を寄せる石井は、佐藤が「俺あ誰にも煽てられ やしねえ」と否定するにもかかわらず、野田という坑夫を事件 の扇動者であるとひとり決めする。石井が佐藤とともに飯場に 帰ると、野田を含む坑夫たちは「全く此の頃のやうに鉱石の買 ひ方が矢釜しくつちや、こちとらはとてもやり切れねえ。 岩 り 片 がちよいと這入つたつちや、二分引く、三分引くつて云はれた んぢや全く働く勢がありやしねえ、第一飯の喰ひ上げだ。一体 此の山の現場員なんか労働者を馬鹿にしているからいけねえん だ。佐藤が怒つたなあ当り前だ、なあ兄弟達」と饒舌に喋りた てている。これに対し、石井は次のように挑みかかる。   「 お 前 は 随 分 よ く 喋 舌 つ て 人 を 煽 て る け ど、 て め へ ぢ や ま だ何にもした事がねえな」 とこんどは攻めるやうに言つた。 「 だ つ て 兄 弟、 話 を し な け り や 判 ら ね え ぢ や ね え か、 此 頃 の鉱量係が余りに酷過ぎるからよ」 「 ぢ や お 前 は こ ゝ へ 何 か 愚 痴 を こ ぼ し や、 何 う に か な る 気 でゐるのか、 下らねえ野郎だな、 お前達が泣き言をいやあ 言 ふ 程 見 張 の 奴 等 あ ま だ い ぢ め て も 大 丈 夫 だ と 思 つ て 高 を括つてら、 彼奴らあ何でも癪にさはつたら黙つて睨みつ けて、 ダイの一本も叩き込んでみろ、 慄へ上つて云ふ事を 聞かあ、 お前みたいに人計り煽てたり、 見得で理窟を言つ たつて何になるもんか、つまらねえ事あよせつてんだ」 ( 『坑夫』 )   野田の饒舌な発話は、石井によって一方的に「愚痴」や「泣 き 言 」 に 分 類 さ れ て い る。 興 味 深 い の は、 愚 痴 の 禁 止 と と も に石井の提示する代案が、 「癪にさはつたら黙つて睨みつけて、 ダイの一本も叩き込」むといった行動的なものである点だ。石

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井の野田に向けて提示する枠組みのなかでは、饒舌な愚痴と沈 黙を伴う行動とが対置されており、ここに日常的言説をめぐる 闘争が展開されている。   佐藤 勝 ) 21 ( は、この場面の石井と野田の対決が「勇気と怯懦の対 立という倫理的な課題以上のもの――言いうべくんば自覚する 少数前衛か大衆密着の情勢優先かという当代における戦術論の 見取図を反映するもの」であったとしている。大逆事件以降の いわゆる〈冬の時代〉の戦術論として、近代思想社内部におけ る大杉栄や荒畑寒村に代表される「無政府的個人主義」と、堺 利 彦 の「 多 数 平 凡 主 義 」 ) 22 ( と の 対 立 が あ り、 『 坑 夫 』 に も そ う し た文脈が流れ込んでいるという佐藤の指摘には説得力があるだ ろう。しかし、ここで重視すべきはそうした運動の戦術論をめ ぐ る 作 品 外 の 文 脈 が『 坑 夫 』 と い う 小 説 に 形 象 化 さ れ る 際 に、 愚痴という日常言語のジャンルをめぐる闘争として表れている という事実であろう。換言すれば、日常言語をめぐるジャンル 分類は、初期社会主義をめぐる主戦場の一つとして認識されて いたのである。この近代思想社と愚痴をめぐる問題については、 次節で詳しく考察してみたい。   さて『坑夫』における飯場は、坑夫たちの日常生活の愚痴が 飛びかうトポスであり、石井はそこに戻ることを避けることで 孤立を深めていく。しかし次に引く場面では石井が飯場でこぼ される愚痴への積極的な介入を試みている。 「 あ ゝ あ、 稼 が に や な ら ね え し、 借 金 に や な る し 全 く い や に な つ ち ま う な、

脱 走 で も し な き や や り 切 れ ね え や 」 と誰か生ぬるい声でつぶやくやうに言つた。 「 ま つ た く よ、 此 の 頃 の 銭 に な ら ね え つ た ら ほ ん と に 酷 い な、 そのくせ 鉱 か ね は随分出るんだけど」向き合つて寝てゐた 男が、勢のない声で合槌を打つた。 「 な あ に、 鉱 主 が 一 人 で う ま く や つ て る の よ、 手 前 が 儲 け せへすりや好いもんだから、 岩が堅くなるのに間代を下げ やがるし、 鉱石は矢釜しい事ばかり云やがるしよ、 癪にさ はる事ばかりだ」 「 ス ト ラ イ キ で も や ら ね え か な あ 」 と 誰 か が 云 つ た の で、 皆 が 笑 つ た。 石 井 は そ の 時 ま で 黙 つ て ゐ た が、 「 お い 皆 な もう下らねえ愚痴は止せよ、 俺あ聞いてる丈けでも頭が痛 くなら、 お前達や意気地なし野郎ばかりだから、 ストライ キ で も や ら ね え か な あ、 な ん て 人 ば か り 当 て に し て や が ら、

株つたがりがよく揃つてら」と大きな声で我鳴つ た。 ( 『坑夫』 )   ここで坑夫たちは、搾取を強める資本家に対する不満を吐露 す る と と も に、 行 動 と し て の ス ト ラ イ キ を ほ の め か し て い る。 それに対しそれまで黙って聞いていた石井は、これらの坑夫た ち の 発 話 を「 下 ら ね え 愚 痴 」 と し て 位 置 づ け て そ れ を 禁 止 し、

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彼らの他力本願な姿勢を糾弾する。しかし、そこで愚痴をこぼ していた坑夫の一人が、石井に食ってかかる。 「何もお前、愚痴を云つたつて俺達の勝手ぢやねえか」 「 い け ね え ツ、 俺 あ 愚 痴 を 聞 く な あ 大 嫌 ひ だ か ら 止 せ つ て んだ、 それでも云ひたきや俺と喧嘩しろツ」と彼れは突然 起き上つた。然し誰れも相手になる者はなかつた、 いやな 顔 を し て 苦 笑 し な が ら、 「 ま あ い ゝ や、 お 前 一 人 で 威 張 つ てろよ」 と誰か云つたがそれきり皆黙つて了つた。やがて 一人減り二人減りして皆何処へか出て行つて了つた。 ( 『坑夫』 )   以上の愚痴をこぼす坑夫たちと石井との対決は、本作におけ る 日 常 的 言 語 を め ぐ る 闘 争 に お い て 重 要 な 意 味 を 持 っ て い る。 石井は、坑夫たちの発話を一方的に愚痴に分類し、同時にそれ を禁止するという戦術をとってきた。それに対し、ここでの坑 夫たちは 「愚痴を云つたつて俺達の勝手」 と、 自らの発話のジャ ンルをすすんで「愚痴」と位置づけ、その発話の権利を主張す るという新たな反応を見せる。すなわち発話のジャンル分類の 権能を、石井の手から奪い返すことで、これまでの石井の発話 をめぐる戦術に対抗しているのである。   か く し て 石 井 は、 「 愚 痴 」 の 代 わ り に「 喧 嘩 」 を す る こ と を 彼らに提案する。これは、 野田に対してかつて石井が迫った 「愚 痴 」 を こ ぼ す か、 「 ダ イ の 一 本 も 叩 き 込 」 む か と い う、 言 語 と 暴力の対立軸の反復である。だが自らの愚痴を発話する権利を 主張する坑夫に「お前一人で威張つてろよ」と一笑に付されて しまうことにより、石井の提案は空振りしてしまう。石井の提 示した「愚痴」か「喧嘩」か、という枠組みそのものが、坑夫 たちによって拒絶されてしまうのである。   こうした石井金次の日常言語に対する闘争の敗北と、それに ともなう孤立こそ、石井の殺害という『坑夫』の陰惨な結末を 準備しているのである。以上を確認したところで、次節では本 作に深く影響を与えていると考えられる雑誌『近代思想』の言 説の分析を通して、愚痴をめぐる闘争を別の角度から検証して いきたい。 3   『近代思想』と愚痴     坑 夫 』 は、 一 九 一 六 年 一 月、 近 代 思 想 社 か ら 出 版 さ れ た。 本書の序文は大杉栄と堺利彦が執筆しており、近代思想社系の 人 々 と の 密 接 な 関 係 が 窺 え る。 本 節 で は、 『 坑 夫 』 と 近 代 思 想 社との影響関係を、日常言語である愚痴の視座から考察する。   一九一二年一〇月、大杉栄や荒畑寒村らを中心に、近代思想 社から刊行された雑誌『近代思想』は、大逆事件を経た〈冬の 時代〉のなかで、社会主義者たちの文学を通した橋頭堡の確立 を目指していた。

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  村 田 裕 和 ) 21 ( は、 雑 誌『 近 代 思 想 』 の 言 説 の 特 徴 に つ い て、 「 ひ と こ と で い え ば、 〈 介 入 〉 で あ っ た。 彼 ら は 文 学 を 過 渡 的 な 場 所とみなしていたが、それを局外から批評するのではなく、相 手のフィールドの一歩内側へ入りこんで、そこに亀裂を走らせ ようとしたのである」と分析している。   こ こ で 興 味 深 い の は、 『 近 代 思 想 』 の 文 壇 へ の〈 介 入 〉 が、 その創刊号から日常言語である愚痴という切り口からなされて い た と い う 事 実 で あ る。 『 近 代 思 想 』 創 刊 号 に は、 文 芸 時 評 と して荒畑寒村の「九月の小説 」 ) 24 ( が掲載されている。そこで荒畑 は 志 賀 直 哉 の「 大 津 順 吉 」 ( 『 中 央 公 論 』 一 九 一 二 年 九 月 ) を 次 の ような言葉で評価している。 藝 術 品 と し て 優 れ た 作 物 で あ る 許 り で な く、 個 人 の 自 由、 人格の権威の上に積み重ねられた家庭の邪曲に対して、 社 会 的 に も 個 人 的 に も 今 迄 睡 つ て 居 た 青 年 の 間 に こ う い ふ 作の現はれたのは、 甚だ面白い意義ある事だと思ふのであ る。 ( 中 略 ) 勿 論、 安 藝 者 に フ ラ れ た 愚 痴 よ り 外 書 く 能 の ない文士から、異端外道視されるのは承知の上で。 (寒「九月の小説」 )   荒 畑 は、 志 賀 の「 大 津 順 吉 」 を「 個 人 の 自 由、 人 格 の 権 威 」 の側面から評価する一方で、文壇の大勢を占めるのが「安藝者 にフラれた愚痴より外書く能のない文士」であることを論難し ている。ここでの荒畑の批判は、永井荷風、久保田万太郎、小 山 内 薫、 長 田 幹 彦 ら に 向 け ら れ て お り、 の ち の 赤 木 桁 平 に よ る「遊蕩文学撲滅論 」 ) 21 ( の論点を先取りしていると言えるだろう。 また荒畑は、一九一三年の『近代思想』に掲載された「二月の 小説 」 ) 21 ( においても、文壇に対して「愚痴」という語を用いた糾 弾を試みている。 生活が苦しい、 家庭が面白くない、 家を飛び出して酒を飲 む、 女を買ふ、 そういふ生活を描写し出してから文壇は約 十 年 に 垂 々 と す る。 そ し て 未 明 な ん て い ふ 人 は ま だ そ ん な 事 を 書 い て 居 る、 ( 中 略 ) 君 等 の 衆 愚 と 罵 つ て 居 る 多 数 の民衆さへも、 もつと深い、 大きな、 意義のある煩悶をし、 もつと自由な、 幸福な、 合理的な生活をなさんとして、 惨 ましい犠牲を払ひつゝ努力を続けて居るではない乎。 こん なものが小説なら、愚痴な女の泣言は不朽の傑作だ。 (寒「二月の小説」 )   荒 畑 は、 「 文 壇 」 に お い て な さ れ る「 生 活 が 苦 し い、 家 庭 が 面 白 く な い 」 等 々 の 日 常 生 活 に 根 差 し た 発 話 を、 「 愚 痴 な 女 の 泣言」 以下のものとして切り捨てている。 「文壇」 で流通する 「愚 痴」のような文学作品に対する仮借ない批判には、荒畑の当時 の文学観が表れている。荒畑は 「藝術か戦闘か 」 ) 27 ( においても 「多 くの創作家は、未だに無関心と耽美の夢から覚めない。彼等が

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江戸時代の追想に酔ふて居る時、時勢は如何に先覚者の犠牲に 依て進歩しつゝある乎。彼等が只管に耽美の夢を追ふて居る時、 社 会 は 如 何 に 衆 愚 の 努 力 に 依 て 進 歩 し つ ゝ あ る か 」 と し、 「 不 義と戦ひ奸悪に反抗する勇気が無い」ような文学者たちを追及 している。それらの批判対象の文学者を攻撃する際に、相手の 言語を「文学」にいたらぬ日常的な発話、すなわち「愚痴」に 括りこむという戦術が採用されていたのである。   また論敵を批判する際に相手の言説を愚痴に振り分ける戦術 とは対照的に、自分自身の革命家としての未熟さを、なかば自 虐的に愚痴と位置づけていく言説も、雑誌『近代思想』には掲 載 さ れ て い る。 社 会 主 義 運 動 と は 一 定 の 距 離 を 保 ち つ つ、 『 近 代思想』の執筆陣に加わっていた生方敏郎は「虫けらの心―― 大杉兄へ

」 ) 21 ( を、一九一三年九月の『近代思想』に発表して いる。 無暗に情けなくなつたんだ。 元来俺はバカだと云ふこと、 生 ま れ て か ら 今 日 ま で 何 を ク ダ ら ぬ こ と を し て 来 た ら う と云ふこと、 平凡で単調な、苦も楽もない此生活 いつまで行つたら何うなるだらうと云ふこと、 近所の人は皆理屈ばかり云つてやがるし、 卅日には勘定とりにきやがるし。 俺はつい先達までこんなグチは思はなかつた 今月は午の一白水。星が悪いに違ひない。 (生方敏郎「虫けらの心

大杉兄へ

」 )   あ は れ、 こ の む だ 花 の 蜜 を あ さ る / 虫 け ら の 徒 の 存 在 を 許 せ。 」という文句からはじまるこの詩は、前月号の『近代思想』 に発表された大杉栄の詩「むだ花 」 ) 29 ( の「むだ花の蜜をあさる虫 けらの徒よ」 という文句に対する応答となっている。大杉の 「む だ花」 が 「生のあきらめ」 を胸に抱え、 「生の闘ひ」 を回避する人々 を嘲った詩であったのに対し、生方はその批判を内面化し、自 らの日常生活の維持に汲々とするありさまを「こんなグチ」と して露悪的に自己言及している。換言するならば、自身に与え られるであろう「こんなグチ」という他者からの糾弾を先取り し、自ら言語化するという構図である。   さて『近代思想』に発表された創作において、愚痴はどのよ う に 表 現 さ れ た の だ ろ う か。 荒 畑 寒 村 訳「 主 の 家 に て 」 ) 11 ( に は、 貧しく惨めな村の老祭司教父ジョンが村人の悔悛の秘跡を促す 場面が描かれている。    『 聖 な る 父、 わ た し の 罪 は 多 う ご ざ い ま す。 わ た し に は 何 から云ひ出して宜いやら、 解らない位です……。わたしを 助けて下さい……。わたしに尋ねて下さい。 』

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『 あ な た は 神 の 全 知 な る 命 令 に 就 て、 愚 痴 を こ ぼ し た 事 が ありますか。 』 教父ジヨンは、 やや迫り来る暗黒に因て隠されて居る、 屋 根のヒゞと、不完全とを見上げた時、こう聞き始めた。 『 は い、 聖 な る 父、 わ た し は 懺 悔 し ま す。 わ た し は 愚 痴 を こぼし、 苦情を申しました。そして私は大いなる罪人でご ざいます。 』彼女の唇は、 痙攣的に動き、 焦がすやうな涙は、 その黒い皺寄つた頬を押し流れるのである。 (荒畑寒村訳「主の家にて」 )   帝政期ロシアを舞台にしたこの作品は、圧政下にあって宗教 に 頼 る ほ か な い 貧 し い 人 々 を 描 い て い る。 そ の な か で「 愚 痴 」 は「大いなる罪人」による発話ジャンルとして告解されている。 むろん、本作が作者不明の翻訳作品であり、舞台が日本でない ことを考慮に入れてもなお、前近代的で「無智」とされた登場 人物の発話として愚痴が位置づけられることの効果は見逃すこ とができないだろう。   さて一九一四年九月、第一次『近代思想』は廃刊となる。そ して同年一〇月より創刊された『平民新聞』が大杉らの主な活 動 の 舞 台 と な る が、 発 禁 が 相 次 ぎ わ ず か 六 号 を も っ て 廃 刊 と なってしまう。そこで再度、一九一五年一〇月より第二次『近 代思想』として復刊されることとなる。この際に、執筆者とし て宮嶋資夫も加わっている。   第 二 次『 近 代 思 想 』 に お い て は、 以 前 よ り そ の 傾 向 が み ら れ た 愚 痴 へ の 対 決 姿 勢 が、 さ ら に 先 鋭 化 さ れ る こ と と な る。 一 九 一 五 年 一 一 月 号 に 掲 載 さ れ た 荒 畑 寒 村「 英 国 大 罷 工 の 背 後 」 ) 11 ( においては、南ウェールズの坑夫によるストライキに慌て ふためくジャーナリズムに対し「彼の紳士閥新聞の愚痴を軽燥 を嗤ふのである」と所見が述べられ、ブルジョアジーのメディ アが「愚痴」として位置づけられている。   ま た 同 号 に 掲 載 さ れ て い る「 僕 等 の 生 活 」 と 題 さ れ た 記 事 には、 『近代思想』を愛読する労働者たちの手記が並んでいる。 それらの『近代思想』の読者である労働者たちの告白は、まさ しく愚痴をめぐる言語戦術を、理想的に内面化したものであっ たといえよう。たとえば「最も手近な敵」と小題の付されたあ る職工の手 記 ) 12 ( では、食事の際の事務員と職工の待遇の違いへの 不満が述べられている。   職工の不平が耳に入つたと見えて、 重役が以後一切の平等 を宣言せられ (表面だけにしても) 事務員殿もコンクリー トの上で腰掛で食事することにされた。 二人の事務員がこ の 愚 痴 を こ ぼ し て、 『 第 一 田 中 の や つ な ぞ が 職 工 の 癖 に 生 意気が過ぎる』といつた言葉が終らない中に、 二人の会話 を 遮 つ た の は 年 若 き 労 働 者 で あ る。 ( 中 略 ) 是 が 僕 の 会 社 での事務員である。けれども、 こんな横暴は、 僕の会社の 事務員のみに限るのだらうか。 そして吾々労働者の最も手

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近な敵は、先づ此等の事務員ではあるまいか。 ( 「僕等の生活」 )     こ の 手 記 に お い て 職 工 の 不 満 の 発 話 は「 不 平 」 で あ り、 「 手 近な敵」として見做された事務員の発話は「愚痴」として、そ の 発 話 の ジ ャ ン ル が 明 確 に 峻 別 さ れ て い る。 読 者 も ま た、 『 近 代思想』にあらわれた日常言語をめぐる戦術を学習し、労働者 としての立場からそれを行使するさまが看取されるだろう。日 常言語をめぐる戦術において、この職工と『坑夫』の石井金次 との距離は接近しているのだ。   そ し て 本 節 の 最 後 に、 『 近 代 思 想 』 に お い て 最 も 明 確 な 形 で 日 常 言 語 へ の 介 入 を 図 っ た 論 考 と し て、 『 坑 夫 』 の 刊 行 と 同 じ 一九一六年一月に掲載された荒川義英「反逆者と不平家 」 ) 11 ( に触 れ て お き た い。 ジ ョ ル ジ ュ・ パ ラ ン ト 著、 大 杉 栄 訳「 叛 逆 者 の 心 理 」 ) 14 ( の 影 響 下 に 書 か れ た こ の 論 考 は、 「 反 逆 者 」 と「 不 平 家」概念の差別化が試みられている。社会の不均衡に接した際 に、 「 最 も 精 悍 な る も の は 一 挙 に 此 の 不 均 衡 を 矯 正 し や う と す る。是即ち反逆者である」とされ、その対極にいる「最も意気 地なきものは、最後まで、持ちこたへて黙つて墓へ持ち込んで しまふ」という。そして、 その中間に位置する存在が「不平家」 であると荒川は規定している。 况して此の、 不平家の場合になると、 愚痴をこぼす事が甚 だ 大 き な 快 感 と な る の で あ る。 自 己 の 弱 点 を 語 る こ と が、 最も好い鞭撻であるとの誤算の下に、 次第に自己の弱点を 誇大に発表することを歓ぶ。然るに是は、 実は自己の行為 の向上の苦闘に対する予防である場合が多い。 (荒川義英「反逆者と不平家」 )   荒 川 の 論 考 は、 「 反 逆 者 」 に 到 達 す る こ と が で き ず、 自 己 の 弱さを表白することを目的化してしまった「不平家」の発話を 「愚痴」として定義している。それに対する「反逆者」は、 「あ まり深く自己の行為を説明しない」寡黙な存在として定義され る。ここには『坑夫』における饒舌に愚痴をこぼす不平家の坑 夫たちと、沈黙を守る反逆者としての石井金次といった構図を 重ねることができよう。   以上、考察してきたように、近代思想社の批評言説では、日 常 言 語 こ と に 愚 痴 へ の 積 極 的 な 介 入 が な さ れ て き た。 『 坑 夫 』 における石井の愚痴への嫌悪と抗争は、ともすれば登場人物の 生得的な気質へと回収されがちであるが、実はこうした近代思 想社におけるディスクールの布置のもとに成立していたのであ る。 4   足尾鉱山暴動の時間   日 常 生 活 に 根 ざ し た 発 話 で あ る 愚 痴 は、 「 人 間 の 弱 点、 少 し

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く 失 敗 」 を す る と「 愚 痴 の 百 遍 も 繰 返 」 ) 11 ( す と 語 ら れ る よ う に、 失 敗 者 や 敗 残 者 の 発 話 と い う 側 面 も 有 し て い る 。 11( 『 坑 夫 』 に 描 かれる鉱山労働者たちの一部は、一九〇七年の足尾銅山暴動に お い て 敗 北 し た 人 々 で あ っ た。 楜 沢 健 ) 17 ( は、 『 坑 夫 』 が「 足 尾 鉱 山暴動を物語の背景に、 そして暴動以降をテーマにしつつ、 「暴 徒」として語られた坑夫に焦点をあてる」作品であったと指摘 している。   一九〇七年二月四日、賃上げをめぐる交渉がこじれた足尾銅 山に火の手が上がった。その第一報を当時の新聞記事は次のよ うに伝えている。 足尾銅山坑夫は、 過日来しきりに賃金引上げ運動をなし居 りしが、 事ついに破裂し、 今四日午前九時半、 同鉱山通洞 内一番坑内に在りし坑夫五百余名、 同二番坑内に今朝入坑 したる坑夫四百余名、 都合九百余名合体して、 外部へ通信 の出来ざるよう電線を残らず切断し、 坑内を暗黒にし、 す べ て の 見 張 所 を 爆 裂 弾 に て 破 壊 し、 す こ ぶ る 大 騒 擾 を 極 め、 同時に四百余名の坑夫、 郊外に密集して熾んに声援を 与え、 暗黒なる坑内は実に悲惨なる修羅場と化せり。足尾 分署の警察官総出、 取り鎮めに尽力せるもなんらの効なし。 ( 「賃上げこじれ、坑夫九百人が暴動」 ) 11) (   この暴動で足尾鉱山は全山廃墟と化すことになった。ことを 重く見た政府の指示により二月七日、高崎歩兵第一五連隊は三 個中隊を組 織 ) 19 ( し、ただちに足尾銅山に派兵を行う。さらに戒厳 令が敷かれ、足尾坑夫約六百名が検挙される形でようやく収束 に 至 る こ と と な っ た。 『 坑 夫 』 の 石 井 金 次 は、 か つ て 足 尾 鉱 山 暴動の英雄であった。 野州の山に大暴動の起つた時も、 生れつきしな〳〵と機敏 な 身 体 を 持 つ た 彼 れ は、 暴 動 の 主 唱 者 よ り も 勇 敢 に 闘 つ た。 手から離れると直ぐ爆発する導火線の短いダイナマイ トを投げつけ、 家を焼き人を傷つけて、 血と火の漲る叫喚 の裡に、 全身に充ち渡つた反抗の念を溶け込ましたが、 怖 ろ し い 軍 隊 の 力 に 圧 迫 さ れ て 重 だ つ た 者 の 多 く が 捉 へ ら れたときも、素敏い彼れは、山伝ひに巧みに逃げ終せた。 ( 『坑夫』 )   こ の 暴 動 を 鎮 圧 す る た め に 動 員 さ れ た「 怖 ろ し い 軍 隊 の 力 」 は、坑夫たちの労働によって産出されたタングステン製の武器 によって支えられていたということに、この時代の坑夫が置か れた残酷な疎外状況が浮かび上がる。そして石井は大半の坑夫 たちが検挙されるなかで、軍隊の手を免れ「山伝ひに巧みに逃 げ 終 せ 」 る こ と が で き た 暴 動 の 生 き 残 り で あ っ た。 『 坑 夫 』 の 冒頭で佐藤に対して「もうそろ〳〵野州花も咲き出すから、足 尾坑夫も巣立ちをする時分だなあ」と語っているように、国家

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権力の包囲網を潜り抜けて検挙を免れた石井は、今なお足尾銅 山の暴動の時間を生きているのである。   一方で、軍隊の力をありありと見せつけられ敗北を味わった 坑 夫 た ち は、 弱 々 し い 敗 残 者 と し て の 存 在 と 化 す こ と と な る。 本論の冒頭で触れた知久泰盛は、足尾鉱山暴動後の弱々しい坑 夫たちの姿を目にした驚きを、次のように書きとめている。 予 は 坑 夫 生 活 を 為 し て 数 日 の 後 ち 殆 ど 生 命 が け の 仕 事 を し て ゐ る こ の 労 働 者 に 想 像 し た 程 の 放 胆 な 気 力 の 無 い の に 一 驚 し た 彼 等 は 他 の 労 働 者 の 空 元 気 で も 威 勢 の 好 い の に 引 き か へ 雌 猫 の や う に 穏 か な の だ 斯 う し た 人 々 が 嘗 つ て 去 四 十 年 の 暴 動 を 起 し た 抔 と は 思 ひ も 寄 ら ぬ 事 で あ つ た。 (知久泰盛「足尾銅山鉱夫となるの記 」 41 (   こ う し た 点 を 見 る な ら ば、 『 坑 夫 』 に お い て 足 尾 暴 動 の 時 間 を生き続ける石井金次と、暴動鎮圧後の時間を生きる坑夫たち の デ ィ ス コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン こ そ、 『 坑 夫 』 に お け る 愚 痴 を め ぐる葛藤の基底にあったと考えられる。   過 酷 な 労 働 環 境 に 対 し て 愚 痴 を こ ぼ す の を や め、 「 ダ イ 」 を 資本家に投げつけるという選択肢は、物語のわずか数年前には、 現実にありえたものであった。しかし坑夫の気質や鉱山労働を めぐる制度も、足尾銅山暴動を境に変容してしまうこととなる。 二村一夫の研 究 ) 41 ( によれば、足尾銅山暴動後、資本家の手により 徳川時代以来の伝統を持つ友子同盟と飯場制度の改組・再編が 行われることとなった。さらに石井金次のような渡り坑夫たち は、 暴 動 後 に 取 り 締 ま り の 対 象 と し て 警 察 に 睨 ま れ る 存 在 と なったのである 。 42) (   一九〇七年の足尾銅山暴動を境に、日本の鉱山労働の環境は 大 き く 変 化 す る こ と と な っ た。 『 坑 夫 』 に 描 か れ た 鉱 山 労 働 者 たちの日常生活の愚痴の背後には、こうした暴動の敗北の記憶 が流れているのである。 5   おわりに   本 稿 で は、 鉱 山 労 働 者 た ち の 愚 痴 の 分 析 を 通 し て、 『 坑 夫 』 に お け る 日 常 言 語 を め ぐ る 葛 藤 を 読 み 解 い て き た。 『 坑 夫 』 に おいては、労働者たちの発話をどのようなジャンルに分類する のかをめぐって暗闘がなされていた。そして日常生活の悲哀を 嘆く労働者たちの発話は、石井金次によって「愚痴」や「泣き 言」に分類され、聞くに値しないものとして処理されてしまう。 資本家との直接的な闘争ではなく、こうした労働者たちの日常 言語への介入こそが、 『坑夫』で描かれた運動戦術なのであった。 さらに 『坑夫』 におけるこうした日常言語への介入は、 「反逆者」 の発話と「不平家」の発話を峻別し、後者を「愚痴」と分類し て退ける近代思想社のメディア戦略を引き受けたものであった。

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注 ( 1) 知 久 泰 盛「 足 尾 銅 山 鉱 夫 と な る の 記 」 、 『 人 生 探 訪 変 装 記 』 、 一九一四年一一月、互盟社。 ( 2) 江 見 水 蔭「 足 尾 銅 山 坑 夫 の 話 」 、 『 避 暑 の 友 』 、 一 九 〇 〇 年 五 月、 博文館。 (3)平沢計七「坑夫の生活」 、 『労働者の叫び』 、一九一九年六月。 (4) 宮嶋資夫 『坑夫』 、 一九一六年一月、 近代思想社。なお引用は、 『宮 嶋資夫著作集   第一巻』 (一九八三年四月、慶友社)に依った。 ( 5) 堺 利 彦「 『 坑 夫 』 の 序 」 、 『 坑 夫 』 、 一 九 一 六 年 一 月、 近 代 思 想 社。 引用は、 『宮嶋資夫著『坑夫』復刻版』 (一九九二年七月、 法政大 学西田勝研究室・不二出版)に依った。 そして愚痴が敗北者や失敗者の発話であるという意味において、 『 坑 夫 』 に 描 か れ た 愚 痴 に は、 一 九 〇 七 年 の 足 尾 銅 山 暴 動 の 敗 北の記憶が流れ込んでいる。   見方を変えるならば『坑夫』に描き込まれているのは、石井 金次に形象化された近代思想社的理想主義が、運動に転化する ことが困難な労働者たちの日常的不満を、 「愚痴」や「泣き言」 として酷薄に切り捨ててしまう過程であった。小説の末尾で語 られる石井の破滅は、そうした介入戦術に伴う孤独が、必然的 に招いてしまった悲劇的結末である。それを鉱山労働者たちの 「 卑 屈 」 な 気 質 に 短 絡 す る の で は な く、 日 常 言 語 を め ぐ る 闘 争 の場において捉えなおすことにより、本作の持つ可能性の一端 が開かれると考えている 。 41) ( (6)大杉栄「序」 、『坑夫』 、 一九一六年一月、 近代思想社。引用は、 『宮 嶋資夫著『坑夫』復刻版』に依った。 (7) 『坑夫』出版広告、 『近代思想』 、一九一五年一二月。 (8)佐藤勝「 『坑夫』論」 、 『日本近代文学』 、一九六五年一一月。 ( 9) 森 山 重 雄「 宮 嶋 資 夫 論 ―― 刃 物 の 思 想 ――」 、 『 実 行 と 藝 術 ―― 大正アナーキズムと文学――』 、一九六九年六月、塙書房。 ( 10)中山和子「宮嶋資夫論」 、 『文学』 、一九六五年一一月。 ( 11)森山重雄「宮嶋資夫」 、 『日本文学』 、一九六二年一〇月。 ( 12)『坑夫』をめぐる論争については、 黒古一夫「宮嶋資夫序説―― 〈日常性〉の喪失」 ( 『大正労働文学研究』 、 一九七八年一〇月)に 詳しい。 ( 13) 中 村 三 春「 宮 嶋 資 夫「 坑 夫 」 に お け る〈 沈 鬱 〉 の 様 態 ――「 カ イ ン の 末 裔 」 を 補 助 線 と し て ――」 、 『 日 本 文 化 研 究 所 研 究 報 告 』 、 一九八七年一月。 ( 14) 千 葉 正 昭「 宮 嶋 資 夫『 坑 夫 』 の《 獣 性 》 ―― 大 正 労 働 文 学 の 嚆 矢――」 、『解釈』 、 二〇〇四年二月。ならびに「宮嶋資夫『坑夫』 の超人性/獣性」 、 『国文学』 、二〇〇九年一月。 ( 15)注 12参照。 ( 16) 田 上 貞 一 郎「 宮 嶋 資 夫『 坑 夫 』 の 舞 台 」 、 『 解 釈 』 、 一 九 七 三 年 一一月。 ( 17) 黒 古 一 夫 編「 宮 嶋 資 夫 年 譜 」 、 『 宮 嶋 資 夫 著 作 集   第 七 巻 』 、 一九八三年一一月、慶友社。 ( 18)豊原信一郎『タングステンとモリブデン』 、 一九一六年五月、 工 学書院。

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( 19)「重石と水鉛」 、 『時事新報』 、一九一五年一〇月五日。 ( 20)「勃興せる重石採掘業」 、『大阪朝日新聞』山陽版、 一九一六年八 月一七日。 ( 21)佐藤勝「坑夫」 「補注四七」 、『日本近代文学大系五一   近代社会 主義文学集』 、一九七一年九月、角川書店。 ( 22)堺利彦「大杉君と僕」 、 『近代思想』 、一九一四年九月。 ( 23) 村 田 裕 和『 近 代 思 想 社 と 大 正 期 ナ シ ョ ナ リ ズ ム の 時 代 』 、 二〇一一年三月、双文社出版。 ( 24)寒(荒畑寒村) 「九月の小説」 、 『近代思想』 、一九一二年一〇月。 ( 25) 赤木桁平 「 『遊蕩文学』 の撲滅」 、『読売新聞』 、 一九一六年八月六 ・ 八日。なお、 「 『遊蕩文学』の撲滅」が収録された評論集『藝術上 の 理 想 主 義 』 ( 一 九 一 六 年 一 〇 月、 洛 陽 堂 ) の「 自 序 に 代 へ て 」 において、赤木は次のように述べている。    予 等 が、 夢 寝 の 間 に も 猶 ほ 覚 め て ゐ る も の は、 今 す こ し く 生 命 の 根 底 に 突 込 ん だ 藝 術 で あ る。 言 葉 を 換 へ て い ふ と、 一 時 の 流 行 や、 一 時 の 好 尚 に 司 配 さ れ な い だ け の 恒 久 性 を 保 証 さ れ た 藝 術 で あ る。 か う い ふ 意 味 の 藝 術 は、 疑 ひ も な く 追 懐 哀 愁 の み を こ と ゝ す る 情 緒 中 心 の 藝 術 で も な け れ ば、 ま た 愚 痴 愁訴をのみことゝする生活中心の藝術でもない。    こ こ で も ま た、 「 愚 痴 」 が 論 敵 を 批 判 す る 際 の キ ー タ ー ム と し て 機能している点は、見逃せないだろう。 ( 26)寒(荒畑寒村) 「二月の小説」 、 『近代思想』 、一九一三年三月。 ( 27)荒畑寒村「藝術か戦闘か」 、 『近代思想』 、一九一三年三月。 ( 28 生 方 敏 郎「 虫 け ら の 心 ―― 大 杉 兄 へ ――」 、 『 近 代 思 想 』 、 一九一三年九月。 ( 29)大杉栄「むだ花」 、 『近代思想』 、一九一三年八月。 ( 11)荒畑寒村訳「主の家にて」 、 『近代思想』 、一九一四年四月。 ( 31)荒畑寒村「英国大罷工の背後」 、『近代思想』 、 一九一五年一一月。 ( 32)「僕等の生活」 、 『近代思想』 、一九一五年一一月。 ( 11)荒川義英「反逆者と不平家」 、 『近代思想』 、一九一六年一月。 ( 34) 大 杉 栄「 叛 逆 者 の 心 理 ―― ジ ョ ル ジ ュ・ パ ラ ン ト ――」 、 『 近 代 思想』 、一九一四年四月。 ( 11)今井雷堂『修養その日その日』 、一九一二年二月、応来社。 ( 11)一方で野中進は、 ジャンルとしての愚痴の分析において、 「愚痴 に よ っ て 開 示 さ れ る 内 奥 と は「 弱 さ 」 の こ と に 他 な ら な い。 ( た だ し 内 面 が 弱 い の で は な く 弱 さ が 内 面 化 さ れ る の だ が ) 」 ( 「 愚 痴 について   バフチンの「ことばのジャンル」論より」 、『埼玉大学 紀 要 』 、 二 〇 〇 二 年 三 月 ) と 述 べ て い る。 あ ら か じ め 抱 え て い た 弱さを吐露するから愚痴なのか、 愚痴を通して弱さが内面化され るのかはここでは決しかねるが、 いずれにせよ愚痴は「弱者」や 「敗残者」に関わる発話なのである。 ( 37) 楜 沢 健「 大 正 五 年 の 坑 夫 ―― 宮 嶋 資 夫『 坑 夫 』 論 ――」 、 『 国 文 学研究』 、一九九七年一〇月。 ( 11 「 賃 上 げ こ じ れ、 坑 夫 九 百 人 が 暴 動 」 、 『 東 京 朝 日 新 聞 』 、 一九〇七年二月五日。 ( 39 「 暴 動 ま す ま す 激 化、 軍 隊 三 個 中 隊 到 着 」 、 『 時 事 新 報 』 、 一九〇七年二月八日。 ( 40)注1参照。

(21)

( 41 二 村 一 夫『 足 尾 暴 動 の 史 的 分 析   鉱 山 労 働 者 の 社 会 史 』 、 一九八八年五月、東京大学出版会。 ( 42)「渡坑夫取締」 、 『大阪朝日新聞』 、一九〇七年七月四日。 ( 43) 作 者 の 宮 嶋 資 夫 に 関 し て は、 後 年「 愚・ 痴 」 ( 『 仏 門 に 入 り て 』 、 一九三〇年一〇月、 創元社)という文章を執筆し、 そこで次のよ うに述べている。    カ ン 口 具 を は め ら れ た 犬 み た い に、 餌 も 食 へ な け れ ば 喋 れ も し な い こ ん な 生 活 が、 嗚 呼 い つ ま で 続 く の か。 / 云 へ る 事 は 愚 痴 だ け だ、 愚 痴 な ら ば、 先 づ 差 支 へ な い だ ら う。 こ れ が 出 版 物 取 締 と 云 ふ 規 則 だ か ら。 / 愚 痴 も 云 ひ た く な く な つ て し ま つ た 時 は、 僕 等 は 何 を し た ら 好 い か 考 へ る。 / そ れ に し て も 如 何 に 愚 痴 ば か り 多 い 事 か。 / 全 く 空 を 仰 い で 悠 然 と 息 を つ き た く て 堪 ら な く な つ て く る。 / が 然 し、 こ れ も 一 つ の 愚 痴に過ぎない。    運動が困難な状況に際して再び宮嶋が 「愚痴」 の問題に向きあっ たことは、 興味深い事実であるが、 本格的な考察には別稿を要す る。 附 記   引 用 に 際 し て、 漢 字 は 旧 字 か ら 新 字 に 改 め た。 ま た [   ] 内 は 引用者による注、 /は改行を示している。本稿は二〇一五年一二 月二七日に立命館大学衣笠キャンパスにて開催された、 第二一回 占 領 開 拓 期 文 化 研 究 会 で の 口 頭 発 表 の 内 容 を 大 幅 に 修 正 し た も のである。また発表に際しては、 多くの貴重なご教示をいただい た。ここに記して感謝を申し上げたい。

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(23)

プロレタリア文化運動と

   

〝コミンテルン三二年テーゼ〟

「昭和戦前期プロレタリア文化運動資料研究会」の資料集成作業の中から

 

 

 

一.はじめに   現在われわれは「昭和戦前期プロレタリア文化運動資料研究 会」の資料集成作業として小樽文学館所蔵池田 壽 ひ さお 夫 旧蔵 書 (1) 、元 関西大学教授浦西和彦先生所蔵資料など、主として全日本無産 者 芸 術 聯 盟 ( N A P F ) 、 日 本 プ ロ レ タ リ ア 文 化 聯 盟 ( K O P F ) 関連の生資料約一万点の画像化、データベース化を行っている。   こ の 過 程 で、 そ れ ら の 資 料 ─ ─ ビ ラ、 檄 文、 パ ン フ レ ッ ト、 各種の機関文書などに、繰り返し出現する独特の定型的な言葉、 論理展開に辟易しつつ注目せざるをえなくなった。一体これは 何なのか、 なぜこのような 〝同義反復〟 の氾濫が生じているのか。   しかもこれらは、一次資料、同時代資料であり、誰かが意図 的 に 作 成 し た 虚 構 の 文 書 で は な い。 こ の 時 代 の 多 数 の 人 々 が 〝その気になって〟時には危険を冒し、 疲労や睡魔と闘いながら、 無 償 の 正 義 感 に 燃 え て ガ リ 版 ( 謄 写 版 ) を 切 っ て 作 り あ げ た 歴 史的実在物である。一体そこには何があったのかを、考えてみ ないわけにはいかない。   現 時 点 で は 上 記 の 集 成 事 業 は 完 成 途 上 で 公 開 に 到 っ て い な い が、 小 樽 文 学 館 の「 池 田 壽 夫 旧 蔵 書 」 ( 以 下 池 田 旧 蔵 書 と 略 記 ) は同館で閲覧可能となっているので、主にそれらを参照して検 討する。 二.日本プロレタリア作家同盟の文書に見る定型的表現   その言い回しの代表的な一例として池田旧蔵書所収の日本プ ロレタリア作家同盟「第六回大会中央委員会報告 」 ( 2 ) という文書 を例示しよう。この文書は小林多喜二が築地警察署で虐殺され た三ヵ月後、未ださめやらぬ怒りと恐怖の中で書かれたもので

(24)

あることは、注意しな ければならない。原文 は難読の謄写版印刷物 であるが、その冒頭の 部分を書き出してみる と── …… 一 九 三 二 年 か ら 今 日 に 到 る 期 間 を 特 徴 づ け る も の は、 国 際 的、 国内的情勢の 義の一般的危機の条件下に於て、 既に狭隘化した市場間に 対立の極度の激化を導いた。   資 本 主 義 的 安 定 の 終 焉 は 戦 争 の 新 た な る 週 期 へ の 直 接 的 な 突 入 を 意 味 す る。 …… 日 本 帝 国 主 義 は、 今 や 北 支 進 入 を 目 前 に し て 此 の 両 帝 国 主 義 ( * 英 仏・ 筆 者 注、 以 下 同 じ ) との対立が激化し、 アメリカ帝国主義との矛盾は太平洋を は さ ん で 異 常 に 激 化 し 爆 薬 は ま さ に 点 火 せ ん と し つ ゝ あ り硝煙は太平洋を掩はんとしつゝある。 (……は中略を示す、以下同じ)   一九三三年の文書としては、よく十年後の戦争を予言してい ることが注目されるが、この種の文章の書き出し部分の定型が、 十分に表出されている。すなわち〝資本主義の一般的危機の深 化 で 動 乱 は 旬 日 に 迫 っ て い る 〟 、 そ れ に た い し て〝 新 興 ソ 連 の 社会主義の発展は目覚ましい〟という対比的文言である。 三.プロレタリア美術家同盟の文書   同じく池田旧蔵書にある、文化聯盟傘下の日本プロレタリア 美術家同盟の同時期の文書も、瓜二つの言い回しが氾濫してい る。さらにこの文書では、作家同盟文書では明確には言及され なかった「戦略の変更」という言葉が出現する。 (図①)「第六回大会中央委員会報告」の表 紙と目次部分。 異常なる変化である。 資本主義の一般的危機の激化と社会 主義的工業化、 共営化及び文化革命の大綱領を巨人的テン ポを以って遂行しつつあるソヴエート同盟にあって、 階級 の最後的精算と、 国の全勤労人口を階級なき社会主義の意 識的 ・ 積極的建設者へ転化する事を目標とする第二次五ケ 年計劃が開始され、 社会主義的世界革命の根拠地としての 国 際 的 威 力 が 万 国 の 労 働 者 農 民 勤 労 階 級 に 確 固 た る 道 標 と自信を与へつゝある。   他 方 資 本 主 義 世 界 に お い て は、 経 済 恐 慌 は 益 々 激 化 し、 ……国粋主義、 排外主義の必死的努力にも 拘 マ マ らはず 、 不断 に成長しつゝある世界経済恐慌は、 生産の可能性と資本主

(25)

二次五ケ年計画の遂行へと邁進しつゝあり……   しかるに資本主義世界では──経済恐慌の深刻化、 帝国 主 義 諸 国 並 び に 植 民 地 諸 国 に 於 け る × × ( * 革 命 ) 的 昂 揚 の成長、 帝国主義諸国家間の対立の一層の激化……かくし て、資本主義の相対的安定の終焉の時期が到来した   ここでは、型の如く〝資本主義安定期の終焉〟と〝ソヴエー ト同盟に於ける昂揚〟が述べられているが、さらに「 D」章で は「戦略の変更」が説明される。 D.我々の新しい任務……重要な問題──それは、 プロレ タリアートの戦略の変更に伴ふプロ文化 ・ 美術運動の新た なる段階である。戦略の変更の問題とは、 その基本的な部 分 は、 日 本 に 於 て 当 面 す る × × ( * 革 命 ) の 性 質 に 関 す る 規 定 を、 「 社 会 主 義 革 命 へ の 強 行 的 転 化 の 傾 向 を 持 つ ブ ル ジ ヨ ア 民 主 主 義 × × ( * 革 命 ) で あ る。 」 と 云 ふ 様 に、 最 近 改められたことに最も関係して居る。 このことは何よりも 先 づ、 日 本 に お け る 農 業 × × ( * 革 命 ) の 意 義 と × ×( * 天 皇 ) 制 の 役 割 と を 過 小 評 価 す る こ と か ら 我 々 が 脱 却 し な ければならないことを要求する。 …… 我 々 は 今 ま で「 戦 争 と フ ア シ ズ ム に 対 す る 闘 争 」 を 我 々 の 主 要 課 題 と し て 来 た が、 日 本 に お け る ブ ル ジ ヨ ア = 地 主 的 × × ( * 天 皇 ) 制 の 比 重 が 正 当 に 評 価 さ れ た 今 日、 この課題は、 戦争と絶対主義に対する闘争と改められなけ ればならぬ。   美術家団体の文書として見ると、奇異な感じが否めない。こ の美術家団体の〝外部〟の何処かで何者かによって、運動戦略 の変更が決定されたのでそれに従って、直ちにこの美術家団体 でも考え方と行動を変えることが〝要求〟されていると会員に 対して下達しているのである。 ( 図 ② )「 新 し い 情 勢 と 美 術 運 動 の 新 し い 任 務  1933・3・18/日本プロレタリア美術家同盟常任 中央委員会」 A. 戦争の拡大 と 革 命 的 危 機 の 切 迫 …… 新 しい情勢、 それ は 「資本主義安 定 期 の 終 焉 と ソ ヴ エ ー ト 同 盟 に 於 け る 昂 揚」 をもつて特 徴 づ け ら れ て 居る。 ソヴエー ト 同 盟 で は 第 一 次 五 ケ 年 計 画 を 四 ケ 年 に 完 成 し …… 第

参照

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