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『宗教研究』143号

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(1)

――目次――

1,

正法眼蔵の汎神論的性格と道徳, 伊東洋一, Pantheism and Morality in the Shōbōgenzō, Yōichi ITŌ,

pp.1-18.

2,

基督論の一考察, フォサイス神学の意義, 鈴木光武, Forsyth’s Christology, Paul Mitsutake SUZUKI,

pp.19-40.

3,

村落における山岳信仰の組織, 柳川啓一, The Organization of mountain-worshippers in Rural

Community, Keiichi YANAGAWA, pp.41-64.

(2)

するものを二乗として排し、 教へるところにあるとされる。 ぬは 、顕著にこの性格を有つも 破 に終始していると云って誤り してこれを打破する道元の 観に連らなる様にも考へられる し、 特に道徳の問題に焦点を当 とする。以下一、﹁正法眼蔵﹂ 学 史上汎神論に於て道徳の位置 現実にあること、しかも三、 そ と、 従って 又四 、その道徳は現

仰の問題が順次に解明される 正法眼肚の汎神論的性格と道徳 両者の相即することを、 例へば 菩薩 行 上求菩提下化衆生である。若しさ うた のと云ってよいであらう。事実私見に ないと考へるものである。 思想は 、 単なる二世界の否定に止まら のである。そこでこの論文に於ては、 てながらこれを吟味することに ょっ に 於ける二乗 見 打破の思想の摘出とそ が 問題であるところから、これに焦点 の 現実は単なる現実と違って高度の現 実の理性との一致に求められねばなら

道徳

伊東洋一

(3)

輪 Ⅰが 旭時ぷ があってはならず、﹁仏法にはもと より身心一如にして、

するものは﹁身心一

意識断滅思想に対す

対して﹁ただまさに

するのに対して宗乗

もので 且 ﹁性は澄 湛

︶ものであるとするの

妙は知見 健ハ全 ︵﹂︵同上︶

﹂︵同上︶ し、 ﹁この 玄

静の境地たる本体を

て 取り上げられるてあらう。 するところに成立するものであ の 思想として先后外道に他ならない。道元が 道 * はり﹂︵

鱒理

横軽 拐護巴 魂 不滅論や輪廻 説 が身体と区別 斥 されねばならぬことを示す。 元来仏教は婆羅門の転変説や殺商利 の るが、道元に於てもそれは﹁心学 % 減﹂ された心性の実体的存在を説く以上、 道元はこれに対して、仏法には﹁一大

(4)

は 深く大乗仏教の伝

られるからである。

それでは如何なる

世界観とすれば、 こ な戸 正法眼 臆 の 机 神曲 的 佳祐 と 道徳 一

櫨脾馬窩 をみる な り ﹂ 輪 ㍽Ⅰ こ

と 法 上げられ、その巻頭に於て

り 、如是世界なり、 道なり、如是 松 操行範なり﹂ 輪計甜ぷ なり、如是参学 辮

み 上げられ、 先づ 法華経の﹁ 諸

いとするのである。

んとするところに 却

常見的思想﹂に対す

りのままに認むべ き

在は勿論意識的存在

る宗

果の所説は確か

(5)

を 特に道徳と関連

しめながら解明する。

観は道徳の問題の考

行ふ道

と解すれば、

又 其処から評価の

に 対して欲望的感性

つて理想主義的二世

思想に於ては道徳は

あらうか。

始まるものであ

地を直ちに仏性と見るもので、

いかでか真如仏性ならざらん﹂

ならないことを示す

巻に

於て

(6)

無 と し れ 様 現 る と

ず、

ま死

ど」云

「に成し

な く て 欲 運 なは し に と な

" は る " 」 も の し者

苦衷

ァ " )一正

せ著 て ケア し も く、 従

れ 昧 こ 。 求 法 用喫 は 有 ヰァ し

し て 有 で、 旺 Ⅰ 1 二 木 こ " な ね め に 主 文 ㌧Ⅰ る ら 於 死 「 貝 『

。 れ て ヰこ 生 ち 釈 は の 的 れ

法飯

(7)

上 ︶ と 先の言葉に続かざるを得なかったのである。

であるが、 汎 神

指摘可能であらう。

﹁現成公案﹂の巻に於て

あり

死 あり、諸仏あり衆生あり﹂

の ﹁ 有

仏性﹂に対して

と一

1 無 仏性﹂を挙げ、その有無の止揚として

いへ

ども、華は愛惜に

ちり

、 卿は棄

廉 におふるのみなり﹂

めは﹁謀心読

性 ﹂の巻に於て

は 一切の説なり﹂

︵。・

-

ハリⅠ & な 二︶ 且

まらず

文 相対に常に

徳の所在は無常生滅

、参学にあらず。

(8)

値 的には無記の存在

ある。今この仏性論の奉を問題にしても既に

﹁真如﹂

1

﹁真如仏性

1と云い

否 ﹁仏性﹂

ぎ次喫飯﹂が法性三昧

(9)

にこれらの疑問に答へなくてはならない。

考へてみると、

であるとされ、その

のちを

しな

ふ ﹂

無常を観じて生死を

見た様に、仏道に精

がら一方

例へば

死 ﹂の巻に於て

りて

減 すなはち

ろうか

。これは﹁現成公案﹂の巻に於て例を薪

灰 にとって、﹁生も一

ものであらう。

述べるのであるが、

在の面から見れば

瞬時も停らない、

(10)

て 何故に悪と云った

反 価値のみが存しないのであらうか。

界 唯心にあらず、

橋壁

瓦礫なり﹂安部

はただ三界のみであ

であり、法界であり、

豊倹

より

跳 出せるの

に 没し去って一切

は 要するに心と境の

正法眼肚の汎神論的

佳格と

道徳

当該の問題解決に重

(11)

ま、 4 る て そ れ 性 ゑ さ 汎 て

神 沢 に 汎 し と ふ つ く は ら 論 万 つ ふ 生 理 伸 そ す 見 た 、 見 る に 有 て は 滅 佳 論 れ る 辞 " も べ 於 の み 一 あ

は 実 っ 頽 れ な な 宇 兵 神 あ や に 汎 説 迷 超 は な 主 理 義 性 が そ に 否 は 定 未 す め る ら ま 見 れ 案

ずと

同 ま見 じ 存 で ・ 理 な

佳く

必 か 対 真 す る め そ

の底

致 ム % ヤァ "- 巾ァ し - 木 理 め 性 な に く よ て つ は て

対現 れて 云っ 二面 実 る た 一 あ ほ ろ 価 の ら 於 も 値 真 ざ く れ て の 対 埋 る 一 な た る 高

二字音

亀吟

0

度 大 べ 認 破 い 次 の 調 き め せ ま に 現 私 で る る だ こ 実 の た を も と も あ 点 と に す る 実 は っ 点 で 無 同 焼 れ 。 は 当 た を あ 紳 一

こ 仏 1O

(12)

の時節はないとする

もつこと、従って

正法眼俺の汎

神臆的桂格と

道徳

一一

千の考察をする。

レ八

解釈して﹁

欲知

若室﹂は﹁すでに

例へ

ばこの

欲知

仏性

その発展を時間的

こころ

56

は、これ

必然的に断続的無

線的連続でなく非運

げるものであるが、

それは兎に角として、この解釈の個所に於て

へり。かくの

するにも:現前

ずとぃふ

。⋮⋮﹂宜雄

(13)

の 功徳を信愛 し ﹁ 或従

三一

二見にわたると

云ふ

理 もな

い のである。

ゑと

造林禅師の問答

は先づ

善悪の差別

謂 はば理想主義的

無上菩提のことば

れて、諸悪莫作

︵同上一四七︶ / 一四八頁

はてする諸悪莫作衆善奉行は此処では﹁現成の

真作﹂

舖肚

むとして

﹂のではなく、﹁

﹁ ゆゑ

に 語

菩提

1 一で

ある。そしてこの

(14)

が 重大であるか、

記 するに至るのであ

とする立場であらう。

因縁

滅 にあらず、

英作なるを

みさ る

と現

宏美 こ

エ 3

(15)

﹂ 四 五

から消えて行 き悪

性を ・有するのではな

るのか、 と 云った 疑

じ よ うと云ふ 陸地獄

るから、其処に於て

が 現はれる。即ち 自

とは 如 ・何なるものであらうか。

今 実践に於てこの

有し、当為性を有す

れて、仏のいへに な

由 、他力とはならな

顕現しているのであ

捨てられた我に代っ

げる道徳は日常的欲

示すものではなから

であって、ホップ ス Ⅱ

(16)

6

法なぎに優り、

りは自由であるのである。

、それは凡夫が

って、作為を投げ

時は﹁ただわが身を

もてゆくとぎ﹂

それを統一するも

くぎ

﹂えないし

るとは即ち仏にさと

にあらず、ただあぎ

あるまいか。道元が

ることを述べ、只管

坐禅が解説得道の手

(17)

歩悟 脱で にも 其処

と述 とす

はそれよりの

﹂の巻の引用

。然し

当然

には独特なものがなければならない。

不信多智のしるこ

たし、

m

にな

むかしより法の

るほ

がぎ

ことを

5

々みよ。⋮⋮﹂

すすめるのかとの間に対する答へでは

と見るべく、

ぎはめ

しりがたし。

ゆゑ

たづ

ねば、ただ仏家のも

ちめ

るところを

一 ⅠⅩ ノ Ⅰ 6

しての神を要請する

には見られないと 云

識 であるが、道元に

るから、無常感は 一

(18)

威 永 つ 意 と 立 速 て 味 云 て る 哲 適 従 で 時 の る く

生心

是は

死 頻

るつは

こ を に

低き

・ な れ で 云 の あ を 十 を 7

(19)

ぎ それ自体道徳的であったの

走 するものてない信に連らな

智 をもち

ぬ るには、観ぜられ

とも実践的

知 とされる。

然しその世界が無常下侍

一八 も年問題とならない。且つこの様な観を に 対しその 根抵に 観を置くものとして白木 るものであることが分るのである。然し さるなり﹂として、 相 矛盾するものの 同 ぅ してみると、諸法を実相として、諦視 現実である限り、必然に実践を要求する 宗教である。然し 又打 坐は行であり、 実 独特な宗教性であることが看取され得る ﹁正法眼蔵註解全書﹂。 Ⅰ &

(20)

の 徹 に 督 る 代

を 切 る 重 こ 位挙た 拓 頭 。 1 要 の と ら な 伸 し す

力こ V

地 学 て と % げ 位 古句 の 云 は 展 墓 ぅ

論 。 省 督 事 を 基 ず に が は 組 督 の @, 於 完 講 読 迄 て 金 塞 神 が も ヰは / る 論 Ⅰ 人 が

心 学

三位

ス シ

間と に か と な 一 も ら ノ ン プ る 体 た 離 レ と 論 ら れ 百 一 蚕 に , 、 し て フ 。 Ⅰ ぅ よ た い / レ シ 入 っ 神 た こノ ス 智 て 学 事 ノレ

とを真

表組

考案

とと

ぅ す さ し 対 7@ 二 る れ て 疎 つ 秘 る の 議 事 フ ォ 古句 で 九 用 に ヰこ サ あ ク 語 対 地 イ る @"" - な す な ス 見 用 る ら を ま見 ら ぃ 神 は 挙 代 れ げ 神 る

て学

こ的。

い 、 学 様 の 反 具 そ に に Ⅰ 秘 省 体 の 於 義 に 的 基 げ まミ携雫五

基督論の一考察

ナサィス

神学の意義

19

(21)

第一章現代基督論の状況

であろう:コールリッ

F

依っている事は論をまたない。

状況、一一クノ

シス

、三

プレ

いと

珪ノ

2

本論集一一章

グノ

Ⅰジス・プレ

p-

シス

O

・ D. モリスに流れているスク一ル の Ⅱ | シス、結論の四項に於て素描した

ではなく。基督論 特

展開している。 淘 の 逆説であり、而も啓示 はこうした啓示に よ る 創 面即 人的隠蔽的側面であ

者を強調したに反し 者が信仰体験の媒介に 依 、自由主義神学 つて相即してい る。即ちグノー はこうした逆説 道力を指してい フォ サイスに於てはこの 雨 的 栄光的側面、神的栄光的 側 | シスである。これは信仰, ォ サイスの言 う 信仰体験と るのである。 基 替 論 や Ⅰ丈二 従 来 神 自勺 栄 光 自勺 傾 Ⅰ 面 か 人 向付 隠 蔽 自勺 狽丑 面 か の 何 れ か 方 ヤブ Ⅰ 堕 す る の を 常 し ナ - Ⅰ 正 二 統 。 派 神 学 マ 教 会 等 幼

(22)

21

依って原始基督教

、クヱ

アンズを先ず

りュツマッ

ヘルに

するディベサウス、

るであろう。

れる。

督論的

宣教的関心

だけを持っていたのにすぎない。

見証者はいなかった。

生活の状況ではなく、原始教会の状況である。

フゥト

︶と云う

基督

、換言すれば

対象から更に根源的

教会論︶と関係を持

である。

ま音

の一考察

一一一

(23)

高 にして難解な道を ぅか 。ここに私達 一方的になるであろう。

に 充ち足れる生涯

意義を認めるのでな

理由がなくはない。

ぅ 。例えば、基督教

と 告げる︵ / ルシ ネ

バルト︶とかとの ま 教えてい イエス 督論は歴 オット一 顕著であ 従来、 る 。そしてここ の歴史的研究は 史の意味を完成 ヴ る 。 基督論が組織 神 て 来たのは、啓蒙 期 以後の人本主義に甚く 進 萎め ・審判者となっている。

何かと逆に問わしめたのである。そして 基 扱われるに至った。 此 事は 、ゴ一 ガルテン、 バーに於て

分けてもティリックに於て

は 明瞭である。 特

である事を徹底的に 一一一一 22

(24)

コ田 ゴ人いの 0 の づハ しⅠ の い 0 Ⅱの コ ・由ら

Ⅱ コ @ のゴ Ⅰ 接由由コ ざ田 づ ・Ⅰ・の㏄の 出 0 の方セコ 巴円ゴ 0 %0 口耳 ゴの 0 のⅠ 古づ 0 ロ ・ ii. づ ・の笘の

ほ ついては他の機会に割愛した

のオ Ⅱ オ岳 ,叫の ロ pm ︶ ヴの ︵ m, 田の ト ㏄

コ 色目 ゴ のの 0 の づ串

Ⅱ せつ ・い の ヨ げ す 9 サ ブオ @ 弓苫 ︵ ゴ 曲コ 由 コ山海 0 屯 ・ い の下 ゆ

づ由

Ⅰ 1. いい㏄ ,い 0 め, 基督論の一考 擦

プレ

p

シスとは何を意味

るであろうか。

Op

ぢ 目り㌦・。

︶の内生ま臼茸

0 包すつき

2

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ロ埋,レ

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︶・③

帆 Ⅰのの︵

卍ゆ

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0

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0 サ

0

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Ⅰのの

1

0

Ⅱの

0

ゴ屈コ

㏄ ,

い の津

0

円。

(25)

クノーシスと受肉

、永遠の御子が

義が論ぜられるに至る。

、それは神の属

ぇる

ものである。

遍在等の︶が放棄さ

らる

ぎであろう。

くべき道徳的行為によって

二四

、 実は基督として

0 ︵

8

ロコ ネ の日ワ

HA

である。フォサイス

且 某を以て表現した。

24i

(26)

在 な ら 見 依 徳 愛 う 事 事 て 取 し 全 る を 出 り 姦 曲 全 げ

る で な 絶 の 全 り

意志の包むすべ

のに依って決定されたい事なのである。

依り阻害される

的に愛として

に 、基督は天の

二五

基 各論の一考察

25

(27)

彼が有限な人間とし

なのである。

8 コを 以て略号とする。 ㌧織のの ロ ・ づ ・㏄ 0 ㍉

せ ・の 卍卜 二

創造と受肉

である。受肉は

棄てたのである。

である。

こうした全能の愛の行為である。

(28)

三知識と受肉

のとされる 基督論の一考察 ある。この ぅ るであろう 宙の創造過程 造 に依ってな 性を現実的 展 するに つ れ

は神の子の 註 1 ㌧ 穏 8 口・ づ ・の卍の 2 H ヴい ら・ づ ・の ド の 知識の限 二七 ば 、全能 は 受肉に 為 である 持っ人類 て 還元 し 行為に ょ 栄光と権威とを得たのである。 れ

れる道心迫る事 如

力 を集申した事を教

は 全能の最高の カテ コ サーである。

(29)

あ あ 必 第

6

1 か し る ず が 、 否 も 罪 神 Ⅰ か す が の あ る 間

な ら の ば 目 と 自 己 己

確 て 意 イ ヒ 内 で か れ て ・ 2 は た 自 あ 己 る なかとは㌧ 轄 か - と 0 つ 云 放 す 棄 る

コヮ

た す な ど 若 い る ら プ し の ま、 0 得 で やま の

不 可 自 己 と 同 な る 化 口

しき・

。それ故、知ばこの杯を我号目・

" ア ' は よ 識 あ 罪 り の ろ を 取 面 う 含 り か む 去 ら 受 よ リ ー ヱて " 肉 @ 拾 う 沖ま な 、 え 允 ょ 占 冗 夫 と ら 全 れ 言己 サま 至 な

高 の れ 十 の で る 字 道 あ 所 架 徳 ろ 以 が 向付 ちノ て, 父 ノ 一 行 か あ の 為 で ・ る 御 否 。 3 意 あ で で のである。それ故に 界 については明かにされない。 彼に於ては全知が否定されて 根元、鍵、目的は知っていたと 識の破壊でなく、却って知識の 凝集している中心的な行為をし る 道徳的世界を獲得したのであ ていたのである。実際上には、 し 、これこそが換言すれば 賄罪 二八

たであろうかとの疑問が生ずる。

あるが故に少くとも彼は凡ゆる知識の

神を畏れ、服従 し、交る 事が自己や知

る 人間の偉大な究極的行為が潜在的に

かが無意な仕事の繰返しにすぎなくな

とか行為するとかは出来ず制約を受 け 全能の否定を包む救いの 葉、

るが故に、この為に必要とされてい 恭

(30)

、完全に聖なる神の御旨に応える良心にのみ、

自己を放棄する者にのみ可能である。

ある。罪のない

。こうした力があ

まなるものが最後

である。そして

こうした基督はこ

をなすに相違ない。

ヴ Ⅰ 由,づ

・㏄ 巾め

4

Ⅰヴロ

隼 ・

づ,の

0 の

二九

基音詩の一考察

れ 神 に ば り ち が ,畦 豆 真 る 督 @ 俺

(31)

生は思惟を超 時 、勿論、こ

口教会は

、墓 る 。我々は化 生れる決断力 る 意志であつ として 此 世に 云 う 制約内に みを知ってい 支配すること 基督でなけれ えて れら 魯の 世に はな たの 来た 還元 たの ほ の ばな いる。況んや生の根源である神が人となる 受 、属性は、存在の二つの仕方として解さる べ 地上に於ける受肉の根拠として基督の先 左 に 於て自己放棄をするのであるが基督は誕生の いけれどもイェスはそれを持つていた。彼の である。こうした道徳的行為によって、 此世 のではない。受肉とは最高の道徳的行為、 神 、集約、凝固された。基督は凡ゆるものを 知 である。基督の使命は単なる全能を示す事で である。こうした使命は神の地位を持つ者に らないのである。 然 乍ら 、 神が人性の具体的

う ぎは既述の如くである。

瓦樋

義 受肉は神が人となる 泌 ィ 完全なる神と生長 を分離しては意味を 依ってのみ理解され と

受肉

る 。逆説である。 アノ ン

考える事は我々の思惟を

惟を超える要素を含み、

それだけでなくそこに 超える。 それは 思 於て精神 然し、両者 惟の逆説に が生成する 三 O

(32)

第三章プレ

D] シス

クノーシスはこの

隠蔽的側面を表現す

は 離れて、プレロ 一

深さがあったのであ

る 所と何等聯関性も

実践とを通して明白 にしたのに比されよ うか 。

なる論議の展開を

定を高調する事に ょ

シスと共に基督に 於

共に上昇的支配的 側 一一一一 基督 諦 の一考察

。神は我々人間

は 恩恵の奇蹟で

に 依って働く信仰によってのみ理解される。

31

(33)

32 一道徳的形而上学 ない。それは、 道 墳 罪であり、従って の形而上学でなけれ する神秘的礼拝に

0

事を考

ぅべ

ぎであ

説かなけれなな

シスとプレ

ロ|

と、

人から神への上

0

人格の成長は全人

と、

人から神への上

即ち

悪と穿

と死と

シスの形而上学を必

とする。

ヰひ

が ユ

0

用づ

下のの

0 の

で由

3

Ⅰの

ぺ の op.

づ ・

ゆ ひ

(34)

化的な側面を更に深

るためであった。 そ

導かれた人々の祈り

相互的交りとして 働 一一一Ⅰ一一 基督 輪 の一考察

すべぎであるが、 得られる。基督に対する神秘的

姉耗

, であり教会が見失っていたものである。 ある。フォサイスは、 撚 乍ら、形而

は 何故形而上学を必要とするのであ 蓋し、融和の良心の所有者である基督のみが、 我々に叡知界の教主を約束し 、 新し る 神の義のみが支配する新しい世界の ある。 | シスとプレ 巨| シスとの呼応の上

が 、この先行性は同時に人間の面 して之が我々の文化を営む歴史的世界 シスとプレ 音| シスの呼応の舞台と 、悲劇をよく取扱 う のである。 は 聖なる倫理的行為以上の事柄 工学を信仰したのではなく信仰 ろ うか 。 い 宇宙の創造者である基督のみ 王者として君臨しているからで 仔 成立している。 の 呼応を伴 う 。人間の神に対す の 構造なのである。 して歴史的世界を見る事は進化 趣

(35)

、人間から神への上

人格的実存的呼応である

"

観的

真理である。

に 働きかけろこの

ⅠⅠ・

づ ・毬の

4

づ ・の㏄㏄

5

旺ら

・Ⅰ・の㏄

6

隼,づ

・㏄のの

8

すい隼

・Ⅰ・の

卜 。

7 H

凰ロ

ワ湘づ

二基督に於ける呼応

た 呼応として人格

基督に於けるプレ

戸|

シス的側面

栄光獲得的側面に

なる先行的包含

る 迄の天上に於ける

い 前に薫が屠られ

基礎としている。

34 ,

(36)

が 相互 受容の るにつ だ 働 き 合っているの 面を、他方は永遠の れて神的内容を漸次 基 甘辞の一考察

一方は生成する人間の側面からの行為的

が 神の人間への完全な働きかけの機関にな

的 存在に於て歴史の中に干渉し来る神の長 鍋 三五

実の戦である 0 彼の

る 神との関係であ っ

あるのである。 口 基督に於けるクノ 一 シス的側面

動 性を内に持つて

を 啓示に於て人問に 動かされるのではない。

って強いのは、 神

である。神がその 独

の秘 義の中に入れ ろ

死の恩恵みを 味 った 得るのである。

互 浸透性 と 表 5 が

人格的行為的側面と

(37)

の の の え な も は 其 を お 期 塞 縛 り に 神 督 て そ ね

に す に 即 で 督 神 深 て

的 あ 罪 シ

と て 倒 る に ス 罪 の 家 人 二 に る 神 と へ ヱ 一 ㍉ し "

あ で 結 で 性 傾 船 主 の の っ プ ぅ る

あ 合 あ と 何 げ 成 創 結 人 ヰ, / し レ る 又 る の の る の 造 合 被 造 こ 間 0 百 。 は 事 結 融 結 心 的 な 者 の 目付 で Ⅰ そ 受 を 合 和 合 然 先 考 で 二 偵 Ⅱ あ シ れ 六 銘 と と は 性 行 嚢 は っ 面

故 の 記 は し 、 を 性 す た の の 、 規 す 完 て 既 無 を る ぃ 相 呼 彼 ク が 反 応 力 ; /

具 し が 道 ・ に 救 で 対 さ 返 て し 二 体 た 我 徳 シ 於 済 あ 象 る し は て つ 曲 行 日付 ス 人 尹珍 と

問 而 は 神 な そ な で 来 な ら を 存 上 史 側 在 学 フ

人のれくあ

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-1

は と と ォ 結 あ 、 そ て 様 云 策 し の 主 サ 身 聯 張 イ

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な 格 徹 関 し ス 、 即 こ 事 の 一 で は れ 0 度 中 白 勺 を で は 町 昂

八 基 で の と の る 人 な 人 題 も 論 の 督 あ 構 か 行 。 5 間 ら 調 格 実 の の た 相 酌 す は 基 哲 挙

のり造工薦

とつ

的 生 い 調 さ 行 る の れ 為 の 墳 で に

依性と倫勢存

人魂かの

在 事 第 白勺 て, 罪 あ る 即 神 ・ 理 力 め 補 な 三 あ こ ろ の ち と の の 二

v 充 も 六 る

ィて

, で 受 の 基 混 つ こ は さ の が そ は 肉 交 礎 含 め の れ と 夫 遣 し な 、 り を と あ 主 神 十よ 徳 て の の 日付 こ

如 こ る 復 る る と 有 絶 限 外

啓示

極的 7 戸Ⅰ

の相

%

の 鍵 す も べ し 性 佳 な さ な 上 即 婿 な る の き て の と 売 れ る 単 性 罪 与 事 で で 諸 目 成 て 縫

(38)

て 行く事なく、 完 る 。この神に対し、 性質、菱一に、この ろ うか 。 容 とを結合する事 性を見出す事は不可 出す事は不可能なて 故に宣教したのではなかつたであろうか ぴ 。だから或る意味 上に生まれたのであ じて然らずである。 事であると共に 、 でない人 位は 全 き聖 甜 基督論の一考察 三セ 聯関であろうか。 6 Ⅰ ヴ ロ口・ づ ・ ゆ 卜の 三呼応と人間存在

(39)

ことは、この成長と

して基督に於ける 呼 応は人間存在と実存的関係を持つ。 たのである。この ﹂とが出来た。新て 、

となったのである。 。永遠の御子として

の 聖なる人性が常に 見て満足した事、基 意味しているのであ なる生活を拡大した。

るほ つれて潜在的な神格が益々力強く活動し 、 そ

ナ, Ⅰ

向付

ガく ス 。 4 の

坐た

遠 的 彼 カ 産 向 の 自 が を に 上 郷 邑 恵 祐 於 と 千 枚 の 々 て が は

葉状

発 益 あ 受 と 態 揮 々 る 難 並 に す 聖 あ

(40)

学を形成しっ っ、 三九 39 註 1 ㌧ 98 号 ワ紬ぺ 2 ︶江口・や㌍㏄ 3

Ⅰ 0 ・ n せア 4 H ヴロ 宙 ・ b :㏄ 仁ゆ 5 Hrw Ⅰ・ ロ ・㏄ 仁ゆ 6 Ⅰ 臣わ ・ わト圧 ア Ⅰ ヴ崔 ・Ⅰ・㏄切目 8 Ⅰ ヴ庄 ・ づ ・㏄ 切 ㏄・ 論 。 結 る

たるべく来たのであ

る 神として永遠に

致否 彼の人性は人性 と 云 う 実体の連続でも、 人格への参与でもな

諸制 的を彼が積極的 実に可能なものにした事にある。

云っているのではな

故 、基督の人性は 、

ている真の倫理的人

6 服従は、劣等さの

生じたのである。 彼

0 人性は人類と自己

(41)

ト ㏄の

オ いせ︵

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げ田門

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功田

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のⅠ

荻俺ロ

・ H づ

発行

である。この点につ いての詳論は他日を期したい。

卍 ㏄㏄㏄ 四 O 4 笘 めている。・この 堆 し

労作を以てその神

会 問題に身を投じ 塞

受 け う つ も、同時に

銘記したい。そして

(42)

つて極めて清澄であり、 固 ・ 有 課題においてすぐれた業績 が生 いにして、山岳信仰と村落生活 え た 場ムロ には、当惑するばかり 理し、大方の御批判を仰ぎたいと考える。 きわめて限られた範囲しか 会 ﹂の調査に従事して得た結果 は 、出羽三山、木曾御嶽の三 つ 限られている。次に、この調査 る 所がある。調査範囲も、津軽 場合は、山形県内の村落のみ、 村落における山岳 繍 仰の組織 信仰である山岳信仰と仏教の習ムロ 、或 み 出されつっある。また、民間の宗教 の 関係を調査する機会にめぐまれたの であるが、これまで集まった資料を整 扱えないことを始めにお断りしなけれ に基 くもので、資料自体から以下の制 の m に対する信仰と村落生活との関係 は 現在継続中のものであり、引用した に 信仰が限定されている岩木 m のみ 木曾御嶽については、木曾谷の神々の 四一

啓一

41

(43)

げである。

ている場合、宗教

︵宗教的︶指導者と 云 お う 。

がこれで尽きると

く み る の の

仰の組織が 、ぎわ

即ち宗教集団を扱 3 部門があり、その方法は 、 宗教集団に属する 下の如く決めてお 、現象の整理を試 となるものを求め

出羽三山を中心とし て 1. ﹂としなければならないのである。

であるが、私はこ

蜂 云えば、﹁ 登拝 型の

る 。干葉の三山 講 、

あるだげに、これも

変遷についての結果 中心とし、これと 比

(44)

なっている。これを八日 講 或いは また過去にあった形跡もない。 ちの希望者が参加す 四三 村落における m 音信仰の組 は

川の支流、小国川流域の山間

、油田がある︶

て 、前半では、

し た

い 。

" 一

二つの地点を選ん︵ 2

三ク 村は、農業、ある 係 とは・ 見る。 ら 、これを集団の封鎖性と呼ぶ。

(45)

している。議員 は、 年々掛金を出し れる。代参者が一順すると講を解散 めの組織が作られていることである

木山と比較することが出来る。 しつつ生活しているその地方の人々 れに 登 拝する風習が、自然と生じた﹂もので、 ﹁特に組織された信仰という よ りは ︵ く Ⅰ︶

云われた。 ︵ 6 ︶ 代参が参るわけではなく、女性を 自由に参加することが出来る。 村

登拝 という行動を支えているもの

てしまうと、やや云い過ぎになる

し 死

はに

先く

除 民 間 で 、 五 霊 組 達 が 衆 に に 改 名 ぬ 平野の米作農村である。戸数一五ムハ 戸 。この村の三山 講は、有 0 代参者が 、セ 月末に出発 めて新しく組織し直す。 こ 、岸本教授は、岩木山の八朔 一種の年中行事としてこ の間におの づ から生え抜い ︵これも現在は著しく緩和 や 世話役がかるわけでもな ︵ 7 ︶ 織 よりも、むしろ 初 まいり 信仰と関係した山岳信仰で

味 に使っているが、やはり一種の

称 ︶は、新潟県に接し、日本海

講 があり、部落全戸は、原則とし

が 、三山、及び鳥海山に登 挿 す ︵ 4 ︶ に 、三 m

講塁会

というものはない。 四四 講集団と見なすこ之が出来る。 に面した戸数一七 0 戸の半農半漁村 て 、これに加入しなければならな る。この講は解散しない。また、 特 材

(46)

も 、この団体は。好きな者同志で集る 者が結ばれるのである。したがって 、 だ 岩木山信仰独自の、その信仰のため これに対して、出羽三山信仰の場合 自の組織を持つているということが 出 が登 拝するということ、部落単位で登 日 一泊して火を共にし、帰村後も共同 る 。併し、八日講の行事は、三山信仰 度 でも三山に登拝した経験を有するこ 同宿泊 し 、七日より八日朝にかけて、 結局は 、 村の成人の男子は 、 殆ど 登拝 慣習﹂の段階の岩木山に対し、もつと 一昨年秋に、 m 形 県下全町村に発し つぎり対照をなしていて、日本海側に 村落における山岳信仰の細 椅

の 村を単位としてその年の登 拝

で、決して 無 組織ではない。 た に 作られた組織はないわばである。

あるので、明かに、三山信仰 独

織 がなく、男に限ら た る希望者

あること、 登拝 者に、出発の前

おいて、岩木山の登 拝 に類似す

によっても明白である。嘗て 一

村の中の行屋という建物に共

一アマ目 ﹂の階調 で 礼拝する。

なるが、﹁自然と生じて来た 組織化された形ということが出来よう。

ば、 講の有無は、地域的には

︶これには、講の組織の崩れ 四五 、集団で登拝する。 を 取っている。しか

これらの

m

への参拝

45

(47)

W@

市 上ハ

な 村 の に

㈲調査後、念珠

ケ 関村は温海町、大和

打は余

甘竹

に 編入された。

㈲池上底

王 氏、野村暢

溝氏

、高木きよ子氏、及び

柳川の四名によ

力 。﹁宗教研究﹂︵第一四二号︶

八三頁以下。

㈲昭和二十八年この誌は廃止された。煩しいため

に 、以下過去形は使用しない。

㈲岸本英夫氏﹁宗教現象の諸相﹂一六八頁

㈹岩木山

講は

、神社維持のための崇敬者の講で、

発祥のための描ではない。

㈲山麓の村では、幼児の頃に背負われて

初 まいり

な するのが普通。遠隔地では、成年に達した時と 結びついている。

㈲山形のもり信仰については、戸田義雄氏﹁本邦

解 姦 あ と落首 な 答 が るなが あ 郡 名 沖 あ 部 いあ つ い 枯 る 藩部る た A+B 数 A B C D A ガ B ガ イ C ガ D 啄 飽 m@ 20@ 11@ 8@ 0@ 1@ 55@ 40@ 70@ 0 5 東 田 川

32 18 2

1 2 78 9 87 4 9 西 田 川 14 9 3 0 2 64 21 86 0 14 最 _h@ 14@

0@ 5 0 6@ 0@ 57@ 57@ 0@ 43 北 W 山 19 2 1 3 12 11 5 16 16 69 西 村 山

幼 1 2 3 14

5 10 15 15 70 東 村 山 21 4 3 2 12 19 14 % 10 57 南 村 山 15 0 4 1 10 0 27 27 7 6 ア 東 置 賜,

勿 1

4 0 15 5 20 25 0 75 西 置 賜

16 1 1 5

9 6 6 13 31 56 南 置 賜 9 1 0 0 8 11 0 11 0 89 簾 一表 講 のあ る 村 とない 村 蝸

(48)

村 落 お 山 岳 信 仰

租 臆 七 4 ア 解 使 部と行 価で 町 歩 落 まく 人行 郡 名 答 村 何 でつ まて

数 A A ガ B ガ C ガ 90 臣 海 17 Ⅰ 6 Ⅰ 0 東 田 )lI 23 拍 87 西 田 J Ⅱ 12 10 ㏄ 1 ア 最 上 10 10 ㏄ 10 北 村 山 Ⅰ 3 お 69 西 村 山 Ⅰ 3 ㏄ ㏄ 東 村・ 山 Ⅰ 5 20 53 27 南 村 山 14 Ⅰ 4 43 43 東 置 賜

11

2 ア 45 27 西 置 賜 0 l ㎝ 南 置 賜 わ 25 ㏄ 第二表 三山への 登拝 のしかた 三つの質問に 対する解答を 綜合して分類したため , 矛盾して分類不可能な 町村は除く 歓 心 ぅ 「 望 つ さ と は な 請 見 げ れ 出 し 山 修 の し る て 羽 (9) 彩 って部 のは 一大に く死進 が で り

先付

一 9 倍

硯蓋の

わの後人

一 ある 及び 照寺 内に 号叫 )を のの

山御前 釜溝

、 も め 実 達 で 申 て 。 こ

てと幣に

水松

り ぐ 証

そ 織 山 力 が に 組

葬 でと 俺 。

余館

研形

の登 し の 甘 で

究県

(49)

は 非常に薄く となり、明治 T 氏が引率し ていたが、 二 廻館 では、

在の宮司 s があった

発揮 四

岩川の き 、必要 る 末派 修 行かない

館は普賢

堂の

多 かつた。宿坊と 村 ものお乱売りが廻る 、神官や僧侶になっ 縮 したこと、敗戦後 出羽 し 、本 先達は 、て、 よ ヰん ︶。 Ⅰ 併し 三山信仰の ・ 寺株 をもち 宿坊、所在 て 、平時は また、 各在 、このよ う

出先達と

村 々を廻っ

する。この

によって

、嘗

四八 ︵ りイ ︶ に 詳しい。山麓の 、 村には、宿坊を経営 先達︵末派修験︶とが属している。 山 てお札を配る。 里 先達は 、 村に住みっ 音 問の権利は厳然として い て 柑 侵され よ く知られている。 ての組織は、崩壊し、或いは変革を余 弗

(50)

先達なしで

登 拝する

ことは、小岩川と同様である。

勢 講

や 古生

原講が、

の 三山

詰 は、宗教的

った

筈である。平時

割 をになっていたわ

足 されており、

︵ 3 ノ

或い

る 。

里 先達或いは

講の本質的要素ではなくなってしまうた。

詰 は、御嶽信仰の

辺 農村に多かっただ

げた新開村黒川の御

一十二の部落が点在し

組 が出来ている。

西洞組

︵ 二

二戸︶、下条

︵ 四

0

戸 ︶、下中入

局 、黒川

郷 で五つの

村落における山岳信仰の租

の 力

(51)

ハ 、中座四︶、下中入 中座を通して、神にうかがい よう に守護する役である。神に には、病気などの個人的なこと の 能力と、特別の修行をしな 、三年間、寒行する︶一般の を 立て、 、 : 、 3 ヵ ヵ し がたずね げれば、 請負には また、お吉げを記録する役で を立てるのは一年の世の中の られる。この村では、四天は、 なれないものであり、︵ 寒一 な い 能力を 、 そなえているわ

詞や 、般若心経など の 全戸が加入している。 夏 ォゥヒマチ のお山 講 、或いは大日待と 黒川の各 講 あわせて、 現 か 、それには、お山 講 の 集 ︵ 4 ︶ が 、議貴︵結局は組合員︶ る ﹂ことで、座をぎよめ 、 期 には、組によっては代参を 呼ぶ集会は 、 講の最大行事で 在、二十八名の宗教的指導者 会 は ついて検討をしてみなげ が、 村の中の当番の家に集ま 上座に、﹁中座﹂と呼ぶ行者 出す所もあり、他に希望者が登拝する。冬期 ある。 がいる。何故にこのような数の指導者が必要 ればならない。黒川のお山講は簡略化された り、 御嶽大神を拝む。この時の行事の中心は をすえ、向い合って﹁前座﹂︵これを先達と 五 O

と称 していて、 ︵同一月十一 -

なのであ

形にな・つて ﹁御座を いつている 印 各組 一日︶ - ろ う いる * て ︶。Ⅹ ヵ

(52)

岸本教授は、御嶽信仰の講について、 であって:﹁ m の側には、 諸 講を統制、 ︵ 几リ ︶ している﹂といわれたが、その意味は 、 村落における山岳信仰の細

心 ﹂となり、山は﹁付場﹂ もなく、中心 は 諸地方に分散

々の講はそれぞれ完全な教 51 五一

業 、その他の職業についている

のを選抜している。

白である。先達たちは、お山 他 、小さな日待、病人、家出人 なければならない。この指導者

ある。 とが出来る。三山 講も 、部落

往も、礼拝を正式に行 う ため ればならない。所が御嶽 講は、 の 要素をそなえているというこ ぅ 。修行が出来たか否かは村民 ある。お札も 、 講で版木をもっ

神の言葉は、直接、自分の講 組織の媒介は何ら必要ない。 諸 において、他の村では年占として 行 、愚物などの場合にも活躍する。しか がなくなれば、講の機能が消滅する。 毎に独立し、自主的に運営されている。 には、神社の仲介が必要であり、宗教 たとえ 二 0 戸 或いは 五 C 戸の講員から とが出来よう。宗教的階層は出来上り の 判断で沃る。上部教団が教師を任命 ていてこれを配る。何よりも大事なこ の中座を通して聞くわげであり、上部 。後継者を選ぶために、村民の青年の

(53)

八者の童によって であった。併し 、 。平常の組織はない

岩川の例、部落の有 違 がある。 遠 て

に 、御嶽 講 との 柏

ま ㈹﹁宗教規集の諸相﹂一六九頁

ほ ついて﹂︵宗教

ているのであろう。

取る。

という 宙 味を兼ね

ようなものである。

、 右を心得るこ と 0 ③﹁宗教典 俺 の諸相 し 一七 0 頁 四 形式的な関係におい 五 52

(54)

出来るのであるか 拝するため﹂に出来 拝するため﹂の 講と 部落の有志が加わる 側 であるとすれば、 集まりになっている もので、長沢の型の 葉 県の養老郡一帯の 他 、行人塚を建てる る

展に 、ほど遠いと り、 三つの講の位置 を 見出す試みを行って見たい。 神は新山神社で、 マキの氏神はない。 が 加入している四組 組 に分 掛金を積立てて、一五二一 け お

(55)

上中下若

第一組 16 あ 15 1 俸 二組

7 1 3 12 三組 3 ⅠⅠ アサ 29 第 三、 表 組別の行屋所属戸数

上申下若

大 場 10 13 4 0 叶 ノ寸 Ⅰ 3 0 12 伊 藤 3 0 0 8

第 四 表 主要なる 姓 別の行屋所属戸数 はなく、 村 全体を単位としたものである。 異 に限られ、村を単位とするという点で、 古 峯グ原 講などと類を同じくする よう であるが、 年に一度代参が出る古 峯 ク涼 講 ︵三組︶ 、 嫁の集りである 一 勢 参拝に同行した人達の伊勢 の 婦人からなる地蔵講以外は は 、長沢の中に限られること 三山登達拝や八日講の集まり は 、請負とは云わず、行人と 村 には、上、申、下、平石の 計一一 セ 戸が各々に属してい ぅ 予想も成り立つが、実際は 方の入りまじ つた 状態である 五四

れば、観音めぐりを済ました年寄の観音

の 講である。男女の別のないものに、 伊

い家 ﹂で固定している庚申講と、第三組

檀家を含む道元請以外は、 講 員の範囲 は 云 う までもない。

通りである。また、ここに出席する人

に決 っていて固定したものである。この

戸 ︶ 、下 ︵二十二戸︶、平石︵四十二戸︶ 、

集団を基礎にしているのではないかとい

ぃは 血縁関係の一方のみによらず、 両

くなったので、明治の初、気のムコ っ た者 駿

(56)

で 一人前と認められ

︶で新しく入る若者

他に氏子集団があ

じ し 多 を 与 ,え

る が

古妻

原詩

6

村戸 ニ 憶 庚 申 の ケア "-

五 歳 第 六 表 ま い @

の 習 拝 全 一 慣

5

市Ⅱ 結 感 人

(57)

苗講も廃止され、 自 信仰に変ってしまうた。

が 、村内の荒輿屋

は m 神社、三本棚 組

決定する。掛金を

ないといつてよいの

年を要するがこの観念が薄れた時には、独立しこの村の講は茎

一巡するのに

理 0 されて、古老

ない。講の指導者は

三山信仰のための 独 し 、代参は男が選ば

の 唯一の普遍的な集

る 号 Ⅰ 金 家 ・の 光 が 大 毅 随 性 ( 月 の 四

講の

勢 職 五 諸 業 戸

gU

肖 、

, ( 他

るもの︵ セ戸 ︶ 、及 五 5 色

(58)

十 四 が も 屋 諸 星 額 白 の ほ

上通り

15

三木 柳 8 戸

口 声の 加入 集会 が決 (今 組 め 音詰 奏 由 間で

中町

十力

請負

ま目 なし 庚

中大

( 拝 と お す Ⅰ

松根町・ 3 山 岳 第 七 表 多 幸 名 信 町別 の 詣 負数 仰 組 織 農 業 良案 兼 商業 農業 兼 公務員 商 業

労 働 者 会 社 員

れ に 鰯 八 表 職業別 講 負数

重 は 斬 刑 ( か 定 白 声 加 ) と の ハ ね た て )

57

(59)

の点では、三つの 村 の間で差異はない。 地からの 澄拝 団体 入 そ る 出 が い れ れ 以 。 来 な に 上 l 議員数 い よ 、 と れ 三

押切

一表

限は いろ

相馬、

佐藤 地 紅 村 位 、 の

川守田、 早坂、 池 は 蛇 柳 あ 位 の つ 、 組 た 血 織 がミ 縁 は 単 つ の 第 九 表 位 て よ 姓別 の 講 負数

に 限 ぅ 加 ら な

組名神社名総数

姦賈数 一山 入 れ 人 し る 問 て こ 関 荒 輿屋細山神社 9 7

第 十 表

で、

く く し 年 た 合 ま す に 二重氏子中の 講負数 令 。 さ で る く 廻 も ぃ 場 入 も あ 地 ぬ に 館 の 関 合 は な つ 攻 衆 ょ に が 係 も 随 い た 革 は っ

い地

都合百

新た

こ ヰハヰハ

)。

- し ね の 住 あ

講 者 る で を 。

58

(60)

村落における山岳信仰の紬 棚 と う Ⅰ く 派 手 名

所在地檀家戸数姉山議員数

曹 洞 宗 泉 流 、

寺十六合村

籠手持

宝 東 寺 廻 館 佃 Ⅰ 0 法

薄手余

目 町

宗智

敵 手 廻 館 64 19 立 涌

幸大和打首

津 エ 宗 心

表 十 集 数 ネく Ⅱレ 篭睾力 一 別 家 檀 院 寺 各 沢 に戦前まであ っ 8 羽黒まいりの講で

は 十九になると 必 行っている。しかも

一表は女性の三山 信 られ、湯殿山、月山

もない。併し 、登 村 において三山を拝 て、 同じく女性を制 しないかということ の 強いものと考える 推論は、以下最後の節において試みたい。 同 で持つている。 そ 五九

前の三山 は入っていた 諸 に ぅ は す a, こ ろ は 衆 議 所 の に で 女 代 価、 お 性 妻 入、 る が 者 と 。 多 と し に く

じて

も ま て 八 拘 じ 男 る わ っ , 珪 の ら て が で ず 居 登 な " り 揺 し く " 村

の女

" 、 家、 講 性 或 と に の い し お み は て い の 付 加 て 団 事 大 、 体 に す 女 の 出 る 性 登 席 か を 拝

に ろ の 撃

59

(61)

六 O ㏄ の年の吉凶を・ 占 なっても ろう 0 ㏄

幻縫

して村中を廻り、行列の時 は 祭具をもつて先頭に立つ。 教示された。︵同氏﹁ 田 乃ヘ 仰 屋 神明の成立﹂宗教研究一面二号︶ 泰信 対する 寅 間紙 法 の調査であ 長 五

なし

差異はない。 同 村という 地

山山

者り

の 毒があり、時には同じ指導

答ま由

月三

らい る

泉殿たかで

れているのである。その点で

解勿た湯つ

村ん 同体と講との関係についてる 相異が認められる。

に登 拝して行人と

題 よりは、村にお け

るわけである。青年

氏神の奥宮で村の人

泊つて精進してから

る 。拒否を許さない

(62)

つ 他 の 係 氏 さ な 廣 は 百村 と 講 し 共 な " 者 を 子 管 ね い は " 廻 な が 目 て 心 同 が 職 は 作 集 て て 。 な 当 館 諸 田 体 で 岩 株

お の 地 に 。 的 お う 、 信 あ 上 れ 戸 な 信 に 圧 い も 体 い 解 で そ 作 ら て

信 約 合 、 域 の

者 な と 或 或 結 こ わ は い て こ ま 自 を か は 関 は い い 合 の け な 煤 し と 借 ら 脱 ら 地 係 、 は は 関 域

に教一皿

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れ じ て い 者 同 い 先 議 け た 講 結 運 信 共 員 果 営 何 回

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い の お 代 に を 的 い 的 有 わ て く の 合 っ で げ 表 、 公 げ ぃ 町 組 閣 て は る し 当 表

結合ない 1 0 こま で た 能 織 係 と 家 " 加 あ 。 性 で の 灯 で 登 入 る こ が あ 強 そ 比 は 拝 出 。 の あ る く

た 組 る 代 残 て 四 な る だ 織 わ 参 っ

共同

信は便女

だ の口 女 の口 遍 的 同 四 げ と 、 で げ 諾 て 信 老 ね い

宜的 仰を ぎも ) く 信 な

村 強 る つ 形

の い 。 て と め く あ す あ と 合 拝 前 で 揚 力 併 い 呼 で

す る る り は ほ の で あ 合 を し る ぼ よ 経 は る に 講

心 と 地 共 目 付 っ 験 な 煩 い 縁 同 然 落 て な い 村 の う 、 体 に に 詰 も と 民 要 荒 血 の 結 お が つ い で

乗味

縁 外 合 げ で で の 部 関 る 維 て ぅ あ 持 ぃ 習 れ は 員 小 社 、 に 岩 合 木ォ ヰ升 J Ⅱ 自勺 の え で 慣 統

る は 習 と 61

(63)

人の資格で集る。

えられるものであり、氏子

集団としての講は、この二つの

それが講の多様性となって 現

一歩出ることである。﹁ 格 ﹂

同体の中で、特殊の集団を作っ は 、女性が 、 常に男性を代表と

る 長沢にしても、八日 講 では、

小岩川においては、三 m 講と

の 独自の結合関係を結ぼ ぅとす

結合への道を歩んでいる。した

結合の二つの極の間で占めてい

しとは、勿論、出来ない。家族

の 信仰しか認めていない。 議 員 者のみである。

段階の差を認めることが出来

参が 出る所があるが、福島の太 る 。 登拝 ではどの御嶽 諸 においても、 元請ては、個人の希望者が登拝する。 六一一 ノ や 教会がすべてその例にあてはまると 極 の中間にあり、それぞれの講によ つ われている。 のある家が、﹁庚申講﹂や﹁伊勢講 し て 、普遍的な宗教集団を離れようとす する共同体的結合を離れて結ばれるの 二面信仰のために、集会を開 き、 選ば い う、 専ら三山信仰のための組織を作 る 方向へ進んでいるし、信仰を同じく がって 、 三つの村における三山信仰の る 位置の相違であるということが出来 0 代表としては、男しか認めていな は 、 廻館 という地域共同体に居住する

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