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佛教学研究 第66号 007村上, 明也「天台大師における『法華玄義』「行妙」の形成」

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全文

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天台大師における

﹁ 一

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一 4 4 1 九 H F ﹂

の形成

円 凡 EUF

天台大師における r法事玄義J r行 妙jの形成

問題の所在

天台大師智額(五三八│五九七)が開皇十三年(五九三)に講説した﹃法華玄義﹄には、 開皇十四年(五九 四)講説の﹃摩詞止観﹄や開皇十五年(五九五)撰述の﹃四教義﹄、また嘉祥大師吉蔵(五四九│六二三)の ﹃法華玄論﹄などが大いに参照され、本疏は門人章安海項(五六一 l l六三二)の私見も相当加わって、智額滅後 ① の開皇十七年(五九七)から仁寿二年(六

O

一一)の聞に現行形態が整ったと考えられている。 ② その中でも智顔親撰﹃四教義﹄及び吉蔵撰﹃法華玄論﹄の二書が﹃法華玄義﹄に与えた本文的影響は強く、目 E q υ ヮ “ 唱i 下指摘されているだけでも、﹃法華玄義﹄巻第二上﹁釈名﹂章の﹁相待・絶待の二妙﹂の名目、巻第七下﹁釈名﹂ 章の﹁釈蓮華﹂の﹁引旧解﹂や﹁出経論﹂、巻第八上﹁弁体﹂章の﹁出旧解﹂、巻第九下﹁明宗﹂章の﹁簡宗体﹂ ③ に列ねられる十二師の異説、巻第十下の﹁記者私録﹂などは﹃法華玄論﹄の文とよく一致し、さらに﹃四教義﹄ ④ の文は﹃法華玄義﹄巻第四下から巻第五下に説かれる遮門十妙中の﹁位妙﹂の大半を占めるほどである。すなわ ⑤ ち、﹃法華玄義﹄は智顕講説当初の筆録書ではなく、智額の講説を潅項が右に列挙した文献などを援用して完成 させたものであるため、本疏のすべてを智額真説と考えることはできず、佐藤哲英博士が述べられるように﹃法 ⑥ 華玄義﹄に対する本文批判は、今後一層行われねばならない。

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天台大師における『法曹玄義J r行 妙 」 の 形 成 ここで注目したいのは、﹃法華玄義﹄巻第三下から巻第四下に跨って説かれる﹁行妙﹂についてである。﹁行 妙﹂とは、五重各説﹁釈名﹂の﹁妙﹂を通釈と別釈とに分ける中、別釈にて示される遁門十妙の第三を指し、当 箇所は主に﹁通途の増数行﹂、﹁約教の増数行﹂、﹁五数に約して行妙を明かす﹂によって構成される。また﹁五数 に約して行妙を明かす﹂における別円二教の﹃浬繋経﹄﹁五行﹂解釈は、天台大師独自の思想と植われ、﹃法華玄 義﹄の中でも特に注目されてきた重要な部分であ略的。 これまで全く指摘されてこなかったが、﹃法華玄義﹄の﹁行妙﹂段を詳しく検討してみると、別教﹁五行﹂解 釈は、﹃四教義﹄巻第九から巻第十に論じられる別教行位の文を参照していることが分かってきた。さらに、円 教﹁五行﹂解釈は、別教﹁五行﹂解釈の形成に深く関わった智顔最晩年の親撰書﹃四教義﹄に全く触れられない 学説であることから、当箇所が天台大師の講説であるか否かの問題をも考証せねばならなくなってきたのである。 したがって、本稿では智顕真撰﹃法華玄義﹄及ぴ智顔親撰﹃四教義﹄における別教﹁五行﹂解釈を比較対照し、 併せて円教﹁五行﹂解釈が智額の真説であったかどうかを検討したい。 つ 臼 司法華玄義﹄﹁位妙﹂と﹃四教義﹄との本文的関連 ﹁問題の所在﹂でも述べたように、開皇十三年(五九三)に講説されたはずの﹃法華玄義﹄の巻第四下から巻 第五下に論じられる趨門十妙の第四﹁位妙﹂には、智額が晋王広の懇請によって開皇十五年(五九五)に自ら撰 ⑧ 述した﹃四教義﹄が六十六箇所にわたって援用されているとの報告例があり、潅項は﹃法華玄義﹄を編集整理す る際、智顔親撰の﹃四教義﹄を有力な指南書としていたようである。 ⑨ すなわち﹁位妙﹂では、﹃法華経﹄巻第三﹁薬草喰口問﹂の文を参考にして、人天乗を﹁小草位﹂、二乗を﹁中草

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住﹂、三蔵菩薩を﹁上草佐﹂、通教を﹁小樹位﹂、別教を﹁大樹位﹂、円教を﹁最実位﹂の計六住に割り当てている が、﹁小草位﹂以外の五位は、以下の如く﹃四教義﹄の文によって本文を構成している。煩噴となるのを承知し て、﹃法華玄義﹄の﹁中草位﹂﹁上草位﹂﹁小樹位﹂﹁大樹位﹂﹁最実位﹂と﹃四教義﹄との比較を一部示してみた し、 。 天台大師における『法華玄義J r行妙」の形成 [ 中 草 位 ] 勾 t ワ 白 唱i [ 上 草 位 ] ⑫ ﹃ 法 華 玄 義 ﹄ 巻 第 四 下 一 ﹃ 四 教 義 ﹄ 巻 第 匂 上草住者、即日疋三戴菩薩位也。此菩薩従一第三約三識教明菩薩位以稗浮無垢構義者、三礎教詮因縁生滅之理。

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初護菩提心、起慈悲誓願観察四諦、以道一:::中略:::一護菩提心者、:::中略:::若縁愛見二種衆生、生滅四 諦為初門、行六波羅蜜。従初稗迦至闘那一諦而起慈悲四弘誓願者、:::中略:::故大智度論云、初殺心以為天人 戸棄偽時、名第一阿僧祇劫。常離女人身、一師。勝出一切替開株覚。二行菩薩道者、即日疋三阿僧紙劫行六度也。従 亦利削矧割伺側刻倒倒。準望二乗位、麿一過去開制牟尼悌到闘刺門調側刷、引↓剛倒嗣制。従此制醐刻刈則。爾 在五停心別相縄相念慮位中。以慈悲心行一時不自知我嘗作偽不作偽。此初阿僧蹴劫。即是得到倒川州制捌劉創劇 六度行也。従厨那戸棄悌至然燈偽時、名一之位。用性念慮共念慮縁念慮、行六度也。:::中略:::次明従厨那戸 第二阿僧蹴劫。爾時雄自知作側、而口不一棄偽至燃燈倒、為第二阿僧瓶劫。是時菩薩用七草青蓮華、供養燃燈偽、 説。準望此位、膳在媛法住中。即是性地一敷鹿皮衣布髪掩泥、時燃燈仰便授其記。汝嘗来世必得作働。名稗迦牟 順忍初心之位。既有誼法之信、必知作悌。一尼。爾時菩薩雄能自知我必作働。而口不構我嘗作倒。謂此是用媛法智 而用媛解、修行六度、心未分明故口不向一慧修六度也。所以者何。囲網想四念慮、初得善有漏五陰。即是性地順 他説也。従然燈偽至毘婆戸偽時、名第コ二忍初心之住。既有誰法之信、故必知作働。而用媛解修行六度、心未分 阿僧献劫。是時内心了了自知作悌、口自一明故不向他説。次明従燃燈偽至毘婆戸働、為第三阿僧紙劫満。是時菩 護言無所畏難。準此位、感在項法位中。一薩内心了了自知作仰、口自殺言無所畏難。我於来世嘗得作偽。今謂此 修行六度、四諦解明、如登山項了見四方。一是項法之位、行六波羅蜜四諦観解分明。如登山項四方顧分明。了了自 故口向他説也。若過三僧祇劫種三十二相一知作働亦向他人説也。三明過三阿僧瓶劫、種三十二相業。今謂此固定入 業者、準此是下忍之位。用此忍智行六度一下忍之位。用此忍智修行六度成百福徳。用百福徳成一相。以為三十二 成百福徳。用百福成一相因。於下忍之住、一相之業因也。種三十二相業因、於下忍之位、修六波羅蜜成百福之相。 人中仰出世時得種也。若坐道場時、位在一以為三十二相業因也。是三十二相於欲界閤浮提人中、受男子身。偽出 中忍上志。能訓刻↓利刺入割問、三十四心-剖剛縁備身相故得種也。:::中略:::六成道相者、魔衆散巳掻心端坐。 天台大師における rl);事玄義J r行妙」の形成 口 百 円L

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断結、得阿縛三菩提、則名為例。爾前則 是三蔵菩薩上草之位也。 天台大師における r法華玄義J r行妙」の形成 [ 小 樹 住 ] ⑬ ﹃法華玄義﹄巻第四下 十悌地者、大功徳力資智慧、一念相聴慧観真 諦究寛、習亦究寛。如劫火焼木無復炭灰、知 象渡河到於遁底。難菩薩偽名異二乗、通倶観 無生憧法。同是無撃。得二浬繋、共鯖灰断。 誼 果 慮 一 一 政 構 為 通 也 。 法 [ 華 大 玄 樹 義 位 巻 第 四 下⑬ 既有如此無量階差、是故経論名数、断伏高下、封 諸法門、多有不問。若華殿、明四十一地。謂三十 心十地偽地。理洛明五十二位。仁王明五十一住。 新金光明経但出十地悌果。勝天王般若明十四忍。 於第四締住中忍、修観成中忍一一利那、上忍一一利那、世第一法一一利那、 護真無漏。三十四心得阿縛多羅三貌三菩提。三十四心者、八忍、八智、 九無礎、九解脱也。具足悌十力、四無所畏、十八不共法、三達無躍、 三意止、大悲、四無礎知目、一切諸法綿想別想悉知。故名為偽。:::中 略 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 是 為 欝 閉 経 中 説 大 乗 之 住 。 ⑬ ﹃四教義﹄巻第八 十偽地者、大功徳力資智慧、一念相聴慧観真諦、習気究寛謹也。 故智度論云、聾聞智慧力弱、如小火焼木。雄燃猶有炭在、縁費智 慧力勝、知大火焼木木燃炭壷絵有灰在。諸悌智慧力大知劫焼火。 大灰炭倶壷。亦知兎馬象三獣渡河之轍也。問日、菩薩偽地名異、 二乗何得言通也。答日、名雄有異同是無事感供。得二浬襲、共蹄 灰断。誰果是一名義不殊。是則名義究寛倶同也。 - 129 -⑫ ﹃四教義﹄巻第九 但諸経明此別位名数。多少断伏高下、齢制諸法門、多有不問者、 即為三。一者位敢不問、二断伏高下不問、三針諸法門不問。 一位数多少有不問者、如華巌経明三十心十地悌地有四十一地。 理格経明五十二住。仁王経明五十一住。新翻金光明経但出十

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大品但明十地。浬般市明五行十功徳。約義配位、似 開三十心十地悌地。而文不出名。又十地論、橋大 乗論、地持論、十住昆婆沙論、大智度論、並樺菩 薩地住。而多少出波不同云云。 天台大師における『法曹玄義J r行妙」の形成 [ 最 実 位 ] ⑬ ﹃ 四 教 義 ﹄ 巻 第 十 一 四明経説不同者、知華巌経法慧菩薩、答正念天子、明菩薩観十種党行 撃十種智一空。撃十種智力入初住位。即是此教十信位也。所以者何。観十種党行 力入初住。十種党行空即一賓諦。亦無作一空即日疋観一賓諦。撃十種智力即是観無作四諦。此経即是方等之教。明 之滅諦。皐十種智力即観無作之道諦。即一即大浬般市即菩提相。若止若観生相似解。即是埋務経明十信。大品経云、 十信位也。若大品云、醤知入海先見平相。日疋乗従三界出也。十法成乗知前三観中説。初出三界即十信也。又大口問 亦是是乗従三界中出也。仁王般若、普賢一経云、響知入海先一見平相。即是仁王般若明。十善菩薩護大心、長別 観知前引。下文入如来室座衣等、即日疋修二二界苦輪海。法華経明入如来室著如来衣坐知来座。此即是修四安柴行。 四安難行。行慮近慮。浬繋云、復有一行一行慮近慮得六根清浮、住十信住。普賢観経明修大乗人未得無生忍。前 是知来行所謂大乗。大論云、菩薩従初稜一有十種誼相、此即是十信之位。浬繋経云、復有一行是知来行所謂大乗 心、即観浬繋行道。若観浬繋行道、生相一大般浬襲。如大智度論云。菩薩従初稜心、即観浬繋行道。若観浬携行 似 解 、 即 是 一 行 知 来 行 也 道 、 生 相 似 解 、 即 是 一 行 。 是 知 来 行 也 。

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-云 云 。

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なるほど佐藤博士の研究にある通り、﹃法華玄義﹄﹁位妙﹂は、﹃四教義﹄の本文を参考として書き上げられて いることがわかる。しかし、右の対照表を紹介して﹃法華玄義﹄﹁住妙﹂と﹃四教義﹄の本文的関連を指摘した のなら、それは先行する研究成果を焼き直しただけになってしまう。そこで、筆者が今注目したいのは、別教 ﹁大樹住﹂における以下の本文対照である。 天台大師における r法事玄義J r行妙」の形成 @ ﹃法華玄義﹄巻第四下 @ ﹃ 四 教 義 ﹄ 巻 第 九 三約浬繋経明五行合住者、初戒聖行定聖行、生滅四諦慧聖行即 是十信住。次無生四真諦聖行、即是十住位。次無量四聖諦、即 是十行住。次明修一賓諦無作四聖諦、即是十週向位。次若後真 見一賓諦、謹無作四聖諦、即是聖行満住。無畏地得二十五三味、 能破二十五有。名歓喜地。五行具足。而説十功徳者、恐此表住 大浬繋十地之功徳也。過此明住大浬襲、即日疋妙畳地也。 内 毛 U すなわち、﹃法華玄義﹄は別教﹁大樹位﹂を締め括るに当たり、﹃浬繋経﹄所説の菩薩が実践する五種類の行法、 所謂る聖行、党行、天行、嬰児行、病行という﹁五行﹂の立場から十信、十住、十行、十廻向、十地、等覚、妙 覚との関係を述べ、最後に七位を個別的解釈することについては、対照表上段の文字国の﹁余本﹂に詳説を譲つ

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て い る 。 この﹁余本﹂とは、天台第六祖刑渓湛然(七一一-│七八二)の﹃法華玄義釈簸﹄に﹁聴下往す四教本ノ中-一 ⑫ 尋どとあるので、智顕が最晩年に著した﹃四教義﹄とみて間違いないが、この﹃法華玄義﹄が譲った﹃四教 義﹄の箇所にこそ、これまで指摘されてこなかった遮門十妙の第三コ汀妙 L と本文的一致を見せることとなるの で あ る 。 天台大姉における fi去帯ミ主義J f行妙」の形成

寸法華玄義﹄﹁行妙﹂と﹃四教義﹄との本文的関連

@ そもそも﹃四教義﹄は、別教行住を①﹁経論出判別教菩薩ノ位ノ不同寸﹂、②﹁総ンテ明司別教行位ご、③﹁歴別解 @ @ 釈 ス ﹂ 、 ④ ﹁ 約 一 ザ テ 別 教 位 一 -釈 司 浄 無 垢 称 住 ↓ ﹂ の 四 意 に よ っ て 明 ら か に し て お り 、 ﹃ 法 華 玄 義 ﹄ の 別 教 ﹁ 大 樹 位 ﹂ に 参照される﹃四教義﹄の箇所は①及び②の途中までである。そして﹃法華玄義﹄﹁行妙﹂段は、﹃四教義﹄の③ ﹁歴別解釈﹂と大いに本文上の一致が確認されてきたので、以下にまず別教﹁五行﹂解釈の第一 ヮ “ q a ﹁ 聖 行 ﹂ を 両 書 によって対比させてみたい。 @ ﹃法華玄義﹄巻第三下 @ ﹃ 四 教 義 ﹄ 巻 第 九 又 更 稜 願 。 願一切衆生得護持禁戒、得清浮成、普戒、一又復護持性重戒、息世識嫌戒等無差別。如是持戒施輿一切 不快戒、不析戒、大乗戒、不退戒、随順戒、畢寛成、一衆生。願一切衆生令得禁戒、善清浮戒、普戒、不快戒、不 具足諸波羅蜜戒。以此十願防護衆生。菩薩一持戒心、一折戒、大乗戒、不退戒、随順戒、畢寛戒、具足成就諸波羅 若干願行以荘厳戒。 諸飴行心亦臆如是。

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﹁ 聖 行 品 ﹂ 所 ここは﹁聖行﹂を戒定慧の三学に分ける﹁戒聖行﹂の筒所である。二書とも﹃浬繋経﹄巻第十一 説の護持禁戒、清浄戒、普戒、不欠戒、不析戒、大乗戒、不退戒、随順戒、畢寛成、具足成就波羅蜜戒の十戒を @ 挙げるため、この本文自体は智顕独自の文章とはいえないものの、﹃四教義﹄が第十﹁具足成就諸波羅蜜戒﹂と 呼んでいるのを、現行の﹃法華玄義﹄は﹁具足諸波羅蜜戒﹂と略称していることがわかる。 次に﹃法華玄義﹄及ぴ﹃四教義﹄における﹁定聖行﹂の箇所を見てみよう。 天台大師における ri;l<事玄義J r行妙」の形成 ⑨ ﹃法華玄義﹄巻第四上 八背捨名云云。:::中略:::次除初皮肉。諦 観白骨、見骨色相異。謂青黄白鵠。知是骨相亦 復無我。得此観時、名欲界定。次観骨車問時、見 此大地東西南北悉皆青相。黄白鵠色亦復如是。 此是未到之相。又観骨人眉間出光、光中見併、 是初背捨成相。知是次第乃至八背捨設相、具知 蹄門云云。 又 『 修 四 八│教 背│義 捨

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観 巻 締 第 。 九 @ 除御皮肉。諦観白骨、見骨色 観 身 内 外 不 浄 、 所謂青黄白色鵠色。 知是骨相亦復無我。得観締欲界之定。

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133-菩薩爾時次第観骨。 観 青 骨 時 、 見此大地東西南北悉皆青相。黄 白鵠色亦復知固定。此即是得観蹄未到地定成也。又云、作是観時、 光中見働、是為初背捨。乃至成就 眉間則出青黄赤白鵠等色光、 八 背 捨 。 八背捨の臼骨観を論じる箇所においても、﹃法華玄義﹄は﹃四教義﹄の本文とよく一致を見せている。ただし、 ﹃法華玄義﹄の文末には﹁具さには禅門の如し﹂と述べて、智額前期時代を代表する著作﹃次第禅門﹄にその詳 るだけに過ぎず、 説を譲っているが、対照表を一見しても明らかなように、﹃法華玄義﹄は﹃四教義﹄の文をそのまま転用してい その後﹃次第禅門﹄の書名が記されることは、潅項の編集作業の一端を窺う上で十分注目され

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て よ い 。 そればかりか、﹃法華玄義﹄における寸聖行﹂以外の﹁党行﹂﹁天行﹂﹁嬰児行﹂﹁病行﹂を﹃四教義﹄と比較し てみても、次の如く﹃四教義﹄とほぽ全文一致することが分かってきた。 天台大師における『法曹玄義J r行妙Jの形成 ﹃ 法 華 玄 義 ﹄ 巻 第 四 均 ﹃ 四 教 義 ﹄ 巻 第 均 二党行者、究者浮也。無二漣愛見謹得、名之為浮。二明党行者、即日疋無縁慈悲喜捨。菩薩以大浬般市心修於聖行 以此浮法奥抜衆生。即是無縁慈悲喜捨也。菩薩以大一得無畏地、有二十五三昧無方大用。爾時慈悲是真党行。非 浬繋心修於聖行、得無畏地、具二十五三昧無方大用。一徐党天所修四無量心、亦非三離教通教等衆生縁法縁之慈悲 爾時慈悲是真党行。非除党天所修四無量心、亦非三一也。菩薩爾時以此慈悲無縁無念、薫修衆生行、無不成排。 戴通教衆生縁法縁等慈悲也。以今慈悲喜捨黒修衆行、一此之党行即是一切法。故浬繋経一去、慈即知来、悲聞偽性。 無不成輔。大経云、若有人問、誰是一切諸善根本、一慈若不具足偽十力三十二相四無畏者、非知来慈故。智力弘 嘗言慈是。慈既日疋行本故言党行。若依国語亦如大経。一深能具足一切福徳、以自荘厳名党行也。 慈即如来、慈即偽性。慈若不具悌十力四無所畏三十一 二相者、是聾聞慈。若具足者是加来慈。是慈即是大一 法来、是慈即是大浬襲。慈力弘深具一切福徳荘厳、一 故 名 党 行 。 一 @ @ ﹃ 法 華 玄 義 ﹄ 巻 第 四 上 一 ﹃ 四 教 義 ﹄ 巻 第 十 三天行者、第一義天。天然之理、此語道前。由理成一三明天行者、即是中道第一義天。天然之理、籍行額理因理 制、此語道中。由矧瑚鯛、此語道後。今約由理成行、一刷矧、制名理為珂制。割閣制刈制刷、制刷羽岡倒。以有所

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-天台大師における r法華玄義J r行妙」の形成

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135-天台大師における『法事玄義J r行妙Jの形成 則大悲薫心。是故我病。或遊戯地獄、或作畜生形、生病。是故我病。大悲蕪心遊戯地獄、同衆生悪業之病。如 化身作餓鬼等、悉是同悪業病。知調達等。又示有父一調達在地獄。如三蹄柴。乃至畜生餓鬼筒羅亦知是。又同人 母妻子金鋪馬奏寒風索衣熱病求礼、此示人天有結業、一天有結業、生老病死之病。又同二乗有見思之病。方便附近 出剥制刻刻刷。又一不道場三十四心断結、一不同二乗見一謝制馴例。寸詞剃剖剃割固刑制刷用。刻剛刷樹園例制剛刻刷。 刷刻刷。刻倒附組制制劃制。ヨ劇剖剃割闘刑制削刻。一剥制割闘還同彼病、遍於法界利益衆生。是為到矧之相也。 又同別教寂滅道場初断塵沙無明之病。是故菩薩悉同 彼病、遍於法界利益衆生。次第五行寛。 このような本文的一致の結果、﹃法華玄義﹄第三﹁行妙﹂も第四﹁位妙﹂と同様、智顕親撰の﹃四教義﹄と大 いに関連していることが明白となった。しかし、それは﹃法華玄義﹄の講説当初から別教における﹁五行﹂解釈 n o q J が存したという論拠にはならず、むしろ本疏の編集者である潅項が智顕親撰の﹃四教義﹄巻第九から巻第十に説 かれる別教行位の③﹁歴別解釈﹂を参考にして法門第三﹁行妙﹂を形成させたと考えるのが最も妥当な見解であ ろ 、 7 0 現行の﹃法華玄義﹄巻第三下から巻第四上に見られる別教﹁五行﹂解釈と﹃四教義﹄の別教﹁歴別解 釈﹂を対照してきたが、次項では﹃法華玄義﹄における円教﹁五行﹂解釈に対して、些一か検討を加、えてみたい。 以 上 、

の 円 教 ﹁ 五 行 ﹂ 解 釈 は 智 顛 真 説 か 円教﹁五行﹂解釈は周知の知く、﹃浬般市経﹄の﹁如来行﹂と﹃法華経﹄の﹁安楽行﹂を同一視し、聖行、先行、

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天台大師における『法華玄義J r行妙Jの形成 @ 天行、嬰児行、病行の﹁五行 L を主に﹃法華経﹄巻第四﹁法師口問﹂の加来の入室、著衣、坐座を述べる﹁弘経の 三軌﹂などによって理解していくことである。すなわち、﹃浬繋経﹄巻第十一﹁聖行品﹂の﹁復タ有叫一行↓ 是レ如来ノ行ナーリという文に対して、﹃法華玄義﹄は以下のようにいっている。 此 ノ 経 -明 司 ト ハ 安 集 行 サ 者 、 安 難 ヲ 名 押 浬 襲 叶 。 即 チ 是 レ 園 果 ナ リ 。 行 ハ 即 チ 園 因 ナ リ 。 輿 = 浬 襲 叶 義 同 シ キ ヵ 故 -一 、 構 勾 知 ・ 来 ノ 行 叶 。 入 室 著 衣 坐 座 ヲ 悉 タ 稽 勾 ル ハ 如 来 4 r 、 此 レ ハ 就 比 テ 人 -為 川 語 ヲ 。 : : : 中 略 : : : 二 経 ノ 義 同 シ キ ナ リ 也 。 浬 繋 ユ ハ 列 斗 テ 一 行 ノ 名 サ 、 而 庚 タ 解 司 次 第 ノ 五 行 サ 。 法 華 ユ ハ 標 ラ 安 柴 行 サ 、 贋 ク 解 勾 固 意 サ 。 今 、 依 可 法 華 一 -、 稗 で 固 ノ 五 行 サ 、 五 行 ハ 在 つ 一 心 ノ 中 一 -、 具 足 シ テ 無 づ 快 タ ル コ ト 名 ヲ 知 来 ノ 行

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大 正 蔵 ﹄ コ = 一 了 七 二 五 中 ) ここでは、﹃浬襲経﹄の﹁加来行﹂と﹃法華経﹄の﹁安楽行﹂に相違なきことを述べるものの、﹃浬繋経﹄は ご行﹂と名づけて次第の﹁五行﹂を説き、﹃法華経﹄は﹁安楽行﹂を立てて不次第(円)の意を明らかにする という。また、﹃法華経﹄によって円の﹁五行﹂を解釈すれば、聖行、党行、天行、嬰児行、病行の﹁五行﹂は

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137-すべて一心の中に具足され、 一行も欠けることのない様を﹁加来の行﹂と名づけている。 さて、現行の﹃法華玄義﹄には別教及び円教における﹃浬繋経﹄﹁五行﹂解釈が述べられているので、当然こ の両学説は天台大師による開皇十三年(五九三)の﹃法華玄義﹄講説時で既に語られていたと見なすべきである のに、開皇十五年(五九五)に智額自らが撰述した﹃四教義﹄に別教﹁五行﹂解釈しか説かれないのは、どのよ うに理解すべきであろうか。言い換えれば、開皇十三年の時点で智額に円教﹁五行﹂解釈を講説するだけの思想 的な準備があったかどうかを確かめねばならないわけである。 そこで筆者は、円教﹁五行﹂解釈が﹃浬繋経﹄﹁加来行﹂と﹃法華経﹄﹁安楽行﹂や﹁弘経の三軌﹂を密接に結 び付けるという思想内容に基づき、﹃法華玄義﹄以外の智顕親撰及び真撰の書を詳細に検討してみたところ、現 行﹃摩詞止観﹄巻第三之下﹁偏円 L の第四﹁明漸領﹂には、以下のように述べられていた。

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園 ノ 観 っ 正 直 -捨 苛 テ 方 便 サ 但 タ 説 司 ト 無 上 道 サ 、 唯 タ 此 ノ 一 事 ノ ミ 賞 ニ シ テ 徐 ノ 一 一 ハ 則 チ 非 同 ト 真 -一 、 説 寸 最 賓 ノ 事 寸 。 是 レ ヲ 名 司 教 ノ 賓 叶 。 行 司 ト 如 来 ノ 行 サ 、 入 叫 如 来 ノ 室 一 -衣 座 等 ト 、 復 タ 有 叫 一 行 ↓ 固 定 レ 如 来 ノ 行

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固 定 レ ヲ 名 司 行 ノ 賓 叶 。 所 w 見 ル 中 道 ハ 即 チ 一 究 覚 ナ リ 、 同 一 寸 一 シ テ 於 知 来 ノ 所 w ル 法 身 叶 無 異 鉱 山 別 ナ リ 。 是 レ ヲ 名 司 誼 ノ 賓 吋 。 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 四 六 ・ 三 三 上 ) すなわち、円教の止観が教行証全てにおいて実を明かす中、行実では﹃法華経﹄の﹁加来の入室、箸衣、坐 座﹂と﹃浬繋経﹄ ﹁如来行﹂が並記されていたのである。 の 天台大師における r法事玄義J r行妙」の形成 しかしながら、智額が﹃法華玄義﹄講説の翌年(五九四)に剤州玉泉寺で講説した﹃摩詞止観﹄は、門人潅項 によって聴記本、整理本、修治本、再治本と次第に纏められ、現行﹃摩詞止観﹄は大業三年(六

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七)から貞観 @ 六年(六三二)までの聞に現行形態が整ったと考えられている。つまり、本書は、﹃法華玄義﹄と同様、智顕講 説当初の筆録書ではなく、智顕の講説を門人の潅項が再三再四にわたって修治添削したものであるため、本書の すべてを智顕真説と見なすことはできない。ところが、佐藤博士の研究によれば、智顕親撰﹃観心論﹄の注釈書 @ である潅項自撰﹃観心論疏﹄には、智額講説当初の聴記本に近い﹃摩詞止観﹄が長文で引用されていると考えら れており、この﹃観心論疏﹄依用の﹃摩詞止観﹄﹁陰入界境﹂の﹁破法遍﹂には、﹃浬襲経﹄の﹁知来行﹂と﹃法 華経﹄の﹁安楽行﹂﹁知来の入室、著衣、坐座﹂を密接に関連させて次のようにいっている。 又 タ 固 守 一 観 ニ 心 ス ル ハ 十 界 平 台 、 悌 界 ハ 即 チ 法 身 ノ 徳

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。 亦 タ 聞 チ 加 来 ノ 衣 ナ リ 。 二 乗 界 ハ 固 定 レ 第 一 義 空 ナ リ 。 即 チ 般 若 ノ 穂 ナ リ 。 亦 タ 即 チ 加 来 ノ 座 ナ リ 。 菩 薩 界 ハ 聞 チ 是 レ 解 脱 ノ 徳 ナ リ 。 亦 タ 即 チ 如 来 ノ 室 ナ リ 。 是 レ ハ 則 ゴ 二 一 億 成 司 大 浬 繋 サ 。 名 ヶ テ 為 司 ナ リ 安 難 行 叶 。 加 来 ノ 衣 座 室 ノ 三 ハ 是 レ 知 来 ノ 之 園 行 ナ リ 。 此 ノ 行 ハ 是 レ 浬 繋 ノ 行 ナ ル ヵ 故 -一 名 可 ナ リ 安 難 行 4 r 也 。 浬 繋 鰹 -一 云 夕 、 復 タ 有 叫 一 行 目 。 是 レ 知 来 ノ 行 ナ リ ト 。 斯 ノ 之 謂 レ ナ リ 也 。 故 ュ 知 ヌ 、 園

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観 二 心 ス ル ハ 十 界 寸 者 、 即 チ 是 レ 常 -観 司 ト 浬 襲 ノ 行 道 ↓ 、 行司ト知来ノ行サ。固定レ安難行ナリ也。然ラハ三徳ハ即チ三般若、三浬襲、乃至十種三法ナリ。園

2

具官十法界之蹴ハ 中

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也 。

-

138-(﹃大正蔵﹄四六・六一五中

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下 )

(15)

傍線部を見ると明らかなように、ここでは仏界、二乗界、菩薩界の三界に法身、般若、解脱の三徳と入室、著 衣、坐座の三軌が数法的に配釈されており、加来の円行たる﹃法華経﹄の﹁安楽行﹂及ぴ﹁弘経の三軌﹂が﹃浬 繋経﹄巻第十一 ﹁聖行口問﹂の﹁復タ有三行↓是レ知来ノ行ナリ﹂と関連していることが知られる。 現行の﹃摩詞止観﹄と﹃観心論疏﹄依用の﹃摩詞止観﹄には、共通して円行を﹃浬繋経﹄と﹃法華 経﹄で立証していたので、説かれる段落に異なりはあっても、両書が同様の趣意を論じていることは、﹃摩詞止 す な わ ち 、 天台大師における『法華玄義J r行妙Jの形成 観﹄講説時に﹃法華経﹄﹁安楽行﹂﹁弘経の三軌﹂と﹃浬繋経﹄﹁如来行﹂を結び付ける思想があった一証左とな ろ 、 っ 。 @ @ また﹃浬繋経﹄と﹃法華経﹄との連関関係は、智顕が天台隠棲時代(五七五五八五)に述作したとされる ﹃天台小止観﹄(以下、﹃小止観﹄と略す)の最終項﹁証果﹂にも次のようにある。 若 シ 住 ロ レ ハ 此 ノ 観 一 一 、 : : : 中 略 : : : 若 シ 自 然 ニ 流 二 入 ス レ ハ 薩 婆 若 海 一 一 、 聞 チ 是 レ 行 司 ン 知 来 ノ 行 ↓ 。 若 シ 行 司 レ ハ 知 来 ノ 行 寸 即 チ 是 レ 入 巧 ン 如 来 ノ 室 一 一 。 若 シ 入 て 如 来 ノ 室 一 一 、 即 チ 是 レ 著 す 知 来 ノ 衣 ↓ 。 若 ン 著 立 レ ハ 如 来 ノ 衣 サ 、 即 チ 是 レ 坐 す 如 来 ノ 座 一 一 。 若 シ 坐 で 知 来 ノ 座 一 一 、 即 チ 是 レ 以 巧 如 来 ノ 荘 厳 サ 而 モ 白 ラ 荘 厳 セ ン 。 (関口真大﹃天台小止観の研究﹄(理想社、昭和二九年)﹁定本天台小止観﹂三六二) Q d 守 d 唱 i ここでは、行者が﹁中道正観﹂によって﹁薩婆若海に流入す﹂﹁知米の行を行ず﹂﹁知来の室に入る﹂﹁如来の 衣を著す﹂﹁如来の坐に座す﹂﹁如来の荘厳によって自らを荘厳する﹂などといった証果が列挙されている。 もっとも﹃小止観﹄が説く﹁中道正観﹂とは、﹃摩詞止観﹄における円融相即の不次第観ではなく、別教所談 の隔歴次第の三観であり、本書は﹁禅﹂の一字で一切仏法を摂める﹃次第禅門﹄から﹁止観﹂によってそれを統 摂する﹃摩詞止観﹄ へと展開する過渡期的書物として住置付けられるものである。 ところが、﹃小止観﹄の三観思想が隔歴次第を述べるとはいえ、第十﹁証果﹂に﹁如来行﹂と﹁弘経の三軌﹂

(16)

とを同時に示していることは極めて興味深く、この学説を円融相即の不次第観へと発展させたのは、前掲の﹃観 心論疏﹄﹃摩詞止観﹄の記述や次に紹介する﹃法華玄義﹄の円教﹁五行﹂解釈といえよう。 観 心 ノ 園 ノ 五 行 ト ハ 者 、 上 来 ノ 園 行 ハ 、 不 ν す 遠 求 づ 即 川 テ 心 -一 而 モ 是 ナ リ 。 一 切 諸 法 ノ 中 悉 ク 有 司 安 集 ノ 性 ↓ 即 チ 観 立 ル ヲ 心 性 ハ 即 空 即 仮 即 中 ナ り 。 五 行 三 諦 一 切 悌 法 ハ 即 け テ 心 -而 モ 具 ス 。 初 心 ェ 如 吋 此 ノ 行 以 如 来 ノ 行 サ 。 心 性 サ 名 ヶ テ 為 以 上 定 叶 。 ( ﹃ 大 正 蔵 ﹄ 一 三 一 了 七 二 六 上 ) 天台大師における r法事玄義J r行妙」の形成 すなわち、円の五行とは、対境として遠くに求めるものではなく、必ず自らの心に即して把捉せねばならず、 心の本性とは即空即仮即中であるから、行者の心には五行・三諦・一切仏法が具足され、こうした如来の行を初 心に行ずることこそ、観心の円の五行であると﹃法華玄義﹄は主張している。 以上、﹃法華玄義﹄の円教﹁五行﹂解釈の内容に基づきながら、親撰﹃小止観﹄、智顕講説当初の聴記本に近い とされる﹃摩詞止観﹄(﹃観心論疏﹄)、現行﹃摩調止観﹄を詳しく検討してきたが、この三書は共通して﹃浬繋

-

140-経﹄寸知来行﹂と﹃法華経﹄﹁安楽行﹂及び﹁弘経の三軌﹂とを密接に連関させていたので、円行に関する議論は 天台大師に円教﹁五行﹂解釈を ﹃ 法 華 玄 義 ﹄ の円教﹁五行﹂解釈だけでないことが分かってきた。したがって、 語るだけの思想的な準備はすでに開皇十三年(五九三) の﹃法華玄義﹄講説時に認められてよいのではなかろう か

叙上の如く、筆者は﹃法華玄義﹄﹁行妙﹂段の別教・円教における﹃浬繋経﹄寸五行﹂解釈に対して慎重な本文 考証を試みてきたが、これまでの要点を箇条書きにすると次のようになる。

(17)

① ② 古来より智顕親撰﹃四教義﹄や吉蔵撰﹃法華玄論﹄が﹃法華玄義﹄に与えた影響は、すでに多くの先学に よって指摘されてきたが、﹃法華玄義﹄巻第三下から巻第四下に説かれる漣門十妙の第三﹁行妙﹂段につい ては、これを天台大師独自の学説として誰も疑いを差し挟むことはなかったのである。 ところが、﹃法華玄義﹄の﹁行妙﹂段を詳しく検討してみると、別教における﹁五行﹂解釈は、﹃四教義﹄ 巻第九から巻第十に見られる別教﹁歴別解釈﹂を大いに参照していたので、潅項は﹃法華玄義﹄の﹁行妙﹂ 段を筆録整理する際、﹃四教義﹄を有力な指南書としていることが判明してきた。 天台大師における円去華玄義J r行妙」の形成 ③また、智額最晩年の親撰﹃四教義﹄には、円教義による﹃浬繋経﹄﹁五行﹂解釈が一切見られないことや ②における別教﹁五行﹂解釈の形成事情などを勘案すれば、﹃法華玄義﹄の円教﹁五行﹂解釈の智頭講説事 実に関して再度検討せねばならなくなってきたのである。 a a z 唱 i ⑤ すなわち、﹃法華玄義﹄の円教﹁五行﹂解釈は、主に﹃浬般市経﹄﹁如来行﹂を﹃法華経﹄﹁安楽行﹂及ぴ ﹁弘経の三軌﹂によって論じているが、その思想は天台隠棲時代(五七五 1 五八五)の親撰﹃小止観﹄、開 皇十四年(五九四)講説の﹃摩詞止観﹄(﹃観心論疏﹄依用の﹃摩詞止観﹄をも含む)などにも見られるため、 開皇十五年(五九五)に智額自らが撰述した﹃四教義﹄に円教﹁五行﹂解釈が説かれないからといって、天 台大師に円教﹁五行﹂解釈の講説がなかったと即断することはできない。 無論、本稿は﹃法華玄義﹄における円教﹁五行﹂解釈の一部分を検討しただけで、﹁行妙﹂段の円教義全 てに客観的な論拠を提示してきたわけではない。 しかしながら、予てより佐藤・平井両博士などによってなされてきた﹃法華玄義﹄の本文批判を考える時、 ④ ⑥ 本小論における﹃法事玄義﹄﹁行妙﹂段の検証は、今後無視することのできない極めて重要な問題となって / 、 ヲ 匂 。

(18)

⑦ したがって、こうした現前の事実に敢えて結論を下しておくならば、智顔滅後に﹃法華玄義﹄ の現行形態 を整えた潅項は、別教﹁五行﹂解釈を﹃四教義﹄﹁歴別解釈﹂の文によって纏め上げているが、﹃浬襲経﹄ ﹁如来行﹂と﹃法華経﹄﹁安楽行﹂﹁弘経の三軌﹂を同一視する円教﹁五行﹂解釈の基本的な考え方は、智額 親撰﹃小止観﹄、﹃観心論疏﹄依用の﹃摩詞止観﹄、現行の﹃摩調止観﹄などにも明かされるのだから、天台 大師に﹃法華玄義﹄の円教﹁五行﹂解釈を講説する思想は十分にあったと考えるべきであろう。 天台大師における『法曹玄義J r行妙」の形成 註 ①佐藤哲英﹃天台大師の研究﹄第三篇﹁天台三大部の研究﹂第二章﹁法華玄義﹂(百事苑、昭和三六年、三

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頁)を参照 ②本稿では、佐藤哲英博士の研究に従って、智顕が直接筆を執ったものを親撰、智顔の講説を門人が筆録したものを 真撰と厳密に区別して使用する。(佐藤哲英﹃天台大師の研究﹄、七三 i 七 六 頁 ) ③佐藤智英﹃天台大師の研究﹄第三篇﹁天台三大部の研究﹂第二章﹁法事玄義﹂第六節﹁吉蔵の法華玄論との関連﹂ ( 一 一 二 九 i 三二四頁)や平井俊栄﹃法華文句の成立に関する研究﹄第一篇﹁序論智額と吉蔵│経典註疏をめぐる諸 問題﹂第三章﹁﹃法華玄義﹄と﹃法華玄論﹄﹂(春秋社、昭和六

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一 l 一 三 九 頁 ) を 参 照 。 な お 、 ﹃ 法 華 玄 義 ﹄ 巻第二上﹁釈名﹂章の﹁相待・絶待の二妙﹂の名目については、藤井教公﹁天台と三論の交流│潅項の﹃法華玄義﹄ 修治と吉蔵﹃法華玄論﹄をめぐって│﹂(鎌田茂雄博士還暦記念論集﹃中国の仏教と文化﹄所収、大蔵出版、昭和六 三 年 、 一 四 一 1 一六五頁)、菅野博史﹃中国法華思想の研究﹄第三章﹁経題﹁妙法蓮華経﹂の解釈﹂第一節﹁妙の解 釈 ﹂ 一 一 一 ﹁ 相 待 妙 と 絶 待 妙 ﹂ ( 春 秋 社 、 平 成 六 年 、 五 四 五 i 五五九頁)、花野充道﹁智顕の仏身論の素材の構造│﹃法華 文句﹄の文献的価値について│﹂(﹃印度哲学仏教学﹄第十四号、平成十一年、二三一 l 二四五頁)でかなり詳しく述 べ ら れ て い る 。 ④佐藤哲英﹃天台大師の研究﹄第三篇﹁天台三大部の研究﹂第二章﹁法華玄義﹂第八節﹁大本四教義との本文的関 連 ﹂ ( 三 二 六 1 三 三

O

頁)を参照 ⑤﹃法華玄義﹄は、他にも﹃次第禅門﹄や散逸文献﹃四悉檀義﹄を参照していることも指摘されている。(佐藤哲英

(19)

qj妙Jの形成 天台大師における『法華玄義』 ⑦ ⑥ 長 長 夫 長 長 夫 元 ; 長 長 長 長 長 夫 長 夫 コ 足 元 ; コ 足 佐 逗 福 佐 三 天 藤 島 藤 二 台

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(20)

天台大師における r法務玄義J r行妙Jの形成 @﹃大正蔵﹄一二三・七一七上 i 中 @﹃大正蔵﹄四六・七五三下 @﹃大正蔵﹄十二・六七五上 @﹃大正蔵﹄コ三了七一九中 l 下 @﹃大正蔵﹄四六・七五三下 1 七五四上 @﹃大正蔵﹄一二三・七二四上 1 中 @﹃大正蔵﹄四六・七五八中 @﹃大正蔵﹄コヲ了七二田中 @﹃大正蔵﹄四六・七五八中 l 下 @﹃大正蔵﹄コ=一了七二四中 @﹃大正蔵﹄四六・七五八下 @﹃大正蔵﹄一二三・七二四下 @﹃大正蔵﹄四六・七五九上 ⑩﹃大正蔵﹄九・三一下 @﹃大正蔵﹄十二・六七三中 r @佐藤哲英﹃天台大師の研究﹄第三篇﹁天台三大部の研究﹂第四章﹁摩詞止観﹂(三六四 l 四

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頁)を参照 @﹃観心論疏﹄の撰述年は不明であるが、本疏は仁寿二年(六

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三年)から大業元年(六

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五)の聞に成立したと考 えられている。(佐藤哲英﹃統天台大師の研究﹄第三篇﹁天台智顕をめぐる諸問題﹂第三章﹁観心論疏にみる止観の 原初形態﹂(百事苑、昭和五六年、三五七 1 三七九頁)を参照) ⑭佐藤哲英﹃天台大師の研究﹄第一篇﹁天台智顔の生涯と著作﹂第二章﹁智鎮の生涯と時代区画﹂(二四 i 二 七 頁 ) を参照 @佐藤哲英﹃天台大師の研究﹄第二篇﹁前期時代著作の研究﹂第八章﹁小止観﹂(二四一 1 二六五頁)を参照

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144-キーワード 智 類 、 潅 項 、 ﹃ 法 華 玄 義 ﹄ 、 ﹃ 四 教 義 ﹄ 、 行 妙

参照

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