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駒澤大学佛教学部論集 30 011伊藤 良久「永光寺・總持寺、両教団勢力の消長」

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全文

(1)

は じ め に 一

 

永 光 寺 教 団   】 ー 一   瑩 山 在 世 中 の 寺 院 運 営   一 − 二

 

瑩 山 示 寂 後 の 寺 院 運 営   一

二   輪 住 の 儀 礼 化 二

 

總 持 寺 教 団   ニ ー 一   峨 山 の 寺 院 運 営   二 ー 二   峨 山 示 寂 後 の 寺 院 運 営   二

二   外 護 者 と 寺 領 三   両 寺 の 教 団 勢 力 の 比 較   三 ー 一   勢 力 逆 転 の 要 因 お わ り に は じ め に 日

旨 を 示 し た の は

元 で あ り 、 教 団

    駒 澤 大 學 佛 教 學 部 論 集 第 三 十 號   卒 成 十 一 年 十 月 礎 を

り 上 げ た の は

山 で あ る 。

元 開 山 の 永 平 寺 ( 福 井 県 永 平 寺 町 ) が 「

山 」 、 瑩 山

山 の 總

( 石 川 県 門 前 町 、 神 奈 川 県 横 浜 市 ) が 「 寺 統 の

山 」 と

ば れ る

以 で あ る 。 こ                                             ( 1 ) こ で

の 趨 勢 を 見 て み る と 次 の よ う で あ る 。 ( )

。 「 r : − : : − 〈 永 平 寺 系 七 % 〉 : − : − : 」 「 〈 總 持 寺 系 九 三 % 〉 :   こ れ を 見 れ ば

洞 宗 が 、

を 展

と し た 瑩 山

下 に よ っ て 発 展 し た と

か る 。 し か し

の 瑩 山 が

下 の

心 た る べ く

し た の は こ の

持 寺 で は な く 永 光

( 石 川 県 羽 咋 市 ) だ っ た の で あ る 。                                   三 一 一

(2)

永 光 寺 ・ 總 持 寺 両 教 団 勢 力 の 消 長 ( 伊 藤   本 論 で は 、 次 の よ う な こ と を 明 ら か に し た い 。 永 光 寺 は

創 の

の 羽 咋 地 域 の 支 配

か ら

を 受 け、 そ の

末 が

心 に 教

っ て い た 。 永 光 寺

団 は 、 瑩 山

派 の

と し て 一 大

し て い た の で あ る 。 し か し 總 持 寺 を

心 と す る 峨 山 派 の

的 な 教 線 拡 大 に よ っ て 總

教 団 が

頭 し 、

第 に 永 光

・ 總

寺 の 両 教 団 形

が 逆

す る 。 こ の 転 換

が → 五 世 紀

で 、 そ の 後 の 曹 洞 宗 の 全 国 展 開 は 、

光 寺 で は な く

導 の も と で 成 し 遂 げ ら れ た 。 以 上 の よ う な こ と で あ る 。   一 、 永 光

教 団 で は 、 永

の 教

姿

と 、 そ の 教 団

を 明 ら か に し た い 。

営 基 盤 や 、 寺 院

を も と に こ れ を

べ た い 。 こ れ ま で

か ら 、 往

教 団 の

を 明 ら か に し た

い と は 言 え な い の で    

 

                             

 

  ロ ヱ 地 方 史 か ら の 研

な ど も

考 に し て

を 進 め た い 。 二 、

教 団 で は 、 永 光

に 寺 院

や 制 度 を も と に 總 持 寺 に    

 

              ヨ ソ つ い て 述 べ て い き た い 。 三 で は 、

の 教 団 勢 力 を 比 較 し 、

力 逆 転 の 要

え た い 。   こ れ ま で 筆 者 は 、

に お け る

と 總 持

に    

 

                        ざ つ い て 、 個 別 の 研 究 を

っ て き た 。 こ こ で は 両

を 比 較 検

し な が ら 二 つ を

わ せ 、

力 の

り 変 わ り 、

を 考 察 し た い 。 「

 

永 光

団 一

1

 

山 在 世

院 運

三 一 二   瑩 山 は 正 和 元

( 一 三 = じ

保 中 河 の 地 頭 酒 勾 八 郎

親 の 嫡 女 黙

祖 忍 と 、 そ の 夫 海 野 三

の 両 人 よ り 土 地 の

を 受 け て 、 翌 正

二 三 ) こ こ に

の 草

を 結 ぶ 。 さ ら に 文

元 年 ( 一 三 → 七 ) 祖 忍 が 兄

基 の 死 に 際 し

と 彼 女 の

上 菩 提 の

に 亡 父 の 屋

を     す ソ

進 し

山 は こ れ を 方 丈 と 為 し て 洞 谷 山

付 け た 。   こ こ で

の 社 会

れ ば

数 の 公 領 や 荘 園 に 取 り

ま れ 、 そ の 地 を 基 盤 と す る

ま た              

 

   

 

   

 

   

 

                ぢ  

北 朝 の

が 羽

地 域 に も 及 ん で お り

な 状 況 で あ っ た 。 こ の 様 子 を

創 の

縁 も 含 め て 図 示 す る と

の よ う に な る 。 な お

は 姻

、 二 重 線 は

係 を 示 す 。 得

卜 = 酒

利 忠

保 の 土 地

三 階 氏 「 吉 見 氏 : − 酒 勾 氏 「

頼 親

屋 敷 瑩 山 へ 寄 進 ( 永 光 寺 開 創 )

(3)

  ま ず 、 得 田 氏 は

( 石 川 県 志 賀 町 北 東 部 ) を

拠 と す る 地 頭 で

発 領 主 系 の

す る 有 力 者 で 、 酒

氏 は そ の                                     ハ     一 族 で 酒 井

( 羽 咋 市 酒 井 町 ) の 地

で あ る 。

見 氏 は = 二 世

ば ま で に 、 武

よ り 能 登 へ 分 立 し て 入 部 し た 御

人 で 、

近 辺 の 志 々 見

( 同 市 志 々 見 ) を は じ め

辺 を

し て い た よ う で あ る 。

氏 は そ の 一 族 に あ た り

の           ( 8 )

頭 で あ る 。 ま た

氏 は

両 氏 と 深 い

を 持 つ 湊

( 邑 知 潟 の 南 ) の 武 士 で 、 後 に 峨

の 法 嗣 と な る

韶 や

韶 の

で も あ る 。 こ の よ う な 在 地

忍 尼 が

山 へ の 絶 対 的 な

依 心 を も っ て

う の で あ る 。 永 光

は も ち ろ ん 祖 忍 尼 の 清

心 に よ っ て 開 創 さ れ た 。 し か し 、 当 時 の

妙 な 様 子 を 考 え れ ば 、

し て い る 地

力 者 達 が

互 に

争 を 起 こ し て 分

し た り す る こ と を 防 止 す る 為 の 宗

と し て 、 ま た

ら を

さ せ る 精 神 心 な 拠 り 所 と し て 、

光 寺 が 建 立 さ れ た の で は な い だ ろ う か 。   こ こ で

忍 が 寄 進 し た

領 酒 井

の 石

に つ い て

        〔 9 > 原

忠 譲 状 」

 

二 三 〇 四 年 ) に は 、     譲 渡   能 登 国 酒 井 保 内 屋 敷 名 田 等 事       合 屋 敷 壹 所、 中 村 田 壹 丁、         田 一 所 百 五 十 刈 屋 敷 南     ー 中 略

1

永 光 寺 ・ 總 持 寺 両 教 団 勢 力 の 消 長 ( 伊 藤 )       嘉 元 二 年 九 月 六 日   左 衛 門 尉 利 忠 と あ る 。

は 酒

利 忠 が 、 酒 井

の 屋 敷 ・

田 を そ の

し た こ と を 示 す も の で あ る 。

に は 「 田 一

刈 」 の よ う に

田 か ら の

量 が

さ れ て お り 、 こ れ                                                 ( 10 ) を 合 計 す る と 一 〇 〇 〇 刈 ( 凵 束 ) つ ま り 一 〇 〇 石 で あ る 。                                       ( 11 )   そ れ 以

領 に つ い て 「

注 文 」

 

= 三 一 三 年 ) に は 、     洞 谷 文 書 注 文    

i

中 略 ー     ] 、 湊 五 段 七 田 寄 進 状 一 通 、 入 常 住 僧 食     一 、 安 奴 三 段 三 十 三 束 刈 田 寄 進 一 通 入 塔 頭 奉 供 、         都 合 廿 一 通     右 注 文 如 件、       元 亨 三 年 癸 亥 十 月 九 日   紹 瑾 記 ( 花 押     加 住 持 職 譲 状 井 寺 々 遺 付 用 心 之 状 壹 通 、 と あ る 。 酒

に 、 湊 保 と

に 寺 領 が 在 し 、

八 段 三 三

四 三 石 ) で あ る 。 よ っ て 元

( 一 三 二 三 ) 頃 の 寺 領 は 、 こ れ と

井 保 の 分 を

わ せ て 一 四 三 石 で あ る 。 ( グ ラ フ   )   こ の よ う な

の 帰

に よ っ て

か れ 、 地 域

力 の 紐 帯 の 意

つ 永

寺 を 瑩

は 門 下 の

場 と し て

す る 。

殿

堂 、

の 伽 藍 の 造 立 は も ち ろ ん で あ る が 他 の 瑩

と 性 格 を

に す る 大 き な

徴 は 三 = 二

(4)

   

 

永 光 寺 ・ 總 持 寺 、 両 教 団

力 の 消 長 ( 伊 藤 )    

 

   

 

   

 

            ( 12 ) 五

の 建 立 と

度 の

で あ る 。   は じ め に 五 老 峰 で あ る が 、 こ れ は 曹 洞 宗 の

五 人 の 墓 所 で

る 。 こ の 五 人 は 、 定 説 と な っ て い る の は

中 の 如

懐 道

弉 元

介 、 瑩 山

で 、 他 に は 洞

元 、                          

 

   

 

   

 

  へ 13 )

介 や 洞 山 、 大

、 道 元 五 老 峰 説 も あ る 。 釈 尊 … 達 磨 … 曹 渓 … 洞 山 … 大 陽 し 如 浄 ー 道 元 ー 懐 弊 − 義 介 − 瑩 山 一  

は 伝 灯 系

を 重

す る 。 そ こ に 誰 が 正 系 で

が 傍 系 か と い う

論 が

か 行 わ れ て い る 。 瑩 山 建 立 の 五

峰 は 、 自 ら の 正

性 を 内

に 示 す と い う

味 を 持 っ て い る 。 の ち に 禅

で は

請 開 山 を し ば し ば

う が 、 永 光 寺 の 場

身 が

山 と な ら ず に 、

を そ れ も

ま で 遡 っ て

請 し た こ と を 示 し て い る 。    

 

      ( 14 )  

住 制

で あ る が 、

山 は 次 の 理 由 か ら こ れ を 規 定 し た の で あ る 。 先 ず

介 が 三

論 の 渦

に あ っ て 、 永 平 寺 か ら 大

寺 に

せ ざ る を

な か っ た と い う 不 幸 を

事 者 と し て 経 験 し 、

の 分

を 避 け た か っ た か ら で あ る 。 ま た

下 に は 、

嗣 の

・ 無 涯 ・ 峨 山 ・ 壷

臨 済

灯 派 の 孤

の 四 門 人 六 兄

に 恭

子 が 参

し て お り 、 い ず れ か 一 人 を 選 ん で 住 持 に

け て 、 門 人

散 さ せ て し ま っ た 三

相 論 の 同 轍 を

み た く は な か っ た 。 三 一 四 こ の よ う な 中 で 、

法 の 順 を

り 議

を 尽 く し て 住 持 を 選 ぶ          

 

   

 

   

 

   

 

( 15 ) 方 法

下 に 指 示 し た の で あ る 。   こ の 二 つ の

よ り 、 瑩 山 は 正

を 正 し く 継 承 し て い る と い う

と 、 門 下 達 を

な く

し て

法 を 広 く 流 布 さ せ よ う と い う 意 志 か ら 、

を 整

し た と 分 か る 。 一

 

瑩 山 示 寂 後 の 寺

  能 登 の

力 は 時 代 の 流 れ と と も に 、

朝 か ら 北

そ し て 足

へ と 推

す る 。 南

は 両 朝 と も

基 盤 を

定 さ せ る た め に 凌 ぎ を け ず っ て い た

乱 の

代 で あ る 。

光 寺 は は じ め

側 か ら の ア プ ロ ー チ を 受 け る 。 鎌

期 に は 、 後 醍

使

し て 、

に 関 す る 疑

を 瑩 山 に

い 、

山 の 一 々 の

が 天

を 満 足 さ せ る も の だ っ た の で 、

は 天 皇 に よ っ て 出

や 曹 洞 宗 の

寺 と し      

 

   

 

   

 

  〔 16 ) て 認 め ら れ た と さ れ て い る 。 そ の

に 、

良 親 王

醍 醐 天 皇 に よ っ て

保 を

領 と し て 与 え ら れ そ の 地 頭 職 も 認 め ら れ て い る 。

は 鎌

時 代 、

氏 の 知

地 で あ っ た が そ の

亡 と と も に 南

方 の 手 に 移 り 、

の 成 立 後 は 足 利 氏      

 

   

 

   

 

   

 

                  ( 17 ) の も の と な っ た 。 こ の 若

保 に つ い て 、 「

旨 案 」   二 三 三 三 年 ) に は 、     能 登 国 永 光 寺     右 寺 可 到 御 祈 禳 精 誠、 令 御 願 成 就 者、 当 国 若 部 保 可 有 御 寄 進 当 寺

(5)

    之 由 、 可 経 奏 聞 者 依 二 品 親 王 令 旨 之 状 如 件、           元 弘 三 年 四 月 一 日     左 少 将 と あ り 、 永

寺 に 南 朝 の 御 願 成 就 を

す る と い う 二

i

ズ に 応 え て 、 寺

若 部 保 が 寄 進 さ れ た と

か る 。             ( 18 ) 「 能 登 国 司

宣 」

 

= 三 二 五 年 ) に は     洞 谷 若 部 保 地 頭 職 事 、 所 被 付 養 光 寺 也、 任 去 四 月 】 五 日 勅 裁、 可     被 沙 汰 居 雑 掌 於 当 保 之 由、 国 宣 所 候 也、 仍 執 達 如 件、         建 武 二 年 四 月 廿 一 日     左 兵 衛 尉 家 久       謹 上   能 登 国 御 目 代 殿 と あ る 。

が 若 部

の 地

せ ら れ

護 を 受 け て い た と 分 か る 。 永 光

を 外

す る

当 地 域 の

帯 を

の も と に 取 り 込 む こ と で

が 在 地 勢 力 を 配 下 に

め る こ と に も つ な が る の で あ る 。                                           〔 19 )   こ の 南 朝 の 外 護 は 長 く 続 く こ と は な か っ た 。

も な く の

町 幕 府 の 台 頭 期 に お い て 能 登 守

と し て 赴

す る

見 氏 が 再 び

領 を 安 堵 し 、 足 利

を 受 け て

塔 を 設 置 し て 、 南 朝 と 同 様 に 、 在 地 勢 力 を 取 り 込 む た め に

を 強 力 に 外                       ( 20 ∀ 護 す る 。 「

顕 施

」   ( = 三 二 六 年 ) に は 、     能 登 国 若 部 保 地 頭 職 事 、 帯 綸 旨 以 下 証 文、 為 寺 領 云 々 当 知 行 不     可 者 相 違、 将 又 被 到 将 軍 家 御 祈 禧 之 精 誠 者、 可 注 申 子 細 之 状 如 件 、         建 武 三 年 八 月 廿 八 日     源 頼 顕 ( 花 押         養 光 寺

 

長 老 と あ っ て 吉 見 氏 は 寺 領 若 部 保 に 関 す る

旨 に

な い こ と 永 光 寺 ・ 總 持 寺、 両 教 団 勢 力 の 消 長 ( 伊 藤 ) を 認 め て い る 。   こ こ で

は 、 足

氏 ・

の 兄 弟 が 、

和 祈 願 と

に お け る

慰 霊 の 為

応 元

( 一 三 三 八 )

か ら

一 〇 年

や し て

国 六 六 ヶ 国 二

に そ れ ぞ れ 一 寺 一

を 設

し た も の で あ る 。

塔 の

立 は 土 地 の 領 有

の 主

で も あ り 、 そ の 地

護 を 通 じ て 幕

治 下 に あ る こ と を 意 味 す る 。 こ れ ら は 各 地 に

の 反 幕 勢

す る 守 護 や

の 軍 備 拠 点 、

基 地

略 上 の

所 に も な っ て い る 。 平 和 祈 願 と い う

上 の

的 と 、

制 と い う

治 上 の 目

の 二 つ を

つ の で あ る 。

で こ れ ら が 設 置 さ れ た の は

光 寺 を

め て 全 国 で 三 ヶ 寺 の み で あ り 、 当 時

登 国 で も

力                             ( 21

の 一 つ だ っ た と

で き る 。   こ こ で 、

の 永 光 寺

に つ い て 、 「 若

職 注       り 

残 簡 」 に は 、       〔 付 箋 ∀       「 当 山 四 世 峨 山 和 尚 両 度 住 山 之 内 下 行 之 注、 三 世 無 涯 和 尚 真 筆 」     羽 咋 郡       若 部 保 地 頭 職 、 先 代 】 族 名 越 兵 庫 入 道 跡         田 数 二 十 四 町 一 段         土 貢 米 二 百 五 十 七 石 銭 三 十 貫 文     当 国 永 光 寺 知 行、         如 令 備 進 建 武 三 年 九 月 廿 八 日 御 教 書 者 元 弘 以 来 被 収 公 当 寺     領 並 当 知 行 地 事、 如 元 不 可 有 相 違 云 々 不 被 載 当 保 名 字 之 間 、 注 三

 

(6)

永 光 寺 ・ 總 持 寺 両 教 団 勢 力 の 消 長 ( 伊 藤

 

  進 之 卜 欠 ク 、 と あ る 。

箋 部

よ り

光 寺 三 世

涯 ( 〜 一 三 五 一 ) の

で 、 峨

の 文

え ら れ て い る と 分 か る が 、

 

   

 

                    ( 23 ) こ こ で は = 二 四 四 年

と 想

し た い 。 こ れ を

米 が 二 五 七 石 、 銭 三 〇

文 ( 11 三 〇 石 ) 、

計 二 八 七 石 だ と 分 か る 。 他 に 瑩

領 一 四 三 石 も

わ せ れ

一 三 四 四

頃 の 永

領 は 四 三 〇 石 と な る 。

 

( グ ラ フ   )

 

こ の

期 の 康

( 一 三 七 九 〉 四 月 か ら 明

( 一 三 九 一 ) ま で の

に 能 登 守

職 は

氏 か ら

氏 に 交

し 、 以

天 正 七 年 二 五 七 九 ) に 畠 山 氏 が

亡 す る ま で 、 同 氏 の

営 が な さ れ る 。 永 光 寺 の

も 吉 見 氏 か ら

山 氏 に

す る 。

 

し て は 、 応

三 年 二 三 九 六 ) 七 月 六 日 の

 

   

 

          ( 24 「 足

義 満

」 に よ っ て 再 び 若

有 権 が 認 め ら れ て い る 。 吉 見 氏 の 時 代

、 畠 山 氏 か ら も 外 護 を 受 け た と

え ら れ る 。

 

氏 が

見 氏 同 様 の 外 護 を 加 え て い れ ば

光 寺 領 ー

3

同 氏 の

亡 ま で

持 で き た は ず で あ る 。 し か し 、

領 が 減 少 し

は 次

に 衰 退 の 道 を 歩 む 。 因 み に 文

( 「 四 四 八 )

 

   

 

                          ( 25 ) 七 月 の 「 永

領 若

惣 田

並 坪 付

」 に よ る と 、

一 三 六

、 銭 二 七 貫 七 〇 三 文 ( 二 七 ・ 七 石 ) 、 合

一 六 四 ・ 一 石 で あ り 、

貢 米 は

述 の 一 三 四 四

の 若 部

寺        

 

   

 

   

 

   

 

    三 一 六        

 

   

 

   

 

   

 

          ( 26 ) 領 ( 二 五 七 石 ) に 比 べ る と こ れ が

し て い る 。 こ れ に 酒

( 一 四 三 石 ) も

わ せ れ ば 、 三 〇 七 ・ 一 石 で あ る ( グ ラ フ   ) 。 な お 天 正 七

( 】 五 七 九 ) の 畠 山

、 同 九

入 部 す る

家 に よ っ て

領 三

石 が 寄 進 さ れ る が 、 二        

 

   

 

   

 

   

 

〔 27 )

に よ っ て 、 二 〇 石 に

さ れ 、

世 期 の

営 基

は 、 近 世

に い た っ て

壊 し た と

え よ う 。 一

三   輪 住 の 儀 礼 化  

で は、 第 三

( 一 三 三 八 年 頃 ) よ り

四 七 三

二 六 一 七 年 ) に 至 る ま で

度 が 敷 か れ て い た 。

始 後 は

の 輪 住 が 行 わ れ 、 こ れ が

に 再 住 を

す 輪

と な り ( 輪 住 経 験 者 が 何 度 も 輪 住 す る 再 住 輪 番 ) 、 さ ら に

数    

 

   

 

   

 

  し よ う ふ く り ん ば ん ( 躑 V の 住 職 が 並 立 す る

住 ( 正 副 輪 番 ) と な る 。 本

は 、 門 派 分

ぐ た め に 交 替 で

め る も の で 、 こ こ に

と 、 前 住 号 の

へ 平 等 に 分 配 す る も の で あ っ た 。 し か し 正 副

に い た っ て

住 が 前

だ け の 通

礼 と な る 。   こ の

に お け る 短 期 住

は 、 金

に よ っ て

を 取

出 世

す る た め の も の で あ る 。

ら に は 一 日 で も

光 寺 に 住 す る も の も い れ ば

納 の み で

し な い も の も い た と 考 え ら れ る 。 次

に 寺

し た り 、

越 の

で き な く な る 永

寺 に と っ て は

住 の

(7)

                           

 

  ( 29 ) が 寺 院 運

金 源 に な っ た 。 こ こ で 、

に                            

 

   

 

  ( 30 )

下 一 人 が 三 〇

っ た と

す る と 一 四 〇

以 前 は

の こ と も 考 え れ ば 一 人 一

の 輪

間 三 〇 石

つ で あ る 。 一 四

( 推 定 二 五 世 )

一 五 七

年 ( 四 四 〇 世 ) の 住 持

( グ ラ フ   参 照 ) は

四 一 五 人 で

平 均 二 ・ 四 人             〔 31

住 し て お り 、

住 は 年 間 七 二 石

つ の

と な っ て い る 。   ( グ ラ フ     以 上 よ り

は 、 瑩 山 が 酒 勾 一 族 の

を 受 け て 建 立 し た も の で あ る 。 同 寺 に は 地 頭 や 領

層 を 一 つ に ま と め る 精

と し て の シ ン ボ ル の

割 も あ っ た 。

は 、

地 域 の 活 動 基

め る た め 、 永 光 寺 を

に 外 護 し た 。 こ こ に 酒 井 保 ・ 湊

・ 若

保 と い っ た 寺 領 が

に 寄 進 さ れ た 。 開 創 当 初 は

か ら の ア プ ロ ー チ も

け た が

と の 関 係 を 強 く

っ た 寺 院 と な っ た の で あ る 。 ま た 寺

を 見 れ ば 、 五 老

に よ っ て 正 系 を 示 し 、

に よ っ て

派 を ま と め あ

と し て の

を 強 め て い っ た 。 よ っ て 、

事 の 永 光 寺 は

基 盤 を

景 に 、

及 び 瑩 山

下 の

院 と し て

し て い た と 言 え る 。 二

 

寺 教

ニ ー 一

 

峨 山 の

運 営 元

( 一 三 二 一 ) 六 月 、 瑩 山 は

登 鳳 至 郡

比 荘 に あ 永 光 寺 ・ 總 持 寺 両 教 団 勢 力 の 消 長 ( 伊 藤 ) る 行 基

立 の 真

堂 を 住 持 定 賢

師 よ り

 

                        ( 32 )

さ れ 諸 嶽 山

し た 。

山 は

持 寺

営 の

と し て 「

鏡 」

 

( 正 中 元 年 、 = 三 一 四 ) を 記 し た と

わ れ て い る 。 こ の

に 、

は 出

道 場 で あ る こ と 、

で あ る こ と 、 門 下 の

住 す べ き

さ れ て い る 。 し か し こ の 文

は 真 偽 が 疑 わ れ て お り 、

の 全

 

              ( 33 ) て を

う 事 は で き な い 。 ま た 、

山 が

寺 に

し た の は 、 = 二 一 =

六 月 八 日 の 總

堂 の

、 一 三 二 四

五 月 二 九 日 の

か ら 、

年 七 月 七 日 の 峨 山 へ の

 

                        ハ あ り

ま で の ご く 僅 か の

間 で あ る 。 總 持

的 に 運

す る の は 、 瑩 山 と 言 う よ り 峨 山 や 峨 山

で あ る 。

 

は 、 後 世 五 哲 や 二

さ れ る よ う な

く の 弟 子 を

す る 一 方 で 、

に も 邁

す る 。

持 寺 住

や 選 定 方 法 を

示 し 、

を 敷 く べ き

定 し て い る 。 總 持 寺 の

は 、 先

す る 永

を モ デ ル と し た も の で あ る 。 峨

に 何 度 か

し た と 考 え ら れ る の で 同 寺 の 運

を 詳 し く 知 っ て い た 。 こ の よ う な

永 光 寺 輪 住 の 長

を 生 か し 短 所 を 改 め そ し て 總

を 峨 山

下 の 中 心

場 に

す る べ く

誡 し た の

 

  ( 35 ) で あ る 。 三 一 七

(8)

永 光 寺 ・ 總 持 寺 、 両 教 団 勢 力 の 消 長 ( 伊 藤 )     ニ

 

峨 山 示 寂

  峨

は そ の

が 概 ね

ら れ て 、 五

( 図 参 照 ) や そ の 門

し 、 總 持 寺 が

さ れ る 。 總 持 寺 の

度               ( 36 ) は 、 「 五

」 と

わ れ て い る 。               「

、 − − − 、 − 峨 山 五 哲 − −

: − − 一 「 , 五 院 − , {               一 太 源 (       〜 = 二 七 → ) … … 普 蔵 院 一               … 通 幻 ( = 二 二 二 〜 = 二 九 一 )

lTT

妙 高 庵   }   瑩 山 − 峨 山     皿 無 端 (       〜 = 二 八 七 )   一 洞 川 庵  一               … 大 徹 ( = 二 三 三 〜 一 四 〇 八 ) ⊥

iT

伝 法 庵  …                                                                                                         一 実 峰 (       〜 一 四 〇 五 )

ITT

如 意 庵 「   五

と は 峨 山 五

い た と

わ れ て い る

( 図 参 照 ) で あ る 。 こ の

で は 、

ず 五

下 五 人 が 一

つ つ 五

の 塔 主 を

そ の 五 人 が 一

を 五 で

っ た 七 五 日 ず つ を

替 で 、

職 位 に 就 く も の で あ る 。 五 院 の 塔 主 を

し て

を 勤 め る と い う

が 、 こ の

度 の

で あ る 。 な お 、 七 五 日

つ の よ う に

全 に こ れ が

備 さ れ る の は 、 五 院 の

住 の

) か ら

住 す る 一 六 世 紀 末 以

の こ と で あ る 。 こ こ で 、 五

由 す る

住 の シ ス テ ム が

立 す る の は 、 一 四 二 五

よ り 一 四 三 〇 年 以

の 間             37 ) だ と

え ら れ る 。 こ の 制 度 の

總 持 寺

化 や 、 一 = 八 そ の 全

を 可 能 に し た の で あ る 。     二

 

と 寺 領   總 持

へ の

進 が

に な さ れ る の は 、 峨 山 の

                                                    ( 38 ) か ら 示

で あ る 。

氏 ( 長 谷 部 氏 ) が

く 寄 進 し て い る 。                                           ( 39 ) 寺 領 は 正 長 二

二 四 二 九 ) の 「

持 寺 々 領 目 録 」 を

る と 、     諸 嶽 山 総 持 禅 寺 領 目 録 事     − 中 略

1

            〈 六 V へ 七       米 総 都 合 陸 拾 漆 石 六 斗 壱 升                 く 四 V 〈 八 V       銭 総 都 合 弐 拾 肆 貫 捌 百 文     − 中 略 −     岩 正 長 二 年 己 酉 正 月 十 一 日     − 後 略

1

と あ り 、

六 七 ・ 一 石 、

二 四 貫 八

〇 文 ( 卩 二 四 ・ 八 石 ) 、 合 計 八 八 ・ 九 石 で あ る 。

 

( グ ラ フ   )   前 田 氏 の

で は 、

( 一 六 五 七 ) の 「

田 利

  ( 40 ) 進 状 」 を 見 る と 、     總 持 寺 領 以 能 州 鳳 至 郡 之 内、 加 七 拾 六 石 七 升 貳 合、 先 知 行 合 四 百     石 之 所、 令 寄 附 者 也 仍 如 件         明 暦 三 年 三 月 十 七 日                                 利 常 ( 花 押 )           總 持 寺 と あ り 、 四 〇 〇 石 で あ る 。   ( グ ラ フ

 

(9)

                        ハ れ     と こ ろ で 「

沢 寺 聞

文 」   ( 一 四 一 六 年 〉 よ り 、

源 派 で は

頭 普

へ 三 〇 貫

( 11 三 〇 石 ) を

め て い た こ と が 分 か る 。 こ れ が

の も の で 、 さ ら に

か ら で                             ( 42 ) も 、

の 献

わ れ た と す れ ば 、 總

へ の

者 数 ( グ ラ フ   参 照 ) と

納 金 を 示 す と 、 次 表 の よ う に な る 。 總

寺 の

は 、

光 寺 の

合 に 比 べ て

と と も に 増 加 し 、 そ れ に と も な っ て

の 献 金 も 次

し た と 考 え ら れ る 。 一 一 一 一 五 四 四 三 ○ 五 二 六 一 一 〜 〜 〜 〜 一 一 一 一 五 五 四 四 代 五

O

五 二 ○ ○

O

年 年

四 二 一 一 ● ● 五 六 四 五 平 人 人 人 人 均 四 一 一 輪 五 三 二 七 住 ○ 八 ○ 五 献 石 石 石 石 納 三

 

の 教

力 の 比

  は じ め に 「 グ ラ フ

 

」 よ り

の 世

て み た い 。 ど ち ら も 輪 住

い て い た の で

を 生 ん で い る 。 グ ラ フ か ら も 読 み と れ る よ う に 一 四 三

頃 に 總

寺 の そ れ と

し て い る 。

が、 一 四 二 五

よ り 拮

し 、 一 四 三 〇 年 に 逆

す る こ 永 光 寺 ・ 總 持 寺 両 教 団 勢 力 の 消 長 ( 伊 藤 )      (ISCO)/ ’ (ll33〕/

 

 

 

415 謝

、                     瓣             鰯   、 ソ ノ

 

 

姐     鰤 、

         

’           伽 永光寺世 代は 一 数 字は 世代 数 纏 持 世 代 は一一一 ()数 字は世 代 数         埖   ノ 曲 /     年 代 600 4050607080

      

(’°4Y

       

ss

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h

19

02025   40 50 60 70 80 90    10 20253040 50 60 70 80 90    1015       1400      1500

      グ

ラ フ

 

世 代 数 世 代 瓢     蜘     嫺     踟     跏     蜘     跏     憫     鵬 三 一 九       鋤 50 お O   l

(10)

永 光 寺 ・

持 寺、 両 教 団 勢 力 の 消 長 ( 伊 藤 ) と を 示 し 翻 っ て

派 の

数 に つ い て も

だ と

え ら れ る 。 こ の 時 期 に

面 上 の 数 の 面 で は

し た と

え よ う 。   そ れ は

教 団 の

の よ う な 動 き か ら も

え る 。 ま

一 四 一  

 

                             

 

   

 

   

 

  ( 43 ) 五 年

の 明 峰 派 ( 永 光 寺 系 ) と 峨

派 ( 總 持 寺 系 ) の

絶 事 件 ( 永 光 寺 の 西 堂 位 ・ 東 堂 位 が 争 点 と な っ て 生 じ た ) で あ る 。 峨 山 派 は 、

が 永 光 寺 と

も し く は そ れ 以 上 の

だ と 主

し 、 一 方 の 明

か ら 明 峰 派 以

( 峨 山 派 等 ) を

す る こ と

寺 の

持 寺 よ り 上 で あ る こ と な ど を

力 に 求 め て い る 。

峰 派 の 意 見 が

山 氏 に よ っ て 認 め ら れ て は い る 。 し か し 、 こ れ は 總 持

( 峨 山 派 ) の 台

に と も な う 永

寺 ( 明 峰 派 ) の

き だ と も

れ る 。   次 に

』 と 『 瑩

規 』 に つ い て 、 『

谷 記 』 は 瑩 山 の 日 記 的 な も の で あ る が 、 一 方 で 瑩

光 寺 の 優

性 を 示 す 書 で も あ る 。

よ り 、

( 一 四 三 二 ) の 書  

 

    ( 44 ) 写 だ と 分 か る 。 『 瑩

』 は 、

し く は 『

谷 山

光 禅 寺 行 持 次 序 』 と

い 、

プ ロ グ ラ ム で あ り 、 明  

 

                             

 

   

 

( 45 ) 峰 派 で は 一 四 三 四

写 ( 大 乗 寺 本 ) さ れ て い る 。 ど ち ら も 一 四 三

年 頃 で 、 永 光

で は

え て 同 寺 の 正

を 主 張 し な け れ ば な ら な い

に 、

団 が

頭 し て き た の だ ろ う 。   ま た 、 一 四 一 八

頃 ま で

度 か

光 寺 へ

住    

 

   

 

   

 

   

 

        三 二 〇    

 

   

 

   

 

   

 

              ( 46 ) し て い た の で あ る が そ れ 以

し な く な る 。 案

る に そ れ ま で の

で は

寺 を 上

づ け 、

住 を

し て か ら

へ 上

す る と い う 流 れ を

っ て い た が 、 先 述 の よ う に 「 五 院

」 が 一 四 三 〇 年 頃 ま で に

備 さ れ 、

を 必 要 と し な い ほ ど の 大

し て い た と

え ら れ る 。 こ の

写 ・

の 三 点 は

と な る 。   こ れ だ け で こ の 時 期 に

全 に 逆

し た

え る だ ろ う か 。 そ れ は い ま だ に

基 盤 が 、

に 比 べ れ ば

し て い た か ら で あ る 。 こ こ で 「 グ ラ フ

 

基 盤 」 よ り 両 教 団 の 経 営 基 盤 を

て み る と 、 こ れ は

し た も の で 、

団 の 寺

、 上

が こ れ に

金 を 加 え た も の で あ る 。 グ ラ フ を

れ ば 、 一 四 九

に 交 差 し て 、 こ の

は じ め て 總 持 寺 の

が    

 

   

 

   

 

   

 

      ( 47V

の そ れ を 圧 倒 し て ゆ く と

か る 。  

に は 總 持 寺 に 覇

っ た と し て も 、 永

寺 に は

が あ っ た か ら こ そ 、

で も 守

よ り

の 返 報 を 受 け

る こ と が で き た し 、 『 洞 谷

』 や 『

規 』 を 書 写 し て

の 正

を 主

で き た の で あ る 。 し か し 一 四 九 〇 年 頃 に は

面 に お い て

全 に 永 光 寺 教

力 を 凌 駕 す る 。   こ の 二 つ の グ ラ フ よ り

え れ ば 、 一 四 三 〇 年 頃 よ り 教 団 勢

(11)

’ ノ   ’   ’     !     !       !       !         ’         ’ ’ 上段は輪 住 下 段は寺領 永 光寺は一 總 持 寺は一一一

− 1 経 済 力  

 

 

 

 

弸 ( 石 高 )       永 光 寺 ・ 總 持 寺 、 400)・        ’   / \   ’   ’ , ノ       !         〆         ’         ! 跏 201600 年代 79 50

100      ,/        _→ 一一一『− F

/ ’  89’9 ’ ’ 44 1400  29   4850      1500

  

ラフ

 

基 盤 伽     両 教 団 勢 力 の

長 ( 伊 藤 ) 3001725 m5001

逆 転 の

を 呈 し 、 一 四 九 〇 年 頃 に は

教 団

か ぬ も の と な っ て い た と 分 か る 。 こ れ ら の

か ら 、

は こ の

を 一 五 世

中 頃 と

す る の で あ る 。 三

一  

力 逆 転 の 要 因   は じ め に 外 護

に つ い て 見 て み る と 永 光

に お い て は

力 の 異 同 が は げ し く

強 力 な 外 護 者 の 存 在 は

ま で で あ る 。

に お い て は 例 え ば 長 氏 が 開 創 よ り

治 ま で 一 貫 し て い る

な ど

し て い る 。 〈

V 〈

〉 能 登 大 畠 能 郡 名 山 登 の 前 氏 守 地 田 護 頭 氏 長 氏 守 ( 護 長 代 谷 神 部 保 氏 氏 ∀ 一 一 = :: 五 四 二 二 八 二 九 六 一

O

年 年 年 年 〜 〜 頃 頃 明 滅 〜 治 亡 明 ま ま 治 で で ま で 三 二 一

(12)
(13)

の 時

ま で は 瑩

派 の

末 の 一 ヶ

だ っ た の で あ る 。   曹 洞

教 団 の

国 展

が 、 總 持

を 拠 点 と し た 瑩

つ ま り 峨 山 派 に よ っ て 成 し 遂

ら れ た の は

れ も な い

で あ る 。 し か し 一 五 世

ま で

山 派 の

心 寺 院 と し て 、

の 淵 源 で あ っ た

寺 の

を 忘 れ て は な る ま い 。 注 (

1

) 松 田 文 雄 氏 は 「 曹 洞 宗 教 団 の 形 成 と 展 開 」 ( 曹 洞 宗 宗 学 研 究     所 編 『 道 元 思 想 の あ ゆ み

2

』 一 二 〜 = 二 頁 ) に お い て 江 戸 期     の 九 八 派 中 の 主 な 流 派 と そ の 包 括 寺 院 数 を 法 系 図 で 示 し て い る 。     本 文 中 の 表 は こ れ を も と に し て い る 。 (

2

) 主 な 研 究 成 果 は 次 の よ う な も の が あ げ ら れ る 。 は じ め に 曹     洞 宗 内 部 か ら の 研 究、 換 言 す れ ば 永 光 寺 を 曹 洞 宗 教 団 内 の 一 拠     点 寺 院 と し て 見 る 研 究 は 以 下 の 通 り 。         橋 本 泰 巌 『 洞 谷 山 永 光 寺 誌 』         舘

 

残 翁 『 永 光 禅 寺 住 山 記 の 研 究 』         孤 峰 烏 石 「 洞 宗 最 古 の 輪 住 地 永 光 寺 の 組 織 」 ( 『 達 磨 禅 』                   } 五 号 )         広 瀬 良 弘 「 瑩 山 禅 師 に 始 ま る 曹 洞 宗 輪 住 制 に つ い て 」 ( 『 宗                 学 研 究 』   一 六 号 )         広 瀬 良 弘 「 中 世 林 下 禅 林 の 住 持 方 法 ー 能 登 永 光 寺 輪 住 制                 の 成 立 と 展 開

1

」 ( 『 駒 沢 大 学 史 学 論 集 』 六 号 )         東 隆 真 『 瑩 山 禅 師 の 研 究 』 永 光 寺 ・ 總 持 寺、 両 教 団 勢 力 の 消 長 ( 伊 藤 )     東   隆 真 『 洞 谷 記 に 学 ぶ 』     松 田 文 雄 「 瑩 山 禅 師 の 尽 未 来 際 置 文 に つ い て

1

永 光 寺

            闢 の 背 景

1

」 ( 『 宗 学 研 究 』 一 二 号 )     松 田 文 雄 「 『 洞 谷 記 』 の 研 究 」 ( 『 瑩 山 禅 師 研 究 』 )     拙 稿

 

 

「 永 光 寺 輪 住 制 度 の

察 ( 一 〉 ー 特 に 輪 住 初 期 に               つ い て ー 」 ( 『 駒 沢 大 学 大

院 仏 教 学 会 年 報 』             三 〕 号 )     拙 稿

 

 

「 永 光 寺 輪 住 制 度 の 考 察 ( 二 )

1

住 山 記 を も と に             し て ー 」 ( 『 曹 洞 宗 研 究 員 研 究 紀 要 』 二 九 号 )     拙 稿     「 永 光 寺 輪 住 三 〇 世 瑞 巌 韶 麟 を め ぐ る 問 題 」               ( 『 宗 学 研 究 』 第 四 一 号 )     拙 稿

 

 

「 永 光 寺 輪 住 制 度 の 考 察 ( 三 ) ー 輪 住 者 の 種 類 に               つ い て ー 」 ( 『 駒 沢 大 学 大

院 仏 教 学 会 年 報 三               二 号 )     宮 地 清 彦 「 瑩 山 禅

及 び 瑩 山 教 団 と 他 派 と の 交 流 に つ い て             ー 『 洞 谷 記 』 「 住 持 人 可 帯 文 書 之 事 」 を 礎 と し               て ー 」 ( 『 曹 洞

宗 学 研 究 所 紀 要 』 一 二 号     曹 洞 宗 宗 学 研 究 所 編 『 道 元 思 想 の あ ゆ み ー 〜

3

』     瑩 山 禅 師 奉 讃 刊 行 会 編 『 瑩 山 禅 師 研 究 』   次 に 、 地 方 史 か ら の 研 究、 換 言 す れ ば 同 寺 を 当 地 域 に あ る 諸 宗 派 寺 院 の 一 寺 院 と 捉 え て な さ れ た も の は 以 下 の 通 り 。 こ れ ら は 同 寺 の ま わ り を 取 り 囲 む 様 々 な 社 会 情 勢 を 教 え て く れ る 。     羽 咋 市 史 編 さ ん 委 員 会 『 羽 咋 市 史 』 中 世 ・ 社 寺 編     東 四 柳 史 明 「 中 世 の 永 光 寺 」 ( 羽 咋 市 教 育 委 員 会 『 永 光 三 二 三

(14)

永 光 寺 ・ 總 持 寺 両 教 団 勢 力 の 消 長 ( 伊 藤 )                 寺 遺 跡 』 )       東 四 柳 史 明 『 半 島 国 の 中 世 史 』       室 山   孝 「 中 世 永 光 寺 の 諸 相 」 ( 石 川 県 立 埋 蔵 文 化 財 セ ン                 タ ー 『 永 光 寺 遺 跡 − 境 内 地 の 発 掘 調 査

1

』 )       室 山   孝 「 浄 住 寺 所 蔵 、 安 楽 山 産 福 禅 寺 年 代 記 に つ い て 」                   ( 『 加 能 地 域 史 』 ] 一 号 )       室 山   孝 「 永 光 寺 所 蔵 永 光 寺 年 代 記 に つ い て 」 ( 『 加 能                 史 料 研 究 』 二 号 )       橋 本 秀 一

= 四 世 紀 能 登 の 守 護 吉 見 氏 に つ い て

1

能 登                 に お け る 南 北 朝 内 乱 の 考 察 ー 」 ( 『 北 陸 史 学 』                 二 一 号 )       石 川 県 立 歴 史 博 物 館 編 『 永 光 寺 の 名 宝 』 (

3

) こ れ ま で の 總 持 寺 に 関 す る 主 な 研 究 成 果 は 次 の よ う な も の が   あ げ ら れ る 。       栗 山 泰 音 『 總 持 寺 史 』       栗 山 泰 音 『 嶽 山 史 論 』       佐 橋 法 龍 『 峨 山 韶 碩

1

そ の 人 と 思 想

1

』       室 峰 梅 逸 ( 横 関 了 胤 ) 『 總 持 寺 誌 』       竹 内 道 雄 『 曹 洞 宗 教 団 史 』       竹

道 雄 『 総 持 寺 の 歴 史 』       中 嶋 仁 道 『 曹 洞 教 団 の 形 成 と そ の 発 展 』       原 田 弘 道 「 総 持 寺 五 院 輪 住 制 度 考 ( 『 駒 澤 大 学 仏 教 学 部                 研 究

要 』 四 六 号 )       松 田 文 雄 「 曹 洞

教 団 の 成 立 に つ い て 」 ( 『 宗 学 研 究 』 一 三 二 四                 四 号 )       納 冨 常 天 「 『 總 持 寺 住 山 記 』 に つ い て 」 ( 『 鶴 見 大 学 仏 教 文                 化 研 究 所 紀 要 』 四 号 )       拙 稿

 

  「 總 持 寺 五 院 の 開 創 時 期 」 ( 『 宗 学 研 究 』 四 〇 号 )       拙 稿

 

  「 總 持 寺 輪

制 度 成 立 の 一 考 察 」 ( 『 印 仏 研 究 』                 四 七 号 ) (

4

) 永 光 寺 教 団 に 関 す る 研 究 は 注 (

2

) の 拙 稿   〜

 

總 持 寺   教 団 に 関 す る も の は 注 (

3

) 拙

稿

 

 

で あ る 。 (

5

) 『 洞 谷 記 』 ( 『 瑩 山 禅 』 八 巻 ) に は 、       能 州 賀 島 郡 酒 井 保 の 内 中 河 地 頭 は 酒 勾 八 郎

親 な り 。       其 の 嫡 女 は 、 信 州 の 住 海 野 三 郎 滋 野 信 直 と 夫 婦 た り 。 正 和       元 年 壬 子 春 、 彼 の 両 人、 発 心 し て 、 予 に 此 の 山 を 施 与 す       其 の 発 言 に 曰 く 、 我 等 比 の 山 を 施 す 志 は 唯 だ 和 尚 一 時 の       移 住 を 望 む の み 。 全 く 成 壊 興 廃 を 顧 み ず 。 又 和 尚 の 持 戒 破       戒 を 思 わ ず 。 及 至 非 人 乞 者 に 与 う と も

れ 之 を 管 せ ず 。 一       度 和 尚 に 施 し て 、 後 再 び 管 領 の 念 な し 。 永 く 捨 心 を 発 し 了       る 。 敢 え て 希 望 の 心 な し、 云 々 。 予、 施 主 清 浄 の 志 を 感       じ て 以 て 予 が 終 焉 偃 の 処 と な す の み 。 ( 二 頁 ) 。      

1

中 略 − 正 和 二 年 癸 丑 八 月 、 始 め て 茅 屋 を 結 ん で 仮 の 庫 裡       と 為 す ( 五 頁 ) 。

1

中 略

1

文 保 元 年 丁 巳 平 氏 の 女 、 舎 兄       中 河 の 地 頭 酒 勾 平 八 頼 基、 終 焉 の 時 遺 命 し て 親 父 の       頼 親 の 屋 を 以 て 方 丈 を 造 立 す べ し と 。 同 秋 八 月、 此 の 屋 を       移 し 函 丈 を 構 う ( 八 頁 ) 。   と あ り 永 光 寺 開 創 の 因 縁 が 分 か る 。 ま た 尽 未 来 際 置 文 ( 『 瑩

(15)

  山 禅 』 第 八 巻 一 八 四 頁 ) に は      

州、 酒 井 保 洞 谷 山 は 、 平 氏 、 酒 匂 八 郎 手

親 の 嫡 女、       法 名 祖 忍 、 清 浄 寄 進 の 浄 処 な り 。 故 に 紹 瑾 一 生 偃 息 の 安       楽 地 と 為 し 、 来 際 、 瑩 山 が 遺 身 安 地 の 塔 頭 所 と 為 す 。   と あ り 、 祖 忍 の 信 仰 心 が 篤 く 、 瑩 山 に 対 す る 帰 依 の 心 が 清 浄 で   絶 対 の も の だ と 分 か る 。 (

6

) 『 羽 咋 市 史 』 五 八 〜 六 五 頁 (

7

) 前 掲 書 一 九 頁 に は       酒 井 氏 は 「 章 」 を 通 字 と し て い る こ と か ら ー 中 略 ー 羽 咋 郡       の 有 力 武 士 団 得 田 氏 ] 族 で あ ろ う と 思 わ れ る 。

1

中 略

1

酒       井 保 周 辺 が 得 田 一 族 の 割 拠 地 で あ っ た こ と を 物 語 る 。   と あ る 。 (

8

) 橋 本 秀 一 郎 = 四 世 紀 能 登 の 守 護 吉 見 氏 に つ い て ー 能 登 に お       け る 南 北 朝 内 乱 の 考 察 ー 」 ( 『 北 陸 史 学 』 二 一 号 ) 三 六 頁 。     『 羽 咋 市 史 』 三 四 頁 に は       永 光 寺 領 の 志 々 見 保 内 の 田 畠 が も と も と 同 氏 〔 吉 見 氏 )       の 旧 領 で あ っ た こ と や 、 同 寺 の 開 基 檀 越 の 酒 勾 氏 が 、 「 頼 」       の 通 字 を も ち 本 拠 地 の 地 理 的 状 況 か ら 吉 見 氏 一 族 で あ っ た       と 思 わ れ 、 云 々 。   と あ る 。 (

9

) 『 曹 洞 宗 古 文 書 』 一 五 三 号 文 書 。     こ の 土 地 と 山 野 を 後 に 祖 忍 が そ れ ぞ れ 一 七 貫 文 一 五 貫 文   で 買 い 受 け、 正 和 元 年 に 瑩 山 へ 寄 進 す る の で あ る ( 『 曹 洞 宗 古   文 書 』 一 五 六 号 「 藤 原 章 兼 売 巻 」 、 同 一 五 七 号 「 藤 原 章 兼 避 永 光 寺 ・ 總 持 寺 、 両 教 団 勢 力 の 消 長 ( 伊 藤 )   状 」 、 同 一 五 八 号  

」 、 同 一 六 〇 号   書 」 よ り ) (

10

) 〈 石 高 の 単 位 V 「 藤 原 利 忠 売 巻 」 同 一 五 九 号 「 藤 原 利 忠 避 「 鎌

将 軍 家 御 教 書 」 、 同 一 六 一 号 「 同 名 文 斗 升 合 勺 『 一 一 一 ○ ○ ○

O

斗 升 合 勺 旨 II1111 → 一 一 一 石 斗 升 合 貫 石 段 束 一 一 一 石 段 ○ 束 II11 ( → 貫 文 五 〇 斗 日 五 石

斗 段       一 石 は 米 一 八 〇 キ ロ グ ラ ム で あ る 。 現 代 の 金 額 に 換

す れ       ば 、 お よ そ 一 石 ” 冖 ○ 〜 一 五 万 円 で あ る 。 (

11

) 亠 則 掲 童 日 一 六 六 ロ 写 。 (

12

) 「 尽 未 来 際 置 文 」 ( 『 瑩 山 禅 』 第 八 巻 一 八 四 頁 ) に は       自 身 の 嗣 書 、 先 師 の 嗣 書 師 翁 の 血 経 曽 祖 の 霊 骨 、 高       祖 の 語 録 を 当 山 の 奥 頭 に 安 置 す 。 此 の 峰 を 名 づ け て 五 老 峰       と 称 す 。 然 れ ば 当 山 の 住 持 は 五 老 の 塔 主 な り 。 瑩 山 の 門       徒 中 、 嗣 法 の 次 第 を 守 っ て

興 行 す べ し 。 其 の 故 は 山       僧 が 遺 跡 は 諸 山 の 内 に し て 崇 重 す べ き 遺 跡 な り 。 嗣 法       の 人、 住 持 興 行 す べ し 。 縦 え 嗣 法 の 人 断 絶 す と 雖 も、 門       徒 小 師 の 中 評 定 和 平 し て 須 ら く 住 持 興 隆 す べ し 。 者 何       と な れ ば 他 門 は 必 ず 五 老 を 崇 敬 す べ か ら ざ る 故 な り 。   と あ り 、 五 老 峰 を 建 立 す る こ と と 輪

制 度 を 敷 く べ き こ と が 記   さ れ て い る 。 三 二 五

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参照

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