駒澤大學佛 教 學部論 集 第三 十六 成十七年十月 一一一 赦 徘
面
山瑞方
における
坐禅観
の
一側面
――仮名
法語『自受
用
三昧』を
中心とし
て――
岩
永
正
晴
〔本稿
の
構成
〕
はじ めに 一 、『自 受用 三 昧』が 指摘す る 坐 禅 の邪解 二、 面山当時 に流布し た 坐禅法語 三、各法 語 類 の検討 1 . 『 大 覚 禅 師 坐 禅 論 』 『 東 福 聖 一 国 師 法 語 』 『 中 峰 和 尚 坐 禅 論 』 2 .『法燈 国師法語 』『法燈 国師 坐 禪 儀 』『 塩山 仮 名 法語 』 3. 『 夢 中 問 答 集 』 4. 『 盤 珪 和 尚 法 語 』 等 5. 潮 音 道海『坐禅論』 6.洞門の法 語 類 まと めはじ
めに
面山
瑞方和
尚
(一六八三~ 一七六九、以下 面山と略 称 )は坐禅
を主題と
する
在家
者向けの仮名
法語『自受用三昧』を
撰
述
し
て
い
る
。
その際面
山
が道元禅
師の教え
に背くと判断
した坐
禅
観を
確認
し検討を
加え
、
その結
果を
報
告
しようと
す
る
のが
本
稿の目的で
あ
る
。
以下
、
こ
の
検
討を
行った
理
由と
、法語『
自
受用三昧
』の
概
要
につい
て
述べ
る。
周知のとお
り
『自受用
三
昧
』
の
筆者面山は、
江戸時代中期
以降の洞門における
『
正
法
眼
蔵
』受容に多大な影響
を
与えた。
その影
響
は、具体
的に
は以下の
ような
こ
とが挙
げ
られ
よう。
面山はそのライフワークとも云える
『
正
法
眼
蔵渉典録』
を
完成させ
、実
証的方法を踏ま
え
る『眼
蔵
』参
究の途を
開
い
た。
『
正
法眼
蔵
闢
邪
訣
』
を
撰述
し
、
『眼
蔵』の
成
立流
布に関
わ
る
見解
を提示
し
た。ま
た義雲和尚撰『正法
眼蔵
品目頌并
序』
(義 雲頌著)を讃
仰しつ
つ
作成
し
た
『正
法
眼
蔵
品
目述賛』
(面 山述 賛)に
よ
り
、
『眼
蔵』全巻の
見
通し
を
示
した。さらに
、
面山
がそ
の生
涯
に
お
い
て『
綉
道話』
そ
の他、坐禅に関
わ
る
『眼
蔵』
諸巻の
提
唱
を
行ったこ
とが
『年譜
』
( 『 面 山 広 録 』 巻面山瑞方にお け る 坐禅観の一 側 面( 岩永) 一一二 二十 六)
から
伺われ
、
現存
する「
綉
道話
聞
解
」
「
現成
公
案
聞
解」
「三昧王
三昧聞
解
」がそ
れ
を
裏
付
け
る
。
ま
た
、
空
印
寺
時
代
の
説法を編んだ『
建
康
普
説』
や
、
『
永
平広
録』よ
り
要
文
を
抄出
し
て
編
ん
だ『永平
家訓
綱要
』等
に
よ
っ
て
、道
元禅
師の
宗
旨が
正法眼
藏
涅槃妙
心
、自受用三昧と
し
ての
坐禅にあ
る
こ
と
を明
示
し
た。
即
ち
面
山
は
、
『眼蔵』参
究
の態
度
(実証的な方法 )、
『
眼
蔵
』
の書誌
(成立 ・ 流布・全巻 の 特 徴 等)、さらに『
眼
蔵』
の宗旨
(その 根 本が 坐 禅 であ ること )等を
明らか
に
示したと思われ
る
。
こ
の
他『仏祖正伝大
戒
訣
』
『得度
或
問』
や『洞
上
清規行
法
鈔』
等を
撰
述
し、
『
眼
蔵』
に即し
た
具
体
的な修行態
度
とし
て
の菩薩
戒
の理
解や
清
規
の整
備
を
お
こ
なっ
て
い
る
こ
とも見
逃
せ
まい
。
無論、面山の主張すべ
て
が
正
し
かっ
た訣
で
は
なく、現在の
知
見
からは訂
正さ
れるべ
き
点も多い
。ま
た主立っ
た系統
の
み
を挙げ
て
も、
江戸時
代
洞
門
に
於
ける『
眼
蔵』注
釈
の嚆矢『正
法眼
蔵
弁
註
』
を
撰
ん
だ
天桂
伝尊
(一六四 八~一七三五)の
派下、
特異な
禅
戒思想を
展開する
こ
と
となる
卍
山道白
(一 六三六~ 一七一五 )の派
下
、
関東の
学
林を
拠点と
し
た指月慧印
(一 六八 九~ 一七 六 四 )・瞎
道本
光
(一 七一〇~ 一七七三)の学
系な
どが
あり、
江
戸時代中期以降
の洞門
と
て
一
様
で
はなく、彼等が面
山の説を
すべて
肯
う
こ
とは
なかった
ろう。
し
か
し
、その影
響
力が多
大
で
あ
ったこ
と
に変わ
り
は
な
い。
目下筆者の関
心は、
江
戸時代における『眼
蔵
』注釈書に
あ
り
、
特に
、面
山の
孫
弟
子
に
あ
た
る斧
山
玄
現
(一 七一一 ? ~ 一 七 八九 )の『
眼
蔵
』提唱
を
筆
録
し
た
『正法
眼
蔵
聞
解』
を中心
と
する
研究の
途
上
に
あ
る
。
斧
山は
当初面
山
の直
弟
子
で
あ
っ
た
か
とも思われ
、
その
影響を強
く受け
て
いる。
よ
って、
面
山
が
『眼
蔵』の
、
ひ
い
て
は
道元禅
師
の宗旨と見定
めた坐
禅
につい
て
検
討
を
加
え
て
お
く
必
要がある
。
本稿
を作成する
所
以
で
ある。
次に面山
撰の
仮名
法語『自
受
用
三昧
』の概要を
述
べ
、
さら
に面山
の
坐禅観を
検
討
するに際し
て
『自受用三昧』を
対象
の
中心に
据
える
理由を述べよう。
現存する『自受用三昧』とし
て
は
、
栃木県海潮寺所蔵
の面
山
自
筆本
があ
り
、
そ
の
影印
が
駒
澤大
学図
書館に
所
蔵
さ
れ
て
い
る。
また
元
文
三
年
(一 七三八)戊午正月吉日
付の面山
自序を
附し
て柳枝軒小川多左
衛
門
より刊行さ
れ
た板本がある。
『
曹
洞宗
全
書
』
「
解
題
索引」
に
よれば
、
『續曹
洞
宗
全
書
』
「
法
語
」
所収の該本は、面山
自
筆本
を底本とし
て
翻刻収載したという。
但し『曹全』本は、
板
本
三丁裏六行目の「木色
」とする誤り
(自筆本 は「本 色 」 に 作 る )を
踏
襲
し
て
お
り
、
そ
の
作業
過程に
は疑問が残
る。とは云え、
こ
の
三
者
は
細部に至るま
で
よ
く一
致し
て
お
り、一
箇
所
の
誤
り
を除
い
て
瑕
瑾
はな
い
。
よ
っ
て
本
稿
で
は
、
『
曹全』本によっ
て
本文の所在
を
示
す
こ
と
とする
。
面山瑞方にお ける 坐禅観の一 側 面(岩 永 ) 一一三
さ
て
、
『
自受用三
昧』の成立は、面
山が肥後
禅定
寺にあっ
て、若
狭
空印
寺
の
請
を
受け
た享保十三年
(一 七二八 )に遡る。
面山
の全著
作
か
ら
すれ
ば
、
こ
の
成
立
は
比
較的
初
期
の
も
のと
な
る。
面山みずから
撰んだ
跋
は、その成立
や刊行に到る事情を
次
のよう
に
説
明
し
て
いる
。
余ノ 西國ニ在シ時 、在家 ノ 男女 ア リ 、佛祖要機ノ打 坐 ヲ 仰 慕シ テ參學 ス 。 因 ニ 、 古徳 ノ 言 句ヲ看讀シテ修證 ノ助ケトセン事ヲ 願フ 。シ カレ ドモ 、漢語通 ジ ガ タキニヨ リ テ 、カ ナノ 法語ヲア タヱ ン ト 思ヒテ、我 朝古今 ノ 禪師 ノ示セル册 子 ヲト リア ツメ テ 檢ス ルニ 、我 永平 祖師ノ訓ニ 合 セルハ、一卷モ無シ。ユヘニ 筆 ニマカ セ テ、新タ ニコノ法語 ヲ 書 キ テ與ヘ ヌ 。祖師 ノ 辨道 話 ニ 、 コ ノ 行ハ 在 俗 ノ男 女モ ツトムベ キ旨ヲ示 サレ、タダ コ レ、 ココ ロザシノ ア ル ナ シ ニ ヨ ル ベ シ 、 身ノ 在家出家ニ ハ カカワ ラ ジ 、 ト ト カル レバ 、 祖 師訓 誨 ノ 跡ヲ 慕フ ベシ。今夏、參州ヨリ 知己 ノ尊宿 一 兩 人 來リテ 助 化ス。 コ ノ法語ヲ電 覽 シテ 、印刻流 通ヲ ス ス ム。 ユヘニ法 語 ノ 末ニ、祖師ノ訓 誨 ヲ集メ附シテ、并セテ 在俗 男 女 ノ 辨 道ニ 便 リ ス ル モ ノ ナ リ 。 于元文二年丁 巳 蘭 秋二十八日 若州空印主 人方杜 多 識 (傍 線筆者 。『續曹全 』「 法 語 」四八八頁下段)面山が
こ
の跋
を
撰
んだ
元文二年
丁巳蘭秋
(七 月 )二十
八
日
は、西暦千
七
百三
十七
年八月二
十四
日
に
当
た
り
、
自署
の
通
り
空
印
寺住
山時代
で
ある
。
『
面山広
録
』巻二十六「
年
譜
」
は
、
『自受用
三
昧
』撰述と開
板
の事
情
に
つい
て
、
享
保
十
三
年
(一 七二八 )の条には、
師四 十 六 歳 。 …略…秋 、受食五 観の訓蒙を 述 す 。 又 、 自 受 用三 昧を述す。倶に 檀 越 平 野氏、小笹氏、内藤氏等の篤請 に酬 ふ 。と記
し、
さ
ら
に元
文二
年の
条
に
は
、
師 五 十五歳。此夏 結 制 、龍河知 客 を 請 し て 首 座に充て、 始 めて 僧堂清 規 を 行 ふ 。 参州東漸寺覚仙力生、同 龍 源寺万光力生、来 会し て 化 を助 く 。 夏中、 綉 道話 を 開 示す 。両 禅師 感激 し 、 毎 夜 永祖 の正 宗 を 請益 す 。 二 師 、 自 受 用 三 昧 の 写 本 を 借 り て こ れ を 看る 。両 師、深旨 に 透 徹し、これを再写 す、且つ印刻して 一派 に流 布 せ んこ とを 願 ふ 。 師 許 さ ず 。 解 制 に 及 ん で 告 暇 し て 、 頻 りに これ を願 ふ 。 師これ を 諾す 。秋 に 到 りて 参州より 、二師浄 貨を京 師 に 贈 て 印 板 成 る 。 師 、 新 本 二 十 部を 贈り て こ れ を 謝 す 。 この 秋 、 永平家訓を撰 す 。と記
し
て
いる。
ここ
で筆者が関心
を抱い
た
のは、面山が
『
自受
用三昧』の
撰述
に到
った
動機で
あ
る
。
跋
文
に
よ
れば
面山は
、
在家者
に
坐
禅
修
行の
標となる仮名
法語を
与
え
よ
う
と
し
て
、我が国古今の
祖師の
法
語を
調べて
み
た
が
、道
元
禅
師の訓
え
に合
す
る
も
の
が
なか
った
ので
、
『
自受用三昧
』
一
巻
を
撰
述
し
た
と
いう。
こ
の
面山瑞方にお け る 坐禅観の一 側 面( 岩永) 一一四
時、面
山
が
い
か
な
る坐禅
法
語を
閲覧
した
のか
、
す
なわ
ち
い
か
なる
坐禅
観
を
道元
禅
師
所伝
の
坐
禅
に
合
致
しな
い
と
判断
した
の
か、
という点
に興味をも
っ
た。
そ
れ
らの坐
禅
観
を
確認できれ
ば、
該本本文に見られ
る面山の主
張
も
明
確と
なり、面
山
の
道
元
禅
師
観
、坐
禅観の一
面が明
ら
かになる
の
で
はな
い
か
と
考
え
た。
なお本稿
で
は
、石
井
修
道氏
が
論
文
「
『
坐
禅箴』考」
( 『 駒 澤 大 学禅 研究所年 報』第 八 号)において
道
元
禅師の
坐
禅観
を確認さ
れる
際
に
用い
ら
れ
た
方
法
を
依
用
し
て
い
る
こと
を
銘
記し
てお
き
たい
。
また
、本稿
で
用
い
た
資
料
は
、
従
来
知
られて
い
るものば
かり
であ
る
し
、
得
ら
れ
た
結
果
も
、
従
来
言
わ
れ
てい
る
処
を
超
え
る
も
のはない
。筆
者
の
研
究
上の確認作業という以上の意義を
も
ち
えないと思う
。
御
宥
恕
願い
たい
。
さて
、こ
の
問
題
を
解
明
す
る
た
め
に
次
の
観
点
か
ら
考
察を
した
。
1
.
『自受用三昧
』は後
述
する通り、誤った坐禅観を
、
イ.
公案を提撕し
て
大
悟
、
ロ.
見聞の主
を尋
ねる、
ハ.
無念
無心
を目指す、
の
三
つ
にま
と
め
てお
り、
これに
合
致する
法語を
、
面山が参
照し得た範
囲
で
検
索す
る。
2.1
で
云
う
「範囲」に関し
て
、
『
自
受
用三昧』
が面山に
とっ
て
比
較的初期の著作
であ
る
こ
とか
ら、本師損翁宗益
(一 六四 九~一七〇 五 )の教誡が色濃
く反
映し
てい
るの
で
はないか、と推測し、面山が学地に在りし日、
損翁
の教
誡を
記
し
た
『
奥
州
損翁老
人
見
聞
宝
永
記
』
(以下 、 『宝永 記』と 略 称)にお
い
て
否
定
さ
れ
る坐
禅
観
を考
察
の
範
囲
に
入れ
る
。
3.同様に1
で
い
う
範
囲につい
て
、
『
自受
用三
昧』は
、
「
綉
道話」に
大きく
依
拠し
て
い
る
。幸い面山の提唱
「
綉
道話
聞解」
が
現存
し
て
いおり
、
その
中
で
、
『
聖
一
国師法語』
『大覚禅師
坐
禅論』に
言及し
、
「手
前
ノ
開山
ノ家
訓
ト
ハ
格別ジヤ
」
(
『永 平 正 法 眼 蔵 蒐 書 大 成 』 十 七 、 三 八 〇 頁 下 段 )と断じて
いる。仮
名法語
で
はないが、
こ
れ
ら
を
考
察の
範
囲に入
れ
る必要
が
あ
る
。
以上の観点から
、
面山
が
道
元
禅
師
所
伝の坐禅
に合致
し
ない
と判断し
た坐
禅
観
を確認
し
、
こ
の結果
を
以下に報告する
。
本
稿
では
触
れ
な
い
が、
『
自
受
用
三
昧
』刊
行
に
あ
た
り
面
山
は
、
その
末尾に「永
平
祖師
坐
禅
要語」
と
し
て
題
目
を
明
示する
こ
と
な
く
、
『
正法
眼蔵』
「
綉
道話」
(抄 文 )・
「
三
昧
王
三
昧
」
(全 文 )・
「坐禅箴
」
(抄文 )・
「
坐
禅
儀
」
(全文 )・
『
正
法
眼
蔵
随
聞
記
』
(抄 文)を掲
げ
て
い
る
。
如
何
な
る
形
であ
れ『
眼蔵
』
の
刊
行
か
禁
じ
られて
い
た
時
代の挙で
あっ
て
み
れば
、英断で
あった
と
云
え
よ
う
。
『自受
用
三
昧
』刊
行の
元
文
年間に面山が依拠し
た
『
眼
蔵
』
『随聞
記
』の
本文がい
か
な
るもの
で
あったか
、
と
いう点
は興味深
い。
いずれ
稿
を改
め
て
検討
し
て
みた
い。
面山瑞方にお ける 坐禅観の一 側 面(岩 永 ) 一一五
一、
『
自
受
用
三
昧
』
が
指
摘
す
る
坐
禅
の
邪
解
面山は『自
受
用三
昧』におい
て
誤っ
た坐禅観につい
て
、
シカルニ、坐禪トテ修スル 人多 シト イヘ ドモ 、ミ ナ凡夫 二 乘 、 權 乘 ノ 菩 薩ノツ ト ムル修行 ノ 樣 子ニシテ、諸 佛本證 ノ 境界 ナ ル 自受 用 三 昧 ヲ 知レル人希 ナ リ。 ユヘ ニ、 或 ハ イ 公案 ヲ提撕 シ テ悟 ヲイ ソ グ ア リ 、或 ハ ロ 見聞ノ 主 人公ヲ タ ヅネ テ心念ヲ 勞スルア リ、 或ハ ハ 妄念ヲハラヒテ無念無 心ヲ好 處 ト思 フモア リ 、 コ ノ外ニ宋 元明ノ ア イ ダ 坐 禪 ノ 功 夫サ マザマ多シト雖ドモ、佛 祖 正傳 ノ 本 ● 色ノ 三 昧 ヲ シ レ ル ハ 、 百 ニ 一 人 モナ キ ガ ゴ ト シ 。 ●本 ― 刊 本・ 『 續 曹全 』 と も 「 木」 に作 る 。 自筆 本 に 依 り 訂 す 。 ( 『 續 曹 全 』「法語」四六五頁上 段 、傍線等 は筆者 が 補った)と述べ
、
さまざ
ま
にある誤った坐禅
の功夫の内、代表的なも
のとし
て
三点を挙げる
。す
な
わ
ち
、
イ.
公案
ヲ提
撕
シ
テ悟
ヲイ
ソ
グ
ロ.
見聞
ノ
主
人
公
ヲ
タ
ヅ
ネ
テ
心
念
ヲ
勞
ス
ル
ハ.
妄
念
ヲハラヒテ無念無心
ヲ
好處ト思フ
の三
で
あ
る。こ
の
三点につい
て
は
、
さ
ら
に詳述されて
いる。
「
イ.
公案
ヲ提
撕
シ
テ悟
ヲイ
ソグ」につい
て
は
、
夫レ 公 案 提 撕 ト 云 コ ト モ 、 宋 朝 ヨ リ ハジ マレ ル コ トニ テ、 四 七 二 三 ノ 前 後ニ聞 ヘ ズ、青原 南岳 以來ノ 古 轍 ニ ア ラ ズ、タタ宋 朝 ノ人 師一分 ノ 了 簡 ナリ。 黄 檗希 運ヨ リ 始 レル ト 云 フ人 ア レ ドモ 、 コレハ 無 根 ノ 浮 談 ナ リ 。 黄 檗 ノ 滅 後 ニ、 趙 州 ノ説 カ レ シ 狗 子 ノ 話 ヲ 、既ニ 入 滅セシ黄 檗ガ提撕セヨ ト參學 エ ススメ ラ レシト云 フハ、 ツ マ ラ ヌ事ナルベ シ 。 又 一 切 ノ公案、モ ト ヨ リ 坐 禪 ヲ修 セ シ メン 爲ニ 設ケ タ ル コ ト ニ ハ アラ ザ ル ナ リ 。 ( 『 續曹全 』「 法 語 」 四 六 五頁 上段 ~下 段 )と述べて
いる。西天
二
十八祖、東土六祖、或
いは青
原
南岳の
時代に公案の提撕、
言
い
換
えれ
ば公案禅、看話禅はな
かっ
た
こ
と
、黄檗希運の頃から
所
謂
公
案禅があっ
た
とするのは妄説
である
こ
とが
指
摘
さ
れ
て
い
る
。
この
問
題
は、
『
自
受
用
三
昧
』
成立後間
もない
空
印寺時
代
の説法
を
集め
た『建康
普説』
で
も
指摘されて
い
る。
『建康普説
』
「第五
除
夜普説」
には以下の記
述がある。書き下
し
て
挙げて
お
く。
そ
の
際各種括弧は筆者が
補っ
たもの
で
ある
。
或 る 者曰 く、 「 公 案を 提撕 するこ と 、黄 檗 希 運禅 師 よ り 始 れ り 、 豈に 様に依 ら ざ ら ん や 」 と 。 嗚 呼 、 是 れ 何 の 言 な る や 。 若 し古 轍に 依 ら ば、則 ち 六年端 坐 、九 白面壁 あ り 。 何ぞ これ を 於 いて 希 運 を用 ふる や 。 況 や 看話禅 は 宋よ り起 り、 唐 に 聞くこ と な し 。 汝等、未だ 審 ら か な ら ずんば、則ち為に弁明せん 。『 緇門警 訓 』 に「黄檗禅師示衆」 な るもの一篇 ( 大正 四八 、一〇七五 頁 上~ 中)を載 す 。 中に謂 く 、 若し是れ 丈夫の漢なら ば、箇の 公案を看ぜよ 。「僧 、趙州に問 ふ 、 『狗子、還た仏 性 ありや』 と 。 州曰く『無』 と 。 」ただ二面山瑞方にお け る 坐禅観の一 側 面( 岩永) 一一六 六 時 中、 箇 の 無字を看 ぜよ 。 昼 参 夜参、行住坐 臥 、著 衣喫飯 処、 導 屎 放 尿処 、心 心 相 顧み て 、 猛に精彩 を著 け、箇 の 無 字 を守れ 。 日久しく歳 深 くして打 成一 片 せ ば、忽然 とし て心華 頓に発 ら き、仏祖 の機を悟 る と 云 々 。 こ の 一篇 、ただ 題 し て 「黄檗禅師示 衆 」とのみ曰 ひ 、希運と 謂 わ ず 。憶ふ に 是れ 趙 宋 に 黄 檗に 住せ る 漢 の 作 なら ん 。 …中略… 況 や 黄檗、大 中四年庚 午(八五 〇年)の八 月 に入寂 す 。この 歳 、 趙州 年七 十三 なり 、是 れ 正 しく行脚の時に当る。趙州の行状を 按 ず るに 曰く 、「 年 八 十 に 至りて 方 めて 趙 州 城東 觀 音 院に 住す」 と。若 し 然 か らば 則 ち 開 法 の 後 、 当 に 狗 子・ 栢 樹 子等 商 量 あ る べし 。 『 趙州録』を検みす るに 、なお 洞 山・ 臨済 とも化を並べず 、 多 く 雪 峯 ・ 雲 居と 唱 酬 す 。 ここに 依 りて これ を 考 ふ る に 、 黄檗 、 豈に 趙 州 の話 を 挙 す る こ と あ ら ん や 。 ( 『 續 曹 全 』 「 語 録 」 五 〇 九 頁 下 ~ 五 一 〇 頁 下 、 原 漢 文 )
この
「
除
夜
普
説
」
に
よ
り、
面
山
の
主
張す
る
所
は明
確に
知
ら
れよ
う
。
『
宝
永
記
』
に
よ
れ
ば、
元禄
十
六
年
(一七 〇 三 )、面
山
が初め
て
損翁と相
見し
た折り
、
師 徐 問 余 曰 、 子 今 在青 松、則毎夜當商 量 古 則 、 頃 者 什麼本 則 。 余云 、玄 沙遍 參話 。師 曰、達 磨 不來 東土 、二 祖不往西天、子 如 何會 。 余 云、 不 増 不減 。 師 笑 曰 、 天 地 懸 隔 。 ( 『 續 曹 全 』「法語」 四一 二頁上 段 、傍線筆者 )との
問
答
が
取
り
交
わ
さ
れ
て
おり
、
損
翁
と
出逢
う
以
前
の
面
山
に
とって
、
公案の工
夫は
当然
なさ
るべきこ
と
で
あ
っ
た
点
は
、注
目さ
れ
る
。
看
話禅
を
当
然
と
す
る
見
解
は
、
その
損
翁
に
よ
っ
て
匡
さ
れ
ている
。
同じく『
宝永
記』に、
余因 問 云 、提撕公案者起 從 何比 耶。師曰、從 圜悟大慧 之 比 起 云 。 少林 面 壁 、實 佛祖 正 傳 三昧 也 。 與 如 來 常 日 端 坐 惟 同矣 。 是 名 寶 鏡三 昧。 如是 之法 、佛 祖密 付者 、竺土大仙心、 東 西密相付者 、 便是也。 彼提撕 公 案 者 、後人 之 私案也。豈可比 佛 祖正傳 而 論 哉 。 然而知 者 鮮矣。可悲。 ( 『 續 曹 全 』 「 法 語 」 四 一 二 頁 下 段 ~ 四 一 三 頁 上 段 )との
問答が
記
録されて
いる。こ
の師資の間
で
、
『
自受用三
昧』
や『建康
普説』に
見ら
れる
如
き
内容
が
、
詳し
く教誡
さ
れ
たこ
とと想
像
され
る。
またさら
に同じく『宝永記
』に、
師示曰、昔 宏 智 禪 師主張 佛 祖 正 傳 之 打坐 、作 黙照銘。 大慧 杲禪 師毀 謗 之 云、黙 照 邪 禪 。然所 自 倡之禪、則提撕公案也。嗚呼 、 佛 祖 正 傳 三昧也邪 歟、後人私案之禪也正歟。眞歇和尚爲信 心銘 拈古、專彈杲老者 、因 之也。 永 平祖師法兄 無外遠 和 尚跋拈古 略 露 其 意 。 永 平 祖師 亦彈大慧 之詞最多。永覺禪師等雖洞上而專擔 荷 大 慧 、 支 那 之禪 所 以 失 却 正 傳 要機 也 。 支 那 且 置 。 今 日 酌 永 平 流者、無擇法眼 。 正歟邪 歟 、混 合莫分。可恨 哉。 ( 『 續 曹 全 』「法語」四一 四 頁 上段~ 下段 )面山瑞方にお ける 坐禅観の一 側 面(岩 永 ) 一一七
と
の
示誨が記録されて
いる
。大慧の看話禅と宏智
の黙照
禅
が
対
置
さ
れ
るの
は珍
しく
ないが
、
その
黙
照
禅が「
仏
祖
正
伝之
打
坐」
と見
做され
て
い
る
こ
と
は
、
や
は
り
注
目す
る
必
要
が
あ
ろ
う。
面山当
時
、
坐
禅に
おい
て公案
を
工夫する
ことは当
然と
さ
れ
ていた
こ
と
、
損翁が宏
智の黙照
禅と仏祖正
伝
の坐
禅とを
同
一
視し
て
い
た
こ
と
(或いは面山が損翁の教訓とし て か く 見 てい たこ と)を指摘し
て
お
き
、
後節
で再度論
ずる
こ
と
とする
。
次い
で
「
ロ.
見
聞
ノ主人公ヲタ
ヅネテ
心
念ヲ
勞スル」邪解
につい
て
『自
受用
三
昧
』は以下の
よ
うに説
明
し
て
い
る
。
又見聞ノ 主 ヲ タ ヅ ヌルモ 、 尋ル物ト 尋 ネ ラ ル ル物 ト、 二人アル ベキ ニ モ アラ ネ バ 、尋 ヌ レ バ尋 ヌ ル ホ ド 辛 勞 ヲ マ シ テ 益ナ カ ル ベシ 。眼ノ 眼 ヲ 見 ザル道 理 ヲモ思 ヒ 見 ル ベシ 。 ( 『 續 曹 全 』 「 法 語 」 四 六 五 頁 下 段 )これ
に
つ
い
て
はや
はり『建康
普
説
』
「第
三始行晩
参普説」
に、
我永祖截海 入 宋 面 授 其 印。歸 唱 之 日 國者 。或 曰。 佛佛要機祖 祖 機要 。或 曰。 自 受 用三 昧。或曰。三 昧王三 昧 。不是大疑大悟小 疑小 悟底 螯貿 。 不 是 株 守 話頭底頑闇 。不是不知生從何處來則疑 來處 不知 死向 何處去則疑去處底匆忙。不是尋 覓 見聞 主人公 底 演 若。是 故其揀異也不用傳燈・普 燈 所 載坐 禪儀 及箴銘等。 ( 『 續曹全 』「 語 録二 」五〇四 頁下段 )と云い、
同「
第十二
仏
祖要機
普
説」
でも、
或有尋 覓 見聞主人公底禪。且道 。能覓與所覓是一是二。眼不見 眼。 滅 火 灑 油 其 焔 彌 増 。 ( 『 續 曹 全 』 「 語 録 二 」 五 二 〇 頁 下 段 )と云う
。
面山がし
ばしば
教
誡し
て
い
た誤
り
で
あっ
た
こ
とが知
られ
る。
さら
に「
ハ.
妄念
ヲハラヒテ無念無心
ヲ
好處
ト
思
フ」につ
いて
は
『
自
受
用
三
昧
』
で
は
、
次
の
通
り
説
明
し
て
い
る。
又妄念ノ 起ル ヲ止 メントシ テ 拂 フコ コ ロ ヲ起 スハ、 モ ユ ル 火 ヲ 滅サ ン ト テ油 ヲ 濺 ク ガ 如シ 、 火 愈増 ベシ 。 ( 『 續 曹 全 』 「 法 語 」 四 六 五 頁 下 段 )以上
イ・ロ・ハ
の邪
解は
、
面
山
に
と
っ
て
は
それ
ぞれ
別個
の
もの
でなく
、
所謂「有所得の坐禅」とし
て
一
括
し
て
理解
され
て
い
るも
の
と
思わ
れ
る
。
『
自受用
三
昧』は
、
『
正
法眼
蔵
』
「辧
道話
」
「
坐禅
箴」
および
『
永平
広録
』四
(卍 山開 板本第 三 〇一 上堂・門鶴 書 写 本 三〇四上 堂)等を
踏
ま
え、以
下
の
よ
う
に
総
括
して
いる
。
コノユ ヘ ニ 、 永 平 和 尚 ハ 景 徳 傳 燈録 、 嘉 泰 普 燈録 等 ニ ノセ タ ル 坐禪 儀、 坐禪 箴、 坐 禪 銘、ミナ 正傳ノ 道 理ニ アラ ズト テヱラ ビ 捨テ 玉ヘ リ 。 或ハ 禪 苑 清規 ニ 出 ル 、 長 蘆 ノ宗 院 禪師ノ 撰 セル坐 禪儀 ハ、 支那 日本ノ 諸 禪師ミナコ レ ヲ肝要ト用ヒ玉ヘドモ、永 平 ハ 、百丈ノ古風 ニア ラズ、祖宗 ヲ 昧 沒 スル ノ失ア リトテ 、ト リ 玉 ハズ 。今 世ニ 、四部 録 ト云モノノ 末 ヘニ イデタル坐禪儀ノ面山瑞方にお け る 坐禅観の一 側 面( 岩永) 一一八 コトナリ 。イ カ ナ ル道理ニシテ、カ ク 古 人祖 師 ノ 作 リ ヲケル指 南ヲ正理 ニ ア ラ ズ トシテ 擇 ビ ス テ玉 フゾ トイ フニ、中古 ヨ リ コ ノカタ祖師 ノ 思 ヘ ル樣ハ 、 我 レ 人 ト モ ニ ミ ナ 迷 ノ 衆 生 ナル ヲ 、 坐禪 ヲツト ム レ バ 、 ソ ノチカ ラ ツモ リテ 、 サ ト リ ヲ得 ナリ、悟 サヘ得レ バ 、 ノチ ハ坐 禪 ス ル ニ ヲヨ ブベカ ラ ズ。 タトヘバ舟 ヲ カリ テ ム カ ヘ ノ 岸 ニ 到 ルニ、 イ タラヌ間コソ舟ハ用フ ベケレ 。 イタリ 著 テハ 舟 ナ ニニ カハス ベ シ、トイフ 樣 ナリ 。今世ノ 坐禪 モ、皆 コ ノ 流 ナリ。 是 ハ 凡 夫 二 乘 權 乘 ノ 菩 薩 ノツ トム ル坐 禪 ニ シテ、迷ヲ除キ悟ヲ求メ、妄念ヲステ、眞理ヲトル、 取捨 ノ作 業ノ ミ ナ リ 。 シ カ ノ 如 キ ヲ 佛 祖 ノ 正 傳ト セ バ 、 如 來ノ 三 昧 王三 昧モ 、 祖 師ノ 九 年 面壁 モ、ミナ 迷ヲ 除キ 、悟リ ヲ 求ル作 業 ナ ル ベキナ リ 。イタ マ シカ ラズ ヤ、震旦モ日本モ、五六百年 ノ コノ カタ ハ、 カカ ル事 ヲ固 執スルモノノ ミ多ク シ テ、大法ノ訣ケヲ 審細ニ 參 得 セ ザ ル ユヘニ、瓦礫ヲ 黄 金トヲモヒ、魚目ヲ明珠ト アヤ マ ル 輩 ノ ミナ リ 。 ( 『 續曹全 』「 法 語」四 六 五 頁 下段 ~四六六頁下段、傍 線 筆者)
つまり、
イ・
ロ
・
ハ
いず
れ
の
坐
禅
観
も
、
妄
を
捨
て
真
を
求
め
る「
取捨
の
作
業
」
に
過
ぎ
な
い
と
して
い
る
。
さ
ら
に
、
鏡
の
譬
喩
を
用
い
こ
れ
を
詳
説
して
い
る
。
長
文で
は
あ
るが
引
用
して
お
こ
う
。
ソノ有 念 無念ヲコ ヘテ修證スルト云 ハ、譬ヘ バ一面 ノ鏡ノ 如 シ 。 妍モ ウツ リ醜 モ ウ ツ ル 。 コ レ 鏡 ノア キ ラ カ ナ ル 徳 用 ナ リ。 シ カ レド モ、 ウツ レル 妍ト醜トハ、鏡ノ 本體ニ ハ ア ラ ズ、タダムカ ヘ ノ 質 ノ 、鏡ノナ カ ニ ウツリシカゲ ナリ 。シカ ノ ゴトク、イマ 有念 ニ善 惡 ノ 差別 アル ヲ見テ、 コ レ ヲ 我 ガ本 心 ナ リト思 フ ハ 、 ウツリシ 影 ヲ トラ ヘテ鏡 ノ 本體 トスル ニ ヲ ナ ジシ、ア ヤマ リナ ルベ シ。 コ レ ハ、 有 念 ノ散 亂 ニ ト ド マ ル コト ヲイ マ シ ム ル 道 理 ナリ 。 サ ラバ無念コソ本體 ト ナ ラメトテ、善惡 ノ 念 ノ 少シモヲ コラ ヌ所 ヲト ドム ル ト キ ハ 、 コ レ 影 ノ ウ ツ ラ ヌ 所 コ ソ 本 體 ナレ トテ、鏡ノ背 ヲ愛スル ガゴ トシ。 ウ ツ ラ ヌハ石瓦 トヲ ナ ジ クシ テ、鏡ノ光明ノ 徳 用ハ無キナリ 。 コ レハ昏沈 無記ヲイマシムル 道理 ナ リ 。シカレ バ、光明 赫赫タル鏡ノ 本光ハ 、 影 ニ モ ア ラズ 、 背 ニ モ ア ラ ザ ルガゴトク、有念無念ノ二ツヲ コ ヘ テ、佛知見ノ 大 圓 鏡 智 アル道理 ア キ ラカニシ ラルル ナ リ 。 タトヘバ坐禪 ノ時 、 無 念 無 記 ニ シ テ 色 モ見 ヘズ、聲 モ聞 ヘズ、イタク 、カユキヲ モ シラ ヌ 樣 ニナ ルハ 、空忍 無 記ニ トドコ ヲ ルナ リ 。 ソ レ ト テ 色ヲ 見テ 色 ト 思 ヒ 、 聲 ヲ 聞 テ 聲 ト ヲ モ ヒ 、 イ タ ク 、 カ ユ キ ヲ シ リワ ク ル ハ、 有縁 散亂ニトド コ ヲル ナリ 。トモニコ レ 情 識 ナリ 。ユ ヘニ三 祖 大 師 ノ 云 ク、勿逐有縁、勿住空忍、 コ レヲ參ジテシル ベ シ 。 タ ダ色モ 聲 モ 、明カニテラシテ 了 簡 ヲ 加 ヘ ザル ト キ ヲ 、 佛知 見ト 云 ナ リ 。 シカ レド モ、 先 ノ 鏡 ノ 喩 モ 的 當 ニハ ア ラ ズ 。 總ジテ 喩 ト云 ハ 、 直 ニ 其境界ヲ 顯 コ ト ナ ラヌユヘ ニ、似 タ ルモ ノヲ 以テ ナ ゾ ラヘ テ 、 其 境 界 ヲ シ ラ ス ル ナ リ 。 コ ノ ユ ヘ ニ 、 喩 ヘ ラ ルル 所マ デハ タトユレドモ、カタガタハトドカヌモ ノ ナリ トシ ルベ シ。 生盲 ノ人 ノ、 日 輪 ハ イ カ ナ ル モ ノゾ ト 問 シ ニ 、 マ面山瑞方にお ける 坐禅観の一 側 面(岩 永 ) 一一九 ロキ トコ ロヲ シラ セン トヲ モヒ テ、カ ナ ダラ イノ ア リ タルヲサ シ出シテ 、 コ レ ニ ニタリトイイシ ニ 、盲人コレヲタタイテ ミテ 、 サテ ハ日輪ハ 音 ノ 好キモ ノ ナリトイヒシト同ジ。ユヘ ニ、タト ヘ ヲ コ コ ロ ヘ チ ガ ユレバ、大イ ナ ル 誤リ出來ル ナ リ 。 今 ノ 鏡ヲ タト ヘニ スル モ、 タダ念 起 ト無念ト、ソノ 念 無念ヲ 超 タル光明 ヲコソタ ト ヘ テシ ラスレ。 餘 ノ 委 細 ハ タ トヘ ガタ シ。 イ カ ニゾ ナ レ バ、 元來 鏡ト 影ハ二ツ モノニ テ 、妍モ醜モミナ 外 ヨ リ 來ル モノナ リ 、 今 ノ 念 起 ノ トキハシカ ラ ズ。善惡憎愛ノ念イ ク 種ア ルモ、 皆吾心ノ 變 ズルトコ ロニ シ テ 、 外 ヨリ 來 ル モノ ハ 無 ナリ 。 本光 ト念起ト 、全 ク二 ツ ニ ア ラ ザ レ バ 、 鏡 ノ 譬 ヘ 的當 ナラズ ト 云ハ コ ノ 故ヘ ナリ 。 ( 『 續曹全』 「 法 語」 四七〇 頁 下段 ~ 四 七二頁上 段)
ここで
イ・ロ・ハ
の邪
解は
、
「
昏
沈
」の坐
禅
と「散乱」の
坐禅
との
二
に
纏
め
ら
れ
て
い
る。
以上
に
よ
り
、
『自
受用三昧
』が誡め
ると
ころ
の公案を提撕
する
坐
禅
、見聞の主
人
公を
尋ねる坐禅
、
無念
無
心
を
目
指す坐
禅
は
「取捨
の
作業」た
る有所
得
の
坐
禅で
あり
、鏡の
背
面の
無
照用を是と
す
る「昏沈」と、鏡にうつる像の上
に
真
偽を選ぶ
「散
乱
」
の二
辺に陥
る
ものと
総
括
さ
れ
て
いる
こ
と
が確
認
さ
れ
る。
しか
もこ
れ
ら
の
坐
禅は
、
『
自受用三昧
』
が「今世ノ
坐
禪
モ、皆
コ
ノ流
ナリ
」
と
いう
如く、面山当時に
も盛んな
も
の
で
あっ
た
ろ
う
。
以上
の
確
認を踏まえ、節を改め
てこれら誤
っ
た
坐禅
観
を
説
く
法
語
を
検
尋
す
る。
二、面
山
当時に流布した坐禅
法
語
本節で
は
、面山
当
時
に
流
布
した
坐禅
法語を
確
認
し
て
お
こ
う
。
前述
した
ように面山
の
提唱を筆録
し
た「
正法眼
蔵
綉
道話」
には、
唐モ日本モ 文 字 文 章ハ好 ケ レ ド モ 、 此話 ノ 様 ニ 一 代藏経 ノ 結局 骨 目 ヲ 括 テ 云 ル ル コ ト ハ、唯 手 前ノ 祖師 ヨリ 外 カ 無ヒ 。大 覚禅 師ノ 坐禅論ト 云ガ ア リ 、聖 一國 師ノ 坐禅法語ト云ガ ア レドモ 、 手前 ノ 開 山ノ 家 訓 ト ハ 格別ジ ヤ 。辨道話ノ 坐 禅 ノ 勧 メ 方ハ、釋 迦如來、達磨大 師 以來、 少 シモユガ マヌ 坐禅ノ 法ジ ヤ 。 ( 『 永 平 正 法眼 蔵蒐書 大 成』 十七、 三 八〇頁 上 段~下段 、傍 線筆者)とあり
、
『大覚
禅
師
坐
禅論』と『
東
福聖一
国
師法語
』
が面山
の視野
に
入っ
て
い
た
こ
とは間違いない
。
江戸時代
刊
本
『
大
覚
禅師
坐
禅
論
』
(駒 図一 八 〇 ―八一 )には
「大覚禅師省行文」
、
「大慧
発
願文
」と
并
び
『中
峰和尚坐
禅論』
が
附載さ
れ
ており、
これも
見
逃す
こ
と
は
で
きまい
。
い
ず
れも漢文
体
で
はある
が
、
本稿におい
て
は
考
慮する
こ
ととした。こ
の
両
論につい
て
は
、
面山と同時代
を
生
きた無
著
道
忠
(一六五三~一七四四)も、
『
禅
林象
器箋』
第
九
「
叢
規
類」の「坐禅」
項
におい
て
指摘し
てい
る
。
面山瑞方にお け る 坐禅観の一 側 面( 岩永) 一二〇 忠 曰 く 。 坐禪の 用 心、 諸祖、箴 有り 銘有 り、 儀有 り 論 あ り 。 悉 く 録 す 可 から ず 。 今且く其の目を挙 げ て 、 辨 道の士の檢尋に備 ふ。 杭州の五雲 和 尚、坐 禪 箴 傳燈 録載 鵝湖の 大 義禪師、 坐禪銘 緇門警訓載 天台 の 大 靜 禪 師 、 坐 禪 銘 諸祖 偈 頌 載 同安の察禪師、坐禪銘 諸祖 偈 頌 載 佛眼 の 遠 禪 師 、 坐 禪 銘 緇門警 訓 載 長蘆の 院 禪師、 坐 禪儀 禪苑 清規 載 佛心の 才 和 尚 、坐 禪 儀 普燈 録 載 中峯の 本 禪師、坐禪論 蘭溪 隆 禪 師 、 坐 禪 論 明極俊禪師、坐 禪 訣 焔慧 語要載 永平 の 元 禪師 、坐 禪 儀 并銘 瑩山 瑾 禪 師、 坐禪 用心 の記 、及び三 根坐禪の 説 (『 禅 学 叢書 之九』 三 五 三 頁 下 段 ~ 三 五 四 頁 上 段 、 原 漢文 、 傍 線筆 者)
正保
三
年
刊本
『東福
聖
一
国
師法
語
』
(駒 図 一 八〇 ―二二七)は仮
名法語
で
あっ
て
無
論外
す
こ
とは
で
き
な
ま
い。但し
『大覚
禅師
坐
禅
論
』
とほ
ぼ同
内容
で
あ
る。
さら
に『宝
永
記』
に
は
、
師 曰 、 東 渡隱 元禪 師晩明英 傑。出門下 者 莫 越 木 庵 。嗣木 庵 者潮 音爲 最。 潮 音 之所倡 乃 隱元 木庵之直指 也 。 潮 音所 著坐 禪 論 一册 、 今行 于世 。讀 之即 知、明朝 實失 佛 祖 正傳 之修證也。其所論也唯 據元 明禪 師之私案 、似 未 及 二 乘 之觀 練 、 何望 摩 訶 衍 之 三昧 。 況 擬之 少 林 壁 觀 哉 。 汝 等 以 禪 餘讀之 與 永平 祖師家訓 坐禪、對 決則 黒 白 立分。古人謂之 揀 異。努力耶 。 ( 『 續 曹 全 』「法語」 四一七 頁 下段、傍線筆者 )との記
述
があ
り、潮
音
道海撰『
坐禅論
』
(延 寶七〈一六七八 〉 年七 月日 刊 、 駒図一八 〇― 二四 六)も検
討
を
必
要
としよ
う
。
同じく『
宝永
記』には、
有 白 蓋老 宿 者 、奧 州永 徳 寺 前住也。 因事退院 、來寓 泰 心。 自 謂 、 壯年 參網干盤珪禪 師。或僧因問 盤珪禪師法要、白蓋謂、珪禪師 常 示 人云、但 守 不 生。人人各各本有佛性、爲妄念見蔽。是故妄 念 不 生即 是佛 性 。 欲委 悉、則 更 聞 。 譬如定中聞 鐘 聲 、 時 思 量 是 鐘聲者妄念也。不思量而知鐘聲底物、是 即本 有 圓 成活 佛心也 。 以故 、但 守不 生、 則 便 當人耳 。 師聞之云、 盤 珪止如此歟。若實 如 此 見 解 、 則 未 出 凡 夫 之 窟 。豈及佛性佛心之 談哉 。何 者、不 思 量而 領納 底是 名受、即 五蘊第二耳 。 是故 古徳云、不受諸受、是 名正受。 若認此受 以爲 本 有 圓成 活 佛 心、 則北 轅 向 越 也 。 未 入 二 乘之 小徑 、況 佛 祖 大道乎。祖師云、毫釐有差、天地懸隔。實是 天 地 懸隔。洞山祖師 云 、驢前馬 後漢。長 沙云、無量 劫 來生死 本 、 癡人 喚作 本來 人。 皆指此也。可不恐而惶哉。雖然、疑珪老者不 如是、 但 塗 説 也 耳 。 ( 『 續曹全 』「 法 語 」 四二二 頁 上段 ~下 段 )面山瑞方にお ける 坐禅観の一 側 面(岩 永 ) 一二一
との
一
段
が
あ
り
、
面
山
は
盤
珪
永
琢
(一 六 二 二 ~ 一六九 三 )も意
識
し
てい
たろ
う
。
盤珪の法語の刊行は面山
以
後
で
はあるが、
元禄
三年龍門
寺における結制
時
の説
法を筆録
した法語
等、そ
の
法
語類
は写
本
と
して
世
に
流
布
して
い
た
と思
わ
れ
、
検
討の
必
要が
あ
ろ
う
。
因
み
に
逸
山祖
仁編
『盤
珪
和
尚法
語
』
には
、
奥州 仙臺の 僧 來 り 問 、 「本 心には 、 いか よ う に覚 悟い た し 、 か の ふ べ しや 。 」 答曰、 「 今 尋 ね ら る ゝ 外本心なし。此本心は、念を 離 れ て 一 切に 通じて 分 明也 。其 證據 には、仙臺の事を問 へば 、 分 別 なしに 答 へ ら るゝ にあら ず や 。」 ( 『 盤 珪 禅 師 全 集 』 一 二 九 頁 )との
一段が
あ
り
、
『宝永記
』の記事に見
え
る
奧
州
永
徳
寺前
住
白蓋
と
の
関連
も想像
さ
れ、興
味
深
い
。
こ
の他、坐禅に関
わ
る
法
語
を
『
〔
新
纂〕禅
籍
目録』により
検尋し
て
みるなら
、
『
〔 由 良開山 〕法燈
国師法
語
』
(正 保二年 刊 、 大日 本 仏 教 全 書 九 六 )及び
『法
燈
国
師
坐
禅儀』
(前書 附 載)が挙
げら
れ
る
。
さ
ら
に
、
坐
禅
法
語
と
銘
打
たれ
て
は
い
な
い
が
、
法
燈
派の
流
れ
を
汲
む
抜
隊
得
勝
(一 三二七~一三八七)の法語『
塩山
仮名
法語 』( 寛永 二十年 〈 一六四三〉刊行 、 駒図 一八 〇―一三)は、
抜隊の
坐
禅観
、大悟観を
よく
表し
て
い
る。また、夢窓疎
石
『
夢
中問答集
』は、無論坐禅
に
つい
ての
言
及
が見られ
る上
、
面
山
当時ま
で
に数次
の刊行がなさ
れ
て
い
る
。
これまで
、
面
山の批判的に見た
法語、との前提から洞
門
以
外の
法語を
列
挙
し
た
が
、面
山が「
我
朝古今ノ
禪
師
ノ
示
セ
ル
册
子ヲ
トリ
ア
ツ
メ
テ
檢
」
した
と
い
う
以
上
、
洞門
の
法
語
も
検
討
す
る必
要が
あ
る
。
無著道忠が
指
摘する
瑩
山禅
師『坐禅用
心
記』并に『三根坐
禅説
』
(延 宝 八 年 〈 一 六 八 〇 〉 、 卍 山 道白序刊 )や、例
え
ば道
元禅
師に仮
託
し
て
撰
述
さ
れ
承応二年
(一 六五 三)の刊
行が確
認
さ
れる
『
永
平和尚業識図
』
( 『 續曹全 』 「 宗 源補 遺 」 、底本 は 承応二年 〈一六五三〉刊 。 以下 業 識 図と 略 称 )なども
、
検討の対象とす
べき
かと
思われ
る
。
かく概観するなら、面
山活
躍
以
前
の
十七世紀
中頃、各宗各
派ともみずか
らの
宗
祖
派祖の坐禅観を
示
す法語を競
っ
て刊
行
し
て
い
た
観があ
る
。とまれ
本稿
で
検討の対象とする法語類を
以下に列挙し
て
お
こう。
蘭溪道隆『大覚
禅
師坐
禅
論
』
円爾
弁円『
東
福
聖
一
国
師法
語
』
中峯明本『中峰和尚坐禅
論
』
無本覚心『
〔
由良
開山〕
法
燈
国
師法
語
』
『法燈
国
師
坐
禅
儀
』
抜隊
得
勝
『
塩
山仮
名法
語』
夢窓
疎石
『夢
中問答集
』
盤珪永琢『盤珪和尚法語』
等
潮音
道海『坐禅
論
』
瑩山禅
師
『坐禅用
心記
』
『
三根坐禅説』
面山瑞方にお け る 坐禅観の一 側 面( 岩永) 一二二
『永
平
和
尚
業
識図
』
三、各法
語類
の検討
さ
て
、本
節
で
は、
前節
で
列
挙し
た法語類における坐禅観の
実際
を
確
認
す
る
。
但し本稿
の目的は『
自
受
用
三昧
』
を
手
掛
か
りとし
て
面
山
の坐禅観のを考察する
こ
と
であり、
そのために
、
面山が手に
し
たと
思しい法語類を
検
討する。
よっ
て
、
こ
こ
で
取り上げ
る各法語
撰
述
者の思想信仰の全貌を
問
題と
し
て
いな
い
。
あ
く
ま
で各法語
に
お
け
る坐禅への言及を指摘
す
る
に
留
ま
るこ
とを
お断
り
し
て
お
か
ね
ば
な
ら
な
い
。
1.
『
大
覚
禅
師坐
禅論』
『
東
福
聖一
国師
法語
』
『
中峰
和尚坐禅
論』
『大
覚
禅
師
坐
禅論』
『
東
福
聖一
国師法
語
』
と
は
、
前
者
は
漢
文
体
、後
者は
和
文
体
で
あ
る
が、その内容が
き
わ
め
て
類
似し
て
いる。始めに坐禅を大
解
脱
の道、諸法の根源と総括した
あ
と、
坐禅の功
徳等につい
て
、
前
者は三十五、後
者
は二十四の問答
で論
を進
め
る
構
成
と
な
っ
て
いる
。
か
つ
て
衞
藤即應博士
は
『正法眼
蔵
序
説―辨
道話義解
』
(昭 和三十四年、 岩波書店刊)におい
て
、
恐
らくは面山の
「辨道話
聞解」に
導かれて
の
こ
と
か
と思
われ
る
が
、
こ
の両
書を取り上
げ言及されて
いる。
以
下長
文となる
が、その
一部を
挙
げる。
この 兩 書 は い ず れ も 問答體 であ る が 、坐 禪 論 は漢 文 で 三 十 五 問 答 、法 語は 和文 で二 十 四 問答 よ り 成 つ てい る。 こ れ を比 較 し て見る と 、大 體 に お い て同じ疑問を呈出し て いるだ け でなく 、 答えも ま た 趣 旨 に おい て は 、ほぼ同じ で ある といつ て もよ い 。 答 話 が同じになる の は 、 同 じ宋 朝禪の 達 者 で あるか ら である と いえ ない こともな いが、そ れに し て も質 疑の 順序 ま で が、 二 、 三の前後があ るだけで、大體一致 し ているの であるか ら、この 二 書 は 獨 立した 著 作 で はなく、必ず いず れか一 方 が、 他方によ つ た も の であることは、一讀し て明瞭である。 聖一 國師 法語の 最 後 に 「 聖 一 國 師 密 カニ 開 ニ 示 スル 九條大臣 一 坐禪 論終 」 と ある 。 九 條大臣の求法の請 に應じて 、か ねて畏敬する 大覺禪師の 坐 禪論が手 近に あつ たの で、 とりあえず こ れを和文 に敷 衍し 、取 捨し 解脱し て 密かにこれを 與 え たもの で 、一般に 公 表 し た も の と は 思われ な い 。 九 條 大臣と い え ば 、左大臣 藤原 道家 公の こと で 、 公は早くか ら 聖一國師に 歸 依し、その爲に國 師 の 入 宋 中 に 東福寺を 起工したが、國師歸 朝 後もなお未だ竣工 しな かつ た の で 、 寛元三年に 普 門寺を建立して 國 師を居住 さ せ たという。しかし 公は晩年 出家し て 、東 山入道 と 稱 し た禪の 求 道の 士 で あ つ た か ら 、 平生 國師 の提 撕を 受 け て い られた の で 、 こ の 法語と も な つ たので あ ろう。 こ と に 法語の最 後の 問いに 「若見性 成佛 の宗を明めずし て 臨終におも む かん時、末期の用 心 い かにす べ き や 」 と いう大覺禪師坐禪論にない一 問が 設 け ら面山瑞方にお ける 坐禅観の一 側 面(岩 永 ) 一二三 れ 、 と く に心 して 諄々と 説 示 さ れて い る こと は 、 對 機 相應 の法 話とし て 、 意 義 深 きもの と 思 う 。 …略… 質疑 の 内 容は、 榮 西禪 師の 場合とは まつたく 趣を異 に し 、 宋 朝禪の 宗 要 に 觸 れ た宗 義上の 疑 問を中心 とし て 、 轉迷 開悟 とか 、 ある いは 讀經 、持戒 等 の 善 根 功 徳 と か い うよ う な 、宗 敎 生 活 の 實效的方 面 が 取り 上げ られている。 從つ て 、 宋 朝 禪の本義 であ る 「 無心 」と か「 一念 不生 」と か「 見 性 成 佛 」と か い う こ と が 、 種々 の方 面から 、 か ら み合つ て 問いと な り答 えとなつ ている 。 し か して そ の 答えは 、 要領を捕 捉するの が 難 し い、通常の禪問 答で も な く 、 と い つて 禪 匠 の 高 い 見 識 の 提 唱 で も な い 。 大 體 に おい て 一 般教 學を 應用 した きわめ て 低 調 な答 話 と な つ てい る 。 ( 『 正法眼 蔵 序説』一 五五 頁~ 一五六頁)