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青 森 県 障 害 児 教 育 史 - 盲 ・聾 教 育 の 創 始 と八 戸 盲 範 学 校 の設 立 -

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(1)

弘前大学教 育学部紀要 第51 号 :1‑1

0(1984

3

月)

BuLl.Fac.Educ.HirosakiUm'V.51I.1‑10(Mar.1984)

青 森 県 障 害 児 教 育 史

‑ 盲 ・聾 教 育 の 創 始 と八 戸 盲 範 学 校 の設 立 ‑

Hi s t o r yo ft heEduc a t i o nf o rHa ndi c a ppe dChi l dr e n i nAo mo r iPr e f e c t ur e

‑ Begi nni ngofEduc a t i on f ort heBl i nda ndDeaf ,and Es t abl i s hment ofHac hi noheSc ho olf ort heBl i ndand Dumb. ‑

安 藤 房 治*

Fus aj iANDO

(1983.12.15

受理)

1. は じめに

1)

近年地方障害児教育史 の発刊が相次いでい るが,青森 県においてほそ の歴史 の解 明が全ん ど手つかず の状 態にあ ると言って も過言ではない。

本県の障害 児教育史に関す る事実を断片的に と りあげた ものには ,『青森 県教育史』 ( 青森 県教育史編集委 員全編,昭和

47

年),『 青森 県教育史 ・下 巻』(前野喜代治,昭和

33

年)があ る。『日本 の精神薄弱教育一戦後 三 十年‑第四巻 地域史 Ⅰ・東 日本 』 (全 日本特殊教育研究連盟,昭和

54

年)に収録 され てい る 「青森 県」

の章 (田中光世)は,通史的 に記述 した もの としては数少ない例ではあ るが, これは戦後の精神薄弱児教育 を中心に まとめた ものであ り,戦前の歴史についての言及はない。 この よ うな状況の中で, 『青森 県障害児 教育史年表』 ( 青森 県障害児教育史研究会,昭和

57

年)は,青森 県障害児教育のあゆみを通史的に明 らかに

しよ うとした もの として評価で きる。

本稿は, 『 青森 県障害児教育史年表』 中の歴史的事項お よびそ の資史料に依拠 しなが らも,新たな資史料 を加 え, 明治期を中心に,八戸盲唖学校開設に至 るまでの障害児教 育史 を明 らかにす ることを 目的 とした。

2. 八戸盲唖学校設立 までの盲,聾唖児教育 ( 1 ) 寺子屋での教育

2) 江戸時代 の寺子屋に多 くの障害 を もった児童が在籍 し教育を受けていた ことは 「特殊教育の前駆」 とされ てい る。本 県において もこの事実が 明 らかに され てい る。 まず第‑ の事例は,三浦元隆 の寺子屋

(1749‑ 18 74,

現南津軽郡尾上町)での盲唖児教育であ るO この事例は 「本 県におけ る特殊教育の濫鴨であ る」 とされ

3)

ているが,詳細な教育の内容は明 らかにな っていない。第二 の事例は,安定寺の寺子屋 ( 現青森市

, 1825‑

1887)

での唖児教育であ る。前野喜代治は,本寺子屋 においては夜 間唖者に対 して習字 の指導が な され てい 4)

た事実を明 らかに し,以下 の よ うに評価 してい るO

「他の寺院は一般童豪の指導に も手を さし伸べ得 なか った当時 にお いて,安定寺七世寿教以後歴代 の住職 が,昼 間多数 の子弟 の教育に力を致 したのみな らず,夜間更 らに唖者 の指導に努めた ことは特筆すべ き功 業であ る,それは膏に青森におけ る唖老教 育の噸矢 とい うのみでな く,私 の知 る限 りにおいて, 日本 とし て最 も早 く唖教育に着 手 した事例 と思 う」

江戸時代後期,すでに全国的にかな り多数 の障害 児童が寺子星にて教育を うけていた事実を考慮すれば, 前野 の評価はい ささか過大評価 の感は まぬがれ得ないが,本 県におけ る盲,聾唖教育の前駆的試み として注

目に値す る。

*弘前大学教育学部心身障害学科教室

(2)

2 安 藤 房 清

( 2 ) 近代教育制度の成立 と障害児の就学

1. 義務教育の拡充 と就学義務猶予 ・免除対象 の明確化

明治 5 年 (1 872)の学制頒布 とそれに もとづ く教 育制度の確立は,わが国近代教育の発足 とされてい る。

本県において も,藩学, 寺子屋等旧来 の教育施設に とってかわ って小学校等公約教育機関が次 々と設置 され てい った。

近代教育の確立 のための 課題 の一つは 義務教 育制度に よる 国民皆学の 実現であ った。政府は,明治 1 2 年 (1 879)の小学校 令お よびその後の二度の改正に より義務教育体制を整備す る一方,地方に対 しては文部省 を通 して就学督責体制の確立を迫 った。小学校令お よび地方での就学曹責体制の確立に より,わが国の義務 教 育就学率 (男子)は明治 3 3 年 (1 9 0 0 )9 0% を超 えた。

この よ うな義務教育の拡充,義務教 育就学率の向上は,就学義務の猶予 ・免除対象を明確化 してい く過程 と表裏一体の関係にあ った。す なわち,蓑‑1. に示 されているように,第一次小学校令は まず就学義務猶予

表‑1. 就学義務の猶予 ・免除規定

法 令 l 就学義務の猶予 l 免

第一次小学校令 明治 1 9.4

事 由 :疾病,家計困窮 , 其他止 ムヲ得サル事故

(府知事県令の許可) 第二次小学校令

明治 2 3. 1 0

事 由 :貧窮,疾病,其他巳 ムヲ得サル事故 ( 監督官庁の許可を受けて市長村長が)

第三次小学校令 明治 3 3. 8

事 由 :病 弱又‑発育不 完全

事 由 :疲癒, 白痴又‑

不具廃疾 事 由 :保護者 ノ貧窮

(いずれ も監督官庁の認可を受けて市町村長が) 蓑注)荒川勇 ・大井清吉 ・中野善達 『日本障害児教育史』47 頁 より抜粋

対象を明確化 し,第二次小学校令は就学義務猶予 ・免除の対象規定を した。そ して,第三次小学校令は 「 病 弱又‑発育不完全」等を就学義務猶予に, 「療願,白痴又 ‑不具廃疾」を就学義務免除対象 とした。伊藤 に よれば 「天皇制公教育体制が構築 され てゆ くなかで,障害児は義務教育の対象外であ ることが,義務教育を

5)

規定す る教育法令に よって明確化 してい った」のであ る。

青森県 も,明治初期は,種 々の就学奨励政策に より就学の督励を強化 し,就学の実を上げ る一方で ,政府 ・ 文部省の指導に したが って,就学義務猶予 ・免除制度を整備 してい った。

明治1 4 年 (1 88 1 )の文部省通達 「就学督責規則起草心得」を受けて, 同年青森 県は 「就学督責規則」を定 めた。同規則に よれば,就学不能 の事項について以下 の ように規定 してい る。

「第十条 第一頬 ノ学齢児童 ニシテ教 育令第十五条 二拠 1 )己 ムヲ得ザル事故 卜称 シ就学スル 「能 ‑ザルモ ノ ト認 ムべキ事項‑左 ノ如 シ

第 一項 療療 白痴若 ク‑篤疾 二罷 ル老

第二項 親族中底疲 白痴若 ク‑篤疾

曜ル老 ア リ其看護 二給待スル老 第三項 盲醍聾塞 ノ療疾 二罷 ル老

第四項 居住 ノ地方人家稀疎殆 ソ ド無煙 ノ僻郷 ニシテ就学 ノ方便 ナキ著

右 ノ外家貧肇 ニシテ学資支弁 ノ途ナ ク学区 二於 テ貧生特別就学 の方法設立 セザル際 ニア リテ‑暫 6)

ク就学 スル能 ‑ザル事 トス 」 ( 下線は筆者) 7)

明治1 9 年 (1 88 6)に定め られた青森県 「学齢児童就学視則」は, 同年 の第一次小学校令に したが って,読 学義務猶予条項を規定 し, 「疾病 」 「家計困難」な どをその対象 とした。 明治 3 3 年 ( 1 9 0 0) の青森県 「学齢

8)

児童就学に関す る細則」は,就学義務猶予 ・免除対象については,第三次小学校令 ( 表‑ 1. 参照)の規定に

(3)

青森県障害児教育史 3

したがい, 申 し立てや許可等に関す る具体的な手続 きを定めた。

青森県の就学に関す る 「規則 」 「細 則 」の経過が示す よ うに,県は当初, 「病癖 白痴」な どとともに 「盲 竪琴」の障害児 も就学不能児 としていたo Lか し,その後の就学義務猶予 ・免除の対象 としては,小学校令 すなわち政 府 ・文部省の政策に したがい, 「盲醍聾」を規定 しなか った。

2. 育,聾醍児の就学

青森県は,盲,聾醍児の就学奨励策を講 じた とは言えないが,盲学校や盲児教育に限定すれば,その必要 性や可能性を全 く否定 していたわけではなか った。それは以下 の二点において明白であ る。 まず第一に,育 森県は明治1 4 年 ( 1 8 8 1 )の 「就学督責規則」を除いて,就学義務猶予 ・免除の対象 として盲,聾唖を特別に 規定 しなか った こと,第二に,明治 9 年 (1 8 7 6)の 『 文 部省第四年報』 (「青森県」の項)において , 「幼稚 園盲人畢校等」は 「普通小畢 ノ設置普子 カラサ レ‑暫 ク之 ヲ設 クル ノ撃に致 ラス 」 ( 3 06 貢) とされてお り, 同様の記述が 『 青森県学事第二十 一年報 』 (明治2 6 年)に も見 られ ることであ る。 こうした県の姿勢,政策 の下で就学す る盲,聾唖 児 も少な くなか った と思われ る。

蓑‑2. は,少な くとも明治30 年代以降,盲児や聾唖児が就学 していた事実 を示 している。明治期において, 表 ‑2. 学 齢 児 童 中 盲 聾 醍 老

表注)明治31 ‑34 年度は 「青森県学事要覧」,他年度は 「青森 県統計書」 よ り作成 した。ただ し,昭和 4

‑ 8 年度の数値は , 「昭和 8 年青森県統計書」 ( 第 4 編 「学事」 5 頁: )に もとづ いで作成 した。なお、

「盲聾醍老」 とは、盲でかつ聾虹の二重障害者 を示 しているO

(4)

4 安 藤 房 泊

9)

盲児や聾唖児が小学校に在籍 していた事実 は,全国的に もほ とん ど未解 明であ り, きわめて貴重 な事例であ る。 また,明治36 年 (1 902)三戸小学校において 「視話講習会」が開催 され,県内か ら 43 名が参加 し,一週

1 0 )

間の講習が行なわれた。 この ことは,盲,聾唖児が単に在籍 していたのみな らず, これ らの児童 ( 少 な くと も聾唖児)に対 して,何 らかの指導がな され ていた ことを示 してい るo Lか し,小学校におけ る盲,聾唖児 の在籍 は,表 12 , で示す よ うに,少人数 であ り,組織的な もの とは言 えない。 したが って, この中か ら,育 学校, あ るいは聾唖学校 の設立 の要求があが ることはなか った。

3 . 盲唖学校の設立

青森 県におけ る盲学校,聾学校 の崩芽 は,明治 2 4 年 ( 1 8 9 1 )に盲人 ・永洞清吉 らに よって設け られ た東奥 盲人教訓会 の組織化であ る。 全国的に も,盲児に対す る組織的な教育は,小学校 に在籍 していた盲児に対 し て始 め られ たのではな く,盲人等で組織す る盲人学校 として発足す る例が多か った。 この理 由 として, 「教

i l l 尼

育方法 の特殊性 とい うよりも, 彼 らの将来が特定の職業に限 られ てい ること」があげ られ てい る。すなわ ち, 盲人の職業 として伝 統的な鍛治,按 摩等 の技能 を身につけ るための教育が要請 され たのであ るC八戸盲唖学 校 の前身であ る東奥盲 人教訓会 も, こ うした盲人 自身 の職業的 自立 の要求に もとづいて, 盲人自身で組織 化 され た ものであ った。 また盲学校 としてほ,全国第五番 目に設立 され た ものであ り,本 県の障害児教 育史上 特筆べ きであ る。

( 1 ) 東典盲人教訓会 とその教育活動

東奥盲人教訓会は,明治 2 4 年 ( 1 8 9 1 ) 4 月,永洞清吉, 十 日市茂吉,大松 由松 (いずれ も盲 人)に よって, 1 2 ) 1 3 )

「失 明者に対 し担 当の教育を授け以て従事生計の資 た らしめん 目的」を もって組織 され た。

東奥盲人教訓会は同年11月 3日教育事業 を開始 した。 「その会 は毎週二,三回集会 して諸技術を磨 き,教 養を高め るために講話 な どを開 き,そ の生活態度の改善に大 いに見 るべ きものがあ り,集 る盲人 もそ の数を

1 . )

増 し,風紀上 の点において も道 々成果をあげた」 とい うのが初期 の教育活動であ る。その後の教育活動の詳 細につ いては不明な点が多いが,以下 の 『東奥 日報』記事 (明治43 年1 0 月21 日付)に よって当時 の教 育活動 の一端 を伺 い知 ることがで きるC

「本台専任 の講師は東京盲 人学校卒業生に して岩 手騒人北村利助氏な り氏は生理解剖地理 修身読本 の諸科 を毎 日四時間以上五時間を塘 任教授 しつ 」あ り其他合長倉員は按 摩叙遊芸等を塘任,現在十六 名の盲生は 岩手解人一,上北郡一,本郡十四名 の内五 名は普町人に して これ等は 自宅通学親戚等に寄宿,通学,曾内 寄宿に して曾内寄宿生の内三 名は夜間等 の放課後に於 て町 内有志 の愛顧を受け下操みを為 して幾何つつ の 所得に て苦学 し居れ り」

1 5 )

また, 同記事 に よれば 「速 成科 ( 三年) 」 「専修科 ( 四年) 」 「随意科」 の三科 をお き,速成科は 「青 年 に到 りて盲者 となれ る もの或は相皆 の経験を有す る老」を,専修科は 「十歳以上 の児童」を対象 とし,両科

とも按摩,銘 を教授 した。随意科においては 「遊垂即ち三味線及御国浄瑠璃等」を教授 した。

1 6 )

東奥盲 人教訓会の教 育を受け卒業 した ものは明治末年 までの2 0 年間に11 7 名を数 えた。 この当時 , 「 盲人 の 家庭 の多 くは極貧者にあれば本 会に在学す るも唯軌 こ食費 も家庭的 自炊生活 なれば一 ケ月三 園以内にて足 る

1 7 )

と錐 も三年 ( 速 成科)以上四年 ( 専修科) の修業期送費す るは甚た困難」な状況であ った。 したが って,教 訓会は生徒 よ り授業料 を徴収す ることは不可能であ ったばか りか,彼 らの食費 まで負担 しなければ な らなか ったため,運 営資金 の調達が至上課題であ った。

盲人教訓会には,主 として三種類 の資金調達方法があ った. まず,第 一は, 「会費盲人達 の慈善的頼母子

1 〜 1 ) 1 9 )

講を数十回其所得を以 て」充 当す るとい う盲 人 自身か らの資金であ った。第二は 「大方 人士 の慈善博愛に訴

2 0 ) 2 1 )

へ寄付を以て これ に充つ る」 とい う民間篤志家か らの寄付であ った。第三 は,三戸郡か らの補助金 をは じめ

2 2 ) 2 3 )

とす る公的資金であ ったO 明治4 3 年度決算において,以下 の よ うにそ の具 体的金額が示 され てい る.

歳入総額金 金四百十八円也

内訳 金百 円也 郡役所補助

(5)

金百 円也 金十八 円也 金弐百 円也 歳 出総額金 金四百十 八円也

金二百二十八 円也 金二 十円也 金五 十円也

青森児障害児教育史

慈善講寄附 基 本金利子 一般寄附

盲 人教育費 書籍及器具費 修繕科

; )

金百 二十円也 雑 費

東奥盲 人教訓会 に よる教 育事業 は, 盲人の職業的 自立 を 目ざ して, 盲人自身 の 手に よって始 め られ た もの 2 4 ) として,全国的に もきわめて先駆的であ った。教育事業は, 初期 の変則的な技能講習会 とい う形態か ら次第 に学校形態‑ と整 備がすす んでい った。 また,財政的に も, 初期の段階こおいては,創立 者たちの資金お よ び 創立者た ちを支援す る篤志家か らの寄附 での運営 であ ったが,後には三戸郡か らの補助金が加わ り,次第 に安定 さを増 した もの と思われ るQ こ うした,盲 人教訓会 に よる教育事業 の充実,発展がその後 の私立学校

‑ の昇格の条件 と生みだ してい った

C (2)

私立東典盲人学校の発足

東奥 盲人教訓会の実績は, 青森 県当局の盲唖学校設置に対す る政策的対応を具体化す ることにな った。 さ らに,文 部省が明治 2 4 年 (1 9 0 0 ) に定めた 「幼稚園 図書館盲唖学校 他 小学校 二類 ス′ レ各種学校 二 関 スル規 則」が, 県の政策を よ り横 松 舶勺な もの とした と思われ るo 明治 3 3 年 (1 9 0 0 ) , 県は 「幼稚園,盲唖学校 ソノ

2 5 )

他小学校 二項 スル各種学校及私立小学校 ノ設置廃止 二関 スル規定」を定 めた。 また, 明治40年 (1 9 0 7) 「盲 U ̲ 定見童 /教育 ヲ施設 セ ン トス′ レ者 ニシテ其 ノ計画 ノ確宣 ナル場合若 ‑既 二経営 セル者 ニシテ其成績良好ナ リ

ト認 ムル時 /、 其 ノ費用 ノ幾部 ヲ補助 スル コ トア′ レベ ン」 と 「普通教育奨勧金」の対象を盲喧教 育に まで拡大 2 6 )

した。 この よ うな県の政策は,東奥盲 人教訓会 の教 育事業 を私立学校組織へ と発展 させ る条件 とな った。

東奥盲 人教訓会 は, 明治 4 4 年 9 月 2 6 日,県に対 して私立東奥盲 人学校 の認可 申請 を した結果, 同年 1 2 月 2 0 2 7 )

目付けで,私立学校令 (明治 3 2 年)に したが い県知事に よって私立学校 として認可 された。

2 8 )

「私立東奥盲 人学校規則」に よれば, 同校 は 「盲人 ヲ教育 シ自立 ノ道 ヲ得 シムル」 ことを 目的 とし,普通 科 と技芸科 を置 いた。技芸科 には 「音 曲叙治按摩 ノ三分科」が置かれ た0 日的お よび設置学科は,私立学校 設立認可以前の実態 を引 きつ いだ ものであ ったが,修業年限 ( 4 年)や普通科 の教科 目にみ られ るよ うに, 従来以上に,一般小学校におけ る教育内容 との共通性を持つ よ うにな った。東 奥盲人学校 は私立学校 と して 認可を得 ることに よ り,組織的に も,教 育内容において も公教育を盲児に保障す る学校 としての性格が 明白 な った。

東奥盲人 教訓会は,私立東奥盲人学校が発足 した後 も後援組織 として存続 し,学校 の経営を援助 したO無 認可時代 よ り公的援助 も増 した とは言え,発足当初そ の経営 は困難であ った。た とえば,翌年 「私立東奥盲

2 9 )

人学校趣意書」を発 し, 一般に寄附金 を募 った。 「趣意書」は以下 の よ うに訴えてい る。

「今 ヤ県郡町及内務省 ヨ リ‑盲着 床護 トシテ補助金 ヲ交附 シ大 二斯道 ヲ奨 励 セ ラル然 托該補助金 タル到底 本校 ノ維持 ヲシテ充分 ナ ラシムル ニ足 ラザル‑勿論将来益 々本校 ノ発展 ヲ図 り諸般 ノ設備 ヲシテ完全 ナ ラ シメン トスル ニ‑尚幾多 ノ経費 ヲ要 スルヤ 必 セ リ之 ガ 収入 ノ道 タル一二 有志諸氏 ノ同情 二 訴‑ザル ヲ得 ズ」

大正 1 2 年に初 めて文 部省 よ り交付金 ( 5 0 円)があ ったのをは じめ,昭和にかけて各種 の交 付金等があ った が, こ うした財源が盲学校維持発展 の背景の一つであ った。以下 はそ の一覧であ る。

3 0 ) 大正 1 2 年 ( 1 9 2 3)

昭和 2 年 ( 1 9 2 7) 昭和 4 年 ( 1 9 2 9)

下賜金 ( 2 0 0 円),文部省交付金 ( 5 0 円) 3 1 ) 恩賜財団慶福会か らの交付金 ( 2, 0 0 0 円)

下賜金 ( 3 0 0 円),交件金 ( 文 部省 : 2 3 3 円, 県 : 1, 0 0 0 円,同社会課 : 2 0 0 円,八 3 2)

戸市 : 7 0 0 円)

盲 人学校 の生徒定員は 4 0 名 とされ ていたが,初期にお いては定数 を満 た した ことはなか った ( 表 ‑3. ) 。

(6)

6 安 藤 房 治

先述 した よ うに,盲 人生徒 は貧 困家庭 出身者が多 く,授業料 は無料 とは言え, 4 年間 の在学生活 を送 るのは 困難であ った と思われ る。以下 の証言は この当時 の就学上 の困難 の一端 を反映 してい ると言 え る。

表‑3. 八戸盲唖学校在籍者数

女 計

表注)木表 は 「青森 県統計 書」に もとづ いて作成 した。 ・印を付 した数字 は 「学齢外 ノ 老 」を 示す。但 し,昭和 3 年以前及び昭和 5 年は区分 され ていない。 なお,校 名は,大 正1 4 年 に 「私立八戸盲学校」,昭和 2 年に 「私立八戸盲唖学校 」 と改称 したO

「時 々生徒が急にふえてみた り,五,六 人に減 った りで, 出欠率がひ どか った よ うで した。先生が, 『誰 々君,今 日は よ く来たね』 とはめ ると, 『は ァ,今 日はつ いでがあ って出て来 ました。』 (ドッと笑声が

3 3 ) お こる) とい った よ うな ぐあいで した。」

東奥盲人学校 は,大正1 4 年 (1 925) 「私立八戸盲学校」 と改称 し,県の承認 の下で昭和 2 年 (1 927) 「聾

3 4 ) 3 5 )

唖部」設置時点 で 「八戸盲唖学校」 と改称 した。 「聾唖郡」設置時 において,生徒定 員は次 の よ うにな った。

旨 部 初等部20 名,中等部鍛接科2 0 名,別科 1 0 名 聾唖部 初等部20 名,中等部工芸科20 名

先述 した よ うに,青森 県内にあ っては,小学校に聾唖児が在籍 し,教 育が な され ていた ことか ら,聾唖児 教育につ いての潜在的 な要求はあ った。潜在的 な要求を背景に しなが らも,私立青森盲学校が 「聾唖部」を

3 6 )

設 置 した直接的 な契機は,恩賜財団慶福会か らの多額 の交 付 ( 2, 00 0 円)であ った。 さらに, 県の 「聾唖部」

設置承認を促進 したのは,大正1 2 年に成立 した 「盲学校及聾唖学校 令」に もとづ く,文部省の指導であ ったC 3 7 1

『東奥 日報 G l ] ( 昭和 2 年 1 1 月 9 日付)は 「盲唖学校 の設置 に就 て本省は大正1 3 年県当局に対 し盲唖学校 を読

(7)

青森県障害児教育史 7 匿す る事を命じ七年 の延期を為す事を得 る様に したが県では1 3 年来今 日まで毎年設置延期願を提 出」 と報 じ ている. 「盲学校及聾唖学校令」は,道府県に対 し盲学校,聾唖学校の設置を義務づけた.本記事は.県が 盲唖学校設置,つ ま り本県の場合 「聾唖部」の設置に対 して必ず しも積極的でなか った ことを示 している0

4. おわ りに

本稿では,八戸盲唖学校設立に至 るまでの青森県におけ る障害児教育の歴史の一端を解明で きたO明治期 において盲,聾唖児が就学 していた事実は,育,聾唖児を もつ親たちの潜在的な要求があ った ことを反映 し てい る. しか し, こうした教育に対す る要求は,一般小学校においては組織化 され ることな く,言わば t t 自 然発生的"な まま推移 した。む しろ, 盲唖学校 の設立を可能にす る原動力は, 東奥盲人教訓会の組織化が盲人 たち自身に よって行なわれた ように, 自らの教育要求を組織 した盲人たちの活動の中に求め ることができる。

こうした教育要求の盲人 自身に よる組織化に対す る民間篤志家たちの人的 , 財政的援助お よび郡 , 町か らの公 費補助そ して県や文部省の行政的対応に よって, 八戸盲唖学校 の設立 , 発展が可能にな った と言え る.

※本稿は, 日本特殊教育学会第21 回大会 ( 昭和58 年1 0月 1 0日,宮城教育大学) シンポジウム 『 東北におけ る障害児教育 ・福祉‑その源流を さぐる‑』におけ る筆者の報告に加筆 した ものである。なお,本稿作 成にあた り,資料提供等において青森第三養護学校教諭工藤博信氏に多大なる御援助をいただ きました。

記 して感謝いた します。

( 注)

1)最近発刊 された もの として以下 の ものをあげ ることができる。○愛知県特殊教育の歩み編集委 員会, 愛知県特殊教育の歩み .昭和52 年 ○八坂信男,大分県特殊教育史 .昭和5 2 年 ○群馬県盲教 育史編集 委員会,群馬県盲教育史 .昭和53 年 ○盲聾教育関学 百年記念事業実行委 員会,京都府盲聾 教 育 百 年 史 .昭和5 3 年 ○東京心身障害教育百年記念会,東京都心身障害教育百年誌 .昭和5 3 年 ○山形 県特殊 教育史研究会,山形 県特殊教育 史‑ 精薄 ・虚弱編 .昭和53 年 ○長野県特殊教 育百年記念事業会,良 野 県特殊教育史 .昭和54 年 ○ 石川県特殊教育百年誌編纂委員会,石川県特殊教育百年誌,昭和5 6 年

○小野完子,北海道肢体不 自由児療育史,昭和56 年

2)中野善達 ・加藤 喪昭,わが国特殊教育の成立 .昭和42 年 .11 4 貢 .

3)青森県教 育史編集委 員会,青森県教育史,第一巻 .昭和47 年 .267‑268 貢 . 4)前野喜代治,青森県教育史 ・下巻 .11 7 頁 .

5)伊藤幸恵,わが国におけ る障害児の 「教育を受け る権利」の歴史‑ 戦前における障害児 の 教 育 機 会‑ .教育学研究,第3 6 巻第 1 号 .昭和44 年 .20 貢 .

6 )青森 県教育史編集委員会,前掲書,第 3 巻 . 309 貢 . 7)同書,475‑4 76 貢 .

8)同書,805‑806 頁 .

9)荒川勇 ・大井清吉 ・中野喜連, 日本障害児教育史.昭和51 年 .本書において,岡山県での在籍 の事実, 宮城師範附属小学校におけ るろ う児のための特別学級設置,長野尋常小学校におけ る唖教場設置の三事 例があげ られ ている。

1 0)視話法は,聾者 に対 して発音を指導す る場合,各単語に対応 した独特の文学 ( 記号)を使用す る方法 で,かつて小西信八に よって各地で伝習 された。本県で開催 された講習会について以下 のよ うな記述を 見 ることができる。

「本 日ヨリ壱週間本校 内 二視話法講習全開 カル,会 員四十三名 講師 本県師範学校教諭 今力太郎 ナ リ」

( 三戸小学校百年誌 .昭和49 年 .37 貢) ll )中野善達 ・加藤康昭,前掲書 . 301 貢 . 1 2)東奥 日報,明治43 年 1 0月20 日付 .

1 3)組織化の中心であ った永洞清吉 (1 8 31 11 91 6)は,宮古市 出身O八戸藩の按摩,森の‑坊を頼 って, 按嵐 叙灸の技術を学んだ と言われ ているO ( 青森県人名大辞典,東奥 日報社 .昭和44 年 . 4 58 貢) 1 4)青森 県立八戸盲学校 ・青森県立 八戸聾学校,創立七十周年記念誌 .昭和37 年 . 28 貢 .( 以下 ,『創立七

十周年記念誌』 とす る)

1 5)明治34 年時点で, 「速成科 」 「普通科」の二科がおかれ,募集人員はそれぞれ 1 0 名,25 名であ った。

(

『東奥 日報』明治34 年 3 月1 6 日付)

1 6) 『 私立東奥盲人学校趣意書』,明治45 年 3 月29 日.青森県教育史 .第一巻 .987 貢 .

1 7) 『 東奥 日報』 明治4 3 年 1 0月 21 目付.

(8)

安 藤 房 泊

1 8)同紙, 1 0月20 目付 .

1 9) 『創立 七十周年記念誌』 に よれば 「三井惣助,橘勘之助,武尾徳 衛,坂 本定太 郎,武 尾甚四郎等諸有 志 の賛 同を得 て慈善講 (無尽 講,頼母子講 の類 )にな る ものを実施 して これ が資金 とした 」 ( 29 頁) と な ってい る。

20) 『東奥 日報』, 明治4 3 年1 0月20 日付 .

2 1 ) 『創立七十 周年記念誌』 には,以下 の寄 附金募集記録が掲載 され てい る ( 30 頁)。

収 甲五 四二七

三戸郡八戸町大字十一 日町 東奥盲 人教訓会長 永洞 清吉

明治 四十年九 月十一 日附 ヲ以 テ寄附金募集願 出 ノ趣聞届 ク 明治 四十年 十 月一 日

八戸警察署長 警部 和泉 正蔵 ⑳ 毎年或 ‑毎 月金 品 ヲ寄附 セ ラルル方 ヲ慈善会 員 トス

但 シ寄附金 ‑新 聞 ヲ以 テ広告教 可信事」

22) 前掲紙 に よれば 「同氏 ( 永 洞清吉‑ 筆者 注)が経 営 の功労 と事業 の有効 を認め本年度 よ り教育費 と して金百 園を補助 さる ゝに致れ る」 とい うことであ った。 また, 『創立 七十 周年記念誌』 は 「明治三十 年 ( 一八九 七年)以来長年 月にわた り,三戸郡役所,八戸町役場, 青森 県 よ り,東奥盲 人教訓会に対 し 各 々金 百円ずつ補助金 を交 付」 した と記述 してい る ( 29 頁)。 しか し,前掲紙 にお いては, 県か らの援 助 はない と記 して いる (明治4 3 年1 0月21 日付)0

23) 『創立七 十同 軍記念誌」 ] ,3 0 頁 .

2 4)初 期に設立 され た盲学校 は,楽善会訓育院 (東京)をは じめ,盲 人以外 の者 の手に よる慈善事業 と し て出発 した例が多か った。 『創立 七十 同年誌』 は, 「日本人に よって行なわれ た盲人の教 育施設 として は京都 に次 いで本 邦第二 番 目 」 「他の多 くの盲 人教 育施設 は有識正眼者 の憐 恵 と, 同情か ら出発 してい るが, 本会 の発足は盲人 自身 の 自覚 と奮起 に よって発足 して い る と ころに 他の類 例を見 ない」 と記 して い る ( 29 頁)。

25)青森 県令第七十 七号 .明治3 3 年 9月30 日.

「第二候 盲範学校 及小学校 二類 スル各種学校 設置 ノ認 可 ヲ受 ケン トスルモ ノニノ、 左 ノ事項 ヲ具 シ裏話 スへ シ′

‑ 設置 ノ目的 二 位置 三 名 稀

四 教則及教科用 園書,器具, 器械

五 入撃 退撃規則,寄 宿舎規則,生徒心得, 生徒 罰則等 六 学年 ノ始 終及休業 日

七 生徒定 員教 員員数 八 授業料金額及其 ノ収入法

九 経 費収入, 支出濠 算 ( 私立 二係ルモ ノノ、 維持方法 ヲモ記載 ス‑ シ) 十 設立者 ノ履歴書 (私立 二限 ル)

十一 敷地,建 物 ノ坪数, 圃面 及構造法 」

26)青森県告示 第62 号, 明治40 年 2 月1 9 日, 青森 県教 育効績者 名鑑 .大正 7 年 . 5‑ 6 1 i L 27) 『創立 七十 同年誌』 に よれば,認可 の公文書 は以下 の通 りであ る ( 30 貢)0

「 指 令第三〇六〇号

⑳ 私立東奥盲人教 訓会長 永 洞 清吉

明治 四十 四年 九 月二十六 日付願私立東奥 盲人学校設 置 ノ件認可 ス 明治四十四年 十二 月二十 日

青森 県知事 武 田 千代三 郎 ㊥ 」

28)青森 県教育 史編集委 員会,前掲書 .第一巻 .989‑991 亘.原資料は タテ組 みであ るため,原資料 中の

「同上」 を 「同左」 とした。

「 私立東奥盲 人学校規則 第一 章 総 則

第一条 本校 ‑盲人 ヲ教育 シ 自立 ノ遺 ヲ得 シムル ヲ以 テ R的 トス 第二 条 本校 二普通科 及技芸科 ヲ置 ク

第三条 技芸科 ノ、 之 ヲ分 チ テ音 曲叙 治按 摩 ノ三分科 トス

(9)

青森県障害 児教育史

第四条 修業年限 ‑普通科及技芸科 ノ、各四 ヶ年 トス

第五条 技芸科 ‑普通科 ヲ修 ムルモ ノノ志望 ニ ヨ リ其一分科若 ク‑二分科 ヲ兼修 セ シム 但叙 治 ノ、 普通科第二学年 修 了 シ タルモ ノニ7 ラザ レバ之 ヲ許 サ ズ技芸科 ノ、専修 スル コ トヲ得 但 普通科 中 ノ或 ル科 目ヲ兼 修 スル老 ニ‑之 ヲ許 ス

第六条 生徒 ノ定 員 ‑各科 ヲ通 ジテ約四十名 トス 第七条 本校 ‑授業料 ヲ徴収 セズ

第二章 学期及 休業 日

第八粂 学年 ‑四月一 目二始 り翌年三 月三十一 日に終 ル 第九粂 学年 ヲ分 チ テ左 ノ三学期 トス

第一学期 自四 月一 日 至八 月三十一 日 第二学期 自九 月一 目 至十二 月三十一 日 第三学期 自一 月一 目 至三 月三十 一 日 第十条 休業 日‑左 ノ如 シ

ー 二 三 四 五 六 七 祝 日大祭 目 日 曜 日

夏 季 休 業 日八月一 日 至 八 月三十 一 日 冬 季 休 業 日十二 月廿五 日 至 翌年 一月 十五 日 学年 末休業 日三 月 廿五 日 至三 月三十 一 日 鎮 守 祭 日 九 月一 日,二 日,三 日 創立記念 日 十二 月廿 日

第三章 教科 目及其 ノ課程

第十一条 各教科 ノ教科 目課程及 毎週 教授時 数左 ノ如 シ 普 通 科

但裁縫 ノ、 女子 二限 り之 ヲ課 ス 技 芸 科

課 程 儀 漂

課 程 毎

豪遅r 課 程 琴表組 裏組 i ‑ 1琴衰組 中絶

:I.

L 。・ 二 三: L IL ; 、 玩 輿

琴奥組 三弦

操 方 人体解 剖及 生理 ノ大 要

刺万 ノ四 経 穴 名称並位置

刺方五解剖 生理 ノ大要 実 地

練 習

病 名

各教科互 二兼修 スル場合 卜錐毎週教授 ノ総時 数 ‑三十六時 以 内 二於 テ掛酌 ヲ加 フル モ ノ トス

(10)

1 0 安 藤 房 清

第四章 入学及退学

第十二条 生徒 ノ入学 ‑毎年四 月之 ヲ許 ス

但欠 員 アル トキ/、 臨時 二入学 ヲ許 ス コ トアルべ シ

第十三条 普通科及技芸科 二入学 ヲ許 スべ キモ ノ‑年 齢十年 以上 ニシテ各身体健康種痘 又 ‑天然痘済 ノモ ノニ限 ル

技芸科 ノ鉱 治 ヲ兼修 シ又‑之 二入学 スル コ トヲ待 ルモ ノ/、 普通科第二学年 ヲ修了 シ タル老 又 ‑之 卜同等 以上 ノ学 力 ヲ有 スルモ ノ トス

第十 四条 入学 ヲ願 フモ ノ‑左 ノ書式 二依 り願書 ヲ差 出スベ シ

但保証人 ‑八戸町 二住 居 シ丁年 以上 ニシテ保証 ノ任 二堪 フル 著 二限 ル 書 式 ( 半 紙)

入 学 願

族 籍 某 子 女 氏

生 年 月 日 右老御校 ‑入学為致度尤本人身上 二関 スルー切 ノ儀 ‑私共引受 可申慎 二付御差許被下 度此段 相願 慎也

族籍, 父兄 ,親戚

願 主 氏 名 印

族 籍

床 証人 氏 名 印 私立東奥盲人学校長某殿

第1 5 粂 願 主及保証 人転居 シ タル トキ‑直 二本校 二届 出ベ シ 」

2 9)同前書 .第一巻 .987‑988 貢 .

30) 『東奥 日報 』大正 1 2 年 2月1 1日付 .青森 県教 育史編集委 員全編, 前掲書 .第 4巻 . 388‑389 貢 . 3 1 ) 『東奥 日報 』 昭和 2 年1 1月 9日付 .同前書 .第 4巻 .5 48 貢 .

32) 『東 奥 日報 』昭和 4 年 9月1 7 日付 .同前書 .第 4巻 .640 貢 .

33)明治44 年 に入学 し,そ の私立高 人学校時 代 も在籍 した小原 ウメ氏 の証 言 (『 70 閏年記念誌』61 貢) 0 34) 『東奥 日報 』昭和 2 年 1 1月 8日付 .

35) 『東奥 日報』 同年1 1月 9日付 .青森 県教 育史編集委 員会, 前掲書 .54 8 貢 . 36)同前書 .548 貢 .

37)同前書 .548 頁 .

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