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リストの政治経済学とコシュートの立場

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リストの政治経済学とコシュートの立場

一三月前期におけるドイツの国民的利害とハンガリー一

佐  藤  勝  則

義と限界を改めて評価し直しつつあるように思わ 1 はじめに       れるll)

 三月前期の「新興ドイツ産業ブルジョアジーの   本稿では我々は,こうしたリスト研究の現段階     (D理論的代弁者」たるフリードリッヒ・リストが,  を念頭に置きつつ,先進国イギリスに対抗したリ

かのスミスやセーの自由貿易主義の原理はもとよ  ストの保護貿易主義論者としての側面ではなく,      (2)り,「自由貿易主義の行商入連中」イギリスのバ  ドイツ人の政治的経済的国民的統一を構想する場     (3)ウリング博士John Bowr三ngやジョン・プリンス・  合にリストが大ドイツ主義者として周辺後進国に  (4)スミスJohn Prince sm三thの活動にも対抗して,  対してとった理論的,実践的立場を問題としてみ

後進資本主義国ドイツの国民経済自立のために保  たいと思う。周知の如く,1834年のドイツ関税同 護貿易主義を主張し・理論的・実践的に活動した  盟の結成以来,新興のドイツ産業資本家層は一方 ことは良く知られている。こうした通説的リスト  では強力なイギリスの側圧に対抗しなくてはなら 理解においては・リストがスミスの自由貿易主義  なかったが,他方ですでにその狭阻な市場基盤に

コスモポリタニズム

の原理を万民主義の仮面をかぶったイギリス産  直面して周辺農業諸地域への進出を希求し始めて 業資本の世界市場独占を狙う教説として退け,当  い老:)こうしたドイツ.ブルジョアジ_の利害の 時のイギリスが最高度に発展したその工業生産力  代弁者としてリストは,大ドイツ主義者の立場か を背景に推し進めんとしていた国際分業体制の創  らプロイセンを盟主とするドイツ関税同盟にオー 出過程に真向から対抗した保護貿易主義理論の  ストリア帝国を加えたドイツ民族主導の一大勢力

イデオローグであったという側面が強調されてい  圏の建設を構想していく。その場合,オーストリ(5)る。そこからさらにリストの政治経済学は・イギ  ア帝国内の後進農業地域としてゲルマン化Ger一

リス産業資本の確立以来,20世紀の今日に至るま  manisierungの危機に怯えつつあったハンガリー で後進国一般の工業保護主義理論として称揚され  の民族的乃至国民的自立の要求にどう応えていく てくることになったし・その意味で後進国の国民  のかという問題は,『経済学の国民的体系』(1841(9)

経済自立のための普遍的理論としての側面が前面  年)の執筆,出版によって後進国一般の国民経済      (6)に押し出されてくることにもなったのであった。  自立のための工業保護主義論のイデオローグと

しかし,近年の日本におけるリスト研究の現段  して広く受けとめられつつあったリストにとって 階は,こうした通説的リスト理解がリストの政治  は,理論的にも実践的にも大きな試金石をなす問 経済学のいわば光の面だけをとらえているにすぎ  題となってくるのであった。

ぬことを認め,むしろリストの政治経済学の全体   あらかじめ,リストにとってのこうしたハンガ

!0)

系をリストが生き活動した三月前期のドイツの歴  リー問題の帰趨を示しておくならばこうである。

史的状況またドイツをとりまく世界史的環境の中  つとにハンガリーでは先進工業国イギリスに対抗 で客観的に位置づけ,リスト体系がもつ歴史的意  したリストの『国民的体系』は熱狂的に迎えられ

(2)

ており,ことにハンガリーの民族独立運動の指導   氏はこうしたリストの側面を端的に「経済学のドイ 者たるコシュートによっては,リストの工業保護    ツ国民的体系」と表現している,毛利健三r自由貿 育成理論は祖国ハンガリーの政治的,経済的独立    易帝国主義』1978年・第4章・第二節を参照。これ のための理論的武器として好意的に受けとめられ   に対して高島善哉『経済社会学の根本問題』1941年 ていた。しかし,晩年のリストが1840年代半ばに   並びに大河内一男『スミスとリスト』1943年の先駆 かけて,オーストリアのメッテルニヒ権力やハン    的業績は,それ以前の反スミス的リスト像の修正

      (即ち,リストにおけるスミス的課題の存在の強調)ガリーの貴族議会に対する精力的な働きかけを通

       を意図したものであった。して明らかにした実践的立場は,大ドイツ主義者

として後進農業地域ハンガリーのドイツ関税同盟   ㈲東ドイツの代表的リスト研究者であるファビウン への即座の加盟を勧めるものであり,この立場は   ケは・リストの政治経済学力論ζ認論一やルーマニ

       アそして遠くインドや中国(孫逸仙)等の経済的同じリストの保護貿易主義理論をハンガリーに適

       後進諸国の政治経済思想に与えた多大な影響を指摘用してハンガリー国民経済ungarische National一

@      している。さらに第二次世界大戦後は,リストの体

6konomieの自立を志向していたコシュートの実       系がラテン・アメリカ諸国の反米闘争の理論として 践的立場とは対立していかざるをえなかった。ま       役立っていることを強調している。Vg1. Fabiunke,

たそもそも原理的には,リストの農工商均衡発   α.α.α,S$202_203

展の大ドイツ的なドイツ国民経猿律設の構想は・   ω 日本におけるリスト研究の到達水準については,

「農地制度・零細経営・国外移住」(1842年)に示   小林昇氏の一連の研究を参照されたい。小林昇rフ されているように・ハンガリーへのドイツ人中産   リードリッヒ・リストの生産力論』1948年,同『フ 農民の大量的移民を前提として構想されたもので    リードリッヒ・リスト研究』1950年,同rフリード あったから,ハンガリー人中産階級の成長をゲル   リッヒ・リスト論考』1966年。氏は『経済学の国民 マン化の阻止,ハンガリーの民族的乃至国民的自   的体系』のもった普遍性に対する『農地制度論』の 立達成の必須条件と考えていたコシュートの立場   民族的閉鎖性という形でリスト体系の「光と影」

とは相容れぬものとなっていくのである。      を整i理している。ことに後者のもつ帝国主義的=膨 以下本稿ではリストの政治経済学に内在しなが   張主義的性格(毛利氏の言う「ナショナリスト・イ ら,これとハンガリーの民族主義的利害の代弁者    ンペリアリスト リスト」同前掲書200頁)が洞察

       されている。(リスト『農地制度論』小林昇訳1975たるコシュートの立場を対置してみることによっ

       年,「訳者解説」を参照。)て,リスト体系がもたざるをえなかったドイツ資

本主義成立史の原罪の反映ともいうべき膨張主義   {8)ドイツ産業ブルジョアジーの国民的利害について

       は,三月革命期の「国民経済委員会」並びに「祖国的な性格を浮彫りにしてみたいと思う。

の生産保護のための一般ドイツ協会」の主張を分析

(1)Vgl. Karl Marx, Dσs K砂 ∫α1, Bd.皿.S.605.   した柳沢治『ドイツ三月革命の研究』1974年・皿・

(2}G伽ter Fabiunke, Zκア痂3 07∫s訥8πRo〃θ4θs   第1章,第2章を参照,

4θ〃 3酌θ〃1Vαゼoηα1δ々oπo摺θπFプゴθ4アf6乃L∫s,,   {g}Friedrich List, Das Nationale System der

      . ・

aerHn 1955, S 212.       politischen Okonomie,】841, in:F7∫θ〃ゴo乃Lゴs ,

(3)バウリングとリストとの対抗については,肥前栄   S凶7ゴメ θ〃/1ヒ84θ /β露6メθ,hrsg, von Erwin v.

一『ドイツ経済政策史序説』1973年,第4章を参照。   Beckerate u・a・Bd. W, Berlin 1931・(以下NS.

(4}プリンス・スミスについては,W・0. Henderson,   Wθ擁6と略記。邦訳はリスト『経済学の国民的体系』

Bア∫如fπ例4伽伽sケゴαJE〃アoρθ,1750−1876,   小林昇訳・1970年,以下『国民的体系』と略記。)

London 1972・を参照,      (1① リストのハンガリーでの活動については, Fabi一

(5}スミス。リカード対リストの構図については松井    unke,σ.α.0., SS・277−295.及び小林『フリード

清『国際貿易政策思想史』1941年を参照。毛利健三    リッヒ・リスト論考』371−376頁を参照。

(3)

(11)Friedrich List・D量e Ackerverfassun9・die 邦分立のドイツの現状を克服するため,国民的規 Zwe「9wi「tschaft・und die Auswande「un9・1842・ 模での分業と生産諸力の結合とを可能とするドイ in:四θ7加V・(以下AV研θ吻と略記・)    ッ入の国民的統合を達成する必要を説くこと。

ところでここで我々が問題としたいのは,『国

∬ リストのゲルマン=マジャール東方   民的体系』のなかに含まれているこのような狙い 帝国建設構想とハンガリー合併論     の他に,ドイッよりもより後進的な諸国に対して

       「先進国」ドイツがとるべき世界経済上の位置とリストの政治経済学が先進国イギリスに対して

      してリストが語る以下のような諸論点である。ことった顔と,後進国ハンガリ・一に対してとった顔

      の点は,リスト体系がドイツよりもより後進的なは,ドイツ資本主義の当該段階における世界史的

      諸国に対してとった相貌を把握せんとするいまの位置を反映する同じメダルの表と裏の関係をなす

      場合,特に注目を要する。ものであった。ここでは後者を問題とするのであ

るが,リストがドイツ関税同盟の大ドイツ的拡大   まず筆ダ点・温帯諸国と熱帯諸国との分業関係 を念頭に置いて,後進国ハンガリーをドイツ勢力  について。①工業力の発展のための適正地帯は温 圏の中に組み込みつつ,その政策思想体系を完成  帯のみに存するのであり・熱帯諸国は温帯諸国か させていったことは,かの『国民的体系』,『農地  らよろこばれる農産物・植民地産品のみを独占的 制度論』はもとより,リストの遺稿となった「ド  に生産すべきこと②大規模な国際貿易の展開はそ

イツ人の政治的,経済的国民的統当 (1845年)  れ故・温帯の工業製品と熱帯の農産物との交換か にも明らかである。そこでまずこれらの主薯レ)な  らのみ生まれてくるものであるから・熱帯諸国が

      工業化を志向することは自然の使命に反するこかでリストがドイツ勢力圏の中にハンガリーをど

      と。熱帯諸国は温帯諸国との自由な交易によってのように位置づけていたかを検討していくことか

      のみ物質的富と文化を発展させうること③その場ら論述を進めていこう。

合,熱帯諸国の温帯諸国への依存は不可避となる

(1)『国民的体系』における自由貿易論      が,いくつかの温帯諸国家が工業,貿易,海運,

周知の如く,『国民的体系』のなかでリストが先  政治的勢力の点で均衡を保ちうる場合にはこのよ 進国イギリスに対抗しつつ,ドイツ国民経済自立  うな依存は無害だが,温帯諸国家のうちのある一 のための工業保護育成論・保護貿易主義論を主張  国(イギリス)がこれを独占する場合には有害な

』証いった場合の狙いというのは次の諸点にあっ  ものとなること。

た。①スミスの自由貿易主義論に集約される世界   次に第二点,文明化したきわめて豊かで産業的

       ●●

蜍̀経済学kosmopolitische Okonomieを批判し,  な諸国民と知力と文化が低い段階にある国民との hイツ人の国民繍学の体系をこれに対置するこ 間の舳貿易の利益にっい豊①知力と文化力・低 と②国民経済発展の諸段階(未開状態→牧畜状態  い段階にある国民で,領土の広さやその生産性に

→農業状態→農・工業状態→農・エ・商状態)の  くらべて人口がまだ少ない国民の国民経済的育成 なかに先進国イギリスと後進国ドイツの現状とを  は,著しく文化の開けた豊かで産業的な諸国民と 位置づけ・ドイツの工業生産力の発展によって対  の自由貿易によって最も良く促進されること②こ 英従属型の後進農業国ドイツの国民経済の自立を  のような国民が工業力を樹立せんとして行なう貿 達成する必要を説くこと③その具体的方策として  易制限はすべて早急なものであって,全人類の幸 はイギリスの主導下におかれている国際貿易の現  福のためにもまたその国民自身の進歩それ自体に 状において次第に勢力をえつつあった自由貿易の  とっても有害なものとなること③自由貿易の結 原理に対して,工業保護育成関税の設定を説きド  果,その国民の知的,政治的,経済的育成が大い イツの工業生産力の自立を達成せしめること④小  にすすみ,外国の工業製品の輸入によって,また

(4)

自国の農産物に対する充分な販路の不足によっ  出していくことによって,その物質的富と文化の て・それ以上の発展が妨げられるようになったと  繁栄が永遠に約束されると考えられていた。リス

きにはじめて保護政策は是認されるべきものとな  トがイギリスを中心とする当時の国際分業体制の ること。      なかで,ドイツの工業生産力育成と複数の温帯の

以上から明らかなように・リストの保護主義論  工業諸国民によるイギリスの世界市場独占打破を は決して後進国一般の自立のための理論であった  前提に構想していた国際的自由貿易とその下での のではない。そうではなく・リストにあっては先  国際的分業の構図というのはさしあたり,こうし 進国イギリスに対抗して工業生産力を発展させる  たものと理解して大過ないであろう。

べくその使命を自然によって与えられているのは   『国民的体系』のなかでリストが「最高度の富 温帯国ドイツなのであり・農工業段階へと移行し  と勢力とを追求するために必要なあらゆる手段を っつあるドイツにとっては保護貿易政策はまさに  自然から賦与されている諸国民」と明言している 適合的な政策であった。しかし熱帯諸国はもとよ  のは,スペインとポルトガルとナポリ,そしてド

り・ドイツよりも知力の点でも文化の面でもより  イツと北アメリカ,フランスとイギリスの諸国民 低い段階にある諸国は・その工業力を早急に育  であった。そしてこの場合,ドイツ国民としてド 成せんとして貿易制限を行なったりすべきではな  イツの国民国家に包摂されるべく予定されていた く・温帯の工業国・文明化された諸国民との自由  諸地域というのは,ドイツ関税同盟諸邦の他にオ 貿易によってのみ・その国民経済的育成が可能と  一ストリア帝国(ハンガリーをも含む)をも含め なるというのである。しかも温帯諸国のなかでイ  た大ドイツ的拡がりをもつだけではなく,ハンザ ギリスだけが工業生産力・貿易・海運・政治的勢  の自由都市はもとより,オランダ,ベルギー,ス 力を独占するような構造は打破すべきであり・エ  イスをも含めた連邦国家の形成までもが展望され 業国民となるべく運命づけられているドイツこそ ていたのであっ蔑

はまさにイギリスの単独での世界支配から生ずる

       (2)『農地制度論』におけるハンガリー合併論弊害を除去する使命をもつこと,温帯のいくつか

の諸国家の均衡的発展を前提にした場合にのみ熱    と農地改革構想

帯諸国の農産物(植民地産品)乃至ドイツよりも   当面の我々の関心は,ドイツ国民国家形成の構 より後進的な諸国の農産物乃至原料と温帯工業諸  図のなかでのハンガリーの位置づけにあるが,こ 国の工業製品との国際的自由貿易からは双方に  の点を明確に示しているのがリストの『農地制度 とって最大の利得が引き出されうる,という主張  論』である。リストのこの著作はその原題「農地 であった。      制度,零細経営,国外移住」に端的に示されてい

従ってリストにあっては,ドイツよりもより後  るように,リストの祖国ヴュルテムベルクを含む 進的な諸国にとってはその国民の国民経済的育成  南ドイツ諸邦に特徴的であった零細(イ朱儒)経営 の観点からして,文明国ドイツとの自由貿易がま  Zwergwirtschaftが農業生産力の発展を阻止して ず必要であると考えられていたのであり,その自  いる現状を打破し,『国民的体系』に示された農工 由貿易の結果として国民の知的,政治的,経済的  商均衡発展のドイツ国民経済を樹立するために,

育成が大いに進んだのちはじめて,保護貿易政策  農地制度の改革を提唱したものであった。その場 の採用と工業力の育成が日程にのぼりうるとされ  合,ドイツ国内では土地整理Gaterarrondierung ていたのである。また熱帯諸国は自然の摂理から  (エンクロージャー)によって中産的農場mittlere

して工業国になるべく運命づけられているのでは  Hofwirtschaftを創設し,この過程で生じてくる なく,むしろイギリスー国に対してではなく温帯  過剰な農村人口はハンガリーに移住させていくこ のいくつかの工業諸国民に対して植民地産品を輸  とをリストは構想していたのである。こうした関

(5)

連でハンガリーとドイッ関税同盟との結合の構想  としてのゲルマン=マジャール東方帝国建設の構 が打ち出されてくる。リストが『農地制度論』の  想のなかにすでにリストのハンガリー経済乃至ハ なかで構想したハンガリーとの同盟の具体的内  ンガリーの国民体Nationalitatの位置づけは明ら 容,またそのなかでのリストのハンガリー経済の  かであろう。それは前述の『国民的体系』の議論 位置づけは大略次のようなものであった。     との関係でいえば,まさにドイツの周辺に位置す まずリストはドイツの国外移住が主として北ア  る知力の程度また文化の点で遅れた諸国民の一つ メリカに向かっている現状に疑問を投げかけ,こ  としての位置づけであり,こうした後進国として の移住の流れをドナウ河沿いに変えていくことに  のハンガリーは当面,文明的にまた産業的により よって,黒海からアドリア海に至るゲルマン=マ  発展したドイツ国民との自由貿易によってのみ・

ジャール東方帝国germanisch−magyariscLes 6stli一  その国民経済の発展が保証される地域として捉え ches Reichの建設を提唱する。この東方帝国の建  られていたと言えよう。このような把握を前提と 設こそはトルコ帝国の後退の後,この地域のスラ  して,ドイツがイギリスに対抗してとる保護関

ヴ勢力との結合をめざして拾頭しつつあるロシア  税による国内市場の囲い込みという現実の必要か 帝国,その対極に巨人として躍進のめざましい北  ら,いまやドイツの周辺の後進国たるハンガリー

アメリカ,さらに広大な植民地帝国にのしあがっ  は,保護市場として囲い込まれたドイツ関税同盟 たイギリス,これら世界の三大巨人と対抗してド  との直接的結合によってゲルマン=マジャール東 イツ国民が大国として発展していくことを可能に  方帝国を構成する一要素として位置づけられるこ する唯一の途であると主張する。ことにドイツに  とになっているのである。

とってはハンガリーこそが「トルコや近東そこか   その場合,『国民的体系』に示された「(イギリ らさらに東洋を開く鍵」であり,同時に「北方の  スと比べて)未だ広大な領土をもたず・多様な自 強大国ロシアに対する防塞」となりうる国であ  然資源を産出せず,自国の河川の河口地帯を所有

り,ドイツの文化と貿易と過剰人口があふれ出て  せず,確定した国境線のない国民は保護制度を全 いく自然の水路の入口をなす国であると説くので  く採用しえぬか,あるいは採用しても充分な効果

?タ2       をあげえぬこと。それ故そうした国民(ドイツ国   しかもこのゲルマン=マジャール東方帝国の建  民)はなによりもまず占領か条約かによって,そ

設は,単にドイツ国民にとって有益であるばかり  の諸欠陥を是正するように努めなくてはならな      (9}ではなく,マジャール人の発展にとっても不可欠  い」との議論は,ドイツのハンガリー合併を正当

のものであるとし,その根拠をリストは次の点に  化するための議論としてリストの念頭にあったも 求めている。即ち,マジャール人は人口増加率が  のと推断される。ここでは端的に言づて,ドイツ 低く,物質的生産に要する熟練と熱意の程度も低  国民と同じレヴェルでのマジャール人の国民経済 く,そのうえさらにこの地域がかかえているスラ  の自立乃至国民国家の建設という観点は完全に否 ヴ民族の方が,支配民族であるマジャール人を人  定されてしまっているのである。従ってリストに 口増加の能力の点でも,物質的生産と労働能力の  あっては,イギリスに対抗して囲い込まれたかか 点でも凌駕する勢いにあるから,マジャール民族  るゲルマン・マジャール東方帝国の内部では・ド だけではこの地域に国民国家を創りあげることは  イツ関税同盟諸邦と国民国家としての自立を否定 出来ないであろう。ことにロシアと結合する領内  されたハンガリーとの自由貿易=自由競争の原理 のスラヴ的諸要素と対抗するためにはドイツ人  が貫徹していくことは自明のことであり・そのこ の国民体との結合が不可欠である,というのであ  とによって知力の点でも文化の点でも遅れたハン 話?      ガリーがより急速に文明化されるし,またそれに このようなドイツの東南方への拡大,その帰結  よってスラヴ勢力の浸透の脅威からも救い出され

(6)

ると考えられていたと言ってよいであろう。    ことがハンガリーがドイツ関税同盟市場との結合 この点はドイツ人とマジャール人との結合の具  によって最大の利得を引き出しうる途と考えられ

(12)

体的メリットをリストが説くとき,さらに一層露  ていたのである。

骨に示されていく。即ちドイツ人はこの結合に   このようなリストの期待は,ドイツとハンガリ

「創造力,農工商業上の生産力,資本,市民的秩  一との農工の分業体制を自明の前提としたもので 序と施設とに対する感覚,高度に完成した学問と  あり,ハンガリー独自の工業生産力形成の視点を 技術,豊かな文芸」とをもって参加するのに対し  欠くものであった。『国民的体系』に示されてい

て,マジャール人に期待されているのはまずその  るように知力並びに文化の点でまだ遅れている国

「騎士的精神,戦闘的気醜,政治的並びに弁論的  ハンガリーは,当面,知力,文化,農工商業生産 才能,熱烈な愛国心,きわめて優れた基礎をもつ  力のいずれの点でもより進歩した国ドイツとの自 政治制度」といった精神的要素であり,これに対  由貿易によってはじめて,その国民経済的育成が

して物質的要素としてハンガリーから期待されて  可能になる段階にあるとリストはとらえていたと

(10)

いるのは「大量の自然資源」だけである。     思われる。さらにハンガリーは・その独力で自ら ことに物質的要素の問題に限っていえば,創造  の国民経済・国民国家を形成しうるものとは考え 力に富むドイツ人の農工商業上の生産力と資本  られていなかったのであり,ハンガリーはあくま が,ハンガリーへの移民を媒介としてハンガリー  でゲルマン=マジャール東方帝国というドイツ民 の「大量の自然資源」と合体させられるならば,  族主導の勢力圏に合併されることによってはじめ ハンガリーが独力で行なえばおそらく数百年を要  て,よくその生存が確保されるとされていたので するであろうようなハンガリー農業と工業との繁  ある。

栄の段階に急速に到達するに違いないとされてい   次に,イギリス,北アメリカ,ロシアといった るのである。そして,ハンガリーのように貴族が  三大強国の勢力膨張に対抗するドイツ人の帝国で すべてであり,自由によってはじめて呼びさまさ  あると同時に,ドナウ河下流域,バルカン,ト れるであろう農民の労働能力は眠ったままで,タ  ルコへの進出の拠点として構想されていたゲルマ イス川の谷マロシュ川の岸,ケーレス川の流域   ン=マジャール東方帝国の枠組のなかで,リスト ドナウ河の下流,大平原地帯といった乾燥地や低  が示すところのドイツ農業の改革並びにこれと連 湿地の広大な未耕作地を抱えているところ,また  動するハンガリー農業改革の構図を検討しておこ 国民大衆の消費力の欠乏の下で工業が低い段階に  う。リストはドイツの農村過剰人口のはけ口をハ あるようなところでは,ドイツからの資本と人間  ンガリーに求めていたから,ここでもドイツ人の の大量的注入が不可欠であると主張されているの  国民的利害にひたすら忠実なリストの立場が明ら である。      かにされてくるであろう。q1)

このようなドイツ人のハンガリーへの移住に   リストの祖国西南ドイッに特徴的な零細土地所 よって当面ハンガリーでその開発が期待される分  有の存在と蔓延は,土地所有の過度の細分による 野としてリストが指摘しているのは,次の二つの  小土地所有農民を基底(専制主義=ボナパルティ 分野であった。即ち,ドイツ人中産農民層の移住,  ズムの基礎)とするフランス型の社会や土地所有 農法の改良,大規模灌概によっては,麻,タバコ,  の過度の集中による大土地所有制の下でプロレタ ブドウ酒,生糸,穀物(穀粉),糖類,米等の農  リアの大群(革命の脅威)をようするイギリス型 産物生産の分野,そしてハンガリーの交通手段と  の社会とも異なった・中産的農民層による中規模 鉱山業へのドイツの資本投下によっては,石炭,  土地所有,農場経営を立憲君主制ドイツの国制 鉄鉱石・岩塩等の原料生産の分野の発展カミそれぞ S・aat・verfassungの基礎とする農騨均鰍展の れ期待されていた。これらの生産分野に特化する  ドイッ社会を構想していたリストにとって最大の

(7)

ネックをなす問題であった。三月前期の西南ドイ  bstbewirschaftung乃至所領経営の低収益性を鋭く

(14)

ツの歴史的状況は実際,次のようであった。オス  指摘するとともに,そうした貴族の信託遺贈制度 ト・エルベにおけるユンカー経営の成立,ライン・ FamilienfideikomiBや長子相続制度のもつ有害性 ヴェストファーレン地方を中心とした工業生産力  をつき,プロイセンやオーストリア,ベーメンと の躍進の下で,マニュファクチャーから機械制大  いったドイツ人の支配的な居住地域において,貴 工場制への移行が遅々たる進行を開始し始めたば  族的大所領経営への内地植民innere Kolonisat三〇n

(17)

かりの西南ドイツにあっては,土地財産の平等分  の可能性にも言及してはいる。しかしリストは,

割相続制度並びに交錯圃制度GUtergemengever一 西南ドイツにおける零細土地所有制度のもつ弊害 fassungにもとつく土地所有の過度の細分,分散  の除去の方策を,ドイツ国内における徹底した合 によって農業生産力が停滞するとともにジャガイ  理的かつ民主的な土地利用,そのために必要な モ百姓Kartof∬elnbauerの半プロレタリア化が進  農業・土地所有制度の変革にまず求めるのではな 行しつつあり,この過程はこの地方における農エ  く,ハンガリーのような後進農業地帯への膨張主

(18)

商の均衡発展への展望を阻んでいたのであった。  義的進出に求めていたのである。

こうした現状を打破するためにリストが提唱し   これに対してリストのハンガリー農業改革の構 た西南ドイツ農業改革の構想は次のようなもので  図はそれ故,ハンガリー勤労人民自身によるハン

(15)

あった。即ちまず第一に,封建的諸賦課や10分  ガリーの自主的な農地改革,ハンガリー農民自身 の1税の負担からの農民の解放,農民の貢納賎民  による中産的農場の創設というところには求めら misera co血tribuens plebsから国家市民Staats一  れていなかった。なるほどリストは,ハンガリー bUrgerへの解放を前提として,農業革命(三圃制  における貴族や教会による極端な不分割相続制

から輪作制への移行,家畜の舎飼,農業の機械化) Av三zitatや家産の信託遺贈制度の改革を主張した を現実化していくために農地改革Agrarreformを  り,またハンガリーの封建領主層自体も気づきは 行なうこと。つまり,土地細分化の元凶たる交錯圃  じめていた賦役農民の搾取に基づく農場領主制の

(19)

制度並びに中世以来の集住村落制度Zusammen一 低生産性とその克服を提唱したりしてはいる。し wohnungsdorfverfassungを土地整理(エンクロー  かし,それはあくまでドイツからの農村過剰人口 ジャー)によって漸次解体していき,独立の中産  を受け入れるための条件の整備とかかわらせて議 的農場を創設すること。しかる後第二に,この土  論されているのである。しかもリストは,ハンガ 地整理によって生み出されてくる農村の過剰人ロ  リー貴族の土地独占を自明の前提として,これら のうち,工業または農場経営に賃金労働者として  貴族の自家経営の低収益性を指摘し,彼等がその 吸収しきれぬ過剰農民をハンガリーへ移住,入植  土地の一部を応分の資本と生産力に富むドイツ人 させていくこと。このドイツ人の移民こそは文明  移住者に売却するか,またはその一部を安定的な 化され,高度な創造性と農工商の生産力並びに資  借地権の保障の下でこれらドイツ人移住農民に借 本を具備した移住者として,ハンガリー農業改革  地に出すかすることによって受け取るであろうメ

(20)

の担い手となること。       リットを専ら説いていくのである。

このようにリストのドイツ農業改革の構想は,   「ハンガリー人は全体としてほぼ5000万ヨッホ ハンガリーへの農村過剰人口の移住を前提とする  の土地をもっている。改革と移住とによってここ ものであった。確かにドイツ国内だけで農地改革  10年か20年間に生ずべき地代の増加は一ヨッホあ を進める可能性(オーバー・シュワーベン地方に  たりほぼ1グルデンC.M.と計算される。このな その例をみる)を考えたりもしてはいるが,それ  かから少なくても10分の8は貴族と教会と王家と

(21)

はあくまで部分的可能性として指摘されているだ  に帰するであろう」とのリストの指摘は,ハンガ

(16)

けである。また貴族的大土地所有の自家経営Se1一  リー農業のブルジョア的発展の途をリストがどの

(8)

ように考えていたのかを端的に示す言葉であっ  ω ここでは『国民的体系』と『農地制度論』とをと た。リストはハンガリー農業のブルジョア的発展   りあげる。リストの政治経済学研究のプラン(1・

の途を,ハンガリー農民の圧倒的多数をその苛酷    農地制度と農地改革2・工業制度と工業政策3・交

       通制度と交通政策4,財政制度5.司法制度と行政な封建的搾取の下に置いてきた封建支配者層の土

@      制度6.国防制度7.国家制度と議会制度8.国民地独占を打倒し,ハンガリー人民一般の福祉を:増       の精神とそれが生産諸力および富の獲得に与える影

大させるための基礎としての農地改革,ハンガリ       響9.国際関係と対外政策)の中で占める枢軸的位

一農民自身による「下から」の小ブルジョア的=@  置については,Ar必prθア如V, SS.542−543(邦

留ジ・ア的発展の方向に求めていたのではな 訳r跳繊論』2・5頁)を参照・く,ドイツからの移民を媒介とするドイツの資本   (3}Vg1. NS. Wθ7加VI, SS.161−336.(邦訳『国民

と生産力とによって「外から」支えられるハンガ   的体系』181−371頁)を参照。

リーの旧封建諸勢力主導の「上から」の農業のプ  (4》Eδ6π面,SS.52−53.(邦訳,58−60頁)

ルジョア的発展(=ハンガリーの植民地化)の途   (5》E占θ 4α,SS.54−55.(邦訳,60−61頁)

に求めていたのであった。      (6)Eδθπ4α,SS・388−405・(邦訳,441−462頁)

以上要するに,リストはドイツ農業わけても西  {7}AV・研θア々8 V, SS・499−500・SS・501−502・

南ドイツの零細土地所有構造改革の展望を,東部   (邦説『農地制度論』ユ38−140頁・143−144頁・)

      (8)Ebenda, SS。503−504.(邦訳,145−146。頁)ドイツのユンカー経営への内地植民にではなく,

@       〔9}NS. W67々θV【, SS.55.(邦訳『国民的体系』61ハンガリーへの移住を前提とした土地整理の実施

       頁。)に求めていたのであった。こうしてドイツ国内に      (10)AV.π87々θV, S.504.(邦訳『農地制度論』146

あっては,プロイセンのユンカー階級の土地独占       一147頁。)

をひとまず是認しつつ・中規模農場経営を中核と  (u)Ebenda, SS.515_516.(邦訳,162−164頁。)

する農工商の均衡発展のドイツ社会が構想されて  {E)Ebenda, S.516.(邦訳,164−165頁。)

いたのである。しかしハンガリーについては・ハ  (13}Ebenda, SS.425−435.(邦訳,23−38頁。)

ンガリー農業の中核的担い手となる中産的農民層   (14)三月前期の西南ドイツの歴史的状況については,

      」ハンガリーの勤労人民自身の中から創造する方   松田智雄…『ドイツ資本主義の基礎研究』1967年,後 向ではなく,ハンガリーの貴族的大土地所有の存    篇「資本主義の南ドイツ的基盤」を参照。

続を自明の前提として,ドイツ国内の農地改革=  (15ウA>・晒7妬V,S$451−452, SS・483−484,

土地整理によって過剰となり,ハンガリーへの移   SS・521−524・(邦訊『農地制度論』63−64頁,114 住が予定されるドイツ人入植者に求めていた。こ   一115頁,173−178頁・)

うしたリストのドイツ並びにハンガリー農業改革  〔1のEbenda・S・530・(邦謁186頁)

      (17)Ebenda, S.437, SS.477−478, S.499.(邦訳,の構図は,ドイツ国内向けには農業のアメリカ型       42頁,105頁,139頁)

発展を示唆する側面をもちながらも,全体として      ⑯ この点でリストの立場は,ヴェーバーやゼーリン

は階級均衡論に立つリストの立脚点の限界髄示  グ等,19世紀末の農政論者の主張した東部ドイツー すとともに対外的には・ドイツ人の国民的利害を   の内地植民論(プロイセン・ユンカー農場の解体に 何よりも優先させていくリストの立場を端的に表   よるドイツの民主化の主張)とは異なる。

現するものでもあったのである。         ㈲AV. P7θア々θV, SS.436−438, Fussnoten・(邦 訳,『農地制度論』40−42頁。)

(1)F「iedrich List, Die Politische−6kQnomische  伽)Ebenda, SS 516−517・(邦訳,165−167頁。)

Nationaleinheit der Deutschen,1845, in:W8ア舵   ⑳ Ebenda, SS・517−518.(邦訳,167−168頁゜)

孤.(邦訳,リスト『ドイツ人の政治的経済的国民統   ㈲ リストが三月前期のハンガリーにおける土地整理

一』正木一夫訳,改造社,1941年)      の進行を指摘し・土地所有が大中小に適度に区分さ

(9)

れているという楽観的な見透しを述べて,完全農民  業ブルジョアジーの国民的利害を鋭くかぎとり,

の存在を強調している点(Vg1・AV・W67如V・  これに対してハンガリーの民族的,国民的自立の SS・512−513,邦訳,159−160頁)は,農民層の分  立場を明確iに打ち出した画期的論説である。次に 解という現実の歴史過程と合致しない・またハンガ  この論説のなかでコシュートが展開している議論

リーにおける土地整理が,旧封建領主層の主導の下       を検討していくこととしよう。以下にみられるコ

で進められており,ハンガリーではいわゆる農業の

@      シュートの立場は,先にあげたリストの政治経済「プロシア型」発展の途がはき清められつつあるこ       学のもつ膨張主義的性格をあざやかに浮かびあがとに対する認識が欠如している。ハンガリーの土地

       らせてくれるであろう。整理事業については,拙稿「三月革命期のオースト

リアにおける農民解放とその帰結(中)」『茨城大学   コシュート自身によってこの論説は次の七節に 人文学部紀要』第14号,1981年所収を参照されたい。 分けられている。①関税同盟(第一節)②関税同 なお,住谷一彦氏がリストはハンガリー農地改革の  盟(第二節)③関税同盟の利害④国民経済的結合 構図をハンガリーの中産的農民層の形成を起点とし ⑤関税同盟問題についての補遺⑥民族性と商業同 て構想している・との指摘は(住谷一彦『リストと  盟⑦国民経済の方向。内容的にいって本論説は,

ヴェーバー』1969年・191−193頁)・本稿の理解と  ①〜③ではドイツ関税同盟の起源,目的,活動,

異なる・       その影響が分析されており,またその同盟の利害 の所在が検討されている。④〜⑦までにおいて

皿 コシュートのドイツ関税同盟論と      は,ハンガリーのドイツ関税同盟への加盟(合併)

ハンガリー国民経済建設構想      問題が論じられている。以下大きくこの二つの区 リストがこのような壮大なゲルマン=マジャー  分に従って・コシュートの主張の論旨を要約・検 ル東方帝国建設の構想を打ち上げていたとき,  討していくこととしよう・

ハンガリー国民党左派の議員として自由主義的な   (1)コシュートのドイツ関税同盟論

「ペスト報知」Pesti Hirlap紙によりながら,ハン   コシュートははじめに,ハンガリーの内外,こ ガリーの自由主義的変革と民族的自立のための政  とにドイツ関税同盟諸邦内において当時かまびす

治運動を始めていたコシュートは,リストの政治  しくなってきていたドイツ関税同盟へのハンガ       (1)経済学をさめた目でみつめていた。コシュートは  リー加盟の是非を判断していくための手掛りとし

『国民的体系』をウィーンやべ一メンの製造業者  て,ドイツ関税同盟の歴史と目的,その活動並び   (2)達と同様,イギリスの工業独占,世界市場独占に  にその影響とを考察している。

対抗する後進国の保護貿易主義論,工業保護育成   まず第一にドイツ関税同盟の起源にっいて。

論として一方では高く評価しつつも,同時に他方   コシュートはこれを以下のように把握してい       (4)ではリストの大ドイツ主義者としての立場,即ち  た。①ドイツ人がいささか傲慢に言うところのド

リストの政治経済学がハンガリー合併を前提とし  イツ民族の比類なき資質一その高貴な血統と出 て構築されていること,その意味でリストの政治  自に裏づけられて,高貴な使命感に燃え,広汎な 経済学体系のもつドイツの国民的利害優先の立場  分野で持続的に慈善的活動を行ないうる資質一

を鋭くかぎとっていたのであった。1842年にリス  の発展を阻害してきたものは,他ならぬ小邦分立 トが『農地制度論』脱稿の直後,ドイツ語訳で目  に伴なう無数の関税障壁の存在であった。これが にしたコシュートの『ハンガリーのドイツ関税同  ドイツ人の福祉全般,産業,国民的自覚,国民的 盟への加盟について』(翫gαノη∫加56伽∬αη46η 活動の発展を阻害してきた。②その結果,ドイツ

4副∬乃8ηZo1あ8吻屈, Leipzig 1842)と題する小  連邦Deutscher Bundの外国貿易はあたかもイン       (3)

緖q(当初,「ペスト報知」紙上に連載)は,リ  ドのイギリスに対する関係と同様,木材,穀物,

ストの政治経済学の背後にひかえているドイツ産  そして原毛をドイツはイギリスに対して輸出し,

(10)

イギリスはドイツに対して工業製品を輸出すると  分業の国内市場論を媒介として現実的かつ客観的 いうことになってしまった。③ところが,イギリ  には,ユンカー階級の利害を背後から擁護するこ スは一方ではその工業生産力を強力に保護しなが  とになっているからであると。

らも,他方ではその貿易政策の決定を土地所有貴   さらにコシュートはリストの工業保護主義論 族の手に委ねていたため,1815年,1822年の「穀  が,経済政策の原理としては何もリストの創見に 物法」Corn Lawによってはイギリス穀物市場か  よるものではなく,他ならぬイギリスの国家経済

ら,またカナダを優遇する木材関税(カナダ産木  上の原理Staatswirtschaftliche Maxime(=重商主 材は無関税,ドイツ産木材には20ツェントナーあ  義政策)のむしかえしに過ぎぬと次のように断言

たり32却GMの関税蠣課)の設定によっすぢILイギリスは元来,その工牲産力を保

てはイギリス木材市場から,さらにオーストラリ  護育成してきたのであり,その結果ようやく原 ア産原毛の大量輸入によってはイギリス原毛市場  料,食料のみを輸入し,工業製品を輸出する体制 から,それぞれドイツ産品を排除してしまうこと  をとるに至った。従って最近イギリスが後進国向 になった。④以上のような経緯を経て,ドイツは  けに宣伝する自由貿易の原理というのは,保護主 その原料乃至食料の有力な輸出市場であるイギリ  義の原理をもって完成をみたイギリスの工業が製 スを失なったため,それに代って原料,食料品の  造する工業製品同様,専ら輸出向けの主張にすぎ

販売市場をドイツ国内に求める必要に迫られたの  ない。もともとイギリスの国家経済上の原理は工       層であった。そのためには,イギリスの工業製品を  業保護主義にあったのであり,リストの『国民的

保護関税によって排除し,ドイツの国内工業を保  体系』の工業保護主義論はまさにこの主張に他な

?逅ャすることによってこの保護育成された国内  らな㌔(?一と。

工業と国内の原料,食料生産とを結合させていく   次に第二にドイツ関税同盟の目的について。

方向(ドイツ関税同盟の結成)を模索することが   コシュートはその目的として次の二つを挙げて       ぐ8)不可避となったのである。       いる。①関税同盟加盟諸邦間における国内商業の

このようにコシュートは,1818年のプロイセン  完全かっ何ら制限のない自由を達成すること。② の新関税率を端緒とし,1824年の南ドイツ商業同  ドイツをとりまく諸国民の敵対的な立法に対する       (5)

ソを経て,1834年のドイツ関税同盟の結成に至る  自己防衛の手段として関税同盟の保護関税は,外 基本的な動機を,イギリスの原料,食料輸入差別  国競争に対して国内工業を保護育成すること。特 関税政策に対するドイツ側の対抗としてとらえて  にドイツ関税同盟はイギリスの工業製品の輸入を いたのである。この点は,ドイツ関税同盟がプロ  阻止することによって,国内の製造業の利害を擁 イセンの主導1生の下に結成されており,しかもそ  護するとともに,それを通じて国内の農業者,原 のプロイセンの経済政策には当該段階においては  料生産者に対する需要を拡大し,ドイツを単なる 他ならぬ東部ドイツの原料,食料生産者たるユ  ー農業国からドイツ国民の才能,資本,勤勉さに ンカー階級の利害が貫徹していくことを考えた場  相応しい教養と富と権勢を約束する工業国家へと 合・適切な把握としてよいであろう。そしてコ  脱皮させていくことを至上の目的とすること。

シュートはこうしたプロイセン・ユンカー階級の   このコシュートの理解は,ドイツ関税同盟の目 現実的利害状況が,他ならぬリストの『国民的体  的を専ら①の目的に限定し,関税同盟の保護貿易 系』によっても支えられていると主張する。とい  的性格を単にイギリスの穀物法に対する報復手段 うのは・リストの工業保護主義論においてはドイ  としてのみとらえていたイギリスのバウリング博 ツ国内工業の保護育成が前面におし出されてはい  士の見解とは異なり,ドイツの国民経済学者リス るものの,その主観的意図にもかかわらず,当該  トの主張を的確に引き継いだものであった。こと 段階のドイツにおいてはむしろリストの言う農工  にバウリングのパーマストンあて報告書にみられ

(11)

る論理,即ち「ドイツではなお一人の製造業者に  目すべきは,コシュートがドイツ関税同盟の結成 対して三人の農業者がおり,農業者の利害が圧倒  によってドイツ国民の統一の精神,ドイツ人の国 的であるから,(保護貿易政策をとることによっ  民的自覚と国民的力が呼びさまされることになっ て)多数者の損失でもって少数者の利益をはかる  たという点を,関税同盟の最大の政治的作用とし ことは全くの愚行であること」,また「ドイツ関  て高く評価していることである。しかも「このド 税同盟の保護関税政策は,イギリスの穀物法に対  イツ関税同盟諸邦は早晩,ドイツ国民の重要な構

(12)

する報復手段であるから,もしイギリスの市場を  成物としてドイツ人の国となるであろう」との予

ドイツの穀物,木材等に対して改めて開放すれば  言を述べて,コシュートはドイツ関税同盟が将来       (9)この手段はなくなるであろう」との見解に対して  国民的に統一されるであろうドイツ的要素の体現

は,コシュートは次のように反駁している。    物に他ならぬことを鋭くかぎとっていたのであっ 一農業の独自な利害からいっても最大の自由  た。この点は,ハンガリー合併問題をコシュート を与える外国の市場といえども,国内製造工業の  が論ずる場合,再度想起されてくる点であった。

繁栄が農業に与える好影響(原料,食料に対する   次にドイツ関税同盟結成の物質的諸作用につい 安定的需要の創出拡大,農村過剰人口の吸収)と  ては,イギリスの競争から保護されたドイツの製 比した場合,決して国内農業の安定的繁栄と結び  造工業の巨大な進歩を起点として社会のあらゆる つくものではない。現にイギリスは,ドイツの原  諸階層に波及効果が及んでいることにコシュート 料,食料に代ってアメリカの穀物,カナダやスカ  は着目している。コシュートの挙げる資料によれ

ンジナビアの木材,インドやニュージーランドの  ば,1832年と1837年との比較からだけでも,例え 亜麻,タスマニア(オーストラリア)の原毛を大  ばドイツの綿製品輸出は26,000ツェントナーか 量的に輸入し始めているではないか。しかもドイ  ら75,000ツェントナーへ増加,羊毛製品輸出は ツ国内の製造工業の立場からおそるべきは,イギ  49,000ツェントナーから69,000ツェントナーへ

リスの穀物法の撤廃であって,これに対してもし  の増加,さらに加工されたインジゴの量は12,000 ドイツが保護貿易政策をとらぬならば,世界市場  ツェントナーから24,000ツェントナーへの増加

パ ン

において安価な穀物を手にしたイギリスエ業と対  をそれぞれ示しており,これはイギリスエ業の競 抗する余地すらなくなるのであり,いまや工業国  争から保護されたドイツ関税同盟の製造工業の躍

(玉3)

家への脱皮を志向するドイツにとっては穀物法の  進の証左に他ならないというのである。

存廃如何にかかわらず,工業保護貿易政策をとる   このような製造工業の躍進は農業生産物への需 ことこそが,ドイツの農業と工業の繁栄を約束す  要を拡大するとともに,農村過剰人口の吸収を通 るものなのである。まさにこの点にこそドイツ関  じて結局のところ労賃や食料品価格を上昇せし

(10)

税同盟の存在理由があるのである。一      め,また借地料や土地価格を増大させることに ここには,リストの『国民的体系』にみられる  よって農業家に対しては直接的利得をもたらして 農工商均衡発展のドイツ国民経済建設の手段とし  いること。また他方では低廉な国内製造工業品の ての工業保護育成論の論理を引きとったコシュー  供給によっては農業の集約化のための手段が提供 トの見解が良くあらわれていると言えよう。    されており,こうした農工の関連を通じてドイツ

第三に,ドイツ関税同盟の諸作用,影響につい  の収益と福祉の増大は.資本家,工場主,農業家,

て。 コシュートは関税同盟がドイツ国民の発展  日雇労働者,手工業者そして消費者といった社会 にとってもった意味を「わずか10年のうちにドイ  のあらゆる階層にも利得をもたらすものとなって

(14)

ツ関税同盟諸邦は,その福祉,産業,国民的自覚,  いること。コシュートにとってはこうしたドイツ そして国民的力の点で通常の100年の進歩に比す  関税同盟の現状こそは,工業保護関税政策をとっ

(11)

べき前進をした」と端的に表現している。まず注  て工業国家へ脱皮しつつあることがいかにドイツ

(12)

国民の全般的福祉に大きな影響を与えているのか  義的立場に立つものであり,その限りでオースト を立証するものに他ならぬと理解されているので  リア帝国,従って当然ハンガリーをもドイツ人の ある。       国民的統一の射程に入れるものであることを鋭く

第四に・関税同盟の利害について。 コシュー  感じとっていた。またドイツ連邦の盟主であった トは以上のような歴史と目的をもちつつ発展して  オーストリアのハプスブルク家の政策もドイツ統 きたドイツ関税同盟へのハンガリー加盟の是非を  一の覇権獲得を射程に入れていくであろうこ差!1)

考える場合の前提として,そもそもドイツ関税同  そうしたなかで当面なおドイツ連邦領域には合ま 盟の追求しつつある利害は何であるのかを分析す  れていなかったとはいえ,ハンガリー内部深くに

る。この点についてのコシュートの分析の結論は  はことに帝国自由都市を中心としてドイツ人勢力

(15)      (17)

こうである。①ドイツ関税同盟というのは専らド が大きな厚みを増しつつあること,こうした勢い イツ的利害deutsches Interesseを代表するもので  のおもむくところ卑小なハンガリーがもしドイツ あり,ドイツの国民体に基礎を置くものであるこ  関税同盟に加盟していくことになった場合,ハン と。一イギリス人の国民的観点に立つバウリン  ガリーの国民体はいったいどうなってしまうであ グも,ドイツ人の国民的観点に立つリストも「ド  ろうか。リストのハンガリー合併という政策提案 イツ関税同盟の理想は国民的統一Nationalenein一 がコシュートに与えた最大の課題はまさにこの点 he三tの実現であり,ドイツ国民体のゲルマン化で  にあった。コシュートはハンガリーの内外で主張

ある」と言いきっているではないか。一一②従っ  され始めていたドイツ関税同盟加盟論に対して,

てもしハンガリーが(我々自身もハンガリー国民  ハンガリーの国民体を擁護していく立場から,関 ungarische Nationになることを欲しているのだ  税同盟加盟のもつ政治的,経済的影響を考察して

が)ドイツ関税同盟に合併されてしまえば,ハン  いくことによって独自の判断を示していくのであ ガリー人のゲルマン化は不可避であること。こと  る。

にハンガリーの産業ブルジョア層の大部分がドイ   第一の問題一ドイツ関税同盟に加盟した場 ツ人である現状では,ハンガリーのドイツ関税同  合,果してハンガリーは他の加盟諸邦と同様,平 盟加盟は・ハンガリーの国民体がより強力なドイ  等かつ有力な発言権を行使しうるかどうか。一一

ツ人の国民体に吸収されてしまうことを意味する  この点についてコシュートはハンガリーにとって こと。       重要なことは形式的平等ではなく実質的にプロイ

コシュートはハンガリー民族主義者の立場か  センと対抗してドイツ関税同盟の政策に対して発 ら・ハンガリーをオーストリア・ハプスブルク家  言しうるかどうかにあると考えていた。この点に の圧制から解放するとともに・ハンガリー国民の  っいて言えば,2千6百万人の人口をもつドイツ 政治的・経済的自立を構想していたから・ドイツ  関税同盟諸邦,2千百万人の人口をもつオースト 関税同盟のオーストリア帝国との同盟のもつ危険  リア王国,千5百万人の人口をもつハンガリーと 性・いわんやハンガリーのドイツ関税同盟加盟の  いうことを考えてみた場合,全人口比で47対15の

もつ危険性を,このようにまずドイツ関税同盟  比重をもつハンガリーが果して関税同盟内におい の現実的利害との関係で鋭くかぎとっていたので  て充分な影響力と発言力をもてるかどうかは疑し あった。いまやハンガリーのドイツ関税同盟問題  いこと,ことにハンガリーの利害はこうした力関 が・政治的かつ国民経済的観点から論じられるこ  係の下では関税同盟全体の利害によって圧しつぶ とになる。次にこの点を検討していくこととしよ  されてしまう危険陛が多分にあるのではないだろ        (18)

、。      うか,とコシュートは主張している。

(2)コシュートのハンガリー国民経済自立論    次に第二の問題  ドイツ関税同盟に加盟した コシュートはリストの政治経済学が大ドイツ主  場合,ハンガリーの国民経済育成の観点からして

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