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棟相三段請法の定式の一つに次のようなものがある︒

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Academic year: 2021

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見えるけれども︑それに先立つ条件e8菌思い︶と結鰭とのつながりが必然的である︵従って結給もそれだけ独立で

は必然的なのではない︶ことを意味するのかもしれない︒ここでの用法がどちらであるかは下記の材料によって判定

棟相三段請法の定式の一つに次のようなものがある︒

﹃AがすべてのBに必然的に︵①浜昌蝕鳥勝︶属するとせよ︒またBがいくらかのCに単に︵ョ目︒胃︶鵬するとせよ︒Aがいくら

かのCに必然的に凪することが必然である︒﹄︵目曽爾8シ冒胃α8喜冨﹃・冒:灘騨冒冨百噸・I昔.靭落ゞ曽幽葛︲さ︶

蛾後の文での↑自画烏︑ゞとαの鵠幽愚鳥肝.との璽複は冗語ではなくて︑一方は︵結論︶命題の様相を指定する﹁必然﹂

であり︑他方は様相の区別を問題にしない定言三段論法の定式にすでにあらわれていた﹁必然﹂と同じものだと解す

べきであろう︒この場合︑↑関凹愚具倒は大前提の様相の指定に使われているから︑結論においても結論自体の様

相をのべるものであって︑︒⑳愚民伽.の方が前の例で出た︒g昌忍ゞと同じ用法なのだと老えられる︒この意味での

﹁必然﹂をわれわれはしばらく推論の必然と呼び︑述語の必然〃と区別しておきたい︒

﹁必然﹂の二つの意味が区別されていることは︑様相三段論法において結論が可能を様相としている場合︑﹃可能

であることが必然である﹄︵垂誌.︑﹃.シ届.困壁鴎︲喝︶のような言い方が出ていることでも確かめられる︒

述語の必然グについては︑それが省略できないことは明らかである︒なぜなら実然︵閉協呵8号︶命題について

は特別の限定謡が使われないから︑述脇の必然を略いたら実然と区別がつかなくなるからである︒これに反して︑

推箔の必然の場合には︑﹁必然﹂の語句はしばしば省略されている︒だが︑この場合︑柑略される︑というだけ

では不十分かも知れぬ︒パッィヒa・悪風巴の指摘によると︑後件に﹁必然﹂が加わっていない代りに未来形に

なっている例が多い舎旨色風国々の胃.︶︒未来形のこの用法は必然性︑特に帰結の必然性をあらわすものと解するなら

ば︑この言い方を含む例は今までに示したものと本質的には同じものだと考えられる︒なかには﹁必然﹂と未来形の されよう︒

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論の必然を指すものと解しておきたい︒つまりこの例でアリストテレースの注意しているのは︑これら二つの前提

から﹁AはいかなるCにも属さない﹂は引出されるので︑或る意味では﹁⁝⁝ならば必然的に︑AはいかなるCにも

属さない﹂と言えるけれど︑それは前提との関連においてのみ意味をもつことで︑この場合﹁AはいかなるCにも必

然的に属さない﹂は引出されないから︑結論それ自体について︵無条件に︶必然とは言えない︑ということである︒

ここでの言い方は﹃分析赫舸沓﹂における三段満法︵推論式︶の定義にみられる考え方と一致する点がある︒すな

わち︑﹃三段諭法とは︑或ることが定立されているとき︑その描定されたものとは別の或ることが︑それらがこうで

あるので必然的に帰結するような曾描である︒﹄︵望冒巴いョ︒晩・・・①島﹈畠吊印邑弓買①号ga二言g胃苛﹃g三s邑

冨言93関目自葡印望ョ冨冒図自国匡冨のご里.︶焼けて︑﹃それらがこうであるので︑と私が言うのは︑それら

を通じて州結すること︑又それらを通じて帰結するというのは︑必然的なものが生ずるためには︑それら以外のいか

なる名群をも必要としない︑という意味である﹄と説明している魯乾.︑蕊諺﹈・瞳ウ届︲隠一亀.画一い◎軍営sシ﹈.

胃つ○色いいI⑲ヨ︶

このように︑定言三段論法の各式にあらわれる﹁必然﹂の意味は︑三段論法の定義のうちに用いられている﹁必

然﹂と同じく︑推諭の必然︑論理上の必然性をあらわすものであること︑それは﹁無条件の必然﹂とは区別されるこ

と︑また様相三段論法においては当然この二種の﹁必然﹂が用いられ得ることが確かめられたと思われる︒

一一

この.推論の必然に対して夙に明快な解釈を与えたのはボルッァーノa・聾旨目sである︒彼は後にタル

スキs・目妙﹃畏一︶が定式化した﹁諭理的州粘﹂︵一.Emgの冒荷①日畠︶の概念の先駆と言うべき︑﹁導出可能性﹂

S匡畏冨禺①己という概念の碓立に努めているが︑ボルッァーノ自身は彼の考想の萌芽をアリストテレースに灘め

ている︒﹃アリストテレースが導出可能性という関係︵言いかえればわれわれが推瀦B呂旨Sにおいて言い表わす

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てその場合結論と矛盾する全称肯定式︵曽画はつねに偽であろう︒ところが前提を典としてかつ全称肯定の結論が

真になるような解釈が少くとも一級はある︒︽︑に﹁動物﹂︑・ミ.に﹁人間﹂︑・句に﹁馬﹂をあてればよい︒それ故

結論として否定の式が得られるという仮定が斥けられるわけである︒尚定の式の結論がないことも以上と同鎌にして

証明されるが︑ここでは省略する︒

*ロスはこの箇所に注して.貢アリストテレースは︶結諭が出ること︵昏冒芝巴を示す継験的郡実を指摘することが屡々ある﹄

と言っているが︑ここで問題なのは前提をもち結翁をも共に真とする経験的那実を指摘することで十分であり︑前提から結

●●

鐙が出ることが問題なのではない︒Q︐君.ロ.詞◎脇.聾暑ミ苛啄︑式s亀員曹鳥墓︒︑聖旨貧富.諺旬⑦鶯乏号p旨冒9画ご

︵︒×ずa・乞も︶・マぎいなお︑﹃分析論﹄のテクストは本書を使用した︒

アリストテレースの考え方は以上のような筋であろう︒これを彼は必然l可能という概念の組を使ってのべてい

●●

る︒窒昏︑一︾↑啓ミ.・き︑︾のいずれもが真となるような解釈が存在することが﹁大名辞がすべての小名辞に属する

●◆

ことが可能である﹂という言い方でのべられている︒ここで全称と特称︵存在︶︑必然と可能との間には共に否定を

介して書換えが利くという並行関係が思い合わされねばならない︒

ウカセヴィチQgF烏勝篇員8︶は﹃アリストテレースの三段論法﹄において︑定言三段愉法にあらわれる﹁必

然﹂に茜及し︑それは全称波算子︵目笥禽恩﹄呂昌三壷禺︶に当るとした︒それは条件式︵脱文ではg冒呂8号ョご︶

のうちにあらわれる名辞︵変項︶のすべての値に対してその条件式が真であることを示す︒﹁必然﹂の字句がときに

見えないのは真なる式の頭に出る全称波算子は省蛸できるということに対応する︑と論じた︒

*F昊鬮篇量目.﹄.﹄鳥貫詩啄毒唱冨骨︑s冨琴︑望§号ミミミミ︒号豊曹ご誌具牌員号︵︒浜昏a︾忌望.牌8ag置員&

*F匡六翻里の乏旨隈

⑮色︒﹈︒︑﹃︶・幸切.

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﹃分析備前番﹄の様相三段論法論において︑必然命題の例として出されている名辞の組合せは︑全称肯定必然命題

においては類と趣の関係にあるもの︵例えば﹁動物﹂と﹁人﹂︶が︑全称否定としては別々の類または就に属するも

の︵例﹁動物﹂と﹁上衣﹂︑﹁馬﹂と﹁人﹂︶が用いられていると言われる︒このことから判断すると︑アリストテレ

ースは上述の第一・第二の条件をみたすモデルとして︑類と種の関係を考えていたと言えよう︒

*杉原丈夫﹃様机諭理学研究﹄︵山啓房出版邪︑一九六四︶︑三七三八頁︒

パッイヒは︑雌条件の必然も条件的な必然︵推諭の必然︶も共に全称演算子であらわされる将通性に還元さ

れるのであって︑両者のちがいは︑削者が三段論法の潴辞を︑後者は個体を変項の値としていることにすぎないか しかしこれは命題が必然的であるための必要条件ではあっても十分条件ではないであろう︒第二の条件としては︑

Bが必然的にAであるならば︑AがBにそれ自体において︵冨壹冨巨︒︶属するのでなければならない︑と言われ

ている︒ここでの・冨昏.冨巨aの意味には︑述譜︵A︶が主語︵B︶の定誰のうちに本質として含まれることが主

として考えられている︵シ今薗色鷺︲曽.具.里の◎国P饅齢や旨︶︒すなわち︑さきにわれわれが﹁無条件の必然﹂

︵述眠の必然︶と︑副ったものが︑証明の削提に要求される必然性と同じであるとすれば︑それは本蹴を取り出す定義 すなわち﹁人は 物である﹂と脈 るのであるが︑

窯野昌碩.号. は人のすべての事例について言われるので︑﹃もしこれが人だというのが真ならば︑それが動物でもあるということ が真である︒﹄︵﹄墓.車員.シ今蜀鳥や豊︶そこでパッィヒはこれは現在の論理学での全称命題の分析に当るとみた︒ すなわち﹁人は勤物であるというのは必然的である﹂は︑﹁すべての必の値に対して︑灘が人であるならば︑苑は動 物である﹂と解釈されるというのである︒アリストテレースはここでは﹁いつでも﹂という時間的規定をも考えてい るのであるが︑これは結吋変現の仙域のうちに吸収されるものとパッィヒは見ているようである︒

︵述眠の必然︶と︑副︽

にもとづくのである︒

同一詳吻④︒

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﹃分析論前書﹄における﹁必然﹂は一方では論理的必然性を意味している︒しかしこの概念は取り上げて論じられ

ているというよりも︑むしろその使用が論述の実際からみとめられると言うべきであろう︒アリストテレースの論理

学は論理上の真理︵旨哩8盲目弓︶という概念とは独立に論理学がある程度までは展開できることを示す例だとも言

われている︒もっともこのことが︑原因I結果の関係や認識上の根拠l帰結の関係との類推や混同を招いた点がある

筈筈

ように思われる︒他方︑様相三段論法を扱うにあたってアリストテレースは尋そこでの前提や結論にあらわれる﹁必

然﹂は論理上の必然性ではないことに気づいていた︒しかし彼の様相三段論法理論自体は不十分なものであり︑また

それと﹃後書﹄での証明論とが統一されているとは到底言えない︒その原因の一つが︑この場合の﹁必然﹂︑﹁可能﹂な

どの概念が理論的な扱いに適さないことにあるとすれば︑分析性の問題はアリストテースに遡ると言えるであろう︒

*く呂乏﹃碕冨︒︑西.浄侭詩皇堕量惹晦︵Fo且目ゞ愚g︶↓亨曽.

**里罵苛・恩ゞ邑冨.や宮廷.顕巨. ら︑アリストテレースの区別はかえって誤解のもとであると評する︒これは﹁推論の必然﹂についてのウヵセヴィチ の立掛に立つものであり︑かりにこれを認めるにしても︑無条件の必然の分析についてはアリストテレースの言った 貴冨昏.冨匡さ●︾の面がとり入れられているかどうか疑問が残る︒それは本質と偶有との区別を前提しており︑これは 外延的な関係には解消できないからである︒すなわち例えば︑人間が理性的であることは必然的であり︑二足である ことは必然的でないとみとめても︑普遍性︵百sでg旨︶において両者は区別できないであろう︒本質をのべる定 義は中間者︵中名辞︑8ョのゆg︶ぬきで︑言わば︑本賀面観に訴えることによって手に入るものなのである︒証明の 前提の必然性は﹁推論の必然﹂とは区別されなければならない︒

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