小樽 の三 ・一五事件,お よび 補遺 小樽 高商軍教事件 続
倉 田 稔
も く じ は じめ に
1三 ・一 五 事 件,再 論 2小 樽 の 三 ・一 五
補 遺1
補 遺2小 樽 高 商 軍 教 事 件 続
は じめ に
本 稿 は,前 稿 「総 選 挙 と三 ・一 五 事 件 」(『商 学 討 究 』49の1)に 続 く も の で, 小 林 多 喜 二 伝 の(26)に あ た る 。 そ し て2つ の 補 遺 を つ け る 。1つ は,既 稿 『商 学 討 究 』(47の2・3,及 び47の4)の 補 遺 で,「 小 樽 高 商 軍 教 事 件 続 」 で あ る 。
1三 ・一 五 事 件,再 論
三 ・一 五 事 件 とは,… … 昭和 三 年 三 月 十 五 日に,全 国 に亙 っ て 日本 共 産 党 の 一 斉 検 挙 をや っ た の で1)
,そ う言 う。
政 府 は,共 産 党 を弾 圧 す べ く,す で に治 安 維 持 法 を制 定 して い た 。 暁 民 共 産
1)(松 阪 広 政)「 三 ・一 五,四 ・一 六 事 件 回 顧(一 九 三 八)」(『 現 代 史 資 料(16) 社 会 主 義 運 動(三)』 み す ず 書 房 昭 和40年)38ペ ー ジ。 松 阪 は,当 時 東 京 地 方 裁 判 所 の 次 席 検 事 。 以 下,松 阪 と 略 す 。
〔31〕
党 や 第 一 次 共 産 党 の 検 挙 の 際 は,治 安 警 察 法 しか で きて い な か っ た 。 そ れ で は 弾 圧 が 不 十 分 だ っ た の で,政 府 は,一 層 強 力 な治 安 維 持 法 を作 っ て 共 産 党 を根
こ そ ぎ検 挙 しよ う と した。 ・'、
松 阪 広 政 は 言 う。 共 産 党 は,ず っ と 山川 均2)に 指 導 さ れ て い た もの が,大 正 十 五 年 頃 は福 本 イ ズ ム が 優 勢 で,殊 に青 年 連,知 識 階級 は福 本 イ ズ ム で な け れ ば夜 も 日 も明 け な い よ う に言 わ れ た。 そ こ で 党 内 は 福 本 派 と山 川 派 が 相 当深 刻 に争 っ た 。 そ の結 果 コ ミ ン ター ン の批 判 を仰 ぐこ とに な っ た。 そ こで 党 の代 表 と して 中央 委 員 の福 本 和 夫3),徳 田 球 一4),中 央 委 員 で は な い が 佐 野 文 夫5), 河 合 越 治 脱 三 で は な い か)6),渡 辺 政 之 輔7)ら が,モ ス コー へ 行 っ た 。8)
こ こ で 言 う 山川 イ ズ ム と福 本 イ ズ ム に つ い て,松 阪広 政 は,興 味 深 い 特 徴 づ け をす る 。
こ れ らは ど ち ら も共 産 主 義 の 実 現 の 目的 は 変 わ らな い 。 た だ 日本 の そ の 当 時 の 世 の 中 の 客 観 的 情 勢 の 認 識 の 差 異 に過 ぎな い 。 山川 イ ズ ム は,高 度 に資 本 主 義 が 発 達 して い る と し,福 本 イ ズ ム は,封 建 的 な もの が 非 常 に残 存 して い る と し,そ の 認 識 の 違 い か ら革 命 方 法 が 違 っ て,資 本 主 義 が発 達 して い る とい う も の は,直 ち に プ ロ レ タ リ ア革 命 をや ろ う とい う し,封 建 的 遺 制 の残 存 して い る とい う もの は,ロ シ ア の よ うに先 ず ブ ル ジ ョア 革 命 を経 て,そ れ か ら直 ち に プ ロ レ タ リア 革 命 をや ろ う。 … …結 局 は 同 じ こ と に な る9),と 。
大 正15年(1926年)12月,山 形 県 五 色 温 泉 の 宗 川(そ うか わ)旅 館 で,共 産
2)山 川,1880‑1958.
3)福 本 和 夫 。 明 治27年,鳥 取 県 東 伯 郡 下 北 条 村 に 生 まれ た 。 倉 吉 中 学 か ら,一 高, 東 大 政 治 科 に 入 り,大 正9年 に 卒 業 。 鳥 取 県 庁 に勤 務 した 。 松 江 高 等 学 校 が 新 設
さ れ て,す ぐ教 授 と して 招 か れ る 。 文 部 省 か ら2年 の 留 学 を 命 ぜ ら れ,帰 国 。 大 正14年,山 口 高 商 に 転 任 し,雑 誌 「マ ル ク ス 主 義 」 に諸 論 文 を発 表 し,福 本 イ ズ ム が 流 行 っ た 。
4)徳 田,1894‑1953.
5)佐 野 文 夫,1892‑1930.
6)河 合,こ の こ ろ信 越 地 方 の 委 員 長,そ の後 関 東 地 方 の 委 員 長 に な る 。 事 件 後 逮 捕 。 7)渡 辺,1899‑1928.
8)松 阪,40ペ ー ジ.
9)松 阪,40ペ ー ジ.
小樽 の 三 ・一五事 件,お よび 補遺 小 樽高 商軍 教事 件 続 33 党 再 建 第 三 回 党 大 会 が 秘 密 に 開 か れ た 。 こ れ を毛 利 警 部 が 半 年 以 上 経 て 後,つ
き と め た 。 警 察 の そ の 後 の 調 べ で分 か る の だ が,12月4日 に 行 われ た この 集 会 に参 加 した 者 は,17名 で あ っ た。 創 立 準 備 委 員 会 代 表 ・福 本和 夫,佐 野 文 夫, 渡 辺 政 之 輔,中 尾 勝 男10),松 尾 直 義,三 田 村 四 郎,(関 東 地 区代 表)片 山 久, 水 野 成 夫11),日 下 部 千 代 一,豊 田 直,門 屋 博,(関 西 地 区代 表)国 領 伍 一 郎12), 喜 入 虎 太 郎,(九 州 地 区代 表)藤 井 哲 夫,(書 記)中 野 尚 夫13),藤 原 久,(警 備) 菊 田 善 五 郎,で あ っ た 。
五 色 温 泉 の 会 合 で,宣 言,綱 領,規 約,中 央 委 員 が 決 ま っ た 。 宣 言 は福 本 が 書 き,読 ん だ 。 次 に渡 辺 政 之 輔 が 政 治 運 動 方 針 を 延 べ たが,彼 は 福 本 理 論 を 信 奉 して い た。労働 運 動 方 針 な ど も承 認 され た 。そ して 中 央 執 行 委 員 が 決 定 した 。 福 本,渡 辺,徳 田(入 獄 中),佐 野 学(入 獄 中),佐 野 文 夫,で あ る。
この 再 建 を知 っ て,警 察 は弾 圧 を 決 心 した の で あ っ た。 なぜ そ の 後 の彼 らの 所 在 が 当 局 に な か な か 分 か ら な か っ た か とい う と,「 当 時,党 内 で 思 想 理 論 を め ぐって,山 川 イズ ム と福 本 イ ズ ム との 対 立 が あ り,こ の論 争 に勢 力 を奪 わ れ て,党 活 動 が展 開 さ れ な か った た め で あ る。 さ らに,こ の対 立 が コ ミ ンテ ル ン の批 判 を受 け る こ と に な っ て,福 本,徳 田,山 本 な どが モ ス ク ワ に入 っ て い て 国 内 を留 守 に して い た こ と に もよ る 。」14)
松 阪 広 政 は 言 う。 第 一 次 共 産 党 は,大 正 十 一 年 七 月 か ら山 川 均 が 組 織 し,大 正 十 一 年(1922年)の 十 一 月 コ ミ ン ター ンの 第 四 回 世 界 大 会 で 日本 支 部 と して 承 認 され た。 そ れ が(大 正)十 二 年 の 五 月 に検 挙 され た。 これ は一 斉 検 挙 で な く,東 京 に本 部 が あ っ た か ら,東 京 だ け検 挙 した 。 そ の 当 時 は 余 り全 国 に根 を 張 っ た も の で な く,… … 東 京 の 検 挙 だ けで た ち まち 弱 くな っ て し ま っ た 。 そ れ で 翌 十 三 年 の 三 月 に解 散 の 決 議 を した 。 日本 の 共 産 党 は一 旦 解 散 した。 しか し そ の 後,ビ ュ ー ロー 組 織 と して 運 動 を小 さ くや っ て い た。 大 正 十 五 年 十 二 月 四
10)中 尾 勝 男,労 働 者 出 身 。 11)水 野 成 夫,1899‑1972.
12)国 領,1902‑43.
13)中 野,帝 大 新 人 会 出 身 。
14)松 本 清 張 『昭 和 史 発 掘 』2,文 春 文 庫 1979年,203‑204ペ ー ジ 。
日に,山 形 県 五 色 温 泉 宗 川 旅 館 に,代 表 委 員 一 二 名 が 集 まっ て,党 の組 織 大 会 を開 い た。 「これが 三 ・一 五事 件 の検 挙 の 主 た る 目標 に なっ た の で あ ります 。」15)
(括弧 内 は,筆 者 の補 い 。)
初 め て の 普 通 選 挙 に 基 づ く1928年(昭 和3年)の 総 選 挙 で,無 産 政 党 の 進 出 に恐 愕 した 政 府 は,共 産 党 の大 弾 圧 を計 画 した 。 警 察 は共 産 党 弾 圧 を,第 一 次 共 産 党 事 件 で 経 験 して い た 。 共 産 党 は,そ の弾 圧 で 弱 体 化 し,そ の 後,つ ま り 大 震 災 後,解 党 した。 そ れ な の に 再 び 復 活 した 同 党 を見 て,警 察 は再 び 大 弾 圧
を しよ う と した 。
三 ・一 五 事 件 以 前 の 共 産 党 は,ロ シ ア の 支 援 を 非 常 に 得 て い た16)。 巨額 の 活 動 資 金 が 手 渡 され た。 とい う よ りもむ しろ 日本 共 産 党 は,コ ミ ンテ ル ン 日本 支 部 な の だ っ た 。 さ て五 色 温 泉 で の 党 大 会 を終 え た 彼 らを,コ ミ ンテ ル ンが 批 判 した 。指 導 者 をモ ス ク ワ に 呼 ん で,、指 導 部 の 入 れ替 え を し,「二 七 年 テ ー ゼ 」 を作 っ た。 コ ミ ンテ ル ンで福 本 イ ズ ム は あ っ さ り批 判 さ れ,福 本 イズ ム は捨 て られ た 。 モ ス ク ワで,福 本 は ほ とん ど抵 抗 な しに 自説 を撤 回 した 。 他 の 人 々 も そ れ に従 っ た 。 日共 は新 しい 方 針 で活 動 す る こ とに な っ た。
一 九 二 七 年 以 前 に,共 産 党 は宣 伝 文 書 等 に,共 産 党 の 名 を 出 して い な い 。 一 九 二 七 年 以 後 に な る と公 然 た る党 活 動 が 始 ま っ た の で,官 憲 は そ の ス パ イ を党 組 織 の 中 に送 り込 む よ うに な っ た。 三 ・一 五 事 件 の 「捜 査 の端 緒 」 は,ス パ イ か らの 聞 き込 み に よ る もの もあ る。 五 色 温 泉 につ い て 当 局 に話 を した の は,北 浦 仙 太 郎17),そ して 大 阪 のK18),で は な い か と,松 本 清 張 は推 測 して い る 。 Kと は 岸 野 重 春 で あ る ら しい 。 こ れ らの 情 報 は正 確 な もの で は な か っ たが,こ れ を端 緒 に特 高 の 捜 査 活 動 が 始 ま る19)。 一 九 二 八 年 三 月 十 五 日を 全 国 一 斉 検 挙 の 日 に決 め た。
15)松 阪,39ペ ー ジ 。 16)松 阪,38ペ ー ジ 。
17)松 本 『昭 和 史 発 掘 』2,243‑4ペ ー ジ 。 18)同,245ペ ー ジ 。
19)[山 辺 健 太 郎]「 資 料 解 説 」(『 現 代 史 資 料(16)社 会 主 義 運 動(三)』 み す ず 書 房 昭 和40年)
小 樽 の三 ・一五 事件,お よび 補遺 小 樽 高商軍 教事 件 続 35 戸 沢 検 事 は言 う。 この 種 の犯 罪 の 検 挙 は,計 画 的 組 織 的 に,し か も極 秘 裡 に 十 分 な準 備 を整 え て,一 旦 検 挙 に着 手 した な ら ば集 中 的 大 量 検 挙 を しな け れ ば な らな い 。1人 や2人 捕 ま え る機 会 が あ っ て も,そ れ を捕 まえ て よ い場 合 もあ るが,そ れ を捕 ま え た た め に他 に響 い て,向 こ うが 極 度 に 警 戒 し,そ の為 に多 数 の幹 部 を捕 らえ る 機 会 を逸 す る と,検 挙 の 政 策 と して よ くな い20),と 。
コ ミ ンテ ル ン は,日 本 共 産 党 を 公 然 と大 衆 の 前 に 出 させ る よ う に した。 共 産 党 は,機 関 紙 「赤 旗 」 の 発 行 を決 め た 。 総 選 挙 で は ビ ラ,新 聞 を 出 し,組 織 の 存 在 を表 明 した 。 警 察 は,こ れ ら を収 集 し分 析 し,不 十 分 で あ った が,検 挙 対 象 者 を しぼ り上 げ て い っ た 。 た だ し幹 部 の実 態 は よ くつ か ん で い なか っ た 。 つ か ん だ の は合 法 面 の 党 員 た ち で あ った 。 コ ミ ンテ ル ンは 日本 の 政 治 環 境 を よ く 知 ら なか っ た の だ 。 た だ し,総 選 挙 中 で 百 数 十 人 の 党 員 が4百 名 に増 え た 。 警 察 は そ の 上,尾 行 を し,ま た,前 述 の ス パ イ か らの 情 報 を え て,対 象 者 を し ぼ っ て い っ た 。
大 検 挙 の準 備 が 二 月 末 に 固 ま っ た 。 全 国一 斉 検 挙 と い う経 験 は 当 局 で も初 め て の こ とだ っ た 。 検 挙 に は 絶 対 秘 密 を保 持 した 。 そ して検 事 が 捜 査 と指 揮 の 中 心 に な っ た21)。一 斉 捜 査 は全 国31道 府 県 に 亙 っ た。 捜 査 箇 所 は,労 働 農 民 党, 全 日本 無 産 青 年 同 盟,日 本 労 働 組 合 評 議 会,日 本 農 民 組 合,日 本 共 産 青 年 同 盟 等 の 団 体 で あ っ た 。 こ れ ら は非 合 法 団 体 で は な い 。 ま た共 産 党 員 が そ の役 職 に つ い て い る と見 な し た か らで あ る。 警 察 は,共 産 党 組 織 を正 確 に は知 らな か っ た が,党 員 と思 え る人 々 を 逮 捕 して 自 白 させ,あ る い は書 類 を押 収 して,組 織 を解 明 しよ う と した 。 自白 させ る 時 に,拷 問 を す るの で あ っ た 。 書 類 を得 る た め に,家 宅 捜 査(事 務 所 を 含 め て)を 全 国 一 斉 に す る必 要 が あ っ た 。
20)戸 沢 重 雄 「思 想 犯 罪 の検 察 実 務 に つ い て 」(『現 代 史 資 料(16)社 会 主 義 運 動(三)』
み す ず 書 房 昭 和40年)18ペ ー ジ 。 戸 沢 は,検 事 。 21)松 阪,46ペ ー ジ 。
2小 樽 の 三 ・一 五 捜 査 箇 所 と な っ た う ち の三 団体 は,こ うで あ る。
労 働 農 民 党 は,当 時17000名 の 党 員 を も ち,執 行 委 員 長 は 大 山郁 夫,書 記 長 は細 迫 兼 光,執 行 委 員 は,大 道 憲 二,秋 和 松 五 郎,難 波 英 夫,植 村 進,調 査 部 長,益 田 豊 彦 で あ り,全 国 に三 〇 数 支 部 聯 合 会 を持 っ た 。 そ の う ち北 海 道 支 部 聯 合 会 は,8支 部 で,執 行 委 員 長 は 小 樽 の境 一 雄 で あ っ た 。
全 日本 無 産 青 年 同 盟 は,4455名 と され,全 国 二 十 数 か ら三 〇 支 部 を持 ち,北 海 道 は4支 部 に別 れ,函 館 支 部118名,札 幌 支 部45名,小 樽 支 部24名,釧 路 支 部16名 で,小 樽 支 部 に は,武 内清,渡 辺 利 右 衛 門 が い る と され た 。
日本 労 働 組 合 評 議 会 は,東 京 芝 区 三 田 に事 務 所 が あ り,中 央 執 行 委 員 長 野 田 律 太,中 央 委 員14名 を持 ち,全 国 に地 方 評 議 会 が あ っ た 。北 海 道 地 方 評 議 会 は, 小 樽 に本 拠 が あ り,執 行 委 員 長 が境 一 雄 で,会 員2904名 で あ った 。 そ れ は ま た 10の 労 働 組 合 を も ち,そ の 一 つ は 小 樽 合 同 労 組 で,組 合 員801名 で,道 内 最 大 だ っ た。22)
9月15日 に,三 ・一 五 事 件 の予 審 終 結 が 決 定 し,そ の 裁 判 所 の 決 定 書23)か ら, 小 樽 の 三 ・一 五 事 件 で検 挙 さ れ,起 訴 され る こ と に な っ た 人 々 につ い て 述 べ て お こ う。
武 内清24)は,小 樽 合 同 労 働 組 合 執 行 委 員 で,争 議 部 長 だ っ た 。 か ね て か ら 労 働 運 動 に従 事 し,全 道 で 左 翼 運 動 の 重 鎮 だ っ た 。
渡 辺 利 右 衛 門 は,日 本 労 働 組 合 評 議 会 北 海 道 地 方 評 議 会 執 行 委 員 で,小 樽 合 同 労 組 執 行 委 員 で あ る 。
22)「 秘 密 結 社 日本 共 産 党 事 件 の 概 要 」(伊 東 巳 代 治 文 書)(『 現 代 史 資 料(ユ6)社 会 主 義 運 動(三)』 み す ず 書 房 昭 和40年)。 鈴 木 内 相 が 伊 東 に 持 参 し た も の 。 伊 東 は,枢 密 院 議 員 。
23)武 内 清 外 三 十 五 名 治 安 維 持 法 違 反 被 告 事 件 予 審 終 結 決 定 書(一 九 二 八)(『 現 代 史 資 料(16)社 会 主 義 運 動(三)』 み す ず 書 房 昭 和40年)。
24)武 内 。 本 籍,函 館 市 東 雲 町287。 住 所,小 樽 市 稲 穂 町 西4丁 目6。 明 治35年8 月31日 生 まれ 。 日 雇 い 。 小 樽 合 同 労 組 執 行 委 員 。 とあ る 。
小 樽 の三 ・一五 事件,お よび 補 遺 小樽 高商 軍教事 件 続 37 境 一 雄 は,大 正9年 に小 樽 中 学 を卒 業 し,同 志 社 大 学 神 学 部 に 入 り,2年 で 中退 し,早 稲 田大 学 政 治 経 済科 に入 学 した 。 家 庭 の事 情 で2年 で や め た 。 日本 労 働 組 合 評 議 会 統 制 委 員,労 働 農 民 党 小 樽 支 部 員,労 働 党 北 海 道 聯 合 会 執 行 委 員 長,小 樽 市 会 議 員 で あ る。
正 木清 は,評 議 会 北 海 道 地 方 評 議 会 政 治 部 長 でラ労 農 党 小 樽 支 部 員 で あ っ た。
秋 山安 治 は,尋 常 小 学 校 を 終 え,大 正14年 に小 樽 市 橋 本 鉄 工 所 職 工 と な り, 昭 和2年 夏 こ ろ全 日本 無 産 青 年 同 盟 に加 入 し,同 小 樽 支 部 員 とな っ た 。
宮 下 要 吉 は,尋 常 小 学 校 を 卒 業 後,労 働 した。 無 産 青 年 同盟 小 樽 支 部 員 とな る。
菊 池 米 吉 は,労 働 運 動 を して い て,小 樽 合 同労 組 準 幹 部 だ っ た 。 高 橋 英 力 は,労 農 党 小 樽 支 部 員 で,合 同 労 組 会 計 係 で あ っ た 。 近 藤 隆 策 は,橋 本 鉄 工 所 職 工 で,無 産 青 年 同盟 小 樽 支 部 員 だ っ た 。 本 田要 吉 は,労 農 党 小 樽 支 部 員 で,無 産 青 年 同盟 小 樽 支 部 員 だ っ た 。 音 羽 正 雄 は,橋 本 鉄 工 所 の 職 工 で,無 産 青 年 同盟 小 樽 支 部 員 だ っ た。
河 内 富 雄 は,尋 常 小 学 校 をお え,橋 本 鉄 工 場 の 職 工 見 習 い とな り,小 樽 合 同 労 組 に加 入 した。
成 田 泰 三 は,高 等(小 学 校)2年 卒 業 後,橋 本 鉄 工 所 の機 械 仕 上 げ見 習 い と な り,小 樽 合 同 労 組 に入 っ た 。
鮒 田勝 治 は,小 樽 商 業 学 校 を卒 業 し,約1年 半 自分 で,味 噌 醤 油 の販 売 を し て い た が,売 掛 金 の 回収 が で き な くな り,閉 店 した 。 そ の後,銀 行 か 会 社 に就 職 し よ う と した が,口 が な か っ た。 労 働 者 を相 手 と して商 売 を した の で,そ の 生 活 状 態 を見 て,痛 切 に そ の 向 上 の必 要 を感 じて い た 。 そ こ で 意 を決 して 無 産 青 年 同 盟 小 樽 支 部 員 と小 樽 合 同 労 組 員 と な っ た 。
佐 藤 富 雄 は,小 樽 中学 在 学 中,通 信 事 務 員 とな り,ま た小 樽 貯 金 支 局 に 勤 務 して い た 。 肺 病 の た め 中学4年 で 中 退 した 。 家 庭 に義 父 が い て 折 り合 わ な か っ た の で,ほ とん ど家 庭 の 人 と な らず,専 ら無 産青 年 同 盟 小 樽 支 部 事 務 所 に起 居 し,労 働 運 動 を した 。
阿 部 茂 太 郎 は,尋 常 小 学 校 を終 え,小 樽 貯 金 支 局 で 給 仕 や 事 務 員 と して 勤 め
た こ とが あ り,上 京 して家 具 製 造 会 社 の 職 工 とな っ た こ とが あ る 。 大 正15年 小 樽 合 同 労 組 に加 入 し,昭 和2年9月 無 産 青 年 同盟 小 樽 支 部 に入 り,常 任 委 員 と な っ た 。
本 間 喜 一 郎 は,郵 便 配 達 夫 で,無 産 青 年 同盟 小 樽 支 部 員 だ っ た 。 油 谷 外 茂 吉 は,小 樽 合 同 労 組 員 だ っ た 。
裁 判 所 の決 定 書25)か ら,彼 らの 政 治 的 行 動 と関 係 を再 構 成 して み る。た だ し, 警 察 ・検 事 ・裁 判 所 の 調 べ で あ り,拷 問 そ の他 で 強 引 に 自 白 させ た だ ろ うか ら, 事 実 と は違 う可 能性 が 十 分 あ る。 しか し,さ しあ た り描 く。 た だ し筆 者 は 時 に は括 弧 で 疑 い と補 い を書 き入 れ る。
武 内 は昭 和2年12月,小 樽 市 で,東 京 の あ る 人 か ら文 書 で,日 本 共 産 党 に加 入 の勧 誘 を受 け,そ の こ ろ承 諾 した。(文 書 で勧 誘 さ れ る の だ ろ うか 。)そ して 武 内 は,渡 辺 利 右 衛 門 を勧 誘 し加 入 させ,2人 で 書 面 と党 費 を 郵 送 した 。(郵 送 で そ う い う こ と をす る の だ ろ う か 。)昭 和3年1月 上 旬,三 田 村 四 郎 が 来 道 す る と,南 小 樽 駅 で 彼 を迎 え,渡 辺 と共 に間 借 り して い た 同駅 付 近 の 魚 問屋 裏 の2階 へ3人 で行 っ た 。3人 は,党 の 組 織 ・運 動 方 針 を協 議 し,武 内 と渡 辺 は, 同党 の 主 義 宣 伝 と 目的 達 成 の た め 必 死 の 活 動 をす る と誓 約 した 。 三 田村 か ら, 政 治 テ ー ゼ,組 織 テ ー ゼ,当 面 の政 策 な どの 秘 密 文 書 を各30部 受 け取 り,同 地 の労 働 者 に配 布 した 。2人 は,小 樽 地 区 委 員 会 を組 織 し,責 任 者 と な り,会 計 係 に な り,境 一 雄 と正 木 清 を勧 誘 し,加 入 させ た 。(境 は しか し党 員 で は な い の で,叙 述 は お か しい 。)
武 内 と一 緒 に あ る い は 後 に 入 っ た 渡 辺 は,(そ の後)小 樽 で,秋 山 安 治,近 藤 栄 作,鮒 田 勝 治,宮 下 要 吉,油 谷 外 茂 吉 を勧 誘 し,入 党 させ(る こ と に な っ) た。 そ して 「赤 旗 」,「北 海 通 信 」(後 に 「北 海 労 働 者 」 と改 称 原 文),「 北
25)武 内清 外三 十五 名治 安維 持法 違 反被告 事件 予審 終結 決定書(一 九二 八)(『 現 代 史 資料(16)社 会 主義 運動(三)』 みすず 書房 昭和40年)。
小 樽 の三 ・一五 事 件,お よび 補 遺 小樽 高商 軍教事 件 続 39 海 労 働 者 」,工 場 新 聞 を配 布 した。 小 樽 の橋 本 鉄 工 所 に 工 場 細 胞 を作 る よ う, 秋 山 に 依 頼 した 。 三 田村 が小 樽 に くる と,本 田 宅 で 労 働 者 を集 め,そ の後,境 宅 で 三 田 村 と会 っ た 。(鮒 田 は入 党 して い な い と言 う。)
境 は,昭 和3年1月 中旬,自 宅 で武 内 清 か ら党 加 入 の 勧 誘 を 受 け て,加 入 し た 。(だ が,境 は加 入 して い な い 。)そ して 同党 の 文 献 類 を受 け取 っ た。
宮 下 は,昭 和3年1月 中 旬 渡 辺 の依 頼 で 札 幌 に きて,田 ロ 右 源 太 と同居 した 。 三 田村 の 家 で,彼 と会 い,入 党 を誘 わ れ,加 入 した 。 す ぐ レポ ー ター に な り, 三 田村 ・渡 辺 と三 田 村 ・田 ロ の 間 を往 来 し て,秘 密 文 書 や 原 稿 を運 ん だ。
昭和3年1月18日 晩,本 田 要 吉 宅 で,本 田,菊 池,高 橋 は,三 田村 か ら共 産 党 の 主 義 綱 領 の 説 明 を受 け,勧 誘 され,加 入 した 。秋 山 は 入 党 を勧 誘 され た。(秋 山 が まだ 入 党 して い な い こ と に注 意 。)皆 が秘 密 文 書 も配 布 され た。
菊 池 は そ の後,秋 山か ら,赤 旗,北 海 通 信,労 働 者 な どを,3,4回 配 布 さ れ,読 ん だ。 高橋 はそ の後,秋 山 か ら3,4回,中 央 ・地 方 機 関 紙 を配 布 され 読 ん だ 。 本 田 は そ の 後,中 央 ・地 方 機 関 紙 を6回 配 布 され,読 ん だ 。
近 藤 隆 策 は,昭 和3年2月 上 旬 自宅 で,そ して 音 羽 と一 緒 に,秋 山 か ら,党 加 入 を勧 誘 さ れ,加 入 した 。 音 羽 も加 入 した。 近 藤 は,そ の 後 党 費 を納 付 し, 秋 山 か ら中 央 ・地 方 紙,工 場 新 聞 な ど を配 布 さ れ,秋 山,音 羽 と,橋 本 鉄 工 所 の工 場 細 胞 組 織 の 準 備 を した 。(秋 山 は後 述 の よ う に2月 入 党 な の だ が 。)
音 羽 は,秋 山,近 藤 と,鉄 工 所 の 工 場 細 胞 準 備 会 を組 織 した 。秋 山 か ら中 央 ・ 地 方 機 関 紙,工 場 新 聞 を 受 け た 。 そ して 河 内富 雄,成 田泰 三 を勧 誘 し,入 党 さ せ,同 様 の 文 書 を配 布 した 。
河 内 は,昭 和3年2月 初 ころ,そ の 鉄 工 所 工 場 で,音 羽 か ら党 加 入 を 誘 わ れ, 加 入 し,党 費 を納 付 し,中 央 ・地 方 機 関 紙 の配 布 を う け,読 ん だ 。
成 田 は,昭 和3年2月 初 こ ろ,鉄 工 所 工 場 で音 羽 か ら,河 内 と 同 じ く,党 加 入 を勧 誘 さ れ,加 入 し,党 費 を納 入 し,赤 旗 そ の 他 の 秘 密 文 書 の 配 布 を う け, 読 ん だ 。
正 木 は,昭 和3年2月 上 旬 こ ろ,小 樽 合 同 労組 事 務 所 で,武 内 清 か ら党 加 入 を うけ て 承 諾 した 。 札 幌 で 三 田村 と協 議 した 。
鮒 田 は,昭 和3年2月 上 旬 こ ろ,合 同労 組 事 務 室 で,渡 辺 か ら党 加 入 の 勧 誘 を受 け,加 入 した。 なお,同 月,佐 藤 富 雄,阿 部 茂 太 郎 を勧 誘 入 党 させ た。(し か し鮒 田 は入 党 して な い と言 っ て い る の で,お か しい。)
秋 山 は,2月 に小 樽 の 菊 池 米 吉 宅 で,渡 辺 利 右 衛 門 か ら党 加 入 を勧 誘 され, 加 入 した。 な お,渡 辺 の 依 頼 で,近 藤 隆 作,音 羽 正 雄 を勧 誘 し,入 党 させ た。
彼 ら と,橋 本 鉄 工 所 の 工 場 細 胞 を 組 織 し,工 場 新 聞 を 出 そ う と した が で き な か っ た。そ れ に ま た高 橋 英 力,菊 池 米 吉 な どに,「 赤 旗 」や 「北 海 通 信 」,「労 働 者 」 な ど を 配布 した 。
佐 藤 と阿 部 は,昭 和3年2月 中 旬 こ ろ 合 同 労 組 事 務 所 で,(一 緒 か ど うか は 不 明,)鮒 田 勝 治 か ら党 加 入 を勧 誘 され,加 入 した 。 佐 藤 は,中 央 ・地 方 機 関 紙 を配 布 され,同 月 下 旬 こ ろ本 間 喜 一 郎 を勧 誘 加 入 させ,文 書 を 配布 し た。
本 間 は,昭 和3年2月 中旬 ころ 小 樽 市 稲 穂 町 の 道 路 で,佐 藤 富 雄 か ら入 党勧 誘 を う け,加 入 し,中 央 ・地 方 機 関 紙 の配 布 を受 け た 。
油 谷 外 は,昭 和3年2月22,3日 こ ろ,小 樽 で 渡 辺 か ら党 加 入 を勧 誘 さ れ, 加 入 した 。 同 夜,境 宅 で,三 田村 と会 い,地 方 紙 な どの 配 布 を うけ,池 田勘 次 郎,星 野 熊 蔵 な どに 文 書 を配 布 した 。
近 藤 栄作 は,昭 和3年2月 末 こ ろ小 樽 合 同 労 組 事 務 所 で,渡 辺 か ら党 加 入 の 勧 誘 を うけ,加 入 し,中 央 ・地 方 紙 を配 布 され た。 渡 辺 の 依 頼 で,神 田倉 八 に 地 方 紙 を 配 布 し,入 党 を勧 誘 した 。
同年3月 上 旬,札 幌 市 で全 道 各 地 区 の代 表 者 会 議 が 開 か れ,武 内 と渡 辺 は 出 席 し,武 内 は 同 月11,2日 ころ 函 館 へ 行 き,そ の地 で 地 区 委 員 会 を作 り,同 市 の 工 場 細 胞 組 織 準 備 会 の組 織 化 を指 導 し た。(し た が っ て3月15日 に は 捕 ま っ て い な い 。)
武 内 は 函 館 で 三 ・一 五 事 件 後 は,北 海 道 地 方 機 関紙 「北 海 道 労 働 者 」 の号 外 を2回 発 行 し,(札 幌 で な く函 館 で,自 分 の権 限 で 号 外 が 作 れ るの だ ろ うか 。) 函 館 で 郵 送 し,(市 内 なの に 郵 送 す る だ ろ うか 。)救 援 運 動 を促 進 し,21日 こ ろ,
「北 海 道 労 働 者 」 第11号 を 十 数 部 配 布 させ ,23,4日 こ ろ札 幌 へ 帰 り,機i関 紙 の 印刷 と配 布 に努 力 し た。
小樽 の三 ・一 五事 件,お よび 補遺 小 樽高 商軍 教事件 続 41 以 上,彼 らは ほ とん ど三 ・一 五 の 直 前 に党 員 に な っ て い る こ と に な る 。 以 上18名 が 小 樽 関 係 で あ る。 北 海 道 で の 被 告 は35名 な の で,小 樽 以 外 は17名 とな る。
三 ・一 五 弾 圧 に あ た っ て,北 海 道 庁 で は,石 川 芳 太 郎 警 察 部 長 を,特 別 一 斉 捜 査 本 部 長 と し,全7班 の捜 索 隊 を編 成 した 。
小 樽 警 察 署 は この 朝,小 樽 合 同労 組 の ほ か 五 団体,境 一 雄 ほ か5名 宅 を 急 襲 した。 だ が 個 人 宅 は よ く整 理 され て お り,目 ぼ しい押 収 物 は な か っ た。
そ の朝,小 樽 合 同 労 働 組 合 組 織 部 長 で あ っ た渡 辺 利 右 衛 門(当 時25才)は, 小 樽 合 同 労 組 事 務 所 の2階 で 眠 りにつ い た ば か りで あ っ た。3時 す ぎ,あ ご ひ
も を掛 け た 警 官 と私 服 の 特 高,5,6人 が,靴 の ま ま組 合 事 務 所 にお ど りこ ん で きた。 建 物 の2階 に は,前 夜 の,田 中 内 閣 打 倒 演 説 会 の ビ ラ 張 り行 動 に参 加 した労 働 者 が,7,8人,渡 辺 の 周 囲 で ザ コ寝 して い た 。 渡 辺 は,特 高 に マ ー ク さ れ て い た 。彼 は検 束 され た。渡 辺 利 右 衛 門 は,小 樽 署 留 置 場 にぶ ち こ まれ, 取 調 べ,拷 問 さ れ た 。 そ の あ りさ ま を,小 林 多 喜 二 は,小 説 『一 九 二 八 年 三 月 十 五 日』 で 活 写 す る 。26)渡 とい う名 で登 場 す る。
正 木 清 に よれ ば,小 樽 で の 拷 問 は,こ う い う もの が あ っ た 。一 番 単 純 な の は, 警 察 道 場 へ 連 れ て い か れ て,投 げ 飛 ばす 。 次 は竹 刀 で拷 問 を か け る 。 これ が 初 歩 。 そ れ か ら三 尺 の鯨 尺 の 物 差 しで,裸 に して 責 め る 。 六 角 の鉛 筆 を指 の 間 に は さ ん で締 め 付 け る,こ れ を や る と気 絶 す る,気 絶 す る と水 を か け て 息 を吹 き 返 して,そ れ か らま だ や る,こ れ も初 歩,と 。
村 木 雄 一 は,言 う。 「正 木 さ ん の 場 合 は二 人 の デ カが 左 右 か ら髪 の 毛 を掴 ん で お い て,一 人 が 竹 刀 の柄 の 尻 で ゴ リ ゴ リや っ た はず 。」27)正 木 は,血 糊 の つ い た 髪 の 毛 を ひ とつ か み,無 理 矢 理 む し り と られ た 。は げ しい 拷 問 に つ い て は, 多 喜 二 の 小 説 に詳 しい。
26)下 里 正 樹 『日本 の 暗 黒 第1部 』 新 日本 出 版1990年,第5章 。 27)『 正 木 清 伝 』104ペ ー ジ
警 察 が 作 っ た小 樽 地 区 の 共 産 党 は こ うで あ る。
田 口右 源 太 本 田 要吉 高橋 英力 菊 地 米吉 北 海 道 オル グ
三 田村 四郎
内縁 の妻 久津 見房 子
武 内 清=境 一 雄
副鍵 鮮 誤甑
28)警 保 局 の作 っ た 組 織 表 で,小 樽 を中 心 に再 現 す る と,こ うで あ る。
補 助 北海道地方委員会 責任者
久津見房子 三田村四郎
一 小樽地区 責任者
武内 清 一
正木 清 菊池 末吉 渡辺利右衛門 境 一雄 高橋 英力 本田 要吉 秋山 安治 宮下 要吉 近藤 隆作 近藤 栄作 鮒田 勝次 佐藤 富雄 阿部茂太郎 本間喜一郎 音羽正 雄 成田 崇二 河内 富雄29)
(縦書 きを横書 きにす る。ただ し,こ の調査 は不 正確 な ものであ る) 小樽 での検 挙 は,三 ・一五 か ら2カ 月 にわた って続 け られ た。500人 にお よ ぶ要注 意者が逮捕 され検束 された。小 樽警察署 と水 上(す い じょう)警 察 署30)
28)渡 辺 惣 蔵 『北 海 道 社 会 運 動 史 』264ペ ー ジ。
29)『 正 木 清 伝 』109ペ ー ジ。
30)小 樽 は港 町 で あ っ た か ら で あ る。現 在 の 港 町4番 地 小 樽 水 産 ビル の 場 所 に あ っ た。
小樽 の 三 ・一五事 件,お よび 補遺 小 樽高 商軍 教事 件 続 43 は,こ れ らの 被 検 束 者 で あ ふ れ,小 樽 警 察 の演 武 場 も臨 時 の 収 容 所 に な っ た。
小 樽 警 察 の拷 問 は,特 別 に構 内 の 署 長 官 舎 に そ の 密 室 を急 造 し,毛 布 な どで 窓 を覆 い,防 音 装 置 を した 中 で 行 わ れ た 。3人 の特 高 刑 事 と8,9人 の 防 犯 刑 事 が夜 の 十 時 か ら夜 明 け まで 詰 め て,毎 晩1人 つ つ 引 き出 す 。 そ して意 識 不 明 に 陥 る まで あ らゆ る拷 問 を繰 り返 した 。 なか に は発 狂 す る者 さ えい た。31)
小 樽 警察 は,木 造2階 た て で,2階 に武 道 場 が あ っ た。 小 樽 警 察 署 長 は 西 尾 で あ った 。(奥 田二 郎)
鈴 木 源 重 は,三 ・一 五 の 後,ぶ る っ た(琴 坂 氏 の 話)。 多 喜 二 の作 品=小 説 で は,彼 は鈴 本 と な っ て い る。 三 ・一 五 に係 わ っ た の は 山 口 と しや で あ っ た 。 三 ・一 五 事 件 で は,被 告 は何 で も喋 っ て しま っ た 。 翌 年 の 四 ・一 六 事 件 と は違 っ て い た 。 こ の 時,法 廷 戦 術 が 確 立 して い な か っ た 。 三 ・一 五 後,指 令 が 出 た の で は な い か(堅 田 精 司,話)。
三 ・一 五 事 件 は,一 道 三 府 二 〇県 に わ た っ て,一 斉 に検 挙 され た空 前 の 大 弾 圧 で あ っ た。 と こ ろが 一 斉 検 挙 を して み た もの の,当 局 の予 想 に反 して 共 産 党 員 は少 な く,ほ とん どが 同 調 者 で あ っ た 。 当時 共 産 党 員 の 数 は 全 国 でせ い ぜ い 400名 て い どで あ っ た 。 こ の検 挙 で,野 坂 参 三,志 賀 義 雄32),杉 浦 啓 一33),河
田賢 治,山 本 懸 三,水 野 成 夫,春 日庄 一34),佐 野 文 夫 らの指 導 部 が 検 挙 され た 。 しか し幹 部 の一 網 打 尽 を狙 っ た に もか か わ らず,渡 辺 政 之 輔,三 田村 四郎,鍋 山 貞 親35),市 川 正 一36),佐 野 学37),国 領 伍 一 郎 ら を逮 捕 で き な か っ た。 山 本 懸 三 は検 挙 後 逃 れ た 。 警 察 は 主 に秘 密 の 重 要 党 員 を と りに が した 。
当 時,警 保 局 作 成 の 共 産 党 中 央 部 は,こ う で あ っ た 。
31)『 正 木 清 伝 』102ペ ー ジ 。
32)志 賀 義 雄,1901‑89.三 ・一 五 事 件 で 検 挙 さ れ,以 後18年 間 獄 中 に 。 33)杉 浦 啓 一,1897‑1942.三 ・一 五 事 件 で 検 挙 さ る 。
34)春 日 庄 一,1907‑.三 ・一 五 事 件 で 検 挙 さ る 。 35)鍋 山 貞 親1901‑79.四 ・一 六 事 件 で 検 挙 さ る 。 36)市 川 正 一,1892‑1945.四 ・一 六 事 件 で 検 挙 さ る 。 37)佐 野 学,1892‑1953.1929年,上 海 で 検 挙 さ る 。
常任 中央委員 組 織 部 長 宣伝扇 動部長 事 務 局 印 刷 局 中 央 委 員 中央委員候補
レ ポ ー タ ー
渡 辺政之輔 市 川 正 一 水 野 成夫 斉藤 久雄 中尾 勝男 松尾 直義
小 西 茂 国38)
労働組 合部長 無産者新聞主筆 喜入虎 太郎
赤 旗 編 集 長
鍋山 貞親 佐野 学
西 雅雄
杉 浦 啓 一 三 田村 四郎
そ の 後,ほ ぼ 共 産 党 組 織 と,重 要 党 員 が 判 明 す る こ とに な る が,そ れ は,中 尾 勝 男 が 捕 ま り,彼 の 持 っ て い た暗 号 に よ る党 員 名 簿 が 見 つ か り,解 読 され た か らで あ る。
「日本 共 産 党 事 件 に 関 し,塩 野 検 事 正 よ り地 方 検 事 正 へ の 通 牒(付,暗 号 党 員 名 簿)(一 九 二 八)」39)が あ る 。 そ こ で は,北 海 道 党 員 は1928年3月 で82名
とさ れ,小 樽 で は47名 と あ る 。 暗 号 か ら訳 した もの だ が,そ れ ら小 樽 の 人 は こ う で あ る 。
「石 屋 ,石 岡,菊 池,酒 井,安 藤,下 川淵,河 内,工 藤,牧 野,岡 田,小 川, 渡 辺,細 河,田 坂,近 藤,音 羽,遠 藤,中 村,伊 藤,佐 藤,松 本,船 田,伊 藤 若 林,鈴 木,渡 辺,佐 藤,加 賀 谷,神 田,内 田,本 間,高 橋 」40)訳 文 で も, 少 し違 う が,列 挙 さ れ て い る。41)こ れ らは,中 尾 勝 男 の 持 っ て い た 暗 号 か ら 作 っ た もの で あ ろ う。 た だ し,存 在 しな い 人,間 違 い,そ の 他 が 多 い 。
三 ・一 五 事 件 で北 海 道 で 実 刑 を受 け た 者33名,う ち小 樽 か らは13人 が,札 幌 刑 務 所 に 送 られ た。4月10日 に は,労 農 党,日 本 労 働 組 合 総 評 議 会,無 産 者 青 年 同盟 の3団 体 が,解 散 命 令 を 受 け,評 議 会 加 盟 の小 樽 合 同 労 組 も解 体 させ ら
38)『 正 木 清 伝 』108ぺ ・一・一一ジ 。
39)『 現 代 史 資 料(16)社 会 主 義 運 動(三)』 み す ず 書 房 昭 和40年 。 40)同,59ペ ー ジ 。
41)同,64ペ ー ジ 。
小 樽 の 三 ・一一五 事 件,お よ び 補 遺 小 樽 高 商 軍 教 事 件 続 45 れ た 。 この 弾 圧 を好 機 到 来 と して,日 本 労 働 総 同盟(松 岡 駒 吉 ら)傘 下 の 北 海 道 労 働 総 同 盟 が,6月10日 に再 発 足 した 。
解 散 させ られ た 旧労 農 党 の 大 山 郁 夫42)ら は,合 法 政 党 で あ る新 党 準 備 会 を 結 成 中 で あ っ た。 一 方,日 本 共 産 党 は,検 挙 を免 れ た 渡 辺 政 之 輔,鍋 山貞 親, 市 川 正 一 を中 心 に,党 組 織 の建 て 直 しを行 い,4月 末 まで に は杉 本 文 雄 らが オ ル グ して全 国 的 な連 絡 網 を 回復 しつ つ あ っ た 。
7月3日 に は,小 樽 運 輸 労 働 組 合 が 発 足 し,委 員 長 鈴 木 源 重,書 記 大 西 喜 一,坂 本 佐 一 郎,常 任 書 記 森 良 玄 と な っ た,組 合 員 は港 湾 労 働 者 が 中心 で, 約300名 で あ っ た 。
久 津 見 房 子(札 幌)は,検 挙 され た あ と,札 幌 地 裁 の 闘 争 で も,そ の 先 頭 に た っ て 闘 っ た 。 同年10月24日 か ら4日 間 に わ た っ て札 幌 で 開廷 さ れ た,札 幌 ・ 小 樽 ・室 蘭 関 係33名 の 公 判 廷 で,久 津 見 が獄 中 に お け る官 憲 の拷 問 の 事 実 を暴 露 して,法 廷 は公 開 禁 止 に な っ た こ と もあ る。43)こ れ に つ い て,代 議 士 に な っ た 山本 宣 治 は,昭 和4年2月8日,予 算 委 員 会 で 述 べ た。 「札 幌 にお け る裁 判 の ご と く,私 は 当 日傍 聴 しま した が,あ る婦 人 の 被 告(久 津 見 の こ とで あ る 筆 者)は,そ の 取 調 べ の 最 中 に お い て,そ の 被 告 の 十 五 に な る娘 が,母 親 の見 て い る前 に お い て,言 語 に絶 した る辱 しめ を こ の取 調 べ の 官 吏 か ら受 け て,そ れ を見 て腸 の 断 つ 思 い を した 。 あ る い は また,そ の女 被 告 の鮮 血 に 染 まれ る衣 服 の 一 点 が残 っ て お っ た が,そ れ が 何 処 と も な く消 え て い っ た,証 拠 が 隠滅 さ れ た とい う よ う な こ とで,そ の 話 を 聞 い て い た 裁 判 官,そ れ らの 方 々 も面 を そ む け た と い う よ うな 例 す ら あ る … … 。」 この 時 の 公 判 で は,久 津 見 が ロ ー プ に 逆 吊 りに され,猿 股(マ マ)ご と陰 毛 を焼 か れ た こ と を暴 露 し,法 廷 は公 開禁 止 に な っ た 。44)
全 国 で 約1600名 の 検 挙 者 中,約450人 が 起 訴 さ れ た 。45)北 海 道 の指 導 者 ・三
42)大 山,1880‑1955.
43)渡 辺,263ペ ー ジ 。 44)『 正 木 清 伝 』106ペ ー ジ 。
45)荻 野 『特 高 警 察 体 制 史 』 せ き た 書 房1988年 増 補 版 。
田村 四郎 は北 海 道 を 逃 げ,10月2日,東 京 で 愛 人 の 森 田 京 子 と同居 して い る と こ ろ を襲 わ れ た 。 そ し て モ ー ゼ ル 銃 で警 官1人 を狙 撃 死 させ た 。 三 田村 は,逃 走 した 。 後 に昭 和8年7月1日,中 尾 勝 男,高 橋 秀 樹 ら と と もに コ ミン テ ル ン
を批 判 し,ま た佐 野 学,鍋 山 貞 親 の 転 向 に 同 調 した 。 この 転 向 と と も に,北 海 道 で は,旭 川 地 区 の 責 任 者 山 名 正 美,小 樽 の 渡 辺 利 右 衛 門 もこ れ に追 従 した 。 三 ・一 五 事 件 は,4月10日 午 後3時 に記 事 解 禁 とな っ た 。 そ れ に 対 して 四 ・ 一 六 事 件 は7カ 月後 で あ る。
三 ・一 五 事 件 の後,特 高 課 員 の 人 数 が,百 人 以 下 か ら3百 人 を超 え る よ うに な っ た。 特 高 強 化 の 方 向 が と られ た 。 予 算 も4倍 に ふ え た 。 思 想 検 事 が 設 置 さ れ た 。 つ い で,三 ・一 五 事 件 以 後,治 安 維 持 法 の改 悪 が な され た。 つ ま り1928 年6月29日,緊 急 勅 令 で,最 高刑 が 死 刑 に な り,そ して 目的 遂 行 罪 が 導 入 さ れ た 。 こ の 目的 遂 行 罪 で,特 高 は活 躍 す る こ とが で きた 。7月3日,全 県 に特 高 が で きた 。1928年8月 に 中 間検 挙 が あ っ た 。1928年 の1年 間 で,特 高 は全 国 で 3426人 を検 挙 した。1926年 か ら終 戦 ま で で,治 安 維 持 法 で 検 挙 さ れ た 者 が7万
5千 余 人 で あ り,虐 殺 され た者 は80余 名 で あ る。
1928年4月10日,日 本 労 働 組 合 評 議 会 が 解 散 させ られ た 。評 議 会 に か わ っ て, 12月 に 日本 労 働 組 合 全 国 協 議 会(全 協)が 結 成 され る と,1929年1月,小 樽 運 輸 労 組 は これ に加 盟 し,ま た小 樽 が 中心 と な っ て全 協 北 海 道 準 備 会 を結 成 した 。
昭 和 の 初 期,『 改 造 』 や 『中 央 公 論 』 の 定 期 購 読 者 が,警 察 で 要 注 意 人 物 と して 警 告 され た 。
補 遺1
拙 稿 「総 選 挙 と三 ・一 五 事 件 」(『商 学 討 究』49・1,1989年7月)に つ い て, 佐 藤 好 徳 氏 が 資 料 を 送 っ て 下 さ っ た 。 そ れ に よれ ば,拙 稿 で,小 樽 の 三 ・一 五 事 件 で 検 挙 され た人 々 の う ち,2名 が もっ と詳 し く分 か っ た 。 そ の小 沢 三 千 雄 編 『秋 田県 社 会 運 動 の 百 年 』(み し ま書 房1978年)か ら。
小樽 の三 ・一 五事 件,お よび 補遺 小樽 高 商軍教 事件 続 47
菊 池 米 吉
1890(明 治23)年5月19日 生 ま れ,1959(昭 和34)年9月24日 没 。 南 秋 田 郡 馬 川村(五 城 目町)館 越 に 生 まれ,北 海 道 に渡 り,小 樽 港 で 仲 仕 をや り,小 樽 合 同 労 組 に加 入,1926(大 正15)年 に 同 労 組 の幹 部 と な り,1927(昭 和2)年 の港 湾 ゼ ネ ス トの 指 導 に あ た っ た。 労 農 党 小 樽 支 部 委 員 で もあ っ た。 三 ・一 五 事 件 で 検 挙 起 訴 され たが,裁 判 闘 争 の 結 果,1929(昭 和4)年2月15日 無 罪 判 決 を うけ る。 釈 放 後,全 小 樽 労 組 の幹 部 と して活 動,の ち に全 評 の 活 動 に 加 わ
り,1936(昭 和11)年4月30日 検 束 され,ま た1937(昭 和12)年12月15日,日 本 無 産 党 事 件 に 関 連 して治 維 法 違 反 容 疑 で 検 挙 され た が,不 起 訴 に な っ た 。 戦 後 も労 働 運 動 の長 老 と して活 躍 した。
細 川 兼 松
1897(明 治30)年5月26日 生 まれ,1974(昭 和49)年6月14日 没 。 兄 貞 治 郎 と と もに 北 海 道 に わ た り,小 樽 市 に住 い し,小 樽 合 同 労 組 の有 力 な活 動 家 に な る。1928(昭 和3)年4月 検 挙 され た が,月 末 に釈 放 され,1935(昭 和10)年
7月,全 協 小 樽 地 区 協 議 会 準 備 会 メ ンバ ー と して検 挙 され る。 の ち札 幌 に 移 り 住 ん だ 。
ま た拙 稿19ペ ー ジの 寺 田行 雄 は,堅 田書 か らそ の ま ま,小 樽 生 まれ と して し ま っ た。 正 し くは,青 森 生 ま れ で あ り,安 田氏 か らの 指 摘 で あ る 。 寺 田 に つ い て は,す で に 詳 し く拙 稿 「小 樽 高 商 軍 教 事 件(上)」(『 商 学 討 究 』47巻2・
3合 併 号,1887年1月)53ペ ー ジ に あ る 。
補 遺2小 樽 高 商軍 教 事 件 。続
本 項 は,か つ て の拙 稿 「小 樽 高 商 軍 教 事 件(上)」(『 商 学 討 究 』第47巻 第2・
3号),お よ び 「小 樽 高 商 軍 教 事 件(下)」(『 商 学 討 究 』 第47巻 第4号)の 続 きで あ り,主 に,こ れ の参 加 者,高 橋=石 田興 平,山 本 安 次 郎 の2人 に つ い て,
論 ず る。
本 項 が な る に あ た っ て は,滋 賀 大 学 経 済 学 部 時 代 の 高橋=石 田興 平 先 生 の愛 弟 子 ・石 井 和 佳 氏 の 資 料 提 供 に よる と こ ろ が 大 きい 。46)
高 橋(石 田)興 平
高 橋(後 の 石 田)興 平 は,明 治38年(1905年)岩 手 県 二 戸 郡 に 生 ま れ た 。 大 正8年,盛 岡 市 立 商 業 学 校 に 入 学 し た 。 彼 は,そ の 後 県 立 と な っ た こ の 盛 岡 商 業 学 校 を 大 正13年 に 卒 業 し た47)。 高 橋 は,大 正 一 三 年 四 月 に 小 樽 高 商 に 入 学
し た 。
1年 目 にJ.S.Mill,PrinciplesofPoliticalEconomy.な ど の 講 読 が あ っ た 。 彼 は,高 商 の4つ の 寮 の う ち,第3寮 の 文 行 寮 に 入 り,そ こ に は 合 田 正 巳,山 本 安 次 郎,手 島 恒 二 郎,桑 島 喜 助 が い た 。 合 田 正 巳 は,後 に 三 ・一 五 事 件 で 捕 ま る 人 で あ る 。 経 済 原 論 の 担 当 は 南 亮 三 郎 で,1学 期 は 方 法 論 に 終 始 し た 。
高 橋=石 田 は 書 く。 「高 商 二 年 の 春 に な っ て,[高 橋 の]学 問 的 関 心 が 再 び マ ル ク ス に 向 き か け て い た 矢 先,MSS(MarxianStudentSociety)の 名 で 社 会 科 学 研 究 教 程 が は り 出 さ れ,そ こ に は マ ル ク ス の 資 本 論,経 済 学 批 判 は 勿 論, 英 訳 のAnti‑Duering48)か ら,レ ー ニ ン の 帝 国 主 義 論[,]StateandRevolution, 更 に ク ノ ー49)の 「マ ル ク ス,歴 史 ・社 会[・]国 家 学 説 」 の ドイ ツ 語 原 本 な ど, 十 数 冊 の 書 名 が あ げ ら れ て い た 。 … … 指 定 の 日,指 定 さ れ た 場 所 に 行 っ て 見 た
ら」50),「私 な ど よ り だ い ぶ 年 上 の 三 年 生 が お りMSSに 入 る よ う 勧 誘 を 受 け た 。 勿 論,私 も入 っ た し 山 本 安 次 郎 君(後 の 滋 賀 大 や 京 大 の 経 営 学 教 授)や 手 島 恒
46)小 樽 商 科 大 学 で,松 尾 尊 莞 氏 の 報 告 「小 樽 高 商 軍 教 事 件 を め ぐる 諸 問 題 」が,1998.
2.20.に 行 わ れ た 。 そ こ で 氏 は,夏 堀 書,小 生 の2稿,以 外 に,平 原 春 好 『配 属 将 校 制 度 成 立 史 の研 究 』 野 間 教 育 研 究 所1993年,遠 藤 芳 信 『近 代 日本 軍 隊 教 育
史 』 青 木 書 店1994年,な ど を挙 げ て い る 。
47)石 田 興 平 「経 歴 と著 作 目録 」(滋賀 大 学 経 済 学 会 編 『石 田興 平 教 授 還 暦 記 念 論 文 集 』 昭 和40年)1‑2ペ ー ジ 。
48)EEngelsの 『反 デ ュ ー リ ン グ論 』。
49)HeinrichCunow,1852‑1936.
50)『 い しだ ゼ ミ の 友 』NO.30.昭 和62年 ユ987年,4ペ ー ジ。
小樽 の 三 ・一五事 件,お よび 補遺 小 樽高 商軍教 事件 続 49 二 郎 君(後 の 千 代 田 火 災 の 社 長),合 田 正 巳君,そ の ほ か 数 名 入 っ た 。MSS
の リー ダ ー は 右 に述 べ た 年 上 の 斉 藤 磯 吉 君51)で あ っ た。」52)「 大 分 年 上 の 先 輩 が,[つ ま り斉 藤 が]さ しあ た り,レ ー ニ ンの 帝 国 主 義 論 とStateandRe‑
volutionを テ キ ス トと して研 究 会 を や る とい うの で そ れ に参 加 した 。 研 究 会 の 場 所 は 高 松 勤 教 授 の お 宅 で あ っ た。 研 究 会 は 週 二 回 」 で あ っ た。 「年 の い っ た 先 輩 の 斉 藤 磯 吉 君 は 当 時 す で に二 十 六 才 で,私 よ りも六 つ も年 上 で あ っ た 。 …
… 自分 らが よ うや く,英 語 の 原 書 を読 め る よ うに な っ た ば か りなの に,彼 の 語 学 力 は す ご く,英 書 は勿 論,ド イ ッ語 で も ど し ど し読 ん で い た 。
そ れ か ら斉 藤 君 の 猛 烈 な教 育 が は じ まっ た 。彼 は勉 強 家 で あ る ば か りで な く, 実 践 的意 欲 も強 く,い つ も圧 倒 され ど う しで あ っ た 。」53)
高 橋 は,小 林 多 喜 二 と 同 じ よ う に,少 年 の 頃,「 レ ・ミゼ ラ ブ ル 」 に感 動 し, 青 年 の ころ,ク ロ ポ トキ ンに 熱 中 し,ま た 社 会 科 学 を非 常 に 熱 心 に勉 強 した 。 だ か ら,小 林 多 喜 二 の よ うな 人 が こ の ころ 多 数 い た の で あ る 。
斉 藤 磯 吉 に つ い て,高 橋=石 田 は,さ らに 書 く。 「斉 藤 君 は 大 き な 海 産 物 問 屋 の 別 宅 の 二 階 に住 ん で い た。こ の 問 屋 の 子 供 の 家 庭 教 師 を して い た の で あ る。
斉 藤 君 の 部屋 へ 行 っ て 驚 い た こ と に は,マ ル クス 主 義 や レー ニ ン主 義 に 関 す る 英 訳 本 や ドイ ツ語 の 原 本 が ぎ っ し り と本 立 に た て て あ り,そ の 頃 ハ イ ン リ ッ ヒ ・ク ノ ウ の 「マ ル クス 。 歴 史 ・社 会 ・国 家 学 説 」 の ドイ ツ語 原 本 を読 ん で い た 。 斉 藤 君 は 師 範 学 校 を 出 て小 学 校 の先 生 を数 年 して か ら小 樽 高 商 に入 り,先 生 時 代 に既 に英 語 や ドイ ツ語 で マ ル ク ス 主 義 や レー ニ ン主 義 を 随 分 と研 究 して い た とい うの で あ る 。 … … 私 は 別棟 の一 階 の 六 畳 に 下宿 させ て も ら った 。 後 に 合 田 君 兄 弟 は 私 の 隣i部屋 八 畳 に 引 越 して 来 た 。」54)
「斉 藤 君 はマ ル クス ・レー ニ ン主 義 の 研 究 に没 頭 して い た が ,も ともとアナー キ ズ ム に傾 倒 し,性 格 的 に もそ うい う とこ ろ が あ っ た。 彼 の 書 斎(高 橋=石 田
51)斉 藤 は,利 尻 島 出 身 で,初 め 小 学 校 の 先 生 で あ っ た 。 後 述 。 52)『 い し だ ゼ ミ の 友 』NO.26.昭 和58年1983年,2‑3ペ ー ジ 。 53)NO.30.4ペ ー ジ 。
54)NO.26.3ペ ー ジ 。
も住 ん で い る家 の一 筆 者 注)に は英 語 や ドイ ツ語 や,フ ラ ンス語 の 原 書 が 多 い の に は,お ど ろ い た 。 彼 は酒 好 きで,女 関係 で は だ ら し なか っ た[後 述 す る よ う に,遊 廓 問 題 の こ と 筆 者 コ。 しか し,彼 は そ れ を悪 い とは 思 わ な い の み か,私 た ち が そ の事 に こだ わ っ て い る の が,む しろ ブ ル ジ ョア意 識 の た め だ とい う わ け で あ る,な に しろ彼 に学 問 的 に圧 倒 され,ま た議 論 して も完 膚 な き まで にや られ る 。 … … ブ ル ジ ョア 意 識 を脱 皮 させ る とい っ て,飲 屋 に つ れ て い か れ た 。 … … また 同 じ 目的 か ら遊 廓 に も い こ う とす る。 これ に は か た くな に抵 抗 して 行 か な か っ た 。」55)
「軍 事 教 育 運 動 が 全 国 的 に問 題 とな るや,東 大 の 後 藤 寿 夫 君(林 房 雄)と, も う一 人 が わ れ わ れ の と ころ に とん で 来 た。 … … 後 藤 君 か ら東 大 の新 人 会 の 研 究 の様 子 を聞 い た 。 当時 「マ ル ク ス主 義 」 と い う雑 誌 や そ の他 に 出 て 来 た 福 本 和 夫(別 名 北 条 一 雄)の 論 文 が 高 く評 価 され,こ の研 究 が 主 流 を な して い る と
い う。 … … そ して 斉 藤 が,ブ ル ジ ョア 意 識 克 服 の た め 一 緒 に飲 み,一 緒 に遊 廓 に行 く事 まで す す め る と話 した ら,後 藤 君 は彼 こそ ブル ジ ョア 的 だ とい う。 こ れ で わ れ わ れ 後 輩 連 中 は 断 乎 自信 を と り も ど し,独 立 し た歩 み をす る傾 向 が 急
に拾 頭 して き た。56)
そ う こ うす る うち に,小 樽 高 商 で 軍 事 教 育 問題 が 起 き た。 配属 将 校 の起 草 し た 想 定 が 問 題 とな っ た 。「こ の想 定 の プ リ ン トを前 に して,斉 藤 君 と黒 田 君 は,
これ は 問 題 だ,断 乎 反 対 闘争 に た た ね ば な ら な い とい う。 そ して 黒 田君 が 名 文 の 激 を書 い た 。」57)
拙 稿,下8ペ ー ジ で は,「 原 文 執 筆 が 誰 か は 分 か ら な い と,手 嶋 は書 く。」 と し たが,こ こで,黒 田 が 書 い た こ とが 分 か っ た。
こ の撤 文 を印 刷 して 高 商 の 学 生 と全 国 の 大 学,高 校,専 門学 校 の 社 会 科 学研 究 会 あ て に 郵 送 した 。小 樽 の労 働 組 合 や,朝 鮮 人 団体 に も連 絡 した 。
「学 校 当 局 は大 変 ろ う ば い した 。そ の様 子 は,高 松 先生 を通 して われわれの
55)NO.30.5ぺ ・一・一・ジ 。
56)NO.30.6‑7ペ ー ジ 。
57)NO.30.5ペ ー ジ 。